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「開館30周年記念展 暦年の茶」-北村美術館-

秋晴れの鴨川

河原町今出川にある北村美術館を訪れました。
2007年9月9日(日)~12月9日(日)まで、「暦年の茶」と題して、開館30周年と宗旦居士350回忌の節目の年を記念するに相応しい道具が展示されています。

こちらでの展示が楽しいのは、待合や、小間での濃茶席、広間での薄茶席など、茶事の進む順番通りに展示がしてある事なのです。自分も茶事に参加しているかのように、「あぁ、この場面でこのお道具かぁ…」と、まるで亭主の心づかいを感じる事ができるようで、勉強にもなります。

今回一番心に残ったのは、宗旦作の花入で、瓢箪を使ったもの。「銘 達磨」です。
まるで一筆達磨のような形をした瓢箪をくりぬき花入れにしたもので、なんともいえないわびの世界を感じます。美術館にあるべき物かもしれませんが、秋の様々な草花を生け、茶会に登場したらどれだけ素晴らしいことでしょう!叶わぬ願いですが、見てみたいものです。

今年は千宗旦の350回忌の年という事もあり、茶道に関係する美術館では、宗旦の特別展が多く見られます。乞食宗旦といわれながらも京の人々に愛され、禅の道にも深く通じた千宗旦という茶人の生き方、人柄、その精神性は、現代を生きる我々の心にも深く感銘を与えるものと思われます。
まさにお釈迦様が涅槃の際に言われた、「法灯明自灯明」を生きられた方です。私も各美術館で、千宗旦という人に触れたい思いでいっぱいです。また足を運びましたらこちらでご報告する事に致します。

*「宗旦の茶と禅」に関しては、11月29日に研究所から出版される、堀内宗心著『歩々清風-科学する茶禅の人-』にも詳しく書かれています。

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出雲の窯元 -出雲-

湯町窯

しばらく間があいてしまったが、出雲行きのつづきにおつき合いいただきたい。 出雲にも名の知れた窯元があり、そのなかの二ケ所に旅のついでに立ち寄ってみた。 一つは温泉として日本最古の歴史を持つ玉造温泉の程近くにある、布志名焼きの窯元「湯町窯」。ガレナ釉を使った食器で有名で、民芸の窯として知られている。 というのは、島根県出身の陶芸家・河井寛次郎、そして柳宗悦やバーナード・リーチといった人達の民芸運動によってもたらされた影響や助言をうけて育ってきた窯だからだ。 展示されているものは民芸調のものが多い。 そのガレナ釉や海鼠釉の陶器の品を自分のお土産に一つ二つ・・・。

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アグラの町にて その2 -インド-

その1に続いて、アグラの町の色々をご紹介。今回は市場なども…。

市場の職人さん?!”

いつから変えていないのだろう・・・と思ってしまう真っ黒な油に、器用に何やらホットケーキの生地のようなものをしぼり出し、お花のような形に。次々と揚げられていきます。

仕立て屋さん

京都の着倒れ・・・どころではないインド女性の着倒れ。今の日本と違い、インド女性のほとんどが毎日サリーやパンジャビドレスなどの民族衣装です。畳こそ敷いてありませんが、京都の昔ながらの呉服屋さんのようです。店の主人の笑顔がたまりません。

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「鍛える」ということ

警策

日々、黙々と坐禅をする友人の研究者が、「規律やしごきで人が悟れるなら、どうしてアウシュヴィッツの囚人たちは悟らなかったのだろう」と言ったことがある。

相撲部屋のしごき騒動が云々されている。激しいぶつかり合いの稽古が禁止されれば力士たちの教育が根本から揺らぐとの声もある。

かつて梅林僧堂で修行をされた加藤耕山老師(1876~1971)が、臘八摂心(12月1日から釈尊成道の12月8日まで僧堂で行なわれる不眠不休の修行)の様子をこう語られている。


梅林寺という所は、ほかの時は別だが臘八だけは思いきって叩きよりますからね。(中略)堂内のほうでは直日(じきじつ、禅堂内での総取り締まりの役)は「独参をせよ、グズグズ坐っておっても何もならん、独参せよ」と。そうすると行くんですな。行くと大庭の所に助警というのが五、六人警策を持って立っている。「何ウロウロしとるか、そんなドイツイことで老師の前に行って何になるか。しっかり坐って来い、禅堂へ行って坐ってこーい」。それでも禅堂へ行くと叱られて追い出されるから、我慢はって行こうとする。ナニクソと、もう暴力ですな。一人や二人ならいいが、四人も五人もおって、なかには柔道何段なんていうやつがおって、しまいには真剣になってやりだすんじゃ。(中略)坐れというのならいくらでも坐っておるんじゃけれども、両方ではさみ打ちする。一方は「行け」というし、一方は「いかん、行くな」とこういう。無理ですわね。それがもう、実に悲惨ですからね。バタバタバタと、まるで戦場とちょっとも違わん。血相を変えてやりますからね。あまりバタバタ、ガタガタやるから、老師が心配さっしゃるです。「えろうゴタつくが、どうも修行はそんなもんじゃないがねえ。あやまちでもできるといかんから、たいがいにするように」と。わたしが古くなってからですが、「老師、心配しなさるな。存外心配なさることはありませんよ」と、なだめよったがな。そりゃそんなふうで、「あんまりこういう時代のことだから、たいがいにしておかないと」と、これをやめた老師があったですよ。そしたらあんた、もうちいっとも気がのらないですよ。沈んじまって、どうもいかんです、……

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親子の坐禅会

親子の坐禅会

毎年この時期に行なわれる地域の交流を深めるための行事に協賛して、その体験活動の一つに、自坊での坐禅会を組み入れてもらっている。
自坊の檀家さんの子供たちではないため、今まで坐禅などには縁のなかった子供たちとその保護者の人達を対象としている。
他の行程もまわるため、お寺ではたった1時間しか時間がない。なかなかじっくりとした坐禅会とはいかないのだが、まずは子供たちに、ふざけてはいけないこと、まじめに取り組むことという雰囲気を与えなければならない。

今年は大人と子供あわせてちょうど40名。まずは靴をきちんとそろえてあがる。靴下を脱いで、座布団の上に正座して、荷物は自分の後ろに整然と並べる。
たったこれだけのことでも、なかなか時間がかかる。
最近の子供たちは、家で正座するなどということは皆無なのではないだろうか。
しかし、お寺という彼らにとっては異種な空気の中で、ちょっと和尚さんにビシッと言われると、案外まじめに対応してくれるようだ。
20分ほどかけて、坐禅の形、呼吸の仕方、呼吸を数えることに集中してみること、などを説明し、引磬と柝の合図で、いよいよ坐禅の開始である。

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霧ヶ峰高原 -信州-

霧ヶ峰高原

美ヶ原高原から白樺湖方面へビーナスラインを走り、ニッコウキスゲなどの高山植物が咲きそろうことで有名な霧ヶ峰高原に訪れた。

私が訪れた時期は花期の終わりごろだったため、一面に咲くニッコウキスゲを観賞することはできなかったものの、広い草原の中で黄色く咲く花はとてもきれいだった。

丘を少し登ると、ころぼっくるひゅってという小さな山小屋(ヒュッテ)がある。昭和31年に作られた山小屋で、車の通る道路もないころから登山者の安全を守るための避難小屋として役目をしてきたそうだ。

春期から終期の間はカフェも営業されており、トレッキングを楽しむ人たちの休憩場所として利用されている。高原の見えるテラスでコーヒーを楽しみながら、冬期の雪に覆われた景色を想像するのもおもしろい。

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「懐石のうつわ展」 -野村美術館-

茶室_天龍寺

南禅寺近くにある野村美術館を訪れました。
いわずもがな、野村財閥を一代で築き上げた得庵(野村徳七氏)のコレクションが収蔵されています。
主に茶道具、そして自らも嗜まれた能に関する所蔵品が数多くあり、春と秋の展示が毎回楽しみな美術館です。

今回は、「懐石のうつわ展」。
前期 平成19年 9月 8日(土)~10月21日(日)
後期 平成19年10月23日(火)~12月 9日(日)

茶の湯をお稽古されている方で、本格的な茶事の経験のある方にはおわかりでしょうが、茶事をするとなると、びっくりするほどの様々な器が必要となります(昔のかなりわびた茶事は、そうでもなかったのかもしれませんが…)。
茶事とは、茶の湯のフルコースのようなもので、お濃茶を美味しくいただく為の懐石に始まり、お濃茶、薄茶へと続きます。その一会は、会の形式にもよりますが、3時間にも4時間にも亘ります。その長い時間、亭主が趣向を凝らし自分の思いを込め客をもてなし、客は客で、その亭主の心を汲み取ってこそ主客交わり一体となる、一期一会の会となります。

今回はそんな茶事での懐石に使ううつわの展示だったのですが、得庵がどのようにもてなしたのかと想像するだけで楽しくなるような逸品が揃っていました。
中でも、原羊遊斎作・酒井抱一下絵の蕨蒔絵の膳と椀は、ため息が出るばかり。おしかりを受けるかもしれませんが、羊遊斎の塗りには、女性を「匂うがごとく美しい」という、その表現を思わせるような感覚を毎回覚えてしまいます。

また、バカラの懐石具は、明治末から大正時代の大阪の美術商が、自らフランスのバカラ社に注文し取り寄せたものを、得庵のところに収めたというもの。
この時代の実業家である数寄者の茶に対する向き合い方、力の抜きどころ、道具を見る目には、いつも感服せざるを得ず、現代にもこんな方はいるのだろうか…としばし考えてしまうのですが、その時代の数寄者を支える美術商、道具商などにも、このようなおもしろい人物がいたものなのかと目の覚める思いがしました。

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天龍寺 秋の花

白杜鵑草

急に秋らしくなってきた昨今。
今年の8月、9月は猛暑にて思考回路が分断していた。漸くそれも接続されたが、あの夏の暑さは地球温暖化の影響か?はたまた自分の老化か…と悩む。

庭にはやはり秋はちゃんと来ている。様々な種類の杜鵑草が咲き、金木犀のオレンジ色の花・銀木犀の白い花からはかぐわしい香りが「秋」を知らせてくれている。

山路杜鵑草

珍しい山路杜鵑草でしょうか。

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アグラの町にて その1 -インド-

世界遺産、タージ・マハルや、アグラ城のあるアグラの町の様子です。

通学途中の女の子

通学途中の女の子達。サイクル・リキシャに相乗りしての通学。この子達は普通の制服ですが、学校によってはパンジャビドレスやサリーなど民族衣装の制服もあり、それを見るだけでも楽しいものです。
観光客が多い町でも、大きなバスでの団体観光客が多いからか、オート・リキシャに乗る私達に興味津々の様子。隣にいる子のひじを突き、「ねえねえ、ほら。」とこちらを見てきます。

とても賢そうで、清潔感溢れるキラキラした彼女たち。将来はIT関連企業で働くのでしょうか、何か専門職を目指しているのでしょうか。一生サイクル・リキシャの運転手を続けるであろう男性は、この子達を学校へと送りつつ、何を思っているのでしょう。
なんだか複雑ですが、この男性は何も思ってはいないのでしょうか。
インドの当たり前の事情なのかもしれません。

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美ヶ原高原 -信州-

美ヶ原高原_看板

広い高原を散策したいと思い、信州にある美ヶ原高原に訪れた。

長野自動車道松本ICからビーナスラインに入り、美しい景色を楽しみながら山本小屋前の駐車場に到着。

美ヶ原高原は自然保護のため、マイカーの乗り入れが規制されている。美しい景観が守られるためなら規制に大賛成だ。

駐車場から1時間ほど歩くと王ヶ頭ホテルに到着。美ヶ原高原の頂上、標高2,034mに建つ雲上のホテルで、登山者用の山小屋として営業を開始したのが始まりだそうだ。

天気の良い日には、雲を眼下に望む絶景が楽しめる。雲海や星空を眺めながらの展望風呂もぜひとも利用してみたい。

どこまでも

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禅僧のことば

禅僧のことば

今、研究所の出版企画で、臨済宗黄檗宗の各派管長とお会いしている。これは「禅とは何か」や「いのちの在り様」などのテーマをもとに各老師に語ってもらい、それをビデオに収録してDVD化するための出演依頼である。
映像に残るということで最初は難色を示された老師も、趣旨を説明すれば最後にはご理解いただき、今のところ交渉は順調に進んでいる。
第二次世界大戦後、長い歴史の中で培ってきた価値観を見失ってしまった日本人に、「人として生きることの意味」を禅僧の立場から語ってもらおうというのが企画側の意図であるが、お話しを伺う中で、老師の側からも、これほど人のいのちが軽視される今の社会に向けて、何かメッセージを発信しなければならないという意識も感じられた。
これまでお会いした老師方は、それぞれに個性は違うが禅僧としての魅力がある方々ばかりである。実際の収録ではどういった言葉を発していただけるか、今から楽しみである。

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「開館50周年 特別記念展」 -逸翁美術館-

逸翁美術館

毎回訪れるのを楽しみにしている逸翁美術館。 今回は開館50周年というおめでたい年。 出展作品を見てもわかるように、選りすぐられた逸品にて、「特別記念展」が催されている。

今回心に残ったのは、大好きな俵屋宗達による「飛鴨図」。
光悦とのコラボを始める前の画だろうか??? たらしこみの技法も少しは見られるのだが、光悦とのコラボ作品のそれとはまた違う。なかなかお目に書かれない、どちらかというと渋めの味わい深い作品であった。
また、大棗・吹雪などの時代物も、昔の職人の心意気が見えるかのような味わいで、私は「竹林蒔絵大棗」に心惹かれた。後期(10/27~12/9)の展示替えでも、錚々たるものが出展されるようなので、改めてでかけたいと思っている。

さて、この「雅俗山荘」での展示は、来春をもって終わりとなるようだ。
「逸翁美術館」は、違う場所に新しい建物にて生まれ変わるらしい。耐震性の問題や、建物の老朽化などが問題となったのだろうか。和洋折衷の重厚感ある旧邸は、美術館というより、本当にお宅にお邪魔しているような感じで、昔から親しんで来た美術館だけに、仕方ない事とはいえ惜しくてならない。 
即庵での呈茶も、毎回楽しみであった(土日は近隣のお茶の先生方が釜を懸けられます)。こちらでの一服を未経験の方、是非一度お運びいただきたい。

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山寺のある一日 -その1 犬小屋で経を読む-

山寺のある一日

あれは、わたしが、この山寺に入寺してから、間もない法事の席であった。ある檀家さんのお爺さんの三周忌の法要である。お葬式は、先住さんがなされ、先住さんの遷化後、一年を経て入寺したわたしには、そのお家のことは、何もわからない。しかし、法事は、厳粛に勤めなければならない。わたしは、改良衣と呼ばれる簡易な法衣で、そのお家に赴いた。

通常の挨拶をすませ、改良衣から正式の大衣に着替えをしている間、一人の、十七、八歳くらいのお嬢さんが、シクシクと泣いている。こんなことは滅多にない。田舎の法事は、もう、お祭りである。お酒が飲めて、普段は口にできないご馳走をいただく。集まる親戚などは、お祀りではなく、文字通り、お祭りなのである。しかし、そこに、ほとけさんに対する畏敬、崇拝の念がないのではない。たくさんお酒を飲んで、ご馳走を食べるのが、ほとけさんに対する御供養なのである。坊主は、それをリードしなければならない。そのような田舎の法事である。わたしは、感心に思った。「このお嬢さんは、よほど、お爺さんに可愛がられたお孫さんなのだろう」と。

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曝凉のおしらせ 於:大徳寺

紫野 大徳寺

10月14日(日)、秋晴れの心地よい空気の中、大徳寺の宝物の虫干しが行なわれます(本坊にて9:00~15:30)。
約100点ほどの絵画・襖絵・墨跡などが展示されます。
中でも、かの有名な牧谿(もっけい)の水墨画「観音猿鶴図」は特に美しく、見に行った甲斐があったと思わされます。本坊にも普段は入れませんので、この機会に如何でしょうか。

この日は、特別公開されている塔頭もいくつか(黄梅院・興臨院・総見院)あるようですし、他の塔頭でも虫干しが行なわれ、公開されることがあります。美術館ではなく、実際に禅寺にて宝物を見られるまたとない機会です。是非おでかけ下さい。

ちなみに、あくまでも虫干しが最重要目的ですので、前日が雨であったり、当日が雨であったりすると、行なわれません。お天気があやうい際は、調べてからおでかけ下さい。

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アグラ城 -インド-

アクバル門

16世紀にムガル帝国の3代皇帝アクバルにより築かれた城塞(上の写真はアクバル門)。
その後、4代、5代皇帝の居城ともなった。タージマハルのご紹介でも書いたが、5代皇帝シャー・ジャハーンが幽閉されていた塔も城壁の中にある。
1983年、ユネスコにより世界遺産登録された。

インドで出会った少女

インド人の家族づれも多い。「この子を抱いて一緒に写真を撮ってくれ」、「私たちと一緒に・・・」となぜか一緒に写真を撮りたがるインド人達・・・(観察していると、欧米人には声をかけていないのになぜ?)。抱っこした途端に号泣のこの子も、お母さんのもとに戻ると御機嫌でカメラに興味津々。
それにしても幼いながらになんとはっきりくっきりしたお顔立ちでしょうか・・・。インドの小さな子達は皆目がキラキラと好奇心に輝いていた。

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万作・狂言十八選 -出雲-

出雲大社の大きなしめ縄

実は今回の出雲行のタイミングとピッタリ日程があったので楽しみにしているイベントがあった。
狂言師・野村万作さんの「狂言十八選」第三回が、出雲大社にて奉納される講演があったのだ。
まずは出雲大社に参拝。

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貪(むさぼ)る

いがぐり

米国の食品医薬品局(FDA)は、2006年12月に、「クローン動物およびその子孫の肉や乳は、我々が日々摂食する食品と同様に安全である」という発表をしたという。クローン動物の肉・乳の販売が合法化されれば、アグリビジネス企業は、その製品を販売することはもちろん、製品がクローンであるか否かの表示義務も課せられない。
かつてFDAは、死んだ家畜を生きた家畜に与えてもまったく問題はないとの見解を示した。しかし、牛海綿状脳症(狂牛病)の恐怖が世界を駆け巡ったことは記憶に新しい。
企業レベルでクローン化の採算が取れるようになれば、世界におびただしい数存在している米国発のファーストフードのチェーン店などで、早晩、規制の網をスルリと通り抜けた無表示のクローン動物の肉のハンバーガーなどが店頭に並ぶことになるのだろうか。
 
私たちはいつのころから、心の痛みを伴わずに、生き物を食するようになったのだろう?

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Myお箸でエコの仲間入り

Myお箸

夕べ深夜のニュース番組を見ていたら、東京都では今まで燃えないゴミとして出していたプラスチック容器を、燃えるゴミとして出していいことになるという。 私が住まう町は、ずっと前からプラスチック容器も燃えるゴミで出せていたので、存外意外ではあった。

東京都がこういう方向転換をしたのは、今まで燃えないゴミの廃棄場所として東京湾に埋めていたが、このままであと40年もすると、東京湾内に埋め立てられる場所がなくなることが見えてきたため、ゴミ処理施設の新設や改修して、プラスチックゴミなども高温度で焼けダイオキシンが出にくい処理が可能になったためであるという。
そういう意味では東京都よりうちの田舎町の方がゴミ処理場が先進的だったのであろう。
しかし、女性レポーターが訪れた東京湾のゴミの山は、そのレポーター自身も「絶句し、めげるほどだった」というほどのゴミゴミゴミ・・・。人間の愚かさを露呈しているような光景だった。

そして我が身のことに立ち返る。
常日頃から、できるだけゴミを出さないようにと心がけてはいるものの、なかなか実質的なことができないでいた。そんななか、最近、研究所の我ら編集部員は全員、Myお箸を持つようになった。毎日、昼御飯を購入するコンビニで、「お箸はいりません」と言っている。一度きりしか使わない割り箸を今までどれだけ無駄にしてきたことか……。
ほんの些細なことだが、エコ生活者への仲間入りである。

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出雲の屋根瓦 -出雲-

最近の日本では、瓦屋根の家が・・・ことに都会ではどんどん無くなってきているように思える。
が、出雲に行くと、ほとんどの家が瓦を使っており、太陽の光に輝く(本当につやつやと光沢があるのです!)黒や赤の瓦が目に眩しいくらいなのだ。
そして何を隠そうこの地方の屋根には、しゃちほこが!

しゃちほこのある家

そしてさらに鬼瓦には、福の神が標準装備。家によっては、打ち出の小槌が仕込まれている瓦もある。

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仙厓・センガイ・SENGAI 禅画にあそぶ -出光美術館-

仙厓義梵_禅文化研究所蔵


いつもは訪れた美術館の事をご紹介していますが、今回は訪れたい美術館の情報を・・・。
東京・丸の内の出光美術館にて、10月28日まで、仙厓さんの禅画展が開催されています。
仙厓義梵(1750-1837) 禅師は、九州博多の聖福寺というお寺の123世住職で、古月派を代表する名僧です。

禅画のみの展示というのも珍しく、また、見ていてなんだか楽しくなってくるような仙厓さんの禅画という事で、なかなか見がいがありそうです。その奥に見え隠れしているものは、一体?!
それにしましても、仙厓さんのものばかりがこれほど多く一堂に会するのは、出光美術館だからこそです。是非、おでかけになられてみてはいかがでしょうか。

*研究所の本も紹介させてください*
仙厓和尚逸話選

☆上記の仙厓さんは、研究所所蔵の物です。くわしくはこちらをご覧ください。研究所の所蔵物を順次公開しております。

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観月のとりあわせ -細見美術館 古香庵茶会-

細見美術館_観月のとりあわせ

京都、岡崎にある細見美術館の茶室-古香庵-では、年に何度か茶会が催される。
今回(9/29)は「観月のとりあわせ」茶会にお邪魔した。

会記はつぎのとおり。

床     簾に秋月図   渡辺始興筆
 脇    秋草虫蒔絵小箱
花     季のもの
花入    亀甲文瓶子
香合    金銅透瓜形
風炉先  秋草図      酒井鶯蒲・鈴木鶏邨筆
釜     古芦屋葦達磨
風炉    面取唐銅     香取秀真造
水指    河南
薄器    秋草蒔絵平
茶杓    鵬雲斎大宗匠作  銘 秋の声
茶碗    黒 銘 川辺  二百之内 左入造
 替    紅葉呉器
 替    黒釉平 銘 仲麻呂
 蓋置   古瀬戸一閑人
 建水   砂張
菓子    月波  

美術館に埋もらせておく(という表現はおかしいかもしれないが、、、)だけ、ガラスケースの向こう側を見て楽しむだけではなく、使える物は使って慈しむ、「使ってこそ」の喜び、楽しさを味わえる贅沢な道具の取り合わせ。
いつもこの美術館のこころみに感謝し、美術品に対する美術館の姿勢を伺い知る事の出来る良い機会なのだ。私設の美術館だからこそ、というところもあるだろう。

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「ZEN」車両

-静けさ-を思わせるもの

先日の朝日新聞にて、フランスの新幹線TGVの一部車両には、「ZEN」と名付けられた車両がある事を知った。もちろん禅宗の「禅」からきており、坐禅を組んだり瞑想したりする時の静寂さをイメージしての命名だそうな。
「うまく考えるもんだなぁ・・・日本みたいに単なるサイレント車両という呼び方ではなく、なんだかおしゃれなイメージじゃないか」と思った瞬間、「いや、禅をこういった一種のスタイルとして取られるだなんてなんだかなぁ・・・」と苦々しく思ったり、胸中複雑だ。

調べてみると、この車両では、12歳未満の子供もお断りで、会話も慎まなくてはならないようだ。
反対に、携帯も会話もゲームも自由、まるで何でもオッケーかのような車両もあり、こちらも予約できるそうだ。

日本の新幹線にもサイレント車両はあるわけだし、試み自体が目新しい物とも思えないが、この「ZEN」車両というネーミングに過剰反応してしまった私である。

ちなみに、以前の記事、ZENスタイルについても是非ご高覧いただきたい。
本日掲載の写真も、欧米人からみると、「禅的」なのだろうか。

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