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肩こりに......

 

20200114_121059.jpgいきなり、足なんかの写真で申し訳ありません。

研究所では、ほぼ一日中、パソコンに向かってキーを打っていたり、ゲラ刷りを読んで校正に当たっていたりするせいか、肩こりがひどくて、月に一度くらい整体に通ってしまう私です。さらにじつは最近、いわゆる五十肩に苦しんでおります。

肩が凝ったなぁ~と思うときにやっているのが、この写真なのです。何をしているかというと、足の甲に百均で打っているサポーターを付けているのですが、じつによく、肩こりに効くんですよ。
足の甲には若干の拘束感があり、それが肩に効いてる感じさえします。

これは、樺島勝徳師に指南されたもので、季刊『禅文化』234号に掲載した「和尚さんの身体講座 (四十三) 頸腕症候群や五十肩治療の超絶技巧」という記事にあった方法。この記事にはこうあります。

足の五本指の付け根にある中足骨の部位をサポーターで軽く締める。一日数時間、両足の中足骨を軽く締めたままごく普通に生活する。これだけである。何の智恵も要らない。感性も努力も要らない。しかもこの方法は腰痛から肩の痛み、五十肩、腕のしびれなど、何にでも効く。偏頭痛に効くときもある。サポーターは、百円ショップで売られている左右セットの手首用がいい。L・M・Sの大きさで売られているのも都合がいい。何にでも効くが効かないときでも百円の損失で収まるのもいい。

というわけです。

この方法については記載されていないですが、樺島先生の本、研究所から2冊出しております。身体にまつわるいろんな豆知識が満載です。

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『プチうつ 禅セラピー』定価:本体1,300円(税別)

 

 

20200116イヤイヤきたえる健康法.jpg『イヤイヤきたえる健康法』定価:本体1,800円(税別)

 

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梅雨までいざようのか

 

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皆さん、九州北部から近畿地方は、未だに梅雨入りしていないのです。いったいどうしたことでしょうか。
ひょっとすると、このまま梅雨が来ないのではないかと思えるほど、これを書いている6月25日の京都の空も、真っ青に晴れ上がっています。

梅雨が来ないなんてことあるのだろうかと思ってググってみましたところ、1963年に梅雨が来なかったらしいですね。ちょうど私が1歳の時のことになります。

しかし、これだけ雨が降らないと、農作物に影響が出ることは必至でしょうね。自坊の周りの青田も、心なしか元気がないようにも思います。琵琶湖の水も渇水の一路でしょうね。そうはいっても自然の力なのでどうすることもできません。祈るしかないのでしょう。

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さて、先週でしたか、こんなストロベリームーンを観られました。皆さんはいかがでしたか?

6月の満月の頃にアメリカではイチゴの収穫時期だということで、ストロベリームーンというようです。イチゴのように赤い月が昇るわけでもないのですが、そんな目で観るとそう見えてくるから不思議です。

この月が昇ったのは6月17日でした。ちょうど帰宅途中に自転車に乗ってあぜ道を走っていた時だったので、自坊に着くや、カメラを持ちだして三脚を立てて撮影したのです。

翌日もいいお天気そうだったので、また同時間にカメラを持って月が昇るのを待ったのですが、出てこないのです。

日の出時刻は毎日1分程度の違いですから、頭の中で月も同じくらいだと決めつけていたのですが、5分経っても、10分経っても月は昇ってきません。あきらめて夕食を取りはじめ、30分ほどしてまた外に出て確かめたのですが、やはり出てきません。曇っているからかと思ったのですが、土星や木星は光って見えています。月はどこへいったのだろうと、冗談のようですが半ば心配になっておりました。頭にクエスチョンマークをいっぱい立てながら。

お恥ずかしい限りです。皆さんはご存知ですよね。翌日になって調べてみたところ、満月の翌日は1時間近くも月の出る時間が遅くなるのだということを知りました。

ある友人が教えてくれました。満月の翌日の十六夜は「いざよい」というでしょ、と。これは古語の「猶予(いざよ)う」という言葉からきていて、つまり躊躇することなんだと。十六夜は躊躇するように50分以上も遅れて昇ってくることから、それを擬人化して「いざよいの月」と言うようになったんだそうです。

さて、梅雨も猶予(いざよ)っているのでしょうか。季節はきちんと回ってくれないと、いろんなことが大変になってきますね。


話は変わりますが、7月19日(金)に、サンガセミナー2019京都講座で、「地獄絵絵解き講座」を、京都では「冥界への入り口」とも呼んでいる六道珍皇寺様にて開催させていただきます。講師はこの分野の第一人者である西山克先生(京都教育大学名誉教授)です。六道珍皇寺様ご所蔵の「熊野観心図」も特別に公開いただきます。

また、午後には、同じ会場にて、花園大学歴史博物館館長の福島恒徳先生(花園大学教授)による、仏像や仏画の基礎を学ぶ「仏教美術鑑賞入門」もどうぞご受講下さい。

どんどんと受講のお申し込みが来ています。どうぞお申し込みはお早めに。

 

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 ←参加申し込みや詳しい情報はバナーをクリック!

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半分、青い。

 

blog_MG_8614.jpgNHKの朝の連ドラ「半分、青い。」が終わりましたね(実はこれを書いているのは最終週のクライマックスをむかえるあたりで最終話を観ていませんが)。
どの連ドラも観てきたわけではないのですが、なんとなく今回はビデオに撮って夜観ることにしていました。登場人物のりつ君ファンや、すずめファンも多いでしょう。マー君が……という方もおられるかもしれませんね。
私はどちらかというと、タイトルにひかれてという感じです。

半分青い。ドラマ全体を通してのテーマなんでしょうね。誰もが成功したり失敗したりを繰り返しの人生。自分の生涯と当てはめながら観ていた方も少なくないのではないでしょうか。

禅語に出てきそうだなと思ったので、データベースで「半青」を検索してみたところ、出てきました、出てきました。

『虚堂録』なんかにも出てきます「半青半黄」をはじめ、「半青半白」「半青半赤」という風に……。いずれも半分は青く、半分は黄色だったり、白かったり、赤かったり、いろんな色の対照として使われていますね。「半青半黄」は『禅学大辞典』(大修館)にもでていまして、「十分に熟しないこと。未熟」とあります。出典は『碧巌録』をひいてあります。『無文全集』第三巻(碧巌録Ⅲ)から引用してみましょう。

第七十二則「百丈問雲巌―百丈、雲巌に問う―」
本則は、

挙す。百丈、又た雲巌に問う、咽喉脣吻を併却して、作麼生か道わん〔蝦范ォ窟裏より出で来たる。什麼とか道わん〕。巌云く、和尚有りや也た未だしや〔皮に粘じ骨に著く。諡俣D帯水。前に村に搆らず、後に店に迭らず〕。丈云く、我が児孫を喪せん〔灼然として此の答え得て半前落後なる有り〕。

というものですが、そのあとの評唱に、

雲巌、百丈に在って、二十年侍者と作る。後、道吾と同じく薬山に至る。山問うて云く、子、百丈の会下に在って、箇の什麼の事をか為す。巌云く、生死を透脱す。山云く、還って透脱するや也た未だしや。巌云く、渠れに生死無し。山云く、二十年百丈に在って、習気も未だ除かず。巌、辞し去って南泉に見ゆ。後、復た薬山に帰って、方に契悟す。看よ他の古人、二十年参究するに、猶お自ら半青半黄、皮に粘じ骨に著きて、穎脱すること能わず。是は則ち也た是。只だ是れ前に村に搆らず、後に店に迭らず。

とあり、ここに「半青半黄」の言葉が見えますね。無文老師の提唱によると、

「二十年百丈に在って、習気も未だ除かず――何だ、百丈のところに二十年もおってからに、まだ悟り臭いものが取れんのじゃナ。そんなザマで何になるか」
と叱られた。雲巌、また迷いに迷って、南泉和尚のところに出掛け、その後に再び薬山に戻って来て、今度は本当の悟りを開いたということである。なかなか、苦労をしておられるのである。大器晩成である。百丈のところに二十年もおっても、半青半黄、柿の熟さんのと同じだ。皮からも離れられなければ、骨からも離れられず、頭から離れられず、カラーッとした境界にはなれなかったのである。まんざら修行ができていなかったとは言わんが、前に村に搆らず、後に店に迭らず、中途半端な修行であったと言うべきであろう。

まさしく、20年も百丈禅師のところにいるのに、おまえは未熟であると喝破されていますね。禅僧たるもの、しっかり修行して、青いも黄色いも、そんな色などどうでもいいほどの熟した境界にならねばいけないのでしょうが、私のような凡夫には「半分青い」が丁度いいのでしょう。

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作務で蜂などに刺されたときに

豪雨が去り、梅雨が明けたと思ったら猛烈な暑さです。

豪雨被害の復興をされている被災地の皆さんのご苦労を思うと、薄っぺらに思えて、労うための言葉さえ見つかりません。今のところは自分は自分に与えられた仕事を精一杯こなしていくしかないなと思います。言い訳のようにさえ思えますが。

ともかく、この時期になると、二足鞋のために、いつもほったらかしにしがちの自坊の樹木の刈り込みをしなければいけないという、ある種の強迫観念が見え隠れしてきます。というわけで、梅雨明けした日曜日に、まずは表門前の槇の木の刈り込みから始めました。

刈り込み前↓

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約1時間かけて刈り込んだのがこちら。↓

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こういう低木や簡単なものは電動植木バリカンで刈り込んでいきますが、松や高木については、植木屋さんのお世話になります。その後、近くに植えてある紫陽花にも手を付けました。花を落としておかないと、来年もきれいな花が咲いてくれませんからね。

そうしたところ、左手人差し指の第一関節あたりに、ズキーンと重い痛みが走りました。これは蜂に刺された痛みです。とっさに作業手袋を脱ぎ、刺されたと思われる部分を口で半咬みにして毒素を吸い出すようにして吐き出しながら、庫裏へ。

そして取り出したのがこちら。

blog_2018-07-08-09.03.jpgいわゆる、ポイズンリムーバーといわれるものです。注射器状のものに刺されたところの形状にあうアタッチメントをつけて空気圧を使って毒を吸い出すためのものです。いろんな種類があると思いますが、だいたい1000円台で手に入れることができます。

blog_2018-07-08-09.00.jpgわかりますでしょうか、指が吸引されて盛り上がっています。これを3回くらい繰り返すだけです。上手にできれば、これで刺された毒を吸い出すことができますが、ともかく、すぐに行なうことが大事です。時間が経ってからでは意味がありません。

それで、今回は?って?

成功でした。以後、まったく痛くも痒くもなかったです。お使いの方も多いとは思いますが、薬を塗るより効果覿面です。

とはいえ、刺されたり咬まれたりしないように注意は必要ですね。

 

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旧暦と新暦との季節感相違

 

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五月、満山新緑の好時節になってまいりました。

さて、このブログをお読みの人は、いささかでも禅録をお読みだと思います。
そこで、とまどわれるのは、旧暦と新暦との季節感のズレだと思います。

旧暦の一・二・三月は、春です。現代人が、寒さに凍えている一月二月は、旧暦では春なのです。年賀状に「賀春」とか「迎春」とか書きますよね。

旧暦の四・五・六月は、夏です。現代人が、もっとも過ごしやすいこの季節は、旧暦では、うだるような夏なのです。「六月(五月とも)に松風を買うば、人間、恐らくは、価(あたい)無からん」の禅語の「六月」は、現在では、八月に当たるでしょう。

旧暦の七・八・九月は、秋です。これが一番こまってしまいます。中秋の名月は、旧暦では八月なのですが、どうもシックリきません。

旧暦の十・十一・十二月は、冬です。「雪裏の梅花」と歌うのは、新春一月を迎えようとしている、十二月の雪をもたげて開こうとしている梅です。

以前にも書きましたが、禅録などを読む時には、頭の中で、この季節感のズレを修正しなければなりません。

ところで、日本が旧暦を新暦に改めたのには、隠れた事情があると言われています。財政難の明治政府は名案を考えました。新暦を導入して、明治五年十二月三日を、明治六年一月一日としたのです。結果、役人に対して十二月分の給料を払わずにすみました。おまけに旧暦のままでは、明治六年は、六月が閏月でしたので、六月と閏六月との二ケ月分の給料を払わなければいけませんが、これも回避されて、一ケ月分の給料ですみました。結局、明治政府は、旧暦を新暦に変えることで、役人に対する二ケ月分の給料をチャラにしたという説です。何とも即物的な話ですが、いずれいつかはということでしょう。

こう書いて来ましたが、やっぱり、七月八月は暑いです。お盆の棚経を今から心配しています。
みなさま、お元気で。

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仏誕生

 

blog_MG_8579.jpg 昨日は4月8日。お釈迦さまの誕生日でした。

祖師がたの「降誕会」の偈頌を読む機会もあると思います。
その中で、「雲門」や、その異称の「韶陽」が出れば、雲門文偃の以下の拈評を言います。

マーヤーの右脇から誕生したばかりの世尊は、七歩あるいて、「天上天下、唯我独尊」と言われました。この世尊の故事を評して雲門は、「我れ当時(そのかみ)、若し見しかば、一棒に打殺して、狗子(くし)に与えて喫却せしめて、貴ぶらくは、天下太平を図(はか)りしに」と言ったのです。「俺がその場にいたら、その赤子を打ち殺して犬に食わせたものを、そうすれば、天下は太平であったのだ」というような意味です。なんともブッソウな話ですが、禅宗僧侶は、憶えておきましょう。

さて一休さんは、「釈迦という/いたずら者が/世に出でて/多くの者を/迷わするかな」と歌っておられます。

これらは、本有仏性(生きとし生けるものは、生まれながらにして仏性をそなえている)という、高い悟りの境地から言われたものですので、雲門や一休を真に受けて、間違っても花御堂の誕生仏を叩いたり、甘茶を引っ繰り返したりはしないで下さいね。

一休さんの歌に、「おさな子が/しだいしだいに/知恵づきて/仏に遠く/なるぞ悲しき」とあります。
降誕会、寺に参詣し、誕生仏に甘茶をそそぎながら、知恵がついていないおさな子に返って、仏に近づいてみましょう。

降誕会、多くの寺院では、旧暦の5月に行なわれているようです。
一休さんの道歌は、伝承を超えるものではありません。

ところで、赤ちゃんの瞳って、何であんなに澄みきって綺麗なのでしょうか。

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浴梅

 

blog_MG_1732.jpg旧暦の偈頌や語録、漢詩ばかりを読んでいる小生は、正月を迎えて、気分は既に春なのですが、現実、新暦で生活している小生のもとには、いっこうに春はやって来ません。それどころか、テレビニュースでは、数年来の寒波襲来と、雪害の模様を流し続けています。

さてそこで、春を先取りしましょう。

「浴梅」という言葉を御存知でしょうか。これは、詩題の一つです。初めてこの言葉を見た時、小生は、梅の花びらを風呂に浮かべて、優雅に入浴するものだと思ってしまいました。ところが違うのです。

春の梅花を待ちきれないばかりに、まだ咲いていない梅の枝を折って来て、熱湯を入れた花瓶に挿し、無理矢理にも花を咲かせようとする、一種の風流なのです。

「出(い)でて寒梅を折り、帰って之れを浴す。暗香未だ度(わた)らず、春の遅きを覚ゆ」。

これは、五山文芸の大家、横川景三の「浴梅」詩です。

「寒梅を折って持ち帰り、湯の中に入れてみたが、花は咲かずに香りもしない、春の訪れは何と遅いものか」という意味ですが、熱湯に入れられる梅の枝も、可愛そうと言えば可愛そうです。

みなさんもやってみますか。小生の寺の境内は、寺観改革ということで、一本だけ植わっていた老梅が伐られてしまい、挑戦できません。浴梅開花に成功した人は、ぜひお知らせ下さい。
「浴梅」の真意からは離れますが、花屋さんから梅花を買って来て、浴槽に浮かべてみるのも、春の先取りかも知れません。

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妙心寺にて白隠禅師250年慶讃法要!

 

blog_AC_1435.jpg昨日、5月11日、臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺にて、白隠禅師250年慶讃法要が勤められました。
これは臨黄合議所の遠諱法要とは別に、大本山妙心寺が勤修されたものです。
ブログタイトルになぜ「!」を敢えて打ったか。
じつはこれが歴史的なできごとだからです。かの白隠禅師の遠諱法要が、未だかつて本山である妙心寺で行なわれたことがなかったからなのです。
なぜか。それは、白隠禅師は妙心寺において開堂されたことがない、つまり妙心寺住持として世代に入られていないからなのです。しかし、現在の臨済禅は、大應-大燈-関山と続く法脈下にある、白隠の法系を遺すのみなのです。
そういうことがあって、このたび、白隠禅師の示寂250年を記念した慶讃法要が、はじめて妙心寺にて勤められたことは、まことに異例なことなのです。

blog_AC_1416.jpg妙心寺の法堂上に、かの白隠禅師の木像(三島・龍澤寺蔵)が安置されているのをみたとき、龍澤僧堂にほんの少し在錫しただけの私でさえ、感動をかくせません。とても、とても感慨深いものがあります。
もちろん、参列されている各派管長、僧堂師家の老師方も、そういった思いをお持ちではないかと思いました。

blog_AC_1410.jpg法要導師はもちろん、妙心寺派現管長である江松軒嶺興嶽老師。十八拝式という最も丁寧な仏事を行なわれた後の、慶讃法要の偈頌は、次の通りでした。

遺風二百五旬年
的々分明鵠林禅
今日幸逢真面目
洪恩親報一爐烟

blog_AC_1460.jpg香語の後は、楞厳咒の読経で、居並ぶ江湖の老師方がともに行道されました。

blog_AC_1487.jpgさて、今日はこれから、花園大学教堂にて、「白隠禅を現代にどう生かすか」をテーマに、「白隠シンポジウム【京都会場】」が開催されます。

 

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南極老人星はカノープス?

 

星空.jpgわたしが現在読んでいる書物は、仙台藩4代藩主、伊達綱村公の『如幻三昧集』という語録です。その中に、元禄2年(1689)、江戸で作られた「老人星見(あら)わる」という題の七言絶句があります。
「老人星」は、詳しくは「南極老人星」と言い、この星が現われれば天下が治まると言われていますが、元禄2年にこの星が出現したのか、別の史料で調べなければいけません。本当に日本語録の訓注はやっかいな仕事です。ところが、あまり時間もかからずに見つけることが出来ました。江戸の地誌『武江年表』巻3・元禄2年の条に「正月十六日、頃日(このごろ)、老人星現ず」とありました。

ところで、この「南極老人星」は、現代の天文学では、龍骨座のカノープス星であると言われています。カノープス星は、大犬座のシリウス星に次いで2番目に明るい1等星で、天文ファンには人気のある星だそうです。もちろん1番明るいのは太陽です。これは、自ら光を発している恒星(こうせい)の中でのことです。月は明るいですが、あれは太陽に照らされての明るさです(ああ何と無味乾燥だなあ)。

こう調べて来て疑問が起こったのです。この「南極老人星」は、本当にカノープス星と同じものなのかと。確かにカノープス星は、東京の地表では南の地平線近く2度程度、京都でも3度程度の高さにしか昇りませんので、肉眼で見ることは困難です。しかし、1等星ですので、見えないことはありません。しかも、綱村公の江戸時代には、現在のような光害も少なかったでしょう。

ところが、「老人星現ず」の観測記録は、専門外のわたしの管見では、この綱村公の詩と、『武江年表』の記録のみです。常に南の地平近くに輝いているカノープス星が「南極老人星」ならば、もっと記録が残っていてもよいはずですし、そもそも、記録を残すほどの出来事でもありません。

さらに、語録読みのわたしが気になるのは、「あらわる」という表現です。「あらわる」とは、それまでにはなかったものや、隠れていたものが出現するという意味です。

と、ここまで書いて来て、いきなり龍頭蛇尾になりますが、「南極老人星」が、カノープス星であることは確かなことなのでしょう。しかし、宇宙のロマンは限りないものだと聞きます。わたしのイメージ、あるいは理想としては、この「南極老人星」は、数年に1度現われるか現われないかの流星であって欲しいのです。「南極老人星」が、常に南の地平近くに輝いているなんて、ロマンがないではありませんか。

しかし、『虚堂録』巻2・宝林録にあるような、「四海隆平にして煙浪静かに、斗南長く見る老人星」、天下太平、めでたし、めでたしという世界も見たいものです。カノープス星は常に輝いているのだから、世界はもっと平和でなければならないのです。

ちなみに、この「南極老人星」が神格化されたものが、あの福禄寿です。
更にちなみに、1番明るい大犬座のシリウス星の漢字は「狼星」です。

「(狼星の近くに)大星有り、南極老人と曰う。老人見(あら)わるるときは治安なり」(『史記』天官書)。カノープスよ、もっともっと輝いて、世界を平和に導いてくれ!

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還暦

 

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小生、めでたく、還暦を迎えました。60歳です。

還暦とは、干支(えと)を一周することです。

「生まれは、酉(とり)です」と簡単に言って来ましたが、干支は、十干と十二支との組み合わせですので、「酉」だけでは、本当は、不十分なのです。還暦を迎えて初めて気つきました。私が生きて来た60年の間には、5回の酉年があります。そこでさっそく私が生まれた昭和32年を調べてみました。干支は、丁酉(てい・ゆう/ひのと・とり)でした。別に昭和32年を調べなくても、今年を調べればよいことですが。

甲子から干支を数え始めれば34番目。なんとも中途半端な数です。

干支で最も有名なのは、やはり1番目の甲子(こう・し/きのえ・ね)でしょうか? 大正13年、甲子園球場が起工された年で、その年の干支に因んで命名されました。球場は1番なのに、タイガーズは、なかなか1番になってくれません。個人的には、とても残念です。

次は、丙午(へい・ご/ひのえ・うま)かな? 恋人に会いたい一心で放火事件を起こした八百屋お七が、丙午の生まれであったと言われて、世の女性が、いろいろといわれない中傷を受けてしまう干支です。

戊辰(ぼ・しん/つちのえ・たつ)も有名かな? 明治元年に起きた戊辰戦争で知られています。

さて、当研究所には、もう一人、丁酉に生まれた人がいます。わたしたちは、生まれ歳が同じということだけで、何だか親近感をおぼえてしまいますよね。これは、日本人だけの感情かな? でも、触れ合うきっかけにはなります。

十二支は、動物の名前ですので意味は分かりやすいですが、十干にも、それぞれ意味があります。因みに私が生まれた「丁(ひのと)」は、五行では火に属し、方位は南に当てられます。「火の用心に心掛けて、南の方向に気を配れば吉」と。そんな占いみたいなことも出来ます。

因みに来年は、戊戌(ぼ・じゅつ/つちのえ・いぬ)です。「戊(つちのえ)」は、五行では土に属し、方位は中央です。

十二支は、毎年新年、神社仏閣に、大きな文字で掲げられますが、十干は、なかなか教えてもらえません。私と同じように、自分の生まれ歳の十干を知らない人もおられるかも知れないと思い、ながながと書いてしまいました。一度、調べてみられるとおもしろいですよ。

しかし、「丁」は、どうにも気に入りません。昔の通信簿の「甲乙丙丁(こう・おつ・へい・てい)」の「丁」ですよ。調べなければよかった。誰が、こんな評価法を考えたのだ、けしからん。まあ、これは、あくまでも私の個人的感想ですから、どうぞ、丁歳生まれの方は、気になさらないようにして下さい。

最後に、丁酉生まれの方、無礼のかずかず、ご容赦下さい。還暦、お互い、もう一花さかせましょう。

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日本三大なんとか

 

blog_橋立.jpg現在読んでいる江戸中期の語録に、宮城県の松島を歌って、「扶桑第一の境」という言葉が出て来ました。「日本一の景色」という意味です。
松島と言えば、京都の天橋立、広島の安芸の宮島とならんで、「日本三景」の一つに数えられ、それはそれは美しいところです。

さていったい、いつ頃から、この三つの景色を「日本三景」と呼ぶようになったのでしょうか。

興味まかせに調べてみると、その歴史は古いもので、林春斎、あの林羅山の息子ですが、彼が寛永20年(1643)に著わした『日本国事跡考』という書物に、「松島、この島の外に小島そこばく有り、ほとんど盆池月波の景の如し。境致の佳なる、丹後の天橋立・安芸の厳島と三処の奇観をなす」とあるそうです。そして、元禄2年(1689)に天橋立を訪れた大学者・貝原益軒(かいばら えきけん)が、『己巳紀行』という書物の中に、天橋立を、「日本三景の一つとするのももっともなことである」と記していて、これが「日本三景」という言葉の文献上の初出とされています。と言うことは、益軒の以前から、「日本三景」という名称はあったことになり、由緒正しいものということになります。

「日本三景」と同じように、「日本三大なんとか」という言葉もよく聞きます。日本三大松原、日本三大陶器、日本三大花火……、数え上げたらキリがありませんが、これは、誰が決めたのかも分かりません。たとえば、日本三大松原は、一般的には、静岡の三保の松原、敦賀の気比の松原、唐津の虹の松原を言いますが、時と場合によっては、天橋立の松が、どれかに代わることもあります。

私が若くて各地を旅していたころ、あるところで出会ったオジサンが、「日本三大なんとかはなあ、有名なものを二つ入れて、あとの一つは、地元のものを入れるのだ」と教えてくれました。私は笑ってしまいましたが、なるほどと思いました。たとえば、「福島の三春滝桜、山梨の山高神代桜、そして、丹波の篠山城桜、これが日本三大桜じゃ」と大威張りで言っても、とがめられるスジアイはないのです。

それぞれの地元には、全国に自慢したい名物がたくさんあります。これをみんな、「日本三大なんとか」にしてしまうのです。なんと楽しいことでしょう。日本三大ネギ、日本三大ナスビ、日本三大アユ、日本三大マグロとか……、想像するだけでも楽しくなります。

まあ、こんなことを調べたり、妄想を起こしているから、私の語録訓注の仕事は進まないのですが、アッチコッチと揺れながら、楽しく読んでいきます。

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いろは歌

 

blog_MG_1903.jpg先日、奈良にあります喜光寺で、「いろは歌」に意味があるというお話を伺いました。このお寺は薬師寺の別格本山になるのだそうです。

小学生の頃に通っていた習字教室の先生に、通い始めてすぐ教えてもらい「いろはにほへとー、ちりぬるをわかー」と大きな声で言いながら、手や服を真っ黒にして、平仮名を書いていたのを思い出しました。

しかし、それっきり、いろは歌とは縁がなく、思い出と共に心の片隅に追いやらて過ごしてまいりました。

いろは歌は、弘法大師、それより前、奈良時代の行基菩薩の作かもといわれているそうで、それすらも知りませんでした。本当に恥ずかしい限りです。

諸行無常 いろはにほへとちりぬるを(色は匂えど散りぬるを)
是生滅法 わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)
生滅滅已 うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)
寂滅為楽 あさきゆめみしゑひもせすん(浅き夢見し酔いもせず)

この世の形あるものは散っていくもの
誰も永遠に生きることはできないし、永遠をつくることもできない
すべての執着を今日こそ越えましょう
執着から離れたとき、欲望が夢であったことにきづき
静かなこころが生まれ、真の喜びと楽しみが生まれるでしょう

喜光寺で頂いたパンフレットによると、『涅槃経』の言葉に当てはめて、このような意味だとご教示いただきましたが、覚えている節回しとは全く違います。

今から思えば、書く事に飽きないようにいろは歌にからめて教えてくだっさったのかもしれません。孫の様な年齢の一年生に意味を言っても通じませんものね。

誰もが簡単に口ずさめる歌にして伝える…。
作られた時代に想いをはせつつ、私自身この歌のように過ごしてきたであろうか、これからできるだろうかと、自分を見つめなおした日でありました。

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三日の桜

 

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世の中は 三日見ぬ間に 桜かな
世の中は 三日見ぬ間の 桜かな

ことわざにもなっている、有名な歌で、江戸時代の俳人、大島蓼太の歌と伝わっています。どちらが正しいのかは、もちろん分かりません。

普通の辞書は、どちらの歌も、世の中は、三日も見ないうちに散ってしまう桜の花のようなものだ。世の中の移り変わりが激しいことにたとえる歌と解説しています。

ところが、「三日見ぬ間に 桜かな」と「三日見ぬ間の 桜かな」とでは、まったく意味が違います。「三日見ぬ間に 桜かな」は、三日も見ないうちに桜は満開。「三日見ぬ間の 桜かな」は、三日も見ないうちに桜は凋落。

世の中の移り変わりが激しいことを言うのには変わりないのでしょうが、「に」と「の」とでは、希望的変化と、絶望的変化とに分かれると思うのです。なぜ、優秀な日本語学者が、二つの歌を安易に同意とするのか、わたしには分かりませんが、わたしはできれば、「三日見ぬ間に 桜かな」で、生きていこうと思います。トンビが三日後にタカに変身している……。まさかそんなこともないでしょうが、自分のやりかたしだいで、わたしたちは、無限の希望を実現させることができます。だから、ボクは、「三日見ぬ間に 桜かな」です。

ところで、中国の古い詩に「桜」があまり出ないのは何故でしょう。少なくとも、『三体詩』には、一詩も出ません。かろうじて「桜桃」という文字が見えますが、これは果実の名前で、花ではありません。わたしの古い中国の友人が、「花見のために京都を訪れる」と、わざわざ言うほどですので、中国には、桜見物はないのでしょうか。

春雪をもたげて花開く梅、初夏に香りをはなつ蓮、天下に咲き誇る蘭、晩秋にその節を見せる菊。桜の出番はないのでしょうネ。

中国の古い詩で、「桜」を歌った詩をご存じの方は是非教えて下さい。
ゆっくり、花の美しさと、その寂しさとを語り合いましょう。

わたしが住む小さな城下町も、今日は、「桜まつり」でした。
曇り空でしたが、天の神様も、雨は降らせませんでした。

みんな、みんな、三日見ぬ間に、桜は咲くぞ!
その咲いた自分を、誇らしげに、あるいは恥ずかしげに、
見てみようではありませんか!

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唯我独尊

 

blog_誕生佛.jpg誕生釈迦仏立像(奈良時代・7世紀) 東京国立博物館 研究情報アーカイブズより

「唯我独尊(ゆいがどくそん)」。生まれたての釈尊が言われた言葉だそうです。よく知られている言葉ですが、おおもとは、『毘奈耶雑事』巻二十に、「足、七花を蹈(ふ)んで、行くこと七歩し已(お)わって、四方を遍観し、手指上下して、是(かく)の如きの語を作(な)す、『此れ即ち是れ我が最後の生身。天上天下、唯我独尊』」とあるそうです。
「天上天下、唯我独尊」。この言葉を、「この世界で、おれは一番えらいのだ」と解釈しておられる人もおられるかも知れませんが、それは、僕の独断で言えば、まったくの誤解です。この言葉は、釈尊の、現在で言うところの「孤独感」を表わした言葉だと思います。「おれはこの世に一人しかいない、おれのことを理解してくれる者は誰もいない、どうやって、おれが悟った真理をみんなに伝えていけばよいのだ」と言う、いわば絶望感なのだと思います。

「生老病死(しょうろうびょうし)」。釈尊が説かれた四つの苦しみ、四苦です。この「生苦」も、多くの人は、生まれて来る時の苦しみと解釈されておられると思いますが、これも、僕の独断で言えば、生まれて来るということ自体の苦しみなのです。生まれて来なければ、当然ですが、苦しみは発生しません。だから釈尊は、不邪淫戒を説かれました。釈尊の不邪淫戒は、性交の快楽を禁止されたのではありません。根本の「生苦」を作るなということです(もちろん、律学からは反論があるでしようが)。これが、インドで仏教が受け入れられなかった一つの要因だと思います。

僕たちは、一人で生まれて来て、一人で苦しみをかかえて生きざるを得ません。

ここで思い出してほしいのです。

自分というものは、一人しかいないのだということを。
自分の心を本当に理解出来る人は、誰もいないのだ、自分さえそうなのだということを。
だから、誰かのせいにして自分から逃げないように。

でも、みんな、そんなに強くないから、誰かの助けを求めるように。
誰かに声をかけるように。

小生も僧侶でありながら妻帯しています。しかし、妻の気持ちは、小生には分かりません。
それが、一人ということです。でも、そばにいてあげることは出来ます。一人と一人として向き合うしかありません。

人の心は分からない。だから、人の声を聞いて下さい。
自分の心は誰も分からない、だから、人に話して下さい。

結局、ブログ禅読者の皆さんの力に応援を求める、個人的な記事になってしまいました。

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降誕会と花折始

お彼岸も終わり、もうすぐ4月です。4月と言えば8日、降誕会(ごうたんえ)、お釈迦さまのお誕生日です。花御堂(はなみどう)を作り、小さな指で天と地を指す赤子のお釈迦さまをお迎えして盆の中に立て、甘茶をそそぐ、なんともほほえましい法要です。

降誕会の花祭りについては、別のスタッフが書くかもしれませんから、わたしは、皆さんがあまり聞き慣れない「花折始(はなおりはじめ)」について少し紹介します。

この行事も4月8日に行なわれます。特に兵庫県の一部で盛んなようです。わたしの山寺は、その兵庫県の一部にあります。わたしの地方では、初花折(はつはなおり)と呼んでいます。これは、他家に嫁いだお嫁さんの実家に、新しい仏さんが出られた時、お嫁さんが実家に帰り、その仏さんの墓参りをするという行事です。路傍に咲く花を手折(たお)って、墓前に供えるから花折なのでしょう。

この「仏さん」というのは、亡くなられた人のことですが、わたしたちは、死者などと即物的には呼びません。成仏なさったから、皆さん「仏さん」なのです。

昔は、現在のように、お嫁さんが自由に実家に帰ることなどは許されていませんでしたので、この初花折の日だけは、しゅうとさんや、しゅうとめさんに気がねせずに実家に帰れたのでしょう。この行事も降誕会に由来するものでしょうから、お釈迦さまも、いきなはからいをされたものです。

寺院によっては、降誕会の法要に合わせて新仏供養を行なわれているところもあるようです。

blog_170331.jpg現代のお嫁さんたちは、気楽に実家に帰っておられるようですので、来たる4月8日は、実家の墓前で手を合わせて、ご先祖さまの冥福と、我が身の近況報告をなさってはいかがですか。心が洗われると思いますよ。

ところで、実はわたしの地方では、降誕会も花折始も、月遅れの5月8日に行なわれます。陰暦の4月は初夏なのですが、この地方では、4月に花なんか咲いていませんし、5月でさえ、花御堂の屋根を葺(ふ)く花を集めるのは一苦労です(最近は田圃にレンゲがありません)。でも、4月に行なわれる地域もあるでしょうから、早めに紹介しました。

どこかで、「彼岸会に続いてまた墓参りか。このごろの禅文化のブログは、なんだか説教くさいなあ」という声が聞こえてきそうなブログでした。ごめんなさい! でも、わたしの心からの願いなのです。

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坐禅は 面壁? 対面?

 

blog_802-en20161031-_AC_9661.jpg

先日、ある懐かしい人から電話をもらった。
嬉しかったが、小生にかかってくる電話は、ただの挨拶ではないのが常である。

案の定、「臨済宗は、いつごろから対面で坐禅をするようになったんだ」という難問であった。
確かに坐禅の基本は、達磨面壁である。
ところが現在の臨済宗は、面壁ではなく、禅堂の内側に向かって坐禅をする。
曹洞宗は、壁に向かって坐る。

その懐かしい人は、現在放映中のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』で、雲水さんたちが、対面坐禅で撮影されていることを見て気になったらしい(ちなみにこのドラマの僧侶の演技指導をしておられるのは、臨済宗妙心寺派龍雲寺〔東京〕の細川晋輔和尚である)。

この問題は非常に難しいのだが、小生のわずかな知識を紹介しておく。

江戸期の臨済宗の学僧で妙心寺にも住した無著道忠(1653~1744)が撰した『小叢林略清規』には、

凡(およ)そ坐禅の法は応(まさ)に面壁すべし

と書かれている。

ここから小生の推論だが、無著道忠が、わざわざこう書くということは、既にこの時代あたりから、対面坐禅が行なわれていたと見るのべきだと思う。続いて無著道忠は、『百丈清規』に云(いわ)くとして、

坐堂は尋常(よのつね)の坐禅の如く、内に向かって坐す。鼓(く)鳴れば則ち身を転じて外に向かって坐す

と注記している。どうやら、日本近代の臨済宗の対面坐禅は、『百丈清規』の「内に向かって坐す」を採用し、次の「鼓鳴れば則ち身を転じて外に向かって坐す」を無視してしまったのではないのか。まあ、これが、小生の一推論である。

壁に向かって坐ろうが、内に向かって坐ろうが、坐禅には何の区別もないが、疑問に思われる人もおられるかと推論を述べてみた次第である。

1分でも数分でも、静かに坐ってみられたら、気持ちいいですよ。
自己発見です!

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編集部の仕事と新刊『禅に親しむ』

 

2016-07-26-10.30.40.jpgブログ禅で6月に書いた「長岡禅塾訪問」で少しご紹介したが、今、長岡禅塾副塾長の北野大雲老師の著書『禅に親しむ』を最終校正をしているところです。

禅文化研究所編集部は早くからDTP(デスクトップパブリッシング)を導入し、テキストファイル状態から、本の形にレイアウトするところまで内製化していて、筆者と編集者の間で何度かの校正ゲラのやりとりを終えた後、最終的な版下データをPDFファイルに出力して印刷会社に渡し、印刷会社で刷版をつくって刊行にいたっています。

ちなみに、現在はInDesignといった組版ソフトを使い、カバーなどの装丁にはillustratorというソフトを使っています。ほかに写真の処理にPhotoshopも頻繁に使います。

さて、こうして編集部で出力したPDFデータを、印刷会社では刷版データにしますが、概ね、1枚の大きな用紙(全紙)に表裏で16ページ分になるように大貼りした刷版データが作られます(本の判型によって異なります)。
その刷版から出力された大きな紙を3回折り曲げてから切り出してまとめていくと、上の写真のような校正紙になります。写真印刷の頃はデータではなくフィルムで出力されたので、そのフィルムを青焼き機で複写して校正紙が届けられましたが今はもう懐かしいことです。

あんなに何度も校正をしたのに、この時点でまた誤字脱字が見つかったりして、悲しい気分になりますが、修正の入ったページだけをまた出力して印刷会社にわたして、差し替えて貰うというわけです。

こうして今週末には校正を終えて、印刷会社に責了をします。8月には印刷製本となり、9月16日に発刊予定。

すでにご予約を受付中です。
禅僧の濱地創宗さんの愉快な挿絵も入って読みやすく仕上げています。是非、お読み下さい。

禅に親しむs.jpg 『禅に親しむ』 北野大雲(長岡禅塾副塾長) 著
ISBN978-4-88182-299-9 C0015 ¥1300E
B6判並製 244ページ
定価 本体1,300円(税別)

 

 

 

 

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ホトトギスの鳴き声

さすがに我が山寺も「ホーホケキョ」は消え、「テッペンカケタカ」の大合唱である。ホトトギスは群を作らないから、大独唱と表現すべきか。もちろん「テッペンカケタカ」と鳴くのは、ホトトギスである。

日本では、「子規」の字が当てられることが多い。「子規」は、唐詩にも見える古い言葉だが、明治30年に創刊された俳句雑誌「ホトトギス」を主宰した正岡常規(つねのり)の号「子規」から、一躍有名になったものか。

正岡子規は三十四歳の若さで亡くなるが、長く結核を患っていた。周知のとおり結核は血を吐く。それが、ホトトギスがしきりになくことを形容する「子規啼血(子規、血に啼く)」の詩句とあいまって、「正岡―子規(ホトトギス)―結核―吐血」の構図となるのであろうが、正岡が子規の号を用いたのは結核を患う前だから、声高に鳴くホトトギスを、我が苦吟に重ねたと見るべきであろう。あるいは、正岡が我が将来を察知していたと見ることもできるか。

160714.jpgさて、小生が勉強している日本語録では、ホトトギスは、多く「杜鵑」と表記される。少し堅苦しくなるが、「杜鵑」は、以下の伝説による語である。

「蜀の後主、名は杜宇、望帝と号す。位を鼈霊(べつれい)に譲り、望帝、自ら逃る。後、位に復(かえ)らんと欲(ほつ)するも得ず。死して化して鵑(けん)と為(な)る。春月の間毎に、昼夜、悲しく鳴く。蜀の人、之れを聞いて曰く、『我が望帝の魂か』と」(『太平寰宇記』)。

つまり「杜鵑」は、帝位に戻りたいと願ったが、その願いがかなわないまま死んだ蜀の望帝、名は杜宇の亡魂が、この鳥になったという伝説に基づくのである。

そして古人は、この鳥の鳴き声を「不如帰去(プールーグィチュ)」と聞いたのである。訓読すると「帰り去るに如(し)かず」。意訳すると「さあ帰ろう、さあ帰ろう」「帰ったほうがいいよ」などとなる。ホトトギスの別名を「不如帰」と言うのは、ここから来ている。これは、望帝の魂を慰める、その臣下達の声を表現したものであろう。

「杜鵑」「不如帰去」は、日本の禅録でさんざん用いられ、「迷いの娑婆世界におらずに、本分の故郷(悟りの世界)に早く帰ろうよ」という意に用いられる。

そう考えると、日本語の「テッペンカケタカ」は、「天辺=天上・悟りの世界(テッペン)に高く飛んでいるか(カケタカ)」の意かも知れない。もちろん小生の勝手な深読みである。

都会に住んでおられる多くの読者には、「ホーホケキョ」も「テッペンカケタカ」も聞こえないでしょうが、人の心は奥深いもので、「ホーホケキョ」も「テッペンカケタカ」も聞こえて来ます。それを手助けするのが漢詩や語録だと思います。

ウグイス・ホトトギスと続けましたが、何かご希望のテーマがあれば教えて下さい。なければ、次は、漢詩や日本語録に出てくるお花について無粋な話をします。

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建水とカダイ

皆さまおはようございます。実は、昨年12月の事ですが、ある発見をしてしまいました。

インドが大好きでこの夏に3度目の渡印をしましたが、さらに大好きになってしまい、インド料理を本格的に学び始めました。
何故今まで気付かなかったのか……と思うのですが、インドでカレーを入れる器、“カダイ”。
自宅でインド料理を作り友人をもてなそうとしました時、器をあれこれ用意していてふと…。

160115-1.jpg「こ、これは建水ではないか……」。

*建水 茶道で使う道具。茶碗を温めたり清めたりする為に使った水を捨てる為に使います。
左が私の建水、右がカレーを入れる器、カダイです。

160115-2.jpg江戸時代より、インドから更紗などが渡ってきていましたが、もしやカダイなども一緒にやってきて、当時の茶人が「これは建水に良いではないか」と見立てて使い始めた事をきっかけに、この形が作られるようになったのでしょうか…。

色々調べるも詳しい事はわからないのですが、想像してロマン掻き立てられてしまいました。このあたりご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご教授くださいませ。

茶道具には、元をたどると他国で意外な使われ方をしているものがあり、茶の湯の道は、精神的な面のみならず、お道具の世界にも、いくら学んでも発見と驚きと感動があります。

どちらかというと、型があり、決まり事が多いおカタイ世界だと思われがちですが、もちろんそのような面がありつつも、それにがんじがらめになるわけではなく、自由で柔軟な発想と心さえ失わなければ、このような見立ての粋に遊べる世界なのだと思います。

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自然と自身との融合


140522.jpg日々の生活において、一番身近にある“自然と一体になる事”といえば、あまりに当たり前過ぎて意識すらしない事が多いかもしれませんが、「三度の食事」です。
自然界に存在するものを自身にとりこんで、生命活動を維持し、身心の健康を保たせていただいています。

140522-8.jpg「本来の自己をみつめる為」、「自然と繋がる為」と、坐禅やヨガなどをします。もちろんそれらは自身の助けとなりますし、ひいては自然や宇宙と繋がり、本来の自己というものを明らかにする道といえますので、とても大切な事と思い私も取り組んでいます。ですが、その前のもっとも根本的なところといえば、日々の食事、くらしではないでしょうか。
スーパーで当たり前に買い物をしていると、食べ物を“商品”として購入しますので、そのような意識も薄れてしまいがちですが、まさに自然と共にある暮らしをする友人と付き合うようになってからは、秋はきのこを採りに、春は山菜を採りに山へと入り、旬のものを大地からいただく事の尊さ、自身も自然界の一部である事、食とは、自然界と自分とを融合し、つなげる役目があるのだな・・・という事を気付かせてもらっています。

140522-1.jpgたらの芽

今年も4月頃から随分と山菜を楽しませてもらいました。さらに先日は長野へと赴き、標高1650メートルの所にある友人宅にお邪魔し、二度目の桜と山菜を堪能しました。まだまだ芽が出たての、柔らかなたんぽぽの葉やよもぎの葉を摘んでナムルを作り(!)、こごみやわらび、たらの芽など、春のにがみや香りを楽しみました。

140522-3.jpgわらびはあく抜きをしてから酢醤油であえて、一味を少し

何でもお金を出せば手に入るようになっていますが、違う豊かさを日本の自然から教えてもらっています。都会育ちで、山から食べ物を採ってくる事など無縁の世界であった私が、友人のおかげでこのような感動を味わっている事を、何らかの形で多くの方に伝えていきたいなと思います。

出家して僧堂に入るわけでなくとも、在家の人間は在家の人間でこのような体験から、禅宗寺院で何故あれほどまでに典座(台所・炊事を掌る役)に重きが置かれるのかという事に思いを馳せ、学ばせていただいています。

140522-2.jpg

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「南木夢」「七生心」とは?! -毒湛和尚語録より-

 

140123.jpg『後醍醐帝笠置山皇居霊夢之圖』(尾形月耕) 
wikipedia“笠置山の戦い”より拝借

毒湛和尚語録からたびたびクイズを出させていただいております。
先日の問題の答えを発表致します!

まさに、南朝の忠臣で、明治になり南朝が正統とされると、「大楠公」と称され、明治十三年には正一位を追贈された【楠木正成】です。

画賛の「南木夢」は、後醍醐天皇が笠置山で、「紫宸殿の庭前と覚えたる地に、大なる常盤木あり。緑の陰茂りて、南へ指したる枝、殊に栄え蔓(はびこ)れり云々」という夢をみて、覚めて、「木に南と書きたるは楠と云う字なり」と悟り、正成を召されたという故事(『太平記』巻三)。

「七生心」は、正成の最期の故事。「正成、座上に居つつ、舎弟の正季に向かって、『抑(そも)そも最期の一念に依って、善悪の生を引くといえり。九界の間に何が御辺の願いなる』と問いければ、正季カラカラと打ち笑うて、『七生まで只だ同じ人間に生まれて、朝敵を滅(ほろ)ぼさばやとこそ存じ候え』と申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、『罪業深き悪念なれ共(ども)、我れも加様(かよう)に思うなり。いざさらば同じく生を替(か)えて此の本懐を達せん』と契(ちぎ)って、兄弟共に差し違えて、同じ枕に臥しにけり」(『太平記』巻十六)。
後世、この誓いは、七生報国の誓いと言われるようになります。

時代錯誤のようにも思われますが、現代人が忘れかけている何かがあるような気がします。
また出題したいと思いますので、どうぞお付合いください。

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毒湛老師画賛より出題

 

140116.jpg

皆さまおはようございます。
またまた、『毒湛和尚語録』(明治期を代表する禅僧・ただいま絶賛訓読中)より問題です。


嗚呼南木夢、感慨七生心。勳業雖中敗、忠貞擧世欽。


これは毒湛老師が、さる御方の肖像画に書かれた画賛です。
読み下します。

嗚呼(ああ)、南木(なぎ)の夢、感慨、七生(しちしよう)の心。
勲業(くんぎよう)中ごろ敗ると雖(いえど)も、忠貞、世を挙(こぞ)って欽す。


ハイズバリ、誰の肖像画に書かれた画賛でしょうか。
「南木夢」「七生心」の意味を書いてもらわないと正解にはなりません。

またまた、正解者の方にカレンダーをプレゼントさせていただきます(先着3名様)。
どしどしお答えくださいませ!

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毒湛老師、出雲へ 正解は?!

 

140108.jpg出雲大社

皆さんおはようございます。
本日は、毒湛和尚、出雲へ・・・の問題の解答です。


答えは、スサノオノミコトが、ヤマタノオロチを退治して、オロチの尻尾の中からクサナギノツルギが出たということです。
出雲神話を題材にされた面白い偈頌ですね。なぜ「神蛇」ではなくて「神龍」なのかは、お寺の山号が「雲龍山」だからです。「八雲立」は、出雲に掛かる枕詞です。

今回は、「スサノオノミコト」「ヤマタノオロチ」「クサナギノツルギ」の3つのキーワードを思い起こされた方、正解です!
という事で、コメント欄にご記入いただいた方(ありがとうございます!)のうち、ただすさんと桑村憲治さん、正解という事でカレンダーをお送り致します。
お手数をおかけ致しますが、念のため、こちらまで、メールにてご住所をお知らせくださいませ。

次回の問題をお楽しみに!

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毒湛老師、出雲へ 

 

131220.jpg

今回は、毒湛老師が、出雲の雲龍山城安寺という寺に行かれた時の漢詩です。

八雲立処神龍躍、任手斫開宝刃新。

読み下しますね。

八雲(やぐも)立つ処、神龍(じんりゆう)躍(おど)る、
手に任(まか)せて斫開(しやくかい)すれば、宝刃(ほうじん)新たなり。

これはもうヒントも不要でしょうが、さて、どんな場面を読んでおられるのでしょうか。

コメント欄にお答えいただきました方、先着3名様に弊社の禅語カレンダーをプレゼントさせていただきますす(後に住所をお伺いしますので、メールアドレスを必ずお書きください)。
前回は簡単すぎましたか?応募がいませんでした。職員一同がっかり。
コメントお待ち申し上げております!

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百尺の金鱗

 

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職員自坊の花

小生、ただ今、『毒湛和尚語録(どくたんおしょうごろく)』という文献を読んでいます。
毒湛和尚は、明治期を代表する禅僧の一人です。
そこに、こんな偈頌(げじゅ・漢詩)があります。

 

百尺金鱗躍搏天、騰光照射景陽巓。

漢文のままだと、とても難しいので読み下します。

百尺の金鱗(きんりん)、躍(おど)って天を搏(う)つ、光を騰(は)せて照射す、景陽の巓(いただ)き。

「百尺の金鱗が躍り上がって天を打ち、光を発して景陽山の頂きを照らしている」という意味です。これは毒湛さんが、名古屋市の景陽山総見寺という寺に行かれた時の偈頌です。
そこで問題です。この「百尺の金鱗」は、具体的に何を言っているものでしょうか?
「具体的」という言葉でもうお分かりでしょう。特に名古屋に住んでおられるかたには簡単な問題です。

おわかりになられた方は、コメント欄にご記入ください!(ペンネームで結構です。メールアドレスは必ずご記入ください)。正解者の方(先着3名)には、研究所のカレンダーをプレゼントさせていただきます。

*正解は、来週月曜日に掲載させていただきます。

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聞こえない音の話

131021-1.jpg『古事記』を題材にした舞台、『アマテラス』を鑑賞してきました。大音響で打ち鳴らされる和太鼓の迫力とアマテラスの神々しさに、観ているだけでカタルシスを得られたような。

ところでこの作品では、神話とはいえ仏教の法器もいろいろ使われていたことが興味深かったです。

たとえば禅宗でいうところの

131021-2.jpg鐃祓(にょうはち)

 

131021-3.jpg

引磬(いんきん)


などに近い形状のものや、

131021-4.jpg
チベットのシンキングボールも用いられていました。

 

法器の音やお経を聞くと何となく心が落ち着きますよね。これにはちゃんと根拠があって、ものすごく大ざっぱに書くと、こういうことのようです。

「音」の中には、人間が聞き取れない、あるいは聞き取りにくい周波数を持つものも存在します。法器は、そういう「聞こえにくいけど人間にとって心地良い音(倍音・ばいおん)」をたくさん発しているのだとか。僧侶の読経にも同じことがいえるそうです。

倍音の定義は長くなるので、ここでは割愛させてください。とにかく、ビィ~ン……と震える余韻などに多く存在する音といえば、何となくイメージしていただけますでしょうか。これらの音を浴びる「倍音浴」というリラクゼーションもあるようで、“観劇後の妙にスッキリした感覚”は、「む!倍音の効果もあったに違いない」と思ったりしています。お仏壇の前で「おりん」を鳴らされる時など、一度“聞こえない音”がもたらす精神的な癒やしも意識していただけると面白いかもしれません!


倍音については、こんな本もおすすめです。
『倍音 音・ことば・身体の文化誌』(中村明一・春秋社)

 

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托鉢雲水へのお布施の仕方

 

130531.jpg臨黄ネット 栞いろは歌より

京都に引っ越してきて初めて遭遇した事の一つに、"雲水さんの托鉢"があります。
これは恐らく、京都や鎌倉やその他、修行道場が近くにある地域ならではの光景かと思います。

意外に京都に生まれ育った人でも知らないのが、雲水さんの出す掛け声。実は、「ほーーーーーぅ(法)」と言っています。そして、京都に住まう多くの方が、小さな子が言う事を聞かない時は、「おーのおっちゃん来るよ」と、まるでなまはげのような扱いをしている事もリサーチ済みです。
正直、雲水さん達は若い方が多く、おっちゃんではないと私個人的には思うのですが......。あの低く腹から出す大きな声が、なまはげや、おっちゃんを連想させるのでしょうか。

そんな事はさておき、托鉢をする雲水さんにお布施をさせていただきたいけれど、方法がわからないのでいつも見送ってしまう......という方の為に、お布施の方法をご紹介です。実は私もわからず、研究所の上司に聞いてから実践しましたので、知りたい方はいらっしゃるのではないかと思いました。

1.托鉢の雲水さんの声が聞こえたら、お布施を用意し、合掌しつつ、近寄ってこられるのを待つ。
2.雲水さんが気付いて、自分の前に立たれたら、互いに合掌一礼。
3.雲水さんが首から下げている看板袋の前垂れ(袋の蓋のようになっていて僧堂名が白く書かれている部分)を自分の前に出してくださったら、その上にお布施を置く。
4.雲水さんが前垂れに置かれたお布施を、滑らせるように袋の中にしまえば、また互いに合掌一礼。

無言のうちにこれらの事を終えます。
勘違いしてはならないのが、布施というのは、してあげているのではなく、「させていただいている」「功徳を積ませていただいている」という事。我々(在家の者)が、財施をさせていただいているのです。そしていつか雲水さんは和尚になって法を説かれ、法施となって私たちに戻ってくることでしょう。
六波羅蜜の一つ。私にとって、分かち合う事の尊さを学ばせていただく朝は、なんとも清々しいものなのです。

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茶人に学ぶもてなしの工夫




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鼓月 京の離宮

2月ですね。もう今年に入って一ヶ月が過ぎ去りました。早いものですね。
今月も宜しくお願い致します。

さて、何で読んだのかは忘れましたが、ある人が三千家どちらかのお家元に伺うと、俵屋吉富さんの雲龍(有名なお菓子です)が、茶巾搾りになって出されて、感動したと……。
雲龍が切られてそのまま出てきたのなら、あまりに知った菓子という事もあり、「あぁ、雲龍ね」で終わるところが、茶巾搾りとなって出てくると、「え、あの雲龍ですか!!!まぁなんと!!!」となりますね(俵屋吉富さんにはちょっと申し訳ない気もしますが……いただき方のバリエーションとして…)。
茶人のこういった工夫、見習いたいところです。
ちなみにこの雲龍、相国寺さんと大いに関係があるのですね。


前置きが長くなりましたが、先日の研究所のお菓子が、雲龍ではないのですが、鼓月さんの“京の離宮”という菓子でしたので、茶礼の時間にはいただかずに、家に持って帰ってさっそく実験してみました。
うずまきを出すように搾るのが良いのか、白い部分を見えるように搾るのが良いのか…。
写真ではわかりづらいのですが、なかなかにかわいらしい茶巾搾りができ、毎夜の抹茶時間がさらに楽しくなりました。
色々な菓子でできそうなので、これからもやってみましょう。皆さんも一度お試しになってみてください。

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白を表面に
130201-3.jpg
うずまきを表面に

*蓮弁小皿 福森雅武

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Windows8 はファイル削除時に確認メッセージが表示されないので注意




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弊所では、寺院向けソフトウェア「宗教法人管理システム 擔雪 II」を「Windows 8」に対応すべく、プログラム修正と動作テストを行なっている最中です。

その際に気付いたのですが、Windows 7 まではファイルの削除時に確認メッセージが表示され、削除を中止することが出来ました。
しかし、Windows 8 では確認メッセージが表示されることなく、即座にファイルが削除(ごみ箱へ移動)されます。

これでは、「突然ファイルが消えてしまった…」と思われることが増えてしまいそうです。
ユーザーサポートをさせていただく立場からすると、このような仕様変更はやめていただきたいものです。

この仕様については、ごみ箱のプロパティを変更することで確認メッセージを表示させることが出来ますので、設定変更の手順をご紹介します。

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Windows 8 優待購入プログラム




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Microsoftより次期Windowsとなる「Windows 8」の「Release Preview」版が公開されました。
また、「Release Preview」版の公開に合わせ、「Windows 8 優待購入プログラム」が開始されました。
「Windows 8 優待購入プログラム」は、2013年1月31日までの期間中に対象となる「Windows 7」搭載のパソコンを購入したユーザーに対して、Windows 8 を優待価格(1,200円)で提供するというものです。
「Windows 8」の開発が順調に進めば、発売時期は2012年11月~12月になる見込みです。

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弊所では、寺院向けソフトウェア「宗教法人管理システム 擔雪 II」を「Windows 8」に対応する予定をしております。
「Windows 8」での「擔雪 II」の動作テストはまだ始めたばかりです。さらに動作テストを重ね、「Windows 8」の発売と同時に正式対応できるよう準備を進めます。

擔雪IIの情報はこちらからどうぞ
 
擔雪II安心サポートサービスを開始しました

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温泉と禅僧




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狩野一信画「五百羅漢図 浴室」(増上寺蔵)『日本の美術534』より

ヒット中の映画「テルマエ・ロマエ」をレイトショーで見てきました。
ネタばれはよくありませんので、「面白かった~! オススメです!」とだけ、申しあげたいと思います。

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映画のストーリーとはまったく関係ないのですが、今日は“温泉と禅僧”のかかわりについて。

温泉が病気や怪我に効くというのは、日本人なら誰でも知っていることだと思いますが、実は、それを利用したり、ひろめたりしていたのは禅僧でした。
なかでも有名なのは室町時代の曹洞宗の禅僧の源翁心昭で、いろいろな場所で在地の神様(山神や竜神)に引導(授戒)をおこない、その返礼で、寺を守護してもらったり、泉や温泉を出してもらったりしたと伝えられています。
源翁さんが開いた温泉として有名なのは、熱塩温泉(福島県耶麻郡)です。

禅僧の温泉好きは、重要な文学作品を生み出したことでもまた知られます。
明応9年(1500)5月5日~23日に有馬温泉で湯治していた夢窓派の禅僧の寿春妙永と景徐周麟との間で交わした聯句の集成が「湯山聯句」です。またそれに一韓智■(コウ)が注をつけたのが「湯山聯句抄」という作品(抄物)になります。

室町時代の京都にいた五山僧にとって、もっとも親しみがあった温泉は、有馬温泉だったようです。

「湯山聯句抄」には「垢を洗い、病を治さうとてかと云に、いや、元来法身は清浄なれば、洗ふべきの垢もないぞ。治すべき病もないぞ。さるほどに、今湯に入るは、この無垢を随分至極と思ひ、無病を至極と思ふ、この心を洗ひ去けんとてあるぞ」とあります。

当時の禅僧の一般的な考えかはわかりませんが、「元来、法身は清浄なのだから、洗いおとすべき垢や治すべき病はない。無垢や無病を当たり前だと思う心こそ垢がついて病んでいるのだ」と一韓は述べています。

「無垢や無病を当たり前だと思う心こそ垢がついて病んでいる」とはなかなかおもしろい発想だと思います。現代人のわれわれにも何かしら参考になるかもしれませんね。

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226




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226というタイプの真空管。直熱型の三極管で、フィラメントの定格電圧は1.5V。「並四(なみよん)」というタイプのラジオに使われていた。プレートの二重丸模様が特徴的。

以前紹介した旧式の5球のラジオは電池を電源としていたが、その後充電が面倒な電池に代わり、電灯線(コンセント)を電源とするラジオが普及する。多くは真空管を4本使い、「並四」の略称で呼ばれ、戦前から戦後すぐにかけて普及型のラジオの代表だったという。

上の真空管は、並四のなかでも初期のタイプのものに使われていたという。その配線は結構単純で、部品さえ吟味して揃えたら、私のような素人にも修理して何とか鳴らすことが出来た程度のものである(時間はものすごくかかりましたが)。

余談だが、このころのラジオはとても重い。巨大な電源トランスに結合トランスが2つ、電源回路のチョークコイルと、要するに金属の塊が4つも入っている。さらにマグネチックスピーカーには大きなU字型磁石が……。

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檀林皇后がきいた鐘




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妙心寺の銅鐘(図録『京都妙心寺 禅の至宝と九州・琉球』)より

大本山天龍寺が、かつてこの地にあった檀林寺の跡地に建てられていることはご存じの方が多いと思います。檀林寺は、嵯峨天皇の皇后・檀林皇后(橘嘉智子)が、禅を学ぶために中国から招いた義空禅師のために建てた、日本ではじめての禅寺とされるお寺です。

夢窓国師は天龍寺供養のさいに、「禅宗が日本に伝わってひろがりさかんになることにおいて、この地にあった檀林寺がさきがけであり、天龍寺がしんがりである」と述べておられます。天龍寺は檀林寺の禅宗史上の意義によって、今の場所に建てられました。

義空禅師は日本へと禅を伝えにきたものの、日本で禅を理解できるのが檀林皇后しかいないことに失望して、中国に帰ったといわれています。広大な寺地をほこった檀林寺も衰退し、平安時代の女流歌人・赤染衛門の和歌集「赤染衛門集」には、「檀林寺の鐘の、土の下に聞ゆるをいかなるぞと問へば、鐘堂はなくなりて御堂の隅に掛けられたればかうきこゆるぞといひしに、后のおぼしをきあはれにてありしにもあらずなりゆく鐘の音つきはてむとぞ哀れなるべき」と、檀林寺にあったあの立派な鐘堂も、失われてしまったと記されています。

檀林寺の跡地には、その後、離宮の亀山殿が、後嵯峨上皇と亀山法皇によって営まれました。亀山殿には寿量院や浄金剛院という御堂も建てられ、寿量院について夢窓国師は「亀山上皇が南禅寺の禅僧20人を置かれ、天龍寺法堂はその寿量院の跡地(後継)にあたる」と述べておられます。

浄金剛院には、亀山法皇のご遺骨が分骨されましたが、浄土宗のお寺だったようです(『増鏡』)。浄金剛院は、兼好法師の『徒然草』に「およそ鐘の声(音色)は黄鐘調なるべし(略)浄金剛院の鐘の声、また黄鐘調なり」とあるように、すばらしい音色の鐘がおかれていたことが知られます。

ここでお気づきの方もいらっしゃると思います。大本山妙心寺に奉安される国宝の「梵鐘黄鐘調」は、嵯峨亀山殿内の浄金剛院の鐘であったとも伝えられていますが、もしかすると、もともとは日本最初の禅寺の檀林寺におかれていた鐘だったかもしれません(あくまで可能性レベルのお話ですが)。

檀林皇后は義空禅師とはじめて対面したときに悟りを開かれたと、夢窓国師は述べています。つまり日本人ではじめて禅の悟りを開いたのは、檀林皇后という在家の女性でした。悟りを開いた檀林皇后に、檀林寺の鐘の音色はどのように聞こえていたのでしょうか。

妙心寺にお参りいたしますと、鐘の音も録音で聞かせていただくことができますが、ぜひその音色に、かつて嵯峨野にあった檀林寺と、檀林皇后・義空禅師のことも思い起こしていただければと思います。

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「System Check」コンピュータウイルスにご注意ください




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今年に入った頃から「System Check」コンピュータウイルスが猛威を奮っています。

先日、知り合いの方から「変なメッセージが表示されてパソコンが使えない」との連絡を受け、自宅へお伺いして確認したところ、英語のメッセージがたくさん表示され、さらにはマイドキュメントの中も空っぽという状態でした。

この症状から原因をインターネットで検索してみると、どうやら「System Check」というコンピュータウイルスに感染しているようでした。

ウイルス対策ソフトがインストールされていたパソコンにも関わらず、なぜ「System Check」ウイルスに感染したのでしょうか?

感染の原因を調べたところ、ソフトウェアに存在するセキュリティ上の欠陥(脆弱性)を悪用し感染するとのこと。そのため、ソフトウェアのアップデートを怠っていると、ウイルス対策ソフトの有無に関わらず、このウイルスに感染してしまうようです。

1.Java Runtime Environment のバージョンが古い
2.Adobe Reader のバージョンが古い
3.Adobe Flash Player のバージョンが古い
4.Windows Update が施されていない

上記の何れか一つでも当てはまる場合は、ウイルス感染の恐れがありますので、速やかに該当ソフトウェアのアップデートを実施してください。

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奈良の溜め池




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奈良市にある五徳池。
何の変哲もないただの溜め池のように見えるが、じつは平城京の時代からあるという由緒正しい池だそうな。教科書にも載っている平城京復元図の東南角に描かれている、あの池である。当時は現在の倍近い面積があったとのこと。

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Windows 8 Consumer Preview




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Microsoftより次期Windowsとなる「Windows 8」が今年中に発売されるとのことです。
そして2月29日、「Windows 8」の一般向けプレビュー版「Windows 8 Consumer Preview」が公開されました。

そこで、弊所より発売しております寺院向けソフトウェア「宗教法人管理システム 擔雪 II」が「Windows 8」で正常に使用できるものか、動作テストを始めました。

まずはソフトウェアのインストールです。

昨年の9月に公開されました「Windows 8」の開発者向けプレビュー版「Windows 8 Developer Preview」でも「擔雪 II」の動作テストを行ないましたが、インストールの段階でエラーが発生し、ソフトウェアを起動するもエラーが続発して全く使用できない状態でした。

しかし、今回の「Windows 8 Developer Preview」では何事もなく無事にインストールすることができ、ソフトウェアも問題なく起動できたので一安心です。

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絵解き涅槃図




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来たる2月15日は、各地のお寺にて、お釈迦様が涅槃に入られた日を記念して行なわれる涅槃会の日です(旧暦により3月15日に行なわれるお寺もあります)。

涅槃会には、本堂に涅槃図という大きな軸がかけられます。涅槃に入られ、北枕で右脇を下にして安らかにおやすみになるお釈迦様の周りを、菩薩や羅漢、そして動物など、お釈迦様から教えをさずかったものたちが沢山集まって、涅槃を悲しんでいる絵が、この「涅槃図」というものです。
ただ私自身、そこに描かれているどの人が誰かといったことを、ほとんど知らずにおりました。

そんな折、先般、私は「涅槃図絵解き」というものを拝聴してきました。これは日本三大長谷寺の一つ、長野長谷寺の寺庭夫人・岡澤恭子さんが、真言宗智山派総本山の智積院にて、智積院専修学院の学院生にむけてされた講座でしたが、縁があって、一緒に拝聴させていただくことができました。
今のようにテレビや映画がない時代には、「絵解き師」という人が全国を回って、こういった涅槃図だとか地獄絵などを絵解きして歩いていたとのことで、今はそういった人たちがほぼいなくなってしまっているとのことでした。岡澤さんは、少しでも絵解きができる人が増えてくれればという思いと、自ら絵解きをして多くの人に、その絵に対して、あるいは絵に描かれている人のことを好きになるようにと思って活動されているとのことでした(交渉すれば、各地に絵解きにお越し頂けるようです。詳しくお知りになりたい場合は、禅文化研究所:西村までお尋ねください)。

そしてもう一つ、先頃、禅文化研究所はこの涅槃図をデジタル画像にして、妙心寺派教化センターと花園大学国際禅学科との三者共同事業にて、そこに描かれている人や動物、器物を解説し、そしてそれに関しての妙心寺派布教師による法話をリンクした、「WEB版 絵解き涅槃図」を構築し公開いたしました。

その場にいるだけでまるで涅槃のその場に居合わせるような気持ちにさえなってしまう絵解き師による絵解きには遙かに及びませんが、少しでも涅槃図のことがわかっていただければと思います。どうぞご利用ください。

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「コンフォートハンド」の講習会 -臨床僧の会・サーラ主催-




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『臨床僧の会・サーラ』が主催する「コンフォートハンド」の講習会を受講した。

コンフォートとは、元気づける・慰め・痛みを和らげるなどの意味を持ち、コンフォートハンドは、心理学・生理解剖学を基に構築されたハンドマッサージである。香り・言葉がけ・タッチの三つの要素を取り入れ、子どもや高齢者・病中病後の人でも簡単に実行でき、誰が行っても癒しの効果が得られるよう構成されている。

鍼灸師・薬剤師などの他に、エステの国際資格・アロマインストラクターなど25の資格を持つという夜久留美子氏の講演では、臨床の現場での心のケアの重要性とストレスを緩和するためのツールとしてマッサージの有効性を話された。コンフォートハンドは、一方的な治療ではなく、リラックスした雰囲気の中で、お互いが同じ動作をすることで交感神経や筋肉の緊張を緩和し、心を開き他を受け入れるという効果があるという。

1時間の講義の後、2名のセラピストによる実技講習が始まった。
二人でペアを組んで教えてもらった動作を交代で繰り返す。フレグランスという香料とオイルを手に馴染ませ、手先から手首まで入念にマッサージをするが、行う側は手順を覚えたり力を込めたりで、最初のうちはリラックスとはいかない。
それでも初めて手にするアロマは自然な香りで心地よく、慣れてくるとスムーズな動きとなってくる。受けている側も次第に筋肉の緊張感がゆるんでいくのが実感できる。
一回だけの体験では全てはわからないが、言葉だけでなく、手と手が触れ合うことによって互いの心を通じ合わせることのできるツールとしての可能性は感じることができた。

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ご存じの通り、清水寺の森清範貫主が揮毫された今年2011年の漢字は「絆」でした。東日本大震災で改めて家族や友達、そして社会との繋がりを再認識されたためだと思います。

日本はそもそも絆を大切にしてきた国家、国民性だったと思います。太い神社のしめ縄は厄除けの結界の意味ですが、本来、日本人はこんな太い絆で結ばれていたのだろうなと思います。
しかし、太平洋戦争に敗戦後、アメリカナイズドされ、高度経済成長期をへて、その絆がどんどん断ち切られてきたのではなかったでしょうか。襖や障子で仕切られているだけだった日本建築の部屋は鍵のかかるドアとなり、薄い壁の長屋は厚いコンクリートのマンションとなって、「隣は何をしているかも興味なし」という状態になってきたのは言うまでもありません。いまさら「絆」と言われても、観念だけで、何かとても薄っぺらく思えてしまうのは私だけでしょうか。

なぜなら、とくに都会では孤独死してお葬式もままならない方や、家族がいても生前にご縁のあった人さえも呼ばないで行なう家族葬が多いのですから。「絆」を大事に感じるのであれば、面倒でも、ご縁のあった人の人生の最後には野辺送りに立つというのが本当なのではないでしょうか。また遺族はそういう人たちをお呼びするのが「絆の証」なのではないでしょうか。
「絆」に気付いたのであれば、こういったことも見直して考えてもらいたいと思うのです。なにしろ仏教の教えの基本は「縁」なのですから。

私の自坊のような少し田舎では、今も檀家さんの法事に多くの親戚やご近所をよばれていることが多いです。「絆」ということを強く感じます。田舎だからまだ辛うじてこういったことが続いているのだとは思います。しかし、既に家族だけで法事をされているところもあり、手を抜けば、すぐに都会と同じように、意味も考えずにどんどん省略されていくことは必定でしょう。
そうならないようにしていきたいものです。

絆の続きを読む

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古代史史料としての『元亨釈書』




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『元亨釈書』は鎌倉時代の僧伝・仏教史として著名であり、その史料的価値はいまさら論ずるまでもない。

しかし古代史に関する史料としては、その成立時期の遅さもあり、注目される部分は少ない。他に見えない独自記事があったとしても、その評価は芳しくない。例えば、巻一、道昭伝における道昭の隆化寺慧満への参禅、あるいは巻二十一、持統三年条(六八九)に見える、明聡らによる新羅使者へのとりなしの記事などは、創作記事と考えてよいだろう。

しかし、中には検討に値すると思われる記事もある。『釈書』二十三、資治表四、高野皇帝(称徳天皇)五年条(神護景雲三年/七六九)に、「封戸(ふこ)を土師寺(はじでら)に納む」とある。この記事は現存『続日本紀』『扶桑略記』には見えない独自のものである。また土師寺についても大阪府藤井寺市の道明寺(土師寺はその古名)だと思われるが明証がなく、江戸時代以来二・三の説があった。

ところが『新抄格勅符抄』寺封部に「□師寺。四十戸。神護景雲三年施。信乃二十戸、遠江二十戸」(『新訂増補国史大系』による)とあり、欠字であった「□師寺」が先の『釈書』の記事に見える「土師寺」に当たると思われるのである。神護景雲三年、土師寺への封戸四十戸の施入は史実と考えてよいであろう。

『続日本紀』によれば、同三年十月、称徳天皇は河内国由義宮(ゆげのみや)を西宮と称し、河内国を廃止して特別行政組織の河内職を置いたという。由義宮とは、天皇が、その寵愛する道鏡の出身地に造営した宮で、現在の八尾市付近にあったと考えられている。

以上を考えあわせると、やはり「土師寺」は河内の道明寺を指すのであり、封戸施入も由義宮造営に関連する措置であった可能性が出てくる。謎の多い由義宮造営に関する一史料となるかも知れない。

『釈書』の本記事は、『扶桑略記』に拠ったものである可能性が高い。現存『略記』の当該巻は抄録本であるが、完本には本記事があり、『釈書』は抄録される前の『略記』に拠ったのではあるまいか。このような例はまだまだあるだろう。

参考文献:藤田琢司編著『訓読 元亨釈書』(禅文化研究所刊)下巻372頁。

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Windows PC 節電策




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夏至を迎えたころから早くも猛暑日がやってきました。
禅文化研究所のあるここ京都でも30度を超える日々が続いています。
このような暑い日にはエアコンが欠かせないのですが、東日本大震災の影響により今夏は全国的に節電が求められています。

そこでマイクロソフトでは、未曾有の災害によって引き起こされた電力不足に対処すべく、パソコンの節電に向けて有効な設定をまとめて適用できる「Windows PC 自動節電プログラム」を無償で提供していますのでご紹介します。

Windows PC 節電策
上記のサイトより「Windows PC 自動節電プログラム」を導入することで、約30%のPC消費電力削減効果が期待できるそうです。

しかし、プログラムのダウンロード方法が分からない・・・あるいはプログラムを導入して問題は無いのだろうか・・・などと感じられる場合もあるかと思います。

そのような場合は、プログラムを導入することなく、パソコンのモニタの明るさを落とすだけでも、かなりの節電効果があるそうです。

モニタの明るさを落とす方法は、パソコンのタイプで異なります。

デスクトップPCなど、PC本体とモニタが別々になっているタイプの場合は、モニタ前面にあるボタンで明るさを調整できます。

また、ノートPCなど、PC本体とモニタが一体になっているタイプの場合は、キーボードの[fn]キーを押しながら[F**]キー(太陽のような印のあるキー)を押すことで明るさを調整できます。




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この方法でしたら、無理なく簡単に節電できますので、よろしければ一度お試しください。

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芒種 -二十四節季-




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今日は二十四節季の9番目「芒種」。新暦で6月6日頃。旧暦で考えると1ヶ月ほど早い時期のことになり、実際の日本の今の時期とはちょっと違うことになりますが、二十四節季は中国ではじまり日本にも長い間に染み込んできた文化ですから、今後もそのままの日付で見て紹介していくことにいたしますね。

芒種の芒(のぎ)というのはススキにあてた漢字ですが、ススキや稲や麦のように穂先が尖ったイネ科の植物のことで、これらの種を蒔くころを芒種というのです。

『唐詩選 三體詩 総合索引』(禅文化研究所刊。絶版品切れになっています)の索引で「芒種」を検索してみますと、こんな三体詩にこんな漢詩が見つかりました。

竇常という人が作った「北固晩眺(北固の晩眺)」という詩です。
  水国芒種後、梅天風雨涼。
  露蠶開晩簇、江燕語危檣。
  山址北來固、潮頭西去長。
  年年此登眺、人事幾銷亡。

冒頭、「水国、芒種の後、梅天、風雨涼し」とあります。「水辺の国は芒種を過ぎたというのに、梅実る時節は雨風も涼しい」いう意味のようです。琵琶湖のある滋賀県に住まう私としては、なんとなく想像できる情況ですが、如何でしょう。

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小満 -二十四節季-




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私が子供の頃には、自坊のまわりに麦畑などなかったですが、今は米の減反政策のおかげであちこちが麦畑になっており、今年などは庫裡から見渡す限りが小麦畑です。

明日は二十四節季の8番目の「小満」。新暦で5月20~21日頃にあたります。

中国宋代に馬永卿の撰した『嬾眞子(らんしんし)』という書籍に、「小満、四月中ば、麦の気、此〈ここ〉に至って方〈はじ〉めて小満にして未だ熟さざるを謂うなり)」とあり、昨年の秋に蒔かれた麦がようやく穂をつけ、ほっと一息する頃をいうようです。
自坊近所の農家の方々も、麦も無事穂をつけ田植えも一通り終わって、安堵しているようです。有難いことです。

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Google検索の特殊な使い方 その3




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以前にご紹介しましたGoogle検索の特殊な使い方の続きです。

【天気】

各地の天気予報や現在の天候を調べるには、「天気」というキーワードに続けて駅名や都市名などを検索ボックスに入力します。

例えば、京都の天気を調べたい場合は、Googleの検索ボックスに「天気 京都」と入力して検索します。「天気」と「京都」の間にスペースを入力し忘れないよう注意してください。

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【荷物の配達状況】

検索ボックスで「ヤマト」に続けてヤマト運輸のお問い合わせ伝票番号を入力すると、配達状況を確認するためのページを簡単に開くことができます。

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よろしければ一度お試しください。

Google

Google検索の特殊な使い方 その1はこちら
その2はこちらから

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Google検索の特殊な使い方 その2




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以前にご紹介しましたGoogle検索の特殊な使い方の続きです。

【為替換算】

Googleの通貨換算機能を使用するには、Google検索ボックスに換算した通貨を入力するだけです。

例えば、100ドルを日本円に換算したい場合は、Googleの検索ボックスに「100ドル」と入力して検索すると参考レートで換算された日本円が表示されます。

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【世界の現在時刻】

世界各地の現在時刻が検索できます。検索キーワードに「時間」に続けて、都市名を入力します。

例えば、ニューヨークの現在時刻を調べたい場合は、Googleの検索ボックスに「時間 ニューヨーク」と入力して検索します。「時間」と「ニューヨーク」の間にスペースを入力し忘れないよう注意してください。

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よろしければ一度お試しください。

Google

Google検索の特殊な使い方 その1はこちら

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Google検索の特殊な使い方 その1




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インターネット検索エンジンで有名な「Google」には、あまり知られていない特殊な使い方があります。その中から便利そうな使い方をいくつかご紹介します。

【電卓】

Googleの検索ボックスに計算したい数式を入力するだけで、基本的な算数だけでなく、単位、変換、物理定数などの複雑な数式を電卓で求めることができます。

例えば、820円の本を4冊と送料580円の合計額を計算したい場合は、Googleの検索ボックスに「820*4+580」と入力して検索すると「(820 * 4) + 580 = 3860」と表示されます。




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携帯向け「中陰忌年忌早見表ツール」のご紹介

臨済宗黄檗宗連合各派合議所の公式HP(臨黄ネット)の携帯向けサイトに、亡くなった日から中陰忌日と年忌の一覧をさっと閲覧できる「中陰忌年忌早見表ツール」が公開されましたのでお知らせします。
それでは、携帯向け「中陰忌年忌早見表ツール」の使用方法をご紹介します。

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【中陰忌年忌早見表ツールの開き方】
携帯電話のWEBブラウザから http://rinnou.net を開きます。下記のQRコードを読み取って開くことも可能です。

臨黄ネット携帯向けサイトURL(パソコンからも閲覧できます)
http://rinnou.net

臨黄ネット携帯向けサイトQRコード

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Googleカレンダーに六曜を表示する方法

このたび、禅文化研究所より、Googleカレンダーに六曜を表示する「Google六曜カレンダー」を公開しましたので、お知らせします。
Googleカレンダーは、家族や職場で、お互いの予定などを管理確認するために、手軽で便利なツールです。そこに上記六曜カレンダーを利用すると、お使いのGoogleカレンダーに日本独特の「六曜」を表示することができるようになります。

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【Google六曜カレンダーの特徴】

・Googleカレンダーに六曜がアイコンで表示されるので、予定表示の邪魔になりません。
・当日より未来3年、過去1年、計4年間の六曜を表示します。
・4年間の表示に限定しデータ量を少なくすることで、iPhoneやAndroidの携帯端末でも軽快に動作します。

【Google六曜カレンダーの設定手順】

1.以下のリンクをクリックして、Google六曜カレンダーの設定を開始します。

禅文化研究所Google六曜カレンダー


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2.[ログイン]画面が表示されたら、メールとパスワードを入力して[ログイン]をクリックします。Googleアカウントをお持ちでない場合は[アカウントを作成]をクリックしてGoogleアカウントを作成してください。

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「セキュリティで保護されたWebページのコンテンツのみを表示しますか?」のメッセージを消す方法

「Internet Explorer 8」を使っていると、以下のメッセージが出てくることがあります。

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安全なページであれば「いいえ」をクリックすることで全ての文字や画像が表示されますが、「はい」をクリックすると一部の文字や画像が表示されなくなりますので注意してください。

しかし、メッセージが度々表示されるのはとても面倒です。セキュリティは重要ですが、メッセージが度々表示されるのが面倒な場合は、メッセージを表示しないよう設定を変更することができます。

「セキュリティで保護された…」のメッセージを表示しない方法は以下の通りです。

「セキュリティで保護されたWebページのコンテンツのみを表示しますか?」のメッセージを消す方法の続きを読む

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無料フィルタリングサービスのご紹介




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インターネット上にはたくさんの有益な情報や便利なサービスが存在しています。
その一方で、悪意を持った情報や子どもにとって好ましくない情報など、意図せずに有害なサイトを閲覧してしまうことがあります。

そこで「フィルタリングサービス」を導入することで、有害なサイトの閲覧を遮断することができます。

「フィルタリングサービス」とは、子どもの教育や育成上、悪影響を与える恐れのある情報を掲載しているホームページの閲覧を制限するサービスです。

今回は、Yahoo!より無料で提供されている「Yahoo!あんしんねっと」というフィルタリングサービスをご紹介します。

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「Yahoo!あんしんねっと」の主な機能として、有害サイト(ポルノ、出会い系、暴力、自殺、薬物、ギャンブル、違法情報など)をブロックする機能があります。

また、掲示板やウェブチャットを規制したり、ショッピングやオークションを利用できなくすることもできます。

設定方法もかんたんで、小学生以下、中学生、高校生、無制限の4つの段階から選択するだけです。

子どもが安全に安心してインターネットを利用できるよう「フィルタリングサービス」を導入することをお勧めします。

Yahoo!あんしんねっと

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「来年のことを言うと鬼が笑う」

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将来のことは予測しがたい、ということを表すことわざ。

『日本国語大辞典』は出典として1656年の「世話尽」を挙げるが、江戸時代にはすでに存在した古い言葉のようだ。

この言葉、言わんとしている意味は非常に明瞭なのだが、なぜ「鬼」なのか、子供の頃からその必然性がいまいち分からなかった。

一般には「怖い鬼でも笑ってしまうほどばかばかしいこと」と漠然と考えられているようだが、やはりしっくり来ない人が多いと見えて、インターネットで検索してみても、様々な説が入り乱れている模様である。

しかし、今回調べてみると(実は偶然見つけたのだが)もとは中国の俚諺(ことわざ)から来ているらしいのである。さらにさかのぼれば、唐代のある詩に行き着く。

中国となると、この鬼は日本式の虎皮のパンツをはいた赤鬼青鬼ではない。漢文学習者には常識の「死者の霊魂」である。

こうなれば、冒頭のことわざの意味はもう自明であろう。来年のことをあれこれ取り沙汰する現世の人を見て、死者たちがあざ笑うのである。「人間たちよ、いつまでも命があると思うなよ」と。

出典などもあえて伏せておくので、興味のある方はご自分で調べてみてはいかがだろうか。

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草食男子と携帯電話



いつの頃からか、草食男子、肉食女子などという表現がメディアに現われるようになった。何が言いたいのやら、とあまり気にも止めていなかったが、通学の高校生や大学生の会話が毎日バスや電車で中で耳に飛び込んでくるうちに面白いことに気がついた。女子の話題はもっぱら男子のことだが、男子はあまり女子のことを話さない。男子は奥床しく異性のことはそっと胸に秘めているのか、こういうのを草食系と言うのか、もっと以前は、「あの娘(こ)がカワイイ」なんて結構大っぴらに男子も盛り上がっていたのに、なんて可笑しかったが、それも違うのかなふと思った。もしかしたら男子は女子にあまり興味がないのではないかしらん。

最新号のビッグイシュー(イギリス発信のホームレス支援雑誌だが日本語版もあってかなり面白い)に「携帯電話の電磁波リスク」という特集が組まれていた。もう二十年も前から、電磁波が健康に悪影響を及ぼすのではないかと指摘されているようで、電磁波問題は欧米ではかなり感心の高い環境問題らしく、欧州や北欧では、成長期の脳に影響を受けやすい16歳未満の子どもたちに携帯電話を使わせないようにしているという。

電磁波環境研究所主宰の荻野晃也さんは、「携帯電話は小型の電子レンジ」だと言う、「携帯電話を使うと、ホット・スポットが人体組織のあちこちにできる。その影響がどのようになるのかが心配されているのです」。

1999年には、初めて携帯電話ユーザーに脳腫瘍が多いとする疫学研究がスウェーデンで発表されたようだ。荻野さんが今もっとも懸念しているのは、精子への影響だ。「目や睾丸が熱に大変弱いということは、昔からわかっていたのですが、ここ数年、携帯電話で精子がやられているという研究論文が急激に増え始めたんです」。荻野さんは、携帯電話をズボンのポケットに入れるのは止めた方がいいと言う。

もちろん、現時点では携帯電話の危険性が100パーセント確定したわけではないようだ。たとえば携帯電話の電磁波が脳腫瘍を誘発するメカニズムそのものはまだ解明されていない。欧米をはじめとする各国が携帯電話を問題にして規制を強めているのは、危険の可能性が高いなら、慎重にリスクを回避しようとする「予防原則」に基づいているからだと、荻野さんは言う。

どんよりと停滞した出口のないストレス過剰の日々のなかで、片時も携帯電話を手放せない日本の若者たちが、身体的にも蝕まれている可能性が高いとすれば(もちろんこれだけで男子がおとなしいと言ってしまうのは短絡的だが)、やはり「草食男子」などとのんびり現代の風潮を揶揄している場合ではないかもしれないのだ。

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瓔珞筒アナナス




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我が実家で咲いた瓔珞(ようらく)筒アナナス。
ブラジルからアルゼンチンにかけて分布するというパイナップル科のこの花、非常に強く、ほったらかしにされていても必ず花をつけてくれ、株分けしなくてはならないほどに増えている。

名前がわからず私が調べて父にこの名をつげると、「観音経にも瓔珞…と出てくるよ」と。調べれば瓔珞とは、(1)珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具。もとインドで上流の人々が使用したもの。(2)仏教で仏像の身を飾ったり、寺院内で、内陣の装飾として用いる(三省堂『大辞林』)とのこと。

昭和の始めごろに日本に入ってきたというこの花に、一体誰がこのような美しい名前をつけたのだろう。
南米生まれのこの花をグロテスクという人もいるのだが、我が実家では茶花よろしく掛花入れに一輪入れて飾るのだが、なかなかに珍しく面白いものである。

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続・ソメイヨシノ

昨日アップした「ソメイヨシノ」に、お叱り?のコメントを頂きました。

もしもお気にさわったのでしたら申し訳ないことで、決して本意ではございません。皮肉を込めた挑発的な文章にしたまでのことですが、いささか「反体制」がすぎたのかもしれません。ひねくれ者をお許しください。

わたしも決してソメイヨシノに恨みを持っているわけではありません。むしろ可愛そうだと思っているくらいなのです。

ソメイヨシノは花に特化して作られた品種です。ほかの部分ではあまりよい性質は持っていませんが、花はたしかにきれいで見栄えがあります。それゆえソメイヨシノは、特に戦後の復興期から高度成長期にかけて、そこかしこに植えられることになります。しかしそれは、自然破壊のカムフラージュと、手っ取り早い名所作り・人集めのために利用された部分が大きいのです。

わたしたちも、にわか愛桜家よろしく花をわずかの期間もてはやしたあとは、桜の木のことなどすっかり忘れて見向きもしません。むしろ夏は毛虫が多いだの秋は落ち葉が大変だのと厄介者扱いし、道路建設で邪魔になったら寿命だの何だのと理屈をつけて躊躇なく切り倒します。桜の花だけがクローズアップされる結果、桜の木自体はむしろよそよそしいものになってしまっています。

一見華やかには見えますが、本来病気に弱く寿命も短いはずのソメイヨシノの「異常繁殖」には、現代日本人のご都合主義が集中的に現れているような気がして、わたしには無邪気に肯定することは出来ないのです。

日本のそこかしこにある、桜の名所と称されている場所のソメイヨシノ一色の景色は、むしろ日本の桜文化を薄っぺらくしているように思われてなりません。ソメイヨシノ、オオシマザクラ、ヒガンザクラ、ヤマザクラ…。人にそれぞれ特徴があるように、桜にも品種によって大きな違いがあります。花、葉、枝ぶり、樹皮の様子、木材の性質など、同じ桜でもこれほどまでに違いがあるのかと驚く程です。

わたしたちは、「桜」とは、花も、葉も、枝も、幹も、皮も、根も、木材としての利用も、人間との関わりも、すべてをひっくるめて「桜」であることを忘れがちです。花だけが桜ではありません。

せめて他の品種と混植すれば、花も長く楽しめて、今のようにあわただしい開花シーズンを過ごさずに済むでしょうし、何よりもそれぞれの桜の特徴も一目瞭然で、日本の桜の世界ももっと奥深く豊かになると思うのです。

なお、私のヤマザクラ讃は、何も本居宣長のマネをしているわけではなく、全く私の個人的な趣味、もっと言えば身内贔屓に過ぎないのであります。

私の実家の敷地の守り神のとなりには、ひともとのヤマザクラが佇んでいます。相当な古木ですが、今でも毎年花を咲かせます。私はそのどっしりとした幹と、鷹揚な枝ぶりと、えんがわに散りかかる花びらと、花と共に芽生える赤い葉と、夏の日差しを遮る濃い緑陰を眺めて育ちました。

それゆえ、いずこのソメイヨシノの大群も、わが一本のヤマザクラには及ばないと思ってしまうのは、どうしようもないことなのです。

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眠る




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昨秋からよく眠る。
いまだかつて不眠症になったことは一度もないが、たまには寝付きの悪い夜や、夜中に目が覚めることはあった。それが昨秋から夜中に一度たりと目が覚めない。理由はこうだ。昨春だったか、季刊『禅文化』に「和尚さんの身体講座」をお書きいただいている樺島和尚から、同年秋、当所発行予定の書き下ろし単行本の原稿が入った。和尚の文章はどことなく愉快なので編集作業も楽しいが、「これは!!!」というような有益な情報もいっぱいある。そんななかに「遠赤外線アンカを作る」という話があった。

……遠赤外線セラミックスは加熱すると数十倍の遠赤外線を輻射する、という性質がある。だから冷めにくい布団の中で温められたセラミックスは、効率よく遠赤外線を輻射するというわけだ。遠赤外線は光の一種だが、布団くらいなら通過してからだの各所を照射する。……これは面白い。そう思った私は、「遠赤外線ライト」を改造進化させて「遠赤外線輻射アンカ」を作った。略して「遠赤アンカ」である。布団にもぐりこみ、遠赤アンカをラッコのようにだっこする。食べ過ぎ飲みすぎの日には鳩尾に当てる。しばらく経つと、善意の温かさが胃腸を応援してくれる。徐々に気血が腹部に帰りはじめるのだろう。それとともに意識のレベルが落ちていく。昼間の仕事をひきずって毛羽立ち、とげとげしていた意識の角がとれ輪郭が丸くなって解けていく。腹筋が元気をとりもどしているのか、自ずから深く呼く呼吸が現われ、意識レベルがしだいに低下し、腹部と足先の温かいまどろみの状態が、言い知れぬ幸せ感をつれてくる。そうして、満ち足りた温かさの中で、がくっがくっと全身の力が抜け、眠りに落ちていく。とまぁ、おおげさに言えばこんなところである。……(樺島勝徳『プチうつ 禅セラピー』禅文化研究所、2009年、212~213頁)

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リサイクル・リユース「あげくだ」




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ヤフーオークションだとか、モバオクなど、ネット上で多くのオークションサイトがある。
かくいう私も、今までにネットオークションで物品の売買をした経験があり、恩恵をうけていることも確かである。
そんななか、ちょっと風変わりなのは、「あげくだ」というサイトだ。
これは、基本にリサイクル・リユースをうたっていて、つまり「不用品をあげます」、「余っているものください」という情報サイトなのだ。
このサイトを運営しているアイデアマン・ユニオンの仲尾社長と、以前から懇意にさせてもらっていた関係で、このサイトの存在は知っているのだが、今のところ、まだ「あげます」にも「ください」にも挑戦したことがない。
ただ、最近、自分には不要だが、欲しい人もいるんじゃないかなぁ、でも売るほどのものでもないがなぁと思うようなものが、家の中に見つかったりすることがあって、ちょっとやってみようかなという気になってきているのだ。

あなたのもとにも、そういったものがあれば、ちょっとやってみてはいかがだろう。
誰でも無料で利用できることも魅力の一つだ。

ちなみに、このアイデアマン・ユニオン社と、現在、共同でデジタルアーカイブのプロジェクトを行なっている。この件についてはいずれまた。

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goo RSSリーダーのご紹介




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この記事をご覧の皆様は、さまざまなブログを購読されているかと思いますが、そのブログを購読するのにとても便利な「RSSリーダー」というアプリケーションをご存じでしょうか。

「RSSリーダー」とは、ブログサービスなどが配信するフィード(記事の概要)を講読するためのアプリケーションです。
このアプリケーションにお気に入りのブログを登録することで、新たに作成された記事を一覧で確認して購読するといった使い方ができます。

今回はgooが提供している「goo RSSリーダー(ウェブ版)」というサービスをご紹介します。

「goo RSSリーダー」にお気に入りのブログを登録すると、それぞれのブログの新たに作成された記事のタイトルが一覧で表示されます。記事のタイトルをクリックすると記事の内容が表示されます。

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忍性(にんしょう)の墓塔




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日本版マザー・テレサとも評される忍性の墓塔。奈良県大和郡山市にある額安寺の北の墓地にある。そこは通称鎌倉墓と呼ばれ、忍性の巨大な五輪塔を中心に鎌倉時代以降の五輪塔8基などが立ち並ぶ。
忍性の遺骨は遺言によって鎌倉の光明寺、奈良の竹林寺、そしてここ額安寺の三ケ所に分骨された。額安寺は忍性出家の地と考えられている寺である。
忍性の塔は3メートル近い高さを誇り、1982年に行われた調査の結果、内部から銘文を刻んだ忍性の骨蔵器が発見され、改めて忍性の墓塔と確認された。

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線香の煙




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『白隠禅師年譜』12歳の時(元禄九年:1696)に次のようにある。

一日、香を菅神の画真の前に点して、再拝稽首して謂(おも)えり、「我が願い虚しからずんば、香煙端直にして天に沖(あが)る象(かたち)を示したまえ」と。黙祷すること良(やや)久し。眼を開けば即ち一道の香煙、直(まっすぐ)に天を衝(つ)くを視るも、已(すで)にして風来たって飄乱(みだ)る。尚お魔障の免る可からざることを恐る。

12歳の岩次郎(白隠の幼名)は、地獄の恐ろしさに怯えたため、菅神(天神さま)を信じ、日々拝んでいたが、ある日、その画像の前に線香を立てて、我が願い(地獄から救われる)を叶えていただけるならば、線香の煙を真っ直ぐにあげてみせて欲しいと願った。おもむろに眼を開くと、最初にまっすぐに上がったかのように見えたが、風が吹いてたちまち乱れ、まだ地獄の恐怖から逃れられないことに気付いたのである。

つまり、線香の煙は、幼少の白隠にして、その立ち上り具合で何かの御利益を得られるのではないかと思わせるほどのものであったのだ。

ところが、最近は、この煙の立ち上らない線香があるのだが、ご存じだろうか。概ねラベンダーの香りなどで、普通の線香には無いような香りだけがして、煙はまったく立ち上らない。
ひょっとしてご自宅のお仏壇に立てているお線香は、まさしくそれだと仰る方もおられるかもしれない。
できれば、そのお線香は使わないで、いい香りのする天然のお線香を使うようにしていただけないだろうか。

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占い

占星術研究家の鏡リュウジさんは「占いは迷信」だと言う、「星の動きが人の人生を決めているわけがない。……星のサイクルで、この辺がこの人の転機だというのはだいたいわかる。でも何がどうくるかはわからないです」。

人生何が起こるかだれにもわからないなら、やはり自分の人生について、占い師さんのアドヴァイスに依存するのはあまり意味がないかもしれない。私など結構「感」の強いほうなので、人よりちょっと何か見えてしまったりすることもあるが、よーく考えれば、それがどうしたということだと思う。AとBの岐路に立ったとき、占いによってAを選んだとか、占い師の勧めで「……座」の人と付き合ったなどと挙げればきりがないほど、若い人も占いに左右されているようだが、占いでよい結果が出たと思ったら、依存度はますます高まるし、うまくゆかないと思ってしまったら恨みだけが残る。あげくの果てに、「生あるものはすべて死ぬ」という現象はいかんともしがたいなら、どう選んだところで、結局は五十歩百歩ではないかと思うのだ。

「占い師さんの言に従ったおかげで、300歳になる今も元気で働いている」というような人に出会えたら、「おっ、占いも結構いいかも」と思えるもしれないが、平均寿命までタラリと生きて、病を得て死んでいくというおそらくは人生最大の幸運は、占いなどとは無関係に、手に入る人には案外手に入るものではないか。

鏡さんは言う、「人は、完全なランダムには耐えられない。人生のすべての凹凸に、一つひとつ対処していたら身がもたないから。だから、ある種のパターンや物語を見いだして、人生を意味あるものとして生きようとする。そこに占いの本質があると思うんです」。

お釈迦さまは、「人は生まれて老いて病いを得て死ぬ」と言った。これは見事なパターンだし、これほど簡潔で嘘のない物語もない。究極の占いと言っていいかもしれない。私たちはみな多少の時間の長短はあっても、この物語を間違いなく展開できるという恵まれた命を生きている。それさえ確実なら、鏡さんの言うように、人生の凹凸を一つひとつ占ってもらっても、得るところは案外少ないかもしれないのだ。

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マウスジェスチャーでインターネットを操作するソフト




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今回は、マウスジェスチャーを可能にする「かざぐるマウス」というフリーソフトをご紹介します。
このソフトは私のお気に入りのひとつでもあり、一度使い慣れると手放せなくなる機能です。

マウスジェスチャーとは、マウスのボタンとカーソルの移動を組み合わせてアプリケーションの操作を行なう機能です。
例えば、インターネットで前のページに戻る際には、画面上部にあるメニューの「戻る」ボタンをクリックします。
この操作をマウスジェスチャーでは、マウスを右クリックしながら左に移動することで、前のページに戻ることができます。
言葉で説明しても分かりにくいので、実際にマウスジェスチャーでインターネットの「戻る」「進む」の操作を試してみましょう。

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日本語IMEについて -Google日本語入力出現-




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我々日本人が普通にパソコンを使う上で、切っても切り離せないのが日本語IME(アイエムイー)。簡単にいうと、日本語を入力するためのソフトである。
そもそも日本語のWindowsパソコンには純正の日本語IMEが付属している。それがMS-IME(エムエス-アイエムイー)というものだ。
ワープロソフトの「一太郎」を使っている方は、およそ、ATOK(エイトック)という日本語IMEを使っておられることだろう。これは「一太郎」を制作販売しているジャストシステムの作った日本語IMEである。
そして今や、Windowsの日本語IMEといえば、MS-IMEとATOKが主流となってしまった。

実は私を含め、禅文化研究所の職員の中には、これ以外の日本語IMEを使っているものが少なくない。それは、VJE-Delta(ヴィジェーイーデルタ)という日本語IMEなのである。パソコン歴の長い方はご存じの方も多かろう。
VJEは、バックスという会社が制作販売していた日本語IMEなのであるが、数年前に本製品の開発とサポートを終了してしまったので、今はもう販売されていないしアップデートもないという代物だ。

では、なぜ、まだこんなものを使っているのかというと、20年以上にわたって使ってきた辞書の蓄積があるのが一つと、他の日本語IMEではできない唯一の機能があるからなのである。

MS-IMEにしてもATOKにしても、それぞれキーボードのキーの機能の割り当てが違う。そもそも、日本語キーボードには、[変換][無変換]のキーがあるのにもかかわらず、ATOK等ではスペースキーで漢字変換するのが、とても違和感があるのだが。
しかし、オプション機能を使えば、例えばMS-IMEなのにVJE風のキー割り当てに変えたり、ATOKなのにVJE風のキー割り当てに変えたりすることもできる。

ところが、どちらのIMEもVJE風にはなるが、私がこだわっているキー割り当てができないのだ。
VJEを使ったことがない人にはわからないことなので説明しにくいのだが、直前に変換確定した文字列を、例えば、改行を打った後に[無変換]キーを押すだけでもう一度自動入力できるのだ。これは慣れると、いたって便利な機能なのに、VJE以外のIMEでは採用されていない。
これが、他のIMEに移れない理由の大きな理由だ。

そんな中、つい先頃、主に検索サイトとして有名なGoogleから、日本語IME「Google日本語入力」が無償配布されはじめた。

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IEのお気に入りを並び順も含めて保存・復元するソフト




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インターネットを楽しむ上で大活躍する「お気に入り」の機能。気に入ったページを「お気に入り」に登録、再度見たい時には「お気に入り」から選べるのでとても便利です。よく見る「お気に入り」をリストの上側へ移動し、使い勝手の良い並び順に変更されている方も多いかと思います。

そして、新しいパソコンを購入した際には、大切な「お気に入り」データも移行したいものです。

「お気に入り」データの移行方法については、一般的に Internet Explorer のインポート・エクスポート機能を利用するのですが、この方法では「お気に入り」の並び順が復元されずに、無茶苦茶な並び順になってしまいます。

そこで、今回ご紹介する『IEお気に入り保存・復元』というフリーソフトを使用すれば、大切な「お気に入り」データを並び順まで含めて移行することができます。

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銀杏の絨毯




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自坊の隣には神社があり、その神社の境内に植えられた銀杏の木が、毎年、この時期になると黄金色に色づいて美しい。
ただ、その落ち葉の大半は、自坊の参道に落ちてくるので、掃除が大変ではあるのだけれど。
普通の落葉樹の葉のようにからからに乾かず、じっとりと水を含んだ葉は、掃き集めるのも大変だし、集めた葉っぱを運ぶのも大変ではある。
だが、銀杏の木は水を多く含んでいるので、寺や神社の境内には、火事の時に水を噴くというような意味合いも兼ねてか、よく植えられるのだ。

ご存じのことと思うが、銀杏の木には雌雄があるらしく、雌雄が揃っていないとあの美味しいギンナンの実はできないらしい。
ギンナンの実は、木から落ちると強烈な匂いを発する。御堂筋に行くと、街路樹の銀杏に雌雄揃っているらしく、道路にギンナンの実が落ちて、それを車が踏み潰して散乱し、その強烈な匂いに圧倒される。雌雄の違いは、葉っぱの形によるという説もあるらしいが、科学的根拠はないようで、どうもはっきりしないらしい。これも不思議なことだと思う。

それにしてもギンナンは、なんであんな臭い匂いがするのだろうと思って調べてみた。
すると、落ちたあとに野生動物達に食べられてしまって、銀杏の子孫を残せなくならないように、動物が口にしたくないような匂いを発しているという説が有力らしい。ものすごい自然の摂理だ。
ギンナンは銀杏から落ちる実だけに、「胃腸」つながりだというふざけたことを書いているWEBも見えたが……。

あまりにも綺麗に銀杏の葉が落ちているので、愛犬を登場させてみた。まるで、銀杏の絨毯の上にいるようだった。

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嘉陽門院の墓




嘉陽門院の墓

研究所の近く、旧竜翔寺跡にある後鳥羽天皇皇女礼子内親王(嘉陽門院・かようもんいん)の墓。宮内庁管理の兆域内に遐かに石造五輪塔が拝される。

嘉陽門院礼子内親王は後鳥羽天皇の第三皇女、賀茂斎院に卜定されるが、礼子内親王を最後として賀茂斎院は廃絶した。父帝配流後も京に残ったらしい。文永十年八月二日崩、寿七十三。

竜翔寺は嘉陽門院の崩御より後、後宇多天皇によって南浦紹明(大応国師)寂後に国師を開山として建立。室町時代は十刹の第十位ともなっている。

女王の墓がこの地にある由来はよく分からないが、『雍州府志』にはすでに記載があるので、当時より何らかの記録や伝承が存在したのであろう。

近くには後宇多天皇御髪塔および大応国師普光塔の覆屋もある。

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無料ウイルス対策ソフトのご紹介




無料ウイルス対策ソフト

コンピューターに悪影響を及ぼすウイルスについて一度は耳にされていると思いますが、現在お使いのパソコンにウイルス対策はされていますか?

ウイルスと言っても、いたずら程度のものから大切なデータを破壊してしまうもの、あるいは悪意を持った人に大切なデータを盗まれてしまうものなど様々です。

そういったトラブルに遭わないためには、ウイルス対策ソフトをインストールするのが最も効果的です。

2009年9月30日、マイクロソフトより無料のウイルス対策ソフト「Microsoft Security Essentials」が公開されました。このソフトをインストールすることで、ウイルス対策とスパイウェア対策ができます。

Microsoft Security Essentials


今までにも無料のウイルス対策ソフトはありましたが、聞き慣れないメーカーのソフトを使うのは不安があります。しかし、マイクロソフトのウイルス対策ソフトでしたら安心して使えるのではないでしょうか。

それでは、有料と無料のウイルス対策ソフトではいったい何が違うのでしょうか?

無料ウイルス対策ソフトの機能(ウイルス対策やスパイウェア対策)に加え、有料ウイルス対策ソフトでしたら、個人情報漏洩対策やフィッシング詐欺対策などの様々な機能が盛り込まれています。またトラブル時など困った際には電話サポート対応も受けられますのでより安心です。

現在使用されているパソコンにウイルス対策ソフトがインストールされていない、あるいはインストールはされているが更新期限が切れている場合は、有料無料を問わず、最新のウイルス対策ソフトをインストールされることをお勧めします。

【第8回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅 参加者募集中!】

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「畜類償債譚」

延興寺の僧恵勝は、生前に寺の浴室で湯を沸かすための薪一束を無断で他人に与え、そのまま死んだ。その後、寺の雌牛が一頭の仔牛を生んだ。やがて成長した仔牛は、薪を満載した荷車を引いて休むことなく働かされた。

ある日、見かけない僧侶が寺の門の所に立っていた。いつものように荷車を引いて門を入っていく牛を眺めて、「恵勝法師は、涅槃経はうまく読めたが、荷車はうまく引くことができない」と言った。牛はそれを聞いて涙を流して嘆息し、そのまま倒れて死んでしまった 。
牛を連れていた人は「お前は、牛を呪い殺したな」と責めたて、その僧侶を朝廷に訴えた。朝廷はその僧侶を呼び出して取り調べるが、その姿は貴く美しく、ただ者には見えない。そこで朝廷はその僧侶を浄室に控えさせ、三人の絵師に似顔絵を描かせた。すると絵師が書いた似顔絵はみな観音菩薩の姿であった。気づくとその僧侶は忽然と消えていた。(『日本霊異記』上巻)

生前になんらかの形で罪を犯した人物が死後家畜に生まれ変わり労働して償うという形式の説話を「畜類償債譚」などと称し、中国の『太平広記』や『冥報記』に多く見える。南泉普願の「山下に一頭の水迚ッ牛と作り去らん」の語も、ただこれらの説話を前提とするというばかりでなく、この生々しくも恐ろしい罪悪と業報の話によって担保さえされているようにも思われる。

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水が飲みたければ... -『栂尾明恵上人伝記』より-



栂尾の新緑

『栂尾明恵上人伝記』によれば、明恵上人の周囲では、たびたび不思議な出来事が起こったらしい。

ある時、上人が行法をしていた最中、侍者を呼んで言った。「手水鉢の中に虫が落ちたようだ。取り上げて逃がして来なさい」。行ってみると、蜂が落ちて溺れていたので、急いで取り上げて逃がした。またある時、坐禅の最中に侍者を呼んで次のようにおっしゃった。「後ろの竹原で小鳥が何かに襲われているようだ。行って取り離して来なさい」。急いで行ってみると、雀が小鷹に襲われていたので、追い払った。こんなことがしばしばあった。
ある日の夜更け、上人は炉辺に坐していらっしゃったが、突然、「ああ、大変だ。早く見つけないと食べられてしまう。火をともして早く追い払って来なさい」とおっしゃるので、前にいた僧が「何事ですか」と申し上げると、「湯屋の軒下の雀の巣に蛇が入った」と言われる。外は闇夜で妙なことだとは思ったが、とりあえず急ぎロウソクを灯して行ってみると、大蛇が巣にまとわりついて雀の雛を飲みかけていたので、追い払った。
こんな闇夜に、しかも遠く隔たった所の物さえ見ることができるのだから、まして我らが陰で良くない振舞いをするのを、どんなにか怪しからんとご覧になっていることだろうと、弟子衆や同宿の者も、後ろ姿までも恥じ恐れて、真っ暗な部屋の中でさえも、気ままには振舞わなかった。
こんな事があったので、侍者の僧が「上人は仏菩薩の化身だと、陰で人々は申しております」と申し上げたところ、上人ははらはらと涙を落して、次のようにおっしゃった。
「ああ、愚か者どもの言い草だ。だから、わたしのように禅定を好み、仏の教えの通り修行してみなさい。いますぐ、お前たちにもそのような事があるだろうよ。わたしはそのようになろうなどとは全く思ってはいないけれども、教えの通りに修行して長年になるので、知らぬ間に自然と身についたのだ。これは大したことではない。お前たちが水が欲しければ水を汲んで飲み、火に当たりたければ火のそばへ寄るのと同じことだ」

「大神通」を体得した人にとって、「小神通」など造作もないことだということがわかる。

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名越の祓え 茅の輪くぐり

護王神社_京都市上京区

6月30日。
我が家の氏神さんである護王神社へ、茅の輪くぐりに行って来ました(昨年はこちら)。
この日はあいにくの大雨でしたが、なんとなく、半年の間に積もりに積もった罪穢れを祓い清めない事には、これからやってくる厳しい夏の暑さを乗り切り、一年の後半を無事に過ごせないような気がするのです。
こういった節目の日に、自分を顧みて、無事生かされている事を感謝し、残りの半年も息災でいられるよう神仏にご加護をお願いすると、生まれ変わったような新たな柔らかい気持ちになれます。

名越の祓え 茅の輪くぐりの続きを読む

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「打ちさまし、打ちさまし」 -『栂尾明恵上人伝記』-




栂尾 高山寺

『栂尾明恵上人伝記』に次のような一節がある(現代仮名遣いに改めた)。

上人常に語り給いしは、「幼少の時より、貴き僧に成らん事を恋願いしかば、一生不犯にて清浄ならんことを思いき。然るに、いかなる魔の託すにか有りけん、度々に既に婬事を犯さんとする便り有りしに、不思議の妨げありて、打ちさまし打ちさましして、ついに志を遂げざりき」と云々。

権化の人と言われ、一生不犯を誓った明恵上人にも、あわや淫事を犯してしまいそうになるような誘惑があったらしい。しかし、その度ごとに不思議な邪魔が入って、ついに今まで誓いを破ることはなかったのだという。

ましてやわれわれ凡夫は、ついつい精進努力を怠り、煩悩の業を優先してしまいがちである。そのようなときこそ、最初の決意を思い出し、安逸に流れる自らの心を「打ちさまし、打ちさまし」して前に進んで行かなければならない。そのような人には、神仏の不思議な冥助もきっとあるにちがない。

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拓本

拓本は石碑の文字や青銅器の装飾、土器の文様などを写し取るためのたいへん重宝な技法だ。文字や文様を正確に写し取ることが出来るだけではなく、拓本自体の白黒のコントラストの美が好まれて鑑賞の対象にもされる。

日本での拓本についての最古の記録とされるものは、鎌倉時代の『元亨釈書』義空伝に見える。義空は平安初期に中国から渡来した禅僧である。虎関師錬は『元亨釈書』に義空の伝を収録するに当たり、史料とするために彼の功績を書き記した石碑の写しを探した。八方手を尽くして探したが誰も持ってはいない。そこで東寺にあるという石碑の現物を見に出掛けた。

ところが当の石碑は破片が四つ残るのみであった。その昔、羅城門が倒壊した時に下敷きとなり砕けてしまったという。師錬は自分でそれらの拓本を取り、自房に帰って上にしたり下にしたり、あれこれ並べ換えて解読を試みたという。彼は「中国には古い物に関心を持って史料を収集した立派な人物がいたが、残念ながら日本にはそういう人はいなかった。義空の碑の全文を読めないのは惜しいことだ」と嘆いている。

現在でも、現物はとうの昔に戦乱や火災などで失われてしまったが、辛うじて拓本だけが残っていて内容を知ることが出来るという金石文は多い。拓本は筆写よりも正確で現物に準じて扱われる。しかし世の中には偽造されたと思われる拓本も相当数あるので、使用するときには注意が必要だろう。

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霜を知らない子供達へ -田舎の禅寺の朝-

霜の降りた朝

もう立春を過ぎた。つまり暦の上では春なのだ。
ただ、朝夕はまだまだ冷え込む日もあり、文字通り三寒四温といったところか。

そんななか、先日も、自坊の裏の田畑は、まっしろに朝霜で覆われた。
朝霜に覆われた田んぼにカメラを向けていると、翼の黒白茶色のコントラストがはっきりした鳥が飛び立った。チドリ科の鳧(ケリ)という鳥らしい。田地や河原に住む気の強い鳥らしいが、飛んでいる色が美しい。

こんな田舎で生まれ育った私は当たり前のような景色だが、都会に育った子供たちは、「霜」が何なのかを知らないらしい。特に昨今叫ばれている暖冬のせいか、霜の降りる朝というのが少なくなってきているようだし、街のアスファルトの中では霜を踏むこともままならない。
文学作品中に、寒くいてつくような冬の「朝霜」の事が書かれていても、その情景が思い浮かばないのはなんとも悲しい。
霜柱を踏む、あの「サクッ」とした感覚を味わったこともないのだろう。

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セイタカアワダチソウ -青木新門『納棺夫日記』より-

セイタカアワダチソウ

「ススキが全滅しそうで、セイタカアワダチソウは好きじゃない!」と長い間思っていたのだが、何年か前、こんな文章に出会った。


「こちらへ来る途中見かけたのですが、セイタカアワダチソウ、すごいですね?」
「ああ、あの草ね」
「日本中、まっ黄色になるのじゃないですか?」
「いや、大丈夫ですよ」
「えっ、どうしてですか?」
「繁殖すると自分で出す分泌物で自家中毒を起こして自滅してしまう。一つ所に永く定着できない可哀相な植物なのです」
                          青木新門『納棺夫日記』より

それ以来、ススキに混じってセイタカアワダチソウが群生しているのを見ると、お友達というか、ちょっと知り合いに会ったみたいな気分になる。
上記の会話は、青木新門さんが、『納棺夫日記』で地方の出版文化功労賞を受けたとき、同じく農業に関する著作で受賞したある大学教授とのやり取りである。青木新門さんというのは、死体をお棺に入れる仕事をしていた人で、『納棺夫日記』を読んだときには隣りに座ってじっくり肉声を聞いたような不思議な気分だった。ちょっとした地主の息子さんだったのが、文学に走って(?!)身を持ち崩し、死体処理という凄まじい仕事をして、突き抜けられたのだと思う。「『仏は不可思議光如来なり、如来は光なり』と断言する親鸞は明解であった」とも書いておられる。
                           
「おくりびと」という納棺夫を描いた邦画が、米国アカデミー賞「最優秀外国語映画賞」にノミネートされたので、『納棺夫日記』のことを思い出し、それからセイタカアワダチソウのことを思ったのだった。

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ニトクリス

ヘロドトスは「歴史の父」と言われる古代ギリシアの歴史家であるが、その著書『歴史』の中に、アッシリアの女王ニトクリスについての記述がある。首都バビロンに堤防を築くなど、彼女の行なった様々な功績を記した後、ヘロドトスは次のような逸話を伝えている。

この同じ女王は、次のようないたずらを考え出した人でもあった。彼女は町で最も人通りの多い門の上に自分の墓を作らせたのである。墓は正に門の上に懸っているのであるが、この墓に次のような文句を彫り込ませた。「われより後バビロンに王たる者にして、金子に窮する者あらば、この墓を開き欲するままに金子を取れ。然れども窮することなくしてみだりに開くべからず。凶事あるべし。」

この墓はダレイオスの支配になるまでは手を触れられなかった。ダレイオスはこの門を使用できぬことも、財宝が納まっていて、しかも開けよという文句まであるのに、その財宝を取らぬことも、いまいましいことだと考えた。彼がこの門を使用しなかったのは、この門を通れば、死骸がちょうど頭の上に来ることを嫌ったからである。さて墓を開けてみると、財宝はなく、あったのは死骸と次の文句とだけであった。

「汝にして貪欲飽くことなく、利を追うて恥を知らざる輩ならざりせば、死人の棺を開くことなかりしものを」
この女王はこのような人物であったと伝承は語るのである。
(『歴史』第1巻187節。岩波文庫版の上巻140頁)
 
ところで、同じ『歴史』のなかで、ヘロドトスはもう一人の女王ニトクリスを伝えている。こちらはエジプト女王であるという。

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山本玄峰老師のこと

般若窟・山本玄峰老師
昭和に名だたる名禅僧の一人に、般若窟・山本玄峰老師がおられる。 私が在錫した静岡県三島市の龍澤寺の住職として、私が生まれる前年に遷化された老師は、大本山妙心寺の管長も勤められ、さらには太平洋戦争の終結時、あの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……」の文言を進言され、象徴天皇制の発案をされたり、当時の鈴木貫太郎首相の相談役でもあったという傑僧である。 私が参じた宗忠老師からは二代前の先師ということになる。

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貴重な遺産 -掛軸の太巻-

太巻

今月はお正月ということで、年頭にあたり、大切な掛軸などを出されたところもあったのではないでしょうか。その中には、「出してみたはいいけれど、本紙部分にこれまでなかった横皺や波打ち、または折れがでてきた」ということがあったかも知れません。

人は健康を維持するために色々と工夫をしています。それと同じように、古物にも少しでも健康でいてもらうために、何かできることはないでしょうか。

例えば、今回の掛軸などの軸物の場合でしたら、細く巻かれていた方が格好が良いのですが、細く巻くとどうしても本紙に負荷がかかってしまいます。上記の症状は、このことに起因することが多いようです。ですから、それらを軽減させるためには、保存時に太く巻いておくことが必要かと思われます。特に、この方法は本紙部分が硬くなったものや厚塗りの日本画などに効果があるようです。

太く巻くには、太巻(正式名称があるのでしょうか?)という専用の道具を用います。この道具は、桐で誂えるのが一般的なようです。確かに昔ながらの桐材は保存の面においても優秀で、やはりこれに勝るものはないでしょう。ただし、最近の桐材は品質に問題のあるものも存在するとのことですので、気をつけなければならないようです。また、誂えるとなると、数にもよりますが、とても高額になりますので、やらなければならないと分かってはいても、なかなか手を出しにくいことも確かです。

しかし、これらの古物は、かけがえのない貴重な遺産です。お寺をはじめ、保有されている方は、現在から未来にかけて、それらの古物の持つ色々な情報というものを、必要とする方々に対して提供できることが必要かと思われます。

大切な遺産を少しでも損傷などから守るために、各所蔵者自身が考えていくことが大切だと思われますが、いかがでしょうか。

※ ここでの紹介は、あくまでも筆者の個人的な考えです。実際に適用される際には、専門家等にご相談なさるか、それぞれの環境や条件にあわせて熟考した後、自己責任でお願いします。

東京国立博物館 『妙心寺展』 好評開催中!坐禅会、法話などのイベントもあります!
妙心寺展

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青岸渡寺でみつけた硯

「那智黒」と言えば、まず思いつくのは、「那智黒飴」かもしれない。もちろん、もともとは那智でとれる上質の黒石を擬して作った飴玉なのであるが、この那智黒石は上等の囲碁石として有名である。
そしてもう一つ、事前に詳しく知っていたわけではないのだが、この那智黒石の硯も天下無二のものらしい。

青岸渡寺の山門に向けて登る途中、参道にある一軒の硯店に立ち寄った。「山口光峯堂」という。表の看板には「皇室献上」の文字が。また「癒しの墨摺りを是非体験してください」というような文言も。

この参道には何軒もの硯販売店があるのだが、店主らしき人が他のお客さんに話している言葉遣いが優しくて、「硯は絶対に試し摺りしてから買いましょうね」と言われる言葉に、店の中に引き込まれた。
店の中には、沢山の硯が大小とりまぜて並んでいる。
同じようなサイズの硯でも何千円も違いがあるなぁと思っていたら、先ほどの店主(二代目 山口光峯さん)が説明してくださった。

「安い方は、天然石ではあるけれども、大きな石から切り出した物を硯にしたものです。そして高い方は、まれにしか採れない"玉石"」から作ったものです」と。玉石の方(「曼荼羅の径」という硯)の中で、自分に足りそうな比較的小さいものを手にとってみたところ、ずしりと重く、またただ丸いだけで飾りはないがその表面の美しさに心が動いた。そして、是非試し刷りをと仰るので、摺ってみたところ……。
目から鱗が落ちるとはこのことだろうか。今までの硯は何だったんだろうと思うほど滑らかなのだ。墨を摺る時、なんとなくザラザラ感があって、これで墨が摺れているんだという感覚を持っていたが、それは全くの誤りだったわけである。とても滑らかに、ぬるぬる摺っていくという感覚だった。

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戦国の気風

中国の戦国時代、燕の太子丹は、自分を冷遇した秦王の政(後の始皇帝)に復讐しようと協力者を探した。田光先生という人物の評判を聞いた太子は彼を丁重に迎えて協力を懇願した。田光は言った「私はすでに年老いてご要望には添いかねます。しかし、私の親しくしております荊軻という者がお役に立つかと存じます」。太子は言った。「それではお引き合わせの程、よろしくお願い申し上げます」。
 田光の帰り際、太子は言った。「先生、この事はくれぐれも他言無用に願います」。田光は微笑して言った。「承知つかまつりました」。
かくて田光は事を荊軻に託すると、みずから首を刎ねて命を断った。

『史記』の「刺客列伝」中の有名な一場面である。田光は秘密を漏らさないという約束の証しを立て、かつ荊軻を鼓舞するために自ら命を絶った。その荊軻も田光からの推薦を受諾した時点で死を覚悟していたはずである。荊軻は刺客として秦王政のもとに赴くが、目的を果たされず死ぬ。その後も荊軻の友の高漸離という人物が始皇暗殺をはかって殺される。

この話を読んで圧倒的に迫ってくるものは、彼らにおける人間どうしの結びつきの異様なまでの強さである。国も時代も異なる我々には想像もつかないすさまじいメンタリティーである。戦国時代という乱世がそうさせたのであろうか。同じ「刺客列伝」には、次のような当時のことわざが記されている。

士は己を知る者のために死し、女は己を説(よろこ)ぶ者のために容(かたちづく)る

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庭の松 その2 -天龍寺-

天龍寺の松
天龍寺の松の剪定

日本三景は全て松である。
仙台の松島、天の橋立も松と砂浜、安芸の宮島も松である。
日本人にとって目出度い松・竹・梅においても、これまた松が一番だ。

昔、松は人々の生活に必要なエネルギー供給源であった。
電気のない時代、松脂は明かりを灯すのに使い、また、太平洋戦争では松脂を精製して飛行機も飛ばした。
また、松茸は秋の味覚の王様だ。江戸時代の天龍寺供養帳(日単)には、年中行事として所司代や奉行所へ進物とした……と記録されている。

その昔、嵐山は殺生禁断の地であり、立木の伐採はもちろんのこと、石や木の根を掘ることを禁じた札が立ち、下草刈りにも許可が必要とされた。
松の立木枯れや風雪で倒れた時は必ずその数を調べ、記録し、売却の入札についても落札者とその値を記録し、管理された。それほどに松は昔から大切にされた。

戦後のエネルギー革命により、松は庭の観賞用と化し、なかなかに手のかかる「金喰い虫」となっているが、人々の心の癒しとなっていることは確かだ。
金に勝るものが、松の美かもしれない。

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弥勒仏はお酒を飲んだ? 実は布袋さんだった!

萬福寺 布袋さん
萬福寺の布袋さん -臨黄ネット-
より

日本の語録の訓注の仕事を続けていると、おもしろい説話に出くわすことが多い。これもその一つである。
「渠(かれ)は是れ真の弥勒、酒は元と米汁より成る。人に飲ましめて共に快楽、一酔、無生を悟る」。
これが、現在訓注している、愚堂東寔(ぐどうとうしょく)禅師の偈。しかも、婦人にあたえた引導の法語である。さて、この偈に注を付すのが、小生の仕事である。余程、中国文学に精通していないと、この偈の意味と典拠は分からないと思う。小生も、一読で分かるわけではない。いろいろな作業を踏んで調べて行くのである。

まず、「弥勒」と「米汁」とをキーワードに、パソコンのデータを駆使して検索する。すると、運敞(うんしょう)の『谷響集(こっこうしゅう)』巻3に、「弥勒仏好飲米汁」という項目があることが分かった。『谷響集』本文のデータはないので、すぐに、和本を見る。あった、あった。

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松平の郷

松平の郷

室町時代、三河国のある山里での話。

土地の領主松平太郎佐衛門尉は、慈悲深い性格で信仰心に厚く、村人から慕われていた。
雨の続いたある日、無聊をなぐさめるために太郎左衛門尉は連歌の会を開いた。ところが、書き手をする者がいない。
その時、どこから現われたか旅人が少し離れたところから見物していた。太郎左衛門尉は声をかけて書き手を頼む。するとなかなかの手で句も見事である。太郎左衛門尉はしばらくの逗留をすすめ、先祖を尋ねる。旅人は答える。
「我々時宗の僧侶と申すは、東西を流れ歩く者で、お恥ずかしいばかりです」
やがて太郎左衛門はこの旅人を婿に取り、松平の家を継がせた。これが松平親氏である。親氏から八代目の子孫が徳川家康である。

徳川家の公式見解では、その先祖は清和源氏新田氏の流れを汲むということになっている。ところが、松平郷に古くから伝わる『松平氏由緒書』には、そのような先祖を飾る記述はない。もっと素朴な、牧歌的ともいえる一族の発祥譚が記されている。

愛知県豊田市の松平郷は足助川の谷筋の国道301号線から、さらに脇に入った沢筋の土地である。その山間部のわずかな平地に、周囲を濠で囲まれた松平東照宮がある。太郎左衛門家の屋敷跡である。谷の奧には松平親氏の墓などがある浄土宗高月院がある。

このようなひなびた山里から全国を制覇した徳川家が出た。それが遽かには信じられないほど、松平の郷は静かであった。

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神竜院梵舜(ぼんしゅん)

末社の一つ神竜社 この下に兼倶は眠る

神竜院梵舜と聞いてすぐにピンとくるなら、その人はかなり歴史に詳しい。京都大学の東、神楽岡に鎮座する吉田神社の社家に生まれ、家に伝わる唯一神道を大いに鼓吹した僧侶である。

徳川家康は死後、神となった。彼をいかなる方式で祭るかについて、天台宗にもとづく山王一実神道を主張した南光坊天海と、唯一宗源神道を主張した梵舜が対立した。いったんは唯一神道によって久能山に葬られたが、後に巻き返しがあり、山王神道の形式で日光に改葬されることになった。東照大権現の権現とは山王神道による神号である。唯一神道では明神となる。

唯一神道は吉田兼倶(かねとも)によって大成された神道で、仏教・道教・陰陽道など、様々な教えの要素を取り入れている。その宗教的な魅力によって応仁の乱後の混沌とした時代に多くの賛同者を獲得し、江戸時代には神道の家元として全国の神社に神階や神主の免状を出す権利を有するまでになった。

兼倶は横川景三や景徐周麟などとも交流があり、彼の神書講義には多くの禅僧が連なった。逆に吉田神道の教理にも禅の影響がみられる。兼倶は社の側に南禅寺に属する神竜院を建立し、息子の九江妙亀を住職とした。梵舜も神竜院の住職であった。吉田神道と禅宗との関係はもっと注目されてよい。
 
神楽岡の麓にあった広大な吉田子爵の邸宅も、戦後人手に渡って住宅地へと変貌した。そのそばに忘れ去られたかのように吉田家代々の墓石がある。その中の一つが梵舜の墓と伝えられる。

■末社の一つ神竜社。この下に兼倶は眠る。

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焼香に思う

昨今、うちのような田舎寺の檀家さんのお葬式でも、時折、葬祭ホールで行なわれることがある。
私は、故人に感謝報恩の意を表わすならば、できる限り自宅でのお葬式を勧めているのであるが、今はそれはおいておこう。

導師は葬儀の際に数度、自分の目前にある香炉に香をくべる。
私は自分の懐から持参した香合を取り出して、手持ちの沈香の1片をくべる。先日の「禅と文化の旅」で教えていただいたような香道の作法とはことなり、沈香を香炭に直接のせるので、一気に煙が立ち上ぼる。香道の人が見たら、なんと勿体ない……ということにあいなろうが、それはまたさておき。

葬儀が始まって、中盤に引導が終わると、参列者の焼香が始まる。ほとんど参列者はこの葬儀社の用意した抹香を香炉に押し頂いてくべる。長い列ができているのに、どこで習った作法か、3度も押し頂いてくべている人もいるようだ。
しかし、言っちゃ悪いが、この抹香、どんな成分が含まれているのだろうと思うことがある。この煙に咳き込むのである。
私は以前に喉の手術してから、煙に対してかなり神経質になっている。嫌な煙を吸い込むと、なにしろ咳き込んだり声が出なくなったりするのである。しかし、不思議なもので、きちんと作られたと思われる昔ながらの抹香には咳き込まず、葬祭ホールの抹香には咳き込み、葬儀の後に葬儀社が当家にくださる煙の出ないお線香にもテキメンに咳き込む。

もしこのブログを読んでおられる葬儀社関係の方がおられたら是非お願いしたい。コストの問題もあるのだろうが、こちらも声が出なくなったら仕事にならない職業なのである。どうか、できるだけいいお香を使って欲しい。喉をつぶされちゃタマラナイのです。

さて、一年に一度程度は参列者になりうるあなたにもお勧めしたいことがある。
葬儀などで焼香する時には、本来、ご自分のお香を持参すべきなのです。自分のお香を持参して献じるのが本当なのです。葬祭ホールが用意したお香で焼香するのは、借り物を献じているのであって、本当の意味ではない。

どこかのお寺の法要で、管長様や老師様が焼香をされるのをみたことがないだろうか。老師について、侍香(じこう)という役目の修行僧が手持ちの香合を差し出し、老師はその中から沈香をつかみ取って、真前にお香を献じられる様子を。あのお香は老師自らがお持ちになったものである。

焼香の列に並びながらポケットから香合をさっと取り出し、一つつまんで、気持ちを込めて香合にくべて、合掌一礼。

それから、そのあと葬儀社が配るお手拭きタオルなど受け取ってはなりませぬ。それなら事前にきちんと手を清めておく方が大切なのです。焼香で手が汚れるなどということはないわけですから。

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普通の水

四国 石鎚山

ミネラルウオーターを飲んだ。
いろいろとミネラルが添加された「おいしい水」なのだそうである。
その水を見ながら考えた。この水と同じぐらいのミネラル分を有する天然水というのは、どこに行けば飲めるのだろうか。

そして、いろいろと水の綺麗そうな場所を思い浮かべ、おいしく水を飲みおわり、さて使ったコップを洗おうと蛇口をひねって、また考えた。いま飲んだ水と、このコップを洗おうとしている水と、どこがどのように違っているのか。

また、そういう時にかぎって、たまたまペットボトルの水を買っていた。ちなみに、ラベルによると某外国から輸入されているものらしい。

残り少なくなったペットボトルをながめながら、ミネラルウオーターが出てきた時には、「お金を出して水を買うなんて」とおもっていたことや、「水の臭い」と信じていたものの正体が実は「塩素」だったことなどを思い出した。しかも、このペットボトルに入っている水は外国から輸入されたものである。資源開発につながる地球規模の環境破壊にはじまり、天然資源の切り売りによって獲得される保有国の利益、そもそも水とは本来誰のものなのか、はたまた今日の研究成果の俎上にある人工的につくられた、さまざまな「おいしい水」が飲めることが本当に幸せなのか、などなど、そんな思いが浮かんでは消えていく。

そんなことにさんざん時間を費やしたあげく、ふと思った。
いつでも、どこでも、ただで、普通の水が飲めたらいいのに。

でも、普通の水ってどんな水なのだろうか?

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夏越の大祓

茅の輪くぐり

昨日で今年も半分が過ぎ去りました。
人には、生きていると知らず知らずのうちに罪や穢れも積もるもの…と、年あらたまってから半年分の罪穢れを払い清め、残り半年も健やかに過ごせるよう願う日本古来の神事が、京都の多々ある神社で行なわれていました。上の写真のような茅の輪をくぐります。
いにしえの人々の意識には脱帽です。残りの半年を迎えるにあたって、知らずに積んだ罪業を払い清め、神仏のご加護を頂き、健やかに暮らしたいと願う気持ちがなんとも謙虚で美しく思えます。

私が茅の輪をぐぐろうとしていたところ、とある観光客の方が「半年の罪、穢れ?そんなものは私には無い。悪い事なんてしてない」と、茅の輪をくぐらずに隣を素通りされました…。個人の自由でしょうが、それにしましても、「そういうことではないでしょう…」と思うのです。
傲慢になりすぎた我々現代人は、昔の人のように、「おてんと様が見てはるから、悪いことはしたらあかん」、「罪作りをしては、自分に返ってくる」などという考えはだんだんと薄らいでいるのでしょうか。
いにしえからのしきたりや習わしには、人が和を保ちつつ暮らしていく、心身共に健やかにいられる為の智慧がつまっていると思います。
学校において宗教教育ができない現代においても、やはり大切なものは大切なもの…と、守り伝えて行かれるべきではないでしょうか。

さて、余談ですが、この夏越の大祓の日には、京都では「水無月」というお菓子を食べる事になっています。
これも、民間信仰や、宮中の行事に深く関わりがあるお菓子で、暑さを乗り切り、邪気を祓う為には欠かせないお菓子なのです。研究所ではあるお坊さんが毎年持ってきて下さり、職員皆で有り難くいただく事にしています。

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「女」の幸せ

ひつじ草


平安時代、女性は罪深いものとされ、救済への道を閉ざされていた。女身は「垢穢」であり、一たび男性になってから成仏できるという『法華経』の「変成男子」は有名である。

自身の仏道修行への道を閉ざされた平安貴族の女性たちにとっての代替措置の一つに、息子を僧侶にするというのがあった。立派な高僧となった息子を媒介として自身も救済に預かろうとしたのである。

だから、彼女たちは、大変な教育ママであった。その典型、恵心僧都源信の母は「賢母」として有名だ。『今昔物語集』などによると、次のような人物であった。

幼くしてやんごとなき学生となった源信は、大后の御八講に召されて賜り物を受けた。その一部を故郷大和の母のもとに送ったところ、母は

「…名僧にて花やかにあるきたまはむは、本意に違うことなり。」

と戒めた。母の誡励をありがたく受け取った源信は、比叡山を下ることなく修行に励んだ。

そして年月が過ぎ、源信のもとへ、母危篤との知らせが舞い込んだ。何とか親の死に目に間に合った源信の導きによって母は念仏を唱え、息子に見守られながら安らかに浄土へと旅立った。

このような「女」の願いは、自らが達成できなかった宗教的願望を、息子に投影し補償させているにすぎないとも言えよう。フェミニズムの立場からも、このような母親像は当然批判の対象とされている。

しかし、立派な高僧に成長した息子に臨終の引導を渡してもらい、その腕の中でやすらかに息を引き取る、そんな理想には、子を持つ「母」としての偽りのない喜びが隠されていることも否定できない事実ではなかろうか。

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どですかでん

映画監督の黒澤明氏が亡くなって十年になるという。

黒澤監督の初カラー作品「どですかでん」は評価が二分した。とくに日本での評価は非常に低かった。

私はこの作品が好きで、当時映画館で二度見た記憶がある。
「どてすかでん」というのは、自分を電車の機関士と信じる少年が、作中で発する電車の擬声語である。夢の島で撮影されたというこの作品に登場する町は、想像を絶するような掃き溜めであったが不思議に美しい印象が残っている。
各々に過去を背負って町に流れついた登場人物全員が作品の主人公である。零落してなお過去の栄光のみに生きる子持ち男、智恵遅れの少年と、やたら「南無妙法蓮華経」を唱えるその母親、妻の姦淫が原因で完全に自己に閉じこもったインテリ、正体不明のご隠居、荒くれ人夫たちや破天荒なその妻などなど。日本の極貧の町の縮図である。
ある日、荒くれ男が怒り狂って雨のなか刀を持ち出して振り回す。だれも怖くて近寄れない。住民のひとりである「ご隠居」が近づいて、何やら言う。男は刀を振り回すの止め、うなだれて家に帰る。しばらくあとに、別の住民が刀を引っ込めた理由を尋ねる。荒くれ男が答える、「あんとき、ご隠居がこう言ったんだ、〈お一人ではお疲れになるでしょうから、私が代わりましょう〉。おれは何も道路工事をやってたわけじゃねえんだよ」。
黒澤作品に一貫するのは深いヒューマニズムだが、どの作品にもどこかしらユーモアがある。

日本での酷評による黒澤監督の落胆は大きかったと聞く。綿密かつ大胆な映画作りで定評のあった巨匠はまた繊細な芸術家でもあったのだ。名高い「羅生門」も当初日本での評価は極めて低く、大映で制作に関わった重役たちは全員飛ばされたという。
しかし1951年にこの作品がヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞すると、国中が手のひらを返したように黒澤氏を大監督と呼ぶようになったのは周知のことである。

黒澤作品には、いずれも世界に通じる〈普遍的な映画の言語〉があると看破したのは映画評論家の淀川長治氏だが、大戦後、欧米一辺倒となってゆく風潮のなかで、それまでと変わることなくどっしりと腰を落ち着けて、極めて日本的な風土・人々を描き続けた監督が、世界の圧倒的な共感と賞賛を得たのは愉快で嬉しい。

1970年代の終わり、時にはあからさまな人種差別の眼差しに射られながらフランスで勉強していた私が、当時もっとも誇りとしたのは、黒澤明と同国人であるということだった。

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西小路通り

西小路通り

花園大学キャンパスの西側を南北に通る道が西小路通である。南から太子道までは広く快適な道だが、大学付近は依然として狭隘な道だ。もちろん一方通行である。

ずいぶん以前から拡幅計画があるようだが、最近はあらかた用地買収も完了したようで、丸太町通りとの交差点には信号機も設置された。
 
道路が拡幅されると自動車の通行もスムーズになり、歩行者も歩道を安心して通ることができる。しかし、そのぶん自動車の通行量は増える。歩行者の道路横断は難しくなり、両側の町は分断される。
 
そのような状況が各地でしばしば見られる。道路整備は重要だが、人々のつながりを壊さないような配慮が必要であろう。

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それにしても安くなった

harddisc.jpg

なんの話かというと、パソコンのことである。 約20年前に研究所に就職し、その頃にNECのパソコンが一斉風靡しだして以来、ずっとパソコンとおつき合いしている。 しかし、相変わらず、パソコンっていうのはブラックボックスでもある。便利さが増すにつれ、どんどん中身がわからなくなっていく。

先日も、個人的に関わっている公共施設のパソコンの調子が悪くなったので見て欲しいと頼まれ、出向いて調べてみたところ、ハードディスクが瀕死の状況。
しかし市のネットワークからは切り離しているパソコンなので、市は面倒をみてくれないのだという。
もちろん普通の職員には、どうしていいやらわからないのは、仕方がないことだ。
さすがお役所仕事だと思いつつ、自分が関わっていることもあり、修理をしてあげることになった。

ネットで適当な内臓用ハードディスクを見繕って購入し、後日、届いた連絡を受けた後に、新しいハードディスクに引っ越し処理。約一日かけたが、前と同じ状況に復旧することができた。
職場や個人で何度もやってきたことだから、時間さえあれば難しいことではないのだが、えらく感謝されてしまった次第である。

それにしてもパソコンは20年前から、はるかに高性能になった。しかしセットとしての価格は半額ぐらいになったといえる。最初に個人で買ったパソコンは40万円もしたが、5インチのフロッピードライブが2器もついた、そのくせハードディスクのないパソコンだった。当時、ハードディスクは40MBの容量でも約40万円したので、ハードディスク1台買うのにもかなりの覚悟が必要だった。1MBが1万円という感覚でいたのを覚えている。
しかし、今のパソコンには250GBというような容量の内臓ハードディスクはあたりまえのように搭載されている。そのくせ10万円も出せば、そこそこのパソコンが買えるではないか。
そこでちょっと計算してみた。250GB=250000MBであるから、当時の計算でいくと、この250GBのハードディスクは25億円相当になってしまう。しかし現在の実売価格は1万円もしない。おそるべき低価格化、技術進歩なのである。

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「ZEN」車両

-静けさ-を思わせるもの

先日の朝日新聞にて、フランスの新幹線TGVの一部車両には、「ZEN」と名付けられた車両がある事を知った。もちろん禅宗の「禅」からきており、坐禅を組んだり瞑想したりする時の静寂さをイメージしての命名だそうな。
「うまく考えるもんだなぁ・・・日本みたいに単なるサイレント車両という呼び方ではなく、なんだかおしゃれなイメージじゃないか」と思った瞬間、「いや、禅をこういった一種のスタイルとして取られるだなんてなんだかなぁ・・・」と苦々しく思ったり、胸中複雑だ。

調べてみると、この車両では、12歳未満の子供もお断りで、会話も慎まなくてはならないようだ。
反対に、携帯も会話もゲームも自由、まるで何でもオッケーかのような車両もあり、こちらも予約できるそうだ。

日本の新幹線にもサイレント車両はあるわけだし、試み自体が目新しい物とも思えないが、この「ZEN」車両というネーミングに過剰反応してしまった私である。

ちなみに、以前の記事、ZENスタイルについても是非ご高覧いただきたい。
本日掲載の写真も、欧米人からみると、「禅的」なのだろうか。

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先祖代々の墓

蓮

お盆にお墓参りに行ってきた。新しい霊園には「翔」「夢」など、思い思いの文字が書かれた墓石もかなり増えてきたが、実家の墓地は村の共同墓地で、「先祖代々之墓」「〇〇家之墓」などと彫られた角柱形のものが主流である。

これらの墓は、彫ってある文字が示すとおり家の墓であって個人の墓ではない。日本は「イエ社会」だといわれるから、このような形態の墓が伝統だと思うのが普通であろう。

しかし、貴族や武士ならともかく、庶民までイエ制度が普及するのはそんなに古いことではない。だから「先祖代々之墓」と刻まれた墓石も、そんなに古いものではないそうだ。

墓石を詳細に調査した研究によると、現在見つかっている最古の先祖代々墓は寛政四年(1792)のものだそうである。広く庶民にまで先祖代々墓が一般化するのは20世紀に入ってからとのことという。(岩田重則『「お墓」の誕生』岩波文庫)

それ以前の墓石はどうであったかというと、位牌のように個人あるいは夫婦の戒名を刻んだ個人墓が普通であったらしい。古くさかのぼったほうが「個人主義」とはおもしろい。

石塔一つからでも、いろいろなことを読み取ることができるものである。

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女というのは・・・

久しぶりに楽しい言葉に出会った。

ジョージ秋山の『浮浪雲(はぐれぐも)』。連載八百回記念という今号は、なんとか良い妻をめとって子どもに恵まれていい生活をしようと生真面目一本でやってきた男のおはなし。ほのかに思いを寄せる女性はいるが、一歩が踏み出せずに悶々と日々を送る。そんな男に、品川宿「夢屋」の頭(かしら)「浮浪雲」が「指南」する。

「女とはどういう生き物か知ることでんす。女は三つでできてる生き物でんす。虚栄と快楽と打算でんす。この三つを満足させるのが男の仕事でんす」。

あまりに言い得て妙なので、思わず声を立てて笑ってしまった。こんなふうに思い切れる男に女はどれほど出会いたいことか。

そして不思議なことに、そんな浮浪雲と暮らす奥さんのカメさんには、「虚栄」や「快楽」や「打算」に駆り立てられる風が微塵も感じられないのである。

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居士 -こじ-

居士とは

戒名に使用される「居士」という尊称。
本来は在家でありながら仏道に精進する男性を称する語でした。

仏教で使う居士の語は、サンスクリットの「グリハパティ」、すなわち「家の主人・家長」の訳語ですが、特にインドの四姓の中のヴァイシャ階級の資産家を呼ぶときに使用されたようです。ヴァイシャは商工業に従事し、仏教を信奉する富豪も多くいました。
『祖庭事苑』という禅籍には、居士と呼ばれるための四つの条件が挙げられています。

  およそ四徳を具するものを、すなわち居士と称す。
  一には仕宦(官)を求めず。……役人ではない
  二には寡欲にして徳を蘊(つ)む。……欲をもとめず功徳にはげむ
  三には財に居して大いに富む。……大金持ちである
  四には道を守ってみずから悟る。……仏道に精進する

居士になるのも並大抵のことではなかったようです。今となっては単なる理想像かもしれません。

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美しい国、日本?! -アレックス・カー氏-

氏は、雨蛙を見てエメラルドと・・・

7月15日、TBS『情熱大陸』というTV番組に、アレックス・カー氏が出ておられた。
どのような方かはこちらで>『情熱大陸 アレックス・カー(東洋文化研究家)』

様々な仕事をこなしていらっしゃるが、その全ての根底にあるのは、-本当に美しいものとは何か-であって、揺るぎない信念と審美眼を持つ彼だからこそ出来うる仕事をしていたら、それがあらゆる分野にまで拡がっているだけなのだと思えた。

「日本は、東洋の文化の終着地点のような所」と、番組内でおっしゃっていたが、まさにその通り。それは、アジア各国に趣き様々なものを自分の目で見て、手で触れて来たからこそ自然と出てくる言葉なのだろうと思えた。
今、政府は「美しい国、日本」というコピーを携えているが、それならば、その日本の源流とも言える国々の文化の知識までをも持ち、その上で、なかば壊れかけた日本の美しい風景や文化をどのように立て直して行くのかを見据えなくては、狭い狭い日本の内だけを見て「美しい国、美しい国」と言っていても、机上の空論に過ぎない気がする。
氏のように、知識と経験、ものを見る心の目を持った方に政策に携わって欲しいような、すがるような気持ちになってしまった。

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半夏生(はんげしょう)の季節

半夏生

「夏至から数えて11日目(現在は、天球上の黄経100度の地点を太陽が通過する日となっているそうだ)、だいたい7月2日~七夕頃までの間の日を、半夏生と言ってね、この花は、その頃にちょうど花を咲かせて、花のすぐ下の葉が白くなるから、半化粧とも言われるのよ。お化粧してるみたいでしょ!」と、お茶の先生から習った半夏生。

毎年毎年、この時期になると必ずと言っていいほど、茶室の床にお目見えし、「不思議・・・」と、1枚だけ白くなった葉をまじまじと見つめる。
小さな茶花の、たった一枚の葉っぱに、涼を覚えたりもする。

「半夏生」は、私にとっては、「これからさらに暑くなるなぁ、あ、もうすぐ祇園祭か・・・」と、季節の到来を知らせてくれる花の一つだ。
毎年、変わらずこの時期になると葉っぱが白く・・・。なんとも不思議な自然の営みなのである。

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いろは歌

「いろは歌」は周知の通り、ひらがな四十七文字を一度だけ使って作られた今様体の歌謡である。『涅槃経』の文句「諸行無常、是生滅法。生滅滅已、寂滅為楽」と同じ意であるとも言われる。

現代では弘法大師作は否定されている。その根拠の一つに、ア行の「え」とヤ行の「え」の区別がないことがある。この区別は空海の活躍した平安初期には存在したが、その後消滅したとされるものである。

手習いのためのこの種の歌謡の作成の試みは「いろは」以前にもあった。「あめつち」は比較的行なわれたようで、次のようなもの。

あめ つち ほし そら   (天 地 星 空)
やま かは みね たに   (山 川 峰 谷)
くも きり むろ こけ   (雲 霧 室 苔)
ひと いぬ うへ すゑ   (人 犬 上 末)
ゆわ さる おふ せよ   (硫黄 猿 生ふせよ)
えの え※を なれ ゐて  (榎の枝を 馴れ居て)

※はヤ行の「え」、最後は「負ふ 為よ 良箆 愛男 汝 偃」と解する説もある。

単語を羅列しただけの駄作とされることも多いが、千字文の「天地玄黄 宇宙洪荒 日月盈昃 辰宿列張」さながら、天地から始まって宇宙の万象(とはいかないが)を述べようとする構想からは、ふしぎと悠大な調べが感じられる。

このようなものは「いろは」以前にも多くあっただろうし、「いろは」以後にもたくさん作られた。特に専門的知識も必要としないので、頭の体操がわりに試作してみるのも面白いかもしれない。

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ジャンケンポン

通勤時の満員電車の車内で、すぐ横の女子高生同士が会話をしているのを、聞くともなく聞いていたら、なんだか「グー」と「パー」だけのジャンケンの掛け声のことのようなのだ。「グーパーでほい」とか「グーとパーでほい」とか・・・

数名の女子高生はそれぞれ地元が違うようで、それによって掛け声も違うのを話題にしているのである。ところがそれらの掛け声は私の使っていたものともまた違った。
大学生なら全国各地から来ているから、ある程度異なってもおかしくないが、たかだか高校生の通う地域レベルでこんなにも違うものなんだと、少し興味深かった。

そういや、私の子供のころは、普通のじゃんけんでも、「じゃんけんぽん」の歯切れよい3拍子ですぐ「手」を出したものだが、ちょっと気取った上級生が「いんじゃんほい」とかやりだしたり、「じゃーいーけーんでー ほーい」と倍リズムになったのができたり、「最初はグー」と頭につけてタイミングを合わせるようになったりと、どんどんバリエーションが増えていったように思う。

どうやら「最初はグー」とやりだしたのは、1981年にザ・ドリフターズのコントで志村けんと仲本工事が行なったものが、テレビを通じて全国に広がっていったものらしい。そういえばその派生で「最初はグー、またまたグー、いかりやチョースケ、頭はパー、正義は勝つ」なんてのも聞いたことがある。

ジャンケンは世界的にも普及していて、rock, paper, scissors、つまり、石・紙・ハサミである。どこが発祥の場所なんであろうか。
いうまでもなく、ジャンケンの石・紙・ハサミは、三竦み(さんすくみ)の原理で、石はハサミに勝ち、ハサミは紙に勝ち、紙は石に勝つという、三者がそれぞれに得意な相手と苦手な相手をもっている関係により成り立つ。

はてさて今の世界情勢は如何なものかな。

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覚阿上人 ―『五灯会元』に収録された唯一の日本人―

この度、禅文化研究所から出版された『訓読 五灯会元』全三巻は、中国禅僧約二〇三〇人の伝記を収める大著の初の訓読本である。
その中にただ一人だけ、日本人が収録されている。平安末期の覚阿(一一四三~?)である。実は、大日能忍や明菴栄西に先んじて、日本に臨済禅を伝えた人物なのである。
『五灯会元』は、おおよそ次のように述べる。

覚阿上人は藤原氏。宋国の商人から彼の地での禅の盛んなことを聞いて、遠く海を渡って霊隠寺の仏海慧遠禅師に参禅した。慧遠禅師は円悟克勤の法嗣で、臨済宗楊岐派に連なる人物である。二人の会話は筆談でなされた。覚阿は行脚の途次、太鼓の音を聞いて豁然と大悟し、霊隠寺に帰って慧遠禅師に所見を呈した。その後、覚阿は日本に帰って比叡山に住した。

さて、日本に帰った覚阿上人は、その後どうなったのであろうか。幸いなことに、日本の『元亨釈書』に、付け足しのようにほんの少しだけ記載があった。

覚阿は、時の帝の高倉天皇に招かれて禅の要点について下問された。覚阿は笛を一吹きして、それに答えた。いまだ機が熟していなかったのであろう、君主も臣下も理解することはなかった。惜しいことだ、覚阿の禅が広まらなかったことは。

覚阿の禅が、当時の日本人に理解されることはなかったようである。覚阿の最後も知られてはいない。日本に禅が(曲がりなりにも)流布するのは、やはり能忍や栄西を待たねばならない。

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情報をよむ

昨今は大学の履修科目に、メディア・リテラシー(media literacy)というのがあってなかなか面白そうだ。これは種々の媒体(メディア)を通して氾濫する情報を、批判的にどう読み取り、自らの考えをどう伝えるかという能力を培うための学問のようだ。
「新聞・雑誌・ラジオ・テレビといった古い形のメディアの伝える情報の圧倒的な影響力に対する問題意識」に端を発するというメディア・リテラシーは、当然の流れとしてのネット情報の読み取りや、芸術作品の解読といった方向にも切り込んでいる。
 
1920年代、ドイツの国策映画会社、ウーファを中心にしてドイツ映画は黄金期を迎えたが、そこで活躍した映画人の多くは、それ以後、ドイツが辿ってゆく反ユダヤ主義の思想とは相容れなかったのであり、ある者たちはアメリカへ、またある者たちは映画界を去って行き、最後にヒトラーの体制とともに残った才能は、レニ・リーフェンシュタールのみであったと言われる。

かつては舞踏家として活躍したリーフェンシュタール監督の撮影方法には、絶妙のリズム感があり、それまでのドイツ映画の卓抜な技術を継承した、比稀な感性が見事に開化した作品が、「意志の勝利」であり「オリンピア」であった。「意志の勝利」は1934年ナチ党大会の、「オリンピア」は1936年ベルリン・オリンピックの記録映画である。

しかし、いずれの作品も、見るものを圧倒するその映像の美のゆえに、ヒトラーをヒューラー(総統)とする体制を根底から支えるのに貢献をしたことは、歴史的事実として否定できないだろう。
「オランピア」においては、ドイツ選手たちの競技に一喜一憂するヒューラーの姿が、様々な角度から映し出され、選手たちの勝利のたびに、その栄光を讃えるハーケンクロイツ旗が高々と掲げられた。軍服に身を包み、貴賓席から拍手を送るヒトラーの「雄姿」からは、彼の頭の中にすでにできあがっていたはずの、国を挙げての狂気の未来について、何人も思い描けなかったのである。

レイ・ミュラー監督の「レニ」は、「意志の勝利」の制作によって、戦後弾劾され続けた、このレニ・リフェンシュタールの伝記的記録映画である。
「レニ」において、リーフェンシュタールは、「結果を知っていたら、決して『意志の勝利』は撮らなかった」と言っている。映画監督であったリーフェンシュタールの政治的無関心は、決して糾弾されずに済むものではないが、「あの時代」を読むことは、後代の我々が考えるほどに易しくはないだろう。ヒトラーは国民投票により88パーセントの支持を得てヒューラーになったのであり、ナチ党大会の記録映画「意志の勝利」をフランスはじめ、ヨーロッパの数カ国が表彰したのである。

私たちは「同時代」をいかに読み透すことができるのか。これは傑出した一握りの「専門家」にのみ向けられるべき問いではない。一市井人のこの「私」が確かな眼で情報を読まなければ、世界は想像を超えたスピードで歪んでしまうだろう。想像を超えたスピードで情報がゆき交っているからである。
 
メディア・リテラシーについて考えるとき、昨年一年、日本のマスメディアが狂乱して報道した堀江貴文さんの事件などは、私たちがどのようにして「真実」を読み取るべきかを示唆した象徴的な「出来事」にも思える。
(M)

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ひげ2 -男の象徴-

近頃若い人にひげを伸ばしている人が多くなった。
しかし新モンゴロイド人種は一般に体毛が薄いので、様になっている人は少ない。
その点西洋人は実に立派なひげを蓄えるものである。

古代ギリシャにも、ひげを蓄える風習があった(特に初期)。
しかし古代ローマの男たちは大抵剃っていた。
そんなローマでひげを蓄えていたのが異民族と哲学者たちであった。

「ローマは武力でギリシアを征服したが、ギリシアは文化でローマを征服した」

と言われるように、ローマでも哲学と言えばギリシア哲学が全盛であった。
哲学者たちはおのずとギリシアの風習を真似るようになったのである。
だからひげは、しばしば哲学者気取りのギリシア文化愛好家に対する揶揄の材料ともなった。
「ヒゲを伸ばしても哲学者にはなれないよ」と。

ひげへの見方は地域だけではなく時代によっても変わる。
男性的なものが強調される時代には、やはりひげがもてはやされるようだ。
バロックやロココの時代の男はみな剃っていた。バッハやモーツアルトの肖像画にひげはない。

十九世紀の帝国主義の時代になると、またひげの時代を迎える。
少し年配の方なら、マルクスやエンゲルスの凄いひげは、なじみのものであろう。
そんなひげ時代が始まろうとしている中、ショーペンハウアーは

「ひげは男性の第二次性徴だから極めて性的なものである。そんなものを顔のど真ん中にくっつけているのは猥褻も甚だしい」

という趣旨のことを書いている。偏屈哲学者の面目躍如である。

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ひげ1 -眉鬚堕落-

禅語に「眉鬚堕落(びしゅだらく)」というものがある。
眉やひげが脱け落ちてしまう、と言う意味であるが、言語を弄してみだりに仏法を説くと、その罪で眉やひげが脱け落ちてしまう、とのことである。
弟子のためにあえて言葉で仏法を説く場合は「不惜眉毛(ふしゃくびもう)」という。

初めてこの言葉に接した時、ふと思ったのは、眉はともかく、そんなに多くの禅僧がひげ(鬚はあごひげ)を伸ばしていたのだろうか、という疑問である。
普段からひげを剃っている人にとっては、ひげが抜けたとしても何の不都合もないだろう。
出家者に薄毛(いわゆるハゲ)の悩みがないように。

出家者は本来、髪はもちろん、ひげもきれいに剃るのが戒律の定めである。
東南アジアでは眉も剃るという。
ところが、中国では宋代のころから髮やひげ、更には爪も伸びたままにしておく禅僧も多くなったようなのである。日本に伝わる中国禅僧の肖像画のいくつかにも、髮やひげが描かれている。
当時、禅僧と髮やひげとの間には、あまり違和は感じられていなかったようである。

そんな風習を道元は、仏祖の戒めに背くものとして厳しく非難している。
たしかに、爪を伸ばすのは、労働とは無縁な士大夫階級を象徴する風習であった。

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紀州備長炭

備長炭を焼く窯

和歌山を訪れた際、備長炭を作っている所を訪ねてみた。

水やご飯を美味しくし、部屋の空気を浄化。靴箱や冷蔵庫では脱臭材。
紀州の備長炭は、身体にも自然にも優しく、万能なので愛用中。

最近では、シックハウスから住む人を守ると注目されているようだ。
また、家庭菜園なんかの肥料にも炭のくずが使われているとか。
その他にも、利用法は無限にありそうな備長炭。
まわし者のようだが、単に素晴らしさをお伝えしたいのみ。
一度おためしあれ。

出来立ての備長炭

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中秋の名月

お月見_左野典子

今年の中秋の名月は十月六日とのことである。
そう言われて始めて気付くということは、月の満ち欠けは私の普段の生活に、もはやほとんど関係がないものとなってしまっていることを示している。
多くの現代人にとっても、この状況は同じであろう。

これは、明治になって旧暦から新暦に移行したことと大きく関わっている。
旧暦は十五日には満月、一日には新月となるように組み立てられている。
太陽暦では、十五夜という語は意味をなさない。

中秋の名月の続きを読む

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ガラスは液体!?

ガラスと水

「ガラスは液体だ」
ある人が、こう主張しているのを聞いて、はじめは「またお得意の詭弁が始まった」程度に聞いていた。
しかし調べてみると、満更嘘でもないらしい。むしろ化学の世界では常識に属することのようだ。

我々の感覚においては、ガラスはどう見ても固体にしか見えない。しかし化学的に見た場合、ガラスは固体に特有の結晶構造をしておらず、液体のまま過冷却された「ガラス状態」という状態にあるとのことである。
たしかに、ガラスを熱すると次第に柔らかくなり、流動化する。中学校で習った、いわゆる融点というものがない。また、常温でもごくわずかではあるが、流動性を示すらしい。つまり、ガラスとは非常に粘性の高い液体、例えば硬い水飴のようなものとイメージすれば良いのだろうか。

ガラスは硬くて脆く、その破片はとげとげしい。繊細で傷つきやすい心をガラスの心と喩えたりもする。それに対して液体の代表格である水は、古来その適応性や柔軟性が賞讃されてきた。老子は「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る」と述べ、白楽天も「水は方円の器に任ず」と吟ずる。
この全くの正反対にみえる二つの物質が、実は同じ「態」に属するのである。
人も、目に見える性質の背後に、いかなる本質が隠されているのか分からない。表面的な性質だけで物事を判断してはならないと、改めて思った次第である。
(T.F Wrote)

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おくらの花

おくらの花をご存知ですか?
葵や芙蓉の花に似ていて、淡い黄色のとても美しい花を咲かせるんです。


おくらの花


この花の後におくらがお日様向かって大きくなるんですよ。
まさかおくらが上へむかって大きくなるとは、私もつい最近まで知りませんでした。
ネバネバした物を食べる国は、世界でも限られるそうですが、納豆に山芋、おくらも、ネバネバした物は健康にも良いですね!
太陽をいっぱい浴びて育った季節の恵みで、暑すぎる夏を乗り切りましょう!
(N.K Wrote)


おくらの実

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タチマイリ

私が住む丹波地方は両墓制がある地域である。両墓制とは、埋め墓(埋葬地)と詣り墓(建碑地)が別々にある墓制である。埋め墓には遺骸が葬られるが石塔を建てない。詣り墓は遺骸の埋葬がなく、石塔を建てる。遺骸を埋める所と霊を祀る所とを別にする習俗が、両墓制なのである。しかし、火葬が取り入れられてからは、埋め墓にも石塔を建てるようになり、かつての習俗を失いつつある。

私の地域では詣り墓のことを「ラントウ」と呼んでいる。ラントウという呼称は僧侶の墓塔である卵塔を想像するが、歴住塔のある寺の墓地に隣接して詣り墓があるためにそう呼ばれてきたのかもしれない。
さて、ラントウでは、お盆の前に「タチマイリ」という各家の墓に僧侶が読経を行う行事がある。お盆には、精霊を迎えるが、ラントウはオショライさんが一時待機する所と考えられており、先祖の霊はあの世からラントウまで戻り、タチマイリをして家に迎えられるのである。

タチマイリの続きを読む

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祇園祭 -白楽天山-

白楽天山

京都では現在、祇園祭の一連の行事が続いています。
間もなくクライマックスの山鉾巡行が行なわれますが、様々な趣向を凝らした山や鉾の中には、中国の故事をテーマにしたものも多くあります。 中でも白楽天山は、唐の政治家で詩人の白楽天が、道林禅師を訪れたという禅の故事の一場面を表わしています。 白楽天が禅師を訪ねたところ、いつものように松の木の上で坐禅中。白楽天は思わず「危ない」と声をあげますが、逆に禅師から「危ないのはむしろ貴公のほうだ」と諭されます。白楽天は改めて仏法の大意を尋ねます。 禅師の答えは「諸悪莫作 衆善奉行」。悪いことをするな、善いことをせよというもの。
「そんなことは三歳の子供でも言いますよ」と言う白楽天に、禅師は「三歳の子供でも言うことであるが、八十歳の老人でも実行しがたいことである」。

織田信長が上杉謙信に贈った『洛中洛外図屏風』にも、それらしいものが描かれています。白楽天山の存在は、『景徳伝灯録』や『五灯会元』に見えるこの禅の故事が、室町時代の京の町衆にとっても、以外と身近なものだったということを示しているのでしょう。
(T.F wrote)

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