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年の瀬に想う

禅文化研究所長 西村惠信より皆様へ


今年もまた年の瀬を迎えました。過ぎ越し方を眺めれば、今年の出来ごとがすべてが夢のように遠く霞んでしまっています。歴史に再び繰り返すことのない「平成22年」というこの年の、365枚の日めくりを、それほどの感慨もなく破っていって、あと数枚。

忘年会と称し、みんなでわいわい騒いで忘れてしまおうというこの国の習慣。そして1年のしっかりした締めもそこそこに、もう書かなければならない来年の年賀状。

私たちが歳末から新年に掛けて繰り返す、このようなマンネリズム。「例年の如く」という社会的慣例のなかで、「今年」という年の二度とのない出来事の記憶が、簡単に薄らいでいくのは、なんとも「人生の上滑り」としか言いようがありません。

こうして、正月に始まって大晦日に終わる365日の繰返しは、そこに生きる人間存在の、2度と繰り返さない時間性を忘却させてしまうのです。

人生にも大自然と同様、春夏秋冬があります。しかし大自然のように繰り返すことのない、ただ一回きりの春夏秋冬です。人生には、また来年ということがないのです。

「年々歳々花相い似たり、歳々年々人同じからず」ということは、誰でも知っているでしょう。しかしこれが実感として身に染みる人は、少ないのではないでしょうか。

77歳の私じしん、もう人生の深い秋の中を歩いています。とても来世のための「年賀状」を書くような暇はありません。むしろ残り少ない時間の生き方だけが関心事になった、そう思って毎日を生きています。

歳の終わりに、私の好きな村野四郎の「鹿」を写して、研究所からのお歳暮とさせていただくことを、どうかお許しください。

鹿は 森のはずれの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さい額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って
村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして

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年末年始の休業日につきまして

みなさんおはようございます。
どのようなクリスマスをお過ごしになられていますか?
と、禅文化研究所からお尋ねするのは変な事と感じられますか?

日本人って、他国の文化でも宗教でも、本来のそれとは似て非なる物にしてしまい、取り入れて、まるで日本の行事のようにしてしまう事にかけては、なかなかにすごいものがありますね。
敬虔なクリスチャンの方からすると目に痛い光景でしょうか。
私としましては、もう無視はできないような“クリスマスの過ごし方”については、ここ最近よく考えていて、それなりに結論が出ています。

さて、年末年始の休業日について御案内です。

12月28日(火)~1月5日(水)まで年末年始の休業とさせていただきます。
書籍は27日の午前中までにご注文いただきますと、年内にお届け致します。
それ以降のご注文につきましては、1月6日以降の発送となります。ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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人と人との繋がりということ




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一昨日は冬至でしたが、柚子風呂に入った方もおられますか?
うちのお寺では冬至には役員さんや世話方さんの慰労会を行ない、茶飯やけんちん汁やかぼちゃを出して、みなで一杯やることにしています。全国の僧堂では、今年掛搭した新人雲水さんたちも、一晩限りの無礼講で大騒ぎするのが習わしとなっていますよ。

さて、今年も押し詰まりましたが、皆さん、年賀状の投函は済みましたか?
私はやっと昨日、約400枚を投函しました。
「やっと」といっても、基本的には表も裏もパソコンとプリンターががんばってくれたわけで、自分は文面とデザインを考えただけですから、実はたいしたことはないのです。
それでも、今の若い人達は年賀状を書かない人が多いようですね。
じゃあ新年の挨拶はなしかというと、親しい友達だけに「あけおめ」(あけましておめでとうの意)メールなんだそうです。
デジタルでやりとりして、リアルタイムに繋がっているということなんでしょうね。
年賀状のように何日も手間をかけて、郵便屋さんの手も借りて、やっと届くようなものより、速攻で届いて、すぐ返事が来るからいいのでしょうか。そのくせ逆に、すぐ返事が来ないとやきもきしてしまい、不信感が出てしまうというのも否めないと思うのですが。

先日、檀家さんの一周忌にお参りしましたら、親戚はもとより近所の方達も招待して、とても賑やかだったのです。まぁ私のような田舎の寺では、多くがこの方式ですが、最近になって、身内だけでという法事も増えてきました。
その席で、こんなお話をしました。
                *

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ヨガの実践




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私事ですが、「研究所に勤め、茶道をしているからには、“坐禅”をせねば!」と、大きな志を抱き、やる気だけはみなぎらせ、何ヶ所かのお寺に坐禅を組みに行ってみた事がありました。
ですが、昔バスケットボールをしていた時代に、何度も捻挫をした古傷が耐えられないほどに痛み出し、そうなってしまうと、“痛み”にしか意識は向かなくなり、結局早々に断念してしまいました。

ある方から言われて、呼吸の重要性に気付き、さらに色々と自身の問題が重なった時に、一度手を出しかけてやめていたヨガを、もう一度始めてみようと先生を探しました。そして、素晴らしい先生との出逢いによって、様々な“気付き”や“学び”が私に訪れるようになりました。
いくつもお話したい事はあるのですが、まず初心者でありながらも私が思うのは、普段全く意識もしていない身体の部分というのは意外に多くあるもので、「あぁ、ここも私の身体の一部だったのか…知らなかった。ごめんね」と思いながら、アーサナ(ヨガのポーズ)を実践すると、それは同時に、知らなかった自分に気付いたり、見えていなかった自分の心が見えてきたりする事に繋がっているのだな……という事です。
「“自分を知る”という事においては、禅も茶道もヨガも同じ事だな」と、私の中でしっかりと太く繋がっています。

以前お話を拝聴したリンポチェは、「私はチベット仏教を信仰なさいと言っているのではありません。御自身のdaruma(ダルマ=自然・natureと仰ってました)に合うものを探しなさいと言っているのです」と仰っていました。
またある日の講演会では、鈴木大拙先生の元秘書の岡村美穂子先生が、「自分の足に合った靴をお履きなさい」と仰っていました。

頑なに坐禅にこだわり、「こうしなければならない」と、自分に鎖を巻いたような時もありましたが、これでよかったのだな…と今は思っています。

皆様にも、それぞれ御自身のdarumaに合うものとの良き出逢いがありますように。


*ちなみに少し宣伝ですが、坐禅会に参加してみたいと思われる方は、弊所に事務局を置いております、臨済宗・黄檗宗の公式サイトに、坐禅会情報がございます。ご参考になさって下さい。

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季刊『禅文化』219号 ご予約承り中




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来年1月25日発刊予定の、吾が研究所の季刊誌、『禅文化』219号。
ご予約承っております。こちらからどうぞ。

【もくじ】
吾が師を語る――古賀黙傳和尚と東海玄照老師/東海大光禅宗語録入門読本 六祖の物語 (四)/小川隆
ゼミナアル・禅思想の道を歩く 講読 『信心銘夜塘水』(二)/西村惠信
死して巌根に在らば骨もまた清し 寂室元光の墨跡 二幅―/金澤弘
禅僧の死に様 (三) 大灯国師/藤田琢司
ティク・ナット・ハンと地球仏教のゆくえ/池田久代

善財童子の求道ものがたり (二十一)
―妙光城の慈王マハープラバ―正法による統治と安穏/小林圓照
回想―花園大学―その九/北西弘
宋の南遷と禅 (下之下) 要説・中国禅思想史28/伊吹敦
宗教と教育と私 教育と楽天主義/松田高志
技を訪う ズーセスヴェゲトゥス/川辺紀子
碧巌録提唱(十四) 第三十五則 文殊前三三/山田無文
権力と文化/平塚景堂
体当たり僧侶のボランティア日記 (三)/藤井隆英
忘れ得ぬこと マリケン夫人とシカゴ/福井友榮
グラビア 巣松翁蔵 禅林墨蹟 雲居・隠山・春叢
寺庭さんのリレー・エッセイ――阿留辺幾夜宇和/豊田美恵子
和尚さんの身体講座 (二十九)/樺島勝徳
相庇ういのち互みに年経るに―近藤芳美の「妻」の歌/佐伯裕子
表紙解説/藤元裕二
漫画 今日も上天気/杜康潤
いっぷく拝見
編集後記〈禅文化漫筆〉
『禅文化』バックナンバー
禅文化研究所の本
カット・左野典子

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『禅と東洋医学』




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その“時”が来ないと、身近にあるのに読む事もしない本、知っていたのに、その“時”が来ないと手に取らない本、ありませんか?
何故今まで読んでいなかったのだろう!!!と思ったりもするのですが、きっと、今が読むべき時だったのだなぁ…と妙に納得したりもするもので。

本日は特に今までこちらでご紹介した事も無かったのですが、ふと研究所の本棚から手に取り、「あ、皆さんに紹介したいな」と思った一冊です。

『禅と東洋医学』

以下、帯の紹介文より。

-毎日を豊かにすごすための東洋の知恵-
仏教とは真の意味でのよりよい生き方を求める運動です。そして、東洋医学は人間を大きな自然の調和の中で捉えます。こうした考え方は、近代合理主義の思想に基づいた身心二元論を克服する意義を持ち、その優れた知恵と技術が、今あらためて見直されつつあります。

禅文化研究所。こんな本も出しています。
宜しくお願いします。

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ティク・ナット・ハン 来日と京都講演開催について

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以前にここでも御案内したとおり、ベトナム出身の臨済僧、ティク・ナット・ハン師が、来たる2011年春の下記の日程でご自身二度目の来日をされることになりました。
今回16年ぶりの、2011年日本リトリートでは、京都と横浜で講演会が開催されます。また横浜では3日間の宿泊リトリート(接心)を2回開催して、随伴のプラムビレッジの僧・尼僧ら約30名のサポートにより、ティク・ナット・ハンの中心的教えである気づき(マインドフルネス)を深める修練が行なわれます。

禅文化研究所は大本山妙心寺派とともに、その前半の京都での講演会を企画し主催いたすことになりました。日本語への逐次通訳がつきますので、英語がわからない方でもお聴きいただけます。

京都講演会の参加申し込みは、ティク・ナット・ハン 2011日本ツアー 京都訪問のページより行なっていただくことができます。
日本ツアーのパンフレットはこちらからご覧いただけます。
オンライン以外の申し込みは、氏名・〒・住所・電話・同行人数を明記の上、参加費用(2000円×人数)を添えて必ず現金書留にて下記宛に郵送でお申込み下さい。追って、参加チケットとなるハガキを送付いたします(但し、発送は2011年1月10日以降になります)。

  禅文化研究所 ティクナットハン京都講演係
    〒604-8456 京都市中京区西ノ京壷ノ内町8-1 花園大学内
    TEL 075-811-5189

なお、横浜での講演とリトリートについては、ティク・ナット・ハン2011来日事務局のページをご覧ください。妙心寺派宗務本所や禅文化研究所では受け付けしておりません。

また、講演に先駆けて、季刊『禅文化』219号(2011年1月25日発行)では、ティク・ナット・ハン師の著作邦訳を多数手がけてこられた、池田久代さんによる、「ティク・ナット・ハン(釈一行)と地球仏教のゆくえ」を掲載します。

ご来場のお申込みお待ちしております。

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大人の朝読





少し前のことになるが、10月29日の読売新聞の朝刊に「読書の秋 大人の朝読」という広告ページが掲載された。
その中に禅文化研究所の広告があったのを目にされた方もいるだろう。
「本を読む時間がない」と忙しそうな大人が多い中で、子供たちは学校で「朝読」の10分間で、本に親しんでくれているようである。読解力やコミュニケーション力の向上が期待されているとか。
そんな現代の大人も「朝読」に挑戦してもらうための企画ということで、弊所もそこに『和顔』(山田無文著)と『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』の2冊の本を掲載した次第。

この企画では、アンケートで広告や読書感想などを受け付けていたため、読売新聞社から、その感想についての情報をいただいたので、ここで、以下に公開させていただこうと思う。

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立派な人




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「そんなところ(禅文化研究所)につとめておられたら、立派な人にずいぶんにお会いになるんでしょうねえ」と時々言われる。大抵の場合、揶揄である。発言者の真意は、「私は、そんなにアクセク修行もしてませんし、聖人でもないけれど、そこそこ気持ちよく、みんなともうまくやって生きてますよーー」というあたりにありそうだ。

若いころ、アシュラムで結構がんばって修行したという友人に、「禅の世界で突き抜けた人に会おうと思ったら、何処に行ったらいいの」と聞かれた。ある時期に「修行」を止めた友人の真意は、「どれだけ苦行を重ねても、所詮、人間は神にはなれない。だったら、そんなイビツな日々を送るより、そこそこ人生を楽しんで送ったほうがいいんじゃない」ということのようだ。因に彼女は西洋人である。

なるほど、十代のころに深い虚無と出会った私の親友は、いまなお坐禅三昧の生活のなかで、「真っ暗ですよ」と言う。ふむふむ。

糸井重里さんが書いていた。

人間が、どうしてもやってしまう基本的な悪いことについては、「必ずじぶんもやる」と思っていることが大事。ぼくは、近くの人には、そう言ってきました。 「私(わたし)」を、人間離れした位置において、他の「人間たち」のろくでもないことを指摘するのは、もうやめにできないものだろうか、と思うんです。

糸井さんの言葉を借りると、最初に掲げた2つの例は、「私(わたし)を、人間離れした位置において」、自己の苦しみと悪戦苦闘する他人をとやかく言うということにもなるのだろうか。ここで「人間離れした」とは、ミエやウソから全く解放された人のことのようだ。

私は上記の「真っ暗な」親友と一緒にいると、とても楽で明るい気分になる。なぜかなと考えてみる。多分、私が彼にまったく気を使わないでいられるからではないかな、と思う。「他者」と一緒にいると、大抵の場合、どんなに楽な人でも1ミリくらいは気を使う。なぜか。相手を傷つけないでおこうという、抑制力が働くからだと思う。多分、悟りを得た自由闊達の人には、こんな気遣いは生じないであろう。

では、どうして親友と一緒にいると気を使わないのか。私には、彼を傷つけることさえできない、という確信がどこからともなく涌いてくるからではないか。つまり、彼は私ごとき人間のアレコレに傷つくことなどないのだ。人が傷つくのは、ミエやウソをコケにされた時ではないか。「私の内なる悪が機能しない」。こんなにホッとすることがあるだろうか。だから「真っ暗な」親友は、私にとって「立派な人」なのだろう。その立派さが、彼の坐禅とつながるのかどうか私にはわからない。

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名残の紅葉 -大山崎山荘美術館-




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12月12日まで開催されていた-民芸誕生-を観に、大山崎山荘美術館へと足を運びました。
もう散ってしまっているかと思っていた紅葉もまだ美しく、名残の秋を楽しめました。

民芸に関しては思う所多々あり…で、今までも足繁く民芸関係の展観にはお邪魔してきましたが、その時々によって自身の心に添う物は変遷してゆくわけで、今の私にはなぜかあまり響く事はなく、「私は何を求めているのだろう?」と思いながら紅葉の道を歩いたのでした。

15日からは、-山荘美学 ~日高理恵子とさわひらき~展-が始まるようです。興味深い展観です。冬の山荘へもまた訪れたいと思いました。

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様ざまを ぴょーんと飛び越え 来年も
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訓注 能仁晃道




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様々な語録の訓注をてがける、我が研究所の能仁晃道。
主な書籍はこちらから。

ある日、檀家さんのおばあちゃんに言われたそうです。
「おっさん(和尚さん)、そんなもんをずーっと座って読んでて、ストレスがたまらんかね」。

「好きなもんをずーっとやっとるのに、ストレスなんて溜まる事があるかいな」と答えたのだとか。

なんて素敵で素晴らしい事だろう……と思った次第。

おばあちゃんには、わけのわからない漢字が連なった書物でも、能仁には楽しくて仕方が無いのです。
このように、訓注作業が行われ、書物となり、研究所から出版されています。
今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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技を訪う -ズーセス・ヴェゲトゥス-




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季刊『禅文化』219号(次号:2011年1月25日発刊予定)の、「技を訪う」は、京都のバウムクーヘンで有名なお店、ズーセス・ヴェゲトゥスさんです。

数年前のちょうど今頃の季節に、こちらの季節限定スパイスバウムを初めて食べた私は、「ドイツと同じ味だ…、何て美味しいのだろう」と感動しました。

店主の森美香さんは、ドイツで修業をされ、ドイツ菓子のマイスターブリーフをお持ちのとても魅力的な女性。彼女の来し方がつまったバウムクーヘンだからこそ、いただいた時にあんなにも感動したのだな……と、取材をして思いました。

ちょうど12月はスパイスバウムが販売中!さらに彼女が大好きだというシュトレンも美味です。是非一度味わってみて下さい!

店主の森美香さんの紆余曲折、そしてこれからの夢など、是非皆さんに読んでいただきたい内容です。私も頑張ろう!と勇気をもらえますよ。
季刊『禅文化』1月号の記事をお楽しみに!

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直方の茶陶 春斎の壺 -陶芸の森 陶芸館-




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MIHOミュージアムから車を走らせる事約10分。信楽陶芸の森にあります陶芸館では、「直方の茶陶 春斎の壷」と題して、信楽焼の巨匠、上田直方と髙橋春斎2人の展観が開催中でした。

“信楽焼”について知りたい方に絶好の機会です。

私は、茶道を始めて11年ほどになりますが、面白い事に、その時その時の自分の心情や好みなどによって、どの窯元のものが好きかというのが変遷します。興味が無くなったと思えば、またその窯元が好きになったり……。
「ものを観る目」というのは、面白いものだなぁ…と思います。

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グランダーマ アルテ・デラ・ルーチェ -MIHO MUSEUM-




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今回のMIHOミュージアムは、スペシャルでした。

【グランダーマ アルテ・デラ・ルーチェ】(イタリア語で、「偉大なる女性 光の芸術」)と題して、創設者の小山美秀子氏の生誕100年を記念し、彼女が集めた秀逸なコレクションの中から選りすぐりの約90点が展示されていました。
要所要所に綴られる彼女のことばと共に観る珠玉のコレクションは、私達をよりふかく美しいものの世界へと誘うようで……。

美しいものを求めることは、神様を求めることなのよ

日本では古来より森羅万象に神が宿るとされてきましたが、日本人が“美”を見出す時、やはりそこに神を観るのでしょうか。最近よくこういった事を考えていて、神道や日本書紀なども勉強したいと思っている私にとって、いくつか新たな発見がありました。
「内側から光を放つようなもの、見る人の心を清らかにしてくれるようなもの」を小山美秀子氏は求めたとの事ですが、私にとって彼女のコレクションは、どんなに渋い茶道具にも、古代ペルシャのガラスにも、その全てに透明感と、凛とした趣きを感じます。それが、「内側から光を放つ」という事でしょうか。

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教育とは




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以前こちらのブログでもお話させていただきましたが、大学を卒業してから10年以上、2ヶ月に1度のペースですが、ゼミを続けています。

今回、ゼミ担当教授・松田高志先生からのお話で、マヤ・インディアンの言葉を知りました。


生まれてくる赤ちゃんには、私たちの世界の未来があります。
ですから、お母さんは、赤ちゃんをあなたの胸にしっかりと抱きしめて、人間は信頼できる、世界は平和であることを教えてあげなさい。
お父さんは、赤ちゃんを高い丘の上につれていきなさい。そうして、世界はいかに広いか、そしていかにすばらしいかを教えてあげなさい。

資格取得に躍起になる若者。お金を有効に使って今学べる事を学ぶ事よりも、老後の為と貯金ばかりをする若者。草食系男子……。まるでどこまでも続く不安が取り巻く世界に生きるかのように、メディアでは日々様々な事が言われています。

「自分を生きる」とはどういう事なのか。真の教育とは何か。
このあたりを深く掘り下げた松田高志先生による寄稿文が、次号の『禅文化』(1月25日発刊)では皆さんにお届できる予定です。

子ども達への教育についてを考える事は、自分自身についてをも考える事、未来の日本、ひいては世界を考える事。
学生時代からずっと、松田先生の元で色々と学び、考えて来て、自分がどういう人間であって、自身の目指す方向とはどのようなものなのか、自分の生き方を模索し続けています。何かに感動しない日はありません。なかなかに、楽しい人生です。

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関係機関等からのお知らせ




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弊所のブログは、主に禅に関心のある方などにご高覧いただいているかと存じます。
なかなかに、弊所主催での講演会や坐禅会などは開催する機会がございませんが、お仕事でいつもお世話になっている、東京禅センターさんなどは、様々な勉強会や坐禅会など、広く門戸を開き、敷居を低くし、どなたでも参加できるような企画をお考えです。

また、弊所に事務局を置いております、臨済宗黄檗宗連合各派合議所の公式HP(臨黄ネット)では、臨済宗・黄檗宗の各派本山よりお知らせなども随時更新しております。

既に、除夜の鐘の情報なども掲載中。あっという間に大晦日を迎えそうですね。

是非下記情報もお気に入りに登録して、チェックしてみて下さいね!


【東京禅センター】

【臨黄ネット】

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『禅文化』214号 技を訪う -仕立て屋 千浪-




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日々の生活で出会った素晴らしい職人さんを、季刊『禅文化』にてご紹介しています。
本ブログでもご紹介させていただきます。
その他の記事はこちらから。
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季刊『禅文化』214号より
“技を訪う―仕立て屋 千浪 坂本多鶴子”   川辺紀子(禅文化研究所所員)


 茶道を始めて十年。親もとを離れ独立して生活するようになって、親や呉服屋に言われるままに仕立てていた着物について、いろいろな意味で“やりくり”ということを考えなくては、この先やっていけないなと気づかされた。それは単に金銭面ばかりではなく、お稽古事とはいえ、十年茶の湯に親しみ、着物と付き合うようになると、それなりに自分のこだわりも出てくるからだ。

 着物や袈裟などは、職人が丹精込めて作った反物から、人が着る物へと生まれ変わる時、その着やすさと見た目の美しさという点で要になるのが何といっても“仕立て”であろう。着物のことが少しずつわかってくるに連れて、「仕立てをしてくれる人と直接話をしたい」という思いが強くなって、まずは一番必要としていた夏用の雨コートを作るための反物を求め、仕立てをお願いできる和裁士を自ら探すことにした。直接和裁士のところへ反物を持ち込むからには、マージンが発生する呉服屋での仕立て代よりは安く、雨コートとなると着物を着た上からさらに着るものなので、なるたけ近所で、仮縫いの段階で着物を着て出かけてゆき、寸法の確認ができること、また、それを嫌がらずに受けてくれるところ……など、多々条件があった。
 インターネットで調べると、呉服屋での仕立て代からは想像もつかないような安値で仕立てを請け負うところもあったりするが、近場ではない上に、寸法をメールなどで伝えるのみでは和裁士の顔は見えないし微妙なニュアンスも伝わらない。着物に詳しい人にさまざまな仕立て屋のことを聞いて、調べてみたり訪れたりするが、どうもしっくりこない上に対応も気に入らない。

 そこではたと思い出したのが、涼しげな暖簾の掛かった一軒の町家。かなり前に自転車で近くを通りかかった際に、「こんなところに仕立て屋があるのか……」と思った記憶があった。確か暖簾には私の好きな千鳥の紋匠があり、その横に「仕立て屋」とだけ印象的な文字が書かれていた気がする。とりあえずは記憶を辿って思い当たる地域を探してみよう……と勇んで出かけた。

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禅語カレンダー




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今年も残すところあと一ヶ月を切りました。
皆様来年のカレンダーのご準備はもうなさいましたか???
禅文化研究所のオンラインショップでは、禅語のカレンダーをいくつか取り扱っております。是非ご覧になってみてください。

禅語カレンダー各種

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整理




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12月に入りましたね。
ここ最近私は何故か無性に色々な物・モノを整理したい衝動に駆られています。
念の為に申し上げておきますが、平均寿命を参考に言いますと、おそらくまだ人生の終盤を迎えるような年齢でもありません(三十代前半)。まぁそれはわかりませんが…。

ただ、なんとなくスッキリさせたいのです。年の瀬を迎えるから…という事も、自分自身の時期的な事もあるのでしょう。
身の回りの物は、自分が本当に気に入って、長く人生を共に送る好きな物のみ。体の声に耳を傾け、何を食べたら良いのかも選択し、自分で料理する。その時心に響く本を読む。師と慕う人から道を学ぶ。心地良い睡眠を取る。

今、流行り?のようになっている“シンプルな暮らし”“丁寧な暮らし”でしょうか。
自分たちの世界観を持ち、世間の目や評価とは別の次元で生きているような、本当に素敵な暮らしをし、自分を生きている人達が雑誌などでもよくとりあげられています。

でも、憧れて真似をしたところで、行き詰まる所が来るような気がします。それは、自分のスタイルではないからだと思います。
“自分のスタイル”確立に、禅は大いに働きかけてくれる……と私は思っています。

我が研究所の禅の入門書など、オススメします。

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