Jan 26
2009
山本玄峰老師のこと

さて、なぜこの玄峰老師のことを書いたかというと、先般から書いている和歌山県の青岸渡寺の近くにある湯峰温泉が、老師の生誕地であるからだ。

残念ながら、湯峰温泉には立ち寄れなかったが、その近くの渡瀬温泉付近を走行中に、突如、上のような標識に気付いた。「玄峰老師の墓」と書いてある。
通りすぎたがUターンして車をとめ、案内に従ってみると、20段ほどの階段をのぼった山裾に、十基ほどのお墓がならんでおり、その一つに「特住妙心玄峰詮禅師大和尚」と彫られた卵塔があった。他の墓塔はというと、どうも岡村という家のお墓ばかりで、卵塔は一つ。
それも、玄峰老師のお墓だけが別にあるわけでなく、他のお墓と並んで建っている。
ひとまず手を合わせ大悲呪を一巻おとなえし、その場をあとにした。
どうしたわけだろうと思っていたが、帰宅してから調べたらわかった。
玄峰老師は、湯峰温泉の芳野屋(現・あづまや)という旅館でお生まれになったが、産まれた後旅館の前に捨てられてしまった。その乳児を拾ったのが渡瀬の岡本善蔵夫妻で、養子にして岡本芳吉として育てられたというのだ。その後出家して、得度の師の姓の山本を名乗られる。
つまり岡本家の先祖の一人ということになるわけなのだ。
湯峰にも玄峰塔という墓塔があるらしいが、この岡本家のお墓とならぶ玄峰老師の卵塔にお参りできたことで、昭和の傑僧を育てた岡本家が今もあることに感動を覚えた次第。
by admin at 07:30
山本玄峰老師のご活躍は本で読んで知っていましたが、
貴重なお写真を始めて拝見しました。
私の想像とは随分と違っていたようです・・・。
わたしの玄峰さんは、親のことを大切に想い、お墓参りもかかさなかった人、というイメージです。
去年、とあるお寺でわたしにはほとほと苦手な親のこととかお墓参りのお話を聴く機会に恵まれてしまって、その時ふと、玄峰さんもいらしたことのあるお寺らしいからそういうことも学ぶのかなと思ったら嬉しくなったのを覚えています。
わたしは玄峰さんがなくなられた年に生まれたんだって覚え方してました。
布施仁悟さま、コメントをいただきありがとうございます。
時代が時代だけに、あまり写真はないのかもしれませんが、にこやかな写真も見たことがあります。
そういえば、龍澤寺の隠寮にも大きな写真が掲げてあります。
布施さまは、どのような想像をされていたのでしょうね。
雪月花さま、コメントをありがとうございます。
「親のことを大切に想い、お墓参りもかかさなかった人」……。
この玄峰老師は、もともと捨て子であって、眼も患われ不自由であったであろうに、みずからは親の恩を思い、またきっと、弟子たちにも心をつくして接化せられたのであろうと思います。
本当に偉大な老師だと思います。その遺徳はこうして今もうけつがれているのですね。
ご縁のある玄峰老師のお墓に、ふとお参りできた時、本当にうれしく思い、心が暖かくなりました。
大変参考になりました。2月に玄峰老師のお墓にお参りしようと渡瀬に行ったのですが、辿りつけなかったので、これを参考にまたチャレンジします。明日は老師が在錫された円福寺の万人講へ行ってきます。
こんさま、コメントをありがとうございます。
かなり大きな看板(碑?)がありますので、この道にさえ出られれば、すぐにおわかりになるかと存じます。
是非お気をつけてお参りになってください。
初めまして N氏と申します。
トラックバックありがとうございました。
山本玄峰老師に少しでもあやかりたい、と考え、ブログ記事をアップした次第です。
何かの役に立てていただけたら幸いです。
2011年2月12日朝日新聞 土曜版beの磯田道史この人その言葉に
山本玄峰氏の
「死んでから仏になるはいらぬこと この世の内によき人となれ」という言葉が、簡単な生涯とともに紹介されていました。
この人その言葉に触発され、紹介された偉人に思いをはせ、精進しよう、成長しようという気持ちを
いただけます。
それで、こちらを訪問しました。
ありがとう ございます。
須藤彰良さま
コメントをありがとうございました。
「死んでから仏になるはいらぬこと この世の内によき人となれ」
本当にいいお言葉ですね。ご苦労をされたご生涯であった玄峰老師から出た言葉であるだけに、我々にとって本当に心に響く言葉なのでしょうね。
「死んでから・・・・」の道歌はいい歌ですが、磯田氏が玄峰老師作のように書かれたのは、思い違いで、実は一休禅師の引用だと思います。(ただし、原作は「・・・いらぬもの」となっているはずです。
コメントありがとうございます。
確かに『一休道歌』(禅文化研究所発行)に、
「死んでから仏になるはいらぬもの 生きたるうちによき人となれ」」(『一休蜷川狂歌問答』)
「死んでからほとけになるはいらぬもの 生きたるうちに善人(よきひと)になれ」(『一休蜷川続狂歌問答』)
の二首が見受けられました。
ただ、『一休蜷川狂歌問答』には、この詩の下に蜷川とありますから、一休の道歌ではなく蜷川がうたったもののようです。
いつか死ぬ前に墓参りします
玄峰さんが遷化されましたのはS36でしょうか。
私の父とは知り合いでしたが私は会っていません。
非常に力をいただけ増す。