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坂本龍馬の地、桂浜




桂浜にて

来年2010年のNHK大河ドラマは『龍馬伝』、坂本龍馬の生涯だ。
その先取りと言っては何だが、雪蹊寺を訪ねた後に龍馬ゆかりの地、桂浜へ向かった。
海岸沿いの道路に出ると、広い広い太平洋が広がる。とくに海無し県で生まれ育った私にとっては、水平線を見ると一方ならならぬ感動を覚える。
どちらかというと日本海を見る機会の方が多いが、日本海よりも太平洋には何か、より大らかなものを感じてしまうのだ。皆さんはどうだろう。

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山本玄峰老師のこと 2




四国八十八カ所霊場・第三十三番・雪蹊寺

雪蹊寺境内

高知県高知市にある、四国八十八カ所霊場・第三十三番・雪蹊寺(臨済宗妙心寺派)である。桂浜にほどちかい、このお寺を旅の途中で訪ねた。もともと真言宗であったが廃寺となり、戦国時代に四国全域を治めた長宗我部元親の手によって臨済宗の寺院として復興され、長宗我部元親の菩提寺となった。

今年のお正月に、和歌山にある山本玄峰老師の生誕の地を訪ねた事について、このブログで書いた。
この同じ年に、今度は玄峰老師の得度の寺を訪ねることができた。

前のブログでも書いたとおり、老師は和歌山県に生まれ育ったのだが、青年期に失明し、眼が光を失った。それを憂えて死に場所を求め、四国八十八カ所の遍路を歩かれたという。
七度目の遍路の途中、三十三番・雪蹊寺の門前で行き倒れとなったところを、当時の住職であった山本太玄和尚に助けられ、下男として働く内に得度を受け出家されたのである。

山本太玄和尚の塔

出家の後、修行を重ねられて、松蔭寺や龍澤寺などの白隠道場を復興されることになる。
そのため、弘法大師にたいするご恩を忘れられず、生涯にわたって、さらに四国遍路を繰り返され、その数は17回にも及んだという。

雪蹊寺の山門を入ったすぐ左に、上の太玄和尚の塔があり、そのすぐ隣に、山本玄峰老師のブロンズ塔と、その孫弟子にあたる鈴木宗忠老師(私の僧堂時代の師匠)のブロンズ塔が建てられていた。
実はこのブロンズ像の寄贈者は、W氏という方で、龍澤寺で修行した縁のある私たちのお寺にも、玄峰老師と宗忠老師のブロンズ像をご寄贈いただいている篤信家である。

IMG_4818.jpg

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私の鍼灸師さん




マイナスイオン放出の清らかな滝

5年くらい前になるだろうか、片方の耳が少し聴こえにくくなって耳鼻科に通ったりしたが、パッとしない。鍼灸師の友人が、耳のコリからくるものかもしれないから、鍼をしてみたら、と助言してくれた。そして「鍼灸の施療ほど、実力の違いが如実に顕われるものはないから、鍼灸師を選ぶときにはよほど慎重に。私がとても尊敬している鍼灸師さんがいるので紹介してあげよう」と言ってくれた。

四条河原町から阪急電車に乗って、紹介された鍼灸師さんを訪ねた。「耳がちょっと聴こえにくいので」とだけ、予約のときにお伝えしておいた。
私が診察室に入るなり、先生は「左耳ですね」と言われた。ちょっとビックリした。左耳を中心に鍼をしてもらっておいとました。すごくビックリしたのは四条河原町に帰り着いたときだった。ここはこんなに騒がしい場所だったのかとあらためて思ったのだった。耳はとてもよく聴こえるようになっていた。

すっかり先生のファンになってしまった私は、それから毎週予約を入れた。先生はいわゆる「ツボ」には鍼を打たない。その折、その折の患者のコリを目で追って、ピタリとそこに鍼を打つのだ。まるで神業なので、聞いてみた。「どうしてコリが見えるのですか?」。「最初からこんなふうにわかったわけではないですよ。患者さんに鍼を打っているうちに、コリの箇所に私の肘の内側がビンビンと感じ始めたのです。コリが私を呼ぶんですねえ。アハハ」と。それから、だんだん見ただけで人のコリがわかるようになったのだという。

「先生は天才ですね」と感嘆する私に、先生は「いや、最初は本当に何もわかりませんでしたが、ただカムシャラに自分や患者さんに鍼を打ち続けた結果です。だから誰でもわかるようになります、やっていたら」。私の左耳のこりの発見も、先生にとってはごく「普通のこと」だったのだ。
それで、友人の鍼灸師に「コリって見てわかるようになるものなの」と聞いてみたら、「いやそんなことがわかるのはあの先生くらいのものだ」という答えが返ってきた。

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岡山 倉敷 美観地区




倉敷美観地区の風見鶏

倉敷美観地区を、3年ぶりに訪ねた。
前回は携帯でとった写真だけだったが、今回は少々、撮影に気合いをいれてみたので、主に写真で味わっていただけたら幸い。

涼しげな水辺

まだ残暑きびしいさなかではあるが、この美観地区に来ると清涼を感じずにはいられない。
お盆休みも過ぎて、旅行者も少ないからか、少々、ひっそりした感じであった。

それにしても、ホテルでもらった案内地図を片手に歩いているのだが、行こうとしているミュージアムが、あるはずの場所にないのには閉口した。
地図が古いのかもしれないが、観光名所としては、これはいただけない。
今どきの世相を物語っている気がする。有名無実とはこのことなのだろう。おかげでだいぶ散策させていただけたが。
しかし、この風情だけはいつまでたってもこのままであって欲しいと思う。

蔵のある町並み

きっと、この大作を描いているおじさんもそう思っているのじゃないだろうか。

美観地区を描く人
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亀は万年の寿




自坊のお施餓鬼荘厳

お盆の間、小さな自坊の境内にも沢山の方々がお参りになる。
檀家のほとんどが近隣の方だが、中には遠方からお参りにこられる方もおられ、約3時間にわたる施餓鬼は、自坊の法要の中で一番にぎやかなものだ。
今年はとても涼しい風が吹いてくれたおかげで、汗だくにはならずに気持ちよく法要をさせてもらえた。
お供えにあった野菜がユニークな形だったので、こんなふうに並べてみたらおもしろい組み合わせができた。

変わった形の野菜

夕方、墓経を終えて、ようやくひっそりした境内を歩いていると、玉砂利の上に黒い大きな塊が……。

産卵中の石亀

弁天堂のある池に住んでいる石亀が産卵しているのである。後ろ足で上手に砂をかきわけて、深い穴を掘り、そこに産卵するのである。

親亀が何匹いるのか、普段は姿を見せないのであまりわからないが、今頃の時期になると、境内にポコポコと穴があき、産卵した跡を見つけることができるし、運がいいと、こうして、産卵しているのを見かけることもある。

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地蔵盆と地獄絵 -子供達に与える記憶




地獄絵

関西以外の地域ではなじみが浅いであろうが、滋賀や京都を中心として、夏休みも終わりに近づいた今日8月24日(旧暦では7月24日だった)の地蔵菩薩の縁日には、「地蔵盆」という行事がある。
多くは前夜23日~翌25日に行なわれる。発祥は滋賀県南部だとどこかで読んだ気がするが定かではない。

自坊にも飛び地に地蔵堂があり、地区の子供会などが中心になって行なわれる地蔵盆の行事が、子供達の楽しみにしている夏休みの一つのイベントにもなっている。

さて、上の写真は、江戸時代から自坊に伝わる地獄絵である。昔から地蔵堂にこの地獄絵をかけるのが風習となってきた。地区の大人たちも小さい頃にこの地獄絵を見て、肝を冷やした記憶があるのだ。

また、近くのニュータウンにも小さな地蔵堂があって、老人会の人たちのおかげもあって、毎年、地蔵盆にお参りに参らせていただく。
いつも自坊の地蔵堂には、上の地獄絵を飾り、子供たちにも見せてきたのだが、今年、ふと思い立って、ニュータウンの子供達にも、地獄絵を持っていって見せてやろうと思った。

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パラミタミュージアム 三重県四日市 菰野



パラミタミュージアム 壷の道

パラミタミュージアム”。
これを聞いて行かずにいられるでしょうか!おわかりになる方はすぐにおわかりになるでしょう!
般若波羅蜜多心経の、“波羅蜜多”のサンスクリット語、パラミタです。
一体全体どのような美術館なのだろう?!と興味津々ででかけました。

この美術館の名称は、メインコレクションである池田満寿夫氏による「般若心経シリーズ」から名付けられたとの事。私の中では池田満寿夫さんと言えば幼い頃にテレビみかけて、髪の毛が爆発していたという記憶しか……。芸術家でも、一体どのような作品をてがけているのかなどを知らずにでかけ、度肝を抜かれました。
「土と火が創造と破壊を繰り返す<陶>の世界に「輪廻転生」を感じ、仏教芸術が人々の意識のなかから消え忘れ去られることに危機感を覚え、-陶こそが般若心経にふさわしい-と考えた」と仰る池田氏の膨大な作品群。般若心経が生きて我々に語りかけてくるようで、土の風合いには、初期仏教の地、ガンダーラを彷彿させるものがありました。
開館直後に伺った為、まだ人もまばらで、友人と2人なのを良い事に、ああだこうだと話しながら夢中で拝見し、大ファンになってしまいました。

壷の道_内田鋼一作

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天寧寺 -京都・曹洞宗-



天寧寺 額縁門

秋晴れかとみまごうような青い空、カラッとさわやかな気候のとある日、自転車で寺町通の鞍馬口を下がったあたりを走っていると、立派な門構えのお寺が。
石碑を見ると「金森宗和墓所」との事で、門からは抜けるような青空とはるか遠くに比叡のお山が。
これは!と思い、自転車を停めてみました。
金森宗和とは、江戸時代初期の茶人で、飛騨高山城主金森可重(かなもりありしげ・千利休について茶の湯を嗜んだ)の子で、父に勘当された事から京都へとおもむき、茶の道に入りました。
その茶風は「姫宗和」と呼ばれる事からもわかるように、“綺麗さび”をモットーとし、公家などに親しまれました。かの名工、野々村仁清を指導した事でも有名で、仁清の作品を思い浮かべると、千家のわびさびの世界とはまた違う“綺麗さび”の世界というのもどのようなものか、想像がつくかと思います。

比叡山を望む立派な門は、あたかもキャンバスに描かれた絵を見るかのようで、“額縁門”と呼ばれるそうな。
このようなお天気の日に、こちらの前を通らせていただけた事をありがたく思いました。

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初転法輪の地 サールナートへ -インド-



ダーメーク塔
ダーメーク塔

バラナシでひどく体調を崩し、旅程を変更し早めにデリーへ入る事にしたのですが、その前にせっかくここまで来たのだからと、お釈迦様が初めて法を説かれた地、サールナートへ向かう事にしました(バラナシからは車で約30~40分ほど)。

さて、このサールナートとは、仏教の聖地とされる地です。
悟りを開かれたお釈迦様が説法を決意され向かわれた地が、かつての苦行仲間のいるこのサールナートだったといわれます。共に苦行をしたこの5人の仲間は、お釈迦様が苦行をやめられた際にその事を非難した仲間達でした。 結局は、お釈迦様が戻ってこられ、初めてこの地で法を説かれ、5人は最初の仏弟子となります。
仏教徒としてお釈迦様の初めての説法の地に立ち、本当にお釈迦様はここにいらっしゃったんだな…と感慨深く、不思議な気持ちに包まれました。

ダーメーク塔

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送り火



京都 五山の送り火
真如堂本堂前 灯籠で作られた大文字

8月16日、五山の送り火。
今年は、真如堂から如意ヶ岳の大文字を拝ませていただきました。
本堂では7時頃より法要が行なわれますが、でかけた時間の遅かった私が、参拝者もほぼ帰った後の本堂を覗いて拝もうとしていると、後片付けをなさっていた和尚様が「まだ火がついていますからどうぞお焼香を」とお声をかけてくださり、ありがたくもお焼香させていただきました。
真如堂をあとにし、その後は宗忠神社から吉田山の方へと登り、色々な角度から大文字を拝み、夜の散歩を楽しみました。

ご先祖様をお見送りする…という本来の意義からすると、やはりお寺から拝ませてもらうのは良いものだなぁ…と思った夜でした。

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お盆明け



ひつじ草

ご無沙汰をしております。夏季休業中はご迷惑をおかけいたしました。

さて、お盆休みが終わり、本日からお仕事を再開された方も多い事と存じます。
お盆には、ご家族揃ってご先祖様をお迎えになられましたでしょうか。
“今、ここ”を当たり前と思わず、日々感謝して生きるには、やはり連綿と受け継がれて来た命のリレーに思いをはせる時間が必要なのではないでしょうか。
-大いなるものに対し、手を合わせる心-というものを、忘れず生きていきたいものです。

今年も残るところ4ヶ月と少しですね。
まだまだ残暑厳しい毎日が続きますが、これから少しずつ訪れる秋の気配を見逃さぬよう、日々を楽しみましょう!

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お盆の休暇

咲く花あれば散る花あり

本日より16日まで、夏季休業とさせていただきます(ブログもお休みします)。
この間にご注文いただきました書籍につきましては、順次休み明けに発送させていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、何卒宜しくお願い申し上げます。
それでは皆様、暑い日が続きますが、どうかご尊体ご自愛下さいませ。

禅文化研究所

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古墨跡は縁のある人を集めるのか

本ブログで、愚堂東寔書「雲門云関」という記事を書いたのは、今年(2009)4月24日のことだった。
それからちょうど3ヶ月して、研究所の私に一本の電話がかかってきた。
それは、インターネット検索していて、たまたま上記ブログをみつけたというある方からの電話だった。
「その軸はうちにございます」というものだった。私は声がうわずるほど興奮した。
まずは先のブログを読んで頂きたいのだが、その後、できる限りの手を尽くしてツテをたどったが、結局どれも行き詰まってしまい、あとは、いつか、このブログを誰かが見つけてくれたら幸いだと思って、最後の布石として書いたのだった。
そしてこの電話である。
所蔵者は京都市内のとある骨董商、意外にも近くにあったのだ。撮影許可のお願いをしたところ、主旨もご理解いただきご快諾いただけた。
そこで先日、都合をつけていただき、写真撮影に寄せていただいた次第。それが下記の写真である。

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河合寛次郎記念館

河合寛次郎記念館

先日、久しぶりに河合寛次郎記念館を訪れました。
10年ほど前から度々訪れていますが、昔は土日祝日でも人がまばらでした。が、今回は美大の生徒さん達や、ご旅行中と思われる方々など、たくさんの拝観客でにぎわっていました。
昨今流行りの生活スタイルと、民芸の“用の美”の考え方がリンクする事や、静かな落ち着ける空間を求めてやってくる方もまた多いからでしょうか。
京都の伝統的な職人の仕事や、数寄屋建築などとはまた違う魅力のある河合寛次郎の作品とこちらのお宅。自らの生活にも、心豊かに暮らす為に取り入れられそうなヒントがいっぱいです。

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季刊『禅文化』213号

季刊 禅文化213号

7月25日に、研究所の季刊誌『禅文化』の213号が発売されました。
ご購入はこちらから。


*もくじ*
吾が師を語る――
逸外老師と耕月老師/山川 宗玄

善財童子の求道ものがたり(十四)/小林 圓照
回想―花園大学―その三/北西 弘
禅僧と士大夫(下之上) 要説・中国禅思想史22/伊吹 敦
禅宗語録入門読本5 達摩と武帝/小川 隆
『元亨釈書』訳注(十一) 永平寺道元伝/藤田 琢司
一重山盡きて又一重 松蔭軒老師 (続)/柳楽 義道
アナログ人間の弁明 三余居窓話(六十一)/西村 惠信
崋山/平塚 景堂
宗教と教育と私 「自分を生きる力」をめぐって/松田 高志
技を訪う―葛籠(つづら)/川辺 紀子渓聲山色/泉田 宗健
法燈行脚 「温もり」時を経て/小島 良徹
グラビア 巣松翁蔵 禅林墨蹟 大徳寺派(四)
聖域巡礼(十七) 川蔵北路を歩く(三)/李 建華
寺庭さんのリレー・エッセイ 私の今日このごろ/橋本 智子
スペインでの茶会/矢田 美穂
和尚さんの身体講座 (二十三) 布団の上で骨盤おどり/樺島 勝徳
微笑は言の葉でありつ/佐伯 裕子
表紙解説/藤元 裕二
いっぷく拝見
編集後記〈禅文化漫筆〉
『禅文化』バックナンバー
禅文化研究所の本

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樂美術館 -樂焼のはじまり、そして今-

樂焼のはじまり、そして今

京都市上京区の、樂美術館では、平成21年6月13日(土)~ 8月30日(日)まで、夏休みのこの時期恒例の、-親子で見る展覧会、シリーズ樂ってなんだろう「楽焼のはじまり、そして今」-が開催中です。

初代から当代までの作品を総て拝見でき、さらに小学生にでもわかるような易しい説明書きがそれぞれの作品にある為、初めて樂焼の世界に触れる大人の方にもオススメします。
また、待合では樂焼の茶碗づくりの工程を映した貴重なVTRの放映がありますので、是非ご覧になってみてください。他の窯元とは違う作り方など、興味深い映像がたくさんです。
8月16日には親子で見る樂茶碗鑑賞会があり、当代樂吉左衞門さんが解説してくださるようです。
私が参加したいくらいです……。

樂美術館
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外に求むること莫かれ -愚堂禅師墨蹟撮影行にて-

愚堂禅師の墨蹟撮影に東京へ出張した。

東京は関東大震災と太平洋戦争での大空襲におそわれて消失した寺院が多く、古くからの資料が残るところは少ないようだ。
今回撮影にいった墨蹟も、おそらく戦後に買い求められて所蔵されているものだと思われる。

愚堂東寔書・莫外求(禁転載)

「莫外求」(外に求むること莫かれ)、横物三文字である。愚堂禅師の墨蹟の中では他に見た事が無い。そもそも愚堂禅師の書で、このように3文字の禅語が書かれているものは稀少である。
書き方も面白い。「外」の縦棒はうねうねと書かれ、「求」の右側の払いの二画は×のように交差して書かれている。
出典は、臨済禅師の言葉で、「菴黴€要與祖佛不別、但莫外求」であろう。臨済録の示衆に出る。
この部分、山田無文老師の『臨済録』から引用してみよう。

  菴黴€、祖仏と別ならざんと要せば、但だ外に求むること莫かれ
 釈迦、達磨と少しも変わらない真の世界、法身の世界、永遠の仏になろうと思うならば、永遠の命が欲しいと思うのならば、神仏とともに永遠に生きようと思うのならば、自分の外に仏や涅槃という結構なものがあるなぞと思うな。自分の外に永遠のものがあるとするならば、自分とその世界とが対立であるから、それは永遠のものではない。人間の外に神さまがあるというのならば、神も人間と対立だ。絶対ではない。外に神仏を求めてはいかん。(山田無文著『臨済録』)

 いつも、無い物ねだりして、よそに求めている我が身には、きつい大きな一言である。

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