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自給自足の暮らしから




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1月の事ですが、有り難い事に、とある所で自給自足をなさっている方のお話を拝聴する機会をいただきました。

「自給自足」と聞くと、なんとなく憧れるものの、自身の生活とはあまりにかけ離れている為、実際にしている方は「シビアで偏った方なのだろうか」との先入観がありましたが、そんなつまらない想像とは全くかけはなれた、とても気持ちのよい方で、私はいっぺんにその方に魅了されてしまったのでした。

地に足のついた、自然のサイクルと共にある日々の暮らしから発せられる飾らない言葉は、どんな言葉よりも力強く、私の心に響き、何故自分が泣いているのかもわからないほどに、今までの日本を思い、震災を思い、自身の暮らしや心持ちを思い、こみ上げてくるものを抑える事ができませんでした。


以前、建長寺の管長様にインタビューに伺った折に、「坊さんはただやるべきことをやればいい」と、坐禅や作務、朝のお勤め、お経をよむことの大切さを口をすっぱくして仰っていらした事が脳裡に浮かびました。

どれだけうまく話をしたところで、実践を伴っていなければ、それは人の心に深く残らず留まらず……。建長寺管長様の御言葉は、慈悲深い叱咤激励であると改めて感じ入りました。

そして、何故1月のあの日、嗚咽するほどに泣けて仕方なかったのか、それを未だに時々考えていますが、自分なりの答えをみつける為にも、近々お邪魔してさらにお話を伺い、皆様にも季刊誌『禅文化』にてご紹介できたら……と思っています。

近頃、「出家せずとも、この方はお坊さんのようだな……」と思うような方によく出会っています。
そんな素敵な方々のうちの、お一人なのです。

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京都御苑の春




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昨日も少しご紹介しましたが、京都御苑の春の訪れです。
蝋梅は満開でかぐわしく、梅も花開き、寒桜の姿も。

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梅林が満開になれば、桃林の桃も花開き、それが終わる頃にはいよいよ桜の出番。
春の気配を感じながらも、一年で一番寒さの厳しい2月。
今のような暖房器具の無い時代の人々は、どれほど春を待ち焦がれた事でしょう。
一つ一つ春の花が順番に開花してゆくのに励まされたのでしょうね。

毎年楽しみにしている近衛邸跡の枝垂れ桜も、花は確認できずとも、なにかがむらむらとうごめくような気配、内なる躍動を感じずにはいられぬ頃となって参りました。
明らかに、11月や12月の頃の桜と、今の桜は違いますね。
蕾を観察するのではなく、少し離れて全体を感じるようにすると、桜の木の気が伝わってくるような心地が致します。

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東風ふかば




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渡宋天神画賛 禅文化研究所蔵

東風吹かば にほひおこせよ梅の花
              あるじなしとて 春を忘るな   菅公


梅が咲くと思い出します菅原道真公の歌。
そして、禅宗寺院でこの季節によくみかける軸が、『渡唐天神画賛』ではないでしょうか。

天神が無準師範(ぶじゅんしばん/1177~1249)に参禅したとの中国の伝説が、日本においては菅原道真公が参禅したとされ、掛物にも登場します。
禅文化研究所に所蔵されているのが、上の軸です。

梅の花をみるにつけ、道真公は太宰府でどのように都を懐かしみ暮らされたのか、はたまた都に天災をもたらすほどの怒りを持って暮らされたのか、その心をいくら推し量ったとてわかるところではありませんが、梅の花をみれば、ただ美しく馥郁たる香りを楽しむのみならず、一種独特の感慨をもってしまいますね。

お軸の詳細はWEB墨蹟展(実はそんなコンテンツがHP内にあるのですよ!)にてどうぞ。

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京都御苑の梅 随分花開いていました
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本居宣長旧居 -三重県松阪市-




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学校で習った本居宣長の記憶といえば、国学者で……。いくつかの記憶しかありませんが、ここ松阪の生まれという事すら忘れていた私です(すみません)。
機会がありましたので、松阪城跡を訪れ、そのままお隣に移築された本居宣長旧居と記念館にもお邪魔してきました。
職業が実は医者であったという事すら忘れていました。国学者という印象の方が強いのは私だけではないですよね?!

京都で受験の神様といえば御存知、菅原道真公をおいて他にはありませんが、この辺りでは、受験前には本居宣長ノ宮という神社に参拝するようでした。さもありなん……ですね。

教科書で読むだけではなく、実際に縁の地へ足を運ぶというのは、子どものみならず大人にも大切です。人生経験を重ねた後で知る偉人のあれこれが、子どもの頃よりも深く心に染み入る事もよくある事です。

住まいとは、その人そのものですね。よく考えられて工夫され、とても住みやすそうで、それでいて瀟洒な雰囲気も忘れず、そこからもその人を知る事ができたように思います。
また、疲れると、大好きな鈴を鳴らして息抜きをしたというエピソードが微笑ましいものでした。

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本日発刊 『景徳伝灯録 五  巻13~15』と入矢義高先生の思い出




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『景徳伝灯録』の訓注本として、平成5(1993)年に第一回配本の『景徳伝灯録 三 巻7~9』が発刊され、その4年後に第四冊が発刊されて依頼、じつに16年ぶりの今日、第三回配本としてその続編、『景徳伝灯録 五  巻13~15』が上梓された。

第四冊刊行の翌平成10(1998)年に、本書の研究を行なってきた禅文化研究所景徳伝灯録研究会の教授であり、唐代語録研究の重鎮として入矢義高先生(京都大学名誉教授)が逝去された。
不肖も、花園大学の学生時代に入矢先生の授業を受けたことがあるが、座った席順に語録を読み下しさせられ、もちろん予習をしていないと読めるはずもなく、こてんぱんに批難されるために恐ろしくて仕方ない授業だった。授業には学生だけでなく、先生方も受講されていたことを記憶している。
入矢先生は、お酒の席も好まれた。記憶に深く残っているエピソードがある。
一つは、宴席の一次会が終わってタクシーを呼び、先生にお帰りいただこうと乗ってもらったが、「私はまだ飲みたいのだ」とおっしゃって、なんと反対側のドアから降りられてしまっていたこと。
それから、常々、京都駅前の京都タワーを嫌っておられ、飲むと口にされていたのは、「もし手元にバズーカ砲があれば、あの醜悪なタワーをなぎ倒したいと思う」ということだ。

少々過激だが、ある意味その圧倒的パワーをもって、大部で難解な伝灯録の基礎研究を進められていた。そこには、この研究会が始まった頃から盛んになった中国口語史研究の成果も踏まえられた。そして関係学者が集った。今、その入矢先生の元に集まった研究者の方達が、検討に検討を重ねて産み出したのが、この『景徳伝灯録 五  巻13~15』である。
本冊に収録されるのは、風穴延昭、首山省念、圭峰宗密、石頭希遷、丹霞天然、薬山惟儼、雲巌曇晟、徳山宣鑑、洞山良价、夾山善会など、公案や禅録を少しでもかじった方ならよく目にする重要な禅僧である。
是非、その成果を手にとって読んでいただきたい。

『景徳伝灯録 五』についてはこちらから。

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油日神社 -滋賀県甲賀市-




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土地にも、"品格"というものがあるのだなと思います。
油日神社と、その周辺の村落に、その事を教えてもらった気がします。
何度訪れても飽きない、身心清らかにしてくださるような、そんな力のある神社と土地です。

一度こちらの豊作を祈願するお祭にお邪魔したいと思ってはいるのですが、まだ叶っていません。
機会を楽しみにとっています。死ぬまでに何度も足を運びたくなるようなお社です。

御神体でもある油日岳を登った記事はこちら

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長寿寺 -滋賀県湖南市-




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国宝の本堂

聖武天皇の勅願により、東大寺の開山として知られます良弁が開創した寺院、長寿寺です。

良弁というと、奈良での活躍があまりに印象的で、その他の地域の事があまり浮かばないかもしれませんが、滋賀や福井あたりに縁の地も多く、それらを辿るとなかなかに面白いものなのです。
今は天台宗になっているこのお寺、普段拝観可能なはずですが、雪がちらつく寒さのせいか、拝観不可ということで、収蔵庫におはします阿弥陀如来坐像にはお目にかかれませんでした。
この地域は面白いので、また暖かくなればでかけるとしましょう。

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阿弥陀如来坐像を拝めぬのは残念でしたが、この日の私は、なんといっても、この石造多宝塔を拝見でき、上機嫌でした。なんとも見事ですね。洗練されていないアンバランスさがまた良いですね。

近江には磨崖仏や石塔など、渡来人も多かった為、韓国の石の文化と共通するように思える物が数多く現存しますが、これもそうなのでしょうか。日本の形や風情とは、また違うような気も致します。
あれこれ想像を膨らませ巡る寺院、かくれ里、足を運んでいるうちに何が見えてくるのでしょうか。

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弘法杉 -滋賀県湖南市-




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日本の原風景があちらこちらに残る近江の地。
以前訪れた八丈岩の近くをドライブ中、大きな「弘法杉」の看板が。
どこだ?!どこにあるのだ?!と探すと、なんと見上げたところに......。

高さ26m、周囲6m、樹齢約750年と伝わるこの杉。詳しくは上の看板写真をクリックして、拡大してください。

それは立派な杉でした。左下に見えますのは、お大師さんをお祀りしてある小さなお堂です。




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湖南市のこのあたりは、八丈岩に三雲城址、そして国宝の本堂を持つ長寿寺や常楽寺など、それは素晴らしい宗教&文化遺産が数多く残っています。
少しずつ訪れたいと思います。

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伊勢神宮参拝




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なにごとの おはしますかは しらねども
              かたじけなさに 涙こぼるる      西行法師


式年遷宮という記念すべき年、伊勢神宮に参拝してまいりました。
その昔、僧侶は人の死を扱う=ケガレとしてみなされ、僧侶専用の参拝道が設けられていたのだとか。しかも、正殿までのお参りは許されなかったそうです。その点今は有り難いですね。

と、、そもそも私は研究所の職員ながら、僧侶ではありませんから関係はないのですが……。

それでも、例外もあるようで、かの夢窓国師は、お願いしてお参りさせていただいたのだとか。
『夢中問答』に出てくる、伊勢の神官とのお話は興味深いですね。
〔*上記は、研究所の博識氏に色々と教えてもらいました一部をご紹介してみました。〕


さて、外宮、内宮と参拝させていただいたのですが、以前とは違っていたのが、外宮に新たに【式年遷宮記念せんぐう館】ができた事。
20年に一度の式年遷宮に伴う尊い営み、仕事というものがどれだけ多くあり、奥深いものなのか、非常に細かに学べる素晴らしい所でした。
気の遠くなるような匠の仕事を映像で拝見できるコーナーもあり、そこに映る職人さんに、若い人が見受けられる事に嬉しくなり、どれだけ多くの日本の伝統技術が、このご遷宮により絶えること無く伝えられて来た事か……末永く続いて欲しいもの…と感慨深いものがありました。
是非とも、お伊勢参りにゆかれる方は、時間が無くとも、おかげ横町で遊ぶ時間を削って、こちらへ足を運ばれる事をおすすめします。

心の洗濯をさせていただけるような、よきお参りとなりました。

最後に余談ですが、今流行り?のパワースポットに多くの人が熱心に集まって手をかざしておられました。
それも確かに何かよきものがいただけるのかもしれませんが、神宮は敷地全てが聖域であって、そこへ難なくお参りさせていただけている事自体、それだけでも有り難い事のように思います。
自分の五感を研ぎ澄まして、自分に合う場所でパワーをいただくのが良いのではないか……という気が致しました。それぞれに見合った、そんな場所がある気がしています。

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墨梅  -正木美術館-




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面白そうな展観ですが、会期ぎりぎりにしか行く暇がありませんので、先に皆様にお知らせを。

大阪は泉北郡にあります正木美術館にて、【墨梅】と題した展覧会が開催中です(3/3まで)。
正木美術館には未だ足を運んだ事が無く、前回も面白そうな展観を見逃しましたので、今回の展観は必ずや!と今から意気込んでいます。

絶海中津賛の墨梅図が、ことのほか楽しみです。
絶海中津と言えば、この時の事を思い出します。時間が無くて行けませんでしたが、やはり一度訪れてみたいな......と思っています。

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渋谷の白隠展に




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このブログでもすでに2度、記事にしていますが、現在、渋谷東急 bunkamuraにて開催されている「白隠展 -禅画に込めたメッセージ」を、やっと観に行くことができました。
何しろ、100点もの白隠禅師の書画を一度に展観している展覧会は、めったに出逢えるものではありません。開催時から観に行きたくて仕方がなかったのですが、やっと叶ったといったところです。

3連休の初日土曜日の昼下がり、どちらかというと夕方に近い時間でした。
渋谷ハチ公前のスクランブル交差点の人の波には、いつも溺れそうになるのですが、久しぶりの東京渋谷は、相変わらずの人混みでした。また渋谷駅が大規模な工事をしているので、なんだか、普段ひっそりと生活している者には、頭の中で半鐘を打たれているような気分です。

まっすぐbunkamuraを目指します。
地下にあるミュージアムに入ると、すぐに白隠の書画が目に入ってきました。多くの方が来場されていますが、比較的じっくり観ることができるほどの人数でした。部下が行ったときにはもっと多かったのかも知れません。
図録では何度も見たものがほとんどなので、私にとって決して目新しいわけではないのですが、やはりホンモノを目の前にすると、とても感動的です。予想していたよりもなんとも圧巻。
また、今回の展覧会のポスターやパンフレットにあしらわれている「布袋お多福を吹く図」は、大洲のお寺から新たに見つかったものらしいですが、これは大きな対幅で、とても素晴らしい作品でした。

また、42歳で大悟するまでの画と、大悟してから晩年までの画の違いは一目瞭然。同じ達磨を描いた麼ものでも若い頃の繊細なタッチと比べると、大悟後の画のユニークさといったらありません。ただそれをただユニークだと受け止めていられないのが白隠の書画。
展覧会のキャプションでは、あまり詳しく書かれていないので、キャラクターの面白さや、構図の楽しさに目を奪われ勝ちですが、白隠禅師法語全集の仕事をしていた時に知らされた、痛烈な幕府批判や民衆教化、弟子の育成叱咤の言葉が、随処にちりばめられています。

たまたま、今回の展覧会の監修者の一人、芳澤勝弘先生が来られており、声をかけてもらいました。先生は前職が、禅文化研究所の編集主幹だったので元直属上司。沼津永明寺蔵の若書きの巨大な達磨像の上には、じつは賛が書かれていたのではないかと思われるというような、キャプションには書かれてないミニ講座のようなお話も聞かせてもらうことができました。

展覧会は2/24(日)まで。あれこれ難しいことを考えなくても、また、白隠禅師のことなど知らない人でもきっと楽しめます。なぜ東京国立博物館ではなく、若者の集う渋谷のbunkamuraにて開催されたのか。是非、その不思議を探ってみてきてください。

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ついでに、リニューアルされた東京駅、なかなかの壮観でした。丸の内北口や南口のドーム天井も美しかったです。それと、いたるところにあるポスターなどで、東京にオリンピックに招致しようというムードが満ちている東京でした。

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『昆布と日本人』 -職員オススメ本-




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『昆布と日本人』(日経プレミアシリーズ)
著/御昆布司 奥井海生堂社長・奥井隆氏

よくお世話になっている方が、その熱い思いを一冊の本にまとめられましたのでご紹介です。
まず、この本の全編を通して一番に心に染みたのは、奥井社長が“おかげさま”の精神を貫いていらっしゃる事でした。
若き頃から変わらぬその姿勢で、日本のみならず世界より厚い人望を集める今がおありになるんだなぁ……と、ご本人を存じている私としてはとても感慨深いものでした。


さて、「日本人とはなんぞや……」というのは、いつも私が気にしている所ではありますが、美術工芸品や思想や歴史方面からそこを考えてみたりしても、人の身体と精神を作っているのは食。
とくれば、1000年以上の歴史がある昆布の事を知る事は、日本人を知る事そのもので、この本を読み、目から鱗でした。

山多く、海に囲まれた豊かな国だからこその産物である昆布。自然から与えられたその恵みを生かし切ってきた日本人の智恵。
学校で習う歴史は、いつも“人”が中心でしたが、“昆布”を中心に見てゆくそれはまた何と興味深い事でしょう。
料理人のみならず、商売人はもちろんの事、そして我らが禅宗の典座は精進である為、昆布の出汁は欠かせぬもの。もちろん家庭においても出汁が決めての日本の料理であるからして、広く皆さんに読んでいただきたい本なのでした。

日本の食を見直す事は、明るい世へと次世代を導く事に繋がります。
戦後失った日本人としてのアイデンティティを取り戻すのも食を通して……でしょうか。

ちなみに私も普段は毎日手作り弁当ですが、それに加えて最近は温かい味噌汁やスープを持参しています。
昆布で出汁を取る場合は、60℃でうまみを最大限に引き出す方法で。
是非皆様も実践してみてください!

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高知へ その3

高知へ その2の続きです。
吸江寺の兼務をしている還暦の和尚の本務寺院は長谷寺(ちょうこくじ・別名「まきの寺」)です。訪ねたことがないというと、ではみんなで行きましょうと、吸江寺を訪ねた一行がそのまま車に便乗して長谷寺に向かうことになりました。

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長谷寺は高知市から東へ1時間近くいった香南市夜須町羽尾の山中にあります。市街地から狭い林道を車で縫うように走ること30分。人里から完全に離れた山の中にあるお寺です。それもそのはず、現在は臨済宗妙心寺派のお寺ですが、もとは神亀4(727)年に行基によって開かれたと言われています。
ご本尊は十一面観世音菩薩と地蔵菩薩像です。住職の許可を得て仏像の写真を撮らせてもらいました。

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十一面観世音菩薩はかなりいたんでいますが、頭部にある十一面がかすかにわかります。香南市保護有形文化財に指定されています。
また、境内にある小さな梵鐘は高知県保護有形文化財に指定されていて、やさしく打つと、古えを感じるとても寂びた音がしました。

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境内にはほかに鎮守である弁天堂やおよそ歴代の守護者のものかと思われる古い五輪塔が並んでいますが、どこもちゃんと手入れされていて、山奥で人が訪ねるのも少ないであろうにと、感心することしきりです。
しかし一番上の山門の写真にもあったように、ここでは坐禅会も開かれていて、道心堅固な方が集まってこられているとのことでした。

仲間たちとも別れをつげ長谷寺をあとにし、京都へ向かった私たちは、帰路の途中で、淡路島で唯一の黄檗宗の禅寺・国清禅寺(南あわじ市)へ立ち寄りました。

ここは、南画界の第一人者・直原玉青和尚が復興したのですが、本堂は阪神淡路大震災の被害がまだ残っている状態でした。お寺の近所に、滝川記念美術館玉清館があり、玉青和尚の描かれた書画が展示されているので観てかえることとにしました。

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玄関を入ってすぐの3層の天井に描かれている雲龍図は、直径約6mほどの大きな画ですが、玉青和尚は一晩で描かれたとのこと。ほかにも12枚の画からなる「うしかひ草」(牧牛図)など、水墨画や着色された大きな南画が展示されていて、見応えがあるものでした。

こうして、高知行一泊二日の旅は終わりました。全国各地に仲間がいるというのは、楽しいものです。

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東海庵 -妙心寺塔頭-




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妙心寺四派の一つ、東海派の本庵、東海庵が公開されています。

応仁の乱により諸堂を焼失した後、再興に尽力した雪江宗深(せっこうそうしん/1408-1486)。
その4人の傑出した弟子が、それぞれに一派を成し、四派四本庵による教団統括運営組織の礎を築きました。

4人の弟子とは、景川宗隆(けいせんそうりゅう)、悟渓宗頓(ごけいそうとん)、特芳禅傑(とくほうぜんけつ)、東陽英朝(とうようえいちょう)で、それぞれ、龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派をつくります。
妙心寺の末寺は現在およそ3500ヶ寺ほどありますが、全ての寺がこの四派のどこかに属しているわけで、お坊さんたちの会話をよく拝聴していても、「お前んとこは○○派だから○○だ」などというセリフを耳にします。
内容はともかく、“流れ”というのは大事なのですね。


と、前置きが長くなりましたが、まさにこの、東海派の本庵である東海庵が公開されているというわけであります。
なかなかに公開される機会はありませんので、是非とも“京の冬の旅”で公開されている期間(3/18まで)に一度訪れてみて欲しいお寺です。
方丈前の庭を観ていますと、やはり、やはり、禅宗の寺はいいなぁ……と、いたってシンプルで、あらゆるものが削ぎ落とされた中にいて、満たされている気分に浸る事ができました。

余談ですが、3つの素晴らしいお庭があるのですが、解説をしてくださるボランティアガイドの方の主観的な庭の見方での説明がかなり長く(その方も庭を愛してやまないのでしょうが)、こちらがじっと庭をみて考える時間を与えさせてはくれないほどです。
一人静かに見たいのであれば、ボランティアガイドさんが皆さんに説明されている時をはずしてご覧になられるのが良いのかもしれません。

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スマホアプリ「京都禅寺巡り」 Android版/iPhone版 好評リリース中!

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『イラン式料理本』 -オススメ映画-




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気になる他人のおだいどこ。
家庭の台所事情から、お国柄、文化、宗教、男と女、世情、様々なものが見えてくるものですね。
日本はともかく、この映画ではイランにおける様々な家庭の、実際の台所事情!なのですから、これまた面白いわけです。
楽しくも考えさせられる、とても良い映画でした。食は全てに通じますね。

それにしましても、スパイスをふんだんに使う中東の料理。食べてみたくなりました。
私の中でスパイス使いの上手な国といえば、インドはもちろんの事、インドネシアも挙がります。
日本のように出汁を取る文化が無い分、スパイスを豊富に利用するのでしょうね。

余談ですが、どうしても比較してしまうのが人の性……。
どちらが良い悪いという話ではありませんが、改めて、日本の、海あり山がある食材の豊かさと、日本料理の美しさ、繊細さを思い知りました。

【イラン式料理本】

京都では明日8日(金)まで、京都シネマで上映中です。

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高知へ その2

高知へ その1に続き、高知旅行初日の夜は、同じ釜の飯を食んだ仲間が集い、賑やかに還暦の会を終えました。
翌朝、還暦を迎えた和尚が住持(兼務)をする、夢窓疎石(1275~1351)が創建された吸江寺(ぎゅうこうじ)へ参拝しました。
吸江寺は五台山公園の麓に位置し、高知港が見渡せるちょっと高台にあります。以前は、寺の門前まで港だったということですが、夢窓国師はこのような景観の土地を好んで寺を建立されたそうです。
今は残っていませんが、記録によると夢窓国師が作庭された庭もあったそうです。

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本堂の内陣には夢窓国師(中央)の木像があり、また左下に見えるのは、夢窓国師お手彫りと伝わる仏像がありますが、先年、このお寺から夢窓国師の弟子、絶海中津(1336~1405)がお使いになっていたと思われる700年前の九条袈裟が発見され、現在、京都国立博物館にて保存されています。




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こんなパゴダ(ビルマの慰霊塔)が禅寺にあるのを未だかつて知りませんでしたが、聞くところによると、この高知からは戦時中、ビルマ(現ミャンマー)に出兵した兵士が多くいたようで、戦死した彼らの慰霊塔として建てられたとのこと。今もパゴダの会に所属する人たちが定期的に参拝に来たり、ミャンマーを訪れたりしているようです。

パゴダ内に祀られる本尊は、国の重要文化財に指定されている地蔵菩薩坐像で、これは、夢窓国師が足利尊氏の守り本尊を移してきたと伝えられています。


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高知は京都や滋賀よりもだいぶ暖かく、すでに水仙は満開。黄色い花はあまり見たことがないものでしたが、キバナアマだということです。 調べてみると、中国雲南省やインド北部、パキスタンの高山に生息するということです。
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椿も満開、万作の花ももう咲き終わりの状態でした。

つづく

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冬の禅寺




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ピシーーーーーーーーーッ。
としておりました、節分の日の天龍寺

冬の禅寺にて、枯れに枯れた景色。
目には見えずとも僅かに感ずる春の気配。

【京の冬の旅】も開催中。
今日はお昼休みに妙心寺さんへ拝観に行こうかなと思っています。

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高知へ その1

先週の金曜日、修行道場の仲間が還暦を迎えるということで、北は東京、南は岡山から20人近くが高知に集まって、彼の還暦祝いの会を催しました。
平日ではありますが、参加者のほとんどが僧侶ということで、こういう行事は友引にあわせて行なわれるのが常。サラリーマン兼業僧侶の私は涙をのんで、いや、慶んで有休を取って四国へと向かったのでした。




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春のような暖かい日差しの中を同行3人は明石海峡大橋を渡って高知を目指しました。facebookで繋がる先輩の僧侶からは「かんざしを買わぬよう気をつけて」とのメッセージが。

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個人的には20年ぶりに訪れた高知駅は新しく、駅前には土佐を代表する幕末の志士お三方の大きな銅像が立っています。左から、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎です。おっと、高知ではこのお三方には先生を付けて呼ばないと叱られるのだぞと、同行の先輩和尚から注意が。

夕刻の還暦の会にはまだ少し時間的に余裕があるので、せっかくだからその前に高知城を訪ねてみようということになり、人気もまばらな平日の高知城にやってきました。
高知城は旧国宝、現在は重要文化財となっている天守閣が矍鑠として城山の上にそそり立っています。
NHK大河ドラマの「功名が辻」の放映の頃には一日1万人もの観光客が訪れたこともある、山内一豊の居城でした。現在の天守閣は一度、城下町の大火災で焼失したものの再建されてすでに250年経っています。

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天守閣へ登り口付近にあるこのセンダンの古木は樹齢268年とみられるらしく、再建された城よりも古き樹木のようですが、センダンは土佐の象徴とも言える木なんだそうで、昔、土佐ではすべての道路に旅人のためにセンダンを植えていたとのこと。案内板には富田碎花は土佐路の印象を
   こごしかかる 北山越しに 来し国の
       並木の道は せんだんの花
とうたったと記してありました。

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切り立った見事なこの城内の石垣も、安土桃山時代から石職人として有名な近江坂本の穴太衆が作ったとのこと。
そして夕映えの天守閣は美しく、往時の武士たちの声が聞こえてくるようでもありました。

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つづく

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茶人に学ぶもてなしの工夫




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鼓月 京の離宮

2月ですね。もう今年に入って一ヶ月が過ぎ去りました。早いものですね。
今月も宜しくお願い致します。

さて、何で読んだのかは忘れましたが、ある人が三千家どちらかのお家元に伺うと、俵屋吉富さんの雲龍(有名なお菓子です)が、茶巾搾りになって出されて、感動したと……。
雲龍が切られてそのまま出てきたのなら、あまりに知った菓子という事もあり、「あぁ、雲龍ね」で終わるところが、茶巾搾りとなって出てくると、「え、あの雲龍ですか!!!まぁなんと!!!」となりますね(俵屋吉富さんにはちょっと申し訳ない気もしますが……いただき方のバリエーションとして…)。
茶人のこういった工夫、見習いたいところです。
ちなみにこの雲龍、相国寺さんと大いに関係があるのですね。


前置きが長くなりましたが、先日の研究所のお菓子が、雲龍ではないのですが、鼓月さんの“京の離宮”という菓子でしたので、茶礼の時間にはいただかずに、家に持って帰ってさっそく実験してみました。
うずまきを出すように搾るのが良いのか、白い部分を見えるように搾るのが良いのか…。
写真ではわかりづらいのですが、なかなかにかわいらしい茶巾搾りができ、毎夜の抹茶時間がさらに楽しくなりました。
色々な菓子でできそうなので、これからもやってみましょう。皆さんも一度お試しになってみてください。

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白を表面に
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うずまきを表面に

*蓮弁小皿 福森雅武

by admin  at 07:30  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)