カテゴリー:「自坊つれづれ」


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本堂の屋根の上に

 

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昨日夕方のこと。境内の梅林もだいぶ花をほころばせているので、カメラを持って出てみました。

ご覧の通り、いい香りをさせてきれいに咲いていたのです。7部咲きといったところでしょうか。まだ蕾の多い木もありました。ただ、今年はあきらかに花が少ないですね。ここにも異常気象の影響がでているのかもしれません。

この花を撮るために境内に出たとき、ふと本堂の屋根を見上げると、ちょうど真ん中になにやらいるではありませんか。

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アップしてみてみましょう。

_MG_3611up.jpgあっちを向いているのですが、どうやら、鷺のようです。近くの川にコロニーがあるので、近くの田んぼなどでもよく見かけます。こっちの気配には気づいていないようですので、カメラを構えて、敷石をトンと踏みつけてみたところ、気づいて飛び上がりました。

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後ろ姿だと小さく見えたのですが、羽を広げるとやはり大きいですね。どうやらアオサギのようです。
屋根の上で休憩していたのか、あるいは夕陽でひなたぼっこをしていたのかもしれませんが、驚かせてごめんなさい。

お詫びに、鷺についての禅語を列記しておきましょう。たくさん有りますね。

「明月藏鷺」「鷺鷀立雪非同色」「烏不染黒、鷺不晒白」「銀盌盛雪、明月藏鷺」「山果青猿摘、池魚白鷺銜」「白鷺沙汀立、蘆花相對開」「白鷺下田千點雪、黄鶯上樹一枝花」などなど。

烏が黒に対して、鷺は白の代名詞のようです。

「鷺股割肉」[鷺股に肉を割(さ)く]なんて禅語もあります。この写真をみれば一目瞭然。鷺の股に肉なんてついてませんもの。しかし、無いけれども、そこをさらに奪い取れという、ギリギリの厳しさを表わした言葉ですね。

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百寿のお婆さん逝く

 

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先日、自坊の檀家さんの中で最長老、町内でも最長老であったK婆さんが、享年百で逝去されました。このお正月に数えで100を数えられ、まだまだ長生きして頂きたいと新年総会で話したばかりだったのに、まことに残念なことです。
結婚して2児をもうけ、下の男の子(このたびの喪主)がようやく1歳を迎えたばかりの30歳すぎの頃に、檀那さんが事故で亡くなってしまった。それからというもの、女で一つで苦労に苦労を重ねてこられた人なのです。

戦後直後で、世の中も疲弊しているところ、二人の子供を育てるのは容易ではなかったことは想像できます。喪主さんが成人してから母から聞いたと仰るには、自分たち幼い子供二人の手を引いて近くにある国鉄の踏切まで何度も行ったと。一緒に死のうと思ったのだそうです。それでも亡くなった夫の血を引いてくれた子供達にそんなことはできないと踏みとどまり、立派に育て上げられたのです。

私はそんなご苦労は知るよしもなかったのですが、ともかく信心深いお婆さんで、お参りにいっても、般若心経はもとより、観音経でも一緒にお勤めされるような方でした。そして、晩年になって、足腰が多少不自由になってきても、毎日、老人用の手押し車を押して神社や自坊に手を合わされました。

耳が遠かったので、自然と声が大きくなり、神社でお参りされている声が神社の隣のうちの境内まで聞こえてきます。
「今日まで家族を無事に過ごさせて下さりありがとうございました」と。そして「なにとぞこれからもよろしくお願いします」と。

聞こえてくる声に、「ああ、またあんな大きな声で……」と微笑ましく思っていたのですが、考えてみれば、若くして未亡人になり苦労の絶えなかったKさんにとっては、心からほとばしり出る感謝の気持ちだったに違いないのです。

そんなKさんのお葬式の前日、喪主である息子さん、といってももう七十歳ですが、自坊に用事があってお越しになった時に私に、「うちで遺体となった母の顔を見るたびに泣けてくるので、お葬式のあとの挨拶、嗚咽してしまうかもしれないけど、堪忍してや」と仰っていました。「百寿の大往生なんだから、ニコニコと送ってあげましょうよ」と返しておりました。

そしてお葬式当日。私は導師として引導の中で、神社やお寺に手を合わせて家族の無事を祈り、家族の将来をお祈りされていたことを、Kさんの生き様としてお唱えしたのですが、その時に遺影を見て、まざまざとその姿が浮かび上がってきてしまい、私が泣けてきてなんどか引導に詰まってしまいました。それでもなんとか終えたのですが、葬儀の最後の喪主さんは、泣くこともなく、母の思い出話も交えながら上手にご挨拶をされました。

あとで聞いたところ、遺影を見たら泣けてくるので、お通夜の時からずっと遺影から目をそらして母の顔をみないようにしていたとのこと。この遺影たるや、生前のKさんのにこやかなとてもいい写真なので、肉親にしてみたらなおのことです。

天寿を全うされおめでたいとも言うべきお葬式ながら、やはり大事な人を亡くすということはこれほどに悲しいことなんだなと改めて実感した次第です。親の恩にあらためて感謝しなければならないですね。

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成道会と感謝

 

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昨日12月8日はお釈迦様の成道の日、仏教徒の皆さん、どんな一日をお過ごしでしたか?

私の自坊では、毎年12月8日に近い日曜日に成道会をお勤めしているのですが、今年は日曜日に正当したので幸いでした。例年通り、正午から成道会の法要をお勤めし、その後、檀家の役員さん達が作り寄せてきてくださった精進料理のお総菜と、ご飯、そしてけんちん汁をいただきます。その後、2時からお招きしている布教師さんの法話を拝聴します。

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今年は、妙心寺派常任布教師の岩浅慎龍師にお願いして、「今の自分を生きる」と題して1時間余りのお話をお聞きしたのです。今年の妙心寺派の布教のテーマは「無依の道人」なのですが、ご自身の出自である山陰地方と、その山を隔てた山陽地方を採り上げられ、不便な山陰の人間からすると山陽は浄土のように思われるとして、自分の中に此岸と彼岸を作ってしまっていることの愚かさと、それに気づくことをお話しになりました。

ところで、その前日の土曜日、これまた私事ですが、ボサノバ歌手として有名な小野リサさんのコンサートを聴く機会を得ました。個人的に昔から彼女の歌声が好きでよく聴いていたのですが、実際にナマで聴いてみるとやはり素晴らしく、寒空の下でむいてきたのに、会場の中は南国の風が吹いているようで、どの曲も気持ちよく聴くことができました。

その中で、普通の人より5倍も早く成長が進行してしまい、平均年齢16歳で死んでしまうと言う難病の外国の女の子が書いた詩を、弾き語りで朗読されました。

普通であればこんな病気を患ったことに哀しみ、恨んでしまうのが普通かと思うところですが、彼女は、この病気を与えてくれた神様に感謝し、短い人生でやりたいことを一杯見つけて楽しんで生き、そして支えて育ててくれている母親、そして周りの人たちにありがとうと感謝したいと。そして「ありがとうよりももっと大きな言葉がほしい」とさえ言うのです。そして彼女は18年で生涯を終えたそうです。
この言葉に大きく感動した私だったのですが、あらためてボンヤリと生きている自分に反省をするとともに、「ありがとうより大きい言葉」って。仏教徒としてなら「南無」があるじゃないかと思ったのでした。

小野リサさんのコンサート、そして成道会の御法話。どちらも今一度、「今生かされている自分」に気づかされたいい二日間でした。

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庭木剪定の季節

 

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まずは夏らしく、先日、自坊の近くのひまわり畑で撮影してきたひまわりの写真を……。ちょうどアゲハチョウがやってきて、長らくこの花に止まって蜜を吸っている様子でした。

さて、関東などでは7月盆の真っ最中で、和尚さん達は棚経や施餓鬼法用に東奔西走していらっしゃることでしょう。京都では祇園祭。今夜が前祭の宵山です。夜にはカメラをもって繰り出そうと思っています。

近畿は8月にお盆なのでまだ悠長にしてはおりますが、とはいっても、そろそろ庭木の剪定などをはじめて、お盆に向けて境内を整えていかなければならない季節ではあります。

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今年は梅雨入りも遅かったのと、あまり暑くないからなのか、庭木の葉っぱの伸び具合も例年より短い気がします。まずは、山門前についたてのようにある槇の木からはじめました。電動植木バリカンで刈り込んでいくので、昔のように時間はかかりませんが、真っ直ぐに、それもあまり遠慮しすぎるとどんどん大きくなってしまうので、ちゃんと刈り込んでいかなければならないのです。
考えてみれば、この刈り込み、何年やってきただろうかなぁなどと思いながら刈り進めていきました。

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というわけで、刈り込みがおわかり頂けるでしょうか。このあと、足元の龍の鬚も刈り込んだりして掃除をし、すっきりしました。まだまだ作業は残っていますが、とりあえず、一つ終わりました。

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花菖蒲とキャンドル リット ヨガ

 

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さて、6月に入りました。もうすぐ梅雨がやってくるようで、湿度も高くなってきた今日この頃ですね。

自坊ではいま菖蒲がきれいな花を咲かせています。田んぼは田植えも終わって、きれいな水を流し込んでいる水路から少しだけ、自坊のビオトープにも流し込ませていただいているので、ここは湿地帯になっていて、いつもこの時期に菖蒲が見られます。

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私自身は特に、この白い菖蒲が好きですね。菖蒲の写真を撮り終えて歩いていると、水路には鴨がすいすいと泳いでいました。近所の料理屋さんが飼われている鴨だと思いますが、昼間は自由にこうして水路で遊んでいるんですが、夜になったら、ちゃんと料理屋さんの小屋に帰っていくそうで、なんとも穏やかな風景でしょう?

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それから、最近、自坊で寺ヨガをはじめました。四人の講師がいて、いろいろなタイプのヨガ講座を開いています。先日の土曜日夜には、キャンドルリットヨガとして、本堂でほのかなあかりの中でのヨガ講座をやっていました。

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じつは安全のためにロウソクのような小さなLEDランプを使っています。今どきはロウソクのようにゆらゆら、ちらちらと燃えるように点灯するので、ほんとにロウソクがたくさんあるような雰囲気です。

境内では蛍も飛んでいて、田んぼから蛙の声も聞こえている中、ゆったりとヨガを楽しまれていました。

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ホタルの季節

 

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先週末から今週のはじめまで、初夏と言うより、もう夏ではないかというような暑い日が続きました。衣替えは6月などと言っておられず、週末に法事にお参りした時には完全に夏用の法衣を纏って出かけた私です。

さて、今年もホタルの舞う季節がやってきました。一昨年までは6月に入ってからだったのですが、去年あたりから急に5月の中旬からホタルをみるようになりました。

今年も先週末に飛んでいるのに気づいて、今年こそはと思い一眼レフに三脚を付けて出ました。大袈裟に言っていますが、実際には自坊の裏の小川に沢山飛んでいるのです。一つの川から集落の中の幾つもの筋に分かれている小川なのですが、不思議にある一筋のみに大量発生し、他の川には見かけないのです。

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撮影データ:f7.1/ISO-500/13秒/105mm

SNSで友人知人に写真を送ったところ「田舎はいいね」とか「環境良すぎ!」とかのコメントをいただきますが、本当にありがたいことです。下水道が整ったおかげで、河川に汚水が流れなくなり、10年近く前から、またホタルを身近に見かけるようになったわけです。

カメラを三脚につけてスローシャッターを押すと、カメラのパイロットランプが光るのですが、面白いことにこの光をめがけて求愛してくるホタルもいたりします。

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撮影データ:f7.1/ISO-500/13秒/105mm

ひょっとしたら、皆さんのおうちの近くの小川にも蛍が飛んでいる穴場があるかもしれませんよ。

ちなみに、ホタルの数え方、一匹、二匹、ではないのですが知っていました? 光っているお尻を数えるから、一尻、二尻というわけでもなく、なんと一頭、二頭と数えるんだそうです。動物ならわかりますが昆虫なのに面白いですね。そう思って調べてみたところ、学術上、昆虫類は全般的に一頭二頭と数えることが定着しているんだそうです。

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職員の晋山式

 

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去る2019/4/7(日)に、禅文化研究所の若いスタッフの一人であるMK君の晋山式が挙行されました。拝請をいただきましたので、事務局長とともに参列するために兵庫県の丹波市まで行って参りました。

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幸いにして、いいお天気に恵まれ、100人にものぼるお稚児さん達との行列も、おだやかに進められたようです。お稚児さんたちの写真撮影は3回に及んでいました。

また、この日は、晋山式の前に秘仏・東方薬師如来のご開帳法要もあり、お師匠さんと法縁の深い国泰寺派管長・澤大道老大師が導師としてご開帳され、続いて、本堂前にて地元神社の保存会の方による獅子舞の奉納もありました。

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そして、晋山式となり、山門偈、晋山偈と、持ち前の大きな明るい声で朗々と唱えたMK君は、ご指導頂いた相国僧堂師家・小林玄徳老師や師父、尊宿、檀信徒、そして親族の前で、立派に晋山を果たされました。

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相国僧堂の老師から綿密な御垂誨を賜った新命和尚、これからの宗門を担っていく有望な一禅僧となってくれることと思います。

さて、初めて訪ねたこのお寺ですが、周囲は山に囲まれた篠山市の盆地にあり、あちこちに桜の木が点々とあってちょうどいい季節。近くには黒田官兵衛ゆかりの黒田の庄もあります。また、改めてゆっくりと訪ねてみたいと思いました。

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春彼岸に施餓鬼

 

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今年の春のお彼岸も終わりましたね。皆さんもご先祖様のお墓にお参りに行かれましたか?

寒の戻りで、少し肌寒いお彼岸後半でした。

自坊では春の彼岸にもお施餓鬼をお勤めしています。永代供養としての祠堂金をお納めいただいた方にご案内するのですが、自坊のあるうちの集落では近所の淨土真宗の門徒さん方も祠堂金を収められることが多いので、お参りには他門の方もおいでになります。
聞くところによると、淨土真宗では回向で法名を読み上げられるわけではないのですが、うちは祠堂帳に書き込んだ法名はすべて読み上げるのでありがたいそうです。それだけでも30分ほどはかかるのですが、そう言われるとやめるわけにもいきません。

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一時間半ほどの施餓鬼法要のあとは、本山から定期巡教に見えている布教師様による法話を拝聴しました。今年のテーマは「おかげさまの心 たよらないのが仏さま-無依道人-」。此岸にいる我々も、仏様のおられる彼岸に常日頃から渡れるように、心掛けて生きましょうというお話でした。

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大般若祈祷会

 

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今日は3月11日。いうまでもなく、東日本大震災のあった日。テレビやラジオを聞いていると、先日から、関連した番組やニュースを流していますね。福島の原発の処理も含め、まだまだ収束には到っていないことをひしひしと感じるところです。

禅寺ではお正月に行なっておられるのが修正会というご祈祷。そして善月つまり、正月3月9月に行なわれる祈祷会として善月祈祷会ということも法要としてあり、いずれも大般若経の転読を行なうのですが、自坊の教区では、慣例的に正月の祈祷会を3月に行なっています。
おそらく、1月には雪が多かったこともあり、今のように自動車もあるわけではなかったので、温かくなる三月に行なうことに当時の住職達が相談して変えたようです。
というわけで、一昨日は自坊の大般若祈祷会でした。近隣の和尚方が集まってこられ、大きな声で大般若経六百巻の転読を勤め、天下安全、五穀豊穣をお祈りするのです。
しかし特に今年のように温かいと、また1月にやるように改めるのもいいかもしれないと集まった和尚さんたちの声も出ていました。

さて、もちろん八年前にも自坊はもちろんのこと、各地のお寺でお正月からこういったご祈祷をしていましたが、それでもあんな大震災がおきてしまいました。これは仕方のないこと。どれほど祈っても自然の力には敵いません。悲しいことですが、それでも私達人間には、祈るということしかできないのですね。

ところで、今年から、自坊の大般若経六百巻の函が新しくなりました。長年の使用で痛んでしまっていたので、昨年、檀家さんが寄進を申し出ていただき、きれいな桐の函になり、この度、初お目見えなのでした。

b_MG_4530.jpg今年は大きな災害や戦争がありませんように。五穀豊穣、世界の人たちに恵まれますように。

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教区部内の花園会員研修会

 

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自坊は滋賀県にある妙心寺派の末寺なのですが、昨年より、所属する教区部内の檀家会である「花園会」の研修会というものが開催されるようになり、今年も去る2019年2月12日に東近江市の会場にて開催されました。

兼務寺院もいれて27ヶ寺ある部内寺院の呼びかけで200人以上の檀家様が一同に会され、開会式に引き続いて、まずは山田無文老師が作られてなじみの深い「生活信条」の奉読、そして椅子坐禅を行ないました。たった3分間ではありますが、会場内は静寂に包まれ、「一日一度は静かに坐って身体と呼吸と心を調え」られたのではないかと思います。

 

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その後、第一部として登壇されたのは、ハッピーコミュニケーションクリエーターとして各地で講演を行なっておられる今尾昌子(マーサ)さん。「人生は観覧車のように…生きる」と題してのお話をされながらのピアノ弾き語りコンサートでした。ピアノを弾いての音楽活動もライフスタイルの一つのようで、それが面白いことに立ったままピアノを弾いて唱うことができるということで、力強い演奏ときれいな声で来場者を魅了していました。

来場者の年齢層もある程度高いために、それにあわせたような懐かしい歌も交え、またオリジナル曲も披露されましたが、聴いていると目頭が熱くなるようないい歌もありました。

b_MG_4257.jpg続いて第二部では、昨年の研修に引き続き、前禅文化研究所所長の西村惠信師による講演「人生を楽しく生きるには」。
自らの生い立ちと苦労話を交えながら、苦労をしたからこそ人生は楽しくなるのだという持論を展開され、また「人の生を受くるは難く、やがて死すべきものの、いま生命あるは有り難し」というお釈迦様の言葉を採り上げ、いかに私(あなた)の命が奇跡的なのかということを説かれました。
そして、何度も講演で説かれていますが、「人生をあといつまで生きられるのだろう」と考えるのではなく「残った人生で今が一番若いじゃないか」と発想の転換をし、そうすることで生き生きと生きる方がどれだけ楽しいか! という持論を話されたのでした。

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会場では、そんな西村師の著作を含む禅文化研究所の刊行物も販売しておりました。『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』が人気でした。サインをしてもらって帰られる方もおられました。

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現代版:牛に曳かれて善光寺

 

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まもなく旧正月。中国ではこれからお正月休みといったところで、京都にはまた多くの中国人観光客が訪れることに違いないでしょう。

それはさておき、自坊の檀家さんの中で一軒だけ、毎年旧暦のお正月に祈祷のためにお宅に出向いて、理趣分(「大般若波羅蜜多経」第五七八巻)を誦んでいるお宅があります。以前にも本ブログで書いたことがあるかと思いますが、知る限りでは先々代当主の時からずっと続いています。もっと以前から続いていた可能性もあります。

ここの現当主は私の幼なじみなのですが、娘さんが3人おられ、その御長女Hさんが御養子を迎えられて新しい世帯を構えられています。

今年はちょうど旧正月が当る日に他のお宅のご法事を受けてしまっていたので、一週間前の先日、理趣分を誦んでまいりました。今年はその新世帯を設けたHさんが言われるには、「私は今年は前厄なので懇ろにお願いします」と。小一時間の読経で、ご本人もすっきりしたということでした。

その後、お話をしていると、こんな話になりました。

Hさん)「和尚さんは善光寺って行ったことありますか?」
私)「はい、もちろん。3~4回くらいかな、お参りしたことがあります」
Hさん)「そうなんや~。私は行ったことがないので、来年は家族みんなでいかないと、と言ってるんです」
私)「ほぉ、急にまたどうして?」

ここからが面白い、いかにも現代っ子!

Hさん)「こないだね、寝る前にスマホでYoutubeを見ていたんですよ。何を見ていたかというと、“死刑で罰せられ処刑された人はどうなるのか”というのがあって……。そしたらその下にあった別の動画で、生前に善光寺にお参りしておかないとお浄土に行けないらしくて、死んでから、まず善光寺にお参りしなければダメなんだとかいうのがあったのですよ」と。

少しディテールが曖昧で間違っている部分もありましたが、ともかくは、「自分も含め大事な家族が、死んだ後にちゃんとお浄土に行くためには生前に善光寺にお参りしておかなければならない」ということを、なんと、Youtubeの動画を観て知ったということ。私はそこにひどく興味を抱かざるを得ませんでした。

「牛に曳かれて善光寺参り」という話がありますね。無信心な老婆が、ある日、布を洗濯して干していたところ、通りかかった牛が角にひっかけて走っいってしまったので、それを追いかけたら、ついに善光寺に至り、そののち篤く善光寺を信仰したという話なのですが、無信心ではないにしろ、今まで善光寺なんて有名なお寺を知りもしなかった当家の娘さんが、Youtubeをみて善光寺を知り、是非ともみんなでお参りしたいと思ったわけで、これはまさしく現代版「牛に曳かれて善光寺参り」ではないかと思った次第です。

もちろん、「善光寺に行く前に、うちのお寺にもお参りしてね」といっておきました。お寺での大般若祈祷会にもお参りしてくれるそうです。

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黒板の入れ替え

 

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自坊のことで恐縮です。一般の方は、いまや学校や大学にでも通っていない限り、あまり黒板というものにお目にかからないかとおもいますが、お寺では意外に必需品です。

どういう時に使うかというと、おもに布教師がお説教に見えたときに使われるものなのですが、自坊にも30年以上前に、当時の檀家総代さんから御寄贈いただいた黒板がありました。卑山の開創300年大法要の頃から、毎年毎年、定期巡教などで布教師の方々が、仏教の言葉や禅の言葉を書き込んでこられた黒板です。

それが上の写真なのですが、経年劣化で少し盤面が傷んできました。また、黒板というのはそういうものなのですが、使うとチョークの粉が手に着いたり、布教師さんの大切な法衣も汚しかねません。そしてまた、ともかく重いのです。そろそろ替え時かなぁと思っておりました。

そうしたところ、檀家さんで、長年お勤めになってきた保育士をこの春に退職されるという方がおられ、その記念になにか寄贈したいというご希望をいただきまして、ではこの黒板に代わるホワイトボードをということでお願いしましたところ、ご快諾。ありがたいことです。

そこで、じつは私の高校時代の友人で黒板屋さん(大阪)がおりまして、連絡したところ、だいぶ勉強して(関西では値引きことのです)して提供してくれることになりまして、先日、大阪から納品に来てくれました。

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手慣れた様子で組み立ててくれました。以前の黒板より、だいぶ軽いのも魅力です。彼が言うには、今でも数学の先生なんかには黒板がいいと言われる方が多いようです。そんな話を聞くと、高校時代の数学の先生の顔や、問題が解けず苦痛だった微分積分の時間を想い出してしまいます。

これでも、今時、ホワイトボード? と言われる方もおられるかも知れませんね。そのうちきっと、デジタルに取って代わられる日も来るかも知れませんが、当面はこのボードに活躍して貰うことになるでしょう。

20190124_065358.jpgというわけで、この春の定期巡教でこられる布教師さんが使い始めということになりそうです。

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成道会

 

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昨日、一日遅れではありますが、自坊でも成道会を執り行いました。
本堂中央には「出山釋迦像」をかけてお祀りし、正午から、檀家さん達にお参りいただいて、楞厳呪をお唱えしました。

ご存知の通り、本来ならば12月8日に行なうのが正式なのですが、なにぶん二足鞋の私ですから、前後の日曜日にお勤めするのを恒例としております。そして、この成道会にはいつも布教師さんを特請させていただいています。今年も本山にお願いしたところ、広島県三次市鳳源寺ご住職の和田牧生師に、わざわざ遠方よりお越し頂きました。

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せっかく遠方からお越し頂くのに聴衆がちらほらでは申し訳なく思い、二日前に世話方さんに連絡して動員をかけたのですが、この日は寒波が来て雪もチラチラするほど。なかなか思ったようにお集まり頂けないのが残念でした。

成道会の法要が終わった後、役員さん達お手製の精進料理を、お参り頂いた皆さんでいただくのも恒例。お手参りの品々が集まりました。

b_20181209114002__MG_3449.jpgそれから、禅寺の料理にはかかせないのがけんちん汁。普段ご家庭では作ることが少ないですが、何年かに一度、お寺の役回りがまわってくると、こんな大きな鍋で作って頂くので慣れたものです。

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布教師さんにもこの料理を召し上がって頂きました。檀家さん達もご飯やけんちん汁のおかわりもされて、好評でした。

そして午後2時からのご法話。「奇なるかな ~ありがたし~」と題して、和田牧生師による約90分のお話。

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不幸続きの小林一茶の人生とその時にできた俳句をたくさんご紹介いただき、不幸にもまけず、自らそのまま受け入れて「有難い」と歌に詠んだ一茶の生き様は、そのままお釈迦様のお悟りに繋がっていたということでした。成道会をお釈迦様のお悟りの日だとただお祝いの気持ちでお参りするのではなく、自分自身が不思議にも頂いたこの一生を「有難い」と思えることが大切だとの、成道会に相応しいお話を頂戴しました。

今年も、いよいよあと20日。感謝の気持ちを持ってしっかり大切に生きねばなりませんね。

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研究所の花 2018/10

 

あんなに暑かった夏が過ぎ、台風や大雨で日本各地が大きな被害を受け、10月になっても30度を超えるところがあったりと、未だに落ち着かない気象状況ではありますが、でも花たちの様子は秋になっています。

最近、自坊の花壇の整備を怠っていて、花があまりないという状況ですが、畑や梅林の野花を摘んだりしながら、なんとか花を飾ることにしています。

 

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水引草は白も赤もありますが、毎年、ビュンビュンと元気に生えてきます。

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こちらは、季節外れに咲いているヤマブキとアイビー、エノコロ草を。ここまでは先週の花です。

そして秋と言えばコスモス。

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無文老師にもお供え。

blog_2018-10-09-08.58.jpgじつはこのコスモス、近所に住む老夫婦の檀家さんが、家の前に毎年いっぱい咲かされているのです。
主に奥さんが花好きで、家の前だけでなく、少し離れたところにある畑にもコスモスをいっぱい育てられていました。

が、この8月上旬に、残念ながら他界されてしまいました。5月頃から入院されてしまわれたのですが、その直後から、家の前も、そして少し離れたところの畑も草がボウボウに生えてしまい、今までの見る影もありません。ご主人の憔悴ぶりが見えるようでした。
忌明けをすぎ、少し落ち着かれてきたのか、家の前の整理をされるようになったのですが、家の前のコスモスはできたら残しておいて、少しわけて欲しいと頼みました。そしていただいてきたのがこのコスモスなのです。昨日みたら、畑の方はすっかり草刈りされていました。

そして、私がコスモスをいただいた日の昼ごろ、そのご主人が白いコスモスを少し持って、境内にあるお墓に供えに来ていたと家人からの目撃談。いつもお墓を掃除したり花を供えていたのは亡くなった奥さんだったので、あのご主人がお墓参りをして、それもコスモスを供えていたと聞いて、心が熱くなりました。

コスモスは、想い出の花だったんですね。

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釈宗演の逸話 その2

 

blog_2018-09-15-10.27.jpg釈宗演の逸話、もう少しご紹介します。

「予言者の訪問」

 みずからをメシア仏陀と称し、釈迦よりもキリストよりも偉大な予言者だと吹聴し、自己礼拝を宗義とし、いたるところに押しかけて寄付を乞うては宣伝に努めていた変わり者がいた。
 ある時、この変人が東慶寺に宗演を訪れて盛んに老師を相手に一席ぶった。
「貴僧は有力な後継者がいるからまことに結構だ。自分は十五年間というもの、日夜に悪戦苦闘して道の宣伝に努力しているが、いまだ世に容れられず、その日の生活にさえ窮するありさまである。願わくば、この予言者のために、有力者に紹介の労を取っていただきたい」
 これを聞いた宗演は、座を正して、
「予言者をもって任ずる者が、人に紹介を頼むようでどうするか。紹介とは俗事のための手段だ。紹介状は書けん。また、おまえさんは十五年間、伝道に従事して来たといわれるが、いやしくも新しい宗教を伝えようとするならば、十五年はおろか、三十年、四十年の短日月ではとても効果を収めることはできん。予言者に似つかわしくないではないか」
と説いたが、この男の目的が多少の喜捨にあることを見抜いた宗演は、
「そこに供えてある布施は、最近もらったものだ。中味は百円か、千円か、それとも二円か三円か分からんが、ともかくそれを全部やろう」
と仏前からお布施を下げて来て、封をしたまま与えた。さすがの予言者も、一言もなくそのまま辞し去った。

 


 

さすがに宗演老師、ですね。

さて、自坊のことで恐縮ですが、自坊の本堂に掛っている寺号額(上の写真)は釈宗演老師のご揮毫によるものです。自坊は妙心寺派ではありますが、おそらく、世代住職の誰かが釈宗演老師のおられる円覚僧堂に掛搭したのであろうと思っていました。

もちろん明治期に参じたことは間違いのないことですから、察するに、私から3代前の住職であろうと思われます。私の師匠が言うには、自坊の土蔵の中に、その3代前の住職の名前が記してある英和辞典やキリスト教の聖書などがあるというのです。明治時代の田舎寺の禅寺住職がなぜこんなものを持っていたのか不思議だと……。

そうすると、ふと線が繋がりました。アメリカを始め海外巡錫をした釈宗演老師に参じていたなら、そういったものを手にすることになる機会があったに違いないと。

円覚僧堂の在錫名簿に自坊の3代前の住職の名前が残っているか調べていただかなくてはと思っているところです。ひょっとすると京都に来られた時にでも、自坊を訪ねてこられたこともあったかもしれません。

ここまで書いた後に、仕事の関係で釈宗演老師の語録『楞伽漫録』を紐解いて走り読みしておりましたら、大正四年と大正七年に、自坊の近くのお寺に巡錫されたときに作られた偈頌を合計4作見つけました。さて、この時でしょうか。

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作務で蜂などに刺されたときに

豪雨が去り、梅雨が明けたと思ったら猛烈な暑さです。

豪雨被害の復興をされている被災地の皆さんのご苦労を思うと、薄っぺらに思えて、労うための言葉さえ見つかりません。今のところは自分は自分に与えられた仕事を精一杯こなしていくしかないなと思います。言い訳のようにさえ思えますが。

ともかく、この時期になると、二足鞋のために、いつもほったらかしにしがちの自坊の樹木の刈り込みをしなければいけないという、ある種の強迫観念が見え隠れしてきます。というわけで、梅雨明けした日曜日に、まずは表門前の槇の木の刈り込みから始めました。

刈り込み前↓

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約1時間かけて刈り込んだのがこちら。↓

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こういう低木や簡単なものは電動植木バリカンで刈り込んでいきますが、松や高木については、植木屋さんのお世話になります。その後、近くに植えてある紫陽花にも手を付けました。花を落としておかないと、来年もきれいな花が咲いてくれませんからね。

そうしたところ、左手人差し指の第一関節あたりに、ズキーンと重い痛みが走りました。これは蜂に刺された痛みです。とっさに作業手袋を脱ぎ、刺されたと思われる部分を口で半咬みにして毒素を吸い出すようにして吐き出しながら、庫裏へ。

そして取り出したのがこちら。

blog_2018-07-08-09.03.jpgいわゆる、ポイズンリムーバーといわれるものです。注射器状のものに刺されたところの形状にあうアタッチメントをつけて空気圧を使って毒を吸い出すためのものです。いろんな種類があると思いますが、だいたい1000円台で手に入れることができます。

blog_2018-07-08-09.00.jpgわかりますでしょうか、指が吸引されて盛り上がっています。これを3回くらい繰り返すだけです。上手にできれば、これで刺された毒を吸い出すことができますが、ともかく、すぐに行なうことが大事です。時間が経ってからでは意味がありません。

それで、今回は?って?

成功でした。以後、まったく痛くも痒くもなかったです。お使いの方も多いとは思いますが、薬を塗るより効果覿面です。

とはいえ、刺されたり咬まれたりしないように注意は必要ですね。

 

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茅葺き屋根の修復完了

先日のブログ禅でご紹介した「茅葺き屋根の修復」についてですが、先般、完了しました!

前回のブログでは新しい葦を、職人さんが差し込んでいたところですが、その後、植木バサミなどを使って刈り込んで形を整えていくのです。

そして完了したのがこの写真。足場も取り払われました。

blog_MG_9388.jpg

いかがですか? 理容店に行ってすっきりしてきました!的な感じでございましょう?

近寄ってよく見れば、以前の葦と新しく葺かれた葦とがわかります。

blog_MG_9382.jpg内側の方は色が濃いのがおわかりでしょうか。そしてその外部に新しい葦が乗っています。長年見ていると気がつかないのですが、こんなに痩せてしまっていたのですね。

 

 

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茅葺き屋根の修復

一昨日に引き続き、自坊つれづれ。

blog2017-10-23-07.04.jpg自坊には、ちょうど私が住職交代したときに落慶した、築20年ほどになる茅葺きの門があります。琵琶湖特産の葦を使った屋根ですが、20年が経過すると、ご覧のように苔むして、いい感じになっているのではありますが、上部は昨年の台風で少し痛んでしまい、このたび、修復して貰うことになりました。

修復も、建築時に携わって頂いた(株)タイナカにお願いしました。臨黄ネットにも賛助会員としてオンラインショップを開いて頂いています。有名なところでは、京都の法然院の門だとか、最近知れわたってきました広島県福山市の神勝寺に鎌倉建長寺から移築された、坐禅堂の屋根もここのお仕事です。

さて、足場を組んで工事が始まりました。
まずは、せっかくの風情がなくなりそうで少し惜しいですが、この苔を掻きむしって取ってしまいました。

blog_2018-05-31-08.57.jpgすっきりした感じもします。すでに右端には、修復がはじまっています。50cmほどの新しい葦を射し込んで行かれるのです。

blog_MG_9289.jpg雨が降ったら仕事はできませんが、晴れたら晴れたで暑いし、風が吹くと細かい埃が舞うので、とても大変な作業です。

職人さんも減る一方だとかで、けっこうなご年配の方が熟練の手先で仕事を進めて行かれます。一人、若手の職人さんがおられますが、本当に貴重な存在です。

blog_MG_9282.jpgこうして射し込んだものを、特殊な工具で形を整えていかれるのでした。

blog_MG_9291.jpg工期は10日間ほどかと思います。さて、どんな風に仕上がるでしょうか。
改めてまたご報告したいと思います。

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模様替え

昨日の小雨が今朝から本降りになっています。おそらく今日、近畿から関東までも梅雨入り宣言されることでしょう。

blog_2018-06-06-06.51.jpgさて、6月になって衣替えとなりました。自坊の庫裏の設えも衣替え、といったわけで、先日、襖や障子をはずして片付け、夏用の御簾や簾戸(すど)に入れ替えました。古くて傾きかけた庫裏の襖や障子を取り外すのは、実は一苦労なのです。お寺や古い町屋に住んでいる人なら、「あー、あるある」と、おわかり頂けることでしょう。
まっすぐになっていないので、敷居の決まったところからしか襖を外せなかったりするんですよね。

blog_2018-06-06-06.51.51.jpg話は変わりますが、自坊の本堂の経机が、かなり傷んでしまって、別の場所に運ぶときには、気をつけないとバラバラに解体されてしまうという自体になってきました。見かねた檀家のKさんが、新しい経机を寄贈してくださることになり、先日、仏具屋さんで発注し、まもなく届くのです。

blog2018-06-06-06.52.jpgあらためて今までの経机を見てみると、今回寄贈して下さる檀家のKさんの先代(父上・もうすぐ二十三回忌)が寄贈されたものだということがわかりました。となりの大磬の台も同じくです。Kさんはそのこともご存じなかったので、これもご縁だと喜んで下さいました。

さらに、父上が昔から気になさっていたという大般若の函。古くなってあちこち痛みも出ていましたし、蓋が閉じないので紙を折って挟んでいたりと、なんともお粗末な状態。そこで、この函の新調も二十三回忌に向けてご寄進いただくことになりまして、きれいな桐箱12函が先般納品され、梅雨までに入れ替えを済ませました。
檀家さんの少ないお寺ですので、こういったご寄付はとてもありがたいことです。

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春のお彼岸

 

blog2018-03-17-10.41.42.jpg今年も春のお彼岸がやって参りました。境内にあるサクランボのなる桜の木はもう満開。今年もたくさんの実がなることでしょう。

自坊では春のお彼岸に永代祠堂施餓鬼をお勤めします。ちょうど本山からの定期巡教の時期ですので、毎年、法要後に布教師さまの御法話を拝聴するのも常となっています。

前日から準備に大わらわでしたが、花粉症の私にはこの時期の境内掃除は大変つらいものとなってしまっています。が、そうも言っておられず、初めて来られる布教師さま、そしてもう二度と来られないかもしれないわけですから、丁重にお迎えすべく準備を調えさせていただきました。

blog2018-03-18-10.30.jpg床の間には遂翁元盧禅師筆の達磨図をかけてお迎えです。

blog_2018-03-18-10.32.jpg永代祠堂施餓鬼ですので、回向の際には今までに祠堂料を納められた多くの戒名をすべて読み上げます。その数は800霊を越えていますので、それだけでもかなりの時間がかかってしまいますが、各家のご先祖様への報恩感謝として年に一度のことなので、がんばって読み上げることにしております。

さて、皆さんは、もうお彼岸のお墓参りを済まされましたか?

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春の祈祷会

 

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二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」もすぎ、一気に春めいてきました。自坊の梅林の梅もどんどんと花を啓いていきます。

藪椿も陽に照らされてぽっこりと春の訪れを告げています。

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冬の間、なんにもなくなっていたような畑にもこうやって花が咲いてくれました。ただ花粉症の私には、5月頃まで気候とは裏腹に憂鬱な日々がやってきているのも事実です。この時期にはアレルギーのせいで咳喘息の症状も出てしまうのです。
皆さんは如何でしょうか。

3月には、もうすぐお彼岸もありますが、自坊のあるあたりはお彼岸法要の前から並行して、大般若祈祷会をお勤めするのが慣例となっています。大般若祈祷はお正月に、あるいは善月祈祷会といって正月、5月、9月の各16日に行なうのが法式上での通例ですが、もともと雪の多かった自坊の地域では、車の無い時代、お正月に雪のあるなかを徒歩で近隣のお寺に出頭するのは大変だったからでしょうし、お参りに見える檀家さん達のためでもあるでしょう。雪の降らなくなった3月、お互いに行き来しやすいこの時期に祈祷会をするのが慣例となったのではないかと思います。

S__14172167.jpgそういったわけで、3月は近隣のお寺に行ったり来て貰ったりと、しょっちゅう顔を合わせる機会が増えます。最近は若手の和尚も増えてきて、だんだんと顔ぶれが変わっていくのも面白いです。

先般は、自坊の大般若祈祷会をお勤めしました。この春から掛搭する若いお弟子さんたちも出頭してくださったので、12函ある大般若経だけでは足りず、少し帙を分配して14人の方で転読していただき、とても賑やかでした。今年の天下安全、五穀豊穣を祈ったのでした。

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この時代、咲いてみようじゃないの

「この時代、咲いてみようじゃないの」
これは、NHKの大河ドラマ「八重の桜」が使っていたキャッチコピーです。

ところで、最近、私の寺に、高校2年生たちがやって来ます。生まれた時から知っている可愛い子供たちです。
「国語が難しい」と言うのですが、パソコンの操作は上手で、私の好きな、綾瀬はるかさんの画像はすぐに見つけてくれて、その際に見つけたのが、「この時代、咲いてみようじゃないの」でした。
この高校2年生たちには、この言葉の意味が分かりません。

そこでまず、「『この時代』の意味は分かるのか」と尋ねました。その子たちは、私のパソコンを使って、明治維新ということを知りました。「じゃ、明治維新という時代は、どんな時代だったのだ」と尋ねました。また、私のパソコンを使って、どうやら分かったみたいです。

ここから「国語」です。
「『咲いてみようじゃないの』の『咲』は、『笑』と同じ意味だから、『咲いてみようじゃないの』は、『こんな苦しい時代でも、笑って生きてやるそ』とも読めるんだぞ」。
「花が咲いたらどうなる」。
「散る」。
「そうだ。『咲いてみようじゃないの』は、『綺麗に散ってみせようじゃないの』という心も含んでいるんだ」。
と、わけのわからない授業?が進みます。

「そんなこと、先生は言わないよ」。

当たり前です。馬鹿な坊主が、可愛らしい子供たちに、たわごとを言っているだけですから。

この子供たちは、これから受験です。
「じゃ、焼肉でも食べに行くか」。「行こう、行こう」。
まあ、私の寺に来るのは、これが目的なのでしょう。

でも、この子供たちは、来年の春まで、私の寺に来ません。
「受験だからな、おっちゃん」。

がんばれ、がんばれ。
また、一緒に焼肉を食べに行ける日を、私は待つだけです。

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寒い朝

 

blog_MG_7696.jpgこの間の寒波は、福井市付近に30年以上ぶりの大雪を降らせ、私の知っているお寺では2mを超える積雪があったとか。テレビのニュースでもものすごい状態が放送されていましたが、現実はもっとすごいと言っていました。屋根に積もった雪が心配ですね。しかしそれを下ろすのに事故になったりしないことを、お手伝いには行けないながらも、心から祈っています。

滋賀県にある自坊付近も積もるときには50cmほど積もったりしますが、この度の寒波は、ただ寒いだけでした。朝起きると、庫裏の中でもかなり寒く、外は氷点下5度くらいではなかったでしょうか。

今朝も日の出前に、期待はしてない物の、何か研究所に持って行けるような花がないかと見て回りましたが、水仙も前回の雪で寝かされてしまい、ほかには冬枯れの景色のみ。というわけで、鋏をカメラに持ち替えて、凍える手を摩りつつシャッターを切ってきました。

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blog_MG_7694.jpg最近、このような霜の植物にもっと近寄って、マクロ撮影すると、いろいろな結晶の形が見えてインスタ映えすると流行っているそうですね。スマートフォンにつけるマクロレンズが100均で売っているのだそうです。

ところで、研究所の花はしばらく生けられそうにありませんね。

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漏水にご注意

 

blog-2018-02-03-08.47.21.jpg寒波のために断水。
最近よく目にするニュースですが、空き家の水道管が破裂漏水して水圧が下がり、各家庭に水道水を供給出来ないのだそうです。

これは、僕も経験があります。
僕がある寺を兼務していた時代のことです。
兼務ですので、法要の時ぐらいにしか寺に行きません。行っても境内の周囲を注意して見回ることなどはしません。ところが、ある日、庫裡に行くと、何やらスゴイ音が聞こえます。外の水道管が破裂して、水が洪水のごとく吹き出していました。さっそく、ホームセンターへ行って道具や機材を買って来て修理しました。これでやれやれと思って、数日後に再び行くと、また同じ音がしました。これは大変と、ついに水道修理の業者さんを呼びました。
業者さんが言うには、漏水の被害は、神社も多いそうです。共通するのは、毎日、そこに行かないということです。
結局、僕は市の水道局に30万円を支払いました。その業者さんが、減額処理の手続きをしてくれなかったみたいです。

心当たりのある人は、さっそく元栓を止めに行って下さい。来月、高額な水道料金が請求されるかも知れませんよ。それと、素人工事は禁物です。僕のように被害を拡大させます。

禅や仏教には、何の関係もないブログ記事ですが、「雪裏の梅花、春、遠からじ」、みなさん、がんばりましょう。

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大寒の朝

 

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去る20日土曜日は二十四節気の大寒でした。これから立春まで、文字通り一年中で一番寒いとされる時期ですね。
今週の中頃には、また強烈な寒波が日本列島に押し寄せるとのことで、各地では注意が必要です。

自坊の回りは田園地帯で、土曜日の朝に外へ出てみると、あたりには霜が降りていて、大寒らしい写真が撮れたのでご覧頂きましょう。

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水煙がたっていかにも冷たそうな水の流れでしょう?

またあたりの草も冬枯れで白くなっています。

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近所の農家の方が田んぼを起こしています。これは寒堀りといって、寒い時期に田んぼを掘り起こして畝をたて、今年の稲作が豊作になるようにするようです。また、掘り起こすことによって土の中の害虫も少なくなるとか。トラクターで掘り起こされた土の上には、どこから見ていたのか目ざとく鳥たちがよってきて、掘り起こされた虫を啄んでいました。

blog_MG_7659.jpg前日に掘り起こした後には氷が張っていて、ここにも大寒を感じさせます。

blog_MG_7594.jpgインフルエンザや風邪が流行っているようです。自坊の檀家新年総会がありましたが、風邪でお休みの方も何人かおられたようで、毎年より出席者が少し少なかったようです。
皆さんも、体調に気をつけて寒い冬を乗り切りましょう。

 

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臘梅の季節

 

blog_MG_7533.jpg先週末には記録的な寒波がきて、北陸地方は大変な大雪に見舞われたようです。自坊は滋賀県ですが、時折、北陸地方に連鎖して大雪が降るのですが、今回の寒波では寒いだけで、ほとんど積雪がありませんでした。

毎年、全国センター試験はこの大雪の季節に行なわれ、例年、雪のために間に合わなかったとか、時間を繰り下げたとか、後日のニュースで聞きますが、こんなことなら、秋の11月頃にでも実施したらいいのにと思うのは私だけでしょうか。入試が2ヶ月早くなるので、受験生にはちょっと気の毒ですが、毎年この時期になると、緊張しなければならない雪国の人たちのことを思うと、それもアリなのではないかと思います。そう思ってググってみたら、同意見の方もおられるようでした。

センター試験を秋に実施

blog_MG_7568.jpgそれはさておき、自坊の境内の臘梅が咲き始めました。枝を切ってきて、台所に生けておくと、ふんわりといい匂いがします。エアコンのおかげで境内の花よりも先に咲いて愉しんでおります。

臘梅の隣には白木蓮の木があるのですが、こちらもまだ固いですが蕾ができています。椿も咲き始めています。こうして花が咲くのを見ると、まだ冬の真っ最中なのに、春の訪れを観るようで楽しいですね。

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謹賀新年

 

blog_2018-01-01-09.08.31.jpg皆様、新年あけましておめでとうございます。

旧年中は、禅文化研究所の事業活動にご理解ご協力をいただき、またブログ禅もご愛読頂きまして、ありがとうございました。

禅文化研究所は本日より新年の業務を開始致します。この年末年始は少し長めの休業となり、ご迷惑をおかけしたかも知れません。ご了承の程お願いし申し上げます。

さて今年は戌年。禅門には初心者に与えられる「狗子無仏性」の公案があり、ご存知の方も多いことでしょう。趙州和尚に修行僧が問うた「犬に仏心は有るのですか無いのですか」という問いに、趙州和尚は「無」と答えられた。さて、お前はどう答えると問われます。「有ります」と言ってみたり「無いです」と言ってみたり、老師の前で四苦八苦したことを思い出します。

筆者は自坊の掲示板に今年冒頭の言葉として「インスタ映えする素顔でいよう」と記して掲げました。昨年の流行語大賞となった「インスタ映え」。ご高齢の方には何のことかと思われるでしょうが、簡単にいいますと、スマートフォンで撮った写真をインスタグラムというカメラアプリ(機能)を使って、インターネット上に載せて人に見て貰うことを愉しむことがはやっていて、どうやったらみんなにウケるかをいつも気にしているわけです。
人にどうウケる写真を撮るかも結構ですが、誰が撮っても映えるはずの素顔、それこそが仏心で、誰もがもっているはず。そのことを忘れないで今年を生きてまいりましょう。

では、本年も相変わりませず、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

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成道会

 

blog_MG_7278.jpg12月8日が成道会ではありますが、自坊では8日に近い日曜日にお勤めすることにしています。というわけで、今年2017年は12月10日正午から行ないました。

本堂の正面には、出山釈迦像の軸を下げます。自坊の出山釈迦像は「雪舟筆」という署名がありますが、おそらくホンモノではありませんが、江戸時代から寺宝として大切にしております。

寒いし雨になるという事前の天気予報でしたが、ちょっとずつズレたようで、前日の土曜日も当日日曜日も、寺の中にいるより外にいる方がぽかぽかと暖かいほどの好天でした。おかげで前日に外掃除も終えることができました。毎年、成道会には妙心寺派高等布教師の方を特請して、御法話をいただくことにもなっています。

blog_MG_7276.jpgblog_MG_7280.jpg檀家の世話方さんたちは10時頃から三々五々に集まられ、男性方はテーブルを出したり、本堂に椅子を並べたりしていただきます。

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ご婦人方はご自宅から下の写真のような精進の手料理を持ち寄ってこられ、典座では、皆さんが協力して馴れないけんちん汁を作られ、成道会法要のあと、お参りの皆さんのためのお斎の準備をされるというのが恒例となっています。毎年作る方が変わるので、お味も違い、今年はどんなけんちん汁かなと楽しみなのです。

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blog_MG_7294.jpg今年のけんちん汁、とても美味しくいただきました。

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KOGEI Art Fair Kanazawa 2017

 

kogei2017.jpg先般、2017/11/24~26に金沢で開催されました、KOGEI Art Fair Kanazawa 2017に行ってみました。

もとより金沢は、小京都とも言われ、以前から文化レベルが高く、色々な工芸品でも有名な街ですが、北陸新幹線が開通し東京からのアクセスもよくなったことで、多くの観光客が訪ねてきています。そんな街、金沢で若手から熟練までの工芸作家による作品が、国内外のギャラリーによって持ち寄られたフェアが開催されたのです。

そして、開催会場となったのは、KUMUという近江町市場と香林坊の間に位置する最近できたばかりのシェアホテル。このホテルのコンセプトによると「禅や茶の湯といった武家文化が色濃く残る街金沢。その文化を未来につなぐサロンとしてのホテルが誕生します」とあり、「禅」を意識していたことを後で知りました。屋上では朝ヨガなども開催予定とのこと。
ここの2~6階まである客室の2~5階の部屋を使って、それぞれのギャラリーが展示しています。こういうやり方も斬新ですね。

部屋によってはバスルームにまで作品を展示していたりして、なかなか楽しめました。茶道具や花器などの陶器をはじめ、ガラス、書画、鋳物や銀製品など多岐に亘りました。

会場内の撮影はpressの人しかできないようでしたので、その様子は上記WEBサイトか、Facebookページでご覧いただくとして、せっかくの機会なので、花器の2作品を購入して帰りました。

帰ってさっそくに花を生けてみました。それがこちら。

一点目は、「3ta2 gallery」さんの出展品で、「いもの道具みちくさ」さんの作品。花台は縁あって作って頂いた、岸野承氏による作品。材は自坊の古材です。三方に仏様が彫られています。

blog_MG_6880.jpgもう一点は、「ギャラリーIDF」さんの出展品で、「阿倍有希」さんの作品。

blog_MG_6889.jpg陶器なのですが、金属風の釉薬がかかっていて、陶器には見えないですね。

花器が素晴らしいだけで、なんだか、花までうまく生けられたような気がしました。いいものが手に入って、ちょっといい気分です。

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伐採して10年経っても

自坊の境内に樹齢250年ほどのケヤキの大木があることをかなり以前にこのブログで書いたことがあります。「寺の大樹」

約10年ほど前に切り倒してその太い幹を寝かし、一昨年2015年の夏に自坊の本堂の濡れ縁にしてもらいました。

blog_20171122-1.jpg伐採の際に、幹の上部で枝分かれしている部分が、まるで掌のようだったので、クレーンで根の上に置いてもらっておりました。その写真を探すのですが、残念ながら見つかりません。

今年の夏、台風に煽られたせいでか、その掌が倒れてしまったのです。

blog_20171122-2.jpg写真で見ると、その大きさはわからないかもしれませんが、人間の手でびくとも動かないほど大きいのです。この処分に困ったのですが、知人の彫刻家K氏に話したところ、是非もらいたいとのこと。

そこで、クレーン重機(ユニック)を持っている、いつもお世話になっている石材店さんにお願いし、また、このままではトラックにも積めないほど大きいことから、少し切り分ける必要があるため、檀家さんの息子さんで森林組合に勤めるM君に大きなチェンソーをもって出てきて貰い、搬出の手はずを整えました。

2017-11-18-13.29.jpgこの時点で2分割されているのですが、ある程度の大きさがおわかりになるでしょうか。皆がみているこの塊だけで1t強あるようです。伐採して10年経ってはいるのですが、中はまだしっかりしていて、普通の材木の倍ぐらいの比重があるとのこと。素晴らしい材だとK氏は喜んでくださっています。

2017-11-18-13.30.jpg結果的に、3分割しなければトラックにも積めないようなので、M君が切り落としてくれます。うちにもチェンソーはあるのですが、これほど刃が長くないので、素人では文字通り刃が立ちません。

それをしっかり切り出してもらい、ユニックで無事にトラックに積載完了。

2017-11-18-14.03.jpgさて、すぐにとはいかないようですが、どんな作品になるでしょうか。何年か先がまた楽しみになりました。皆さんのおかげです。

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仲秋の名月に想う

 

blog_MG_5381.jpg一昨日、10月3日は仲秋の名月でしたね。

朝から急に寒い一日で、ついに1枚着込んででかけたのですが、帰宅時に空を見上げると、きれいな月が雲ひとつない空に浮かんでいました。皆さんもご覧になったでしょうか。

満月は今夜らしいので十三夜の月だったようですが、限り無く円に近いけれども完全な円でないところに、それを名月とみる日本人の侘びの心があるのではないかと思いました。

blog_MG_5397.jpg私も夕食後に一人外に出て、鐘楼の上にしばらく坐り、じっと自坊の本堂の上にある月を見ていました。

彼岸の中日に、沈んでいく夕陽を観て、その方角にある浄土の情景を想うという「日想観」というものが、浄土思想にはあるようです。

また、「月輪観」といって、わが心を満月のようであると観じる密教の観想法もあります。心の中で満月に向かっているように観想する修行ですので、じっと月を眺めている今夜の私とは違いますね。

補陀落山(ほだらくせん)の岩上に坐して、水面の月を眺めておられる観世音菩薩を描かれた絵画はよく知られています。月輪観はその観想した月が菩提心を示すわけですから、普く世界を救済しようと努められる観音様の菩提心を満月にもあわせて描かれたものなのでしょうか。

あたりに水辺もないですし、観音様ではないですが、鐘楼の上に坐って、私も秋の夕べに少し想いを巡らせてみた夜でした。

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今年のお盆はいかがでしたか

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今年もお盆がおわりました。自坊でも、毎年恒例の施餓鬼をお勤めしました。例年通り多くの方がお参りにみえました。

上の写真に見えている、招き幡。往生呪が書かれているのですが、もう一本、本堂の裏手にもあげています。この幡、去年のお盆のあと下ろしてみたら、経年劣化でビリビリに破れてしまっていました。そこで布地を買って檀家さんに動力ミシンで縫って貰い、閑栖和尚に揮毫して貰って新調したものです。

ところが、お盆の準備をしたあとに例の迷走台風5号がやってきまして、竿だけを括り付けてある縄を緩めるほど風が吹いたものですから、2本とも傾いてしまい、またもや掲げ直した次第。

お盆の頃にもわりと強い風が吹いたので、今度は、旗が隣のタイサンボクの枝に絡まってしまい、下から別の竿だけで引っかき回してなんとか外すこと2度。招き旗に泣かされたお盆でした。

 

blog_20170814_080833.jpgお寺によってお施餓鬼の勤め方はちょっとずつ違いますね。近隣のお寺では山門施餓鬼と添施餓鬼の2本で終わるお寺もあるのですが、自坊は新亡や年回の当たっているお家は別途の施餓鬼を希望されるので、午前中3時間ほどかけてのお施餓鬼となります。勤めている方も大汗かいて頑張らねばなりません。

なにかと簡略化されるなか、こういった風に丁寧に供養することをご希望されるお家が減らないのは、まことにありがたいことだと常々思っています。

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梅雨明けが待ち遠しい頃

このところ、梅雨と言うより、熱帯の雨期のような雨の降り方ですね。福岡県などでは、今までに無いような大雨により、大きな災害となって、たくさんの被害者が報告されています。衷心よりお見舞い申し上げます。

そして、今年、自坊の玄関には燕が巣を作りませんでした。いつもは2~3組のカップルがやってきては巣作りをし、雛を産んで巣立っていくのですが、これは私の記憶の中にないことです。
そして、いつも花盛りになるヤマボウシが、今年はほとんど花を付けませんでした。サツキやツツジはものすごく花が多かった今年ですが。なにも起きなければいいのですが、と少し心配になります。

blog_MG_3765.jpg梅雨入りが遅かった分、室内のしつらえを夏仕様に入れ替えるのも少し後手後手になってしまいました。これでやっと夏らしくなりました。

blog_MG_3758.jpgそして、私事ながら、最近、小さな重機を借りて、暇を見てはコツコツと杉や棕櫚の切り株を起こしており、ここに紫陽花を並べていこうとしています。

blog_MG_3770.jpg重機は別に誰からならったわけでもないですが、自分でやってみたいという思いで、簡単な操作方法だけを聞いて、5月頃からあちこち掘ったりしてだいぶ慣れてきました。しかし、根っこを起こすのは、とても大変なことがわかりました。

杉の木の根は、浅く周囲に広がっているのですが、1本ずつがそこそこ太く、それを切るのが大変です。また棕櫚の根は細くて数が多い。根元から四方八方に広がっていて、四方からそれらを重機で切り落としていって、底の方まで切っていくとやっとゴロリと根っこが転びます。それでも人力でやることを思うと、大いに楽ではあるのですが。

檀家さん達は重機を動かしているのが、業者の人だと思って近づいてくるのですが、やっているのが私だとわかると、一様に驚きの声。まさか和尚さんがやってるなんて思わなかったと……。

臨済宗の和尚は、なんだってやりますよ。

 

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麦秋と研究所の花 2017/6

 

blog_MG_3072.jpg6月も半ば。自坊のまわりは水田ですが、今頃の時期は、転作の麦畑と、稲作の水田とが入り交じっています。

そろそろ麦秋のおわり。近所のおじさんによると、まもなく麦の刈り取りだそうです。風に揺られて麦の穂がゆらゆらと。そして、その中をヒバリがピーチクパーチクと鳴いておりました。

ちなみにこの写真はNDフィルタを使って撮ったものです。NDフィルタというのは、カメラレンズに付けるサングラスのようなもので、明るいところでも暗く見えるわけで、そのためにシャッタースピードを遅くして撮影することができるので、麦の揺れる様子が写し撮れるのです。

さて、能書きはさておき。

今の時期、あたりには色々な紫陽花が咲いていますね。今週の花は紫陽花を中心に研究所に持ってきました。

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そして研究所で生けておりましたところ、なんと、小さな生きものが……。そうです、かたつむりがついてきてしまっていました。

blog_AC_1908.jpgおそらく紫陽花の葉っぱの裏にでも隠れていたんでしょうね。しばらく紫陽花の葉っぱで遊んで貰ってから、研究所の裏にある紫陽花の葉っぱに移してあげることにいたしましょう。

 

 

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甘茶(あまちゃ)

 

blog_MG_2062.jpg自坊では旧暦で今日、花祭りを行ないます。花祭りに誕生仏に「甘茶」をそそぐのは、釈尊がお生まれになった時、天上の神々が甘露をそそがれたことに由来するそうです。でも今回は、小難しい典拠などはやめておきましょう。

実はいまどき、「甘茶」は、薬局で買います。袋に書かれていることを読めば、れっきとした漢方薬です。値段もかなり高額です。

高額は仕方ないとしても、困るのは、「甘茶」を買うのを、ついうっかり忘れてしまうことです。花祭りの前日に買いにいっても、「甘茶」は、もうありません。この時期、地域の寺院が、同時一斉的に、「甘茶」を買いに来ますので、薬局は売りきれなのです。

ですから、花祭りの1カ月前ごろから、「甘茶」の予約をします。薬局も小分けしては売りません。でも一回買えば、3、4年は、冷蔵庫で保存が可能です。

これは、我が山寺の馬鹿な話です。
寺の世話役さんの奥さんたちが、「甘茶」を薬缶で煎じておられます。「よし、出来た」と、盆にそそぎ入れ、誕生仏を立たせ、「やってみよう」ということで、沸騰した「甘茶」を誕生仏に降り潅ごうとされるのです。そこで、住職のわたしが一言、「お釈迦さん、ヤケドされますよ」と。奥さんたちは、いそいでボールに水を張り、「甘茶」を薬缶にもどして、その水につけて冷却。やれやれ、大笑いのうちに一件落着です。

花祭りの法要が終われば、参詣の人たちと、「甘茶」で、カシワモチを食べながら、話に花が咲きます。
でもやっぱり、普通の煎茶や、ほうじ茶のほうがおいしいです。祖父母に連れて来られた子供たちも、コーラやジュースのほうがおいしいと思います。だからちゃんと、煎茶もコーラも用意されています。

この「ブログ禅」を御覧になっている人には、寺の若奥さんたちもおられると思います。そこで、山寺の和尚から一言。
(今どきの)「甘茶」は、煎じたらだめです。甘みより苦みが出ます。お湯の中に入れれば、それで結構です。そして昔は、「甘茶」をビンなどに入れて持って帰ってもらっていましたが、わたしは、「甘茶」の葉っぱを小さい袋に入れて、「家に帰って作ってみて下さい」と言って渡します。
「作ってみます」と言われて、持って帰られますが、どうせ、冷蔵庫の奧に放りこまれる運命でしょう。でも翌年の花祭りの日、「オッ、これはナニッ」となることを、ひそかに期待しているのです。

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唯我独尊

 

blog_誕生佛.jpg誕生釈迦仏立像(奈良時代・7世紀) 東京国立博物館 研究情報アーカイブズより

「唯我独尊(ゆいがどくそん)」。生まれたての釈尊が言われた言葉だそうです。よく知られている言葉ですが、おおもとは、『毘奈耶雑事』巻二十に、「足、七花を蹈(ふ)んで、行くこと七歩し已(お)わって、四方を遍観し、手指上下して、是(かく)の如きの語を作(な)す、『此れ即ち是れ我が最後の生身。天上天下、唯我独尊』」とあるそうです。
「天上天下、唯我独尊」。この言葉を、「この世界で、おれは一番えらいのだ」と解釈しておられる人もおられるかも知れませんが、それは、僕の独断で言えば、まったくの誤解です。この言葉は、釈尊の、現在で言うところの「孤独感」を表わした言葉だと思います。「おれはこの世に一人しかいない、おれのことを理解してくれる者は誰もいない、どうやって、おれが悟った真理をみんなに伝えていけばよいのだ」と言う、いわば絶望感なのだと思います。

「生老病死(しょうろうびょうし)」。釈尊が説かれた四つの苦しみ、四苦です。この「生苦」も、多くの人は、生まれて来る時の苦しみと解釈されておられると思いますが、これも、僕の独断で言えば、生まれて来るということ自体の苦しみなのです。生まれて来なければ、当然ですが、苦しみは発生しません。だから釈尊は、不邪淫戒を説かれました。釈尊の不邪淫戒は、性交の快楽を禁止されたのではありません。根本の「生苦」を作るなということです(もちろん、律学からは反論があるでしようが)。これが、インドで仏教が受け入れられなかった一つの要因だと思います。

僕たちは、一人で生まれて来て、一人で苦しみをかかえて生きざるを得ません。

ここで思い出してほしいのです。

自分というものは、一人しかいないのだということを。
自分の心を本当に理解出来る人は、誰もいないのだ、自分さえそうなのだということを。
だから、誰かのせいにして自分から逃げないように。

でも、みんな、そんなに強くないから、誰かの助けを求めるように。
誰かに声をかけるように。

小生も僧侶でありながら妻帯しています。しかし、妻の気持ちは、小生には分かりません。
それが、一人ということです。でも、そばにいてあげることは出来ます。一人と一人として向き合うしかありません。

人の心は分からない。だから、人の声を聞いて下さい。
自分の心は誰も分からない、だから、人に話して下さい。

結局、ブログ禅読者の皆さんの力に応援を求める、個人的な記事になってしまいました。

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降誕会と花折始

お彼岸も終わり、もうすぐ4月です。4月と言えば8日、降誕会(ごうたんえ)、お釈迦さまのお誕生日です。花御堂(はなみどう)を作り、小さな指で天と地を指す赤子のお釈迦さまをお迎えして盆の中に立て、甘茶をそそぐ、なんともほほえましい法要です。

降誕会の花祭りについては、別のスタッフが書くかもしれませんから、わたしは、皆さんがあまり聞き慣れない「花折始(はなおりはじめ)」について少し紹介します。

この行事も4月8日に行なわれます。特に兵庫県の一部で盛んなようです。わたしの山寺は、その兵庫県の一部にあります。わたしの地方では、初花折(はつはなおり)と呼んでいます。これは、他家に嫁いだお嫁さんの実家に、新しい仏さんが出られた時、お嫁さんが実家に帰り、その仏さんの墓参りをするという行事です。路傍に咲く花を手折(たお)って、墓前に供えるから花折なのでしょう。

この「仏さん」というのは、亡くなられた人のことですが、わたしたちは、死者などと即物的には呼びません。成仏なさったから、皆さん「仏さん」なのです。

昔は、現在のように、お嫁さんが自由に実家に帰ることなどは許されていませんでしたので、この初花折の日だけは、しゅうとさんや、しゅうとめさんに気がねせずに実家に帰れたのでしょう。この行事も降誕会に由来するものでしょうから、お釈迦さまも、いきなはからいをされたものです。

寺院によっては、降誕会の法要に合わせて新仏供養を行なわれているところもあるようです。

blog_170331.jpg現代のお嫁さんたちは、気楽に実家に帰っておられるようですので、来たる4月8日は、実家の墓前で手を合わせて、ご先祖さまの冥福と、我が身の近況報告をなさってはいかがですか。心が洗われると思いますよ。

ところで、実はわたしの地方では、降誕会も花折始も、月遅れの5月8日に行なわれます。陰暦の4月は初夏なのですが、この地方では、4月に花なんか咲いていませんし、5月でさえ、花御堂の屋根を葺(ふ)く花を集めるのは一苦労です(最近は田圃にレンゲがありません)。でも、4月に行なわれる地域もあるでしょうから、早めに紹介しました。

どこかで、「彼岸会に続いてまた墓参りか。このごろの禅文化のブログは、なんだか説教くさいなあ」という声が聞こえてきそうなブログでした。ごめんなさい! でも、わたしの心からの願いなのです。

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境内の花たち

週初めの朝、起きると表に出て適当な花を見つけては伐り、束ねて研究所まで持ってきては、ところどころに花を生けたりしているのですが、今日は週末なので境内の花を見て回って、写真にだけ収めてきました。

もう東京では桜が開花したと聞いていますが、こちらはまだ、少しずついろいろな花が開きかけてきたところです。まだ少し肌寒いですしね。

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まずは、山茱萸。まだ朝日が昇ったばかりなので、ちょっと暗くて黄色が鮮やかに見えませんが、ごく最近、咲き始めました。昨年、庭師さんが剪定しすぎた感がありますね。

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ちょっと大きくなったふきのとう。小さいうちに摘み取ったのは、天ぷらにして美味しく頂きました。

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ふきのとうがもっと伸びるとこんな風になります。

blog_MG_1817.jpgこちらは姫立金花(ひめりゅうきんか)。暗くなると閉じている花びらが、あかるくなると一杯に開いて、キラキラの黄色の花びらを見せてくれるのです。今はまだ寝起きと云ったところですね。となりにはクリスマスローズもたくさん開花しています。

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白い八重のボタン。花のつぼみは一杯あるのですが、咲いていたのは二輪だけ。藪椿より少し遅いですが、大好きな美しい白い花の一つです。

blog_MG_1830.jpgこちらは藪椿。まさしく竹藪のそばにある大きな木です。この椿の枝をよく研究所に持ってきています。

blog_MG_1825.jpg最後は白木蓮。まだ蕾は硬い様子ですが、これから一気に花が咲くことでしょう。お浄土のように……。

さて、年度末が近づいてきています。今日は研究所の在庫棚卸しの予定です。いい一日をお過ごし下さい。

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彼岸会

 

blog_MG_1775.jpg一昨日のブログでは山田無文老師の「お彼岸さん」という講話をお読みいただきました。これらの無文老師の提唱や講話は、主に神戸の祥福僧堂にて雲水や信者さん達に対して話されたものが録音記録してあり、それを禅文化研究所で文字に起こして書籍にしたものです。ですから、これらの本を読むと、今でも無文老師のお声がオープンリールのノイズとともに聞こえてくるように思えます。

さて、このお彼岸に自坊でも例年通り彼岸会を行ないました。自坊では春彼岸の彼岸施餓鬼会を永代祠堂としております。祖父である先々住が住職をしていた時から永代供養として受け付けていたのですが、自坊のある地域は臨済宗のお寺は少なく、130軒ほどの集落の中には自坊の他に真宗大谷派と西本願寺派の2ケ寺があり、130軒のうち、1割ほどが檀家さんでそれ以外は、真宗の門徒さんなのです。

しかしながら、その当時からの慣例で、門徒さんのお宅で新亡ができたときでも、集落内の3ケ寺にそれぞれ供養料を納められることが多く、したがって、自坊の祠堂帳には「釋○○」「釋尼○○」といった真宗の法名の方が多いのです。

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祠堂帳に書かれているご戒名・ご法名のその数は約800霊位。供養料を納められたご戒名・ご法名をすべて読み上げることにしておりますので、それだけでもかなりの時間を要するのですが、ご供養の思いでご志納いただいたそれぞれの方々の大切な思いを感じながら毎年読み上げています。自分が住職になってから導師を勤めさせていただいたご先祖のご戒名があると、「ああ、○○さんだな」と一瞬一瞬ですが、そのお顔まで思い出しながらです。

blog_MG_1793.jpgまた、この時期にあわせて、本山である妙心寺から定期巡教として高等布教師さんが派遣されてこられます。自坊でも巡教をお受けし、開教していただきました。今年のテーマは「おかげさま 三宝の恩 -仏法ありがたし-」でした。施餓鬼法要に参詣された檀家さんやご門徒衆も熱心にご法話に聞き入られていました。

さて、明日で今年の春のお彼岸も終わります。無文老師の言われるとおり、宗教週間、修養週間とも言うべき春のお彼岸。皆さんもご精進され、先祖供養をなされましたか?

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平安を祈る

 

blog_daihannya.jpg二階の寝室で寝ていると、ぐらぐらと大きな揺れを感じて、目覚めるとめまいのように天井が揺れている。慌てて枕元の携帯だけを手に取り階下に降りていくと、家人たちが来客と何食わぬ顔で話をしていた……。先週土曜日、3月11日朝方にみた夢でした。
あの3.11の丸6年が近づいた数日前から、テレビで盛んに報道されていたから潜在意識ができていたのでしょうか。夢でよかったと思いましたが、実際に6年前に被災された人たちは、「夢ならばいいのに」と何度も何度も思われたことだと思います。

ところでその土曜日には、自坊の「大般若祈祷会」の法要を行ないました。例年3月のこのあたりに行なう法要ですが、たまたま今年は3月11日に。七回忌にあたる今年ではありますが、例年と同じように祈祷会のお勤めをいたしました。

大般若祈祷会にお参りになった方はご存知かと思いますが、600巻ある「大般若経」の経典を、大勢のお坊さん達がそれぞれ「転読」という方法で1巻ずつ繰っていくのですが、その際にはそれぞれの巻名を大声で「大般若経巻第○○ 唐三蔵法師玄奘奉詔譯(だいはんにゃきょうかんだい○○ とうのさんぞうほうしげんじょうぶじょうやく)」と唱えてから、真言を唱えながら経本を繰ります。そして繰り終わったあとには、「降伏一切大魔最勝成就(ごうぶくいっさいだいまさいしょうじょうじゅ)!」と、これまた大声で唱えてます。こうして一人あたり50巻の経本を転読していくのです。
降伏一切大魔最勝成就」というのは、我々が仏道を成そうとすることを邪魔する「一切の大魔」、つまり煩悩、これらを押さえ込んで、なんとか仏道を成就するぞ!という意気込みを言っているわけです。

 さて、日頃みなさんは生活していて、力限りの大声を出す機会など、ないと言ってもいいのではないでしょうか。
私たち禅寺の和尚は、この大般若祈祷会の時には、大声をはりあげる機会に恵まれます。じつはこれはとても気持ちのいいものなのですよ。

導師は出頭寺院が転読されている間、大般若経の中の第578巻「第十般若理趣分」を看読します。
そうして法要の最後の回向では、仏法の興隆、世界の平安をはじめ、五穀が豊富に実り、災難が起こらないように、そして檀信徒の方々のお家が栄え、お寺も火事や盗難に遭わないようになど、無事を祈るわけです。本当に盛りだくさんです。
私は導師を勤めながら、まだ復興に至っていない福島をはじめ東北の地のことも思っていました。
改めて犠牲になられた方々のご冥福をお祈りをするとともに、一日も早く、復興が結実することを祈願しております。

ご加担いただきました近隣の和尚さんたちをお見送りに山門を出ると、梅の花が満開を迎えておりました。今年は雪の多い自坊付近で、とくに紅梅の枝がことごとく折れて可哀想ですが、ようやく春がやってきたようです。

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雲水さんは楽しみだ

 

blog_IMG_1719.jpgわたしは、時々、僧堂に行って、雲水さん達と一緒に、漢詩のイロハを勉強している。もちろん、制間中という、いわば、雲水さん達の休暇中を利用してのことである。制中となれば、坐禅と入室参禅のみだから、文字をあつかうようなことは出来ない。

わたしは想像するのだ。
この雲水さん達が、将来、どこかの住職となり中堅や老僧になった時、「わしが雲水の時になあ、○○という人が手弁当で僧堂に来てな、漢詩のイロハを教えてくださった。あんた達も、二四不同や二六対ぐらいは勉強せんといかんなあ」と、なかば、偉そうに言っておられる姿を。

雲水さんは楽しみだ。将来、お師家さんになられるかも知れないし、管長さんになられるかも知れないし、いなか寺で一所懸命、仏法を説いておられるかも知れない。

そんな雲水さん達と一時を共に出来るのは、文字になってしまった語録の訓読に明け暮れるわたしにとって、生きた禅を見るようで、とても愉快なのである。

そういうわたしにも、雲水時代はあったのですよ。
もう忘れてしまいましたけど。

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鈴木法音老師 小祥忌

 

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過日、信長の菩提寺としても有名な、滋賀県安土の摠見寺(臨済宗妙心寺派)にて、佛通寺派前管長の一箪室鈴木法音老師の小祥忌が営まれました。

老師は、仏通寺派管長に上堂される前に、長らく摠見寺にて住持を勤められており、私も近隣寺院として親しくお付き合いをさせていただいておりましたし、また、季刊誌『禅文化』にもご寄稿をいただいていたり、いろいろなご縁をいただいておりました。

一部には大変厳しく論破される老師だったので、煙たがられていた方もいらっしゃるとは思いますが、私個人としては非常に厚遇していただき、幾たびか、食事にもお誘いいただいたこともありました。

blog_2017-02-16-09.48.23.jpg先般来の大雪のせいで、まだ摠見寺への参道にはまだ雪が残っており、法要当日は、外は陽も照っていくらか温かくはありましたが、本堂内は冷え渡り、身も引き締まるほど。法音老師と縁の深い妙心僧堂関係の諸尊宿、現住和尚と縁の深い静岡市の尊宿方、そして近隣部内の寺院が参集し、また在家の招待客の方もおられるなか、現住職が導師をつとめ、楞厳行道をもって勤修されました。

blog_2017-02-16-11.02.jpg冒頭の写真は、この度の小祥忌にあわせてできあがった、法音老師の頂相(ちんそう/禅僧の肖像画)です。普段はメガネをかけられていたので、少し違ったイメージでしたが、よく似せて描かれていました。賛は、妙心僧堂師家の岫雲軒雪丸令敏老師によるもの。津送の時の法語がほぼそのまま賛にされているようです。

法音老師のことを見事にそのまま法語にされていて、老師のご生前を思い出しておりました。

 

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またまた本を買ってしまった

 

blog_2017-02-07-15.56.jpg禅文化研究所資料室の書架

 

小生は、禅文化研究所に出勤せず、在宅(在寺?)で仕事をしている。よって、膨大な蔵書数を誇る禅文化研究所資料室の本を自由自在に見られるわけではない。往復3時間を使って閲覧に行くのも面倒である。
ところがこのごろFAXが調子悪いと言うと、写メールというものを教えてもらった。後輩所員に某書の某頁を見たいと依頼すると、写メールというものが送られて来る。聞けば、スマートフォンで写真を撮り、その画像データをメールで送るのだそうである。いやはや、画像は鮮明で、通信時間も短い。これはしめたと思い、後輩所員を乱用して来たが、後輩には後輩の仕事があるのだと気づき、少し反省をした。

そこで、最も写メール依頼を多く頼んだ、『五山文学全集』を買うことにした。ネットの「日本の古本屋」を検索すると4万円だった。高いか安いかは分からないが、後輩所員に迷惑をかけずに思う存分読めると思い購入した。ついでに、『五山文学新集』も買ってしまおうと思ったが、これは、12万円もしたので購入せず、悪いとは思うが、後輩のシャメールに頼り続けることにした。

ところで、古本屋さんには、若い時分から随分とお世話になって来た。学生時代、トーマス・マンに傾倒していた小生は、既に結婚していた家内に、千円札を20枚ほど渡し、「店主の前で、1枚1枚かぞえろ。そうすれば、店主も14枚ぐらいでとめてくれるから」と教え、古本屋に行かせた。『トーマス・マン全集』は、1万8千円だったのである。ところが家内は、1万3千円で買って来た。差し引き5千円は、当時の我れらにとっては1カ月分の食費に相当した。その『トーマス・マン全集』を全部読んだかについては、聞かないでほしい。ドストエーフスキイは、1万5千円だった。これも、家内は1万2千円で買って来た。どうやら、あの時代の古本屋の主人は、学者や文学者のタマゴを、かいがいしく面倒をみている、少女のように見える御婦人には弱かったのであろう。ところが、タマゴがかえれば、少女は一変するのだ……。

さて最近、古書で最も驚いたのは、『諸橋大漢和辞典』全13巻の7千円である。小生は、辞書を乱暴に使用するので、数年に1度は買い換えねばならない。『諸橋大漢和辞典』全巻が七千円である。7万円ではないかと目を疑ったが、やはり七千円である。小生が学生時代、7千円では1巻も買えなかった。どうしたことだとは思ったが、小生の書棚には、新品同様の『大漢和辞典』13巻が、7千円で並んだ。

今、本は売れないと言うけれど、トーマスもドストエーフスキイも、芥川も潤一郎も、もちろん新作も、面白い。特に昔の全集本は、装丁(デザイン)も素敵で、書棚に並べておくだけでも幸福感いっぱいになる(小生だけかな?)。ましてや、お坊さんだったら、やはり『諸橋大漢和辞典』13巻は必須だろう。今こそ本を買って、心を豊かにしようではないか。

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旧正月

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1月があっという間に行き、もう立春も過ぎました。2月もあっという間に去って行くことでしょう。

中国はいま春節で、お願いしている漢文データ入力の仕事も、春節があけるまでやってもらえないようですが、これもお国柄なので仕方なし。

さて、今年の旧正月は1月28日だったようですが、私の自坊の檀家さんのある1軒は、毎年、旧正月にご祈祷にお参りを頼まれますので、今年のお参りをしてきました。

写真はお参りが終わってからなので、ロウソクも燃え尽きていますが、ご了承を。

いつから続けてこられているのでしょうか。少なくとも私の先々代の時にはお勤めしていたことがわかっています。お寺でやる大般若祈祷会と同じく、一人ではありますが、般若心経3巻、理趣分看読、観音経、大悲呪、消災呪、(改磬して)、仏頂尊勝陀羅尼、消災呪、そして祈祷回向。一通りのお勤めの間、ご家族は揃って、読めるお経はついて読まれます。いちばん達者に読めるのが、20歳過ぎの娘さん。このお家の信心深さを物語っているようです。

ちなみに通常は新年早々にされる各寺院の祈祷法要ですが、自坊のあたりは、どのお寺も3月にされることになっています。

昔は雪が深くて移動もままならなかったからでしょうか。今年はよく積もりましたから、それもありかと思っています。

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昨年末の除夜の鐘

 

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昨年末の師走の「中外日報」(仏教界の新聞)によりますと、除夜の鐘を迷惑と言われ、時間を深夜ではなく昼間に代えたり、防音壁を作って対処されたというようなお寺があり、また、一般のニュースでも同様の報道を見ておりました。いまや、除夜の鐘は一年を振り返る風物詩でさえもなくなってしまったのでしょうか。

反対に大きなお寺では、普段はお寺参りもしないでも、喜んで除夜の鐘を撞きに来られる方もおられるようで、108では終わらないとうれしい悲鳴をあげておられるご寺院もあるようですが、迷惑といわれる場合もあったりで、そういうお寺にとっては頭の痛いところでしょう。
幸い自坊には未だ苦情を寄せてくる方はおられませんが、うちのような田舎寺では、近年、だんだんと深夜の除夜の鐘にお参りされる方は減ってきてしまっており、寂しい限りでおりました。

そうしたところ、山口県のある臨済宗寺院のご住職が、「除夜の鐘撞き放題」として、大晦日には一日中、いつ鐘を撞いてもいいようにされていることをSNSで知りました。これは思い切った闊達なやり方だなと共感し、ではうちでもやってしまいましょうと、さっそくSNSで宣伝し、かつまた、寺の表と裏にある2ヶ所の掲示板に、上のような「大晦日終日鐘撞き放題」と貼りだしたのです。

2016-12-31-08.49.jpg檀家さんの多くは、大晦日にご先祖のお墓掃除に見える方が多いので、掃除の後に、一年の垢を落とすつもりで鐘を撞いて帰ってくださいねということなのです。時々、掲示に気がついて鐘を撞いて帰られる方もおられ、内外の掃除や正月の設えをしている私の耳にも、「ゴーン」という鐘の音が聞こえてきて、ニヤリとほくそ笑んでいた次第です。

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午後、見かけない青年男性二人がやってこられ、鐘楼を写真に撮っておられるので、「どうぞお気軽に撞いて帰って下さい」と声を掛けると、うれしそうに「では遠慮なく」とかなりの数を撞いて、お互いに写真を撮ったり楽しまれているご様子。

聞いてみるとSNSでの投稿を見て、おもしろそうなことをされているので訪ねてきましたと、県内ではあるものの、結構な距離を車で来て頂いていることがわかりました。去年はポケモンGO大流行で、見知らぬ方が来て、ポケモンをゲットしては、本堂に拝みもしないで出て行かれる光景をみましたので、それとこれでは大きな違い。とても愉快な気分にさせて頂きました。

ところで、このせいで撞きすぎたからではないですが、夕方、撞木のロープが1本切れてしまうという事態が発生。幸いにして、誰も怪我をしなくてよかったのですが、大急ぎで応急処置をして事なきを得ました。新年あけてから、4本とも新しいロープに交換したのは言うまでもありません。

うちの寺でこんなことをしたのを知って、また近隣のお寺でも同じように終日撞き放題にされていたお寺もあったようです。まだまだ宗門は捨てたもんではないですね。今年の年末もまた撞き放題やりたいと思います。

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柿の実

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秋も深まってきました。というより、もう冬の入り口ですね。

各地の専門道場の多くでは、雲水殺しの異名をもつ「臘八大摂心」の真っ最中。今年3月の遠諱報恩大摂心に参じた雲水達も、歯を食いしばって坐っている事だろうと思います。

さて、柿の実は、年によってよくできたり、あまりできなかったりすることがあるようです。今年は自坊のまわりの柿の木々にもたくさんの実ができたようです。

檀家さんからも渋柿をたくさんいただきました。そこで、老母がせっせと皮むきをいたしまして……。

_MG_0114.JPGどうでしょう。100個はくだらなかったかと思います。ひもで括って、干し柿にいたしました。

自坊の鐘楼に竹竿をかけて、そこにずらっと干し……。

_MG_0118.JPG干し始めたら、2~3日に一度、揉んでやらないと、甘くならないのだそうです。今年は雨が多いので、カビに気をつけないと、せっかくの苦労が水の泡です。

さてじつは、写真はありませんが、このたくさんの干し柿は、すでに真っ黒で美味しそうな干し柿になっています。

そして、少し木に残しておいた柿は、鳥たちがおいしそうに頂いているようです。

 

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少し不思議な出来事

山や野にある寺院の御住職は経験ずみでしょうが、天井裏に小動物が棲み着くことがあります。小生の山寺も例外ではありません。夜や明け方になると、天井裏では大運動会が始まります。

数年前、雨の降る日、本堂の外で子猫の泣き声のようなものがするので見てみると、何かの動物の子供が泣いています。小生にはその動物の名前が分かりません。鼻筋が白かったのでハクビシンかも知れません。とてもカワイイものです。小生と目が合っても逃げようとはしません。子供の頭上、天井裏への入り口なのか、そこに親がいます。子供をじっと見ているだけで助けようとはしません。子供は雨の中、天井裏への壁か柱かを登りそこねたのでしょう。小生はそのままにして本堂へ入りました。しばらくしてそこへ戻ると、子供の姿はありませんでしたので、無事に天井裏へ登れたのでしょう。

運動会で収まっていてくれれば、小動物でも山寺の住人ですので、共生すればよいのですが、ついに最近、天井からオシッコが落ちて来るようになりました。困った小生は、駆除の業者をさがそうと思っていました。

そんなある日の朝、檀家さんが寺に来られて、「下の道で動物が二匹、車にひかれて死んでいるけど、観音堂のわきの土地に埋めていいですか」と言われます。小生は、「かわいそうやね、ちゃんと埋めてあげて下さい」と答えました。小動物が車にひかれるのは、山間部の道路ではよくあることです。

不思議なことですが、その日から我が山寺の運動会はピタリと終わり、今日まで天井裏は音ひとつしません。ひょっとしたら、車にひかれて、観音堂の土地に埋められた、あの二匹の動物は、我が山寺の天井裏の住人で、寺への帰り道だったかも知れません。そもそも、小動物が二匹いっぺんに車にひかれることが、とても珍しいことなのだそうです。親子だったのか、夫婦だったのか……

天井裏の住人がいなくなり、現実的には嬉しいことですが、不殺生戒を守らなければならない僧侶としては複雑な気持ちです。寺の境内地に埋めてもらったことが、せめてもの救いです。

小生が住む自治体のルールでは、アライグマなどの外来種を捕獲した場合は殺処分が許されていますが、タヌキなどの日本古来の動物は、たとえ畑のワナにかかっても、山や野に帰さなければなりません。

山寺で起こった些細な出来事でしたが、皆さん、ペットはその命が終わるまで見守り見送って下さい。くれぐれもお願いします。

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丹波の黒豆

 

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小生の山寺がある丹波篠山の畑は、現在、黒大豆の葉が大きく茂っている。もうそろそろ黒枝豆として出荷されるだろう。よくは知らないが、生産者の取り決めか何かで販売解禁日が決まっている。

小生の山寺の畑にも十年ほど前までは隣家の檀家さんが作ってくれていた。土起こし、植え付け、草ひき、すべてその檀家さんがやってくれるので、小生は何もしない。

ただ収穫だけは小生の仕事である。仕事と言っても、これは楽しい限りである。京都の某僧堂から雲水さんを数人お借りして手伝ってもらう。雲水さんというものは偉いもので、少し教えると手際よく収穫されていく。

まずバケツ半分ほどを収穫する。そして家内に届ける。家内はすでに湯を沸かしており、すぐに茹でる。塩加減は、さすがに地元の出だけあって抜群である。茹で上がるのに15分から20分ほどかかる。茹で上がると、収穫作業は早くも中断である。採り立て茹でたてを食べる。実にうまい。豆もうまいが空気もうまい。その上、ビールもうまい。

収穫作業が終わると、枝つきのまま雲水さんに持って帰ってもらう。これは少し酷である。なぜなら、雲水さんは電車で来ておられるからだ。しかし、それぞれ工夫して運びやすいように結束される。見事なものである。

こんなことが6、7年続いた、そろそろ土起こしという時期に、隣家の檀家さんがやって来られて、「ワシも歳やあ、もう作れんわ。それに連作で土地も痩せておる」と言われた。こうして、我が山寺の黒豆収穫作業は終わった。

いや、実に楽しかった。読者の皆さんには申しわけないが、とりとめもない小生の思い出話である。

販売が解禁になると、丹波篠山の道路わきには、農家さんの臨時発売所がオープンする。丹波篠山にお越しの際はぜひお求め下さい。格安で売っています。生産者の顔を見て買えますのでお勧めです。

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入寺式

入寺.jpg先日、近隣の寺で新住職を迎える入寺式があった。この寺は一時期私も看護を務めたことのある寺で、前住職が遷化されてより20数年間ぶりに正式な住職が就任することになった。
寺院の後継者不足はどの宗派でも共通の問題である。檀家数が少なく経済基盤のない寺院の後継は難しく、また、住職資格の条件に専門道場での修行年数が必要な臨済宗ではハードルが高い。

そんな中、ようやく迎えることができた住職に、参列した檀家さんも安堵されていることだろう。
新住職も既に地元での法務をこなしていることから、檀家さんとも終始打ち解けた様子であった。
住職と檀家、協力し合って地域の中心となる寺を目指して、盛り立てていただきたいと思う。

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日本の禅語録を読む者の愚痴

日本の禅語録を読むことを仕事としている小生は、正直言って、唐代(ある先生が唱えられた「純禅の時代」)の語録を研究しておられる先生方がうらやましい。これはもちろん、いわれなき愚痴である。唐代語録研究者のご苦労は十二分に承知しているし、その恩恵で日本語録を読むことが出来、感謝するばかりである。

しかし、しかし。当然のことであるが、『六祖檀経』には、西暦713年以後、『馬祖語録』には、西暦788年以後の出来事は出ない。当たり前のことだ。

だが日本の禅語録、特に多くの寺院の中興開山が輩出した室町後期からの禅語録には、仏典祖録はもちろん、六祖・馬祖以後、宋代の語録、ひいては元・明の語録までが引用される。

その禅語録は、多く偈頌を中心に成立しているが、それは、宋代にさかのぼる。言うに言われぬ禅の奥旨を表現するには、文章であって文章ではない、言葉であって言葉ではない、韻文の偈頌がもっとも適していたからだと思う。それは、日本の五山文学で結実する。ある意味で、純禅は衰退する。

160907.jpgそれはさておき、日本の禅語録に引用されるのは、仏典祖録のみではない。『四書五経』『三体詩』『錦繍段』『文選』『蒙求』などは必携である。余談だが、『唐詩選』はあまり引用されない。そこで、小生の書棚には、明治書院の「新釈漢文大系」や、その他、もろもろの外典の解説書が並べられている。山寺での在宅勤務であるから研究所の蔵書は使えず、我が小さな書斎は本であふれかえっている。しかし、本というものは、ながめているだけでもこころよいものである。愛情さえ感じる。

本題にもどすと、日本の禅語録には、中国の文献どころか、『古事記』『日本書紀』から、神仏垂迹、源平合戦、織田・豊臣・徳川の戦記までが登場する。これはもう専門外であるが、それを根気強く調べ上げていくのが小生の仕事である。

日本の禅語録が、手を付けられないままでいた理由は、ひとえに、それらを調べ上げていく、その手間・時間にある。幸いに当研究所は、各寺院から、「江湖開山語録研究」への助成金を受け、各寺開山・中興開山の語録訓注を推し進めている。ありがたいことである。

大言をはくようではあるが、小生の後も、日本禅語録の読み手が続いてくれることを切に願うものである。

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摩訶不思議な仏縁

 

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上の写真は、自坊の本堂中央に掲げられている木製の扁額です。ちょっと読みにくいでしょうが、右から「瑠璃殿」と書かれています。自坊のご本尊は薬師瑠璃光如来(秘仏)なので、この額が掲げられているのでしょう。私も、そして父もこの額がいつ掛けられたのかは知りません。
書かれたのは、大本山妙心寺の初代管長を勤められた鰲巓道契禅師(1814~1891)です。ただ、自坊にはこの元になる書は遺っていませんでした。

今年5月に自坊の先々住の五十回忌をお勤めしましたが、それに合わせて閑栖がその師匠である先々住との想い出を一冊の本にして私家版『枯淡の家風』として上梓しました。その本の中にこの額の写真を載せておいたのです。そして、法要においでになった方々にはもちろんですが、ご縁のある人には、顔を見ると差し上げていました。

その50回忌の翌日のこと、私の修行時代の1年先輩の和尚が、悲しいかな早逝してしまわれ、翌月、その津送のために沼津のお寺に行った時の事。

そこに同席されていた京都で墨蹟などを扱うお店をされているご主人Yさんが私におっしゃるのには、「先日いただいた『枯淡の家風』の中に「瑠璃殿」という扁額が載っていたが、その元になったと思われる墨蹟を、近頃、業者のオークションで手に入れ、自分の所の広告に載せていたところ、とある方が店を訪ねられてこれを欲しいと仰ったので売ったのです」と。聞くと、その方のお寺も薬師如来がご本尊で、近く新命さんの晋山式を行なうので、それまでにとのご希望だったとのことで、古い痛んだ表具は外して額装にして納めたばかりだとのこと。

その話を聞き、大変興味を持ったので、いったいどこのお寺にお納めになったのか、よろしければ教えて欲しいと聞いたところ、私の隣の和尚を指さし、「この方なんですよ、それが……」と。

なんと私の隣に居たのは、私の修行時代の同夏(同期)。つまり最も近しい修行仲間のSさんなのでした。Yさんは私とSさんが同夏だということはご存じなかったので、これはホントに偶然だったのです。あまりに不思議なことなので、三人で声をあげて驚きました。

さらに、Sさんの祖父にあたる方も自坊で50回忌をした私の祖父と同じく、岐阜の虎渓僧堂出身。話を聞くと、うちの祖父とそっくりな枯淡な家風だったことにも驚き。ほぼ同じ時代に虎渓僧堂におられたようです。

祖父の50回忌があってその為に作った本、そして、このタイミングで3人が出会った不思議。なんとも摩訶不思議な仏縁としかいえないことでした。

Sさんのお寺に納められたのは下の写真です。どうです、まったく同じ物でしょう?

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サルスベリの花


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八月に入り、いよいよ夏も本番である。山寺のムクゲは、数を減らしながらも、咲いては落ち、落ちてはまた別の花が咲き、小生に、人生の無常と、その無常の中で、どう生きていくのかということを考えさせている。

そのそばにはサルスベリの樹が植えられている。もう青葉が茂りに茂っている。ムクゲが終われば、この花樹が、紅(くれない)の花を開いてくれる。

サルスベリは、幹の皮がなめらかでツルツルしており、猿もすべるから、この名前がついたというが、猿も出没する山寺に暮らす小生でも、さすがに猿がすべったところを見たことはない。古人がじょうずに命名したのであろう。何とも可愛らしい名前である。

ところで、サルスベリの中国名は「紫薇(しび)」である。とても綺麗な名前だが、紫色の薔薇(バラ)と読んでしまいそうである。紫微(王宮)に多く植えられたから命名されたそうだが、その別名が日本でも有名な「百日紅(ひゃくじつこう)」である。

たびたび無粋だが漢文を一つ。ある「花譜」に「紫薇、一には百日紅と名づく。四五月、始めて花(はなさ)き、開謝接続(咲いたり散ったりして)、八九月に至る可(べ)し」とあるように、とても長い間、咲いててくれる。もちろん、同じ花が百日咲いているわけではない。その点は、ムクゲと同じである。

実は、日本禅録に用いられる「百日紅」は、直接、サルスベリを言うものではない。その別名に掛けて人生の無常を説くのである。ある禅匠の百箇日忌の法語に「百日紅過春作夢(百日、紅過ぎて、春、夢と作(な)る」とある。これは、中国のことわざに「人に千日の好無く、花に百日の紅無し(凋まない花はない)」(『水滸伝』第四十四回)と言われるところから来ている。

一日のムクゲも、百日のサルスベリも、散っていくのに違いはない。さて、どう散っていくか。六十の小生は、まだその答えがみつからないでいる。

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人の不安の声を聞く

 

20160714.jpg先日こんなことがありました。

暗くなってから自坊に帰ると閑栖和尚がいうに、近所に老夫婦だけで住まわれている檀家のAさんのご主人の方からついさっき電話があって、「嫁さんが見当たらんけど、お寺にお邪魔していないか」と聞いてきたと。
来られた様子がないので、「みえていないですよ、と答えたが、心配だから、お前も探しに行ってやってくれ」といわれました。私はさっそく懐中電灯をもって、ともかくAさんのおうちへ行ってみて尋ねると、さっき出て行ったきり帰ってきてないとのこと。このAさんの奥さんは、認知症ではないけど、物忘れ症候群のようで、ちょっと心配になります。

Aさんにどこか奥さんが行かれそうな心当たりはないかときいて、その心当たりのお宅へ向かいました。
そのお宅の奥さんと話してみると、「みえていたけど、さっき帰られましたよ。おうちの二階ででも眠ってられるんじゃない? じつは明日、○○○なことがあるらしくて、それが嫌でここに来ていろいろ話されて帰られたのよ」とのことです。
それでまたAさん宅にもどって、二階に寝ていないか確認して貰ったところ、「二階で寝てましたわ」って。帰られていたのに気がつかなかっただけだったんですね。ホッとして、「よかったですね、おうちにおられて」、「いやいやご迷惑をかけました」と、声を掛けあって帰った次第です。一応はこれで一件落着。

じつはこの「○○○なこと」というのは、このAさん夫婦の娘さんが、母親の物忘れ症候群を心配するあまり、Aさんと相談してデイケアサービスのお世話になろうとしているらしく、その件で、明日、ケアマネさんが来たりするとかで、Aさんの奥さんはそれが不安で、夜も眠れないと言っていたということなのです。

世の中にはこういう方がたくさんおられることだろうと思います。かくいう私の母も物忘れ症候群の一人。通院はしていますが、もっと社会や人と関わって欲しいと思うのに、寺でじっとしていることがほとんど。Aさんの娘さんのように、ケアマネさんに相談しようと思うのも当然でしょう。

でも、自分は大丈夫と思うお年寄りたちは、プライドもあり、逆に不安もあることでしょうから、嫌がるのもわからないではありません。

家族や親族、あるいは和尚と檀家さんという関係でなくても、こういったことに直面することが、今後どんどん増えてくることは、火を見るより明らかです。では私たちはどう対応していったらいいのでしょうか。

Aさんの奥さんは、ご主人に不安を言えないわけで、近所で親しく話を聞いてくれているおうちで、不安を語っていたわけです。
ターミナルケアまで見据える事も大事ですが、まずは人の声を聞く。これは大切な事だと思います。
今回のことで、改めていろいろと考えさせられました。

さて、禅文化研究所の今年のサンガセミナー、来週(7/20)の講座では「傾聴講座―カウンセリング技法に学ぶ傾聴の本質と実際」と題して、花園大学学長の丹治先生に講義いただきます。午後には村田真彌子さんによる「香りを知る」講座も開かれます。まだお申し込み可能です。

傾聴講座
―カウンセリング技法に学ぶ傾聴の本質と実際

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ホトトギスの鳴き声

さすがに我が山寺も「ホーホケキョ」は消え、「テッペンカケタカ」の大合唱である。ホトトギスは群を作らないから、大独唱と表現すべきか。もちろん「テッペンカケタカ」と鳴くのは、ホトトギスである。

日本では、「子規」の字が当てられることが多い。「子規」は、唐詩にも見える古い言葉だが、明治30年に創刊された俳句雑誌「ホトトギス」を主宰した正岡常規(つねのり)の号「子規」から、一躍有名になったものか。

正岡子規は三十四歳の若さで亡くなるが、長く結核を患っていた。周知のとおり結核は血を吐く。それが、ホトトギスがしきりになくことを形容する「子規啼血(子規、血に啼く)」の詩句とあいまって、「正岡―子規(ホトトギス)―結核―吐血」の構図となるのであろうが、正岡が子規の号を用いたのは結核を患う前だから、声高に鳴くホトトギスを、我が苦吟に重ねたと見るべきであろう。あるいは、正岡が我が将来を察知していたと見ることもできるか。

160714.jpgさて、小生が勉強している日本語録では、ホトトギスは、多く「杜鵑」と表記される。少し堅苦しくなるが、「杜鵑」は、以下の伝説による語である。

「蜀の後主、名は杜宇、望帝と号す。位を鼈霊(べつれい)に譲り、望帝、自ら逃る。後、位に復(かえ)らんと欲(ほつ)するも得ず。死して化して鵑(けん)と為(な)る。春月の間毎に、昼夜、悲しく鳴く。蜀の人、之れを聞いて曰く、『我が望帝の魂か』と」(『太平寰宇記』)。

つまり「杜鵑」は、帝位に戻りたいと願ったが、その願いがかなわないまま死んだ蜀の望帝、名は杜宇の亡魂が、この鳥になったという伝説に基づくのである。

そして古人は、この鳥の鳴き声を「不如帰去(プールーグィチュ)」と聞いたのである。訓読すると「帰り去るに如(し)かず」。意訳すると「さあ帰ろう、さあ帰ろう」「帰ったほうがいいよ」などとなる。ホトトギスの別名を「不如帰」と言うのは、ここから来ている。これは、望帝の魂を慰める、その臣下達の声を表現したものであろう。

「杜鵑」「不如帰去」は、日本の禅録でさんざん用いられ、「迷いの娑婆世界におらずに、本分の故郷(悟りの世界)に早く帰ろうよ」という意に用いられる。

そう考えると、日本語の「テッペンカケタカ」は、「天辺=天上・悟りの世界(テッペン)に高く飛んでいるか(カケタカ)」の意かも知れない。もちろん小生の勝手な深読みである。

都会に住んでおられる多くの読者には、「ホーホケキョ」も「テッペンカケタカ」も聞こえないでしょうが、人の心は奥深いもので、「ホーホケキョ」も「テッペンカケタカ」も聞こえて来ます。それを手助けするのが漢詩や語録だと思います。

ウグイス・ホトトギスと続けましたが、何かご希望のテーマがあれば教えて下さい。なければ、次は、漢詩や日本語録に出てくるお花について無粋な話をします。

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「ホーホキョ」から「ホーホケキョ」へ ―ウグイスの学習


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小生の山寺では、7月だというのに、まだウグイスが鳴いている。一方では、ホトトギスも鳴いている。こちらでは「ホーホケキョ」、あちらでは「テッペンカケタカ」と、無風流の小生にとっては、やかましくてしょうがない。

こんなウグイスを、「残鶯」「晩鶯」と言う。また、「老鶯」という言葉もあるが、これは、老練の鶯という意味で、上手に鳴くウグイスのこと。これに対して若々しいウグイスを、「出谷黄鶯(谷を出ずる黄鶯)」と言う。これは、春、低い谷間から出て、高い木に移って鳴くウグイスのこと。
『詩経』小雅・伐木(ばつぼく)にある「木を伐(き)ること丁丁(とうとう)たり、鳥鳴くこと嚶嚶(おうおう)たり、幽谷より出でて、喬木に遷る」という歌によるもの。この時期のウグイスはまだ未熟で、鳴き声も「ホーホケッ」とか「ホーホキョ」とか、まったく下手くそである。

さて、そんな若いウグイスの声を、先人達はどのように表現したのか。五山文学の詩題に「鶯誦蒙求(鶯、蒙求を誦(よ)む)」とあり、繰り返し練習するかのように鳴く若いウグイスを、『蒙求』を繰り返して読む子供になぞらえたのである。『蒙求』は書名で、四字の二題を対として古人の逸話を網羅した、初学者向けの教科書的なもの。たとえば、「孫康映雪・車胤聚蛍」は、唱歌の「蛍の光、窓の雪」の典拠となった。「鶯誦蒙求」の一例を示せば、春屋宗園(一五二九~一六一一)の『一黙稿』に「鶯は蒙求を誦み、燕は論語、少年努力す、読書の声」とある。

昔の人は、若いウグイスの声を聞いても、「下手くそやなあ」などとは聞かずに、「よう勉強しておるなあ」と聞いたのである。来年の春、若いウグイスの声を聞かれた折りには、「よう勉強しておるなあ」と聞いてみて下さい。我が身のはげみにもなりますよ。

次回は、「テッペンカケタカ」と鳴くホトトギス(杜鵑・子規)のことを少し紹介します。

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梅雨に映える

今年の梅雨は雨がよく降りますね。でも関東ではダム湖に水がなくなってきて取水制限をしているところがあるとか。
関西ではそんな感じは受けないのですが。

さて、そんな梅雨のジメジメした季節ですが、雨の中でもひときわ映えるのが紫陽花。
京都の宇治市にある三室戸寺は、紫陽花で有名で、今ごろはとくに多くの参詣者があるようです。以前にこのブログでも採り上げたことがあります。JRの駅のポスターでも見かけます。

しかし、平日にはもちろんのこと、土日も自坊での法務があって、なかなか紫陽花を愛でに行けないのですが、自坊でも楽しめるようにと、ちょっとずつ紫陽花の種類を増やしております。
観光寺院にする気持ちはないですが、近所の方々にでも楽しんでもらえたらと思ってのこと。ほんの一部をご紹介。

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如何でしたでしょうか。雨でジメジメしてはいますが、傘をさして庭に出ると、元気な紫陽花と、一所懸命に巣を張っている蜘蛛たちに出会うこともできますね。

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撃竹聲(げきちくせい)

自坊の西門(集落に通じる門)は約15年ほど前に、古い門を取り壊して再建しました。ちょうど私が師匠と住職を交代したときのことです。
(株)タイナカに葺いてもらった茅葺き屋根も15年も経つと、とくに陽の当たらない方は苔むして、落ち着いた面持ちになってきたのですが、このたび扁額を飾ることになりました。

これは、妙心僧堂師家の岫雲軒・雪丸令敏(ゆきまるれいびん)老師にお願いし揮毫して頂いた「撃竹聲(げきちくせい)」の書を、去年の秋まで自坊の本堂濡れ縁だった古材のケヤキを使い、京都在住の彫刻家・岸野承氏に依頼して扁額に仕上げていただいたものです。
雪丸老師は妙心僧堂に入られる前は安土・摠見寺ご住職であり、当山へも親しくおいで頂いていたご縁があり、この度も、揮毫をお願いしたところ、快く引き受けて下さいました。
5月には先々住の五十回忌法要を営むのですが、それまでに間に合って幸いでした。

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取り付けには、専用の受け金具が必要で、京都の金物会社に依頼をして特注してもらいました。しかし、こんな金具を付けるのは素人には難しく……。そこでこの門を建てて下さった大工さんにお願いしたところ、これまた気持ちよくお出向き頂き、3時間ほど掛けて取り付けて頂いた次第。
受け具を打ち付ける音を聞きつけた、近所の元総代さんも出てこられて、賑やかでした。

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「撃竹聲」の因縁は、中国の禅僧、香厳智閑禅師(?~898)が貎剋R霊祐の元で修行していたとき「父母未生以前の面目」を問われて、答えに窮した香厳は貎剋Rの元を去り、慧忠国師の遺跡で庵居していたのですが、ある日、庭掃除をしていたときに、箒で掃いた瓦礫が竹にぶつかる音を聞いて開悟し、結果的に貎剋Rの法を嗣ぐことになったという逸話によるものです。
自坊の西門をくぐるとすぐ右側に竹藪があります。「撃竹聲」のような機縁が自らはもとより、参詣される皆さんにもありますようにという願いをこめた扁額なのです。

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ねはんさん

今日は仏涅槃会の正当ですね。先般2月4日のサンガセミナーでは、大本山妙心寺に伝わる涅槃図をつかって、そして翌日には大分万寿寺で近隣のお寺所蔵のものも含めて三幅の涅槃図を並べて、岡澤恭子さん(長野市長谷寺ご寺庭)に、涅槃図お絵解き講座をお願いしました。
私の自坊では、檀家さん達は涅槃会のことを「ねはんさん」と親しく呼ばれていますが、去る13日に涅槃会を勤修しました。
自坊に伝わる涅槃図は江戸時代のもので、およそ250年くらい経っていると思われますが、彩色は鮮やかで、じつにたくさんの人や動物たちが描かれています。

_MG_0939.JPG岡澤先生のお絵解きを何度も聞いて、受け売りまでできればいいですが、それほどの力量がないので、いくつか参考にさせていただいて、絵の解説をさせていただくのが、自坊の近年の涅槃会です。
それでも、絵に興味をもっていただいたり、お釈迦様の生涯に興味をもっていただいたりする檀家さんもおられて幸いに思っています。
ブログ読者の皆さんは、どこかの涅槃会に参詣されたでしょうか。機会があれば是非、涅槃図をじっくりとご覧になるとよろしいですよ。

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自分たちの街を知る

CIMG9055.jpg近頃の子供達の遊びは、うちの中でのことが多く、あまり外で遊んだり、友達の家を訪ねたりということが少なくなっているようで、私たちが子供の頃には当たり前に知っていた他の集落のことを全く知らないのです。

前にもこのブログで書いたこともあろうかと思いますが、自坊のある小学校学区では、12年前から毎年秋になると、「ふるさと地域ウォーク」という行事をPTAやボランティアの方が中心になって続けていただいています。
実行形態は少しずつ変化してきていますが、同じ学区内なのに知らないとこを訪ねていこうとするもので、何パターンかのコースに分かれて歩きます。

自坊を訪ねてくるコースは、まず、近くにある日本電気硝子(株)の大きな工場の見学をして、神社でお弁当を食べた後、自坊での坐禅会にやってくるというものです。
子供達の興味は工場見学にあるのは明白ですが(笑)、せっかくうちの寺を訪ねてくれるのだからと、こちらも朝から内外掃除をしてお昼過ぎに出迎えたのでした。

子供の数より保護者とスタッフである大人の方が多いので、何を話すかとか、話し方にも苦労しますが、ともかく坐禅の組み方の基本を教え、数息観という自分の呼吸を数えることに集中する方法を伝えます。
初めての人がほとんどなので、一回の坐禅は10~15分という短いことになりますが、警策も受けてみたければどうぞといっておいたら、小さな男の子が自ら合掌して警策を受けてくれました。

 

最後に、去年から始めたのですが、地蔵盆の時にかけている「地獄図絵」を見せることにしています。

CIMG9060.jpg地獄絵に描かれていることを説明すると、近頃のゲームなどではもっと酷いビジュアルに慣れているだろうとは思いますが、子供達も大人も興味津々でかぶりついて観てくれます。

1時間程度の短い時間ですが、こうして、自分たちの街にはこういう工場がある、お寺がある、人がいるなど知られることはとてもいい事業だと思っています。

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花祭り 釈迦降誕会

 

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本日は、お釈迦様の誕生日。お花祭りです。

自坊の本堂でも花御堂に誕生仏をお祭りし、お釈迦様の誕生の時に天から降り注いだといわれる甘雨にみたてた甘茶を潅ぎ、お勤めをしました。

私が子供だった頃には、あたりの田んぼにはレンゲの花が一杯でしたので、それらを積んで来ては花御堂の屋根に貼り付けて飾っていましたが、今はレンゲもあまりみなくなりました。
それゆえこのところ毎年は、造花で花御堂を飾っていたのですが、今年は、境内で花を積んできてお釈迦様の回りを花で飾って差し上げました。

最近は、近所の子供たちも甘茶に見向きもしないのでお参りにもこないのですが、住職一人が悦に入っている感じです。

 

2015_04_07_0492.jpgしばし、お釈迦様になった気分で、花と戯れておりました。

お釈迦様、お誕生日おめでとうございます。今年もいい一年になりますように、お守り願います。

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自坊の花だより

 


20140225-1.jpg今冬は関東にものすごい豪雪をもたらしましたが、自坊のある滋賀県は、かえって毎年より積雪が少ないようです。とくに我々は南雪というのですが、滋賀県北部よりも、南部の方が何度も積雪しました。だから雪質も水分の多いベタベタの雪でしたよ。
とはいえ、もう三月の足音も聞こえてきたこのごろですが、まだ寒い日はこたえますね。

研究所に持ってきた蝋梅や梅の枝はだいぶ前から咲き誇っていますが、自坊の庭ではやっと満開で、とてもいい香りを漂わせています。梅もやっとチラホラと花を咲かせ始めたばかりです。

20140225-2.jpg梅の枝には蓑虫が冷たい北風に吹かれてユラユラと揺れていました。まだぐっすりお休み中のご様子。

20140225-4.jpg蓑虫は雄は成虫の蛾になって飛び回りますが、雌はこのまま蓑の中にとどまっているんだそうですね。夏になると、梅の葉っぱをあっという間に食い荒らすので、ちょっと困りものなんですが。

境内には今、ほとんど花がありません。水仙だってまだほとんど咲いていません。もう少し暖かくなると一斉に咲き始めるんですが。唯一、雪が降ったころにかわいらしい花を咲かせた、スノードロップ。可憐な白い小さな花です。

20140225-3.jpgWikipediaによると、「スノードロップは聖燭節との関係が深く、修道院の庭でよく育てられていた」ということですね。まぁお寺で咲いて心を和ませてくれるのもよしとしましょう。

さて、明日からは豪雪で沢山の被害が出た山梨県へ調査出張に出かけます。きっとまだまだ雪が残っていることでしょうね。

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火鉢を用意してお迎え

もうはや小正月ですね。
自坊では毎年、元旦の朝6時に修正会のお勤めしていたのですが、今年からは除夜の鐘を徒弟に任せ、私は除夜の鐘の鳴り響く中、午前〇時にあわせて本堂で半鐘を打ち鳴らしたあと、修正会をはじめることにしました。理趣分経(「大般若波羅蜜多経」巻第五七八第十般若理趣分)の看読をして一年の世界の平和や作物の豊作をお祈りするのです。
本堂の正面の扉を開けっ放しでしたが、今年は比較的暖かでしたので、気持ちよく唱えることができました。

元旦の朝9時になると、檀家さんはもとより他宗派でも町内のたくさんの方が、氏神さんにお参りした後、本堂で待ち受ける私の所にも新年のご挨拶にお見えになります。

新春の本堂「新年明けましておめでとうございます。旧年中はひとかたならぬお世話になりありがとうございました。本年も相変わりませずよろしくお願いします」
扇子を膝の前に置いて、こんなご挨拶をお互いに交わし、昔懐かしい火鉢に手をあぶりながら話し込んでいかれる人も少なくありません。

「火鉢なんて使わなくなりましたね。珍しいなぁ」と毎年同じ言葉を残していかれる人もいますが、うちでもこの日だけお目見えする火鉢たちです。

特製禅語カレンダーそして近年、寺名と一言を刷り込んだ禅文化研究所の禅語カレンダーを、ご挨拶にみえた皆さんにプレゼントしています。これ、楽しみなんですと言って下さる人の多いこと。制作から関わっている私としては、何物にも代えがたいお言葉です。

新年の掲示伝道は「今年の流行語には お・か・げ・さ・ま」としました。昨年の流行語「おもてなし」にあやかって書いてみました。
眼に見えないあらゆるもののご縁によって生かされている自分を感謝しなければなりませんね。

こうして今年一年もスタートしたのでした。

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三寒四温と祈祷会

まさしく三寒四温の今日この頃ですが、それにしても気温差の激しいために、体調をくずされてしまっている方も少なくないのではないでしょうか。
不肖は花粉症でもあり、さらには黄砂とPM2.5で、空気を吸いたくないくらいですが、そういうわけにもいかないわけで、常日頃は気づきもしない空気の有り難みを感じているところです。



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2月はずっと寒かったので、今年の梅の開花は遅めだったように思いますが、自坊の梅も、先週は4月並の気温が2~3日あったおかげで一気に開花しました。
写真を撮っていたら、見知らぬ女性がやってきて、一緒に花を楽しんでいかれました。いつもこのあたりを散歩しているということで、咲くのを楽しみにしていたそうです。こういう方がおられると、檀家さんたちと協力してやっている下草刈りにも力がわきます。



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こんなにきれいに咲き誇っているのですが、じつはこの参道沿いの梅林の一部を駐車場として拡張して欲しいという檀家さんからの声があがっており、この梅の木々15本ほどを、いずれかに植え替えなければならないのが、今の悩みです。


去る3月10日には、卑山恒例の大般若祈祷会を厳修しました。お昼前から風雨がひどくなり、気温も一気に下がるという嵐のような状態でした。
近隣のご寺院にもご出頭いただき、導師として理趣分を唱え回向をしましたが、おりしも東日本大震災から2年目を迎える前日、被災地の復興、復旧を心から祈願してお勤めいたしました。
この秋には檀家さんに募って、卑山とご縁の深い松島瑞巌寺と被災地めぐり旅行を企画しています。



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成人式 そして冬の花




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成人式の三連休、いかが過ごされましたか?
半世紀も生きると、初々しかったわが20歳をもう思い出すことも難しくなってきました。しかし、はちきれんばかりの新成人たちを見ていると、寒空の下でも、こちらまで暖かな気分にゆるんでいきます。

さて、冬には花が少なくて、境内や畑に本尊にお供えする花もなくて困ってしまいます。
そんななか、そろそろかなと思い畑にいくと、やはり蝋梅が花をひらきつつありました。


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そのとなりの梅林は?と見てみましたら、小さな蕾をのぞかせています。

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ほかにも花がないかなと、畑の中をうろうろしていると、秋に切るのを忘れられた薔薇の小さな花が、まるでドライフラワーのようになっていました。なんとかわずかに薔薇の気品を保ちつつがんばって花を残していました。

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一方、葉牡丹は元気一杯にきれいなマットのグラデーションを見せてくれています。

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自坊では、椿や水仙はまだこれからですが、こうして畑や庭を歩いていると、春が来る兆しを感じますね。また春がやってくる。冬は寒くて凍えそうでも、春が来ると思うとがんばれそうな気がしませんか。

成人を迎えた若者たち。これからは大人の一員として、自分のために、人のため、そして社会のために、自覚を持ってがんばるべし!

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自坊の前栽庭園

まったくもって自坊の話で恐縮ですが、この秋10月末から約3週間ほどかけて、自坊の書院座敷前にある小さな前栽庭園を、大がかりに造園屋さんにお願いし、手を入れて改修しました。
昨年の総代会や檀家総会で了解を得て、檀家さんには一定額のご負担をいただいて行なっている、諸堂整備の一環としての工事です。

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まずは、こちらが改修前の状態。工事に入られる日に撮ったので、掃除もできていませんが、改修前の庭の様子をご覧ください。
さつきはほとんど枯れてしまったような状態です。というのも奥に見える太い幹は、樟(くすのき)で、庭の上に枝がはり、庭にはいる光をすべてといっていいほど遮っていました。
そこで、造園屋さんには、この樟の枝の伐採も含めて頼んでいました。竹もかなり鬱蒼と生えています。また、苔も、いつのまにかゼニ苔が蔓延り手に負えないほどでした。悲しいほど、庭園の体をなしていませんでした。

お願いした造園屋の社長は、自らも地元の神社や寺院の総代もされているほどの篤信家のようです。
そんなこともあってか、うちのような予算の限られた、かなり無理をお願いしての工事も、薄利に違いないのに、自ら重機を動かし、小さなカラダを動かして、一所懸命に工夫してくださいました。

重機が入り庭にはびこった竹の根をおこし、またレッカー車に釣られて樟の枝をチェンソーで伐採され、いったいどうなってしまうだろうかと、一抹の不安さえおぼえるほどひっくりかえされた庭を、こわごわみていましたが、約3週間たったころ見事に枯山水庭園が仕上がりました。

上記とほぼ同じ位置から撮影してみましたので見比べれば一目瞭然。

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できあがってしばらくすると、成道会の法要を勤修しました。これだけ変わった庭園をみた檀家さん達も大喜びです。
「これはいい庭になった、拝観客受け付けたらどうや、和尚さん」てな声まで聞こえてくる始末。
冗談はさておき、明るい立派な庭ができあがりました。
今までと様子が変わったので、なかなか掃除の仕方に慣れないかもしれませんが、仕上がった庭には大いに満足しているところです。

新しい大きな石もいくつも入りましたが、庭の土中から出てきた塔の台座を使って蹲ができあがったり……。


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また左下の塔も昔から寺にあるもので、どうやら桃山時代のものだろうと言われています。つまり、この寺が再興されて臨済宗になる前からあるものなのです。新旧入り交じった自坊の庭園の完成です。

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秋分の日は……




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暑さ寒さも彼岸までの言葉通り、この夏の猛暑もお彼岸に入るや、急になりをひそめて涼しくなった。
つい先日までエアコンがなくては眠れない夜が、急に肌布団を被らねば寒くて目が覚めるほどだ。
最高気温も27~8度とニュースで言われると、数字だけでも涼しい気になるが、私が子供の頃の気温で言えば、真夏の気温ではないか。

さて、今は秋の彼岸である。そのお中日といえば、「秋分の日」。秋分の日には例年、近隣のお寺の施餓鬼法要があり、私も出頭(僧侶として法要に参加)することになっている。
ところが、秋分の日には、私の住む田舎町にある4つの小学校では一斉に運動会が催されるのが常である。もう、うちの子供達は小学校を卒業して久しいので関係ないが、この小学校の運動会と施餓鬼の出頭とがバッティングして、スケジュールを調整するのが一苦労であったことを思い出す。

しかし、改めて考えるとじつはおかしな話なのである。

「秋分の日」は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によると、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことを趣旨としている。
つまり秋分の日は、我が国の法律で定めた、祖先に報恩感謝をするための日なのである。

運動会が悪いわけではないが、わが町に限らず、先祖供養など忘れはてて、運動会で我が子に声援を上げている人も少なくないだろう。
教育の場に特定の宗教を持ち出すのはタブーとなってはいるが、法律で定めてあるこの秋分の日の趣旨を理解し、小学校などでも「家族でご先祖様のお墓に手を合わせに行きましょうね」ときちんと教えることはできないものだろうか。
国内挙ってご先祖に報恩謝徳する日になれば、まだまだこの国も捨てたものではあるまい。

ちなみに春分の日は同条で「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨とする。これも、三界万霊に回向する彼岸施餓鬼会と通じる精神だと思う。

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授戒会 「慚愧懴悔六根罪障」






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ゴールデンウイークは如何過ごされたでしょうか。
私は縁あって、永源寺派のお寺の三日間にわたる授戒会で司会を仰せつかり、GW後半は82名の戒徒の皆さんと一緒に懴悔の毎日を過ごしておりました。

実は一年半前にブログ禅でも書きましたが、別のお寺での授戒会で司会をしたために、それを買われて(?)か、またせよとのこと。今回のお寺は私の大学時代の同級生が住職をしていることでもあり、閑栖同士も同級生とのことで、謹んで承ることにしたのです。
一年半前にやったこととはいえ、忘れていることも多く、他の役職の和尚さんたちと入念な打ち合わせをしつつ厳修しました。
永源寺派の寺院ですので、当初、戒師に仙巌室篠原大雄老師に御来駕いただくことになっていたのですが、昨年秋に遷化されてしまいましたので、その法兄にあたる建長寺派管長・柏樹庵吉田正道老師に遠路をお越しいただき、五戒を授けていただきました。

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毎日、提唱や法話を聞き、三千仏の名号を唱えて礼拜し、お昼は一堂に精進料理のお弁当を食べ、正座ばかりで足が痛い三日間を過ごした戒徒さんたちは、最終日、登壇の儀式により戒脈をいただくと、感激のあまり涙を流している方も少なくありませんでした。
説経師様によると、古来より、授戒会の最後に戒徒さんが感激の涙を流されたら、その授戒会は成功。またそうならなければ失敗と言われているとのこと。また管長猊下には、今まで数回の授戒会に出たが、今回の授戒会が一番よかったとお褒めもいただきました。




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死んでから戒名をもらうことを当たり前のように考えている方にはわからないでしょうが、こうして授戒会に参加し、自らの行ないを慚じて懴悔し、三千仏に帰依していただいた戒名はその重みが違います。
戒名料がもったいないから戒名なんていらないとか、「雲黒斎家元勝手居士」などとふざけた名前を自分で付けておいて戒名などと言っている方もいますが、こうして授戒会で戒師様から戒を受けていただくのが本来の戒名なので、間違えなく。
ちなみに臨済宗では、戒名をお持ちでない方のお葬式(あるいはお通夜)で、最初に授戒会に準じたことをして、戒名を授けています。

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雨水 ―二十四節気―




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昨日(2/19)は、二十四節気の第二、「雨水」でした。雪が雨に変わっていく時節ということです。ですが、一昨日には京都市内まで積雪し、自坊の付近も、こんなふうにまた雪で真っ白になりました。

今年は大雪の冬になってしまいましたね。各地でものすごい豪雪が記録され、除雪作業中の事故も沢山あったと報道されています。まだしばらく寒気によって雪が降ることでしょうが、そろそろ店じまいしていただき、早く春の陽のぬくもりを感じたい今日この頃です。

でも、一昨日の雪の一日から一夜明けるとカラッと青空がひろがって気持ちのいい朝がやってきました。そしてもうすぐ、こんなふうに春もやってきてくれるはず。

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涅槃会




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本日2月15日は、お釈迦様が涅槃に入られた日にちなんだ涅槃会が、宗派を問わず、各地の寺院で勤められていると思います。
自坊は、私の勤務の都合上、先日の日曜日に先だってお勤めしました。

先日のブログ「絵解き涅槃図」でもお知らせしましたが、絵解き涅槃図の仕事をしたお蔭で、今まで漠然としか知らなかった涅槃図の登場人物のことがわかったので、自坊の涅槃会の際に、檀家さんたちにお話ししてさしあげました。
岡澤さんのように流暢に絵解きをすることはできませんが、御釈迦さんのご生誕から修行、成道のあと、長い長い布教の旅を終えて、この沙羅双樹の林の中で横たわられたこと。悲しみで気を失う阿難尊者。お釈迦様を産んで7日で亡くなった母・摩耶夫人が天界から阿那律尊者に先導され降りてこられる様子。
お釈迦様のまわりでは、菩薩様までが涙を流している。お弟子たちの他に、信者である在家のものたち、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩ご羅、多くの動物までが悲しんでいます。4本の沙羅樹は枯れ、4本の沙羅樹は青々としている四枯四栄のこと、などなど。
説明の域を出ませんでしたが、檀家さんたちは、熱心に聞いてくださいました。

自坊の涅槃図も四畳半ほどもある大きな軸ですが、なぜにこんなにも大きな軸なのか。天井から吊るしてもすべてを拡げるには無理で、下の動物たちは畳の上にいます。その前で立っている私は、そこでふと気が付きました。
こうして、自分がいる場所と繋がるようにして涅槃図があるのは、まさに自らがこの釈迦涅槃の場に居合わせているということを感じさせるためではないのかと……。

長い間、毎年かけてきたために軸は痛み、聞いたところ修理にはたいそうなお金が必要なようですが、できるだけ大切に大切に保存していきたいと思った次第です。

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篤信家のお婆さんの葬儀に思う




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私が兼務している檀家3軒の小さなお寺(実は由緒はかなり古い)があり、その開基の家系で今も檀家総代をされているお家のお婆さんが、さきごろ97歳という天寿を全うされ逝かれました。
自坊の檀家さんでもご自宅での葬儀が少なくなってきたなか、自宅にての葬儀。そして役僧も両班揃った六役僧です。
祭壇は農協から借りた比較的質素なものですが、その回りには親戚縁者から届いた、果物や乾物の盛り籠で所狭しでした。
まぁおよそ都会ではもうあり得ないような旧来のお葬式をさせていただき、私も未熟ながら導師として精一杯のお見送りをさせていただきました。

このお婆さんは晩年2年近く入院されてしまいましたが、その直前の一昨年の秋には自転車に乗って自坊にダイコンを届けてくださったり、大変お元気で、色々と気にかけてくださる方でした。村でも老人クラブの人たちと仲良くされ、多くの人たちから親しまれて来られた方でした。
ご主人も10年前に亡くなっていますが、ご夫婦とも絵に描いたような篤信家でした。
だからこそ、寒い中でも多くの方が出棺を見送られ、また最近よくありがちな当日の初七日ではなく、正当の日に改めて勤められた初七日(上記写真)にもご近所ご親戚が20人以上も集まられて盛大に勤められたのだと思います。

これをお読みの方は、そんな面倒なこと、まだやっているのか。葬祭ホールを借りたら楽だし、初七日も葬儀当日にやってしまえば簡単なのにね、と思われるかもしれません。しかし、以心伝心(心を以て心に伝える)ともいえることは、こういった面倒なことを面倒だと厭わず、一所懸命に勤めることなのではないかと思ったのです。

95にもなったお婆さんが自転車に乗ってわざわざダイコンを届けてくださる。うちにだけではなかったようで、私がこのことをお通夜で話すと頷いていた方が何人もおられました。気持ちが無かったらできることではありません。こういうお気持ちが、遺された家族の人にも繋がり、私たちにも繋がり、そしてお葬式には結局、こういうふうに応報となる。
これが本当の「絆」なのではないでしょうか。

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東日本大震災 -被災地へ「祈り」を-




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臨済宗妙心寺派、神宮寺住職・高橋卓志師からの御案内です。
神宮寺さんの毎年行われている「いのちの伝承」というイベントの中で、被災地への祈りを行われるそうです。一般の方、僧侶(宗派問わず)の方、多くの方にご参加いただきたいとの事。下記に御案内させていただきます。


************************************

被災地への祈りのひとときを持とうと思います。
神宮寺にご縁のある仏教者の皆さま東日本大震災にかかわりを持たれている皆さま。
被災され、亡くなられた方々を追悼し、祈りをささげたいと思っている皆さま。


8月3日夕刻(18:00)神宮寺にお集まりください


3月11日。大きく長い揺れの後、海は盛り上がり、津波となって東日本の沿岸部を襲いました。そして、27,000人(行方不明の方々も含めて)以上の方が、亡くなりました。
豊饒なる海が、突如、苦海に変わったのです。
この災禍に対して、私たちは「何かしなければ」と思いました。すぐ、現地に飛び、支援活動をした人がいます。あちこちに設置された募金箱にコインを入れた人がいます。肉親や友人の安否を、つながりにくい携帯電話で尋ね続けた人がいます。毎日テレビに映る被災地の映像に向かい、手を合わせていた人がいます。原発事故を憂い、電飾を消してほしいとパチンコ屋さんにかけあった人がいます。がれきの中を歩きながら亡き人々の供養をしたお坊さんがいます……。
それぞれが、それぞれの方法で、被災地を想い、被災地への祈りをささげたのです。
お盆を迎えるにあたり、改めて、この地から被災地に向けて、祈りを届けたいと願います。松本からは500㎞以上隔たった被災地です。でも、被災地を、被災された方々を強く想い、全身全霊をふりしぼって祈ることで、この距離は間違いなく埋まります。そして、そのことで、被災地に「力」は生まれます。
どなたでも参加できます。一緒に祈りましょう。

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動物天国

このところの自坊での困りごと。
天井裏、といっても庫裡の1階と2階の間の部分を、朝方になるとドタバタゴソゴソと歩き回り、夜中の間に台所に忍び込んでは、テーブルの上にあるお菓子や食料を食べ散らかす輩がいるのです。
どうやら台所への進入路は、古い庫裡の屋根裏部屋かららしいと思い、そこから台所に来られないようにと障子戸を閉めきっておきました。
なんと、今度はその古い障子戸の古い障子紙をも突き破り、まんまと侵入される始末。えーいとばかり、古い障子を新しい障子に張り替えました。
にしても屋根裏徘徊による、こちらの睡眠不足は、猛暑と相まって甚だしい。

そう、この侵入者はイタチなのです。まさしく「イタチごっこ」状態です。
昼間には、庫裡から竹藪に走り込んでいく細長い、その体を目撃したりもします。

平素は単独行動をするというイタチですが、今は4月頃に生まれたであろう子供を連れた母親が、餌の確保に忙しいのでしょう。でもまぁ、そろそろ子育ての時期も終わり、暑くなってきたので家の中にはいないで、涼しい水辺に移動するようですから、そのうち静かになってくれるでしょうか。

そんなおり、窓の外に動く黒い生き物を発見。猫かと思いきや……。ごらんの通りの立派な痩せたタヌキと目が合いました。

毎年と同じくツバメの雛が巣立ち、亀が境内で産卵し、イタチが蠢き、タヌキが腹鼓……。
なんともまぁ、賑やかな田舎の貧寺のお話でした。




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盛者必衰 沙羅の花




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六月に咲く花は白い花が多いと、うちの母がいっていましたが、確かにそんな気がします。

今年も境内の沙羅の花が一斉にぷっくらと蕾を膨らませ、ぼちぼちと咲きはじめました。




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雨に濡れてほんのり頬紅を付けたような花が、とても愛らしいのです。お多福のように見えませんか?

でも、本当にあっけないくらいあっという間に落ちてしまいます。盛者必衰、人の命も宇宙規模で考えると、きっとこんなものなのでしょう。




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前にも書いたとおり、この沙羅は実はナツツバキで、お釈迦様の入滅の際に咲いたとされる沙羅とは異なります。

ほんとのインドの沙羅はこちらで紹介しましたが、3月頃が見頃だとか。花のイメージがだいぶ違いますね。

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花山椒




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自坊の裏庭にある山椒の木が花を咲かし始めた。花が開くのは雄木のほうで、実のなる雌木と比べ山椒独特の香りも柔らかい。
開花する前の段階で花を摘み取ってゆく。鋭い刺に注意しながらの素手の作業になる。半日かけてボール一杯ほどの収穫となった。

これを細切りの昆布と共に醤油、酒、味醂等でじっくり煮込むと花山椒の佃煮の出来上がり。香りと共に舌にぴりっとくる辛みは、あつあつのご飯のお供として、酒の肴として、この季節で最高の一品となる。
若葉はこれから檀家さんから頂くであろう筍と木の芽合えや若竹煮の薬味として重宝する。旬のものを味わう楽しみは格別である。

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祈祷会




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3月になって思わぬ雪景色が二日続いた。もう春は近く気持ちがざわつくようだが、まだ冬も済んではいないぞと言うことなのか。
さて、本来お正月に一年の平安を祈って行なわれる大般若転読。自坊付近のお寺では、奇数月に行なわれる善月祈祷会にあわせて、一年に一度の大般若祈祷会3月に行なうところが多い。卑山も先日、執り行なったところ。
どうか今年も一年、平穏無事で、みな健康で災いがないように、そして農作物も豊作でありますようにと、大声をはりあげて祈祷を行なった。

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葬儀に思う




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先般、自坊の檀家さんではないが、近隣に住まわれる新興住宅地のお家から、喜寿で亡くなられたお婆さんの葬儀を依頼され枕経に出向いて、故人に末期の水をあげようとして驚いた。
なんと、枕辺にあるシキミが造花だったのだ。
いくら葉をちぎろうとしてもちぎれないので、ようやく気が付いたほどよくできていた。いくらなんでも、こんなことはすべきではないと、葬儀社に苦言を呈したのはもちろんである。

それどころか、通夜や葬儀はホールで行なったが、どうやら、祭壇のほとんどの花もすべて造花のようだ。儀式が始まってから気が付いたので、時既に遅しである。
きっと葬儀社に支払う費用がリーズナブルなんだろうが、遺族の人たちはどこまで納得してやっているのだろうか。たぶん、そこまで考えないうちに、葬儀社との打ち合わせで決められてしまっていて、ただ安く上がったなと思うだけでおしまいなのではないか。

じつは喪主である傘寿になるというご主人が、ちょっと頑固な方。枕経の時点での打ち合わせでも「簡単に済ませたい」の一点張り。中陰も五七日であけたいといわれた。理由を説明して七七日までしてあげてほしいとお願いし、ご理解をいただけることにはなったが。

それで私は秘かに考えたわけである。よ~し、この喪主を納得させられるような葬儀と中陰法要を行なおうと……。僧侶魂に火がついたというべきか。

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春が香る 梅の開花




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自坊の梅林の梅が咲き始めた。あたりはいい匂いである。
先週金曜日には、東京は20度を越したとか…。
杉花粉も飛び始めて、花粉症の私にはちょっと辛い日々がやってきた。
でも間違いなく春が近づいて来ていて、気持ちは軽やかになる。

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霜の朝はおもちゃ箱





北国でも今年の雪には悩まされていると、連日のニュースだ。自坊のあたりも今年は雪がよく積もった。
もう節分も過ぎ、少しずつ日が長くなってきたとはいえ、私が出勤する頃はまだ日の出前。
ふと窓外を見ると、薄暗いあたりの田ん圃は、一面が霜で覆われていた。
電車を一本やり過ごすことに決めて、カメラを持って霜の降りた梅林に出てみた。

ほとんどの梅の蕾はまだ固いが、ちょっと頬を緩ませたような蕾も見える。

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人と人との繋がりということ




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一昨日は冬至でしたが、柚子風呂に入った方もおられますか?
うちのお寺では冬至には役員さんや世話方さんの慰労会を行ない、茶飯やけんちん汁やかぼちゃを出して、みなで一杯やることにしています。全国の僧堂では、今年掛搭した新人雲水さんたちも、一晩限りの無礼講で大騒ぎするのが習わしとなっていますよ。

さて、今年も押し詰まりましたが、皆さん、年賀状の投函は済みましたか?
私はやっと昨日、約400枚を投函しました。
「やっと」といっても、基本的には表も裏もパソコンとプリンターががんばってくれたわけで、自分は文面とデザインを考えただけですから、実はたいしたことはないのです。
それでも、今の若い人達は年賀状を書かない人が多いようですね。
じゃあ新年の挨拶はなしかというと、親しい友達だけに「あけおめ」(あけましておめでとうの意)メールなんだそうです。
デジタルでやりとりして、リアルタイムに繋がっているということなんでしょうね。
年賀状のように何日も手間をかけて、郵便屋さんの手も借りて、やっと届くようなものより、速攻で届いて、すぐ返事が来るからいいのでしょうか。そのくせ逆に、すぐ返事が来ないとやきもきしてしまい、不信感が出てしまうというのも否めないと思うのですが。

先日、檀家さんの一周忌にお参りしましたら、親戚はもとより近所の方達も招待して、とても賑やかだったのです。まぁ私のような田舎の寺では、多くがこの方式ですが、最近になって、身内だけでという法事も増えてきました。
その席で、こんなお話をしました。
                *

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お盆を迎えて、人の一生を想う




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先般、113歳の東京都最長寿の男性が、実は30年ほども前に亡くなっていたというニュースが取りざたされ、各地で100歳を超えた老人の所在確認がはじまっている。既に40人以上の人が所在不明とのことで、驚かされる。全国で4万人以上もいるようだが、実在されるのはいったいどれだけだろうか。

個人情報保護法の影響で、民生委員や官庁が所在を確認しにくい状況になっているとはいえ、大した確認もしないで、年金を支払ったり、長寿の御祝をさしあげたりしてきたというのは、お役所の無責任極まりないのは言うまでもないが、それよりも驚くのは、どうして家族や親族が、その所在を知らないのかである。

100歳を超えた、あるいは超えていなくても、永きを生きてこられた方が、忽然と消えるはずはないのである。猫じゃあるまいし、人に見えないところで死んでしまうということも、人である以上、そう簡単にできることはできない。もちろん、亡くなっているのに死亡届も出さないで埋葬することなどできない。したら死体遺棄である。
では、この所在不明の老人たちはいったい、どこでどうやって身罷ったのだろう。不思議でならない。

昨今、家族葬なる新語があらわれ、いつのまにやら首都圏では40%もが、葬儀をしないで火葬に伏して、一生はそれでおわり、だそうである。
それどころか、今回の事件で、自分にこの世に産んでくれた父母、あるいは親族が、いつ死んだかどうかもわからず、所在も不明なのに、何も考えないで長年を過ごして来ている人達が、こんなにいるのだということが露呈したわけだ。

私たちは誰一人として、この世に、自然発生した者はいない。先祖から、もっと言えば生物発生の時から、一度も途切れることなく受け継がれてきた命の縁によって、父母によってこの世に産んでもらったのである。とすると、産んでくれた両親が亡くなったとき、礼をもってお見送りするのが当たり前ではないか。
自分の両親は2人、その両親である祖父母はそれぞれ2人で4人、その両親である曾祖父母は×2で8人。そして10代前になると1024人の縁者がいるわけだ。そこまででも全部合計すると2046人の縁がないと、此の身はこの世にないわけだ。
当たり前だが、この当たり前を忘れてしまって、現代人は先祖への崇敬の念ををおろそかにしていないだろうか。

お盆を迎えるにあたって、自分が今生かされていることの意味とともに、先祖からずっと繋がっているこの命というものを今一度考え直して、ご先祖とともに、生きとし生けるもの、三界万霊に供養をしていただきたいと想う。


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弊所は、8月7日~15日の間、夏季休業とさせていただきます。
この間にご注文いただきました本の発送は16日以降となります。
メールやお電話などでのお問い合わせ等も、16日以降のご返答となります。
ご迷惑をおかけ致しますが、ご了承くださいませ。

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蛍とぶ




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今頃、螢の出る名所では、どこもホタル祭と称して、大にぎわいのことだろう。
私が子供の頃には自坊の庭に蛍が飛んでいたのを、おいかけていた記憶が鮮明にある。
高度経済成長とともに、自坊のあたりの里川にも、富栄養化した家庭の排水が流れ込み、めだかも姿を消し、蛍も見えなくなってしまった。

それが、うれしいことに、ここ数年、一気に蛍が戻ってきたのだ。
どうやら田舎にも下水が整備されて、家庭廃水が里川に流れ込まなくなったためだろう。
裏の小川は、夕方から舞い始める蛍を見るために、近所の子供たちも集まってくる。
でもじつは、その子供たちより大人の方が喜んでいるのがよくわかる。
そういえば、この川には最近、つがいのカワセミも飛んで来るのだ。

田舎とはいえ、近くをJRの東海道本線が通っているところで、僻村といったわけではない。
お国は安定しない政府内閣で、ドタバタしているが、夜に蛍をみてゆったりした気分になるのは悪くない。

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春が来た 野花たち

自坊の裏のせせらぎに、最近、いろいろな鳥たちがやってきている。
清流にしかいないと思うカワセミまでいて驚かされる。撮影したいのだが、なかなか撮れない。
そういえば、早々と、つがいの燕が、玄関に巣を作りにやってきてもいる。
もう春がやってきたのだ。

裏庭に廻ってみると、小さな野花たちが春の訪れを告げていた。

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5月18日、禅と文化の旅 参加者募集中!

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白木蓮

お彼岸があけた。
お彼岸は自坊のみならず、近隣寺院での彼岸法要に出向いたりしていたのだが、今年はことのほか、黄砂がひどく、お寺から出ると、車のボディは黄砂の斑点だらけで驚いた。

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自坊に戻って、境内を見回っていたら、白木蓮の蕾もだいぶふくらんできている。
まるで境内にある燭台のように見えるのがおかしいではないか。

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いかなご




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寒さの中にも春の気配が見え始めた3月の初旬、明石市に住む檀家さんからいかなごの佃煮が送られてきた。沖から揚げたばかりの新鮮ないかなごを、醤油や味醂、砂糖、生姜などを入れて炊き込んだ佃煮は釘煮と呼ばれ、この時期神戸周辺では多くの家庭の食卓に並ぶ郷土料理である。

この釘煮が送られてくるようになって20年近くになる。お母様の手作りによるもので、いつも美味しさを堪能しながら春が来たことを実感したものだ。
7年ほど前にお母様が他界されてからも、奥様より「義母のように手作りはできませんが」と断りを入れて老舗の品を毎年送っていただいてきた。

宅配の包みを開けると、釘煮の入ったタッパーには「お口に合いますかどうか」との一文が添えられていた。手作りならでは温かな味わいは、酒の肴にもご飯の友にも最高の一品となった。

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椎茸




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研究所職員の寺で穫れた椎茸です。職員全員に持ってきていただきました。
とれたての椎茸のしめり気をおびたみずみずしさに嬉しくなり、また、裏を見てみるとその美しさに感動します。普段スーパーで買う物との違いは一目瞭然!
さて、この嬉しい季節の恵みを、どうやっていただきましょうか……。

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お釈迦様お悟りの日 -成道会-




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本日12月8日には、仏成道会が各寺院で行なわれる。
お釈迦様が菩提樹の下で7日間の坐禅の後、12月8日の暁の明星をご覧になって、お悟りを得て仏になられた、仏教徒にとってはとても重要な日である。

上の写真は、自坊にある「出山釈迦像」の軸である。坐禅をされる前にお釈迦様は、雪山(ヒマラヤ)で6年にもわたる苦行をされたが、苦行だけでは悟りは得られないと判断し山から出てこられた。その時の様子を描かれたのが、この像である。目は光り輝き、髪は乱れて、痩せ果てた苦行の様子が見て取れる。
雪山から出てこられたお釈迦様は、尼連禅河で沐浴をされ、スジャータという女性に乳がゆを供養された。そして心身を回復された後、菩提樹の下で坐禅をされ、ついにお悟りを得られた。
そのお悟りの言葉が、「奇なるかな、奇なるかな。一切衆生、悉く皆な如来の智慧徳相を具有す」である。生まれた時から仏と同じ智慧と慈悲を誰もが持っているのに、それを自覚しないから迷っているのだ。また別には、「一仏成道して法界を観見すれば、草木国土、悉皆成仏」というお言葉でもあったという。山も川も草も木も、何もかも光明に輝く仏だと言われたのだ。

禅道場では、このお釈迦様の故事にのっとり、その恩徳に報い、追体験をするために、12月1日から8日の朝まで、臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん)が行なわれ、昼夜をわかたず横になって眠ることなく坐禅する。
そして、12月8日、この像を本堂正面に掲げて、成道会の法要を行なうのである。

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銀杏の絨毯




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自坊の隣には神社があり、その神社の境内に植えられた銀杏の木が、毎年、この時期になると黄金色に色づいて美しい。
ただ、その落ち葉の大半は、自坊の参道に落ちてくるので、掃除が大変ではあるのだけれど。
普通の落葉樹の葉のようにからからに乾かず、じっとりと水を含んだ葉は、掃き集めるのも大変だし、集めた葉っぱを運ぶのも大変ではある。
だが、銀杏の木は水を多く含んでいるので、寺や神社の境内には、火事の時に水を噴くというような意味合いも兼ねてか、よく植えられるのだ。

ご存じのことと思うが、銀杏の木には雌雄があるらしく、雌雄が揃っていないとあの美味しいギンナンの実はできないらしい。
ギンナンの実は、木から落ちると強烈な匂いを発する。御堂筋に行くと、街路樹の銀杏に雌雄揃っているらしく、道路にギンナンの実が落ちて、それを車が踏み潰して散乱し、その強烈な匂いに圧倒される。雌雄の違いは、葉っぱの形によるという説もあるらしいが、科学的根拠はないようで、どうもはっきりしないらしい。これも不思議なことだと思う。

それにしてもギンナンは、なんであんな臭い匂いがするのだろうと思って調べてみた。
すると、落ちたあとに野生動物達に食べられてしまって、銀杏の子孫を残せなくならないように、動物が口にしたくないような匂いを発しているという説が有力らしい。ものすごい自然の摂理だ。
ギンナンは銀杏から落ちる実だけに、「胃腸」つながりだというふざけたことを書いているWEBも見えたが……。

あまりにも綺麗に銀杏の葉が落ちているので、愛犬を登場させてみた。まるで、銀杏の絨毯の上にいるようだった。

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亀は万年の寿




自坊のお施餓鬼荘厳

お盆の間、小さな自坊の境内にも沢山の方々がお参りになる。
檀家のほとんどが近隣の方だが、中には遠方からお参りにこられる方もおられ、約3時間にわたる施餓鬼は、自坊の法要の中で一番にぎやかなものだ。
今年はとても涼しい風が吹いてくれたおかげで、汗だくにはならずに気持ちよく法要をさせてもらえた。
お供えにあった野菜がユニークな形だったので、こんなふうに並べてみたらおもしろい組み合わせができた。

変わった形の野菜

夕方、墓経を終えて、ようやくひっそりした境内を歩いていると、玉砂利の上に黒い大きな塊が……。

産卵中の石亀

弁天堂のある池に住んでいる石亀が産卵しているのである。後ろ足で上手に砂をかきわけて、深い穴を掘り、そこに産卵するのである。

親亀が何匹いるのか、普段は姿を見せないのであまりわからないが、今頃の時期になると、境内にポコポコと穴があき、産卵した跡を見つけることができるし、運がいいと、こうして、産卵しているのを見かけることもある。

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地蔵盆と地獄絵 -子供達に与える記憶




地獄絵

関西以外の地域ではなじみが浅いであろうが、滋賀や京都を中心として、夏休みも終わりに近づいた今日8月24日(旧暦では7月24日だった)の地蔵菩薩の縁日には、「地蔵盆」という行事がある。
多くは前夜23日~翌25日に行なわれる。発祥は滋賀県南部だとどこかで読んだ気がするが定かではない。

自坊にも飛び地に地蔵堂があり、地区の子供会などが中心になって行なわれる地蔵盆の行事が、子供達の楽しみにしている夏休みの一つのイベントにもなっている。

さて、上の写真は、江戸時代から自坊に伝わる地獄絵である。昔から地蔵堂にこの地獄絵をかけるのが風習となってきた。地区の大人たちも小さい頃にこの地獄絵を見て、肝を冷やした記憶があるのだ。

また、近くのニュータウンにも小さな地蔵堂があって、老人会の人たちのおかげもあって、毎年、地蔵盆にお参りに参らせていただく。
いつも自坊の地蔵堂には、上の地獄絵を飾り、子供たちにも見せてきたのだが、今年、ふと思い立って、ニュータウンの子供達にも、地獄絵を持っていって見せてやろうと思った。

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霜を知らない子供達へ -田舎の禅寺の朝-

霜の降りた朝

もう立春を過ぎた。つまり暦の上では春なのだ。
ただ、朝夕はまだまだ冷え込む日もあり、文字通り三寒四温といったところか。

そんななか、先日も、自坊の裏の田畑は、まっしろに朝霜で覆われた。
朝霜に覆われた田んぼにカメラを向けていると、翼の黒白茶色のコントラストがはっきりした鳥が飛び立った。チドリ科の鳧(ケリ)という鳥らしい。田地や河原に住む気の強い鳥らしいが、飛んでいる色が美しい。

こんな田舎で生まれ育った私は当たり前のような景色だが、都会に育った子供たちは、「霜」が何なのかを知らないらしい。特に昨今叫ばれている暖冬のせいか、霜の降りる朝というのが少なくなってきているようだし、街のアスファルトの中では霜を踏むこともままならない。
文学作品中に、寒くいてつくような冬の「朝霜」の事が書かれていても、その情景が思い浮かばないのはなんとも悲しい。
霜柱を踏む、あの「サクッ」とした感覚を味わったこともないのだろう。

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自坊の雪景色

自坊の雪景色

この冬は暖冬だから、スタッドレスに替えなくてもいいんじゃないかと、カーディーラーに言われ、真に受けたうちの閑栖和尚は、結果、後悔するはめになった。
今は一月中旬。年末から数えて、すでに5度は積雪したのではないだろうか。

茅葺き屋根の雪

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素晴らしい眺望の公園 -滋賀県野洲市-

蓮池の里 多目的公園


私の最近お気に入りの公園はここ、-野洲クリーンセンター 蓮池の里-の多目的公園。
日本全国探しても、なかなかこのような素晴らしい立地条件の公園は無いのでは?
近所の年配の方たちがよくグラウンドゴルフをされているが、なんと贅沢なことだろうと思う。
滋賀県の者にとっては見慣れたこういう景色も、都会に住む人からすればなかなか見られないものであろう。
見渡す限り緑いっぱいで、心底気持ちよくゆったりできるので、たまに愛犬を連れてでかけるのである。

グラウンドゴルフをする人を見ています そろそろお寺へ帰ります

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うかつな一言 -山寺のある一日-

山寺のある一日

8月31日、少々事情があって、師匠の寺で檀務を勤めた。
お経も終わり、自坊に戻ろうとしていると、玄関先に来客があった。「お墓をお世話になっております、××です」と、本尊さんに、お供えのお菓子をいただいた。私には、初めてのお顔であった。
「ありがとうございます」とお礼を言って、お菓子を本尊さんにお供えして、駐車場の車に行くと、先ほどの××さんが、奥さんと女の子との三人で、お墓に登っていかれるのが見えた。
女の子は、小学校の2、3年ぐらいで、お父さんの背中におんぶされていた。
私は、すぐに、「自分で歩きなさあーーい」と、大きく声をかけた。
すると、両親は、にっこりと笑って、「この子、歩けないんです」と答えられた。

私はびっくりした。そして、女の子の姿をよくみると、確かに左足が伸びたままであった。「すみません、知らないこととはいえ、失礼なことを言いました」と、私は頭を下げ、逃げ出すように車に乗りこんでしまった。
うかつにも、取り返しのつかないことをしてしまった。私は、自己嫌悪でいっぱいだった。ただ、救われたのは、御両親の笑顔であった。
こうして、私の8月の法務は終わった。我ながら、情けない8月最後の一日であった。

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お盆の風景

夕立が来そうで来なかったお盆の夕暮れ

今年はお盆の前から雨も降らず、誠に暑いお盆であった。
私の自坊では、近隣の寺院との兼ね合いがあるので、毎年8月14日にお盆のお施餓鬼の法要を行なっている。もちろん、本来は8月15日に行なうのが正式だ。
8月14日にお施餓鬼を行なうために、うちの檀家さんたちは、14日を中日として、13日にお精霊さん(おしょらいさん)をお迎えし、15日の夕方には送り火をしている。

そういえば、去年の8/7のブログには、お盆の用意をする自坊の七日盆のことを書いていたようだ。もう一年がすぎさってしまって、今更ながら「光陰矢の如し」である。

お墓の前に吊られる行灯

さて、お盆には夕刻に墓経を誦むのだが、各家のお墓にはごらんの様な行灯(あんどん)が下げられ、夕方になると檀家さんが個々に訪れては行灯に灯をともして帰る。中には都会から帰郷した家族も賑やかに引き連れてお参りされているうちもある。
去年はよちよち歩きだった子どもたちが、元気に走っていたりすると驚く次第。
宗教行事とはいえ、古き良き風物詩である。
そういえば、市の市史編纂担当の方がカメラをもってやってきて、自坊の施餓鬼の様子を取材していかれた。
いつの日か、こうした行事も無くなってしまい、未来の人は市史をみて、「へぇ~、こんなことをやっていたのか」と言う日が来るのかもしれない。

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「不生不滅・不増不減」ということ -山寺のある一日-

なにか?

わたしの山寺は、とても小さく、お葬式といえば、1年に2、3回しかない。
これは、わたしの個人的な習癖なのか、お葬式は、とても疲れてしまう。

まず、枕経(まくらぎょう)に出向き、お顔をおおっている布を取る。今さらながら、わが手が震えていることを感じる。そして、『涅槃略経』をお読みする。それが終わると、故人の髪に、カミソリを当てる。何年、坊主家業を続けても、その手は震えるのか、わたしには、わからない。そこに横たわっているのが、死人(しびと)とか、そんな感覚ではない。なにか、荘厳なものに触れるような感覚がある。

その枕経から帰ると、戒名を考え、引導法語を作る。故人と立ち向かわねばならない。
この戒名で、故人の全生涯をあらわすことができたのか?
この法語で、故人が、畢竟(ひっきょう)の悟りを得るのか?
無学無修のわたしは、最後に、その髪にカミソリを当てた者として、たたかわねばならない。

今度の死者は、八十九歳のお婆さんだった。無責任な第三者は、よく、大往生という言葉を使う。
「大往生で、おめでたいぐらいだ」などと言っている。
しかし、八十九年も生きれば、孫たちはとっくに大人で、曾孫も物心がつき初め、祖母と遊んだ思い出に、涙を流している。決して、おめでたいことではない。弔問には、この言葉は使ってはならない。

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小さな山寺の温かな晋山式

稚児行列
私の自坊の法類寺院(仏法上での親類関係寺院)である小さな山寺が、新しい住職を迎えることになり、先日、晋山式が執り行われた。

今までこのお寺には尼僧さんが住まわれていたが、一昨年の夏、お盆の施餓鬼法要の翌日に急逝された。
生前、この庵主さまから、「どうか私が亡きあとの後住を探して欲しい」と、法類である私に懇願されていたのであるが、亡くなられたあと、ご縁あって、間をおかずに後住を探し出せたことは本当に幸いで、心からうれしく思っているのである。
なぜなら、このお寺にはいわゆる檀家さんがないのである。
であるのに、8年前に本堂が建て替えられたばかりで、庫裡も建て替えられて20年も経過していない。
実はこのお寺のある自治区の人たちは、このお寺を村のお寺だとして大切に思い、各家にはそれぞれ別に他宗の願い寺があるにもかかわらず、本堂や庫裡の建築資金を負担し、庵主さまの生活費も負担してこられたという。
したがって、このお寺が無住になってしまわないようにしたいというのは、老いた庵主さんはもちろん、村人たちの悲願であったのだ。

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言葉の癒し

過日京都にある表具屋に電話した時のこと。
「○○君いますか?」。
「へぇ、今高野参(こうやまいり)ですねん」。
と言われ、和歌山にある真言宗の大本山高野山を思い、「えらい遠くへ行ったんやね。帰りはいつになります?」と聞くと、「へぇ、もうすぐです!」と…。
妙な会話で受話器を置いた。
しばらくして本人より電話があり、御手洗に行っていたと聞かされびっくり。なぜ高野参なのかわからず広辞苑を引いてみた。
「【高野参】(1)高野山に参詣すること。(2)便所に行くこと。紙(髪)を落すからいう。」とあった。また、厠(かわや)が高野(こうや)になったとも書いてありました。
後に、「おやじさん、博学やなぁ」と言ったら、小さい頃から母親がよく言っていただけで、真似をしているだけとの事。ですがこのおやじさん、洒落好きで、「○○君いますか?」と聞くと「へぇ、あいつは鴨川塵みたいなやつで!!」と…。わかりますか?

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陶工に号をつけるその3 -山寺のある一日-

山寺のある一日


さて、2回に亘ってわたしが号をつけた陶工の話をお伝えしたその彼が、今、一所懸命に何を作っているかといえば、なんと、“骨壺”である。

「陶工に号をつける」
その1 *その2

彼は、商工会議所の青年部会に入っている。陶工とはいえ、やはり俗世間のつながりは無視できず、なかば、強制的に入会させられた。商工会議所であるから、多種多様の職業の人がいる。そこに、石材店と葬祭店とがいた。彼等も生き残りで必死である。いろんな知恵をしぼる。そこで浮かんだのが、生前に自分だけの“骨壺”を持っていただくという案である。「この壺にわたしは入るのね……」と、生前は飾っておける“骨壺”である。売るのは葬祭店である。その骨壺を売っておけば、買った人は、必ずその葬祭店を利用する。もちろん買った人の遺族ではあるが。そして、その葬祭店と提携している石材店は墓石が売れる。「これは名案だ」ということで、話が、青年陶工のもとへ行った。彼も「それは面白いかも知れませんね」と承諾した。そして今、形だの図柄だのを研究している。

世の中は変わったものである。骨壺といえば、円筒形で乳白色に決まっていた。どうですか、このブログを読んでいる方、生前に自分だけの“骨壺”を持ってみたいと思いますか。青年陶工の経済を考えると、この“生前骨壺”作戦がうまくいけばよいなとも思うが、坊主の立場からは、骨壺がドンドン売れるというのも…… 考えさせられるところではある。

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椎茸栽培

コマ菌打ち込み作業

寺山を通る林道を拡幅することになり、邪魔になるクヌギの木を伐採することになった。先日、檀家さんらによって切り倒されたクヌギの木が椎茸栽培用の原木に玉切りされ、50本ばかり寺に届けられた。

今日はその原木への椎茸菌の植え付けである。
作業は、原木に専用ドリルで均等に穴を開け、その中にコマ菌と呼ばれる椎茸菌を金槌で打ち込んでゆく。(写真1)

原木の太さにもよるが、1本あたり約30~40個のコマ菌を打ち込むことになる。単純な作業だが1人でやるとなると結構時間がかかる。打ち終えた原木は井桁に積み上げる。1袋分を打ち終えても10数本原木が余ってしまった。これは菌を入手しだい改めて打ち込むことにする。(写真2)

井桁

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陶工に号をつけるその2 -山寺のある一日-

山寺の春

陶工に号をつける その1→こちらを読まれてから本日のブログをどうぞ!

わたしが、“岱嶺”という号をつけた青年陶工が、なぜ“岱玲”と改めたかといういきさつは、ザッとこんな話しである。

彼は、“岱嶺”という号を、さっそく、九州伊万里の師匠のもとへ報告した。そして、師匠からは許しをもらった。
しかし、周囲の弟子や関係者からクレームがついた。「師匠の号は“岱山”である。“岱嶺”は、字づらからして師匠を超えることになる。遠慮せよ」というのが、兄弟子たちの言い分であった。
言われてみれば、その通りである。“山”という字と、“嶺”という字に、上下はあるまいが、やはり、“嶺”の方が偉く見える。彼も、そう思った。しかし、“タイレイ”という響きは、気に入っている。そこで、“嶺”を“玲”に変えて、“タイレイ”という音は残した。そんな話しをわたしにしてから、青年陶工は、こう言った。
 「“嶺”は僕で、“玲”は**ちゃんで、二人共通の号だと思っています」
**ちゃんは、彼の新妻である。彼女は、陶器の絵付けをする人で、夫の素地にも絵を付ける。よって、二人で一つの作品を仕上げることも多く、「“岱玲”は、二人のものなんです」と。それがまた、“玲”という字は、響きといい、字づらといい、いかにも初々しいその**ちゃんにピッタリなのである。わたしは、そんな話しを聞き終わり、「いい名前だね、まあ、二人で、頑張りなさい」と言うだけであった。二人があまりにも仲睦まじいので、しまいには、なんだかバカらしくなってきていたのである。
その**ちゃんも、今では二人の子育てに忙しく、“岱玲”は、青年陶工一人のものになっている。

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涅槃会

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今日2月15日は、三仏忌の一つ、仏涅槃会の正当日である。お釈迦様が入滅された日。 この日には、涅槃図とよばれる図像を掲げて、お釈迦様の法に感謝する法要を営む。 自坊には大した書画の掛軸はないのだが、そのわりには不釣り合いな大きな涅槃図がある。釣り下げるのには一人ではできず、二人がかりの仕事である。 真前にお膳やお供え物をして、檀家さんたちも集って楞厳呪をお勤めする。 そのあと、檀家さんだけで、西国三十三観音霊場の御詠歌を御唱えするのが風習となっている。お講のなごりがこういった形で残っている。 この時には檀家さんの中の長老が、小磬や木魚を打って維那をしなければならないのが習わしなので、長老といえども、おかしいほどの緊張の具合だ。

入滅の時、お釈迦様は最後の説法で「自灯明・法灯明」を説かれた。入滅間近の師に対して悲しむしか術のない弟子たちに、これからは、自らをよりどころとし、仏法をよりどころとせよ、と諭されるのである。
おろおろとしている長老に、届けばいいが。

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老婆の弔い

大寒の雪

わたしの自坊のような貧しい骨山でも、だいたい年に数軒の檀家のお葬式があるものなのだが、昨年は見事というべき、たった一軒のご不幸もないまま終わった。 新年恒例の檀家総会でこのことを話して、今年一年も皆さんお元気でお過ごし下さいと話したのも束の間、その4日後に、ある檀家さん宅の老婆が享年94の大往生をとげられた。 別に悪いところもなく、いわゆる老衰である。 いかにも大寒、雪の中の弔いとなった。

さて、お葬式の仕方は、宗教諸派はもちろん、地方の土着風習の影響をかなり受けていると思う。
私の住むあたりでも、集落ごとに少しずつ違うほどだ。
例えば、「朝悔やみ」という風習がある。
集落の住人からのお悔やみの挨拶を、当家が玄関で受けるというものである。
それこそ、「朝悔やみ」というだけでも、読者各位には縁遠い風習なのかもしれない。これは葬式当日の朝7時ごろに、集落の一軒残らずすべての家から、誰か一人が必ずご当家に出かけ、お賽銭をあげて、ご霊前に合掌し、当家の遺族にお悔やみの挨拶をするのである。
おまけにこの時、私の集落に限っては、当家の主婦が喪服の着物姿で素足に草履をはいて、玄関の土間にずっと立ちっぱなしで悔やみを受けなければならないという風習もある。寒いときには格別きびしいことだとは思う。

それから、出棺の際には必ず玄関を出たら西に向いて棺を出す。東側に大きな通りがあっても、必ず西へ向かうのである。これは浄土信仰によるものだと容易に推測はできるが、禅宗の葬式でも同じである。こういった古くからの風習が、まだわずかながら残っているのは、とても喜ばしいことだと私は思っている。

今どき何を……と思われるむきもあるかもしれないが、都会では「家族葬」が流行ってきているなか、それに歯止めをかける意味も含めて、伝統文化の継承はなくしてはならないと思うのである。
そうして、大往生のお婆さんは、家族に送られて西へ旅だっていかれた。

達磨さんも雪に震える

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陶工に号をつける -山寺のある一日-

寒い寒い山寺

この山寺に、二人の青年が突然登って来たのは、もう十年も前のことである。一人の方は、村の若者であった。二、三年前に、お婆さんのお葬式を出したので憶えていた。もう一人の方は、初顔であった。村の青年が言うには、その若者は、青年の奥さんの弟で、出身は大阪。九州は伊万里で修行した陶工だという。姉の縁を頼って、この村に自分の窯を持つことになった。ついては、陶工としての号をつけてほしいと言う。

「しかし、号などというものは、お師匠さんからいただくものじゃないの」。わたしは、ひとまずそう言って逃げた。「号をつけてほしい」と聞き、実は少し緊張したのである。わたしには、子供もなく、弟子なども持ったことがないので、誰かに名前をつけるということをしたことがない。もちろん坊主なので戒名はつけるが、生きている者の場合とでは、やはり違う。死んだ人が、わたしの戒名を背負って、あの世とやらで生きていっているのかは知らないが、この青年陶工は、確実にわたしがつけた号を背負って、これからの陶工人生を生きていくのである。号〈ゴウ〉が、業〈ゴウ〉になったらどうするのだ。そう思うと、なかなか容易には引き受けられなかったのである。

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田舎寺の越年

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昨年は「僞」の歳として幕をおろし、かくして新年を迎えた。 毎年より少々早めに仕事おさめをした禅文化研究所ではあるが、自坊のある私は、結局年末の大掃除期間が長くなっただけということで、ありがたいやら何やらわからない。 昨年末は雨続きで、28日だったか、一日晴れた日が有ったので、頑張って山道の草ひきやら掃き掃除を済ませ、雨の日には本堂や庫裡のほこりを払って掃き掃除に拭き掃除、はたまたガラス拭き。家族総出の大仕事。 ぼやっとしていると普通の一日の連続であるが、一年の締めくくりということで、改めて念入りに普段できない部分まで掃除をしたり手を入れたりしていると、やっとお正月を迎えるという気持ちになってくるから不思議である。 大晦日の年越し蕎麦をいただき、一般の人は、晩酌でもしながら紅白歌合戦でも観るのだろうが、11時過ぎあたりからの除夜の鐘もあるから、そういうことは毎年ままならない。また、同僚には冬休みを利用しての長期旅行に出かけている者もあるが、自分には一生できないことだろうなと、今年最後の煩悩をつくりながらも、百八つの鐘をうつ。 大晦日はかなり気温が下がったせいで、鐘楼に立っていると寒いことは寒いが、星が瞬いて満天の空がとても美しい。新年はこんな澄み渡った歳になって欲しいと思いたら、大学生の頃、教育実習で教えた生徒の一人が今年もやってきた。もう35歳になるという。ほかにもわずかな常連の参詣者もあるので一人っきりというわけではない。

年が明けて、平成二十年。あっというまに、平成ももう二十年かと驚く。キリッと冷えたいいお正月だ。
こうして、檀家さんや近隣の人たちの年始のご挨拶を、住職として本堂で受けるようになってから、もう何年になるだろうか、あと何年できるだろうかと思う。
若いと思っていた檀家の人が今年で還暦ですとか仰ると正直に驚いている自分ではある。

実は年末29日、私が掛搭していた静岡三島の龍沢寺僧堂の現老師の突然の遷化の報。驚くまもなく、大晦日には近所の幼なじみの母が長い長い闘病生活の末亡くなった。新年になって2日に伯母が逝去。なんだか寂しい年の変わり目であった。

さて今年はどんな年になるのだろうか。泥の中に蓮がきれいに咲くように、僞の世の中にも真実が育つと思うことにしよう。
皆さんの健康とご多幸をお祈りする。

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柚子の収穫

収穫前

秋晴れの好天に恵まれた一日、境内に1本だけある柚子の収穫を行った。寒さとともに鍋物が恋しくなる季節、柚子の香りと酸味は料理をいっそう引き立ててくれる。
昨年は実のなりが少なかったが、今年は全体に小ぶりながらもたわわに実ってくれた。早速作業服と厚手の手袋に身を包み、剪定鋏や高枝鋏を使って作業に取りかかる。枝には無数の鋭い刺があり、気をつけないと擦り傷だらけになってしまう。

半日かけて収穫した実は、汁を搾って瓶詰めにして冷蔵庫に保存する。そのまま料理に使ったり、柚子醤油にしたりと冬場の食卓には欠かせない名脇役になる。残った皮は布袋に詰めて風呂に入れ、冬至には早いけれど柚子湯として楽しんだ。古来よりひび・あかぎれを直し、風邪の予防になると伝承されてきた柚子湯だが、血行を促進して疲れや痛みを取り、冷え性にも効果があるらしい。体も芯から温まり、深まりゆく秋を実感できた一日であった。

もぎたての柚子たち

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親子の坐禅会

親子の坐禅会

毎年この時期に行なわれる地域の交流を深めるための行事に協賛して、その体験活動の一つに、自坊での坐禅会を組み入れてもらっている。
自坊の檀家さんの子供たちではないため、今まで坐禅などには縁のなかった子供たちとその保護者の人達を対象としている。
他の行程もまわるため、お寺ではたった1時間しか時間がない。なかなかじっくりとした坐禅会とはいかないのだが、まずは子供たちに、ふざけてはいけないこと、まじめに取り組むことという雰囲気を与えなければならない。

今年は大人と子供あわせてちょうど40名。まずは靴をきちんとそろえてあがる。靴下を脱いで、座布団の上に正座して、荷物は自分の後ろに整然と並べる。
たったこれだけのことでも、なかなか時間がかかる。
最近の子供たちは、家で正座するなどということは皆無なのではないだろうか。
しかし、お寺という彼らにとっては異種な空気の中で、ちょっと和尚さんにビシッと言われると、案外まじめに対応してくれるようだ。
20分ほどかけて、坐禅の形、呼吸の仕方、呼吸を数えることに集中してみること、などを説明し、引磬と柝の合図で、いよいよ坐禅の開始である。

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山寺のある一日 -その1 犬小屋で経を読む-

山寺のある一日

あれは、わたしが、この山寺に入寺してから、間もない法事の席であった。ある檀家さんのお爺さんの三周忌の法要である。お葬式は、先住さんがなされ、先住さんの遷化後、一年を経て入寺したわたしには、そのお家のことは、何もわからない。しかし、法事は、厳粛に勤めなければならない。わたしは、改良衣と呼ばれる簡易な法衣で、そのお家に赴いた。

通常の挨拶をすませ、改良衣から正式の大衣に着替えをしている間、一人の、十七、八歳くらいのお嬢さんが、シクシクと泣いている。こんなことは滅多にない。田舎の法事は、もう、お祭りである。お酒が飲めて、普段は口にできないご馳走をいただく。集まる親戚などは、お祀りではなく、文字通り、お祭りなのである。しかし、そこに、ほとけさんに対する畏敬、崇拝の念がないのではない。たくさんお酒を飲んで、ご馳走を食べるのが、ほとけさんに対する御供養なのである。坊主は、それをリードしなければならない。そのような田舎の法事である。わたしは、感心に思った。「このお嬢さんは、よほど、お爺さんに可愛がられたお孫さんなのだろう」と。

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秋の恵み

丹波栗

研究所では、職員の寺で採れた季節の恵みがよく届けられます。
実りの秋、今回は丹波の寺で採れた立派な栗!
この立派さに加え、「丹波栗」というブランドネーム?でしょうか。
丹波の豆、栗、などと聞くとわくわくしてしまいます。
あと一ヶ月もすれば丹波の黒豆の枝豆がやってくることでしょう(毎年の楽しみ)。

さてこの立派な栗、帰ってから土鍋で栗御飯を作りました。
旬の物というのは、うまみをたくさん持っている為、少量の塩とお酒だけで充分です。
炊き上がると栗は何とも言えない色、ほくほくです。土鍋ですと、おこげがまたたまりません。

季節の恵みというのは、人間の身体にも恵みを与えてくれます。
文句無く美味しいので、調味料を最小限に控えられ、今話題のメタボ対策にもとても良いのではないでしょうか。
私たちは季節の恵み、生きている物をいただいて、ようやく生きる事ができるんだなぁ…。
そんな感謝の気持ちが自然と湧いてくる秋の恵みでした。

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“真実不虚”の布施

丹波篠山

「和尚、お経ばかり読んでおらんと、年寄りを遊ばせるのも、和尚の仕事やで」と、檀家総代から言われたのは、自坊へ入寺して、1年ほど過ぎた時だった。住職になってから間もなく、“年寄りを遊ばせる”という意味がよく分からず、ポカンとしているわたしへ、その総代は言った。「年寄りを集めて説教でもせんかい」と。

“説教” まだ40歳そこそこの若僧が、60・70・80の、じいさん、ばあさんに、何の“説教”ができるか。波瀾万丈の年月を乗り越えて来られた、人生の大先輩である。わたしは、正直にそう言って、「説教はできませんが、『般若心経』の文字の講釈ぐらいなら、どうにかできます」と告げた。すると総代は、「それでいい、何でもいい」と、言い放った。わたしには、“どうでもいい”というような雰囲気に聞こえた。
それから、「お布施はどうする」「お布施はいりません」「そりゃ、いかん」「いえ、結構です」「そりゃ、いかん」と、押し問答が続いた。「それじゃ、お茶と菓子代で、ひとり、百円持って来て下さい」と、わたしが言うと、「オッ、分かった。それでダ、その話は、お寺でせんといかんか」と、総代は尋ねた。かりにも坊主が、『般若心経』の講釈をするのだ、お寺以外の、どこでするのか。わたしには理解できなかった。またもやポカンとしているわたしへ、総代は言った。「あの坂は、年寄りには難儀や。下の公民館でやってくれ」。なるほど自坊は、かなりの高地にある。わたしはスンナリ、「いいですよ、公民館でやりましょう」と承諾した。

そういうことで、毎月1度、第1月曜日の夜8時から2時間の予定で、わたしの講釈は始まった。なぜ、夜の8時なのか。自坊のある小さな農村は、ご多分にもれず、3チャン農業で、60・70・80の、じいさん、ばあさんは、現役の仕事人だからだ。

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七日盆(なぬかぼん)と招き幡

8月7日を盆の入りとして、七日盆という。
この日、筆者の自坊では、朝早くから作業着を着た檀家さんたちが集まって見え、本堂にてお勤めをした後、墓掃除、草刈り、境内清掃など全山清掃を行なうのだ。
それとともに、お盆にお精霊さん(おしょらいさん)がキュウリの馬に跨って戻ってみえるための目印にと、東と西に招き幡を2本、高く立てるのだ。書かれている文字は「宝楼閣神咒」という呪文である。


招き幡

そういえば関東は7月がお盆である。となると七日盆は7月7日、つまり七夕である。
七夕として祭るのは単に星の祭りのようなものではなく、こういった七日盆の行事とも関係があるのではないかと思えてきた。
そう思って調べてみたら、七日盆というのは、どうやら関西を中心に行なっている行事のようである。奈良でも盆入りというようだし、井戸さらいをやる「池替盆」をやる地方や、「七度親を拝み、七度海に浴びる」 「七遍飯を食い、七度海に浴びる」「七度ホウトウを食べ七度水泳ぎをすれば腹を病まぬ」というような女性の禊を行なう地方もあるようで、地方によって七夕は色々な意味合いを持っているようだ。
地域に根付いた信仰と、仏教の行事が関係している行事の一つと言えるのだろう。
自坊の近くには縄文時代の祭場跡と言われる遺跡が在る。星を仰いでいた太古にまで思いをはせる。

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百日紅

木登りの上手な猿も滑りそうな木だから「さるすべり」と呼ばれる百日紅。
また百日間ほど花を紅の花を咲かせることから、この「百日紅」と書かれるのであろう。
猿が上るほど大きな木ではないが、自坊にも5本ほどの紅白とりまぜた百日紅があり、今年もお盆が近づいた今頃から、きれいに花をさかせはじめた。


百日紅

百日紅について、弊所の季刊誌『禅文化』85号(昭和52年夏発行)に、歌人の松本仁さんが書かれた「わが花物語 百日紅」という文章があるので、以下に全文を転載しておこう。

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お盆前の一仕事 -庭木の剪定-

今年は猛暑だと言われているが、今のところは冷夏とも言えるような涼しい毎日ではある。
それでもようやく近畿も梅雨が明けたからこれからは暑くなってくるのだろう。
そしてお盆がやってくる。

筆者の自坊では、お盆までには境内の木々をきっちり刈り込んで、お参りに来られる方々をお迎えせねばならない。
大きな松の木や泰山木などは、自分の手に負えないので、シルバー人材センターにお願いして、かつて庭職人だったお年寄りの方々に手入れをしてもらっている。
今年もつい先日、2日間をかけてやっていただけた。

のこりの低い木、例えばさつきなどは、自分で電動植木バリカンや剪定ばさみを使って刈り込んでいく。これが毎年、お盆前にしなければならない大仕事の一つである。

刈り込み前はこんな感じ。
刈り込み前・・・

電動バリカンに慣れるまでは、何度も電源コードを挿んで切ってしまったり、思ったように刈れずにいたが、すべて剪定ばさみでやっていたことを思うと、なんと手早いことだろう。
しかし、刈り込んでいった中には蜂の巣があったりして、知らずに刈っていると、ぶぅ~んと蜂たちが飛び出してきて大慌てで逃げることもしばしばである。スズメバチの巣もあったりするから、笑っておれないのである。

刈り込んでさっぱり。これで今年もお盆が迎えられる、そんな気分になるのだ。


刈り込み後……

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お仏壇の購入

泥の中から美しい花を咲かせる蓮

つい先日、自坊の檀家の独居老人のAさんの家に、年忌にあわせて購入された新しいお仏壇の開眼に出かけた。
今まではご縁のある方から譲ってもらっておられた古いお仏壇で、宗派様式が禅宗とは違うものだったので、それを処分して、新しいお仏壇にされたのだ。
法要の後、親戚の方々と話をしていたとき、こんな話が出た。

「分家した家ではお仏壇をいつ買えばいいんでしょうか。誰も亡くなっていないのに買うもんじゃない、縁起が悪いことが起きると、よく人がいいます」と。

そこで私はこんな話をしました。
分家した当主にももちろんご先祖がおられるでしょう? 自分はそのご先祖方の縁をいただいて今ここにいるのです。だからお仏壇を購入してお祀りするご先祖がないわけじゃないのだから、気持ちが起こったのなら買えばいいんじゃないでしょうか。追善供養することに悪いことがあるはずはないでしょう……。

冒頭に書いたように、この檀家さんは、6年ほど前に、息子さんと奥さんを順に亡くされ、今は一人暮らしのお爺さん。法事には嫁がれた娘さんのご主人と子供達、そして2、3人の親戚がお参りされていた。
嫁がれた娘さんの子供達も、もう成人されたお嬢さんなので、彼女たちに話すつもりで、こう続けた。

失礼と存じつついいますとね、こうして新しいお仏壇を買われたけれど、なんで今更って思いませんでしたか? この家にはもうAさんしかいないんでしょ。Aさんが亡くなった後はこのお仏壇をお守りする人がいないのに、なんで今頃お仏壇を買うんだろうって、思わなかったですか?
だけど、それほどまでしてAさんは、息子さんや奥さんの菩提を弔いたかったのではないでしょうか。
そうすることによって、自分に大きな安心(あんじん)を得られたのではないでしょうか。
そうですよね、Aさん。

するとAさんは大きく頷かれていました。なんかホッとしたと仰いました。

これが本当の追善供養、そして回光返照ってことだと思う。
回向返照というのは、仏壇の花を仏様に向けて供えないで、自分たちに向けて飾っているのも同じことで、仏様やご先祖様に功徳していることが自分たちにさし巡って返ってくることの象徴なのである。
Aさんのされたことを、席を共にした若い人たちに知っておいて欲しくて、下手なお話をしたのであった。

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燕の巣立つころ

各地が梅雨入りしたという。
今年の梅雨は入りが遅いが、その期間も短いらしい。じめじめした季節は心地よくないので、それはうれしいことではある。
毎年5月、自坊の玄関に燕が巣作りにやってくる。去年巣だった子燕達が戻ってきて巣作りをするのだとか言われるが、その真偽は確かではない。しかし、毎年3組ほどのつがいの燕が巣作りをして雛を育てにくる。


毎年作り替える燕の巣


昔の田舎の玄関は障子紙や板硝子の扉だったので、その中の1枚を一時的に外してやれば出入りできたのだが、最近はアルミサッシになったので、用心はよくなったが、燕たちには不便な玄関となった。
そのために、自坊の玄関には燕さま専用の玄関まで作ってあげてある。これで夜間や早朝、あるいは留守でも、燕の親はせっせと餌を運んで来ることができるのだ。


燕専用の玄関

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木蓮

一気に春になりつつあるこの頃である。
今年も自坊の白木蓮(はくもくれん)がきれいな花をさかせている。


白木蓮の木

ところが、いわゆる木蓮と白木蓮は別種なのだそうである。
雨上がりの朝、花びらを濡らせて、その白を一層引き出させている気がした。

雨に濡れた白木蓮の花

自然の色は、なんとも言えず美しい。

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大般若祈祷会

11日の日曜日、不肖の自坊にて、大般若経を転読する祈祷会を行なった。
ひどい北風が吹き荒れ、吹雪になったかと思えば、陽が照ってポカポカと暖かくなったりで、一日の中で三寒四温を思うような日となった。


大般若祈祷会


この大般若祈祷会は、本来、お正月の三ケ日に、今年一年、魔障を除き、世界の平和、五穀豊穣、家内安全などを祈願して勤めるものである。

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いのちについて思う

先日「硫黄島からの手紙」という話題の映画を見た。戦局の最先端にいて殺し合いの末に命を落す人、弾薬が底を突き戦うことができず自害していく人、敵に投降したにもかかわらず殺される人、そして戦地に愛する人を送って国で待つ人……。戦時中に生きていた人たちのそれぞれの生きざまの集約を見た気がした。重い映画だったが、とてもいい映画だった。

ところで、このところ、子供の自殺、夫婦や兄弟でのバラバラ殺人事件の連続。毎日ニュースを見ていても、次から次へと悲惨な事件ばかりで、どの事件がどの事件かさえわからなくなるほどである。
また、これだけ飲酒運転を警戒されているのに、飲んで乗ってひき逃げ・・・。無責任極まりない。
いったい人の命の重さというものを、どう考えているのだろう。そう思わずにはいられない。
彼らはずっと身近な人の死と向き合わないで生きてきたからではないか。

自坊の檀家のことであるが、篤信家の好々爺がいた。
自身を献体申請しており、そのために万が一の時には遺体がないことになるからと、毎年お正月になると床屋で散髪をしては、これを遺髪にせよと紙に包んで家族に渡しておられた方だ。
その曽孫である当時小2のSちゃんは、このお爺さんのことが大好きで、日頃からいつも手をつないで歩いていた。
ところが、ついにその爺さんも93年の寿命がつきた。死に際に家族が集まり見守る中、Sちゃんは、お爺ちゃんに「私にパソコン買ってやるっていってたのに、買わないで死んだらあかん」と、徐々に冷たくなる手を握って泣いて訴えたそうだ。
お通夜の時、Sちゃんは私に、「お爺ちゃんの暖かい手、だんだん冷たくなっていったんやで」と話してくれた。
自分の死をしっかり見つめていた老人と、それをしっかり受け止めていた幼女の姿なのである。

しかし、かたや、家族が亡くなっても、忌み嫌って子供達を近づけないように避けてしまわれる家庭が多いことも確かだ。
人は息を引き取ると、暖かい手が冷たくなっていく。それを実感として知らないで生きている人がどれだけいることだろうか。
テレビドラマで人が人を殺めるというフィクションを毎日のように眼にしてしまっているのに、人が死ぬということを現実として感じられない人たちが溢れているのだ。

学校教育には任せられない部分、私たち宗教者の手でどうにかしなければならない。
『子育てのこころ』(盛永宗興 著)。読んでもらいたい一冊である(もうすぐカバー一新)。また、一番小さな社会である家庭において、自分と他人の命のことを考えてもらえるような本も考えたい。

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イチョウの大木

紅葉のコントラスト


私の寺の境内には大きなイチョウの木がある。
イチョウは保水性が高く、防火樹としても知られ、昔から社寺の境内等で広く植えられてきた落葉樹である。
年配の檀家さんの話によると、村に小学校が出来た時に、校庭と寺とに1本づつ植えられたというから樹齢は80年くらいになるのだろうか。
秋になると葉は目映い黄色に変わり、紅葉とのコントラストを楽しませてくれる。
庭に敷き詰めたように広がる落葉の絨毯も綺麗なものである。

葉が全て落ちきった先日、10年ぶりに職人さんに枝を切り落としてもらった。伸び放題となった枝からの落葉は相当な量で、水分を含んだ葉の後始末はかなり大変だったが、これで来年の落葉は少しは減って掃除も楽になることだろう。

蹴ちらして まばゆき銀杏 落葉かな 花蓑

来年から掃除が楽かも?!

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慧玄が這裏に生死なし

去る12月12日、神戸市の山寺に住まっていた筆者の兄弟子E師が京都にて急逝した。享年56。
教区の支所長として、大本山妙心寺の開山、無相大師の開山毎歳忌に参列し、そのあと、修行時代の仲間との久しぶりの宴席で酒を酌み交わした後のこと。あまりにも早すぎ、あまりにも突然だった。
だれもが思いもかけていなかった。

E師は兄弟子でもあるが従兄でもあり、大阪の在家に生まれたEさんは、大学生になる頃、発心して私の父の弟子となって花園大学に入学し、私の自坊で小僧としての生活をした。
私は当時小学生で、実兄弟の中で長男であったから、まるで兄ができたようではしゃいでいた記憶がある。Eさんは4人兄弟の末っ子であったから逆に私を弟のように可愛がってくれた。
当時流行っていた北山修作詞のフォークソングが好きで、ギターを弾いて私に教えてくれた。
私のような年齢にして当時の歌を歌えるのはEさんの影響である。
また、私が富士山の裾野の三島・龍沢寺に掛搭したのも、評席までつとめられたEさんの修行した道場であるがためでもある。

E師は妙心寺まで自家用車で出てこられていたために、持ち主を失った車をもう一人の兄弟子とともに、神戸のお寺まで搬送した。車のステレオには前述のような懐かしい曲がまとめられたオムニバスCDがセットされていた。
「♪命かけてと 誓った日からすてきな想い出 残してきたのに……」と北山修作詞の「あの素晴らしい愛をもう一度」など懐かしい曲が流れてきて、運転しながら思わず涙が頬をつたった。

妙心寺開山・関山慧玄禅師(無相大師)は語録を残されなかったが、2つの有名な言葉が伝わっている。
その一つが「慧玄(えげん)が這裏(しゃり)に生死(しょうじ)なし」である。人は生まれたら必ず死を迎える。しかし、そんな生と死というようなものを超越したところに境涯があるというお言葉だ。

平成21年には、この無相大師の650年遠諱を迎える妙心寺で、E師は、その開山様と同じ日に開山様の近くで身罷ってしまった。まるで、開山様の言葉を身をもって示すが如き逝きかただった。

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丹波の黒豆 語録の黒豆

去る十月のある日、晴天の秋空のもと、丹波特産の黒大豆枝豆(黒豆)の収穫に精を出した。
自坊の畑に植えられた黒豆を収穫するのだ。

京都の某僧堂から、五人の雲水さんに助っ人に来てもらっている。
今年、引き手で来た雲水さんは、僧堂歴六年目で、彼が言うには、
「私が新到の時に、初めてここへ来ました」と。
よって、この「雲水黒豆大会」も、今年で六年目である。

まず、本堂で、般若心経を唱え、畑に下りて、いきなり収穫にとりかかる。
最初の作業は、枝から「さや」だけをむしり取る。本当は、枝にさやを残して、葉っぱだけを落とすのだが、これは、十時の「おやつ」用で、一人の雲水さんが、すぐに台所にもって行き、塩ゆでにする。
それを、また、畑に持って行き、すぐに食べる。小生は、ビールを取りに走る。取りたて、ゆでたての黒豆は、最高にうまい、ビールもうまい。

丹波の黒豆(くろまめ)はうまいが、小生が仕事にしている漢文語録の黒豆(こくず)は、あまりうまいものではない。
やっと、『五灯会元』の全文訓読も脱稿し、黒豆(こくず)から解放されたと思ったら、あのうまい黒豆(くろまめ)もシーズンオフとなってしまった。また、来年の「雲水黒豆大会」を期待しよう。

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寺の大樹 その3

8月のお盆開けに枝部分だけを伐採した自坊の大けやきの幹の部分も、つい先頃、ついに伐採をしてもらった。
秋晴れの日にはさまれた、あいにくの雨の日であったにもかかわらず、重機の予約の都合もあり、10月11日に決行された。前回と同じ兄弟の山師さんたちである。


伐採されようとする大けやき


とてもすばらしい職人技で、まずは上部の枝のあった根本の下で伐り、続いて根本のあたりから伐られた。伐り出された胴の部分の長さは7mあった。


根元もついに離れた

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白花ホトトギス

白花杜鵑

ちょうど今頃、9月から10月に咲く、ユリ科の多年草のシロバナホトトギスです。
まだ小さいのですが、この前、山野草の店で見つけて庭に植えたばかりです。
案外、このシロバナホトトギスは手に入りにくいのだそうです。
買ったときには花は無かったのですが、たぶん白い花が咲くはずだと言われて買ってきたのです。
つい最近、白いかわいらしい花を咲かせました。
まだ切って使うのはかわいそうなので、このまま庭で花を咲かせておこうと思っています。
野生なので、きっと増えるのではないかと期待しておきましょう。

白花杜鵑


ほかにも一緒に買った赤白金の三色の水引草もすくすくと伸びて来ています。
ただ、ときどきチェックしないと、毛虫が葉っぱを食い荒らしていたりします。
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花札も真っ青!-天龍寺-

美しい萩の花_天龍寺

私の住む、嵐山天龍寺は、今萩が満開です。
百花苑には、白・ピンク・混合とそれはそれは美しく群生しています。
萩は一株では花が小さくあまり見映えが良くは無いかもしれませんが、大きい株がいくつもあるとそれはそれは見事です。
今年は、中秋の名月ごろが一番美しいとのことです。

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ゴーヤ料理

いただき物のゴーヤ

最近、ゴーヤ料理にハマッている。きっかけは檀家さんからのおすそ分けである。 いつもトマトや胡瓜などの夏野菜は頂くのだが、ゴーヤは初めて。お盆の行事が終わり夏バテ気味の体には、ゴーヤのビタミンが効果的だろうと、頂いた日に早速調理してみた。

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寺の大樹 その2

7月15日のブログで書いた寺の大樹のその後である。
お盆もすぎ、京都近辺で行なわれる、地蔵盆を明日に控えた8月22日、ついに筆者の自坊の欅の枝部分の伐採が行なわれた。もちろん事前にお経一巻あげて、欅にお礼のお勤めをしておいた。


欅横にクレーン到着


16tの大型クレーンが、4輪操舵のタイヤを駆使して、自坊の裏の狭い路地を曲がって、欅の近くにたどり着いた。

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タチマイリ

私が住む丹波地方は両墓制がある地域である。両墓制とは、埋め墓(埋葬地)と詣り墓(建碑地)が別々にある墓制である。埋め墓には遺骸が葬られるが石塔を建てない。詣り墓は遺骸の埋葬がなく、石塔を建てる。遺骸を埋める所と霊を祀る所とを別にする習俗が、両墓制なのである。しかし、火葬が取り入れられてからは、埋め墓にも石塔を建てるようになり、かつての習俗を失いつつある。

私の地域では詣り墓のことを「ラントウ」と呼んでいる。ラントウという呼称は僧侶の墓塔である卵塔を想像するが、歴住塔のある寺の墓地に隣接して詣り墓があるためにそう呼ばれてきたのかもしれない。
さて、ラントウでは、お盆の前に「タチマイリ」という各家の墓に僧侶が読経を行う行事がある。お盆には、精霊を迎えるが、ラントウはオショライさんが一時待機する所と考えられており、先祖の霊はあの世からラントウまで戻り、タチマイリをして家に迎えられるのである。

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土用干し

以前に、ここのブログで書きましたが、自坊で収穫した梅で梅干しを作っています。実際に作っているのは母なのですが。
私は毎年の光景で見慣れていますが、梅干しは街ではふつうスーパーで買うから、家で作っているというと案外珍しいと思う人もいるようですね。


土用干し


ちょうど今は「土用干し(どようぼし)」の状態。
本当は7月の下旬、ちょうど、梅雨のあけた時期に3日間、お天道様にさらすのですが、今年は梅雨明けがおそかったので今頃になってしまいました。
ネットでは梅を味わってもらうことができないですが、その色と風景だけでも楽しんでもらいましょう・・・。
(E.N. Wrote)

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寺の大樹

遠くから見た欅

うちの寺の境内には樹齢二百年は下らないと思われる大きな欅(けやき)があります。 秋になると、それはもう尋常ではない落ち葉で、毎日掃除におおわらわの、掃除だけを思うと迷惑な樹です。
ところが、ここ十年くらいでだいぶ弱ってしまいました。枯れ枝も多くなり、樹に元気がありません。
ちょうど、この樹を売って欲しいという業者さんが来られるようにもなりました。伐らないと枯れてしまうと。 枯れてしまったら何の値打ちもないとおっしゃいます。
そこで、枯れ枝が落ちて山門や鐘楼にでも落ちたら困るし、閑栖和尚や、総代さんたちとも相談して、今のうちに伐って売ってしまおうということになったのです・・・。

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梅の収穫

収穫直後の梅

禅文化研究所スタッフのE.Nです。つい先日、私の自坊で収穫したばかりのです!
うちの梅林は、約80本の梅の木がありますが、そのうち約1/3が梅の実を実らせます。あとは花梅です。毎年、春から秋の間は檀家さんに出てもらって、月に一度の下草刈りやら消毒やら剪定やら、いろいろ大変ですが、お蔭で今年も40kgほどの梅の実を収穫することができました。
この梅林は、臨黄ネットトップページ画像にも使っていますよ。臨黄ネットの事務局も、禅文化研究所でさせてもらっています。
さて、ここでスタッフN.K.にバトンタッチします。
私は、今年は梅醤油を作りました。
煮沸消毒した瓶に、梅と、ひたひたになるくらいの醤油、好みでお酒を入れて半年待つだけ!
良い風味の、まろやかな醤油ができ上がるはず。今から楽しみです。

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