カテゴリー:「えしん先生の禅語教室」


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8月15日のブログアクセス


140828.jpgおはようございます。

8月15日のブログへのアクセスがいつもの3倍ほどありました。
「ん?!お盆に何が起こった?どなたか老師がテレビにでも出演されたかしら?!」などと思いアクセスを解析してみると、「初発心時、便成正覚」という禅語をお調べになり、我らが研究所のブログにおこしになられた方がほとんど。

調べてみますと、どうやらテレビ朝日さんの、「世界の村で発見!こんなところに日本人」という番組で、バングラデシュに布教目的で渡った日本人僧侶が、村の貧困にあえぐ人々を助け、自立を促す活動をなさっており、彼が支えとする言葉がこの「初発心時、便成正覚」だったようです。
それで皆さん検索なさったのですね。

再度ご紹介しておきましょう。弊所・所長のカテゴリ、「えしん先生の禅語教室」にあります、初発心時、便成正覚です。ご一読くださいませ。

*写真は本文とは関係ありませんが・・・。今年の夏に訪れましたラオスで求めた魚籠に、灸草を生けてみました。ラオスのお寺、お坊さんの事など、またご紹介してゆきたいと思います。

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所長よりの年賀状

 

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皆さん明けましておめでとうございます。

昨年は何かと多難な年でしたが、人々がこぞって大晦日の鐘を聴き、一年の間に溜まった煩悩をすっかり洗い去られたことでしょう。そしてまたお互いに、こうして清々しい気分で新しい歳の出発点に立ちえたことは、まことに貴重な気分刷新の機会ですね。できれば毎日毎日がこのように、「吐故納新」(古いものは吐き捨てて新しいを入れる)の連続であって欲しいものです。

今歳の干支「甲午」(きのえうま)に因んだ禅語を探していましたら、「木馬金梯に上る」(もくばきんていにのぼる)というのがありました。
木で作った馬が、金の梯子を駆け登るということでしょうが、そんなことあり得ないですね。回転木馬のように電気仕掛けでグルグル回るというのなら分かりますが、この木馬はスウェーデンのお土産に貰うような木で作った飾りの馬ですから、動くわけがないのです。
それがこともあろうに、金の梯子を駆け登るというのですからあり得ない話です。金の梯子というのが面白いですね。これが木の梯子だったらまだしも木馬との連想は可能ですが、木と金ではあまりにも異質ですし、だいいち金の梯子などどこにもありません。
よく知られている禅語に「東山、水上を行く」とあるのも同じこと。東山が鴨川を渡るというようなイメージですが、これもまた何のことやらさっぱり見当が付きません。 禅語にはこのように、常識を突破した語がいっぱいあります。

このような禅語を特に、「本分の機語」と言います。本分は悟りの世界で、われわれ凡俗の住む世界ではありません。もちろん禅者といえども、われわれと同じ日常生活を送っています。しかし、かれらは日常生活の底を流れる、もう一つの世界を知っているのです。そして皆にもそういう世界に気づかせてやりたいという慈悲心から、このようにとんでもない言葉をぶっつけてくるのです。

そうです、このような本分の機語はわれわれを焦げ付いた常識から開放しようとする禅者の鉄鎚なのです。固定観念に囚われて窮屈に暮らしているわれわれ凡人の常識を粉砕してやろうというわけです。意味を理解しようとしたら、また新たな鉄槌が下るでしょう。

お正月早々からびっくりするような話になりましたが、少しでも旧年のマンネリズムから脱出するヒントになれば幸いです。今年もまた研究所のホームページをお楽しみくだされば幸いです。

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NHKラジオ「宗教の時間」にて




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お知らせです。
NHKラジオ第2放送の宗教の時間で、明日4月8日から毎月第2日曜の朝8:30~9:00、再放送第3日曜の夕方18:30~19:00に、禅文化研究所所長・西村惠信が「夢窓国師の『夢中問答を読む』」を一年間にわたって放送します。
ご興味のある方はお聞きいただければ幸いです。
テキストは全国の書店にて発売中です。

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「大拙を識る」連続講座(金沢市・鈴木大拙館主催)




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先般のブログ記事にもありました金沢市の鈴木大拙館では、開館記念「大拙を識る」連続講座として、禅文化研究所西村惠信所長による3度にわたる講演「鈴木大拙の原風景」が催されます。
会場は大拙館近くの金沢歌劇座(第3・4会議室)で、定員70名につき往復ハガキでの申し込みが必要で、多数の場合には抽選となるようです。受講料は3回分で1500円。
申し込みについて詳しくはこちらをご覧ください。


関連書籍:『相貌と風貌』(禅文化研究所発行)

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『茶道雑誌』(河原書店刊) -所長による連載-




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河原書店さん発刊の『茶道雑誌』に、弊所の所長、西村惠信による、-白隠禅師「坐禅和讃」を読む-の連載が2月号より始まっています。

茶の湯を学ぶ事によって禅に関心を持つようになった私からすると、茶と禅とは切っても切れない関係でありながら、一般の茶道を嗜む人と禅の世界の間に隔たりを感じずにはいられませんでした。

そんな中、表千家でお稽古をされる多くの方が講読されているであろう『茶道雑誌』に、所長の連載が始まった事を個人的にもとても嬉しく思います。
読みやすいエッセイですが、文中の至る箇所に仏教の、とりわけ禅のエッセンスがちりばめられています。白隠禅師の「坐禅和讃」の中には、短い中にも我々が日々生きる為に大切にしたい心構えの真実が説かれています。
是非ご一読いただければと思います。

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『七十を過ぎてわかったこと』




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先般も御案内しましたが、禅文化研究所所長 西村惠信先生がNHK教育テレビの「こころの時代」に出演しました。
1時間びっちりと、自身の人生観「“人生で一番若い日”を生きる」ということについて話されました。身近にいるものでも今まで聞いたことがなかった話もあり、とてもいい番組に仕上がっていたと思いました。
そういったことも含めて、本人が今の年齢になってわかってきたことがあるといい、著されたのがこの『七十を過ぎてわかったこと -続々・三余居窓話-』(平成22年7月発行)です。この本、図書館選定図書に選ばれています。
今回の収録も、この書籍をベースにして、西橋正泰アナウンサーから質問をされていますので、番組をご覧になって先生に興味を持たれた方にはお薦めの一書です。
先日の放送を、朝早くて見逃してしまったという方、もう一度見たいという方、下記の時間に再放送がありますので、どうぞご覧ください。

再放送:平成22年11月22日(月) 午後2~3時(NHK教育テレビ)


弊所より発売中の著作一覧
七十を過ぎてわかったこと
禅語に学ぶ 生き方。死に方。
十牛図 -もうひとつの読み方-
臨済録をめぐる断章 ―自己確立の方法―
無門関プロムナード
禅坊主の後ろ髪

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惠信所長が「こころの時代」に出演




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このところ、雑誌記事に掲載されることが続いている西村惠信所長が、下記のとおり、NHK教育テレビの「こころの時代」に出演します。
今年4月に放映された「歴史ヒストリア」に出演では、出演時間がとても短くて、なんともあっけなく、本人の弁でもがっかりしたとのことでしたが、今回は1時間たっぷり、自身の人生観「“人生で一番若い日”を生きる」と題して西橋正泰アナウンサーを相手に語られます。
ご覧いただければ幸いです。


放送日:平成22年11月14日(日) 午前5~6時(NHK教育テレビ)
再放送:平成22年11月14日(日) 正午~1時(NHKデジタル教育3)
または、平成22年11月22日(月) 午後2~3時(NHK教育テレビ)

弊所より発行した著作一覧
七十を過ぎてわかったこと
禅語に学ぶ 生き方。死に方。
十牛図 -もうひとつの読み方-
臨済録をめぐる断章 ―自己確立の方法―
無門関プロムナード
禅坊主の後ろ髪

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-平常心是道- えしん先生の禅語教室 その15




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-平常心是道(へいじょうしんこれどう)-

今回も馬祖道一禅師の語録から、一般的によく知られている語を採り上げてみました。馬祖の唱えた禅は、自分で「雑貨舗」と読んでいるほど、実に生活に密着した生き生きとしたものです。『馬祖の語録』(禅文化研究所刊・絶版)を読むと、後に臨済が出てきて言いそうなことは、もう既に馬祖が先取りしていると言っていいほどです。

「平常心是道」という禅語は、馬祖が弟子の問いに対して答えた語ではありません。馬祖がある日、廊下の辺りで、その場にいる門人たちに説いて聴かせた、いわゆる「示衆」の中に出てくる語として記録されています。その部分を訳すと次のようになります。

仏道というものは、わざわざ坐禅修行して手に入れるものではない。ただ汚染されなければいいのだ。では何を「汚染」と言うのかというと、生死ということが気になってわざわざ修行したり、何か生死を脱出したいというような目的を持ったりすること、それが汚染というものだ。もしズバリと仏道を手に入れたいと思うなら簡単、「平常心」つまり平常な心でいること、それが「仏道」なのだ。

では、「平常心」とはどういうものであるか。それは、わざわざ修行などしないこと。これは善いこと、これは悪いことなどという価値判断も要らぬ。取捨選択というような選り好みもしない。この世界にはいつまでも無くならないような永遠な実体があるとか、もともと何にも無いんだとかいうような固定観念を持たない。また、これは凡人の見方だとか、聖者の見方とかいうものを持たないことを言うのである。

まあ、この場に於ける馬祖の示衆はざっとこういう内容なのです。私たちは日常生活に於いても常に是非、善悪、美醜というように、物を二つに分けて相対的に価値判断します。実際、そういう分別が無いと、日常生活はできません。そして私たちは、そういう分別をすることによって、無用な神経をすり減らしつつ、生活しているわけです。

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-即心即仏- えしん先生の禅語教室 その14




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-即心即仏-
そくしんそくぶつ

前回二月に、馬祖道一の「平常心是道」の話をしてから、この教室をしばらく中断して、別に『禅語に学ぶ、生き方死に方』(禅文化研究所刊)という、美しい写真をいっぱい入れた本を書いていました。
今月の中頃(2010.07)には、店頭に並ぶ筈ですから見てください。さて、元に戻って私たちの禅語教室を再開しましょう。

馬祖の有名な語に、もう一つ「即心即仏」というのがあります。この頃の人は余り書きませんが、昔の禅僧はこの語をよく揮毫しています。この前の「平常心是道」もそうですが、禅は「仏心宗」と言うだけあって、心とは何かがいつも問題になるのですね。禅宗は仏教の一派ですから、他宗とは違って仏様は二の次。先ずはしっかりと我が心をつかみ取らなければならないのです。

我が心と言っても、デカルトが「われ思う、故に我あり」と言ったような、自我の本質というような心ではありません。禅僧の求める心は「仏の心」です。実際「経典」にも仏の心は自分の中にあるのではなく、世界中に充満していると説いてあります。「へー心は自分のうちにあると思っていたのに、自分の外にあるなんて」と、皆さんはきっと驚かれるでしょうね。

しかしよく考えてみると、心などというものは自分の中のどこを探してみても、見当たりそうもありません。ところが心なんかないと言っても、美しい花を見たりすると「なんという美しさだろう」と感動しますし、恋しい人と別れると悲しくて、胸をかきむしられるような思いになります。好きなもの出会うと喜び、嫌いなものと出会うと嫌悪を感じるというように、喜怒哀楽、心とは千変万化ですね。これはいったいどういうことでしょうか。

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-平常心是道- えしん先生の禅語教室 その13




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-平常心是道-
へいじょうしんこれどう


この語も前回と同じく、『馬祖録』(ばそろく)の「示衆」(じしゅう)という部分に出ています。馬祖道一禅師の説いた禅は昔から、特に「日常禅」として親しまれています。今日の臨済禅はその直系ですから、じっさいには臨済よりも三代前の馬祖が、すでに平常禅を説いていたのです。

その点で馬祖の説いた禅には、それまでに例のないオリジナリティがあります。彼の説き方があまりにも自由であったために、時の人から「雑貨舗」(何でも屋)と揶揄されたほどですが、馬祖の禅は、それほど人々にとって卑近なものであったのでしょう。

さて、今回採りあげた「平常心是道」こそは、そういう馬祖禅の本質を、まさに丸出しにしたような一句ですね。「平常の心」こそが「道」(どう)だというのですが、言うまでもなく「道」とは仏道のことであり、真実な生き方という意味です。

人間にとって「理想的な生き方」というものは、決して遠い山の彼方に求め得るものではなく、即今只今、われわれ一人ひとりの生きざまにある。もしそういう理想的な心を、日常生活の中ではたらかせるような人が在るならば、その人こそ「達道の人」(そういう理想的な道に到達した人)だと言うのです。

それでは馬祖は、どういう生き方を「平常心」と呼んでいるのでしょうか。まあ、「日常の心」と聞けば、誰でもすぐに分かったような気になりますが、ことはそんなに簡単ではないようです。簡単に実行できるなら、修行などしなくてもよいわけですから。「宝処近きにあり」と言いますが、幸せと同じで、身近かなものほど、気が付きにくいものですね。

『馬祖録』(原漢文)のその箇所は、次のような文脈です。

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恭賀新禧  -2010年 元旦-




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画 西村惠信


明けましておめでとうございます。
今年も当研究所の発展に、倍旧のご協力とご支援を頂きますよう、スタッフ一同に代わってお願い申し上げます。

さて、禅語に「虎は是れ山獣の君」というのがあります。虎こそは獣の中の筆頭だ、ということでしょう。中国で禅宗の盛んであった唐の時代、禅僧たちは深山幽谷に入って修行生活を送っていました。そこでは彼らの周りに、いつも虎たちが集まってきて寝そべっていたと伝えられています。

禅僧たちはやがて、自分たちの間で禅機(悟りから出るはたらき)の優れた人を「大蟲」(だいちゅう)と呼んで畏れるようになりましたが、大蟲とは他ならぬ「虎」のことであったのです。このように虎と禅僧たちは、お互いに親しく共生していたのでした。

その頃、仰山慧寂(きょうざん・えじゃく)という人が、南泉普願(なんせん・ふがん)の弟子である長沙景岑(ちょうさ・けいしん)に向かって、「あなたは禅僧としてどんなはたらきを示されるか」と言いますと、長沙は何も言わずに飛びかかってきました。仰山が驚いて、「あなたはまるで大蟲のようだ」と言ったことから、時の人は長沙景岑のことを「岑大蟲」(しんだいちゅう)と呼ぶようになった、と『伝灯録』などに記されています。

今年はその寅の年ですから、まさに禅宗の当たり年。現代のような混迷の時代にこそ、猛虎のようなはたらきを持つ指導者が一日も早く現われて欲しいものですね。禅語に、「虎は嘯く五更の前」というのがあります。虎は決まって夜明け前に吼えるらしいのです。今年の元朝にはひとつお互いに、この濁世を震撼させるような猛虎の一声に、耳を傾けようではありませんか。

禅文化研究所 所長 西村惠信

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-如日出時、不合於暗、智慧日出、不与煩悩暗倶- えしん先生の禅語教室 その12




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-如日出時、不合於暗、智慧日出、不与煩悩暗倶-
日の出ずる時、暗に合せざる如く、智慧の日出ずれば、煩悩の闇と倶ならず

南岳懐讓の法を嗣いだ馬祖道一(ばそ どういつ/709~788)禅師の言葉です。朝、東の空から太陽が上がると、昨夜から地上を覆っていた闇が一掃されて、世界はいっぺんに明るくなります。その時、夜来の暗はどこかへ消えてしまっています。

暗い部屋を明るくしようとするとき、部屋から闇を追い出してから、明かりをつける必要のないようなものですね。明かりをつけるだけで、一瞬に闇はなくなるのですから。

私は毎朝、愛犬を連れて田んぼ道を散歩するのを、この頃の楽しみにしています。殊によく晴れた日など、真紅のでっかい太陽が、東の山の端から顔を出したかと思うと、見る見るうちに全体を露現していき、あっという間に山際を離れていくのは盛観ですね。あの、ほんの五分ばかりの、暗から明への転換のひととき、これほど素晴らしいものはないと思えるほどです。

秘書の岡村さんから聞いた話ですが、鈴木大拙博士はよく、顔を洗っておられるとき、東の空から昇る朝日を見ると、「美穂子さん、見てごらん、いま如来さまがお出ましじゃ」と言って拝まれたそうです。私も歳のせいか、日の出にめぐり会うと、歩みを止めて東の方に向かい、この世界に光と熱を与えてくださる太陽に、「有り難うございます」と心から感謝の合掌をさせて貰っています。

太陽の昇ったあと、まだ西の方に暗が残っていて、たとえしばらくの間でも、明るさと暗さが同居する、ということはないわけです。ですから馬祖和尚の語も、「日が出ると、もはや暗と出会うことはない」と言われているのです。暗か明かのどちらかで、二つが両立することはない、ということです。

馬祖和尚はそういう例を挙げておいて、迷いと悟りの関係を説かれたのです。ちょうど朝日の明るさと夜の暗さが両立しないように、悟りの智慧が開けると同時に、迷いの闇は消えて無くなってしまう、というのです。

われわれも時々、まだ半分しか悟っていませんなどと言いますが、そんなのは悟りと言えないようですね。悟るなら悟るで、もはや一片の迷いの雲もなしとならなければならないのです。

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-生死事大、無常迅速- えしん先生の禅語教室 その11




板(はん)

-生死事大、無常迅速 しょうじじだい むじょうじんそく-

禅寺の玄関に、「板」(はん)という、客が打って来訪を知らせる四角い木板が掛かっているのを見たことがありませんか。ほんらいこの縦横50センチの分厚い板は、禅の専門道場の坐禅堂に懸けられていて、雲水(修行者)たちに一日に三度、時間を知らせる道具です。そういえば「道具」という語は、「仏道修行の用具」という意味の仏教語なのですが。

禅宗の本山を訪れると、とつぜん辺りの静寂を破って、この板を三度繰返し連打する音が聞こえてくることがあります。朝は薄明のなかに立って掌のひらの線があらわれる頃、夕方はこの線が消えて見えなくなっていく頃、そしてもう一度は夜の九時と、三回にわたって修行者たちに時を告げているのです。

ところで、この「板」には必ず、「生死事大、無常迅速、時不待人、謹勿放逸」と書いてあります。「しょうじじだい、むじょうじんそく、とき、ひとをまたず、つつしんで、ほういつなるなかれ」と読むのです。「生死事大」という語は、敦煌本『六祖壇経』に、すでに五祖弘忍大師の語として、「吾は汝に向かって説かん、世人は生死事大と」と出ています。

人間にとって生と死は、人生上の重大な課題であるということです。五祖は八世紀前半の人ですから、なんと古い言葉じゃありませんか。それが今でも使われているのですから、まさに人間存在にとって生死は永遠の課題というべきです。

六祖慧能の法を嗣いだ弟子の一人に永嘉玄覚(ようか・げんかく/?~713)という人があります。彼は初めて六祖に見(まみ)えたとき、錫杖を持ったまま六祖の坐っている椅子の周りを三度回ったあと、初めて六祖の前に立ちました。六祖が「沙門はもっと威儀を慎むものだ」とたしなめると彼は、「生死事大、無常迅速」と答えたのです。(『祖堂集』巻三、一宿覚和尚章)。

玄覚にとっては、禅の修行者はそんな礼儀作法よりも、生死の問題こそ一日も早く解決しなければならない問題なんだ、と言わぬばかりの勢いですね。

六祖は沙門に生死などあり得ないとか、時間に遅速など無いんだとか言ってきかせますが、玄覚はなかなか負けていません。
ひとわたりの問答をすると、彼はただちに六祖の道場を去ろうとしました。どうしてそんなに急ぐのかと六祖に引き止められ、
一晩だけ止宿すると翌朝、「六祖に出会ったお蔭で、もはや生死が問題でなくなったわい」と言って山を降りていきました。
これによって彼は、人々から「一宿覚」と呼ばれるようになったのでした。
さて、「板」に書いてある、「生死事大、無常迅速、時不待人、謹勿放逸」ですが、「己事究明」(自己とは何かの追求)を本命とする禅僧にとって、この自分がいかに生き、いかに死んで行くかは、まさに喫緊の課題でなければなりません。これを解決しなければ、わざわざ頭を剃って禅僧となった意味がないのですから。

ところが一方で、仏陀が「諸行無常」と説いているように、時間というものは遠慮なしにどんどんと過ぎていきます。うっかり暮らしていると、真実の自己に出会わないままに、すぐに死を迎えてしまうことになり、何ともしゃんとしない人生で終ってしまうことになります。まさに「時、人を待たず」です。

そうなると禅の修行者は、ひとときも悠長な時を過ごすことはできないでしょう。だから「謹んで放逸なること勿れ」と、古人は誡めているのです。道場で朝晩「板」を打つのは、これを聞く修行者に、常に時の無常を喚起させるためでありましょう。

禅の修行者に限りません。私たちもまたうっかりすると、時間の経つのを忘れがちですね。フランスの作家ジャン・コクトーに、「人生は水平方向に落ちていくことである」という恐ろしい言葉があるそうです(晴山陽一『すごい言葉』)。よほどしっかり前方を見つめて生きないと、死に向かって進んでいることを忘れてしまうのですね。

西村惠信

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-南岳磨甎- えしん先生の禅語教室 その10




秋ですね

-南岳磨甎(なんがくません)-

世間の夏休みに倣って、私の禅語教室もしばらくお休みを頂きましたが、ようやく思索の季節を迎えましたので、また始めることにします。

前回には、六祖慧能に参じた南岳が、「説似一物即不中」と答えて六祖に認められた話をしましたが、今度はその南岳が立派な禅の師匠となって、後に自分の法を嗣ぐことになる馬祖道一(ばそ どういつ、709~788)に、はじめて出会った時の「南岳磨甎(なんがくません)」ということばについて話してみましょう。「甎」(せん)という字は瓦の旧字。つまり南岳懐譲和尚が瓦を磨いたという意味の、よく知られた禅語ですから憶えてください。

中国では開元と言われる年頃、道一という沙門(お坊さん)が、伝法院に住んでいました。彼は朝から晩まで、坐禅ばかりしていました。南岳和尚がこれを聞いて、この男は見込みがあると見ると伝法院へ出かけていきました。案の定、道一は眼を瞑って頑張って坐禅をしています。これを見ると南岳が、「お前さんは何の目的で、そんなに力んで坐禅ばかりしておられるんじゃな」と聞きますと道一は、「何とかして仏になりたい一心で」と答えました。すると南岳は、どこからか一枚の瓦を持ってきて、庵の前の岩の上でそれを、ゴシゴシと磨き始めたのです。

道一が驚いて、「老師はそんなことをして、何になさいますか」と聞くと、「鏡を作ろうと思ってな」との答え。「瓦を磨いても、鏡にはなりますまい」と言うと、「坐禅しても仏にはなれるまい」。「それじゃ、どうすればよろしいのですか」と問い返すと、「人が駕(馬車)に乗って行くとき、車が止まったら車を打つがよいか、牛を打つがよいか」。道一はグッと詰まってしまったのでした。

南岳は続けて次のように言われたのです。「お前さんはそして坐禅を学び、坐仏を学びたいのであろう。しかし、もし坐禅を学びたいのなら、禅というものはそんな格好の上にはないのだ。また坐仏を学びたいというのなら、仏さんはそんなにじっと坐ってばかりいるものではない。無住法(決まった形のない仕方)において、取捨してはならぬ(わざとらしくないのがいい)のだ。お前のように格好ばかり仏さんでは、かえって仏を殺すことになる。また坐禅の姿にばかりに執著していると、とうてい真理には到ることはできまい」。これを聞くと道一は醍醐(美味しいもの)を飲むような思いがしたという。
(『伝灯録』南岳懐譲の章)

南岳は六祖慧能の教えを受けて、インドいらいの「如来清浄禅」から、日常生活の中でのはたらきを重視する禅、つまり般若の智慧を重視する「祖師禅」を行じていました。
六祖から始まった頓悟頓修を本質とする新しい禅思想の特色は、このように悟りを得るための坐禅から脱皮した点にあります。もちろんこれは坐禅とは何かという本質論であって、坐禅を否定したということではありません。坐禅という形に囚われない禅ということです。
現在の日本の禅で、このように坐禅と智慧の一致(定慧不二)を実践しているのは曹洞宗の「黙照禅」です。反対に臨済禅では、特に白隠禅師いらい悟りを得るための厳しい坐禅を実践しています。この違いについては、後に詳しく説明することにしましょう。

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-説似一物即不中- えしん先生の禅語教室 その9

惠信先生の禅語教室


-説似一物即不中 せつじいちもつ、そくふちゅう-

今回の禅語は南岳懐讓(なんがくえじょう)が、六祖慧能を訪ねて行ったとき、南岳が六祖に向かって吐いた、有名な一句です。

南岳ははじめ嵩山(すうざん)の安和尚について禅門を敲き、坐禅に勤しんで禅僧としての見識を身につけてから、天下に聞こえた曹谿の六祖慧能大師を訪ねて来たのです。六祖は南岳の顔を見るや、「お前さんはどこからやってきなさったのか」と訊ねました。「はい、嵩山からやってきました。」

嵩山はインドからやってきたダルマが、九年間坐り続けたあの拳法で有名な「少林寺」です。嵩山からやって来たということは、南岳にとっては一種の矜恃だったでしょう。しかし六祖は必ずしもそのような道場の場所を尋ねたのではないでしょう。禅問答はそんな単純なものではないのです。日常的な挨拶の中に毒矢が籠められているのです。

それはちょうど、『維摩経』菩薩品に出てくる次の話と同じでしょう。昔インドで、光厳童子という仏弟子が、路上で維摩居士に出会い、「どちらからお出でになりましたか」と聞くと、維摩が「道場から来た」と言われた。「道場とはどこですか」と尋ねると維摩が、「直心是れ道場」と答えられたという、あの話です。自分が自分にピタリと「直接」していることこそ「道場」だというのです。

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-本来無一物- えしん先生の禅語教室 その8



雨に濡れる金糸梅


-本来無一物-

今回は床の間によく掛かっている、「本来無一物」という禅語についての勉強です。これは達磨大師から六番目に当たる祖師、六祖慧能(えのう)大師が述べられた言葉です。慧能の語録である『六祖壇経』(ろくそだんきょう)は、禅僧の語録でありながら、「経」と名づけられたほど、その取り扱われ方は破格だったことが分かります。

『壇経』はお授戒の時に慧能大師が戒壇の上から説かれた説法の記録だという形をとっています。しかし、この語録は実際には慧能の弟子の荷沢神会(かたくじんね)という人が、先生の慧能こそは禅宗の正系第六祖であると主張するために、意図的に編集した書物だとされています。

ですから慧能の人柄や思想を、なるべく北宗の代表的禅者である神秀(じんしゅう)のそれと際だって対立するように書いてあるのです。特に慧能の思想的特色は、「頓修頓悟(とんしゅうとんご)」にあるのだと強く主張しています。

五祖弘忍大師の一番弟子であった神秀は、実際に洛陽や長安といった中央で、「両京の帝師」として仰がれた立派な禅僧でした。しかし慧能の法をついだ神会などの勢いが強くて、その法が平安時代には日本にまで伝わりながら、後が続かなかったのです。

他方、中国大陸の南の方で盛んになった慧能の「南宗禅」は、神秀の「北宗漸悟」に対して「南宗頓悟」の禅と呼ばれて、唐宋の時代に中国全土に広がって発展し、宋時代に中国から受け継いだ日本の禅宗は、すべてその法を受け継いでいるわけです。

さてそういう意図で編集された『六祖壇経』のなかに、五祖門下の高足で、学問にも秀でていた神秀上座(じんしゅうじょうざ)の偈(うた)と、米搗き所で米を撞いていた、まだ行者(あんじゃ・剃髪得度しないお寺の小間使い)であった廬行者(ろあんじゃ)の頌とが並べてあります。

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-応無所住、而生其心- えしん先生の禅語教室 その7



三室戸寺のあじさい


-応無所住、而生其心 おうむしょじゅう にしょうごしん-

今回は、禅宗が大事にしている『金剛経』の中の、「応無所住而生其心」という一句について勉強しましょう。難しい漢字の行列ですが、「応(まさ)に住(じゅう)する所無くして、而(しか)も其の心を生ずべし」と読みくだします。

達磨はインドから『四巻楞伽経』を伝えたと言われるところから、初め禅宗は「楞伽(りょうが)宗」と呼ばれたのですが、六祖慧能(えのう)の時から、『楞伽経』に代わって『金剛経』が重視されるようになります。つまり中国禅宗は六祖のとき、インド以来の「坐禅中心主義」から脱皮して、中国独特の「智慧第一主義」としてインドの静寂主義から独立したのです。『金剛経』は文字通り、ダイアモンドのように固くて燦然と光る「般若の智慧」を説いた、般若経典群中の白眉であり、臨済宗では現在でもこれを日常的に読誦しています。

法事の席である和尚さんが、この御経文の意味を説かれますと、聴いていたお婆さんが、「いままで大麦小麦二升五合」と覚えて有り難がっていたのに、和尚さんの説明を聴いたらさっぱり有り難くなくなりましたと言われた話を、子供の頃に聞いたことがあります。お経というものは余りあれこれ詮索せず、一心に読誦するほうが看経の功徳があるという話なんですね。

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-至道無難、唯嫌揀択- えしん先生の禅語教室 その6




睡蓮の花

-至道無難、唯嫌揀択 しどうぶなん、ゆいけんけんじゃく-

初祖達磨大師から数えて三代目の祖師に、「三祖僧粲(そうさん)大師」と仰がれる方がおられます。この人が撰したという『信心銘』は四言対、一四六句の銘文で、禅門では「禅宗四部録」の一つとして大切にされてきたのです。

『禅宗四部録』という書物は、頭を剃って法衣を身につけ、禅寺の小僧になったものが携行して学ぶ、禅入門の基本典籍で、「信心銘」、「証道歌」、「十牛図」、「坐禅儀」を合わせて一本としたものです。『四部録』の提唱本や講義録は今日、どこの本屋さんにも並んでいますから、皆さんも手にとって見てください。私もいま禅文化研究所で、一般市民の人を対象に、毎週火曜日の三時から五時まで、「信心銘研究会」を開いています。関心のある方はどうぞご参加を。

さて『信心銘』を作った僧粲は、五世紀から六世紀初頭(六〇六年沒)に生きた人ですから、『信心銘』は達磨からまだ百年しか経っていない禅宗初期の語録です。したがってその語句にもまだ禅語らしいものは一つも出てきません。使われている語句は、日常使うような普通名詞ばかりであり、その内容も終始一貫して「信と心は二つではない」ということを、繰返し述べるだけで、現在のように煩瑣な論の展開とか、狐につままれたような禅問答というものはありません。実に素朴かつ端的に禅の根本を説いたものです。

「信心」とは読んで字のごとく、「心を信じる」ということです。仏教では「心」のことを特に「仏心」と呼びます。しかも私達は、そういう自分に生得的な仏心を信じる働きもあわせ持っています。それを信じる心としますと、そういう能動的な心と、それによって信じられる受動的な心とは一つのもの、つまり「信心不二、不二信心」というのが、『信心銘』全体を貫いているモチーフです。

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-初発心時、便成正覚- えしん先生の禅語教室 その5



新しい環境はどうですか?

-初発心時、便成正覚 しょほっしんじ、べんじょうしょうがく-

「発心」というのは「発菩提心」(ほつぼだいしん)の略で、仏道を修行して悟りの彼岸へ渡りたいという願心を持つことです。今日の禅語「初め心を発する時、便ち正覚を成ず」は、『華厳経』に出てくる言葉で、仏教一般に通じるものであって、特に禅宗だけのものではありません。

しかし禅の専門道場に入門しますと、修行を始める者の心構えとして、真っ先にこの言葉が与えられるのが習いです。とにかくこれから修行しようとするものは、さあやるぞという主体的な心構えがいちばん大切であって、そういう意欲がないものは、いくら道場へ入門してみても、生活に馴れてくると共同生活の要領ばかりが良くなり、自分の修行はさっぱり進まないので、その点について最初にしっかり釘を刺されるわけです。

四月になって全国津々浦々で、入学式や入社式が行われたことでしょう。そして皆さんは今までとすっかり違う環境のなかで、毎日を新鮮な気分で過ごしておられることでしょう。しかしそんなうれしい日は束の間のことで、半月もすれば環境に馴れて、当初のフレッシュな気分も弛んで、生活がマンネリ化してしまうことでしょう。

たとえば新しく大学生となった場合でも、入学式の日に会場に坐っている人の姿はみんな同じです。しかしこれからしっかり専門の知識を身に付けて、卒業の暁には立派な職業人として人生を送るのだ、という目的意識と意欲がしっかりしている人と、動機性が曖昧なままそこに坐っている人とでは、もうはっきりと大学生活の成果が決定されてしまっているのですね。

要するにどんなことでも、自分にやる気がなければ何一つ成功しないということで、あまりにも分かりきった話ですが、どうやら動機曖昧が今の若い人の傾向のようですね。

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-不識- えしん先生の禅語教室 その4

達磨図
霊源慧桃 達磨画賛
禅文化研究所蔵

『伝灯録』などによると、菩提達磨はインドから中国へやってきたとき、金陵の都で梁の武帝に会見したことが伝えられています。武帝という皇帝は日本の聖徳太子のように、外来の仏教を熱心に受け入れようとした人で、時の人々から「仏心天子」と仰がれていたのです。当然、彼はインドからやってきた達磨という「碧巌の胡僧」(青い眼をした外国の僧)に深い関心を抱かれたのでしょう。

聞けば達磨という不思議な人物は、他の訳経僧たちと違って、漢訳した仏教経典の一つも持たず、手ぶらを振って中国にやってきて、「自分の仏教は文字に依らず、経典には書いていないことを伝えるのだ。そして人の心とは何であるかを問題にすることで人間の本性をつかみ取り、みんなを仏にさせるのだ」(不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏)と言いふらしている。そういう男にぜひ会ってみたいものだと思われたのでしょう。

武帝が、「私は即位いらい寺を建てたり、写経を勧めたり、坊さんを供養したりしてきたが、どういう功徳があるだろうか」と尋ねると、達磨は「無功徳」(何のメリットもありますまい)と言うのです。「仏教の教えるもっとも聖なるものは何か」と問われると、「廓然無聖」(カラッとしたもので、聖なんていうものなどではありません)との答え。

そこで武帝があきれ返って、「いったいお前さんは誰じゃ」と言われると、達磨は「不識」(知りません)と答えたのです。まるで人を喰ったような答えばかりで、武帝は何のことだかさっぱりつかみ所がなかったのですが、伝記の記者はそういう仕方で、達磨の禅宗が初めから他の仏教と一線を画していた、と言いたかったようです。

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-祖師西来意・そしせいらいい- えしん先生の禅語教室 その3




卓州胡僊 蘆葉の達磨画賛(禅文化研究所蔵)

-卓州胡僊 蘆葉の達磨画賛-

その他禅文化研究所 所蔵墨蹟はこちら

一般に「祖師」と言うと、禅宗の法灯を伝えた歴代の祖師のことですが、ここではインドから中国へやってきた「菩提達磨」(ぼだいだるま、達摩とも書く)個人を指しています。そう、選挙の時などに担がれるあの朱達磨こそ、六世紀に中国で禅宗を開いた人なのです。

手も脚も衣に包んで、九年のあいだ少林寺の洞窟でじっと坐り続けた達磨さんは、いくら押し倒しても七転八起する「不倒翁」です。なぜなら達磨さんは、外から加えられた力ではなく、自身の肚(はら)のなかから湧き出るセルフパワーを具えているのです。いわゆる自力ですね。また人の心胆を見抜いてしまうようなあの鋭い眼光は、悟りの智慧のはたらきを示したものでしょう。

達磨の図を見ますと、蘆の葉に乗って暗夜に揚子江を渡る「蘆葉(ろよう)の達磨」とか、毒殺されて熊耳山(ゆうじざん)に葬られてから蘇り、沓(くつ)を片方だけ持ってインドに帰って行く「隻履(せきり)の達磨」など、キリスト顔負けの奇跡を見せた人として描かれています。これらはすべてフィクションです。
しかし実際に達磨という人が存在したかどうか、歴史的な証拠は何もありません。ただ敦煌(とんこう)から発見された『洛陽伽藍記』永寧寺の条に、菩提達磨という百五十歳のペルシャ僧が登場してきます。それが禅宗の初祖に祭り上げられたらしいのです。

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-梅は寒苦に耐えて咲く- えしん先生の禅語教室 その2

寒苦に耐えて咲く

季節柄もう一つ、「梅」の話をしておきましょう。
禅僧はあまり普通の花を描いたりしませんが、蘭・菊・梅・竹などはよく描いています。これらは「四君子」として尊ばれるだけに、いずれも高い気品を備えているものばかり。
ここでは梅の木を採りあげましょう。

梅の木は、春未だしという季節に「寒苦に耐えて」、雪中に早々と蕾を膨らませます。寒さの苦しみに耐えた結果として、他のどんな花よりも早く春を伝える梅の姿を見て、禅僧たちは「苦しい修行」があったればこそ咲く「悟りの花」の美しさを思い、梅を好むのです。
たとえば徳川時代の白隠慧鶴(はくいん・えかく/1685~1768)は、その著『毒語心経(どくごしんぎょう)』(是無等等呪の項)の中で、梅の徳を讃えて次のように頌(うた)っています。

旧年寒苦梅。得雨一時開。
疎影月移去。暗香風送来。
昨是埋雪樹。今復帶花枝。
喫困寒多少。可貴百卉魁

旧年寒苦の梅、雨を得て一時に開く。
疎影月移り去り、暗香風送り来たる。
昨は是れ雪に埋む樹、今はまた花を帯びる枝。
困寒を喫すること多少ぞ、貴ぶべし百卉(き)の魁(さきがけ)。

年末には寒さに耐えていた梅が、今日の雨で一時に花を開いた。
月とともにまばらな梅の木の影が移り動き、風に乗ってどこからともなく好い匂いがしてくる。
昨日は雪に埋もれていたのに、今日はもう花を一杯つけている。
どんなにか寒苦を味わったことか。それが今、百花にさきがけて花開くとは、またなんという貴いことであろう。

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-拈花微笑- えしん先生の禅語教室 その1

白梅
禅寺に咲く白梅

ブログを覗きにくる何人かの人から、禅のことをもっと分かりやすく教えて欲しい、と書いてこられていますので、所長みずから初歩的な禅語を選んで、なるべく易しく説明させて貰おうと、本日より教壇に立ちました。
生徒さんが増えて、教室が一杯になってもそれは構いません。どうぞ遠慮なくどんどんお入りください。そして聞きたいことがあれば、手を挙げて質問してください。

まず今回は、禅宗の根本から始めることにましよう。仏教にはたくさんの宗派があります。その中で禅宗の特色は何ですか、と聞かれるならば、「法の灯」つまり「仏陀の慧命」(悟りの中味)を、心から心へと大事に伝えてきた唯だ一つの宗派です、と答えたいですね。
とにかく禅宗は、お釈迦さまのお悟り(これを特に正覚とか大覚とかいう)を、二千五百年のあいだ、一器の水を一器に移すように丁寧に伝えてきたのです。だから他の諸宗派を「教宗」(何らかの経典を拠り所にして立宗開教されたもの)というのに対して、禅宗では自分のことを「仏心宗」などと呼んでいるのです。

そういう「禅宗特有の伝達方式」の先蹤(せんしょう・先人の事跡)が、今回の「拈花微笑」(ねんげ・みしょう)という話です。

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