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タブラ奏者 アリフ・カーンのコンサート -皷楽撃竹- 於:福成寺






昨年9月にこちらでもお知らせ、ご報告しましたインド人タブラ奏者のアリフ・カーンさんが再来日されます。
京都市西京区にあります禅寺、福成寺の竹林をバックに、あの幻想的な音色を聞かせていただける機会がまたやってきました。

前回私もお邪魔しましたが、屋外でのコンサートは、木漏れ日の中で風を感じ、まるで鳥達も楽器に共鳴するようにさえずり、心の底にあるストレスなどからも解き放たれるかのような気持ちの良いコンサートでした。
是非皆様にも、この機会に味わっていただきたいものです。
ご都合つきましたらどうぞ。
詳細は、上のパンフレットをクリックして下さい。

時:4月4日(日)10:00~12:00
所:福成寺(京都市西京区樫原内垣町24)
参加料:2000円

その他アリフ情報はこちらのブログにて!

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THE ハプスブルク -京都国立博物館-




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1月6日から京都国立博物館にて開催中の、-THEハプスブルク-。
そろそろ人の波も引いた頃かな?!と、訪れてみました(会期は3/14まで)。
朝早い時間に向かったので良かったものの、帰る頃には外にずらっと列が…。
さすがハプスブルク家の至宝を見られる機会とあって、近畿各地から人が押し寄せているようでした。
“ハプスブルク”と聞けば、高校の世界史の授業でやたらとその名を聞いた記憶がありますが、その系図も館内には用意され、如何にヨーロッパの歴史や芸術において重要な役割を担ったかがわかる展示となっていました。
西洋美術に関して素人な私としては、かの有名なマリア・テレジアの11歳の頃の肖像と、やはり何といっても皇妃エリザベートの息を飲むような美しさにうっとりしました。
絵画のみならず、シャーベット用センターピースなどには、女子は皆ため息をついていました。

なお、京都国立博物館を訪れた際には、庭にある石像などにも注目下さい!
古い石仏や塔、朝鮮のトルハルバンなどがあり、これらは必見です。

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梅花の咲きはじめ




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紅梅が、雪の中でかわいい蕾を開き始めている。暖かい御地では、もう満開のところもあるだろう。

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弊所が事務局を兼ねている臨黄ネットの法話のなかに「梅花の咲くころ」という法話がある。
それによると、春が来るから花が咲くのではなく、厳しい冬の中にあっても耐え忍び、そして自ら花を咲かせることによって、春をもたらすのだとか。
なるほど、この菜の花たちも、寒い中で耐え忍びつつ花を咲かせて、春を呼んでいるのだ。

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-而生其心- 石田智子展 ギャラリー素形




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京都のギャラリー素形(室町二条下ル)にて、石田智子展が開催中です。
石田智子さんといえば、玄侑宗久師の奥様であり、我が研究所の季刊『禅文化』213号の、-寺庭さんのリレーエッセイ-にも寄稿いただいている。その中に、如何にしてこういった制作活動をするに至ったかが書かれており、様々な心の葛藤を知り得た。

この展観のタイトルは石田さん御本人がギャラリーの空間から感じ取り、御自身の作品の展観と重ねてつけられたのだとか。

-応無所住、而生其心- 臨黄ネット・禅語栞いろは歌より
-応無所住、而生其心- ブログ禅「えしん先生の禅語教室」より


皆さんはこの空間に何を感じ取られるのでしょう。
私も会期中に伺いたいと思います。
じっくり展観を見た後は、ギャラリー横のカフェで一服。
素敵な休日になる事間違いなしです。豊かな時をお過ごし下さい。

3月7日まで
ギャラリー素形

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フランス語版『雲水日記』




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フランスのフィリップ・ピキエ社から、『雲水日記―画で見る禅の修行生活』(佐藤義英/画・文)の仏訳が出版された。
訳者のロジェ・メネソンさんは、フランス極東学院所長のフレデリック・ジラールさんのかつての生徒さんで、10年ほど前に、『雲水日記』を仏訳したいと、禅文化研究所に訪ねてこられた。ご承知のように、『雲水日記』の日本語版は、専門用語もあふれていて、洒脱だが、わかりにくい個所がいろいろある。これを、面白みを残したまま筋の通ったフランス語にするのは、大変だろうなと、ロジェさんのお話を伺いながら感じていた。
今、入門編の二つ「初行脚(はつあんぎゃ)」と「掛錫(かしゃく)」を拝見したところだが、誠実な苦労のあとが偲ばれる。いいフランス語だなあと思う。ユーモラスな画も生きている。日本の文化を根底から支えている世界を、楽しくお知らせすることのできる一冊だと思う。定価19.50ユーロ。
アマゾン(フランス)では、18.53ユーロで入手できるようだ(ただし送料は別途必要)。

日本文化に関心のあるフランス語圈の方々への、ちょっと「イケテル」プレゼントとしても役立つかもしれません。

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金札宮(きんさつぐう) -京都市伏見区-




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京都市伏見区にある、謡曲「金札」ゆかりの地、金札宮。
750年の創建と伝わり、伏見で最も古い神社の1つです。

謡曲史跡保存会による説明板によると、

1200年前、山代国愛宕郡(現京都市)に遷都された桓武天皇は、伏見の里に神社建立のため、勅使を遣わされました。この時、天から金札が降り下り、取り上げて見ると「伊勢大神宮の流れを絶やさぬため、天津太玉神を祀るように」との御神託が、金文字で書かれていました。謡曲「金札」は、この金札の故事を語り、天津太玉神が金札と弓矢で君の代と国土を守護し、悪魔を降伏させ、もう弓矢の必要はなくなったと謡っています。
金札宮の御神体の金札と、祭神天津太玉神と天照大神の守護もあって、平安の都の平和は永く続きました。

とのこと。今はマンションや家々に囲まれつつひっそりとしていますが、平安の世を守った何とも有難い神社であったのです。
また、境内にあるクロガネモチの木は樹齢1000年を超えると言われ、京都市の天然記念物に指定されています。赤い実をつけたその堂々たるお姿は、まさに御神木。パワーに圧倒されました。

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くもりの日




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ここ最近、くもりや雨の日が多いですね。
京都御苑内を通り抜けてしていると、曇っているおかげで太陽を直視する事ができ、陰になった木々の様々なシルエットがまた美しいのでした。思わず写した一枚です。
御苑内、四季折々ハッとする美しさに出会えます。
近くのホテルでは、時期によっては、早朝に御苑内を散歩したり写真を撮ってまわるプランもあったりするのですよ!

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描かれた能 -細見美術館-




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京都岡崎の細見美術館にて、2月14日まで開催されていた、「描かれた能 -絵で楽しむ 文様が語る」。
お能や狂言を鑑賞する機会は度々あっても、あの美しい衣装や扇子などをじっくり間近に拝見する機会は滅多にありません。
しかも国立能楽堂が所蔵する逸品となれば、なおさら行かねば!と滑り込みセーフででかけました。
長い年月が経ち、作られた当初の色が褪せてなお輝き続ける能装束に、感慨もひとしおでした。雪持ち椿の意匠がことのほか美しく、気に入りました。

また、舞台で使う道具類などの展示もあり、中でも、「道成寺」にて使う釣り鐘が展示してあり、興奮しました。
女性の、恐ろしくも悲しいまでのいかんともしがたい情念、また、その魂が昇華されるのを是非一度観てみたいと思っていますが、まだその機会に恵まれません。
先に鐘を観て、新たに想像を膨らますのでした。

2月20日から始まる展観は、雅の意匠-かぐやの婚礼調度と雛道具-。こちらも楽しみです。

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新宿の熊野神社




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東京出張の朝、ちょっと時間があったので、西新宿の中央公園の隣にある熊野神社へ行ってみた。
このブログを読まれている方には、もちろん東京の方も少なくないだろうが、この神社をご存じだろうか。
大都会、あたりには高層ビルが立つ西新宿にあるのだ。
「熊野神社」という名から、和歌山の熊野大社を思いつつ、道路から階段をあがり鳥居をくぐる。
すぐ左手に本殿があり、ちょうど神主さんらしき方が入っていかれるのに遭遇した。その後、なにかの合図の太鼓が鳴り響いた。

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社務所前にこの神社のいわれが書かれた掲示板があった。読むと、やはり……。
室町時代、応永年間(1394~1428)に、中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州は熊野三山から十二所権現を、この地に移して祀ったのが起源とされるようだ。
江戸時代には、「熊野十二所権現社」と呼ばれたとも。
しかしまぁ、今となって高層ビルから見下ろされる熊野の権現様には、大変申し訳ないことだ。

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嵯峨野線がついに




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この研究所のある花園大学まで通い出して、何年になるだろうか。ちょっと指折り数えてみた。
途中、僧堂掛搭の間は抜いても、大学も花園大学だったので、四半世紀は越えたことになる。
その間、ずっと自坊からJR(当時は国鉄)で京都駅を経由し、嵯峨野線(当時は山陰本線)に乗り継いで通っていた。

大学生の頃の山陰線は電化されてもおらず、単線のローカル路線そのまんまで、ディーゼル機関車に客車が引っ張られていた。京都駅で座席に座って本でも読んでいると、とても静かに、いつのまにか動き出していた。客車は木造のイメージが残る車両で、通路の真ん中に柱が立っているなど、とてもノスタルジックだ。

それから10年近くして電化された。それでも単線の電車は、対向してくる特急電車などが遅れると、離合待ちのために、長く駅で停車し待たされた。そのころの二条駅は、当時日本最古とされる駅舎で、社寺風木造建築だった。平成8年に新駅舎にゆずってから今は、梅小路蒸気機関車館の史料館として移築し残されている。

平成8年から、線路が高架になりはしたし一部複線化され、新たに円町駅という駅ができて、通勤にはいくらか便利になったのだが、丹波口駅から二条駅までは現在もまだ単線といった状況であった。

そしてこの平成22年3月13日(土)にダイヤ改正され、京都駅から園部駅までが完全複線化運転されるとのこと。じつはそれに先立って、新しく敷設された線路の上を、既に電車は走っていることに先日気が付いたというわけである。

定年退職までに間に合うのだろうかと思っていたというのが本音だが、どうやら、この春から、また快適に通勤できそうだ。
あとは、どうか事故のないように運行して欲しいと望むところ。

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まず咲くから万作




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春にまず咲くことから万作(まんさく/満作とも)と名付けられたらしいこの花が、満開です。
上司のご自坊にて。寺には四季それぞれの草花が多く、羨ましい限りです。
遠目に見たり、薄ぐらい茶室で主となる花に添えられていたりすると「あぁ、いいなぁ」と思うのですが、アップで見るとどうも何とも言えないなぁ……と思う私なのでした。海の中にいる生物のよう…。不思議な花ですね。
紅花常磐万作…なんていう赤い花もあるそうです。こちらは黄色い万作と違って、葉も残っているのだとか。
それにしましても、先週は雪が降り、この写真からもわかるように雪の中で花を咲かせているわけですが、寒い中にも着実に季節はめぐっているわけで、それを毎年一番に知らせるこの花を見て、自然界の営みに畏敬の念を抱かざるを得ません。
これから梅も盛りを迎え、桃に桜にと様々な花が咲く季節、楽しみですね。
また寺院の花だよりをお届したいと思います。



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木瓜の花




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我が家では、大好きな花屋さんで買ってきた木瓜が花盛りを迎えています。
なんともいえない色。見ていると癒されながらも、よくもまぁこのように咲くものだ……と、不思議な気持ちになります。
まさに-不審花開今日春-。
「不審庵」というと、表千家の茶室、代々のお家元の号でもあり、また、屋敷全体を指して使われますが、この禅語から来ています。
これは、利休さんが参禅の師である古溪宗陳に求めてつけられたとの由。
今でも家元の茶室、不審庵には、古溪和尚による扁額が掲げられています。

と、話がずれましたが、木瓜の花、花が咲いている時はうっとりと眺めていますが、その後をあまり知りません…。
実は、実がなり、その実は果実酒に使われたり、ジャムにもできる上に、疲労回復などの効能もあるそうな。美しいのみならず、きちんと仕事します!
花言葉は、色々調べてみると、「先駆者」「指導者」「平凡」などなど様々。先駆者と平凡の花言葉を同時に持つとは如何に?!?!「先駆者」・「指導者」は、梅よりも早く春一番に咲くから…といったところでしょうか。
季節の花も、見るのみならず色々と調べてみると面白いものですね。

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門戸厄神 東光寺 -兵庫県西宮市-




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我が実家近くにある門戸厄神東光寺(もんどやくじん・とうこうじ)。
「厄除けと言えば門戸さんへ」というのがあまりに当たり前で、その縁起やらも何も知らずに(HPを是非ご覧ください。その歴史はかなり古く興味深いものでした)、節分を迎えると、新しい年の厄除けをお願いしにお参りをする母の姿を見て来ました。

前厄・本厄・そして後厄となる今年、霊験あらたかな神仏が数多くおはします京都に住んでいるというのに、「やはり厄除けと言えば門戸さんかなぁ……」と、母に倣い西宮までお参りに行って来ました。
2月の節分会が終わったとはいえ、土日だからか、まだまだお参りの人の多い事!
大学生時代、この東光寺のすぐ隣にある大学に通っていたというのに、のほほんと暮らしていたモラトリアム時代の私は、特に「お参りしよう」と思う事すら無く、足を踏み入れないままに4年間を過ごしました。
時を経て今、色々な思いを抱えながらお参りする自分のみならず、多くの人々がお参りに訪れるのを見て改めて、「あぁ、門戸さんはこれだけ多くの人の思いを受け止めてくれているのだなぁ……」としみじみ思いました。
お参りする人の気持ちや目的はそれぞれに違うかもしれませんし、お参りして願掛けしたからといってそれが叶うかどうかはわかりません。厄除けと言っても、全く何も無いままに平穏無事に暮らせる保証はありません。当たり前のごとく、人生には嬉しい事楽しい事もあれば、大変な事、辛い事も待っています。
それでも、一番大切な事は、こういった寺社が我々の切なる思いを受け止める為に存在してくれている事であって、このようにお参りに行く事によって、その後自分の身に起こる様々な事への受け止め方も変わってくるのではないかと思った次第です。

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播州 龍門寺




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兵庫県姫路市にある龍門寺は、「不生禅」を説いた盤珪永琢禅師(1622~93)を開山として寛文元年(1661年)に創建された。
播州随一の偉容を誇った大叢林として名高く、今もその遺構を残している。しかし無檀家のため伽藍の補修や維持管理に代々の住職は苦心されてきた。
平成16年に住職に就任した河野太通老師は、諸堂の復興に努められ、同時に大衆禅道場を開単し国内外の禅修行者を受け入れ坐禅指導をされている。

今回訪問した目的は、次期妙心寺派管長に就任される河野老師に、「禅僧が語る」シリーズへの出演を依頼するためである。
4月からの管長職と共に全日本仏教会会長にも就任され多忙な毎日となっても、生活の基本は龍門寺に置き大衆の接化に努めたいそうだ。
インタビューは3月に行なわれるが、どんなお話をしていただけるか今から楽しみである。

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-平常心是道- えしん先生の禅語教室 その13




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-平常心是道-
へいじょうしんこれどう


この語も前回と同じく、『馬祖録』(ばそろく)の「示衆」(じしゅう)という部分に出ています。馬祖道一禅師の説いた禅は昔から、特に「日常禅」として親しまれています。今日の臨済禅はその直系ですから、じっさいには臨済よりも三代前の馬祖が、すでに平常禅を説いていたのです。

その点で馬祖の説いた禅には、それまでに例のないオリジナリティがあります。彼の説き方があまりにも自由であったために、時の人から「雑貨舗」(何でも屋)と揶揄されたほどですが、馬祖の禅は、それほど人々にとって卑近なものであったのでしょう。

さて、今回採りあげた「平常心是道」こそは、そういう馬祖禅の本質を、まさに丸出しにしたような一句ですね。「平常の心」こそが「道」(どう)だというのですが、言うまでもなく「道」とは仏道のことであり、真実な生き方という意味です。

人間にとって「理想的な生き方」というものは、決して遠い山の彼方に求め得るものではなく、即今只今、われわれ一人ひとりの生きざまにある。もしそういう理想的な心を、日常生活の中ではたらかせるような人が在るならば、その人こそ「達道の人」(そういう理想的な道に到達した人)だと言うのです。

それでは馬祖は、どういう生き方を「平常心」と呼んでいるのでしょうか。まあ、「日常の心」と聞けば、誰でもすぐに分かったような気になりますが、ことはそんなに簡単ではないようです。簡単に実行できるなら、修行などしなくてもよいわけですから。「宝処近きにあり」と言いますが、幸せと同じで、身近かなものほど、気が付きにくいものですね。

『馬祖録』(原漢文)のその箇所は、次のような文脈です。

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レッドフォート(赤い砦) -インド・デリー-




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世界遺産、レッド・フォートです。
このブログでもおなじみ、タージ・マハールの建造者でもあるシャー・ジャハーンにより、1648年に建てられました(ムガル帝国時代)。
イギリス統治時代から、インド独立後まで、軍の駐屯地や施設として利用され、城内は当初より大きく変わったとのこと。
それでも、広い広い大理石の謁見殿などを見ていると、当時の王の権勢がしのばれます。

独立記念日の8月15日には、首相による演説がこちらで行われるそうです。
私が訪れたのは16日でした。
インドの国旗色の花で飾られたレッド・フォートを見る事ができました。

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安産祈願 -京都・わら天神-




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私事ながら、妻の妊娠5ヶ月目の戌の日に、京都の「わら天神」へ行ってきました。
「わら天神」とは通称で、正式名称は「敷地神社」といい、安産のご利益で有名な神社です。
この日もたくさんの参拝者で賑わっていました。

授与所の前には、夫婦や親子で来られている妊婦さんの行列が出来ていました。
私たちも列に加わり、安産祈願の腹帯をいただきました。

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予算編成雑感

新年度に向けた本格的な予算編成の作業を行なっている。
公益法人に課せられた義務なのだが、国や地方公共団体からの助成金で運営している法人と違い、当研究所は特定の寺院からの補助はあるものの、収入の殆どは出版を中心とした事業の収益で運営しなければならない。営利企業と変わらない自助努力が必要なのである。
事業計画に基づき予算書を作成してゆくのだが、収入の見通しは不透明なところが多く、経費を切り詰めるにも限度があり、事業規模の小さな法人とはいえ頭を悩ますことになる。
加えて公益法人制度改革に伴い公益財団法人への移行を目指すことになり、新年度に公益認定に関する書類を提出するための作業も行なわなければならない。この制度改革は、天下りを抱えた公益法人の不祥事が発端となっているのだが、移行認定までの厖大な資料の作成や、認定後も毎年行なわれる審査基準のクリアなど、小さな法人にとっては事務負担も多く、余計な仕事を増やしてくれるなと行政に文句の一つも言いたくなる。
しかし、認定されれば現在税務上では収益と見做されている出版事業が公益事業と判断されることや、会計を含めた情報公開によって法人の実態を広く一般に知ってもらい、活動への支援者を獲得できるなどの利点は大きい。
何かと面倒だなと思いつつ仕事をこなす毎日である。

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『坊主DAYS』 -職員オススメ本-




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世の中のみなさんは、お坊さんに対してどんなイメージを抱かれているのだろうか?
「生臭坊主」とか「坊主丸儲け」というような厳しい評価はもうすっかり定着(?)してしまっているような感もあるが、たとえばテレビで禅宗専門道場の修行について放映されると、かなり反響がある。
「うちの和尚さんはざっくばらんに見えても、あんな凄い修行をやってこられたんだなあ」と認識を新たにされる檀家の方も結構多い。
つまり日本の寺や僧侶については、檀那寺に関してさえも、案外知られていないのが現状ではないか。昨年暮れに『坊主DAYS』(杜康 潤〈とこう じゅん〉著、新書館発行)というマンガ本が出版された。
著者の実家は臨済宗のお寺で、お兄さんが住職を務めておられるようだが、この本には自分が育った寺の行事や日常生活、お兄さんの修行のことなどが、実に分かりやすく正確にユーモラスに描き出されている。
日本の禅宗寺院の実情は、これを一読すると結構理解できるのではないかと思われるほどである。西欧諸国を形作っている文化・文明はキリスト教を抜きにしては語れないが、「日本の仏教も人々の日常に深く入り込んでいて、これを抜きにして日本人の思考形式や日本文化を考えることは難しい」と、日本学を専攻している外国の研究者たちが努めて日本仏教を知ろうとする傾向にあるのは、研究所の仕事を通して日々実感していることだが、この一冊は、日本人がそれを再認識するのに結構役に立つのではないかと思われてくる。

著者は早稲田大学の出身で、このマンガがデビュー作のようだが、この作品で、かなり真面目に的確に客観的に、現代日本における仏教という現象とその底力(そこじから)を描き出されているように思われる。
一冊777円。仏教的なものに真っ向から反対することも、また無批判に受入れることもできない方々に、是非オススメの一書である。

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