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Kバレエカンパニー -白鳥の湖-




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熊川哲也さん率いるKバレエカンパニーの公演、-白鳥の湖-を観に行きました。

その指先の先、見えない所にまでゆき届く神経の細やかさ(でもとっても自然)、バレエを始めたその時から今に至るまで日々積み重ねられて来た努力と鍛錬、そしてストイックな現在の生活、その全てを、舞台の上では隠しきれないオーラとして身にまとっていらっしゃいました。美しさに、終始溜め息でした。

ふと、ある老師が、「室内での1分で、その日の残り一日どう過ごしていたかが全てわかる」と仰ったのを思い出しました。


夢のように瞬く間に過ぎた2時間超の公演。
近頃は、“癒し”という言葉がいとも簡単に安売りされている感がどうしても否めませんが、本当の癒しとは、このようなホンモノを観て、ひととき生の苦しみから解放され、感動に満たされる事をのみ言うものだな……と思った夜なのでした。
芸術は、人間の生活に欠かせないものです。

また、今回とても心惹かれたのが、ロットバルト役の方のダイナミックな美しい舞です。悪役も、美しく強くなくてはならないですよね。見事でした。


心からの感謝と感動を、手が痛いほどの拍手と、スタンディングオベーションによって送って来ました。夢のようなあの世界へ、また訪れたいと思っています。

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神仏います近江-滋賀県立近代美術館-




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先日の大津市歴史博物館の-日吉の神と祭-に引き続き、2会場目となる、滋賀県立近代美術館へ行って来ました(上司の記事はこちらに)。

こちらでは、-祈りの国、近江の仏像-と題して、平安時代から鎌倉時代まで、貴族社会から武家社会、天台からその他の宗派まで、幅広い時代・時代背景の仏像が一度に観る事のできるまれな展観となっていました。

京都・奈良・滋賀の仏像を観てまわっていると、専門家ではないのではっきりとうまく言葉で表現はできないのですが、それぞれに味わいがありますね。
今回の展観でも、奈良とも、京都とも違う近江の味を堪能しました。

と申し上げながら、“近江の味”とはまた違うような気もするのですが、やはり、どうしても、ひときわ目を引いたのは、快慶作の木像大日如来坐像(石山寺)です。これは、快慶作と聞かずとも誰しもその前でハッと立ち止まってしまうのではないでしょうか。
密教における最高仏、宇宙の真理そのもの、万物の長たる大日如来に相応しい、圧倒的な迫力と美しさと荘厳さを兼ね備えていました。

またもう一つ、普段は門の中で寺を守っている金剛力士像が、今回の展示では門から出て間近に拝む事ができ、私はことのほか、甲賀市は正福寺(臨済宗妙心寺派のお寺です)の金剛力士像に心打たれました。その“手”に です。

金剛力士像を思い浮かべて下さい。いろんな形がありますが、正福寺の像は、片方の手は力強く地面をおさせるかのような格好をとっています。その“気迫”に打たれたのです。
「あぁ、荒ぶるものを抑え、山門にて邪悪なものの侵入を拒むのだなぁ。土地が荒ぶる事も、この手で抑えていらっしゃるのかもしれない」と、ふと思ったのでした(かなり勝手な私の想像です)。

私の大好きな不動尊も、味のある矜羯羅童子・制多迦童子を従えてお目見え。
堪能させていただきました。ほんとうに、ありがたい展観です。

3館での開催のうち、2館拝見しましたので、残すはMIHO MUSEUM。こちらもまた楽しみです。勝手な感想を述べさせていただく事になると思います。どうぞ宜しくお願い致します。

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ワット・ポー -タイ-




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タイルのデコレーションがカワイイお寺


以前ご紹介しましたが、朝、ルーシーダットンをする為に趣いたお寺、ワット・ポー。

このお寺には、敷地内にマッサージの学校があります。日本からも生徒さんが勉強しに行ったりする模様。朝のルーシーダットンにも、学校の名前が書いた鞄を持参してレッスンに参加する日本人の姿が見えました。ルーシーダットンの後に授業を受けるのでしょうか。

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私は時間がありませんでしたので、マッサージ学校でのマッサージ(生徒の勉強になる為、町中でするよりも安いらしい)は体験しませんでしたが、寺院内にはさすが、このような人間の身体の色々が描かれた壁画がたくさんありました。面白いですね。

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チベットでも、チベット仏教僧が同時にチベット医学を納めた医者として活躍していました(現在では、お坊さんでチベット医という人は減っているらしい)。ブッダが医王と呼ばれ、仏教と同時にインドのアーユルヴェーダの知識などが世界各国に流れて行った事について、非常に興味を抱いています。

タイのルーシーダットンも、よく、タイ式ヨガと呼ばれます。おそらくはインドから仏教と共に生命の知識(アーユルヴェーダ)やヨーガも入って来て、タイ独自の民間療法などとミックスされたのだと思います。そういうわけで、お寺にマッサージ学校があり、ルーシーダットンのレッスンをしているのは、不思議でも何でもありません。

人間の心と身体には、切っても切り離せない相関性がある事を昔の人は当たり前のごとく知っていた。そういう観点から、仏教にはまだまだ、人々の役に立てる事はあるのだなと思っています。

っと、ここまできて最後に宣伝になってしまいますが(最初から宣伝しようと思っていたわけではないですが)、我が研究所から発刊されているものといえば、『禅と東洋医学』があります。気になる方は是非ご一読を!

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季刊『禅文化』222号発刊




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季刊『禅文化』222号を発刊いたしました。
編集者よりご紹介させていただきます。

★好評連載「吾が師を語る」。今号は、三島・龍澤寺の後藤榮山老師が、山本玄峰・中川宋淵・鈴木宗忠三老師についてお書きくださいました。目のご不自由だった玄峰老師の出家のご因縁―「私のような者でもお坊さんになれるでしょうか」。「勿論なれる」。「しかし私は目が大変不自由でございます。お経の文字もよく見ることができません」。太玄和尚(玄峰老師の得度の師)曰く、「人間の目なんていうものは、目の前に襖一枚あれば先は見えんじゃないか。しかし心の目を開けば、見えないものは何もないぞ」。
俳句をよくされた中川宋淵老師は、「花の世の花のやうなる人ばかり」と限りなき大肯定のご境界を詠っておられます。鈴木宗忠老師は、「老師、公案というものは何のためにするのですか」という榮山老師のご質問に、「見性(悟り)の世界の景色を観るんじゃな」と答えておられます。
越格の三老師のご日常がありありと現前いたしております。

★かつて森本省念老師のおられた長岡禅塾。今号より、現新命老師による「長岡禅塾物語」が始まりました。

★画家の伊藤紫虹さんが「月」に纏わるエッセイを、平塚景堂老師はジストニア(局所的筋失調症)によって右腕を奪われたピアニストの「復活」を取り上げておられます。寺庭さんのリレー・エッセイは、舞鶴市東光寺寺庭の大道るり子さんの登場です。また連載「技を訪う」では、所員の川辺紀子が建築家の木島徹さんを取材しています。

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霜降 -二十四節季-

いろいろな〆切に終われていたら、二十四節季の第十八番目、「霜降」が昨日10月24日でした。
いつも忘れないように気をつけるようにしていたのですが大失態です。季節を感じる言葉をお知らせしようとしているのに、見逃してしまうとは何とも……。

さて、気を取り直して。
霜が降り始めるというこの時候ですが、まさしく、昨日の朝、いつものように自転車で自坊を出たところ、角のカーブミラーが霜で曇っていることに気が付きました。そして、秋雨がしとしと降ったり、もみじや蔦が黄葉する時節です。

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それから、今はコスモスが満開で、自坊の付近では、色枯れた秋の景色の中にとても明るい色の絨毯のような田んぼを見ることができます。

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これからどんどんと紅葉も色づいて、美しい秋の季節ですね。京都もこれからますます賑わってくることでしょう。

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白毫寺 -奈良市高畑町-




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大好きな地蔵菩薩がおはします、白毫寺の初秋。

5月にお邪魔した際には、その姿も忘れるほどに刈り取られていた萩が、こんなにも生い茂っていました。残念ながらちょうど花は終わった頃。京都では同じ時期萩の花が真っ盛りでしたから、この小高い地にあるお寺は、やはりいささか気温が低いのでしょうか。
何度来ても見飽きない、眼下におおらかに広がるまほろばの地。生涯通い続けるのだろうなと思います。そういう寺があるのは、なかなかに良いものです。前回来た時の自分と今の自分を思います。

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入江泰吉・杉本健吉展~大和路に魅せられた二人~ -奈良市写真美術館-




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時に意見を闘わせるライバルではあるものの、腹の底から互いを尊敬し、切磋琢磨しあう縁生の友。良いものです。

入江泰吉記念 奈良市写真美術館にて、そんな二人の展観が開催中です。
入江泰吉さんも、杉本健吉さんも大好きな私にとって、とても贅沢で心温まる展観で、国のまほろば、奈良の都をさらに好きになってしまいました。


老師のインタビューに伺っても、修行時代にそういう仲間に恵まれたお話をよく伺います。人生に、そんな存在がいるって、とても素敵な事だな……と思います。
今、皆様にはそんな大切な友人が、目に浮かんでいらっしゃいますか?

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大津市歴史博物館 -神仏います近江-




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滋賀県の神仏が3つの美術館博物館に集合。【神仏います近江-日吉の神と信仰-】を拝見しに、大津市歴史博物館に行ってきました(先日上司がでかけた他会場の記事もあります)。
こちらでは、神像が多く展示され、主に神仏混交の世界が繰り広げられていました。

ほぼ完全なる神仏分離の時代に育った者としては、「これは仏教の仏さん」、「これは神道の神さん」と分けて見たり考えたりしがちですので、この会場に並んだどっちとも取れるような神仏像や曼荼羅に???となったりします。
昔の日本では、インド(ヒンドゥーや仏教)の神仏が日本の神に姿を変えて現れる…と信じていました。とてもおおらかで深い懐を持った極東の国、日本の姿を垣間見る事のできる展示でした。

「源流ともいえるインドに私が憧れるのもわかる気がする」。
「私が、世界中どこの国に行っても、そこの土着の神やその土地の信仰上の神仏に畏敬の念を抱き、こだわりなく手を合わせられるのは、この為か」。

などと、自分の中に根付く宗教観を確認できるかのような素晴らしく意義ある展観でした。古き土地、近江の国の神仏は、我々日本人の原点を教えてくれるかのようです。


そして、日吉神社の山王祭。目と鼻の先のお隣滋賀県での大きなお祭に、是非参列してみたいと思い、来年のお祭の日をさっそくにも確認するのでした。

百聞は一見にしかず。「何でも、いっぱい見て来なさい。そうすると色々がもっと楽しくなるよ」との福森雅武先生の御言葉がいつも私の胸にあります。

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頭塔 -奈良市-




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頭塔。「ずとう」と読みます。
奈良時代の塔ですが、いまだに説明を読んでも私にはいったいこれが何であるのか理解するに至っていません。
そういった学術的理解はさておき、民家の中に突然現れるこの仏さんの数々に圧倒され、京都よりまだ一昔前の時代のものが、当たり前であるかのように町中に残っている不思議とありがたさに満たされるのです。
口をぽかんとあけて、「はぁ…」「ほーっ」と感嘆の声をもらしつつ周りをぐるっと一周させていただきました。

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志賀直哉旧居 -奈良市高畑町-




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奈良市内、飛火野を抜け、春日大社の神官が通った禰宜の道をとおり、志賀直哉旧居へと行ってきました。
何度か訪れていますが、行く度に新しい発見のある家なのです。建築にさほど詳しくなくとも、その細かいしかけ、気配りに驚く事間違い無しです。

遠くの方はご旅行の際に是非、お近くの方は、何度か通ってみてください。その時の自分が、この家のどんな所に新たに気がつくのか、鏡のようなものだと思います。志賀直哉のメッセージが込められた家です。

これから紅葉の季節を迎え、春日山の木々や高畑町のナンキンハゼの街路樹がそれは美しい彩りを見せてくれるのも必見なのです。

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永源寺 篠原老師の遷化

臨済宗・永源寺派管長、永源寺僧堂師家の篠原大雄老師が、2011年10月14日に遷化されました。

3年前のDVD制作時、直接携わりお会いする事は無かったのですが、収録されてきたVTRを拝見し、どうしても、是非とも、直にお会いしてみたいと恐れ多い望みを抱きました。
そうして月日が経ち、今年3月に願い叶って、季刊誌『禅文化』のインタビューにてお邪魔し、直にお話を伺う事ができました。
あの日の事は、きっと、死ぬ時まで鮮明に覚えているだろうと思います。

そして本日、密葬にてお別れをさせていただきましたが、御棺が山を降りてゆく際、参道の緑が太陽の煌々たる光を受けて光輝く中をゆかれました。

尊敬し、お慕い申し上げた老師の遷化に、改めて“死”ってなんだろう。。と考えるのですが、私はおそらくこれからも、「今の私を老師がご覧になられたらどう仰るだろう、こういう時、老師はどう仰るだろう」と幾度となく考える事と思います。私が息絶えるその時まで、老師も生きていらっしゃるんだな……というのが、今のこたえです。

老師から教えていただいた事、老師の生き様、少なからずお話を伺った者として、自分の周りの友人をはじめ、このブログや色々な所で話して伝えてゆきたい……とおこがましくも思っています。

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京都仏教文化フォーラム




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来週木曜日(10/20)に京都大学で開催される、「京都仏教文化フォーラム」という催しに、弊所編集部の西村がシンポジストとして登壇し、「IT社会と伝統教団-禅門の立場から」と題してお話をすることになっています。
入場は無料で、当日参加も可能ですが、混雑が予想されますので、こちらから予約申し込みをすることもできます。
興味のあるかたは是非お越しください。

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京都仏教文化フォーラム
「仏教文化とコンピューティング2011/祈りと安寧の都市・京都~クラウドと情報デザインと仏教文化」

 日時:2011年10月20日(木)10:00~17:15
 会場:京都大学百周年時計台記念館・交流ホールI
 主催:京都仏教文化フォーラム
 共催:国民文化祭京都府実行委員会
 定員:100人
 料金:無料

プログラム:
【第1部/午前の部(10:00~12:00)午後の部(13:30~15:00)】情報社会と仏教文化/現代的変化と今後
[解説]「仏教文化とコンピューティング」という視点/福井文雄(京都仏教文化フォーラム代表、真宗大谷派僧籍)
[報告1]社会情報学と仏教文化の接点・社会情報学の立場から/菱山玲子(早稲田大学理工学術院教授)
[報告2]超宗派仏教徒によるインターネット寺院「彼岸寺」の取り組みから見えてくるもの/松下弓月(インターネット寺院「彼岸寺」編集長、東寺真言宗宝善院副住職)
[報告3]IT社会と伝統教団-禅門の立場から/西村惠学(財団法人禅文化研究所員、臨済宗妙心寺派興福寺住職)
*各報告後に討論を行ないます。

【ブレイクタイム(13:00~13:30)】宗派ゆるキャラミニシンポ
司会:たわわちゃん(京都タワー)
アシスタント:英月(真宗佛光寺派大行寺副住職)
シンポジスト:
・しょうぐうさん(天台宗務庁・一隅を照らす運動総本部)
・なむちゃん(浄土宗総本山知恩院)
・あかほんくん鸞恩くん蓮ちゃん(真宗大谷派東本願寺)
・おりんちゃん(西本願寺門前町西植柳まちづくりプロジェクトチーム)
・ブットンくん(真宗大谷派大阪教区難波別院・南御堂)
・ゲスト:まゆまろ(第26回国民文化祭・京都2011)

【第2部(15:15~17:15)】現代社会と「祈りと安寧の都市」概念
[解説]「祈りと安寧の都市」という視点/福井文雄(京都仏教文化フォーラム代表、真宗大谷派僧籍)
[報告1]京都大学大学院工学研究科・医学研究科「安寧の都市ユニット」における"安寧の都市"概念/土井勉(京都大学大学院工学研究科特定教授)
[報告2]祈りの都市のまちづくりの可能性/川崎修良(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程)
[報告3]祈りの形-宗教者災害支援ネットワークの活動から考える/吉田叡禮(花園大学国際禅学科准教授、臨済宗妙心寺派観音寺住職)
*各報告後に討論を行います。

開催趣旨:
京都は多様な宗教施設が集積し、宗教的な習わしや祭事が長い年月をかけて人々の暮らしの中に息づく"宗教文化都市"として多くの人々を魅了してきました。

本イベントでは、この京都が持つ宗教文化都市としての価値を、今日のコンピューティング技術(人と人との交流・心の豊かさを育むコンピューティング技術)がもたらす成果と"情報デザイン"という手法を通して今日的視点で再評価し、"観光"のみならず、「生活とまちづくり」「社会問題の解決」「産業振興」といった各分野の次代を創るデザインとなりうるかの可能性を模索します。

今回、この作業で創られる未来都市を「祈りと安寧の都市・京都」と名付けました。日本の都市は、今後急速に高齢化と単身化が進み、人間関係の変化は「無縁社会」「孤族の国」という言葉を生み、モノと人、人と人との新たな関係構築を求めています。安心と安全だけではない"何か"は、近代が作り上げた「個人主義」の再検討を求めているようにも思われます。「人を思いやる文化」「心の豊かさ・幸福感」など、従来抽象的に語られがちな人の関係性を整理するこれからのコンピューティング技術についても考えます。

*本イベントは「第2回文化とコンピューティング国際会議(2011年10月20日~22日)」の協賛企画として開催されます。
*また、本イベントは「第26回国民文化祭・京都2011/まゆまろチャレンジ」に登録されています。

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肥後松井家の名品「武家と能」 -承天閣美術館-




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相国寺本山内、承天閣美術館にて開催中の、-肥後松井家の名品「武家と能」-を拝見しにお邪魔しました。
私の個人的趣味によるものかもしれませんが、「こんなに面白い展観はそうは無い!」と思うほどに、溜め息がもれるような逸品の数々でした。
能面・装束はもちろんのこと圧巻ですが、それ以外の松井文庫収蔵品も現在では既に再現できないような職人の仕事が随処に。
大名家に並ぶほどの名門、現在まで続いている家の底力を思い知りました。

京都国立博物館では、松井家の主、細川家の展観も開催されていますね。この秋、どちらも必見!の展観です。
また、細川家、松井家共に、禅宗と深い関わりのあった武家です。そのあたりが垣間見られるのも私を喜ばせるのに充分過ぎたのでした。
裏千家の茶道資料館では、松井家の茶道具が拝見できます。また時間をみつけて訪れたいと思っています。

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翁舞 -奈良豆比古神社-




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5月に訪れた際に、必ずや10月8日の翁舞を観にでかけよう!と誓い、早くもその日が訪れました。
20時前から始まる舞の奉納ですが、連休の初日という事もあってか、私が神社に到着した18時前には席を取る為に早めに来ている方もちらほら。それでも、最前列を確保できました。

席を確保すれば、普段は奈良国立博物館に寄託してあるという、神社に伝わるさまざまな面を拝見しに、収蔵庫の方へと向かいます。
保存会の会長さん(この方がもうなんとも言えない好々爺、まさに生き翁でした)に色々と説明していただき、来年は修復された衣装(御所より賜ったのではないかと推測されるらしい)も展示するとの事で、またまた興味津々ですが、来年を調べましたら月曜日。はてさて、ゆけるでしょうか?!

ろうそくと松明に火が灯され、いよいよ始まった舞。
天下太平・五穀豊穣を願い奉納され、恐らくは長い間、ほとんどその形を変える事無く民間に伝承されてきた舞には、魂ゆさぶられるものがありました。
洗練された能の舞などとは違うのですが、かえってそれがなおのこと良く、土着のあたたかさがあります。とこしえに受け継がれていって欲しいと願った夜でした。

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『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』西村惠信著




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臨黄ネット_ 今月の禅語より


あの、読書のすすめさんでもご紹介いただきました、『禅語に学ぶ 生き方。死に方。-人生を悔いのないものにする参考書-』ですが、私ども禅文化研究所に事務局を置いております、臨済宗黄檗宗連合各派合議所(いわば、臨済宗と黄檗宗の各派の横の繋がりを一つに!という集まりです)の公式HPに、少しずつですがご紹介しております。

臨黄ネット 毎月の禅語

出版前にも何度か目を通しているのに、読むたびにその時の自身の身心の状態によって、違う気づきがあります。皆様にも手元に置いていただき、機会あるごとにめくっていただきたいオススメの一冊です。

四季の恵みをいっぱいにうけて、この秋に機が熟して実りがもたらされる事をイメージして、今月は-天地一杯の自己-というお話にしてみました。是非ご高覧下さい。

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寒露 ―二十四節気―




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上の写真は、京都市北区の等持院(臨済宗天龍寺派)です。このごろ、研究所ですすめている事業に関わる仕事で京都市内の臨済宗・黄檗宗寺院を駆け巡っているのですが、先日訪ねた等持院にてスマートフォンで撮影したものです。真っ青な空が見事でしょう。

さて、明後日(10/9)は、二十四節気の第十七番目の「寒露」です。
昼はカラッと晴れて青空が澄み渡り、昼でも宇宙を感じるような空ですが、だんだんと太陽が西の山に落ちる時間が早くなり、日が短くなってきたなぁと感じますね。
雁が飛来し菊が咲きはじめコオロギが鳴き始めるのが、この寒露の時節です。
『暦便覧』では、「陰寒の気に合つて露結び凝らんとすれば也」とありますから、露が凍り始めるといったところでしょう。

『三体詩』に「池上」(池のほとりの意味)という、ちょうど今頃をうたったのであろうと思われる白居易の五言律詩があります。
 嫋嫋涼風動、淒淒寒露零。
 蘭衰花始白、荷破葉猶青。
 獨立棲沙鶴、雙飛照水螢。
 若爲寥落境、仍値酒初醒。

『三体詩(三)』(中国古典選31・村上哲見著・朝日新聞社)の訳文を引用すると、
 そよそよと涼やかな風が吹き
 さむざむとつめたい露がしたたる
 蘭は衰えつつもやっと白い花をひらき
 はすの葉は破れ裂けたがなおも青い
 群をはなれてただ一羽、岸の砂の上に立つ鶴
 二匹つがいになって水を照らしながら飛び交う蛍
 どうすればよかろう、このわびしいとき
 しかも酒の酔いは今やさめてしまったとなれば


晩年、池のほとりに隠居して、人生の秋を感じていたであろう白居易の歌です。

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「茶道箴」・「茶道小箴」・「人類の誓い」 -久松真一先生-




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茶の湯の稽古を始めた頃(約10年前)、兄から一冊の本を見せられました。
そこには、言葉では表現しにくいのですが、柄杓を持つそのお姿があまりに美しい紳士の写真がありました。単に“点前の型が美しい”のではない。その方の生き様、心の持ちよう、在りよう、そのものが全身から滲み出ているような感じを得たのでした。

“目指す”と言ってしまうとおこがましいのですが、それ以来、柄杓を持つ自分の姿、今の自分の在りようがどうであるのかと、度々あのお姿を意識しながらお稽古を続けて来ました。

そして先日、ふとした御縁から、まさにその“柄杓を持つ御方”久松先生ゆかりの会にお邪魔する機会を得て、「茶道箴」・「茶道小箴」「人類の誓い」にいたく感動しましたので、皆さまにお伝えしたいと思いました。
久松真一記念館のサイトに掲載されていますので、是非ご一読下さい。

禅文化研究所発刊
『久松真一の宗教と思想』

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伊勢神宮に参ってきた




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暑い日だったが大変な人出で、かつてのおかげ参りもかくや思うばかりであった。いつもこんな感じなのだろうか。さすがお伊勢さんといったところだ。

昔聞いた話では、半ズボンで社域に進入すると神主さんや衛士さんに注意されたというが、暑い盛りかハーフパンツの大人や子供も多い。ごく軽装の女の人も結構いる。ドレスコードが緩くなったのか、暑い日は黙認なのか、それともあの話はウソだったのか。

周りを見ると、鳥居の前で一礼したり、手水を作法通りに使ったり、二礼二拍手一礼をきちんと守っている人が意外と多い。感心しながら見ていると、見慣れない光景に出会った。参拝者が賽銭箱の前で行儀よく二列に並んで拝礼の順番を待っている。まるで駅で列車を待つ乗客のようだ。日本人の秩序意識を象徴するかのような光景だが、昔からの作法なのか、近頃できたものなのかは知らない。

ともあれ、わたしも他の参拝者と同様に皇祖大神の宝前にぬかづいて和光同塵の神恩を謝し、敬神尊皇の微衷を捧げたことは言うまでもない。

正殿から荒祭宮の方に足を向けると、途中の大木にちょっとした人だかりができている。ははあ、これが今はやりの何とかスポットというものかとピンと来た。みなさん神妙な面持ちで木に手を触れたり、シャッターを切ったりしている。どんな効果があるのか知らないが、木の方は多くの人に触れられた効果によってテカテカに光っていた。

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人間国宝 北村武資「織」を極める -京都国立近代美術館-




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京都国立近代美術館にて10/30まで開催中の、-「織」を極める 人間国宝 北村武資-展へとでかけてきました。

初めて彼の作品を目にしたのは何年前の事でしょうか。とてもシンプルで、主張しているという風でもないのに、圧倒的な美しさで目が釘付けになったのを覚えています。それが人間国宝の技によるものと知り、納得する事しきりでした。

そんな北村武資先生の多くの作品を一度に、間近に拝見できる展観。羅の、軽やかで、繊細で、それでも強い輝きを放つ美しさは、天女を思わせ、しばし浮き世を忘れました。
ごまかしのない人生による、丹念で繊細で真摯な仕事。そこにこそ本当に人を感動させ、癒しまでをも与えるような力強さがあるように思えました。必見です。

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ホームページリニューアルのおしらせ




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おはようございます。
本日、禅文化研究所のHPをリニューアルオープン致しました。
事業計画に基づいて、禅文化普及事業(公益目的事業)である「調査研究(調査研究ページ)」「広報普及(刊行普及ページ)」「資料収集・公開(資料収集ページ)」、また収益・共益等事業である「ソフト開発・販売(ソフトウェアページ)」の大きく4つに分類し、禅文化研究所の諸活動がよりよくわかっていただけるようなWEBサイトを目指しました。
新サイトには、各種SNSの[いいね]ボタンも各ページに設置しております。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

禅文化研究所HP
http://www.zenbunka.or.jp/

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