鎌倉日帰り行
今、禅文化研究所と臨黄合議所ですすめようとしている、禅芸術の文化財など宝物のデジタルアーカイブ化という大きなプロジェクトがある。
臨済宗や黄檗宗の各本山を中心に所蔵されている宝物等の写真と目録を整備するという、禅文化研究所にとっても、とてもやりがいのある大切な事業だ。
その説明に各本山をまわっている不肖であるが、28日金曜日には、鎌倉の建長寺に出向き、建長寺と円覚寺の両本山の御担当者に説明に伺ってきた。
今、禅文化研究所と臨黄合議所ですすめようとしている、禅芸術の文化財など宝物のデジタルアーカイブ化という大きなプロジェクトがある。
臨済宗や黄檗宗の各本山を中心に所蔵されている宝物等の写真と目録を整備するという、禅文化研究所にとっても、とてもやりがいのある大切な事業だ。
その説明に各本山をまわっている不肖であるが、28日金曜日には、鎌倉の建長寺に出向き、建長寺と円覚寺の両本山の御担当者に説明に伺ってきた。
先日、仕事で東福寺を訪れた。
帰りに山内を少し案内していただき、とある扁額が気にかかり眺めていた。
無價室
東福寺の歴代の管長様はこの室号と決まっているらしい。
ただ最近では、通常は違う室号をお使いとの事。
墨跡で、無價室という号が書かれているものに遭遇すれば、それは東福寺管長のものという事になる。
さて、それはさておき、「無」ということばについてだが・・・。
そのまま世間一般の意味でとると、無價(價は価の旧字)は「価値のない・・・」となる。
が、禅の世界では「無」となると、無限大、他に比ぶるもの無し・・・といった意味となる。
他に値するものの無いほどにすごい!>無價
「無学」ならば、もう学ぶものは無いと言ってもいいくらいの境地。また、もはや修行は必要ないほどの修行を達成した意味となる。お寺へ行って、「無学なもので・・・」とはナンセンスなのだ。気をつけたい。
(N.K Wrote)
いま、新刊の企画で、表千家の重鎮、堀内長生庵 前庵主の堀内宗心宗匠にご執筆をお願いしている。
宗匠の、誰に対しても変わらぬその丁寧な対応と優しい笑顔、小柄なお身体には、重鎮という言葉がそぐわない気もする。
今年米寿を迎えられたというのに、精力的に各地を飛び回っておられるのは驚きに値する。
ご自身もあの竹田益州老師に参禅された方で、お茶人の中でもっとも禅に精通されていると言っても過言ではないだろうから、茶と禅とご自身のことについて書いていただくことになっているので、刊行を楽しみにしていただきたい。
大好きなの美術館の1つ、-大山崎山荘美術館-を久々に訪れた。
私が好きになる美術館、大切な人を連れていきたくなる美術館の条件として、「元々は実業家や芸術家の邸宅であった」という事が挙げられる。
建築や庭から、住んでいた人の息づかいを感じる事が出来、さらに展示品を楽しめるからだ。
美しい物を一度にたくさん見すぎると、疲れるので良くないが、これでもかというほどの量でなく、ちょうどお腹が一杯になるくらいの展示数で、ゆっくりと楽しめる。
今回は、舩木倭帆(ふなきしずほ)氏のガラスの展示。
私の好きな布志名焼の窯元に生まれた人で、そんな人がガラスの作品を作っているという事で楽しみにしていた。
弊所発行のトーマス・カーシュナーさんの『禅僧になったアメリカ人』出版記念講演が、7月22日、東京禅センター(東京都世田谷区野沢 龍雲寺内)
で開催されました。
当日は、東京禅センターのセミナー受講者や関東地区の季刊『禅文化』講読会員ら50名の方々が来場されました。
出版(天龍寺季刊誌『曹源』)の仕事で天龍寺に参上した時、天龍寺曹源池に住みついているという、五位鷺に遭遇しました。
この鷺は、観光地の鷺らしくポーズを取るのがうまいとのこと。鶴島の天辺で静止したり、日本最古の石橋の上で片足で立ったり、人が来ると必ずどこかからやって来て、いろいろとポーズを取り、観光客を持て成してくれるそうです。
天龍寺の和尚さん方が、「誰だ!世界文化遺産の庭園に置物を置いたのは!!!」と言ってしまうほどに長時間静止しているとのことです。
天龍寺では、出臍君と命名しているようです。
私が出かけた際には、上のようなポーズをとってくれ、写真が取れました!
(M.T wrote)
わたしはお墓が好きだ。というより、とても気になる。
お墓といっても、秦の始皇帝陵や明の十三陵などの大規模で歴史に名を残し観光地ともなっている墳墓ではない。有名無名、大小に関わらず、苔むし草だらけの墓塔でありながら、地元の人々に伝承され護られて、今も昔も変わらぬ姿を見せてくれるお墓がよい。
毎年、仕事にキリがつくと、休みを取って中国へ渡り、少しずつお寺巡りをしている。最近の楽しみは、古い禅僧のお墓を見つけることだ。
先日、弊所T局長が中国大理への出張から帰国され、お願いしていた「日本四僧塔」の写真を見せてもらった。
7月16日(日)、北國新聞の朝刊に、禅文化研究所発刊の『生のうた死のうた』が採りあげられました。
北國新聞社様の御厚意により、こちらで紹介させていただきます。
以下、北国新聞 7月16日(日)朝刊 【この一冊】より
著者は「あとがき」にいう。「短歌は短い詩型であるが、多くの言葉を連ねるよりも深く、あるいは鋭く、生命世界が暗示されることがある」と。
一首三十一音はいわば小宇宙。歌人(うたひと)のこころはその中に光り輝く一つの恒星にたとえることができるのかもしれない。著者は星の光芒を追尾しながら、自身の生の拠り所を見極めようとしているかのようだ。
研究所には一般の方から様々な問い合わせが寄せられる。
その多くは禅語の出典などに関する学術的なもの、
あるいは坐禅ができる寺院を紹介してほしいというものである。
ときおり禅僧になりたいという相談もある。禅僧といってもそう簡単になれるものではなく、臨済宗では先ず派に属する寺院の徒弟となることから始まり、専門道場での一定期間の修行が必要となってくる。
先日もAさんという方から出家を希望する電話がかかってきた。
先日、某所で雑誌をぺらぺらめくっていたら、あまりに有名な茨木のり子さんの「倚りかからず」が出ていました。
触れたのは久しぶりでしたがやっぱりいいなと思いました。
ご存知の方も多いと思いますが、以下に記しておきましょう。
うちの寺の境内には樹齢二百年は下らないと思われる大きな欅(けやき)があります。
秋になると、それはもう尋常ではない落ち葉で、毎日掃除におおわらわの、掃除だけを思うと迷惑な樹です。
ところが、ここ十年くらいでだいぶ弱ってしまいました。枯れ枝も多くなり、樹に元気がありません。
ちょうど、この樹を売って欲しいという業者さんが来られるようにもなりました。伐らないと枯れてしまうと。
枯れてしまったら何の値打ちもないとおっしゃいます。
そこで、枯れ枝が落ちて山門や鐘楼にでも落ちたら困るし、閑栖和尚や、総代さんたちとも相談して、今のうちに伐って売ってしまおうということになったのです・・・。
京都では現在、祇園祭の一連の行事が続いています。
間もなくクライマックスの山鉾巡行が行なわれますが、様々な趣向を凝らした山や鉾の中には、中国の故事をテーマにしたものも多くあります。
中でも白楽天山は、唐の政治家で詩人の白楽天が、道林禅師を訪れたという禅の故事の一場面を表わしています。
白楽天が禅師を訪ねたところ、いつものように松の木の上で坐禅中。白楽天は思わず「危ない」と声をあげますが、逆に禅師から「危ないのはむしろ貴公のほうだ」と諭されます。白楽天は改めて仏法の大意を尋ねます。
禅師の答えは「諸悪莫作 衆善奉行」。悪いことをするな、善いことをせよというもの。
「そんなことは三歳の子供でも言いますよ」と言う白楽天に、禅師は「三歳の子供でも言うことであるが、八十歳の老人でも実行しがたいことである」。
織田信長が上杉謙信に贈った『洛中洛外図屏風』にも、それらしいものが描かれています。白楽天山の存在は、『景徳伝灯録』や『五灯会元』に見えるこの禅の故事が、室町時代の京の町衆にとっても、以外と身近なものだったということを示しているのでしょう。
(T.F wrote)
5月31日に発売されました、『禅僧になったアメリカ人』の著者、トーマス・カーシュナー師のインタヴュー記事が、京都新聞7月11日の夕刊に掲載されました。どうぞご覧下さい。
ちなみに、トーマス師は非常に素敵な絵を描かれます。上の絵は、彼の描いた絵なんですよ!著書の中に出てきます。
編集中の新しい本の発刊日が近づくと、編集室からスーツを着て書店営業に出るのも私の仕事の一つである。
特に今年は新刊書籍が多いので、春につづいて、秋にも回ることになるだろう。
禅文化研究所の本を置いてくれるような書店は、多くの書店の中でもほんの一部分だが、それでも、その書店毎に特徴があって面白い。
全国展開している書店で、いわゆるコンビニのように売れるものをどーんと置いている店、あるいは、売れなさそうな本でも、ここに行けば揃っていると言われるような書店を目指す大型店。
逆に行ってみるとホントに小さな郊外書店なのに、店長や担当者がとても工夫をしていたり、店長自らが推薦する本を中心に全国に顧客を持つ店もある。ここはホントに驚きなので、あえて書店名をあげよう。読書のすすめという郊外店で、『和顔』『愛語』は、全国一の売上げをされている。
他にも地域に根差して活動している店。書棚の配列が無茶苦茶で、ホントに売る気があるのかな?という店もナキニシモアラズ。
考えてみると、書店は本来、その地域の文化の発信地だったはずだ。
なのに、ある店では店長が、「この町の文化レベルを考えたら、こんな本は売れないよ」と豪語されると、ガックリくる。
でも、これは、作る側にも言える話。
売れるものを作るのか、売れなくても大切なものを作り続けるのか。このバランスは微妙だ。
いずれにしても、ライブドアや村上ファンドのように、人の汗で自分が儲かるようなことではなく、伝灯をまもりつつも創造的な仕事をしていきたいと、思っている。
(E.N wrote)
昨今、高額なお金を支払って美容整形をする人が増えてきているようです。
今年も“芙蓉”と“木槿”の季節がやって来ました。
研究所横の花壇にも、毎日元気に咲いています。
今朝、研究所の玄関にも飾ってみました。
花の少ない夏には、茶会に欠かせぬ花となります。
茶室の小間にてたった一輪、涼しげな籠に生けられた真っ白な芙蓉などは、えもいわれぬ風情です。
ご覧のとおり、京都御苑です。
職員N.Kは、禅寺の雰囲気・清々とした気分になれるあの空気が大好きなのですが、同じように静かで広くても、京都御苑のその雰囲気は、また禅寺とは違います。
何が違うのかと考えていましたが、御苑にいる時、ふとこの雰囲気をどこかで味わった事があると頭をよぎりました。記憶をたどると、「そうだ、伊勢神宮」。なるほどと感じました。
団体でのツアーに、“京都御苑散歩”は含まれていないかと思いますが、京都に来られた折には一度、早朝の御苑を散歩されてみてください。お寺とはまた違った空気を味わえます。
禅文化研究所スタッフのE.Nです。つい先日、私の自坊で収穫したばかりの梅です!
うちの梅林は、約80本の梅の木がありますが、そのうち約1/3が梅の実を実らせます。あとは花梅です。毎年、春から秋の間は檀家さんに出てもらって、月に一度の下草刈りやら消毒やら剪定やら、いろいろ大変ですが、お蔭で今年も40kgほどの梅の実を収穫することができました。
この梅林は、臨黄ネットトップページ画像にも使っていますよ。臨黄ネットの事務局も、禅文化研究所でさせてもらっています。
さて、ここでスタッフN.K.にバトンタッチします。
私は、今年は梅醤油を作りました。
煮沸消毒した瓶に、梅と、ひたひたになるくらいの醤油、好みでお酒を入れて半年待つだけ!
良い風味の、まろやかな醤油ができ上がるはず。今から楽しみです。