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国立博物館 -インド・ニューデリー-




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インド旅行記のつづきです。
ニューデリーにある、国立博物館を訪れました。
インダス文明・仏教・ヒンドゥー教の関連のあらゆる宝物が展示されており、デリーでの滞在が1日ほどと短い場合などには、広すぎるモスクなどを訪れるよりも、私はまずはこちらに行かれる事をオススメしたいです。
カメラの持ち込み(有料)も可能で、写真も撮る事ができます。
限られた時間で旅行をする際は、私はその国やその土地の文化を知りたいので、必ず美術館や博物館をチェックして訪れる事にしています。

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Flowers and Plants in Tibet -№18-




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禅文化研究所客員研究員・北京在住の李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
チベットの厳しい自然の中でも、草は根を張り、美しい花を咲かせます。

色々な問題のあるチベットですが、昔から一度どうしても行ってみたい国の1つです。
ちょうど10年前、京都の精華大学にダライ・ラマ猊下がいらっしゃった時に、ラッキーにも聴講券が当たり、行ってきました。
何よりもびっくりし、未だに覚えているのは、広い体育館(聴衆1600人)に猊下が姿を現された途端に、体育館内全体がぼわ~んとあたたかい空気というのでしょうか、オーラというのでしょうか、そのようなもので包まれた事です。
これは特に私だけが特別に感じた事ではないと確信しています。
優しく、あたたかく、力強さに満ちたダライ・ラマ猊下を拝見でき、お話を聞き、いまだにあの時の事は色々と鮮明に覚えています。
石がごつごつした大地から力強く生えるチベットの草木に、かの地に住まう人々の事を思いました。

※写真の無断転載・利用はお控え下さい。

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線香の煙




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『白隠禅師年譜』12歳の時(元禄九年:1696)に次のようにある。

一日、香を菅神の画真の前に点して、再拝稽首して謂(おも)えり、「我が願い虚しからずんば、香煙端直にして天に沖(あが)る象(かたち)を示したまえ」と。黙祷すること良(やや)久し。眼を開けば即ち一道の香煙、直(まっすぐ)に天を衝(つ)くを視るも、已(すで)にして風来たって飄乱(みだ)る。尚お魔障の免る可からざることを恐る。

12歳の岩次郎(白隠の幼名)は、地獄の恐ろしさに怯えたため、菅神(天神さま)を信じ、日々拝んでいたが、ある日、その画像の前に線香を立てて、我が願い(地獄から救われる)を叶えていただけるならば、線香の煙を真っ直ぐにあげてみせて欲しいと願った。おもむろに眼を開くと、最初にまっすぐに上がったかのように見えたが、風が吹いてたちまち乱れ、まだ地獄の恐怖から逃れられないことに気付いたのである。

つまり、線香の煙は、幼少の白隠にして、その立ち上り具合で何かの御利益を得られるのではないかと思わせるほどのものであったのだ。

ところが、最近は、この煙の立ち上らない線香があるのだが、ご存じだろうか。概ねラベンダーの香りなどで、普通の線香には無いような香りだけがして、煙はまったく立ち上らない。
ひょっとしてご自宅のお仏壇に立てているお線香は、まさしくそれだと仰る方もおられるかもしれない。
できれば、そのお線香は使わないで、いい香りのする天然のお線香を使うようにしていただけないだろうか。

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季刊『禅文化』215号発刊

1月25日に、季刊『禅文化』の215号が発刊されました。
お買い求めはこちらからどうぞ。

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*もくじ*
吾が師を語る――宗寛老師と宗義老師/稲垣 宗久
特集 第十一回東西霊性交流
 真の対話に向けて/ピエール・ド・ベチュヌ
 同行同修/佐々木悠嶂
 霊性交流を終えて/堀口宗彦
 祈りとは何か/佐々木方格
善財童子の求道ものがたり(十七)―心の宝庫から生まれる福徳を備えたヴィドヴァーン(明智)居士/小林 圓照
回想―花園大学―その五/北西 弘
宋の南遷と禅 (上) 要説・中国禅思想史 /伊吹 敦
禅宗語録入門読本7 六祖の物語(一)/小川 隆
天平という修羅/平塚 景堂
宗教と教育と私 「思想及び良心の自由」をめぐって/松田 高志
技を訪う―仏具木地師 加計穣一/川辺 紀子
追悼 加藤正俊先生
 得難い友/大槻幹郎
 加藤正俊さんを偲んで/西尾賢隆
 大学院のころ/永島倭
わが郷愁の蒸気機関車 三余居窓話(六十三)/西村 惠信
聖域巡礼(十九) 川蔵北路を歩く(六)/李 建華
グラビア 巣松翁蔵 禅林墨蹟 白隠慧鶴
寺庭さんのリレー・エッセイ―山寺で暮らして/今杉 益美
和尚さんの身体講座 (二十五) 足の中指刺激で酸欠解消/樺島 勝徳
男一人病める簡素はさびしいぞ―滝沢亘の孤独の歌/佐伯 裕子
表紙解説/藤元 裕二
いっぷく拝見
編集後記〈禅文化漫談〉

禅文化研究所HPに『禅文化』の記事を掲載中

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水僊(水仙)




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この季節に咲く花で最も好きな花、水仙。今年も研究所横の花壇にたくさん花を咲かせています。
あの可憐で清楚な姿からは、日本人としてはどうも納得がいかない花言葉-うぬぼれ・我欲・自己愛・神秘-などにぎょっとしたものですが、ギリシア神話から来ていると言われると閉口。
ナルシストの語源にもなった美少年ナルキッソスのお話は御存知でしょうか(諸説あります)。
日がな水鏡に映る自分を見て過ごしていたナルキッソスですが、自分の美しさを鼻にかけ、言い寄ってくる相手を邪険に扱い恨みを買うなどしていました。
そんなある日、復習の女神が、ナルキッソスが自分しか愛せないよう呪いをかけ、彼は水鏡に写る自分に恋をしてしまったのです。もちろん、水面に写る自分に恋したところでその思いが遂げられるはずもありません。憔悴したナルキッソスはそのまま死んでしまいます。その後には水仙が咲いていたそうです。また、水面をのぞきこむようなナルキッソスの姿と水仙が似ているという事もあるようです。
そんなこんなで-自己愛-というような花言葉がついた水仙…。

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"THIS IS IT" マイケル・ジャクソンとアラン・ワッツ




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今やロードショーは終わり、一部で追加上演となってしまっている映画だが、やっと、マイケル・ジャクソンの "THIS IS IT" を観ることができた。
彼の音楽はラジオなどでよく耳にはしていたが、実のところ、CDを買ったりというほどのファンでもなかった。
しかし、予定されていた久しぶりの大会場での公演の目前に、あまりにも突然で謎めいた死をとげたことがニュースで報道され、そして、公演のリハーサル模様の映像を収めた "THIS IS IT" というドキュメンタリー映画が上映されると聞いて、是非観てみたいと思っていたのだ。

映画には予想以上にいたく感動した。ドキュメンタリーなのでとてもリアリティがあり、彼の音楽性がコンサートに向けてどうやって実現されていくのかが、事細かに記録されていたため、私が今まで感じていたマイケル・ジャクソンに対するイメージが一新したのだ。
彼はセールスのおかげでものすごい資産家となり、湯水のようにお金を使い、ネバーランドという夢の国のような家を持ち、整形を繰り返していたアーティストであったから、どちらかというと、遠い世界の人で共感するようなことがなかったのだ。
しかし、映画でみたマイケルは、自分の意志をとても繊細に丁寧にスタッフに伝え、そしてスタッフに気を配り、いいものを作り上げていくという真摯な姿勢であって、とてもすばらしいと思った。
そして、彼が訴えたかったのは、「今すぐ地球を救わなければ」ということだった。エンディングロールが終わって後に、さらにそのメッセージが繰り返されていた。人類愛に満ちた人だったのだと思った。

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ジャーマ・マスジット(デリー) -インド-




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イスラム教のモスクとしてはインドで最も大きいジャーマ・マスジットです。
かのタージ・マハールを建てたムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによって1644年に着工されたものです。出来上がったのは、6代皇帝、アウラングゼーブ帝の頃との事。
写真に写っている人を見て頂ければ、どれだけ大きなモスクかおわかりかと思いますが、大理石でできた貴賓席(席というのでしょうか…イスラム教徒の場合、マイカーペットのような物を持参して、それを敷いてお祈りしますが…)と、ただの岩石で出来た一般席、合わせてどれだけの人数を収容できるのでしょうか。
大勢の祈りの声はデリーの町全体に響くのだろうな…と想像します。

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モスク近くに…。おそらくシヴァ神でしょうか…。虎に乗っているので、修行中のシヴァ神かと思われます。
町中に突然大木が生えていて、そこを囲むように祀ってあります。前を通る人はお祈りして行ったりします。初めて見るとびっくりしますが、インドではよく見る光景です。
京都の町中のお地蔵さんと同じような感覚でしょうか…。

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『プチうつ禅セラピー』著者 ラジオ番組出演のおしらせ

 

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『プチうつ禅セラピー』著者 樺島勝徳師 ラジオ出演のお知らせ。

NHKラジオ第2の「宗教の時間」
1月24日(日)午前8時半~
*再放送1月31日(日)午後6時半~


樺島勝徳師が、上記ラジオ番組にて、弊所発刊の『プチうつ禅セラピー』についてをお話されます。
ちなみにこちらの本の内容は、うつの事にとどまらず、自分でできる予防医学のお話や、抗酸化サプリメントの作り方、遠赤外線のお話、身体の中心軸を開発して心身の生命力を倍増する方法まで様々です。
心身共にストレスを貯めている現代人に、禅僧でもあり鍼灸師でもある著者がイラスト付で懇切丁寧に説いた興味深い内容となっています。
是非ご高覧下さい。

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占い

占星術研究家の鏡リュウジさんは「占いは迷信」だと言う、「星の動きが人の人生を決めているわけがない。……星のサイクルで、この辺がこの人の転機だというのはだいたいわかる。でも何がどうくるかはわからないです」。

人生何が起こるかだれにもわからないなら、やはり自分の人生について、占い師さんのアドヴァイスに依存するのはあまり意味がないかもしれない。私など結構「感」の強いほうなので、人よりちょっと何か見えてしまったりすることもあるが、よーく考えれば、それがどうしたということだと思う。AとBの岐路に立ったとき、占いによってAを選んだとか、占い師の勧めで「……座」の人と付き合ったなどと挙げればきりがないほど、若い人も占いに左右されているようだが、占いでよい結果が出たと思ったら、依存度はますます高まるし、うまくゆかないと思ってしまったら恨みだけが残る。あげくの果てに、「生あるものはすべて死ぬ」という現象はいかんともしがたいなら、どう選んだところで、結局は五十歩百歩ではないかと思うのだ。

「占い師さんの言に従ったおかげで、300歳になる今も元気で働いている」というような人に出会えたら、「おっ、占いも結構いいかも」と思えるもしれないが、平均寿命までタラリと生きて、病を得て死んでいくというおそらくは人生最大の幸運は、占いなどとは無関係に、手に入る人には案外手に入るものではないか。

鏡さんは言う、「人は、完全なランダムには耐えられない。人生のすべての凹凸に、一つひとつ対処していたら身がもたないから。だから、ある種のパターンや物語を見いだして、人生を意味あるものとして生きようとする。そこに占いの本質があると思うんです」。

お釈迦さまは、「人は生まれて老いて病いを得て死ぬ」と言った。これは見事なパターンだし、これほど簡潔で嘘のない物語もない。究極の占いと言っていいかもしれない。私たちはみな多少の時間の長短はあっても、この物語を間違いなく展開できるという恵まれた命を生きている。それさえ確実なら、鏡さんの言うように、人生の凹凸を一つひとつ占ってもらっても、得るところは案外少ないかもしれないのだ。

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善光寺さん -長野-




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長野の善光寺さんにお参りしてきた。
ついで参りはよくないことだが、「牛に引かれて善光寺参り」と言われるくらいだから、まぁご容赦いただこう。
「牛に引かれて善光寺参り」というのは、自分の意志でもないのに、思いがけないことでよいご縁に恵まれたことの例えとして言われる言葉である。またここは、「遠くとも一度は詣れ善光寺、救け給うぞ彌陀の誓願」と、全国各地からお参りにみえる名刹である。
江戸時代には、「お伊勢参り」の帰りには「善光寺参り」をするという風習もあったようだ。

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阿弥陀如来を御本尊に善光寺はてっきり単立寺院かと思っていたのだが、実は、天台宗「大勧進」と浄土宗「大本願」からなる両方の別格本山とされているという特殊な形態のお寺だ。
雪が残る境内には、まだお正月の初詣として参詣されている人が多く、たいへん賑わっていた。

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線香をお供えし、本堂へと進み内陣にお参りすると、子供の頃、家族に連れてこられた記憶が蘇ってきた。
御本尊の真下の真っ暗な床下を手探りで歩き、「極楽の錠前」に触れることで、自分の往生の際に阿弥陀様にお迎えに来ていただく約束をするという「戒壇巡り」をさせていただけるのだ。
子供の頃に、真っ暗な中を不安を感じながら歩いたものだと思いつつ、また、阿弥陀如来の約束をとりつけさせていただいた。
ありがたや、ありがたや……。

今年6月には、ダライ・ラマを招待し、長野市内のビッグハット(オリンピック競技場)で講演会が行なわれるとのことである。

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祝 成人の日




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2000年のハッピーマンデー制度の導入に伴い、成人をとうに過ぎて関係の無い世代の人間からすると、成人の日と言えば1月の3連休…という意識しか無くなって来ている昨今。
ぎりぎり私の世代くらいまでは、かつての自身の成人式を思い出し、やはり1月15日というと感慨深いものである。
本来、小正月であり、かつて元服の儀が行われていた歴史から、1月15日が成人の日とされた事も、今や忘れかけられている感がある。

それはさておき、毎年成人式には平安神宮あたりに新成人を見にでかけている。
着物が大好きな私が眼福のひとときを過ごせるまたとない機会。
少し前までは、「着物なのにあんな髪型をするなんて!」「あの着物は私の好みではないなぁ」と、自身の好みであれこれ思っていたものだが、もちろん好き嫌いはあるにせよ、今年は誰を見ても輝いていて可愛らしいと思う自分に、歳を取ったものだな…と感じた。
それにしても、暗い話題ばかりの昨今、若者の笑顔、パワーにこちらも元気をもらい、清々しい一日であった。彼らの未来が輝かしいものである事を祈念したい。

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加藤登紀子さん

昨年末、加藤さんの「ほろ酔いコンサート」に行ってきた。
満席の老若男女が結構ノッていたので驚いた。今回のテーマは「1968」。
この年に格別の思いを持たない若い人もノッていた。新しい曲の披露は極めて少なかったが、なにか新しい感じがした。'68の回顧ではなく、今の「1968」を加藤さんは歌っていたと思う。「新」しさはそこからきていたのかもしれない。

加藤さんを聴いていて、ふと、オノ・ヨーコさんを思いだし、平塚らいてうさんのことを想った。三人はどこか似ている。三人とも、時代よりちょっと早く、「当たり前」のことを当たり前に言い、行動した。三人は信じられないほどスマートだが、鋭利な刃物といった感じはない。その思考は身体全体で生み出されているようだ。極めて自然に母性を受け入れ、子をなした彼女たちは、その点ですでに、私の大好きなシモーヌ・ド・ボーヴォワールを凌駕しているのかもしれない。

出生率が低下の一途をたどる状況に、「……家庭や子育て、親子とかに対してすごく自由な感性が生まれてこなきゃいけないと思うの。おまえ、結婚しなくても子供つくってこいよというぐらいに。それが日本の社会の新しい課題だなと思うんですよ」と加藤登紀子はごく自然にコメントしている。

彼女たちは、あの類まれな知性にも関わらず、大らかで太陽のような「女性性」を揺らぐことなく堅持した。権力にNOと言い続けるときでさえ、彼女たちは非合法の眼差しと無縁であり、何かしらユーモアもあった。「女が男に負けるわけがないじゃない、だってオッパイがあるのですもの」とオノ・ヨーコは言ってのけた。

彼女たちは夫にとって妻であると同時に「グレイト・マザー」だったが、権勢をふるい、支配するもの全てを象徴する元型としての地母神ではない。自他に対する高度な客観性に富むゆえに、「かわいげのない強い女」といったステレオタイプなレッテルを貼る凡庸な者たちもあったが、彼女たちはいつだって遙かな高みにあり、精神の自由を手にしていたように思われる。
海清僧堂の臘八摂心を了え、「もう大丈夫だな」と南天棒に言われた平塚らいてうは、実に淡々と、「(森田草平との心中未遂事件のときから)私はすでに大丈夫だった」と述懐している。

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大理喜洲 -中国-




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雲南省大理にある喜洲は、大理古城から距離にして19キロほどの所にあるペー(白)族の村である。唐代の南昭国の時代にはここには王宮が建てられ、 南詔国の重要な軍事拠点となり、西南シルクルート中の重鎮として栄えたという。
訪れた厳家大院は、明 ・ 清 ・ 民国時代に造られた「三房一照壁」「四合五天井」というペー族の民居を代表するもので、家屋には精密な彫刻が施され、白い壁には優美な絵が描かれている。
住居の屋上から眺める街並みは、緩やかな曲線の屋根が続き、往時の面影を今に伝えている。

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マウスジェスチャーでインターネットを操作するソフト




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今回は、マウスジェスチャーを可能にする「かざぐるマウス」というフリーソフトをご紹介します。
このソフトは私のお気に入りのひとつでもあり、一度使い慣れると手放せなくなる機能です。

マウスジェスチャーとは、マウスのボタンとカーソルの移動を組み合わせてアプリケーションの操作を行なう機能です。
例えば、インターネットで前のページに戻る際には、画面上部にあるメニューの「戻る」ボタンをクリックします。
この操作をマウスジェスチャーでは、マウスを右クリックしながら左に移動することで、前のページに戻ることができます。
言葉で説明しても分かりにくいので、実際にマウスジェスチャーでインターネットの「戻る」「進む」の操作を試してみましょう。

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甲山大師 -兵庫県西宮・神呪寺-




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我が家の初詣は、氏神さんへお参りし、その後お墓へお参りしご先祖様に御挨拶をする。
今年はそれに加えて、母がよく「お不動さんの日だからお参りしてきた」「お大師さんの日だからお参りしてきた」と常々言っている、甲山大師さんへもお参りに行こうという事になり参拝した。
さすがに元日という事もあって、お大師さんの日やお不動さんの日でもさほど混み合わない山道には、駐車場に入る車が連なっていた。

さてこのお寺、今までは何となくお参りする程度だったのだが、寺の開創について調べてみると、第53代淳和天皇の第四妃(後の如意尼)が開いたとされ、そのお姿を写して弘法大師が作られたという如意輪観音(ご本尊)を始めとし、鎌倉時代の不動尊や弘法大師像も重文指定、そして幼い頃から甲みたいだから甲山!と思っていたこの御山は、「仲哀天皇の御代(時代)、神功皇后が国家平安守護のために、山に如意宝珠・金甲冑・弓箭・宝剣・衣服等を埋めたと伝えられ、このことから甲山と名付けられた」という説の方が有力と神呪寺HPにあった。

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初詣 -伏見稲荷-




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自坊の三ケ日の祈祷法要を終え、鏡開きもして檀家さんのお家を一軒一軒回礼にまわったあと、今年の初詣にと、京都市伏見区にある伏見稲荷大社にお参りした。
このお稲荷さんは、来年、開闢1300年を迎えるという、お稲荷さんの総本宮である。平城京遷都が今年1300年であるから、その翌年には、ここに御鎮座されたということになる。

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三ケ日を過ぎているし午後にお参りしたので、もう少し少ないかと思ったけれども、まだまだ参詣客は多かった。それでも、ちょっとゆっくり手を合わせることができ、気持ちがホッとした。

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本年も宜しくお願い申し上げます。

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皆様こんにちは。
本日より禅文化研究所は通常通り業務を行っております。
本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

さて、皆様はどのような年の暮れ、お正月を過ごされましたでしょうか。
今年の目標!はお決まりになられましたか?

私は昨年、同年代の女性で、とても素敵な生き方をされているな……と、元フジテレビアナウンサーの深澤里奈さんのブログを拝読し始めました。
ある日のブログで、「変化することを恐れない生き方」に感銘を受けました。
中でも、

歴史の中で「生き残ることができるもの」とはなんだったのかを紐解いてみると、それは強いものでも、美しいものでもなく、『変化できるもの』なのでした。
変化し、進化し続けるものだけが、生き残れるのです。


こちらの文章にハッとさせられました。それまでは、自分の中に、「美しいものこそ」というとらわれのような観念があったのです。
そういえば、京都には「美しいもの」はたくさんあり、伝統文化を守り続ける方々がたくさんおられます。
一見、古いものをただただそのままの状態で守り続けているかのように思われがちですが、身近に接していると、確かに変化を恐れない、柔軟な考えに遭遇し、何度も驚かされる事がありました。

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恭賀新禧  -2010年 元旦-




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画 西村惠信


明けましておめでとうございます。
今年も当研究所の発展に、倍旧のご協力とご支援を頂きますよう、スタッフ一同に代わってお願い申し上げます。

さて、禅語に「虎は是れ山獣の君」というのがあります。虎こそは獣の中の筆頭だ、ということでしょう。中国で禅宗の盛んであった唐の時代、禅僧たちは深山幽谷に入って修行生活を送っていました。そこでは彼らの周りに、いつも虎たちが集まってきて寝そべっていたと伝えられています。

禅僧たちはやがて、自分たちの間で禅機(悟りから出るはたらき)の優れた人を「大蟲」(だいちゅう)と呼んで畏れるようになりましたが、大蟲とは他ならぬ「虎」のことであったのです。このように虎と禅僧たちは、お互いに親しく共生していたのでした。

その頃、仰山慧寂(きょうざん・えじゃく)という人が、南泉普願(なんせん・ふがん)の弟子である長沙景岑(ちょうさ・けいしん)に向かって、「あなたは禅僧としてどんなはたらきを示されるか」と言いますと、長沙は何も言わずに飛びかかってきました。仰山が驚いて、「あなたはまるで大蟲のようだ」と言ったことから、時の人は長沙景岑のことを「岑大蟲」(しんだいちゅう)と呼ぶようになった、と『伝灯録』などに記されています。

今年はその寅の年ですから、まさに禅宗の当たり年。現代のような混迷の時代にこそ、猛虎のようなはたらきを持つ指導者が一日も早く現われて欲しいものですね。禅語に、「虎は嘯く五更の前」というのがあります。虎は決まって夜明け前に吼えるらしいのです。今年の元朝にはひとつお互いに、この濁世を震撼させるような猛虎の一声に、耳を傾けようではありませんか。

禅文化研究所 所長 西村惠信

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