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-臨床僧の会・サーラ-

季刊『禅文化』220号で掲載させていただいた、-臨床僧の会・サーラ-につきまして、ブログでもご紹介させていただきます。

「臨床僧の会・サーラ」

 臨床僧は、病院・福祉施設・在宅などで病と闘う人たち、死に直面する人たちの傍らに寄り添う僧侶です。
 現代医学は様々な病を克服し、人々に大きな喜びを与えてきました。地獄の苦しみと言われてきた末期癌の痛みも、疼痛医療の発達で緩和することが可能になりました。その恩恵は計り知れません。
 しかし一方で、「医者は病気を診て、患者を診ていない」と言われてきたような、治療偏重の弊害は依然として改善されていません。例えば、医学的に治療する手立てが尽きた末期癌患者は、死の恐怖と闘いながら、ベッドで無為な時間を送っています。何故なら、治療の手段を失った段階で、医学的には敗北したと判断されてしまうからです。〝生命〟を救うことだけを学んできた現代の医療は、患者の人生をも含んだ〝いのち〟を救う術を持ちあわせていないのです。
 そんな、医療が救うことのできない“いのち〟を救えるのは、「生死」を一体のものとしてとらえる仏教ではないでしょうか。
 二千数百年前、仏陀が「医王」とも呼ばれたのは、単に病を治す知恵を持っていたからではありません。病人の排泄物の世話をしたという逸話が残されているように、自らが辿りついた境地を基盤に病人に寄り添い、〝身体〟と〝こころ〟両面のケアを行ったからに違いありません。生と死の狭間で悩み苦しむ人々の声を聞き、共に考え、道を指し示したのです。現代の臨床僧もまた、患者とその家族に寄り添い、喜びと悲しみを共有することを目指します。

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静岡県三島市・沼津市へ




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駿河には 過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

先日、静岡県東部の三島市と沼津市へ出張してきました。
普段あまり行くことのない土地に趣くのはとても楽しい事です。

ご当地には、臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師が、多くの修行僧を指導接化された松蔭寺(臨済系単立)があり、お弟子の東嶺禅師に創建させ、自らは勧請開山となった龍澤僧堂(臨済宗妙心寺派)もあります。天気の良い日には霊峰冨士の御山を眺める事ができます。
特に三島市では豊富に湧き出でる富士山の伏流水の恵み豊かな土地で、昔は家に水路からの水を引き入れて、野菜を洗ったりなどなどしていたそうです。
三嶋大社では、名残の枝垂れ桜が楽しめました。

傑出した禅僧、白隠さんを生み出した土地という事、その白隠さんが開山である名刹・松蔭寺や龍澤寺がある事、皆様も記憶にとどめておいていただければ……と思います。




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季刊『禅文化』220号発刊




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弊所の季刊誌、『禅文化』220号を発刊しました。
こちらからどうぞ。

吾が師を語る――奥大節老師/西尾宗滴
愚堂中興以後の妙感寺寸考/能仁晃道
禅宗語録入門読本 六祖と南岳懐譲/小川隆
ゼミナアル・禅思想の道を歩く 講読 『信心銘夜塘水』(三)/西村惠信
禅僧の死に様 (四)快川紹喜/藤田琢司
南宋・金の衰亡と禅 (上) 要説・中国禅思想史29/伊吹敦
回想―花園大学―その十/北西弘
宗教と教育と私 体験的宗教教育論/松田高志
技を訪う ヨガ/川辺紀子
体当たり僧侶のボランティア日記 (四)/藤井隆英
一得一失/姫野晴道
碧巌録提唱(十五) 第三十六則 長沙逐落花回/山田無文
四方山話/平塚景堂
聖域巡礼 (二十三) 青蔵鉄道を行く(二)/李建華
グラビア 巣松翁蔵 禅林墨蹟 海門禅恪・弘巌玄猊
寺庭さんのリレー・エッセイ 共に夢が叶いました/亀井精子
和尚さんの身体講座 (三十) 究極の薬師流体軸運動/樺島勝徳
人ってときに墓なんですね―笹井宏之の生命の歌/佐伯裕子

表紙解説/藤元裕二
臨床僧の会・サーラ
いっぷく拝見
編集後記〈禅文化漫筆〉
『禅文化』バックナンバー
禅文化研究所の本
カット・左野典子

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技を訪う -土樂窯 福森雅武-




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職員、川辺紀子がことに気になった事、モノを紹介し続けております、季刊『禅文化』の「技を訪う」シリーズ。
その取材の為、先日、伊賀の土樂窯へお邪魔し、七代目の福森雅武氏を取材させていただきました。

私の兄が、現在のように白洲正子ブームが来るずっと以前より、彼女の著書を色々と読んでおり、私自身も、もう10年以上前になるでしょうか。『日本のたくみ』(新潮文庫)で福森氏の事を知り、その後、福森氏の著書である『土樂花樂』や『土樂食樂』を求め、伊賀の“土樂窯”といえば、おおげさに聞こえるかもしれませんが、私にとっては本当に憧れの聖地のような場所だったのでした。

京都で非常に親しくなった友人が、福森氏の四女・道歩さんと仲が良かった事から、事あるごとに私もお仲間に入れていただく機会が増え、今回の取材が実現しました。
御縁とはまったく不思議なもので、今も、「本当に行ってきたのだろうか、なぜこんな事になったのか……」と夢のような心持ちです。思いというのは通じ、繋がるものとしか思えません。

自然の恵み溢れるかの地での生活、来し方から、様々な事を伺ってきました。221号に掲載させていただく予定です(何度かに分けて掲載するかもしれません)。
お楽しみに!




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愛別離苦




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これまで血縁者、先輩、友人など非常に親しい人を何人か失ってきたが、その度に慟哭し、転げ回り、なんとか這いずり上がってきた。3月11日、親友の一人から夫人の訃報が届いた。私は夫人とも大層仲良しだったから、動顛してしまった。その知らせと前後して、東北で大きな地震があったらしいというニュースも飛び込んできた。東北の惨事の詳細はまだ明らかになっていなかった。私は近しい人の死に心奪われて、放心していた。仕事の合間を縫って死者を訪ねると、美しい穏やかな顔で横たわっていた。急性肺塞栓症という病を得ての急逝だったという。前日まで自転車を乗り回していたのだそうだ。48歳だった。

以前に、ロバート・レッドフォードが、40歳に届かずに亡くなった母親の人生を、「アンフェア」だと語っていたが、友人の死顔を見ながら、本当に「アンフェア」だと思った。彼女は道教の研究者として、壮大なプロジェクトを実現するために、日夜邁進していたのだ。研究者の常として、いつでもどこでも目を通せるように、論文や書物を持ち歩いていたが、世間話に打ち興じるときには、ケラケラと屈託なく良く笑った。その笑い顔が、繰り返し脳裏に浮かんできて、大きな大きな喪失感が両肩に覆い被さってきた。その度に胸のあたりがギュッと締め付けられる。未だに、それは変わらない。

二日後、火葬場で骨上げを待っているときに、付き添ってくださった和尚さんが、「火葬にこれだけのみなさんが集まられて、ちゃんとお別れができるのは、実にありがたいことです」と言われた。東日本大震災で亡くなられた方々のご家族の悲嘆が身に迫った。

夫人を失った友人は、今、深い深い喪に服している。私には彼に届けるどんな言葉も見つからない。仏教学者の彼は、彼自身の「愛別離苦」を今、身をもって生きている。

「わしなァ、家の中に居る時は母親のことで頭一杯で、外(ほか)に一切ありませんのや。それで下駄履いて外に出たら、心はすっかり外に向かい、たとえ留守中に泥棒が入って、母親がどんな目に遭おうが知らんこってすゼ」
母親孝行を尽くされていた森本省念老師の言葉である。
私がこの語に出会ったのは、母を失って心がふわふわと彷徨っていたときのことだ。深い衝撃と地の底から湧いてくるような安堵に包まれたことを思い出す。私の「愛別離苦」にそよそよと風が吹いた。老師がぴたりと私に寄り添ってくださっているような気がしたのだ。私は生前の老師に一度もお目にかかったことはないが、無上の「大慈大悲」だった。

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臨済宗檀信徒経典CD




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以前より、『臨済宗檀信徒経典』という一般檀信徒向けの日課経本を頒布しているが、このたび、その中に掲載されている経典のほとんどを網羅して読経する、『臨済宗檀信徒経典CD』(予価1000円・税別)を制作し、5月半ばより販売することになった。

収録されている内容は下記の通りである。
 1. 小磬三声 続いて 般若心経
 2. 消災呪
 3. 本尊回向
 4. 世尊偈
 5. 大悲呪
 6. 開甘露門
 7. 先祖回向
 8. 坐禅和讃
 9. 舎利礼文
 10. 延命十句観音経
 11. 四弘誓願
 12. 普回向
 13. 小磬三声
また、CDをおさめているトールケースの中には冊子が入っており、勤行作法などについての解説が記されている。
読経の声は、妙心寺派の法式梵唄講師の吹田良忠師(妙心寺塔頭・慧照院住職)である。

ただ、このCDは、臨済宗檀信徒の方々がご自宅で読経されるときの手ほどきとなるよう制作したものであって、CDを流したからといって、ご先祖の功徳になるわけではありませんから、お心得違いのないように。
朝の一日の始め、あるいは一日の終わりとなる夕べに、自らお仏壇の前に静かに座って、ご本尊さまとご先祖さまに報恩感謝の心で読経することを日課としてはいかがでしょう。

発売を開始する時点でまたご案内します。まずはお知らせまで。

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花山椒




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自坊の裏庭にある山椒の木が花を咲かし始めた。花が開くのは雄木のほうで、実のなる雌木と比べ山椒独特の香りも柔らかい。
開花する前の段階で花を摘み取ってゆく。鋭い刺に注意しながらの素手の作業になる。半日かけてボール一杯ほどの収穫となった。

これを細切りの昆布と共に醤油、酒、味醂等でじっくり煮込むと花山椒の佃煮の出来上がり。香りと共に舌にぴりっとくる辛みは、あつあつのご飯のお供として、酒の肴として、この季節で最高の一品となる。
若葉はこれから檀家さんから頂くであろう筍と木の芽合えや若竹煮の薬味として重宝する。旬のものを味わう楽しみは格別である。

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畑(はた)のしだれ桜 -信楽(滋賀県)-




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地元の方の話では、昔は訪れる人もほとんど無く、お弁当を広げてゆるりと花見を楽しんだというこの場所。
この季節、枝垂れ桜が満開のMIHO MUSEUMとあわせて訪れる人も増えたためか、このようにブログで紹介する人が多くなったからか、現在では信楽の名物となり訪れる人が後をたちません。17日に訪れましたが、ちょうど満開でした。

多くの桜の木が植わっている所を観にゆくのも良いものですが、ぽつりと1本の大木が立派に花を咲かせる様は圧巻。やはり格別です。




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四十九日の追悼法要について




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全日本仏教会より、震災から四十九日を迎える四月二十八日に、追悼法要を……とのお願いが、寺院向けに出されました。
寺院のみならず、一般在家の方々にもお知らせ致したく、こちらにて御案内させていただきます。


追悼法要のお願い

 三月十一日、日本列島に未曽有の大災害が発生いたしました。東北地方をはじめとする大地震とそれに続く津波により、多くの尊い命が奪われ、未だ安否不明の方が大勢おられます。さらには原子力発電所の事故により多くの方が困難な生活を強いられております。
 被災地では各ご宗派の寺院も甚大な被害を受けていると聞いております。そのような状況下で、被害の少なかった寺院が避難所となり、火葬場では僧侶が読経奉仕を行っているという報告を聞いて、同じ仏教者として思いを寄せずにはおれません。
 また、被災を目の当たりにした私たちに、何が出来るのか深く考えさせられます。四月二十八日、地震発生日より四十九日が訪れようとしております。ご遺族の方の気持ちを考えると、あまりにも早い四十九日かも知れません。しかしながら四十九日という一つの区切りを乗り越え、共に生きて欲しいと思うのです。
 四月二十八日、地震発生時刻の午後二時四十六分に、鐘楼のあるご寺院では一斉に鐘を撞いていただき、心を一つにしてまいりたいと思います。また、各ご宗派のご本山をはじめ、全国のご寺院では、四十九日法要を行っていただき、お亡くなりになった方々、被災地で頑張っている方々へ、お香のかおりと共に私たちの思いを届けて欲しいのであります。
 震災の復興に向けて私たちは共に協力し、長き支援を志さなければならないと思っております。どうか、皆様の温かいご協力を賜わりますよう衷心よりお願い申し上げます。

財団法人 全日本仏教会
会長 河野太通

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映画 ブッダ(原作・手塚治虫)のご紹介




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没後20年になる、あの手塚治虫が描いたコミック「ブッダ」。私も子供の頃、父から与えられたコミックスで読んだ記憶があります。
多くの方が目にされたのではないかと思います。
10年をもかけて連載されたこの大作が映画化されてて、来たる5月28日より全国でロードショーされます。

残されているブッダの説話そのものではありませんが、手塚氏の独自の観点から作られたドラマとして、見応えのある作品になっているようです。
あらすじや、詳しい情報に関しては、映画「手塚治虫のブッダ-赤い砂漠よ!美しく-」のオフィシャルサイトで御覧ください。本編は、出家前までの少年期を中心に描かれた部分の映画化のようです。

なお、(財)全日本仏教会はこの映画の推薦となっていますので、お近くのお寺でもこの映画のポスターが掲示されているかもしれません。私の自坊にも届きましたので、さっそく掲示しておきました。

お得な前売券も発売されるようです。どうかお見逃しなく。

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坊さんは何もしない?!




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お坊さん自身が叫ぶわけにもゆきませんので、在家の禅ファンである私が今日は叫んでみたいと思います(いえ、叫ぶというほどでもないのですが冷静に……)。

何故でしょうか、阪神大震災の時もそうだった気がしますが、今回の東日本大震災においても、「宗教者が何もしていない!」的バッシングが飛び交います。喜んでそのような事を言いたがる人たちが、どうやらいるようです。糾弾する相手が“宗教者”となると、「そうだ、あいつらは何のためにいるのだ!!!」と一緒になって批判する同志を得やすいからでしょうか。もちろん何も行動していない宗教者もいるのかもしれません、だからといって今それを責めて、何か良い事があるのだろうか?と私は不思議に思います。

僧堂で修行をしてきている禅宗のお坊さん達は、えてして自分の事はさっさと自分でやってしまわれます。私はいわゆる“偉いお坊さん達”が集まる会議に、議事録を取りに加わりますが、お茶一つお配りする時でも、その後にお昼御飯が出る時でも、御給仕をする人に任せるのではなく、皆さんがそれぞれにさっさとお手伝いをなさいます。僧堂を出ている者にとっては、至極自然で当たり前の事だからです。会社勤めをしていた私にとっては、初めてその姿を見た時にどれほど驚いた事か知れません。
役職や立場が上だからといって、根っこを生やしたように坐っているのではなく、さっさと行動。見ていてとても気持ちがよく、清々しいものです。

その“当たり前”のごとく、現地へ行って読経ボランティアやその他片付けに淡々と加わっている方達は実際数多くいらっしゃるお話をあちらこちらから耳にします。
マスコミからの情報だけで、本当のところを知り得る事もできないのに、一緒になって他者を責めたり(その矛先は政府であったり東電であったり色々ありますが)して、一体何になるのでしょうか。
今、そんな事をしている暇があるのですか?と問いかけたい気持ちです。

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花園大学 無料公開講座 -禅とこころ-




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弊所は花園大学内にあります(花園大学の研究機関ではないのですが……)。
そんな研究所のお隣にあります花園大学教堂にて、毎週月曜日の10:40~12:10、無料公開講座-禅とこころ-が開催されています。

次回は4月18日。

花園大学の学長で、弊所の理事長でもある、細川景一師による禅語の講座です。
毎週、禅語であったり、禅の文化であったり、提唱であったり、様々な禅に関する講座が開催される予定です。
弊所のブログでも御案内して参ります。

講座の前には、いす坐禅と読経も。お近くの方、ご関心ある方は是非ご参加下さい。

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マザー・テレサ生誕100年記念写真展 -思文閣美術館-




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思文閣美術館にて4/10まで無料にて開催されていた、「マザー・テレサ生誕100年記念写真展竏茶}ザー・テレサは生きている竏秩vを拝観に訪れました。

折に触れて色々なところで目にするマザーの言葉には、クリスチャンでなくとも万人に響き、届く愛があります。


大切なのは、どれだけたくさんの事をしたかではなく、どれだけ心を込めたかです

この御言葉は、私が以前東京国際ブックフェアに仕事で訪れた際に、お隣のブースにいらっしゃった女子パウロ会の方にいただいた栞に刻まれていました。今も自宅の机の上に飾っていますが、この御言葉がどのようなお話から出てきたのかを知る事ができました。

マザーがいらしたインドの孤児院で砂糖が切れてしまい、それをどこかで耳にした4歳の男の子が、「マザーに渡すのだ」と、自身が3日間お砂糖を取るのを我慢し、ビンに入れて親御さんと一緒に持参したのだとか。その時にマザーはこの4歳の男の子から上の事を教わったのだそうです。

その他にも印象深いマザーの表情、御言葉に多々出逢える展観となっています。
“祈り”とは尊いものだな……と改めて思いました。

次回開催は下記の模様です。お時間ある方は是非ともおでかけになってみてください。

2011年6月17日(金)~24日(金) 京都ノートルダム女子大学ユニソン館
連絡先:カトリック教育センター(075-706-3764)

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『スリランカで、ほっ』岩瀬幸代著 -職員オススメ本-




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豊かな自然と、美しい多くの仏教遺跡が残るスリランカ。
お釈迦様(仏教)大好き人間としては一度は訪れてみたい魅惑の国。

そんなわけで、最近スリランカ関連の本を色々と読んでいます。
今回は、岩瀬幸代さんの『スリランカで、ほっ。仏教は心のアーユルヴェーダ』

インドから仏教が伝わったのと同時にアーユルヴェーダの智慧も伝わり、総合的に人を“癒す”役割を担ったスリランカの寺院。そんな寺院と、その周りに暮らす人々の濃く深い繋がりがよくわかる一冊です。

近隣との揉め事があればお寺へ、体調を崩せばお寺へ(アーユルヴェーダや伝承医療の施術可能な僧医がたくさんいるようです)、人生相談の為お寺へ(スリランカに古くから伝わる占星術だってお手のもの)、なんとなく不安を抱えたらお寺へ、身体と心の健康を保つ、つまりは物質的な豊かさではなく、本当の意味でより豊かに、より良く自分の生を生きる為に欠かせない拠り所として、村の中心部に寺院が存在するようです。

東日本大震災後にこの本を読んだ事は、タイムリーだった気がします。
私達のエネルギー消費はこのままでいいのか、物質至上主義は、どこか違うのではないか、生き方をみつめなおそう、その様なことを皆さんお考えになったかと存じますが、私もそうでした。

日本はいわゆる経済的な発展途上国に多額の援助をしています。スリランカもそういった国の一国ですから、どこか「遅れている国」と見ている人も多いかもしれません。
実は全くもってそんな事は無く、この国にお釈迦様がいらした時代から続く仏教の在り方や珠玉の智慧、自然との繋がりなどから、私達が今後の生き方を考える上で学ぶ所は多いはず……と私は一人確信し、妙に興奮してしまいました。

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天上天下唯我独尊




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今日は仏教の三仏会の一つ、降誕会(お釈迦様のお誕生日:花祭り)です。

ネパールに近いカピラヴァストゥという国の城主であったシュッドーダナを父とし、隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘のマーヤーを母として、現在のネパールのルンビニにて生まれました。ゴータマ・シッダールタと名づけられた、後のお釈迦様は、生まれるとすぐに七歩歩き、右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊(天上にも天下にも、唯だ我れ独り尊し」と言ったと伝えられます。

これをよく「世界中で私が一番偉いのだ」と捉えて、お釈迦さんともあろう人が、なぜそんな横柄で偉そうなことを?と思う方もおられるようです。また、もちろん生まれてすぐに歩くことなど尋常ではできるはずもなく、赤ん坊がそんな言葉を言うことももちろんできそうにもありませんが、それは偉人によくある、弟子たちによって後に作られた伝説として捉えればいいでしょう。
しかし、そうまでしてお釈迦様が生まれてすぐに言われたとするほどの、この言葉の意味は取り違えないようにしたいものです。

世の中で、この自己こそが、かけがえのない存在であり、かけがえのない命(いのち)である、ということです。そしてここで言う「我」は釈尊自身であり、あなたや私自身でもあります。生きとし生けるものすべての「それぞれの命」です。

今、東北地方はこの度の地震と津波による震災で相当な被害をうけ、そこに暮らしてきた人びとの生活はままならないことになっています。原発の放射能漏れにさらされている福島の人たちも同じです。
またその中で、自分の命をも顧みず、放射能漏れを止めようと前線で懸命に働いてくれている人たちがおられます。私たちは彼らに託すより仕方がありません。

しかし、自らのかけがえのない命と引き換えに、私たちの命、植物の命、魚の命が守られるように働いてくださっているのです。「有り難う」の言葉しかありません。

大本山妙心寺の生活信条の二番目に、「人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう」とあります。「天上天下唯我独尊」を言い改めたものと言えるでしょう。

本来は、まず自分の生活を大切にしてはじめて、他人の生活も大切にできるのだと思いますが、今まさに福島原発で放射能にさらされながら作業をしている人たちは、そうではないのです。
まるで第二次世界大戦において、お国のためにと散っていった人びとと同じではないかとさえ思います。

こういうことになってしまうような原子力発電に頼る生活環境を作ってきてしまったことを、我々一人ひとりの責任と感じて、一日も早く正常に「自他の生活を大切に」できる日が来ることを願ってやみません。

「天上天下唯我独尊」とみんなが言える日が来ることを祈って、甘茶を小さなお釈迦様の像に潅いだのでした。

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『禅文化』219号 技を訪う -ズーセス・ヴェゲトゥス-

日々の生活で出会った素晴らしい様々な“技”を、季刊『禅文化』にてご紹介しています。
本ブログでもご紹介させていただきます。
その他の記事はこちらから。
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季刊『禅文化』219号より
“技を訪う―ズーセス・ヴェゲトゥス”  川辺紀子(禅文化研究所所員)

 海外から日本に入ってきて、時と共に“日本風”に独自の変化を遂げるものは少なくない。ドイツ菓子バウムクーヘンもその一つだ。以前、ドイツで食べた物とは似ても似付かぬ日本のそれには、正直、少し落胆していた。
 クリスマスの頃だったろうか。不思議なバウムクーヘンに出会った。実に美味しい。聞いたことのない店名、“ズーセスヴェゲトゥス”をネットで検索してみると、ホームページが見つかった。ズーセスはドイツ語で甘いものを意味し、ヴェゲトゥスはラテン語で野菜のこと。バウムクーヘンのみならず、季節の野菜を使ったキッシュなども販売されているようで、私がいただいたショコラスパイスバウムクーヘンは、冬季限定の味のようだった。

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ドイツ菓子のマイスターブリーフ

 店の主は森美香さん。ホームページの記述から、彼女がドイツで修業をし、ドイツ菓子マイスターの資格を持っておられることもわかった。たまに更新されるブログを覗くと、師事する茶道の先生の言葉も書かれている。「あなたの心を今ぐるぐるに縛っている鎖は、いつか必ず、しかも一瞬にしてはずれる時が来ますよ。それまで待ちましょうよ」。私は、瞬く間に惹かれてゆき、彼女のブログの更新を楽しみにするようになった。いつかお会いしたいなと思っていたが、ある日、友人のために菓子を持参しようと思い立ち、お店に伺う機会が訪れた。
 彼女の第一印象をどう表現したらよいのか。一人で立派にお店を経営されているわけだが、若い学生さんのように溌剌としてみずみずしい。こちらを真っすぐに見つめて話される瞳から、好奇心の強い人であろうことが伺えた。この日は少しお話をして店を後にしたが、その後もどうしても彼女のことが気になる。やはり、取材にゆこうと思い立ち、手紙を出したら、快諾してくださった。

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朝の京都御苑




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たまに、通勤前に京都御苑を散歩します。
いつも美しく保たれている御苑内ですが、それもそのはず。
座る時に拭いた事もない綺麗なベンチは、朝、“京都御苑”という文字が背中に書かれたユニフォームを来た方達の手で、一つ一つ丁寧に拭かれていたのでした。
さらに、敷き詰められた砂利も、上のように整備されています。

京都に住まう者にとって心の拠り所となる場所が、常に美しく保たれている事に有難みを感じます。変わらぬ美しい場所がここに来れば必ず有るという事実は、私達を支えてくれます。

早朝のお寺さんを散歩してみても面白いかもしれません。あの美しく掃き清められピシッと張り詰められた空気を保つ為に、和尚さん方が掃除をされている姿に遭遇することでしょう。

どこかへでかけてこの雰囲気を味わうのも良し、でも、少し気をつけて自身の周りからこうありたいものです。少しの意識の変化で、自身の周りも変わってくる事でしょう。

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Google検索の特殊な使い方 その1




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インターネット検索エンジンで有名な「Google」には、あまり知られていない特殊な使い方があります。その中から便利そうな使い方をいくつかご紹介します。

【電卓】

Googleの検索ボックスに計算したい数式を入力するだけで、基本的な算数だけでなく、単位、変換、物理定数などの複雑な数式を電卓で求めることができます。

例えば、820円の本を4冊と送料580円の合計額を計算したい場合は、Googleの検索ボックスに「820*4+580」と入力して検索すると「(820 * 4) + 580 = 3860」と表示されます。




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旧有栖川宮邸の枝垂れ桜




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京都市上京区のにある、旧有栖川宮邸の枝垂れ桜です。
毎年この季節になると、地下鉄丸太町駅から我が家へ帰る途中に私の目を楽しませ、心を華やかにしてくれます。

あまりに立派なこの枝垂れ桜。1952年に堂本印象画伯の提案で、醍醐寺三宝院内の実生の枝垂れ桜を移植したものとして有名です。
かの秀吉の「醍醐の花見」の桜の孫にあたるそうです。
今も昔も人の心は変わらず、、でしょうか。

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京都御苑の春




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梅、桃が満開、続いて木蓮、早咲きの枝垂れ桜も咲きそろった京都御苑からの花便りです。
遅咲きの桜が見頃を迎えるまで、一ヶ月ほど我々の目を楽しませ、心をなごませてくれます。



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