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京都御所 春季特別一般公開



美しい松の木

京都御所、春の一般公開にでかけて参りました。
前回、初めてに訪れてから、王朝絵巻さながらの世界に魅了され、飽きずに今回も。
あいにくの雨にも関わらず、多くの人が訪れていました。

さて、皆さんは御所や京都御苑といえば、まず何を思われますか?
普段、自転車で御苑内を通り抜けさせていただいている私は、松の美しさが非常に印象深く胸に焼き付いています。いつ通っても必ず、「なんて美しいのだろう」と見とれる荘厳な美しさが1本1本にあります。
そういうわけで、今回は宮内庁職員の方に色々と質問させていただきました。
まず、御所内にはだいたい700本以上の松が植えられているようです。そして、御所内の庭木の世話は、宮内庁の技官である庭師が2人専属でいらっしゃり、毎日手入れをされていらっしゃるのだとか。
しかしそれでも足りない為、京都の造園会社から3人ほどのヘルプが必要だそうです。
また、松の春先の芽積みや、成長が止まった時期に行われる剪定の際には、その年の予算にもよるそうですが、20~30人の庭師が入り、どんなに高い松の上にも登り、作業をされるとの事。
なるほど、美しく美しく保たれている裏には、このような大変な努力があるのですね。

その他、歴史的な事や建造物に関しても、非常に詳しくご説明下さいました。是非皆さんもせっかく足を運ばれるのでしたら、宮内庁職員の方に色々とお尋ねになる事をオススメします。とても詳しくご教授下さいます。

霧島躑躅が満開

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建仁寺の芍薬と石楠花


建仁寺の芍薬

先日、仕事の為に建仁僧堂を訪れました。
在家の私のような者(しかも女性)にとっては、禅文化研究所に勤めていなければ訪れるご縁も無いような所なので、仕事ながら心から楽しみにでかけました。

これまでに私は、いくつかの僧堂にお邪魔した事があります。もちろんそれぞれに、凛とした修行道場の雰囲気が漂うのですが、僧堂によってカラーがあり、瀟洒な感じがそこはかとなく漂う僧堂もあれば、まるで幼い頃に観た映画、ジャッキー・チェンの『酔拳』のごとく、ここは昔の中国か?!と思わされるような僧堂もあります。
各僧堂の雰囲気から、僧堂を束ねる老師の息遣いを感じ取れるような気がして、いやらしいとは思いながらも、きょろきょろと観察をし、色々な事を感じ、一人狂喜乱舞しています。
私の祖父も、とある2つの僧堂で修行をしていましたが、約70年ほど昔の僧堂の写真と、今の僧堂がさして変わりなく在り続ける事にもびっくりさせられます。

季節の話題を…と思いましたのに、話が逸れていました。
建仁寺を訪れて、あまりに芍薬が美しかったので皆様にご紹介を。
僧堂前には、石楠花が植えられ、これもまた美しい花を咲かせていました。
桜が終わって、なんとなく寂しい気もしていましたが、寂しさなんて感じている暇も無いようでした。
四季ある国に生まれた幸せを思います。

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西国観音霊場 第2番 紀三井寺に詣る




紀三井寺参道



「ふるさとを はるばるここに きみいでら はなのみやこも ちかくなるらん」
西国観音霊場 第2番 金剛峰寺護国院(通称・紀三井寺/和歌山県和歌山市紀三井寺1201)にお参りした。
鮮やかな朱色に塗り直された立派な楼門(室町時代建立)をくぐり、両側にいろいろなお堂がある石段を昇る。
山内に湧き出る3つの名水井戸があり、このため古くから紀三井寺と呼ばれてきたようである。またお参りした時には終わっていたが、桜の名所としても有名で、和歌浦を見下ろす山内が、沢山の桜の花に囲まれる様子が容易に想像できる。
下の写真は、三井水の一つ清浄水。



三井水の一つ清浄水


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愚堂東寔書「雲門云関」




愚堂書 雲門云「関」

十年ほど前にとある篤信家の方から、自坊の前庭に寄進いただいた石である。表面には、"雲門云「関(かん)」 愚堂"と書かれている。とても力強い書である。
雲門というのは、雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師(864~949)という中国唐代の禅僧で雲門宗の祖、有名な「日々是好日」という言葉も雲門の語である。
ここに書かれている語は、『碧巌録』第8則の本則にも出る難解な公案で、翠巌和尚が解制の日の説法で発した問いに対して、保福と長慶と雲門の三人の傑僧が答えた。その時の雲門禅師の答えが「関」であった。
内容については、碧巌録の解説書を紐解いていただくこととして、この公案はあの大灯国師も関山国師も3年間も取り組まれたといわれる難解なものだとか。

これを書かれた愚堂というのは、愚堂東寔禅師(1577~1661・大円宝鑑国師)である。来年、妙心寺塔頭の聖澤院(しょうたくいん)にて350年遠諱が勤められる。

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【西郡 ヴィシュワナータ寺院】 カジュラホその6 -インド-



ナンディー堂 ナンディ


世界遺産カジュラホの遺跡郡は、大きく分けて西・東・南に分かれますが、今回ご紹介する西郡は、寺院が一番多く残っている地域で、周りには安宿や土産物屋などが多く並ぶ賑やかな所です。
といっても、緑溢れる穏やかな町、カジュラホなので、とてものんびりしています。
オートリキシャ(タクシー代わりの乗り物です)に相乗りする事になった50歳過ぎ?のオーストラリア人夫婦も、このあたりの安宿に泊まっていると話していました。日本人には絶対にみかけないようなこの年代の夫婦バックパッカーというのも、なんだか良いなぁ……と思いました。

さて、この西郡にある、ヴィシュワナータ寺院は、1002年に建立されたとの事で、旅行本などにはシヴァ神を祀る寺院と書いてあったり、ヴィシュヌ神を祀る寺院と書いてあったりで定かではありませんが、向かい合って、シヴァ神の乗り物とされるナンディ(牡牛)の立派なお堂もある所が特徴的ですし、やはりシヴァ神を祀る寺院でしょうか。詳しい方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
ちなみにヴィシュヌ神の乗り物は、航空会社の名前にもなっていますが、ガルーダです。

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きらめく朝鮮の技 -高麗美術館-

きらめく朝鮮の技 -高麗美術館-

日本も大きな影響を受けた韓国文化への親しみ、尊敬の念を、いつも再確認させてくれる美術館。京都市北区にある高麗美術館を訪れました。
現在、“きらめく朝鮮の技”と題して、螺鈿漆器と象嵌青磁を中心とした展覧が開催中です(6/28まで)。

今回一緒に訪れた友人は、前回の私の記事の写真を見て「もっと山の中に在るような美術館かと思ってた!」と。確かに写真を見ると、屏も韓国風、そして韓国の石文化をその小さな空間で見事に表現した庭に、山奥か、韓国の田舎のような所にある空気を感じるのかもしれません。
実は、京都市北区の閑栖な住宅街の中に、いばるわけでもなく、ひっそりと、でも美しい空気を醸し出して存在しています。こちらの美術館の庭は、私の知る限りでは美術館の庭としては一番小さな庭かもしれませんが、物理的な大きさなどは関係無く、心が感じる広さは無限大。とても素晴らしく気持ちの良い庭です。

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京都春季非公開文化財特別公開のお知らせ



つつじと新緑

毎回とても楽しみな、「平成21年 京都春季非公開文化財特別公開」のお知らせです。
5月1日~10日にかけて、普段非公開の寺院や神社などが特別に公開されます。
ゴールデンウィーク中、京都の旅をご計画の方は是非ご参考までに下記HPをご覧になってみて下さい。
現在、京都は八重桜がそろそろ終わりを迎えるのと同時に、つつじや石楠花や芍薬、藤の花、そして瑞々しい新緑が我々を楽しませてくれています。

京都古文化保存協会さんのHP

禅文化研究所としましては、やはり臨済宗大本山の妙心寺の三門と塔頭に注目しております。

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清涼寺 嵯峨大念仏狂言



釈迦如来

京都三大念仏狂言(壬生狂言・嵯峨狂言・閻魔堂狂言)の1つ、嵯峨清涼寺の“嵯峨大念仏狂言”を観にでかけました(4月11日)。
京都に住んでいながらも初めての鑑賞となる無声狂言で、開演のどのくらい前に行けば座れるのか、チケットは必要なのか、いまいち情報がわかりませんでしたので、ご参考までに。

まず、演目や、行われる日時などはこのサイトをご覧になって確認を。
私が訪れた日は、チケットなどもいらず、狂言堂の前に並べられた床几に座るか、少し離れて観る事にはなりますが同じ高さから観る事のできる鐘つき堂に登り、適当に腰掛けて観るかの選択でした。
よほど関心のある方か、地元の方しか訪れない為、桜の美しい頃でしたがさほど混み合う事もなく、1番目の演目が終われば床几の席もだいぶ空く為、入れ替わって座る事もできました。

今回この大念仏狂言を観に行き、1番に感じたのは“自由さ”でした。
少し離れたところでござを広げてお弁当を食べながら観る方もいらっしゃれば、子供達は鐘つき堂の櫓によじのぼって観ていたり…。途中から見始める人もいれば、ふらりと抜け出す人も。
能楽堂にお能や狂言を観にでかける時の心地良い緊張感も良いものですが、外での自由な空気にリラックスしながらの鑑賞も素晴らしいものでした。
やはりこれはもともと、庶民にわかりやすく仏法を説くために始まったものであり、地元の人たちの間で伝え守られて来たものだからこそ出てくる雰囲気なのだな…と、京都の地の良さを存分に味わいました。
保存会では、着物などの寄付や、一緒にこの狂言を伝えていく為のお手伝いをしてくれる方を募っておられるようでした。現代社会において、こういった、土地で受け継がれて来た伝統を土地の人のみで守っていくのはとても難しい事になってきているのでしょう。
保存会の方達の努力に頭が下がる思いでした。

大念仏狂言 清涼寺_嵯峨
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-初発心時、便成正覚- えしん先生の禅語教室 その5



新しい環境はどうですか?

-初発心時、便成正覚 しょほっしんじ、べんじょうしょうがく-

「発心」というのは「発菩提心」(ほつぼだいしん)の略で、仏道を修行して悟りの彼岸へ渡りたいという願心を持つことです。今日の禅語「初め心を発する時、便ち正覚を成ず」は、『華厳経』に出てくる言葉で、仏教一般に通じるものであって、特に禅宗だけのものではありません。

しかし禅の専門道場に入門しますと、修行を始める者の心構えとして、真っ先にこの言葉が与えられるのが習いです。とにかくこれから修行しようとするものは、さあやるぞという主体的な心構えがいちばん大切であって、そういう意欲がないものは、いくら道場へ入門してみても、生活に馴れてくると共同生活の要領ばかりが良くなり、自分の修行はさっぱり進まないので、その点について最初にしっかり釘を刺されるわけです。

四月になって全国津々浦々で、入学式や入社式が行われたことでしょう。そして皆さんは今までとすっかり違う環境のなかで、毎日を新鮮な気分で過ごしておられることでしょう。しかしそんなうれしい日は束の間のことで、半月もすれば環境に馴れて、当初のフレッシュな気分も弛んで、生活がマンネリ化してしまうことでしょう。

たとえば新しく大学生となった場合でも、入学式の日に会場に坐っている人の姿はみんな同じです。しかしこれからしっかり専門の知識を身に付けて、卒業の暁には立派な職業人として人生を送るのだ、という目的意識と意欲がしっかりしている人と、動機性が曖昧なままそこに坐っている人とでは、もうはっきりと大学生活の成果が決定されてしまっているのですね。

要するにどんなことでも、自分にやる気がなければ何一つ成功しないということで、あまりにも分かりきった話ですが、どうやら動機曖昧が今の若い人の傾向のようですね。

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「おくりびと」に危機感?

4/5の日曜日の朝日新聞の朝刊を読んでいたら、"「おくりびと」に危機感"と題して、全日本仏教会長の松長有慶師(高野山真言宗管長)の記事があった。

僧侶の立場から「おくりびと」をどう見ましたかという質問に対し、
――葬儀はこれまで仏教の専売特許のような面が有ったのに、僧侶を含め宗教者は葬式にはいらないという雰囲気を感じた。
と答えられている。

確かに、「おくりびと」では僧侶はほとんど出てこなかったように思う。だが私はだからこそ、危機感というよりも、僧侶である自分自身のためによかったと思ったのだ。この映画を見ることによって、僧侶である自分が知らなかったことがわかってよかったのだ。
だが、松長師は、

――葬儀が形式化し、僧侶はお経を読むだけになってしまったという反省がある。多くの人が病院で亡くなる今、生命は医者の手に委ねられ、かつては僧侶が臨終に立ち会ったが、それが今では葬儀業者の担当である。僧侶が葬儀を通じて死の問題に介在することが難しくなっている。

とも仰っている。確かにそれはその通りである。
だが、ならばこそ我々僧侶は「生きる」ということについて、もっと目を向けなくてはいけないのではないだろうか。我々僧侶が、この現代でしなければいけないことは、そこにあるのではないように思う。
実際には、葬儀の儀式が儀式としてのみ一人歩きし、そんなことに高額な費用を費やすことに意味を感じなくなっている現代人が多いのである。しかしそういう方々は「生きる」ということについてさえも、自分を見つめて考えたことがないのではないだろうか。
「生きる」ということとしっかり向かい合うこと、これがいずれくる「死」と向かい合うことになるのだと思う。
それを伝えていきたいと私は思う。
もちろんそれを伝えるのに、親しい人のお葬式は絶好のチャンスではあるのだが。

――納棺師が、亡くなった人を死体ではなく、死者として扱う姿に人間の尊厳を感じ、多くの人が共感したのでしょう。人間を物として扱うべきではない。今ではいのちまでもが「物」として扱われている。

これはまことにそのとおり。
この映画については、以前にも絶賛したとおり、すばらしい映画だった。
だがしかし、これによって我々僧侶が危機感を覚えるというのは、いかがなものかと思った次第。

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京都御苑の桜と、京都御所春季一般公開のおしらせ



御苑の八重桜

先日(4月12日)訪れました京都御苑の桜です。
早咲きの枝垂れ桜は、現在満開の桜に目を奪われていると、もう誰も桜と気がつかない程に緑のみずみずしい葉を勢いよく身にまとっていますが、八重の桜や紅枝垂れが満開の見頃を迎えていました。
約1ヶ月にわたり我々の目を楽しませてくれた桜も、もうそろそろ終わりをつげる頃でしょうか。
なんとなく心寂しい気もしますが、そんな思いも束の間、このところの暖かさで、もみじなどの新緑がまばゆいばかりです。

さて、下記の日程で、普段は固く門を閉ざされている御所内が一般公開されるようです。
日本文化の真髄がここに…と思える御所内は、細やかに手入れされた木々1本の美しさを見るにつけても価値がある…と思えるくらいに素晴らしいものです。屏の外から見ていても、松の立派な枝ぶり、木々の手入れの素晴らしさに感動するほどです。宜秋門などの檜皮葺きを見ても、こういった事ができる職人さんがいらっしゃる事を思い、嬉しくなります。
日本人である事の喜び、日本の誇り、文化への理解をいま一度。是非お運び下さい。

【京都御所春季特別一般公開】
4月23日(木)~29日(水) 午前9時(開門)から午後3時30分(閉門)まで

本年は、天皇皇后両陛下御結婚満50年記念という事で、普段公開されないような御殿なども特別に公開され、御結婚に関連した展示などもあるようです。楽しみです。

秋の一般公開の記事はこちら

ぼんぼりのような桜 紅枝垂れ
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織田信長の寺 安土 摠見寺(そうけんじ)




大手門階段

滋賀県安土町にある安土城の大手門階段である。桜がみごろ(4月5日)。
ここにある織田信長の創建による摠見寺(そうけんじ)は今まで非公開とされてきたが、去る4月5日から日曜祝日のみ特別公開されることになった。
住職と懇意にさせていただいているし、自坊から近いこともあり、5日の朝一番に拝観より一足早く出向いてきた。和尚の許可も得て、ここでご紹介することにさせていただく。

この摠見寺は、本来は安土山の頂上付近にあった。今そこには、仁王門と三重の塔が現存するのみで、本堂や庫裡などは1854年に焼失してしまった。したがって、今の摠見寺は、明治以後に建てられたもの。戦国期には家康邸であった跡地である。
数年前に現住職(加藤耕文師)が入寺後、色々と修繕され、また手を加えられて、今回の公開にふみきられたのである。

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桜 借景の山にまた桜 -天龍寺-



天龍寺の桜

先週、4月7日に仕事で訪れました嵐山・天龍寺です。
嵐山・亀山を借景として取り入れた曹源池庭園が有名ですが、山内どこにいても山に咲く桜が見られ、すぐ近くに咲く桜と共に何倍もの楽しみを与えてくれます。
「なんて贅沢なんだろう…」。と、しばし仕事を忘れ感慨にふけっていました。

山の木々も新芽を出してもこもこと、その中に桜の色がかわいらしく。
お茶の席で使われる主菓子のきんとんを思い出します(花より団子でしょうか…)。

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おしらせ -日曜美術館「妙心寺」・白隠禅画墨蹟集-

何度かこちらでもおしらせしましたが、5月10日まで、京都国立博物館において、“特別展 妙心寺”が開催されています。関連して、私も大好きな番組、4月12日のNHK教育テレビ『日曜美術館』で下記のとおり放送があります。

4月12日(日) NHK教育テレビ 朝9:00~10:00(再放送は翌週日曜日の夜8:00~)
「妙心寺 不屈の禅が生んだ美」 

番組内では、世に名高い狩野派や、海北友松などがとりあげられるようですが、忘れてはならないのが臨済宗中興の祖といわれる、白隠慧鶴禅師です!
膨大な数の画を残された白隠さんの事も是非こちらの番組でご覧になってみてください。絶対におもしろいですよ!
この、白隠さんの禅画墨蹟集が、現在特別価格(4月30日まで)にて発売中です。さらに、白隠禅師法語全集も割引価格にてご提供中です! 詳しくは下記からどうぞ。

白隠禅画墨蹟 全三冊

禅画をご覧になりたい方はこちらから

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不審花開今日春 -京都・霊鑑寺の椿-


月光椿

今年もありがたい事に、3月28日~4月5日まで、別称“鹿ケ谷比丘尼御所”・“谷御所”とも呼ばれる門跡寺院・霊鑑寺(臨済宗南禅寺派)が公開されていました。
ブログでも何度かご紹介しておりますが、春と秋・椿と紅葉の美しい時期に限り1週間ほど特別公開されるのです。公開日程がわかった時点で、ブログや禅文化研究所のメールマガジンでもお知らせしておりますので、是非お心に留めておいていただき、春や秋に京都を訪れる際は、ご参拝なさってみて下さい。

さて、私が毎年こちらを訪れていて思うのは、「不審花開今日春」という禅語です。
表千家不審庵の号もこの語から来ているのですが、幾重にも美しく重なった衣笠(椿の種類)の花びらや、言葉では表現しきれぬ美しい白い色、京都市の天然記念物にもなっている日光・月光椿、黒椿のドラマティックな真紅の蕾、どれをとっても人智を超えたものとしか思えず、じっと見入るにつれ「あぁ、不思議だなぁ。どうしてこのように咲くのか…」と心から思い、人間のわかる事なんて微々たるものだ、おごってはいけないな…と思い知るのです。
道端に咲くたんぽぽを見てもそう思うべきですがなかなかそうもいかず、いつもこちらの椿を見に行くと心新たに気づかされるのです。

08年の霊鑑寺
07年の霊鑑寺

哲学の道の桜
哲学の道 満開です!
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図書の寄贈を受けました



寄贈された書籍

去る3月上旬に、妙心寺山内天祥院閑栖、釈浩堂師より図書の寄贈を受けました。主に和装本で25点131冊、内容は四書五経などの古典類が多数を占めています。また、今回ご寄贈いただいた図書には、釈師の学問の師である加藤恭道師(1881~1940)の旧蔵本も数点含まれています。

釈師は『晦堂集』(大心院、昭和16年)の編者として名前を載せておられますが、ご自身が専修学院に入学されてから加藤師が亡くなるまでの、約20年の長きにわたって親炙されていたとのことです。

加藤師は、大正より昭和初期にかけての臨済宗門を代表する学僧であり、妙心寺派普通学林中学部を卒業して、相国寺の橋本獨山老師の鉗鎚を喫し、また寺西乾山氏に師事して漢学を修め、宗旨に明るく且つ文字の使い方に練達した、詩偈の権威として認識されていたとのことです。同時代には、小畠文鼎師が相国寺長得院におられ、当時の宗学の双璧として、荻須純道師に言わせると、「『五山に小畠、妙心に加藤』とは何人と雖も異口同音に讃えた」方だったとのことです。

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一言主神社 -奈良県御所市-



御神木
一言主神社の御神木 イチョウ

九品寺から、まほろばの里の風景を楽しみつつ葛城古道を進むと、一言主(ひとことぬし)神社へと辿り着きます。
不思議な名前の神社だな…と思われませんか?
こちらは、全国の一言主神社の総本社で、祭神の一言主神は「悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離(はな)つ神である」と、古事記に登場します。

一言のみ願いを叶えてくれるという事で、地元では「いちごんさん」と親しみを込めて呼ばれ、お参りの際は共に参る人とも言葉を交わしてはいけないそうな。
言葉を発しないまま、また共にお参りした人の言葉も聞かないままにお参りをすると、なかなか神聖な心持ちになり、神社や土地の持つパワーを確かに全身に感じられるようで、“この願いをどうか”と思う一言のみを神様にお願いし、神社を後にしました。

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九品寺 -奈良県御所市-

九品寺 奈良県御所市

聖武天皇による詔にて行基が開基、また、空海が中興と伝わる九品寺を訪れました。
奈良にあるお寺は何気なく人々の生活と信仰にとけこんでいますが、驚くほど古く由緒あるお寺であったりします。
1558年より浄土宗の寺院となり、本尊は重文の阿弥陀如来坐像とのことです。

里を見守るように建つ寺は、とても静かで、聞こえてくるのは鳥の声と本堂からのお坊さん方による読経のみ。綺麗に掃き清められた境内はとても気持ち良く、深呼吸したくなります。

本堂裏からの風景
千躰地蔵を目指して裏山の方へと登っていく途中、本堂を見下ろす形になります。
美しい屋根瓦と、その向こうにひろがるまほろばの風景がたまりません。

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嵯峨 桜守・佐野藤右衛門邸の夜桜



佐野藤右衛門邸の夜桜

創業天保年間、代々御室御所に仕えた植木職人。現当主で16代目を数える嵯峨の桜守、佐野藤右衛門氏のご自邸へ、夜桜を見にでかけました。
ちょうど桜の花の良い時期、たくさんの種類の見事な桜の木が植わっているご自邸のお庭を、一般に無料で開放され、夜にはかがり火も焚かれライトアップされます。

青いビニールシートに、花より団子の団体が陣取り、桜が泣いているようにしか見えないライトアップには興醒めしてしまう為、夜桜見物はあまり好きでは無かった私も、ここは無論別格。
そういった花見の客は来ない為、静かに夜桜を楽しめます。
ほぅっ…とため息をつくほどに魅せられてしまいました。
傘のようにひろがった見事な枝ぶりに、ありったけの1年の力をふりしぼって見事に咲かせた満開の花。それが妖しいまでに美しく、ライトアップされるとさらに幽玄の世界へと誘われるようで、まるでお能の舞台を見ているかのごとくでした。

「桜の花は、桜の木にとって一年の最後の集大成! 1年のすべてがこの花に出るんや。花が終わってまた新たに1年が始まる」とは16代藤右衛門氏のお言葉。
何日かの花のために1年を通して桜を守る桜守。見事な桜の花の裏にあるその愛情と細やかな配慮、地道な毎日の手入れにどれだけの人が思いをはせるのか…と思った夜桜見物でした。

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妙心寺開山650年大遠諱へ その2




妙心寺開山650年大遠諱

遠諱団参の続きである。
退蔵院を出た後、仏殿と法堂の間で集合写真をにこやかに撮っていただいて、檀家さんたちは法堂へ案内され、私たち住職は大方丈の隣の寝堂で出頭用の法衣に着替え待機。

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霊鑑寺の特別公開

今年も椿で有名な尼門跡寺院、霊鑑寺の特別公開が始まっています。
>3月28日~4月5日まで。

京都へおでかけの際は是非こちらへもお運び下さい。

08年の霊鑑寺
07年の霊鑑寺

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妙心寺開山650年大遠諱へ その1




妙心寺開山650年大遠諱

大本山妙心寺の開山無相大師650年遠諱法要にお参りする遠諱団参のために、先日、自坊の檀家さんたちを引き連れてお参りしてきた。
法要は一日3回に分けて行なわれるのだが、自坊の教区は、午後2時からの第3回目。そのため、朝から大型バスで出発して、まずは、現在、京都国立博物館で開かれている「妙心寺展」を観覧してきた。

妙心寺展(京都国立博物館)

高速道路が自家用車で1000円で走れる割引が適用されたため、朝から、名神高速の交通量は多かったようだが、それでも予定通りに開館時間に到着し、朝一番から妙心寺にまつわる宝物をじっくり見てまわることができた。
無相大師や花園法皇の書、東海庵、龍泉庵、聖澤院、霊雲院という四本庵の開祖の頂相などをはじめ、白隠禅師の書も多く展示されていた。また、狩野派の金箔の上に立体感溢れて描かれた障壁画は、おもわずしばらく立ち止まって見入ってしまった。
ただ、会期前期には、有名な龍虎図や瓢鮎図は展示されていなかったので、その点が残念だった。後期にもう一度訪れたいところである。
我々と同じく、遠諱団参にいく前に来られている、同じ教区のご寺院の檀家さん方も多かったからかもしれないが、途中、花園法皇と無相大師の木像の前では、手を合わせている姿も見られた。

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京都 臨済宗本山の桜



南禅寺_法堂
南禅寺 法堂と桜

禅文化研究所は、臨済宗黄檗宗連合各派合議所(臨黄合議所)の事務局も兼ねています。
ですから、禅文化研究所のお仕事と、臨済宗黄檗宗関連のお仕事、どちらもさせていただいております。
本日(3/30)、臨黄ネットの広報活動として拝観寺院や美術館博物館でお配りしている“栞いろは歌”を納品する為、京都のいくつかの本山にでかけていました。
平日とはいえ春休み、そしてこの陽気のおかげで桜も種類によっては満開!という事で、京都中観光客でにぎわっていました。
おでかけの際のご参考までに、本山で撮った写真等をご紹介。

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