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秋の非公開文化財特別公開




大徳寺本坊

京都古文化保存協会さんによる、秋の非公開文化財特別公開の時期がやって参りました。

平成21年10月30日(金)~11月8日(日)

今回、臨済宗からは“大徳寺本坊”が公開されるようです。
こちらは、瀑凉の時くらいしか、中に入る事はできません。山内の塔頭寺院で特別に公開されている所もあります。
是非この機会にどうぞ!

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チベット・タンカ絵師 馬場崎研二・帰国展 -京都・退耕庵-




チベット・タンカ絵師 帰国展

東福寺塔頭、退耕庵にて、チベットタンカ絵師・馬場崎研二さんの帰国展が開催されます。
詳細は下記のとおり。普段は非公開の塔頭にての展観です。
是非この機会にお立ち寄り下さい。

-馬場崎研二-
長崎県佐世保市生まれ。
慶応義塾大学法学部政治学科卒。
1978年3月、インドのダラムサラにて生涯の師、チャンパ・ツェテン氏と出会う。
以後11年間、師の死去まで師事。ダラムサラでの生活を終え、今年7月31年ぶりに帰国。
チベットタンカ絵師として国際的に活躍。

日時:11/3(火)~10日(火) 10:00~16:30
料金:300円
会場:京都 東福寺 塔頭“退耕庵” JR奈良線・京阪本線「東福寺」下車、徒歩5分

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-生死事大、無常迅速- えしん先生の禅語教室 その11




板(はん)

-生死事大、無常迅速 しょうじじだい むじょうじんそく-

禅寺の玄関に、「板」(はん)という、客が打って来訪を知らせる四角い木板が掛かっているのを見たことがありませんか。ほんらいこの縦横50センチの分厚い板は、禅の専門道場の坐禅堂に懸けられていて、雲水(修行者)たちに一日に三度、時間を知らせる道具です。そういえば「道具」という語は、「仏道修行の用具」という意味の仏教語なのですが。

禅宗の本山を訪れると、とつぜん辺りの静寂を破って、この板を三度繰返し連打する音が聞こえてくることがあります。朝は薄明のなかに立って掌のひらの線があらわれる頃、夕方はこの線が消えて見えなくなっていく頃、そしてもう一度は夜の九時と、三回にわたって修行者たちに時を告げているのです。

ところで、この「板」には必ず、「生死事大、無常迅速、時不待人、謹勿放逸」と書いてあります。「しょうじじだい、むじょうじんそく、とき、ひとをまたず、つつしんで、ほういつなるなかれ」と読むのです。「生死事大」という語は、敦煌本『六祖壇経』に、すでに五祖弘忍大師の語として、「吾は汝に向かって説かん、世人は生死事大と」と出ています。

人間にとって生と死は、人生上の重大な課題であるということです。五祖は八世紀前半の人ですから、なんと古い言葉じゃありませんか。それが今でも使われているのですから、まさに人間存在にとって生死は永遠の課題というべきです。

六祖慧能の法を嗣いだ弟子の一人に永嘉玄覚(ようか・げんかく/?~713)という人があります。彼は初めて六祖に見(まみ)えたとき、錫杖を持ったまま六祖の坐っている椅子の周りを三度回ったあと、初めて六祖の前に立ちました。六祖が「沙門はもっと威儀を慎むものだ」とたしなめると彼は、「生死事大、無常迅速」と答えたのです。(『祖堂集』巻三、一宿覚和尚章)。

玄覚にとっては、禅の修行者はそんな礼儀作法よりも、生死の問題こそ一日も早く解決しなければならない問題なんだ、と言わぬばかりの勢いですね。

六祖は沙門に生死などあり得ないとか、時間に遅速など無いんだとか言ってきかせますが、玄覚はなかなか負けていません。
ひとわたりの問答をすると、彼はただちに六祖の道場を去ろうとしました。どうしてそんなに急ぐのかと六祖に引き止められ、
一晩だけ止宿すると翌朝、「六祖に出会ったお蔭で、もはや生死が問題でなくなったわい」と言って山を降りていきました。
これによって彼は、人々から「一宿覚」と呼ばれるようになったのでした。
さて、「板」に書いてある、「生死事大、無常迅速、時不待人、謹勿放逸」ですが、「己事究明」(自己とは何かの追求)を本命とする禅僧にとって、この自分がいかに生き、いかに死んで行くかは、まさに喫緊の課題でなければなりません。これを解決しなければ、わざわざ頭を剃って禅僧となった意味がないのですから。

ところが一方で、仏陀が「諸行無常」と説いているように、時間というものは遠慮なしにどんどんと過ぎていきます。うっかり暮らしていると、真実の自己に出会わないままに、すぐに死を迎えてしまうことになり、何ともしゃんとしない人生で終ってしまうことになります。まさに「時、人を待たず」です。

そうなると禅の修行者は、ひとときも悠長な時を過ごすことはできないでしょう。だから「謹んで放逸なること勿れ」と、古人は誡めているのです。道場で朝晩「板」を打つのは、これを聞く修行者に、常に時の無常を喚起させるためでありましょう。

禅の修行者に限りません。私たちもまたうっかりすると、時間の経つのを忘れがちですね。フランスの作家ジャン・コクトーに、「人生は水平方向に落ちていくことである」という恐ろしい言葉があるそうです(晴山陽一『すごい言葉』)。よほどしっかり前方を見つめて生きないと、死に向かって進んでいることを忘れてしまうのですね。

西村惠信

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伊勢神宮献茶式




遷宮ご修造のひとつ“宇治橋の架け替え”

10月10日、雲1つない高い空、澄みきった空気のもと、伊勢神宮のお献茶(表千家家元奉仕)にでかけてきました。寺院での献茶式にはよくでかけますが、神社は初めて。雅楽や神楽の奉納もあり、また違った日本古来の伝統を感じ、感謝する良い機会をいただきました。

さて、伊勢神宮には何度かお参りさせていただいていますが、訪れる度に“気づき”があります。
これからも幾度となくお参りすることでしょうが、その度に何か感じる事、思うところがある事と思います。
何百年も生き続けている木々の間を歩くだけでも心底気持ちの良いものです。

お伊勢さんの大木

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北村美術館 -秋興の茶-




秋興

春、秋と年に2回楽しみにしているのがこちらの展観です。
今回のテーマは、『秋興の茶』。いつもこちらの展観のテーマは美しい日本語ですので、それもまた楽しみなのです。
秋は空気が澄み空高く、茶花も、美味しい食べ物も豊富で、山の彩りも錦で豊かになり、大好きな季節です。そんな秋の茶事とは如何に?!と思わせる、“秋興”の文字。
懐石に始まり、小間での重厚な濃茶、広間での心軽やかに楽しめる薄茶、そんな茶事に使われる道具組が順を追って観られます。
とりわけ心に残ったのが、千家十職のうちの、樂焼のお茶碗を作る家、樂家の七代目、左入(さにゅう)作の赤樂、“菊の絵茶碗”です。

既に8年ほど前になるでしょうか、美術館にて左入作の赤樂“吉野”を拝見しました。
まるで本当に吉野の桜を拝みに行ったかのような気持ちになれる、何とも言えない淡く美しい色合いのお茶碗で、また何とも優しい感じがにじみ出ていて心が和み、それ以来左入さんファンの私。今回の“菊の絵茶碗”にも和ませていただきました。
やはりこれらの茶碗は作った方をうつしているようで、今回の展観の案内にも、
「温厚篤実な人で風流人でもあったそうです。その作品は技巧にすぐれ、性格どおり温厚でしかも丁寧なものが多く、一般に黒よりも赤茶碗がもて囃されています」
とありました。

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コスモス

二十年振りに親友に会った。二年前に小学校の教師を退職して、大阪にひとりで暮らしている。京都駅の中央改札口で待ち合わせをした。彼はまるで森のなかに一人でいるように、雑踏の改札口に、しんと佇んでいた。昼食を一緒にした。料理が運ばれてきたとき、彼は、「たった一人で心が餓えていると猛烈な食欲が出てくるものだ」と言った。そう言いながら彼はゆっくりと静かに食べた。貪っているのはむしろ私の方だったので可笑しかった。

どんな生活をしているのか尋ねると、彼はとても簡単に答えた。「朝起きて散歩をして朝食を取り、坐禅をして昼食をとり、坐禅をして夕食を取り、坐禅をして寝る」。一週間に二度ほどスーパーに買い物に行って、レジで「ありがとう」と言う。一週間に二回のありがとう。彼が人に話をするのはそれだけのようだった。会って三十分ほど経ったとき、この二年間でこんなに話をしたのは初めてだ、と彼は言った。

彼は私に、久松真一博士の「基本的公案―どうしてもいけなければどうするか」を、どんなふうに工夫しているかと尋ねた。私は困ってしまった。久しい前から「基本的公案」は棚上げしていた。とりあえず、「定」に入れば、公案はおのずと解けると思っていたのだ。彼はずっと持ち続けているようだった。彼は言った、「貴方に会うことになったとき、困ったなあと思った。ぼくはまったく前に進んでいないから」。私は心のなかで、「前に進んでいないというあなたの〈我(が)〉を私はどうしても捕まえることができない」と思っていた。

彼はとても温かだった。こんな温かさを現成できる人を私はあまり知らない。

以前から、彼が教師としてどれほど卓越していたかを知っていたから、学校のことをいろいろ尋ねてみた。国語の詩の授業。彼は生徒たちに詩を読ませて、「その詩のなかのどんな言葉でもいい、それについて自分が感じたこと、思い出、なんでもいいから書いてごらん」と言うのだそうだ。そうすると、生徒たちはまちがいなく全員、びっくりするほどたくさんのことを書くそうだ。生徒たちは今度はグループに別れて、それぞれが書いたことをみんなでまとめて、グループ毎に報告する。彼はそれからみんなに聞くのだそうだ、「君らにはこの詩から思い浮かぶことがこんなにあった。この詩を書いた人には、どんな思いがあったのだろうね」。子どもたちはみんな「詩」が面白いと言うという。こんな授業を受けて落ちこぼれるのは大層難しいことだろうなと思った。幼いときにこんな先生に出会えた子どもたちの幸運を思う。

正午に出会って、夜の八時に京都駅で別れた。瞬時のような気がした。それから今に至るまで、私の頭のなかを、「億劫相別れて、須臾も離れず、尽日相対して刹那も対せず」という言葉が駆け巡っている。私は一体だれと会っていたのだろう。

かつてスティーブン・アンティノフ氏が「内なる深淵に呑まれて」(禅文化148号・150号)という優れたエッセイを書いた。

わが「友」は、そこに登場する「片岡さん」である。

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大徳寺塔頭 特別公開情報




大徳寺駐車場横の紅葉(昨年)
昨年の大徳寺での紅葉


先日所用があり大徳寺へでかけた所、特別公開をしている塔頭がありました。
いずれも普段は非公開の寺院ですので、秋の京都へのご旅行を計画されている方は、是非訪れてみられてはいかがでしょうか。

【黄梅院】
春林宋俶を開祖とする小庵・黄梅菴を前身とし、天正年間(1573~92)に豊臣秀吉・小早川隆景らの帰依のもと改築されました。本堂や庫裡などは重要文化財に指定されています。また、千利休による直中庭の他、武野紹鴎作の囲式四畳半の茶室「昨夢軒」なども見ごたえがあります。個人的には直中庭にある加藤清正が朝鮮より持ち帰ったという灯籠が素晴らしいと思っています。

期間:2007年10月6日(土)~31日(水)、11月13日(火)~12月9日(日)
時間:10:00~16:00


【興臨院】
大永年間(1521~1528)に能登の守護畠山左衛門佐義総が建立し、天正九年(1581)に前田利家により改修が行われ、以来、前田家の菩提寺となりました。
こちらのお寺のもみじの大木の紅葉は、えもいわれぬ美しさです。

期間:2007年10月6日(土)~12月16日(日)
時間:10:00~16:00

いずれのお寺も、法務などで拝観休止の事もあります。ご了承下さい。

【第8回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅 参加者募集中!】

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神戸 祥福僧堂




神戸 祥福僧堂

墨蹟の撮影にて、神戸市内にある祥福僧堂を訪れました。
こちらの僧堂は、禅文化研究所初代所長の山田無文老師がおられた僧堂です。現在の師家は、木村太邦老師です。

僧堂を訪れると、とても興味深いので色々と観察する私ですが、いつも、どちらの僧堂に伺っても一番に思うのは、

「は~~っ、(お腹の底から)気持ち良いなぁ…………」

という事です。この言葉につきるのです。
通り抜ける風、黒光りするほどに磨かれた床、掃き清められた庭、その僧堂を取りまとめる老師の息遣いが聞こえるようで、また厳しい修行に励む雲水さん達そのものの姿を見るようで、とても楽しみにしている仕事の1つです。

この掃き清められた庭を見よ!

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伊吹山登山 2

伊吹山登山の目的は、以前、夏に登ったときの花畑の美しさに魅了されたからだった。
ところがじつは、この時期の頂上付近の花畑には、もう花など咲いていなかった。残念。
ただ、登っている途中、折々見ることのできた小さな野花や植物を、ファインダーにおさめてきたので、お見せしたい。

リュウノウギク
リュウノウギク


オオハナウド
オオハナウド


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伊吹山登山 1




伊吹山登山

連休の秋晴の一日、ふと思い立って、滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山(滋賀では最高峰の1377m)を登ってみようという気になった。
前にもブログで伊吹山の花畑を紹介したことがあるが、その時には車でドライブウェイを登ったのだが、今回は、麓から我が足で登ろうというのである。

そもそも、その前日にカーラジオを聞いていたら、伊吹山3合目付近に、ススキ野原が広がっているということをDJが言っていて、ちょっと登って写真を撮ってこようと思ったのがきっかけ。
だが、どうせなら頂上まで登山してみようかと思い、やおらリュックを取り出し、寒さ対策のウインドブレーカーや水・食料を詰め込んでの登山となったのである。

ここは実は25年ほど前の真夏に仲間と登ったことがある。が、そもそも登山自体が久しぶり。ところが、意外にも多くの人が登ろうとしているのである。登山道では、すれ違う人、追い越す人と必ず挨拶する。出逢った人の数だけ「こんにちわ」を言うというのも、普段ではできない感覚だ。

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3合目付近では、確かにススキ野原に出迎えてもらった。真っ青な秋の空に、ぼんやりとお月様も浮かんでいる。

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1時間半もかかっただろうか。やっと5合目に到着した。 この伊吹山は5号目までくらいは比較的なだらかだが、そこから頂上にかけて、斜面がきつくなる。この写真では大してきつくみえないが、なかなかどうして、ここからが大変だ。

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宇治茶まつり




宇治茶祭 献茶式

10月4日、晴れ渡る空のもと、名水汲み上げの儀に始まった毎年恒例の宇治茶まつり。
今年は最も尊敬する茶人、堀内宗心宗匠がお献茶をされるとの事ででかけてきました。

この宇治茶まつり、中国から茶の種を持ち帰った栄西禅師(ようさいぜんじ)と、栂尾でその茶の種を栽培した明恵上人(みょうえしょうにん)、そして千利休の3人の茶祖・茶道の先覚者の霊を祀り、茶を献じます。また併せて、茶の史跡保存と宇治茶の振興を図るために、毎年10月上旬に宇治橋周辺で行なわれるお祭です。

名水が到着 建仁寺管長による香語

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野村美術館 -樂家の歴代展-




野村美術館

恒例の野村美術館、秋季特別展を訪れました。
この度は、千家十職、千利休時代から茶の湯に深く関わってきたおちゃわん屋、樂家の歴代の作品が並べられていました。
代々の作品をみていますと、新しい物を創造する事にチャレンジされた方、長次郎(初代)復古のように、これぞ樂茶碗というような茶碗をひたすら一本道に作り続けた方、特徴があり面白いものです。
地階では、「茶の湯の棚展」も開催されており、「こんな雅やかな豪華な棚が!?」と目を見張るようなもの、様々な茶会に行ったり長年稽古を積んでいても見たことのないような棚、自分が習っているのとは違う流派の棚などが拝見でき、非常に興味深いものでした。
12月13日まで開催中。野村美術館のあたりへは、南禅寺さんからずっと紅葉が美しい道。是非歩いてこのあたりを散策してみて下さい。

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法常寺 -亀岡市-




丹波 法常寺

9月のはじめ頃、愚堂国師の墨蹟撮影の為、亀岡市にある臨済宗妙心寺派の法常寺を訪れました。
こちらの開山は江戸初期の禅僧、一絲文守(いっし・ぶんしゅ)です。永源寺の中興の祖としても有名です。
都を離れ、山深いところを好んだ一絲が25歳の時にこちらに移り住み庵をむすんだところ、彼に深く帰依していた後水尾天皇が伽藍を寄進したとの事。
仏殿は市の文化財、庭は府の名勝に指定されています。紅葉の頃はいかばかりか……と思いつつ、境内を散策しました。

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無料ウイルス対策ソフトのご紹介




無料ウイルス対策ソフト

コンピューターに悪影響を及ぼすウイルスについて一度は耳にされていると思いますが、現在お使いのパソコンにウイルス対策はされていますか?

ウイルスと言っても、いたずら程度のものから大切なデータを破壊してしまうもの、あるいは悪意を持った人に大切なデータを盗まれてしまうものなど様々です。

そういったトラブルに遭わないためには、ウイルス対策ソフトをインストールするのが最も効果的です。

2009年9月30日、マイクロソフトより無料のウイルス対策ソフト「Microsoft Security Essentials」が公開されました。このソフトをインストールすることで、ウイルス対策とスパイウェア対策ができます。

Microsoft Security Essentials


今までにも無料のウイルス対策ソフトはありましたが、聞き慣れないメーカーのソフトを使うのは不安があります。しかし、マイクロソフトのウイルス対策ソフトでしたら安心して使えるのではないでしょうか。

それでは、有料と無料のウイルス対策ソフトではいったい何が違うのでしょうか?

無料ウイルス対策ソフトの機能(ウイルス対策やスパイウェア対策)に加え、有料ウイルス対策ソフトでしたら、個人情報漏洩対策やフィッシング詐欺対策などの様々な機能が盛り込まれています。またトラブル時など困った際には電話サポート対応も受けられますのでより安心です。

現在使用されているパソコンにウイルス対策ソフトがインストールされていない、あるいはインストールはされているが更新期限が切れている場合は、有料無料を問わず、最新のウイルス対策ソフトをインストールされることをお勧めします。

【第8回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅 参加者募集中!】

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打算




秋の朝露

私の鍼灸師さんがかつて言ったことがある。
「配偶者を決めるとき、電車で足を組むような人は絶対やめといたほうがいいでしょう」
私は一瞬とまどった。そんな人は不遜な性格だという意味だろうか?
「足を組む癖のある人は早晩必ず大病します。身体に強い歪みがあるはずですから」
ちょっと目からウロコだった。配偶者を選ぶときに、身体の歪みのことを考える人はあまりいないかもしれないなと思って、ちょっと可笑しかった。

人間の関係を突き詰めると、どんなに密接な間柄でも微かな打算が入り込む。悲しいかな、親子だってそうだ。息子や娘の配偶者を探している親が、「自慢の息子です」とか「非の打ち所のない娘です」という場合、ほぼ例外なく世間のものさしが働いている。学歴、職業、収入、身体的美醜、性格の良し悪し等等。

医者だの弁護士だのという息子をもったおかあさんは、ただそれだけで、失業中で途方にくれている息子をもったおかあさんよりも、嫁選びの際には、ちょっとばかし鼻息が荒いというのが正直なところだろう。

ヘルマン・ヘッセに『デミアン』という小説がある。初めて読んだとき、母親と息子がこれほど美しく描かれた物語が他にあるだろうかと思った。もし息子がこんな母親を持つことができたら、至福以外の何物でもないだろうと思った。もし母親がこんな息子をもつことができたら歓喜以外の何物でもないだろうと思った。
母親は息子デミアンをも真に「正しく見」る「正思惟」の人である。そのことを完全に理解しているデミアンは母親について、「母は大丈夫です、世界でもっとも大丈夫な人です」と言う。不思議なことだが、デミアンは「私の」母だから母親を敬愛しているのではないし、母親は「私の」息子だから、デミアンを愛しているのではないように思われる。
二人の関係には、究極の打算である「私の」が欠落している。配偶者がデミアンであり、義母がデミアンの母であるような女性のことをふと思ってみる。「浮世」が遙か遠くに思われることだろう。

我に返って、このシャバで、浮世のものさしを考えたとき、さきの「身体の歪み」云々は、打算のなかでも比較的かわゆいものかもしれないなと、ふと思ったりした。

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大型連休




大型連休

公的機関における休日を基準に見ていくと、19日(土曜日<休日>)、20日(日曜日<休日>)、21日(敬老の日<祝日>)、22日(国民の休日<休日>)、23日(秋分の日<祝日>)の5日間の連休でした。
ブログをご覧になっている皆様は、どのようにお過ごしになられましたでしょうか。きっと有意義な連休だったことでしょう。

さて、今回の連休には、敬老の日と秋分の日という2つの祝日がありました。
ご存じのこととは思いますが、祝日とは「国民の祝日に関する法律」(昭和23年法律第178号、以下「祝日法」と表記)によると、第1条に、「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを『国民の祝日』と名づける」とあります。

ということは、祝日には元来意味があって、それらのことを「祝う」・「感謝する」・「記念する」ためにあるということになります。ちなみに「祝日法」によると、敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことが記述されています。

老人を敬愛し、長寿を祝う。祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。

これらの事柄を、国民の祝日として休日にし、日本国民がこぞって行う。私たちの祖先には、このような美しい価値観があったことを、今更ながらとても誇らしく思います。

ただ、確かに連続した休日であったことに間違いはないのですが、「祝日も休日なのだから、休む権利がある」と言わんばかりに、休日であることの方を強調しているような風潮があるように思えたのは筆者だけだったのでしょうか。それとも、これが現代の価値観・常識であり、ひょっとして、上記の価値観自体が、非常識になりつつあるのでしょうか。

このような風潮は、とても残念なことだと思うのですが。

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MIHO MUSEUM -若冲ワンダーランド-




若冲ワンダーランド

大好きなMIHOミュージアム、秋の展観を鑑賞に訪れました。
今回は皆様もおそらく御存知、伊藤若冲。ワンダーランドと名付けた所以は、若冲の描く絵が、当時流行した「写生」とは少し異なる不思議な世界であった事からだそうな。
確かに若冲の絵を観ていますと、美しく一枚一枚鶏の羽が描かれているかと思いきや、顔は若干鶏の顔とは違っていたりユーモラスだったり、それでも現実の鶏以上に躍動感に溢れていたりと不思議な感覚を覚えます。
今回の目玉は、近年民家から新たに発見されたという象と鯨の屏風。これはまさにワンダーランドでした。圧倒されるような…、でもくくくっと笑いたくなるような、なんとも不思議な巨大な鯨と象の屏風。黒い鯨に白い象。地球上最も大きな哺乳類と言われる鯨に、これまた大きな神聖な白象。これを屏風におさめた若冲の心や如何に?!
その他未だ観たことなかった作品なども出展されており、非常に興味深い展観となっていました。

信楽の山奥ということで、少しばかり紅葉も始まっていますよ!是非おでかけになってみてください。

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宗鏡寺 -兵庫県豊岡市出石-

参道

但馬の小京都といわれる出石にある宗鏡寺(すきょうじ)は、通称沢庵寺と呼ばれる臨済宗大徳寺派の古刹である。もとは東福寺派に属し、戦国大名山名氏の帰依を受け山陰唯一の伽藍を誇っていたが、羽柴秀吉の但馬攻めにより山名家が滅亡し、寺もまた荒廃した。
これを再興したのが、この地に生まれた沢庵宗彭(そうほう)である。
沢庵禅師といえば、徳川家光をはじめ多くの大名の帰依を受け、柳生宗矩に剣術の心得を教えた人物としても知られ、今日食膳におなじみの「沢庵漬」は、禅師の工夫によるものとも言われている。禅師は晩年、家光により建立された江戸の東海寺に住するが、生涯を通じて最も親しんだのが、故郷にある宗鏡寺である。

出石までは私の自坊から車で2時間ほど。山と川に囲まれ静かな佇まいをみせる町並みは、殆どの名所旧跡が歩いて回れる距離にある。

庭園

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明治神宮




明治神宮

大正9年(1920)創建。明治天皇と昭憲皇太后を祀る。

神宮の森

「神宮の森」は植生遷移を考慮して人工的に造られたもの。鬱蒼とした広葉樹の社叢も神宮創建前はただの荒れ地だった。

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『おむすびの祈り―「いのち」と「癒し」の歳時記』 佐藤初女著




季節のめぐみ 季節のめぐみ


季刊『禅文化』213号の吾が恩師、松田高志先生の『宗教と教育と私-「自分を生きる力」をめぐって-』に、佐藤初女さんの事が書かれてありましたので、皆さんにこの本をご紹介しようと思いました。

――ご存じの方も多いと思いますが、佐藤さんは、実に見事に、そして魅力的に自分を生きておられる方です。佐藤さんは、若い頃、重い結核にかかり、十分な医療もなく、辛うじて体にいい自然食と、教会の美しい鐘の音に導かれるように入信したカトリックの信仰によって、幸いにも健康を回復し、その後、悩みを抱えて訪ねてくる人々を受け入れ、手作りの山菜料理とおむすびでもてなし、元気になってもらうということを続けてこられました。 今は、青森県の岩木山の麓に、夢であった「森のイスキア」という山荘風の建物が多くの寄付によって完成し、もう一つの夢であった鐘も不思議な縁でアメリカの修道院から送られてきて、佐藤さんは毎日その美しい鐘の音を楽しみ、豊かな自然のいのちを共にいただきながら、訪れる人に元気になってもらうという日々を過ごされています。それが、実に美しい映像と音楽と、そして佐藤さんの訥々として語られる言葉によって、心の奥まで染み込んできます。自然のいのちをいただき、生きていること、健康であることが決してあたりまえのことではなく、真に不思議で有難いという喜びと感謝の深い思いから、自然体で、悩みを抱いて訪れる人をもてなし、その人が元気になっていく喜びを共にして生きている佐藤さんの姿……以下省略
季刊『禅文化』213号 松田高志『宗教と教育と私-「自分を生きる力」をめぐって-』より

『おむすびの祈り―「いのち」と「癒し」の歳時記』 佐藤初女著の続きを読む

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タブラ奏者 アリフ・カーンのコンサート




コンサート at 福成寺

9/18のブログでお知らせしたように、去る9月27日に、インドから若きタブラ奏者のアリフ・カーン氏が初来日し、京都市西京区の福成寺の竹林で、シタールの田中峰彦氏とのミニコンサートがあった。
コンサートを見に行くことにしたところ、今回の来日に深く関わっている人が、研究所に以前勤務していた方の奥方ということもあって、少々お手伝いを頼まれることになった。

彼と彼のインド側のプロデューサー的存在の女性を京都市内のホテルでピックアップし、車で会場のお寺に連れていき、コンサートの時にはカメラマンになってほしいとのこと。
そんなわけで、しばらくの時間では有ったが、直接、下手な英語で話をしたりして、コミュニケーションもはかれた。もしインドにいく機会があったら、きっとお世話になれそうなことに……

タブラ アリフ・カーン/シタール 田中峰彦

それはさておき、オープンエアで竹林を背景にしたミニコンサートは、約40名ほどの聴衆の中でアットホームな雰囲気のなか始まった。
シタールの田中氏から楽器やインド音楽の説明をしていただき、あのシタールの奏でる独特なインド音楽と、初めて目にする、タブラという打楽器のリズミカルかつメロディアスな音に魅入られて、あっという間の1時間半だった。

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