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霊鑑寺 春の特別公開




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毎年心待ちしています。不審花開今日春。
京都市北区鹿ケ谷にあります霊鑑寺の特別公開情報です。
尼門跡寺院に興味がある方、椿好きな方は必見です。


3/30(金)~4/8(日) 10:00~15:30(最終受付)
700円
高校生以下無料

スマホアプリ「京都禅寺巡り」では、こういった特別公開寺院の情報も掲載しています。
ほとんど無料で利用可能ですので是非ダウンロードしてご利用になってみてください!(*Androidアプリです )

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東北の被災地を訪ねて その1




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昨年の3.11の大震災以後、1年が経過しました。そんななか、1泊2日という短い時間でしたが、初めて被災地を訪ねてきました。
被災から色々な形で活動してきた現地の臨済宗寺院の僧侶の方々と会って、それぞれに活動されてきたことを、記憶の薄れていかないうちに、費用のかからない、そして遠隔地からでも同じ場に書き込めるWEB上で、まとめて残していってはどうだろうかという提案をもっていったのです。

3月26日午後一番に仙台駅に到着。雪がチラチラと舞う中、僧堂の仲間である仙台市内の寺院住職の車に乗せてもらい、まずは七ケ浜へ。海を見ると上の写真のように風光明媚な処なのです。しかし防波堤が痛んでいるのが見えると思います。また浜から近いところには集落があった様子ですが、無残にも住宅の基礎が残るだけです。妙心寺派のお寺が何ケ寺かあり、以前から存じ上げている葦航寺様に立ち寄り御住職にご挨拶をさせてもらいました。
お寺は少し高台にあり、津波の被害は受けなかったようですが、多くの檀家さんが被災され、今も仮設などに住まわれているようです。
「こんなに一気に過疎化してしまうなどとは思いもよらなかった」とおっしゃったのが印象的でした。
特に若い人たちはもうここへは戻ってきて住もうとしないだろうと肩を落されていました。

その後、震災ボランティアをされている若手僧侶グループ「喫茶去」の活動に参加するため、塩竃市の慈雲寺様を訪ねました。この日は10名ほどの僧侶が集まって、エル・サルバドルからいただいたコーヒーを被災地にお届けするため、3つずつ袋詰めしていく仕事。かなりの量がありましたが、2時間ほどお手伝いさせてもらいました。



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その後、同じく塩竃市内の東園寺様に移動し、このメンバーに加えて数名の僧侶と、提案の件について会議をおこない、概ね御了解いただきました。
彼らの陰徳行を汚さないように、どういう風に展開していくかが、今後の我々の課題です。
(つづく)

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荒けずり -『いのちのシャワー』松田高志著-




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おはようございます。
“私事”な記事が多いのですが、お付き合い下さいますと幸甚に存じます。

日曜日は、個人的に開催している勉強会の日でした。
私の大学時代の恩師、松田高志先生におこしいただき、著書『いのちのシャワー 人生・教育・平和を語る』を読んで、皆で感想を話し合っています。
大学時代にもこの本はゼミで一度学び、卒業後も何度かページをめくってはいるはずですが、その時心に響いて残っているもの、忘れているもの、様々です。

今回は“荒けずり”というタイトルのお話を読みました(以下に要約を)。


 歴史上の偉人や英雄の生き様から、我々は多くの事を学び、感動を与えられますが、そういった人々にも、がっかりする一面があったりします。

 これを、例えばその人の偉大な行為まで偽善的なものであると全否定したり、あたかも大人物であるかのように「清濁合わせ飲む」式に肯定するのは、どちらも釈然としません。

 しかしある時、次のような文章に出会い、なるほどと思いました。その著者によれば、ベートーヴェンの音楽は人類の最高の音楽であり、そのひびきは宗教的に極めて深いものであるのに、人間としてはどうしても首をかしげたくなるようなところがあって、その事が気になっていたが、いつからか、ベートーヴェンには彼の役割というものがあり、その他の面では人間として荒けずりであったと思えるようになり、納得することができた、と。

 これは、偉人とか大人物に限ったことではないように思います。我々誰もが、この世において何らかの役割やテーマのようなものをもっているといえるかもしれません。もしもそうであれば、どうしてもそちらの方に力が入るというのはやむをえません。しかしだからといって、その他の面でどうでもいいということにはならないでしょう。他の面も一生懸命にやったけれども、結果として荒けずりになったというまででしょう。

 ともかく誰の場合であれ、一所懸命生きていても荒けずりなところは出てくるでしょうし、又それでその人の値打ちが下がるというものでもないように思います。

 人間が成長し、人格が高まっていくということは、単に直線的でなく、もっと立体的なものではないかとこの頃思っています。


 私達は……というよりも、正直私がそうだと思うのですが、自分のものさしで図ってみて、何かができていない人を批判してみたり腹を立ててみたり、自分の枠にあてはまらない人を扱いにくい人と認識してみたり、とかく人とは(というか、やはり私なのですが)自分勝手なものです。

 家族、友人、職場の人、あらゆる人と関わり合って生きてゆく中で、良い面悪い面、色々見えてくるかとは思いますが、“荒けずり”と見る事ができたならなんだか素敵ではないか!と心軽く嬉しく思った次第です。
 日本人は特に、荒けずりに寛容であると思います。それどころかそこに“美”や“何ものにも代え難い魅力”まで見いだします。円空さんや木喰さんの荒けずりの仏像を思い出したのです。洗練され、完璧に研ぎ澄まされたものよりも、どこかあったかく感じる……。きっと、荒けずりな面があるからこその魅力というものが、人にもあるのでしょう。

 もちろん、自分にも大いに荒けずりな面がありますので、そのあたりは周りの皆様にもそう思っていただき寛容に受け止めていただけたら……とお願いをして、今日はお別れの御挨拶とさせていただきます。

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羽釜で炊くごはん




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私ごとですが、ヨガを始めた事、また、昨年3月11日の大震災をきっかけに、少しずつ自身の生活が変化しています。食べる物の選択はもちろんの事、それを作る過程にも……。
炊飯器を使うのをやめて、土から作られた陶器の羽釜を使い始めました。

自然界に存在する土を使い、一つ一つ職人の手によって心を込めて作られた美しい物を使うという事は、日々のくらしに本当の意味で潤いを与えるな……としみじみ感じています。
単純に、“気”持ちが良いのです。
台所でごはんを炊く際にも、美しい織部釉の釜や分厚い木の蓋を見て、湯気があがる様を見ていると、温かく柔らかい心持ちになれます。

意識が変わるという事は、自分の周り、世界が変わってくるのだなと思う出来事の一つです。
お釈迦様は、自分を変える事で、世界の見方や周りを変える事ができるという所を説かれましたが、自身で日々色々と試してゆくと、そこのところが実感できるのだなと思った次第です。

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佐々木閑著 『日々是修行』(ちくま新書)




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水曜日夜10時からのNHK番組【100分de名著選】  ブッダ-真理のことば-でもナビゲーターをされている、花園大学教授・佐々木閑先生の『日々是修行-現代人のための仏教100話』

当たり前のごとく家の仏壇に手をあわせ、祖父がたまたま禅僧で、自身が茶の湯の稽古に魅せられている事から、自然と仏教徒、自然と禅が好き……と惹かれて来た私です。

日本人には「なんとなく神道と仏教の合いの子」的なところがあり、そのおおらかさもまた良い面だとも思えるのですが、やはり、何故惹かれるのかというところははっきりしていたい気もします。

そんな中、禅に興味を持たれて入門書をと思っている方は、もちろん私ども研究所のこのあたりの本を手に取っていただきたいのですが、その前に、枝分かれする前の原点である、“お釈迦様の教え”というものも知っていただきたいと思うわけです。
その際のまっとうな入門書ともいうべき、佐々木先生の本を本日はご紹介してみました。


「あれ?なんで私法事に参加してるんだろ」と、ふと思ったり、海外で宗教を尋ねられ「仏教徒?だけど……」などと思われた経験のある方は、まずは仏教の根本的な教えを尋ねてみてはいかがでしょうか。


最近の私の場合、「やはり仏教に惹かれる、日本古来の神道の教えも自身に染みついていて尊い……」と思うのであれば、それには他の宗教の本なども読んでいないと駄目だな……と色々なものを読んでみています。
つきつめてゆけば、やはり同じ事を言っているのだな…と共通するような部分もあれど、やはり相容れない部分もあり。色々あって良いのだなと思います。

色々なものことをかじってみて、うろうろしながらも、「やはりここだ!」と思えるもの、それが自分の中で本物なのかな……と思う今日この頃です。

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お寺でヨガ 御案内




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-技を訪う-にてご紹介させていただきましたヨガ講師・伊藤加奈子先生のレッスンの御案内です。

毎年春と秋、建仁寺塔頭・両足院にて開催されているヨガフェスタでクラスを担当されます。
5月20日(日)の、10:20~11:50の、 【カナコ(スタジオヨギー)アヌサラインスパイアドヨガ】です。>詳細はこちら

前回も参加させていただきましたが、ちょうど夕方のクラスで、素晴らしいお庭を前に、日が暮れてお月様がぽっかりと浮かび上がる中、時の移ろいを感じながらのヨガでした。
今回は薫風清々しい5月、爽やかな朝のクラス。今からとても楽しみです。


ヨガを初めて漸く1年半ほどになりますが、続けるほどに、身体と心の相関性の面白さにはまっています。ヨガをしていると、自分のその時その時の身体と心の状態がとてもよくわかります。
このように、色々な気づきをもってヨガに取り組めるのも、先生のご指導の賜物と感謝しています。

ヨガには深く広い教えがある分、人それぞれの解釈があり、あれだけ多くの流派もできてきているのだと思いますが、先生のご指導には偏りが無いように思います。
哲学的な面、的確な身体(筋肉や骨)の使い方、瞑想による精神と身体の安定など、ヨガの教えを、様々な角度からのアプローチでバランス良く私達に教えて下さいます。

茶の世界でも、茶の点前をしていなくとも、茶のある人になれ、生活すべてが茶でなくては…などと言いますし、禅もしかり。そしてヨガもそうなのだなと思います。
そのようにある為には、まずは良き師匠との出会いかな……と思います。
良き御縁が繋がりますように、御案内させていただいた次第です。

先生の通常のレッスンはこちらで受講可能です。
京遊学舎
スタジオ・ヨギー京都

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二十二社の朱印




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何年か前から、寺社の朱印集めがちょっとしたブームらしい。参拝の記念、神仏結縁の証しになることは勿論だが、黒々とした墨痕と鮮やかな朱印とのコントラストは、視覚的にも美しい。

神社・寺院の区別や順序などにこだわらず、一つの朱印帳に漫然と集めるのもよい。しかしテーマを立て、順番などにもこだわりながら集めると、目標が出来て達成感も異なり、何より勉強になる。

仏教では早くから四国八十八箇所や西国三十三所など、決まった霊場寺院の巡礼が確立していた。江戸時代になると、それぞれの地域でミニチュア版の巡礼経路と寺院が定められるなど、庶民に親しまれた。

問題は神社だ。諸国一宮には専用の「全国一の宮朱印帳」がその筋により用意されていて、テーマと目標を決めて参拝・集印できる。

しかし一宮巡拝の難点は、膨大なこと、全国に散在すること、普段は無人の神社も多く事前連絡を要することなど、そのハードルは高い。相当な覚悟がないと、そのすべてを参拝することは一生かけても覚束ない。

私は10年ほど前、独自にテーマを立て、二十二社と呼ばれる神社を巡拝したことがある。二十二社とは、平安時代より朝廷から奉幣を受けた最高格の神社二十二のことである。

 伊勢神宮
 石清水八幡宮
 賀茂神社
 松尾大社
 平野神社
 伏見稲荷大社
 春日大社
  (以上、上七社)
 大原野神社
 大神神社
 石上神宮
 大和神社
 広瀬大社
 竜田大社
 住吉大社
  (以上、中七社)
 日吉大社
 梅宮大社
 吉田神社
 広田神社
 八坂神社
 北野天満宮
 丹生川上神社
 貴船神社
  (以上、下八社)

いずれも近畿周辺の鎮座で、一部を除き参拝するのにさしたる困難はないだろう。数も多くはない。伊勢の内宮・外宮、賀茂の上賀茂・下鴨、丹生の上社・中社・下社を加えても二十六社である。遼遠とした目標ではないので挫折する心配もない。

番外としては広島県の厳島神社が考えられる。今年の大河ドラマの題材でもある平家の崇敬した神社だ。平安末期、平家の隆盛とともに厳島も加えて二十三社にしようという企てがあったが、結局沙汰やみとなったという。二十二社に準ずる神社と言えよう。

もちろん二十二社巡礼は私が勝手に始めたものだから、専用の朱印帳などない。二十二社の社格にふさわしい立派な専用朱印帳があって喜ぶのは私だけかも知れないが、神社関係の方、いかがでしょうか?

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二十二社について記した文献『二十二社註式』の写本(個人蔵)
著者未詳ながら、この写本には奥書に「兼右」と明記してある。
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春分 ―二十四節気―




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昨日3月20日は、仏教では春のお彼岸の中日にあたり、二十四節気の第4番目にあたる「春分」でした。
京都では日の出が6時01分と、だいぶ日の明けるのが早くなってきました。昼間と夜間の時間が等分になるのが春分であるということで、『暦便覧』には「日天の中を行て昼夜等分の時なり」と記されています。でも実際には、昼間の方がちょっと長いようですね。
お彼岸ということで、各地のお寺ではお施餓鬼が勤められていることだと思います。
私(あなた)が生かされているのは、両親のおかげ、代々に遡るご先祖のお蔭です。お彼岸はその恩に感謝する週間だと思います。

さて、最近、早朝に出勤するときにヒバリがピチピチといきのいい鳴き声で鳴き始めたことに気づきました。また、車で走っているときにトンビやサギが、巣作りのためか枝を加えて飛んでいるのもよく見ます。鳥達もちゃんと季節の変わり目を感じてるんですね。
先般お彼岸の法要に開教いただくため自坊においでいただいた布教師さんは、四国の宇和島からお見えになっていて、おっしゃることに、3月26日頃には、日本でいち早く桜が開花し始めるのが宇和島だとか。あっというまに日本全国桜前線到来もまもなくです。

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春の訪れ -東大寺二月堂修二会-




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関西に春の訪れを告げると言われる、東大寺二月堂の修二会に初めて参拝してきました。

御存知の通り、その年に選ばれた練行衆と呼ばれるお坊さん(行者)たちが、二月堂におはします十一面観音様に、過去の罪を懴悔し、その功徳により仏教の興隆、天下泰平、五穀豊穣などを祈る行事です。

ニュースなどでよく見られるお松明が終わった後、二月堂内では深夜(この日は深夜1時前まで)まで法会が続きます。
最初は、寒さで耐えられなくなるのでは……と思っていましたが、だんだんと寒さも感じなくなり、「我々日本国民に代わって、厳しい行を執り行なって下さっているのだな。この祈りは、ほんとうにありがたいな……」と頭の下がる思いがこみ上げてきます。


さて、そんな厳しい修行と祈りの場なのですが、白洲正子著『十一面観音巡礼』に、白洲さんが円地文子さんに初めてのお水取りはいかがでしたかと問うと、「昔の芝居みたいで面白かった。……こんなことをいうと、しかられるかも知れないけれど」と仰ったとあります。

確かに、お松明が終わった後、堂内での法会を拝見するまでに食事をしてみたり(お酒を呑んでいる一行も)、堂内も、人の出入りが比較的自由で、厳粛ながらもおおらかな様子が、まるで芝居見物のようであったのは確かなのでした。

このひとつの法会に、奈良が発祥で神道の儀式と縁の深い猿楽、そこを原点とするお能、狂言、そして山岳信仰の山伏の儀式めいた事、あらゆるものが入り交じっているようで、なんとも不思議な世界にいざなわれた感を抱いています。私は本当にあの夜、あそこにいたのだろうか……と思うくらいに。
この奥の深さは、そのまま日本人の、日本の文化や伝統の奥の深さを反映しているような気がしました。

関西に春を告げるお水取りが終わり、明日は“暑さ寒さも彼岸まで”のお彼岸。
今年はいささか寒い春の訪れとなっていますが、ようやく、本格的に春めいてくることでしょう。

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問答




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相国寺の有馬賴底管長インタヴューを読んだ。聞き手は日文研の末木文美士(ふみひこ)先生である。末木先生の核心的な直球に、管長が間髪を入れず即答される。

脳死と臓器移植
末木 脳死の問題ですが、それに伴う「臓器移植」ということについてお伺いしたいのですが。
有馬 脳死は「人の死」ではありません。……臓器は「もの」じゃない。売り買いする「もの」じゃない。……人間の死という問題をもっと深く考えないとこの問題は解決しません。……「寿命」ということを受け入れんといかんのです。三歳の寿命もある、百五歳の寿命もある。

死刑制度
末木 死刑の問題はどうお考えになりますか。 有馬 死刑も絶対にダメ。死刑は廃止しなければいけない。殺したから殺すんだというのはダメなんです。仏教には「復讐」という二字はありません。

天皇制
末木 天皇制をどうお考えになっていますか。
有馬 天皇制は守るべきだと思っています。つまり日本文化を守ろうと。……少し前に女帝の問題が取り沙汰されました。……男女じゃない。皇室の伝統、つまり日本文化をいかに守るかということなんです。女帝でも全然かまわない。

末木先生は、「脳死・臓器移植の問題にせよ、死刑制度にせよ、老師の力強いお言葉を聞いていると、その迫力に圧倒されます。何事も曖昧にしないで、きっぱりと主張し、断固として戦う姿勢を持っている。老師は”憲法九条京都の会”の代表世話人でもあり、熱心な平和活動はよく知られています。こういう方がいる限り、日本の仏教も捨てたものではない」と軽快に端的に述べられている。

またこの対談の後に起こった東日本大震災について、有馬管長は以下のように付記されている。「私は七月二十五日、福島県庁に佐藤雄平知事を訪ねました。理由は二つ。一つは、京都府内の各ご寺院からの心からの義援金が二千万円を超え、これを直接知事に手渡したかったため。二つ目は原発NOを伝えるためだ。あれだけの安全神話が広報されてきた原子力という生態圏外のエネルギーが大地震によって、いともたやすく瓦解する現実を見て、原発が火山帯に位置し活断層の多い我が国にとってどういう存在なのかを今一度真正面から考えたいと強く思った(以下略)」

この「禅のこころ 禅の文化」と題されたインタヴューでは、禅修行にまつわるお話が多く、何度もはっとしたが、今回はそのことには触れなかった。

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MIHO MUSEUM -MIHO GRANDAMAⅡ母なる方へ-




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信楽の山奥、冬季は休館となるMIHO MUSEUM
心待ちにしていた春の開館。
この度は開館15周年記念となる展観で、-MIHO GRANDAMAⅡ母なる方へ-として、母性をテーマに、国内外の女神像などを中心とした所蔵品が展示されていました。

何度も足を運ばれている方には、何度目かのおめもじとなる所蔵品も多いかと思いますが、何度拝見してもこちらの所蔵品の素晴らしさには感動します。

いつも、美術品の“見せ方”も趣向をこらされていて、例えば今回、1世紀・ローマ時代の婦人像をその存在感を存分に感じられるようしつらえられた展示ブースの赤い壁は、その下に白・黄の漆喰を塗った後に赤で仕上げられたのだとか。感服です。そうしないと、奥行きのある赤にはならないわけです。

他にも色々と心ときめいたのですが、これからご覧になる皆さんの感動や気づきを奪ってはならないので、ふせておきます。

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雨の日もまた美しい美術館からの眺め


目に良いから 美しい物良い物を 観なさい
良い物を観ていたら 悪い物がわかる


子どものうちから
礼儀・礼節を尊ぶことの大切さ


どんな人からでも 学ぶのよ


美しく 生活を楽しむことの 大切さ


心に響く、小山美秀子女史のことばの数々。
私がこの美術館を初めて訪れたのが2000年。
この時に開催された-白洲正子の世界-を、白洲ファンだった家族全員で観にでかけて以来、もう12年も経ったのかと思うと感慨深いものがあります。
ほぼ欠かすこと無く毎回の展観にでかけてきましたが、どれだけ心豊かに、学ばせてもらっているか知れません。
美術館の存在が、そこを訪れる一人一人のくらしや一生に与える影響は、計り知れないものがあるな……と思いつつ、私もまた自身のくらしをより美しく、心豊かなものにしていきたいと思いつつ、MIHO MUSEUMを後にしました。

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Windows 8 Consumer Preview




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Microsoftより次期Windowsとなる「Windows 8」が今年中に発売されるとのことです。
そして2月29日、「Windows 8」の一般向けプレビュー版「Windows 8 Consumer Preview」が公開されました。

そこで、弊所より発売しております寺院向けソフトウェア「宗教法人管理システム 擔雪 II」が「Windows 8」で正常に使用できるものか、動作テストを始めました。

まずはソフトウェアのインストールです。

昨年の9月に公開されました「Windows 8」の開発者向けプレビュー版「Windows 8 Developer Preview」でも「擔雪 II」の動作テストを行ないましたが、インストールの段階でエラーが発生し、ソフトウェアを起動するもエラーが続発して全く使用できない状態でした。

しかし、今回の「Windows 8 Developer Preview」では何事もなく無事にインストールすることができ、ソフトウェアも問題なく起動できたので一安心です。

Windows 8 Consumer Previewの続きを読む

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龍沢寺調査行




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昨年秋に、花園大学の歴史博物館と共催で「遂翁展」を開催しました。これは、禅文化研究所の公益事業の一つの墨跡展覧会として開催したものです。
来年度には、秋に「東嶺展」(仮称)を開催するべく計画をしており、その取材調査として、先週の初めに静岡県三島市にある龍澤寺専門道場に行ってまいりました。
実は私はここで雲水修行をさせてもらったので、法要斎会があると可能な限りお手伝いに来ているのですが、今回は禅文化研究所の仕事として、普段入ることのできない宝物庫や書架に入らせていただいたのです。
また花園大学国際禅学研究所の芳澤教授による、白隠禅師の書画に関する調査も併せて行ないましたので、二日間で、白隠禅師の書画30点以上と、東嶺禅師の書画も同数ほど見せていただき撮影をさせていただきました。白隠禅師のものはもちろん、東嶺禅師の場合には禅師らしく神道に関係するものも多くあり、またその筆致に圧倒されるばかりでした。
書籍に関しても、東嶺禅師自筆本の重要書籍が多くあり、いずれ、これらはなんらかの形で公刊されることになるのではないかと思いますが、非常に興味深いものでした。

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調査に行くときに、自坊ではまだ梅の花は咲いていませんでしたが、龍澤寺の沢山の梅花はどれも咲き誇っており、暖かい静岡県を堪能してきました。
帰りに東名高速を走っていると、それまで雲にかかって姿がみえなかった富士山が見えてきました。おもわず富士川サービスエリアにて、絶景の富士山をも満喫。

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“駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠”
今回の取材では、この両方+東嶺禅師の書画まで見ることができ、多少の疲れも吹っ飛んだ次第です。

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NHK【100分de名著選】  ブッダ-真理のことば-




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ブッダ-真理のことば- NHKサイトよりお借りしました

NHK毎週水曜日夜10時~【100分de名著選】にて、「ブッダ-真理のことば-」がアンコール放送されています。
私も大ファン!の、花園大学国際禅学科教授の、佐々木閑先生がゲスト講師として出演されています。非常にわかりやすく、ブッダの教えについてを皆さんにお伝えしておられます。
まさに今の時代、そしてこの3月という震災から1年を迎える月に相応しい内容だと思えます。

是非ぜひご覧になってみてください。

弊所の季刊『禅文化』での連載記事は、こちらでご覧いただけます。-戒律のはなし-です。
仏教や禅に関心が無い方も一度読んでいただきたい内容となっています。

戒律のはなし(一)より、佐々木先生が御自身の事を書いておられる文章をこちらに抜粋し、掲載しておきます。

 科学は絶対の真理を追究する崇高な学問で、仏教学だの歴史学だのは、過ぎてしまった過去のことをうじうじとつっつきまわすだけの無意味な趣味、というのが、私、幼少のみぎりの思いであったわけですが、その科学にも厳然として歴史的背景があるということを知るに至り、仏教も科学も、数学も哲学も、経済学も文学も、およそ学問と呼ばれるものはすべて、歴史性を基盤とした人間活動の一環として扱うべきものだと思い至ったのです。このように考えると、俄然、仏教を学ぶことに誇りが生まれてきます。科学も仏教も、その時代時代の最高の叡智が、宇宙の真理を解明するために懸命の努力をした、その痕跡であると考えるなら、同じレベルの気高き人間活動と考えることができます。仏教を歴史的に解明し、その意味を理解するということは、物理学の歴史を辿ってその最先端に立ち、宇宙法則を発見していく科学者の作業と、本質的に変わるものではないのです。

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師匠の点前




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茶の湯の稽古を始めてはや12年。
潔癖症で人一倍変にこだわりのある私が、茶の湯の世界を大好きになり続けて来られたのも、ひたすらに学び続け、茶の道に対して真摯にあり続ける師匠のおかげです。

先日のお稽古で、涙が出るほどに感動し、心うち震えた師匠の姿。
稽古中の弟子が、茶杓を清める所作に移ったところ、
「宗心宗匠(表千家・堀内宗心宗匠)はね、このように茶杓を清められるわよ」と手本を見せて下さった、その所作。
もうそれは、宗心宗匠が乗り移ったか、そこにいらっしゃるかのようなのでした。
まさに伝統とは、道とは、このように受け継がれてゆくのだなと改めて思ったわけなのです。

齢八十を超えた師匠。娘時代から続けてきた茶の湯の稽古なわけで、身体にしみついてしまった点前は、そうそうすぐに変える事ができない事は、たった12年しかお稽古していない私でもよくよくわかります。
ですが、いつもいつも宗匠のお稽古で新しい事を学んでこられると、すぐにそれを実践し、今までの点前と違っていても、「この間の会で、宗匠がこのように仰ったから……」と、とても柔軟に対応されます。

稽古を続ければ続けるほど、素直にならなくてはいけないと思います。
長年稽古を続けてゆくうちに、どうしても自身の癖が顔をのぞかせます。長くなればなるほど、師匠に注意されても、自分を律して素直に従う事ができにくくなってゆくように思います。我の強い私はことさらです。
そんな自分を捨て去って、ひたすら素直に、全身で師匠の教えを受け取りたいと願う今日この頃。
『歩々清風』(堀内宗心著・禅文化研究所刊)の大好きな文章を思い出します。茶の湯の稽古をされている方には是非手に取っていただきたい本です。

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朝鮮木のもの百選 -高麗美術館-




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京都市北区にあります、高麗美術館を訪れました。
今回の展示は、朝鮮の木のもの、いろいろです。

日本も木の工芸品が多い国ですが、お隣になるとそれがどのような形になるのか、日々の暮らしや、儒教の思想をどう反映しているのかなど、似ている所、違う所を見るのが面白いものです。
毎回の展観が楽しみなお気に入りの美術館。オススメです。

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フエの王宮 -ベトナム-




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ベトナム旅日記のつづきです。
フエの禅宗寺院や教会などをご紹介してきましたが、おそらく観光客全員が訪れるのはこの王宮かと思われます。
フエという都市は、1802 年から1945年まで、ベトナムの阮(グエン)朝の首都として栄え、この王宮は13代を数える皇帝がおはしました所です。

建物のいたる所に見られる細かい装飾がそれは美しく、王宮内はかなり広い敷地の為、だいぶ長い時間散策していました。行かれる方は充分に時間を取られる事をおすすめします。




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フエの王宮 -ベトナム-の続きを読む

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公益法人禅文化研究所

お知らせでも既報のとおり当研究所は、4月1日より公益財団法人禅文化研究所として新たなスタートを切ります。現在事務方では、登記をはじめ新法人への移行手続きのための書類の整備を進めているところです。

役員会で新制度上の公益法人への移行を決定してから2年あまり。慣れない書類作成に苦労はしたものの、公益認定の要件をクリアしていく作業は、開所以来、半世紀にわたる研究所の活動実績を再認識することでもありました。

これまで禅文化研究を中心とした研究会の開催をはじめ、禅関係の資料蒐集や図書・雑誌の刊行、講演会や諸宗教との交流など、多様な活動を行なってきました。
とりわけ図書の刊行は、その多くが所員の忍耐の要る地道な作業の成果であり、これに公益性が認められたことは嬉しい限りです。

今後、禅と禅文化の普及に向けてさらなる活動を展開してまいりますが、皆様のご理解とご支援をお願いいたします。

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啓蟄 ―二十四節気―




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今日は二十四節気の第3番、啓蟄(けいちつ)です。今日からお彼岸のお中日である春分の日の前日までのことをいいます。冬眠していた虫が大地から這い出してくるころです。
「けいちつ」と読みますが、諸橋大漢和によると、もともと「蟄」という字は、「チフ」(ちゅう)とか「シフ」(しゅう)という音のようで、「チツ」と読むのは慣例読みです。虫類が土にかくれる、冬ごもりをしている虫を意味します。江戸時代に武士が刑を受けて「自宅に蟄居させられた」という時にも使いますね。
「蟄龍」なんて言葉もあるようです。これは、「かくれている龍、転じて、時を得ない英雄の喩」とあります。
つまり「蟄」には暗いイメージ、閉ざされた意味しかありません。

でも、啓蟄となると、暗い土ごもりから出てきて、春の光を浴び、さてこれから活動するぞという明るいイメージです。「啓く」というだけで、全く逆の世界が広がってきます。

明けない夜は無い、冬もいつかは春になる。
今、つらい悲しいどんぞこでも、いつか笑える日が来る。自然が教えてくれているようです。
もう春は目の前ですよ。

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おばあさんのかんざし




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私事ですが、母方の郷里の出雲にて、先祖の墓を守る人がいなくなる為、関西に墓を移してきました。

幼い頃、夏休みに遊びにゆくと、親戚中でお参りをしたものです。
そんな、先祖代々が眠るおっきなおっきなお墓が無くなる事に一抹の寂しさを覚えながらも、「これで墓参りがすぐに行けるようになった」と喜ぶ母や、母方の親戚を見ていると、「やはり、良かったのだな」と嬉しい気持ちになります。

小さい頃の記憶なので定かではありませんが、出雲の墓では、墓の下の扉を開けると、骨壷を納めるのではなく、そのまま骨を埋める(というよりも、土の上に返す・2~3代前までは土葬)ような形になっており、少し前に納められた頑強な骨はまだ土に返っていないのを見た記憶があり、幼いながらに、命のリレーというものを感じていたのだと思います。

閉眼供養の為に出雲に帰っていた母が、「あなたの曾祖母か、その上のおばあさんかわからないけど、鼈甲の櫛とかんざしが出てきたよ」と言ってきた為、写真を撮ってもらってから、またこちらで新しい墓に納めました。

「先祖を大切に。あなた一人で生まれてきたわけではない」と言葉で言われ、当たり前のことであるので意識しようとしても、形が見えないものを意識する事はなかなかに容易ではありませんが、おばあさんが実際に使ったであろう櫛やかんざしを見て、私の心は、何か表現し難いのですが、とてもほっこりと温かく、嬉しくなったのでした。

自分というものを意識して、前に進もう、生きてゆこうとする時、強烈に先祖の存在を感じる事は、命のありがたさ、尊さを思い、自らが歩む道においてパワーになってくれるものだなと改めて思った出来事でした。

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『ほとんど記憶のない女』




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最近、通勤電車で読んでいるのがこれ。
1947年生まれのリディア・デイヴィスというアメリカ人女性作家の著した短編小説集『ほとんど記憶のない女』です。
51の短編を集めて有るのですが、わずか数行のものから、何ページにもわたるものまであります。書名は、その中の一つです。

それぞれにとても不思議な世界観がありますが、どの場合も、読んでいると、何か自分がその世界にポツンといるという気になってきます。どの短編にも登場人物が何人かいるのですが、それぞれの人が語るわけでもなく、主人公が内観している風な書き方なので、そんな風に感じるのではないかと思います。

禅的な思考をさせられる物語ばかりです。じつはそれぞれの物語を読んでいて、気が付くと主人公の思考がまるで自分の思考のような感覚に陥ってしまいます。主人公の思考はたどれば著者の思考であるわけですが、これが自分の考えなのか、あるいは主人公の、あるいは著者の意識なのか、ちょっとわからなくなってくるような感覚なのです。自他がなくなっていくといえばいいでしょうか。

短い一話を引用してみましょう。
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  認めない

 男は女が自分の意見を聞かない、と言った。女はそうじゃない、男が自分の意見を聞かないのだ、と言った。問題は網戸のことだった。ハエが入ってくるから閉めておくべきだというのが女の意見だった。男の意見は、朝一番はまだテラスにハエがいないので開けておいてもいい、というものだった。だいいち、と男は言った、ハエはほとんどが家の中から出てくるのだ。自分はハエを中に入れているというより、どちらかといえば外に出してやっているのだ。

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なんだか公案に出る話頭みたいなのです。
興味を持たれた方は、読んでみられては?
実は私も、まだ読了していないのです……。短い話でも何度も読んでみたりしてまして。

『ほとんど記憶のない女』 リディア・デイヴィス/岸本佐知子訳(白水社・2011/2/10発行)

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