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禅文化研究所HPリニューアル(予定)

今年の夏頃のリニューアルを目指して、研究所所員で「ああでもない、こうでもない」と話し合いをしています。

私のように、在家でありながらも強く禅の世界、哲学に惹かれる者とお坊さんとでは意見の相違もあったりします。
一般の、さほど禅に興味の無い方が、何等かの検索で「禅文化研究所」というHPに辿り着いた時に、どういった印象を持ってもらう事ができれば、新しい世界への扉を開いていただけるのだろう…と考えています。

やはり、寺の伽藍や雲水の修行姿、坐禅姿の写真など、わかりやすいイメージが受け入れられやすいのかもしれませんが、私が思う禅の世界の素晴らしさは、そういったビジュアル的なものであまりにわかりやすく表現してしまうのは惜しすぎる気がするほどにかっこ良い世界です。
ただそれを、「ここに見せてみろ」と言われた時に、「これです!」と言えるものがなかなか…。自分のイメージを言葉やモノに置き換えて相手にわかりやすく伝えるというのは、難しいものですね。自分本位に「これだ!」と言った所で、相手に伝わらなければ意味が無いわけで。
と、毎日色々考えていますが、なかなかに楽しいものです。
皆様もご意見ありましたら、お聞かせ下さいませ。

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『アブラクサスの祭』




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臨済宗僧侶で、芥川賞作家の玄侑宗久師原作の映画『アブラクサスの祭』。既にご覧になられた方もいらっしゃるでしょうか。

「悩めるお坊さんが、生きるヒントを教えてくれる」とのコピーが印象的なこの作品(ちなみに私は在家の所員です)。「お坊さん達と一緒に仕事ってどんな感じ?」と、友人から尋ねられる事もしばしば。そんな時には、「どんな感じもこんな感じも、お坊さんも人間やからねぇ」とよく話します。
そういう映画かどうかは、まだ観ていないのでわかりませんが、京都では、私も会員になっている-京都シネマ-で、2月12日~25日まで公開されます。
その他の地域の情報は、公式サイトでご確認の上、是非ご覧になってください。

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『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』




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-読書のすすめ-

噂のユニークな本屋さん、-読書のすすめ-さんにて、弊所発刊の『禅語に学ぶ 生き方。死に方。―人生を悔いのないものにする参考書』西村恵信著が紹介されました。
さらに、度々お知らせしております、ティク・ナット・ハン師の『小説ブッダ―いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン著 池田久代訳も紹介されていました。

読書のすすめ店長の、清水氏によると、「出来ましたら【「幸福な生き方」実践の書--幸福に生きるための仏教の知恵】→【人生を悔いのないものにする参考書---禅語に学ぶ生き方。死に方。】→【小説ブッダ---いにしえの道、白い雲】の順番で読んでいただくと
いっそう深く心にガツンと響くと思います」との事。
私が読んでいないもう一冊も気になるところです。清水氏の書評は面白く、私も本選びの際に参考にさせていただいています。

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季刊『禅文化』219号発刊




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昨日、1月25日に、吾が研究所の季刊誌『禅文化』219号を発刊致しました。
こちらからどうぞ。

【もくじ】
吾が師を語る――古賀黙傳和尚と東海玄照老師/東海大光禅宗語録入門読本 六祖の物語 (四)/小川隆
ゼミナアル・禅思想の道を歩く 講読 『信心銘夜塘水』(二)/西村惠信
死して巌根に在らば骨もまた清し 寂室元光の墨跡 二幅―/金澤弘
禅僧の死に様 (三) 大灯国師/藤田琢司
ティク・ナット・ハンと地球仏教のゆくえ/池田久代

善財童子の求道ものがたり (二十一)
―妙光城の慈王マハープラバ―正法による統治と安穏/小林圓照
回想―花園大学―その九/北西弘
宋の南遷と禅 (下之下) 要説・中国禅思想史28/伊吹敦
宗教と教育と私 教育と楽天主義/松田高志
技を訪う ズーセスヴェゲトゥス/川辺紀子
碧巌録提唱(十四) 第三十五則 文殊前三三/山田無文
権力と文化/平塚景堂
体当たり僧侶のボランティア日記 (三)/藤井隆英
忘れ得ぬこと マリケン夫人とシカゴ/福井友榮
グラビア 巣松翁蔵 禅林墨蹟 雲居・隠山・春叢
寺庭さんのリレー・エッセイ――阿留辺幾夜宇和/豊田美恵子
和尚さんの身体講座 (二十九)/樺島勝徳
相庇ういのち互みに年経るに―近藤芳美の「妻」の歌/佐伯裕子
表紙解説/藤元裕二
漫画 今日も上天気/杜康潤
いっぷく拝見
編集後記〈禅文化漫筆〉
『禅文化』バックナンバー
禅文化研究所の本
カット・左野典子

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内田樹先生最終講義

いまやひっぱりだこの内田樹先生の最終講義の為、母校を訪れました。
内田先生は合気道の師範でもあり、弊所の季刊誌『禅文化』にも寄稿いただいております私のゼミの恩師、松田高志先生の合気道の先生でもあります。

神戸女学院大学に赴任する前、赴任されてからの内田先生の来し方、ヴォーリズ建築の稀有な素晴らしさ、リベラルアーツ、愛神愛隣(神戸女学院大学の標語です)にまでその話は及びました。
久々にノックアウトされた私です。先生の著書は、本屋で少し立ち読みするくらいでしたが、ちゃんと読んでみなくては…と思った次第です。

先生の素晴らしさは、合気道という道を極めんとしていらっしゃる所にも、大いにその根源があると思っています。禅とも繋がる部分があるのではないかと感じています。
また彼の著書を読みましたら、こちらでも「職員おすすめ本」カテゴリーにて、ご紹介させていただきたいと思います。

さて、最後に、内田先生は様々な著書の中で、ヴォーリズ建築の素晴らしさについてをお書きになっておられますが、その先生オススメの場所に行ってから帰りました。

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好奇心を持って、この先に何があるのだろうと思った学生だけが、暗い廊下や階段を通り抜けた先に、他のどこからも見ることのできない美しい風景の広がりを望むことができるんです。これはご褒美のようなものです。様々なしかけを残しながらも「建物が人をつくる」とだけ言って去ったヴォーリズという建築家からの、時間や時代を超えた自分への贈り物だと思います。(内田樹教授・最終講義より)

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釈尊涅槃の時に咲いた沙羅の花

仏教ではお釈迦様にまつわる3つの植物を三聖樹として大切にされています。

お釈迦様がご誕生になった所に咲いていた無憂樹(むゆうじゅ)、お釈迦様がお悟りを開かれた所にあった菩提樹(ぼだいじゅ)、そして、お釈迦様が涅槃の時に香り高く咲いたといわれる沙羅樹(さらじゅ)です。

今回は、その中で沙羅樹(サラノキ)をご紹介します。


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「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす……」の平家物語冒頭のことばでも出てくるので知られている方も多いことでしょう。
自坊にも沙羅樹を植えていますが、じつは日本で沙羅樹とされている樹木は、ツバキ科のナツツバキや、エゴノキ科のハクウンボクという木を沙羅樹に見立てていることがほとんどで、本来のフタバガキ科の沙羅樹とは異なるものです。
日本では、滋賀県草津市の琵琶湖岸にある「草津市立水生植物公園みずの森」にある1本のサラノキだけが花を咲かせているそうです。
この木の樹高は約6m、樹齢は約17~18年と推定されています。2003年4月に日本で初めて開花したそうです。冬に半落葉となり、2月半ば過ぎに新葉が展開してその先に花芽が出で、房状に蕾がつき、花は下垂して咲きます。2.5cmほどの小さな白黄色の星型の花はジャスミンティーのような芳香があり、1枚づつ舞い落ちます。花後には羽根突きの羽根に似た大きな翼のある種子がたくさんなります。花の見頃は3月中旬~4月中旬とのこと。
この「みずの森」にはサラノキだけではなく、無憂樹や菩提樹もあり、釈迦三聖樹をすべて見ることができます。さらに、美しい睡蓮もたくさん咲き、眼を和ませてくれることだと思いますよ。一度訪ねてみては如何でしょうか。

  
 
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ティク・ナット・ハン 宿泊リトリートの御案内




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こちらのブログでも何度か御案内しました、ベトナム人禅僧、ティク・ナット・ハン師の来日。京都では講演会のみですが、横浜では宿泊リトリートが開催されます。

今私は師の著書である『小説 ブッダ いにしえの道、白い雲』を読んでいますが、その随処に、今回のリトリートのテーマにもなっている“今を生きる-マインドフルネス(気づき)-”や、“ともに生きる-インタービーイング(相互依存)-”が、お釈迦様の言葉や行動としても出てきます。

様々な情報が溢れ、時代に流され呑まれて、本当に自分がしたい事や生き方がわからなくなっている人々が増えている昨今。隣人や他人、さらには我が子への無関心から起こった数々の悲劇的事件。
今回の講演もそうですが、特にリトリートなどは、このような現代の多くの闇を照らす光となる機会と心得ます。

私自身、参加したい気持ちになってきました。どちらに行こうか検討中です。

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『利休にたずねよ』




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茶の湯の稽古をしていながら、今頃読んでみました。

物語は、利休居士切腹の前日から始まり、何故切腹という最期に至ったかを、利休居士と周辺の人々との様々な出来事を綴り、遡ってゆく設定。
ありそうで無いようなこの設定に読者はひきこまれてゆきますし、美しい文体と表現力も手伝って、非常に読みやすい本です。が、読んでゆくと、色々な意味で少しくどさを感じました。

様々な“利休像”というのがあり、それは茶の湯を稽古する者一人一人違うかもしれませんし、歴史研究家や小説家などの間でも違ってくるでしょう。
自分の中で考える利休像というのは、誰にも侵されるものではありませんし、私は色んな方の書いた利休居士についての本を読んだり、自身が茶の湯の稽古をする中で、そこから様々を感じ取り、自分の中の利休像をかためてゆきたいと思います。

お茶の世界の事は色々と言われる所がありますし、「お茶なんていうものは習うものではない、自分流が一番」との声を耳にする事もあります。それは確かに正しいのですが、そのセリフの中に、茶道を習った事も無いのに、茶道会を批判する含みがあるならば少し疑問を感じます。こういう方にはよく遭遇します。

流派について、私の尊敬するある人が、「流派に入る事によってこそ、流祖の悟りが流れてくるのであって、自分の中にもひょっとすれば悟りというものが生まれる可能性がある」と言いました。それは、仏教や禅の世界においても言えるところで、このあたりについても、今後考えを深めてゆきたいところです。

『利休にたずねよ』山本兼一

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井戸水のふしぎ




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時間がある限り、神社へ井戸水を汲みにゆき、料理やお茶を飲む際に使っています。
凍て付くような寒さ、そして清らかな神社の空気の中、ペットボトルに水を入れるとほんのり暖かく、幸せな気持ちになります。

この事を友人の息子君(3歳)にお話していて、「なんで井戸水はあったかいの?」と聞かれ、はて、「井戸水は冬はあたたかやし、夏はひんやり冷たいわぁ」というようなセリフを当たり前のように聞いていただけで、何故かを考えない、知らないまま、当たり前の事としてきました。

考えてみればごもっともで、そりゃそうだ…という話なのですが、外気の影響を受けないからですよね。地中にあるわけで、常に14~16℃で保たれている為、水温は一定なわけです。暑い夏にはひんやり感じ、寒い冬にはあたたかく感じる。

子どもの「なぜなぜワールド」に耳を澄ませば、大人でも日々色々な発見や気づきがあるもので、知っているようで知らなかった事をきちんと知る機会を与えられたり、忙しい事を理由に失っていた感覚を呼び戻せる事があります。
「気づき」の無い世界に生きる事への戒めを、お釈迦様をはじめ、数多くの祖師方も仰ってこられていると思います。

センス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見張る感性)を忘れずにいたいなと思う今日この頃。世界は美しく神秘的で、不思議に満ちています。
大学生時代からのバイブルともいうべき、この本をオススメしたいと思います。

『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン

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雪の京都




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日曜日、月曜日と京の都は雪でした。
毎年この時期には何度かこういった日があるのに、雪の日を迎えては「あぁどうしよう、どうやってでかけよう」などと思う私です。
それでも一旦でかけてしまえば、我が家の近くの京都御苑や鴨川の雪景色の美しさに心奪われ、寒くて手足の感覚が無いのもしばし忘れます。

調子に乗って、雪の降る中を余裕で自転車をこいでいたら、いつの間にか、下記のような状態になっていたりもしますが。吹雪のよう…。いつもの景色が見えません。

冬の京都も是非皆様に味わっていただきたいと思います。が、どうか滑ったり転んだりしないよう、お気をつけ下さい。

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雑感とオススメの本




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最近、テレビを見ていません。ニュースくらいは見ておこうとつけていても、昨今の日本の政治の悲しき現実、残酷なニュースが番組のほぼ大半を占め、「時間の無駄だな。私には必要ないな」と手放しました。知りたい情報はいくらでもネットで集められる時代です。

残酷な事件が起きたりすると、似たような事件が連続して起こる事もあります。ああいった事件を過剰に報道しすぎるのはどうかと思います。
「消えた高齢者問題」に関して言えば、世に隠れていたずさんなものが明るみに出るという意味では、ニュースが大きな役割を果たしたのかもしれませんが、重要なのは、本当にその後、政府や自治体が対策に取り組んだのか。どのような制度ができあがり、対策が取られ、続けられているのかという事だと思うのですが、さわぐだけさわいで、いつの間にか本質は忘れ去られ、新たに起きた刺激的なニュースばかりを番組は取り上げ、我々視聴者の方も、新しい刺激にくぎ付けになったりします。
なんだか、空しくはないでしょうか。

大学生時代のドイツ語の教科書に、ドイツのとある研究者の言葉が載っていたのですが、いまだに私の頭から離れません。

子どもがテレビを見ている時、親は集中して静かに見ていると喜んでいるかもしれませんが、考える猶予も無く与え続けられる連続的で一方的な刺激に、半ば放心状態となっているだけなのです。

これが本当かどうかは私にはわかりませんが、禅の修行生活でも、もちろん本を読む事もありますが、実践や実体験などが重要視され、実際にやってみて、感じる事を大切にします。今までの祖師方でも、「本を読んでいて(テレビを見ていて)悟った」などというのは、私の知る限り聞いた事がありません(読書はもちろん大事ですが)。

忙しくて、子どもにテレビやDVDを見させている間に家事を…という方は多いと思いますし、実際問題仕方がない事があるのだと思います。
ですが、少し意識を変えて、最初は時間がかかってイライラしても、掃除でもお料理でも、子どもに手伝ってもらい、一緒に体験する。暖かい部屋でテレビ…ではなく、外へ出て寒さを体感し、この時期の植物がどうなっているのかを見てみる。など、少しテレビの世界から離れて実体験を大切にしてもらえたら…と思う今日この頃です。

朝早くから美しく掃き清められ、季節の花々に溢れる禅寺の雰囲気などから、敏感な子どもは様々な事を吸収するでしょう。是非お近くのお寺へも足を運んでみてください。

子育て中の方、そうでない方にも本日是非オススメしたいのは、盛永宗興老師による『子育てのこころ』です。忘れ去られかけている大切なことが、易しい言葉でたくさん綴られています。

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今を生きる、ともに生きる -ティク・ナット・ハン京都講演-




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4月24日(日)の、ベトナム人禅僧ティク・ナット・ハン師の講演は、「今を生きる、ともに生きる(Enjoying the Present Moment, Living in Harmony)」という演題です。

現代では、「宗教」というと、人にもよりますが、日々の生活からは遠く離れて、どこか別次元で存在しているかのような“自分には関係のない事”のように考えられていたりする気がします。

「宗教」という言葉の響きが、そのように感じさせるのかもしれませんが、人として生まれてきた以上、どのように生きるのか、自分自身とは何であるか、そこを掴もうとして、考えたり、悩んだり、もがいてみたりしながら、誰もが、日々暮らしているのではないでしょうか。

妙心寺と禅文化研究所が主催するというのに、こういった事を言うのも変な話かもしれませんが、私個人としては、「宗教」であるとか、「禅」であるとか、そういった括りや枠を超えて、こだわらずに、様々な方に参加していただきたい気持ちがあります。

参加される皆さんが、この会の話をお聞きになり、師の話の中で自身に響くことばがあれば、今回のこの講演という“きっかけ”によって、新たな“気付き”が生まれると思うのです。何らかを持ち帰っていただきたい。そんな気持ちで御案内しています。

ティク・ナット・ハン師や、その活動についての詳しい事はこちらのサイトをご覧下さい。

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小泉淳作展 -京都高島屋-




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日経イベンツガイドより転載


【平城遷都1300年光明皇后1250年御遠忌 東大寺本坊襖絵完成記念 小泉淳作展】が、1月24日(月)まで京都高島屋グランドホールにて開催中です。
まだ私も訪れていませんが、貴族文化や仏教文化が華開いた天平文化を彷彿とさせる、東大寺蔵の「聖武天皇御影」や「光明皇后御影」に会えるのを楽しみにしています。
大阪高島屋も巡回します(2/2~14日)。
皆様も是非この機会をお見逃しなく。


さて、小泉淳作氏といえば、我らが臨済宗の大本山とも関係の深い方。
鎌倉建長寺と、京都建仁寺の法堂龍図は小泉氏によるものです。
禅文化研究所に事務局を置いております臨黄合議所による臨済宗・黄檗宗公式HPには、各派本山の龍をご紹介しております。
是非ご覧になってみて下さい。

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成長を見守るよろこび -V-SQUARED CONCERTより-




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人生の一つの生きがい・楽しみに、“成長を見守るよろこび”というものがあると思います。それはもう多種多様で、ある人にはお子さんの成長であったり、またある人には、畑で育てている野菜の成長であったり…。

先日、バロックザール-青山音楽記念館-にて開催された、英国王立音楽大学の大学院にて勉強中の若い2人、谷本綾香さん(メゾソプラノ)と、田代裕貴くん(ヴァイオリン・ヴィオラ)のデュオ、V-SQUAREDによる、財団法人青山財団助成公演 V-SQUARED NEW YEAR'S CONCERT(ピアノ伴奏/小川春香さん)にお邪魔してきました。

静寂の中、ヴァイオリンの美しい音色が響いた瞬間に、本物に直に触れる悦びと感動が全身に溢れ、さらに、個人的意見ですが、どの楽器よりも最も尊いと思う“人の声”には、どうしようもないくらいの感情の高ぶりがあり、とめどなく溢れる涙を止める事ができませんでした。

自身が持つ醜く汚いドロドロとした部分。人間なら誰しも持ち合わせているものかと思いますが(いえ、そうでない方もいらっしゃるでしょうが私は持っています……)、芸術とは、そういったものを浄化する為に存在するのか…と思わざるを得ないのでした。涙しながら、色々なモノが綺麗に流されてゆくようでした。

しかしながら、そうして一旦は流されていっても、日々の生活を続けてゆく中で、どうしても心に塵や埃はたまるもので、それ故に、常に美しいものを求め続けるのでしょうか。人間の生活に、如何に芸術が必要か、如何に大切なものかを改めて知る事のできた一日でした。

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『小説 ブッダ いにしえの道、白い雲』 ティク・ナット・ハン著




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4月の来日を楽しみにしながら、『小説 ブッダ いにしえの道、白い雲』(ティク・ナット・ハン著 池田久代訳/春秋社)を読んでいます。

読み終えてからの感想もまたお届けできたらと思っていますが、まず、インドのカースト制度、バラモン・クシャトリア・バイシャ・シュードラにも入らないとされる、更に最下層の不可触民であったスヴァスティという少年が、ブッダに出逢い、出家するまでに至った機縁からこの物語は始まります。

修行僧となったスヴァスティの目を通して語られるブッダの来し方。今までに私が読んだブッダの生涯を描いた小説とはまた視点が違い、新鮮でとても面白いものです。

また、ベトナム戦争によって、自らも我々の想像を絶する困難を乗り越え、修行され、世界各国で教えを説かれるT.N.ハン師だからこそ描ける、修行や悟りについての事細かな描写、経典からの引用、詳しい仏教思想など、単なるブッダの生涯を描いた読み物的小説とはまた違う奥深さがあります。
是非皆様にもおすすめしたい一冊です。

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広沢池 冬




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先日、寒い中をサイクリングしてみました。
広沢池(ひろさわのいけ)の冬の姿を皆様にご紹介致します。

こちらの池では、鯉、鮒、モロコなどを養殖しており、12月に入ると冬の風物詩ともなった、鯉上げが行われます。
池の水を抜いて、このような状態に。鯉や鮒などは料理屋へ。個人的にこちらで買い求め、毎年この日を楽しみに、自宅で食す方もいらっしゃるようです。

こちら広沢池やその周辺の日本の原風景ともいえる田畑は、景観保護地域に指定されています。嵯峨野散策の際は、天龍寺はもちろんのこと、その付近を歩かれた後は、是非この辺りまで足を運んでみてください。
このように枯れた冬の美しさもまた格別です。

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今年はどんな歳になるでしょう

皆さまあけましておめでとうございます。

本日6日より、禅文化研究所は通常通り仕事を始めさせていただいております。
年末年始の休暇中におきましては、ご迷惑をおかけ致しました。

過去の兎歳には、景気がよくなったことが多いようです。
今年は、どんよりと曇った空に明るい陽が差し込んで、兎がピョンと跳ね上がるような、明るい歳になるといいですね。

さて、公益法人改革によって、これまでの財団法人は2013年の12月までに、一般財団法人か公益財団法人へ、あるいは解散という三者択一をしなければなりません。
財団法人である当研究所も、現在、以降手続きのための諸準備を行なっており、今年の秋には内閣府に申請書類を提出し、来年の春にはその結果を受けて新しい法人となっていることかと思います。
そのためにしなければならないことも多く、今年は正念場を迎えます。

また、今年は、担当するスタッフが長年かけてきた学術研究書も、ようやく発刊の運びとなりそうです。
春には、ベトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハン師の京都講演もあります。
5年後に迎える臨済禅師の1150年遠忌に向けての事業計画も決まり、臨黄合議所を中心として、本格稼働がはじまることでしょう。
もちろん、寺院向けや一般向けの刊行物も計画しております。

どうか、今年も、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。

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「雪後に梅を得る」―新年のご挨拶―

新年、明けましておめでとうございます。お正月早々から、私たちのブログを開いてくださっているあなたとのご縁に感謝します。この一年もまた、当研究所との親交を、さらに深めてくださるよう、所員一同とともにお願いいたします。

毎年のことながら、元日の朝のこの瑞気は、まさに千里同風ですね。一歩門を出ると、もうその辺りが大晦日の夜と、まるで打って代わったように新鮮に思われるのは、何とも不思議な人間の心理と言うべきですね。

昔から禅門では、人生に疑問を抱き、これを解決しようと艱難辛苦の修行を積んだ人は、あるときふとした機縁によって、その大疑団がガラリと瓦解氷消したとき、思わず欣喜雀躍の大歓喜を味うものだと説いてありますが、その新鮮な悟りの心境はちょうど、昨日までとは全く異質な、元日の朝を迎えたときの、この気分爽快に似ていないでしょうか。

表題の一句「雪後に梅を得る」は、そういうときの歓びを述べたものでしょう。つまりよほどの苦労をしたものだけが、雪の中に咲く「梅」を手にすることが出来るというわけです。少し待てば百花爛漫の春がやってくるのですが、そんな気怠い春の季節に、大勢の人とともに花を眺めても、どれほどの歓喜を味わうことができましょう。

「曾て雪霜の苦に慣れて、楊花の落つるにも也(ま)た驚く」という語があります。雪や霜を踏むような修行の苦労を通ってきた人は、たとえ暖かい春がやってきて柳の花が転げ散るのを見てさえ、ハッと驚くというのです。苦労が身に染みた人の憐れみを、讃えた句でしょう。

ましてまだ雪のある中で蕾をつけ、ふくよかな匂いを四辺に漂わせる梅の花。それは「万花の魁(さきがけ)」と讃えられ、古人は禅の修行の苦しさと、その結果手にし得る悟り悦びの象徴として、ここではこれを尊んでいるのです。

暖かさの中で育った温床の花は、環境の変化に遇えば、すぐに萎れてしまうでしょう。人間の幸せもまた、苦労をくぐり抜けてこそ、初めて香り高い花を開くのです。

私たちも新しい年の初めに、新しい年の安易な幸せを願うばかりでなく、あえて試練に立ち向かおうとする決意を、新たにしては如何でしょうか。

禅文化研究所長 西村惠信

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