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ありがとうございました。




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小豆島

本日をもちまして、今年度の業務を終了とさせていただきます。
年始は、1月6日より業務再開とさせていただきます。

今年は本当に、皆それぞれが自身の生き方をみつめ、考え直した年であったかと存じます。
先日訪れました香川県の小豆島にて、海と山の豊かさどちらをも併せ持つこの島に、日本の縮図を見たような気がしました。

豊かさも享受できる反面、自然の厳しさも時に否応なく受け入れなくてはならないこの国。
そんな地理的条件から、日本人は他の文化も寛容に受け入れ、独自の文化へと発展させるほどに柔軟性があるのでしょうか。
経済発展もピークを過ぎ、そればかりを追い求めるのではなく、新しい時代が到来するのではないかと思える今、日本の良い面を伸ばしてゆけるよう、祖先達がどのようにこの国で暮らし、ものごとを考え、生きてきたのか、いま一度学ぶべきかなと思う年の暮れです。

この思いを来年へと繋げ、研究所からは、禅の教えより、皆様に様々なことを発信してゆけたらと思っています。
本年もお世話になり、どうもありがとうございました。
来年も禅文化研究所を、どうぞ宜しくお願い致します。

皆様、くれぐれも御身おいといいただきまして、どうか良いお年をお迎え下さいませ。

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『土を喰う日々-わが精進十二ヶ月-』 水上勉 -職員オススメ本-




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幼少期を相国寺の塔頭や等持院にて過ごした事でも知られる作家、水上勉氏の、『土を喰う日々-わが精進十二ヶ月』(新潮文庫)を、その季節ごとに読み進めています。

季節ごとの自然からのめぐみ、そのめぐみに対する我々人間の在り方というものを、典座(台所の意・寺院にて炊事を掌る役の事もいう)でのしごとを通して、老師からの教訓も交えて書かれている為、非常に尊い教えを学ばせていただいています。

他の命をいただかなければ生命を維持する事のできない私たちが、“無駄にしない。ムリな調理はせずに、その素材の良さを存分に生かし引き出す事”を禅寺の典座から知る事は、飽食の時代、地球環境の危機が叫ばれる近年において、もう一度私達が生き方を足元から見直す為に、非常に重要な教えが含まれているのだと思います。

また、書名の『土を喰う…』からは、“身土不二”と言われるように、我々の心と身体を養う為にどれほどに大地が、食べ物が大切かを思うと、原子力発電に頼る世界、大地を汚してまでも我々の便利と快適を追究しようとする世界が、如何に愚かであるかを教えてくれています。

先月来日されたブータン国王が、国会での演説において、我々日本人の持つ素晴らしい資質というものを、我々が知り得る(自覚している)以上に的確に暖かく示して下さりました。
その原点というのは、知らず知らずのうちに、神道や仏教の考え方、智恵などによって育まれているものなのだろうと思うのです。

“宗教”と言ってしまうと拒絶反応をおこす日本人が多いような気がしますが、禅から学ぶという事は、自然の営みから学ぶところと深く共通する所があります。そういった禅の“本質”ともいうべきところを、生き方の手本とする事は、万人の助けとなる事と思います。

道元禅師の『典座教訓』は言うまでもなく素晴らしいのですが、ちょっととっつきにくい、難しそう……と尻込みしてしまう方も多いかと思います。そんな方や、禅には興味がなくとも、お料理好きな方には是非この本を!
もちろん、禅に関心があるという方にも、禅語の本を読むのも良いのですが、こちらもまた、オススメしたい一冊なのです。

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冬至 ―二十四節気―




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本日は、二十四節気の第22番目「冬至」です。言うまでもなく、一年中で一番昼間の短いのが「冬至」です。
朝6時台、出勤でうちを出る頃には、まだ日の出の前です。先日も東の山の太陽が出てくる位置が、ずいぶん南の方になっていることにふと気が付き、そりゃぁ昼間が短いわけだと一人納得していたところです。

「冬至から畳の目ほど日が延びる」というように、今日からわずかずつ昼の時間が長くなっていくことから、生命力が復活する節目としてお祝いをする習慣が古くからあったようで、特にその日が旧暦の11月1日にあたった場合には「瑞祥」として宮中では祝宴が行なわれたといいます。
いまでも、冬至には南瓜を炊いて食べ、柚子風呂に入り風邪の予防にするのが古き良き日本人の習慣ですね。
実はもうすぐやってくるクリスマスの起源も冬至祭だったとか。洋の東西を問わず、冬至は特別な日なのです。

各地の僧堂では今夜、「冬至冬夜」という、一年に一度だけの破天荒で無礼講なオフィシャルどんちゃん騒ぎの夜で、厳しかった臘八大接心を終えたばかりの雲水たちはとても楽しみにしている夜です。
自坊でも今夜、檀家総代や世話役の方々の慰労をかねた忘年会を開きます。もう年の暮れです。気を引き締めて参りましょう。

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笹ヶ岳・雨乞岩 -滋賀と三重の県境-

滋賀県信楽の笹ヶ岳に、三重県の伊賀側から登って来ました。
この笹ヶ岳にあります雨乞岩は、長年私の憧れの場所でした。

と申しますのも、福森雅武氏の『土樂食樂』にて、先生がこの岩の上で食を楽しんでいる写真があまりにもインパクト大!だったからです。
福森道歩さんに「連れていって欲しい」と厚かましくもしつこくお願いし、念願叶って初登頂。

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この、雨乞岩からの眺望には、言葉を失いました。写真で見ているのと実際にそこへゆくのとでは、本当に比較にならない。先生がいつも、「なんでも訪ねてみなさい。自分で足を運びなさい。そこへ自身を置いてみなさい」と仰るのがよくよくわかります。

無性にヨガのポーズをとりたくなって2、3のポーズをしてみましたが、心が喜んでいると、身体もよく伸びること。仕事後、夜中に建物の中でレッスンしているのとは感覚が違います。また、ここへ訪れてからは、レッスン時に心地よい感覚を思い出すと、とても良く集中できるのです。

月並みな言い方ですが、いわゆる“パワースポット”に行くと、“意識”に様々な変化を与えてくれます。その変化は、必ずや身体に通ずる。
色々な体験を通して、心と身体の相関性をもっと探って、掴み取ってゆきたいものです。

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如法寺 盤珪禅師ゆかりの寺 -愛媛県大洲市-




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少し前の話になりますが、臥龍山荘を訪ねた後、盤珪禅師ゆかりの如法寺さんが近いということで、お邪魔してみることにしました。

開基は、大洲藩二代藩主・加藤泰興公。1669年に、龍門寺(姫路市網干)の盤珪禅師を招いて開創された寺院です。仏殿は創建時代(1670年)の建築で、重要文化財に登録されています。

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新しいご住職が入られたとの事。荒れていたお寺も、様々な箇所で修復作業が進められているようでした。この立派なお庭も、今は少し切ない状態ですが、手入れすれば立派に新しく息を吹き返す事と思います。

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ご存じの通り、清水寺の森清範貫主が揮毫された今年2011年の漢字は「絆」でした。東日本大震災で改めて家族や友達、そして社会との繋がりを再認識されたためだと思います。

日本はそもそも絆を大切にしてきた国家、国民性だったと思います。太い神社のしめ縄は厄除けの結界の意味ですが、本来、日本人はこんな太い絆で結ばれていたのだろうなと思います。
しかし、太平洋戦争に敗戦後、アメリカナイズドされ、高度経済成長期をへて、その絆がどんどん断ち切られてきたのではなかったでしょうか。襖や障子で仕切られているだけだった日本建築の部屋は鍵のかかるドアとなり、薄い壁の長屋は厚いコンクリートのマンションとなって、「隣は何をしているかも興味なし」という状態になってきたのは言うまでもありません。いまさら「絆」と言われても、観念だけで、何かとても薄っぺらく思えてしまうのは私だけでしょうか。

なぜなら、とくに都会では孤独死してお葬式もままならない方や、家族がいても生前にご縁のあった人さえも呼ばないで行なう家族葬が多いのですから。「絆」を大事に感じるのであれば、面倒でも、ご縁のあった人の人生の最後には野辺送りに立つというのが本当なのではないでしょうか。また遺族はそういう人たちをお呼びするのが「絆の証」なのではないでしょうか。
「絆」に気付いたのであれば、こういったことも見直して考えてもらいたいと思うのです。なにしろ仏教の教えの基本は「縁」なのですから。

私の自坊のような少し田舎では、今も檀家さんの法事に多くの親戚やご近所をよばれていることが多いです。「絆」ということを強く感じます。田舎だからまだ辛うじてこういったことが続いているのだとは思います。しかし、既に家族だけで法事をされているところもあり、手を抜けば、すぐに都会と同じように、意味も考えずにどんどん省略されていくことは必定でしょう。
そうならないようにしていきたいものです。

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-円覚寺・居士林だより-




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【円覚寺・居士林だより】

このブログをたまたまみつけてからというもの、遡って記事を拝読してみたり、毎日の更新を楽しみにしています。

臨済宗大本山円覚寺(鎌倉)の僧堂攝心や、皆様方も参加可能な坐禅会、法話の会における老師のお話や、美しい円覚寺の四季などが紹介されているのです。

鎌倉と京都、物理的に遠く離れていても、我々凡夫にも非常に明解に、わかりやすく語りかけて下さる老師のお話を、このようにブログで拝読させていただける有難さにおいては、個人的に少し否定しがちな“発達しすぎ?な科学技術”も、やはり素晴らしい面があるものだ……と思うわけです。


禅に関する事を少しでも掴みたい、学びたいという方は、どうぞ禅文化研究所のブログよりも、こちらのブログを是非毎日ご高覧下さい。と、熱い気持ちでお伝えしたいのです。
理解の及ばないような難しいことばよりも、賢者が伝える、万人に伝わる易しいことばの中にこそ、真理があるのだなと思います。

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パラミタミュージアム -三重県菰野-




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御在所岳からの眺望を楽しんだ後は、大好きなパラミタミュージアムへ。

このような素晴らしい常設展示があるミュージアムを他に知りません!というくらいにお気に入りです。
池田満寿夫「般若心経シリーズ」が開館中はいつでも見られます。何度拝見しても感動してしまいます(以前の記事はこちら)。

今回の企画展は、-飛鳥園仏像写真展-と題して、大和路の数々の仏さまの写真が展示されていました。写真よりも本物を拝するのが一番と思っていた私でしたが、最近は自身が実際に参拝しても、とらえる事のできない角度、まなざしから写真家がとらえた一瞬を観て感じるのも良いものだな……と思っています。そしてまた、写真を拝見する事によって、実際に奈良の仏像に会いに行きたくなりました。

その他所蔵作品展にても眼福にあずかり、寒い一日でしたが、心はほくほく温かく帰路につきました。

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御在所岳 -三重県菰野-




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三重県は菰野にあります、標高1212メートルの御在所岳。
今回は山登りではなく、眺望を楽しむ為、ロープウェイに乗ってみました。
伊勢湾まで見渡せて、絶景かな。しかし……。

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福森先生のお言葉 -伊賀・土樂窯にて-




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訪れるたびに楽しみな床の花


取材後、厚かましくもしばしばお邪魔させていただいている伊賀は丸柱の土樂窯
先日もお邪魔し、大いに食べ、呑み、笑い、学ばせていただきました。


福森雅武先生がお話になられる事は、たとえ易しいお言葉でも、全てが物事の核心をついていて、真理を語られているように思うわけなのです。

ですが、例えばの話、聴いている者が、そのお話の真意がわからずとも、先生の内に脈々と流れる伊賀の大地・自然からの学び、お若い頃からの多くの賢人達との交流による学び、ものづくりからの学び、そしてその天性の感覚を思えば、“熏習(くんじゅう・すぐれた人物に親しんでいると、己もおのずとそうなるとの意)”とはまさに、このような方の近くにいさせていただく事、その近くで、先生の内に流れるものの飛沫(ひまつ)を少しでも浴びる事をこそ、言うのであろうと思うわけです。


さて、今回私が最も心に残ったのは、「何かを質問するなら、8割がた自分の中で答えが出ている事、わかっている事についてを質問しなさい。ゼロのうちから人に質問をすべきでない」というお話。

確かに、もがいて苦しんで悩んで学んで、ようやく“気付き”が訪れたり、“掴みかけた事”を賢人に尋ねるのは、そのお答えが合致していようがいまいが、またそこから大きな学びや可能性が生まれるのでしょうし、少しのヒントで目の前が開けるような心地に至る事もあるでしょう。

ですが、自身の解釈ゼロの質問をしたところで、土台が無ければ、そこからは、学びや新しい道は開けにくいような気がします。人からすべての答えをもらおうと思ったところで、そのようにはいかないし、いくら懇切丁寧に答えてもらえたところで、腹の底には落ちてゆかないことでしょう。

自身を省みてどうであろうかと……。
今一度、真摯な態度で様々のもの、ことを、学んでゆきたいと思った夜でした。



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野村美術館




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能や茶に通じていなくとも、日本の名品から醸し出される気品や気迫を感じさせてくれる逸品が揃う私設美術館。
この秋の展観は12月4日まででしたが、次回の春の展観、3月10日から始まる【「かな」の美】を心待ちに。桜や新緑の美しい季節ですね。

さて、いつも野村美術館へゆく時は、人の多い道を避け、お屋敷街をぐるぐると、写真のような小川が流れ、自然の草花が茂る道を通ります。
散策される方も、時間がゆるすようであれば、ぐるぐると歩いてみられる事をオススメしたいです。
南禅寺さんまで参拝にこられたなら、併せて是非!

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『ブッダを知りたい。』(学研ムック)




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『ブッダを知りたい。』

「禅が好き」とはいっても、仏教の原点、お釈迦様の事はどこまでも色々と知りたい。
様々な本を読んでいますが、先日本屋さんでみつけてしまいました。
表紙をめくると、インドはアジャンター石窟の蓮華手菩薩が。あぁ、懐かしい……。

世界各国の仏教の聖地。お釈迦様ゆかりの地。豊富なカラー写真で詳しく解説されています。見ているだけでもわくわくして、次はどの地を訪ねようかと夢膨らみます。
もちろん、その他ブッダに関する事が盛りだくさん。
オススメします!

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田丸橋 -愛媛県・内子-




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ひきつづき、内子の見どころをご紹介。是非とも見てみたかった屋根付き橋。昭和19年に作られたと伝えられ、内子町の有形民族文化財にも指定されている田丸橋を拝見しに。

溜め息がもれ、しばしうっとりとしてしまいました。なんと美しい景色なのか。日本ではなかなかにお目にかかれないこの景色、5年前に訪れたブータンを思い出しました。日本人のある程度お年を召された方々がブータンを訪れると、自分の子供の頃の風景に出会うと言われますが、本当に、ブータンではどこへ行ってもこのような景色が!

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“豊か”とは何なのか、またここで考えさせられます。

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大雪 ―二十四節気― と 鈴木大拙館

本日は二十四節気の21番目にあたる「大雪(たいせつ)」です。北風がピープーと吹いて雪が降り始める頃ということです。
今年の京都は紅葉が遅かったので、まだ雪が降ってくるという感覚がないですが、二日ほど前からまた急に夜の寒気がこたえるようになりました。
時節はきちんとめぐっているようです。どうか、風邪など召されぬように。
各地の臨済宗の専門道場では、今日は臘八大接心の接了日です。命取りとも言われる不眠不休の大接心、明日朝の明けの明星をみて、ハタと開悟される雲水さんがおられるといいですね。

ところで唐突ですが、「たいせつ」⇒「だいせつ」という音で思い出すのは、偉大なる仏教哲学者・鈴木大拙博士です。
今年10月18日に、金沢市の大拙博士生誕地の近くに「鈴木大拙館」が開館しました。大拙博士の考えや足跡をしらしめ、来館者みずからが思索する場として開設されたということです。
さっそく先般訪ねてみました。兼六園などから程近い場所にありますが、ちょっと不案内だとわかりにくいところです。駐車場もありません。しかし、来館者は外国人も見受けられ、世界的に著名なDr. D.T.Suzukiならではでしょう。
館内の展示物はそれほど多くありません。どちらかというとあまりにアッサリしていて物足りなくさえ感じましたが、ここに務める知人である主任研究員I女史の話によると、ソフト面がこれから充実させていきたいとのことですから、楽しみにしていましょう。
学習空間には、弊所から出した関係書籍『鈴木大拙未公開書翰』や『相貌と風貌』、弊所・西村惠信所長の著作も並べられていて、自由に手にとって読むことができます。

来館者自らが思索するための場「思索空間」は、たしかに素晴らしい空間でした。館の大きな割合を占める水鏡の庭に面した思索空間には、禅堂の単(坐禅をする畳敷きの台)がおかれていて、時間が許せば水鏡に映る紅葉を眺めながら、ゆっくりそこに坐禅していたいほどでした。




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金沢を訪ねられる機会があれば、ぜひ時間をとって訪ねてみていたきたいと思います。
以前に紹介した「西田幾多郎記念哲学館」との交流協定も結ばれたようで、この点でも今後の展開が楽しみです。

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鈴木大拙館
〒920-0964 金沢市本多町3-4-20
TEL 076-221-8011

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木蝋で栄えた町 -愛媛県・内子-




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徳島のうだつの町並みは有名で、藍商で栄えた美しい商家が立ち並ぶ様は皆さんもよく御存知かもしれませんが、愛媛の内子については御存知の方も少ないのではないでしょうか。
私も今回たまたま訪れる事となった町ですが、日本がバブルに浮かれている頃から、町並みを保存すべく頑張って来られた町の方々のその結果が、この町には随処に伺えます。

特に保存地区として、木蝋(ハゼの実から融点の高い脂肪を圧搾するなどして抽出した蝋)で栄えた商家が連なる町並みは、殊の外美しいものでした。写真は、木蝋生産で財をなした豪商、芳我(はが)家の家で、本家である事から本芳我家と呼ばれています。漆喰を使ったこて絵や、懸魚(げぎょ)の意匠がそれは立派でした。

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“豊かさ”とは -友人たちとの勉強会にて-




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何度かこのブログでもお伝えしています私事ですが、大学卒業後、ゼミ担当教授とゼミの仲間達と2ヶ月に1度、10年以上に渡って母校にてゼミを続けて来ています。

最近では、ゼミ仲間以外の方達とも共に学びたい……と思い、京都でも勉強会を開催しています(もしも関心おありの方がいらっしゃれば、詳細お伝え致しますのでご一報下さい)。

先日の友人宅での教授を招いての勉強会では、“豊かさ”についてをテーマに話し合いの会を持ちました。
“豊かさ”の尺度は本当に人それぞれです。皆さんにとっての“豊か”とは、どういう状態を言いますか?

私は、禅の、“無一物中無尽蔵”というような考え方といいますか、世界観が大好きで、必要最低限の物しか持たずに生活を送る僧堂の写真集などを見ていても、なんと美しいのか……とうっとりと溜め息をついてしまいますし、究極の憧れの世界だと思えます(といって出家はしませんが……)。
その真髄に少しでも触れ、解する事ができるならば、様々なものへの執着を手放し、限りなく広く豊かな世界があるという事だけは確信していますので、“禅”や仏教、茶道の精神性などに殊の外惹かれています。

先日も、若い女性に禅文化研究所で働いていると言ったところ、「何でそんなところで!?」と驚かれました。彼女にとっては、陰鬱な暗いお寺のイメージ、華やかさなど全くない世界で……というようなことなのでしょう。
ですが、私にとっては、どんな華やかな世界や、世間一般にいうところの“セレブ”な人々がいる世界よりも楽しく、魅力的な“禅”の世界なのです。

お坊さんでもない私が、どのようにその魅力を伝えられるのかな……と、最近考えています。友人たちには、自身が研究所でお坊さん方と働き、思うところや、老師にインタビューをさせていただいて感じた事などを伝えたり……といったことはよくしているのですが、研究所で何かできればと思います。
具体的な事が決まりましたら、またこちらでもお伝えできればなと思っています。

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御苑の紅葉




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それは、それは、見事です。
今年は、忙しさのせいもありますが、特別にどこかへ紅葉狩りにでかけたり……という事をせずにいます。ですが、家の近くの御苑を訪れるだけで、そこここに自然の、生命の神秘をみつけられます。

朝早く起きた日には、御苑で美味しいパンなどをほおばったりしております。
朝から至福の時を過ごして一日のスタートとする。これ、とても重要だと思っています。坐禅や瞑想も、朝に行うのは良いですねぇ……。

皆様はどんな朝を過ごしておいでですか?

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古代史史料としての『元亨釈書』




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『元亨釈書』は鎌倉時代の僧伝・仏教史として著名であり、その史料的価値はいまさら論ずるまでもない。

しかし古代史に関する史料としては、その成立時期の遅さもあり、注目される部分は少ない。他に見えない独自記事があったとしても、その評価は芳しくない。例えば、巻一、道昭伝における道昭の隆化寺慧満への参禅、あるいは巻二十一、持統三年条(六八九)に見える、明聡らによる新羅使者へのとりなしの記事などは、創作記事と考えてよいだろう。

しかし、中には検討に値すると思われる記事もある。『釈書』二十三、資治表四、高野皇帝(称徳天皇)五年条(神護景雲三年/七六九)に、「封戸(ふこ)を土師寺(はじでら)に納む」とある。この記事は現存『続日本紀』『扶桑略記』には見えない独自のものである。また土師寺についても大阪府藤井寺市の道明寺(土師寺はその古名)だと思われるが明証がなく、江戸時代以来二・三の説があった。

ところが『新抄格勅符抄』寺封部に「□師寺。四十戸。神護景雲三年施。信乃二十戸、遠江二十戸」(『新訂増補国史大系』による)とあり、欠字であった「□師寺」が先の『釈書』の記事に見える「土師寺」に当たると思われるのである。神護景雲三年、土師寺への封戸四十戸の施入は史実と考えてよいであろう。

『続日本紀』によれば、同三年十月、称徳天皇は河内国由義宮(ゆげのみや)を西宮と称し、河内国を廃止して特別行政組織の河内職を置いたという。由義宮とは、天皇が、その寵愛する道鏡の出身地に造営した宮で、現在の八尾市付近にあったと考えられている。

以上を考えあわせると、やはり「土師寺」は河内の道明寺を指すのであり、封戸施入も由義宮造営に関連する措置であった可能性が出てくる。謎の多い由義宮造営に関する一史料となるかも知れない。

『釈書』の本記事は、『扶桑略記』に拠ったものである可能性が高い。現存『略記』の当該巻は抄録本であるが、完本には本記事があり、『釈書』は抄録される前の『略記』に拠ったのではあるまいか。このような例はまだまだあるだろう。

参考文献:藤田琢司編著『訓読 元亨釈書』(禅文化研究所刊)下巻372頁。

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