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大徳寺 高桐院

大徳寺 高桐院

良く晴れた日、「この時期きっと緑が美しいに違いない」と、大徳寺の塔頭高桐院を訪れました。
緑の海…と思えるような苔と青紅葉の世界。
訪れる人もまばらで、静かな境内を存分に味わえます。
細川家歴代の墓、有名なガラシャ夫人の墓、茶室松向軒など、日本の信仰と歴史、文化が凝縮された空間。
暑い季節に涼を求めるなら、オススメの禅寺です。

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大分名物 やせうま




yaseuma.jpg

愚堂禅師の墨蹟取材で九州は大分県と福岡県を訪ねた。
旅先で立ち寄った食堂で、大分名物「やせうま」という食べ物に出会った。
ご存じの方もあるだろうか。
平べったく伸ばしたうどんの麺のようなもの(小麦粉をこねて長く伸ばしゆでたもの)に、黄粉(きなこ)をつけて食べる「おやつ」らしい。食べてみると、もっちりとした麺に、黄粉に混ぜられた砂糖の甘みがあって、子供たちなら病みつきになりそうなものだ。

とまれ、この「やせうま」という名前はなんなんだろうと思って、食べながら携帯でネット検索して調べてみたところ次の様なことであった。

平安時代、藤原鶴清麿という貴族の幼児が豊後の国に下向し黒野(現・由布市狭間町古野)というところに隠れ住んだ。
鶴清麿の世話をする乳母は、「八瀬(やせ)」という女、あるいは、京都の八瀬出身の女だったらしい。
ときおり、八瀬は小麦粉をこね長く伸ばして麺状にして茹でて黄粉をまぶしたものを作って、鶴清麿に食べさせた。鶴清麿はこれを食べたくなった時には、「八瀬、うま」(「うま」は食べ物の幼児語)といったといい、これが「やせうま」の語源だという。
こんなところで、京都の八瀬と出会うことになろうとはと思って、興味深かった。

その後、私の修行時代の先輩のお寺にお邪魔して、この「やせうま」の語源の話をしたところ、その先輩はそうじゃなくて、馬の世話をする馬子が、このおやつを食べたら、おいしくておいしくて夢中になるので、馬の世話を忘れてしまうから、馬がやせこけてしまう。だから「やせうま」というのだと聞いていると教えてくれた。
まぁいろいろな説があるのだろうが。

そういえば、八瀬と言えば京都の市街地から外れた山村だが、そのとなりの静原とともに、宮中の行列には重要な役を任される人達が住んでいたところだとか、何かの本で読んだ記憶もあり、八瀬出身の女性が、若君を連れて豊後に逃げてきたという話も、有り得そうな話だ。

しかし、現代の子供がこれを食べて喜ぶのかどうか、残念ながら、それは甚だ疑問。

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正眼僧堂 山川宗玄老師を訪ねて



正眼寺本堂
正眼寺 本堂

季刊『禅文化』の記事、-師を語る-の取材で、岐阜県美濃加茂市にある正眼僧堂を訪れました。
山川宗玄老師の師である、梶浦逸外老師や谷耕月老師について、たくさんの興味深いお話を伺う事ができました。
また、師について語っていただくという事は、同時に山川老師ご自身の修行時代についてをお話いただく事にもなり、このブログを読んで下さる方と同じ“禅ファン”の一人でもある私(在家)としては、「こんなにも良い、嬉しい仕事が他にあろうか!」と、この機会を緊張しつつも嬉々として楽しませていただきました。

師とのエピソード、ご自身の修行時代のエピソードなどについては、是非皆さんに読んでいただきたいと思います。213号、214号あたりでご紹介する予定となっております。
季刊『禅文化』をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

正眼寺
遠鉢より戻る雲水
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明治の禅匠

今年の夏に『明治の禅匠』という書籍を刊行するべく、現在、編集作業をしている。
じつはこの本、私が研究所に入る前、つまり30年ちかく以前に、禅文化研究所から発刊された、明治時代の禅僧や居士の評伝を集めたものである。
研究所の出版事業の魁ともいえる本であるが、絶版になって長らく経つ。

このたび、復刻しようということになり、こうして編集作業をすることになった。

江戸時代末期から明治維新を迎え、また廃仏毀釈にあって数知れぬご苦労をされた老師もおられる。
また、閉じられていた道場を再度開単したり、自らもっこを担って作務をして、新たに道場を開かれた方もおられる。
いち早く海外に目を向けられ、西洋文化との交流をされた老師もおらえる。
かたや、表舞台にはあまり立たれなかったが、淡々と修行を積まれ、綿密に弟子を育てられた老師もある。

たった100年余り前の時代のことであるが、まるで現代の事とは思われず、読んでいると禅匠方の一面目がすごい勢いで心に突き刺さってきて、圧倒されるほどである。

それからこれらの禅匠から接化をうけている当時の修行僧の姿も浮き彫りになってくる。これがまたスゴイ。
「慧可断臂」をまねて、自らの腕を切り落として差し出したという雲水がいたという日単(僧堂の日記)がある。
新参の腕っぷしの強い居士がいて、参禅するなりいきなり老師に殴られたため、いきりたって殴り殺してやろうとまで思うが、その悪辣な手段が老婆心切であるということを別の老師から諭されて、自らを悔い改めて坐禅工夫して、文字通り大死一番の見解を得たという話。

誠にスリリングな話が満載である。
採り上げられている禅匠は、以下のとおり。
越渓守謙・潭海玄昌・洪川宗温・独園承珠・滴水宜牧・南隠全愚・山岡鉄舟・禾山玄皷・鄧州全忠・毒湛匝三・龍淵元碩・黙雷宗淵・洞宗令聡・洪嶽宗演・独山玄義

発刊の暁には、みずからお読み頂ければ幸い。

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妙心寺の三門より


妙心寺三門よりのぞむ仏殿

京都古文化保存協会による特別公開にて、妙心寺の三門を訪れました(今年は5月1日~10日まで公開されていました)。
三門とは、空門・無相門・無願門という三つの境地を経、仏国土に至る門、三解脱門(さんげだつもん)の事をあらわします。

上の写真は三門より望む仏殿です。いつもと違う目線で見られるのが嬉しいものです。
仏殿前の立派な松の木は、私の祖父が妙心僧堂に掛搭していた頃(約70年前)には、まだまだかわいい苗木でした。祖父の雲水時代の写真が思い浮かび、感慨深いものがあります。

普段は見られない三門内部、そして三門から眺める風景を楽しめる為、公開された折には色々な寺院の三門を訪れますが、妙心寺の三門は内部の彩色が非常に美しく残っています。
また公開される事がありましたらお知らせしますので、機会がありましたら是非参拝なさってみて下さい。

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ユーラシアの風 新羅へ -MIHO MUSEUM-

ユーラシアの風 新羅へ


お隣の国韓国といえば、韓流スター、美容、食などで日本でも大人気ですが、その国を7世紀中頃にほぼ統一した“新羅”の素晴らしい文化については、御存知無い方が多いのではないでしょうか。
新羅の都が置かれていた慶州には私も2回ほど訪れていますが、恥ずかしながら、今回ミホミュージアムでの展観を拝見するまで全く知らない物が多々ありました。
ユーラシア西方文化の影響を色濃く受けた新羅の煌びやかな黄金文化、どこか日本の古墳時代を思わせる遺物など、興味深いものばかりが展示されています。
信楽の山奥にありますのでなかなか行きにくい処かもしれませんが、行けば必ず“あぁ、来て良かった”と思える事間違い無し。緑も最高に美しい季節です。
是非おでかけ下さい。

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平成21年 寂室禅師生誕奉賛茶会 -永源寺-



永源寺_借景の庭

滋賀県にある臨済宗大本山永源寺。
開山である寂室元光禅師の誕生日(5月15日)に近い日曜日に、毎年大茶会が催されます。
本年は5月17日で、表千家・三木町宗匠によるお献茶が執り行われました。

あいにくの空模様にも関わらず、どのお席(表千家・裏千家・遠州流・煎茶席・番茶席)も盛会で山内は大にぎわい。雨に洗われた新緑のもみじも、より一層目に鮮やかでした。

今回、何よりも一番に感動したのが、表千家のお席にて、篠原大雄老師(管長)とご一緒できた事でした。
研究所のDVD撮影の時には同行できず、いつか、なんとかお目にかかりご挨拶をと2年ほど前から強く願っていたのでした。大寄せの茶会で同じお席に入る事ができるというのは、ほぼ奇跡!この機会を逃しては…と、しっかりご挨拶させていただきました。
ありがたい一日でした。

この大茶会には、小学生やそれ以下のお子さんも多く、どのお席も和やか。
是非一度、皆さんもご参加下さい。来年も日程がわかりましたら、お知らせ致します。

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東京国際ブックフェア



東京国際ブックフェア
昨年の準備の様子

昨年に引続き、今年も東京国際ブックフェアに出展します。
年々出展者、来場者ともに増えている本フェアですが、人文・社会科学書フェアのエリアにブースを作り、今夏発行の新刊書を中心に研究所発行の全ての書籍やDVDなどを紹介してまいります。期間中は一部商品を除き定価の2割引でお買い求めいただけます。
多くの方々のご来場をお待ちしております。


第16回東京国際ブックフェア
会期 2009年7月9日(木)~12日(日)
会場 東京ビッグサイト

このブログをご覧になって、ご関心のある方に招待券を進呈します。
禅文化研究所ホームページ左下「お問い合わせ」ボタンより、「東京国際ブックフェア招待券( )枚希望」と書いて、住所電話番号などご記入漏れの無いようにお申し込みください(枚数を必ずご記入下さい。発送は6月以降になります)。

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銀竜草 -天龍寺-

銀竜草

5月はじめ頃から、天龍寺の庭園「望京の丘」に向かう階段横に、初めて見る草を発見。
図鑑によると、「銀竜草(ギンリョウソウ)」との事。

「うろこのようなもので包まれた白色の体全体を竜にみたてたもの。花・茎・葉の体全体が純白、根は茶色で短かく先が丸い。8~15cm。先端に下向きの花を1つつける。暗い森の中の落ち葉の積もった所に生える。落ち葉などから養分を得て生活(腐生植物という)。湿った空気、たくさんの落ち葉、安定した森の中でないとできない微妙な環境条件のもとで育つ」
とあった。
天龍寺では、これらの条件をあまり満たしていない気もしますが、毎日庭を巡回している中で時々このようなめずらしいものに出くわします。
銀竜草、別名をユウレイダケ。天龍寺に毎年お目見えとなると、名物になりそうで楽しみです。

銀竜草
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第7回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅 参加者募集中!




新緑の京都へご一緒に!

恒例の、西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅 参加者募集中です。

日時:6月5日(金)9:00~17:00
コース:京都駅八条口==大山崎山荘美術館==白河院(昼食)==東福寺(講演と拝観)==芬陀院==京都駅八条口

アサヒビール大山崎山荘美術館
天王山の中腹に位置する風光明媚な土地に建つ美術館。本館は、実業家・加賀正太郎が自らの山荘として設計し、建てたもの。さらに新館は安藤忠雄によるもので、この土地の美しい景観を崩さぬよう考え抜かれた設計です。どちらの建物も一見する価値があり、“実業家邸宅の庭”も見ものです。また、今回の展示では、民芸運動の中心的人物でもあった益子焼の濱田庄司の作品や、彼が旅先で蒐集した珍品・逸品がおめみえとの事。生活にねざしたところにある美をこの機会に学びましょう。

白河院
小川治兵衛氏(植治7代目)が得意とした、“琵琶湖疎水から水を引き入れ、東山を借景”した池泉回遊式庭園があります。こちらにて、美しい庭と京懐石をお楽しみいただきます。

東福寺
特別に書院をお借りして、西村惠信所長による講演を行ないます。その後、重森三玲氏作庭の方丈庭園や、秋のみならず、新緑の美しさもまた格別の通天橋などを拝観します。

◎芬陀院
東福寺塔頭。後醍醐天皇の元享年間(1321-24)に関白であった一条内経公(1291-1325)が、東福寺開山聖一国師の法孫にあたる定山祖禅和尚を開山として創建。京都で最古の枯山水庭のひとつとされる、雪舟作の庭がある事で有名です。また、茶室図南亭もご覧いただけます。

お申込みなど、その他詳しくはこちらからどうぞ。

新緑の京都にて、“庭”をテーマにコースを考えてみました。
全て職員オススメの箇所ばかりです。是非この機会にご一緒しませんか?
西村惠信所長による約1時間の講座もあります。
皆様とお会いできます事を心待ちにしております。どうぞ宜しくお願い致します。

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映画 グラン・トリノ




grantrino.jpg

今年のGWは、高速道路の割引があったためだろうが、毎年に増しての大渋滞。私の住む滋賀県は、北陸道・名神・新名神・京滋バイパスのそれぞれのジャンクションがボトルネックになるので、ひどいありさまだったようだ。

そういうときは、近場の映画館でゆっくり映画でも……と思い、休み中に2本の映画を見に行った。1本は、「レッドクリフ PartⅡ 未来への最終決戦」、そして、もう1本はクリント・イーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」である。
「レッドクリフ」は文句なしに面白く楽しめたが、より心に残ったのが「グラン・トリノ」だった。ポスター写真だけ見ていると、えらく怖そうなものだが、基本的には、いたって静かな映画だという印象。

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病を得るということ


天龍寺の竹薮

親しい娘さんが「大腸ポリープ」の摘出を受けた際、粘膜下にガンが広がっている可能性が極めて高いという医者の指摘があって、10日後に出るという検査結果を待っている間の親御さんの苦しみは大変なものであった。「若いからガンの進行も早いだろう、私たちより先に逝くなんて・・・」と、最悪の事態を予測したおかあさんは食事も喉を通らないし、ほとんど眠っておられなかったのではないかと思う。

その話を伺って最初に私が考えたのは、医者の診断を受けるまでの10日間をその娘さんはどう過ごしたらいいのだろうということだった。その日々をどんなふうに過ごすかで、検査の結果が出てからのことがほぼ決まるだろうと思った。意見を請われたので私なりに考えた。もし私なら、まずは断食をするだろうと思った。疲れ切った消化器をたっぷり休ませてあげなくてはならない。野菜嫌いで肉やケーキをほぼ毎日食していたという内臓は、多分相当イヤイヤをしていたはずだ。「我が身」とはいうけれど、身体の内部で起こっていることを「我」は何も知らないから、口が欲するものを身体に問わずに取ってしまう。そして身体に変調を感じたら、今度は医療機器や種々の検査を通しての医者の判断を待たずには、我が身のことすらわからない。せめてその10日間は、我が身と親しくつきあって、身体の声を聞いてあげなくては。

結局私はその娘さんに、「一日おきに断食したらどうでしょう。断食をしない日は、玄米クリームなどの穀類と野菜を少々食べたらどうでしょう」と自分の経験を通して知っている範囲のことを言ってみた。娘さんはやはり医者の言葉がショックだったのだろう、肉もケーキもピタリと止めて、なるたけ身体に負担をかけない10日間を過ごしたようだ。その間、漢方医の「断食はきわめて良い選択です。そのときに、胡麻と蜂蜜に根昆布の粉末をたっぷり入れておあがりなさい」という診断に勢いを得て、その娘さんは、自分の身体に結構「親身」になったようだ。生まれて初めてのことだったらしい。娘さんは、ガンの診断を受けたら、漢方医の意見も聞いて、自分でどうするか決めようという決心までしたらしい。10日くらいの間でも人は変わるものだとびっくりした。

診断の結果は、細胞が高度に異形しており、ガンの一歩手前であったという。もちろん油断はできないようだが、もしこの10日間の経験を食生活を含めた生活全体に生かすことができたら、この娘さんはきっと乗り越えられるだろうなあと思った。「我が身」が病を得るということを「我」が責任を持つということについて、若い娘さんがすんなり会得したのを見てちょっと嬉しかった。

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千家十職×みんぱく -国立民族学博物館-



千家十職×みんぱく

3月12日~6月2日まで開催の特別展、千家十職×みんぱく -茶の湯のものづくりと世界のわざ-を観に、大阪府吹田市にある“国立民族学博物館”を訪れました。

千家十職(せんけじゅっしょく)とは、茶道具全般を作る十の家の事です。その歴史はそれぞれ300~400年ほどで、11~17代目を数えます。

【金物師】 中川淨益家
【表具師】 奥村吉兵衛家
【竹細工・柄杓師】 黒田正玄家
【袋師】 土田友湖家
【土風炉・焼物師】 永樂善五郎家
【茶碗師】 樂吉左衛門家
【釜師】 大西清右衛門家
【一閑張細工師】 飛来一閑家
【塗師】 中村宗哲家
【指物師】 駒澤利斎家

代々に亘って、家元をはじめとする様々な茶人をうならせるほどの物を作り続けて来た職家。
その職家の当代や後嗣が、「民博の所蔵品にインスピレーションを得て、何か新しい物を創造する」という初めての試みなのでした。これはもう、面白くないわけがないのです!
あくまでも「職人である」という事で、なかなか表舞台には出てこられない方もいらっしゃる為、そのお考えを知り、どのように制作に携わっていらっしゃるのかを垣間見る事はなかなか叶わない事なのです。

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天龍寺 百花苑 -京都嵐山-



サンザシ

天龍寺の“百花苑”は、今非常ににぎやかです。
牡丹・山吹・石楠花・鍾馗空木(ショウキウツギ)・黒老梅・都わすれ・紫蘭・大手毬・花水木等などが咲きそろっているからです。
専門道場近くでは、山査子(サンザシ)が見頃。竹藪には筍がニョキニョキと出没し、春を満喫しています。

山査子

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-至道無難、唯嫌揀択- えしん先生の禅語教室 その6




睡蓮の花

-至道無難、唯嫌揀択 しどうぶなん、ゆいけんけんじゃく-

初祖達磨大師から数えて三代目の祖師に、「三祖僧粲(そうさん)大師」と仰がれる方がおられます。この人が撰したという『信心銘』は四言対、一四六句の銘文で、禅門では「禅宗四部録」の一つとして大切にされてきたのです。

『禅宗四部録』という書物は、頭を剃って法衣を身につけ、禅寺の小僧になったものが携行して学ぶ、禅入門の基本典籍で、「信心銘」、「証道歌」、「十牛図」、「坐禅儀」を合わせて一本としたものです。『四部録』の提唱本や講義録は今日、どこの本屋さんにも並んでいますから、皆さんも手にとって見てください。私もいま禅文化研究所で、一般市民の人を対象に、毎週火曜日の三時から五時まで、「信心銘研究会」を開いています。関心のある方はどうぞご参加を。

さて『信心銘』を作った僧粲は、五世紀から六世紀初頭(六〇六年沒)に生きた人ですから、『信心銘』は達磨からまだ百年しか経っていない禅宗初期の語録です。したがってその語句にもまだ禅語らしいものは一つも出てきません。使われている語句は、日常使うような普通名詞ばかりであり、その内容も終始一貫して「信と心は二つではない」ということを、繰返し述べるだけで、現在のように煩瑣な論の展開とか、狐につままれたような禅問答というものはありません。実に素朴かつ端的に禅の根本を説いたものです。

「信心」とは読んで字のごとく、「心を信じる」ということです。仏教では「心」のことを特に「仏心」と呼びます。しかも私達は、そういう自分に生得的な仏心を信じる働きもあわせ持っています。それを信じる心としますと、そういう能動的な心と、それによって信じられる受動的な心とは一つのもの、つまり「信心不二、不二信心」というのが、『信心銘』全体を貫いているモチーフです。

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天龍寺の躑躅



白花三葉躑躅_天龍寺

今、関西ではいたる所で躑躅が満開です。
京都では長岡京市の長岡天神がことに有名です。

ここ天龍寺も、赤・白・黄と目を楽しませてくれています。種類が多く、山・満天星(どうだん)・大柴・三葉・白・蓮華・餅・霧島など、10~15種類が庭内に咲き揃っています。
つつじの名称は、次々に咲くことから、「つづき咲き」、花が筒状なので「筒咲き」から来ているそうです。また、漢字で書くと“躑躅”ですが、中国で毒性のあるつつじを羊が誤って食べたところ、足踏みをしてもがき、うずくまってしまったところからこのような字が使われるようになったと言われています。

天龍寺の躑躅 霧島躑躅

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大護摩會 -岩屋山 志明院-



志明院_楼門
志明院 楼門(室町時代の再建)

新たな顔(面)とでもいうのでしょうか……古き都の神髄を見た気がしました。
今まで、京都好きを自称し、普通の人より少しは詳しい?!と思っていましたが、ここを知らずしてよくもそんな風に思っていたなぁ…と、一人恥ずかしくなりました。

雲ケ畑の最奥にある岩屋山志明院(真言宗単立)での護摩會に初めて行かせていただいたのです(4月29日)。
我が実家では、縁あって非常に力を持つとされるこちらの不動尊を信仰しており、毎年お札をいただき、この護摩會にて昨年のお札をお返ししています。
母から素晴らしい所だと聞かされていたものの、なかなか予定が合わずに今まで足を運ぶご縁に恵まれなかった事が悔やまれます。

上賀茂より、細い道をひたすらゆく事約30分。車から降り立った時から既に空気の違いに驚かされ、「このようなところが……」と声になりませんでした。
樹齢100年を越えるといわれる、京都市の天然記念物にも指定されている石楠花は、大地からのパワーで見事に満開。
深山幽谷の世界に、修験の修行や千日回峰行などをされる方が、こういった所で修行を重ね、心身共に極限まで研ぎ澄まされた感覚を持ち、ご自身を高めてゆくのだな…と容易に想像がつくのでした。

石楠花
これで一本の木です。天然記念物の石楠花。

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根来寺 -和歌山-




根来寺 大塔と伝法堂

紀州の観音霊場、紀三井寺と粉河寺参詣のあと、根来塗発祥の地である根来寺にお参りした。
新義真言宗の総本山である根来寺は、その巨大勢力を危ぶんだ秀吉の焼き討ち、いわゆる「根来攻め」にあうまでは、寺領2万石、山内に450もの末院を有して僧兵が1万人もがいたような、一大寺院、というより一大宗教都市であったようである。後に紀州徳川家の庇護を受け一部復興をとげたという。
上の写真の左の大塔は焼き討ちからは逃れたもので国宝に指定されている。日本最大の多宝塔ということであるが本当に美しい建物である。内部は円形の内陣があり大日如来を中心に十体ほどの仏像が取り囲むように配置されている。薄暗い内陣に外からの光が差し込み、息を飲むほど美しい情景にひとときみとれてしまった。

となりの伝法堂には、本尊三尊像(大日如来・金剛薩蝓オ・尊勝仏頂尊)が安置されている。大きな仏像だったが、とても静謐な空気が漂っており、参詣者は多かったが誰もが静かに坐って御本尊に見つめられていた。
尊勝仏頂尊という仏様にははじめてお目にかかった気がするが、実際、とても珍しい仏像だという。

根来寺境内に咲くシャガ
根来寺境内に咲くシャガの花。 広大な境内には清流があって、新緑のもみじが美しかった。
新緑の根来寺境内
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西国観音霊場 第3番 粉河寺に詣る




第3番粉河寺

「ふぼの めぐみもふかき こかわでら ほとけのちかい たのもしのみや」
第2番の紀三井寺と同じ日に、程近い第3番の粉河寺(和歌山県紀の川市粉河2787)にもお参りした。
紀三井寺は、楼門や多宝塔が鮮やかな朱色に塗り直されたばかりで、まばゆい印象であったけれども、この粉河寺は重厚な色合いである。
ここは階段は少ないお寺で、山門をくぐってから敷石の上を、境内を流れる清流沿いに本堂へと歩んでいくと、蓮の花をかたどった御手洗がある。とても美しい造形だ。

御手洗
御手洗のすぐとなりにある中門もまたしかり。「風猛山」の扁額は、紀州徳川十代藩主治宝侯によるものらしいので、この門も何か東照宮の建物のような形のような気がするのは私だけだろうか。

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