松島 青龍山瑞巌寺
街路樹のイチョウが黄金に輝く北山通り。
その通りに面して、ここ、表千家北山会館がある。
現在、特別展「九州古陶磁名品展-田中丸コレクション-」が開催中だ。>12/17(日)まで・無休
九州の実業家であり、表千家先代の即中斎宗匠とも親交厚かった、田中丸善八翁が収集した九州の古陶磁コレクションを紹介している。
秀吉の時代、朝鮮征伐の折に戦地に赴いた武将が、朝鮮から陶工を連れ帰った。
そんな陶工たちに窯を築かせ、茶の湯に使う陶器等を焼かせた地が、九州である。
現在も存続している窯元の名品。また、今となっては廃窯となってしまった窯元の名品なども揃っており、これほど多く九州の焼き物に触れる機会はそうはないだろう。
九州の実業家が、郷土を愛し数々の地元の窯の名品を集め、それを茶事に用いていた。
直接人柄に触れることが出来なくとも、その人が集めて慈しんだ所蔵品を拝見するだけで、善八翁が、茶人として、人としてもさぞかし魅力ある人物であったろうと想像できるのだ。
北山会館2階では、お抹茶とお菓子がいただける。
静かに座っていると、ガラス窓の向こうに、ちょっとした庭が作ってあり、北山通りの向こうは植物園。
ちょうどイチョウの鮮やかな黄金色と、植物園の木々が見える。
2階にいる為、道路などは見えず、植物園の木々を借景する形に・・・。
さすがこんな所にも心づくしが・・・と思いつつ、移りゆく季節を感じながら、美味しいお抹茶をいただいた。
この仏像展の情報は、関西でもポスターやテレビでの情報を見かけたこともあるからだが、実は、数多い観音様の仏像の中で私が一番美しいと思っている、滋賀県の高月町にある渡岸寺観音堂(向源寺) の十一面観音様が、この仏像展に出展されているからなのである。因みに、渡岸寺は、「どうがんじ」と読む。
本当は私だけではなく、国宝に指定されている十一面観音の中でも、もっとも美しいとされているのであって、かの井上靖さんもその著書『星と祭』でこの観音様のことを書かれているらしい。さっそく読んでみなくては……。
近頃若い人にひげを伸ばしている人が多くなった。
しかし新モンゴロイド人種は一般に体毛が薄いので、様になっている人は少ない。
その点西洋人は実に立派なひげを蓄えるものである。
古代ギリシャにも、ひげを蓄える風習があった(特に初期)。
しかし古代ローマの男たちは大抵剃っていた。
そんなローマでひげを蓄えていたのが異民族と哲学者たちであった。
「ローマは武力でギリシアを征服したが、ギリシアは文化でローマを征服した」
と言われるように、ローマでも哲学と言えばギリシア哲学が全盛であった。
哲学者たちはおのずとギリシアの風習を真似るようになったのである。
だからひげは、しばしば哲学者気取りのギリシア文化愛好家に対する揶揄の材料ともなった。
「ヒゲを伸ばしても哲学者にはなれないよ」と。
ひげへの見方は地域だけではなく時代によっても変わる。
男性的なものが強調される時代には、やはりひげがもてはやされるようだ。
バロックやロココの時代の男はみな剃っていた。バッハやモーツアルトの肖像画にひげはない。
十九世紀の帝国主義の時代になると、またひげの時代を迎える。
少し年配の方なら、マルクスやエンゲルスの凄いひげは、なじみのものであろう。
そんなひげ時代が始まろうとしている中、ショーペンハウアーは
「ひげは男性の第二次性徴だから極めて性的なものである。そんなものを顔のど真ん中にくっつけているのは猥褻も甚だしい」
という趣旨のことを書いている。偏屈哲学者の面目躍如である。
京都では、紅葉が盛りの時期を迎えています。
京都御苑でも、様々な木々が色づき、そんな鮮やかな彩りの中、梨木神社では結婚式が行なわれていたりします。
神社の鳥居、木々の紅葉、着物で来られた参列者達が目に鮮やか。日本の美しい風景です。
子ども達は、暖かい格好をさせてもらい、落ち葉を踏みしめる時の音を楽しんでいます。
御苑内では、普段あまり見かけない鳥にも遭遇します。
京都では、まだまだそこここに、美しい風景がいっぱいです。
プナカの標高は、1,350m。首都ティンプーより1,000m低く、亜熱帯気候という事で、ティンプーよりもかなり暖かい。
プナカ・ゾンはンガワン・ナムゲルの創建で、冬の都として栄えている。
冬には、宗教界の最高権威である、ジェ・ケンポをはじめタシチョ・ゾンの僧侶達がここで生活をする。
民族学では、トランス・ヒューマンスといって、季節によって低地と高地を住み分けるライフスタイルだ。
ゾンの門の中では、色彩豊かな曼荼羅がお出迎え。
私がへびどしだと言うと、すぐに年齢がばれるあたり、ブータン人との会話ははずむ。
ちなみにガイドは亥年だと言っていた。
去る十月のある日、晴天の秋空のもと、丹波特産の黒大豆枝豆(黒豆)の収穫に精を出した。
自坊の畑に植えられた黒豆を収穫するのだ。
京都の某僧堂から、五人の雲水さんに助っ人に来てもらっている。
今年、引き手で来た雲水さんは、僧堂歴六年目で、彼が言うには、
「私が新到の時に、初めてここへ来ました」と。
よって、この「雲水黒豆大会」も、今年で六年目である。
まず、本堂で、般若心経を唱え、畑に下りて、いきなり収穫にとりかかる。
最初の作業は、枝から「さや」だけをむしり取る。本当は、枝にさやを残して、葉っぱだけを落とすのだが、これは、十時の「おやつ」用で、一人の雲水さんが、すぐに台所にもって行き、塩ゆでにする。
それを、また、畑に持って行き、すぐに食べる。小生は、ビールを取りに走る。取りたて、ゆでたての黒豆は、最高にうまい、ビールもうまい。
丹波の黒豆(くろまめ)はうまいが、小生が仕事にしている漢文語録の黒豆(こくず)は、あまりうまいものではない。
やっと、『五灯会元』の全文訓読も脱稿し、黒豆(こくず)から解放されたと思ったら、あのうまい黒豆(くろまめ)もシーズンオフとなってしまった。また、来年の「雲水黒豆大会」を期待しよう。
去る11月12日、恒例の上京茶会があり、拾翠亭にて裏千家による懸釜があった。
春と秋に、上京区主催にて、表千家と裏千家が交代で京都の上京区内の茶室にて釜を懸ける。
茶道を嗜む者もそうでない者も一緒になって、一服のお茶をいただきに集う。
なかなか好評のようで、いつも多くの客でにぎわっている。
敷居が低く気軽に行きやすい上に、普段入る事のできないような茶室で本格的なお道具などを味わえるからだろう。
禅語に「眉鬚堕落(びしゅだらく)」というものがある。
眉やひげが脱け落ちてしまう、と言う意味であるが、言語を弄してみだりに仏法を説くと、その罪で眉やひげが脱け落ちてしまう、とのことである。
弟子のためにあえて言葉で仏法を説く場合は「不惜眉毛(ふしゃくびもう)」という。
初めてこの言葉に接した時、ふと思ったのは、眉はともかく、そんなに多くの禅僧がひげ(鬚はあごひげ)を伸ばしていたのだろうか、という疑問である。
普段からひげを剃っている人にとっては、ひげが抜けたとしても何の不都合もないだろう。
出家者に薄毛(いわゆるハゲ)の悩みがないように。
出家者は本来、髪はもちろん、ひげもきれいに剃るのが戒律の定めである。
東南アジアでは眉も剃るという。
ところが、中国では宋代のころから髮やひげ、更には爪も伸びたままにしておく禅僧も多くなったようなのである。日本に伝わる中国禅僧の肖像画のいくつかにも、髮やひげが描かれている。
当時、禅僧と髮やひげとの間には、あまり違和は感じられていなかったようである。
そんな風習を道元は、仏祖の戒めに背くものとして厳しく非難している。
たしかに、爪を伸ばすのは、労働とは無縁な士大夫階級を象徴する風習であった。
岐阜県多治見市にある、南禅寺派の修行道場、虎渓山永保寺を訪れた。
妙心寺派の某教区寺庭婦人研修会がここで開かれ、私は、ここに講師として呼んでいただいたためである。
ここは天龍寺開山でもある夢窓国師が開かれた名刹であるが、数年前、方丈や庫裡を消失した。
火事の際には、火は屋根裏をつたってあっというまに延焼したため、消防車がかけつけたときには、ほぼ焼け落ちてしまった後だったということである。
今、その再建工事の真っただ中である。
先にも書いたとおり、この寺は約700年前に夢窓国師が開かれた寺で、水月堂と呼ばれる観音堂は、夢窓国師が開かれた翌年に建てられたものである。その前に広がる廻遊式庭園は、これも夢窓国師の作庭であると伝えられている。
研修会を行なった寺庭婦人会は、皆で延命十句観音経の写経を奉納し、永保寺の再建祈願をされた。
ただ心配なことに、この再建工事を行なっている中村建設が、9月に不渡り手形を発行し民事再生法を申請したということで、住職である萬仭軒老大師をはじめ、関係各位のご心労をお察しする。
各地の美術館から、京焼の名品が里帰りしている。(11/26まで)
京焼というと、仁清・乾山などの鮮やかな雅びなものをすぐに思い起こすが、
京都御苑の、公家町跡から発掘された生活用の陶器を見たり、さすがは京博での展示ともなれば、仁清などでも、その作風の幅広さを伺える膨大な数の展示品があり、京焼と言えばこうだという固定観念を覆され、非常に良い機会を与えられた。
また、各地に招聘され出向いた京都の陶工の歴史を見ると、京都が如何に文化の発信地として重要な役割を担ってきたのか再認識でき、京都にいながらにして、京都の焼き物よりも地方の焼き物に惹かれていた私であるが、もう一度京都の焼き物をきちんと見て、窯元も散策してみようと思った次第。
広すぎる美術館は、お腹がいっぱいになりすぎるので敬遠しがちな私だが、やはり、これだけの規模の美術館・博物館だからこそできる展示もあるわけで、これからは敬遠せず通おうと思えた。
去る11月11日(土)、恒例のバスツアーを催行致しました。
この秋は、混雑する京都を避け、滋賀への旅を企画。
禅や美術に触れる旅となりました。
当日の天気予報は雨・・・でしたが、さほど降られる事もなく、無事全行程を終えさせていただきました。
奈良国立博物館で、第58回正倉院展が開かれている(平成18年10月24日~11月12日)ので、文化の日につられて、その翌日、三連休の中日に奈良を訪ねた。
多少の混雑は想像していたのだが、甘かった。奈良国立博物館のある奈良公園ちかくの道路は大渋滞。その混雑を見越してか、空には飛行船が浮かんでいた。
潔く奈良博を後にして、今度は国宝を特別公開している、となりの興福寺に参詣することにした。
今、興福寺は創建1300年を間近にして、境内の整備事業をされていて、工事中が目立つ。
京都伊勢丹の7階にある、美術館「えき」にて、吉村作治先生の40年の軌跡をたどる展示を観に出かけた。>11/26まで開催中。
そういえば、小学生の頃から、「エジプトに行ってみたい!」と憧れを抱くようになったのも、吉村先生の影響だった。エジプトを熱く語る先生の姿は、当時小学生だった私にもとても印象的なものだったのだ。
実際、7年前にエジプトを訪れたが、ピラミッドを目の前に観た時には、ことばは一言も出ず、ただただ、涙するばかりだった。
王家の谷の灼熱地獄にはまいったが、他の国では味わう事のないような太陽の力に圧倒され、この国の人々が太陽神と崇めたのが、わかるような気がしたものだ。
会場に入ると、まずは吉村先生のことばが・・・
禅文化研究所客員研究員・李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
チベットの厳しい自然の中でも、草は根を張り、美しい花を咲かせます。
専門家さえその品種を特定するのが難しい植物もあるとの事で、植物の詳しい説明は避けたいと思います。
どうか、美しい写真をお楽しみ下さい。
尚、チベットの植物について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんどんコメント宜しくお願い致します。
追伸:お父さんの李建華さんによる、チベット紀行も必見です!!!
※写真の無断転載・利用はおやめください。
3100メートルあるド・チュラ峠を超えて、どんどん標高が下がってくると、空気も植物も違い、汗ばんで来る陽気だ。
首都ティンプーが約2000メートルといわれるが、この辺りは約1000メートル。違うわけだ。
橋を渡り、崖っぷちにそびえ立つワンデュポタン・ゾンを訪れた。
10月15日、飛騨高山を訪れた。
いつも高山を訪れるのは、大好きな釜元があるからだ。
渋草焼といって、精緻ながらもなんとも温かい絵が気に入っている。>当代は6代目で、戸田柳造氏。
茶道具はそれなりの値段だが、普段使いの湯のみや皿は求めやすい値段で、使っていると何とも言えない愛着が湧く。
今回も、そんな陶器達に惹かれこの地を訪れた。
と、警備員さんが道を歩く私に「屋台はそっちの道からいくと並んでるよっ!」と・・・。
「屋台?別に私お腹空いてませんけど・・・」と思いつつも、言われた通りの道を行くと、曲がった途端に目に入ってきたのは!!!
去る10月28日、大徳寺での月釜に訪れた。
28日といえば、利休居士の月命日にあたり、毎月釜が懸かるのだ。
聚光院のみ、三千家の菩提寺である為、順番に法要を営み、家元担当にて釜が懸けられる。
その他いくつかの塔頭では、だいたい表千家の先生方により、釜が懸けられる。
いくつかのお席をまわらせていただいたが、中でも一番心に残ったのが、大徳寺23世である、大心義統による手造り赤楽茶碗だ。形はやわらかく温かみがあり、ずっしりと重く、表面には天衣無縫で豪快な宝づくしの模様が・・・。人柄が伝わってくるようだ。
お床には、大心に参禅したといわれる、表千家六代覚々斎の軸で、「圓」の一文字。
なかなか見られない組み合わせだ。
大徳寺の月釜ならではの素晴らしい道具との出会いに、澄み渡る秋空のもと、有意義な一日を過ごせた。
金剛能楽堂を訪れました。
今回の番組は、-猩々乱-。
曲の中で、乱(みだれ)という舞が舞われます。
猩々とは、中国の想像上の怪獣で、海中に住み、猿に似て体は朱紅色の長毛でおおわれ、顔はヒトに、声は小児の泣き声に似て、人語を解し酒を好むといわれます。
また、猩々緋といわれる色が日本古来の色にあり、戦国の武将はこの色を好んで陣羽織などに使いました。
金剛流お家元のこの日の装束も、足袋以外は赤 赤 赤!!! といった感じで、猩々が海に住むことを表わす意味もあるのか、装束には、青海波(せいがいは)の模様がありました。
また、能では、摺り足が基本で、かかとを上げる事はまれですが、この舞にはつま先立ちの場面もあれば、足で青海波の模様をあらわすようなステップ(ステップといったほうが良いくらいの足さばきなのです!)もあり、いつもとは違う様子に見入ってしまいました。
金剛流は、舞金剛と言われるだけあって、特にお家元の舞は力強く、朗々たるお声にも圧倒されます。
また、何度か訪れていながら、今回初めて知ったのですが、金剛能楽堂の場合、他の能楽堂とは違い、橋掛かり(舞台の左にある廊下のような所です)の壁に青海波の模様があります。
これは、元々、金剛家が宮中に上がる事を許された家である事から、宮中と同じ模様を使う事を許されたとのことでした。
今回は、京都新聞社主宰で、夜の6時半から始まる上、チケットは2000円。
このように気軽に足を運べる会もありますので、皆さんも是非一度訪れてみて下さい。
秋の夜長に幽玄の世界を楽しめました。
禅文化研究所客員研究員・李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
チベットの厳しい自然の中でも、草は根を張り、美しい花を咲かせます。
これから何度かに亘り、叡さんの撮った美しい草花の写真をご紹介します。
専門家さえその品種を特定するのが難しい植物もあるとの事で、植物の詳しい説明は避けたいと思います。
どうか、美しい写真をお楽しみ下さい。
尚、チベットの植物について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんどんコメント宜しくお願い致します。
追伸:お父さんの李建華さんによる、チベット紀行も必見です!!!
※写真の無断転載・利用はおやめください。