トップページ » 2007年9月

タージ・マハルと色とりどりのサリー -インド-

 


タージ・マハル

 

タージ・マハル。
インドと言えばまず思い浮かべるものナンバー1ではないだろうか。
しかし、それが一体何の遺跡?であるのかを知っている人は少ないかもしれない。
実は、王妃の墓なのである。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが王妃の死を悼み、約20年の歳月をかけ、世界中より美しい石、また労働者達を集め建造した、インド=イスラーム文化の代表的建築なのだ。
この大事業で、国費が傾いたとされる説がある。死してなお、傾国の女となりうる妃。どのような女性だったのであろう。
さらに王は、タージ・マハル裏に流れる川をはさんだ向こう岸に、自らの墓、黒タージを造ろうとし、息子に幽閉される事となる。結局のところ、王妃と一緒の墓に眠る事となった。
女性ならば、「こんなに愛されるなんて(うらやましい)・・・でも死ぬ前につくして欲しい」
男性ならば、「とんでもない・・・」といった感想を持つのだろうか・・・。

色とりどりのサリーに身をつつむ女性達

タージ・マハルと色とりどりのサリー -インド-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

足立美術館 -出雲-

足立美術館_正面入り口

出雲へ向かう途中、安来節の郷である、島根県安来市にある足立美術館に立ち寄った。

創設者足立全康が自ら収集したという横山大観の近代日本画が中心の美術館であるが、さらに有名なのはその日本庭園である。アメリカの庭園専門誌"Journal of Japanese Gardening"によって、5年連続で日本一に選ばれている。
したがって、美術館自体も、絵画を鑑賞するのと同様にこの庭園を鑑賞できるような作りになっていて、来館者の多くは庭にカメラを向けているのが、美術館としては違和な感じもする。
庭は後ろ盾にある山を借景として、とても広々とした大きな庭である。
借景になっている山は、戦国時代、この地で毛利と尼子が合戦した際、毛利軍が陣を張ったといわれる勝山という山で難攻不落であったそうだ。

日本庭園

足立美術館 -出雲-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (9)  | Trackbacks (0)

本福寺 水御堂 -淡路島の安藤建築-

ウェスティンからの風景

安藤忠雄さんの建築物を見ようと淡路島に渡った。
淡路島では多くの安藤建築に出会える。
まずは、大きく分けて下記5つから成る淡路夢舞台。

☆兵庫県立淡路夢舞台国際会議場
☆ウェスティンホテル淡路 リゾート&コンファレンス
☆展望テラス レストラン&ショップ
☆淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館
☆野外劇場

安藤さんの建築をまわる旅

本福寺 水御堂 -淡路島の安藤建築-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

秋の恵み

丹波栗

研究所では、職員の寺で採れた季節の恵みがよく届けられます。
実りの秋、今回は丹波の寺で採れた立派な栗!
この立派さに加え、「丹波栗」というブランドネーム?でしょうか。
丹波の豆、栗、などと聞くとわくわくしてしまいます。
あと一ヶ月もすれば丹波の黒豆の枝豆がやってくることでしょう(毎年の楽しみ)。

さてこの立派な栗、帰ってから土鍋で栗御飯を作りました。
旬の物というのは、うまみをたくさん持っている為、少量の塩とお酒だけで充分です。
炊き上がると栗は何とも言えない色、ほくほくです。土鍋ですと、おこげがまたたまりません。

季節の恵みというのは、人間の身体にも恵みを与えてくれます。
文句無く美味しいので、調味料を最小限に控えられ、今話題のメタボ対策にもとても良いのではないでしょうか。
私たちは季節の恵み、生きている物をいただいて、ようやく生きる事ができるんだなぁ…。
そんな感謝の気持ちが自然と湧いてくる秋の恵みでした。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 ご案内

禅と文化の旅_秋

恒例の、【禅文化研究所 日帰りバスツアー】のお知らせです。
今回は、秋の奈良へ皆様をお連れしたいと思います。
非公開の禅の寺を見学したり、惠信先生のお話を拝聴し、共に学びましょう。
詳細は下記のとおりです。

日時    :平成19年11月9日(金) 午前9時~

集合場所 :JR京都駅八条口1階 観光バスプール脇コンコース(通路)

集合時間 :午前8時45分(同時に受付)

参加費   :お一人様 16,000円 (後援会員様は13,500円) 

募集人数 :先着40名(最少催行30名・店員に満たない場合、中止の場合あり)

申込方法 :こちらの申込フォームから

コース   :(9:00)京都駅八条口===(10:30)奈良:円照寺〔所長の講演〕
        ===(12:30)菊水楼(昼食)===(14:00)大和文華館
        ===(17:00頃)京都駅八条口
        ※時間はおおよその予定です。交通事情その他により変更となる場合があります。

西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 ご案内の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

西村惠信所長出演、TV番組再放送のお知らせ

禅文化研究所・西村惠信所長が出演しました番組が、再放送されます。
早朝の放映となりますが、早起きは三文の徳! 是非ご高覧下さい。

9月23日(日) AM5:00~6:00
NHK教育テレビ
こころの時代~宗教・人生「自己を究める~一休の生涯から~」

by admin  at 16:19  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

杜鵑草 -ほととぎす-

杜鵑草

様々な種類があるこの杜鵑草。
この花を見ると、「あぁ、また秋がやってきた」と思います。
夏のまだ暑い頃から、かすかながらも秋を感じているのかたくさんの蕾をつけ、もう今は満開になっている株もあるくらいです。
日本では、この斑点模様がホトトギスの模様と似ているとして、風情ある名前で呼ばれています。
イギリスでは、トード リリー(toad lily/ひきがえる百合?!)、中国では油点草。う~む、そのままですね。
やはり、-杜鵑草-と呼びたいものです。
さてこの杜鵑草、実は葉がとても焼けやすいのです。写真でも、葉の先が茶色く焼けてしまっているのがおわかりかと思います。
昨今の異様なまでにギラギラした太陽の日差しには耐えきれないのではないだろうかと、見る度に心が痛みます。
この花一輪にも、環境問題を真剣に考えなくてはと思わされるのです。

話は変わりますが、家の食器類で使わない蕎麦猪口や片口、とっくりなどはございませんか?
そこに一輪生けて飾るだけで、なぜかその部屋はとっても秋っぽいしつらえに変化を遂げるのです!(おおげさでしょうか・・・)
こういったかわいらしい山野草あふれる秋、皆様も是非お楽しみ下さい。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

インドへのフライト

ひよこ豆のお菓子

よく、-インドは人を呼ぶ-と言われる。
他の国だと、「はて?」と思うが、インドだとなんとなくしっくりくるのは私だけだろうか。
数々の仏教国を旅して来たが、インドだけはなんとなくまだ踏み入れてはいけない場所のような気がしてずっと遠慮していた。
今年はなんとはなしにスムーズに「インドに行こう」という事になり、漸くお釈迦様の国に呼ばれたかのような気持ちで、心から楽しみに意気揚々とでかけた。

が、なんと私が乗る予定の飛行機は関空を10時間遅れ。さらに乗り継ぎ地の香港の寒いロビーにて7時間待ちという事で、結局約1日ほどインド到着が遅れるはめに・・・。
航空会社の対応にやきもきしながらも、「もしや自分の日頃の勉強不足でこういうことになるのだろうか。インドとは私のような者にとっては、そんなにたやすくは行けない遠い国なのだという事のあらわれなのだろうか。玄奘三蔵でさえ、ものすごい苦難の道を行かれたのに現代の我々は飛行機でひとっ飛びだなんて・・・」と、-自分のいたらなさがこういった事態を呼ぶ-という日本人的発想に陥りつつ過ごした長い長い道のりであった。

*写真は、機内でもらったスナックと旅のお供の司馬遼。
CHANA DALとはひよこ豆。お豆さんのお菓子。やはりカレー風味?の濃い濃いお味。隣にいたおじさんのビールのお供にはちょうど良いようでした。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

“真実不虚”の布施

丹波篠山

「和尚、お経ばかり読んでおらんと、年寄りを遊ばせるのも、和尚の仕事やで」と、檀家総代から言われたのは、自坊へ入寺して、1年ほど過ぎた時だった。住職になってから間もなく、“年寄りを遊ばせる”という意味がよく分からず、ポカンとしているわたしへ、その総代は言った。「年寄りを集めて説教でもせんかい」と。

“説教” まだ40歳そこそこの若僧が、60・70・80の、じいさん、ばあさんに、何の“説教”ができるか。波瀾万丈の年月を乗り越えて来られた、人生の大先輩である。わたしは、正直にそう言って、「説教はできませんが、『般若心経』の文字の講釈ぐらいなら、どうにかできます」と告げた。すると総代は、「それでいい、何でもいい」と、言い放った。わたしには、“どうでもいい”というような雰囲気に聞こえた。
それから、「お布施はどうする」「お布施はいりません」「そりゃ、いかん」「いえ、結構です」「そりゃ、いかん」と、押し問答が続いた。「それじゃ、お茶と菓子代で、ひとり、百円持って来て下さい」と、わたしが言うと、「オッ、分かった。それでダ、その話は、お寺でせんといかんか」と、総代は尋ねた。かりにも坊主が、『般若心経』の講釈をするのだ、お寺以外の、どこでするのか。わたしには理解できなかった。またもやポカンとしているわたしへ、総代は言った。「あの坂は、年寄りには難儀や。下の公民館でやってくれ」。なるほど自坊は、かなりの高地にある。わたしはスンナリ、「いいですよ、公民館でやりましょう」と承諾した。

そういうことで、毎月1度、第1月曜日の夜8時から2時間の予定で、わたしの講釈は始まった。なぜ、夜の8時なのか。自坊のある小さな農村は、ご多分にもれず、3チャン農業で、60・70・80の、じいさん、ばあさんは、現役の仕事人だからだ。

“真実不虚”の布施の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

一休さんの袈裟

秋ですね

室町時代の一休宗純禅師(1394~1481)が晩年を過ごされた一休寺(酬恩庵・京田辺市)に残る、一休さん着用の「五条袈裟」の複製品がこのたび完成し、一休寺での公開の後、明日9/19~24日まで、日本橋の高島屋にて公開されるとのことです。

この袈裟は、原品の痛みが激しい為、ご住職の依頼により、龍村美術織物と京都工芸繊維大学が調査をし、約13年かけて復元したそうです。
さすがに約600年も前の物となると、染料や織り方など、調査は困難を極めるのでしょうか。
600年の重みを感じさせる原品、600年前の一休さんが生きた時代を髣髴させてくれる複製品。どちらも尊いものですね。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

仏教発祥の地へ -インド-

エローラにて_仏教僧?

今回より何度かに亘って、仏教発祥の地、インドのアジャンタ・エローラの仏跡などを中心に、私的に訪れた先をご紹介したい。

皆さんはインドと聞くと、どの宗教を一番に思うのだろうか。
仏教発祥の地でありつつ、現在のインド国民の信仰する宗教はというと...
ヒンドゥー教徒 80.5%
イスラム教徒  13.4%
キリスト教徒   2.3%
シク教徒     1.9%
仏教徒      0.8%
ジャイナ教徒  0.4%  (01年国勢調査・外務省HPより)

というわけで、悲しきかな、ヒンドゥー教徒が多数を占めており、カースト制度も一応無くなった事にはなっているはずであるが、人々の意識の中、職業などにはその影響が当たり前のごとく残るインドでは、仏教発祥の地の名残りというものは、仏跡に行き、遙か昔に思いをはせてみない限り、おおよそ感じられない。

インドに降りたってからずっと、ここは仏教発祥の地!と呪文を唱えるかのようにその事を想像しようとしていたのだが、どうしても「本当にインド(あるいはネパール国境)の人々が、お釈迦様について修行をしていたのだろうか・・・」という思いが去来する。
そして漸く、今回の私の旅においても、運良く仏教僧(おそらく)をエローラにてただお一人みかけたのだ。
それだけのことで、迷いはふっきれ、「あぁ、お釈迦様をはじめ、阿難や摩訶迦葉尊者は実際にいらっしゃったんだ」と思えてしまうのだから単純なのか・・・。いや、剃髪をされ、歩く姿が清らかだったからこそなのだと思う。
と一人興奮しているが・・・それはさておき、これから数回に亘り、奥深いインドをほんの少しでも皆様にご紹介できたらと思う。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

円通寺 -京都岩倉-

円通寺

借景の庭で有名な円通寺を訪れた。
台風の影響からか残暑厳しい日で、暑い暑いと言いながらも庭を見ると、なんとなく心が静まり落ち着く。
何度となく訪れているが、一日として同じ景色であった事は無い。
空だって、自分の上には必ずあって、見上げれば一度として同じ空模様なんてものは無いのであるが、その「当たり前」を普段は忘れがちである。
この寺を訪れると、変わらず過ぎていくように思いがちな一日一日を、いとおしく大切に思い、なんとなく「頑張らなきゃなぁ」と、パワーをいただくのである。

それにしても、この岩倉の辺りも、私の大学の恩師が学生時代に下宿していた頃とはだいぶ変わってしまったようだ。この日も寺の下の方で、宅地開発の為か、ガガガガッと工事の音。
「音」といえば、日本人は秋の訪れと大喜びする虫の音であるが、英語圏の国ではあの虫の音もノイズであるという。日本人が感じる-情緒-とは、なかなか世界には伝えにくいものであろうか。
情緒ある虫の音は大歓迎だが、ノイズはまっぴらだ。京都市が醜い都市にならぬよう、新たな建築の規制に期待するばかりである。

仙人草

扁桃腺の腫れに効く?と言われる仙人草。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

岡山 林原美術館 -うるしの華-

林原美術館-うるしの華-外観


主に茶道史の研究で知られる、熊倉功夫先生が館長になられたという事で知ったこの美術館
岡山を訪れた際にお邪魔してみた。

美術館の名称からも察する事ができるように、このような私設の美術館が私は好きだ。
創設者の審美眼に耐えうる物のみが集められており、様々な分野の物の逸品を見られる上に、こじんまりした美術館が多く、ちょうどお腹がいっぱいになる展示数で疲れない。

ちなみにこの林原氏というのは岡山の実業家で、刀剣をはじめとする東洋古美術の収集家。岡山だけに、池田家旧蔵のコレクションも多いようである。

今回の展示は、「うるしの華」。>10月14日(日)まで開催中。
館内に入ってまず目を奪われたのは、葵の御紋が入った見事な婚礼調度品の数々。漆塗りのあらゆる技法を施し、おそらく現在の技術ではなかなか難しいのではないかと思える良い仕事の逸品ばかり。
それもそのはず。本多忠刻と千姫(徳川家康の孫・豊臣秀頼に嫁いだが、夏の陣の後救出され、本多家に嫁いだ)の娘である勝姫が、将軍秀忠の養女として、岡山の池田光政に嫁いだ時の品なのである。最近、司馬遼の本を改めていろいろと読んでいるが、歴史を知っているとさらに楽しめるものだ。

その他彫漆、螺鈿、かんざしの名品も数多く展示されていた。
四季折々の日本の風情を写したかんざしの細やかな技法には、目をみはるばかり。

この美術館では、月見や茶会などの催し物もあり、近場であれば通いたい楽しい美術館である。
茶会ではなんと熊倉先生が亭主をされるという。きっと楽しいお話が伺えるのだろう。

実は美術館に入った時に、まさかと思うが熊倉先生のお声が聞こえてきたのだが、お姿は拝見できなかった。
「館長さんだけれど、よく京都でもおみかけするし、まさか今日の今日、ここにいらっしゃるなんて・・・」と思っていたが、案の定、館内を見た後ロビーに出ると、ソファに腰かけてどなたかとお話し中ではないか。
温和な表情と柔らかいお声、わかりやすいお話で、時々講演会に出かけたり、茶道に関する本を拝読させていただいている熊倉先生ファンの私は、お声をかけたい衝動を何とか抑えつつ美術館を後にした。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (2)  | Trackbacks (0)

花は野にあるように -高島屋 山村御流華展-

花は野にあるように

いつも(年に2回)楽しみにしている、京都高島屋での山村御流の華展にお邪魔した。

華道の流派は数えきれないほどあり、自分が習っている流派はもちろん好きで習っているのだが、この「山村御流」の花というのはまた格別な存在なのだ。
誰にも何にもこびず、ただ-花は野にあるように-をモットーに、決して派手でも華やかでもないのだが、日本人が古来から持つ小さきもの、美しきものを慈しむ思い、季節への感謝、感動をほんの少しの草花で思い起こさせてくれる。
いつも無料で開催されるので、是非一度自分の目で見て感じていただきたい。
(全国何カ所かの高島屋にて開催されるはずです。是非お調べ下さい)

花は野にあるように -高島屋 山村御流華展-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

伊吹山 6 山裾の関ケ原

涼しい伊吹山を後にしてドライブウェイを下り、関ケ原インターへ向かう国道365号線から、ほんの200mも入ると、そこに笹尾山がある。
ここはあの天下分け目の戦いである関ケ原の古戦場、西側の大将、石田三成の陣があったところである。イメージからすると、もっと高い山のように思っていたが、ちょっとした丘のような山である。

笹尾山

戦いは今から406年前の秋、この地でたった一日で終わった。当初優勢だった西軍だが、小早川秀秋の反逆にあった西軍は総崩れとなり破れてしまい、その後、徳川の時代となるのは、ご存じの通りである。
筆者は司馬遼の『関ケ原』を読んで以来、石田三成に傾倒しているため、小早川の裏切りは許せないのである。

石田三成の陣の跡

石田三成には島左近というすぐれた軍師がいて、この関ケ原の戦いで憤死した。その勇猛さは東軍のなかでも語り草になるほどだったということである。
関ケ原の戦いの日は、もっと秋であったが、この挿すような日差しの中でこの地に立つと、彼らの雄叫びが聞こえてくるような気がしてならない。

余談だが、ここからそれほど遠くない彦根城では、今、築城400年祭が行なわれていて、ひこにゃんというマスコットで大いに盛り上がっている。
これに合わせるように、同じく彦根にあった、石田三成の居城「佐和山城」のPRとして、島左近のキャラクター「しまさこにゃん」まで登場している。本来のイメージとはだいぶ違うが・・・。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

研究所の蔵書

研究所の蔵書1

当研究所には、寄贈を受けたり購入したりした蔵書が相当数ある。近代以降の洋装本が主であるが、江戸時代を中心とする和装本もかなりの量にのぼる。

江戸時代の出版物は、当時の物価から考えても、かなり高価なものだったようだ。それにもかかわらず、さまざまな書物の出版がなされ、需要もあったことを考えると、江戸時代の文化水準ははなはだ高かったと感じざるを得ない。
 
明治以降あまり顧みられることのなくなった文献も、江戸時代の人はその価値を見抜き、苦労して出版した。そして実に丹念に読んでいる。

それは、行間の書き込みなどからもうかがえる。昔の学者の解釈には、現在の研究水準から見ても全く遜色ないものも多々ある。 

仕事上、これらの和装本のお世話になることが多い。江戸時代の出版者や学者の恩恵を肌身で感じる毎日である。

研究所の蔵書2

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (4)  | Trackbacks (0)

伊吹山 5 夏の雲

「雲はわき 光あふれてー♪」 大会歌にある全国高校野球大会は今年も終わった。
わきおこる雲をみて、この歌を思い出して、思わず口ずさんでしまった。
伊吹山のお花畑もさることながら、私は雲をみていてもしばらく飽きなかった。

雲はいつも天空にあるものだが、自分が高い位置にいると、目の前や下に雲があることにふと気が付く……。


夏雲

伊吹山 5 夏の雲の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

柳田聖山先生の生まれ、そして、眠る地

昨年11月8日、あの著名な禅宗史研究者である柳田聖山先生は逝かれた。
読者諸氏は、先生の生まれ故郷が滋賀県彦根市にある荒神山にある延寿寺という、臨済宗永源寺派の小さなお寺であることを御存知であろうか。


延寿寺



少し山を上がったところにある延寿寺

柳田聖山先生の生まれ、そして、眠る地の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (2)  | Trackbacks (0)

フィラデルフィア美術館展 -京都市美術館-

フィラデルフィア美術館展

9/24(月)まで、フィラデルフィア美術館より、数々の名画が岡崎の京都市美術館に来ている。
西洋絵画には全くと言ってもいいほど無知な私だが、教科書で習った通りの西洋絵画史の変遷を実際に楽しめた。
19世紀の写実主義、ミレーやコロー、クールベなどから、印象派の巨匠モネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、またキュビズムの時代20世紀のピカソなどなど、錚々たる絵画のお出ましだ。

私自身の中では、絵の鑑賞とは非常に難しいもので、むろんただ見て色々を感じればいいのかも知れないが、鑑賞方法というものも確立されていて、西洋のしかるべき家などでは、小さい頃から鑑賞法というものを当たり前の教養として勉強していたとかいないとか・・・。

また、西洋絵画を鑑賞する際にどうしても必要となってくるのが聖書の知識。
大学生時代の私は、ただただ美しい西洋絵画を楽しんでいたが、次第に日本美術へと関心が移り、あらゆる物を見てみると、また西洋にも興味を持ち始め、学生時代のような楽しみ方のみでは飽き足らず、目下、少しずつではあるが、絵画を楽しむ為の鑑賞法や聖書を勉強中である。

フィラデルフィア美術館展 -京都市美術館-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

伊吹山 4 山野草Part3

通常のトラノオとはうってかわって、ごくごくかわいらしいイブキトラノオ。


イブキトラノオ



イブキトラノオ


こちらはルリトラノオ。瑠璃色が美しいです。こちらも茶花としてよく用いられます。


ルリトラノオ

ルリトラノオ

これはイブキアザミ。


イブキアザミ

最後にキンミズヒキ。黄色い花がとても涼しげです。


kinmizuhiki.jpg

どれもこれも愛らしい山野草。
こういった山野草の中には、絶滅の危機に瀕しているものも数多いのですが、心無い登山客に根ごと掘り起こされたり、摘み取られたりする事もあるようです。
家で大事に育てる、飾るにしろ、それは決して花を愛でる、自然を愛でる事にはならず、人間の傲慢な私利私欲から来る行為に他なりません。
自分が摘み取った品種が絶滅すれば、その原因の1つに自分の行為があるかもしれないという所まで想像が必要です。
地球環境でも何でもそうです。「まだ大丈夫だろう」との慢心が、物事の手遅れへと導くのでしょう。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)