Oct 21
2009
神戸 祥福僧堂
墨蹟の撮影にて、神戸市内にある祥福僧堂を訪れました。
こちらの僧堂は、禅文化研究所初代所長の山田無文老師がおられた僧堂です。現在の師家は、木村太邦老師です。
僧堂を訪れると、とても興味深いので色々と観察する私ですが、いつも、どちらの僧堂に伺っても一番に思うのは、
「は~~っ、(お腹の底から)気持ち良いなぁ…………」
という事です。この言葉につきるのです。
通り抜ける風、黒光りするほどに磨かれた床、掃き清められた庭、その僧堂を取りまとめる老師の息遣いが聞こえるようで、また厳しい修行に励む雲水さん達そのものの姿を見るようで、とても楽しみにしている仕事の1つです。
僧堂裏の山も、秋には素晴らしい彩りを見せてくれるのでしょうね。
四季のうつろいと共にある修行生活、僧堂内ではどのような生活をしているのか?!お知りになりたい方には、『雲水日記』がオススメです!
by admin at 07:30
祥福寺。。。なつかしいです~
わたしは祥福寺の門前で育ちました。
今、思えば山田老師によくかわいがって
もらったそうです(←親曰く)
除夜の鐘もつきにいきましたし、境内で遊んでいて雲水さんに注意されたりしました。。
祥福寺、平成の御代になっても時間が止まっているエリアなのでしょうか。
また、訪れてみたいところです。
ご紹介ありがとうございました。。
ゆささま、コメントをありがとうございます。
そうですか、祥福寺の門前でお育ちですか。
祥福寺に限らず、臨済宗の各僧堂に行くと、どこも凛とした空気です。
山田無文老師は、とても慈悲深い方でした。門前の子供たちをもきっと可愛がられていたんでしょうね。
禅文化研究所で発行している書籍の中で、今でも一番のベストセラーは、山田無文老師著の『自己を見つめる』です。直接ご法愛を受けた方はだいぶ減って来ているでしょうし、書店でも平積みではなく、書棚にさしてあるだけなのに、こんなにコンスタントに売れるのは、やはり老師の偉大さ故なのでしょう。
初めて行ってきました。お近くのお寺のご住職さんに道を尋ね、花屋さんでも聞くよう言われながら着きました。
階段に変わった置物があって、来た人に聞きましたが、無視されたので、ここはしゃべったらいけないんだろうか、と不安なまま入っていき、玄関?に入り、御用のかたは鳴らしてください、というのを見ていたら、お坊様が通りかかりました。そこで置物の話やインドで活躍されているお坊様の話などお聞きしました。もっとお聞きしたかったのですが、托鉢に行っていた方々がお帰りになられたので、お話はそこまででしたが、今度は帰ってこられたお坊様を見ようと失礼ですが、見にいきました。
ソテツの前でなにやら唱えているのを見ていました。
托鉢したことがないんですが、というとここへとひろげてくださったので、乗せました。
その木はなにかあるんですか?とお聞きしましたら、
べつに木に言っているのではなく、托鉢の報告?をしているのだそうで。
その日は長田区まで托鉢にいかれたそうで、びっくりしました。わらじもぼろぼろなのを見せていただきました。
なかは見れなくて、お彼岸とかだとはいれるそうなので、
また行きたいです。もっとお話しをお聞きしたかったのですが、汗をかかれているのをお引きとめして悪いな~と、それでもいろいろお話くださってありがたかったです。
帰るとき、つりがねをみて、これ叩いていいんですか~とさけぶと、だめですーと返事がありました。
お花屋さんで聞くと、6時に唱えながらお坊様がつくそうで、あとは除夜の鐘として叩かせていただけるとのことでした。
また行ってうろうろしたいです。できるだけ修行の邪魔にならないように。
yamaguchiさま、コメントありがとうございます。
普通のお寺と少し違う雰囲気を感じ取られたことかと思います。色々とお話を聞けてよかったですね。
ただ、祥福寺は基本的に拝観寺院ではなく、臨済宗全体でも40ケ寺にも満たない僧堂(修行僧のための専門道場)ですので、修行の妨げにならないように(静粛にするなど)お気遣い願えれば幸いです。
特に、接心といって、坐禅三昧で修行する期間が、ほぼ毎月1週間あります。その期間には境内に入ることも憚られますので、ご注意ください。
お返事かいてくださって、ありがとうございます。
その毎月ある接心の日ってまえもってわかるんでしょうか?9月26日は置物が気になって、そのことを聞いて次の用があるので、お寺はほとんど見てないんです。
お近くのお寺様も、祥福寺さんは街中にあるので人が境内に入るのは止めないけれど、と修行道場だということは言われてました。そのご住職様も臨済宗だそうで、少しだけお話聞きました。とても気さくな方で、お葬式があるようでしたのに出てきて応対していただきました。帰りはお葬式の最中のようでしたので、違う方にお礼を言いましたが、またあのご住職様にもお話聞きたいものです。これからときどき神戸駅の方へいきますので、できたら静かに
訪ねさせてもらいたいな~と思っています。
yamaguchiさま。
毎月の接心の日ですが、修行道場によって日にちが異なり、またいわゆる大接心の前後に、地取り接心と練り返し接心といわれる小接心があったりもします。
修行道場ですから、あえて内部の予定を公表する必要もないので、直接尋ねるしか仕方がないように思います。
正式にお寺の中を案内してもらいたいとか、修行の様子のお話を聞きたいというようなことであれば、電話なり封書なりで、祥福寺に頼んでみられては如何でしょうか。修行道場では、「知客寮(しかりょう)」という役職の修行僧がおり、対外的なことを受け持っていますので、郵便にしろ電話にしろ、祥福寺の知客寮さんにご連絡されるといいかと思います。
お話してくださってとても楽しくて、お手紙だしてしまったんです。妙心のうた まで書いて。
雲水さんが叱られていたら、と後で心配になり、訪ねました。叱られてはいなくて、またお話くださいました。
老師様がおでかけになる、というので、わ~い ついてる
と思って、お待ちしていました。
キンキラで出てこられると思っていたら、とても質素でいらっしゃいました。老師様は質素な方なんです、と言われました。ちょうどお寺をたまたま見に来られていた人もいて、その方といっしょにお台所も見せていただき、震災で屋根の修理が必要だということもお聞きしました。
今の瓦はすべて取り換えることになるそうで、写真を撮るならと言われました。今度写真に撮るつもりです。
瓦を処分するなら、1枚もらおうなんて思ったら、きちんとまたお使い道があるようです。
何年計画かわかりませんが、是非今のお寺のお屋根記念に撮って、また新しくなったらそれも記念に残したいです。
親切でお優しいお坊様がいらして、嬉しいです。
托鉢の日にちや座禅の日にちも教えていただきました。
雲水さんたち 修行はげんで、いいお坊様になってください。
昭和の時代に、大学を1年休学して僧堂で新到として修行させていただきました。
無文老師から「狗子仏性」の公案をいただきました。臘八接心も経験しました。
その後禅から離れていますが、僧堂の生活のすべてと、不思議な見性の経験は私の一生の財産になっています。
昨日の6月16日に2回目の訪問をしました。といっても接心中のようで、看板が出ていて階段の上までしか行けませんでしたが、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
ありがとうございました。
先日訪れると座禅会が催されていました。あいにく座禅は終わっていて、みなさんで本を読まれていました。老師様もいらして、開け広げたお部屋は風が通り抜けてました。静かで物音は外でご用をされてる雲水さんのものだけでした。
広いお部屋で多くの人が座り本を読んでる姿は、まるで僧侶の夏安居のように感じられました。僧侶さんは老師様ともうお一方見かけて、あとは普通の方たちでしたけど。
座禅に参加できなかったのは残念でしたが、次回参加したいと思ってます。胸の前で合掌しない限り、一般人は警策が来ることはないとお聞きしましたし。。。
何度行っても不思議な安心感のあるお寺です。
大心さん、コメントを頂いておきながら、返信できず失礼しました。無文老師の室内に直に参じられたのですね。どうかそれを人生の糧としてご精進くださいね。
それから、無記名でいただきましたが、yamaguchiさんでしょうか。少し誤字がありましたので、勝手ながら修正させていただきました。是非、次回は坐禅会に参加してみてください。
座禅参加しました。毎月第四日曜日午後二時からだそうです。座禅の場所は本で読んだ雲水さんの寝起きするような感じのところでしたが、座禅中は黙ってないといけないと聞かされてたのでお聞きしてません。ほんとはもっと見たかったけど座禅は集中して雑念行けないんですよね。雲水さん来られた時合掌しましたが、何一つわからないので黙ってお顔見てたら、ちゃんと形作って頂きました。叩かれた時は、痛い!と感じましたが、すぐにすっとしたので不思議なものです。途中お経を読むのもあり、ほんと参加して良かったです。
その場所にいくまでにどなたかの像がありお聞きしましたら、山田無文老師様だそうです。今の老師さまはふくよかでにこやかなお顔ですが、細面で髭がありました。帰りにその髭のこと聞いてしまいました。一杯不思議で不思議でたまらないことがありますね。
雲水さんの運んでくれたお茶はおいしかったし、前は見れなかったお庭も見ました。枯山水なのか知りませんが、きれいな掃き目が印象的でした。
老師様のお話は難しいけど、じっくり聞きたいお話でした。心に響くものがありました。穏やかなお顔見てるだけでなぜか安心するのですが。タレントではございませんし、お写真撮らせてくださいとはちょっと言えませんね(ほんとは一枚欲しいです)
yamaguchiさま
ついに一歩踏み出されましたね。修行僧と違い、ずっとその場で生活するわけではないですから、いろいろとわからないことや難しいこともあるでしょうが、どうぞゆっくりとご精進くださいね。
コメントではないのですが。
先日は祥福寺のお若い雲水さんや、まあまあお年召された雲水さんと話しさせていただきました。
なぜ修行されてるのですか?
と失礼な話しもありましたけど、きっちり答えてくださいました。本来は修行の場なのでそんな話しいけないんでしょうけど。ごめんなさい。
ある方はお寺の長男ではないけど、父の姿や祖父の事を見て、お寺の後継ぎではないけど修行しようと思ったそうです。仕事するにしても少しくらい回り道してもかまわない、お布施で育ててもらった有難さ感じてると話されて、ハッとさせられました。
申し訳何のですが、こちらのブログはどのような方が管理されてるのでしょうか。山田無文老師様が初代のと少し知りましたが。。。。
何も知らず祥福寺さんのページがあったので、コメントしていましたが。
私が雲水さんと話しすることになったのは、ネットで不安な事があり、精神的にダウンしてしまったことも関係してます。
今ネット社会ですが危険も多くありますよね。
ごめんなさい。
yamaguchiさま
いつもコメントありがとうございます。
こちらのブログは、禅文化研究所の職員のつれづれを綴ったものですので、職員で管理させていただいております。
ネットについてですが、何事にも色々な面がありますので、危険な面もあれば、素晴らしい面もあるかと存じます。
ネットとの付き合い方に関しても、それぞれが、自身にとって心地良い“間”を保てばよいのではないかと存じます。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
はじめまして、私は今年52歳になる男性です
黄檗宗の檀信徒です、真の僧侶に成りたく日々頑張ってます。(姫路市内の自宅)で、黄檗宗といえば
梵唄でございますが、菩提寺のお施餓鬼の時、録音致しましたテープを聞いておりますが、なかなか
ふしが難しく、またお手本に成る聖典も無く、目の方も老眼と近視でなやんでおります。菩提寺の和尚さんにお施餓鬼の時拝読せれて居ります、A4の経典
がほしいと、頼みたいのですが悩んでおります。
桂 和彦 さま
コメントいただきありがとうございます。
日々そのようにお過ごしである事、興味深く拝読させていただきました。
そのようなお気持ちで励まれていらっしゃるのであれば、菩提寺の和尚様にお願いすればよろしいのでは?!と思いましたが、如何でしょうか。
返事頂けた事、心より御礼申し上げます。今胸の前で合掌しておりますと涙が止まりません、励ましのお言葉重ねて御礼申し上げます。15日の坐禅会の後お願いすることを決心致しました、本当にありがとうございます。そして18日のお施餓鬼供養に向かって
精進して頑張って参りたいと存じます。 合掌