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北村美術館 -山笑ふ-

北村美術館 山笑ふ

こじんまりとしたこの美術館。
展示数も数えるほどだが、逸品ばかりが展示される為、大いに満足できる美術館として毎回の展示を楽しみにしている。
いつも展示品についての主題が楽しみなこの美術館。今回は-山笑ふ-(季語)。
桜に続き、青々とした若葉芽吹く山、まるで山が笑っているかのような・・・。この主題を聞いただけで、どんな展示か心が弾む。

いつもその季節の茶会・茶事を想定した展示で、会の流れのままにお道具を拝見し、一席楽しんだ後のように心満たされるのだ。
今回は、案内によると、「山ふところの別荘で、庭や借景の山々に咲ききそう花を愛でながら、大寄せの茶会を催すことを想定しての陳列です。 まず玄関から待合へ。 それから順次庭へおり、東家を中心に、酒肴をまじえつつ、春の風趣を堪能し、そうしてふたたび座敷へ。 戸外の桜を心に描きつつ、広間での薄茶を楽しんでいただく観桜茶会。 ただ、たとえ展示であっても、桜のように季節感を強烈に印象づけるものは、時候をすぎてしまいますと鑑賞に耐えられなくなってしまいます。 それはまた、あくまで茶道具であって鑑賞美術品ではないゆえんでもあります。 そのため、今回は「山笑ふ」と題し、4月後半には一部展示替えもすることになっています。」とのこと。

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「禅文化の継承」 花園大学創立記念日にて

現在、禅文化研究所では、今年の秋には発刊を予定している堀内宗心宗匠の『歩々清風』という禅と茶についての書籍の編集をしている。
そんな折、とても興味深い催しが花園大学の創立記念日において催された。去る5月25日、花園大学無聖館でのこと、『禅文化の継承 -茶道家と俳優滝田栄の語らい-』と題したパネルディスカッションである。
パネラーは、表千家から堀内宗心宗匠、裏千家から金沢宗維宗匠、俳優の滝田栄さん、そして花園大学 阿部浩三学長であった。コーディネーターは花園大学の芳井副学長。


禅文化の継承 -茶道家と俳優滝田栄の語らい-


花園大学には、大学としては珍しく本式の茶室があるが、そこでは、表千家は堀内家、また裏千家は金沢家から宗匠方にお見えいただいて、学生たちが茶道を学んでいる。

さて、最初にパネラーの諸氏がご挨拶されたが、冒頭に阿部学長が堀内宗心宗匠との出会いについて語られた。
阿部学長は在家から出て禅僧になられた方であるが、花園大学在学中に茶道部に在籍し、そこで当時ご出講いただいていた堀内宗心宗匠について手習いされたということであった。
学長老師は、当時抱かれた宗心宗匠の印象を表わすエピソードをお話しになったが、それは今、私たちが感じる宗匠の素晴らしいお人柄とまったく合致するもので、とても共感した。
そこで、事後、学長老師にお願いして、その当時の思い出深いエピソードを『歩々清風』のまえがきにさせていただくようにお願いしたので、詳しくは『歩々清風』のまえがきをお読みいただきたいと思う。

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柳生の里 -天石立神社-

天石立神社

巨石を御神体とする、天石立(あめのいわたて)神社を訪れた。

少し汗ばむような陽気の日、この神社へと続く道は頬をなでる風がひんやりとして心地よい。
鬱蒼とした木々の中を進んでいくと、ゴロゴロと巨石が・・・。
四つの巨石の総体を、天石立神社と呼ぶ。
伝承では、高天原にて手力雄命が天岩戸の扉を引き開けた時、力余ってここまで飛んで来た扉こそまさにこの巨石なのだそうな。

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韓国 -景福宮-

景福宮

ソウル中央部に位置する李氏朝鮮の王宮である。1392年に朝鮮王朝を開いた李成桂は漢城(ソウル)を都と定め、宮殿として景福宮を造営した。ソウルには徳寿宮、昌慶宮、昌徳宮、慶熙宮など、いくつかの宮殿遺構が存在するが、その中でも景福宮は正宮と位置づけられるものである。現在の建物は、王朝末期に国王(高宗)の父であった大院君が王権強化のために再建させたものである。

1910年の日韓併合後、正門である光化門が撤去されることとなったが、「失はれんとする一朝鮮建築の為に」という一文を著して救ったのが民芸運動の創始者として知られる柳宗悦であった。こうして光化門は移築保存されることとなったが、王宮の正殿である勤政殿は朝鮮総督府に前面を塞がれるかたちとなり、その他の多くの建物も撤去された。

近年、植民地支配の象徴だった朝鮮総督府の建物も撤去され、視界は良好となった。玄武の位置に相当する北岳山もよく見える。各所で復元工事が進行していて、往時の偉容を甦らせるのも間近であると感じた。

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いろは歌

「いろは歌」は周知の通り、ひらがな四十七文字を一度だけ使って作られた今様体の歌謡である。『涅槃経』の文句「諸行無常、是生滅法。生滅滅已、寂滅為楽」と同じ意であるとも言われる。

現代では弘法大師作は否定されている。その根拠の一つに、ア行の「え」とヤ行の「え」の区別がないことがある。この区別は空海の活躍した平安初期には存在したが、その後消滅したとされるものである。

手習いのためのこの種の歌謡の作成の試みは「いろは」以前にもあった。「あめつち」は比較的行なわれたようで、次のようなもの。

あめ つち ほし そら   (天 地 星 空)
やま かは みね たに   (山 川 峰 谷)
くも きり むろ こけ   (雲 霧 室 苔)
ひと いぬ うへ すゑ   (人 犬 上 末)
ゆわ さる おふ せよ   (硫黄 猿 生ふせよ)
えの え※を なれ ゐて  (榎の枝を 馴れ居て)

※はヤ行の「え」、最後は「負ふ 為よ 良箆 愛男 汝 偃」と解する説もある。

単語を羅列しただけの駄作とされることも多いが、千字文の「天地玄黄 宇宙洪荒 日月盈昃 辰宿列張」さながら、天地から始まって宇宙の万象(とはいかないが)を述べようとする構想からは、ふしぎと悠大な調べが感じられる。

このようなものは「いろは」以前にも多くあっただろうし、「いろは」以後にもたくさん作られた。特に専門的知識も必要としないので、頭の体操がわりに試作してみるのも面白いかもしれない。

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柳生の里 -柳生家墓塔 芳徳寺-

柳生家の墓塔

柳生家菩提寺、芳徳寺にて、柳生一族が眠るお墓へお参り。

緑溢れる敷地を少し歩いて行った所に、歴代が眠っている。
何代も続けて、先祖代々の地に眠る・・・。現代では少なくなってきた事だろう。

墓前の地蔵柳生家歴代の墓

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国鉄山陰線天神踏切西方20メートル

かつての国鉄山陰線

研究所から少し離れた所にある、何の変哲もない高架下。かつてここには踏切があった。
1969年6月24日午前2時36分ごろ、この地で一人の女子大学生が二十年の短い生涯を終えた。

“「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である”
                  (高野悦子『二十歳の原点』13ページ)


今、この地に立つと、時代の流れと個人の運命が交錯し、惻惻と私の胸に迫ってくる。

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柳生の里 -柳生家菩提寺 芳徳寺-

芳徳寺

兵法の 梶をとりても 世の海を
       渡りかねたる 石の舟かな

中学生か高校生の頃だったか、この柳生石舟斎の句を耳にし、なんとなく「かっこいいな」と思ったものの、特に柳生の里にまで足を向ける気にもならずに過ごしていたが、先日やっと訪れてみた。
ここ、芳徳寺は、石舟斎の菩提を弔う為、その子宗矩が創建した大徳寺派の禅寺。
開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。
歴史上の人物が当時の名僧と親交があったり、居士として禅の修行に励んでいたりする事はよくある事だが、特にこういった所を訪れても、何宗のお寺なのか、なぜその宗派の寺を菩提寺としているのか・・・などとはあまり関心が持たれぬ事も多い気がする。
観光地と化してしまった寺では、何宗の寺なのかを知りたくても、拝観チケットやパンフレットにも書かれていないなんてことも無きにしもあらず・・・。
その人物の背景や、寺の創建の由来などを知ってこそ、歴史への理解も深まり、旅もより一層味わい深いものになる。
是非、お寺を拝観される際は、お庭に心癒されるのももちろんだがその他の事にも少しづつ興味を持っていっていただきたい。

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「死んだらどうなる」-『無文全集』飛ばし読み(2)-

蓮の葉

 「人間が死んだら霊がどうなる」とか、「魂がどうなる」とか、そういうことが問題にされるのですが、仏法では問題にしないのだ。死んでからの霊というものを問題にしないと同時に、生きておるうちから霊というものは問題にしない。我というものは問題にしないのだ。何を問題にするかというと、全宇宙をことごとく我と直観のできないうちは迷いだという。客観の世界がそのまま我だ。主観と客観のない世界が分からないうちは、ことごとくが迷いである。自我というものも迷いである。死んでからの霊どころではない、生きておるうちから自我にとらわれたものの見方、ものの考え方は全部迷いだ。自我が取れて、主観と客観とが一枚だという世界が分からんことには仏は分からん。真実の自己は分からん。

(『無文全集』第九巻p617より)

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雪の下 咲く

ユキノシタ

研究所前にある花壇の雪の下が咲きました。
まだほんの少ししか咲いていませんが、これが群生して咲くと、雪が降っているようです。

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Flowers and Plants in Tibet -№8-

Flowers in Tibet

禅文化研究所客員研究員・李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
チベットの厳しい自然の中でも、草は根を張り、美しい花を咲かせます。
専門家さえその品種を特定するのが難しい植物もあるとの事で、植物の詳しい説明は避けたいと思います。
どうか、美しい写真をお楽しみ下さい。
尚、チベットの植物について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんどんコメント宜しくお願い致します。

追伸:お父さんの李建華さんによる >チベット紀行も必見です!!!

※写真の無断転載・利用はおやめください。

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寂室禅師生誕奉賛茶会 於:永源寺

借景の庭

去る5月13日、滋賀県は東近江市にある臨済宗の大本山、永源寺を訪れた。
毎年、開山様の誕生日に近い日曜日に献茶式が行われ、表千家・裏千家・遠州流・煎茶道泰山流のお席と、法堂で番茶席が設けられる。
今年は天候にも恵まれ、参会者は新緑鮮やかな中、それぞれ工夫こらされた茶席を楽しんだ。

永源寺のご開山、寂室元光禅師は、後光厳天皇からの再三にわたる京都天龍寺への出世を断り続け、弟子と共にこの山中にあったと聞く。
禅師はじめ、当時の修行僧も、新緑の季節にはこの美しい山々を愛でたのか・・・と感慨にひたりつつ、そのような有難い地で、様々な流派の人達が一堂に会し茶席が持たれる事に感謝しつつ、一席一席楽しませていただいた。

来年も、5月中旬の日曜日に予定されているそうだ。
是非、おでかけいただきたい。

永源寺山門

山門も緑におおわれ・・・

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「ご利益」-『無文全集』飛ばし読み(1)-

すずらん

 多くの宗教というものがご利益というものを教えるのであるが、禅宗はそういうことを言わんのが建前である。自分の外にある神さまを拝んで、そのご利益をいただく、人間はそういう力のない奴隷的なもののごとくに、多くの宗教は教えるのであるが、そうではない。めいめいの中に神さまがあり、仏のあることが分かるならば、「能く千災を滅する」のだ。災難などは自然になくなってしまう。滅しようと思わんでも自然になくなるのである。心空王が分かるならば、心が空になるならば、災難は自然になくなる。

 親鸞聖人も『歎異抄』の中で「念仏者は無碍の一道なり」と言うておられる。念仏を唱えておったら災難は自然になくなるのだ。頼んでなくなるのではない。念仏を唱えておったら、悪事や災難は自然に退散していくのだ。何も思わん者には敵はない。何も思わなければ、災難が向こうから避けていく。赤子のように無心であれば、千災はおのずから避けられるのである。
 
 臨済禅師も言うておられる。「殊勝を求めんと要せざれども、殊勝自ずから至る」と。人間、生きておる間は、どうしてもいろいろないいことを求める。やっぱり生活も楽な方がよろしい。家庭も円満な方がよろしい。病気もせん方がよろしい。学問をする方は学問を成就したい。字や絵を書く方は早く立派なものが書きたい。商売をする方は成功したい。そのように、皆な願うことを持っておるが、その殊勝、何かいいことを頼んで求めては駄目だ、と。何かをあてにしたら、越中褌と何やらは向こうからはずれてくるのだ。正念相続し、真っ直ぐな心で生きていくならば、無心であるならば、「万徳を成就す」だ。おのずから体も健康になり、食べる物にも不自由せん。商売も繁盛し、学問も芸術も成就してくるのである、と。
 
 「衣を思えば羅綺千重、食を思えば百味具足し、更に横病無し」と臨済禅師は言われた。本当に禅が分かり、本当に心が空になるならば、着物を着たいと思ったら、薄物でも羽二重でも、欲しいものはいつでも手に入る。「食を思えば百味具足す」、食べたいと思えば、どんなご馳走でも食べられる。「更に横病無し」、交通事故で死んだり、野垂れ死にするようなことは決してないと、臨済禅師も保証しておられる。

(『無文全集』第九巻p386~387より)

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雪の下

雪の下の蕾


研究所前の花壇にある雪の下です。
もう少しであのかわいらしい花を咲かせます。
雪の下は、茶花としても用いられる他、その葉は天ぷらにして食べられたり、
火傷にはりつけたりと、様々に使われて来ました。
花が咲いたら、またご紹介致します。

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新緑の蓮華寺

戸を開けると緑の世界

かれこれ8年ほど前、紅葉の三千院に行こうとしたのが、あまりの混み様に、八瀬の紅葉を楽しめれば充分か・・・と、バスを降りた。
その時に偶然みつけたお寺、蓮華寺。
まさに紅葉真っ盛りで、その当時はまだ観光雑誌などにもさほど掲載されていなかったせいか、拝観す者は私を含め、数人であった。
それから何度かこのお寺を訪れているが、きっと今の時期、緑の海のようだろう・・・と期待し、久々に訪れてみた。
筆舌に尽くしがたく、あとは写真をお楽しみいただきたい。

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キチュ・ラカン -ブータン-

キチュ・ラカン

ブータン最古の寺、キチュ・ラカンを訪れた。

言い伝えによれば、チベットをはじめて統一した7世紀のソンツェン・ガンポ王は、それまでチベット全域に大きな力をもっていた魔女の力を封じるために、魔女の体の108のツボにあたる場所におのおの寺院を建立した。(『地球の歩き方 ブータン』より)

ということで、その左足にあたるのが、このキチュ・ラカンらしい。
歴史的に確認できるのは、13世紀頃だそうだ。
こじんまりした小さな村の寺といった感じだが、由緒ある寺だということで、皇太后によって建立された新堂があり、ロイヤルファミリー(とくにお后方)が訪れるらしい。
町の中にある大きなゾンや寺院より、自然いっぱいの村の中にひっそりとあり、姿美しく、とても素敵な寺だと思えた。

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寺の中庭にはミカンの木が。寒い地であるのにも関わらず、たわわに実ったミカンの実に、ブータンの人達は聖地のパワーがあるからだと言うらしい。

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MIHO MUSEUM -中国・山東省の仏像・小さきものみな美し-

MIHO MUSEUM

毎回楽しみにしているMIHO MUSEUMの、今回は春の展観に訪れてみた。
しだれ桜の時期を狙っていたのだが、あいにく予定が取れず、この時期になったが、それはそれで山々の新緑の美しさが目に鮮やか。

今回の企画展は、「小さきものみな美し」と題して、創立者小山美季子氏が慈しんだ品々から、小さく愛らしい物を選んでの展示。
展示品を見るまでははしゃいでいた子供達も、小さくかわいらしいながらも、真に美しいものを目にするからか、ヒソヒソ声でおかあさんに「かわいいね、きれいだね」と目を輝かす。
無論大人たちも、ガラスにおでこをひっつけんばかりに近づいて、その「小さきもの」にしばし心を奪われていた。
また、山東省の仏像の展示では、おおらかなお顔の仏像に、ギリシアで見た像のアルカイックスマイルや、そのゆったりと羽織ったように着られた衣を思い出す。日本までは、このような形は伝わらなかったのか・・・。

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堅田 真野川の鯉のぼり

真野川の鯉のぼり

大津市堅田に流れる真野川では、地元の小学生が作った鯉のぼりが元気に泳いでいました。
1つ1つ違う模様の鯉のぼり、とても上手に出来ています。
ここを通る人の心を和ましてくれますし、こちらも、地元の小学生達が、健やかに心強く成長する事を願います。

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大徳寺月釜

興臨院の緑

毎月28日は利休さんの月命日という事で、大徳寺聚光院では法要が行なわれ、大徳寺内の塔頭にて釜が懸けられる。
4月は聚光院が表千家担当で、総見院では茶筅供養、そして、玉林院・三玄院・興臨院・瑞峯院・大慈院の各塔頭にて、表千家の先生方が釜を懸けられた。
どこも1000円納めれば大寄せの茶会に参加でき、茶の湯を学ぶ者には良い勉強の機会となる。
何度も足を運ぶうちに、いかに先生のお茶に対する心、人柄が席中に反映されるのかがわかってくるのもおもしろい。
今回は、千家十職で釜を作る家、大西家の初代(浄林1590-1663)の吊り釜を拝見出来た。
五徳にはもう乗せられないというくらいの古さでも、このように茶会に使い、にこにこと笑いながら説明をして下さるご亭主の心に、五月の緑の美しさに、心癒される一日となった。

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『尊氏と天龍寺』展 於:天龍寺

天龍寺

嵐山天龍寺において、5月5日まで、『尊氏と天龍寺』展が開催中だ。
尊氏が描いたとされる「蘆葉の達磨」など、足利家と天龍寺の縁の深さを思わせる名品などが本堂内に展示されている。
曹源池の新緑も目に鮮やかなこの季節。
お出かけになられる方には是非ご覧いただきたい。

参拝者の方達

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韓国 -大韓仏教総本山曹渓寺-

曹渓寺_本堂

朝鮮王朝(李氏朝鮮)では儒学が尊重された一方、仏教は衰退の一途を辿った。朱子学を自己の行動規範とする「士大夫」の目には、仏教は「婦女子」の信じる蒙昧な宗教と映ったのである。

王朝末期以降、紆余曲折を経ながらも仏教は復興し、多くの宗派が成立する。1941年に韓国仏教の最大宗派である曹渓宗が成立した際、総本山となったのがソウルの曹渓寺(チョゲサ)である。

ビルに取り囲まれた境内はそんなに広くはない。町なかのお寺、といった風情である。だが、大雄殿(本堂)の内部で、熱心に五体投地の祈りを捧げる信者たちの熱気には、圧倒的なものがあった。そのほとんどは女性である。

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韓国-スターバックス仁寺洞店-

スターバックス仁寺洞店

ガイドブックを見て存在することは知っていたのですが、仁寺洞を散策していましたら偶然見つけました。
こちらは看板がハングルで書かれたスターバックスコーヒーのお店です。世界各国にあるスターバックスの中でもハングル表記の店舗はここだけだそうです。
看板の表記がアルファベットではなくハングルで書かれているという違いだけなのですが、なぜか得した気分になるのは私だけでしょうか?
ほかにも、○周年記念デザインのチケットを手にしたときや、発売○周年記念デザインのお菓子などにもついつい手が伸びてしまいます。

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