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日本三大なんとか

 

blog_橋立.jpg現在読んでいる江戸中期の語録に、宮城県の松島を歌って、「扶桑第一の境」という言葉が出て来ました。「日本一の景色」という意味です。
松島と言えば、京都の天橋立、広島の安芸の宮島とならんで、「日本三景」の一つに数えられ、それはそれは美しいところです。

さていったい、いつ頃から、この三つの景色を「日本三景」と呼ぶようになったのでしょうか。

興味まかせに調べてみると、その歴史は古いもので、林春斎、あの林羅山の息子ですが、彼が寛永20年(1643)に著わした『日本国事跡考』という書物に、「松島、この島の外に小島そこばく有り、ほとんど盆池月波の景の如し。境致の佳なる、丹後の天橋立・安芸の厳島と三処の奇観をなす」とあるそうです。そして、元禄2年(1689)に天橋立を訪れた大学者・貝原益軒(かいばら えきけん)が、『己巳紀行』という書物の中に、天橋立を、「日本三景の一つとするのももっともなことである」と記していて、これが「日本三景」という言葉の文献上の初出とされています。と言うことは、益軒の以前から、「日本三景」という名称はあったことになり、由緒正しいものということになります。

「日本三景」と同じように、「日本三大なんとか」という言葉もよく聞きます。日本三大松原、日本三大陶器、日本三大花火……、数え上げたらキリがありませんが、これは、誰が決めたのかも分かりません。たとえば、日本三大松原は、一般的には、静岡の三保の松原、敦賀の気比の松原、唐津の虹の松原を言いますが、時と場合によっては、天橋立の松が、どれかに代わることもあります。

私が若くて各地を旅していたころ、あるところで出会ったオジサンが、「日本三大なんとかはなあ、有名なものを二つ入れて、あとの一つは、地元のものを入れるのだ」と教えてくれました。私は笑ってしまいましたが、なるほどと思いました。たとえば、「福島の三春滝桜、山梨の山高神代桜、そして、丹波の篠山城桜、これが日本三大桜じゃ」と大威張りで言っても、とがめられるスジアイはないのです。

それぞれの地元には、全国に自慢したい名物がたくさんあります。これをみんな、「日本三大なんとか」にしてしまうのです。なんと楽しいことでしょう。日本三大ネギ、日本三大ナスビ、日本三大アユ、日本三大マグロとか……、想像するだけでも楽しくなります。

まあ、こんなことを調べたり、妄想を起こしているから、私の語録訓注の仕事は進まないのですが、アッチコッチと揺れながら、楽しく読んでいきます。

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お富士さんと白隠禅師

去る18日(土)は、遠諱の記念事業の一つである「白隠シンポジウム【東京会場】」が開催され、東京の日経ホールまで、スタッフとして馳せ参じておりました。そのことについては、改めてお伝えするとして。

往路は若干曇りがちのお天気でしたが、日曜日の帰路には快晴。さぞや富士山がきれいに見えることだろうと期待して、当然のように新幹線のE席を指定してカメラも用意した上で乗車しました。

京都からの往路には新富士駅のあたりから見るときれいですが、復路には東京を出てすぐ、品川あたりからも遠くに望め、また小田原手前あたりからもよくみることができます。
それが、この写真。おそらく御殿場のあたりでしょうか。

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そして、熱海のトンネルを越え、三島駅を通過していくと、手前の愛鷹山があるせいで、こんな美しい富士山がすぐそこにあっても全く見えないというところが少し続きます。

白隠禅師の住まわれていた松蔭寺は、沼津市の近くの原宿というところにありますが、そのあたりからも、おそらく愛鷹山のせいで、裾野は見えないと思います。こんな感じでしょうか。

blog_MG_1678.jpgちょっとモヤモヤした見え方ですね。そして愛鷹山をすぎてしまうと、新富士駅手前からは雄大な富士山の全貌が望めます。

blog_MG_1691.jpgいかがですか。何度見ても素晴らしいお山ですね。

ただ残念なことに、このあたりは製紙工場だらけで煙突や高圧線がたくさんあって、なかなかベストショットが撮りにくいのです。もう少し、望遠で引き寄せてみるとこんな写真です。

blog_MG_1683.jpg右の裾野の方にぽっこり突き出ているところに手前に窪んでいるのは、宝永4年(1707)におきた、いわゆる宝永大噴火でできた噴火口があるあたりです。白隠禅師は貞享2年(1685)のお生まれですから、数えで23歳の時に起きた大噴火の跡です。地獄が怖くて出家した白隠禅師でしたが、『白隠年譜』によると、このとき修行中だった白隠禅師は岐阜の馬翁和尚の所を辞して松蔭寺に戻っており、この大噴火と地震で兄弟弟子達は恐れおののき郊外に逃げていたのに、白隠だけは本堂でじっと「天命に命を預けているから怖れることはない」と誓願を立てて坐禅を続けておられたとあります。このあたりの事情も『新編 白隠禅師年譜』(編著・芳澤勝弘/禅文化研究所刊)に詳しくあります。

富士山のもとで生まれ、各地を行脚した修行の後も、この富士山のもとで一生、法を説かれた白隠禅師。今年は亡くなって250年遠諱の年です。

 

 

 

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憧れの背振山 -栄西禅師ゆかりの地-

もはや10年以上も前の事でしょうか、茶の湯の稽古場でのこと。

師匠が、「宗匠とうちの主人が背振山に行って来たのよ……」と話しておられ、何の事かとよくよく聞いていると、なんでも栄西禅師が唐より帰国され、最初に茶の種を植えられた山だという事で、私の中でそれ以来憧れの地となっていました。
*詳しくは、霊仙寺の石上坊にて、1191年に宋より持ち帰った種を撒き、茶を育てたとか。

160226-1.jpg福岡市と佐賀県神埼市にまたがる山で、ネットで情報を調べるのですが、いまいち確かな事がわからぬまま、ともかくその昔、修験の山として栄えた背振山にその中心的寺院として存在したという霊仙寺跡を訪れたらおのずとわかるであろう・・・と。

160226-2.jpg閉鎖になっている山道も多く、もはやどのルートで行ったのかわからないほどに迷いに迷ってやっとたどり着いた地。
観光地化されているとは言いがたく(さすがにあまり訪れる人がいない模様)、地元の人に聞いても知らない方ばかり、なかなかに難儀しました。

160226-3.jpg倒れていましたので、とりあえず岩にたてかけておいてみました……。努力してみたのですが、どうしても真っ直ぐできなかった事をお許しください。

160226-4.jpgこの辺りが、最初に茶を植えたとされる石上(いわかみ)坊跡です。
続いて、霊仙寺跡・乙護法堂へ。

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160226-6.jpg茶の湯の稽古をする者としては、禅と共に茶が中国よりもたらされ、ここから全てが始まったのだな…と、辿り着いた時の感慨もひとしおでした。

160226-7.jpg稽古場での稽古も大切ですし、このように、茶に縁のある大切な地を実際に訪れて、禅宗とは切っても切れない歴史を持つ“茶の湯の歴史”が、自身の内に流れ込んでくるような体験、体感も大切にしたいと思っています。


栄西禅師につきましては、研究所から『栄西-千光祖師の生涯-』ならびに『栄西の道』を刊行させていただいております。さらに、別冊太陽も!是非お手にとってご覧ください。

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井戸尻遺跡 -長野県諏訪郡-

 

150904-1.jpg8月の初旬、かねてから気になっていました長野県の井戸尻遺跡を訪ねてみました。湧き水が豊富なこの地域には多くの遺跡が残ります。
私の大学のゼミ担当教授が憧れる時代が、“縄文時代”。
学生の頃はこれを聞いてもさほどピンともこず、「先生らしいな・・・」くらいの感想で終わっていましたが、今となっては頷けるような・・・。

150904-2.jpg地球を汚すこと無く、自然と共生する持続再生可能な生活スタイル。歴然とした身分や貧富の差の無いくらし。

150904-3.jpg東日本大震災を経て、今でこそパーマカルチャーなどという言葉も随分と注目されるようになりましたが、私が高校生の頃バブルが崩壊し、大学卒業の就職時には過去最悪の超氷河期時代と言われ、私自身も今となっては信じられませんが「一部上場企業に入る事こそ!!!」などと思っており、パーマカルチャーという言葉すら聞いた事も無かったと思います。

世の中も自身も、自身の意識もこんなにも15年ほどで変わるとは思ってもみませんでした。
そんな中訪れた縄文時代の遺跡。先生が縄文時代を好む理由がすとんと腹に落ちてくるような・・・。
なんともクリエイティブで、やはり現代の人間の方が人間力という意味でははるかに後退してしまったのではないか・・・と思うのでした。

150904-4.jpg資料館では、当時の暮らしぶりも再現されています。シンプルで無駄が無い。なんだかふと僧堂の典座(てんぞ・台所)を思い出してしまいました。
ここからは素晴らしい縄文土器の数々を。今でもステキに使えるものばかりです。



150904-5.jpg季節のフルーツを盛りたい気分になりますね。

150904-6.jpg傘立てにしたらかっこよすぎるのではないでしょうか。

150904-7.jpg花を生けたいです・・・。

150904-8.jpgかの有名な、水煙渦巻文深鉢です。岡本太郎氏が縄文時代を絶賛していた事を思い出しました。
自然界にある、ふと見逃してしまうような日常の風景の中の美を表現。縄文時代の人々の豊かさに思いを馳せました。

 

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安楽寺 その2 -信州上田-

150514-1.jpg昨日につづきまして、信州は上田にあります安楽寺参拝についてです。

国宝八角三重塔につきましては、このサイトに詳しいので、引用させていただきます。

*** *** ***

木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築で、昭和27年3月29日、文化財保護法の規定により長野県では一番早く国宝に指定されました。
立年代は鎌倉時代末期から室町時代初期までのあいだと言われてきましたが、平成16年、安楽寺の依頼を受けた奈良文化財研究所埋蔵文化センター古環境研究室の光谷・大河内両先生の調査の結果、三重塔用材の伐採年代は正應二年(1289年)ということが判明しました。

これにより少なくとも1290年代(鎌倉時代末期)には建立されたことが明らかとなり、わが国最古の禅宗様建築であることが証明されました。

初重に裳階(もこし=ひさし又は霧よけの類)をつけた珍しい形式であるうえに細部も禅宗様の形式からなり、類例が少ないです。

*** *** ***

との事。説明がなくとも、目の前に現れるだけで圧巻。日本建築の粋を結集したものである事は一目瞭然です。この日は木彫をしている友人が一緒でしたので、木の事なども説明してもらい、しばし遠目に、近くから・・・と何度も拝見。

150514-2.jpg遠い宋の国より来日した僧や、留学から帰った僧たちは、かの国に多くみられる八角形の塔を懐かしく思い、見上げたのでしょうか。
私は中国の八角塔は未だ参拝した事がありませんので、なんとなくベトナムの臨済宗寺院を思い出していました。

上田市の文化財マップにて、内部にお祀りされている大日如来の画像も拝見できます。禅宗寺院に大日如来?!仏様だけはそれより以前のものなのでしょうか。
興味のつきない安楽寺参拝なのでした。

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安楽寺 その1 -信州上田-

仕事でもプライベートでも、寺ばかり訪れている私ですが、先日は信州上田を訪れました際、かねてから念願であった安楽寺(元は臨済宗・現在曹洞宗)を参拝しました。

150513-1.jpg鎌倉時代、塩田流北条氏の領地として栄えた塩田平(現在の上田市)の地は、当時の政治の中心であった中央権力(鎌倉)と密接な関わりを持ち、ここ塩田の禅宗寺院は、鎌倉北条氏からも外護を受け、非常に栄えました。

安楽寺の開山・樵谷惟仙(しょうこくいせん)は、留学先の宋より1246年に帰国。荒れ果てた寺を再興(縁起は定かではありませんが、臨済宗の寺院になる以前よりあった古刹のようです)、臨済宗寺院としたようです。

建長寺の開山・蘭渓道隆とも親しく交流があったようで、先日仕事にて、蘭渓道隆禅師像の修復現場を拝見していた私は、そもそも時間が無く、安楽寺に寄る事はできないかもしれないと思っておりましたので、おそらくは禅師が繋げて下さった御縁であると、深く感銘を受け、感謝しました次第です。

150513-2.jpg写真を撮るのは憚られましたので撮りませんでしたが、樵谷惟仙禅師と、二世の幼牛恵仁和尚像も、それは威厳に満ち、お二人のお人柄が偲ばれるようでした。

150513-3.jpg長くなりましたので、我が国最古の禅宗建築様式を誇る八角三重塔につきましては、明日ご紹介したいと思います。

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犬は喜び...


141222-1.jpgおはようございます。本日は冬至で新月ですね。
冬至に新月が重なるのは19年ぶりとのことで、この日を境に、日が長くなってゆき、月が満ちてゆくという、希望を抱くスタートの日のようにも思えます。

141222-2.jpgさて、休日に雪を愛でに(少し大変でしたが…)、富山へ行って参りました。
ほんとうに歌の通り、犬は喜びかけまわるのですね。
とある農園にいた、りえちゃんという柴犬です(柴田理恵さんが富山出身との事で名づけられたとか!)。
雪の玉を投げてやると、喜び勇んで追いかけます。ナイスキャッチ!!!

141222-3.jpg富山県の名刹も訪れましたので、またご紹介したいと思います。

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141215-1.jpg頭と身体のモードを切り替える為、山奥へ。
家での瞑想や坐禅も良いのでしょうが、自然の力を借りるとうんと切り替えやすくなります。

141215-2.jpg都会に住んでいますとまず見かける事の無い霜も美しく、空気も美味しい。
満ち足りた休日を過ごしました。

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兼六園の雪吊り

 

141210-1.jpg雪吊りの始まりました金沢は兼六園。

141210-2.jpg雪害から樹木を守るための工夫が昇華され、ここまで美しいものになる事にいつ見ても感動を覚えます。
一つ一つの枝に撒かれたロープ、芯柱などじっくり拝見していますと、庭師の方々に頭の下がる思いがしてきます。作業人数はのべ500人にも及ぶのだとか。驚愕です。

141210-3.jpg春の訪れまでの楽しみですね。

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山口にて 続

先週末のブログ「山口常栄寺・洞春寺へ」に続き、もう1回おつきあい下さい。
洞春寺にお邪魔した後、ありがたいことに洞春寺のご住職が私を車に乗せて、帰りの新幹線までの間に近隣を少し案内して下さいました。

20141117-nishida.jpgまずは、西田幾多郎(1870~1945)の下宿していたお宅です。この2階に住んでおられたとのこと。
ご存じの通り、西田幾太郎は、京都学派・西田哲学の創始者である著名な哲学者で、鈴木大拙とも石川県専門学校(四高)時代からの親友です。
石川県で生まれ、東京帝国大学を卒業後、四高で教鞭をとり、明治30年9月にこの山口の山口高等学校勤務となりました。
そのうちの一時期にここ岡部氏の一室に居住していたとのこと。
このお宅は洞春寺の檀家さんのお家とのことで、一時、解体するような話になったところ、西田が住んでいた部屋を崩すなどしてはいけないとの反対をうけて思いとどまられたとのこと。今はどなたもお住まいではないようですが、こうして保存されていました。
立て看板によると、山口市は、当時、日本で最初にフランシスコ・サビエルによってキリスト教の伝道が行なわれた場所である「大道寺跡」が発見されたばかりで、そのためにキリスト教に感心を向け、また当時の山口高校の北条校長の影響を受けて明治30年頃から妙心寺で坐禅をするようになり、山口時代に宗教的感心を持つようになって精神的転換がなされたようだとのことでした。

20141117-_ryufuku1.jpgさて、西田の下宿のすぐ近くにあるのが曹洞宗龍福寺というお寺。葺き替えられたばかりの檜皮葺が美しいです。
ここは、毛利元就の長男である隆元が、養父の大内義隆公の菩提寺として建立したお寺とのこと。もともとこの境内は大内の平城「大内館」の跡地だそうです。

20141117-_ryufuku2.jpg境内にある大内義隆の辞世の句をしるした石碑があり、

討つ人も 討たるヽ人も 諸ともに 如露亦如電応作如是観

とありました。最後は金剛般若波羅蜜経の一節ですね。義隆は家臣である陶晴賢の謀反により長門の大寧寺(たいねいじ・曹洞宗)に逃れ、大寧寺十三世異雪慶殊(いせつけいじゅ)和尚の弟子となり、その後、自刃されたそうで、その辞世の句だそうです。
敵も味方もどちらの命も、露や稲妻のように儚いものなのだ、という意味でしょう。

この句を称えるように、その横には不断桜がひっそりと咲いていました。

20141117-_ryufuku3.jpgこんな、日帰り山口への旅でした。

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日本の風景

 

140529.jpg新幹線に乗っていますと、このような景色にであいました。

「あぁ、このような風景を小野竹喬は描いたのだな・・・・・・」などと好きな画家の事をぼんやり考えつつ、重なり合う山の端、暮れゆく空の表現しがたい色の世界の美しさを少しの間堪能しました。自然界にあるもの、皆これを写してみたくて、芸術などは生まれるのですね。
昔の人にはあり得なかった事ですが、現代では新幹線に乗る何時間かの間に、様々な風景に出会えますね。

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自然と自身との融合


140522.jpg日々の生活において、一番身近にある“自然と一体になる事”といえば、あまりに当たり前過ぎて意識すらしない事が多いかもしれませんが、「三度の食事」です。
自然界に存在するものを自身にとりこんで、生命活動を維持し、身心の健康を保たせていただいています。

140522-8.jpg「本来の自己をみつめる為」、「自然と繋がる為」と、坐禅やヨガなどをします。もちろんそれらは自身の助けとなりますし、ひいては自然や宇宙と繋がり、本来の自己というものを明らかにする道といえますので、とても大切な事と思い私も取り組んでいます。ですが、その前のもっとも根本的なところといえば、日々の食事、くらしではないでしょうか。
スーパーで当たり前に買い物をしていると、食べ物を“商品”として購入しますので、そのような意識も薄れてしまいがちですが、まさに自然と共にある暮らしをする友人と付き合うようになってからは、秋はきのこを採りに、春は山菜を採りに山へと入り、旬のものを大地からいただく事の尊さ、自身も自然界の一部である事、食とは、自然界と自分とを融合し、つなげる役目があるのだな・・・という事を気付かせてもらっています。

140522-1.jpgたらの芽

今年も4月頃から随分と山菜を楽しませてもらいました。さらに先日は長野へと赴き、標高1650メートルの所にある友人宅にお邪魔し、二度目の桜と山菜を堪能しました。まだまだ芽が出たての、柔らかなたんぽぽの葉やよもぎの葉を摘んでナムルを作り(!)、こごみやわらび、たらの芽など、春のにがみや香りを楽しみました。

140522-3.jpgわらびはあく抜きをしてから酢醤油であえて、一味を少し

何でもお金を出せば手に入るようになっていますが、違う豊かさを日本の自然から教えてもらっています。都会育ちで、山から食べ物を採ってくる事など無縁の世界であった私が、友人のおかげでこのような感動を味わっている事を、何らかの形で多くの方に伝えていきたいなと思います。

出家して僧堂に入るわけでなくとも、在家の人間は在家の人間でこのような体験から、禅宗寺院で何故あれほどまでに典座(台所・炊事を掌る役)に重きが置かれるのかという事に思いを馳せ、学ばせていただいています。

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竹田城 -兵庫県朝来市-

 

140424-1.jpg既に二週間ほど前の話ですが、噂の竹田城を訪れてみました。
この時期には雲海は見られないようですが、石垣のみを山頂に遺したその姿は、なんとも見るものに様々なロマンを抱かせます。 つわものどもが夢の跡、、、に、桜も満開、人も大勢。

私は午前中に訪れましたのでまだ大丈夫でしたが、空前の竹田城ブーム!午後からはものすごい賑わいで、入場制限が出ていました。 早起きは三文の徳!是非とも早起きしておでかけになってみてください。一見の価値ありです!!!

140424-2.jpg竹田城までの道のりは、穏やかな山間部を通るのですが、里山に咲く桜を堪能できました。旅は、以外と目的地よりも、その道中が楽しかったりするものですね。

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縁あって和歌山のお寺の津送に

今年の一月に本ブログに別のスタッフが記事にしていますが、和歌山県のとあるお寺の寺史と建物や什物の写真を一冊にまとめた本を委託され、現在制作にあたっています。

そんなおり、このお寺の閑栖和尚様が遷化されました。このお仕事のご縁があって、私どもも津送に拜請をいただきましたので、片隅に参列させていただきました。

遠路のこともあって前日よりお招きいただき、シーズンオフの白浜温泉で一泊。目の前の太平洋は、凪いてなんとも静かでした。

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翌朝、お寺へ移動すると、各地から多くの僧侶、檀信徒、親類縁者がお集まりになっていました。見知ったお顔の方もおられ、旧交を深められているように思いました。これも亡き閑栖さまのご縁だろうと思います。

2014-04-17-09.37.56.jpg津送として、元粛に三仏事が執り行われましたが、秉炬導師は南禅寺派管長の香南軒中村文峰老師がおつとめになられました。もう85歳かと思われますが、香語の最後の一喝は力強い気迫を感じられました。
一旦退堂して、新忌斎という、いわゆる四十九日の法要も営まれ、無事円上。終わって出斎となり、小田長の精進料理をご馳走になりました。

滋賀の自坊のつもりで冬衣にウールの白衣で出頭してしまった私は、式中、汗ばむほど。そういや和歌山は暖かいのでした。

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橋杭岩 ―南紀串本―

 

140328-1.jpg無量寺さん参拝の後は、串本といえばこの“橋杭岩”。自然界のなせる妙とでも言いましょうか、奇岩群はおよそ800メートルにも渡り、干潮時には歩いて岩の近くまでゆく事ができます。

140328-2.jpg和歌山らしく、弘法さんの伝説が残っており、沖合の島まで一晩で橋をかける事ができるかどうかの賭けを天の邪鬼が挑み、負けそうになった為、鶏の鳴き声を真似て、弘法大師に朝が来たと勘違いさせて作業をやめさせた・・・その名残がこの橋杭岩だそうな。
弘法さんの伝説は数多く残っていますが、やはり人並み外れたそのお力を示さんが為でしょうか。面白いものですね。

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静寂

 

140311-1.jpg何ヶ月かに一度だけでも、大自然の中に身を置きたいと思っています。
以前訪れました長野の友人宅に、雪の中の静寂を求めてお邪魔してきました。

2~3キロ先までは人が住んでいない山の中。友人たちと自分の気配、あとはログハウスの餌場にやってくる小さな鳥のみが動きを感じる存在。雪の下にまだ眠っている植物たち、木々も全て葉を落とし、春の芽吹きまで静かに力を蓄えているよう。

140311-2.jpg帰り、山をおりる際に明らかに感じた境界線。人々の気配が急に自分の感覚に飛び込んでくる境界線を感じたのでした。短い滞在でも、深い静寂に包まれた中で過ごすと、人間も自然の一部であるのですから、本来の敏感な感覚を取り戻せるのですね。
天台宗の千日回峰行やその他の行法においても、大自然の中に身を置き、感覚を研ぎ澄ませるのが、如何に色々な物事に気づく為に有効であるのか、少しわかったような気がしました。

この山の中の静寂のイメージを心の奥底に持ち続け、次の大自然とのふれ合いまで、敏感になれた感覚を失わないようにしていたいものです。

本日で、震災より3年の月日が流れました。我々が、自分のくらしや生き方をどうしてゆくのか、どのようにバランスを取るのか、大自然の中で新たにみつめ直す機会をもらえました。
臨済宗黄檗宗の各派寺院においても、本日は追悼の法要が行なわれ、犠牲者の方々の供養と、大自然を汚してしまった事への懺悔、いまだ続く被災地の方々の苦しみが少しでも軽減されるよう、祈りが捧げられています。

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東北の被災地を再訪 2

日没の早い東北の地、初日の夜は盛大に檀家さんたちと酒を酌み交わして楽しみ、また、楽天対巨人の試合を観戦。東北の希望の星である楽天を応援しましたが、初戦は辛くも敗れてしまいました。仙台のホテルは双方を応援する人たちで満員だとか。
半月を観ながら温泉を楽しみ、ゆっくりさせてもらいました。

松島の日の出

翌朝、松島の朝日に気持ちよく目覚めさせてもらい、一路、気仙沼へ。

途中、南三陸町を経由。「南三陸さんさん商店街」で、ちょっと休憩。
前回来たときにはひっそりしていて、まわりには津波で壊れた廃屋ビルがあっただけで、何もなかったのですが、今はそのビルもきれいに取り壊されて駐車場が拡大し、また隣にはホームセンターができていたりして、少し様変わりしていました。
あの防災庁舎はまだ佇んでいましたが、近く取り壊しが決定したとか。今でも取り壊してほしいという声と、残してほしいという声とが入り交じっているようです。
宮城県では津波によって被災したところはほぼ瓦礫は取り除かれ、ところどころにある処理場で重機が分別作業をして、巨大な焼却施設で処理をしているようです。前に来たときには、あちらこちらにあった壊れたビルの多くも跡形もなく片付けられ、またペンキで番号が書かれ積み上げられていた廃車も全く見つけることができませんでした。

またJR気仙沼線は、あちこち分断され見る影もありませんでしたが、今はその一部を舗装して専用バス道路として利用するようになっているそうで、列車に代わる交通手段として、今後はこのままで行くとか。


そして、前回の時にも訪ねたのですが、気仙沼の地福寺様へ到着。

この地福寺のご住職・片山秀光師は、「めげない、にげない、くじけない」をモットーにして震災後にも活発に活動され、復興に向けてのリーダーとしての役割を担っておられます。
また、「海辺の森を作ろう会」という団体の副理事長も務められ、海を防波堤で仕切るのではなく、自然と共生していける環境をつくろうと植樹活動も行なわれています。

まず、境内で片山住職より被災したときのお話を伺いました。前回来たときにはなかったのですが、鐘楼のあとにはお地蔵様が建てられ、また大鐘は、流されていた門柱を再利用して釣り下げられていました。また近くには巨大な瓦礫の処理上があり、大型ダンプがひっきりなしに向かっています。

先の方に海が見えますが、もともとは檀家さんたちの家がびっしり建っていて、ここから海は見えなかったということです。

地福寺 流された鐘楼あとに

ところが、下の写真に書き込んでいるところまで津波は押し寄せ、本堂の中にも流れ込み、隣に建っていた庫裏も「そっくり」流されたとシャレを交えてお話しされましたが、笑って聞いているわけにはいきませんでした。

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本堂にあげていただいて、檀家さんたちとお経をあげ、焼香をさせて頂きました。
本堂の上間と下間には、犠牲になった檀家さん150名のお位牌やお遺骨が、びっしりと祀られておりました。お位牌だけが祀られている方もあり、まだご遺体の見つかっていないのだとうかがいました。
お茶とお菓子でおもてなしいただきながら、気仙沼で撮られた震災当日の津波の動画を見せても頂きましたが、それは目を疑うほどのものでした。


また、海べりにあった墓地は流されてしまったので、最近、下記のような納骨堂を建てられ、墓地の代わりにお参りできるようにされておりました。

新しく構築された地福寺の納骨堂

片山住職と握手をして、復興成就をお祈りしお別れしました。

ところで、今回の旅行は、私の掛搭していた僧堂仲間(仙台のお寺の住職)に紹介してもらった、仙台の「たびクルー」という旅行社社長の佐藤さんにお世話になりました。たしか行程表には添乗員無しとなっていたのにもかかわらず、実際には佐藤さん自らいろいろと便宜を図ってくださって、至れり尽くせりのサービス。宴会場ではお酒の手配も。本物の「おもてなしの心」を感じた次第です。おすすめします。

さて、まだ東北の地を訪れていない方、是非、赴かれることをおすすめします。復興は始まってはいますが、まだまだであることが、現地を訪ねられたらよくわかると思います。

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丹生都比売神社 -和歌山県かつらぎ町ー

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「ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑でうっとりするような山村を私は知らない」
『かくれ里』 白洲正子

 

白洲さんがこの地で最期を迎えたいと仰ったほどに愛した地、和歌山の天野へお邪魔し、丹生都比売(にうつひめ)神社へ参拝。宮司の丹生様にご案内いただく機会を得る事が叶いました。

この丹生都比売神社、創建はおよそ1700年前と伝わり、かの弘法大師空海が高野山に金剛峯寺を建てるのも、丹生都比売大神様のお許しを得て、大神様の神領に建立されたのです。よって、今もなお、高野山の僧侶の参拝が途絶える事無く続く、神仏混淆の姿を拝める貴重な神社となっています。

ちょうど平成のご造営が進められており、本殿の第1殿・第2殿の檜皮を葺き替え、彩色を塗り替えられていらっしゃいますが、その様子を間近で拝見させていただく事ができました(詳細はこちら)。

131106-2.jpg本殿前には、たくさんのお札が納められています。高野山の僧侶が護摩だきの祈祷をされたり、葛城山で修験の修行に入られる際には、成就を願ってまずはこちらに参拝されます。その祈願の為にお納めになられたお札だったのです。

この天野の里、明治の廃仏毀釈以前には、神仏混淆のお堂がたくさんあり、まさに日本人の宗教観そのものといった風景が見られた地でしたが、現在はその跡を残すのみ。それでもにわかにその空気を今もなお感じ取る事のできるかくれ里。

今回は時間が無く、丹生都比売神社のみの参拝となりましたが、次回はゆっくり歩いてまわりたいものです。

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東北の被災地を再訪 1

去る10月末の土日を利用して、3.11のあの大地震から1年後に訪ねて以来、久しぶりに東北の地を訪ねてきました。
今回は、自坊の新年会で檀家さんに「一緒に東北に行って慰問してきましょう」と募っての1泊2日の団体慰問。団体といっても12名の小さな団体ですが、同行してくれた檀家さんたちには、住職として嬉しく感謝の気持ちで一杯です。
ただ非常に強い台風27・28号が一緒にやってきて、「藤原の効果」などという状況で、台風の進路が危ぶまれ、旅行を中止しなくてはならないかという判断に押し迫れ、やきもきしましたが、台風が東寄りに進んでくれたため、旅行を決行することができた次第。仏天のご加護と感ぜずにはいられません。

さて、自坊を出て伊丹空港から空路、仙台空港へ。空港からは小型の貸し切りバスにて移動です。
仙台空港も津波の被害を受けて、震災直後は大変な状況だったと、現地のバスガイドさんの声。空港の壁の見上げるような位置に津波の到達水位が掲示されています。
小雨が降っていたので、空港近くの閖上(ゆりあげ)地区を車窓から慰問。海に近いので、相当な被害があったとのことです。
案内して下さるガイドさんも石巻出身の方で、自身のお母様が震災時に入院中でしたが、震災により医療機器が正常に使えなかったため、震災後10日でお亡くなりになったとか。知人ご友人のお話もまじえ、2年半が経ったとはいえ、未だ更地のままの被災地を見ながらのお話は、重く心に響きました。

昼食の後、私たちが向かったのは、震災の被害は少なかったという日本三景のひとつ、松島です。

日本三景の一つだからと訪ねたわけではありません。松島といえば瑞巌寺。臨済宗妙心寺派の名刹があります。じつは、自坊の勧請開山は、松島瑞巌寺を中興したあの雲居希膺禅師の弟子にあたります。そういった御縁が瑞巌寺と自坊にはあるのですよと、檀家さんたちに伝えたところ、今までお参りしたときには知りもしなかったとのこと。ぐっと意識も深まったようです。

瑞巌寺参道

さて、参道両側には以前、大きな杉の木がたち並び壮観だったのですが、ごらんのとおり、参道左側はごっそりと杉の木がありません。これは山門近くまで押し寄せた津波により、杉が立ち枯れしてしまったために伐採したあとなのだそうです。

現在、瑞巌寺のご本堂は大改修中。これは震災の前から始まったようですが、まだ数年かかるという大工事。というわけで、仏像やお位牌は庫裏の中に仮本堂として祀られてありますが、その庫裏の前で、私たちの到着を知って、瑞巌寺住職の吉田道彦老大師が親しくお迎え下さいました。

職員の和尚様から懇切丁寧にご案内をいただき、檀家さんたちにもよくわかったことでしょう。そして、何度か瑞巌寺を訪ねている私も初めて目にしたのがこちら。伊達政宗公の正室陽徳院(愛姫)の御霊屋です。これは、本堂や庫裏からは少し離れた、瑞巌僧堂の裏手にあり、本堂の大改修期間中のみ公開されているということですので、瑞巌寺を訪ねられる方には是非ともおすすめしたいところです。
一目見た瞬間、ハッとするほどの豪奢な御霊屋です。まるでお祭りの御神輿のようでした。

瑞巌寺で特別公開されている陽徳院(愛姫)御霊屋陽徳院御霊屋このあと、松島の夕景色を楽しみながら、近くの旅館に一泊し、翌日は気仙沼へと向かいました。

日本三景 松島

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万治の石仏 

131024-1.jpg岡本太郎絶賛の石仏に会いにゆきました。
諏訪へゆくなら是非。日本の石仏とは思えない?!ような御顔をなさり、謎の多い石仏です。

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大浦天主堂

 

131022.jpg少し間が空きましたが、長崎では黄檗宗の聖福寺をお参りした後、信徒発見の舞台としても有名な、大浦天主堂を訪れました。

江戸幕府によるキリシタン弾圧、信仰の禁止、司祭や神父、教会などのよりどこを失うという艱難辛苦を堪え忍び、長きに亘り信仰を守り伝えてきた隠れキリシタンが、1865年、自身がクリスチャンである事を新しく海の向こうよりやってきた神父に告白した歴史的な教会です。

長崎は禅とも縁の深い土地ですが、どうしても教科書で学んだキリシタンの色々が印象深く、昔読んだ遠藤周作さんの『沈黙』が頭から離れませんでした。キチジロー!

長崎より帰りましてから、「はて、『沈黙』は実家に置いていたかな?!久々に再読したい」と実家の本棚を探そうとしましたら、『神は沈黙していない』という、宗教家・五井昌久先生の本が真っ先に目に入ってきました。
題名だけをみましたら逆の事を言っているようですが、そうではないですね。
どちらも読んでみるとしましょう。

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帰りたくない

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昨日にひきつづき、長野の記憶、友人宅近くの牧場にて。
夏の間やってきてこちらに放牧され、好きな時に草を食み、好きな時に眠り、そんなそのまんまの姿で、我々人間をいやしてくれている牛さんたち。
冬は雪が深く積もる為、11月頃にはお迎えがやってきてどちらかの牛舎に戻るらしいのですが、嫌がってトラックに乗らないのだとか!
そりゃあ、そうだよなぁ・・・・・・。

私も長野から戻ってからというもの、“雑踏の中、アスファルトに阻まれ土は見えぬ道を自転車で急ぐ自分”というのを俯瞰して見た時、長野にいた事が儚い夢であったかのごとく思え、同じ時間をこうも違う場所で人々は暮らしているものなのだなぁ・・・と不可思議な気分になるものです。
今現在も、友人宅の周りは静寂に包まれ、鹿が駆け巡っている事でしょう。
二泊三日の滞在でしたが、あの静けさを体感した事は、ヨガの稽古で瞑想する時に、私に良いイメージを今も与え続けてくれています。

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スペインにて -ジュゼップ・マリア・ジュジョール-

 

131007-1.jpg夏のスペイン旅行の思い出より・・・・・・。
おそらくは、その建築に出会ったすべての人々を魅了してやまない天才ガウディにも、不得手な事はあったらしく・・・・・・。
ガウディ建築を語る上では絶対的に欠かせないと思われる、“色彩”。そう、色のセンスが無かったのだとか(無いと言ってもどのレベルかわかりませんが)。

131007-2.jpg“無い”とは申しましても、自身の建築を完成させる為の類い希な才能を引き寄せ、親子ほども年齢差のある若い才能に全幅の信頼を置いて任せられるのだから、それを含めてガウディはやはり天才なのでしょうが・・・・・・。

ジュゼップ・マリア・ジュジョール

あまりその名を知られぬジュジョールですが、彼無しにガウディの建築はありえません。なのに、なぜか“地球の歩き方”にも全く掲載されていないのですが。

ジュジョール建築が残るバルセロナ郊外の町へ行ってきましたので、写真をご紹介します。

131007-3.jpgその他、ガウディ建築でも、グエル公園やグエル教会、カサ・バトリョの色彩はジュジョール無しにはあり得なかったわけですから、共にご紹介しておきます。

131007-4.jpgこのような色の建築が、見事に町に溶け込んで何の違和感もない、スペインの町並みはとても美しいものでした。

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サグラダ・ファミリア -バルセロナ-

130918-1.jpg夏休みに訪れたスペイン。
「バルセロナに行くのなら、まぁこれは見ておかなくてはならないだろう・・・・・」くらいの思いで訪れたサグラダ・ファミリア。
午前9時に生誕のファザードを登るエレベーターを予約していましたので、開門と同時にエレベータへ行き、先に内部を堪能しました(人数制限があり、拝観の為に長蛇の列ができますので、ネットで予約してから行く事を是非ともオススメします)。
その後、上写真を撮った場所へ。

おおげさでも何でもなく、これを拝んだだけで改宗する人がいるのではないか・・・・・・、と思わされるような圧倒的、己に迫ってくるかのようなファザード。とめどなく溢れてくる涙。
単なる建築物、世界遺産ではなく、あぁここは祈りの場所なのだ・・・と思い知らされました。それぐらいの力がこのファザードにはあったのです。

白隠展-禅画にこめられたメッセージを観に行った際、最後に達磨・臨済・雲門の三幅対を見て大慈悲に触れたかのような心地でしたが、サグラダ・ファミリアでは“許された”ような心地が致しました。

130918-2.jpgエレベーターで頂上へ。らせん階段を下りました

バルセロナへは夜に着き、次の日の朝一番にサグラダ・ファミリアを見学した為、3泊4日のバルセロナは、(予定には無かったのですが)ガウディ建築探訪に費やす事となったのでした。
何十年後かにまた訪れてみたい、特別な場所となりました。

130918-3.jpg天を見上げるキリスト

 

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台北にて

8月末に少々お休みを頂いて、台湾へ弾丸旅行に行って参りました。
本来は2泊3日の予定だったのですが、ちょうど台風通過の影響を受けて出発便が11時間もおくれてしまい、現地到着が早朝4時。丸半日を失ってしまいました。したがって、現地で観光などに時間を過ごせるのは丸々1日のみ。
しかしめげてもおられず、初の台湾でしたので、目標を絞ってひたすら歩いてきました。
到着が早朝だったために、数時間の睡眠の後、ホテルで朝食を食べて表に出て驚いたのが、スクーターの数の多さ。

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朝の通勤ラッシュでしょうか、すごい勢いで車線一杯にスクーターが駆け抜けていきます。

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車やバスもたじたじというか、京都も学生の街でバイクの数は多いのですが、この数には圧倒されました。信号は一応守るのですが、黄色でも突っ込んで来ますし、見切り発進とあいまって交差点はものすごいテンポです。

 

2013_08_30_0403.jpgさて、MRTといわれる電車に乗って台北で最も古い龍山寺にお参りしました。福建省の普江安海龍山寺の分霊として創建されたお寺で、本尊は觀世音菩薩。道教や儒教などの神様も祀られており、神仏習合の寺院で、大小合わせて100以上あるとされています。
10圓(日本円で30円弱)を払ってお線香数本を手にして、参拝者の中に混じりました。

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参拝には一定の作法があるようです。
本尊様の方を向かって線香を掲げておいのりし、今度は香炉に向き直って香炉に向かっても礼拝しているようです。この理屈がよく分かりませんが、参拝者は一心不乱に拝んでおられますので真似をして線香をお供えしました。

堂内をのぞくと黒衣をきた在家の女性がリズミカル、なおかつメロディアスにお経を唱えており、スピーカーを通して山内に響き渡っています。参拝者の人たちは、それぞれの場所でその声に唱和しています。なにのお経かはわかりませんでした。

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動画でも撮りました。上記の画像をクリックすると動画が再生されます。
※音が出ますのでご注意ください。

2013_08_30_0408.jpg仏門日課のページのようですから、こちらでは日課経としてよく読まれているお経なのでしょう。ただ不思議なのは、黒衣を着ているのは在家の女性ばかりで、剃髪僧の姿はありませんでした。何か特別な日だったのかもしれません。

台湾の街は活気に溢れていました。夜市にも出かけましたが、老若男女、たくさんの人で賑わっていてお祭りに来たような楽しい気分になりました。
台湾の人たちは、買い物をしても食事をしても、みんなにこやかで親切でした。私の使っているスマートフォンは台湾製。技術の高さも世界レベルです。

しかし片や、貧困層も多いようです。地べたに頭を打ちつけるようにして物乞いをする人の姿も見え、昭和の日本を思い出し悲しくなりました。
しかし今の日本に蔓延っている無気力ではなく、その人たちにも生きようとする力を感じたのでした。

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持たぬ幸せ

 

130823-1.jpg皆さまこんにちは。

この夏旅にでかけていたモロッコにて、とても印象的だったことばをご紹介します。

「石油がでないから、モロッコはそれが理由で他国から犯される事は無いから幸せです」。


持たぬ事の幸せ。持てば無くなる事を憂い、執着が生まれ、それにふりまわされます。

今回の旅は、エミレーツ航空利用で、トランジットはドバイでした。ドバイの空港の、それはそれは豪華で賑やかで綺麗なこと。17年前にもドバイトランジットを経験していますが、その時とはうって変わっていました。
“便利・綺麗”に慣れている日本人な私。それを喜ぶ自分も明らかにいたりして……。
考えさせられる一言となったのでした。

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お元気ですか、、、

 

130820.jpg世界で五番目の大きさを誇るカサブランカのハッサン2世モスク

皆様こんにちは。
信じ難いような暑い日々が続いておりますが、お変わりございませんか。

ブログ禅、長らくお休みいただいておりました。
まだこの先も8月は不定期更新が続きますが、ひとまず、お盆の職員一斉休暇は終了です。
一斉休暇期間にいただきましたご注文は、順次発送致しますのでいましばらくお待ち下さいませ。

さて、この時期、僧侶である職員は大忙し。暑い中をお参りご苦労様でした。
私はといいますと、私事で申し訳ないのですが(いつもですね)、この時期は海外にでかけさせてもらう事が多いのです。
今年はスペインとモロッコでした。

スペインは概ねどの地域も過ごしやすかったのですが、モロッコはさすがはアフリカ大陸。昼は40℃を余裕で超え、スーク(市場)にも地元モロッコ人はまばら。時間の無い観光客の方が多いくらいです。
夜になるとどこからこんなにも人が?!というほどに人人人!で賑わうのですが……。

そんなモロッコですが、とある青年にとても親切にしていただき、お世話になりました。彼は普段はお土産もの屋さんを営んでいますが、とても敬虔なイスラム教徒。イスラム教の事でわからない事があれば彼に聞け!と皆が言うほどなのだとか。

たいていのモロッコ人が、生まれた時からイスラム世界で育ち、他は知らずに「イスラム教が一番」と言うのに対して、彼は、イスラム教への理解をより深める為に、他の宗教をも勉強しているのだとか。ヨガや瞑想を行ない、特に仏教に関心が深く、色々と知りたいとのことでした。
どこにでも、こういう素晴らしい人がいるのだなぁ……と感動した出来事でした。私も、あまりイスラム教の事は存じませんが、彼のおかげで少し学んでみたくなりました。
自らの理解には、他をも理解する事が必要なのですね。

モロッコへおでかけになられる僧侶の方で、彼に会って仏教の事をお話してみたい、イスラム教の事を知りたいという方がいらっしゃれば、是非ともご一報ください。ちなみに彼はマラケシュ在住です。

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鳴門の渦潮 -淡路島より-

 

130729-1.jpgかなたに見える渦潮を観に

淡路島を訪れました。
小学生の頃、親に連れられて観た鳴門の渦潮。
その時の記憶はあまり無いのですが、大人になってから観るのもまた良いだろうという事で、淡路島から出ている船で見学する事に。

これが、予想をはるかに超えて素晴らしいもので、ここ最近で一番の感動と興奮を覚えました。
子どもの頃の実体験も貴重ですが、様々な人生経験を経てから感じる大自然の織り成す美、力強さには、子どもの頃とはまた違った感動がありますね。

130729-2.jpgブルース・リーが語った、禅的とも言える「水」に関する名言の数々を思い出してみたり、長く修行を続けてきた雲水が、この渦潮を観た途端に大悟するという事もあるのかもしれないなぁ……、などと妄想してみたり。はたまた、「なるほどこれほどの波にもまれていたら、鯛が美味しいと言われるのも頷ける」と、このあたりの魚介類に思いをはせてみたり。

130729-3.jpgたまたま淡路島の方に教えていただいた、一番小さなこの船で見学したのも良かったのだと思います。鳴門側からのクルーズもありますし、淡路島からも違う船が出ていますが、この船をオススメします。
大型客船とは違い、たった6人で貸切状態。渦潮の中にまで入って行ってくれるのです。
この日この時間の渦は、調べて行った甲斐もあり、最高に素晴らしいと船長さんの太鼓判も。

130729-4.jpg太平洋側から瀬戸内海側に水が流れ込みます

大人が心底感動していれば、子どもにも必ずや伝わるはず。
夏休みを迎えたお子さんを持つお父さん、お母さん、長い夏休み色々と大変かと存じますが、良寛さんのごとく自身が楽しみ、喜び、頑張っていただきますようお願い申し上げます。

130729-5.jpgヘリオス号

 

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武家屋敷跡野村家 -金沢-

 

130603-1.jpgさて、長々とお付き合いいただいた金沢の旅のご紹介もこれで最後です。
唯一一般公開されている武家屋敷跡、野村家を訪れてみました。

兼六園はもちろんのことなのですが、加賀・金沢というところを知るてがかりとしては、こちらのお宅の庭を拝見するのが一番色々な事が見えてくるのではないか……と思えました。

130603-2.jpg百万石の江戸時代から明治の廃藩置県、大正時代の紆余曲折、数奇な運命を経て守り続けられたこの庭が語りかけてくるそのものが、金沢の歴史と文化そのものなのでした。
比較するのも変な話ですが、京都のお庭との対比もしやすいように思いました。

この日は雨で、庭の苔も石もしっとりと……えもいわれぬ美しさで、二階の舟形の茶室から一階の庭を眺めていると、時間などはあって無いようなものなのでした。

-壺中日月長-

今年もはや、長雨の季ですね。しっとりと濡れた金沢の町もまた情緒あることでしょう。
京の都に降る雨に、野村家の庭を思い出しています。

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天徳院 -金沢市-

 

130530-1.jpg金沢市内にあります曹洞宗の名刹、天徳院を訪れました。
前田家3代利常に嫁いだ珠姫(2代将軍徳川秀忠の娘)の菩提寺です。同じ頃に建てられた、高野山の天徳院も有名ですね(同じく珠姫の菩提寺)。

総門より本堂へは廻廊が続き、曹洞宗によく見られる建築形式でした。

130530-2.jpgなんじゃもんじゃの木(一葉たご)の花がちょうど満開との事(下写真の白い花をつけた木)。立派なお庭も拝見させていただけました。

130530-3.jpgよくよく手入れされた庭、掃き清められた境内に、旅先での清々しい朝を迎えられました。

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-花の風姿- 金沢能楽美術館

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恐らく、金沢にゆかれた方はほぼどなたもが立ち寄るであろう、現代美術館としては異例の(と言うとおかしいのでしょうか…)人気を誇る、金沢21世紀美術館
そのお隣に、ひっそりと佇むのが、金沢能楽美術館です。正直、現代アートというものを心底楽しむ事ができない私には、とても落ち着く美術館です。
今回は“藤”の花にちなんだ能装束などが飾られ、それは見事な展観なのでした。

能楽は武家の嗜みであるからして、金沢にて盛んであった事は何の不思議もありません。初代利家は、秀吉の影響もあり金春流を贔屓にしていたそうですが、五代藩主綱紀が、五代将軍綱吉の影響を受け、宝生流の能楽を奨励した事から、加賀宝生として、現在もなおその伝統を守り続けています。
金沢の地では、専業の能役者、それに準ずる家柄のみならず、町人が兼業として能楽をたしなむ町役者の存在があり、手厚く保護されたのだとか。茶の湯に感じた身近さと同じく、能楽に関しても、庶民が鑑賞できるような機会も多々あり、次は能楽鑑賞の為に金沢を訪れたいと思いました。

こういった文化芸能が、ある特定の人のみによって保護されたり楽しまれたりするのではなく、広く一般に染み渡っている事が、加賀の三太郎(鈴木大拙・貞太郎、西田幾多郎、藤岡作太郎)など、日本の文化や思想を後世へと引き継ぐのに重要な役割を果たす人物を生み出す事へと繋がるのであろう……と感慨深く、美術館を後にしました。

*追記
以前お邪魔した時には無かったのですが、今回訪れてみますと、能装束の着装コーナーができていました。舞妓さんの疑似体験には全く興味の無い私も、これには足を止めざるをえず……。なんと面まで自分の好きなものが撰べるのです。般若ですとあまりに似合いすぎる(というか、そのままです)ので、普通に小面をつけさせていただきました。初めての体験でしたが、なんと視界の狭い事。能役者が舞台で舞うことの苦労をほんの少しでも味わう事ができました。オススメです。

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藩老本多蔵品館 -金沢市-

 

130527.jpg安土桃山~江戸時代にかけての歴史に興味があり、茶道をしているのであればなおさら……“五万石の壺”の異名を持つルソン壺、“村雨の壺”を拝見しに、加賀八家(1万石以上の禄高を持つ加賀藩の重臣)筆頭でもある、本多家の蔵品館を訪れました。

加賀本多家の祖である、本多政重(徳川家康の重臣、本多正信の次男)が、主君・前田利長から褒美に下賜されるはずであった五万石を固辞した変わりに拝領したのがこの壺で、このエピソード故に、五万石の壺と呼ばれるようになったそうな。

むむー(これが五万石の壺かぁ……)。フィリピン(ルソン)には行った事がありませんが、以前訪れたミャンマーで、水がめとして村人達が自由に水を飲めるように使われていた壺(甕)や、家の軒先などに置かれていた壺が、まさにこんな感じでした。なんでもなかったであろう壺が、日本の歴史に名を残す武将達の手から手へと渡り、最後には五万石の出世。
壺自身、思いもよらなかったことでしょう。物の“価値”とは面白いものですね。

この本多家の屋敷跡、今は“本多の森”と呼ばれ、下記の施設が点在しています。加賀百万石の地は、前田家のみならず、有力な家老の影響も色濃く現代に残し、住む人、訪れる人々に今なお多大な影響を与えているようです。

 

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鈴木大拙館 -金沢市-

 

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私の中では、兼六園よりも、21世紀美術館よりも、ここ最近では“金沢”といえば、“鈴木大拙館”に訪れるのが一番の楽しみとなりました。

前回訪れたのは、雪のお正月でしたので、今回の新緑の頃もまた新鮮なこと。時間を気にしない旅であれば、いつまででも思索空間に坐っていたくなるような……。

展示品に、(時にうるさく感じるような)解説が無い事も、お気に入りの理由の一つです。感じる前に、誰かによって書かれた感想や意味を頭に入れてしまえば、そのように見てしまう(あるいは、そのようにしか見えなくなる)わけで……。
解説が無いのを不親切と感じる方がいらっしゃるかもしれませんが、これは本当の意味で、非常に親切な事だと私は思っています。

130524-2.jpg裏庭からのプロムナードをゆけば、松風閣庭園が。そしてお隣の敷地へゆけば、そこは中村記念美術館。こちらにもお邪魔しましたが、立派な茶室があり、翌日の茶会の準備をされていました。

兼六園でも立派な茶室にて釜がかかり、大勢のお茶人さんがお見えでしたが、今回の旅では、お茶(茶道)がとても身近にある印象を受けました。
百万石の城下町であった事、先人達が残したもののみに依存し、甘んずる事なく、今を生きている人々が、伝える努力を怠らない所にこそ、現在の金沢の文化度の高さを保ち続けている由縁があるのだな……と、感じ入りました。

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新緑の兼六園

 

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新緑の金沢を旅してきましたので、少しずつご紹介したいと思っています。
まずはお決まりの兼六園。
どの季節に来ても、加賀百万石の栄華とはまさにこの事か......と思わされるようなスケールの大きさ、隅々までゆき届いた美意識には感嘆してしまいます。

今回、金沢の庭をいくつか尋ねてみて、専門的な知識は無いのですが、改めて、「あぁ、庭が好きだな......」と思うのと同時に、他地域の庭を鑑賞する事によって、より一層京都の庭がわかってくる(と言うとおこがましいのですが)ような気がして、これは新たな発見なのでした。
そのものがわかりたいからと、そのものばかりをみていたところで、わかるというものではないのですね。

この度は、人生で3度目の兼六園でしたが、毎回気になるポイントは違っていて、今回は"海石塔"。
2つの説があるようですが、私個人的には、加藤清正公が朝鮮出兵にて持ち帰った石塔だという説に一票。
......と言いますのも、京都の寺院や庭にて、加藤清正公が持ち帰ったものとされる石塔や石などによく遭遇しますが、それがどれもこれもなかなかに良い形(なり)をしてるからです。
たまたまかもしれませんが、「この石は?」とお尋ねすると、清正公が...というお返事が多かった記憶があります。

今後は庭鑑賞の折にも、"石"に注目していきたい今日この頃です。

弊所でも、禅の庭を前に坐禅、その後に皆で庭や坐禅の感想を分かち合い、最後に専門家からお話を聴くようなお勉強会ができたらな......と考え中です。


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岩木山神社 -青森県弘前市-

 

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憧れの岩木山神社参拝。
あいにくの天気で、鳥居の向こうに拝めるはずの御神体・岩木山がお隠れになったまま……。

弘前城の桜を見た前日には、雪を抱いた頂上が町からも拝見でき、その神々しさに溜め息が。はるか古より、この地に住まう者たちが代々崇めたのもさもありなん。お天気の回復を願いましたが適わず、これは「また来なさい」と言われている事と受け取り、是非とも再度参拝したいと考えています。

 

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この岩木山神社。今までに感じた事の無いような雰囲気で、単に清々しい雰囲気のみならず、なんとなく恐れ多いような。青森にはかの有名な恐山などもあり、その地域では、「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言われるそうですが、こちらも、どこか違う世界へと通じているようでした。

そう感じるのも、元は、真言宗の寺院であった事も関係しているかもしれません。明治の廃仏毀釈までは、お寺と神社が合体したような形であった為、ベンガラ塗の唐様の楼門があったり、今は拝殿となっている建物が昔の本堂であったりと、我々が普段お参りする神社とは建物も違っているのです。楼門の二階には、一体何が祀られているのでしょう。御存知の方、いらっしゃいましたら是非とも教えて下さい。

130515-4.jpg岩木山山頂には奥宮や、東北平定を為し得た坂上田村麻呂が再建した社殿もあるのだとか。是非ともそこまでお参りしたいものです。坂上田村麻呂といえば、平安時代に活躍した武官で、清水寺の建立においても知られる人物ですが、今回、車で青森まで趣きましたが、まぁ昔の人はこの道程を馬や徒歩で……と思うと、閉口してしまいました。
関西の者からすると、東北はとても遠いイメージがありますが、そんなイメージは拂拭し、また是非ともお参りの旅に出かけたいものです。

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青森・弘前城 お堀の桜

 

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新緑の眩さに桜の記憶も薄れる頃、東北へ旅する機会を得ました。

どうかな?!と期待に胸を膨らませ訪れた青森。弘前城の桜は今が盛り。
土曜日(5月11日)の雨でだいぶ散りましたが、上写真のような光景を拝む事ができました。

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土曜日にはこんな様子でしたが、日曜日には、水面がピンクの絨毯になっていました。

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自然界の色とは、時に摩訶不思議ですね!でもこれも自然なのでしょうが……。おしどりの夫婦です。シャッターチャンスとばかり人だかりができていても、平然とお散歩中。

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回転焼・今川焼、地方によって様々な呼び名がありますが、弘前では、黄金焼と書いて、“こがね焼”。
明治創業のこちらの店が人気なようでした。一つ50円で、餡は白餡のみ。美味でした。

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本居宣長旧居 -三重県松阪市-




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学校で習った本居宣長の記憶といえば、国学者で……。いくつかの記憶しかありませんが、ここ松阪の生まれという事すら忘れていた私です(すみません)。
機会がありましたので、松阪城跡を訪れ、そのままお隣に移築された本居宣長旧居と記念館にもお邪魔してきました。
職業が実は医者であったという事すら忘れていました。国学者という印象の方が強いのは私だけではないですよね?!

京都で受験の神様といえば御存知、菅原道真公をおいて他にはありませんが、この辺りでは、受験前には本居宣長ノ宮という神社に参拝するようでした。さもありなん……ですね。

教科書で読むだけではなく、実際に縁の地へ足を運ぶというのは、子どものみならず大人にも大切です。人生経験を重ねた後で知る偉人のあれこれが、子どもの頃よりも深く心に染み入る事もよくある事です。

住まいとは、その人そのものですね。よく考えられて工夫され、とても住みやすそうで、それでいて瀟洒な雰囲気も忘れず、そこからもその人を知る事ができたように思います。
また、疲れると、大好きな鈴を鳴らして息抜きをしたというエピソードが微笑ましいものでした。

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伊勢神宮参拝




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なにごとの おはしますかは しらねども
              かたじけなさに 涙こぼるる      西行法師


式年遷宮という記念すべき年、伊勢神宮に参拝してまいりました。
その昔、僧侶は人の死を扱う=ケガレとしてみなされ、僧侶専用の参拝道が設けられていたのだとか。しかも、正殿までのお参りは許されなかったそうです。その点今は有り難いですね。

と、、そもそも私は研究所の職員ながら、僧侶ではありませんから関係はないのですが……。

それでも、例外もあるようで、かの夢窓国師は、お願いしてお参りさせていただいたのだとか。
『夢中問答』に出てくる、伊勢の神官とのお話は興味深いですね。
〔*上記は、研究所の博識氏に色々と教えてもらいました一部をご紹介してみました。〕


さて、外宮、内宮と参拝させていただいたのですが、以前とは違っていたのが、外宮に新たに【式年遷宮記念せんぐう館】ができた事。
20年に一度の式年遷宮に伴う尊い営み、仕事というものがどれだけ多くあり、奥深いものなのか、非常に細かに学べる素晴らしい所でした。
気の遠くなるような匠の仕事を映像で拝見できるコーナーもあり、そこに映る職人さんに、若い人が見受けられる事に嬉しくなり、どれだけ多くの日本の伝統技術が、このご遷宮により絶えること無く伝えられて来た事か……末永く続いて欲しいもの…と感慨深いものがありました。
是非とも、お伊勢参りにゆかれる方は、時間が無くとも、おかげ横町で遊ぶ時間を削って、こちらへ足を運ばれる事をおすすめします。

心の洗濯をさせていただけるような、よきお参りとなりました。

最後に余談ですが、今流行り?のパワースポットに多くの人が熱心に集まって手をかざしておられました。
それも確かに何かよきものがいただけるのかもしれませんが、神宮は敷地全てが聖域であって、そこへ難なくお参りさせていただけている事自体、それだけでも有り難い事のように思います。
自分の五感を研ぎ澄まして、自分に合う場所でパワーをいただくのが良いのではないか……という気が致しました。それぞれに見合った、そんな場所がある気がしています。

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高知へ その3

高知へ その2の続きです。
吸江寺の兼務をしている還暦の和尚の本務寺院は長谷寺(ちょうこくじ・別名「まきの寺」)です。訪ねたことがないというと、ではみんなで行きましょうと、吸江寺を訪ねた一行がそのまま車に便乗して長谷寺に向かうことになりました。

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長谷寺は高知市から東へ1時間近くいった香南市夜須町羽尾の山中にあります。市街地から狭い林道を車で縫うように走ること30分。人里から完全に離れた山の中にあるお寺です。それもそのはず、現在は臨済宗妙心寺派のお寺ですが、もとは神亀4(727)年に行基によって開かれたと言われています。
ご本尊は十一面観世音菩薩と地蔵菩薩像です。住職の許可を得て仏像の写真を撮らせてもらいました。

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十一面観世音菩薩はかなりいたんでいますが、頭部にある十一面がかすかにわかります。香南市保護有形文化財に指定されています。
また、境内にある小さな梵鐘は高知県保護有形文化財に指定されていて、やさしく打つと、古えを感じるとても寂びた音がしました。

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境内にはほかに鎮守である弁天堂やおよそ歴代の守護者のものかと思われる古い五輪塔が並んでいますが、どこもちゃんと手入れされていて、山奥で人が訪ねるのも少ないであろうにと、感心することしきりです。
しかし一番上の山門の写真にもあったように、ここでは坐禅会も開かれていて、道心堅固な方が集まってこられているとのことでした。

仲間たちとも別れをつげ長谷寺をあとにし、京都へ向かった私たちは、帰路の途中で、淡路島で唯一の黄檗宗の禅寺・国清禅寺(南あわじ市)へ立ち寄りました。

ここは、南画界の第一人者・直原玉青和尚が復興したのですが、本堂は阪神淡路大震災の被害がまだ残っている状態でした。お寺の近所に、滝川記念美術館玉清館があり、玉青和尚の描かれた書画が展示されているので観てかえることとにしました。

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玄関を入ってすぐの3層の天井に描かれている雲龍図は、直径約6mほどの大きな画ですが、玉青和尚は一晩で描かれたとのこと。ほかにも12枚の画からなる「うしかひ草」(牧牛図)など、水墨画や着色された大きな南画が展示されていて、見応えがあるものでした。

こうして、高知行一泊二日の旅は終わりました。全国各地に仲間がいるというのは、楽しいものです。

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高知へ その2

高知へ その1に続き、高知旅行初日の夜は、同じ釜の飯を食んだ仲間が集い、賑やかに還暦の会を終えました。
翌朝、還暦を迎えた和尚が住持(兼務)をする、夢窓疎石(1275~1351)が創建された吸江寺(ぎゅうこうじ)へ参拝しました。
吸江寺は五台山公園の麓に位置し、高知港が見渡せるちょっと高台にあります。以前は、寺の門前まで港だったということですが、夢窓国師はこのような景観の土地を好んで寺を建立されたそうです。
今は残っていませんが、記録によると夢窓国師が作庭された庭もあったそうです。

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本堂の内陣には夢窓国師(中央)の木像があり、また左下に見えるのは、夢窓国師お手彫りと伝わる仏像がありますが、先年、このお寺から夢窓国師の弟子、絶海中津(1336~1405)がお使いになっていたと思われる700年前の九条袈裟が発見され、現在、京都国立博物館にて保存されています。




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こんなパゴダ(ビルマの慰霊塔)が禅寺にあるのを未だかつて知りませんでしたが、聞くところによると、この高知からは戦時中、ビルマ(現ミャンマー)に出兵した兵士が多くいたようで、戦死した彼らの慰霊塔として建てられたとのこと。今もパゴダの会に所属する人たちが定期的に参拝に来たり、ミャンマーを訪れたりしているようです。

パゴダ内に祀られる本尊は、国の重要文化財に指定されている地蔵菩薩坐像で、これは、夢窓国師が足利尊氏の守り本尊を移してきたと伝えられています。


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高知は京都や滋賀よりもだいぶ暖かく、すでに水仙は満開。黄色い花はあまり見たことがないものでしたが、キバナアマだということです。 調べてみると、中国雲南省やインド北部、パキスタンの高山に生息するということです。
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椿も満開、万作の花ももう咲き終わりの状態でした。

つづく

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高知へ その1

先週の金曜日、修行道場の仲間が還暦を迎えるということで、北は東京、南は岡山から20人近くが高知に集まって、彼の還暦祝いの会を催しました。
平日ではありますが、参加者のほとんどが僧侶ということで、こういう行事は友引にあわせて行なわれるのが常。サラリーマン兼業僧侶の私は涙をのんで、いや、慶んで有休を取って四国へと向かったのでした。




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春のような暖かい日差しの中を同行3人は明石海峡大橋を渡って高知を目指しました。facebookで繋がる先輩の僧侶からは「かんざしを買わぬよう気をつけて」とのメッセージが。

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個人的には20年ぶりに訪れた高知駅は新しく、駅前には土佐を代表する幕末の志士お三方の大きな銅像が立っています。左から、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎です。おっと、高知ではこのお三方には先生を付けて呼ばないと叱られるのだぞと、同行の先輩和尚から注意が。

夕刻の還暦の会にはまだ少し時間的に余裕があるので、せっかくだからその前に高知城を訪ねてみようということになり、人気もまばらな平日の高知城にやってきました。
高知城は旧国宝、現在は重要文化財となっている天守閣が矍鑠として城山の上にそそり立っています。
NHK大河ドラマの「功名が辻」の放映の頃には一日1万人もの観光客が訪れたこともある、山内一豊の居城でした。現在の天守閣は一度、城下町の大火災で焼失したものの再建されてすでに250年経っています。

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天守閣へ登り口付近にあるこのセンダンの古木は樹齢268年とみられるらしく、再建された城よりも古き樹木のようですが、センダンは土佐の象徴とも言える木なんだそうで、昔、土佐ではすべての道路に旅人のためにセンダンを植えていたとのこと。案内板には富田碎花は土佐路の印象を
   こごしかかる 北山越しに 来し国の
       並木の道は せんだんの花
とうたったと記してありました。

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切り立った見事なこの城内の石垣も、安土桃山時代から石職人として有名な近江坂本の穴太衆が作ったとのこと。
そして夕映えの天守閣は美しく、往時の武士たちの声が聞こえてくるようでもありました。

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つづく

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山梨向嶽寺での臨黄移動理事会




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臨済宗黄檗宗連合各派合議所では、年に一度、京都以外の本山を会所として、移動理事会が開催されます。今年は山梨県塩山市にある、臨済宗大本山向嶽寺にて、去る10月25日に開催されました。
臨黄15派の各派総長様を初め、内局の部長様方総勢59名が、各地よりこの地にお集まりになりました。われわれ禅文化研究所からも4名が参加しました。
到着後、まずは向嶽寺派管長の瑞松軒・宮本大峰老師のご導師のもと、大悲呪一巻を出席者全員で唱えました。

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読経の後は、各部に分かれて会議で臨黄全般に関わる相談議事を議論されました。
今回は、とくに4~5年後に臨黄をあげて行なわれる「臨済禅師1150年・白隠禅師250年大遠諱」に向けての内容が多く話し合われました。

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布志名焼舩木窯 -松江のやきもの-




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松江藩おかかえ、不昧公好みの物を作った窯元といえば、布志名焼の窯元がいくつか挙げられますが、布志名焼は、茶陶として民芸運動には参加しなかった窯元、参加した窯元で特色はわかれています。

参加した代表的な窯元の一つに、宍道湖そばにあります“舩木窯”が挙げられます。
松江にゆくならば、是非とも訪ねたかった窯元です。

こちらは、バーナード・リーチが松江を訪れる際には常宿とし、お庭からいつも宍道湖をスケッチしていたところ。それは素晴らしいロケーションにある窯元です。
現在のご当主の舩木伸児さんに直々に御案内いただき、様々な御縁の繋がりも発覚し、それは楽しいひとときを過ごさせていただきました。

お宅にある世界各国の様々な物のコレクションも興味深く。
物を作る方達は、いつも私に物を見る眼や、そこから何か新しい物を生み出す、創造するという事をえてくださり、日々のくらしもそれは美しく、私もそうありたいもの……と心ときめくのでした。

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松江城 堀川めぐり -島根県松江市-




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いかにも観光客めいた“堀川めぐり”なるものに興味のある人間では無いはずなのですが、松江の美しい城下町を歩いていると、お堀からの目線でこの美しい景色を愛でずにはいられなくなりました。
松江にゆかれたら必ずや体験される事をオススメします。
なんと冬にはおこたつに入りながらめぐるそうですよ!

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神魂神社(かもすじんじゃ) -島根県松江市-




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神魂神社。
現存する最古の大社造りの本殿は、言わずもがな国宝に指定されています。
例外無く、訪れる人の琴線に触れるのではないかと思われます。
京都国立博物館・大出雲展にて拝見した、古代出雲大社復元模型を思い出すような佇まいでした。

......と、私が初めてこちらでご紹介するものとばかり思っていましたが、神社・神道についても右に出る者はいないほどに詳しいF氏が既にご紹介していましたので、詳しくはこちらをご覧になってください。

松江にて、お時間が無い方にも、この神社は是非とも参拝される事をオススメします。

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宍道湖




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夜明けの宍道湖。
ボラやスズキ、キスにハゼなどが釣れる模様。

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夕景。ちょっとこの夕日はなかなかのものですよ。

島根県立美術館より。

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和歌発祥の地 -島根県-




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須我神社

  八雲(やくも)立つ 出雲(いづも)八重垣(やへがき) 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を


須佐之男命がヤマタノオロチを退治し、妻となった稲田比売命と住まう地を探し、現在の島根県雲南市大東町須賀あたりにやって来た時、「この地に来て気分がすがすがしくなった」と、住まう事を決め、詠んだ歌が上記なのだとか。
須賀という地名はこの、「すがすがしい」からついたそうです。
神話の時代の出来事をとても近くに感じる島根県、松江近辺を尋ねましたので、これから幾度かにわたって紹介させていただきます。

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夫婦岩_八雲山
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土祭 -栃木県益子-




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写真はHPより

益子といえば、焼き物好きにとっては憧れの地。
私はまだ一度も訪れた事が無いのですが、そんな益子が大きなにぎわいをみせようとしています。

土祭 HIJISAI2012 2012年9月16日(新月)~30日(満月)まで。

新月から満月までというのが、物事をはじめて終える期間として、素晴らしいですね。
本当の豊かさを求め、そこをベースに、さらなる益子の発展を願ってこの祭を開催している、そんな主催者の気持ちが伝わってきます。

数々催されるイベントの一つに、鈴木大拙先生の秘書を長く務められた、岡村美穂子先生の講演があります。

-民藝や手仕事から考える益子の未来-
9月22日(土)午後13:30~14:30(終了予定)会場:つかもと迎賓館
講演:岡村美穂子
民藝と宗教哲学や禅の思想。この繋がりをあらためて考えます。
柳宗悦が生涯の師と仰いだ、鈴木大拙(仏教思想家・禅の研究者)の秘書を長年務めた、
日本民藝館評議員の岡村さんをお招きします。

との事。なんて興味深いのでしょうか。

さらに、上田閑照先生、岡村美穂子先生に監修をお願いしました、私どもの『鈴木大拙写真集 相貌と風貌』が、ブックフェアではお取り扱いいただいております。もちろん、柳宗悦と一緒の写真も収録されています。
外見は内面そのもの。その相貌と風貌から、我々は多くを学べます。
素晴らしい写真集ですので、是非とも手にとってご覧いただければと思っております。
HPよりご購入の方はこちらからどうぞ。

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姫路城




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改修中の姫路城へと出かけてきました。
友人の知り合いのガイドさんに様々な事を説明していただき、「へ~!ほ~!」と関心するしか無いほどに計算されつくしたお城のあれこれ。

改修工事のため、すっぽり覆われていても、やはり滲み出る美しさというものがあるのですね。
何度か来ているはずですが、何度見ても本当に美しいものとは見飽きぬものです。

よほどお城に詳しい方は無用かもしれませんが、おでかけになる場合、ゆっくり時間を取って、ボランティアガイドさんをお願いするのが賢明です。自分では気付けない所を多々、教えて下さいます。

一番心打たれたのは、わざと完成させずに、ある部分を未完成にしたままにしておく事。完璧に完成してしまえば、あとは崩れるのみ。遊びの部分を残しておく、完璧にしないでおくという所にいたく感動しました。

何にしてもそうですね。完璧は実はもろい。教訓にします。

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修復が終わりましたら(平成28年)また是非ともでかけましょう。

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乗馬




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北海道にて乗馬を体験しました。
予め用意された鞍をつけた馬に、「はい、乗りましょう!」ではなく、放牧されている馬を自分で選ぶところから始まります。
気があわなければ、イヤイヤと首を振られて、手綱をつけさせてはくれません。時には乗馬体験ができないままに終わる人もいるとかいないとか。

放牧されていた所から、小屋まで自分で馬を引いて、馬の前を歩きます。決して馬を先に歩かせてはなりません。なるべく道草(美味しい草だらけなので、食べながらになるのです)もさせません。

小屋に着けば、丁寧にブラッシング。
私が乗ったポテトちゃんは、お尻ばかりブラッシングしろとせがむ愛らしい子でした(お尻をやめて違う箇所をブラッシングすると尻尾でバシバシ叩いて来るのです)。

乗馬の先生は、「充分にブラッシングして、自分が乗っても大丈夫だと思えば、鞍を着けて乗りましょう」と。一瞬戸惑いますが、さらに丁寧にブラッシングを続けてみます。「もう大丈夫だろう」というタイミングがやってきます。

皆で散歩する森の中。これはもう、言葉になりませんでした。
途中のカフェタイムでの写真です。森の中にいる馬たち。何て美しいのでしょう。

馬は、3~4歳くらいで反抗期が来るとの事。鞭打って強制的にしつけようとすれば可能だそうですが、そうしてしまえば、10歳くらいになると、手に負えない子になってしまうのだとか。
「人間と一緒ですよ。三つ子の魂百までです」と先生。
反抗期に、如何に上手につきあってやるかが肝心で、それさえできたならとても良い馬に育つのだとか。
先生のところには、他の牧場で手に負えなくなった馬がよく連れて来られるそうです。
そういう馬とも、徐々に信頼関係を築き上げてゆく先生はとても頼もしく、眩しかったです。

人生に、何かにゆき詰まった時、坐禅やヨガもオススメしますが、大自然の中での乗馬もかなりオススメです。色々と、馬を通して自分の事が見えてきます。自分の芯を築き、体幹を整え、強くするのに良さそうです。

それにしましても、今でも、馬のビロードのような手触りの毛並み、汗をかいた肌、そのあたたかさ、鼓動を思い出すとうっとりしてしまいます。

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瓜割の滝 -若狭町-

早いもので8月も本日で終わりですね。というのに、この気温にはホトホトまいります。
今年のお盆や地蔵盆の行事も暑くて大変でしたが、御寺院方はもちろんのこと、一般の方々は如何でしたでしょうか。
暑さしのぎに、ちょっと涼しそうな写真でも見ていただきましょう。


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先般、教区の住職研修会があり参加してきました。
自坊の教区は滋賀北陸教区というわけで、石川県・福井県・滋賀県が一つとなった5部からなる教区で、毎年、開催地があちこちします。去年は滋賀県の甲賀市でしたが、今年は福井県嶺南の小浜市にて開催。
受付時間がお昼の0:30ということですが、少し早く到着しそうだったので、国道に標識の出ていた「瓜割の滝名水公園」にみちくさしてから行くことにしました。実は7月に部下も行っていたようですが……。

文字通り、冷たくて「瓜が割れる」ほどの名水が湧き出て流れているところなのですが、国道から、たった2~300m入ったところにあるので、驚きです。昭和60年に環境庁名水百選に選定されています。

近くの方々はポリタンクをもってこの水を汲みに来ている様子ですし、実際に水に触れてみたところ、予想以上に冷たくて、思わず手を引っ込めてしまうほどでした。

水の流れを辿って少し登っていくと、「瓜割の滝」。
ご覧の通り、木立に囲まれて、神聖な気持ちにもなり、水の冷気で日なたとは比べ物にならないほど涼しい空間がそこにはありました。

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そばには、村上天皇の勅願所である、高野山真言宗の天徳寺というお寺があり、ここらの地名にもなっています。天徳寺には不思議な言い伝えのある四国八十八箇所霊場をかたどった石仏が並んでいます。
またこの滝のあたりは、「水の森」と呼ばれる修験者の修行地であり、朝廷の雨乞いを司る祈祷所であったということです。

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「森と大地の仕事展 福森雅武」 -北海道・十勝千年の森-




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何度かこちらでもご登場いただいており、私が若い頃から大ファンでもある、伊賀・土樂窯の福森雅武先生の個展が北海道でありましたので、お邪魔してきました。

今回の個展は、十勝にあります千年の森における、“北海道ガーデンショー”の一環です。
-森と大地の仕事展-と題され、紙・木・土・草をそれぞれに使った、自然に寄り添う美しい日本の手仕事が順次紹介される内の、-土の仕事-として、福森先生並びに土樂窯の職人さんの仕事が紹介されているのでした(9月6日(木)まで)。

「会場にねぇ、庭を作るんですよ」と笑って仰る先生に、諸事情を把握できないままついてゆかせていただきましたが、千年の森・ヘッドガーデナーの新谷みどりさん主導により、先生が望む形がみるみる間に会場に。
このような庭ができあがる行程を拝見させていただける、またとない機会となったのでした。



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夏の鵜の瀬 -福井県小浜市-




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毎年夏はもちろん暑いのですが、例年の暑さをうわまわる猛暑到来!ですよね?!
今日は涼しげな写真を皆様に。

春にも訪れた、お水送りゆかりの地、鵜の瀬に、夏にも訪れてみました。
近所の方達が家族連れで泳いでいてびっくり。「神聖な場所であるのに…」と一瞬とまどいましたが、小浜の方達にとっては涼を求めて泳ぐ場所でもあるのですね。なんとも羨ましい限りです。

水は澄み、翡翠のような色。清浄な地の清浄な水は、本当に私達の身心の穢れを洗い流してくれるような心地がしました。

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瓜割の滝 -福井県若狭町-




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夏に瓜を冷やせば、割れるほどに冷たい……といわれる瓜割の滝へ。
精霊たちの住み処としか思えないような清浄な地でした。

川下でしゃがめば、天然のクーラー。冷たい水に冷たい風。この日の気温は35℃ほどまで上がったようですが、束の間の休息でした。
水の美しい所は、それだけで人の身心の疲労を回復してくれますね。
福井が清浄な土地であり続けるよう、願わずにいられません。

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仁徳天皇陵と堺市博物館 -大阪府堺市-

小学校の時に社会見学などで訪れた場所。当時はさほど興味なく、無理矢理な感が否めなかった場所なども、大人になってから再度とてつもなく興味を抱いたりする事がありませんか?

私の場合、小学生なりに埴輪や銅鐸に興味は持っていたのですが、その思いも薄れ、すっかり忘れていた今頃になって、古墳巡りをしたい思いに駆られています。

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そんな折、堺に訪れる機会がありましたので、まずは…と、仁徳天皇陵を拝みに。
堺市役所の21階展望ロビーからの眺め。
憧れはもっと上からあの“形”を拝む事ですが、それでもこんもりと茂った木々に覆われた、古代のやんごとなき人のお墓には、ロマンがありますね。
その昔、堺の港へと辿り着いた外国人がまず目にするのがこの仁徳天皇陵を中心とする古墳群で、横からみたそれはまるで要塞のごとく、日本の威勢をしらしめる事になったのでしょう。
本当に、想像をかき立てられますね。

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そしてもう一つ魅惑的な展観が。布好き、特に更紗好きにはたまらない珍しい展観です。堺市博物館の企画展、「和更紗-堺・京・長崎-」。
外から入ってきたものを、何でも日本風にして取り込んでしまう日本人のおおらかさ、豊かさに感心する事しきりなのでした。インドやインドネシアとはまた違う方法で染められた日本風の更紗。色も図柄もとても魅惑的でした。
展示数は少ないのですが、布好きな方には特にオススメします。
また、堺市博物館では、古墳時代からの堺の歴史などを時代ごとに垣間見られるような常設展示があり、少し足を延ばして訪れたこの町で、随分と楽しくお勉強させていただいた次第です。
皆様も是非!

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東北の被災地を訪ねて その3




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慈恩寺様をあとにして、仙台へ向けての帰路につきました。
多くの瓦礫の仕分けをしている重機を見ながら、また陸前高田の海岸近くを走る45号線を走り、気仙沼まで戻りました。
途中、瓦礫の写真や、まだ倒壊したままのビルの写真も多く撮りましたが、やはりここであまり沢山公開するのは、気がとがめます。ですから最小限にしておきたいと思います。でも、撮りながら、こうして自分の目で確かめてみることは大切なことだった、来なければわかったつもりになっているだけだったと考えておりました。

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気仙沼では地福寺様を訪ねました。慈恩寺様と同じく、ここの御住職も妙心寺派の高等布教師をされている和尚さんです。ここは震災の1~2年前に本堂や庫裡の落慶を済まされたばかりでしたが、津波によって流された家屋などによって、かなり痛んだようです。しかし本堂はなんとかすでに修復されておられました。

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地福寺様から海の方を見た景色です。以前は民家が立ち並び、海は見えなかったと聞いています。しかし津波はすべてをかっさらってしまいました。
突然の訪問にも和尚さんから力強いお言葉もいただき、一日も早く地域の復興を果たされるように祈念申し上げるしかありません。

そして気仙沼から南三陸町へ。ここにはあの、防災放送の担当職員だった遠藤未希さんが命の限り避難を叫び続けた防災センターが柱だけになって残っています。まるで原爆ドームのようだと思いました。バスで視察に来られている方もあります。沢山の花が手向けられてありました。

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繰り返しますが、広大な色のない更地が広がっているのです。でもそこに、まるで春になれば草が芽を出すように小さな小さな仮設の商店が、色とりどりの旗をはためかせて建ちだしているのを見ると、人間の営みの力強さを感じます。
最近、南三陸町には仮設の商店が立ち並ぶ、「南三陸さんさん商店街」という商店街もできたときき訪ねました。私たちも立ち寄って食事をとり、些少ながらお土産を買わせていただいた次第です。とっても大きなめかぶが販売されていましたので、その夜、帰宅していただきましたが、それは歯ごたえのあるとても美味しいめかぶでした。
さんさん商店街の人たちはみんな活気があり、ここでもかえってこちらが力をいただいたような気になりました。

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帰路に松島瑞巌寺にも寄りました。ここが大きな被害にならなかったのは、今にしても不思議でなりません。

今回の短い旅の間に、何人かから、たとえボランティアでなくてもいいので、こちらに来て被災地をみて欲しいとお聞きしました。
まだ現地を訪ねていない方、あまり日程も取れないし何もボランティアもできそうにないしと思われている方、あるいは物見遊山みたいで気が引けると考えている方。私も実はそうでした。それでも現地を訪ねて、自分の目で見てみた方がいいと今回あらためて確信しました。
2日間でもこれだけまわれます。そしてわずかな経済効果でもお手伝いしてみませんか。

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東北の被災地を訪ねて その2




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東北の被災地を訪ねた二日目。3月27日の朝7時に塩竃のホテルを車で出発。
一路、陸前高田の慈恩寺様に向かいました。三陸の高速は3月末まで無料期間。そのせいもあってか何ヶ所も渋滞していました。まだ仙石線など鉄道が復旧程遠い状態なのに、どうして無料期間を終了してしまうのか、素朴な疑問もわきます。

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途中、気仙沼や南三陸町でも、一年たって瓦礫はあまり散らばっていないとはいえ、荒涼とした色のない更地が広がっていて、一年たってもまだこの状態であることを目の当たりにして愕然としました。
陸前高田では、ご存じの通りの千本松は、1本だけが流されずに残りましたが、枯れてしまいそうな様子です。

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これからここをどうしていくのでしょう。また津波が押し寄せる可能性を考えると、家を建てることなどできないのではないかと思ってしまいます。津波に負けないような高い高い防波堤を作るのでしょうか、はたまた、あえて自然に抗わないで今後も受け入れていけるのでしょうか。

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塩竃から車で3時間半、陸前高田の慈恩寺様を訪ねました。和尚さんに出迎えていただき、本堂で大悲呪一巻をお勤めし、そのあと和尚さんから少し当時の状況を聞きました。
防波堤に見えているその赤い灯台は完全に津波に隠れてしまい、本堂の前まで津波がきて、流された車が本堂前にまで来たそうです。しかし、建物の中は浸水しなかったので、大きな書院が長らく避難所となっていました。近隣の人たちにはありがたかったことでしょう。
そこには、避難していた女の子が書いた詩が掲示されていて、目にとまりました。

  悲しくなんかないさ 悲しくなんかないさ
  津波が来たって 地震が来たって
  世界中の人が ついているから 元気になれる
                          まりえ

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こんな気持ちを保っていくのは簡単ではないでしょうが、この子供達がこれからの日本を支えてくれるのだろうと思えて、力強い息吹を感じました。(つづく)


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東北の被災地を訪ねて その1




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昨年の3.11の大震災以後、1年が経過しました。そんななか、1泊2日という短い時間でしたが、初めて被災地を訪ねてきました。
被災から色々な形で活動してきた現地の臨済宗寺院の僧侶の方々と会って、それぞれに活動されてきたことを、記憶の薄れていかないうちに、費用のかからない、そして遠隔地からでも同じ場に書き込めるWEB上で、まとめて残していってはどうだろうかという提案をもっていったのです。

3月26日午後一番に仙台駅に到着。雪がチラチラと舞う中、僧堂の仲間である仙台市内の寺院住職の車に乗せてもらい、まずは七ケ浜へ。海を見ると上の写真のように風光明媚な処なのです。しかし防波堤が痛んでいるのが見えると思います。また浜から近いところには集落があった様子ですが、無残にも住宅の基礎が残るだけです。妙心寺派のお寺が何ケ寺かあり、以前から存じ上げている葦航寺様に立ち寄り御住職にご挨拶をさせてもらいました。
お寺は少し高台にあり、津波の被害は受けなかったようですが、多くの檀家さんが被災され、今も仮設などに住まわれているようです。
「こんなに一気に過疎化してしまうなどとは思いもよらなかった」とおっしゃったのが印象的でした。
特に若い人たちはもうここへは戻ってきて住もうとしないだろうと肩を落されていました。

その後、震災ボランティアをされている若手僧侶グループ「喫茶去」の活動に参加するため、塩竃市の慈雲寺様を訪ねました。この日は10名ほどの僧侶が集まって、エル・サルバドルからいただいたコーヒーを被災地にお届けするため、3つずつ袋詰めしていく仕事。かなりの量がありましたが、2時間ほどお手伝いさせてもらいました。



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その後、同じく塩竃市内の東園寺様に移動し、このメンバーに加えて数名の僧侶と、提案の件について会議をおこない、概ね御了解いただきました。
彼らの陰徳行を汚さないように、どういう風に展開していくかが、今後の我々の課題です。
(つづく)

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四方指展望台 -小豆島-

 

 

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私的な小豆島旅行記が続いていて申し訳ないです。
言葉を書きつらねるのも無粋かと思われますので、今日は写真のみ。
小豆島の四方指展望台(標高777m)からの景色です。

 

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小豆島の民間療法?! -小豆島・石風呂-




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最近ことに民間療法・自然療法などに関心のある私なのですが、小豆島でこのようなものをみつけました。

【町指定 有形民族文化財 肥土山の石風呂】

出入り口は狭く感じますが、身をかがめて入るとなんとか入ってゆけます。
中はわりと広く、縱2.6m、横1.8m、高さ1.5mのドーム型になっています。
江戸時代後期に造られ、昭和の初め頃までは使用されていたのだとか。

この中で、松葉か雑木を焚き、その後、真っ赤に焼けた「おき火」に塩水をかけ、その上に海藻と濡れ筵(むしろ)を敷き、5~6人が一度に裸か浴衣で入ったのだとか。
からだ中が芯から暖まり、婦人病・腹痛・神経痛・リウマチなどに効用ありとの事。

お金をかけて癒しを得るのに必死な感ある昨今ですが、昔の人の智恵とはすごいものですね。

また、都会では、隣近所に誰が住んでいるのかも知らない事が多くなりましたが、この村では、昭和初期までこうして村の人々がこの穴の中でさまざまな事を語り合いながら癒されていたのかと思うと、それはとても色々な意味で“強い”事だな……と思いました。



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農村歌舞伎 -小豆島-




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昨年末に訪れた小豆島にて。
かなり気になったのが、毎年5月と10月に行われる農村歌舞伎(国指定有形民族文化財に指定されています)の舞台。
中山の舞台と肥土山の舞台とがあり、どちらも訪れてみました。

まずは、春日神社の境内にある中山の舞台(上写真)。茅葺き寄棟づくりです。
どこにも無いような雰囲気と形の舞台。なのにとっても懐かしくほっこりとした気持ちにさせられます。

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狛犬もこれまたなんとも可愛らしい風情。
毎年春日神社の奉納芝居として、10月に上演されるのだとか。

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雪の兼六園 -金沢-




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兼六園にて松の雪吊りを拝みたく、でかけてきました。
ちょうど大雪のお正月。それはそれは美しい雪化粧。
北陸特有の重い雪から松の枝を守る為に施されますが、美しさも兼ね備えたこの姿にしばし寒さも忘れて佇みます。

ここ金沢は、さすがは加賀百万石の地。能楽もさかんで、「空から謡が降ってくる」=庭木職人も謡を口ずさんだ……と言われます。
新しくできた能楽美術館の趣向が非常に面白いものでした。

そして、加賀と言えば加賀の三太郎。そのうちの、鈴木大拙先生、西田幾多郎先生の記念館なども訪れましたので、またこちらでおいおい紹介させていただきたいと思います。

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笹ヶ岳・雨乞岩 -滋賀と三重の県境-

滋賀県信楽の笹ヶ岳に、三重県の伊賀側から登って来ました。
この笹ヶ岳にあります雨乞岩は、長年私の憧れの場所でした。

と申しますのも、福森雅武氏の『土樂食樂』にて、先生がこの岩の上で食を楽しんでいる写真があまりにもインパクト大!だったからです。
福森道歩さんに「連れていって欲しい」と厚かましくもしつこくお願いし、念願叶って初登頂。

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この、雨乞岩からの眺望には、言葉を失いました。写真で見ているのと実際にそこへゆくのとでは、本当に比較にならない。先生がいつも、「なんでも訪ねてみなさい。自分で足を運びなさい。そこへ自身を置いてみなさい」と仰るのがよくよくわかります。

無性にヨガのポーズをとりたくなって2、3のポーズをしてみましたが、心が喜んでいると、身体もよく伸びること。仕事後、夜中に建物の中でレッスンしているのとは感覚が違います。また、ここへ訪れてからは、レッスン時に心地よい感覚を思い出すと、とても良く集中できるのです。

月並みな言い方ですが、いわゆる“パワースポット”に行くと、“意識”に様々な変化を与えてくれます。その変化は、必ずや身体に通ずる。
色々な体験を通して、心と身体の相関性をもっと探って、掴み取ってゆきたいものです。

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御在所岳 -三重県菰野-




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三重県は菰野にあります、標高1212メートルの御在所岳。
今回は山登りではなく、眺望を楽しむ為、ロープウェイに乗ってみました。
伊勢湾まで見渡せて、絶景かな。しかし……。

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田丸橋 -愛媛県・内子-




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ひきつづき、内子の見どころをご紹介。是非とも見てみたかった屋根付き橋。昭和19年に作られたと伝えられ、内子町の有形民族文化財にも指定されている田丸橋を拝見しに。

溜め息がもれ、しばしうっとりとしてしまいました。なんと美しい景色なのか。日本ではなかなかにお目にかかれないこの景色、5年前に訪れたブータンを思い出しました。日本人のある程度お年を召された方々がブータンを訪れると、自分の子供の頃の風景に出会うと言われますが、本当に、ブータンではどこへ行ってもこのような景色が!

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“豊か”とは何なのか、またここで考えさせられます。

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大雪 ―二十四節気― と 鈴木大拙館

本日は二十四節気の21番目にあたる「大雪(たいせつ)」です。北風がピープーと吹いて雪が降り始める頃ということです。
今年の京都は紅葉が遅かったので、まだ雪が降ってくるという感覚がないですが、二日ほど前からまた急に夜の寒気がこたえるようになりました。
時節はきちんとめぐっているようです。どうか、風邪など召されぬように。
各地の臨済宗の専門道場では、今日は臘八大接心の接了日です。命取りとも言われる不眠不休の大接心、明日朝の明けの明星をみて、ハタと開悟される雲水さんがおられるといいですね。

ところで唐突ですが、「たいせつ」⇒「だいせつ」という音で思い出すのは、偉大なる仏教哲学者・鈴木大拙博士です。
今年10月18日に、金沢市の大拙博士生誕地の近くに「鈴木大拙館」が開館しました。大拙博士の考えや足跡をしらしめ、来館者みずからが思索する場として開設されたということです。
さっそく先般訪ねてみました。兼六園などから程近い場所にありますが、ちょっと不案内だとわかりにくいところです。駐車場もありません。しかし、来館者は外国人も見受けられ、世界的に著名なDr. D.T.Suzukiならではでしょう。
館内の展示物はそれほど多くありません。どちらかというとあまりにアッサリしていて物足りなくさえ感じましたが、ここに務める知人である主任研究員I女史の話によると、ソフト面がこれから充実させていきたいとのことですから、楽しみにしていましょう。
学習空間には、弊所から出した関係書籍『鈴木大拙未公開書翰』や『相貌と風貌』、弊所・西村惠信所長の著作も並べられていて、自由に手にとって読むことができます。

来館者自らが思索するための場「思索空間」は、たしかに素晴らしい空間でした。館の大きな割合を占める水鏡の庭に面した思索空間には、禅堂の単(坐禅をする畳敷きの台)がおかれていて、時間が許せば水鏡に映る紅葉を眺めながら、ゆっくりそこに坐禅していたいほどでした。




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金沢を訪ねられる機会があれば、ぜひ時間をとって訪ねてみていたきたいと思います。
以前に紹介した「西田幾多郎記念哲学館」との交流協定も結ばれたようで、この点でも今後の展開が楽しみです。

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鈴木大拙館
〒920-0964 金沢市本多町3-4-20
TEL 076-221-8011

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木蝋で栄えた町 -愛媛県・内子-




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徳島のうだつの町並みは有名で、藍商で栄えた美しい商家が立ち並ぶ様は皆さんもよく御存知かもしれませんが、愛媛の内子については御存知の方も少ないのではないでしょうか。
私も今回たまたま訪れる事となった町ですが、日本がバブルに浮かれている頃から、町並みを保存すべく頑張って来られた町の方々のその結果が、この町には随処に伺えます。

特に保存地区として、木蝋(ハゼの実から融点の高い脂肪を圧搾するなどして抽出した蝋)で栄えた商家が連なる町並みは、殊の外美しいものでした。写真は、木蝋生産で財をなした豪商、芳我(はが)家の家で、本家である事から本芳我家と呼ばれています。漆喰を使ったこて絵や、懸魚(げぎょ)の意匠がそれは立派でした。

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臥龍山荘 -愛媛県・大洲-




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愛媛県は大洲市にあります"臥龍山荘"を訪れました。
市内を流れるおおらかな美しい肱川。その臥龍淵の崖の上に建つ不老庵、知止庵、臥龍院の建物からなり、敷地は3千坪。
もとは文禄期に渡辺勘兵衛が庭園を築き、その後大洲藩主の加藤家に引き継がれていましたが、明治期に入り荒廃。そこで、大洲出身の貿易商、河内寅次郎が復興させました。
京都の桂離宮を思わせるようで、それでいて独特な発想による様式も施され、構想10年・工期4年をかけた彼の理想の地である事を、随処に伺い知る事ができます。

茶の湯をたしなむ者には、臥龍院の建築において、雪輪窓の塗りや床框の塗りが中村宗哲、欄間は駒澤利斎、襖の引き手や縁側の留め釘が中川浄益、襖は奥村吉兵衛など、千家十職のうちのいくつかの職家が携わっている事に感嘆を隠せません。
もちろん、美しい唐紙の襖紙は、唐長によるもの。意識をもって見つめれば、学ぶ所だらけで、なかなか先に進めないくらいに素晴らしい名建築なのでした。

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臥龍院を裏から観た所。左官の仕事も見事。駒澤利斎による透かし彫も美しく、さらに屋根の手のこみよう、美しさも圧巻。日本の職人の仕事の凛とした美しさは、建物の印象を引き締めます。

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躍る阿呆に見る阿呆 -徳島市・阿波踊り-




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お盆に実家にいない=罪悪感。であった私ですが、今年は墓参りをし、迎え火を焚いてご先祖さまをお迎えした後、親友の住む徳島へと向かいました(ちなみに、この時期の自家用車での徳島入りはお薦めできません!京都から鳴門に入るまで、7時間以上……さらに徳島市内へ2時間でした)。


魂ゆさぶられる祭が大好きな私ですが、徳島市内で行われる阿波踊りの熱気、人々の土地に対する誇りには想像していた以上に感動し、最後には連(れん・踊り手の集団)の後ろに加わって躍ってしまいました。「躍らにゃ損そん♪」は本当だったのです。もう、躍らずにはいられないのです。皆本当に「生きているってスバラシイ!」という笑顔で躍っていました。

さて、その発祥には諸説ある阿波踊りですが、友人の話によると、あの手で先祖の霊を呼び寄せ、迎えているのだとか。浮き世のさまざまの事はしばし忘れ、ひたすら同じ拍子に合わせて同じ踊りを繰り返す。無心になって先祖の霊をお迎えするとは、何と尊い事だろうと、これまた感動する事しきりなのでした。

次回は是非とも、浴衣に網笠を深く被る女踊りのスタイルで連に加わってみたい!と思うものの、幼少(最年少は3歳くらいでした)から踊り込んでいる徳島の方々は、細胞の一つ一つにまで流れるものが違うな……と感じざるを得ないわけです。
先祖伝来の地に住まう事の尊さ、その土地に伝わる文化や歴史の継承について、考えさせられるものがあるのでした。
また是非でかけたいものです。

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白豪寺 -奈良・高畑-




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秋にも訪れた白豪寺。有名なかの五色椿には遅かったか…と思いながらもGWに訪れてみました。ちょうど散椿の美しい時で、咲いても散っても美しい椿の花に眼福の一時。

前回訪れた時は、宝物館の閻魔像にいたく惹かれましたが、今回は地蔵菩薩のあまりの美しさ、もう生々しく生きていらっしゃるような、何かこちらに仰るのではなかろうか…というほどのお姿に目が離せなくなりました。

人って面白いな…と思います。その時の自分の精神状態、学んで成長した部分などなどによって、心にひびくものが違っていきますよね。そういったものを発見するためにも、同じお寺に季節ごとにお参りしてみるのも良いものだな……と思うのです。

仏さんを拝んだり、季節の花を愛でたり、伽藍を眺めて一息ついたり、参拝するには色々な目的があるとは思いますが、結局のところは、“自分を観にいく”事なのだな、と思った5月の白豪寺参拝でした。

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奈良少年刑務所




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奈良の旅が続きます。
宿の方に、「少年刑務所もご覧になってきたら」と言われ、何も知らなかったので少しびっくりしましたが、詳細を聞いているうちに思い出しました。

お坊さん(臨済宗)だったうちの祖父が保護司をしていた関係で、奈良の少年刑務所を視察に行った時の白黒写真が実家にあった事を……。
ここを視察に来たのだな…と感慨深く。

般若寺近くにあり、ジャズピアニストの山下洋輔氏の祖父で、山下啓次郎氏の設計により明治41年に建てられたロマネスク調様式の、奈良を代表する西洋建築です。
庭の植木も美しく剪定され、まだ若い人達が更生をはかる施設として、これほどに良い事は無いねと友人と語り合ったのでした。

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般若寺 -奈良市-




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奈良豆比古神社からすぐ近く、前々から気になっていた般若寺を訪れてみました。

飛鳥時代(629)に創建されたこの寺の魅力(私が思う)は何と言っても楼門(国宝・鎌倉時代)と、元は聖武天皇の創建と伝わる十三重石宝塔(重文)でしょうか。
天平時代には、平城京の鬼門を守る寺として栄えたそうな。

現在は、花の寺、特にコスモスが有名だそうで、既に早咲きのコスモスがわずかながら咲いていましたし、芍薬や山吹がそれは美しく満開の季を迎えていました。
数多く残る宝物にも眼福。奈良らしいおおらかな雰囲気が好ましいお寺でした。

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奈良豆比古神社




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奈良市内、奈良坂にあります奈良豆比古神社(ならづひこじんじゃ)。宿泊したホテルの方にお聞きして行ってみました。地元の方の情報はさすが!です。

創建は771年。光仁天皇の父施基(志貴)親王などを祭る社との事。
ことに私が興奮しましたのは、“翁”の舞の発祥の地であり、現在も10月8日の夜に舞が奉納されるとの事。平成12年には国の重要無形民族文化財に指定されたとの事です。
さっそくカレンダーを見ましたら、なんと今年は土曜日です。既に観に行く事を予定しています。
能楽堂での舞鑑賞も楽しみの1つではあるのですが、こういった、土地の人々で大切に守り伝えられて来た行事、かがり火を焚き、神社の境内で奉納される舞にこそ、日本人の魂をゆさぶる感動があると思うのです。

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柳生街道をゆく その5




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柳生街道クライマックス、柳生の里です。

こちらには臨済宗大徳寺派、芳徳寺があります。柳生宗矩が、父・石舟斎宗厳の供養のため、澤庵和尚を勧請開山として創建。柳生家代々の墓所となっている禅寺です。
宗矩の末子、列堂義仙(1636~1702)が第一世と言われています。

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柳生街道をゆく その4 -円成寺-




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柳生街道を歩く上で大きな目的地の1つ、円成寺です。
真言宗の古刹で、本尊は運慶作と伝わる大日如来。本尊そのものもさることながら、光背もそれは美しく、どっしり本堂におはします御姿は、まさに大日如来らしく宇宙そのもののような大きさを感じました。

門にはしめ縄が。村の人々が年に一度作り替えて、掛け替えるのだとか。魔除けのような意味合いも兼ねているそうです。神道や土着の風習の名残でしょうか。

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柳生街道をゆく その3




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その1、その2に続き、柳生街道沿いの仏さまの紹介です。
のどかな風景を歩いてゆき(途中少し山道ですが……)、春日山石窟仏へ。
平安末期の作と伝えられ、地蔵菩薩立像、大日如来などが残されています。
劣化が激しく、近づけないように、また風雨に耐えられるよう柵が設けられ、大きなひさしがついています。

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柳生街道をゆく その2




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その1につづき、奈良の柳生街道です。

はるか頭上、木の根元が二又になったところに夕日観音がおはします。
街道を歩く人々も、あまりにわかりにくく通りすぎて行ってしまいますが、よじ登ってみました。

すると……。

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柳生街道をゆく その1




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奈良の柳生の郷へと続く柳生街道。
その道すがら、石仏を拝みつつ歩いて柳生の郷を目指す事にしました。
花(桜)の季節が終わり、生命感溢れる若葉が木漏れ日に輝く季節。
あまりに清々しく、古より「六根清浄」と山を歩いたのがわかる気がします。

高畑町から滝坂の道へ。まず最初に出会うのが、室町前期の作とされる寝仏です。

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飛火野のふじ -奈良-




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既に少し前の話となってしまいますが、いつもは日帰りの奈良、GW中に泊まりがけでゆっくりと巡ってみました。奈良の魅力を何回かに分けて、ブログでもご紹介したいと思います。

いつもは時間が無くて立ち寄らない場所。春日大社参道南側、飛火野あたり。
お弁当を食べたり、写生をする人がいたり、なんともいえないのんびりした時間が過ごせます。
高畑町めがけて奥へ奥へと入ってゆくと、ちょうど野生のふじの花がそれは見事に咲いていました。咲き具合も年によって違いますが、今年の花はそれは見事です。
京都では散った八重桜も、ちょうど満開。絵はがきのようなワンショットです。

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久留米城跡




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引き続き、取材の為訪れました久留米の町のご紹介です。

-久留米城跡-
1621年より、丹波福知山より有馬豊氏が入城し、以来明治維新まで、250年間・11代に亘ってこの地を統治しました。
梅林寺は、豊氏が丹波福知山の瑞巌寺をこの地に移し、父の菩提を弔ったのが始まりで、その父の法号梅林院から名付けられたのです。
梅林寺とは切っても切れない関係の有馬家。梅林僧堂を訪れるなら久留米城跡も!という事で訪れました。

豊氏を祀る篠山神社や有馬記念館(休館中でした…)、立派な城壁が残ります。
久留米の町を一望できて気持ちよく。

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久留米駅




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梅林僧堂の東海大光老師へのインタビューで訪れました久留米。
最近駅舎が美しくなったようです。
内部にあるステンドグラスを一枚一枚みていると…。
おぉっ、梅林僧堂ではないですか!!! 筑後川、梅、梅林寺。その横には水天宮。
一人、妙に嬉しくなった私でした。

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山村御流 奉花会 -奈良・円照寺-




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大和三門跡寺院の一つ、現在は臨済宗妙心寺派の禅寺である円照寺。
普段公開はされていないこのお寺にて、こちらの住職を家元とする華道・山村御流が年に1度、4月の第一日曜に、法要・奉花会と免状授与式を行います。

道の世界に精進する者が集う晴れやかな場でもありますし、禅寺で……という事もあり、厳かでもあるこの1日を楽しみにお邪魔させていただいています。
花展の時より作品数は少ないのですが、教授者の方などが生けられた何点かの作品を目にする事もできます。
花は野にあるように…という生け方は、ごくシンプルなだけに、そのときどきに心に浮かぶ思いは、自分を写す鏡のようにも思えます。“花を見る”とは、自分を見る事なのだなぁ……と、このように思わせてくれるこちらの流派が大好きです。
ちょうど前日、神戸の香雪美術館にて開催中の堀文子展-生命をいつくしむ-に足を運び、あらゆる生命への畏敬の念を新たにしたところで、野に咲く花を大切に扱うこの流派のお花を見る機会を与えられるというのは、今の自分に必要な事だったのであろうと、導きや縁といったものを感じずにはいられませんでした。

山村御流 奉花会 -奈良・円照寺-の続きを読む

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若狭小浜

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若狭小浜を訪ねた。
両親の金婚式の祝いで一泊の小旅行にきたのだ。

小浜は、アメリカ大統領にオバマ氏が立候補して、このところ一躍有名になった。
北朝鮮に拉致され、帰国を果たされた地村さんご夫婦は、この小浜の方である。ちなみに地村さんは妙心寺派の寺院の檀家さんでもある。
また、数年前にNHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」の舞台になった。私たちが泊まった民宿には、その出演者の人達も泊まったようで、玄関にはそんな色紙が一杯飾ってあった。

座敷には、南禅寺の元管長の勝平宗徹老師の墨跡額があったり、禅僧の額が多いので、宿のおかみさんに尋ねてみたら、南禅寺派のお寺の檀家だそうだ。

このあたりではトラフグを養殖していて、ふぐ料理でも有名。またもう少し敦賀の方に行った三方あたりには梅林があって、梅干しなど梅の加工品も有名である。

民宿のすぐ横は浜辺なので、夏は賑やかなことだろうが、こんな時期には、ふぐ料理を目当てのお客さんばかりなので、浜辺はいたって静かである。
連れていった愛犬(前に銀杏の葉の上でも登場)も静かに海を眺め、感慨深そう。

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*次回の、西村惠信所長といく“禅と文化”の旅は、5月18日(火)に決定致しました。詳細は後日お知らせ致します。

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善光寺さん -長野-




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長野の善光寺さんにお参りしてきた。
ついで参りはよくないことだが、「牛に引かれて善光寺参り」と言われるくらいだから、まぁご容赦いただこう。
「牛に引かれて善光寺参り」というのは、自分の意志でもないのに、思いがけないことでよいご縁に恵まれたことの例えとして言われる言葉である。またここは、「遠くとも一度は詣れ善光寺、救け給うぞ彌陀の誓願」と、全国各地からお参りにみえる名刹である。
江戸時代には、「お伊勢参り」の帰りには「善光寺参り」をするという風習もあったようだ。

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阿弥陀如来を御本尊に善光寺はてっきり単立寺院かと思っていたのだが、実は、天台宗「大勧進」と浄土宗「大本願」からなる両方の別格本山とされているという特殊な形態のお寺だ。
雪が残る境内には、まだお正月の初詣として参詣されている人が多く、たいへん賑わっていた。

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線香をお供えし、本堂へと進み内陣にお参りすると、子供の頃、家族に連れてこられた記憶が蘇ってきた。
御本尊の真下の真っ暗な床下を手探りで歩き、「極楽の錠前」に触れることで、自分の往生の際に阿弥陀様にお迎えに来ていただく約束をするという「戒壇巡り」をさせていただけるのだ。
子供の頃に、真っ暗な中を不安を感じながら歩いたものだと思いつつ、また、阿弥陀如来の約束をとりつけさせていただいた。
ありがたや、ありがたや……。

今年6月には、ダライ・ラマを招待し、長野市内のビッグハット(オリンピック競技場)で講演会が行なわれるとのことである。

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丈六寺 -徳島市-




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曹洞宗の古刹、丈六寺(じょうろくじ)を訪れました。
創建は古く奈良時代と伝わるそうですが、室町時代に阿波国守護細川成之(しげゆき)が中興し、伽藍を整備したとの事。江戸時代には藩主の蜂須賀家の庇護を受けていました。

数々の寺宝が伝わる事と、拭っても拭っても消えなかったという血天井が有名で、徳島を訪れた旅人もこちらを訪れるらしいのですが、11月の初めに訪れたところ、友人と私のみでひっそりとしていました。
苔むした数々の墓、古い伽藍、戦国武将達の思い、静かな中に様々な空気を感じる古刹でした。

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秋深き永源寺にて




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先にブログ禅で報告した、第8回西村惠信所長といく“禅と文化”の旅で訪ねた永源寺。紅葉の事前情報では「色づきはじめ」といったことだったが、訪ねてみると、まだ緑の葉も残すものの、真っ赤に紅葉した葉も有れば、黄色く色づいた葉もあり、見事なグラデーションを見せていた。

今回は、そんな永源寺の紅葉や山内をご紹介します。小雨のあとだったせいで、却って色も引き締まって、さらに美しくみえました。

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もう少しお楽しみください。⇒

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伊勢神宮献茶式




遷宮ご修造のひとつ“宇治橋の架け替え”

10月10日、雲1つない高い空、澄みきった空気のもと、伊勢神宮のお献茶(表千家家元奉仕)にでかけてきました。寺院での献茶式にはよくでかけますが、神社は初めて。雅楽や神楽の奉納もあり、また違った日本古来の伝統を感じ、感謝する良い機会をいただきました。

さて、伊勢神宮には何度かお参りさせていただいていますが、訪れる度に“気づき”があります。
これからも幾度となくお参りすることでしょうが、その度に何か感じる事、思うところがある事と思います。
何百年も生き続けている木々の間を歩くだけでも心底気持ちの良いものです。

お伊勢さんの大木

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弥彦神社 その2 -新潟-




美しい千羽鶴

お参りを済ませた後、弥彦神社の境内を散策してみた。
本殿に入るには、神門とよばれる門があるが、ここに絵馬がかかっていて、一緒にひときわ色鮮やかで美しい千羽鶴が奉納されていて目を引いた。

神門の両側には古さを感じる苔むした狛犬がじっと参詣者を見つめているようだ。
それから、こういった古い神社仏閣にお参りすると、灯籠も気になって、おもわずファインダーにおさめてしまう。この灯籠もなかなかいい形だ。

苔むした狛犬

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弥彦神社 その1 -新潟-




弥彦神社の鳥居

良寛さんの五合庵のある山続きに、弥彦山という山があり、そのふもとに越後国一宮の弥彦神社(いやひこじんじゃ)がある。地名は「やひこ」と呼ばれるので、通常は「やひこじんじゃ」とよばれるが、古くは「おやひこさま」と呼ばれていたという。
越後の国の開拓神・伊夜彦神(天香山命)をお祀りしている。

古来は万葉集に、
「伊夜比古おのれ神さび 青雲のたなびく日すら 小雨そぼ降る」
「伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながら」
という歌が残されている古い神社である。

御手洗の川

鳥居をくぐると、清涼な流れの御手洗の川があり、杉の大木に覆われた参道を歩く。
一旦左に曲がるところに社務所があるが、その近くに椎(しい)の御神木があり、その前に良寛禅師の「御神木讃歌」というものが掲示されていた。

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良寛さんの地 五合庵・国上寺 -新潟- その2




香児山

五合庵・国上寺行の続きである。
国上寺の各堂宇から、山を下っていくと、ふと左手に香児山(かごやま)という小さな塚のような丘があり、そこには上のような石像が林立している。丘の上には小さな廟もあった。
この地は天香児山命伊夜比古(あまのかごやまのみこと いやひこ)の神が鎮座された場所ということで、弥彦神社の神が御神託をされた廟所であるとの札がある。つまり、国上寺を建立するように託宣された場所なのであろう。
神々しい空気に包まれ、石段を一段一段降りておくことになる。
すると、ひっそりと五合庵がたっていた。横には良寛さんの句碑も建っている。

五合庵

五合庵の中には、良寛さんがお酒を好んだことからか、日本酒が供えられていておかしかった。
ただ、まいったのは蚊の大群に襲われたことだ。この五合庵辺りにだけ多いので、ひょっとするとこれは、良寛さんが虫を殺すようなことをせず、慈愛に満ちた人であったから、蚊もこの地を選んで住んでいるのではないかと思えたのだった。

お酒を供えられた良寛さん


『良寛和尚逸話選』(禅文化研究所発行)

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良寛さんの地 五合庵・国上寺 その1 -新潟-




国上寺境内にある良寛像

夏休みの終わりに、かの良寛さんの地、新潟県は寺泊にほどちかい、国上寺・五合庵を訪ねてきた。
良寛さんというと、曹洞宗の僧侶で、子供が好きで、かくれんぼをして皆が帰ったのにも気付かず、ずっと朝まで隠れていたとか、軒先を突き破って伸びてきた筍のために板を外したりして伸びられるようにしたといった、やさしいやさしい逸話が有名だ。
ただ、良寛さんの像は、どれも何か厳しい顔をしていて、子供たちに優しかったというイメージと違うように感じてしまうのは、私だけだろうか。

とまれ、この良寛さんは、岡山県は玉島(倉敷市)の円通寺で修行をした後に、各地の名僧を訪ね歩き、新潟にもどって、約20年、五合庵に住まいしたという。
この五合庵という庵は、真言宗の国上寺という越後最古の古刹の境内地にある小さな庵だ。まずは国上寺へとお参りした。

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三重県名張市の木地師さん -加計仏具店-


修復する仏像

よくお世話になっている恩人の案内で、素晴らしい木地師さんの仕事を拝見させていただきました。
“木地師”と聞くと、皆さんはどのようなお仕事を想像されますか?
私は一番に浮かぶのは、漆を塗る前のお椀やお盆などの原形を作る職人さんでした。
今回は、仏壇仏具、その他寺院神社などに関係する多くの物をお作りになられている木地師さんです。
様々な職人さんのお仕事を拝見していますと、「職人さんの仕事には規格というものが無い分、本当に自由で幅広いなぁ……」と思う事が多々あるのですが、まさに今回もそうでした。

【加計仏具店】
代表作は、知恩院さん所蔵の『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』を図像化した「観経曼荼羅(かんぎょうまんだら)」の軸を、厨子におさめ立体的にあらわした立体曼荼羅の木地制作です。軸に描かれている世界を立体的に…なわけですから、その仕事たるや、素人の理解の枠は超えに超えていました。
言葉では表現できませんので、HPの画像をどうか一度ご覧になってみてください。HPの納入例のページには、実際の立体曼荼羅の画像もあります。
木地の部分を加計さん親子がお作りになり、その他に、塗師や彩色師、仏師など様々な職人さんの手が加わって漸く完成をみる、後世にずっと伝えていきたい日本の仕事です。

たくさんの彫刻刀 たくさんの小さなカンナ

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坂本龍馬の地、桂浜




桂浜にて

来年2010年のNHK大河ドラマは『龍馬伝』、坂本龍馬の生涯だ。
その先取りと言っては何だが、雪蹊寺を訪ねた後に龍馬ゆかりの地、桂浜へ向かった。
海岸沿いの道路に出ると、広い広い太平洋が広がる。とくに海無し県で生まれ育った私にとっては、水平線を見ると一方ならならぬ感動を覚える。
どちらかというと日本海を見る機会の方が多いが、日本海よりも太平洋には何か、より大らかなものを感じてしまうのだ。皆さんはどうだろう。

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山本玄峰老師のこと 2




四国八十八カ所霊場・第三十三番・雪蹊寺

雪蹊寺境内

高知県高知市にある、四国八十八カ所霊場・第三十三番・雪蹊寺(臨済宗妙心寺派)である。桂浜にほどちかい、このお寺を旅の途中で訪ねた。もともと真言宗であったが廃寺となり、戦国時代に四国全域を治めた長宗我部元親の手によって臨済宗の寺院として復興され、長宗我部元親の菩提寺となった。

今年のお正月に、和歌山にある山本玄峰老師の生誕の地を訪ねた事について、このブログで書いた。
この同じ年に、今度は玄峰老師の得度の寺を訪ねることができた。

前のブログでも書いたとおり、老師は和歌山県に生まれ育ったのだが、青年期に失明し、眼が光を失った。それを憂えて死に場所を求め、四国八十八カ所の遍路を歩かれたという。
七度目の遍路の途中、三十三番・雪蹊寺の門前で行き倒れとなったところを、当時の住職であった山本太玄和尚に助けられ、下男として働く内に得度を受け出家されたのである。

山本太玄和尚の塔

出家の後、修行を重ねられて、松蔭寺や龍澤寺などの白隠道場を復興されることになる。
そのため、弘法大師にたいするご恩を忘れられず、生涯にわたって、さらに四国遍路を繰り返され、その数は17回にも及んだという。

雪蹊寺の山門を入ったすぐ左に、上の太玄和尚の塔があり、そのすぐ隣に、山本玄峰老師のブロンズ塔と、その孫弟子にあたる鈴木宗忠老師(私の僧堂時代の師匠)のブロンズ塔が建てられていた。
実はこのブロンズ像の寄贈者は、W氏という方で、龍澤寺で修行した縁のある私たちのお寺にも、玄峰老師と宗忠老師のブロンズ像をご寄贈いただいている篤信家である。

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岡山 倉敷 美観地区




倉敷美観地区の風見鶏

倉敷美観地区を、3年ぶりに訪ねた。
前回は携帯でとった写真だけだったが、今回は少々、撮影に気合いをいれてみたので、主に写真で味わっていただけたら幸い。

涼しげな水辺

まだ残暑きびしいさなかではあるが、この美観地区に来ると清涼を感じずにはいられない。
お盆休みも過ぎて、旅行者も少ないからか、少々、ひっそりした感じであった。

それにしても、ホテルでもらった案内地図を片手に歩いているのだが、行こうとしているミュージアムが、あるはずの場所にないのには閉口した。
地図が古いのかもしれないが、観光名所としては、これはいただけない。
今どきの世相を物語っている気がする。有名無実とはこのことなのだろう。おかげでだいぶ散策させていただけたが。
しかし、この風情だけはいつまでたってもこのままであって欲しいと思う。

蔵のある町並み

きっと、この大作を描いているおじさんもそう思っているのじゃないだろうか。

美観地区を描く人
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西国観音霊場 第27番 書写山圓教寺に詣る




第27番 書写山圓教寺摩尼殿

「はるばると 登れば 書写の山おろし  松の響きも 御法(みのり)なるらむ」
西国観音霊場では最も西に位置し、西の比叡山とも呼ばれる、第27番の書写山圓鏡寺にお詣りしてきた。山裾から参詣用のロープウェイで山頂まで上り、三十三観音に見守られあがら、木々に覆われた参道を登ること約20分、摩尼殿の下に到着。

摩尼殿に祀られるご本尊は六臂如意輪観音(開山性空上人が弟子の安鎮に命じて彫らせた)で、6月末までご開帳されていたので、間近でそのお姿を拝ませていただくことができた。
ご朱印をいただき、さらに奥にある三つの堂へ歩く。
途中には樹齢七百年とされる杉の巨木や、ツガなどが静かに参詣者を見下ろしている。


樹齢七百年の杉

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山口・洞春寺 -愚堂禅師墨蹟撮影行にて-




洞春寺山門

九州での愚堂禅師の墨蹟写真の撮影を終えた帰り、高速道路が日曜祝日1000円であることをいいことに、少々寄り道をして、山口市にある名刹・洞春寺に立ち寄った。

ここは、南禅寺僧堂師家の清光軒・日下元精老師が住持となっている、建仁寺派の寺院である。
ここは毛利元就の菩提寺としても有名で、山門は、洞春寺の前身である国清寺当時からのものであるとか。

以前にこの洞春寺蔵の嘯岳鼎虎禅師手沢本『山谷詩抄』の影印本を、依頼を受けて制作させてもらったことがあり、どんなお寺なんだろうと思っていたから、幸いの機会である。
嘯岳鼎虎禅師(1528~1599)という方は、この洞春寺の開山であり、もともと博多の人であった。明国入ること二度で各地の名師に歴参され、永禄三年(1560)に帰朝されたという。のちに、建仁寺や南禅寺にも住持されている。そして、毛利元就は禅師に参禅し、この寺を創建するに到るのである。
この開山禅師自らの自筆の抄物という点で非常に貴重な資料である。

ちなみに、山谷詩は、禅僧の中で親しく読まれてきた詩集であるが、双璧となる蘇東坡の詩集と比べると、意外に研究書や解説書が少ないため、そういった意味でも、学識ある禅僧の自筆本として重要な書籍である。

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神仏のおはします島 -宮島・厳島神社-




厳島神社の大鳥居

日本三景の1つ、安芸の宮島を訪れました。
「宮島には旅館などもたくさんある…」と聞いた際には、「島に泊まってまで何をするんだろう…」などと失礼な事を思っていた私。
ですが、船で渡ったその島は、島全体からあたたかい光と力がわき出でるような所で、この島に厳島神社がある事が大いに納得できるのでした。
厳島神社というと平清盛が有名ですが、それよりもはるか昔、推古天皇の時代から神々をお祀りしていたようです。

厳島神社 神殿

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根来寺 -和歌山-




根来寺 大塔と伝法堂

紀州の観音霊場、紀三井寺と粉河寺参詣のあと、根来塗発祥の地である根来寺にお参りした。
新義真言宗の総本山である根来寺は、その巨大勢力を危ぶんだ秀吉の焼き討ち、いわゆる「根来攻め」にあうまでは、寺領2万石、山内に450もの末院を有して僧兵が1万人もがいたような、一大寺院、というより一大宗教都市であったようである。後に紀州徳川家の庇護を受け一部復興をとげたという。
上の写真の左の大塔は焼き討ちからは逃れたもので国宝に指定されている。日本最大の多宝塔ということであるが本当に美しい建物である。内部は円形の内陣があり大日如来を中心に十体ほどの仏像が取り囲むように配置されている。薄暗い内陣に外からの光が差し込み、息を飲むほど美しい情景にひとときみとれてしまった。

となりの伝法堂には、本尊三尊像(大日如来・金剛薩蝓オ・尊勝仏頂尊)が安置されている。大きな仏像だったが、とても静謐な空気が漂っており、参詣者は多かったが誰もが静かに坐って御本尊に見つめられていた。
尊勝仏頂尊という仏様にははじめてお目にかかった気がするが、実際、とても珍しい仏像だという。

根来寺境内に咲くシャガ
根来寺境内に咲くシャガの花。 広大な境内には清流があって、新緑のもみじが美しかった。
新緑の根来寺境内
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西国観音霊場 第3番 粉河寺に詣る




第3番粉河寺

「ふぼの めぐみもふかき こかわでら ほとけのちかい たのもしのみや」
第2番の紀三井寺と同じ日に、程近い第3番の粉河寺(和歌山県紀の川市粉河2787)にもお参りした。
紀三井寺は、楼門や多宝塔が鮮やかな朱色に塗り直されたばかりで、まばゆい印象であったけれども、この粉河寺は重厚な色合いである。
ここは階段は少ないお寺で、山門をくぐってから敷石の上を、境内を流れる清流沿いに本堂へと歩んでいくと、蓮の花をかたどった御手洗がある。とても美しい造形だ。

御手洗
御手洗のすぐとなりにある中門もまたしかり。「風猛山」の扁額は、紀州徳川十代藩主治宝侯によるものらしいので、この門も何か東照宮の建物のような形のような気がするのは私だけだろうか。

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西国観音霊場 第2番 紀三井寺に詣る




紀三井寺参道



「ふるさとを はるばるここに きみいでら はなのみやこも ちかくなるらん」
西国観音霊場 第2番 金剛峰寺護国院(通称・紀三井寺/和歌山県和歌山市紀三井寺1201)にお参りした。
鮮やかな朱色に塗り直された立派な楼門(室町時代建立)をくぐり、両側にいろいろなお堂がある石段を昇る。
山内に湧き出る3つの名水井戸があり、このため古くから紀三井寺と呼ばれてきたようである。またお参りした時には終わっていたが、桜の名所としても有名で、和歌浦を見下ろす山内が、沢山の桜の花に囲まれる様子が容易に想像できる。
下の写真は、三井水の一つ清浄水。



三井水の一つ清浄水


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西国観音霊場 壺阪寺

壺阪寺山門

西国三十三カ所観音霊場の第六番「壺阪寺(南法華寺)」(〒635-0102 奈良県高市郡高取町壷阪3番地)へ参詣した。
一口に西国観音霊場といっても、それぞれのお寺の趣きはいろいろなので、お寺へ到着するまでの想像がいつも楽しい。

このお寺はまず、なにもかもが大きいという印象をもった。境内にはインドで製作されたという巨大な石仏が何体もあり、またお堂もそれぞれが大きく、中国のお寺にでも来たような感覚を味わう。

奈良の観音霊場の中では一番南にあるこの壺阪寺は、浄瑠璃でも有名な、「お里・沢市」の霊験記がのこるお寺で、眼病に霊験があるという、十一面観音が御本尊である。
御本尊は、八角円堂といわれる本堂の中に安置されていて、他の霊場に比べて、ご開帳も比較的多いようだ。室町時代の作であるらしいが、少々ユニークな表情の観音様である。

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山本玄峰老師のこと

般若窟・山本玄峰老師
昭和に名だたる名禅僧の一人に、般若窟・山本玄峰老師がおられる。 私が在錫した静岡県三島市の龍澤寺の住職として、私が生まれる前年に遷化された老師は、大本山妙心寺の管長も勤められ、さらには太平洋戦争の終結時、あの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……」の文言を進言され、象徴天皇制の発案をされたり、当時の鈴木貫太郎首相の相談役でもあったという傑僧である。 私が参じた宗忠老師からは二代前の先師ということになる。

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青岸渡寺でみつけた硯

「那智黒」と言えば、まず思いつくのは、「那智黒飴」かもしれない。もちろん、もともとは那智でとれる上質の黒石を擬して作った飴玉なのであるが、この那智黒石は上等の囲碁石として有名である。
そしてもう一つ、事前に詳しく知っていたわけではないのだが、この那智黒石の硯も天下無二のものらしい。

青岸渡寺の山門に向けて登る途中、参道にある一軒の硯店に立ち寄った。「山口光峯堂」という。表の看板には「皇室献上」の文字が。また「癒しの墨摺りを是非体験してください」というような文言も。

この参道には何軒もの硯販売店があるのだが、店主らしき人が他のお客さんに話している言葉遣いが優しくて、「硯は絶対に試し摺りしてから買いましょうね」と言われる言葉に、店の中に引き込まれた。
店の中には、沢山の硯が大小とりまぜて並んでいる。
同じようなサイズの硯でも何千円も違いがあるなぁと思っていたら、先ほどの店主(二代目 山口光峯さん)が説明してくださった。

「安い方は、天然石ではあるけれども、大きな石から切り出した物を硯にしたものです。そして高い方は、まれにしか採れない"玉石"」から作ったものです」と。玉石の方(「曼荼羅の径」という硯)の中で、自分に足りそうな比較的小さいものを手にとってみたところ、ずしりと重く、またただ丸いだけで飾りはないがその表面の美しさに心が動いた。そして、是非試し刷りをと仰るので、摺ってみたところ……。
目から鱗が落ちるとはこのことだろうか。今までの硯は何だったんだろうと思うほど滑らかなのだ。墨を摺る時、なんとなくザラザラ感があって、これで墨が摺れているんだという感覚を持っていたが、それは全くの誤りだったわけである。とても滑らかに、ぬるぬる摺っていくという感覚だった。

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西国観音霊場 第1番 青岸渡寺に詣る

西国三十三所観音霊場第一番 青岸渡寺

西国三十三所観音霊場の第一番、「那智さん」こと青岸渡寺にお詣りしてきた。
以前から、何ヶ所かの観音霊場にはお参りしてきたが、同じ近畿圏とはいえ、あまりにも那智さんは遠い。車をとばしても、一泊でないと行けない距離なのである。しかし第一番をいつまでも外しておくわけにもいかない。
夏は海水浴客で混み合う和歌山方面なので避けたいのだが、幸いにも、このお正月、電気工事の関係で研究所は例年より1日長めの休みをいただいたので、ここぞとばかりに出かけることにした次第。

青岸渡寺本堂

紀伊半島最南端に近い紀伊勝浦町にある「青岸渡寺」には、如意輪観音が祀られているが、通常は開帳されていないので、直接おがむことができない。今年は三十三所の観音霊場が順番にご開帳されるということになっているが、ここは3月頃とのこと。残念ではあるが仕方なし。
それでもすぐ近くには133mもの落差をもつ名瀑那智の滝があり、お詣りできてよかったという気持ちもふくらんでくる。

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若州一滴文庫

一滴文庫

作家の故水上勉氏が故郷に設立した若州一滴文庫は、小浜湾から少し山間部に入ったのどかな田園が広がる地にある。1985年に開館し、一時期閉館に追い込まれていたが、現在はNPO法人化され、水上氏の蔵書や水上作品に使用された挿画の原画などが常設されている。
庄屋を思わせる長屋門を入って正面にある本館には、蔵書のうち2万冊が開架されており、車椅子を利用できるスロープを使い各展示室を移動できるようになっている。

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諏訪の神さま -信州諏訪-

高過庵
さて、これは何かおわかりだろうか? なんと、お茶室だそうで、その名も「高過庵(たかすぎあん)」というそうだ。 内部は見せてもらうことができない(そもそも高所恐怖症の私は遠慮したいところ)のだが、この茶室は、建築家・藤森照信氏(ふじもり てるのぶ、1946年~)が、自分の故郷の私有地に建てたものだ。
神長官守矢史料館
そして、この高過庵のすぐ下にあるのが、「神長官守矢史料館」(長野県茅野市宮川高部389竏窒P 0266-73-7567)である。 この建物も風変わりであるが、これを設計したのも藤森照信氏である。 ここは、諏訪大社の神長官・守矢家の史料館なのである。守矢家は中世より諏訪神社上社の神官の一つである「神長官(じんちょうかん)」を明治時代まで勤めてきたという古い家柄で、この史料館は、その敷地に建てられている。 史料館の館長らしき初老の紳士は、どうやらお話好きのようで、混み合ってはいないが、訪れる人それぞれに親切に説明をされていた。 ちなみに、この藤森氏は、私が以前におとずれブログにも書いた浜松市にある秋野不矩美術館の設計者でもある。そういえば、同じ雰囲気である。
守矢家にのこる社 神長官裏古墳

敷地内には、このような小さな社も有り、また史跡に指定されている神長官裏古墳もある。
この社の裏に位置して、守屋山という山があり、この山が諏訪大社上社の御神体なのだ。
守屋山と守矢家、字は違うがまさしく通じるに違いない。

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魅惑のへたり達磨 -金毘羅さん参りその2-

参道

へたり達磨 へたり達磨


さて、金毘羅さんの参道には、数々のお土産物屋さんが立ち並んでいます。
いにしえの人々も、お参りとはいえ同じような思いでこの階段を登ったのだろうか…と、わくわく。
その中で私が今回、その仕事の素晴らしさに魅了されてやまなかったのが、【讃岐一刀彫宗家 山中象堂】さん。

まずは上写真のへたり達磨の素晴らしい彫りと、その意匠にくぎ付け。お参りを忘れて覗き込んだものです。その他あまりに素晴らしい作品が多々あるので、とにかくお参りに行って、後からまた来ようということに……。

【へたり達磨について】 〈山中象堂さんの説明文引用〉
へたりとは辞書に依れば(へたばる、よわる、すわる、疲れて平たく座す)と記されて居ますが、この達磨は大地へ腰を落着け慎重に計画性を以て思索的に又他人に迷惑を掛けない様にするを良しとの意味をこめて当家の伝承図中より選択 現代風に改良讃岐一刀彫の特徴と味を最も良く生かした当家独特の製品の一つです。

とのこと。ご主人の話によると、昔、旭社などの彫刻を手がけた職人の夢枕に達磨さんが立たれて、「しっかり計画性をもち、事に励みなさい」とのお言葉をいただいたのだとか…。
ここで少し宣伝を…達磨さんの伝説といえば日本に数多く残っていまして、研究所からもこんな本が出ています。興味のある方は是非!

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金刀比羅宮参拝 -金毘羅さん参りその1-

さぬき富士を眺める

10月半ばの話になりますが、まだ秋も入り口の頃、思い立って金毘羅参りにでかけました。
金毘羅さんといえば、長い階段・歌舞伎などで有名ですが、その正体やいかに?!
寺なのか、神社なのか、はたまた修験道の地なのか?!何の知識も無く、なんとなく「一生に一度は」のキャッチフレーズ?にひかれてのお参りでした。

金毘羅さんの正式名称は、金刀比羅宮(ことひらぐう)。
そもそも最初は大物主神を祀り、琴平神社と称したそうです。
その後、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)をとり、金毘羅大権現と改称しましたが、明治元年に神仏混淆(しんぶつこんこう)が廃止され、元の神社へと戻ったのだとか。
明治時代の神仏混淆廃止がなければ、大物主神もおはしますれば、大権現もおはします、修験道の地としても栄えた、日本の信仰すべてを併せ持つ地だったようです。

旭社
旭社

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霧ケ峰高原 八島湿原 -信州諏訪-

八島湿原

信州諏訪行(10月中旬の旅です)の続きである。諏訪大社付近から、狭い林道を車で登った。ビーナスラインを通る正規のルートではないため、対向車が来たらだいぶん後退をしなければいけないような道路だったが、懸念した対向車は現われず、紅葉の始まった山々に感嘆をもらしつつ、途中で車を止めてファインダーをのぞいたりしながら、登ること30分。
第二の目的地である霧ケ峰高原の八島湿原に到着した。

八島湿原

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万治の石仏 -信州諏訪-

万治の石仏

諏訪の下社春宮の近くには万治の石仏という変わった阿弥陀如来様があるとの事で、キラキラと光り輝く落ち葉が美しい木立の中を川沿いに進んでいくと、お堂も何もないような所に突然阿弥陀如来が。
テレビでも紹介されたことがあるらしく、また、あの岡本太郎氏も絶賛したという。

なんともユニーク

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諏訪大社 -信州諏訪-

諏訪大社 下社秋宮

秋が深まり始めたので、もう紅葉をみられるだろうと思い、信州は諏訪近辺へ出かけた。
実は新調したデジタルカメラを携えての撮影旅行といったところ。

諏訪は何度も通過したことはあるが、あまり立ち寄ったことがなく、事前に調べてでかけることにしたところ、いろいろと見どころがあるらしい。

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鈴木大拙の故郷 能登半島 蛸島

蛸島

国泰寺を後にして、ふと思い立ち、能登半島の先端近くにある蛸島へ向かった。
なぜなら、ここはあの鈴木大拙博士が若きころに住んでいたことがある町なのである。
なんということはない、とても辺鄙な小さな田舎町である。
もとは塩業が盛んであった町で、のと鉄道能登線の終点・蛸島駅があったが2005年に廃線になってから鉄道もない。

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行雲流水 1

高岡の晩夏の雲と海
高岡の晩夏の雲と海


禅宗の修行僧のことを「雲水(うんすい)」という。
もとは「行雲流水(こううんりゅうすい)」ということで、ひとところに留まらず、自由なさまをいう。つまり雲水は、一所不住で、諸方におられる禅匠をたずねて行脚するものなのである。
実際、唐代や宋代の禅僧の伝記をみても、修行中にはそれはそれは途方もなく遠い距離を行き来して行脚されているし、日本でも白隠禅師でさえ、北は新潟から南は愛媛まで、諸方の禅匠に参じている。
ところが現在というと、多くの雲水は、ある一僧堂で一人の老師について修行するというのが、あたりまえのようになってしまっている。
よく、「禅の修行は厳しいですね」と言われる。もちろん厳しいが、師を求め諸国を行脚する本来の雲水としての修行はもっと厳しかったであろう。

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お伊勢参り 2

内宮の入口、宇治橋

外宮から6キロ離れたとこに、伊勢神宮の内宮がある。
車で移動すること数分。もちろん昔はみな歩いて移動していたのだろうが今は安易なものだ。
夏休みだからだろうが、自分たちも含め、平日でも親子連れの参拝者も多いようだ。

さて、伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮を平成25年に迎えるそうだが、社殿を建て替えるという大事業を20年に一度行なうことができるというのは、すごいことだと感心してしまう。
既に今度の式年遷宮に関する行事は平成17年から始まっているそうで、境内は式年遷宮一色である。


伊勢神宮内宮の正宮

そういえば、以前にこのブログでも別のスタッフが朝の伊勢神宮を訪ねたことを書いていたことを思い出した。併せて読んでもらうのもいいかもしれない。
気持ちいい空気をすって、すがすがしい気持ちにさせていただいた。
息子にも古来からある日本の信仰というものに、少しでも何かを感じてくれたら幸いである。


内宮の正宮の社殿

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お伊勢参り 1

伊勢神宮 外宮の正宮

子供の夏休みも終わりに近づいたが、まもなく一緒には来なくなるであろう息子と二人で、伊勢に旅をした。
もともとはプールのある温泉付きホテルで、ゆっくりとくつろぐのが目的だったが、それではあまりにもったいないと思い、せっかくなので、お伊勢さんにお参りしてみようということになった。
お伊勢参り、私は実に小学校の修学旅行以来のことである。

ご存じのとおり、伊勢神宮ことお伊勢さんには、内宮と外宮がある。その間およそ6km。まずは外宮からお参りして、続いて内宮へお参りするのが習わしである。
ということで、最初に外宮へ。
まずは御手洗(みたらい)にて、手と口をそそぐことから教えねば。
御手洗での簡単な作法を教えたところ、まじめに聞いてくれた。隣では見ていられないような仕方で手を洗ったりしている人を余所目に、作法ということの大切さ、美しさというものを知ってくれたらうれしいと思っていた。

伊勢神宮 外宮の参道

参道をいくと明らかに空気が異なる。なんという神聖な気持ちになるのだろう。
周辺には樹齢何百年も経ているだろう木々が静かに息吹いている。
鳥居をくぐるときにはお礼をしつつ、意外に近い正宮に参拝する。
一般的な二礼二拍手一礼の礼法を一緒にし、これもまた、大切な文化だよと教えた。

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熊野詣で

熊野本宮大社

異国の文化や遺跡が好きで、たくさんの土地を旅してきましたが、帰国する度に日本の素晴らしさを再認識し、日本が一番自分にしっくりくる国で、大好きだとの思いを強くしてきました。

そしてこの夏、インドの聖地への旅から帰国し、「やはりインドは素晴らしい、けれども日本の美しさ、素晴らしさはどこの国も及ばない」との思いも頂点に達した感(おおげさでしょうか)があり、「これからはもっと深く深く日本のことを学ぼう。日本の聖地ともいうべき所を旅してみようか……」などとぼんやり考えていると、両親が「ご縁あって熊野本宮大社にお参りにいくけれど……」と。
インドから帰って3日後に、熊野大権現様のおはします大社へお参りに行って参りました。
ちょうど東京国際ブックフェアの際に、別冊太陽の「熊野」を購入したところでもありました。読む前にお参りとなってしまいましたが、これも何かのお導きでしょう。

山深く霊験あらたかな土地に築かれたなんとも清々しいお宮で、斎衣をまとい皆でご祈祷を受けました。
打ちならされる太鼓の音に、生まれ変わるような心持ち。皆それぞれに感慨深いものであったと思います。ただただ、頭を垂れて、「ありがたい、ありがたい」との思いでした。

いにしえの人々が「この地こそ」と崇め、信仰の対象となるようになった所には、何か人智を超えたパワーがあるものです。まずは熊野本宮大社にて、そのありがたさを体いっぱいに感じた、夏のある暑い一日でした。

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霊場 国東半島 その2

富貴寺仁王門

両子寺を後にして向かったのは富貴寺(ふきじ)。
こちらも西暦718年(養老2年)に仁聞が開基したと伝えられる国東半島の古刹である。
両子寺とは全く趣のちがう小さなお寺ではある。

IMG_0062.jpg
ここには平安末期に建築された国宝の阿弥陀堂がある。九州最古の木造建築だそうだ。 京都平等院の鳳凰堂、岩手中尊寺の金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂の一。 また、内部には本尊の阿弥陀如来座像(重要文化財)と日本四大壁画の一つに数えられる壁画(重要文化財)があった。ただし壁画はかなり保存状態が悪く、消えかけているような状況ではあった。

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霊場 国東半島 その1

国東半島の地図

大分県北部に位置する国東半島は霊場といわれるほど多くの寺院があるのをご存じだろうか。
実は私は知らなかった。
というより、京都や奈良が実近にあるし、熊野や四国は存じていても、九州に霊場と言われるようなところがあろうとも思わなかったし、そんなに古い寺院があろうとも知らなかったというわけだ。
九州の方には誠に失礼な話で申し訳ない。
さて、そんな国東半島を友人の車で連れてもらった。

両子寺参道
まずは、国東半島のほぼ中央にある天台宗別格本山の両子寺(ふたごじ)へ。 西暦718年(養老2年)、仁聞菩薩の開創による神仏合祀の古刹。 緑の豊かな参道をあがると護摩堂や庫裡があり、境内を巡っていくと奥の院本殿があり、両子大権現(男・女(双子)二天童子)が祀られているらしい。
奥の院本殿

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お遍路の地へ

穏やかな四国の海

出張で四国(愛媛)へ行っていました。
連日35度を超える猛暑だというのに、真っ黒に日焼けした顔に白装束のお遍路さんをおみかけしました。
さすがこの時期に歩いてまわろうとされる方達。お1人で歩いておられる方がほとんどでした。
お1人といえども、お隣には同行二人、弘法大師さんがついていてくださる。もくもくと歩き続けるそのお姿に、本当にお大師さまが一緒についておられるような心強さを見た気がしました。
私もいつか、歩いてまわれたらなぁ…と夢見る今日この頃です。

溢れる緑、お大師さん縁の数多くの寺、霊峰、青く穏やかな海。澄み渡る空。温泉にみかん畑。砥部焼。日本てやはり美しいなぁ…と心底思える地、愛媛です。

緑溢れる地
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伊賀 美の旅

長瀬の川

長瀬(名張市・上写真)をあとにし、伊賀上野へ…。
藤堂高虎ゆかりの伊賀上野城や、松尾芭蕉を記念して作られた俳聖殿、芭蕉の五庵のひとつで、唯一現存する蓑虫庵は以前訪れた為、その近くにある伊賀焼の谷本洋さん、あけみさん夫妻のギャラリーへ伺います。
谷本さんの作品は、古典的な伊賀焼に対する真摯なまなざし、お人柄が出るかのようなあたたかみも感じ、それでいてかっこ良くセンスあるものばかりで、伊賀焼といえばお茶人などに愛される陶器ですが、谷本さんの作る作品の凛としたたたずまいは、現代の若者にも「かっこいい」と受け入れられるのではないでしょうか。
伊賀焼のみならず、ヨーロッパ留学で培った独創性ある陶画(陶板)や器の数々も楽しく、また、奥様の作品も他には無い感じで、使い方を模索するのが楽しく、いつまでいても飽きる事のないギャラリーです。
また、こちらの作品には、山村御流による花も生けてあり、これがまたいつ行っても楽しみなのです。

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自然豊かな地、名張へ

晴天なり

名張に住む友人の所を訪れました。
名張というところは、三重県にありながらも奈良にほど近く、話すことばや文化なども、奈良に近い事が多いそうな。
また、伊勢に通ずる街道が通っている為、街道筋には古い家が未だに多く残り、「昔の人々もここを通りお伊勢参りをしたのか…」と容易に想像できる風情が残っています。
なだらかな緑溢れる山々に囲まれ、美しい川が流れるこの地は、京都と同じく盆地で、冬寒く夏暑いものの、自然が多く残るせいか気候の厳しさよりも土地の豊かさを思わせます。

鮎釣り人

長瀬の川には鮎釣り人がたくさん! とある釣り人さんはこの日6匹の大漁だったとか。羨ましい天然鮎です。

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美しい竹細工 生野徳三さんの工房へ

 

床に掛かる「雨竹」の軸

研修で大分を訪ねていた際、以前から親交のあるお寺のご婦人にお願いして、大分市内にある、竹工芸師 生野(しょうの)徳三氏のご自宅を訪ねた。
「雨竹」。ちょうど梅雨の時期であり、この床に相応しい軸がかけてある。
私事ではあるが、毎年年始には、先のお寺のご婦人が贈ってくださる、生野さん作の「翠竹箸(すいちくばし)」で、お正月のお雑煮を頂くことが恒例となっている。このお箸は青々としている上に、先が細く、長さもほどよく、とても使いやすいので重宝するのだ。

このたび大分滞在中に、竹細工の山地である大分で、是非、生野さんの工房をみたいと思いお願いして、その願いがかなった。
先代の故・生野祥雲齋は人間国宝であり、また徳三さんも日展会友として活躍されている。

 

竹のオブジェ

このオブジェは、近く開かれるアメリカでの展覧会に出品されるというものだそうだ。非常に手の込んだもので、竹のしなやかさがそのまま表われているように感じた。
部屋の外には苔むした庭と池があり、蛙がなき、鯉が跳ねる。ご自宅の裏には山が広がり、涼しい風が吹いていて、別天地にいるような気分にさえなった。

 

池のある中庭

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湯布院 (擔雪(たんせつ)II講習会)

大分県の住職研修会へ、弊所の発売している「宗教法人管理システム 擔雪(たんせつ)II」の講習をするようにと呼ばれて出向いた。
今回、偶然にも2つの別の研修会が続いて行なわれることになったため、二泊三日での別府泊まりである。

このころの九州は雨が続いており、大分空港に到着した時も小雨模様であったが、住職研修会の役職を担っておられるお寺の寺庭婦人様が、わざわざ空港までお迎えに来ていただいていた。
会場までの車中でお話を伺うと、いろいろとご縁があるようで驚いた次第。世間は狭い。

このお寺は、あの湯布院の温泉地のはずれにあるということで、研修会修了後、湯布院観光を兼ねて、お邪魔させていただいた。
佛山寺というこのお寺。以前は堂宇がすべて葦ぶき屋根であったが、近年、火災によって焼失し、この山門がその面影を残すのみである。


佛山寺山門

庫裡の横には、近所の子どもたちが自由に読むことができる私設の図書室があった。子どもたちが沢山いるのですか? と尋ねたら、それが少なくて……と。
やはりここでも少子化でせっかくの図書も利用される機会が少なくなったようだ。自然とお寺に集まる子どもたちも減っていることになる。

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甲斐 恵林寺

恵林寺

武田神社参詣のあと、甲州市にある恵林寺へ赴いた。
言わずと知れた、武田信玄公の菩提寺であり、かの夢窓国師が開山の臨済宗妙心寺派の名刹である。
車をとめて、杉木立の長い参道をゆったりと歩くと、古びた三門に至る。

恵林寺三門

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甲斐 武田神社

武田神社の鳥居

研究所からの出張で、山梨県甲州市にある大本山向嶽寺を訪ねることになったので、その約束の時間前に、山梨市にある武田神社へ参詣した。
ご存じの通り、あの武田信玄公の居所であった居城(城と言っても平城で、城郭ではない)であった躑躅ケ崎館をもとに、信玄公をお祀りして武田神社として残っているものだ。
武田神社の参道とも言える通りには、山梨大学があり、ゆるい登り坂になっているが、この通りには電線や電柱がなく、とても美しい通りである。
この地の人たちが、如何に信玄公を大切に思われているかが、そのまま表われているようである。

武田神社本殿

回りには外堀や内堀もあり、武田のお屋形さまがおられたころを感じさせる。
大河ドラマ『風林火山』の影響で、きっと去年は沢山の観光客が来たのだろうが、今回、土曜日ではあったが、比較的ひっそりとしていて、おちついてお参りできた。
さて、まだ時間があるようなので、もう一つ、前から訪ねてみたかった恵林寺へ行くことにした。(つづく)

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鎌倉 長谷寺 -あじさいの寺- その2

境内の池
鎌倉 長谷寺の境内の続きである。 境内はとても手入れされていて、散策していても気持ちがいい。紫陽花が満開になると、かなりの拝観者が見えるらしく、境内では工事業者がその準備をしている様子。

楽しみにしていた観音様は、とても美しい十一面観音で、背丈も大きく、手を合わせた自分がほんとに小さく感じてしまった。そういえば、奈良の長谷寺の観音様はさらに大きな大仏で、その前でも頭を垂れた自分がいたことを思い出す。
また、阿弥陀堂の阿彌陀様や、弁天窟という洞窟には弁天様の石像があり、他にも諸堂宇があって、建物は建て替えられたようで古くはないが、お参りしてよかったと思った。
写真は撮れないので、是非、ご自身で拝観にお出かけになってほしい。

さて、この長谷寺には、境内のところどころに美しい石灯籠などがあったので、ご覧に入れたい。

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鎌倉 長谷寺 -あじさいの寺- その1

長谷寺の山門
仕事にて鎌倉の円覚寺・建長寺を訪れた後、少し時間があったので、鎌倉駅の観光案内所で、どこか花のきれいなお寺はないかと尋ねたところ、まだ満開には早いがあじさいで有名な長谷寺があると紹介された。 人気の江ノ電に乗って、3つほどの駅を行くと「長谷」という駅があり、駅から歩いて約5分に、その長谷寺はある。私はあまり知らなかったが、有名なお寺らしい。弘法大師にご縁がありそうな様子なので、奈良の長谷寺と同じ真言宗だろうか。帰ってから見たホームページにも、宗派のことは書かれていない。
咲きはじめたあじさい

咲きはじめたあじさい

それはともかく、ここの御本尊は、十一面観音さまで、観音さまが好きな私としてはうれしい限り。
まだあじさいの開花のピークには早いものの、境内には、いろいろな花が見えるようなので、写真におさめてきた。

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4月のしまなみ海道

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雲居禅師350年遠忌記念事業の一環として、松島の瑞巌寺より承った『雲居禅師墨蹟集』の撮影で四国へ。
伊予の地は、雲居禅師生誕の地でもあるから、比較的墨跡などがよく残っている。
今回は、広島にある臨済宗大本山、佛通寺の撮影を終え、しまなみ海道を渡って四国へ。
穏やかな青い海に、ぽっかりと浮かぶ島がたくさん見えるこの辺りの景色は、人の心までまぁるくするようだ。

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まるで海を悠々と泳ぐような鯉のぼり! 桜も満開でなんとも美しい日本の風景です。

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高岡 瑞龍寺 2

シンメトリックで美しい瑞龍寺山門

高岡 瑞龍寺1はこちら
総門を入り山門を正面に立つと、左に禅堂、右に大庫裏がシンメトリックで美しい。
回廊をめぐると、この禅堂や大庫裏をめぐることができる。

回廊

件の禅堂であるが、入堂は禁じられているので前門から覗いただけであるが、私が知っている中では一番、単の高さが高くて踏み台があるほどで、また単箱の後ろは障子が無いためにかなり薄暗く感じた。
普段はこの状態であるから、あの吊り広告のように坐禅を組ませてもらうには予約が必要な様子だし、それにしても、ここは現在、修行道場でもなく雲水もいるようではない。ただの観光寺院にしておくには、甚だ勿体ない気がする。

さて、瑞龍寺は加賀藩二代藩主前田利長の菩提寺であるが、その利長公の墓所は瑞龍寺の中にはなく、総門を出てまっすぐに八丁道を行くと突き当たりにあるが、法堂の裏手の左には分骨石廟があるらしいので行ってみた。
ここには利長公の他に、織田信長公父子の分骨された廟も並んでいた。信長公の娘が利長公の正夫人(玉泉院)であるからであろう。本能寺の変の後に、その分骨をむかえたものとされる。
これらの石廟は富山県の指定文化財になっている。

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高岡 瑞龍寺 1

曹洞宗・瑞龍寺

今年の夏には未開通の飛騨清見IC-白川ICが開通し、そうすると名神高速の一宮ジャンクションから北陸自動車道の小矢部砺波ジャンクションまで、東海北陸道が全線開通することになり、東海と北陸との便の風通しが一気によくなる。

さて、大雪だった岐阜の白川郷から富山県高岡市へ向けて、既設の東海北陸道を利用して抜けた。白川郷ほどの雪はないが、それでも北陸も水気の多い雪が降っていた。
高岡市には臨済宗の大本山の一つ、国泰寺があるが、今回は曹洞宗の瑞龍寺という名刹を訪れてみた。

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今年はなかなかの雪が

大雪の岐阜

今年も暖冬かと思われたが、二月はけっこう京都でも雪が降った日が多い。 そんな中、車で岐阜の奥の方へ行ってきた。 走る内に吹雪で道路が見えなくなり、どちらにカーブしているのかわからなくなるくらいの猛吹雪。 もちろんスタッドレスタイヤやチェーンを履いていなければ、どうしようもないだろう。 ちょっとした恐怖心さえ覚えるほどの降り方だった。

特に下り坂は怖い。前の車に続いてゆっくりカーブを下っていくと、3台ほど前の車が突然停止し、私も含め後続車も停止した。
なにがあったのかと思って目をこらすと、下から登ってくる大型バスが道路を塞ぐように停車しているではないか。
運転手をはじめ数人が右往左往しているのが遠くに見える。

仕方なくコートを来て車からおりて見に行くと、なんと、そのバスの向こう側に寄り添うようにもう一台、バスが止まっているのだ。
二台ともチェーンをつけずに上がってきたらしいが、スリップしてしまったらしい。
しかし二台が引っ付きすぎているために、今さらチェーンを装着することもできない様子だ。
待つこと1時間。途方にくれかけたころ、私の後ろの方から巨大な除雪車が登場し、バスの前に行き、ワイヤーをかけて、引っ張り上げて行った。圧倒的な力に拍手喝采しそうになった次第。
しんしんと降る雪の中の1時間は、なかなか心まで冷える時間だった。


白川郷の雪景色

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関宿の銘菓 -深川屋の関の戸-

関宿の町並み

先日、是非とも味わってみたい銘菓がある関宿(三重県亀山市)に立ち寄る機会がありました。
日も暮れた中を菓子屋目指してすすみます。何故でしょうか、とっても暖かい感じ、どこか懐かしい感じに包まれています。
そう、明かりは全て白熱灯。ぼんやり暖かく町を照らしています。そしてどこか開放感があるような、ゆったりしているような感じは…そうです、電柱や電線が全く見当たらない!!!
ここまで違うものか…と感動しつつ、京都もこうなればなぁ…とぼんやり考えていました。

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駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠

新富士駅附近からの富士山

「駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」といわれる。 その富士のお山をみつつ、白隠禅師が開山の龍沢寺に、死活庵老師の津送に行った時のことである。 津送のことは先のブログに書いたが、この日、京都では雪が降っていたのに、この静岡では快晴。ご覧の通りの富士山の雪景色である。 上の写真は、新富士駅附近の新幹線の車内から撮影した。このあたり、製紙工場などの煙突が立ち並び、なかなかベストショットが撮影できないのだが、これはなかなかうまくいった。 右の方に大きくえぐれているところは、宝永4年(1707年)の大噴火の跡であるという。ちょうど白隠(1686-1769)がこの近くの原宿に生まれて少年のころのことである。 この白隠禅師の生涯を劇画にした『白隠和尚物語』(禅文化研究所)にも、そんなシーンが出てくる。

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暗(くらがり)峠

くらがり峠

近鉄平岡駅(大阪府)で下車し、近鉄生駒駅(奈良県)まで歩いてみた。行く手に立ちはだかるものは、大阪と奈良を隔てる生駒山地である。大阪側からの登りは傾斜も急でかなりきついが、奈良側は比較的なだらかである。

県境の暗(くらがり)峠を越える。かつては奈良と大阪を結ぶ奈良街道が通る交通の要衝であった。現在でも308号線というれっきとした国道なのだが、その狭隘さゆえ自動車の行き来はほとんどなく、ハイキングコースとして人気が高い。

峠に立つと、昼なお暗い「くらがり」峠というイメージからは程遠く、奈良方面への展望は良好であった。ただ、目の前の信貴・生駒スカイラインが展望を大きく阻害しているのが、少々残念ではあったが。

峠付近には、風情のある石畳や道標がいまも残り、峠につきものの茶店(喫茶店?)もある。かつては今よりよほど多くの人馬が行き交い、この風景を眺めながら、束の間の休憩を取ったことだろう。

峠道を下る途中で、自転車を押しながら上って行く男子中学生たちとすれ違った。
「この峠越えたらな、戎橋行ってな…」
などと話しているのには笑ってしまった。山を越えたら、すぐに大阪の繁華街だと勘違いしているらしい。彼らにしてみれば、この峠越えも、ちょっとした冒険なのだ。

峠の向こうは、あこがれと恐れのないまぜとなった異世界であるというのは、今も昔も変らないのだな、などと考えながら歩いた。

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第4回 西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 その2

菊水楼

第4回“禅と文化の旅”その1はこちら

後ろ髪ひかれる思いで円照寺を後にし、昼食の為、菊水楼へ。
文化財にも指定されているという立派な建物に皆の心も踊り、秋の味覚を堪能しました。
昼食を終えてバスに戻ろうとすると、見送りをするかのように立派な男鹿が。
関西に住む者、ことに奈良をちょくちょく訪れている者にとっては何ら珍しくない鹿も、その他の地域から来られた方には非常に珍しいようで、しばし撮影タイムとなりました。

鹿のお見送り

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曽爾高原 -奈良-

soni_1.JPG

奈良の宇陀群にある曽爾高原を訪れた。
この時期、金色に輝くすすき野原が素晴らしいのだ。

百聞は一見に如かず。

曽爾高原のすすきを見ていると、池田遙邨画伯の昭和59年の作品、「うしろ姿のしぐれてゆくか 山頭火」(京都国立博物館蔵)を思い出す。私の好きな絵だ。

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『日本にのこる達磨伝説』

お達磨の桜から眺めた月山(左)と葉山

 日本の伝説には、著名な高僧たちがしばしば登場する。それら高僧たちは各地を行脚し、困った人を助け、村人に恵みをもたらす。その中でも代表的な人物は、やはり弘法大師空海であろう。  水に不自由をしている村人のために、大師が杖で地面を突くと、そこからこんこんと泉が湧き出した、という「弘法清水」の伝説は全国に分布する。弘法大師のかわりに慈覚大師や泰澄大徳、あるいは蓮如上人などが主人公となっている地方も多い。いずれも庶民のあいだに広く知られたヒーロー的人物である。

 さて、達磨大師がそのような伝説の主人公となっている地が山形にある。「お達磨の桜」という桜の木もあるという。関連書籍やインターネットから手に入るのは断片的な情報ばかりである。
 もう半年以上前になるが、桜の咲く季節に、はるか山形の地まで出かけた。11月20日に新刊発売する『日本にのこる達磨伝説』の取材のためにである。本書は、こういった日本における知られざる達磨伝説を集成したものだ。

 山形県と聞いて、ある年代以上の人なら、テレビドラマの「おしん」を思い浮かべるのではなかろうか。貧しいながらも懸命に生きる人々の姿は視聴者に大きな感動を与え、雪深い山形の地は日本人の郷愁をさそった。
 また、山形の代名詞ともなっているのが、月山・湯殿山・羽黒山の出羽三山である。修験道の聖地として多くの宗教者が集まり、山岳修験のメッカとなった。同じく修験で有名な鳥海山や葉山、さらには山寺と呼ばれる立石寺などもある。宗教的雰囲気の色濃くただよう土地である。
 山形駅からJR左沢線の列車に乗る。朝と夕方は通学の高校生の声がガヤガヤと喧しいが、その時刻以外は静かなローカル線である。「左」を「アテラ」とは、なかなか読めまい。広大な田園地帯の中、しばらく列車にゆられると羽前長崎駅に着く。そこが達磨伝説の地、中山町である。


お達磨の桜


 「お達磨の桜」は、最上川の支流である須川のほとりにあった。その地は、かつての山形街道の渡し場の位置にあたるともいわれる。そこからは月山と葉山を望むことができる。なだらかで女性的な月山と、ごつごつと男性的な葉山が、まるで夫婦のように肩を並べる姿は雄大である。
 「お達磨の桜」とは、三株のエドヒガンの巨木の総称であるが、残念ながら一株は落雷により焼失してしまい、一株は枯死寸前である。残りの一株は幸いに樹勢盛んで、美しい花を咲かせていた。現在では町によって公園として整備がなされ、周辺にも多くの桜が植えられて桜の名所となっている。
 この桜には、名前の由来ともなった、不思議な伝説が伝わる。 

 この伝説の内容について知りたい方は、禅文化研究所発行の『日本にのこる達磨伝説』をご覧ください。


『日本にのこる達磨伝説』

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第4回 西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 その1

奈良の紅葉

11/3(金)、第4回西村惠信所長といく“禅と文化”の旅のご報告です。
行程はこちら

奈良の町は思った以上に木々の紅葉も美しく、時にバスの中から歓声があがりました。
まず目指すのは大和三門跡寺院の一つ、妙心寺派の円照寺です。普段公開されていませんので、初めて訪れる方がほとんどだったのではないでしょうか。
バスを下りてから皆で参道を歩きます。山に分け入っていく感じで、空気は徐々にひんやりと透明感を増していくようでした。江戸時代、この寺の開山であられる梅宮さまがいらっしゃった頃、門跡寺院であることから御殿と呼ばれはするものの、いかばかりの侘びしさであっただろうと思いをはせます。

参道

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紅葉情報 -高山寺-

kozanji1.jpg

私の好きな寺の1つ。明恵上人の庵として知られる高山寺です。11/4(日)に訪れましたが、なかなか美しい紅葉が見られました。紅葉を楽しみに京都を訪れる方は、どうぞ目安にして下さい。ちなみに、3日に鞍馬を訪れた知り合いは、栂尾ほどに紅葉はしていないと話していました。

開山堂付近

このあたりは、空気が違います。京都市内から30分ほど車を走らせればこんな所がある事に京都に住む有難さを感じます。

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石見銀山2 -出雲-

赤瓦のお寺

大森地区を散策するうちに気づいたこと。 さほど大きな町並みではないのだが、意外にもお寺が多いのである。 臨済宗はないようだったが、浄土真宗を主として、5~6カ寺はあったのではないかと思う。 採掘によって亡くなった方を弔うということも少なくなかったのであろう。 おもしろいのは、どの寺もこの地域の家と同じ赤瓦の本堂である。

そして、もう一つ、下の写真を是非見ていただきたい。

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石見銀山1 -出雲-

石見銀山大森郵便局

日本で一番長い名前の郵便局である「石見銀山大森郵便局」。 今回の出雲行の最後の目玉が、ここ岩見銀山遺跡である。 今年から、世界文化遺産の一つに「石見銀山遺跡とその文化的景観」が登録され、関西の駅や電車などでも広告が目立つようになった。

鎌倉時代に発見され、室町時代~明治時代までと永きにわたって銀を産出してきた場所であり、特に戦国期には、大内氏→尼子氏→毛利氏と領有がうつり、秀吉の朝鮮出兵の際の戦費にも利用されたようである。また、ここでの銀精錬方法が産出量を伸ばすことに優れていたため、その後の日本各地の鉱山技術の基礎になっているとされる。

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出雲の窯元 -出雲-

湯町窯

しばらく間があいてしまったが、出雲行きのつづきにおつき合いいただきたい。 出雲にも名の知れた窯元があり、そのなかの二ケ所に旅のついでに立ち寄ってみた。 一つは温泉として日本最古の歴史を持つ玉造温泉の程近くにある、布志名焼きの窯元「湯町窯」。ガレナ釉を使った食器で有名で、民芸の窯として知られている。 というのは、島根県出身の陶芸家・河井寛次郎、そして柳宗悦やバーナード・リーチといった人達の民芸運動によってもたらされた影響や助言をうけて育ってきた窯だからだ。 展示されているものは民芸調のものが多い。 そのガレナ釉や海鼠釉の陶器の品を自分のお土産に一つ二つ・・・。

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霧ヶ峰高原 -信州-

霧ヶ峰高原

美ヶ原高原から白樺湖方面へビーナスラインを走り、ニッコウキスゲなどの高山植物が咲きそろうことで有名な霧ヶ峰高原に訪れた。

私が訪れた時期は花期の終わりごろだったため、一面に咲くニッコウキスゲを観賞することはできなかったものの、広い草原の中で黄色く咲く花はとてもきれいだった。

丘を少し登ると、ころぼっくるひゅってという小さな山小屋(ヒュッテ)がある。昭和31年に作られた山小屋で、車の通る道路もないころから登山者の安全を守るための避難小屋として役目をしてきたそうだ。

春期から終期の間はカフェも営業されており、トレッキングを楽しむ人たちの休憩場所として利用されている。高原の見えるテラスでコーヒーを楽しみながら、冬期の雪に覆われた景色を想像するのもおもしろい。

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美ヶ原高原 -信州-

美ヶ原高原_看板

広い高原を散策したいと思い、信州にある美ヶ原高原に訪れた。

長野自動車道松本ICからビーナスラインに入り、美しい景色を楽しみながら山本小屋前の駐車場に到着。

美ヶ原高原は自然保護のため、マイカーの乗り入れが規制されている。美しい景観が守られるためなら規制に大賛成だ。

駐車場から1時間ほど歩くと王ヶ頭ホテルに到着。美ヶ原高原の頂上、標高2,034mに建つ雲上のホテルで、登山者用の山小屋として営業を開始したのが始まりだそうだ。

天気の良い日には、雲を眼下に望む絶景が楽しめる。雲海や星空を眺めながらの展望風呂もぜひとも利用してみたい。

どこまでも

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万作・狂言十八選 -出雲-

出雲大社の大きなしめ縄

実は今回の出雲行のタイミングとピッタリ日程があったので楽しみにしているイベントがあった。
狂言師・野村万作さんの「狂言十八選」第三回が、出雲大社にて奉納される講演があったのだ。
まずは出雲大社に参拝。

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出雲の屋根瓦 -出雲-

最近の日本では、瓦屋根の家が・・・ことに都会ではどんどん無くなってきているように思える。
が、出雲に行くと、ほとんどの家が瓦を使っており、太陽の光に輝く(本当につやつやと光沢があるのです!)黒や赤の瓦が目に眩しいくらいなのだ。
そして何を隠そうこの地方の屋根には、しゃちほこが!

しゃちほこのある家

そしてさらに鬼瓦には、福の神が標準装備。家によっては、打ち出の小槌が仕込まれている瓦もある。

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本福寺 水御堂 -淡路島の安藤建築-

ウェスティンからの風景

安藤忠雄さんの建築物を見ようと淡路島に渡った。
淡路島では多くの安藤建築に出会える。
まずは、大きく分けて下記5つから成る淡路夢舞台。

☆兵庫県立淡路夢舞台国際会議場
☆ウェスティンホテル淡路 リゾート&コンファレンス
☆展望テラス レストラン&ショップ
☆淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館
☆野外劇場

安藤さんの建築をまわる旅

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伊吹山 6 山裾の関ケ原

涼しい伊吹山を後にしてドライブウェイを下り、関ケ原インターへ向かう国道365号線から、ほんの200mも入ると、そこに笹尾山がある。
ここはあの天下分け目の戦いである関ケ原の古戦場、西側の大将、石田三成の陣があったところである。イメージからすると、もっと高い山のように思っていたが、ちょっとした丘のような山である。

笹尾山

戦いは今から406年前の秋、この地でたった一日で終わった。当初優勢だった西軍だが、小早川秀秋の反逆にあった西軍は総崩れとなり破れてしまい、その後、徳川の時代となるのは、ご存じの通りである。
筆者は司馬遼の『関ケ原』を読んで以来、石田三成に傾倒しているため、小早川の裏切りは許せないのである。

石田三成の陣の跡

石田三成には島左近というすぐれた軍師がいて、この関ケ原の戦いで憤死した。その勇猛さは東軍のなかでも語り草になるほどだったということである。
関ケ原の戦いの日は、もっと秋であったが、この挿すような日差しの中でこの地に立つと、彼らの雄叫びが聞こえてくるような気がしてならない。

余談だが、ここからそれほど遠くない彦根城では、今、築城400年祭が行なわれていて、ひこにゃんというマスコットで大いに盛り上がっている。
これに合わせるように、同じく彦根にあった、石田三成の居城「佐和山城」のPRとして、島左近のキャラクター「しまさこにゃん」まで登場している。本来のイメージとはだいぶ違うが・・・。

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伊吹山 5 夏の雲

「雲はわき 光あふれてー♪」 大会歌にある全国高校野球大会は今年も終わった。
わきおこる雲をみて、この歌を思い出して、思わず口ずさんでしまった。
伊吹山のお花畑もさることながら、私は雲をみていてもしばらく飽きなかった。

雲はいつも天空にあるものだが、自分が高い位置にいると、目の前や下に雲があることにふと気が付く……。


夏雲

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伊吹山 4 山野草Part3

通常のトラノオとはうってかわって、ごくごくかわいらしいイブキトラノオ。


イブキトラノオ



イブキトラノオ


こちらはルリトラノオ。瑠璃色が美しいです。こちらも茶花としてよく用いられます。


ルリトラノオ

ルリトラノオ

これはイブキアザミ。


イブキアザミ

最後にキンミズヒキ。黄色い花がとても涼しげです。


kinmizuhiki.jpg

どれもこれも愛らしい山野草。
こういった山野草の中には、絶滅の危機に瀕しているものも数多いのですが、心無い登山客に根ごと掘り起こされたり、摘み取られたりする事もあるようです。
家で大事に育てる、飾るにしろ、それは決して花を愛でる、自然を愛でる事にはならず、人間の傲慢な私利私欲から来る行為に他なりません。
自分が摘み取った品種が絶滅すれば、その原因の1つに自分の行為があるかもしれないという所まで想像が必要です。
地球環境でも何でもそうです。「まだ大丈夫だろう」との慢心が、物事の手遅れへと導くのでしょう。

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伊吹山 3 山野草Part2

本日も伊吹山の草花の紹介。

これはカワラナデシコ。 茶花としてもよく用いられるかわいらしい花です。


カワラナデシコ


黄色いのは菊科のメタカラコウ。白い泡だった花は、シシウド。シシウドは山でよくみかけますね。


メタカラコウとシシウド


ヤマアジサイ。大きく咲き誇るあじさいの花もいいですが、こういった山野に咲くつつましやかな紫陽花にも、心惹かれます。


ヤマアジサイ


シオガマギク。秋の花ですが、すでに花を咲かせつつあります。実は、この花が何なのか調べるのに、ちょっと苦労しました。


shiogamagiku.jpg

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伊吹山 2 山野草Part1

冬は雪に閉ざされる伊吹山であるが、春から秋にかけて、とても沢山の花が咲き乱れる。
これから何日かに亘って、伊吹山の草花を紹介したい。

8月に訪ねると、まずはシモツケソウが一番きれいに目立つ。
調べて知ったのだが、シモツケソウとシモツケはよく似ているが別の花。
花はよく似ていても葉が異なるのだ。さらに、シモツケソウと京鹿子(キョウガノコ)は葉っぱもよく似ているが、これも違う花のようだ。
これは、シモツケソウ。


シモツケソウ

時折、ひときわ目立って咲いているのは、コオニユリ。
自然界の色とは、人智を超越したかのようななんとも不思議なものである。


コオニユリ

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伊吹山 1 百花繚乱のお花畑

かの関ケ原の合戦があったあたり、滋賀県と岐阜県の県境にある標高1377mの山が伊吹山である。
日本百名山の一つでもあるこの山は、ヤマトタケルノミコトに関する神話があったり、『源氏物語』の「関屋」の巻にも出てくるので、伊吹山は歌枕にも使われる。
この山は薬草でも知られるが、様々な野草が自生しているお花畑があり、登山客や観光客の目を楽しませてくれる。

何かと忙しくて避暑とまではいかないが、伊吹山ドライブウェイを使えば、車で8号目まで登れるため、まさしく百花繚乱のお花畑を容易に楽しむことができるのだ。

伊吹山頂 夏雲が広がる

夏真っ盛りでも、雲が眼下に見えるほどだから、風はとても涼しい。

百花繚乱のお花畑

お花畑

次回は花にクローズアップ。

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近江八幡の水郷

筆者の自坊からそう遠くない、滋賀県近江八幡市には、琵琶湖につながる水郷地帯がある。
群生する葦の間を入り組んだ水路が通っていて、安土の内湖へと繋がっているのだ。

近江八幡の水郷

近江八幡の水郷

近江八幡の水郷

ご覧の通り、人口建造物が見えないポイントもたくさんあり、私のお気に入りのスポットである。
しかし、案外、読者諸氏もこの風景を見たことがあるかもしれない。というのも、テレビの時代劇の撮影で時折この辺りが使われているからである。
また、「水郷めぐり」という、和船で水辺を楽しめる観光でも有名だ。

今年の夏は格別に暑い。この風景でもみて、心を涼ませてみてはいただけぬだろうか。

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-赤膚焼(あかはだやき)- 奈良

赤膚山元窯 古瀬堯三

奈良の中心部から少し車を走らせた所にある赤膚焼の窯元(奈良市と大和郡山市に点在)。
遠州七窯の一つにも数えられている。 
奈良へ観光でやって来ても、ここを訪れるのはお茶かお花をする方だろうか。
焼き物好きが訪れる窯元という感じの場所では無い気もする。
奈良に家元(円照寺門跡)がある山村御流の華展では、よく赤膚焼の花器を目にする。
私がよく訪れるのは上の写真、古瀬堯三氏。日常に使える器から茶道具まで、多くの器達が迎えてくれる。

初めて来た際は、こんな所に立派な登り窯を構える窯元があったのかとびっくりした次第。
赤膚という変わった名称。地名からという説と、鉄分を多く含む陶土を用いる為、素焼きした表面が赤くなるからという説があるらしい。
赤膚焼の特徴といえば、なんともいえないとろりとした(感じの)オフホワイト色の釉薬、そして奈良絵。
この奈良絵は、お釈迦様の生涯を描いた絵過去現在因果経に由来すると聞いたが、奈良らしく、五重の塔や鹿などもお目見えするなんとも愛らしい図柄なのである。

奈良絵_家奈良絵_やっこさん?!

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春日大社

奈良県は春日大社を訪ねた。

参道にならぶ苔むした石灯篭

奈良公園の山側に位置するここは、緑に包まれて神聖な空気が流れているようだ。 参道をいくと、苔むした沢山の石灯篭がならび美しい。

境内にはいると神殿の回廊などにはたくさんの灯篭が釣り下げられている。


たくさんの灯篭


ちょうど我らが忙しいお盆の頃、8月14日・15日には中元万灯篭という行事が行なわれ、これらの灯篭すべてに灯がともされるらしい。境内には3000もの数があるという。さぞや幻想的であろう。
そのときに訪れてみたい気もするが、職業柄、絶対に不可能ではある。

巫女さんの袴の朱色が映えてあざやかだった。


巫女さんの袴の朱色があざやかだ

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伊勢神宮の朝

伊勢神宮の鳥居

朝のお伊勢さんの空気は格別だ・・・とのお誘いを受けて、久々にお伊勢参りへとでかけた。
参道に立ち並ぶ店の軒には、燕の巣だらけ。まだ観光客も訪れていない朝、親燕達がせわしなく餌を求め飛び交う。
天照大神をお祀りする内宮への道は、朝8時半頃という事もあってまださほど人も多くない。
と、少し脇にそれた道になんとも私達を引きつける立派な杉の大木が。あちらの道を歩こうと、ほとんど人気の無い道を行くと、お参りを終わられた初老の紳士が前から・・・。ひと目見るだけで、「この方は毎日か毎週か、必ず定期的にお参りされている方だな」とわかる清らかな雰囲気。歩き方、姿勢にその方の心が現われていた。

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柳生の里 -あたやの石仏-

あたやの石仏

車で前を通った時に、なんとなく雰囲気を感じて川を挟んだ向こう側を見ると、木の影からこのあたやの石仏が見えたので車を降りてお参りしたが、本来歩いてお参りすべき石仏郡のひとつである。

元々、このあたやの石仏のあたりには阿対(あたい)寺があったらしく、それにちなんであたやの石仏といわれているらしい。
高さ約5m、幅約3メートルの石に刻まれており、中央が鎌倉末期の阿弥陀如来で、流行病よけの願いをきいてくれるという。
左側が地蔵菩薩で、室町時代の作。右肩に作者の名「源佑」が刻まれている。こちらは、子供のない人が豆腐を供えると子が授かるそうで、子供が出来た時には一千個のじゅずを作り、お礼参りをするのだとか。確かに、長い長い数珠がいくつか納められていた。
古くから人々の信仰を集めている柳生の里の様々な石仏。現在では観光地のようになっているのかと思っていたが、やはり今も人々の拠り所となっている事は確かであった。

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第3回 西村惠信所長と行く、“禅と文化”の旅

承天閣美術館

平成19年5月30日(水)、たくさんの方にご応募いただいた“禅と文化”の旅、第3回目を終えました。
くわしい行程はこちら

【承天閣美術館 若冲展-釈迦三尊像と動植綵絵-】

この日はあいにくの雨(実は禅と文化の旅、雨の日が多いのです。雨男・雨女はいずこ・・・)。
京都駅を出発し、連日多くの人で賑わっているという、相国寺承天閣美術館にて開催中の「足利義満600年忌記念 『若冲展』-釈迦三尊像と動植綵絵-」をまず拝観致しました。
釈迦三尊像と動植綵絵が120年ぶりの再会といわれていますが、なぜなのでしょうか。この展示のいきさつについては、承天閣美術館HPに詳しく書かれていますので、是非ご覧下さい。
青物問屋の息子であった若冲だからこそふんだんに用いる事のできた、当時高価であった「白」。
また、他の様々な色を使って精緻に描かれた数多くの動植物、そして正面に釈迦三尊像。筆舌につくしがたいものでした。
江戸時代を生きた若冲が、いのちとは何か、信仰とは何か、今の時代の我々にその尊さを問いかけていました。
短い会期の間に、日本全国からひと目これを観たいと集まる人々。みなさん、このような大作を相国寺に寄贈した若冲の心、思いを感じた事でしょう。

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柳生の里 -天石立神社-

天石立神社

巨石を御神体とする、天石立(あめのいわたて)神社を訪れた。

少し汗ばむような陽気の日、この神社へと続く道は頬をなでる風がひんやりとして心地よい。
鬱蒼とした木々の中を進んでいくと、ゴロゴロと巨石が・・・。
四つの巨石の総体を、天石立神社と呼ぶ。
伝承では、高天原にて手力雄命が天岩戸の扉を引き開けた時、力余ってここまで飛んで来た扉こそまさにこの巨石なのだそうな。

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柳生の里 -柳生家墓塔 芳徳寺-

柳生家の墓塔

柳生家菩提寺、芳徳寺にて、柳生一族が眠るお墓へお参り。

緑溢れる敷地を少し歩いて行った所に、歴代が眠っている。
何代も続けて、先祖代々の地に眠る・・・。現代では少なくなってきた事だろう。

墓前の地蔵柳生家歴代の墓

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柳生の里 -柳生家菩提寺 芳徳寺-

芳徳寺

兵法の 梶をとりても 世の海を
       渡りかねたる 石の舟かな

中学生か高校生の頃だったか、この柳生石舟斎の句を耳にし、なんとなく「かっこいいな」と思ったものの、特に柳生の里にまで足を向ける気にもならずに過ごしていたが、先日やっと訪れてみた。
ここ、芳徳寺は、石舟斎の菩提を弔う為、その子宗矩が創建した大徳寺派の禅寺。
開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。
歴史上の人物が当時の名僧と親交があったり、居士として禅の修行に励んでいたりする事はよくある事だが、特にこういった所を訪れても、何宗のお寺なのか、なぜその宗派の寺を菩提寺としているのか・・・などとはあまり関心が持たれぬ事も多い気がする。
観光地と化してしまった寺では、何宗の寺なのかを知りたくても、拝観チケットやパンフレットにも書かれていないなんてことも無きにしもあらず・・・。
その人物の背景や、寺の創建の由来などを知ってこそ、歴史への理解も深まり、旅もより一層味わい深いものになる。
是非、お寺を拝観される際は、お庭に心癒されるのももちろんだがその他の事にも少しづつ興味を持っていっていただきたい。

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堅田 真野川の鯉のぼり

真野川の鯉のぼり

大津市堅田に流れる真野川では、地元の小学生が作った鯉のぼりが元気に泳いでいました。
1つ1つ違う模様の鯉のぼり、とても上手に出来ています。
ここを通る人の心を和ましてくれますし、こちらも、地元の小学生達が、健やかに心強く成長する事を願います。

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稲葉山城 -岐阜-

ちょうど岐阜に出かける機会があった為、司馬遼太郎氏の『国盗り物語』を読み、歴史にはまってしまっている私は、かの斉藤道三の居城、稲葉山城(信長の時代より、岐阜城)を訪れた。

天守閣からの眺め

どうやったらこんな所に?! という山のてっぺんにその城はある。
美しい長良川を眺めつつ、戦国の覇者達への思いにしばし浸ってしまう。
どのような思いでこの城から城下をみつめていたのか……。

稲葉山城 -岐阜-の続きを読む

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世に聞く吉野の桜

本ブログでは、桜の話ばかりが続く感がするが、日本一の桜の名所ともいわれる、奈良県は吉野山に行ってきた。
奈良県吉野郡吉野町。
ここから和歌山にかけて繋がる紀伊山脈は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、2004年に世界文化遺産に登録された。
この吉野の山には、下千本、中千本、上千本、奧千本と呼ばれる4つのエリアにわたって、約1カ月かけて桜が咲き乱れていくそうで、でかけた日は上千本が満開になりはじめた頃である。
というわけで、桜も満開ならば、人も多いことこの上ない。


世に聞く吉野の桜

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長谷寺

真言宗豊山派の総本山、奈良の桜井市にある、豊山・長谷寺を訪ねた。


長谷寺山門


桜、木蓮、藤、紫陽花、紅葉、寒牡丹と、一年中、花の絶えないお寺として有名ではあるけれども、今が一番花が少なくひっそりしているのではないだろうか。
私は人でごった返しているお寺より、ひっそりと閑静なお寺にお参りする方が心が落ち着くので好きだ。

長い回廊の階段

長い回廊階段を登り詰めていくと、途中、終わりかけの寒牡丹とは裏腹に、蝋梅が咲いて、いい香りを放っていた。足元には福寿草もきれいに咲いていた。

いい香りを放つ蝋梅 福寿草

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第2回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅

去る11月11日(土)、恒例のバスツアーを催行致しました。
この秋は、混雑する京都を避け、滋賀への旅を企画。
禅や美術に触れる旅となりました。
当日の天気予報は雨・・・でしたが、さほど降られる事もなく、無事全行程を終えさせていただきました。

くわしい行程はこちら
前回の旅行はこちら

大池寺_蓬莱庭園

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飛騨高山 渋草焼・屋台?!

10月15日、飛騨高山を訪れた。
いつも高山を訪れるのは、大好きな釜元があるからだ。
渋草焼といって、精緻ながらもなんとも温かい絵が気に入っている。>当代は6代目で、戸田柳造氏。

茶道具はそれなりの値段だが、普段使いの湯のみや皿は求めやすい値段で、使っていると何とも言えない愛着が湧く。
今回も、そんな陶器達に惹かれこの地を訪れた。

と、警備員さんが道を歩く私に「屋台はそっちの道からいくと並んでるよっ!」と・・・。
「屋台?別に私お腹空いてませんけど・・・」と思いつつも、言われた通りの道を行くと、曲がった途端に目に入ってきたのは!!!

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金沢 -兼六園-

徽軫灯籠

水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つ、兼六園に訪れた。
延宝年間(1673~81)、5代藩主前田綱紀が造らせた蓮地庭である
現在の姿は13代藩主斉泰の時代に完成したもの。約11.4万平方mの敷地だという。

-兼六園-の名は、六つのすぐれた景観「六勝」を兼ね備えていることから名付けられたという。
今回この時期に訪れたが、是非一度冬の雪景色も見てみたいと思った。
また、訪れるようであれば、成巽閣は是非拝観されるのが良いと思う。

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金沢 -21世紀美術館-

21世紀美術館_ガラス張りの美しい建物

21世紀美術館。
この手の美術館を敬遠しがちな私であるが、美術の仕事に携わる人から行くべきだと言われ訪れてみた。
楽しい!!! 
建物も展示内容も近代的。 なのに古都金沢にマッチしている。
浮いた存在にならず、この古都に上手に溶け込んでいて、それにも驚かされる。

プールの中にて

プールの中で写真を撮ってみました。
これ、どうなってるかわかりますか?
是非行ってみて下さい。 他にもいろいろな不思議と楽しさを体験できます。

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白川郷 -どぶろく祭-

御輿が社へ

世界遺産、白川郷を訪れた。
今回のお目当ては、ちょうど土日と重なった-どぶろく祭-。
白川郷にある白川八幡神社(創建は和銅年間と伝えられる)では、毎年10月14日、15日と、このお祭が執り行なわれる。
白川郷は、平家の落人の隠れ里といわれ、外との交わりをほぼ断っていた人々が、各々の家で稗や粟で酒をつくり、なぐさみとしていたようである。
このお祭は、新穀豊作に感謝する新嘗祭に由来する行事であろう。
参拝者にふるまわれるどぶろくは、古くから受け継がれた技法をもって、雪深い1月下旬に、神社の酒蔵で造りこまれるらしい。
甘みと酸味、清らかな水の味、生きている糀の味、一度にいろいろな新鮮な味を感じられ、とても美味しいものだ。

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紀州備長炭

備長炭を焼く窯

和歌山を訪れた際、備長炭を作っている所を訪ねてみた。

水やご飯を美味しくし、部屋の空気を浄化。靴箱や冷蔵庫では脱臭材。
紀州の備長炭は、身体にも自然にも優しく、万能なので愛用中。

最近では、シックハウスから住む人を守ると注目されているようだ。
また、家庭菜園なんかの肥料にも炭のくずが使われているとか。
その他にも、利用法は無限にありそうな備長炭。
まわし者のようだが、単に素晴らしさをお伝えしたいのみ。
一度おためしあれ。

出来立ての備長炭

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西明寺 -ご開帳-

美しい三重の塔

湖東三山の本尊がご開帳。今回は、西明寺を訪れた。

天台宗の寺院で、平安時代(834)に仁明天王の勅願により、三修上人が建立した寺だという。

湖西にいた三修上人が、東の空に紫色の雲がたなびくのを見て、かけつけてみると、池の中から薬師如来が現われたのだという。その場所に建てられた事もあり、池寺(いけでら)とも呼ばれ、ここの地名も池寺というそうだ。

こちらのご本尊は薬師如来で、脇侍の日光菩薩月光菩薩も非常に美しい。

それにしても、山を登って漸く本堂にたどり着くあたり、百済寺も金剛輪寺もこの西明寺もとてもよく似ていて、私は頭の中で3つを鮮明に思い出す事ができない。

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金剛輪寺 -ご開帳-

百済寺から車で北に10分ほどのところに、同じく湖東三山の一つ、金剛輪寺がある。
ここも天台宗開宗1200年にあわせ、秘仏「聖観世音菩薩」のご開帳を行なっている。


金剛輪寺の参道


ここは、当時の住僧の機転で、寺の上の山林に自ら火をつけ、本堂が焼け落ちたと偽って、信長の焼き討ちから逃れたという。

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百済寺 -ご開帳-

ご開帳でにぎわう百済寺

以前も書いたが、近江の百済寺にて、本尊十一面観世音菩薩のご開帳(9/18~10/27)があり、参拝した。
今まで見たことの無いようなお顔のように思った。
つらつらと感想を書くのも気が引ける。是非この機会に近江まで足をお運びいただきたい。
他に湖東三山の、西明寺・金剛輪寺も同時に秘仏が公開されている。

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堤側庵 -三重県名張市-

堤側庵

名張の知人に連れられ、とあるギャラリーを訪れた。
このギャラリーへの道は、どことなく情緒があり、尋ねてみるとやはり昔は伊勢参りの為の街道-初瀬(はせ)街道-だったとか。
そんな街道沿いにある、提側庵(ていそくあん)は、古い家屋を改造して作られたギャラリーだ。
古い建物や、立派な古い梁を生かしつつ改築し、現代的に開放された空間が居心地良い。

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賤ヶ岳

賤ヶ岳からの眺望

言わずと知れた、秀吉と勝家による天下分け目の戦いが繰り広げられた地である。
古戦場を訪れるたびに、「一体どうやってこのような所で、甲冑で身をかため、激しく戦ったのであろうか・・・」と思うばかりである。
今となっては、つわものどもが夢の趾・・・か。

美しい湖北からの琵琶湖

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岡山 倉敷 美観地区・民芸館・大原美術館

倉敷 美観地区

倉敷の美観地区は、平日ということもあって観光客が少なかった。 まずは倉敷民芸館を尋ねた。 ここを訪れるのは初めてだが、かなり見応えのある所蔵品の数々だった。日本だけでなく世界中の民芸品が集められている。現在は籠をテーマにした展示をされていた。 建物も江戸時代からのものらしく、中庭も印象深い。

倉敷民芸館 中庭

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岡山 吉備津神社・国分寺跡

岡山市の西に吉備津神社という神社がある。
桃太郎伝説のモデルとなった神話が残る神社である。
通り雨の上がるのを待って、木立の中の階段を上がり、本殿に至る。
残念ながら、現在、本殿の檜皮葺き替え工事のまっ最中で、「吉備津造り」といわれる壮大な全体像を見ることができなかったが、かなり大きな本殿であるのがわかる。
本殿右側には、奥の三社神社の方へ続く長い長い回廊があった。


吉備津神社の長い回廊


ところで、あの栄西禅師は、この吉備津神社の子として生まれたのである。

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岡山 備前焼

布袋香合_備前焼小西陶古作

少々わかりにくいかもしれないが、ごらんあれ、この布袋さんの足の親指。まるで生きているようでしょう?

岡山県の伊部(いんべ)駅の近くの備前焼きの里にならぶ窯元の店を歩くうち、ある一軒の店に入ると、少し耳の遠いおばあさんが店番をされていた。
ふと見ると、店の机の上に読みかけの『床の間の禅語』が置いてあるではないか。
おばあさんに、「この本は私の勤務先が出版している本なんですよ」と言うと、「いろいろとあるけど、この本が一番いいので、いつも側において読んでいる」と嬉しいお言葉。ご子息が禅の本を何冊か持っていらして、その中でもこの本が一番良いとおっしゃっているとも伺った。有難いことである。
そういうご縁に根っから弱い私は、この店がとても気に入った。
それだけではない。この店の随処には山野の花がきれいに活けてあった。
そこにあったこの布袋さんの香合を買い求めたのである。
陶芸家は、小西陶古という女性作家である。
土は備前のものだけを用い(最近ではなかなか土が採れないらしく、他の土地の土を混ぜて焼くものがあるそうだ)、窯は松割木だけで焼くという方法に拘っておられるようだけあって、色合いが非常に美しい。
(E.N. Wrote)

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近江のかくれ里-百済寺-

本堂へと続く石段

白洲正子さんの『かくれ里』や、五木寛之氏の『百寺巡礼』などにも出てくる、近江の百済寺(ひゃくさいじ)を訪れた。
白洲さんゆかりの地を訪れたかったのと、以前MIHOミュージアムで見た如意輪観音を本堂にて拝みたかったからだ。 百済寺は、推古天皇の時代に、聖徳太子の御願により百済人のために創建されたそうだ。 滋賀にはこのように聖徳太子にまつわるお寺や土地が数あるようだ。興味深い。

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岡山 後楽園

岡山後楽園 岡山城が見える

日本三名園のひとつ岡山後楽園は、閑谷学校を造った池田光政の長男、岡山藩主の池田綱政公が造らせた庭園である。

庭園には水が流れて涼しい

広大な敷地に広がる庭園には、大きな池が在り、水がながれ、岡山市内とは思えない景色だった。 暑い夏の日ではあったが、気持ちが大らかになった。

岡山城は烏城とも呼ばれる

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岡山 閑谷学校

讃岐うどんを食べた高松を後にして、岡山へ渡った。
岡山では、まず閑谷学校へ。約300年以上前、備前藩主池田光政が庶民教育を目的に開いたという学校で、その講堂は、今は国宝に指定されている。
掃除がゆきとどいており、とても気持ちのいい場所だ。ここで学んだ人たちは、後に出世した人も多いのだが、素晴らしい土地を選んで学校を作り、それも庶民に学ばせようとした光政侯の遺徳が忍ばれる。


閑谷学校の門

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讃岐うどん

禅の修行道場(僧堂)での食事は、本当に質素なものだ。その中で一番の御馳走は何か?と聞かれたら、迷わず「うどん」と答える禅僧が一番多いのではないだろうか。
僧堂で食べるうどんは「湯づきうどん」。一般的には釜揚げうどんと呼ばれるが、湯立てたうどんを、ツケだれですするのである。普通は音を立てずにもくもくと食べるのが僧堂の食事の様子なのだが、こと、うどんの時には、ずるずると音を立てることが許され、お変わり自由食べ放題といったところだ。

さて、そういったことから、私自身もうどんは大好きな部類に入る。
椎名誠氏の小説にも出てきて、以前から一度現地で食べてみたかった讃岐の生醤油うどん。遅めの夏休みをいただいて、ちょっとした旅に出たので、高松に行って食べてきた。

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近江のかくれ里

近江の里

最近ふと読み返そうと思い読んでいる本がある。
白洲正子著『かくれ里』。

大好きな京都のお隣であり、歴史深い地でありながら、最近まで全く興味の無かった「近江」に興味を持ち始めたからだ。
彼女が紹介している場所を、本を読んだからといってそのまま訪れるのはいささかおこがましい。
白洲さんにも、「自分の足で探しなさい」と言われそうだ。
だが、白洲さんを10年ほど前に知り、『かくれ里』も読んだはずなのだが、京都ばかりに注目し、見向きもしなかった滋賀に着目するまでには10年近くかかったのだ。そこまでたってやっと心の底から、
「あぁ、滋賀を知らなくては」
と思った。自然と思うに至ったのには、「そろそろ行っても良いだろう」との御許しが出たのだと勝手に自分なりに解釈したい。

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