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伝明兆筆 惟肖得巖賛 古画「渡唐天神画賛」

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伝明兆筆 惟肖得巖賛 古画「渡唐天神画賛」

日付 2011/5/19
作者 惟肖得巖(いしょう・とくがん/1360-1437)
詳細 聴松堂文庫003

古画「渡唐天神画賛」

世稱、無準住徑塢之日、夢感
菅祠入室付授□□[衣盂]。此圖樣也好事
者喜侍奉之。予□[嘗]讀佛光學翁
普説、中有 八幡□[夢]迎請之瑞。其
事相類。皆不可□[誣]乎。矧 常光・語
心同有偈贊。故□[援]例結縁云。
菅氏相公元化□[人]、至今廟食號
天神。龍淵室□[内]參禪去、蝶夢
床前納拜親。□[劫]頃強分塵惑
臆、山河不礙□[意]生身。傳金襴
外有何信、插□[袂]梅花北野春。
丁酉夏、比丘□[得]巖焚香謹書
(「惟肖」朱文方印) (白文方印「釈氏得巌」)

国・時代     日本 室町
制作年月     1417年(応永24年)
制作年代     室町時代 応永24年(1417)
材質・技法     紙本着色
サイズ     92.2×31.3
員数     1幅
付属物     箱、釈文
付録の證文によると、画は吉山明兆筆と伝えられる。古筆了信(昭和六年如月念五日)
 
惟肖得巖……臨済宗焔慧派。備後(広島県)の人。16歳で、郷里の護国寺の草堂得芳(そうどうとくほう)に参じて剃髪受具し、のちに諸方を参学した。攝津棲賢寺に開堂して得芳の法を嗣(つ)ぎ、京都真如寺に移り、また将軍足利義持によって相国寺に迎えられ厚遇される。その後、京都の万寿寺、天龍寺、南禅寺に住した。
晩年は南禅寺双桂軒(そうけいけん)に退隠し、永享9年4月20日没。世寿78。著書に『東海鬳華集(とうかいけいかしゅう)』などがある。