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茶の湯 -相国寺派 有馬頼底管長-

濃茶点前をされる管長

DVD撮影の一環として、この日は相国寺派、有馬頼底管長の茶の湯のお点前を撮影させていただいた。
撮影カメラがあろうとも、何ら気にされることもなく、淡々と濃茶点前をされる有馬管長。
午後からは初釜があるとのことで、お正月らしい道具組に新春の訪れを感じ、また管長のお点前を近くで拝見させていただける事に嬉々としつつ……。
茶碗にはかれたお茶に管長が湯をそそがれると、茶室いっぱいに何とも言えない茶の香りが。
湯あいもちょうど良いようで、松風が耳に心地良い。
床を拝見すると、浙翁如逅ー筆「水僊(すいせん)」の字。春の訪れをいち早く告げるその花のけなげな愛らしさを思い浮かべる。
何畳かの、決して広い空間とは言えない茶室にでも、五感をフルに働かされるほどの色々がつまっており、それを感じる喜びも、茶の湯の楽しみである。また、改めて季節ごとの恵みを感じる事で日頃への感謝の気持ちも自然と湧いてくる。
しばし仕事である事を忘れ、至福の時を過ごさせていただいた。

と、濃茶が練り上がり、「せっかくやし、あんたら飲みぃ」と管長のお言葉。
ありがたく頂戴すると、口いっぱいにとろりとした心地よい甘みが拡がるのと同時に、少しの渋みが意識を覚醒させ、背筋が伸びる心地がした。

本席の軸

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待合 -DVD撮影 相国寺にて-

待合


昨日に引き続き、DVD撮影にて訪れた相国寺。
管長の茶の湯点前の撮影だが、ちょうどこの日は午後から初釜があるとのこと。
待合を少し覗かせてもらった。

待合(まちあい)とは、招かれた客が待ち合わせる、茶事や茶会の為に茶室に入る前の待機場所のような部屋で、この日の待合は上の写真のような床飾り。
待合といえどもさすが、お軸は仙厓さんとのこと。
力強い結び柳には、新年を迎え、今年も無事過ごせるよう祈る気持ちになります。
ねずみの置物は、寺に縁ある人の作品でしょうか、愛嬌を添えています。

仏手柑

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雪の相国寺

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一連の管長老師の収録(禅文化研究所より、この春にDVD発売予定!)で、相国寺を訪れました(1/27)。
この日は朝から雪。家を出る時から、「雪降る寺の美しさはいかばかりか…」と、寒いながらも心は暖かく楽しみにでかけました。
静かな境内で、音もなく空から舞い降りる雪。高くそびえ立つ法堂。
桜や紅葉の気候の良い時ばかりではなく、多くの人にこの寒い凛とした空気の京都も味わって欲しい気持ちでいっぱいになりました。
観光客誘致の為、冬の京都では非公開寺院の特別拝観を行なっていますが、これは観光客にとっても本当に良い機会だと思えます。
どちらかというと、寒い冬には人の気持ちは内にこもりがちかもしれません。ですが、そんな時にこそ、さらに自分を見つめるべく、静かな所を訪れてみるのはいかがでしょうか。

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撮影のあった、大光明寺の門前。撮影風景などのレポートは、明日明後日とアップさせていただく予定です。

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陶工に号をつける -山寺のある一日-

寒い寒い山寺

この山寺に、二人の青年が突然登って来たのは、もう十年も前のことである。一人の方は、村の若者であった。二、三年前に、お婆さんのお葬式を出したので憶えていた。もう一人の方は、初顔であった。村の青年が言うには、その若者は、青年の奥さんの弟で、出身は大阪。九州は伊万里で修行した陶工だという。姉の縁を頼って、この村に自分の窯を持つことになった。ついては、陶工としての号をつけてほしいと言う。

「しかし、号などというものは、お師匠さんからいただくものじゃないの」。わたしは、ひとまずそう言って逃げた。「号をつけてほしい」と聞き、実は少し緊張したのである。わたしには、子供もなく、弟子なども持ったことがないので、誰かに名前をつけるということをしたことがない。もちろん坊主なので戒名はつけるが、生きている者の場合とでは、やはり違う。死んだ人が、わたしの戒名を背負って、あの世とやらで生きていっているのかは知らないが、この青年陶工は、確実にわたしがつけた号を背負って、これからの陶工人生を生きていくのである。号〈ゴウ〉が、業〈ゴウ〉になったらどうするのだ。そう思うと、なかなか容易には引き受けられなかったのである。

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「白隠フォーラム」開催のご案内

鍾馗図_白隠慧鶴 禅文化研究所蔵


花園大学国際禅学研究所主催 東京禅センター協力のフォーラムについて、お知らせです。


【白隠フォーラム】

日本臨済宗中興の祖 白隠慧鶴禅師の禅画に関する講演会を開催いたします。一般民衆に対して、禅画や仮名法語など平易な手段を用いて禅を説かれた白隠禅師の禅風を禅画から探っていきます。
なお、司会は禅僧になったアメリカ人のトーマス・カーシュナーさんです。

 日時:平成20年2月14日(木)午後12時30分~4時(開場12時)
 会場:学士会館 東京都千代田区神田錦町3-28
        http://www.gakushikai.or.jp/facilities/facilities.html
 定員:200名
参加費:無料

【講演タイトル】

 島尾 新     多摩美術大学教授 「白隠ー禅宗絵画の特異点」

 芳澤勝弘   花園大学
          国際禅学研究所教授 「新出の白隠禅画について」

 ノーマン・ワデル  大谷大学名誉教授 「白隠禅画の賛について」

≪お申し込み・お問い合わせ≫

  花園大学国際禅学研究所 京都市中京区西ノ京壺ノ内町8-1
              TEL:075-811-5181(内線651)
              E-mail: forum_hakuin@yahoo.co.jp
              http://iriz.hanazono.ac.jp/

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アジャンター石窟寺院その2 -インド-

第1窟 蓮華手菩薩

仏教窟として有名なアジャンターの石窟群は、第1窟~第30窟まであり、それぞれが部屋のように存在しており、僧院を石窟に置き換えたヴィハーラ窟と、ブッダを象徴するチャイティヤ(聖なるもの)窟があります。時代としては、紀元前1世紀頃の前期窟と紀元5世紀の後期窟にわかれます。

暑いインドの夏でも比較的涼しいヴィハーラ(僧が起居する)で、昔のインド僧達は修行を積んだのです。実際にインドの修行僧が寝起きした所に自分が足を踏み入れさせていただける事に感動を覚えつつ…。
中でも、比較的美しく壁画が残る事で有名な第1窟(6世紀建造)からまずはご紹介します。
フラッシュ無しでなら写真を撮る事も可能でした。
1番目の写真は、法隆寺金堂に見られる菩薩のモデルとして有名な、“蓮華手菩薩”です。
また、ブッダ像を挟んであちら側には、金剛手菩薩の壁画も。有難いことに、ブッダを守護する菩薩像は、現在も美しくその姿をとどめていました。

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相国寺特別拝観 -京の冬の旅-

相国寺 開山堂

京都市観光協会主催の、非公開文化財特別公開がはじまっています(3/18まで)。
冬は寒くて…と、なかなか足を運びにくい京都ですが、凛とした空気の中、名刹を訪ねるのは心身ひきしまる思いがして、とても良いものです。

今回の冬の旅では、臨済宗の本山の中では、 >相国寺の開山堂(かいさんどう)・法堂が公開されています。開山堂はめったに公開されません。庭も特徴ある枯山水で、丸山応挙の襖絵も必見!
法堂の龍は、八方睨み・鳴き龍で、ボランティアガイドの方が色々と説明してくださるので、禅寺に足を踏み入れた事の無い方も、興味深くご覧いただけるかと思います。
また、山内の塔頭では、水上勉氏の直木賞受賞作『雁(がん)の寺』で有名な瑞春院も特別公開中です。
お寺の中の寒さ、床などの冷たさは想像を絶するものがあります!是非暖かくしておこしくださいね。

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永源寺を訪ねて

新緑の頃の永源寺山門

禅僧のことばのDVDシリーズ収録も、第一弾の予定は、残すところ大本山永源寺管長、篠原大雄老師だけとなった。 先日、その事前打ち合わせの為に、撮影監督の映像工房サンガの児玉氏とともに、冬の永源寺を訪れた。

永源寺派の本山である、瑞石山永源寺は滋賀県東近江市、名神高速八日市インターから車で約10分の山間にある。新緑の季節、あるいは紅葉の季節には、とても多くの拝観客が来られるこの永源寺ではあるが、この冬の時期には、附近の民間駐車場や土産物屋も閉ざされており、境内には文字通り人っ子一人見えない。

管長老師との約束の時間より少々早く到着したので、誰もいない山内を散策した。何度も永源寺には来たことがある私だが、この季節、そして人のいない境内を歩くのは初めてのことだった。
やはり禅寺はこうでないと......、きれいに掃き清められている上に、誰もいない深閑とした冷たい空気。
開山の寂室元光禅師は、この山紫水明な仙境をことのほか愛されたというのがわかるようである。
何度か兵火にかかり、伽藍は焼失して再建されているが、江戸期に建立された山門は美しく、文化財に指定されている。

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暗(くらがり)峠

くらがり峠

近鉄平岡駅(大阪府)で下車し、近鉄生駒駅(奈良県)まで歩いてみた。行く手に立ちはだかるものは、大阪と奈良を隔てる生駒山地である。大阪側からの登りは傾斜も急でかなりきついが、奈良側は比較的なだらかである。

県境の暗(くらがり)峠を越える。かつては奈良と大阪を結ぶ奈良街道が通る交通の要衝であった。現在でも308号線というれっきとした国道なのだが、その狭隘さゆえ自動車の行き来はほとんどなく、ハイキングコースとして人気が高い。

峠に立つと、昼なお暗い「くらがり」峠というイメージからは程遠く、奈良方面への展望は良好であった。ただ、目の前の信貴・生駒スカイラインが展望を大きく阻害しているのが、少々残念ではあったが。

峠付近には、風情のある石畳や道標がいまも残り、峠につきものの茶店(喫茶店?)もある。かつては今よりよほど多くの人馬が行き交い、この風景を眺めながら、束の間の休憩を取ったことだろう。

峠道を下る途中で、自転車を押しながら上って行く男子中学生たちとすれ違った。
「この峠越えたらな、戎橋行ってな…」
などと話しているのには笑ってしまった。山を越えたら、すぐに大阪の繁華街だと勘違いしているらしい。彼らにしてみれば、この峠越えも、ちょっとした冒険なのだ。

峠の向こうは、あこがれと恐れのないまぜとなった異世界であるというのは、今も昔も変らないのだな、などと考えながら歩いた。

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『京都五山 禅の文化展 』 -九州国立博物館-

九州国立博物館

太宰府の九州国立博物館にて、-足利義満600年御忌記念「京都五山 禅の文化展」-が開催されています。
 *2月24日(日)まで

京都五山とゆかりの寺院から、中世の禅文化の名品が一堂に集うまたとない機会。
来館の皆様には、栞いろは歌-禅のことをもっと-を配布させていただいております(なくなり次第終了)。お近くにお住まいの方、期間中に九州をご旅行される方は是非ご高覧下さい。

会期中には、様々な講演会や、坐禅会(HPに詳細あり)も開催されるようで、ただ鑑賞するだけでなく、実体験もできる企画があります。

この展示、地元京都では開催されない為、非常に残念なのです。
京都に五山があっても、その名品を一度に見る機会はほぼあり得ません。

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禅寺に忍者あらわる?!

天龍寺の達磨さん


*嵐山・天龍寺にて

「和尚さん、ここは禅宗の寺ですよね?」。
「そうだよ」。
「どうして忍者がいるんですか?」。
と、20代ぐらいの若者が尋ねます。

何を言っているのかわからず聞き直すと、若者は庫裡(くり)玄関の衝立の達磨大師図を指すのです。
朱の頭巾を被った半身達磨の大衝立です。

「これは達磨大師といって、インドから中国へ仏教を伝えた人だよ」。
「へ~、そうですか!忍者じゃないんだ!」。

近頃の若者たちは達磨を知らぬのか!
昨年末、禅文化研究所から出た『日本にのこる達磨伝説』でも読んでみなさい!と言いたい気分であった。
起き上がり小法師・達磨さんとにらめっこ・選挙七つ道具の一つ、当選すれば達磨に目を入れて万歳!などなど、そういったものを知らないのであろうか…。
仏教がインドで起こり、中国に伝来する立役者となった達磨大師も、時代と共に忍者に化けるのかと苦笑しました。

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アジャンター石窟寺院その1 -インド-

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今回の旅のメイン。アジャンターの石窟寺院を訪れます。
拠点となるオーランガバードの町から、車で2時間半ほど。
途中、デカン高原の壮大な景色を目の当たりにします。
昔、地理の教科書を見つつ、なんて広い地域にまたがっているんだろう…と思っていた事を思い出します。

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禅僧の言葉 -建仁寺管長-

早朝の建仁寺境内

一連の管長老師のビデオ収録で、臘八接心のあけてまもない早朝の建仁寺僧堂を訪ねた。 建仁寺へと拝観者が多く訪れる本坊庫裡とは少し離れた場所に建仁寺僧堂はある。 本日お話をうかがう建仁寺管長の小堀泰巌老師とも親しく接したことがなかったが、わが国の最初の臨済道場である建仁寺は、臘八開けとはいえ、ピリっとした空気で澄んでいた。

建仁寺僧堂

案内を請うと、「ど~れ~」という対応の雲水の声がひびき、我々は海北友松の障壁画のある書院に通された。この部屋での収録である。床の間には白隠禅師の達磨図がかかっている。 方丈の前には回遊式の素晴らしい庭園があると聞いていたが、もちろん目にしたのははじめてのこと。大変うつくしい庭にしばし目を細めさせていただいた。

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墨跡勉強会 -東京禅センター-

本日は、臨済宗妙心寺派の東京禅センターから、講座のおしらせです。
なかなか他では無い機会かと存じます。東京近郊の方は是非ご参加下さい。

【墨跡勉強会】

花園大学・国際禅学研究所の芳澤勝弘先生をお迎えして「墨跡勉強会」を開催しております。墨跡に興味のある方、自坊の墨跡を詳しく調べたい方、真贋を知りたい方などが対象です。様々な角度から墨跡を学んでゆきます。初めての方もどうぞご参加下さい。予約は不要です。

【日 程】平成20年1月28日 (月)  午後2時~5時    
 
【講  師】   芳澤勝弘先生(花園大学 国際禅学研究所)
【会  場】   東京禅センター(世田谷区・龍雲寺会館内)
【会  費】   2,000円
        
≪お問合せ≫
         臨済宗 妙心寺派 東京禅センター

            〒154-0003 世田谷区野沢3-37-2 (龍雲寺会館)
              TEL 03(5779)3800  FAX 03(5779)3801

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田舎寺の越年

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昨年は「僞」の歳として幕をおろし、かくして新年を迎えた。 毎年より少々早めに仕事おさめをした禅文化研究所ではあるが、自坊のある私は、結局年末の大掃除期間が長くなっただけということで、ありがたいやら何やらわからない。 昨年末は雨続きで、28日だったか、一日晴れた日が有ったので、頑張って山道の草ひきやら掃き掃除を済ませ、雨の日には本堂や庫裡のほこりを払って掃き掃除に拭き掃除、はたまたガラス拭き。家族総出の大仕事。 ぼやっとしていると普通の一日の連続であるが、一年の締めくくりということで、改めて念入りに普段できない部分まで掃除をしたり手を入れたりしていると、やっとお正月を迎えるという気持ちになってくるから不思議である。 大晦日の年越し蕎麦をいただき、一般の人は、晩酌でもしながら紅白歌合戦でも観るのだろうが、11時過ぎあたりからの除夜の鐘もあるから、そういうことは毎年ままならない。また、同僚には冬休みを利用しての長期旅行に出かけている者もあるが、自分には一生できないことだろうなと、今年最後の煩悩をつくりながらも、百八つの鐘をうつ。 大晦日はかなり気温が下がったせいで、鐘楼に立っていると寒いことは寒いが、星が瞬いて満天の空がとても美しい。新年はこんな澄み渡った歳になって欲しいと思いたら、大学生の頃、教育実習で教えた生徒の一人が今年もやってきた。もう35歳になるという。ほかにもわずかな常連の参詣者もあるので一人っきりというわけではない。

年が明けて、平成二十年。あっというまに、平成ももう二十年かと驚く。キリッと冷えたいいお正月だ。
こうして、檀家さんや近隣の人たちの年始のご挨拶を、住職として本堂で受けるようになってから、もう何年になるだろうか、あと何年できるだろうかと思う。
若いと思っていた檀家の人が今年で還暦ですとか仰ると正直に驚いている自分ではある。

実は年末29日、私が掛搭していた静岡三島の龍沢寺僧堂の現老師の突然の遷化の報。驚くまもなく、大晦日には近所の幼なじみの母が長い長い闘病生活の末亡くなった。新年になって2日に伯母が逝去。なんだか寂しい年の変わり目であった。

さて今年はどんな年になるのだろうか。泥の中に蓮がきれいに咲くように、僞の世の中にも真実が育つと思うことにしよう。
皆さんの健康とご多幸をお祈りする。

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杭州 霊隠寺 -中国4-

霊隠寺の山門

杭州では、西湖のさらに西にある霊隠寺(れいいんじ)も訪ねた。 このお寺は、東晋の時代(326年)にインドの僧・彗理が創建したもので、1600年以上の歴史がある古刹である。 全盛のころに比べると縮小はしているようだが、それでもかなり大きなお寺である。 また沢山の人たちが参詣に訪れ、香をたき、仏前で五体当地の礼拝をしている。

飛来峰

山門をとおると、まずは有名な飛来峰である。岩壁には300を超える数の石仏が彫られている。 これは五代から宋代、元代までに彫られたもので、独特の風格があり、とても精緻で美しい。

大雄宝殿

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大般若転読(1)

冬の天龍寺


『大般若経』の転読を見るのは心地よい。禅寺でも正月などに行なわれるなじみ深い行事だ。僧侶が分担して一巻づつ経題を唱え、経本を両手で捧げ持って広げる。すると、高い方から低い方へ、カラカラと軽快な音をたてながら、まるで生き物のように経本が流れ下って行く。参詣者の間をぬって「大般若の風」もそよぐ。

『大般若経』600巻は唐の玄奘三蔵が翻訳したものである。仏典の中では最大の分量を誇る。日本でも呪的効力が極めて強い経典であると認識され、奈良時代から攘災招福・五穀豊穣のために盛んに読誦がなされてきた。

しかし、なにぶん大部なものであるため、転読という方法がしばしば取られた。転読とは、経の題のみ、あるいは初・中・終の数行のみを読むことを言う。ちなみに、経典の全てを読むことを真読という。

前々から疑問に思っていたことがあった。現在の形式の転読は折本でないと出来ないのである。中世以前の大般若経が巻子本(巻き物)であったことは、書誌学では常識に属する。いったい、どのような形で転読が行なわれていたのであろうか。

しかし、同じような疑問を持つ人は結構いるらしい。古い『大般若経』の調査をしている知り合いから、「こんな論文がある」と教えてもらった。(つづく)

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謹賀新年

ねずみ_西村惠信

雪舟等楊が備前宝福寺の小僧さんであった頃、和尚さんに叱られて本堂の柱に括りつけられたとき、涙で描いたネズミの絵があまりにもリアルであったので、和尚さん思わず「しっ、しっ」と追い払ったという話がありましたね。
私は子供の頃、お寝便して本堂床下の道具部屋に閉じ込められたとき、ふとこの話を思い出して真似してやろうとしたのですが、涙も枯れ果ててさっぱり絵にならなかったのです。そのうち師匠が心配して本堂にやってきて、扉の外から呼びかけたのですが、私はジッと黙って無言の抵抗をし続けました。すると和尚は驚いて鍵を外し扉を開こうとしたので、私は素早く飛んで出て難を逃れました。
あれからすでに七十年、そしてふとあの時描きたかったネズミの絵を今描いてみようと思ってこんなのを描いてみたのですが、さあ私の創作「窮鼠猫を噛む」、はたして師匠を驚かせ得たかどうか。どうぞ皆さん今年もひとつ、こんな気魄で一年を過ごしませんか。

所長 西村惠信

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