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-説似一物即不中- えしん先生の禅語教室 その9

惠信先生の禅語教室


-説似一物即不中 せつじいちもつ、そくふちゅう-

今回の禅語は南岳懐讓(なんがくえじょう)が、六祖慧能を訪ねて行ったとき、南岳が六祖に向かって吐いた、有名な一句です。

南岳ははじめ嵩山(すうざん)の安和尚について禅門を敲き、坐禅に勤しんで禅僧としての見識を身につけてから、天下に聞こえた曹谿の六祖慧能大師を訪ねて来たのです。六祖は南岳の顔を見るや、「お前さんはどこからやってきなさったのか」と訊ねました。「はい、嵩山からやってきました。」

嵩山はインドからやってきたダルマが、九年間坐り続けたあの拳法で有名な「少林寺」です。嵩山からやって来たということは、南岳にとっては一種の矜恃だったでしょう。しかし六祖は必ずしもそのような道場の場所を尋ねたのではないでしょう。禅問答はそんな単純なものではないのです。日常的な挨拶の中に毒矢が籠められているのです。

それはちょうど、『維摩経』菩薩品に出てくる次の話と同じでしょう。昔インドで、光厳童子という仏弟子が、路上で維摩居士に出会い、「どちらからお出でになりましたか」と聞くと、維摩が「道場から来た」と言われた。「道場とはどこですか」と尋ねると維摩が、「直心是れ道場」と答えられたという、あの話です。自分が自分にピタリと「直接」していることこそ「道場」だというのです。

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梅雨が明けない

雨にぬれる露草

もう七月も終わるというのに、今年はいつになったら梅雨が明けるのだろう。もう梅雨明けしたと言われているところでも、尋常じゃない豪雨があったりして、被害にあわれ命を落された方もいるという。ご冥福をお祈りしたい。
それにしても、カラッと晴れる日はいつになったら来るのだろう。
近ごろ、Slow Lifeに人気があるから、お天気までスローになってきたのか。
この調子では夏はさぞ短いことだろう。
でもまぁ、これも一興。大きな大きな自然界の中で、我らちっぽけな人間がどうあがこうが仕方のないこと。自然に抗おうとせず、あるがままに、大いなるものに包まれていればいいのかもしれない。

さて、この日の夕方にも雷雨があり、雨があがるのを待って愛犬を連れて散歩に出た。
空はいろいろな形の雲で、不思議な色合いを見せていたので、しばしみとれていた。

梅雨の空1

気圧が乱れているからだろうが、とてもいろいろな雲が一度に見える。

梅雨の空2

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寳慈院 旧千代野御所

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とある日、自転車での買い物帰りにいつもは通らない道を通っていると、老禅尼と禅尼が手をつないでご自坊を外から眺めて(何かを点検!?)おられた。
老禅尼がお歳を召されており、お御足の事もあるのかもしれないが、ぎゅっと手を握りあったそのお二人の後ろ姿があまりにも慈悲深く微笑ましく、また、「はて、代々尼さんという事はもしや尼門跡寺院だろうか……」と、通りすぎてから自転車を引き返した。

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山村御流 いけばな展 -大阪高島屋- 2009夏

山村御流 いけばな展

大阪(なんば)高島屋の7階グランドホールにて7/22(水)~7/27(月)まで開催されていた、-山村御流 いけばな展-にでかけてきました。
今回は親友が出展する事もあり、父と共にお祝いにかけつけました。
初めて御流の花を目にする父が、どのような感想を持つのかも興味深く思っていました。

最初、いくつかの作品を見て「これならお父さんにも生けられるんじゃないか」と、素人にありがちな感想でしたが、1つ1つの作品を丁寧に見てゆくと、次第に「この流派は、色々なものを花器に使って生けられるぶん、花器選びのセンスが重要だ。でも、花器を探す(見立てる)のもまた楽しいものだ」、「花器にあう花を選ぶセンスも必要だ」、「なかなかに難しいな、でも真似して自分で帰ったら花を生けてみよう」と、次第に心が花に寄り添っていったようでした。

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久々の比叡山延暦寺

根本中堂へ

実はまだ両親が参拝した事が無い!との驚愕の事実が判明し(関西人の場合、近すぎていつでもいける…と、まぁこんなもんです)、比叡山延暦寺へ参拝してきました。
京都市内は35℃を記録したこの日、さすがは比叡山上です。26℃と風が心地よく、たくさんの参拝者が訪れていました。
私は大学生時代、そして天台宗開宗1200年慶讚 臨黄合議所大法要の際にお仕事で行かせていただいて以来です。
お参りとは、その時々の自分の心境や成長によって、行く度に違う感動があったり学びがあったりするもので、やはり、まるで記念行事のように“1度行けば終わり”ではないのだな…と改めて思いました。
両親などは、日本において枝分かれした仏教の各宗派の宗祖や高僧の多くがこちらで学んだ事を知り、感慨深いようでした。

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蓮の清香-君子の花 浄土の花 -高麗美術館-

高麗美術館

京都市北区の高麗美術館では、夏にふさわしい展観、「蓮の清香-君子の花 浄土の花」が開催中です。
何度も訪れている美術館ですが、やはりここを訪れるとまずはしばし庭を鑑賞。
誰でしたか、「庭の良し悪しは広さではない」と言いましたが、まさにその言葉を思わせる庭。
そして今回の展観は、朝鮮美術における蓮の花の用い方。
日本の文化も多々影響を受けている朝鮮の美術品を見ていると、なぜかふっと心が落ち着きます。
茶の湯の道具にしても、“民芸”を知るにしても、その上で朝鮮の美術を知る事は書かせない道です。
また、こちらの美術館では様々なワークショップも開催されています。今回は私も大好きな作家さん、村田森先生のワークショップもある模様。興味深いです。

是非京都へおこしの際は訪れてみて下さい。ゆったりとした気分で時を過ごせる美術館です。

蓮の清香-君子の花 浄土の花 -高麗美術館-
2009年7月3日(金)~9月27日(日)

蓮
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田舎のよさ -ドラゴンカヌー大会で思う-




ドラゴンカヌー大会

関東まで梅雨明けしたというのに、近畿地方は未だにあけず天候も不安定で、豪雨が降ったりして、夏らしくテリッと晴れる日はいつくるのだろう。
そんな中、毎年、自坊のある地元の琵琶湖の内湖で行なわれている「ドラゴンカヌー大会」に、今年も選手として出場した。
写真でもわかるかとは思うけれども、ドラゴンカヌー大会というのは、ペーロンのような船での競技である。8人の漕ぎ手と太鼓士1人、そして舵取り1人で1チーム。
ただこの競技、全国で唯一の特徴がある。それは折り返し地点があってUターンして戻ってくるということである。
このお蔭で、圧倒的な差が一気に縮まったりして、なかなか面白い。Uターンでは舵取りの技量も求められる。……実は私は毎年舵取りの選手として出ていて、別に自慢でもないし何も練習していないのであるが、皆が言うには上手らしく、おかげさまで法事と重ならない限り、必ず選手で使ってもらっている。

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擔雪II 所轄庁提出書類と表紙を印刷する方法

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宗教法人法では、会計年度終了後4ヶ月以内に所轄庁へ提出が義務づけられている書類があります。
宗教法人管理システム「擔雪II」には、それらの書類を提出する際に使用する書類と表紙を印刷する機能があります。
それでは、所轄庁へ提出する書類と表紙を印刷する手順をご紹介します。

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東京国際ブックフェアと……悪夢




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ご案内していた、東京国際ブックフェア(7/9~7/12)が終わった。ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました。

早くから出展が決まっていたのに、なかなか新刊となる本の編集が進行できず、6月にかなり焦り、無理もしつつ2冊の新刊を間に合わせることができた。
それが、『明治の禅匠』『禅の寺』である。
新刊と言っても、実は両方とも復刊本。
『明治の禅匠』は私が研究所に勤務しだしてすぐに絶版になったので、既に20年ほどは品切れだった本である。今回、新版として再発行した。
もう一点の『禅の寺』も、以前はA5判の並製の本で、写真もすべてモノクロだったが、品切れして数年がたったので、今回、内容も加筆訂正していただき、オールカラーのムック本体裁に改め、新発売である。

ところが『禅の寺』は、フェアの1週間前に印刷会社に責了したので、実物は現地で始めてみることになるのである。いやはや、なんとか間に合ってよかったと、いったところ。
内部で使っている写真は、プロの写真家にお願いした写真などもあるが、8割ほどは私自身が撮影したものなので、充実感たっぷりである。

さて、4日間の会期中、禅文化研究所のスタッフ3名は、朝10時から夕方6時までの間、出展ブースに立ちっぱなしである。
交代でお昼休みと、若干の休憩はあるものの、普段、デスクワークばかりの身にとっては、なんとも苦痛。
もちろん、このブログを読んで下さっている方が見えたり、いつも本を買っていただいている顧客の方が見えたりするし、あるいは、「禅」という文字に興味を引かれて、我々に問いかけてこられる方もあって、それはそれで楽しいのであるが、体力勝負の感は否めない。
東京に本社や支社のある出展業者は、4日の間、スタッフを交代で送ってくるので、楽だろうなぁと横目で見つつ、我らは歯を食いしばるのである。
盛況ではあったが、関東が7月盆でなければ、関東圏の臨済寺院の方々ももっと来てもらえるのだろうが、いささか残念。
ブックフェアに来られていない方はご存じないだろうが、通常有り得ない、本の割引販売がここでは行なわれるのである。もしよかったら来年は足を運んでみられてはどうだろう。

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聖なる川 ガンジス -インド-




ガンジス川

映画『おくりびと』の主役、本木雅弘さんは、この川を見て、インドの事を書いた自著の中に、青木新門さんの著書『納棺夫日記』にあった一文を引用させて欲しいと申し出られたそうだ。
その一文というのが下記。

何も蛆の掃除までしなくてもいいのだが、ここで葬式を出すことになるかもしれないと、蛆を掃き集めていた。蛆をはき集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして捕らわるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱によじ登っているのまでいる。蛆も命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた。

(上記は、妙心寺発行の『花園』4月号 青木新門氏による特別寄稿文より)

当時まだ二十代であった本木さんが、この川を見て悟った死生観があり、そんな彼が主役を演じたからこそ、映画『おくりびと』は万人の心を打つ映画となったのだろう。

情けないかな、私はというと……

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文房具 書院を飾る -裏千家茶道資料館-




文房具 裏千家茶道資料館

なかなか見る機会の無い“書”の道具ばかりの展示にお邪魔してみました。
世に名高い端渓の硯の名品、美術品・置物としてもよく骨董屋でみかける李朝の水滴など、比較的、書に通じていない者にもわかりやすいものから、むむ、これは?!という逸品まで幅広く拝見させていただく事ができました。
いつもこちらでは、美味しい季節の和菓子とお抹茶をいただけるのも楽しみに訪れています。
茶道をされていない方も、是非一度お運び下さい。

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山村御流 いけばな展 -大阪高島屋-




山村御流 花展
山村御流いけばな展 案内状より

奈良の由緒ある門跡寺院、円照寺(現在は臨済宗妙心寺派)を家元とする華道の流派、“山村御流”の華展が下記のとおりございます。

「花は野にあるように」の山村御流。暑い盛りにどのような涼を運んでくれるのかと、今から心待ちにしています。今回は特に親友が出品するので、いつにも増して楽しみです。

ごくシンプルに楚々と生けられた草花に、素人目には「お、簡単?!」とうつるかも知れないこの流派の花ですが、シンプルなほど、生ける者の人格そのものが出てしまう気がしてこわいものですし、また、一旦お花の向きや生け方を迷ってしまうと、ついに、自分の心も花も定まらなくなってしまう…というこわさもあります。
華道の流派にも色々ありまして、あまりに不自然だったり、人間のエゴを見せつけられるようで疑問を抱く事もあります。が、こちらの花は、心から「はぁぁぁ(感嘆)。いいなぁ…」と、見ていて和む事ができ、季節と人の心にそっと優しく寄りそうように生けられるので、私は大好きです。

会期中無料にてご覧になれます。是非お運び下さい。


大阪(なんば)高島屋 7階グランドホールにて
7/22(水)~7/27(月)
入場無料
*7月24日(金)、27日(月)は午後5時閉場

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禅僧のことば -建長寺 吉田正道管長-




建長寺小方丈前から見下ろす参道

「DVD 禅僧が語る」シリーズの続編撮影のために、厚い雲に覆われた梅雨空の中、建長寺派管長である吉田正道老師のおられる、鎌倉・建長寺の小方丈を訪ねた。

今回は関東での撮影のため、撮影スタッフのほとんどは東京から出てもらっている。1時間半ほどかけてのカメラや照明装置のセッティングを終え、インタビューが始まった。
禅については全く素人であるインタビュアーの金子あいさんに対して、非常ににこやかに丁寧に、ご自身の若い頃のお話などもまじえながら、お話していただけた。特に小僧に出された頃、寺が嫌で逃げて帰った時、病床の母から言われた言葉が厳しかった話など、心を打たれる話だった。
このDVDのタイトルは未定ではあるが、私の中ではこれだな、という言葉も見つかっている。
また本シリーズで既にご登場いただいている、永源寺派管長の篠原大雄老師とは、建仁寺で竹田益洲老師の元で共に在錫されていた仲であるので、共通した話がお聞きできて興味深かった。

撮影時のようす

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禅僧が語る -方廣寺 大井際断管長-




大井際断老師_方廣寺

臨済宗を代表する高僧方に混迷の時代を生きる指針を語っていただく「禅僧が語る」の第2シリーズの収録を開始した。今回ご出演いただいた大井際断老師は、今年94歳になられたが、矍鑠として方広寺派の管長職と僧堂師家をされている。
幼少の頃のお話から、戦前、戦後の僧堂修行の様子や、雲水を指導する上で大切にすること、さらに今の日本に対しての思いなどを語っていただいた。

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2009  東京国際ブックフェア



東京国際ブックフェア


昨日より、東京のお台場ビッグサイトにおいて、東京国際ブックフェアが開催されています。
>12日、日曜日まで。
禅文化研究所は、昨年に続き本年も出展させていただいております。
お近くにお住いの方、この土日に東京近辺にいらっしゃる方、是非遊びにいらしてください。

約800社の出版社の本が一度に閲覧でき、しかも2~3割引でお買い求めいただけます。


東京国際ブックフェア
禅文化研究所のブース

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大いなる哉 心や -栄西禅師-



京都 建仁寺


来たる平成26年の“建仁寺開山栄西禅師800年大遠忌”にむけて、研究所でも遠忌事業の一環として、書籍の発刊など、建仁寺さんからの依頼にてお仕事をさせていただいております。

栄西(ようさい)禅師といえば、中国より茶の種を持ち帰り、広く一般に喫茶の習慣が広められるきっかけを作られた方として茶祖と崇められますが、禅師による『興禅護国論』の序文の内容の格調の高さはもちろんいうまでもなく、日本語の美しさをも気付かせてくれます。私の中では、紀貫之の『古今和歌集』の

やまとうたは、人の心を種として、よろずの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思うこと見るもの聞くものにつけて言い出だせるなり。花に鳴くうぐいす、水にすむかはづの声をきけば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
-『古今和歌集』仮名序 より-

と並んで大好きな一文です。


大いなる哉、心(しん)や天の高きは極む可(べ)からず、しかも心は天の上に出づ。
地の厚きは測る可からず、しかも心は地の下に出づ。
日月の光はこゆ可からず、しかも心は、日月光明の表に出づ。
大千沙界(だいせんしゃかい)は窮むべからず、しかも心は大千沙界の外に出づ。
それ太虚(たいこ)か、それ元気か、心は則ち太虚を包んで、元気を孕(はら)むものなり。
天地は我れを待って覆載(ふさい)し、日月は我れを待って運行し、四時は我れを待って変化し、万物は我れを待って発生す。
大なる哉、心や。
-『興禅護国論』序 より-

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蓮の開花 -日蓮宗・京都立本寺-



立本寺の蓮_携帯で撮影

仕事が休みの日曜日、「せっかく5時半に起きたのだから…」と、蓮の花を見に行って来ました。
京都市の上京区七本松通にあるここ立本寺では、この時期、本堂前の蓮の花が見頃を迎えます。
解放されており、訪れる人もまばらで毎年楽しみにしています。

今年はどこからか噂を聞きつけた?のか、三脚を利用するカメラマンが何人かいて、美しい花の真ん前に陣取りなかなかその場を離れず少し興醒めでした…。
写真がお好きなのは良いのですが、少し他の方の事も考えて欲しいものでした。
若者の無礼を嘆くお年を召された方は多いかと存じますが、この朝のカメラマンさんは平均年齢70歳といったところでしょうか…。
年齢は関係ないなぁ…と思った朝でした。

立本寺の蓮
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水が飲みたければ... -『栂尾明恵上人伝記』より-



栂尾の新緑

『栂尾明恵上人伝記』によれば、明恵上人の周囲では、たびたび不思議な出来事が起こったらしい。

ある時、上人が行法をしていた最中、侍者を呼んで言った。「手水鉢の中に虫が落ちたようだ。取り上げて逃がして来なさい」。行ってみると、蜂が落ちて溺れていたので、急いで取り上げて逃がした。またある時、坐禅の最中に侍者を呼んで次のようにおっしゃった。「後ろの竹原で小鳥が何かに襲われているようだ。行って取り離して来なさい」。急いで行ってみると、雀が小鷹に襲われていたので、追い払った。こんなことがしばしばあった。
ある日の夜更け、上人は炉辺に坐していらっしゃったが、突然、「ああ、大変だ。早く見つけないと食べられてしまう。火をともして早く追い払って来なさい」とおっしゃるので、前にいた僧が「何事ですか」と申し上げると、「湯屋の軒下の雀の巣に蛇が入った」と言われる。外は闇夜で妙なことだとは思ったが、とりあえず急ぎロウソクを灯して行ってみると、大蛇が巣にまとわりついて雀の雛を飲みかけていたので、追い払った。
こんな闇夜に、しかも遠く隔たった所の物さえ見ることができるのだから、まして我らが陰で良くない振舞いをするのを、どんなにか怪しからんとご覧になっていることだろうと、弟子衆や同宿の者も、後ろ姿までも恥じ恐れて、真っ暗な部屋の中でさえも、気ままには振舞わなかった。
こんな事があったので、侍者の僧が「上人は仏菩薩の化身だと、陰で人々は申しております」と申し上げたところ、上人ははらはらと涙を落して、次のようにおっしゃった。
「ああ、愚か者どもの言い草だ。だから、わたしのように禅定を好み、仏の教えの通り修行してみなさい。いますぐ、お前たちにもそのような事があるだろうよ。わたしはそのようになろうなどとは全く思ってはいないけれども、教えの通りに修行して長年になるので、知らぬ間に自然と身についたのだ。これは大したことではない。お前たちが水が欲しければ水を汲んで飲み、火に当たりたければ火のそばへ寄るのと同じことだ」

「大神通」を体得した人にとって、「小神通」など造作もないことだということがわかる。

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TVとネット

テレビが故障して4ヶ月近くになる。新しいのを買うつもりだったが、テレビがないことで生活に何の支障もないことに気づいてそのままにしてある。我が家では、TV受像機はDVDやビデオの再生装置でしかなかったようだ。

私の子ども時代は、居間の一台のテレビを家族揃って見るという、今考えれば信じられないような文字通りレトロな日々だった。しかし、そんな日々が懐かしくてよかったなんてちっとも思わない。みんなで揃って見たテレビのコンテンツで感動したなんて記憶がほとんどないからだ。

最近の博報堂DYメディアパートナーズの調査では、二十代男性のPCインターネット利用時間がTVの利用時間を抜いたという。十代・三十代男性においても携帯及びPCインターネットの利用時間がTVの視聴時間とほとんど差がなくなってきているらしい。

これは十分納得できる調査結果だなと思う。というのは、私のような若くない機械オンチでも、帰宅してまずスイッチを入れるのは、テレビではなくパソコンだからだ。大抵のニュースはインターネットで把握しているし、調べ物は圧倒的にこのお蔭を被っている。少し前までは、インターネットの情報はいい加減だとずいぶん言われたものだが、今では信頼できる情報も無尽蔵だ。

動画にしても、最近ちょっと充実してきている。画質はともかく見たい画像が瞬時に取り出せるなんて、かなり嬉しいできごとだ。TVコンテンツの劣化がますます進んで、安直なバラエティ番組や低級なドラマばかりということになれば、大衆もスポンサーも離れてゆくだろう。TVの未来なんてひどく暗いような気がする。

しかしこれはわれわれの未来が暗いということではけっしてないと思う。

受け身なTVの視聴から、もっと能動的なネットの利用に移行するほうが、社会への関わりという意味において個々人の主体性は増すだろう。自らが情報発信者になれば、確実に頭を使わなくてはならないし、情報を読む各人が、さまざまな出来事に対して真実を見極める目を培うことが、好むと好まざるとに拘わらず要求されることになるからだ。
情報のアウト・プットもひっくり返るほど簡便だ。たとえば個人のつぶやき(ブログ)の大衆へのリーチ(到達度)が、こんなに広汎でスピーディなものになるなんてだれが予測できただろう。一個人が直接世界に声を発することができるやりかたとしては圧倒的だ。この流れは間違いなくもっともっと加速するだろう。

テレビが壊れて、ちょっと考えさせられる日々なのである。

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『新版 明治の禅匠』 新刊のご案内




新版 明治の禅匠

幕末から明治維新、そして廃仏毀釈の激動の時代に、命がけで禅の法灯を紡いでこられた宗匠方の記録が新版で復活(7月17日発売予定)です。一昔前の禅僧、居士の気概とはこういったものであったのか…と、現代日本人が教えられる事が多々あります。
ご予約はこちらからどうぞ。


【もくじ】
明治時代の禅宗/荻須純道
越渓守謙 妙心寺僧堂開単の記/木村静雄
潭海玄昌 虎渓僧堂の開単者/古田紹欽
洪川宗温 近世禅界の一大学者/古田紹欽
独園承珠 廃仏毀釈に抗した護法者/荻須純道
滴水宜牧 滴水禅師と龍淵禅師/平田精耕
南隠全愚 白山道場の開単者/小池心叟
山岡鉄舟 禅者であると同時に類い稀な外護者/大森曹玄
禾山玄皷 禾山玄皷禅師衲覩/秋月龍珉
鄧州全忠 南天棒老師をたたえる/春見文勝
毒湛匝三 知行合一の第一人者/桜井景雄
龍淵元碩 陰徳の禅者/大森曹玄
黙雷宗淵 建仁寺の黙雷禅師/伊藤東慎
洞宗令聡 愚鈍の系譜―洞宗令聡とその周辺/加藤正俊
洪嶽宗演 楞伽窟老師の思い出/朝比奈宗源
宗演禅師の生涯 井上禅定
独山玄義 独山和尚の足あと/吹田独秀
法 系 図
あとがき

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名越の祓え 茅の輪くぐり

護王神社_京都市上京区

6月30日。
我が家の氏神さんである護王神社へ、茅の輪くぐりに行って来ました(昨年はこちら)。
この日はあいにくの大雨でしたが、なんとなく、半年の間に積もりに積もった罪穢れを祓い清めない事には、これからやってくる厳しい夏の暑さを乗り切り、一年の後半を無事に過ごせないような気がするのです。
こういった節目の日に、自分を顧みて、無事生かされている事を感謝し、残りの半年も息災でいられるよう神仏にご加護をお願いすると、生まれ変わったような新たな柔らかい気持ちになれます。

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西国観音霊場 第27番 書写山圓教寺に詣る




第27番 書写山圓教寺摩尼殿

「はるばると 登れば 書写の山おろし  松の響きも 御法(みのり)なるらむ」
西国観音霊場では最も西に位置し、西の比叡山とも呼ばれる、第27番の書写山圓鏡寺にお詣りしてきた。山裾から参詣用のロープウェイで山頂まで上り、三十三観音に見守られあがら、木々に覆われた参道を登ること約20分、摩尼殿の下に到着。

摩尼殿に祀られるご本尊は六臂如意輪観音(開山性空上人が弟子の安鎮に命じて彫らせた)で、6月末までご開帳されていたので、間近でそのお姿を拝ませていただくことができた。
ご朱印をいただき、さらに奥にある三つの堂へ歩く。
途中には樹齢七百年とされる杉の巨木や、ツガなどが静かに参詣者を見下ろしている。


樹齢七百年の杉

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