トップページ » 2007年11月

京都の紅葉 -ひとりじめできる場所-

竹中稲荷

真如堂をあとにして、その向かいにある宗忠神社へ。神社とお隣の吉田山荘の紅葉を横目に、階段を上がります。しばし歩くと吉田神社の末社、竹中稲荷社の鳥居が見えてきます。
つい先程までいた真如堂には、溢れんばかりの人でしたが、この辺りは誰1人訪れる人もなく…。
何年か前までは、秋でもひっそりとしていた紅葉の名所と言える小さな寺も、最近は朝からものすごい人。情報を得るツールが増えたからでしょうか…。
人のいない名所といえる場所を求めている私です(と言いつつ、さっそくここで紹介)。

紅葉

自然の色って、本当にすごいですね。人は自然には勝てないな…と、災害のみならずこの色を見ても思ってしまいます。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

京都の紅葉 -真如堂-

真如堂

いわずとも知れた紅葉の名所、真如堂。
毎年、観光客でものすごいにぎわいを見せます。
私がいつも思うのは、紅葉の名所=新緑の名所ということ。
毎年一番の見頃がいまいちわかりにくい紅葉に比べると、新緑の時期はわかりやすく長いので、青々した若々しい葉、みどりの世界が楽しめます。
紅葉のみならず、一度5月頃の新緑の時期にも訪れてみて下さい。
と、なぜか紅葉紹介なのに新緑のオススメとなりましたが…。

京都の紅葉 -真如堂-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

京都の紅葉 -霊鑑寺-

秋の霊鑑寺

今週は、京都のさまざまな紅葉をご覧にいれたいと思います。

まずは、11/23~26日まで特別公開されていた、臨済宗南禅寺派の霊鑑寺です。
椿の美しい頃、紅葉の美しい頃のみ、何日間か公開される寺院で、それ以外の時期は非公開です。
由緒正しき門跡寺院のたたずまい。いつ訪れても心清められます。

京都の紅葉 -霊鑑寺-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

まつがおか日記 -鎌倉東慶寺より-

秋を生ける


季刊『禅文化』の206号より、東慶寺の寺庭婦人井上米輝子さんに、自然の彩り鮮やかな、鎌倉は松岡山にある東慶寺の四季の移ろい、季節ごとの喜びや楽しみなどをご寄稿いただいています。

実は、ご寄稿いただく前から、寺庭婦人さんのブログ、-まつがおか日記-をいつも楽しみに拝見させていただいていました。
ことに茶の湯をたしなむ者には、この東慶寺境内の山野草、茶花の豊富な事に心ときめかせつつ、季節ごとに掲載されるその可憐な花々を写真で楽しんでいた次第です。
畑などで採れる季節の恵みは、スーパーで買うのとはまた違って、自然からの恵みに対する感謝の気持ちへと直結しているような気がします。だからこそ、東慶寺で饗される精進料理の美味しさはいかばかりかと…。
近くに住んでいれば、茶会や坐禅会、朗読の会など、あしげく通いたいお寺です。

お月見の供え物

まつがおか日記 -鎌倉東慶寺より-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

天龍寺の紅葉

曹源池に映る紅葉

今年は残暑が猛暑となり、紅葉はどうだろうか…と心配していたものの、季節はちゃんと巡るようである。
11月に入って急に冷え込み、現在天龍寺の紅葉は見頃を迎えている。
特に京都は盆地で、その中でも嵐山は西の端にあるため、天龍寺の紅葉は一番早く、また、下から順に上へと紅葉していく様はえもいわれぬ美しさだ。
12月に入ると、嵐山が真っ赤になり、朝靄(あさもや)の中に見えるその嵐山が曹源池に映る様は誠に幻想的である。
早起きは三文の徳。早朝7時過ぎから天龍寺は開門しています。

えもいわれぬ美しさ

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (3)  | Trackbacks (0)

廬山寺 -京都非公開文化財特別拝観-

廬山寺_大師堂

平安中期に、比叡山天台18世座主元三大師によって船岡山に創建され、1573年に現在の地(上京区寺町通広小路上ル/梨木神社のすぐ近くです)へと移されました。 
御存知の方もおありかと思いますが、船岡山近くには、「廬山寺通」という通り名のみが残っています。

京都非公開文化財特別拝観(11/11まで)で、今回初めて大師堂が公開され、「鬼大師」や、明智光秀の念持仏が公開されるとの事で足を運んでみました。

廬山寺 -京都非公開文化財特別拝観-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

柚子の収穫

収穫前

秋晴れの好天に恵まれた一日、境内に1本だけある柚子の収穫を行った。寒さとともに鍋物が恋しくなる季節、柚子の香りと酸味は料理をいっそう引き立ててくれる。
昨年は実のなりが少なかったが、今年は全体に小ぶりながらもたわわに実ってくれた。早速作業服と厚手の手袋に身を包み、剪定鋏や高枝鋏を使って作業に取りかかる。枝には無数の鋭い刺があり、気をつけないと擦り傷だらけになってしまう。

半日かけて収穫した実は、汁を搾って瓶詰めにして冷蔵庫に保存する。そのまま料理に使ったり、柚子醤油にしたりと冬場の食卓には欠かせない名脇役になる。残った皮は布袋に詰めて風呂に入れ、冬至には早いけれど柚子湯として楽しんだ。古来よりひび・あかぎれを直し、風邪の予防になると伝承されてきた柚子湯だが、血行を促進して疲れや痛みを取り、冷え性にも効果があるらしい。体も芯から温まり、深まりゆく秋を実感できた一日であった。

もぎたての柚子たち

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (2)  | Trackbacks (0)

第4回 西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 その2

菊水楼

第4回“禅と文化の旅”その1はこちら

後ろ髪ひかれる思いで円照寺を後にし、昼食の為、菊水楼へ。
文化財にも指定されているという立派な建物に皆の心も踊り、秋の味覚を堪能しました。
昼食を終えてバスに戻ろうとすると、見送りをするかのように立派な男鹿が。
関西に住む者、ことに奈良をちょくちょく訪れている者にとっては何ら珍しくない鹿も、その他の地域から来られた方には非常に珍しいようで、しばし撮影タイムとなりました。

鹿のお見送り

第4回 西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 その2の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

曽爾高原 -奈良-

soni_1.JPG

奈良の宇陀群にある曽爾高原を訪れた。
この時期、金色に輝くすすき野原が素晴らしいのだ。

百聞は一見に如かず。

曽爾高原のすすきを見ていると、池田遙邨画伯の昭和59年の作品、「うしろ姿のしぐれてゆくか 山頭火」(京都国立博物館蔵)を思い出す。私の好きな絵だ。

曽爾高原 -奈良-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

『日本にのこる達磨伝説』

お達磨の桜から眺めた月山(左)と葉山

 日本の伝説には、著名な高僧たちがしばしば登場する。それら高僧たちは各地を行脚し、困った人を助け、村人に恵みをもたらす。その中でも代表的な人物は、やはり弘法大師空海であろう。  水に不自由をしている村人のために、大師が杖で地面を突くと、そこからこんこんと泉が湧き出した、という「弘法清水」の伝説は全国に分布する。弘法大師のかわりに慈覚大師や泰澄大徳、あるいは蓮如上人などが主人公となっている地方も多い。いずれも庶民のあいだに広く知られたヒーロー的人物である。

 さて、達磨大師がそのような伝説の主人公となっている地が山形にある。「お達磨の桜」という桜の木もあるという。関連書籍やインターネットから手に入るのは断片的な情報ばかりである。
 もう半年以上前になるが、桜の咲く季節に、はるか山形の地まで出かけた。11月20日に新刊発売する『日本にのこる達磨伝説』の取材のためにである。本書は、こういった日本における知られざる達磨伝説を集成したものだ。

 山形県と聞いて、ある年代以上の人なら、テレビドラマの「おしん」を思い浮かべるのではなかろうか。貧しいながらも懸命に生きる人々の姿は視聴者に大きな感動を与え、雪深い山形の地は日本人の郷愁をさそった。
 また、山形の代名詞ともなっているのが、月山・湯殿山・羽黒山の出羽三山である。修験道の聖地として多くの宗教者が集まり、山岳修験のメッカとなった。同じく修験で有名な鳥海山や葉山、さらには山寺と呼ばれる立石寺などもある。宗教的雰囲気の色濃くただよう土地である。
 山形駅からJR左沢線の列車に乗る。朝と夕方は通学の高校生の声がガヤガヤと喧しいが、その時刻以外は静かなローカル線である。「左」を「アテラ」とは、なかなか読めまい。広大な田園地帯の中、しばらく列車にゆられると羽前長崎駅に着く。そこが達磨伝説の地、中山町である。


お達磨の桜


 「お達磨の桜」は、最上川の支流である須川のほとりにあった。その地は、かつての山形街道の渡し場の位置にあたるともいわれる。そこからは月山と葉山を望むことができる。なだらかで女性的な月山と、ごつごつと男性的な葉山が、まるで夫婦のように肩を並べる姿は雄大である。
 「お達磨の桜」とは、三株のエドヒガンの巨木の総称であるが、残念ながら一株は落雷により焼失してしまい、一株は枯死寸前である。残りの一株は幸いに樹勢盛んで、美しい花を咲かせていた。現在では町によって公園として整備がなされ、周辺にも多くの桜が植えられて桜の名所となっている。
 この桜には、名前の由来ともなった、不思議な伝説が伝わる。 

 この伝説の内容について知りたい方は、禅文化研究所発行の『日本にのこる達磨伝説』をご覧ください。


『日本にのこる達磨伝説』

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

第4回 西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 その1

奈良の紅葉

11/3(金)、第4回西村惠信所長といく“禅と文化”の旅のご報告です。
行程はこちら

奈良の町は思った以上に木々の紅葉も美しく、時にバスの中から歓声があがりました。
まず目指すのは大和三門跡寺院の一つ、妙心寺派の円照寺です。普段公開されていませんので、初めて訪れる方がほとんどだったのではないでしょうか。
バスを下りてから皆で参道を歩きます。山に分け入っていく感じで、空気は徐々にひんやりと透明感を増していくようでした。江戸時代、この寺の開山であられる梅宮さまがいらっしゃった頃、門跡寺院であることから御殿と呼ばれはするものの、いかばかりの侘びしさであっただろうと思いをはせます。

参道

第4回 西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 その1の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (1)  | Trackbacks (0)

相国寺の禅林文化 -承天閣美術館-

承天閣美術館

相国寺承天閣美術館にて、-相国寺の禅林文化-と題して、室町から近世にいたるまでの名品が展示中ですので訪れてみました。

さすがは足利家とのゆかり深い相国寺。金閣寺・銀閣寺も相国寺派に属しますので、その所蔵品の筋の良い事、そして格調の高さ、どれをとっても見応えのある物ばかりです。
他ではそうは見られない足利義政ゆかりの物も多数展示中です。
彼がいなければ日本の文化はここまで成熟するのにもっと時間を待つ、あるいは天下人にこのような鋭い感覚の持ち主が出現するのを待たなければならなかったであろうと思える点で、色々な事を言われているこの足利幕府8代将軍を、私はやはり尊敬せざるを得ないのです。身分関係なく、才能ある者は自分の同朋衆に加えた点も、心ひかれます。

さて、この素晴らしい展示と併行して、茶道具名品展も開催されており、美しい堆朱(ついしゅ)の台に乗せられた天目茶碗や、仁清のいかにも京都らしい茶碗、重厚感溢れる多くの水指、食籠なども展示されていました。
12/8までは、秋の特別公開で、相国寺の方丈や法堂、浴室もご覧になれますので、京都へのおでかけの際に、コースに加えられてみてはいかがでしょうか。
こちらの浴室は、有名な妙心寺の明智風炉とはまた違って、おもしろいですよ! 

相国寺にかかる虹
虹_同志社

この日は雨が振ったりやんだり、変なお天気でしたが、夕方にはこのような虹が。
相国寺と同志社の寮です。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

紅葉情報 -高山寺-

kozanji1.jpg

私の好きな寺の1つ。明恵上人の庵として知られる高山寺です。11/4(日)に訪れましたが、なかなか美しい紅葉が見られました。紅葉を楽しみに京都を訪れる方は、どうぞ目安にして下さい。ちなみに、3日に鞍馬を訪れた知り合いは、栂尾ほどに紅葉はしていないと話していました。

開山堂付近

このあたりは、空気が違います。京都市内から30分ほど車を走らせればこんな所がある事に京都に住む有難さを感じます。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

石見銀山2 -出雲-

赤瓦のお寺

大森地区を散策するうちに気づいたこと。 さほど大きな町並みではないのだが、意外にもお寺が多いのである。 臨済宗はないようだったが、浄土真宗を主として、5~6カ寺はあったのではないかと思う。 採掘によって亡くなった方を弔うということも少なくなかったのであろう。 おもしろいのは、どの寺もこの地域の家と同じ赤瓦の本堂である。

そして、もう一つ、下の写真を是非見ていただきたい。

石見銀山2 -出雲-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

狩野永徳 -京都国立博物館-

狩野永徳展 -京都国立博物館-

京都国立博物館では、11/18(日)まで、狩野永徳展が開催されています。
少し前の話ですが、研究所メンバーで、有難くも内覧会に行かせていただきました。

戦国時代、天下統一を目指すほどの武将が出たこの時期、やはり、彼らを納得させるだけの人物があらゆる方面で多々出てくるものなのですね。そういう時代であったということでしょうか。
いくら才能ある人物でも、その人を活かすパトロン的な存在無しには、活躍の場も無い事でしょうし、その活躍ぶりが後世まで讃えられるものとはなり得ないでしょう。
今回は、史上初の永徳の回顧展、さらに今まで皆様の目に触れられる事の無かった物も初公開されています。戦国武将に愛された絵師だけに、その武将たちを祀る禅宗寺院にも彼の作品は数多く残っており、そのような物にもご注目いただきたいところです。

さて、内覧会でさえもものすごい人でしたが、一般公開が始まった今、あまりの人気ぶりに、金・土・日の開館を午後8時までに延長しているとの事です。最近、このような人気の展覧会では、混雑状況もHPにて確認できるようです。
なかなかゆっくり鑑賞とはいきませんが、ぜひ比較的すいている頃を見計らっておでかけになってみてください。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

インドの鉄道

オーランガバード

インドに行くなら必ず一度は体験してみたい列車の旅。
アグラからオーランガバードまでを寝台列車にて移動です。
皆さん乗車時間を聞くとびっくりするかと思います。約17時間です、17時間。
夕方5時頃出発して、昼の11時前に到着。
おかげで、旅のお供の“司馬遼”をだいぶ読み進める事ができました。
ちなみに、アナウンスも電光掲示板も無く、発車ベルさえも鳴らないインドの駅。
だいぶ遅れて電車が到着するわりに、知らない間に出発。走って乗り込む人多数。走っても乗り込めないおばさんのために列車が停まったり…。私が乗る列車も一時間以上遅れましたが、この様々な光景を見ているだけで飽きません。

インドの鉄道の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

金戒光明寺山門 -非公開文化財特別拝観-

金戒光明寺山門  光明寺のイチョウ


前回の“禅と文化”の旅のコースにも入れさせていただき、皆様をお連れした黒谷さん(金戒光明寺)の山門や庭園が、11/11(日)まで特別拝観となっています。
私は光明寺が好きでよく訪れるのですが、今回も山門に登らせていただいて参りました。

幕末に会津藩の駐屯所となったこのお寺。城郭造りのようになっており、京都中が見渡せる地にあり、その景色は圧巻です。山門の上から京都市内を見ると、確かに他の都市に比べて高い建物が少ないのがわかります。反対に、少しでも高い建物が、如何に景観を損ねているかもまるわかりで興ざめなのですが…。

私が初めてこのお寺を訪れたのは、山内の西翁院にある「淀看の席」という茶室が特別に公開された折でした。確かに、昔ならば大阪の方まで見渡す事ができたのでしょう。今は叶わぬその眺望ですが、そんな昔に思いをはせつつ、今回の特別拝観も楽しんで参りました。

黒谷さんからは、歩いて真如堂もすぐそこに。真如堂から忠宗神社を通り、秋深まってゆく吉田山散策などもおすすめです。

特別拝観の詳細についてはこちらをどうぞ
財団法人 京都古文化保存協会

真如堂

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

第59回 正倉院展 -奈良国立博物館-

正倉院展 奈良の鹿_神の使い

奈良が一年のうちに一番賑わうのではないでしょうか。今年も、「正倉院展」が始まっています(11/12まで)。
約1200年も前に異国の地からやってきた、あるいは日本にて作られた美しきもの達。それが今もなお素晴らしい保存状態で受け継がれ、目に触れられる事に感謝の気持ちもひとしおです。
聖武天皇が派遣した遣唐使たちは目利きでもあり、予算の中から日本に持ち帰る美しきもの達を選び、当時非常に困難を極めたであろう航海の末に、日本に新しい文化をもたらしたのです。
異国からやってきた物、そしてその文化を吸収し、日本で日本らしさが加わり作られた物なども目にする事ができました。
異国の文化に尊敬の念を抱くと共に、自分が生まれた国、日本の情緒豊かな面にも触れる事ができ、自国の文化の豊かさに、新たに誇りを持つ機会を与えられた感じがして、是非今後もこの有意義な「正倉院展」が末長く続けられるよう祈るばかりです。

今回私は、展覧される宝物について少しだけでも簡単に勉強してから訪れたいと思い、公式ガイドブックにも認定されている、小学館の「和樂」を読んでから参りました。美しい写真と共にわかりやすく楽しい説明があり、少し知識を入れていくだけで、鑑賞のおもしろみは何倍にも増しますので是非皆様にもオススメしたいです。

さて、余談ですが、この日は張り切って8時半には奈良国立博物館に着いたのですが、既に長蛇の列。いったい、一番前の人は何時から並んでいらっしゃるのでしょうか?!
チケットをお持ちでない方は、チケット販売所の長蛇の列に並んだ後に、入館するためにまたまた長蛇の列へ。是非先にチケットをお求めになってからおでかけ下さいね。

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

乾山の芸術と光琳 -出光美術館(東京)-

乾山の芸術と光琳

丸の内の出光美術館にて、11/3~12/16まで、-乾山の芸術と光琳-展が開催されます。
ご存知のとおり、この尾形光琳(1658-1716)・乾山(1663-1743)の兄弟は、京都の呉服商雁金屋の生まれで、兄弟共に非凡な才能を発揮した、当時を代表する絵師と陶工です。

この乾山が、二条綱平公から与えられた山荘に開いた鳴滝乾山窯の窯跡は、今は研究所によくいらっしゃる和尚さんのお寺の敷地内にあります。
そちらの窯跡での近年における発掘調査の全貌が、今回初公開されるとのことです。

乾山の芸術と光琳 -出光美術館(東京)-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

教育とは 季刊『禅文化』より

秋の実り

社会や家庭における様々な事件が連日報道され、人々の心の荒廃が浮き彫りになっている昨今。
「教育とは」という事を議論し、子供達のためにと考えぬいて「ゆとり教育」というものが実践されてまだ数年。しかしそれももう立ち返って見直される必要性に迫られているとか。

「生死事大、無常迅速、時人を待たず、謹んで放逸すること勿れ」。禅仏教は生死を第一番の大問題にとらえています。そして、その大問題に取り組むために、禅門には師弟間の厳しい教育が存在します。
禅文化研究所でも、この禅仏教がもつ教育方法や人生観をふまえた上で、禅と教育といったテーマで提言していかねばならないところです。
そこで今回、季刊『禅文化』206号には、職員Kの大学時代のゼミ担当教授で、教育哲学が専門であられる松田高志先生に、-教育の前提としての三つの「信」-をご寄稿いただきました。

松田高志先生は、以前に禅文化研究所の哲学研究会にも所属されており、研究所ともご縁が深く、次号以降にも御自身と禅との関わり、京都大学学生時代の居士会(智勝会/於:相国寺僧堂)などについてをお書きいただく予定となっております。
松田先生は、「あぁ、そうなんだ」…と、当たり前のようであってなかなか気付かない事に気付かせてくださいます。しかも、その真理をつく文章は、深く温かくやさしく、素直に心にストンと落ちてくるのです。
是非皆様にご紹介したく、ブログにてとりあげました。

以下、季刊『禅文化』206号より抜粋--

 そもそも教育は、親や教師が頑張れば頑張るほどうまくいかないということが少なくありません。逆に、とても教育(あるいは教師)とは思えないのに、子どもは生き生きと育つということがあります。これは、「教育の逆説」と言ってもよいものですが、特に今の時代は、そういうことが多いように思います。しかしそうであれば、教育としてどこに力を入れていいのか分からなくなります。
 これまで教育についていろいろ考えてきましたが、このような「教育の逆説」を受けとめると、結局教育のやり方よりも、教育以前の、教育の前提となるものが先ずもって大事なのではないか、という気がしてきました。それは、安心して力を入れていいものであり、それが満たされると教育はやりやすくなり、又力を入れてもいい教育(の方向)が見えてくるが、それが満たされないと、教育はやればやるほどおかしくなる、そういう前提です。そしてそういうものとして、少なくとも三つ位あるのではないか、と思うようになりました。それらは、いずれも「信」と言えるものですが、具体的には次のようなものです。…(以後は本誌にて)
-教育の前提としての三つの「信」- 松田高志(神戸女学院大学名誉教授)

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

石見銀山1 -出雲-

石見銀山大森郵便局

日本で一番長い名前の郵便局である「石見銀山大森郵便局」。 今回の出雲行の最後の目玉が、ここ岩見銀山遺跡である。 今年から、世界文化遺産の一つに「石見銀山遺跡とその文化的景観」が登録され、関西の駅や電車などでも広告が目立つようになった。

鎌倉時代に発見され、室町時代~明治時代までと永きにわたって銀を産出してきた場所であり、特に戦国期には、大内氏→尼子氏→毛利氏と領有がうつり、秀吉の朝鮮出兵の際の戦費にも利用されたようである。また、ここでの銀精錬方法が産出量を伸ばすことに優れていたため、その後の日本各地の鉱山技術の基礎になっているとされる。

石見銀山1 -出雲-の続きを読む

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)