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どうしようもない




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盛永宗興老師

「あったかハイム」という住宅のCMがある。寒い夜空の下、愛しい家族の待つ暖かいわが家に向かう--「絵に描いたような幸せ」を可視化したものだ。家路を急ぐおとうさんを待つのは、かわゆい娘であったり、美しい奥さんだったりする。娘は品行方正で成績も良い。奥さんは料理上手で、優しい。おまけに笑顔の素敵な人だ。おとうさんは、仕事もできて部下にも慕われている・・・・・んな家族があるわけないだろ、と思っても、やっぱり憧れるから、ローンを組んでとりあえず家を手に入れようかなあなんて、みんな頑張ってしまうのだ。

元花園大学学長の故盛永宗興老師は、新婚の人たちへのはなむけに、好んで「破鍋(われなべ)に綴じ蓋」という言葉を使われた。「どうしようもない」人が「どうしようもない」人とくっついて、それでもというか、それだからこそ何とかやっていって欲しいという祝辞だったようだ。これは「盛永老師」の言葉でなければ、間違いなく顰蹙ものだっただろう。老師は、「才媛」も、かつて流行った「3K」も、「~代続いたお家柄」も、「どうしようもない」ということにかけては、人後に落ちないと言われたかったのだと思う。

人間の実存の真っ只中に、いかんともしがたい否定性(虚無)があること、人はそれに気づかずにはいられないこと、またその虚無にとどまってもいられないことを、老師は何とか、言葉にして届けたいと思われたのだ。

「あったかハイム」のおうちは、実は断崖絶壁に建っているのだよ、そこを悪夢の館とするか、落ち着きの「場」にするかは、あなたに、あなたたちだけにかかっているのだよ、と。

老師が住持されていた大珠院に、子供のころから通っていた女の子が、中学生になり夢いっぱいの絵葉書を旅先から寄越したとき、老師はその葉書を両手に挟んで、「どうぞ」と祈られたという。その女の子も、どうしようもない人間の否定性(虚無)を免れることはできない、と熟知しておられたからであろう。

故久松真一博士は、その「どうしようもない」ところを「どうするか」と一人ひとりに迫られた。何ぴともその「どうしようもない」ところにとどまっていることができないことを体得しておられたからだ。

まためぐってきた年の瀬に、そんな、老師や博士の「心切」が、「どうしようもない」わたくしには、しきりに思い起こされるのだ。

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ブログをご覧いただいている皆様

今年も一年間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。
本年のブログ更新は今日で最後となります。

来年はまた1月7日より再開させていただく予定です。
また来年もどうぞ禅文化研究所のブログを宜しくお願い致します。

それでは、どうか良いお年をお迎え下さいませ。
ありがとうございました。

禅文化研究所 職員一同

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年末年始 諸々のおしらせ




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皆様おはようございます。
諸々のお知らせをさせていただきます。おつきあい下さいませ。

【白隠さん情報】
去る日曜日、NHKの〈日曜美術館〉で、 -白隠 気迫みなぎる禅画- の放送がありましたね! ご覧になられましたでしょうか。
見逃した方は、30日の夜8時~9時に再放送がございますので、是非ご覧になってみてください!

白隠展に、別冊太陽(うちでもお取り扱いあります)の発刊、白隠さんに大注目ですね。
現在の日本を見たら、ぎろっと睨んでなんと仰る事でしょう?!


【年末年始に関するおしらせ】
2012年12月28日(金)~2013年1月6日まで、冬季休業とさせていただきます。
それに伴いまして、書籍等の販売物のお届けは、本日2012年12月26日(水)午前中までのご注文分を年内に発送させていただきます。
それ以降のご注文分につきましては、2013年1月8日(火)以降のお届けとなりますので、ご迷惑をおかけ致しますが、どうかご了承下さいませ。
カレンダーをまだご準備でない方、年末年始は読書をして過ごそうという方、お急ぎ下さいませ!
年内のお届けは、本日午前中注文分まででございます。

カレンダー・干支色紙各種のお求めは、こちらからどうぞ。

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自坊の前栽庭園

まったくもって自坊の話で恐縮ですが、この秋10月末から約3週間ほどかけて、自坊の書院座敷前にある小さな前栽庭園を、大がかりに造園屋さんにお願いし、手を入れて改修しました。
昨年の総代会や檀家総会で了解を得て、檀家さんには一定額のご負担をいただいて行なっている、諸堂整備の一環としての工事です。

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まずは、こちらが改修前の状態。工事に入られる日に撮ったので、掃除もできていませんが、改修前の庭の様子をご覧ください。
さつきはほとんど枯れてしまったような状態です。というのも奥に見える太い幹は、樟(くすのき)で、庭の上に枝がはり、庭にはいる光をすべてといっていいほど遮っていました。
そこで、造園屋さんには、この樟の枝の伐採も含めて頼んでいました。竹もかなり鬱蒼と生えています。また、苔も、いつのまにかゼニ苔が蔓延り手に負えないほどでした。悲しいほど、庭園の体をなしていませんでした。

お願いした造園屋の社長は、自らも地元の神社や寺院の総代もされているほどの篤信家のようです。
そんなこともあってか、うちのような予算の限られた、かなり無理をお願いしての工事も、薄利に違いないのに、自ら重機を動かし、小さなカラダを動かして、一所懸命に工夫してくださいました。

重機が入り庭にはびこった竹の根をおこし、またレッカー車に釣られて樟の枝をチェンソーで伐採され、いったいどうなってしまうだろうかと、一抹の不安さえおぼえるほどひっくりかえされた庭を、こわごわみていましたが、約3週間たったころ見事に枯山水庭園が仕上がりました。

上記とほぼ同じ位置から撮影してみましたので見比べれば一目瞭然。

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できあがってしばらくすると、成道会の法要を勤修しました。これだけ変わった庭園をみた檀家さん達も大喜びです。
「これはいい庭になった、拝観客受け付けたらどうや、和尚さん」てな声まで聞こえてくる始末。
冗談はさておき、明るい立派な庭ができあがりました。
今までと様子が変わったので、なかなか掃除の仕方に慣れないかもしれませんが、仕上がった庭には大いに満足しているところです。

新しい大きな石もいくつも入りましたが、庭の土中から出てきた塔の台座を使って蹲ができあがったり……。


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また左下の塔も昔から寺にあるもので、どうやら桃山時代のものだろうと言われています。つまり、この寺が再興されて臨済宗になる前からあるものなのです。新旧入り交じった自坊の庭園の完成です。

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シンポジウム「禅僧がみた震災・原発 ~そしてこれから~」




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一昨日の12月19日夕刻、花園大学国際禅学科主催で、公開シンポジウム「禅僧がみた震災・原発 ~そしてこれから~」が開催されたました。場所は京都駅近くの「キャンパスプラザ京都」4F・第2講義室。
仕事を終えて駆けつけ、なんとか最初から聴講することができました。会場には約150名ほど来られていたでしょうか。僧侶らしき方も少なくないようです。
司会進行は、自らも何度も東北でのボランティアを経験した吉田叡禮師(花園大学国際禅学科准教授)。
まずは下記の順で三者による講演がありました。
 「463のご縁」 大内顕龍師(仙台市・東福寺派光明寺副住職)
 「福島から何を学ぶのか? ~私たちの公憤~」田中徳雲(南相馬市・曹洞宗同慶寺住職)
 「悲嘆共感相対 ~傾聴ボランティア養成について~」栗原正雄師(臨済宗妙心寺派教学部長)

三者三様のお話で、それぞれに感じたところを記したいところですが、中でも私を含め来場者の大部分の方は、原発から17キロのところにある同慶寺住職、田中徳雲師のお話が、今更ながらに心に突き刺さったのではないでしょうか。

田中師は、震災前より福島原発が近くにあるということから原発に関する勉強会に参加したり、自ら学んだりしていたそうで、原発は原子炉を冷却できなくなったら一番恐いかということを知っていたとのこと。
そんな中、3/11に大地震勃発。地震から3時間後にtwitterで福島原発の電源喪失を知ったときに、即、付近の人たちにも考えられる状況を訴えて、自らも車で妻や小さな子供3人を乗せて西へと避難し、最終的に福井県の永平寺近辺へ逃げたそうです。
しかし、3月末には妻子を福井に残し、また単身で福島に戻り、そこに残っている人たちと活動を共にされはじめました。
メルトダウンした原発の恐さは十二分に知っている。被爆するのは恐い。しかしそこにしか生活の拠点が見出せない人たちと共に生きようとされているのでした。

「今、もし敦賀で原発がメルトダウンしたら、琵琶湖も汚染されますよ。それで京都に住めますか? では京都からどこへ避難しますか?」。
今迄から頭で考えていたわけですが、田中師のお話を聞いて、よりリアリティを帯びてきます。

また、震災以後、マスコミ報道される内容は、20%しか信用できないとおっしゃいます。「ただちに健康に害はありません」。我々も何度も聞かされた言葉ですが、そんなもの大嘘だったのは周知の事実となりました。しかし、その時、実際に福島にいた人たちのことを、遠隔地にいる私たちはどれほど真剣に考えていただろうかと思わずにおられません。

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福井県で母一人とその後に生まれた子も含めた4人の幼い子供との別居生活。遠隔地であるために、やがてその生活も危機的状況になったそうです。「このままでは放射能にやられる前にダメになっちゃうよ」という妻の言葉を受けて、近く、福井から妻子を福島に呼び戻されるようです。
この決断も胸を打ちました。なぜ危険な福島に子供達を呼び戻す? しかし、私より遙かに原発のことを良く知っている、何が恐いかをよく知っている田中師が、悩んで悩んで出された結論がこれです。
家族への危険をある程度覚悟してでも、身をもって共生している人たちと生きていく、お寺を護持していく、そういう覚悟が見てとれました。

住職されている同慶寺は、本堂や庭は檀家さんたちの度重なる清掃によって、いくらかはきれいになったようですが、庫裡は、今や3000匹もいるだろうといわれる大量発生した大きな鼠の巣となっていて、住めない状況だそうです。
皆さんにも、できれば福島にきて、同慶寺だけではなく、そのありさまを見て臭いをかいで、その現実を感じて欲しいとのことでした。そこに住んでいる人たちもいるのです。2~3日ほどの滞在では被爆量は身体に問題ないとのことです。

先般、またもや政権交代した日本。誰もが平和に安全に暮らせる国土にしてほしいと心から感じないではいられません。

最後にもう一つ。田中師は、こんなすばらしいアイディアの復興計画があるので、是非皆さんにもしっておいてもらいたいとおっしゃったものがあります。「いのちを守る森の防波堤」です。

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別冊太陽「白隠 -衆生本来仏なり」

すでに臨黄合議所から、臨済宗黄檗宗の各末寺寺院にポスターが配布され、目に留められた方もあるかもしれません。来る平成28年に臨済禅師1150年、平成29年に白隠禅師250年の遠諱が正当します。
現在70歳代の禅僧方は、50年前に行なわれた遠諱に、雲水として参加したという方もおられますね。
今度の遠諱については、臨黄合議所で遠諱専門委員会が発足し、いろいろな事業活動の計画が練られているところです。

そんな折、今週末の12/22からは東京渋谷のbunkamura ザ・ミュージアムにて「白隠展」が開催され、また、つい先日、平凡社の別冊太陽から「白隠 -衆生本来仏なり」(芳澤 勝弘・山下 裕二 (監修)/平凡社刊 )という特集号が発売されました。

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白隠のことを知っている人も、聞いたことない人にも、納得の一冊ではないかと思います。白隠禅師の生涯から、その遺されたユニークかつ圧倒されるような書画の数々を、豊富な写真と解説で楽しむことができますし、上記展覧会へ出向く前に読むと、予備知識としても有効でしょう。
執筆は、上記監修者の他に、国内外の識者による豊富なもの。ご一読の価値有りです。

本書は、弊所でも販売をさせていただくことになりましたので、こちらからもお求めいただけます。

これを見ると、ますますホンモノの白隠書画に接したくなることでしょう。そういう人は是非、「白隠展」へ。

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ただでは終わらぬ忘年会




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12月も終盤。忘年会シーズンですね。
私も友人たちと集まっては、忘年会という名を借りて、美味しいものをいただいたりしているわけですが、我が友人たちとの忘年会は、ただでは終わりません。

お酒もまわってきますと、「己は一体どうなのか」というところをとことん撞いてくる者が現れます。
「じゃあそういうあんたはどうなのか」となり、さぁ大変。
何が大変か?!そうやって真正面からとことん来られると、強固だと思っているものも意外に脆くてボロボロだったりするわけです。もともと何も無いのですね。
あげくの果てには、「だからお前はバカなのだ、どうしようもない」と、バカを連発され、一生分の“バカ”を浴びせられました。
いわんとするところはわかれども、だからとて……。

それにしましても、腹を割ってとことん話せる仲間がいるというのは、本当に嬉しい事ですね。
端から見たら大喧嘩ですが、そうして相互理解を深めている気もしますし、自分の事も顧みる機会になります。そして、何故かこの喧嘩を、よく「羨ましい」と言われたりもします(でも、なかなかに本人たちは大変でもあるんですよ)。


そして月曜日。花園大学の学長講座にて、八幡は圓福寺の老師の講演会。
「はからいだらけの世界。頭で考える所なんぞに、仏法は無いぞ」との由。
土曜日に友人が私に言わんとした事と同じ事を、老師も仰っていました。

有り難い事だな……としみじみ思う、年の暮れなのでした。

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*ちなみに、上のひろうすは友人の奥さんてづくり。京都のどんなに美味しい豆腐屋のひろうすよりも、美味しいのです。ここの家は、マヨネーズやジャム、何でもてづくりで最高に美味しい。やはり、てづくりに限りますね!

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注連縄づくり




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こんなシンプルなものでも、とても難しいのです!!!

なんとなく、「買ったしめ縄じゃあ味気無いものだなぁ......」と思っていたところへ、しめ縄作りにお誘いいただき、お邪魔しました。

時間になると、伊賀の土樂さん近くの村人達が八幡さまに集まり、名人を先生に、皆で作り始めます。


今年収穫した稲藁の香りや、藁を持つ手の感触に、遠い記憶で、自身が農耕民族の国の民である事を思い出し、またこれを神の依り代とし、結界を張る事に、この国ならではの事であるなぁ...と思いを馳せて......いるわけにもゆかず、必死で先生のお話を聴き、隣の方がなさるのを見て真似ようと思うのですが、これがどうして、縄一本作るのも難しいわけです。

福森先生や、村でも慣れていらっしゃる方は、するするとこともなげに作ってゆかれます。まるで錬金術を見ているかのよう。
自身で作ってみて改めて、物を作るという事の尊さや難しさ、作ってくださる方が存在する有り難さを思い知ります。
相変わらず、"手"を使っていないな・・・もっと開発せねばな...とも思いました。

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注連縄作りが終わると、村の名人が、馬の注連縄を作る実演をしてくださいました。
締めるとこはきちんと締め、藁がぴしっと整えられて、形づくられてゆきます。慣れた手付きで丁寧に作られた注連縄には、もう既にそこに神が宿っているようでした。

参加していらっしゃったのは村のお年寄りが多かったのですが、いくらお年寄り達が伝えようと思っても伝わるものではなく、どうか若い人が「知りたい、作りたい」と参加される事を願ってやみませんでした。

不器用なりにもなんとか形となった注連縄を飾らせていただくのが、今から楽しみです。

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注連縄作りに若者がいない!?と思いきや、若い男衆は門松の準備をされていました。

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『KYOTO』




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-季刊『KYOTO』(成美堂出版) No.14(2012-13冬)号-

「冬こそ、禅寺へ。」という特集記事の監修をさせていただきました。

「ただでさえ寒い寺へ、何故冬に…。冬は観光客が少ないからそうやって人を集めようとしているな」と思った方、それも一理あるでしょう。

ですが実際、あの、キーンと引き締まった空気の中でこそ、禅寺の良さはまた一層我が心身に迫ってくるものであります。
「気候の良い時だけ」ではホンモノではない(別にそれでいいと仰るかもしれませんが……)。
一度足を運んでみていただきたいものです。

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修練

修練。などとおおげさなタイトルにしてしまいましたが、以前-技を訪う-でも書かせていただきましたが、週に一度、ヨガのお稽古を続けています。始めてからは2年と少しです。

先月、鼻炎なのか風邪なのか、咳が止まらなくなり、お稽古を1ヶ月ほどお休みしました。
お稽古復活の日、「せっかく続けてきたのに、この休んだ1ヶ月でたるんだ身体を元に戻すのにはまた何ヶ月かかかるのだろうな…今日は身体も動かないだろう」と、少し沈んだ気分ででかけました。

ところが、レッスンが始まると、意外にも身体は生き生きと先生の声に合わせて動き、そんな身体に支えられて、沈んだ気分も上昇。明るい気持ちで稽古に打ち込む事ができたのです。

ヨガを始めるまでは、特に身体を動かす事をしていなかったので、いつもどちらかというと、「私はできる」という精神が、身体を支えて頑張っている感じだったのが、初めて身体に支えらるという事を知りました。
新たな気付きを得たという事では、休んだ1ヶ月も無駄ではなかったようです。

また、自分でも気付かぬうちに、少しでも強くしなやかな身体になっていたというのは、先生のとても細かく丁寧なご指導の賜物……と、心より有難く思いました。

ふと、茶の湯の師匠の事も思い出しました。同じく、とても細かく丁寧な指導をしてくださるのです。人によってはそれを、「お茶の点前は細かくてうるさい」などと思うようですが、そこには大きな意味があるのですよね。それを会得するには、長く続ける事しか無いのだな……と思います。

師と弟子の蝠髄崧ッ時、心通いあうところというのが、ようやくわかってきたこの頃です。

茶の湯やヨガでは、師や仲間と寝食を共にするというのは私の場合、さすがにありませんが、それでもわかってくるものがある。ならば、僧堂ではどうだろう……と、いつも羨望のまなざしを向けている私なのです。
(↑「そんな理想を持っている者ほど、僧堂に入ると続かない」と言われましたが。笑 お坊さん達は面白いですね)

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記念講演会「東嶺圓慈墨蹟に流れるもの」




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去る12月6日午後1時半より、花園大学教堂において、現在開催している「東嶺圓慈展」を記念しての講演会を開催しました。
講演は、丸山 猶計氏(九州国立博物館主任研究員)による「東嶺圓慈墨蹟に流れるもの」というもので、ご自身が書という物に興味を持ちはじめたことから、今のような仕事をするようになったことを踏まえ、東嶺禅師と関係の深い禅僧の書と見比べながら、東嶺墨蹟についてお話を頂きました。

特に、今回の講演会のポスターやパンフレットにあしらわれている「一華開五葉」「結果自然成」の対幅の素晴らしさを強調され、その筆遣いに魅了されたと話されました。
そして、最後に仰った以下のようなお言葉に感銘を受けました。

「赤ん坊は親から体温をいただいて生まれてくる。だから、言葉より前に体温の方が先にあるということ。天上天下唯我独尊ということを言葉として理解してしまうが、その前には体温というものがあって、その体温が言葉になっていく軌跡が筆跡であって墨跡ではなかろうかと考えている。だから、展覧会の会場において書いて有ることがわかれば終わりではなく、墨跡や筆跡に触れるということは、書かれた人の体温をそのまま感じるということで、筆跡の向こう側にある東嶺禅師の皮膚であるとか血液であるとか骨であるとかを観じながら、ずっと見続けていくことが必要なのだ」。

これからの展覧会での楽しみ方が一つ増えた気がしました。

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教えを染み込ませる




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ある日、母に、我が母だという甘えもあり、ついついとある不満をもらしていました。
すると母は、先日彼女に対して、ある人が言ってきた発言について教えてくれました。それは、娘の私が聞いても怒り心頭に発するような発言で、「なんたること!」と怒っている私に対して母は、

「でもね、お母さん何言われても怒らない事にしてるの。違う眼でみれば、そんな風に見える事もあるんだろうなって。お母さんが間違ってるのかもしれないし、わからないからね。それに、ダライ・ラマ法王の本にも、五井昌久先生(宗教家)の本にも、怒りは何も生み出さないとあったから。お母さんバカだしすぐ忘れるから、毎日枕元に置いてこれらの本を少しずつ読むの」。

ガーンと頭を撞かれた思いでした。親というものには、かなわないものですね……。
ことにダライ・ラマ法王の本は、偉そうに私が母に対して「これでも読めば」と渡した本でした。

以前、とあるチベット僧が話してくれた事を思い出しました。
チベット人は、生まれた時からずっと、たゆまず、少しずつ仏教の教えを学び、身心にそれらを染み込ませて育ってゆく。そうしてああいう民になってゆくのだ……と。

確かに人間、感動的な話を読んだり、有難いお話を聞いて、その時だけは「今から悔い改めよう」と思いますが、思った瞬間にすぐその思いはどこかへゆき、実行が伴わない事は日常茶飯事です。
日々、自らに染み込ませてゆき、己の物としてゆく事は大切ですね。

ということで、枕元に置いて毎晩読んでもしんどくない、すっと心に入ってくる、そんな本はうちの研究所ではどの本かな?!と、私のセレクトしたものを下記に紹介致します。
眠れなくなるような、考えてしまう本は選んでいません。是非枕元に!

『和顔』『愛語』 山田無文老師

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』 西村惠信所長

『いろはにほへと』 横田南嶺老師

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クリスマス礼拝



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先日、母校・神戸女学院大学のオープンキャンパスがあり、そこに集う高校生の皆さんに対して、クリスマス礼拝のひとときが持たれました。第二次世界大戦中もチャペルアワーが守られたと伝わる我が母校の精神を知っていただくのには、最良の機会だったと思います。

私は、大学生時代のゼミ担当教授(よく登場、松田高志先生)にお誘いいただき、初々しい高校生に混じりお邪魔させていただきました。

讃美歌を歌い、チャプレンにより、その日の主題・説教に合った聖書の一節が読み上げられます。
その静かで穏やかな声を拝聴していると、大学生時代にタイムスリップするかのようで、もう一度女学院に戻れるならば、毎日喜んで礼拝に参加したいと思いました。


女学院では、クリスマスに向けて様々な準備がなされていますが、クリスマスといえばプレゼント、プレゼントといえば神が我々人間にイエス・キリストという人をお遣わしになったのは最大のプレゼントではありますが、女学院も、アメリカより海を超えて来られた宣教師、ダッドレー女史と、タルカット女史のお
2人が、御自身たちが持っているものを日本に、日本人にプレゼントしたいという思いから、137年前に創立されました。
自身が持っていて、少しでも他に分け与える事ができるものは、プレゼントする、分かち合う。その建学の精神は今なお女学院に、女学院生に引き継がれています......云々。


私も母校では様々なプレゼントを受け取り、今なおその影響を深く受けていると思っています。教育の場に、土台となる教えがあり、筋が通っているという事の大切さについて思いを馳せます。
また、ヴォーリズ建築の校舎で過ごす4年間も、知らぬ間にホンモノを見る眼、感じる力を養ってくれていたと、近頃になってひしひしと感じます。環境はとても大切で、知らぬ間に影響を受けるものです。

チャプレンからのお話の後は、さらに讃美歌を歌い、しばしの時間、皆で黙祷。
坐禅も好きですが、パイプオルガンの荘厳な響きの中で捧げる黙祷も心落ち着くものです。
人間は、わざわざ違いをみつけては比べてみたり、否定してみたり、あーだこうだと言い合いますが、この静寂な時間を尊び、内にある仏性に触れる、神と出会う事に何の違いがあろう......と思いました。
オープンキャンパスにいらした高校生の方たちにも、このひとときは魂に響いた事かと思います。


花園大学の安永祖堂老師が、キリスト教の修道士・修道女との交流や、聖書やキリスト者の書物から気付かされる事は大いにあり、またその逆もあるものだという大変興味深いお話をよくしてくださいますが、他を受け入れる気持ちを持てば、それこそ思いがけぬプレゼントがあるものだな......と思う今日この頃です。

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祖母の七回忌




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願わくはこの功徳をもってあまねく一切に及ぼし、我ら衆生みなともに仏道を成ぜんことを、、、南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経………


私事ですが、先日祖母の七回忌の法要を執り行いました。
我が家は、祖父は禅に惹かれて禅宗の僧侶となりましたが、代々は日蓮宗です。
この日も、日蓮宗のお寺さんからいつも来ていただくお坊さんに来ていただき、お経をあげていただきました。

40分以上でしょうか……。
時に祖母の遺影を見つつ、一心にお経を唱えてくださる和尚様の後ろに座り、坐禅をしている時のように呼吸してみたり、また、お経の文句を注意深く拝聴してみたり、さらに「終わればお茶お出ししなきゃ」と考えてみたり、なかなか集中していないわけでありますが、いつの間にかひきこまれてゆき、最後に四弘誓願を唱え、南無妙法蓮華経を何度も唱えられる頃には、なんだかありがたい気持ちでいっぱい満たされ、感動していました。
和尚の読経が、身体と心に染み入ってゆくようでした。
単に祖母の供養をするのみではなく、生きとし生ける者の事を祈り、自身を顧みる時間をいただけました。


いつだったか、臨済僧堂の阿部浩三老師が、「葬式仏教、葬式坊主などといわれるが、葬式坊主なら葬式坊主でいいではないか。しっかりと葬式をしてさしあげる坊主になればいいのだ」というようなことを仰ったことがあります。
しっかりと葬式をする、お経を唱える、供養をするという事は、なまなかな事ではできないのです。

在家の者はちゃんと見ていますし聴いていますので、和尚様方も気は抜けません!
和尚様のお経から、どういう思いでお経を唱えてくださっているのか、今まで和尚がどのような修行をされてきたのか、それが知らずともわかってくるわけであります(なんて言うと、こわすぎますか?)。
なにせこの日は、お経一つで、こちらを教化してくださいました。

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「白隠展 -禅画に込めたメッセージ」




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この冬、注目の展覧会が東京渋谷のbunkamura「ザ・ミュージアム」にて開催されます。「白隠展 -禅画に込めたメッセージ」です。
元・禅文化研究所の主幹(私の元上司)だった芳澤勝弘(現・花園大学国際禅学研究所教授)が研究されている白隠の書画の集大成、『白隠禅画墨蹟』(二玄社)が先年刊行されました。それ以来、芳澤先生は世界各地を股にかけて、白隠禅画の特徴を講演してまわっておられます。
このいまや白隠研究の第一人者ともいえる芳澤先生と、明治学院大学の山下裕二教授(美術史)が監修されて、この展覧会が企画されました。

期間は2012/12/22~2013/2/24です。期間中、以下イベントが企画されており、こちらもとても興味深いものです。

◆シンポジウム(場所:学士会館にて)
1/30 白隠フォーラム「白隠禅画の面白さ」
出演:横田南嶺老師(円覚寺管長)、アラン・スペンス氏(作家)、竹下・ルッジェリ・アンナ氏(京都外大准教授)、芳澤勝弘教授、ベッカー・ヤン・クレメンス(テュービンゲン大学アジア地域文化研究所日本学科研究員)

◆トークイベント(場所:Bunkamuraにて。1/20のイベントのみ渋谷ヒカリエ8にて開催)
○12/25 「ハッピーバースデー、白隠さん」 白隠禅師の御誕生日に行なわれます。出演、しりあがり寿氏(漫画家)、山下裕二教授
○1/14 & 2/6 「白隠禅画を読み解く」 芳澤勝弘教授による、白隠画賛の読み解き。
○1/20 「山下教授の特別課外授業」 山下裕二教授と、音声ガイドを担当する井浦新氏(俳優、クリエーター)のスペシャルトーク
○1/23 「日本美術応援団、白隠を応援する」 日本美術応援団団員の赤瀬川原平氏(現代美術家・作家)、南伸坊氏(イラストレーター)が、団長の山下裕二教授とともに白隠を応援。

詳しくはbunkamuraのWEBサイトを御覧ください。
私もいずれかには必ず足を運ぼうと思っています。

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第10回 禅と文化の旅 ご報告 その3




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あぁ...この反り具合......

さて、その1その2と、第10回禅と文化の旅についてご報告して参りましたが、最終回です。

国宝観音堂をとくと拝見&参拝させていただいた後は、これまた国宝の開山堂へ。
前方からみると、上写真のように、一つのお堂、のみが見えますが、実は奥へとお堂が続いています。

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相の間を挟んで、礼堂が増築されたのが、上の写真の右の部分です。
一番奥の開山堂には、開山仏徳禅師の宝匡印塔が祀られています。
宝匡印塔も拝ませていただき、有難い事でした。さすがに、一番大切なところであるからして、写真を撮りまくっていた私も、撮れませんでした(HPに載っていますのでご覧になりたい方はどうぞ)。

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道と言えるのだろうか......

開山堂のお次は、執事の虎山師が、「足腰大丈夫ですという方、夢窓国師様が坐禅したと伝わる坐禅石へお連れしましょう!」と、こともなげに仰るので、ほとんどの方が参加して一路坐禅石へ!
いや、虎山さん、革靴の方もいらっしゃるのに、普通に登山道(上写真)でしたよ......。
それでもなんとか皆さん無事に坐禅石へ。登った甲斐がありました!絶景かな!!
時間あれば、坐禅してみたいですねぇ。。。 時間が無いので、落ち葉の降り積もった山の中をまた帰りました。

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この眺望!!!


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翡翠のよう!


予定通り、ゆったりと永保寺さんで過ごさせていただき、15時過ぎには岐阜県現代陶芸美術館へ。
今回は、大阪のお医者様・小早川氏が蒐集されたマイセン陶器のコレクションが寄贈されたのを記念して、「麗しのマイセン人形展」が開催中。

それは立派なコレクションの数々で、世界的に見ても貴重な品が保存状態も良好であるとの事。
お城に置かれたらどれだけ映える事だろう...と、ヨーロッパの城を思い浮かべながら拝見。
個人的には、あまりに自身の生活とはかけ離れた立派なものばかりなので、小さな人形やカップ&ソーサーなど、やはり普段の生活に使えそうな物に心惹かれました。
マイセンのカップの口あたりはやはり素晴らしいもので、それでいただくコーヒーや紅茶、ケーキなどは、ティータイムを豊かにしてくれ、西洋の白い磁器の美しさもやはり私は好きなのです。

そしてさらに、違うギャラリーでは、岐阜県ゆかりの人間国宝展が開催中でした。
こちらも、自分が使いたい物は?!という視線で見てしまいます。一番惹かれましたのは、小山富士夫氏の南蛮水指でした。小間でびしょびしょに濡らして使いたいものです。
そんな個人的な事はさておき、日本に残してゆかねばならぬ技法を受け継ぎ、伝えた賢人たちの作品を一度に拝見し、眼福の極みでした。

美術館を後にしまして、ほぼ予定通り、19時過ぎには京都駅に到着。
少し遠出の禅と文化の旅。 皆さんのご様子を写した写真がありますが、笑顔ばかり。もちろん、時に真剣。良き旅であった事を願います。
ご参加いただきまして、誠にありがとうございました。
御縁をありがたく思っております。

来年は春に開催予定。また是非ご参加くださいませ。
ありがとうございました。

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第10回 禅と文化の旅 ご報告 その2




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昨日にひきつづき、禅と文化の旅のご報告です(上写真は、庫裡と方丈です)。

精進料理をいただき、方丈の三尊像を参拝した後は、私も大好きな禅堂へ。
こちらの禅堂、一般の坐禅会でも使われており、多い時では100名を超す参加者でにぎわうのだとか。さらに、写経の会も大にぎわいだそうです。

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禅堂隣には、上写真のような空間が広がっています。とても大切な間(ま)ですね。
6月に訪れた際には、このようにあたり一面青々と清々しいものでした。
四季の移ろいを感じ、流れる川のせせらぎ、葉のゆれる音を聴きながらの坐禅。
素晴らしい環境です。

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お次は、お待ちかね、国宝観音堂内部へ(詳しくは永保寺HP・国指定文化財のページをご覧ください)。

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葺き替えられたばかりの檜皮葺きの屋根の美しいこと。
こちらの観音堂と円覚寺の舎利殿は、寺巡りがお好きな方や禅宗ファンのみならず、デザイン関係の方、建築関係の方など、多くの方にご覧いただきたい比類無き美しさのお堂です。

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聖観世音菩薩坐像。須弥壇上にあります、岩窟式厨子に祀られています。
岩窟内に華鬘がありますのもなんだか初めて拝見する形式で、新鮮です。

さらに明日へとつづく

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第10回 禅と文化の旅 ご報告 その1




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11月30日(金)、恒例の"禅と文化"の旅を無事終える事ができました。
ご参加いただきました皆様、誠にありがとうございました。
お天気にも恵まれ、本当にありがたい事でした。

〈詳細はこちら

永保寺に時間通りに到着しますと、永保寺の執事で、塔頭・保寿院の虎山師が駐車場でお出迎えくださり、一行は美しい観音堂や開山堂を目にした後、まずは精進料理をいただく為、書院へ。

永保寺さん御用達の精進料理、紀文さんにお膳をお願いしました。一つ一つ丁寧に作られた美しい料理の数々に、皆様も喜んでくださった模様。お腹もいっぱいになられた事と思います。

そしてなんとこの日は、臘八大接心が始まる前日で、把針灸治の日であるにも関わらず、雲水さんたちが接待してくださいました。
まだ若い雲水さん達のきびきびとした動きをご覧いただく機会もなかなかに無い事ですので、皆さんの目にも珍しく、雲水さんには申し訳なかったのですが、我々としては良かったな、有難い事だな......と。

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ちなみに、お食事をいただいた書院の欄間は、それぞれ違うものがはめられ、永保寺の景色を模した物となっていて、素敵なものでした。



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お食事後には、方丈の釈迦三尊像を前に、虎山師からのお話を拝聴。
この三尊像、実は、2008年の禅と文化の旅でお邪魔させていただいた、平安佛所・江里康慧先生によるもの。

おや、2008年の旅のブログの、先生の左横にありますまだ彫られていないお釈迦様、もしかしますと、永保寺さんのお釈迦様かもしれませんね?!
2008年にご参加の皆様からは、「あの江里先生の!」と、感嘆の声と笑顔がこぼれました。
写真は、減るもんじゃなし、どこを撮っても、何を撮ってもOKとの事で、写真好きな方々は特に熱心にシャッターを切っていらっしゃいました。私もiPhoneで色々と......(全てこれで撮った写真です)。

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明日へつづく。

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御苑の秋




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観光客の方は、多くの方がいわゆる紅葉が有名なお寺へおでかけの模様。
それはもう、素晴らしい紅葉を愛でる事ができるかと思うのですが、一度、京都御苑をゆっくり歩きに来ていただきたいなと思います。
自分だけの秘密の場所のような空間がみつかりますよ。

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近衛の桜あたりはこんな感じ。この枝ぶりは、花の無い季節でも愛でてしまいます。

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イチョウの黄金色が大好き。散ってもなお美しいですね。

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たまに朝食を食べたりするお気に入りの場所。
御苑内でどこよりもふわふわの枯葉がたっぷりと積もる場所です。

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