May 16
2007
寂室禅師生誕奉賛茶会 於:永源寺
去る5月13日、滋賀県は東近江市にある臨済宗の大本山、永源寺を訪れた。
毎年、開山様の誕生日に近い日曜日に献茶式が行われ、表千家・裏千家・遠州流・煎茶道泰山流のお席と、法堂で番茶席が設けられる。
今年は天候にも恵まれ、参会者は新緑鮮やかな中、それぞれ工夫こらされた茶席を楽しんだ。
永源寺のご開山、寂室元光禅師は、後光厳天皇からの再三にわたる京都天龍寺への出世を断り続け、弟子と共にこの山中にあったと聞く。
禅師はじめ、当時の修行僧も、新緑の季節にはこの美しい山々を愛でたのか・・・と感慨にひたりつつ、そのような有難い地で、様々な流派の人達が一堂に会し茶席が持たれる事に感謝しつつ、一席一席楽しませていただいた。
来年も、5月中旬の日曜日に予定されているそうだ。
是非、おでかけいただきたい。
山門も緑におおわれ・・・
総門。寺内で最も古い建造物。1464年に建てられた。
雲水てづくりの枯山水。
本堂。こちらで表千家久田宗匠によるお献茶が行われた。
法堂。後水尾天皇ご寄進の釈迦、迦葉、阿難の三尊像が安置されている。こちらではお番茶席が設けられていた。
煎茶道泰山流によるお席。趣向がこらされており、部屋のもみじ、外の庭からは借景の庭園で緑の世界にいるよう。
泰山流のお席からのぞむ借景の庭。この地ならではの風景。皆、ため息をもらすほどの新緑の美しさであった。
こちらのお席では、表千家の釜が懸けられていた。ガラス窓から望む山の風景がえもいわれぬ清々しさ。
by admin at 07:30
こんばんは。
寂室禅師のように、正伝の仏法を求めて中国へ渡るっていうのは、当時命がけだったんでしょうね。
運良く正師に見えても、生きて帰ってこれねーかも知れねーぞ、っていう。でも、禅師たちのように中国に渡って、ホントに生きて帰って来れなかった人たちってやっぱり相当いらっしゃるんでしょうね~。うーん。。。
そう考えると、今私たちが日本国内で善智識に教えを受けることが出来るのって、ホントは相当有り難い事なんじゃないかなと思います。なにも寂室禅師だけじゃなくて、大徳寺の大燈国師や、それから瑞巌寺の法身禅師なんかもそうでしょうけど、そういう人たちの軌跡が無かったら?って過程の話してもしょうがないですけど、やっぱりそういう方たちの求道心は、ホントに尊いと思います(月並みな表現でスイマセン)。お茶のほうでもそうですけど、私の流派では、今外国人の修行者のほうがものすごく熱心にお稽古するんで、「いつか外国人にお点前習う日が来るんじゃないだろうか?」って、周りの人たちが心配するくらいです。禅宗も将来、アメリカあたりに正師を尋ねて行く日本人が続出、なんてことには・・・ならないですよね(笑)。
すいません、先ほどの訂正します。
大徳寺の大燈国師じゃなくて、その師匠の大應国師でしたね、中国に渡ったのって。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
kannoさんがおっしゃるように、中国へと渡られた祖師方、また伝えようと日本に来られた中国僧、どちらも尊いと感じます。
現代の私たちとは違い、外国への渡航は未知の連続、死を覚悟の上での事だったのでしょう。
想像を絶するような強い意志と決意をもって望まれたのでしょうね。
確かに、茶道やその他、日本の「道」とつくものを極めていらっしゃる外国の方は、その道のみならず、道に付随して切っても切れない関係となっている「禅」の事も学んでおられたり、坐禅されたりしている方が多いと感じます。
単なるお稽古事ではなく、本当に道を学んでおられる感じはします。
研究所でも、茶道は禅と密接に関係しているということを再認識していただく意味も含めて、禅と深く関わっていらっしゃる、表千家 堀内宗心宗匠に、禅と茶に関する本をご執筆いただいており、出版する予定です。
日本社会を見渡しても、今、日本人が母国の宗教、芸術、ことば、自然、様々な事を見直し、学ばなくては手遅れになりそうに思えてきますね。
研究所も、少しでもお役に立てればと思っています。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。