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Flowers and Plants in Tibet -№6-

Plants in Tibet

禅文化研究所客員研究員・李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
チベットの厳しい自然の中でも、草は根を張り、美しい花を咲かせます。
専門家さえその品種を特定するのが難しい植物もあるとの事で、植物の詳しい説明は避けたいと思います。
どうか、美しい写真をお楽しみ下さい。
尚、チベットの植物について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんどんコメント宜しくお願い致します。

追伸:お父さんの李建華さんによるチベット紀行も必見です!!!

※写真の無断転載・利用はおやめください。

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御苑の梅

御苑内の梅

もしや、この暖かさだともう・・・。
と思い、御苑へ散歩に出かける。
春や秋と違って彩りの無い、しんとした御苑内に、一本だけ満開の梅。
春ももうすぐそこですね。

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いのちについて思う

先日「硫黄島からの手紙」という話題の映画を見た。戦局の最先端にいて殺し合いの末に命を落す人、弾薬が底を突き戦うことができず自害していく人、敵に投降したにもかかわらず殺される人、そして戦地に愛する人を送って国で待つ人……。戦時中に生きていた人たちのそれぞれの生きざまの集約を見た気がした。重い映画だったが、とてもいい映画だった。

ところで、このところ、子供の自殺、夫婦や兄弟でのバラバラ殺人事件の連続。毎日ニュースを見ていても、次から次へと悲惨な事件ばかりで、どの事件がどの事件かさえわからなくなるほどである。
また、これだけ飲酒運転を警戒されているのに、飲んで乗ってひき逃げ・・・。無責任極まりない。
いったい人の命の重さというものを、どう考えているのだろう。そう思わずにはいられない。
彼らはずっと身近な人の死と向き合わないで生きてきたからではないか。

自坊の檀家のことであるが、篤信家の好々爺がいた。
自身を献体申請しており、そのために万が一の時には遺体がないことになるからと、毎年お正月になると床屋で散髪をしては、これを遺髪にせよと紙に包んで家族に渡しておられた方だ。
その曽孫である当時小2のSちゃんは、このお爺さんのことが大好きで、日頃からいつも手をつないで歩いていた。
ところが、ついにその爺さんも93年の寿命がつきた。死に際に家族が集まり見守る中、Sちゃんは、お爺ちゃんに「私にパソコン買ってやるっていってたのに、買わないで死んだらあかん」と、徐々に冷たくなる手を握って泣いて訴えたそうだ。
お通夜の時、Sちゃんは私に、「お爺ちゃんの暖かい手、だんだん冷たくなっていったんやで」と話してくれた。
自分の死をしっかり見つめていた老人と、それをしっかり受け止めていた幼女の姿なのである。

しかし、かたや、家族が亡くなっても、忌み嫌って子供達を近づけないように避けてしまわれる家庭が多いことも確かだ。
人は息を引き取ると、暖かい手が冷たくなっていく。それを実感として知らないで生きている人がどれだけいることだろうか。
テレビドラマで人が人を殺めるというフィクションを毎日のように眼にしてしまっているのに、人が死ぬということを現実として感じられない人たちが溢れているのだ。

学校教育には任せられない部分、私たち宗教者の手でどうにかしなければならない。
『子育てのこころ』(盛永宗興 著)。読んでもらいたい一冊である(もうすぐカバー一新)。また、一番小さな社会である家庭において、自分と他人の命のことを考えてもらえるような本も考えたい。

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ラブレター

山科 随心院


友人と山科区小野の随心院に詣った。

雨僧正と呼ばれた仁海の開創である当寺は、真言宗の二大流派のうち小野流の本寺として栄えた、日本仏教史の上でも重要な寺である。しかし、現在では一般に小野小町ゆかりの寺として知られている。

一室に小野小町が自らに寄せられた恋文を下張りにして作ったという文張地蔵が安置されていた。寺の案内記によると、罪障消滅を願い、あわせて有縁の人々の供養をしたものだという。

古来日本には、亡き人の手紙を張り合わせ、その裏面に経を写して故人の冥福を祈った「消息経」というものがあった。罪業を消滅させるために作られたというこの文張地蔵も、おなじ趣旨のものと考えることができよう。

しかし、真っ黒な地蔵尊を前にして手を合わせようとした瞬間、ある違和感に気がついた。抵抗感と言ってもよいかもしれない。

昔から仏像の材については非常な注意が払われてきた。霊夢によって感得した木、光を放った木など、不思議な霊瑞を現した木で仏像を彫ったという寺院縁起は枚挙に暇がない。実際、ご神木や落雷した木などで作ったと思しき仏像が数多く残されている。

ところが、この地蔵は、愛欲の所産である恋文を材料にして作られたというのである。いくら供養のためとはいえ、崇拝の対象である仏像の材料とするとはどういうことなのか。私は今、何に手を合わせているのだろうか…

すぐに「煩悩即菩提」という言葉が浮かんだ。無数の艶書が集合して慈悲の尊像を形作っているその姿、それは物狂おしいような愛執が、そのままさとりの姿であることをを現しているのではなかろうか。われわれの人生から悩みが消えることはないだろうが、それをどうとらえるべきかは、われわれ自身にかかっている、そういうことを示しているのではなかろうか…

そんな一人合点に悦に入る私の隣で、友人は全く別の解釈をしていたようであった。

「昔の恋人からの手紙って、意外と処分に困るからなあ…」

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雪月花と地球温暖化

細見美術館_雪月花

3/11(日)まで、岡崎の細見美術館にて、「雪・月・花 展」-雛かざりとともに- が開催中なので、先日訪れてみた。
日本における、冬の雪・秋の月・春の花。 日本人が古来より愛してやまないものたち。 
日本人は、季節をいくつにも分けて、その季節ごとに様々な喜びをみつけられる繊細さを持っている。この展示を見に行くと、四季ある日本だからこそ育まれた世界観に出会える。

この四季ある美しい国(首相のことばを借りたわけではありませんが・・・)の事を考え、この国に生まれて良かったと感謝すると同時に、地球温暖化の事が気にかかって仕方がない。
この国の美しさを守りたいと心から思っている(もちろん地球全体も)。
雪月花と地球温暖化は直接結び付く問題なのだ。温暖化が進み、亜熱帯地域のような気候になり、日本の四季が狂えば、雪月花もなくなってしまう・・・。
一人で心配して心を痛めているより、自分で気をつけられる事は気をつけていこうと思う次第。
そして少しずつ周りの人にこの事を話していこうと思う。
温暖化の影響で絶滅寸前の動物が確実に増えている。
アフリカでは干ばつの為、何千年も前から守ってきた生活を続けられなくなっている部族の人達がいる。彼らは、自分たちが悪いから神が怒っているのだと考えているらしい。
これを聞いて、私達日本人を含め、先進国の人々は心が痛まないだろうか?
もう、責任ある国が目をふさいでいる時ではなくなってきている。

例えば、日々の生活で少しだけ意識して下記を気をつけただけでも、CO2の排出量は違って来る。是非考えて欲しい。地球に優しい生活は、結局のところ、自分たちにも優しい生活になるのだ。

*冷房・暖房温度の設定に気をつける(夏は18度、冬は20度まで!)。
*コンビニやスーパーのレジで袋をなるべくもらわない。百貨店での不必要な包装は断る。
*シャワーや温水をなるべく出しっぱなしにしない。
*お風呂の残り湯で洗濯をする。

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この国の風景 -ブータン-

龍の通り道

ブータンの人々は、自分たちの国の事を、-雷龍の国-と呼んだり、デュルック・ユル-穏やかな龍の地-と呼んでいる。
ブータンを旅していて、この風景を見た時、「あぁ、本当に龍がこの国を守っているのかもしれない。ちゃんと龍の通り道があるんだ」と思った。
皆さんも想像できないだろうか? 谷間を飛ぶ龍の姿。

これは、東洋人だからこそ想像できることなのか。

キリスト教社会では、龍は悪の化身で、神々と対立する存在として登場し、ギリシア神話などにも神々が龍を打った話が数多く残っているし、古代オリエントの世界でも、ヒッタイトには龍退治の話が残っている。
インドやネパール、カンボジアなど、ヒンズー信仰と係わり深い国では、ナーガという大蛇を神格化したような聖獣の信仰が見られる。 中国や日本などではもちろん、神聖なものだ。

宗教の歴史は複雑で、一概に「西洋での龍は悪者、東洋での龍は神」とは分けられないが、だいたいがそのようだ。

今の世界に日本人として生まれてきて、ブータンへ行って良かったと思う私。
同じ仏教国であり、アジアに位置する国であるからこそ味わえる感動があるからだ。
西洋の目から見ても、それはそれで素晴らしいのだろうが・・・。

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Flowers and Plants in Tibet -№5-

Flower-in-Tibet


禅文化研究所客員研究員・李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
チベットの厳しい自然の中でも、草は根を張り、美しい花を咲かせます。
専門家さえその品種を特定するのが難しい植物もあるとの事で、植物の詳しい説明は避けたいと思います。
どうか、美しい写真をお楽しみ下さい。
尚、チベットの植物について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんどんコメント宜しくお願い致します。

追伸:お父さんの李建華さんによるチベット紀行 も必見です!!!

※写真の無断転載・利用はおやめください。

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上田秋成の墓

上田秋成の墓の碑

雨の日、いつもなら自転車で京都中を走るのだが、久々にバスと歩きででかけた。
歩いていると、ふと、この先に何かありそうだと、細い路地に入って行ってみたりする。

南禅寺の参道で、まっすぐ南禅寺拝観に向かう人からはずれて、とある路地を曲がってみた。
すると、上田秋成の墓があるというお寺に遭遇。
いつもと違った道、知らない道、人生においても必要なのだろうか。何かを見つけられるのかもしれない。

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野村美術館 -茶・花・香-

美術館横の散歩道

雨の降る休日、野村美術館を訪れた。
ここにはいつも、名品中の名品が揃っている。
今回、私の心に深く残ったのは、千利休筆「妙」の字。
どういう思いで利休さんはこの一字をしたためたのか・・・。

その他、禅僧の古墨跡なども展観されており、一代で、野村證券など金融財閥を築きあげた野村徳七翁の茶の湯への造詣の深さを改めて知り得た。
茶の湯は、貴賤を問わず、人の心の支え・なぐさみになるものなのだ。

野村美術館の辺りは、南禅寺や疎水、山県有朋の別荘無隣庵、また、閑静な住宅街が続く散歩に最高のコースです。歩きでの散策をオススメします!

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冬の曼殊院

曼殊院

延暦年間(728~806)に、最澄により、鎮護国家の道場として比叡の地に創建されたのが曼殊院のはじまり。天台宗の門跡寺院である。

庭園

樹齢400年の五葉松が、鶴を表現している。

曼殊院からの景色

白川通りから少し東へ登ったこのあたりは、景観保護地区でもある為、このような見晴らしが・・・。
新緑美しい頃、また、紅葉の季節などは格別であろうと思った次第。
冬には、様々な野鳥が見られ、私が訪れた日は、メジロやオレンジ色をしたかわいい小鳥がさえずっていた。

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朝日と夕陽

亥年を迎えてから、はや半月。もう今年の24分の1が終わったことになる。

よく言われることだが、日本は敗戦後60年で、日本人としての大切なものをどんどんなくしてしまっていっているのではないだろうか。
例えば、大晦日から元旦。
ただ日が変わるだけといえばそれだけだが、やはり、ただそれだけのことではないと思う。
私が子供の頃、元旦の朝には必ず、下着から上着にいたるまで新しいものを着させてもらった。
そういう区切り、けじめが、今の時代ではなくなってしまった。

物が溢れているから、いつも関係なく新しいものを手に入れ、好きなときに身につけてしまっている。
そういうことになれてしまって、感謝の心も無くしてしまっていっている。
アメリカナイズされ、個人主義が高じてわがままになり、自分だけの生活のまま社会に出てしまっている人たちが世の中に沢山いる。
通勤途中でもそういう人たちを沢山見かける。電車の中で化粧する女性、禁煙の駅のホームで喫煙するビジネスマン、車内で着メロを鳴り響かせる高校生。
どこかに書いてあったが、現代社会では、部屋で寝ていたときの姿のままで外出できる人が、とても沢山いるらしい。信じ難いことだ。

asahi.jpg

そういえば、明治生まれの今は亡き私の祖母は、生前、朝夕に山門を開け閉めするのが日課だったが、その時にはかならず、朝日に向かって手を合わせ、夕日に向かって手を合わせ、月に向かって手を合わせていたのを思い出す。子供の頃、私もよく付き合わされたものだ。
今思うとと、祖母にとっては毎日毎日が元旦と大晦日のような心構えだったのかもしれない。
見習わなくてはいけないことだ。

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覚阿上人 ―『五灯会元』に収録された唯一の日本人―

この度、禅文化研究所から出版された『訓読 五灯会元』全三巻は、中国禅僧約二〇三〇人の伝記を収める大著の初の訓読本である。
その中にただ一人だけ、日本人が収録されている。平安末期の覚阿(一一四三~?)である。実は、大日能忍や明菴栄西に先んじて、日本に臨済禅を伝えた人物なのである。
『五灯会元』は、おおよそ次のように述べる。

覚阿上人は藤原氏。宋国の商人から彼の地での禅の盛んなことを聞いて、遠く海を渡って霊隠寺の仏海慧遠禅師に参禅した。慧遠禅師は円悟克勤の法嗣で、臨済宗楊岐派に連なる人物である。二人の会話は筆談でなされた。覚阿は行脚の途次、太鼓の音を聞いて豁然と大悟し、霊隠寺に帰って慧遠禅師に所見を呈した。その後、覚阿は日本に帰って比叡山に住した。

さて、日本に帰った覚阿上人は、その後どうなったのであろうか。幸いなことに、日本の『元亨釈書』に、付け足しのようにほんの少しだけ記載があった。

覚阿は、時の帝の高倉天皇に招かれて禅の要点について下問された。覚阿は笛を一吹きして、それに答えた。いまだ機が熟していなかったのであろう、君主も臣下も理解することはなかった。惜しいことだ、覚阿の禅が広まらなかったことは。

覚阿の禅が、当時の日本人に理解されることはなかったようである。覚阿の最後も知られてはいない。日本に禅が(曲がりなりにも)流布するのは、やはり能忍や栄西を待たねばならない。

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巨木の受難

古木が生い茂る鎮守の森。その姿は日本人の精神の原風景とも言えよう。「千古斧入れぬ」という形容もあるように、祖先たちはその保護に意を注いで来た。最近では巨木に対する関心も高まり、各地で調査保護の活動がなされている。

この鎮守の森に、思わぬ所から危険が迫っているらしいのである。

私の父が氏子総代を勤めている故郷の鎮守の森で、一本の桧(ひのき)が枯死した。直径1メートルもあろうかという巨木で、入札にかけたところ、保証金も含めて数百万という値がついた。大木が枯れたことは誠に残念ではあるが、不足しがちな神社予算に、思わぬ臨時収入が舞い込んだ。

ところが、である。

専門家に調べてもらったところ、地表に出た樹根の目立たないところに巧妙にドリルで穴が開けられ、なんと除草剤が注入されていたのである。こんなことをされたら、どんな巨木でもひとたまりもなく枯れてしまうという。

近頃は大木の伐採もままならず、巨材が品薄で価格が高騰、中には、このようなけしからぬ振る舞いに及ぶ悪質な木材業者も存在するようだ、とのことであった。

似たような事件は各地で起きているという。最近も和歌山県の丹生都比売(にうつひめ)神社のご神木が被害に遭った。ふだん人のいない神社が狙われやすいようだが、山林を所有する寺院でも注意が必要だろう。

今まで元気だった樹木の葉が突然黄変したら、一応は疑ってみる必要がある。

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重要文化財『龍虎図』 -妙心寺-

龍虎図1

大本山妙心寺所蔵の、狩野山楽による-龍虎図-(重文)の高精細複製品が、(財)京都国際文化交流財団より、妙心寺に寄贈されました。
本物は、京都国立博物館に委託保存されており、お目にかかれる機会はそうはありません。
この複製については、曝涼(虫干し)展にて、秋に公開される予定です。
詳しく決まりましたら、またお知らせいたしますので、どうぞおでかけ下さい。
すごい迫力です!

写真は、妙心寺管長東海大光老大師と、京都国際文化交流財団の可児達志理事長です。

龍虎図に見入る、管長様

重要文化財 『龍虎図(高精細複製品)』

所蔵先:妙心寺
時代:江戸時代・17世紀
形状/材質:紙本金地著色
員数:六曲一双屏風
寸法:各隻 縦177.5cm×横356.5cm

監修:財団法人 禅文化研究所
製作寄贈:財団法人 京都国際文化交流財団
金箔加工:裕人礫翔(箔伝統工芸士)
技術協力:Canonキヤノン株式会社
※この作品はキヤノン株式会社の大判プリンター『imagePROGRAF』で出力し、金箔加工を施したものです。

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ブータンの紙漉き

ブータンにも昔から紙漉きの伝統はあったよだ。
その技術は日本の紙漉き技術には少し劣る所もあるものの、工程が似ている事もあり(紙漉きのみならず、いろいろな共通点、似た点がブータンと日本にはあります!)日本の技術協力が行なわれているらしい。

原料となる三椏

原料となる三椏(みつまた)。ブータンで自生している。

紙漉き工房の釜

やわらかくふやかす為、大きな釜で煮ているところ。

ブータンの紙漉きの続きを読む

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Flowers and Plants in Tibet -№4-

Flowers and Plants in Tibet


禅文化研究所客員研究員・李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
チベットの厳しい自然の中でも、草は根を張り、美しい花を咲かせます。
専門家さえその品種を特定するのが難しい植物もあるとの事で、植物の詳しい説明は避けたいと思います。
どうか、美しい写真をお楽しみ下さい。
尚、チベットの植物について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんどんコメント宜しくお願い致します。

追伸:お父さんの李建華さんによる
チベット紀行 も必見です!!!

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情報をよむ

昨今は大学の履修科目に、メディア・リテラシー(media literacy)というのがあってなかなか面白そうだ。これは種々の媒体(メディア)を通して氾濫する情報を、批判的にどう読み取り、自らの考えをどう伝えるかという能力を培うための学問のようだ。
「新聞・雑誌・ラジオ・テレビといった古い形のメディアの伝える情報の圧倒的な影響力に対する問題意識」に端を発するというメディア・リテラシーは、当然の流れとしてのネット情報の読み取りや、芸術作品の解読といった方向にも切り込んでいる。
 
1920年代、ドイツの国策映画会社、ウーファを中心にしてドイツ映画は黄金期を迎えたが、そこで活躍した映画人の多くは、それ以後、ドイツが辿ってゆく反ユダヤ主義の思想とは相容れなかったのであり、ある者たちはアメリカへ、またある者たちは映画界を去って行き、最後にヒトラーの体制とともに残った才能は、レニ・リーフェンシュタールのみであったと言われる。

かつては舞踏家として活躍したリーフェンシュタール監督の撮影方法には、絶妙のリズム感があり、それまでのドイツ映画の卓抜な技術を継承した、比稀な感性が見事に開化した作品が、「意志の勝利」であり「オリンピア」であった。「意志の勝利」は1934年ナチ党大会の、「オリンピア」は1936年ベルリン・オリンピックの記録映画である。

しかし、いずれの作品も、見るものを圧倒するその映像の美のゆえに、ヒトラーをヒューラー(総統)とする体制を根底から支えるのに貢献をしたことは、歴史的事実として否定できないだろう。
「オランピア」においては、ドイツ選手たちの競技に一喜一憂するヒューラーの姿が、様々な角度から映し出され、選手たちの勝利のたびに、その栄光を讃えるハーケンクロイツ旗が高々と掲げられた。軍服に身を包み、貴賓席から拍手を送るヒトラーの「雄姿」からは、彼の頭の中にすでにできあがっていたはずの、国を挙げての狂気の未来について、何人も思い描けなかったのである。

レイ・ミュラー監督の「レニ」は、「意志の勝利」の制作によって、戦後弾劾され続けた、このレニ・リフェンシュタールの伝記的記録映画である。
「レニ」において、リーフェンシュタールは、「結果を知っていたら、決して『意志の勝利』は撮らなかった」と言っている。映画監督であったリーフェンシュタールの政治的無関心は、決して糾弾されずに済むものではないが、「あの時代」を読むことは、後代の我々が考えるほどに易しくはないだろう。ヒトラーは国民投票により88パーセントの支持を得てヒューラーになったのであり、ナチ党大会の記録映画「意志の勝利」をフランスはじめ、ヨーロッパの数カ国が表彰したのである。

私たちは「同時代」をいかに読み透すことができるのか。これは傑出した一握りの「専門家」にのみ向けられるべき問いではない。一市井人のこの「私」が確かな眼で情報を読まなければ、世界は想像を超えたスピードで歪んでしまうだろう。想像を超えたスピードで情報がゆき交っているからである。
 
メディア・リテラシーについて考えるとき、昨年一年、日本のマスメディアが狂乱して報道した堀江貴文さんの事件などは、私たちがどのようにして「真実」を読み取るべきかを示唆した象徴的な「出来事」にも思える。
(M)

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本阿弥光悦-屋敷跡-

本阿弥光悦屋敷跡

京都を自転車で走っていると、こういった碑をそこここでみかける。
これは、かの本阿弥光悦の屋敷跡を標すもの。
鷹峯に移る前には、堀川今出川の白峯神社近くに居を構えていたようだ。

室町時代より、代々刀剣の鑑定、磨き、浄拭を家職とした本阿弥家に生まれた光悦。
寛永の三筆の一人でもある(近衛信尹・松花堂昭乗)。
樂家の二代目常慶に樂茶碗のてほどきを受け、三代目道入とも親交厚く、光悦作の茶碗は樂家と同じ釉薬を使い、土を使っていても(樂家に、土が欲しい、釉薬が云々との消息などが残っています)、その趣は異なる。

字のみならず、茶碗・蒔絵・その他あらゆる工芸品に、彼の非凡な才能を見て取れる。
生業として芸術品を作り出すのではなく、なぐさみごととして数々のものを生み出したからこそ、その味わいは違うのだろうか。

光悦の事に関しては謎めいた部分も多く、興味をそそられて仕方がない。
年に何度か光悦寺にお参りし、いつも墓に供えられている白い菊をみつつ、思いをはせるのだ。

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国宝『風神雷神図屏風』 -建仁寺-

風神雷神図屏風


京都・建仁寺にて、国宝『風神雷神図屏風』の、高精細複製品が展示公開されています。>2月末まで。
繊細なデジタル画像を大判プリンターにて出力した後、伝統工芸士の方が金箔を貼ったもので、忠実に再現されています。
本物は、京都国立博物館に委託保管されていますので、なかなか目にする機会はありません。
是非この機会にご参拝下さい。

国宝『風神雷神図屏風(高精細複製品)』

所蔵先:建仁寺
時代:江戸時代・17世紀
形状/材質:紙本金地著色
員数:二曲一双屏風
寸法:各隻 縦154.5cm×横169.8cm

監修:財団法人 禅文化研究所
製作寄贈:財団法人 京都国際文化交流財団
金箔加工:裕人礫翔(箔伝統工芸士)
技術協力:Canonキヤノン株式会社
※この作品はキヤノン株式会社の大判プリンター『imagePROGRAF』で出力し、金箔加工を施したものです。

寄贈式

12月26日、財団法人京都国際文化交流財団の可児達志理事長より、建仁寺執事長水谷信行師に寄贈目録の贈呈がありました。

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謹賀新年

南天


あけましておめでとうございます。

皆様、どのようなお正月をお過ごしになられた事でしょうか。
研究所職員のお坊さん達は、お年賀にいらっしゃる檀家さんやその他お知り合いなどの接待で忙しく、在家の者は、のんびりいつも通りの良い正月を、思い思いに過ごさせていただきました。

-お正月らしさ-が急速に消えつつありますが、お正月には、伝統文化に因んだ物が溢れています。その一つ一つの意味を大事にし、後世に伝えていき、家族揃って迎えられるお正月のめでたさ、有難さを見直していきたいと思う昨今です。 

それでは、どうか今年も宜しくお願い申し上げます。

追伸:写真を掲載しましたが、この南天も、難を転ずる(難転)として、鬼門に植えられたり、縁起のよい植物とされています。 食べ物を進物する時、お料理屋さんでお弁当を頼んだ時など、よく南天の葉が添えられていますね! 食中毒の難を転ずるという意味もあるのでしょうが、微量発生するシアン化水素の殺菌効果で腐敗を防ぐ!とも言われているようで、昔からしてきた事の裏には、きちんとした理由があるようです。

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