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「朝鮮通信使」絵図 -東京国際ブックフェア2013にて-

 

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先日、東京ビッグサイトで開催されていた、「東京国際ブックフェア2013」へ足を運んできました。
数年前、3年間にわたって禅文化研究所もここでブースを開いていましたが、ここ数年はご無沙汰です。今回は1来客としてみてまいりました。
まず初日の午前中、「電子出版の著作権と契約」についてのセミナーを聴講し、はやりの電子書籍にまつわる契約がまだ流動的でありまだ馴染んでいないこと、われわれ出版に携わる者が今後気をつけていなければならないことなどを学ばせてもらってきました。

その後、ブックフェアのブースへ移動。弊所が出展していた時とはだいぶ様変わりした感じがしており、外国からの出展やクリエイターやデザイナーの小さなブースが多いことを感じました。いわゆる紙本の出版社の数はだいぶ減っているような印象です。

そんな中、今年はテーマ国として「韓国」が取り上げられていたので、近寄ってみると、なにやら楽しそうな絵が見えます。

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韓国人に読まれている日本の書籍、日本人に読まれている韓国の書籍などがずらりと並べられて紹介されていましたが、例の絵は何だろうと近寄ってみると、どうやら朝鮮通信使を描いたもののようです。

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朝鮮通信使といえば、白隠慧鶴禅師の仮名法語『遠羅天釜』巻上には、朝鮮通信使の接待役である鍋島公を労う文言も出てきますし、滋賀の私の自坊の近くには、今も「朝鮮人街道」と呼ばれる朝鮮通信使が通った道(今は県道)がありますから、なにかしら身近に感じてしまうのです。

 

2013-07-03-4.jpg正使の籠をかついでいるのは日本人のようで、付近には唐人も同行している様子が書かれています。アジアでの外交問題は今に始まったことではなく、昔からいろいろと神経を使っていたんでしょうね。
しばしの間でしたが、興味深く見せてもらったのでした。

 

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韓国 -ソウルの宗廟(チョンミョ)-

チョンミョ

朝鮮王朝(李氏朝鮮)歴代の国王とその妃を祀るための祖廟。朱塗りの柱が林立する長大な正殿の南に石敷きの前庭が広がる。厳格な儒教様式で建てられており、質朴そのものの空間だ。余計な装飾は一切ない。おまけに正殿の背面は磚(レンガ)積みであった。

細部の繊細な表情を好む日本人にとっては物足りないかも知れない。かくいう私も、その無愛想な表情を見て、不謹慎だが、「倉庫のようだ」と思ってしまった次第である。

しかし、繊弱に流れがちな、いわゆる「日本の美」とは異なる確かさがそこにはある。個人原理・家族原理であるとともに社会原理・国家原理でもあり、はては宇宙原理でもあるという儒教の厳粛さ、荘重さを教えてくれる実に堂々とした建造物であった。毎年五月には、礼楽にのっとった宗廟祭祀がくりひろげられるという。

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韓国 -景福宮-

景福宮

ソウル中央部に位置する李氏朝鮮の王宮である。1392年に朝鮮王朝を開いた李成桂は漢城(ソウル)を都と定め、宮殿として景福宮を造営した。ソウルには徳寿宮、昌慶宮、昌徳宮、慶熙宮など、いくつかの宮殿遺構が存在するが、その中でも景福宮は正宮と位置づけられるものである。現在の建物は、王朝末期に国王(高宗)の父であった大院君が王権強化のために再建させたものである。

1910年の日韓併合後、正門である光化門が撤去されることとなったが、「失はれんとする一朝鮮建築の為に」という一文を著して救ったのが民芸運動の創始者として知られる柳宗悦であった。こうして光化門は移築保存されることとなったが、王宮の正殿である勤政殿は朝鮮総督府に前面を塞がれるかたちとなり、その他の多くの建物も撤去された。

近年、植民地支配の象徴だった朝鮮総督府の建物も撤去され、視界は良好となった。玄武の位置に相当する北岳山もよく見える。各所で復元工事が進行していて、往時の偉容を甦らせるのも間近であると感じた。

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韓国 -大韓仏教総本山曹渓寺-

曹渓寺_本堂

朝鮮王朝(李氏朝鮮)では儒学が尊重された一方、仏教は衰退の一途を辿った。朱子学を自己の行動規範とする「士大夫」の目には、仏教は「婦女子」の信じる蒙昧な宗教と映ったのである。

王朝末期以降、紆余曲折を経ながらも仏教は復興し、多くの宗派が成立する。1941年に韓国仏教の最大宗派である曹渓宗が成立した際、総本山となったのがソウルの曹渓寺(チョゲサ)である。

ビルに取り囲まれた境内はそんなに広くはない。町なかのお寺、といった風情である。だが、大雄殿(本堂)の内部で、熱心に五体投地の祈りを捧げる信者たちの熱気には、圧倒的なものがあった。そのほとんどは女性である。

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韓国-スターバックス仁寺洞店-

スターバックス仁寺洞店

ガイドブックを見て存在することは知っていたのですが、仁寺洞を散策していましたら偶然見つけました。
こちらは看板がハングルで書かれたスターバックスコーヒーのお店です。世界各国にあるスターバックスの中でもハングル表記の店舗はここだけだそうです。
看板の表記がアルファベットではなくハングルで書かれているという違いだけなのですが、なぜか得した気分になるのは私だけでしょうか?
ほかにも、○周年記念デザインのチケットを手にしたときや、発売○周年記念デザインのお菓子などにもついつい手が伸びてしまいます。

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韓国 -リウム〔サムソン美術館〕-

Leeum_エントランス

ソウルへ行くならここ!と、韓国美術に非常に詳しい知り合いに教えてもらったのが、リウム。
韓国が世界に誇る大財閥、サムソン(三星)グループが、2004年10月に開設した私設美術館だ。
世界的なスイス人建築家、マリオ・ボッタが設計した古美術館と、フランスでナイトの爵位まで持つ建築家、ジャン・ヌーベルによる設計の現代美術館に分かれている。

Leeum_エントランスへと続く道

この、アンディー・ウォーフォールの道(勝手に名付けてます)を横に歩いているだけで、中に入るのが楽しみでわくわくしてしまう。

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韓国 -清渓川-

清渓川

とても賑やかなソウルの中心部でほっとする風景を見つけました。これは清渓川(チョゲチョン)という川で2005年10月に復元されたものです。どのような経緯で復元に至ったのかは、清渓川の歴史と変遷に掲載されています。
きれいに整備されたこの川が、ほんの数年前までアスファルトで覆い尽くされた場所だったとは想像できません。都市発展の中で一度は地中に埋められた清渓川を、高架道路を取り払って再び地上によみがえらせるという計画には驚きです。
人や車が激しく行き交う都会でこの場所はゆっくりとした時間が流れているように感じました。
心地よい風が吹き抜ける川路をのんびりと散策するのも楽しいものです。

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韓国 -民俗村 鳥-

カササギ

カササギという韓国の国鳥である。旅行中、韓国各地でみかけたし、この民俗村でも近くで見ることができた。木の上には巣もみつけることができた。
尾が長く、羽と腹の一部分は白で、ほかは青みのかかった黒い、カラス科の鳥。
カシャカシャと大きい声で鳴くのも聞こえた。
日本のカラスよりは若干小さいであろうか。
韓国では幸運をもたらす鳥として親しまれているという。

カササギ

調べてみると、このカササギ、日本では佐賀県のみにて生息し、なんと佐賀県の県鳥になっているという。どうやら秀吉の朝鮮出兵の際に誰かが連れ帰ってきたものと考えられる。
旅行中、何度も秀吉が朝鮮出兵で遺した傷跡を知ることになったが、こんなところにも関係していたとは。

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韓国 -ヤンバンの家-

軒下の風鈴

民俗村の一番奧の方には、伝統婚礼式場の様子が展示されている大きな家がある。 ここは両班の家。両班は韓国語でヤンバンといい、朝鮮王朝時代の身分の高い貴族階級であるが、そもそもは身分ではなく、文臣武臣の二つの班からなる官僚制度をさすものであった。 それゆえ階級を呼ぶようになったのは、文科も武科も受けられる財力をそなえているということかららしく、そういう貴族のみがヤンバンと階級で呼ばれたのだとガイドさんから教えられた。

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韓国 -民俗村 民家-

先に、韓国民俗村では、地方や貧富の差による生活様式の違いを見てとることができるようになっていると書いたとおり、広い敷地の中には、朝鮮時代の各地方の伝統家屋がのこされ、当時の生活文化が再現されている。

今回は、農家や民家について……。
小さな一般の民家は藁葺き屋根で、土間にはかまどがあり、農業を営んだり絹を機織りしていたりして生計を立てていた。明治~昭和中期の日本の家屋と共通する点が多々見られる。
こちらは機織りをしていた民家である。軒先にはいろいろなものが乾してあってユニークだ。


機織りの民家

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韓国 -民俗村 守護神と御神木-

水原華城をあとにし、ソウルの南、水原市郊外の韓国民俗村を訪ねた。

韓国民俗村 正門

韓国王朝時代の生活様式を保存している広大な野外博物館のような場所である。日本で言うと、さしずめ「明治村」や「昭和村」といったところであろうか。韓国旅行に行くと決まったとき、是非行きたいと、行程に組んでもらった場所である。これから、何度かにわたって民族村を紹介していきたい。

最近の韓国では、ソウルやプサンなどの大都市、あるいは交通の要所となるような町などでは、マンション建設がラッシュのようで、一軒家をみつける事が難しい。
田舎町に行けば見られるのかもしれないが、どんどんと昔の住居はなくなってしまっていくので、その伝承保存を考えて作られたというが、これが、個人経営だと聞いて驚くばかりである。

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韓国 -水原華城(スウォンファソン)-

蒼龍門

水原(スウォン)という地名で想起されるのは、朝鮮半島に518年間もの長きに亘って続いた専制主義王朝国家である李朝(李氏朝鮮)の末期に遷都計画がもちあがった場所であること、朝鮮戦争でソウルが陥落した時に遷都されたこと、最近では2002年のFIFAワールドカップの会場となった水原ワールドカップ競技場があること、などであろう。

水原華城は、李朝第22代正祖大王が、当時の漢陽(今のソウル)からの遷都を計画し、1794年1月に着工して約3年後の1796年9月に完成した。しかし、完成直後に正祖大王が崩ぜられたため、遷都計画は中止されたとされる。

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韓国 -韓国高速鉄道 KTX-

我々の行程は、早々に慶州をあとにして、二日目の朝から韓国北部へ向かう。
ソウルへ入る前に、水原(スウォン)での観光をするため、慶州から近い東大邱駅から天安牙山駅まではKTXを利用することになる。

東大邱駅

さて、KTXとはご存じのとおり、日本の新幹線のような高速鉄道で、未だ全線は開通していないものの、2004年より暫定開業され、ソウル-釜山の間を移動するための高速交通手段となっている。
暫定的に一部分、在来線の線路を利用している区間もあるようである。
このKTXは、フランスの高速鉄道TGVの技術を導入しているため、車両もTGVそっくりである。われらが新幹線から比べるとごつごつしていて、美しさは今一つである。
KTX事業の検討段階で、新幹線技術を導入するかも検討されたに違いないが、隣国日本の新幹線ではなく、TGVを選んだのは、ひょっとして国民感情もあるのだろうか。

韓国高速鉄道 KTX

なぜかドアも自動ドアではなく、女性の車掌が手動で開け閉めしていた。車内も座席は通路を挿んで2列ずつなので、新幹線より座席数が少ないのであるが通路も新幹線より狭い。
しかし、天井には等間隔に液晶テレビがセットされ、テレビ番組が流されていた。これらのテレビもサムソンの製品であろうかなどと考えつつ車窓に目をむけると、驚くことにこのKTXは防音壁がほとんどないではないか。日本では考えられない光景だが、まだ騒音問題などには発展していないのだろうか。
ところが車内では、旅行の興奮で声高らかに談笑していたW氏が騒音問題に直面し、美しい女性車掌さんから、唇に人差し指をあてて、やさしく注意されたのであった。

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韓国 -慶州 窯元 皇南パン-

青磁工房


ここ慶州には、古墳やお寺の他に、窯元も多く点在している。
前回私が個人的に訪れた時にお邪魔した窯元では、穴窯のような窯で、素焼きに近い物が作られていたが、今回は青磁の窯元へ。

窯元の女将さんが、美大卒の人しかおらず、一つ一つ手作りだと工房内を案内してくれた。
うちのは質がいいから、貫入(青磁によく見られる、細かいひびのような模様)が非常に細かく、窯を焚くにも松しか使わないので、色艷がいいのだと・・・。
ただ同じ作品を同じ工程で作り続けているわけで、作家の個性が見られるような青磁ではなく、あくまでお土産物のように感じた。

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韓国 -仏国寺-

仏国寺

先日紹介した石窟庵と同じく、景徳王代の宰相金大城によりに建立されたという仏国寺を参拝する。

仏国寺の見どころは、何といっても見事な石造物であろう。伽藍全体が美しい石垣で築かれたテラス状の土地に建ち、その前面には、これもまた見事な石橋がかかる。差し交わす松の枝も美しい。仏国という名に相応しい風景である。

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石窟庵

石窟庵の鐘

石窟庵(ソックラム)は、慶州市街から東に入った吐含山の中腹にある。この山は古代より神聖視されていたようで、麓にも仏国寺などの仏教寺院が建立された。

中腹といってもかなり標高は高い。自動車で駐車場まで上り、さらに歩くこと20分。上の写真のように、花崗岩でドーム状の石窟が作られ、中に花崗岩製の釈迦如来像が安置される。世界遺産にも指定された韓国が世界に誇る文化財である。

『三国遺事』の「郷伝」によれば、751年頃、景徳王時代の宰相だった金大城により造営されたという。その後儒教全盛の朝鮮王朝時代にも細々と修復されてきたらしいが、最も大規模だったのは1913~15年にかけての修復である。その時にコンクリートを使用してドームを補修したため、漏水などの問題が起こった。植民地時代に行なわれた、コンクリート使用のいい加減な修復は、百済の弥勒寺にも見られる。解放後にさらに修復され、現在のようなすがたを取ることとなった。ただ、修復前の古写真と比べると、仏像の配置が若干異なるようだ。

石窟庵の本尊は、東のかた「日本海」の方向に向けて安置されている。その先には、新羅にとって最大の脅威だった、わが日本列島が横たわっている。

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韓国 -慶州の古墳-

慶州の古墳

韓国の慶州を日本に譬えるならば奈良に相当するだろう。
 
大卵から生まれた朴赫居世が新羅を建国したと伝えられるのが紀元前57年。それ以降、高麗に取って代わられる西暦935年まで、実に千年にわたって新羅の都であった。現在では典型的な地方都市だが、多くの古代遺跡が残っている点も奈良と同じである。

慶州を特徴づける景観として第一に挙げられるのは、各地に残る古墳であろう。これら新羅の古墳は、日本の物とも中国の物とも異なる、韓国独特の美しさを持っている。あたかも統計学で言うところの正規分布曲線(ベルカーブ)のように、地表からなだらかに立ち上がり、再びなだらかに地表に帰って行く。

新羅の古墳は5~6世紀頃、王権の伸長と揆を一にするように巨大化する。内部は木槨の上に大量の石を積み、外側に土をかぶせる。このため盗掘が困難で、新羅の豪華な黄金製副葬品の数々が、今日まで残されることとなった。
 
写真は慶州中心部の古墳の一つ。

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職員研修旅行 -韓国-

慶州_石窟庵

2月22日から、2泊3日で韓国を訪れていました。
これから何回かに亘って、韓国のお寺や城、美術館などをスタッフよりご紹介していきたいと思います。
日本文化の源流とも言えるお隣韓国の風景をお楽しみ下さい。

曹渓寺の獅子

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