May 21
2007
「死んだらどうなる」-『無文全集』飛ばし読み(2)-
「人間が死んだら霊がどうなる」とか、「魂がどうなる」とか、そういうことが問題にされるのですが、仏法では問題にしないのだ。死んでからの霊というものを問題にしないと同時に、生きておるうちから霊というものは問題にしない。我というものは問題にしないのだ。何を問題にするかというと、全宇宙をことごとく我と直観のできないうちは迷いだという。客観の世界がそのまま我だ。主観と客観のない世界が分からないうちは、ことごとくが迷いである。自我というものも迷いである。死んでからの霊どころではない、生きておるうちから自我にとらわれたものの見方、ものの考え方は全部迷いだ。自我が取れて、主観と客観とが一枚だという世界が分からんことには仏は分からん。真実の自己は分からん。
(『無文全集』第九巻p617より)
by admin at 07:30
こんにちは。もうユキノシタが咲くのですね。以前、夏の貴船神社の献茶式に参加しましたとき、水辺にユキノシタが群生しているのを見まして、ほっとひと息、涼を感じたのを思い出します。
蓮華寺は、紅葉よりも新緑のころが好きです。受付でお茶券を求めますと、小間に案内されて、水のせせらぎを聞きながらお薄をいただけますね。鶴亀のお庭もさることながら、あのちいさな空間も愛します。
『無文全集』の禅師のお言葉はたいへん有難く、勉強になります。最近は道元禅師の著書から学ぶことが多いのですけども、霊魂の存在を否定し、「何事も見よ、見よ」とおっしゃる徹底した客観主義は、わたしにとりましては新鮮で、かつ心にすんなりと入ってきます。自己を捨てて初めてこの世のすべてが自己になると説かれた道元禅師の、「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪冴えて冷しかりけり」の雪月花の歌は、そのまま仏法(お釈迦さまのお言葉)なのだと気づきました。有難いことです。合掌。
お返事が遅くなり、申し訳ございませんでした。
いつもありがとうございます。
ユキノシタ、いたるところで満開です。御地はいかがでしょうか。
油の老舗、山中油店の町家文化館に群生しているユキノシタは、この時期盛りを迎え、あのようなかわいらしい小さな花ですのに、それは見事です。
野の花などを見ていますと、季節がめぐると当たり前のように咲き、いつも何気なく見ていますが、あの花の形・色をとっても、この自然の営みにこそ、人智を超えた真理があるのだなと思い知らされます。