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初釜




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1月といえば、茶の湯を稽古する者にとっては楽しみにしている大切な行事、初釜があります。
師匠と、師匠に師事するお仲間たちとで、一年で最初の茶事の席を楽しみます。

昨今、茶の湯における懐石料理が豪華になりすぎる事に批判的な方もいらっしゃいます。
私も確かにそれはどうなのか……とも思うのですが、料亭で行なう茶事は、それはそれとして、新年の慶びと、社中が一堂に会する喜びを分かち合い、華やかで楽しくも、新たにこの1年の稽古の精進を誓うに相応しい、気がひきしまる場として受け止めています。

ですが、一度、流派関係なく、茶の湯を稽古する友人達と、一汁一菜のシンプルな料理をいただいた後で、濃茶薄茶をいただくような会をしてみるのも、自分たちの精進の為に良いのかもしれないな……と思ったりもしています。今年の目標ですが、いつ実現しますでしょうか。

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厄除け参り




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我が実家あたりでは、節分前後に門戸厄神さん(西宮市)へお参りします。
なんとなく親に連れられて昔からそうして来ましたので、ほぼ毎年足を運ぶわけですが、その事によって、気持ちが新たに切り替わったり、真摯に手を合わせて自己を顧みたり、区切りというものをつけさせていただき、来たる1年また無事過ごせるよう願います。
節目の行事として有り難い事だ…と、この歳になると余計にしみじみと感じます。

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岸野承 木彫展 -京都・蔵丘洞画廊-




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岸野承さんの木彫展が、京都にて開催されます。
詳細は下記のとおり。


【岸野承 木彫展】
平成25年2月2日(土)~16日(土)
午前10時半~午後6時半 会期中無休
作家在廊日 2、3、9、10、11、15、16日
於:蔵丘洞画廊 京都市中京区御池通寺町東入ル(本能寺文化会館1階)


彼の人となり、暮らしというものを、わずかながらも知っていますが、家族がありながらもどこか世捨て人的風情もあり、非常に興味深い、面白い人なのです。
そんな彼が、何を思い彫るのか、何も思わずただ彫るのか、私の知るところではありませんが、ともかく新しい作品が拝見できる機会を今から楽しみにしています。

“ギャラリーでの個展”となると、敷居が高いように思えて、ましてやぱっと買えるような物を置いているわけでもなく、おでかけなさりにくいかもしれませんが、絶対に面白い、今まで見た事の無い世界が見られますので、何も気にせずに、是非ともお運び下さい。

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『日本のかご えらぶ・かう・つかう』 とんぼの本




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購入して一気に読みましたが、その後も暇があれば穴があくほどに眺めている本があります。

講談社のとんぼの本シリーズより、『日本のかご えらぶ・かう・つかう』

素材、産地、編み方、種類、使い方、コレクターの私物紹介。
籠にまつわるあらゆる事が、美しい写真とともに凝縮された一冊です。

私も普段の生活に籠をよく使う為、海外旅行の際にも色々と籠を買ってきたりしていましたが、素材や職人自体が減って来ている日本の籠の現状を知ると、「日本の古くからある智恵や手しごとを失いたくない……」という思いに到り、これからは特に日本のものを手に入れ、身近において日々慈しむという事になりそうです。

日本の仕事の綿密さといいますか、几帳面さは、世界一を誇ると言っても過言ではないでしょうが、籠においても同じです。
安価な○○製の物と、日本のザルとを使い比べてみると、お値段は十倍の差があっても、前者はすぐにもろもろになり使えなくなるのに対し、後者はかなりの年数使えど、まだまだ美しく、それどころか味が出てきて、日々の生活に欠かせない愛しい道具となっています。

人間も自然の一部と考えれば、その生活にも、自然界に元々あった素材で作られたものがある方が豊かではないか……。そう思っていた矢先にこの本を知り、様々な種類の籠や使い方を拝見し、その美しさと機能性、汎用性、そして何といっても、そこにあるだけでどこかあたたかな印象を受けるてづくりの籠たちに、ますますその思いは強くなりました。

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季刊『禅文化』227号発行




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季刊禅文化227号を発行しました。

★「特集 今、なぜ久松真一か」
今年は久松真一博士が亡くなられて33年になります。逝去の年(1980)に本誌で「特集 抱石庵 久松真一の世界」(『禅文化』97号)を組ませていただきましたが、その折、ご執筆くださった方々の多くはすでに鬼籍に入っておられます。このたびは、次世代の方たちにもご登場願い、あらためて「久松真一の世界」を問うてみました。
以下に特集の一編「久松先生の機用」(辻村公一)の一節をご紹介します。

先生がフライブルクを訪問された時、マルティン・ハイデッガーは各地の哲学者、芸術家、批評家を三十名ばかり招いて、先生を囲んで「芸術についてのコロクィウム」を催した。筆者は友人アルフレド・グッツォーニ君に援助を頼んで通訳を勤めた。色々な質疑応答が行なわれたが、その中で或る人が「或る芸術作品が根源から出た物であるか否かは、如何なる基準に依って判別されるのか」と問うた。如何にも西洋人らしい学者的な質問である。その問いに対して先生は立ち処に答えられた。「それは根源から判ります」と。満場は息を呑んでシーンとした。


★トークセッション 「禅とキリスト教の出会い」では、禅の側から、安永祖堂老師、キリスト教の側から、禅を受容したキリスト教のありかた「禅キリスト教」を説かれる新約聖書学の佐藤研(みがく)先生にご登場願いました。

それまでは数息観などをやっていたのに、突然(ラサール)神父は私に『無門関』第一則の「無字」という公案をくださったのです。びっくりしました。こんなことを私がやってしまったら、今まで自分がやってきた新約聖書学の中の何かがすっ飛ぶと思った。それと自分なりに持っていた信仰というものがなくなってしまうように思ったのです。ですから、「これだ」という不思議な感覚と、これを本当にやったら自分のこれまでが全部崩壊するという恐れの間で、それからの一年間は毎日闘いました。(「キリスト教の側より」佐藤研)

今号も興味深い記事が満載です。ぜひご一読ください。

詳しくはこちらからどうぞ。

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金勝寺 -滋賀県栗東市-




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金勝山(こんぜやま)へ磨崖仏を拝みに行きました帰り、頂上近くにある金勝寺(こんしょうじ)へお参りにゆきました。

奈良時代にかの良弁僧正(東大寺開山)が開いたとされるお寺です。
東大寺造営に、滋賀や伊賀などの大木が使われた事を思うと、地域の繋がりまでもがありありと見えてきてとても面白いものです。

さらにこのお寺、中世には源頼朝・義経、足利尊氏・義詮(よしあきら)など、錚々たる人々が帰依し、湖南仏教文化の中心をなしたのだとか。
しかし今はそれも昔のこと......と、山奥にひっそりとたたずんでいますが、かえってその事によりこちらの心は慰められるのですから、皮肉なものです。
京都市内のお寺には全く無いような良さがある滋賀の寺。京都、奈良、滋賀と、どれだけ色々なお寺を参拝しても、それぞれに興味深いものですね。

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"一円融合"石田智子展  -ギャラリー素形-




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以前にも御案内させていただきましたが、このたびも、石田智子さんによる個展、"一円融合"が、京都のギャラリー素形にて、1月22日~2月17日まで開催されています。

御案内いただいた葉書によりますと、、、

京都展タイトル「一円融合」。この言葉は報徳思想の祖、二宮尊徳の教えであり、「全てのものは互いに影響し合い、たとえ対立すると見えるものでも、じつは一体になって融合している」という意味をもちます。
福島県在住の作家・石田智子は「人の心がもっともっと融合しなければ復興には結びつかない。どうすればかたくなな心が融けだし、一体感をもつ事が出来るのか」と、日々祈る思いで過ごしているといいます。
まもなく震災から二年、表面的には平穏を取り戻したかのようにも思える今の日本に、石田智子は現地から問いかけます。


私も休日に是非とも拝見せねばと思っています。
拝見した者一人一人が、問いかけを受け止め、何かを持ち帰り、そこから出た祈りや思いが派生してゆけば......と思います。

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NHK鑑賞マニュアル 美の壺 「土鍋」




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「土鍋」とくれば、季刊『禅文化』-技を訪う-その他記事でもお世話になり、個人的にも色々とお世話になり親しくお付き合いさせていただいている、伊賀の土樂さん。

NHK鑑賞マニュアル 美の壺 「土鍋」 の回が、下記の通り放映され、その中に福森雅武先生と、道歩さんが登場されます。
放送日時は下記。
日々のくらしに必要不可欠なものこそ、美しくあらねばなりません。
福森先生は常日頃、"品格"という事を仰います。
さて、"品格"とは、どこから生まれてくるのでしょう。
放映が楽しみです。

【BSプレミアム】
      本放送 1月23日(水)19:30~19:59
      再放送 1月29日(火)11:00~11:29
【総合テレビ】
      再放送 1月27日(日) 4:30~ 4:59

☆土樂さん関連記事

『禅文化』221号 技を訪う -土樂窯・福森雅武-
福森先生のお言葉 -伊賀・土樂窯にて-
福森雅武の花 -季刊『禅文化』225号より-
「森と大地の仕事展 福森雅武」 -北海道・十勝千年の森-

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諏訪大社




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前宮一之御柱

尊皇敬神の念に篤い友人に引っ張り回されて(失敬)、こたびも神社巡り。今回は長野県の諏訪大社。御柱もしっかり拝んで来ました。

諏訪大社は全国の諏訪神社の総本社であり、諏訪湖を挟んで南に上社本宮・上社前宮、北に下社春宮・下社秋宮の四社が鎮座する。諏訪インターを下りて、まずは上社本宮から参拝。

何気なく社務所の玄関を覗くと、「祭政一致」の扁額が麗々しく掲げられている。ローマ法王の避妊禁止もそうだが、世の中がいかに変わろうとも、古来の聖なる信条を固く守る人々がいることは、ある意味で安心させられる事実である。どうか、いつまでもこのままであっていただきたい。

諏訪大社の絵馬に特徴的なことは、マンガ調のイラストを描き込んだものが異常に多いことである。決してふざけているわけではなく、いずれも敬虔なものである。ネット上の若者文化における諏訪大社の位置づけについて私にも知識がないわけではないが、本題から離れるのでここでは述べない。

授与所で「神棚の祀り方」という掲示を見ていた若い女性の方が、「へー。諏訪大社より伊勢神宮のほうが格が上なんだ」とつぶやいていたのには失笑してしまった。信州の人々の「お諏訪さま」に対する崇敬の念は、こんにちもやはり絶大なのであった。

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『禅の寺』 -臨済宗各派本山へのお参り必携-




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先日仕事でお邪魔した建長寺

今更?!ですが、日本の禅宗には、臨済宗・黄檗宗・曹洞宗という3つの大きな流れがあります。

我々に本来そなわる尊厳で純粋な人間性(仏性[ぶっしょう])を、坐禅・読経・作務などの修行を通して自覚(見性)することを旨とするのがいわゆる“禅宗”ですが、「只管打坐(ひたすら坐禅する)」を重視する曹洞宗とは異なり、古則公案という祖師の語録などを基にした問題について、師家と一対一で問答する参禅を行なうのが臨済宗と黄檗宗の特徴です。

臨済宗には14の派があります。 皆さん、全て御存知でしょうか?

妙心寺(京都)

南禅寺(京都)

建長寺(鎌倉)

東福寺(京都)

円覚寺(鎌倉)

大徳寺(京都)

方広寺(浜松)

永源寺(東近江)

天龍寺(京都)

相国寺(京都)

建仁寺(京都)

向嶽寺(山梨・甲州)

佛通寺(広島・三原)

国泰寺(富山・高岡)

そして、もう一つの黄檗宗は萬福寺(宇治市)を本山とし、江戸期に伝わった臨済宗の一派なのですが、お経の読み方などが中国の明音で他と異なるため、日本では黄檗宗として独立しました。

この、臨済宗14派本山と黄檗宗萬福寺の、簡単かつ重要なポイントを押さえた歴史、開山様の生涯、伽藍や文化財、そして年中行事(皆様も参加できる行事があるので要チェックです!)などを一冊(オールカラー写真)に凝縮して掲載した本があるのです(意外にも無いのですよ他には)。


『禅の寺 ―臨済宗・黄檗宗 十五本山と開山禅師』


そのまんまのタイトルですね。いいですね、わかりやすくて(自賛)。
禅に関心を持ち始めた方は、『無門関』や『臨済録』などの比較的読みやすい本や、禅語や坐禅の本から読み始められる事かと思いますが、各派の本山の歴史と、開山様の歩まれた困難な道などに触れるのはまた、禅というものを知り、そこから自身に何か活かせるものは無いかと考え、行動する上で励みにもなります。
そして、そうした思いを抱いて本山にお参りいただくと、ほんとうに感慨も一入です。

普通のガイドブックと異なるのは、やはり開山様のご生涯が詳しく書かれている事でしょうか。
これを知って行くのと知らずに行くのとでは、やはり違います。時の権力者が開山様を招いてまで大寺を建立し、教化に力を入れたいと思われたわけですから……。

旅行で上記に近い所を訪れる際には、是非ともお立ち寄りいただきたい黄檗宗・臨済宗本山のご紹介でした。

※この本をベースにしてできたスマートフォンアプリ「京都禅寺巡り」も、どうぞご利用ください。

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狛坂磨崖仏 -滋賀県栗東市-




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数年前からずっと、拝みたい拝みたいと思い続け、やっとの思いで叶いました、狛坂磨崖仏参拝。
高さ約6m、幅3.6mの壁面に高さ3メートル、顔幅70cmの阿弥陀如来坐像を中尊として、観音・勢至の両脇侍、その周囲に12体の仏像が半肉彫りされています。渡来人の作で、およそ奈良時代から平安初期にかけての作であろうとされます。
私には、ふくよかな菩薩のお顔に、カンボジアのバイヨンの菩薩を思いました。本当にそっくりです。

さて、新名神をよくご利用になられる皆さんは、金勝山トンネルを御存知ですね?
じつはそのトンネルの真上に、この素晴らしい磨崖仏がおはしますのですよ!!!
まさか磨崖仏様も、山を掘って、奇妙な乗り物で人間が下を通るとは思いもよらなかったことでしょう。

この日は車でのおでかけだったのですが、便利になると人間駄目ですね。ナビを設定して意気揚々と向かっていると、トンネル内で、「目的地に着きました」と。
観音様がおはしますポイントがトンネル内でわかったという点では新発見で、なかなかに面白かったです。

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信楽インターを降り、いつも通る橋を真上に見上げて山道をゆき、一番近い馬頭観音駐車場へ。この駐車場からの眺めが、もう既に素晴らしく、この先にどんな眺望が待ち受けているのかと……。

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途中の茶沸観音もなんとも愛らしく。なぜ茶沸(ちゃわかし)であるのか、誰に聞いてもわからぬようですが、何か民間伝承でも残ってはいないでしょうか。我が研究所の博識氏に尋ねると、例えば近くに峠の茶屋でもあったのかもしれぬとのロマン溢れるお話が。
なるほど、はるかいにしえより、参拝客が絶えぬ地であった事を思えば、さもありなん。
お参りにゆく人々をそっと見守る仏様……という風情も漂っていたように思えて。

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磨崖仏に辿り着くまでにはその他に重ね岩、まるで胎内くぐりのような場所を通り、遠方には天狗岩、国見岩を望み、近江平野の美しくひろがる様を楽しめます。

都から少し足をのばせば、このように古い信仰が未だ連綿と受け継がれ、残る地に趣ける。さらに色々と足を運び、いろんな意味での“繋がり”を楽しみたいと思う今日この頃です。

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慈照院公開 -相国寺塔頭-




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京の冬の旅―非公開文化財特別公開 が10日より始まっています。

私もさっそく、相国寺の門外塔頭、慈照院さんへお参りして来ました。
こちら慈照院は、その寺名からもおわかりのように、足利八代将軍義政の菩提所。
そして、桂宮家の菩提所でもあり、御学問所も設けられていました。

茶室、「頤神室(いしんしつ)」は、下座床の四畳半で、比較的明るい茶室。塀を超えればすぐに烏丸通りであるという事は忘れてしまうような静かな佇まいです。
茶室へと続く露地も、ひととき娑婆の世界を忘れて違う世界へと人々をいざなうような……。
こちらで茶会を催したらどれだけ楽しいだろう……といつもの妄想が始まります。

禅宗寺院では、慈照院さんのみならず、妙心寺の東海庵、大庫裡や経蔵、そして、南禅寺派の霊鑑寺などが公開されています。
キリリと寒い中での寺院拝観もまた一興。
是非とも京都におでかけの際にはお立ち寄り下さい。

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成人式 そして冬の花




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成人式の三連休、いかが過ごされましたか?
半世紀も生きると、初々しかったわが20歳をもう思い出すことも難しくなってきました。しかし、はちきれんばかりの新成人たちを見ていると、寒空の下でも、こちらまで暖かな気分にゆるんでいきます。

さて、冬には花が少なくて、境内や畑に本尊にお供えする花もなくて困ってしまいます。
そんななか、そろそろかなと思い畑にいくと、やはり蝋梅が花をひらきつつありました。


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そのとなりの梅林は?と見てみましたら、小さな蕾をのぞかせています。

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ほかにも花がないかなと、畑の中をうろうろしていると、秋に切るのを忘れられた薔薇の小さな花が、まるでドライフラワーのようになっていました。なんとかわずかに薔薇の気品を保ちつつがんばって花を残していました。

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一方、葉牡丹は元気一杯にきれいなマットのグラデーションを見せてくれています。

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自坊では、椿や水仙はまだこれからですが、こうして畑や庭を歩いていると、春が来る兆しを感じますね。また春がやってくる。冬は寒くて凍えそうでも、春が来ると思うとがんばれそうな気がしませんか。

成人を迎えた若者たち。これからは大人の一員として、自分のために、人のため、そして社会のために、自覚を持ってがんばるべし!

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白隠展 -禅画に込めたメッセージ




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渋谷駅。
電車を降りたらすぐに目に飛び込んで来た白隠白隠白隠さんのポスターポスターポスター!!!
駅構内が白隠さんのポスターで一色と言っても過言ではないほど。

「おぉぉ、こんな事があるのか!!」と興奮ぎみに東京渋谷のbunkamura「ザ・ミュージアム」にて開催中の「白隠展 -禅画に込めたメッセージ」へ向かいました。

開館と同時くらいに入ったのですが、団体の見学者をはじめ、平日の午前から多くの方々でにぎわっていました(休日だと一体どうなるのか……と思われるほどに)。
混雑を避けて、人がまばらな所から拝見していたのですが、今までにもいろいろと白隠さんのお軸は拝見してきたものの、数多く(一万点とも言われています)ある中から選りすぐられたものばかりという事もあって、本当に「これほどのものを、一度に拝見する機会は、もう私が生きているうちには無いかもしれぬ」と、感動でうち震えながら一つ一つを拝見させていただきました。



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最後に拝見する事になったコーナーで、達磨・臨済・雲門の三幅対を前にし、なんだか祖師方と白隠さんの大大大慈悲に触れたような、何かぶわっとせまってくるものがあり、涙が出そうになるのをこらえるのに必死でした。
おおげさでもなんでもなく、それくらいに素晴らしい展観です。

各地を巡回しないのが残念でなりませんが、その変わりといってはなんですが、開催期間は長めです(2/24まで)。
東京近郊にいらっしゃる方、おでかけになられる予定がおありの方は、足を運ばぬという選択は有り得ません!

時代を超えてなお、私達に厳しくもあたたかな慈悲の心をもって語りかけてくる白隠さんの書画。
残されているという事への感謝、所持者の展観に対する理解への感謝、そしてこの展観を開催するにあたって色々と奔走された全ての方々への感謝をもって、有り難く拝見させていただきました。


丁寧な解説がありますが、それを読む前に、一度頭に何も入れないままに見て回られるのもまた一興かと思います。



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素通りできるはずもない、白隠グッズの数々。色々と買ってしまいました。

【白隠 -衆生本来仏なり-】(別冊太陽 日本のこころ)絶賛発売中!

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お正月にDVD三昧 「ファミリー・ツリー」「アバウト・シュミット」など




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皆さんは今年のお正月は如何お過ごしだったでしょうか。
私は三ヶ日の自坊の行事があけてから、5日に多賀大社への初詣もすませました。三ヶ日までは混み合うでしょうが、比較的すいていて、ゆるやかにお参りできるのはうれしいことです。それに三ヶ日には雪もだいぶ降っていたでしょうから、人混みの苦手な私にはこれ幸いでした。
他の神社ではあまり見たことがないほど、おみくじがカラフルです。私も一つひかせてもらったら、1番「小吉」でなかなか幸先のいいことです。

考えてみれば、去年はお正月早々にお檀家さんのお葬式が続いたので、とても慌ただしかったのですが、今年のお正月は、なんだかとてもゆっくり過ごすことができました。そんなわけで、レンタルDVDで映画を数本借りてきて、あいた時間には映画三昧となったのです。というわけで、昨日に続き映画の話題で恐縮ですが。
まず、借りてきた映画は、「ファミリー・ツリー」「ヒューゴの不思議な発明」「ミッドナイト・イン・パリ」「マネー・ボール」「ラム・ダイアリー」。どれも秀作でした。
なかでも去年、アカデミー賞脚色賞に輝いた、アレクサンダー・ペイン監督の「ファミリー・ツリー」は、わかりやすくて、とてもいい映画でした。
人生の危機、重大決断を二つ同時に迫られる主役のジョージクルーニーが圧倒的な存在感で演じています。脇役の人たちも適役ぞろいでした。また、ハワイが舞台となっていて、細々としたハワイの特徴が映像に折り混ざっていて、物語の内容とは別に楽しいのです。今まであまり興味のなかったハワイに行ってみたいとさえ思ったほど。

この監督の映画が他にも沢山あることを知ったので、翌日、同じくアレクサンダー・ペイン監督の「アバウト・シュミット」「サイドウェイ」という映画を借りてきて観ました。「サイドウェイ」は、邦画としてもリメイクされていてそちらを以前に観たことがありますが、ワインをテーマにした、おもしろおかしい映画です。
かたや、ジャック・ニコルソン主演「アバウト・シュミット」は、仕事をリタイアしたとたん、妻に先立たれた悲哀あふれる男性の生活を描いたもの。
以前、このブログで書いた「グラン・トリノ」も人生の最終章を描いた印象深い映画でしたが、まったくタイプは違えども、この「アバウト・シュミット」も必見です。
そして、3本ともにアレクサンダー・ペイン監督らしい映画の作り方を、私なりに捉えることができたと思いました。
老後に生きることを考える映画は、まだ見ぬ自分の行く末を追体験させてもらえるようです。

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ドキュメンタリー映画「紫 むらさき」




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尊い営みを拝見させていただけました。
自然界に存在するもののみで染められた色は、当然ながら、調和というものを教えてくれます。
不協和音を奏でるという事がありません。
これからの世界に必要な大切な教えが、"染司よしおか"のしごとにありました。

御存知東大寺のお水取りで十一面観音様にお供えされる和紙で作られた椿の赤は、"染司よしおか"にて紅花によって染められた赤なわけですが、昔は一枚の和紙を染めるのに1キロの紅花で事足りたのが、現在では1.3~1.5キロの紅花が必要なのだとか。

上記の例にも見られるように、「植物の力、大地の力が弱って来ている」とは、この映画の主人公で"染司よしおか"現当主の吉岡幸雄氏、そして職人の福田伝士氏のおことば。
染めに使う天然の材料を確保する困難さ。奈良時代の染色や織の技術に、今の技術が追いつかないという事実。様々な事への地道な挑戦は、現代を生きる我々に警鐘を鳴らしていらっしゃるようにも見えて......。

発展と便利さを手に入れたが故に失ってきた大切なものについて考える時、私は何度も耳にした、今は亡き永源寺派元管長・篠原大雄老師の、「back to the basic 原点に立ち返りなさい」という御言葉と、僧堂で炭焼きや畑仕事をする雲水達の姿が思い出されてなりません。
インドを旅行した際、インド人の青年は「なぜ日本人はそんなに働くのですか?畑をしていれば、食べてゆけます」と不思議そうに聞いてきました。なぜなのでしょうね。

私の友人の中にも、「あえて不便を選ぶ」という人が少しずつですが出てきています。
さて、今年は何を手放しましょうか......。

『紫』は、現在大阪は十三の第七藝術劇場にて上映中です。
詳細はこちら
是非お運びください。

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『墨蹟の至宝展-気迫あふれる禅僧の書-』 -承天閣美術館-




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相国寺内にあります承天閣美術館にて、「『墨蹟の至宝展』-気迫あふれる禅僧の書-」が開催中です。(3月17日日まで)。

今回見た書が、次に公開されるのはいつでしょう。
今回自身に響いたものとは違うものが、また次回には響くのかもしれません。

そうやって、人生のうちで何度も触れていただきたい“墨蹟”の展観です。
是非おでかけになってみてください。

「墨蹟の至宝展展」 -気迫あふれる禅僧の書-

日時:平成24年12月12日(水)~平成25年3月17日(日)
開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料:一般 800円 65歳以上・大学生 600円 中高生 300円 小学生 200円
主催:相国寺承天閣美術館
会場:相国寺承天閣美術館

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所長より新年の御挨拶

皆さん、明けましてお目出度ございます。
このように年頭のお祝辞を述べましても、果たしてこの一年がどのような年になるか、誰も予測することはできません。ただはっきりしていることは、人生というものが向こうに断崖絶壁の待ち構える坂道を、ブレーキのないトロッコに乗って下るようなものだということですから、これは余程の覚悟がないとできない芸当だということでしょう。
パスカルは『パンセ』の中で、「人間というものは、向こうにある絶望(死)が悍ましく前へ進めないので、しばらく『希望』という目隠しの板を立てて前進するだけだ」、と書いています。言われてみれば、本当にそうですね。
私たちは確率だけを信じて前進する「近代科学的な生き方」を止め、縁に従って毎日毎日を大切に生きていくことを説く「仏教の生き方」によって、自分の人生を一歩一歩進めるべきではないでしょうか。
そう考えるとやっぱり一休和尚の、「元日は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という一句のもつ不変の新鮮さに、今更のように気付かされるばかりです。どれほど時代が進もうと変わらない、真実を言い当てたこの覚醒の一句をもって、改めて年頭のご挨拶に代えさせさせて頂きたいと思います。
どうぞこの一年が皆さん一人ひとりとって、「日々好日」の毎日でありますように。

所長 西村惠信 合掌

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新年




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あけましておめでとうございます。

年始をどのようにお過ごしでしょうか。

一休さんは、正月元旦に、しゃれこうべを竹に挿し持って、
「ご用心、ご用心」と言ってまわったのだとか。


どうか本年も、宜しくお願い申し上げます。
皆様のご多幸を、お祈りしております。

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