カテゴリー:「職員オススメ本・映画」


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またまた本を買ってしまった

 

blog_2017-02-07-15.56.jpg禅文化研究所資料室の書架

 

小生は、禅文化研究所に出勤せず、在宅(在寺?)で仕事をしている。よって、膨大な蔵書数を誇る禅文化研究所資料室の本を自由自在に見られるわけではない。往復3時間を使って閲覧に行くのも面倒である。
ところがこのごろFAXが調子悪いと言うと、写メールというものを教えてもらった。後輩所員に某書の某頁を見たいと依頼すると、写メールというものが送られて来る。聞けば、スマートフォンで写真を撮り、その画像データをメールで送るのだそうである。いやはや、画像は鮮明で、通信時間も短い。これはしめたと思い、後輩所員を乱用して来たが、後輩には後輩の仕事があるのだと気づき、少し反省をした。

そこで、最も写メール依頼を多く頼んだ、『五山文学全集』を買うことにした。ネットの「日本の古本屋」を検索すると4万円だった。高いか安いかは分からないが、後輩所員に迷惑をかけずに思う存分読めると思い購入した。ついでに、『五山文学新集』も買ってしまおうと思ったが、これは、12万円もしたので購入せず、悪いとは思うが、後輩のシャメールに頼り続けることにした。

ところで、古本屋さんには、若い時分から随分とお世話になって来た。学生時代、トーマス・マンに傾倒していた小生は、既に結婚していた家内に、千円札を20枚ほど渡し、「店主の前で、1枚1枚かぞえろ。そうすれば、店主も14枚ぐらいでとめてくれるから」と教え、古本屋に行かせた。『トーマス・マン全集』は、1万8千円だったのである。ところが家内は、1万3千円で買って来た。差し引き5千円は、当時の我れらにとっては1カ月分の食費に相当した。その『トーマス・マン全集』を全部読んだかについては、聞かないでほしい。ドストエーフスキイは、1万5千円だった。これも、家内は1万2千円で買って来た。どうやら、あの時代の古本屋の主人は、学者や文学者のタマゴを、かいがいしく面倒をみている、少女のように見える御婦人には弱かったのであろう。ところが、タマゴがかえれば、少女は一変するのだ……。

さて最近、古書で最も驚いたのは、『諸橋大漢和辞典』全13巻の7千円である。小生は、辞書を乱暴に使用するので、数年に1度は買い換えねばならない。『諸橋大漢和辞典』全巻が七千円である。7万円ではないかと目を疑ったが、やはり七千円である。小生が学生時代、7千円では1巻も買えなかった。どうしたことだとは思ったが、小生の書棚には、新品同様の『大漢和辞典』13巻が、7千円で並んだ。

今、本は売れないと言うけれど、トーマスもドストエーフスキイも、芥川も潤一郎も、もちろん新作も、面白い。特に昔の全集本は、装丁(デザイン)も素敵で、書棚に並べておくだけでも幸福感いっぱいになる(小生だけかな?)。ましてや、お坊さんだったら、やはり『諸橋大漢和辞典』13巻は必須だろう。今こそ本を買って、心を豊かにしようではないか。

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『ぼくがいま、死について思うこと』(椎名誠)

 

死について思うこと.jpg10年以上前に椎名誠(シーナ)さんの小説は、『岳物語』をはじめ片っ端から読んでいた時期がありました。息子を乗せてカヌーでツアーをするとか、大いに憧れてもいましたが、知らぬ間に久しく離れてしまっていました。そういえば、最近、シーナさんの本を書店でも見てなかったような気もしていたところ、この本の帯が眼に入ったので、思わず手にとったのでした。

ちょうど個人的にちょっともてあますほどの時間ができ、そして、改めて死について思う事もあり、この本を読みました。

帯の文言から、相当、重い内容なのだろうと思って読み進めましたが、じつはこの帯は適切じゃないというのが正直な感想です。帯を見て「へぇ、あの憧れだったシーナさんが死のうと思ったのか……」と思っていましたが、そのことについて触れられているのはほんの少し。この本でシーナさんが言いたいのはそんな事じゃないと思いました。

我々僧侶のように人の死に関わる方、ほかにも医者や葬儀屋さんにはもちろん勧めたい一冊ですが、家族や身内から死人を出さない、あるいは自分は死なないという自信のある方以外には是非お勧めしたいのです(もちろんそんな方はおられませんよね)。

一時期おおいに読まれたり話題に上がった『葬式無用論』などの本より、生死や葬儀を考えるには絶好の本だと思いました。身内や親友の死に臨んだときの気持ちなども赤裸々に書かれています。それからシーナさんや奥さん(チベットを長期にわたって旅をする驚くべき人)が、直に見た世界の辺境の地のお葬式の色々な仕方を知るだけでも、とても興味深い一冊だと思います。

この本を読んで、改めて自分自身の死生観を感じてほしいと思いました。もちろん、私自身にも多くの気づきがありました。

 

余談ですが、禅文化研究所からも『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』(西村惠信著)という名著があります。よろしければあわせてどうぞ。

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『二度とない人生だから、・・・』 横田南嶺老師新刊


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円覚寺派管長・僧堂師家、横田南嶺老師とは、研究所からDVDを出させていただく際の収録で初めてお目にかかり、直にお話を拝聴する機会を得ました。
そして、その収録で話される老師のお話にたちまち引き込まれてしまい、以来色々とお教えいただく機会をいただいております。

DVDの中でも語っておられた、四弘誓願(しぐせいがん)にある「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」。
___世の人々の悩み苦しみは尽きる事がないけれども、誓ってそれを救ってゆこう。
 
 
「あぁ、老師は常にこの願い、祈りのまっただ中に生きていらしゃるのだなぁ…」というのが、DVD収録時から一貫して変わらぬお姿として目にうつり、それは様々な活動に現われていらっしゃいます。
微塵もぶれる事なく貫き通されている大きな祈り、願いの力というものを実感させられます。

この度その一つの現われとして、『二度とない人生だから、今日一日は笑顔でいよう 生きるための禅の心(PHP研究所)を上梓なさいました(ご自身でも法話で仰っておられましたが、題名が長いのであります!)。

仏教詩人・坂村真民先生の詩のご紹介とともに、生きるとは、愛するとは、平和とは、家族とは……様々な問いにお答えになられています。読む人それぞれの人生経験によって、一番に響いてくる箇所は異なる事と存じます。
「悲しみを忘れたり、乗り越えようと思ったりせずとも、抱いて共に生きていれば良い…」。私めもどれだけ安心を得たか知れません。

 
 

ふと、今は亡き表千家・堀内宗心宗匠が、弊所発刊の『歩々清風』の中で、下記のように語っておられた事を思い出しました。
書籍という媒体によって、多くの人をいっぺんに済度するという事もありうるのだなと思うのでした。
是非お手に取っていただきますように。

お茶を含めて、人を指導するということはひとつの菩薩道であります。菩薩の指導法は、つねに相手と同じ高さまで身を落として、すなわち身を低めて、そうして人を引き上げるということであります。荷物の集配所で働いているリフトのように、その人のところへ行って、荷物と同じ高さまで支台を下げて、荷物を持ち上げ、目的地に持っていくのであります。これは済度するということであります。決して高いところか ら叱咤号令するのではないのであります。

 

 

◆平成28年度サンガセミナー 受講者募集中

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大法輪5月号 特集白隠-その人と禅


160506-1.jpg大法輪5月号。臨済宗特集か?!というような号となっております。
まずは巻頭に、円覚寺派管長・横田南嶺老師が「慈」を揮毫、解説なさっておられます。

どこかで観たな…と思えば、右ページは京都国立博物館での展覧会のご紹介。

160506-2.jpgさらに、特集記事として、多くの臨済宗僧侶の方々が白隠さんの色々を語っておられます。

160506-3.jpg研究所からは所長・西村惠信と、なんと直属の部下でありながら全く知りませんでしたが、主幹・西村惠学が書かせていただいております。
どうぞお手に取ってご覧ください。



平成28年度サンガセミナー
、受講受付け中です。

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気分は自分ではない

「気分は自分ではない」 和田重正

160420.jpg事あるごとに思い出す和田先生のお言葉。
学生時代のゼミの時間、和田重正先生の人生科シリーズを人生の教科書のようにして、ゼミの教授・松田高志先生や仲間と様々を語り合いました。

若い頃は若い頃で、その年代特有の悩みを抱えていたとは思いますが、月日を経てまた読んでみますと、禅との共通点にハッとしたり、より深く心に沁みたり。
繰り返し読む事で得られる気づきや発見を楽しむこの頃です。

禅関連の書籍がお好きな方には、是非和田先生の本もオススメします。

 

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『玄奘三蔵物語:おとなの絵本』

 

150928-1.jpg大好きなインドファブリックのお店のブログを見ていたある日、 「なんだこの美しい本は?!しかも玄奘三蔵物語ですって?!」。
そのお店の更紗を使って、一冊一冊違う布で装丁がなされており、私の瞳は一瞬でその美しい本に釘付けとなったのでした。
さっそく取り寄せようとしましたが、自費出版で流通に乗っていないとのことで、出版社から直接電話にて求めました。

150928-2.jpgなんでも北九州に住む弁護士・清原雅彦さんが、命を賭して経典を持ち帰った玄奘三蔵に興味を持ち、1977年からシルクロードや中央アジアを毎年旅され、その功績を知るにつれて、本にまとめたいという意欲が湧き、奥様の助けを借りつつご自身で挿絵まで描かれたとの由。なんという尊いことでしょう。
人にはダルマといって、その一生で自身が遂行すべきことがあるとされますが、清原氏にとってはまさにこれがそうなのでしょうか。考えさせられました。

150928-3.jpgさらに今年の夏、私はインドへ趣き、ヴァイシャリからナーランダ、霊鷲山やブッダガヤなど、まさに玄奘三蔵が歩いた道を・・・と思っておりましたので、龍谷大学ミュージアムのこともあって、「今年は三蔵法師に呼ばれているのかしら?!」などと一人妄想したわけでありますが、実際その地に立った時の感慨もひとしおでした。

150928-4.jpg大人のために、こんな豊かな本があるのはとても良いものですね。

『玄奘三蔵物語:おとなの絵本』(スーパーエディション

150928-5.jpgナーランダからブッダガヤへと向かう道すがら・・・。昔から変わっていないのでは?!と思えるような風景。三蔵法師もこのような景色を見つつ歩いたのでしょうか。

 

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地球交響曲 ガイアシンフォニー第8番上映会のおしらせ

これまで幾度かこちらのブログ(下記です)でもご紹介させていただいております地球交響曲-ガイアシンフォニー

ガイアシンフォニー・地球交響曲第7番

呼吸と空

サーフィンと禅

 

150902-1.jpg私の場合、大学生時代のゼミの授業で教授から紹介され、ゼミ生皆で観たのが最初だったと記憶しています。
その後、観る度に、自身にベストなタイミングで必要な情報を与えられているようで、忘れては思い出し、思い出してはまたDVDを観てみたり・・・を繰り返しては、いつも目から鱗。感動が毛穴という毛穴から噴出するような思いを抱いています。

いつも我々人間の傲慢さに警鐘を鳴らし、気づきを与えてくれたガイアシンフォニー。東日本大震災を経て初めての作品に、またどのような気づきを与えてくれるのか、私も楽しみに伺う予定にしています。

さらにこの上映会、京田辺市にあります、シュタイナー学校で開催されます。我が大学のゼミの恩師の後輩が、「理想の学校が無いので創る!」と、創られた学校。お邪魔するのは初めてですので、それも楽しみにしています。

お申込み・詳細はこちら

 

今回は“樹”がテーマ。私も、いつも私が頼りにし、心の拠り所としているイチョウの大木があります。龍村監督のおことばを下記に転載させていただいておきます。

150902-2.jpgこの地球に初めて生命が誕生して38億年。生命は何度も絶滅の危機に瀕しながら、その都度奇跡のように甦り、新たなる進化を遂げ、私達人類は今、こ こにいます。宇宙は、自らが生んだ生命を“可能な限り永く生かせ続けたい”という意志を持っている様にさえ思えます。この“宇宙の意志 (Universal mind)”を地球上で体現しているといえるのが“樹”です。
樹は何億年にも渡って大気中の酸素濃度を21%に保ち続け、絶滅と進化を繰り返してきた多様な生命を生かし続けてくれたのです。
世界の全ての文化の中に、樹令数百年の老大樹には、精霊が秘んでいるという言い伝えがあります。「樹の精霊」とは、「宇宙の意志」の顕われなのかも知れません。

私達日本人の中には遥か縄文の昔から1万年近くに渡って聴き続けて来た樹の精霊の歌声が、かすかな残響波となって今も響き続けています。
東日本大震災から4年、真の復活を遂げる為に私達日本人は今、なにに気付き、何をなさなければならないのか!
「樹の精霊の声、すなわち宇宙の声を聴く力を甦えらせなければならない」と気付いた日本人達がいます。地球交響曲「第八番」では、この人々の想いと活動を世界に向かって発信します。

地球の未来の全ての生命が健やかに、末永く生き続けることを願って。   龍村仁

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置かれた場所で・・・

普段自転車で通る道を歩いていると、自転車の速度だと気がつかない発見が色々とあるものです。

もう何年も前になりますが、根性大根として、コンクリートの隙間で立派に育ったお大根が世間の人々を感動させ、励ましたものですが、最近私が出会いましたのがこちら。
なんとも可憐な白い花をたくさん咲かせたペチュニア。通り過ぎそうになって振り返りました。どこから咲いてるの?!

150716.jpgしかもなんと、ある日はこちらのお宅のご主人が草花の水やりを終えた後の状態を目にして驚愕。
このペチュニアには水をやった形跡が無いものの、少し斜め上にある植木鉢にやった水が、ちょうどこの花の所へ流れてきているではないですか。なんという神仏のはからいでしょう・・・・・・。
このおこぼれのような水を糧に、ペチュニアはこんなにもたくさん花を咲かせたのですね。

まるで、「置かれた場所で咲きなさい」と言われているようで・・・。そんな花たちに励まされる人間がここに一人。
と、この言葉、どこかで聴いた言葉だなぁ・・・と思えば、ベストセラーになった書籍でした。

シスター渡辺和子さん、今年は鎌倉・円覚寺さんの夏期講座でご登壇なさいますね。一度は通ってみたいと思いながら、なかなか叶いません・・・。来年こそ!

 

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映画『駆込み女と駆出し男』

 

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大変な人気のようで、いまさら説明するまでもないかもしれないのですが。

同作は井上ひさし氏の『東慶寺花だより』を原案とした人情劇。女性からの離縁が許されなかった江戸時代、唯一の手段として幕府公認の縁切寺に駆込んだ「駆込み女」たちと、その再出発を助ける御用宿の人々の物語です。

大泉洋さん演じる中村信次郎は、医者見習いで戯作者を夢見る御用宿の居候。タイトルの「駆出し男」とは、なるほどそういうことだったのですね。「駆込む」と「駆出す」はまったく逆ですが、対極にあるものが交差することもあるというのが、人生の面白いところだなと思いました。

そして、ただ自分の明日のみを考えて死にもの狂いでやって来た「駆込む」人々。平行だった彼女たちの人生もまた、交わっていくのです。

皆それぞれの人生を生きているだけなのですが、それでもさまざまな出会いがある。映画に限った話ではなく、現実の世界も同じではないでしょうか。さらに、この作品におけるすべての出会いは、そもそも切れる縁があったからこそというのもまた皮肉な話で、「縁」というのはやはり不思議なものだと感じます。

劇中、江戸の豪商の妾・お吟が、駆込み途中の山中で知り合った鉄錬り(鉄工)女・じょごに、お国言葉を訊ねるシーンがありました。そのときお吟が教わった方言は、終盤とても大きな意味を持って使われるのですが、縁への感謝が込められた短くも素敵な言葉です。

よろしければ、ぜひ劇場で。

『駆込み女と駆出し男』予告編

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『京都日常花 市井のいけばな十二ヶ月』青幻社

草木花に半ば埋れる日本の暮らしのなかから、
生まれるともなく生まれ、
教えられるともなく教えられた、
「偉大なる素人の花」です。  川瀬敏郎


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「偉大なる素人の花」。なんと素敵な響きでしょう。
この度、知人友人の編集者&カメラマンペアが京都じゅうを駆け巡り、花の瞬間、いのちの輝きをとらえた花の本『京都日常花 市井のいけばな十二ヶ月』が上梓されました。

表紙は親しくさせていただいているご夫妻のお宅。もちろん自ら生けられた花が・・・。ため息の出る素晴らしさ。お二人の素敵なくらしぶりやあらゆる事におけるセンスの良さからも、納得すべき採用である!と嬉々としております。


寺院、旅館、骨董屋、飲食店、個人宅など、京都のありとあらゆる場所を対象とし、主にそこで日々飾られる花が紹介されています。
花を生けた人の名前は載っていませんが、友人知人のお店やお宅などが多く掲載されている為、あそこの花はあの人が、ここの花はあの人が・・・と、顔を想い浮かべつつ、その人らしい花の様子を楽しんでいます。

場所の空気、全体のしつらえ、使う花器に花材、花台、床の軸。1ページごとに、穴のあくほどに眺めては学ばせていただいております。これほどに色々な意味で多種多様の花を掲載した本が今までにあったでしょうか。
是非皆さまにもご覧いただきたい一冊です。

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日々新

「相手をジャッジして、望んでばかりいるのではなく、自由にさせてあげてください
そうすると、あなたも自由になります」。

150423-1.jpg4月始めの話ですが、京都にて開校されたゆっくり小学校の授業にお邪魔してきました。
ヴァンダナ・シヴァ女史の精神思想における先生ともいえるインド人思想家で、私が一度直にお話を拝聴してみたいと願っていたサティシュ・クマール先生の来日記念講演ツアーなのでした。

「信仰は過去に属する

信頼は、今ここに属する

結婚だって、友人関係だって、

過去に結ばれた契約を信じる

ことではないはずだね

今ここにある関係への信頼であり、

相手に対する信頼だ」


結婚してから四十年を経た今も、サティシュ先生は、毎朝奥様に恋に落ちるのだそうです。

150423-2.jpgどんな質問にも迷い無くあたたかくお答えになられ、素のままで軽やかに「今を生きる」を実践されているお姿を見るにつけ、私の頭には、「日々新・・・」の禅語がずっとこだましていました。

そして、いつも「Back to the basic」と仰られた、今は亡き永源寺の篠原大雄老師の事をも思い出し、世界中の賢者が指し示されるところに違いは無いのだな・・・と改めて感じ入る、有難い一日を過ごさせていただきました。

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『人間の頂 〈生きる〉意味を求めて』 野口法蔵

 

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苦しみのあるときは観音を、
豊かなときには、鬼を心に宿せ。
自分自身を睨みすえよ。           冒頭より

 

被写体の奥底に潜む真実を追求しようとすれば、どうしたって生死(しょうじ)の問題を明らかにせねばならなくなった……。
インドはコルカタ、死を待つ人の家を訪れた事が機縁となり、ついにはチベット僧院にて出家までしてしまった報道カメラマン、野口法蔵さんの半生。
「日本にこのような方がいらしたとは……」と、目から鱗。夢中で一気に読み終えました。

彼が、会いたくても会う事が叶わなかったチベットのリンポチェ(高僧)は、もちろん悟った人として他の僧侶を教え導く人であるわけですが、「自分の中の仏が小さくなってきたなと感じたら、また行に入る」ということで、行に入っていらしたそうです。
悟後の修行を怠らない、常に自分自身を見据えていらっしゃるお姿がありのままに綴られていました。

これは野口さんもそうで、チベット僧となったものの日本に帰国し、好きな方ができて結婚。チベット僧としてはいられなくなった為、臨済宗妙心寺派の僧籍をお持ちだそうですが、五体投地400万回満行(一日約十時間五体投地をして、18年かかるそうな)された後も、いまだに毎日五体投地を続けられているとか。
それだけ繰り返すと、死ぬのがこわくなくなるそうです。どういった境地でしょうか。

たまに断食をする関係で色々と調べているうちに野口さんにたどり着きました。
長野で断食道場をされているようですが、予約はいっぱいで3ヶ月から半年待ちとか。
それでも、私が今もっとも会ってみたい方のお一人です。

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『神の詩 バガヴァット・ギーター』田中嫺玉



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翻訳のプロでも、学者でも無かった女性・田中嫺玉さんが、様々な御縁と導きにより学び続け、ついには訳す事にまでなったインドの聖典・バガヴァット・ギーター。

『神の詩 バガヴァット・ギーター』として出版され、ヨガの師匠や周りの人から「一番親しみやすい」と紹介され、読んでみました。
“バガヴァット・ギーター”といえば、戦士アルジュナに、ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナが様々な教えを説いてゆくわけでありますが、まさに自身がアルジュナになったかのような気持ちで、クリシュナが語ることばに目から鱗なのでありました。

“真理を語る”とは、難しい言葉をならべてわざと難しくするのではなく、シンプルながらも奥深く、相手にきちんと響いてこそなのだな……と思える一冊。美しく詩的なことばが並びます。あとはもう、自分自身のとらえ方なのですね。

とはいえ、「ふむふむ」と読んでいたところで、なかなかに実行は難しく。
“自身のダルマの遂行について”が述べられているわけですが、何人かのヨガの先生方や哲学者のの解釈を聞いてみましたが、皆さんそれぞれの解釈があります。
己事究明、神(自己)と一体となる、本来の自己、ダルマの遂行、実践。色々な事が頭を廻っています。
今回一番に自身に突き刺さった箇所がありまして、そこを実践していこうと決めました。
次回読むとまた違う箇所が響いたりするのでしょう。一生の友ともしたいバイブルがみつかった気分です。

インドにお釈迦様のような方が誕生され、覚者となられた背景には、かの地の長く深い智慧の歴史があります。その背景を知るのにもうってつけの一冊ですので、心からオススメします。

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『ヴァンダナ・シヴァの いのちの種を抱きしめて』


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「No seed freedom,no freedom for us.」
Vandana SHIVA(環境哲学者)

「種の自由無しに、人間の自由は無い」。
我々の命を支える、元の元といえば、種ですね?!

今、世界では、農民が種を保存するというごく当たり前に思える権利が、モンサントを始めとする種の独占企業により脅かされています。

人類がはるか昔から種を採取、保存し、自分達の食べる物を大地を耕し作ってきた、延々と続けられてきたその営みを、その権利を農民から奪い取り、農薬で大地を汚し、神の領域とも思える遺伝子の組み換えを行ない続ける…そんな企業があるのです。
実際、種の自家採取を禁じられ、毎年高騰し続ける種代を支払えず、大地は汚染で作物が育たなくなってゆき、インドのコットン農家が自殺する例が後を絶たない事は、以前から私の耳にも入っていました。

そんな現状に警鐘を鳴らし続けるインドのヴァンダナ・シヴァ博士のDVD、『いのちの種を抱きしめて』を拝見する機会をいただきました。
暴力的ともいえる種の支配に対し、彼女の闘い方は、インド独立の父・ガンディーに倣い、徹底して非暴力を貫き、“愛するものを抱きしめる”事により、守るとか。
実際、彼女のまなざしやことば、論理、どれを取っても愛に満ちていて、全身全霊で話されているのが伝わってくる為、聴いている者まで愛に包まれるかのよう。時に厳しく、時に優しく、まるで母なる大地のような人なのでした。

食の元である種が脅かされるとは、典座を最も大切にする禅宗においても、これは大きな事件では無いでしょうか。
種の自由無しに、己事究明無し。

意外と、日々の何気ない買い物が、実はインドのコットン農家を自殺に追い込んでいたり、どこかで武器に替わっていたりするという事はままある事です。
今までも少しは意識していたつもりですが、また新たな気持ちで、私なりに、こういった事実が世界にはあるのだという事を友人知人に伝え、できる限り自家採取で農薬を使わず野菜を育てている農家を応援するなど、日々の小さな選択を、行動を積んでゆきたいと思います。

ヴァンダナ・シヴァ女史のDVDはこちらから購入できます。
さらに私はヴァンダナさんと一緒にこのDVDに出演され、発する言葉の回数は少なくとも、その全てがこちらに響いてどうしようもなかったインドの哲学者、サティシュ・クマール先生のDVDも購入。もう夢中で、届くのを今か今かと心待ちにしているところです。

これは是非とも、禅宗の僧侶方や、一般在家の人にご覧いただきたいと強く願っています。

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『語録のことば 唐代の禅』小川隆(発行:禅文化研究所)

 

141003.jpg現在約300を数える弊所の刊行物ですが、残部希少となっている書籍もございます。その中で私がおすすめしたいのが、小川隆先生著『語録のことば 唐代の禅』。

「禅には興味があるけれど、禅の書物は難しそう」とお考えの在家の皆さんに、是非お読みいただきたい一冊です。

“多くの禅籍の通読から、唐代禅の問題関心の推移と連関を読み取り、その脈絡のうえに個々に問題を位置づけ、それらを相互に結びつけながら読み解いていったもの”(『禅文化』バックナンバー図書案内より)

と言われるとやっぱり難しそうに聞えてしまうかもしれませんが、

研究会の成果を反映しつつ、禅籍(漢文)に初めて触れる方にも読み進めていただきやすい、素敵な本だと思います。はるか遠い時代(しかも外国)の話なのに、登場する禅僧の活き活きとした姿が目に浮かんできますよ。

残部希少ということで大きく宣伝はしておりませんが、お電話やネットショップで取扱中です。

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腰骨を立てよう!

円覚寺派管長・横田南嶺老師からこのような御本、『元気いっぱい立腰の子ら』を頂戴しました。

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森信三先生と仰って、西田幾多郎先生(1870-1945/日本を代表する哲学者・京都大学名誉教授)のお弟子さんにあたる哲学者・教育者の先生が提唱した「立腰教育」。その、子ども達に向けた本で、大阪の登龍館さんから刊行されているものです。

森信三先生は、「腰骨を立てることはエネルギーの不尽の源泉を貯えることである。この一事をわが子にしつけ得たら、親としてわが子への最大の贈り物といってよい」(『一日一語』寺田一清先生編より)と仰せになっているのだとか。

140718-2.jpg確かに、幼い頃から腰骨を立てる事ができていたならば、もうそれだけで身心共に盤石といっても過言ではありません。
大人になってから意識するのとではまたちがいます。子供のうちからすることで、意識せずにできるようになり、そのような人間が増えれば、ひいては日本の力となることでしょう。

丹田は、あるといわれども、取って出す事もできなければ、臓器のようにこれと示せるものでもありません。が、腰骨を立てる事により、丹田に力がみなぎりしっかりしてくる事は、見えざるものへの信頼をも生み出すのではないでしょうか。

私の大学時代の恩師も、まさに学生時代に智勝会(相国寺の居士会)で参禅されていましたが、最近では子供達に合気道を教えている関係で、“坐る”という事に着目し、しっかりと坐れる子になるよう指導なさっています。優れた教育者が唱える事は同じなのですね。

最近ではじっと座っていられない、真っ直ぐ座れない子が増えていると耳にしますが、学校の先生方が意識してくだされば有り難いな・・・・・・と思いました。

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仏教と同性婚

映画「チョコレートドーナツ」を鑑てきました。

140623.jpg同性愛者のカップル(男性)が、薬物中毒の母親からネグレクトされているダウン症の少年の親権を求めて法廷で争うのですが、1970年代の実話(一部)が元になっているそうです。

当時の同性愛者への偏見、子供の福祉についての問題だけでなく、自己受容の手段など、色々考えさせられる映画でした。

カトリックでは教義上、同性愛は認められていませんが、同性愛者の結婚式を執り行なっている臨済宗のお寺があります。

妙心寺山内の春光院では「日本の仏教には同性愛を禁じる教えはない」として、ホテルとの提携による、同性カップルに向けた仏前結婚式のプラン(PDFファイルです)を提供されているそうです。

色々な立場がある問題かとは思いますので、以下あくまで職員個人としての発言として捉えていただければ幸いです。

このように柔軟な対応をされるお寺が、日本の禅宗寺院であったこと。私は素晴らしいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

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『燃えよ剣』 司馬遼太郎

 

140612-1.jpg新選組の副長・土方歳三の生涯を描いたこの小説、もう何回読み返したかわからないくらい大好きです。

あまりに詳細な描写に史実と創作を混同してしまうファンが続出し、懸念される歴史学者も多いと聞きますがそれはさておき。

「勝てば官軍」。

歴史は勝者が作るものとはいえ、この幕末に限らず、流れに飲まれ、一夜明ければ「賊」となってしまった人々の思いやいかばかりか。

ですが、これはあくまで一方からの視点ですね。新政府の目線で見れば旧幕府軍はやはり許されざる造反者です。

世の中は諸行無常の繰り返し。善悪も、物事の価値も、見る角度や時代によって割と簡単に変わってしまう。

初読時はただワクワク夢中になりましたが、今は、物事を俯瞰で見られる人間になりたいなと再読の度に思います。

140612-2.jpgちなみに、新選組の前身「壬生浪士組」の本陣が置かれた新徳禅寺は、臨済宗永源寺派のお寺(京都市中京区壬生)です。

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『正しいことば 八正道シリーズ 正語』西村惠信


140611.jpg「事業の繁栄は天・地・人により、また人間の完成は智慧と慈悲と勇気の三つが整ってのみできるものである」として創業された株式会社ミツトヨ。
その創業者、沼田惠範師の「世界の平和は人間の完成によってのみ得られる。人間の完成を目指す宗教に仏教がある」との理念により、私財を投じて設立された【仏教伝道協会】

あまり聞き慣れない協会かもしれませんが、日本のホテルではもちろんの事、他の仏教国に訪れますと、英語版や現地の言葉で書かれた、『仏教聖典』を幾度もみかけた記憶があります。皆さんもそんなご経験がおありではないですか?

この度、そんな仏教伝道協会から発刊されております、仏教を学ぶための本(普及版)の八正道シリーズの中の、“正語”を、弊所所長・西村惠信が執筆させていただきましたのでご紹介させていただきます。

普及版というだけあって、ほんとうに求めやすいお値段で、さらに仏教の歴史や教えが詳しくもどなたでも読み易い文章によって紹介されていますので、私も何冊も持っています。
仏教ってなに?お釈迦様はどんな事を仰っていたの?このお経はどんな事が書いてあるの?この仏様にはどんなお力があるのだろう?
そんな、当たり前に抱けど、なかなかどのような本を読めば良いのかがわかりにくい疑問にも、答えてくれるシリーズがたくさん揃っています。
出版されている本をずーっと見ていきますと、あなたの今の心に合った「あ、これが読みたいかも・・・」という本がみつかるような気がします。

お求めはこちらからどうぞ。


【もくじ】
握りしめず 取らず とどまらない
言うは易く 行なうは難し
縁によって生じ 縁によって滅びる
得難くして移り易きはそれ人身なり
恩を知るは是れ大悲の本
物も言いようで角が立つ
中道に立つ
信仰が人間の最上の富である
衆生の迷 根本は我見なり
自己に向かって見究めよ
法を灯火とし よりどころとせよ
心ここに在らざれば 視れども見えず
仏法と申すは道理なり
慈悲に生きる
一つとして わがものというものはない
仏法をあるじとし世間を客人とせよ
握れば拳 開けば掌
求めるところは少なくあれ
心はたくみなる画師のごとし
愚かにして愚かさを知る
師に二種有り 一には法 二には人
恥を知るは勇に近し
生ぜしもひとりなり 死するも独りなり
煩悩の火はおのれを焼く
涅槃の城には信をもって能入となす
人のなげきを我が嘆きとす
過ぎ去った日のことは悔いず
怒った人びとに対して怒らない
この生死はすなわち仏の御いのちなり
忍の一事は衆妙の門
和願愛語

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『祈りの延命十句観音経』横田南嶺老師

 

140416.jpg東日本大震災より三年目を迎えた節目の日、2014年3月11日に、円覚寺派管長・横田南嶺老師が『祈りの延命十句観音経』(春秋社)を上梓なさいました。

「菩薩行とは、その人のところまで自らが降りていって、クレーンで高い所へひょいっとひっぱりあげるように連れてくる事です」。と、いつでしたか、堀内宗心宗匠が仰ったおことばを、この本を読んでいて思い出しました。

東日本大震災に続き、ご自身の故郷の紀伊半島を襲った大水害を機に、「延命十句観音経」を少しでも多くの方に広めたいという老師の願いと、いのりの持つ力というものを、多くの方にわかるように、易しい言葉で、慈悲深く説く行為とは、まさに菩薩行なのでした。

これは何も、震災の被災地の方々に向けてのみ語られたものではありません。生きていれば、皆それぞれに悩み苦しみは尽きないもので、私自身まさに、苦しみの海から、ひょいっと救い上げていただいたような心地がしたのでした。

宗教関連本というのはそれこそ数多く出版されていますが、宗教宗派は関係なく私が良いなと思う本というのは、著者の厳しい修行により得たお悟りや清々しい心境、今(瞬間)を生きる姿がそのままこちらの身心奥深くへと、瑞々しく流れてくるような感覚を覚える本です。

まさにそのような一冊。宗教というものの、本来のまっとうな御教えをいただき、感謝です。人間は忘れるのがあまりに得意ですから、何度も読み返して、自身にすりこませてゆきたいものだと思いました。


*本日の20時~約1時間、BS日テレ「わが心の聖地」に、横田南嶺老師がご出演なさいます。姜尚中さんが心の聖地、円覚寺を訪れ、管長猊下とお話なさるようです。是非ご覧ください。



最後に、延命十句観音経と、横田南嶺老師による和讃をご紹介させていただきます。

〇延命十句観音経
観世音 南無仏(かんぜおん なむぶつ)
与仏有因 与仏有縁(よぶつういん よぶつうえん)
仏法僧縁 常楽我浄(ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう)
朝念観世音 暮念観世音(ちょうねんかんぜおん ぼねんかんぜおん)
念念従心起 念念不離心 (ねんねんじゅうしんき ねんねんふりしん) 

〇延命十句観音経 意訳(和讃)
観音さま
どうか人の世の苦しみをお救い下さい
人の苦しみをすくおうとなさる
そのこころこそ仏さまのみこころであり
私たちのよりどころです
この仏さまのこころが
私たちの持って生まれた本心であり
さまざまなご縁にめぐまれて
このこころに気がつくことができます
仏さまと 仏さまの教えと
教えを共に学ぶ仲間とによって
わたしたちはいつの世にあっても
変わることのない思いやりのこころを知り
苦しみ多い中にあって 人の為に尽くす楽しみを知り
この慈悲のこころを持って生きることが本当の自分であり
汚れ多き世の中で 清らかな道であると知りました
朝に観音さまを念じ 夕べに観音さまを念じ
一念一念 何をするにつけても
この思いやりのこころから行い
一念一念 何をするにつけても
観音さまのこころから離れません

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よしもとばなな作品

 

140211-01.jpg自分が見えないようにしている痛い所をえぐり出されて見せられ、目を背けるわけにはゆかない。対峙しなければならない。
悶絶しながらよしもとばななさんの本を読んでいる私ですが、彼女の作品の常として、最後に一筋の光明が差します。まさに目から鱗、救われる瞬間です。

「お能と一緒だなぁ・・・・・・」などとぼんやり考えていました。
最近、乾いていた心に潤いを与えるかのごとく、ばななさんの本を読み続けています。流行りもん嫌いな私(愚かです)は、よしもとばなな作品を一冊も読んだ事がありませんでした。
昨年11月に、ダライ・ラマ法王の京都講演にて、猊下がばななさんと対談される事となり、それが初めてばななさんに触れる機会となったのです。

「何故よしもとばななさんなのだろう?!」と怪訝に思っていたのは、あまりばななさんを知らない者にとってはごく自然な疑問だったかもしれません。
そんな我々の気持ちを察してか、自身が初めてでかけたネパールのチベット寺院で、前世はチベット仏教の僧侶であった事を思い出した話、その後はチベット仏教について学んだり、ダライ・ラマ法王のご健康やご多幸を毎日お祈りし、チベットの人々の為に、できる限りの事はこつこつとしてきたことを述べられ、今日、ここにいさせてもらう事に何ら後ろめたい事も、恥ずかしい事も無い。とはっきりまずは宣言されたのです。
その後につづいた講演のすばらしさは、言うまでもありません。

その時を境にたくさんある作品を読み漁っている私ですが、“自己をみつめる”為に良い本が山ほどあります。昔読まれた方も、いまいちど読まれたならば、また違う発見があるかと思います。
生涯に亘って、私にとっても彼女の作品は良き友となることでしょう。

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全生庵住職の本『坐禅のすすめ』

 

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今年の新年早々に幻冬舎から出版された新刊のご紹介です。
弊所には古くから出している同名の書籍『坐禅のすすめ』(山田無文・平田精耕 他著)がありますが、まったく違うタイプの本です。
著者の平井正修(ひらい・しょうしゅう)師は、東京は谷中の全生庵現住職。
彼は私も修行した三島の龍澤僧堂の後輩にあたります。同じ時期に道場にいたわけではありませんが、私と違って彼は長く道場に在錫していたので、親しくしてもらっています。
実はこの本、よく売れているらしいのです。それで彼に本書を無心し、さっそく電車の通勤時に読ませてもらいました。

自らの経験・体験を組み入れて(大切なことだと思います)、仏教や禅の言葉をひもときながら、現代人の生活にピタッとくるように書かれています。

ただ実は、私にとっては、何も目新しく感じたことはありませんでした。だって考えてみたら当たり前のことなんです。私たちは同じ道場の釜の飯を食んで修行させてもらっていたのですから。

道場の指導方針というものには、一つの筋が通っているものなんですね。
私は彼のように長く僧堂にいられませんでしたが、知らない間に、老師や先輩の雲水から同じことをたたき込まれていたのだなと、改めて感じさせられました。
この本に書かれていることと同じようなことを、時々私も檀家さんにお話させてもらっています。

臨済宗にはたくさんの修行道場があり、それぞれの道場に家風というものがあります。仕事柄、あちこちの道場の出身者と知り合う機会がありますが、同じ臨済宗の僧侶で有りながら、なにか違うものを感じることが時々あります。

ただ、龍澤僧堂を出た人たちとは、老若を問わず、なんだか同じ風を感じるのです。不思議なものです。
このことを改めて感じさせられた一冊の本でした。

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『秘花』

140204-1.jpg瀬戸内寂聴さんの『秘花』を読みました。
題名からもおわかりのように、世阿弥の生涯を描いた作品です。

昨年は忙しすぎて、好きだったお能の世界から遠ざかっていましたが、この本がまた呼び水となり、ふつふつとあの幽玄の世界へ入ってゆきたい衝動に駆られています。
舞台を観に行くのはもちろんの事、福森先生のお言葉「どこへでも、自分で足を運んで訪れてみると良いよ」に従い、まずは世阿弥の長男、元雅が尉面を奉納した、天河大弁財天社に詣でようと思っています。おそらく面は美術館などに寄託されていらっしゃるでしょうが、拝見できずとも、室町の空気を肌に感じ、元雅が面を奉納する前に舞った姿を思い描きたいと思います。

また、能における禅の教えの影響も気になるところです。世阿弥も、東福寺の僧・岐陽方秀との交流があった事が知られています。我が国の伝統芸能や文化、道などに興味を持てば持つほどに、禅とは切っても切り離せない関係性がある事を知り、知れば知るほどにまた楽しくなってくるものです。

昨日は実家の本棚を漁り、いま一度読みたい本を物色。懐かしい能面の写真集を眺めていますと、お隣韓国や、以前訪れたブータンの面、正倉院に奉納されている、シルクロードを渡ってやってきた伎楽面などが次々浮かんでは消えて、この極東の文化がどう成熟していったのか、お隣やまたそのお隣の国のことにも思いを馳せる時間となりました。
世界は、遥か昔から繋がっている。お能から、そんな世界観をも養えます。

禅に関心がおありの方は、その周辺から禅というものを知ってみるのも良いのかな?!という老婆心切でした。

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美しい坐相

 

140131-1.jpgページをめくり、ハッとしました。

今読んでいる本、『まあ坐れ』(著・小池心叟老師/直心禅会刊)にありました、小池心叟老師の坐相です・・・・・・。
修行を重ねられた老師その人の内深くからにじみ出る美しさ、静けさ、その輝きに勝るものなしです。このお姿を拝見し、懐かしい2つの事を思い出しました。

140131-2.jpg1つ目は、久松真一先生の『茶道の哲学』(講談社学術文庫)にある、先生が点前をされているお姿です。
茶道の稽古をはじめてまもない頃、兄がこの本を持ってきて「茶道をするのなら、こんなお点前ができるようになるといいね」と、見せてくれたのでした。この時もハッとしたのを覚えており、果てしない彼方にあるようなそのお姿に衝撃を受けたものです。

それ以来、この柄杓を持つ先生のお姿は私の深いところに記憶され、良きイメージを与え続けてくれています。

さらにもう1つは、以前おみかけした、とある僧堂で長く修行されている雲水さんです。
つぎはぎだらけの、藍の色も薄くなり麻そのものの色がわかるくらいになったぼろぼろの衣をお召しになられているというのに、ぼぅっと光り輝くようであまりに美しく清らかで、一瞬目を奪われ呆然としたものです。
研究所に入って間もなかった私は、「修行をされている方の中には、あのような方がいらっしゃるものなのか・・・・・・」と、これまた衝撃を受けたのでした。

140131-3.jpg日々の生活というものは、隠しようのないものとなってその人ににじみ出てくるという事ですね。その存在のみで、こちらにハッと気づかせて下さるような方々がいらっしゃる。そんな方々の輝きを感じ取れる自身でありたいと願います。
身が引き締まる思いが致しました。

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『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』

 

140119.jpg劇場で見逃した映画がDVDにてレンタル開始。さっそく観てみました。

『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』

優雅な老後海外生活を夢見て、イギリスからインドにやって来た7人の熟年男女。
聞いていた話とは違う!近い将来豪華になる予定?!のぼろぼろホテルや、なじめないインドの風習にインド人たち、ジャイプールの街の喧噪に圧倒されつつも、それぞれが新しい生き方を見いだすストーリーです。

新しい環境も柔軟に受け入れてしなやかに楽しめる者、気に入らぬ全てを周りのせいにして自身を顧みず、新しい環境を受け入れられない者、たった7人の事を主に描いたストーリーですが、その生き方や人としての在り方は様々で、老後の生き方ならずとも、今、自身が何を選択しどう生きるかが問われているかのように感じました。
そんな設定に“インド”というのがこれまたぴったり!

恐れることなく変化を柔軟に受け入れ、今を生きられる人でありたいと願いました。禅にも繋がる映画?!でしょうか。

インドが大好きな私としましては、未訪の地である美しい街、ジャイプールやウダイプルの様子が見られ、懐かしいインドなまりの英語が聴けるだけでもわくわくし、楽しめる映画でもありました。
オススメします!

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いつかは・・・・・

 

131202.jpg風外慧薫「布袋」:奇品堂蔵

 

「私にはまだ男としての未来がある」と強く信じた老人は、何十年も連れ添った妻と離婚する。悲嘆に暮れた妻は自殺を計った挙げ句、占い師に心を預ける。夫婦の一人娘はキュレーターとしてギャラリーで働き、売れない作家の夫を養っている。日中暇な夫は、向かいのアパートの若い女性に心を奪われ昼食に誘う。精彩を欠いた夫に不満なキュレーターはギャラリーのボスに惹かれる。老妻と別れた老人は若いコールガールに恋をして妻に迎える・・・

鬼才ウディ・アレン(監督・脚本)の「恋のロンドン狂想曲」(原題:You will meet a tall dark stranger)を観た。陳腐な筋立てなのに、役者も脚本もピカ一だから、面白さは半端ない。大した事件も起こらないのに、本人たちの日々は七転八倒、だれもかれも心のなかは大変だ。ただ、透けて見えるのは、私自身も含めて、世界はこんな人たちで埋まっているんだなということだ。ありそうもないどころか、微に入り細にわたってどこにでもありそうな話なのだ。私たちはこんな日々を大真面目に「生きる」と称して送っている。映画を観て、「なんて愚かな・・・」と笑えるのは、この登場人物たちとの間にちょっとした距離があるからだ。つまりウディ・アレンの眼差しで人物たちを見ることができるからだ。

登場人物の誰もが、辛く、悲しく、切なく、寂しい。躓(つまず)きがあり、衰えがあり、老いがあり、それでもひたすら「愛のようなもの」を追いかけている。

原題のYou will meet a tall dark strangerは、占い師が夫と別れた老婦人に言う言葉。「いつか背の高い黒髪の男に会えますよ」。いつかいい人にきっと巡り会えますよという決まり文句だ。「いつかは・・・」これが万人の希望に繋がる唯一の道だ。

アレンは今年78歳。ヒットを連発した監督の「いつか・・・」とは何だろう。滑稽さと優しさと諧謔が秀逸の会話で綴られる監督の作品に通底するのは、いつだって人間存在の哀しさだ。「人はいつかは死を免れない」。いつか会えるという「背の高い黒髪の男」はもしかしたら「不可避の事実」の暗喩と言えなくもない。

そう思いをめぐらせると、正月に髑髏(されこうべ)を竹棒の先にさして、家々の門口を「ご用心、ご用心」と言って回ったという一休禅師の面白さと、” You will meet a tall dark stranger”とそっと知らせてくれるアレン監督の親切が、綯(な)い交ぜになって、作品のかなたにボオーッと浮かんでくるのである。

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『妙好人』(鈴木大拙/法藏館)

131115.jpg初めて聞いた言葉でした。

浄土真宗の篤信者を、こう呼ぶのだそうです。語源は、『観無量寿経』の「念仏者は人中の分陀利華〔白い蓮華〕」という一節。仏さまの徳を表わす蓮華(中でも貴い白蓮華)にたとえられるほど素晴らしい人、という最高の賛辞のようです。

しかもこの言葉を真宗以外の人に初めて紹介した人物が鈴木大拙であると聞き、気になって本書を手に取りました。

様々なエピソードが掲載されているのですが、こんなにピュアな世界があったとは。

なにより、妙好人は僧侶でもなければ、特別社会的地位の高い人物でもなく、あくまで一般の信者であるという点に引き込まれました。親しみやすいけれど信念があって、決しておごらず一生懸命。早い話が、魅力的な人ばかりなのです。あまりに純粋なので、今の時代なら「不思議ちゃん」扱いされる場面もあるかもしれません。

とても印象的な一冊でしたが、何に対して自分の心が動いたのかをうまく言い表せず、しばらくもどかしく思っていました。後日、柳宗悦が述べた妙好人と民芸品の共通点についての文章を読み、ようやく納得。「意識して作られるものとは異なる素朴な美しさ(要約)」。これだったんだな~と、改めて心が温まりました。

いい本に出会えると当分幸せですね。寒い夜にこそ、お読みいただきたい一冊です!

『妙好人』

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『野菜のごちそう しばにさんちの食卓Ⅱ』宮本しばに

131101-1.jpg以前にもこちらで、友人の本『野菜料理の365日 ~しばにさんちの食卓~』をご紹介させていただきましたが、このたび新たなる一冊が発刊されました。

『野菜のごちそう しばにさんちの食卓Ⅱ』

今回ももちろん、野菜料理の豊富なレパートリーが紹介されています。特別なものを使うのではなく、家にあるもの、近所の店で揃うもので、野菜の存在を生かし切った、抜群に美味しい料理が作れてしまう本なのです。

131101-2.jpg季節野菜のナムル 辛子ソース添え


「この一皿が今の自分」

しばにさんの言葉が胸に響きます。
1年365日、日に2~3回、私たちは“食べる”事をほぼ欠かしません。毎食に、その時の自分というものが否応無しに出るのです。
でも、「やらなければならないこと」ではなく、大人のおままごとだと思って創作を自由に楽しみ、大胆にかつ丁寧に、食材の良し悪しや、作る時の気分に左右されず、どんな状況でもそれを「よし」として料理に向かう。“日々是好日”ということばを引用し、日々の料理への向き合い方を、しばにさんが本の中のエッセイで伝えてくれています。

131101-3.jpg弊所の所長、西村惠信が、『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』の中で、「禅はどこにでも転がっている」と言っていますが、10月半ばに彼女の家を訪れ、共に過ごすと、ほんとうに転がりまくっていました。

各国を旅して集まってきた美しい物に囲まれ、料理にもそのエッセンスが取り入れられ、日々食している物も選び抜かれたものばかり、大自然の中で地に足ついた自分流の営みを続ける。まさにそのくらしぶりは、私にとって“学び”しかありませんでした。
そんな彼女が生み出した料理本も、手に取った多くの方に、料理を通じてよろこびと学びを与え続けてゆくのだと思います。
心底オススメする一冊です!

 

 

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大浦天主堂

 

131022.jpg少し間が空きましたが、長崎では黄檗宗の聖福寺をお参りした後、信徒発見の舞台としても有名な、大浦天主堂を訪れました。

江戸幕府によるキリシタン弾圧、信仰の禁止、司祭や神父、教会などのよりどこを失うという艱難辛苦を堪え忍び、長きに亘り信仰を守り伝えてきた隠れキリシタンが、1865年、自身がクリスチャンである事を新しく海の向こうよりやってきた神父に告白した歴史的な教会です。

長崎は禅とも縁の深い土地ですが、どうしても教科書で学んだキリシタンの色々が印象深く、昔読んだ遠藤周作さんの『沈黙』が頭から離れませんでした。キチジロー!

長崎より帰りましてから、「はて、『沈黙』は実家に置いていたかな?!久々に再読したい」と実家の本棚を探そうとしましたら、『神は沈黙していない』という、宗教家・五井昌久先生の本が真っ先に目に入ってきました。
題名だけをみましたら逆の事を言っているようですが、そうではないですね。
どちらも読んでみるとしましょう。

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禅に学ぶ『家族に想いを伝えるエンディングノート』

 

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少々長いタイトルではあるが、つい先頃、角川書店から発刊された、今、流行のエンディングノートの一冊である。
著者は田口誠道師。長野県にある臨済宗妙心寺派長昌寺の住職であり、行政書士でもある珍しい僧侶である。以前より、青山社から出されていた『エンディングノート 宝珠―おだやかな旅立ちのために』を執筆刊行されていたが、こんどは「禅に学ぶ」をうたっておられるとおり、禅の教えを学びながら書き込んでいけるエンディングノートである。

就職活動が「就活」と端折っていわれるように、終末に向けての活動を積極的にして、自分の人生を全うしようという「終活」という言葉ができてしまった。世の中で宗教離れが叫ばれるが、ふと自分の人生の終末を考えてしまうという人たちは多いのだろう。

生きるにしても死ぬにしても、本来、こういう考えを大切に見ていこうとするのは、宗教者の立場である。であるのに、宗教から離れて一人歩きしている「終活」がはやっている感じがする。田口師はそんななか、僧侶こそ終活の最適なカウンセラーであるべきだというお考えのもとに、各地をまわって、エンディングノートの必要性を説いておられる。

今年度の弊所のサンガセミナーにおいても、第3回目に田口師による「エンディングノート活用法」という講座を開講する(申込希望の方はこちらから)。どういったお話を伺えるのか、楽しみである。

本書は、禅文化研究所でも販売開始。檀信徒への布教施本としてどうぞ。

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長崎の聖福寺 -黄檗宗のお寺-

 

131009-1.jpg所用で長崎へと行っておりましたので、空いた時間はもちろんお寺めぐり。
長崎といえば、黄檗宗の四福寺が有名です。
崇福寺、興福寺、福済寺、聖福寺。そのうちの聖福寺を訪ねてみました。

131009-2.jpg中国風の文様や吉祥を意味する意匠が随所にみられ、多くの唐人がこの長崎で暮らした時代に思いをはせていると、ふと自分はどこにいるのだろうか・・・とわからなくなるような雰囲気です。長崎の町全体が、そういった異国情緒に溢れていますね。

131009-3.jpg延宝5年(1677)、隠元禅師の高弟木庵(もくあん)の弟子である鉄心(てっしん)により、創建された聖福寺ですが、現在、諸堂の荒廃が進み、修理を必要とされています。
大雄宝殿の修復募金のページもありますので、どうかご協力よろしくお願いいたします。

さらに、以前友人に見せてもらい、いっぺんに虜となりすぐに取り寄せました、聖福寺のご住職が作られる普茶料理の本があります。
写真も、使っている器もとても美しく、色鮮やかな中国風の精進料理は、臨済宗の精進料理とはまた違い、興味深いものです。こちらもどうぞよろしくお願い致します。

131009-4.jpg
長崎の教会群を世界遺産に!という運動をがんばっておられるようですが、黄檗宗寺院も皆さまお忘れ無きよう宜しくお願い致します!
次回長崎入りする際には、残りの黄檗宗寺院も是非とも訪れてみたいものです。

 

 

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『人生、行きがかりじょう 全部ゆるしてゴキゲンに』(ミシマ社)

 

131003.jpgとても面白い本を読みました。自称・日本初の「酒場ライター」である、バッキー井上さんの新刊です。「画家」「踊り子」「ひとり〝電通〟」を経て現在は「漬物屋店主」「居酒屋店主」でもあるバッキーさんが選ぶ言葉は、かなり独特。本書は、バッキーさんが多用される言葉のひとつがそのままタイトルになっています。

【行きがかりじょう】の定義とは、


自分が選択をして、
現れるものと向き合い、
すべてポジティブに反応すること。
シアワセになるための基本的な心構えであり、
ゴキゲンへの道しるべであり、
すぐれた戦法でもある。
(本書より)


「人生、行きがかりじょう」。バッキーさんは常にこう考えます。目当ての居酒屋が臨時休業だった時も、大きめのトラブルに見舞われた時も、身体がきつい時も、もちろん最高に楽しいときも。たとえ不利な状態に陥ったとしても、自分が置かれている状況をめいっぱい愛することが大前提。そして、いまある条件の中で最もゴキゲンな流れに繋がる方法を考えるのです。こうしてひたすらポジティブに「行きがかりじょう」を実践するバッキーさんの人生は、小さな工夫や機転がいっぱいで実に痛快!!同時に、嫌みのない気遣いとサービス精神に満ちあふれていていることにも気づかされます。なぜなら、自分がゴキゲンであるためには、関わる相手が心地良くあることも重要だから。

「倍返し」に対して、「行きがかりじょう」の何と平和な戦法であることでしょう。

水道工事をしていたバッキーさんは、広告会社に潜り込んだと思ったら何故かペンキを塗ってフライパンを振り、お金が必要だという理由で画家に。その全てが状況に応じて選択を重ねた結果なのですが、

「『結果』って、自分で勝手に決めてるだけで、全部、『コンテニュー』やな」(本書より)。

この選択が次はどこに繋がっていくのだろう!?と 気になってページを繰る手が止まらなくなり(少なくともこの段階で、著者がお漬物を作り始める気配はまだ微塵もありません)、ゆっくり楽しむつもりが一気に読み切ってしまったのでした。聞き書きということもあり、まるでご本人からお話を伺っているようで終始ワクワクする一冊です。皆さんも是非。


【本の詳細】はこちら


【バッキー井上さんのお店】
錦・高倉屋

京都 百錬

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『Canta! Timor』  -職員オススメ映画-

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東ティモール。
“敵”ということばを持たない人たちの住む国。
“敵”。あえて言うなら、「今は違う方向を向いている者」。
インドネシアの人々に対して、怒りは無い。あるのはただ悲しみのみ。

かねてより必ずや拝見したいと思っていた、東ティモールがインドネシアより独立する、その軌跡を辿った映画、『Canta! Timor』を観る機会を得ました。
恥ずかしながら、日本のインドネシアへの援助が、武器を購入する大きな後ろ盾となり、東ティモールの人々の多くの命を奪っていた事実を初めて知りました。

様々な思惑が働き、真実を知る事が困難になっているこの世の中で、情報を得る際にはどのようなソースに頼るのか、そして、何を選択して生きてゆくのか、震災後ずっと問われ続けている気がしますが、また強くその問題が自身に迫ってきたように感じました。

花園大学の学長講座にて、恵林寺副住職の、古川周賢老師が、

「歴史は繰り返す」と言いますが、似たような事象が起きるというだけで、全く同じ歴史は決して繰り返しませんよ、そこを履き違えてはならない。世界はどんどん悪くなっているんです。住めなくなるかもしれない地球へと進んでいるんですよ。同じ状態ではない。ことばに騙されてはならない。

というような事を仰っていたのを思い出しました。
大切なことを伝えてくれている人たちの想いや努力を、無下にはできないと思いました。


「僕らが間違ったことをすれば、大地はちゃんと知っている」。

映画の詳しい情報、上映スケジュールはこちらから。

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『野菜料理の365日 ~しばにさんちの台所~』宮本しばに -職員おすすめ本-




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先日は普茶料理の本をご紹介しました。
精進料理でも、臨済宗と黄檗宗では違いますし、色々あるわけですが、今回は私の友人の野菜料理のみのレシピ本をご紹介させてください。

『野菜料理の365日 ~しばにさんちの食卓~』 宮本しばに

野菜のみのお料理。なんとなく頼りないように思われるかもしれませんが、物足りなさなど微塵も感じさせないパンチのあるおかずや、肉魚が無くてもコクのある味が、彼女のセンスにより引き出されているレシピです。
お料理下手の私でも、とびきり美味しい物が作れるのです。

また、嬉しく楽しいのが、ほとんどがお家にある調味料で作る事ができる上に、彼女が旅してきた世界各国のお料理のエッセンスが随処にちりばめられている事。
シンガポール焼きそばを作れば、シンガポールのフードコートの雑踏を思い出し、パッタイ(タイ風焼きそば)をいただくと意識はタイの屋台へ。お料理から、旅の残像を思い起こして楽しんでいます。

一つのレシピを完成させるまでに、何度も何度も思考と実践を重ね、綿密に分量も考える彼女の姿勢、料理との向き合い方を、美しいなと思っています。

ベジタリアンの方のみならず多くの方に、ご紹介&お勧めしたい一冊です。

しばにのキッチン・ラボ

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土樂窯の土鍋で作ったパッタイ
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2012年秋企画展『東嶺圓慈―禅画と墨蹟―』図録販売のお知らせ




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昨年秋に、花園大学歴史博物館と企画展「東嶺圓慈―禅画と墨蹟」を共催しましたが、図録の発刊が会期中にできませんでした。この度、ようやく本展の図録が完成しました。
花園大学のWEBサイトにありますように、花園大学歴史博物館より販売を開始いたしました(禅文化研究所では扱っておりません)。

郵送をご希望の方は、ご希望の書名と冊数を明記のうえ、代金+送料を同封して現金書留で花園大学歴史博物館までお送りください(送料は切手でも可)。到着後、ご希望の刊行物を送付させていただきます。また、複数冊ご希望の方は送料が異なりますのでお問い合せください。
なお、事務処理上お手元に届くまで、2週間ほどかかる場合もございますのでご了承ください。

定価1,000円(税込・送料別途340円)

花園大学歴史博物館
〒604-8456
京都市中京区西ノ京壺ノ内町8-1
TEL(075)811-5181(代) FAX(075)811-9664

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『「ブッダを読む人」は、なぜ繁盛してしまうのか』清水克衛著




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以前のブログでも取り上げさせていただいたのですが、書店「読書のすすめ」の店長・清水克衛氏の著書、『「ブッダを読む人」は、なぜ繁盛してしまうのか』を、今頃拝読しました(申し訳ないです。上司は以前読んでいましたが、私は読んでいませんでした)。

実は、この本の中で、弊所の『愛語』(山田無文著)を紹介していただいているのです。有り難い事です。


そもそも私は、例えば就職活動をする際にも、虎の巻であるとか、ハウツー本の類を読んだところで、自分以上のものが出せるはずも無く、ノウハウを知って小手先で挑んだ面接で内定をくれるような会社へは行く気もない。と、思っていました(生意気ですね......)。
正直申し上げると、この本も、"その類のハウツー本"なのかしらと思っていました(本当にすみません)。

私の場合、最近、"仕事"というものについて考える事がよくあり、さらにお釈迦様の大ファンという事もあって、ふと読んでみようと思ったわけですが、ちまたに溢れているハウツー本とは一線を画した本である事がわかり、目から鱗なのでした。

お釈迦様の御教えの実践は小手先ではできませんし、この本を読んで少しの間実践してみた所で簡単に成功(清水氏は、成幸と仰っています)が手に入るわけでもないでしょう。
この本を読み、また、この本に紹介されている多くの本を読み、よき教えや考えを自分に刷り込んで、取り込んでゆき、実践し、日々己に向き合っていってこそ、その先に成幸(繁盛も)があるのだと思いました。
それこそ、その積み重ねで、この本の副題にもある、-オーラが良くなる-事ができるのでしょう。

そして、私がすごいと感じたのは、この本が2008年に創刊されている事です。
大震災を境に、世間では同じようなことを謳う人や本が多々でてきていると思いますが、この本は2008年創刊でありながらも、今読んでも"新しい"と思えるような本なのです。
名著は古くはなりませんね。お釈迦様の御教えも、常に新鮮だという事ですね。
こちらで紹介されている本にも、気になる本が多々ありましたので、これから一冊ずつ読んでゆき、オーラの変化を楽しんでみる事にしましょう。

どなたにでも興味深く楽しんで読める本です。
なんとなく、何がというわけでもなく行き詰まっている方にも、オススメします。

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『長崎・聖福禅寺の普茶料理』聖福禅寺 田谷昌弘




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友人が、「これって……」と出してくれた本を取り上げる勢いで手にし、嬉々として見入りました。

なんと、長崎の黄檗宗のお寺、聖福禅寺のご住職(田谷昌弘師)が作られる普茶料理が紹介された本ではありませんか!!!
こんなマニアックな本が出版されているとは、非常に喜ばしい事ですね。
なんとなく、精進料理の本となると、見かけるのはやはり永平寺さん関連の本や、臨済宗の本が多いように思います。

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“普く大衆に茶を施す”普茶の精神は、日本の食文化の原点。
その美意識は長崎の禅寺で脈々と現代に息づく。
“普茶料理の鉄人”がつくる珠玉の77品。
楽しく残さず召し上がれ!これも作法のひとつ。 (帯より)

普茶料理の精神やルーツから、開山隠元禅師のエピソード、そして巻末には聖福寺の歴史や伽藍等の紹介まで。
“料理の本”というに留まらぬ、奥深い一冊となっています。

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もちろん、肝心の料理に関しても、彩り鮮やかでそれは美しく美味しそう。
飽食の時代に生まれ育った我々は、肉魚が無くてはなんとなく質素すぎる、ものたりないと考えがちかもしれませんが、精進の世界は無限大に豊かなのです。
さらに、中国より伝わった普茶料理は、“揚げ”物も多く、大皿に美しく盛られた料理には、とても力強い印象があります。

私は、料理を作るわけでなくとも、元気の無い時や、なんとなくしんどい時などに、美しく美味しそうな料理の写真が多く載っている本を眺めます。それだけで元気が出るような心地がするのです。
この本も、そんな一冊に加えられました。

オールカラー、この豊富な内容で2100円。安すぎませんか?!とまで思ってしまいます。
是非お手に取ってご覧いただきたい本のご紹介でした。

『長崎・聖福禅寺の普茶料理』 聖福禅寺 田谷昌弘  長崎新聞社刊

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「われの名はシイラカンス……」




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ご本をいただいた。『我れの名はシイラカンス 三億年を生きるものなり』(小泉淳作著、日本経済新聞社、2012年)。日本経済新聞に連載された「私の履歴書」と、氏の画を合せて一冊にしたものだ。

私は寡聞にして「小泉淳作」の名を知らなかった……というより、覚えていなかった。本書をパラパラとめくり、東大寺本坊の襖絵写真を見て記憶が蘇った。東大寺を訪れた際、襖絵にいたく感激したのをはっきり思い出したのだ。そうかあれを描いた人が小泉淳作氏だったのか。

すぐに拝読した。数々の作品画像も見た。そしてわかった。この人は、絵も文章も陶芸もすごい人なのだ。

私はとりわけ「冬瓜」の絵に惹かれた。展覧会でこの絵を見たイサム・ノグチ氏が、「この絵には神様が宿っている」と言われたらしい。世に出るのが遅かった小泉氏はそのことを素直に喜んでおられる。

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冬瓜 小泉淳作


「売れる絵」に背を向け、納得する絵をひたすら追求してきた氏が、絵で生計を立てられるようになったのは六十歳すぎてからだという。
それまでの氏は「画家では食えずに副業の商業デザインや陶芸を手がけて暮らしの糧にしたが、絵筆は手放さなかった。絵のことばかり考えてきた」のだ。しかし、副業で家族を養い、「絵のことばかり」考えて生きる日々は大抵ではない。腹立ちや鬱憤に心乱れることだってある。そんな頃、縁あって知り合った物理学者の武谷三男氏が、「人生は妥協の連続ですよ。人は妥協しなければ生きていけません。でもね、生きる上でひとつだけ妥協しないものを持たなくちゃね」と言われたという。知遇を得たのは1955年、武谷氏の言葉に勇気づけられた小泉氏の強靭な意志は、その後びくともしていない。

それにしても、「私の履歴書」に描かれる出会いのすばらしさはどうだろう。無名の画家であり、人見知りする質(たち)の氏が、こんなにも多くの人たちに支えられたことは驚きだ。彼の芸術家としての魂が終始揺るぎなくホンモノであったことが、人々を惹き付けずにはおかなかったのだろうか。

因みに、建長寺法堂天井画「雲龍図」・建仁寺法堂天井画「双龍図」の両作品も小泉画伯による晩年の大作である。

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『昆布と日本人』 -職員オススメ本-




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『昆布と日本人』(日経プレミアシリーズ)
著/御昆布司 奥井海生堂社長・奥井隆氏

よくお世話になっている方が、その熱い思いを一冊の本にまとめられましたのでご紹介です。
まず、この本の全編を通して一番に心に染みたのは、奥井社長が“おかげさま”の精神を貫いていらっしゃる事でした。
若き頃から変わらぬその姿勢で、日本のみならず世界より厚い人望を集める今がおありになるんだなぁ……と、ご本人を存じている私としてはとても感慨深いものでした。


さて、「日本人とはなんぞや……」というのは、いつも私が気にしている所ではありますが、美術工芸品や思想や歴史方面からそこを考えてみたりしても、人の身体と精神を作っているのは食。
とくれば、1000年以上の歴史がある昆布の事を知る事は、日本人を知る事そのもので、この本を読み、目から鱗でした。

山多く、海に囲まれた豊かな国だからこその産物である昆布。自然から与えられたその恵みを生かし切ってきた日本人の智恵。
学校で習う歴史は、いつも“人”が中心でしたが、“昆布”を中心に見てゆくそれはまた何と興味深い事でしょう。
料理人のみならず、商売人はもちろんの事、そして我らが禅宗の典座は精進である為、昆布の出汁は欠かせぬもの。もちろん家庭においても出汁が決めての日本の料理であるからして、広く皆さんに読んでいただきたい本なのでした。

日本の食を見直す事は、明るい世へと次世代を導く事に繋がります。
戦後失った日本人としてのアイデンティティを取り戻すのも食を通して……でしょうか。

ちなみに私も普段は毎日手作り弁当ですが、それに加えて最近は温かい味噌汁やスープを持参しています。
昆布で出汁を取る場合は、60℃でうまみを最大限に引き出す方法で。
是非皆様も実践してみてください!

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『イラン式料理本』 -オススメ映画-




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気になる他人のおだいどこ。
家庭の台所事情から、お国柄、文化、宗教、男と女、世情、様々なものが見えてくるものですね。
日本はともかく、この映画ではイランにおける様々な家庭の、実際の台所事情!なのですから、これまた面白いわけです。
楽しくも考えさせられる、とても良い映画でした。食は全てに通じますね。

それにしましても、スパイスをふんだんに使う中東の料理。食べてみたくなりました。
私の中でスパイス使いの上手な国といえば、インドはもちろんの事、インドネシアも挙がります。
日本のように出汁を取る文化が無い分、スパイスを豊富に利用するのでしょうね。

余談ですが、どうしても比較してしまうのが人の性……。
どちらが良い悪いという話ではありませんが、改めて、日本の、海あり山がある食材の豊かさと、日本料理の美しさ、繊細さを思い知りました。

【イラン式料理本】

京都では明日8日(金)まで、京都シネマで上映中です。

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『日本のかご えらぶ・かう・つかう』 とんぼの本




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購入して一気に読みましたが、その後も暇があれば穴があくほどに眺めている本があります。

講談社のとんぼの本シリーズより、『日本のかご えらぶ・かう・つかう』

素材、産地、編み方、種類、使い方、コレクターの私物紹介。
籠にまつわるあらゆる事が、美しい写真とともに凝縮された一冊です。

私も普段の生活に籠をよく使う為、海外旅行の際にも色々と籠を買ってきたりしていましたが、素材や職人自体が減って来ている日本の籠の現状を知ると、「日本の古くからある智恵や手しごとを失いたくない……」という思いに到り、これからは特に日本のものを手に入れ、身近において日々慈しむという事になりそうです。

日本の仕事の綿密さといいますか、几帳面さは、世界一を誇ると言っても過言ではないでしょうが、籠においても同じです。
安価な○○製の物と、日本のザルとを使い比べてみると、お値段は十倍の差があっても、前者はすぐにもろもろになり使えなくなるのに対し、後者はかなりの年数使えど、まだまだ美しく、それどころか味が出てきて、日々の生活に欠かせない愛しい道具となっています。

人間も自然の一部と考えれば、その生活にも、自然界に元々あった素材で作られたものがある方が豊かではないか……。そう思っていた矢先にこの本を知り、様々な種類の籠や使い方を拝見し、その美しさと機能性、汎用性、そして何といっても、そこにあるだけでどこかあたたかな印象を受けるてづくりの籠たちに、ますますその思いは強くなりました。

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ドキュメンタリー映画「紫 むらさき」




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尊い営みを拝見させていただけました。
自然界に存在するもののみで染められた色は、当然ながら、調和というものを教えてくれます。
不協和音を奏でるという事がありません。
これからの世界に必要な大切な教えが、"染司よしおか"のしごとにありました。

御存知東大寺のお水取りで十一面観音様にお供えされる和紙で作られた椿の赤は、"染司よしおか"にて紅花によって染められた赤なわけですが、昔は一枚の和紙を染めるのに1キロの紅花で事足りたのが、現在では1.3~1.5キロの紅花が必要なのだとか。

上記の例にも見られるように、「植物の力、大地の力が弱って来ている」とは、この映画の主人公で"染司よしおか"現当主の吉岡幸雄氏、そして職人の福田伝士氏のおことば。
染めに使う天然の材料を確保する困難さ。奈良時代の染色や織の技術に、今の技術が追いつかないという事実。様々な事への地道な挑戦は、現代を生きる我々に警鐘を鳴らしていらっしゃるようにも見えて......。

発展と便利さを手に入れたが故に失ってきた大切なものについて考える時、私は何度も耳にした、今は亡き永源寺派元管長・篠原大雄老師の、「back to the basic 原点に立ち返りなさい」という御言葉と、僧堂で炭焼きや畑仕事をする雲水達の姿が思い出されてなりません。
インドを旅行した際、インド人の青年は「なぜ日本人はそんなに働くのですか?畑をしていれば、食べてゆけます」と不思議そうに聞いてきました。なぜなのでしょうね。

私の友人の中にも、「あえて不便を選ぶ」という人が少しずつですが出てきています。
さて、今年は何を手放しましょうか......。

『紫』は、現在大阪は十三の第七藝術劇場にて上映中です。
詳細はこちら
是非お運びください。

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別冊太陽「白隠 -衆生本来仏なり」

すでに臨黄合議所から、臨済宗黄檗宗の各末寺寺院にポスターが配布され、目に留められた方もあるかもしれません。来る平成28年に臨済禅師1150年、平成29年に白隠禅師250年の遠諱が正当します。
現在70歳代の禅僧方は、50年前に行なわれた遠諱に、雲水として参加したという方もおられますね。
今度の遠諱については、臨黄合議所で遠諱専門委員会が発足し、いろいろな事業活動の計画が練られているところです。

そんな折、今週末の12/22からは東京渋谷のbunkamura ザ・ミュージアムにて「白隠展」が開催され、また、つい先日、平凡社の別冊太陽から「白隠 -衆生本来仏なり」(芳澤 勝弘・山下 裕二 (監修)/平凡社刊 )という特集号が発売されました。

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白隠のことを知っている人も、聞いたことない人にも、納得の一冊ではないかと思います。白隠禅師の生涯から、その遺されたユニークかつ圧倒されるような書画の数々を、豊富な写真と解説で楽しむことができますし、上記展覧会へ出向く前に読むと、予備知識としても有効でしょう。
執筆は、上記監修者の他に、国内外の識者による豊富なもの。ご一読の価値有りです。

本書は、弊所でも販売をさせていただくことになりましたので、こちらからもお求めいただけます。

これを見ると、ますますホンモノの白隠書画に接したくなることでしょう。そういう人は是非、「白隠展」へ。

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教えを染み込ませる




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ある日、母に、我が母だという甘えもあり、ついついとある不満をもらしていました。
すると母は、先日彼女に対して、ある人が言ってきた発言について教えてくれました。それは、娘の私が聞いても怒り心頭に発するような発言で、「なんたること!」と怒っている私に対して母は、

「でもね、お母さん何言われても怒らない事にしてるの。違う眼でみれば、そんな風に見える事もあるんだろうなって。お母さんが間違ってるのかもしれないし、わからないからね。それに、ダライ・ラマ法王の本にも、五井昌久先生(宗教家)の本にも、怒りは何も生み出さないとあったから。お母さんバカだしすぐ忘れるから、毎日枕元に置いてこれらの本を少しずつ読むの」。

ガーンと頭を撞かれた思いでした。親というものには、かなわないものですね……。
ことにダライ・ラマ法王の本は、偉そうに私が母に対して「これでも読めば」と渡した本でした。

以前、とあるチベット僧が話してくれた事を思い出しました。
チベット人は、生まれた時からずっと、たゆまず、少しずつ仏教の教えを学び、身心にそれらを染み込ませて育ってゆく。そうしてああいう民になってゆくのだ……と。

確かに人間、感動的な話を読んだり、有難いお話を聞いて、その時だけは「今から悔い改めよう」と思いますが、思った瞬間にすぐその思いはどこかへゆき、実行が伴わない事は日常茶飯事です。
日々、自らに染み込ませてゆき、己の物としてゆく事は大切ですね。

ということで、枕元に置いて毎晩読んでもしんどくない、すっと心に入ってくる、そんな本はうちの研究所ではどの本かな?!と、私のセレクトしたものを下記に紹介致します。
眠れなくなるような、考えてしまう本は選んでいません。是非枕元に!

『和顔』『愛語』 山田無文老師

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』 西村惠信所長

『いろはにほへと』 横田南嶺老師

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『天のしずく-辰巳芳子いのちのスープ-』




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『天のしずく-辰巳芳子いのちのスープ-』を観てきました(辰巳さんがどのような方か御存知無い方はこちらで。)。

私は大学生時代のゼミで彼女の事を知ったのですが、彼女のスープの本はパラパラとページをめくり、眺めているだけでも“元気が出る本”として、私の本棚にいつも置いてありました。

食によって自分の身心を整え、変えてゆきたいと願う者にとって、指針となるような事を多く語り、実行してくださっている方の活動が、このように映像として残る事に、また、東日本大震災を経て、これからの食の在り方(=生き方)が問われている今、多くの人に辰巳さんの食に対する考えが広まる事に、有難い心持ちで拝見させていただきました。

映像の中で最も印象的だったのが、辰巳さんの手。
自分はこの有難くも与えられた両手、指を、全くと言ってしまっても過言ではないほどに、使っていないなぁ……と痛感。
ボタン一つで多くの事ができてしまうようになった世の中。手を使わなくなった事が、我々からどれだけ多くの大切なことを知らず知らずのうちに奪っていっているのか……考えさせられました。

さらに、私は「長生きをしたい」という思いを抱いた事が無かったのですが、それは驕りだなと思い知らされました。

近頃、お話を拝聴する尊敬すべき方々が口を揃えて、

「この年齢になってようやく少しわかりました(岡村美穂子先生/鈴木大拙秘書)」。

「少しものごとがわかったなぁと近頃ふと思う事がある。死に近づいているという事やね(福森雅武先生/土樂窯)」。

などと仰るので、「ふぅむ……」と思っていましたら、またこの映画でも、辰巳さんと、人生の大半を長島愛生園で過ごしていらっしゃる女性の方が二人して、「80歳を超えなければわからない事があると思うんです(女性)」、「私もよ。この歳になって漸くわかった事があります。(ここまで生きてきて)良かったわね(辰巳さん)」と、穏やかな瀬戸内海を眺めながら悦び合うシーンがありました。

私の命が、どれだけ生かされるのかはわかりませんが、その境地も知ってみたいものだな……と思うのと同時に、少し虚無感が立ち去るような、明るい心地になれたのでした。

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『東慶寺 季の味 -北鎌倉 花の寺の庫裡から-』井上米輝子




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著者の井上米輝子さんは東慶寺の寺庭である。以前に季刊『禅文化』に「まつがおか日記」と題して、鎌倉東慶寺の四季のくらしを連載いただいたことがあるが(206~209号掲載)、ご文章にふれ、添付写真を拝見するのを、心待ちにしていた記憶がある。

本日、新刊のご本を頂戴して、しばし時を忘れて拝読、拝見した。まず表紙のすばらしさはどうだろう。いずれもご自身の着物と帯からとられたものだという。頁をめくるごとに、在家から嫁がれて、名刹にしっとりと溶け込まれた米輝子さんの柔軟さと、大抵ではない審美眼に圧倒される。なんという花を生けられることか。

以前から米輝子さんの料理に対する造詣の深さは定評があったが、作り方の手ほどきとともに器に盛られたそれぞれが、いずれもどれほど気持ちよい美味しさだろうと、また深々と驚嘆する。

クオリティ・オブ・ライフなどという言葉が、ひっくり返っても届かない、ほんとうに美しい昔ながらの日々がここにはあるのだなと、とびきりのご本を手にして、あらためて納得したのである。

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『東慶寺 季(とき)の味 -北鎌倉 花の寺の庫裡(くり)から-』
井上米輝子著(世界文化社、2012年11月1日発行)2400円(税別)

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『旅をする木』星野道夫 文春文庫




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約2年前、お慕いする素敵なマダムからプレゼントされた、星野道夫著『旅をする木』。

いただいてからすぐにページをめくり出したものの、アラスカのあまりにスケールの大きな自然の描写、そこから星野さんが感じ取られている事が、どうも当時の私では理解の枠を超えたのか、馴染めないまま、読み進められないままに本棚にしまわれていた。

今年の夏、初めて北海道へ行き、私が育った都会や、旅してきた少しばかり田舎めいた所とは全く違う、圧倒的な大自然というものを少しは垣間見られた気がした。
ご近所まで何キロ離れているのだろう……というようなペンションに帰る途中に見たエゾシカ、どこまで行けども続く同じような風景。想像を絶する広々とした大地。その大地と大きな空が持つ力に私は魅せられた。

旅から戻り、家でふと名著を紹介した小冊子をめくればそこに、『旅をする木』が。

「あれ、この本、持っているな。そういえばペンションには星野さんのヒグマの写真が飾ってあった。ああいう所に旅をする人にとっては今もなお、星野道夫といえばある種の感慨無しにはいられないほどの人なんだろうなぁ……」と思いつつ再び手に取ってみた。

そこには、星野さんが自然から学んだ、磨き上げられた宝石のようにキラキラと光る真理がちりばめられていて、ストンと私の心に入って来た。まさに、眼から鱗であった。
悟りの方便とは本当に人それぞれなのだという事を、身をもって教えて下さっていた。

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“適当に添イ立ツ”




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皆さんこんにちは。

もうこのブログで何度もお話させていただいておりますが、先日はまた、母校にて恩師・松田高志先生を囲んでのお勉強会でした。

この日は、神戸女学院が初めての方もいらっしゃいましたので、ヴォーリズ建築の粋を皆で堪能し感動した後、先生のご著書、『いのちのシャワー』より、-自然の恵み-という文章を読み、先生にお話いただき、集った皆で感想を話し合い、そこから何かそれぞれが持ち帰りました。

先生は、奈良の御所市で畑をなさっていますが、エンドウをご覧になると、いつもある時期になるとにょきにょきと大いに伸び、たくさんの房を付ける為、「育つ」という言葉を思い浮かべられるのだそうです。

「育つ」の語源説は色々ありますが、先生のお気に入りは、小さな苗や苗木が、添木につかまり、支えられながら生長することから来ている、「添イ立ツ」という説。
なぜなら、これが実際的に「育つ」という事の本質と思え、さらに、親子に例えると、子どもはどういう力を持ち、親はどういう助けをすべきかがよく現されているからなのだとか。

エンドウは、茎が柔らかく、必ずや添え木が必要だそうですが、少し触れると折れてしまう。それでも、適当な添木さえあれば、にょきにょきと大いに伸び、収穫しきれぬほどの実りをもたらすわけです。

この、“適当”っというのが、ほんとうに難しいですね。
親子関係のみならず、師弟関係にも、友達づきあいにも言える事ではないでしょうか。

つまるところは、自分が何かの添え木になる場合は、相手をよくみつめ、それ以上に自身をみつめるしか無いというところかな……。己事究明。やはり禅だ!
最終的に全てそこに行き着いてしまう私なのでした。

それにしましても、あの美しい御所の地で、大和三山を眺めつつ畑仕事をする先生。
思い浮かべるだけでなんとも温かい気持ちになります。
そして、エンドウの育つ様を見て、先生は様々な大切な事、芯、真理というものを自然から学んでおられるのだな、やはり、全ての答えは自然にあるのかもしれないな……と思った休日の一日でした。

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『希望の医学 がんになっても諦めない』帯津良一著




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帯津三敬病院名誉院長の、帯津良一先生(日本におけるホリスティック医療の第一人者)による新著『希望の医学 がんになっても諦めない』の中で、-帯津先生が選ぶ死と向き合うこの7冊-のうちの1冊に、弊所の『夜船閑話』をご紹介いただきました。

まず、“個”に合わせたがんとの向き合い方を教えてもらえる本だな……と思いました。
おそらく、親戚や友人、周りの人をがんによって亡くした事は無い…という人を探す方が難しい現代において、発病するしないに関わらず、自身の身体と心に向き合いたい人は手に取ってみられると興味深いかと思います。
帯津三敬病院の特徴でもある、漢方やホメオパシーを用いた治療、気功や呼吸法、実際にがんになられた方の体験記なども事細かに掲載されており、表なども使ってわかりやすく見やすい本となっています。

私自身ヨガをしており、体に起こる変化は自分で癒せるものと信じていますので、薬は一切飲まないようにしています(西洋医学も大切だとは思っています、念の為)。
もちろんホリスティック医療にも関心がある事から、出版社の方から帯津先生の新刊に『夜船閑話』を掲載させてほしい……とのお願いが来たときにはとても嬉しく光栄に思いました。

以前帯津三敬病院で働いていた私の友人によると、帯津先生は白隠さん大好き!との事。さすがです帯津先生。
白隠禅師が、自らの禅病を治したという軟酥の法、気になりますね。私も実践してみて、いつか皆さんにその感想をお伝えできたらな…と思います。実践されているお坊さんがいらっしゃるなら、お話なども伺いたいものですね。考えておきましょう!

余談ですが、私の周りでは、坐禅や瞑想、ヨガなどをしている人がどんどん増えています。
こういった事を実践してゆくと、自然に、食べ物や普段使う洗剤、化粧品などにも気を使うようになり、地球と自分との繋がりを考え始めるのが面白いものです。
「自分さえよければいい、人間さえよければいい」との勝手で傲慢な気持ちではいられなくなるのです。

自身の身体、精神、霊性の良きバランスを保てたなら、ひいては地球や宇宙の一員としての自分、本当の意味で全体性(ホリスティック)を実感して、生きてゆけるようになるのだと思います。

京都市内の我が家近くには、ここ2年ほどで無農薬野菜のお店もどんどん増えてきました。なかなか面白い事になってきているな……と思う今日この頃です。

皆さんの周りはいかがですか?

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旧白洲邸・武相荘




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本の中の写真ではなく、白洲次郎・正子のくらしを実際に見てみたいとずっと思っていましたが、ようやく東京は鶴川にあります旧白洲邸・武相荘を訪れる事ができました。

この日はちょうど梅雨の入り、雨の一日でしたが、しっとりと雨に濡れた緑や、かやぶき屋根がまたことのほか趣がありました。

他の誰かが良いと言ったから良いのではなく、自分が見て良いと思うものを集め、それらに囲まれながら暮らすことは、自身をみつめる事に繋がるのだなと改めて思った武相荘訪問でした。

日本の文化や歴史、自己を知るには、もちろん禅の本を心からオススメしたいのですが、白洲正子著作もオススメします。

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『月のリズムでダイエット』 岡部賢二著(サンマーク出版)




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ヨガを実践し、身体と心の相関性の面白さに目覚め、そして、身体と心を作っている食について関心を寄せていましたら、今度は自然と“月”の存在が気になり始めました。
そんな時に出会った本のご紹介。

『月のリズムでダイエット』 岡部賢二著(サンマーク出版)

“ダイエット”と題名にありますので、“痩せる為の本”と思われがちでしょうが、これは、本来の自分らしく、個性に合った体型になる為の本です。人間、一人として同じ人はいないのですから、各々バランスの良い所というのは、違うはずです。
身体のバランスが、本来の自己に内在する力を発揮できるように整ってゆけば、自然と心も整って来ます。
でも、“本来の自分”って何なのか、わかりませんよね?!
私も手探り状態ですが、色々と実験してみると楽しいものです。
“月”を意識して生活を始めると、なかなかに面白い事が自身の身体にも起き始めます。
大自然や宇宙の力、殊に月のパワーと呼応して生きる為の一参考書。古より日本人が如何に大自然としっかり繋がって暮らしてきたかという事も知るきっかけとなります。


余談ですが、そんな風に月について色々と思っていると、嬉しい便りが。
先日の満月の日、友人が第二子を出産しました。

彼女曰く、月を見ていたら身震いし、「これは来るな……」と思ったのだそう。
やはり人間も、自然界の一部なのですね。下記に友人からのメールをご紹介させていただきます。。

「何か、自分の力の及ばないところで大いなるいのちの営みを肌身で感じて、とても感慨深く、私はその大いなる力の波に乗って、かけがえのないいのちを生み出させてもらったのだなと思いました。普段から、月を見ていると生命の呼吸の波に呼応していて、不思議な気持ちになります。お互い、月に興味を持っているのを知って嬉しいです。そういった事を意識して生活するって、人間にとって一番自然な事なんでしょうね」。

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荒けずり -『いのちのシャワー』松田高志著-




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おはようございます。
“私事”な記事が多いのですが、お付き合い下さいますと幸甚に存じます。

日曜日は、個人的に開催している勉強会の日でした。
私の大学時代の恩師、松田高志先生におこしいただき、著書『いのちのシャワー 人生・教育・平和を語る』を読んで、皆で感想を話し合っています。
大学時代にもこの本はゼミで一度学び、卒業後も何度かページをめくってはいるはずですが、その時心に響いて残っているもの、忘れているもの、様々です。

今回は“荒けずり”というタイトルのお話を読みました(以下に要約を)。


 歴史上の偉人や英雄の生き様から、我々は多くの事を学び、感動を与えられますが、そういった人々にも、がっかりする一面があったりします。

 これを、例えばその人の偉大な行為まで偽善的なものであると全否定したり、あたかも大人物であるかのように「清濁合わせ飲む」式に肯定するのは、どちらも釈然としません。

 しかしある時、次のような文章に出会い、なるほどと思いました。その著者によれば、ベートーヴェンの音楽は人類の最高の音楽であり、そのひびきは宗教的に極めて深いものであるのに、人間としてはどうしても首をかしげたくなるようなところがあって、その事が気になっていたが、いつからか、ベートーヴェンには彼の役割というものがあり、その他の面では人間として荒けずりであったと思えるようになり、納得することができた、と。

 これは、偉人とか大人物に限ったことではないように思います。我々誰もが、この世において何らかの役割やテーマのようなものをもっているといえるかもしれません。もしもそうであれば、どうしてもそちらの方に力が入るというのはやむをえません。しかしだからといって、その他の面でどうでもいいということにはならないでしょう。他の面も一生懸命にやったけれども、結果として荒けずりになったというまででしょう。

 ともかく誰の場合であれ、一所懸命生きていても荒けずりなところは出てくるでしょうし、又それでその人の値打ちが下がるというものでもないように思います。

 人間が成長し、人格が高まっていくということは、単に直線的でなく、もっと立体的なものではないかとこの頃思っています。


 私達は……というよりも、正直私がそうだと思うのですが、自分のものさしで図ってみて、何かができていない人を批判してみたり腹を立ててみたり、自分の枠にあてはまらない人を扱いにくい人と認識してみたり、とかく人とは(というか、やはり私なのですが)自分勝手なものです。

 家族、友人、職場の人、あらゆる人と関わり合って生きてゆく中で、良い面悪い面、色々見えてくるかとは思いますが、“荒けずり”と見る事ができたならなんだか素敵ではないか!と心軽く嬉しく思った次第です。
 日本人は特に、荒けずりに寛容であると思います。それどころかそこに“美”や“何ものにも代え難い魅力”まで見いだします。円空さんや木喰さんの荒けずりの仏像を思い出したのです。洗練され、完璧に研ぎ澄まされたものよりも、どこかあったかく感じる……。きっと、荒けずりな面があるからこその魅力というものが、人にもあるのでしょう。

 もちろん、自分にも大いに荒けずりな面がありますので、そのあたりは周りの皆様にもそう思っていただき寛容に受け止めていただけたら……とお願いをして、今日はお別れの御挨拶とさせていただきます。

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佐々木閑著 『日々是修行』(ちくま新書)




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水曜日夜10時からのNHK番組【100分de名著選】  ブッダ-真理のことば-でもナビゲーターをされている、花園大学教授・佐々木閑先生の『日々是修行-現代人のための仏教100話』

当たり前のごとく家の仏壇に手をあわせ、祖父がたまたま禅僧で、自身が茶の湯の稽古に魅せられている事から、自然と仏教徒、自然と禅が好き……と惹かれて来た私です。

日本人には「なんとなく神道と仏教の合いの子」的なところがあり、そのおおらかさもまた良い面だとも思えるのですが、やはり、何故惹かれるのかというところははっきりしていたい気もします。

そんな中、禅に興味を持たれて入門書をと思っている方は、もちろん私ども研究所のこのあたりの本を手に取っていただきたいのですが、その前に、枝分かれする前の原点である、“お釈迦様の教え”というものも知っていただきたいと思うわけです。
その際のまっとうな入門書ともいうべき、佐々木先生の本を本日はご紹介してみました。


「あれ?なんで私法事に参加してるんだろ」と、ふと思ったり、海外で宗教を尋ねられ「仏教徒?だけど……」などと思われた経験のある方は、まずは仏教の根本的な教えを尋ねてみてはいかがでしょうか。


最近の私の場合、「やはり仏教に惹かれる、日本古来の神道の教えも自身に染みついていて尊い……」と思うのであれば、それには他の宗教の本なども読んでいないと駄目だな……と色々なものを読んでみています。
つきつめてゆけば、やはり同じ事を言っているのだな…と共通するような部分もあれど、やはり相容れない部分もあり。色々あって良いのだなと思います。

色々なものことをかじってみて、うろうろしながらも、「やはりここだ!」と思えるもの、それが自分の中で本物なのかな……と思う今日この頃です。

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問答




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相国寺の有馬賴底管長インタヴューを読んだ。聞き手は日文研の末木文美士(ふみひこ)先生である。末木先生の核心的な直球に、管長が間髪を入れず即答される。

脳死と臓器移植
末木 脳死の問題ですが、それに伴う「臓器移植」ということについてお伺いしたいのですが。
有馬 脳死は「人の死」ではありません。……臓器は「もの」じゃない。売り買いする「もの」じゃない。……人間の死という問題をもっと深く考えないとこの問題は解決しません。……「寿命」ということを受け入れんといかんのです。三歳の寿命もある、百五歳の寿命もある。

死刑制度
末木 死刑の問題はどうお考えになりますか。 有馬 死刑も絶対にダメ。死刑は廃止しなければいけない。殺したから殺すんだというのはダメなんです。仏教には「復讐」という二字はありません。

天皇制
末木 天皇制をどうお考えになっていますか。
有馬 天皇制は守るべきだと思っています。つまり日本文化を守ろうと。……少し前に女帝の問題が取り沙汰されました。……男女じゃない。皇室の伝統、つまり日本文化をいかに守るかということなんです。女帝でも全然かまわない。

末木先生は、「脳死・臓器移植の問題にせよ、死刑制度にせよ、老師の力強いお言葉を聞いていると、その迫力に圧倒されます。何事も曖昧にしないで、きっぱりと主張し、断固として戦う姿勢を持っている。老師は”憲法九条京都の会”の代表世話人でもあり、熱心な平和活動はよく知られています。こういう方がいる限り、日本の仏教も捨てたものではない」と軽快に端的に述べられている。

またこの対談の後に起こった東日本大震災について、有馬管長は以下のように付記されている。「私は七月二十五日、福島県庁に佐藤雄平知事を訪ねました。理由は二つ。一つは、京都府内の各ご寺院からの心からの義援金が二千万円を超え、これを直接知事に手渡したかったため。二つ目は原発NOを伝えるためだ。あれだけの安全神話が広報されてきた原子力という生態圏外のエネルギーが大地震によって、いともたやすく瓦解する現実を見て、原発が火山帯に位置し活断層の多い我が国にとってどういう存在なのかを今一度真正面から考えたいと強く思った(以下略)」

この「禅のこころ 禅の文化」と題されたインタヴューでは、禅修行にまつわるお話が多く、何度もはっとしたが、今回はそのことには触れなかった。

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『ほとんど記憶のない女』




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最近、通勤電車で読んでいるのがこれ。
1947年生まれのリディア・デイヴィスというアメリカ人女性作家の著した短編小説集『ほとんど記憶のない女』です。
51の短編を集めて有るのですが、わずか数行のものから、何ページにもわたるものまであります。書名は、その中の一つです。

それぞれにとても不思議な世界観がありますが、どの場合も、読んでいると、何か自分がその世界にポツンといるという気になってきます。どの短編にも登場人物が何人かいるのですが、それぞれの人が語るわけでもなく、主人公が内観している風な書き方なので、そんな風に感じるのではないかと思います。

禅的な思考をさせられる物語ばかりです。じつはそれぞれの物語を読んでいて、気が付くと主人公の思考がまるで自分の思考のような感覚に陥ってしまいます。主人公の思考はたどれば著者の思考であるわけですが、これが自分の考えなのか、あるいは主人公の、あるいは著者の意識なのか、ちょっとわからなくなってくるような感覚なのです。自他がなくなっていくといえばいいでしょうか。

短い一話を引用してみましょう。
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  認めない

 男は女が自分の意見を聞かない、と言った。女はそうじゃない、男が自分の意見を聞かないのだ、と言った。問題は網戸のことだった。ハエが入ってくるから閉めておくべきだというのが女の意見だった。男の意見は、朝一番はまだテラスにハエがいないので開けておいてもいい、というものだった。だいいち、と男は言った、ハエはほとんどが家の中から出てくるのだ。自分はハエを中に入れているというより、どちらかといえば外に出してやっているのだ。

------------------

なんだか公案に出る話頭みたいなのです。
興味を持たれた方は、読んでみられては?
実は私も、まだ読了していないのです……。短い話でも何度も読んでみたりしてまして。

『ほとんど記憶のない女』 リディア・デイヴィス/岸本佐知子訳(白水社・2011/2/10発行)

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『土を喰う日々-わが精進十二ヶ月-』 水上勉 -職員オススメ本-




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幼少期を相国寺の塔頭や等持院にて過ごした事でも知られる作家、水上勉氏の、『土を喰う日々-わが精進十二ヶ月』(新潮文庫)を、その季節ごとに読み進めています。

季節ごとの自然からのめぐみ、そのめぐみに対する我々人間の在り方というものを、典座(台所の意・寺院にて炊事を掌る役の事もいう)でのしごとを通して、老師からの教訓も交えて書かれている為、非常に尊い教えを学ばせていただいています。

他の命をいただかなければ生命を維持する事のできない私たちが、“無駄にしない。ムリな調理はせずに、その素材の良さを存分に生かし引き出す事”を禅寺の典座から知る事は、飽食の時代、地球環境の危機が叫ばれる近年において、もう一度私達が生き方を足元から見直す為に、非常に重要な教えが含まれているのだと思います。

また、書名の『土を喰う…』からは、“身土不二”と言われるように、我々の心と身体を養う為にどれほどに大地が、食べ物が大切かを思うと、原子力発電に頼る世界、大地を汚してまでも我々の便利と快適を追究しようとする世界が、如何に愚かであるかを教えてくれています。

先月来日されたブータン国王が、国会での演説において、我々日本人の持つ素晴らしい資質というものを、我々が知り得る(自覚している)以上に的確に暖かく示して下さりました。
その原点というのは、知らず知らずのうちに、神道や仏教の考え方、智恵などによって育まれているものなのだろうと思うのです。

“宗教”と言ってしまうと拒絶反応をおこす日本人が多いような気がしますが、禅から学ぶという事は、自然の営みから学ぶところと深く共通する所があります。そういった禅の“本質”ともいうべきところを、生き方の手本とする事は、万人の助けとなる事と思います。

道元禅師の『典座教訓』は言うまでもなく素晴らしいのですが、ちょっととっつきにくい、難しそう……と尻込みしてしまう方も多いかと思います。そんな方や、禅には興味がなくとも、お料理好きな方には是非この本を!
もちろん、禅に関心があるという方にも、禅語の本を読むのも良いのですが、こちらもまた、オススメしたい一冊なのです。

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『ブッダを知りたい。』(学研ムック)




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『ブッダを知りたい。』

「禅が好き」とはいっても、仏教の原点、お釈迦様の事はどこまでも色々と知りたい。
様々な本を読んでいますが、先日本屋さんでみつけてしまいました。
表紙をめくると、インドはアジャンター石窟の蓮華手菩薩が。あぁ、懐かしい……。

世界各国の仏教の聖地。お釈迦様ゆかりの地。豊富なカラー写真で詳しく解説されています。見ているだけでもわくわくして、次はどの地を訪ねようかと夢膨らみます。
もちろん、その他ブッダに関する事が盛りだくさん。
オススメします!

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『利休に帰れ』里文出版 立花大亀老師著




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今、里文出版さんの『利休に帰れ』立花大亀老師著を読んでいます。
日本の伝統芸能や、道の稽古などに精通されていた老師のお話は、私のように浅い知識ながらも稽古を続ける者には、広く深く教えを賜る事となり、茶の湯を稽古する者には必読の書となっています。
ですがまた、茶の湯の稽古をしている云々関係なく、皆様にオススメしたい本となっています。なぜならば、茶の事を語る事によって、その話は様々な世界へと繋がっているからです。茶の湯の稽古とは、結局は自己をみつめ、自己と世界や他者との関わり、繋がりを学ぶ事になりますので、この書は、禅の入門書のような一冊とも言えるのです。

さて、その本の一節にハッとする御言葉がありました。老師のご先祖さまは堺の商人であったとか。鉄砲や貿易などで潤ったものの、結局時の権力者によって利権を剥奪され、落ちぶれてゆくしか無かった堺という町の事を書いたあとに、

堺が堺を滅しました。私の祖先は新兵器で堺をうるおし、堺を滅せしめました。私にはこの先祖の教訓がだれよりも身にしみ込んでいるのです。すなわち日本をして第二の堺たらしむるなと。

とありました。2005年に遷化(高僧が亡くなる事)された大亀老師が、既に今の日本を見抜いていらっしゃるかのような言葉に、少し身震いがしたのでした。兵器として使われればもちろん地球滅亡でしょうが、そうでない利用に関しても、どうでしょうか。
妙心寺さんが、〔原子力発電に依存しない社会の実現〕を宣言されています。

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『木を植えた男』ジャン・ジオノ原作 フレデリック・バック絵




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人びとのことを広く深く思いやる、すぐれた人格者の行いは、
長い年月をかけて見定めて、はじめてそれと知られるもの。
名誉も報酬ももとめない、まことにおくゆかしいその行いは、
いつか必ず、見るもたしかなあかしを、地上にしるし、
のちの世の人びとにあまねく恵みをほどこすもの。
   『木を植えた男』あすなろ書房より


私の友人がブログで紹介していて、「この絵本は私の永久蔵書に加えるべき!」とすぐさま求めました絵本です。

私も例外ではないのですが、このスピード感溢れる時代の流れに慣れすぎてしまったせいか、現代に生きる多くの人の1つの特徴として、すぐに目に見える、手に取れる結果や答えや評価を求めたがる傾向があるように思います。
そんな自分への戒めとして、時にこの絵本のページをめくるのですが、なかなかどうして、、、
上記の冒頭文にある、“おくゆかしい”ということばも、死語になりはしないか…と思う反面、そういう方に出逢った時の嬉しさや感動は倍増で、「やはり美しいものだなぁ」と思うのでした。
大人にオススメしたい絵本のご紹介でした。

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サーフィンと禅 ガイアシンフォニー第四番




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いつ頃からか、私は“サーフィン”というものに興味を抱いています。海で波に乗るあのサーフィンです。

サーフィンの事を考えながらヨガのお稽古に行ったある日の事、ヨガの先生がレッスン前に「さまざまなものに抗う事無く、沿って生きてゆく生き方」についてお話されていた際に、サーフィンの話になりました。
波を征服しようと思っても波に乗れるものではなく、波に沿う、一体となる事が大切という意味から、ヨガとサーフィンどちらもをされている方は多いのだとか。

また、サーフィンをする知人が、「波に乗れた時の感覚は、坐禅をして気持ちよくなった時の感覚と同じなのではないかと思って、禅の本を読んでみた事がある」と……。

そして先日、ガイアシンフォニー第四番のDVDを観ました。出演者がどういう方達かを知らぬままに観たのですが、伝説のサーファー、ジェリー・ロペスが登場し、これまた非常に興味深い事を多々お話されていました。

「まさに波に乗っている時は、仏教や禅でいうところの“空”というものに近いのかもしれません」。
「サーフィンは、一種の深い宗教体験です」。
「サーフィンによって、本当の自分、自分自身の中にある静寂に触れ、その事が、絶対的な安心へと自分を導いてくれるのです」。
「波に沿う事ができるようになると、その後は調和(ハーモニー)を学びます。そこから学んだ調和を家庭生活にまで落とし込んで来るのです」。

また、彼はヨガもされていて、「ヨガには、人類の叡智が詰まっています」とも仰っていました。本当に私もそう思います。


さて、何故かイメージ的に“サーファー”というと、遊び人、ちゃらちゃらとしている…などと、勝手な想像を抱きがちですが、知人が言うのには、身心共になかなかに過酷である為、格好だけで始めた人はすぐにやめてゆくのだとか。

ヨガに茶道、華道など、色んなものに手を出しすぎな感ある私ですが、スポーツで、似通った到達点を目指すように思えるサーフィン。私の好奇心をくすぐってやみません。
新しい事を始めるのに年齢など関係無い!今年の夏は過ぎ去ろうとしていますが、来年には必ずやデビューをと思っています。

*研究所のお仕事で御縁のあるお坊さんの中で、サーフィンをやっている方にまだ私は出逢ってはいませんが、これからちょっとアンテナを張っておこうと思っています。その方に、サーフィンと禅(宗教)の共通点など、お聞きしたいものです。お聞きしましたら、どなたも興味無き事かもしれませんが、また皆様にご報告させていただきたいと思います。

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般若心経(山田無文著)のオーディオブックCD

禅文化研究所の初代所長でもある、昭和を代表する禅僧、山田無文老師。
弊所では『無文全集』をはじめ、老師の名著を何冊も刊行していますが、その中の一つに『般若心経』があります。
本書は、般若心経262文字に集約されている大乗仏教の真髄をわかりやすい言葉で解き明かしておられますが、これを、プロのナレーターが朗読したものがオーディオブックとして、このたび(2011/7/22)、パン・ローリング(株)より発売されました。
『[オーディオブック] 般若心経』(定価2000円〈税別〉)
CD4枚に、約260分の朗読が収録されております。また、先般刊行した、『臨済宗檀信徒経典CD』に収められている「般若心経」の読経も、このオーディオブックにも収められました。

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弊所でもお取り扱いをさせていただきます。ご注文はこちらから。お待ち申し上げております。

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石川周子写真集『龍山之思出』




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7/8日のブログにあった、弊所スタッフが訪ねた龍澤寺専門道場。そして、後藤榮山老師に語っていただいたのは、三人の老師方のお話でした。

わずかながらも龍澤僧堂に在籍した小衲には感慨深いのですが、そんな折、偶然にも偶然、ある一冊の写真集が7月12日に上梓され、縁があって手元に届きました。

それがこの、石川周子写真集『龍山之思出』(幹書房発行 ¥5,250)です。
龍澤寺の創世記かつ黄金期の様子を、ご実家が沼津市にあって龍澤寺の信者さんであったという、かの石川周子氏が若き頃に龍澤寺に通ったり泊まったりして、僧堂生活に密着し撮りためておられたものを集めた写真集なのです。

他の僧堂のことはあまり知りませんが、龍澤僧堂は近隣の人たちと密着していて、信者さんや檀家さん達が典座に出入りしては、手伝いをしてくれていたり、子供達が遊びに来て雲水と親しくなったりするというようなことがありました。
そういうオープンな様子が、そして、厳しい禅の生活の中にかいま見られる大らかで暖かい様子が、この写真集に溢れていると思いました。
それは、この写真集の中に収められている、山本玄峰老師、中川宋淵老師、そして当時雲水であった鈴木宗忠老師を始めとする古参の方々の表情に明らかです。
ノスタルジックと言えばそれまでですが、写真だけでなく、中川宋淵老師のうたも鏤められていて、見応えのあるいい写真集です。

裏表紙のこのすばらしい写真も、龍澤寺の近くの田園風景です。今はだいぶ変わってしまいました……。


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『東福門院和子の涙』宮尾登美子




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京都や奈良の寺社にてよく目にする“東福門院”という御名。
寄進者として目にするわけですが、その人については、徳川二代将軍の娘という事くらいしか知り得ぬ私でした。

大河ドラマが始まり、「そういえば、お江の方は二代将軍に嫁ぐのかぁ。待てよ。東福門院の母君はお江の方か!」と、ふと目にしたこの本、『東福門院和子の涙』(宮尾登美子著/講談社文庫)を手にとりました。
今年の大河ドラマはあらゆる意味で“やりすぎ”な感も否めません(あくまでも個人的な感想です)ので、様々な本からお江の方を知るのも良いと思います。

さらに彼女の末子である東福門院和子の生涯。かなり興味深いものがあります。
寄進者としての彼女しか知らず、「さすがは徳川将軍家から嫁いだだけの事はある。ものすごい財力だ」などとついイヤラシイ見方をしていましたが、武家から公家に嫁いだ彼女の苦労や強さなど、様々な面を知る事ができる一冊です。
まだ私も読んでいる途中ですが、皆様にもオススメします。

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『あしかび全集』和田重正 -職員オススメ本-




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皆さん、おはようございます(御挨拶をしたくなりました)。
いつもご覧いただき、誠に有難うございます。

さて、こちらでも何度かお話させていただいていますが、弊所の季刊『禅文化』にも何度か寄稿いただきました松田高志先生(私の卒業大学のゼミ教授です)には、大学を卒業してからも2ヶ月に1度、大学でゼミを続けていただいています。
さらに、ゼミ生だけではもったいない!と、京都の友人仲間にもその和を広げたいという思いから、先生におこしいただき、京都でもゼミを開催しています。ゼミと言っても、先生のご著書や、先生がコピーしてきてくださるプリントを読んで、皆で意見を出し合いお話をする会です。

そんなゼミで先日、松田先生が人生において大きな影響を受けた和田重正先生の『あしかび全集』第五巻「あとがき」の文章を拝読しました。

 実際、自己中心的な人生観や近視眼的な価値観に立って、幸せを求めて奮励努力し、一生を徒費する人が何と多いことか。人生観の基盤に誤りがあれば、もがけばもがくほど、努力すればするほどその人は不幸に陥って行くことは、われわれが目のあたりに、無数の実例を見ている通りであります。まことに恐ろしいことです。  私の人生観の骨子は、本文中でご覧の通り、「ケチな根性」という見せかけの自分に騙されないで、真心という全宇宙的基盤から催されて来る力に素直に従って生きるのが一番安心で、一番賢く、一番幸せなのだ、ということです。  それから、もう一つ重要なことがあります。すべての“ものごと”を固定させようとしたり、固定したものと看做(みな)したりしないことです。現在の学校教育とそれに支配される家庭での教育はほとんど、子どもの生活と思考を枠にはめ、固定させることを仕事としていますが、それは決して若者を幸せにする道ではないと私は信じています。

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『見知らぬ場所』ジュンパ・ラヒリ -職員オススメ本-




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例え家族であっても、恋人であっても、親友であっても、人の心の内はこんなにもわからない。それぞれが、それぞれの想いを抱えて生きている。

何気ない日常生活の内に、当たり前のごとく潜む人の心の機微を、繊細に文章に現した名著です。時に狂おしく、時に安心しながら読み終えました。

インド人の両親を持ち、ロンドン生まれ、現在はニューヨーク在住の彼女(ジュンパ・ラヒリ)が、自身のアイデンティティーを確かめる為に書かれたかのような数々の短編。オススメします。

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『スリランカで、ほっ』岩瀬幸代著 -職員オススメ本-




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豊かな自然と、美しい多くの仏教遺跡が残るスリランカ。
お釈迦様(仏教)大好き人間としては一度は訪れてみたい魅惑の国。

そんなわけで、最近スリランカ関連の本を色々と読んでいます。
今回は、岩瀬幸代さんの『スリランカで、ほっ。仏教は心のアーユルヴェーダ』

インドから仏教が伝わったのと同時にアーユルヴェーダの智慧も伝わり、総合的に人を“癒す”役割を担ったスリランカの寺院。そんな寺院と、その周りに暮らす人々の濃く深い繋がりがよくわかる一冊です。

近隣との揉め事があればお寺へ、体調を崩せばお寺へ(アーユルヴェーダや伝承医療の施術可能な僧医がたくさんいるようです)、人生相談の為お寺へ(スリランカに古くから伝わる占星術だってお手のもの)、なんとなく不安を抱えたらお寺へ、身体と心の健康を保つ、つまりは物質的な豊かさではなく、本当の意味でより豊かに、より良く自分の生を生きる為に欠かせない拠り所として、村の中心部に寺院が存在するようです。

東日本大震災後にこの本を読んだ事は、タイムリーだった気がします。
私達のエネルギー消費はこのままでいいのか、物質至上主義は、どこか違うのではないか、生き方をみつめなおそう、その様なことを皆さんお考えになったかと存じますが、私もそうでした。

日本はいわゆる経済的な発展途上国に多額の援助をしています。スリランカもそういった国の一国ですから、どこか「遅れている国」と見ている人も多いかもしれません。
実は全くもってそんな事は無く、この国にお釈迦様がいらした時代から続く仏教の在り方や珠玉の智慧、自然との繋がりなどから、私達が今後の生き方を考える上で学ぶ所は多いはず……と私は一人確信し、妙に興奮してしまいました。

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自分の感受性くらい




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ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

「自分の感受性くらい」茨木のり子

作家の岡田斗司夫さんがツイッターで下記のように発言されていたようです。これを読んでいたらなぜか茨木のり子さんの詩を思い出したので、ご紹介してみました。

まず、ニュースは一日3回しか見ない。新聞の朝刊と夕刊、あとは昼間にテレビのニュースを見るだけ。これ以上の「事情や情況を知ろうとする気持ち」は、自分自身のエゴだと思う。被災の当事者でもなく、東京に住んでる僕はどんなに当事者風に心配してもやっぱり部外者だ。

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“禅”ってなんでしょう。 -職員オススメ本-

このブログの読者の方には、「禅に興味を持って、色々検索したら辿り着きました」と、有難い事にそういった理由から毎日楽しみにしてくださっている方々がいらっしゃいます。

では、一体禅って何?どこから勉強すればいいの?などと思う方も多いのではないでしょうか。易しく解説された『無門関』や、『臨済録』などを読むのももちろん素晴らしい! まず行動をと、坐禅会にゆかれるのも素晴らしい!

でも、もしかすると、この、“言葉では言い表せない世界観”を一番よくわかってもらえるのは、この方の生き様について書かれたこの本かも知れないなぁ……と、ふと思った次第です。
『森本省念老師〈下〉回想篇(燈影撰書)』

永源寺派管長の篠原老師は、この方の生き様を見て、腹の底から良いなぁ…と思われて出家を決意されたのだとか。私もインタビューに行かせていただく前にこの本を読み、またたく間に森本省念老師に惹かれてゆきました。
是非ぜひ、皆様にオススメしたい一冊です。

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『ヨーガ禅道話』人文書院  佐保田鶴治著




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家人から「読んでみれば?」と勧められていても、ヨガを始めるまでは全く興味の無かった佐保田鶴治先生の本。『ヨーガ禅道話』(人文書院・佐保田鶴治著)
自身がヨガをするようになり、初めて手に取ってみました。

講演の記録などをまとめたこの本は、易しいながらもヨガの真髄が語られていて、自身がヨガをする上での導きとなるような言葉が随処に。

長年虚弱体質で、健康とは無縁と言っても過言ではなかった佐保田先生が、ヨガを始めた事によって知った健康の喜びから、「病院にゆくのは死ぬ時くらい。それ以外の病はヨーガで全て必ず治すくらいの信念が必要。ヨーガを信じれば良いのです」というような事を仰っていて、“信”とは、やみくもに何かを信じるのではなく、自身の実際の体験から築いてゆくもの、深めてゆくものなのだと教えられました。
また、日々の暮らしにおいて何をするにしてもそれは「ヨーガを行ずる事」でなければならないというお言葉に、茶道と通ずる所を感じました。何をしていてもヨーガ、何をしていても茶のある人。一生をかけて目指す所でしょうか(はたして一生で足りるのでしょうか……)。

季刊『禅文化』の次号(4/25発刊)では、不定期連載として私が書かせていただいている-技を訪う-にて、ヨガから得た悦びについてを書かせていただきます。
今まで職人さんばかりを採りあげてきましたが、今回はなぜかヨガ。何でもありみたいですね……。ヨガも技であるという事で上からOKが出ましたので、ヨガの素晴らしさと、私が出逢ったヨガの先生について、さらには坐禅との繋がりについてなどを書いてみました。

ちなみに、この『ヨーガ禅道話』の表紙の曼荼羅は、前田常作先生によるものでとても美しい曼荼羅で、印象的です。ヨガをされている方や医療関係の方には特に読んでいただきたいと思いました本のご紹介でした。

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『スリランカに学ぶ アーユルヴェーダのある暮らし』-職員オススメ本-




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私が訪れた事の無い国の中で最も注目の国、スリランカ。
何よりも興味を持っているのが、数多く残る仏教遺跡。そして豊かな自然や大好きなヌワラエリアの紅茶、アーユルヴェーダに伝統医療ヘラウェダカマ。豊富なスパイスを用いたヘルシーな料理。何かにつけて魅惑的すぎる国です。

そんなスリランカのアーユルヴェーダ本のご紹介。
『スリランカに学ぶ アーユルヴェーダのある暮らし』エスプレ刊
アーユルヴェーダの世界は、専門の医師資格があるほどに奥深く難しいのですが、詳しく勉強をした事の無い者にとっては、美しい写真満載で、すぐに日々の暮らしに取り入れる事のできるマッサージ法や呼吸法、体質別の食事や食材についてが易しく書かれ、非常に読みやすく気に入りました。
スリランカを訪れる際に施術してもらいたいアーユルヴェーダの療法などについても詳しく、とても参考になります。

また、シンハラ人の土着の伝承医療法であるヘラウェダカマについてはこの本で初めて知りましたが、代々一族で受け継がれる医療法で、スリランカのアーユルヴェーダは、こちらの影響も色濃く受けているようでした。
診療前には祈りを捧げたり(アニミズム的要素もあるようです)、仏教信仰とも深く関わっており、病を病そのものだけ取り出して看るのではなく、宇宙の中の地球に、自然と共に暮らす我々というものを考えた上での“繋がり”を感じる、とても視野の広いもので、やはり今後の医療界でも無視できない東洋医学の叡智の素晴らしさをひしひしと感じました。時に占星術や宝石のパワーを用いた宝石療法なども治療に取り込まれるのだとか。

“聖なる光輝く島”という意味のスリランカ。様々な輝きを放ち、私を魅了してやまない国。訪れる日を楽しみにしています。

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『小説 ブッダ いにしえの道、白い雲』 ティク・ナット・ハン著




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以前にもこちらでご紹介しましたが、読み終えてからの感想が遅くなりました。
4月に来日予定のティク・ナット・ハン師の『ブッダ いにしえの道、白い雲』(池田久代訳)。

根本的な仏教の教えや修行法が細かく丁寧に書かれ、まるで自身もこの時代の在家の信者か比丘尼にでもなったかのような気分で釈迦の説法に耳を傾ける事ができました。

釈迦を通して、ティク・ナット・ハン師の仏教者としての在り方や考え方も随処に盛り込まれており、彼の講演やリトリートに参加したり、フランスのプラムビレッジを訪れたいのであれば、この本を読んでいるとスッと入ってゆけるに違いないという印象を抱きました。講演会にご来場いただく皆様には是非ともオススメしたい一冊です。

終始一貫して、文章も世界観も美しく、読み終えた後もずっと心にその余韻が残り、響いている感覚があります。

ブッダ伝については、どの経典のどの部分を選ぶかによって多少の違いが出てくるのは否めない為、様々な人が書いた物を読むのが良いと思います。私個人的には、どれを読んでも嬉しく楽しく、涅槃に入られる時はどうしても涙してしまいます。

【おしらせ】
京都講演は受付を終了させていただきましたが、横浜講演・リトリートは受付中です。
さらに、東京講演が追加されましたので、御案内致します。是非お運び下さい。


-ティク・ナット・ハン来日記念 東京講演-

『怒りを抱きしめる。食べるを慈しむ。』

■2011年5月7日(土)13:00開演(12:30 開場 )
■会場:日比谷公会堂
■予約受付
チケットぴあ:0570-02-9999[Pコード 618-829]
チケットピアHP
■入場料: 前売(全席指定) 2,000円 /当日2,500円
■お問合わせ:サンガ 電話 03-6273-2181 メールする
東京講演特設HP
■主催 (株)木楽舎 (株)サンガ

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『利休にたずねよ』




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茶の湯の稽古をしていながら、今頃読んでみました。

物語は、利休居士切腹の前日から始まり、何故切腹という最期に至ったかを、利休居士と周辺の人々との様々な出来事を綴り、遡ってゆく設定。
ありそうで無いようなこの設定に読者はひきこまれてゆきますし、美しい文体と表現力も手伝って、非常に読みやすい本です。が、読んでゆくと、色々な意味で少しくどさを感じました。

様々な“利休像”というのがあり、それは茶の湯を稽古する者一人一人違うかもしれませんし、歴史研究家や小説家などの間でも違ってくるでしょう。
自分の中で考える利休像というのは、誰にも侵されるものではありませんし、私は色んな方の書いた利休居士についての本を読んだり、自身が茶の湯の稽古をする中で、そこから様々を感じ取り、自分の中の利休像をかためてゆきたいと思います。

お茶の世界の事は色々と言われる所がありますし、「お茶なんていうものは習うものではない、自分流が一番」との声を耳にする事もあります。それは確かに正しいのですが、そのセリフの中に、茶道を習った事も無いのに、茶道会を批判する含みがあるならば少し疑問を感じます。こういう方にはよく遭遇します。

流派について、私の尊敬するある人が、「流派に入る事によってこそ、流祖の悟りが流れてくるのであって、自分の中にもひょっとすれば悟りというものが生まれる可能性がある」と言いました。それは、仏教や禅の世界においても言えるところで、このあたりについても、今後考えを深めてゆきたいところです。

『利休にたずねよ』山本兼一

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井戸水のふしぎ




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時間がある限り、神社へ井戸水を汲みにゆき、料理やお茶を飲む際に使っています。
凍て付くような寒さ、そして清らかな神社の空気の中、ペットボトルに水を入れるとほんのり暖かく、幸せな気持ちになります。

この事を友人の息子君(3歳)にお話していて、「なんで井戸水はあったかいの?」と聞かれ、はて、「井戸水は冬はあたたかやし、夏はひんやり冷たいわぁ」というようなセリフを当たり前のように聞いていただけで、何故かを考えない、知らないまま、当たり前の事としてきました。

考えてみればごもっともで、そりゃそうだ…という話なのですが、外気の影響を受けないからですよね。地中にあるわけで、常に14~16℃で保たれている為、水温は一定なわけです。暑い夏にはひんやり感じ、寒い冬にはあたたかく感じる。

子どもの「なぜなぜワールド」に耳を澄ませば、大人でも日々色々な発見や気づきがあるもので、知っているようで知らなかった事をきちんと知る機会を与えられたり、忙しい事を理由に失っていた感覚を呼び戻せる事があります。
「気づき」の無い世界に生きる事への戒めを、お釈迦様をはじめ、数多くの祖師方も仰ってこられていると思います。

センス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見張る感性)を忘れずにいたいなと思う今日この頃。世界は美しく神秘的で、不思議に満ちています。
大学生時代からのバイブルともいうべき、この本をオススメしたいと思います。

『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン

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『小説 ブッダ いにしえの道、白い雲』 ティク・ナット・ハン著




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4月の来日を楽しみにしながら、『小説 ブッダ いにしえの道、白い雲』(ティク・ナット・ハン著 池田久代訳/春秋社)を読んでいます。

読み終えてからの感想もまたお届けできたらと思っていますが、まず、インドのカースト制度、バラモン・クシャトリア・バイシャ・シュードラにも入らないとされる、更に最下層の不可触民であったスヴァスティという少年が、ブッダに出逢い、出家するまでに至った機縁からこの物語は始まります。

修行僧となったスヴァスティの目を通して語られるブッダの来し方。今までに私が読んだブッダの生涯を描いた小説とはまた視点が違い、新鮮でとても面白いものです。

また、ベトナム戦争によって、自らも我々の想像を絶する困難を乗り越え、修行され、世界各国で教えを説かれるT.N.ハン師だからこそ描ける、修行や悟りについての事細かな描写、経典からの引用、詳しい仏教思想など、単なるブッダの生涯を描いた読み物的小説とはまた違う奥深さがあります。
是非皆様にもおすすめしたい一冊です。

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『笑う禅僧―「公案」と悟り』 安永祖堂著




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『笑う禅僧―「公案」と悟り』安永祖堂著


「最近、気が晴れないし、坐禅でもしてみようか」
「うちの息子、ぐうたらで根性なしやさかい、坐禅でもさせてみよか」

そんなとんでもないこと "やめておきなさい" とは司馬遼太郎さんの言である。司馬さんは、禅は危険な思想だと言う。


昔、マルクス主義が危険だと言われた時代がありましたが、(禅は)もっと根源的な意味で、人間として最も危険な、劇薬の部分を持っています。いいかげんな者が禅をやってはいけないと私は思っています。(本書98頁)

司馬遼太郎のこの言葉を、著者は、抑下の托上、つまり、この上ない褒め言葉だと言われる。


劇薬とは効き目の強い薬物であり、もっと効き目が強くなると毒薬になる。要するに、用いかたによっては薬にもなれば毒にもなる。司馬は「禅は効き目のある劇薬」という言い回しで、そのことを言いたかったのではないだろうか。

禅はどのように効き目のある劇薬か。
本書に取り上げられているのはそのことである。
世間で「禅問答のよう」と言われるチンプンカンプンな話、禅家でいう「公案」とはどんなものなのだろう。たとえば「趙州柏樹子」の章。

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蘇る大通禅師




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大河ドラマで人気らしい「龍馬伝」の原作、『竜馬がゆく』を読んだのは学生になりたてのころだったと思う。初めて手にした歴史小説だったが、すっかり竜馬に魅了されて友人たちに読むように勧めてまわったのを昨日のことのように思い出す。しかし、その後は、必要に迫られての読書に追われて、長い間、歴史物は読まなかった。

研究所がDVDの作成などでお世話になっている映像作家の児玉修さんから、新著『天翔ける白鴎―愚中周及の生涯』(思文閣出版、2010年10月発行)を頂戴した。13年ほど前に、大本山佛通寺開創六百年記念大法要が営まれた際、映像記録作成を担当された児玉氏から、開山である大通禅師(愚中周及)の生涯を絵にすることの困難をしばしばお聞きしていて、まことに限られた資料のなかで、七百年近い昔の一人の人間の生涯を組み立てるのは、気の遠くなるような作業だなと思った記憶がある。

頂いた本を帰りのバスのなかで読み始めたら止まらなくなって、翌朝職場に向かうバスの中で読み終えた。面白い。筋の立て方も秀逸だし、何より文章がほんとうに素晴らしい。愚中禅師の年譜にも載らない空白の十数年、その間の修行専一の禅師の日々が見事に蘇っている。長い間、おそらくは敬愛とともにその足跡を追い続けられた著者の、祈りにも似た禅師の姿が浮かび上がっているのだ。それが事実かどうかなどという問いはいかにも陳腐に思える。真実が緊(ひし)と身に迫ってくるからである。

司馬遼太郎氏の作品と比べて、遜色ないかもしれないなと、ふと思った。
しかし何より、私自身の易きに流れる安逸の日々への深い警鐘となる一書をいただいたことが、とても有り難かった。

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所長記事掲載雑誌のご紹介 -講談社『セオリー』-




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所長・西村惠信の記事が掲載されている雑誌のご紹介です。

講談社『セオリー』 -特集・幸福な死に方-
錚々たるメンバーによる「幸福な死に方」とは「死とは」……が語られており、所長も実に素晴らしい内容であると仰っています。
表紙を少し確認したところ、案外具体的に死を迎える方策などが書いてあるのでしょうか?!
是非本屋さんで手に取ってみてください!

さて、皆さんは「死」についてはどう考えていらっしゃいますか?
私は、生きているものがあーだこーだといくら望んだところで、こう死にたいという願望は叶わぬもので、“今”の連続を真摯に正直に生きていく事のみが、最期を決めるのだろうと思っています。
……なんて格好の良い事を言ってみつつ、なかなかに“今”を大切にできていない事が多いですし、実際、いつ死ぬかはわかりませんが、そういう事を考える年齢に達したのなら具体的な事を考えるべきでしょうか。

まだ私も読んでいませんが、本屋さんに行ってみようと思います。

ちなみに、この雑誌の編集者は、弊所の新刊『生き方。死に方』(西村惠信著)をみつけて、執筆依頼をしてきたと聞いています。

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『呼吸の本』




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 先日も少しご紹介しました『呼吸の本』(刊行:サンガ/呼吸の先生:加藤俊朗 詩人:谷川俊太郎)。
この本、私の感想や言葉、内容をここで並べてオススメするような感じの本でもありませんし、また、そういった気分でもありません。
“なんとなく気になった方”のみ、本屋さんで手に取ってみてください。そういう方にオススメします。

注:非常にやる気の無い記事のように思われるかもしれませんが、いいえ、そうではないのです。お許し下さい。

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呼吸と空




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御所から見る夕焼け

まださほど人生の荒波を超えたとも言い難い若輩者の私。
それでも今までの人生で一番とはっきり自覚できるほどに苦しかった時、あるマダムに「○○ちゃん、人は呼吸が深くできてさえいれば、たいがいの事は乗り越えられるものなのよ」と言われた。

「そういえば今の自分の呼吸は浅いかもなぁ。そもそも苦しすぎてそんなものを意識する余裕すら無い。魚が陸に打ち上げられてあっぷあっぷしているような状態だもの。本当にそんな事(深い呼吸)で乗り越えられるのだろうか」と半信半疑であった。

それでもなんとなく、自分の呼吸が浅いなと思いハッと気づいた時には深呼吸を心がけ、坐禅をしに行ってみたり、大好きな場所、御所や比叡山を眺められる鴨川沿いのベンチなどでゆっくり呼吸をしてみるよう心がけた。

そして何となく峠を超え、「“呼吸”って一体なんだろう?これはやはり何かあるな」とはっきりと気づいた頃から、様々な情報が私の元へ集まり出した。
中でも印象的だったのは、DVDで観たガイアシンフォニー・地球交響曲第2番に登場する、ジャック・マイヨールの言葉。

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男らしさ




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「あの人は男らしいね」「あいつは女のくさったようなヤツだ」とかいう言葉は、「ジェンダー(社会的性差)論」や「女性学」がすでに目新しくない昨今でも、立派に横行している。それでと考えてみる。「男らしさって何だ?」「女のくさったのってどんなん?」 すっぱりと答えの出せる人は意外にというか、当然多くはないだろう。「らしさ」というのは「なんとなく」の域を出ない漠然としたものだからだ。しかし、らしさ―「男らしさ」「子どもらしさ」「女らしさ(これには違和感をもつ人も多少はあるかもしれないが)」―という言葉は、考えてみれば「なんとなく」どころではない底力を持っているのかもしれないのだ。

先般、面白い本に出会った。『大日本帝国の「少年」と「男性性」―少年少女雑誌に見る「ウィークネス・フォビア」』(内田雅克著、明石書房、2010年6月発行)である。「ウィークネス・フォビア(weakness phobia)」とは筆者の造語で「「弱」に対する嫌悪と、「弱」と判定されてはならないという強迫観念」だと定義されている。「フォビア」といえばまず頭に浮かぶのが「ゼノフォビア(xenophobia、外国(人)嫌い)」だが、狭量な視野から生じたステレオタイプな偏見という含意が自ずと浮かんでくる。

本書は副題が指し示しているように、戦前の、少年少女雑誌の記述を通して、どのようにウィークネス・フォビアが形成され、変容し、再編されるに至ったかを検証する。取り上げられる雑誌は、『少年世界』(1895年創刊)、『日本少年』(1906年創刊)、『少年倶楽部』(1914年創刊)および『少女世界』『新少女』『少女の友』などである。画像や記述の分析を通して、いかに「男らしさ」という実体のないイメージが構築されていったのか、どのようにしてそこに正義という「根拠のない価値づけ」がなされたのかが次第に浮かびあがる。戦時には「強い日本男子」、軍縮時代には「弱さ」に対する寛容、「軍靴の音が忍び寄る時代」の到来で、再び「強さ」のイメージが復活する。そこに体制側の思惑や世相が反映されてゆくさまが本書においては見事に可視化されている。

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「出会う」ということ




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ユダヤ人作家、エリ・ヴィーゼル『夜』に出会ったときの衝撃は忘れがたい。
『夜』は、第二次大戦中、自らが移送されたアウシュヴィッツ第二収容所(ビルケナウ)の証言記録である。高い文学性を備えた本書はすでにホロコースト文学の古典となっているが、証言の不可能を突き破った語りは、読者を否応なく出来事の「当事者」にする。証言を受け取らないという道が絶たれているからである。

解放後、ヴィーゼルは、このホロコーストという「出来事」についてはけっして語らないと心に誓っていた。そのヴィーゼルに書き記すことを促し、翻意させたのは、敬虔なキリスト教徒でありすでに著名な文学者であったフランソワ・モーリアックである。

ヴィーゼルのエッセイには二人の最初の出会いが極めて美しく記されている。
敬虔なキリスト教徒であったモーリアックは、ヴィーゼルに、彼の信仰上の根本命題である、神の一人子イエスについて、その偉大さ、神性、十字架上の死について語る。しかし、それがヴィーゼルを激しく傷つける。2千年も前の一人のユダヤ人の死が、十年ほど前の六百万人のユダヤ人の死よりもかくも重いものであろうか、と。ホロコーストはキリスト教圏で起きている。ヴィーゼルが、作品を通じてはっきりと言明しているように、大量虐殺はキリスト教の背景を抜きにしては考えられない。しかしヴィーゼルの怒りに対するモーリアックの態度は、 ヴィーゼルを狼狽させるほどに真率なものであった。彼は、「唇に微笑をたたえたまま、 涙をぬぐいもせずに」ヴィーゼルの言うことに耳を傾けたのである。モーリアックは、 戦前から反ファシズムの論陣を張り、 第二次世界大戦中は、 レジスタンスに参加していた。このことをヴィーゼルは十分承知していたが、 何よりもヴィーゼルを突き動かしたのは、この老作家の率直さといさぎよさだった。老作家はエレヴェーターまでヴィーゼルを見送りにきて、彼を抱き締めたあと言う、「このことを話さないのは間違っている。話すべきです、それでも話すべきです」。
 
真の「霊性」の出会いとはこのことか。ヴィーゼルはこれを契機に語り始める。
やがて証言は、時空を経て私のもとに届く。モーリアックとヴィーゼルの出会いが私において成就するのはまさにこの時なのであろう。

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朝鮮の壺 -高麗美術館-




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雨の中、京都市北区にある高麗美術館へと足を運んだ。
韓国の石文化を意識して作られた庭は、石たちもしっとり、また違う風情で一段と美しく……。

現在、-朝鮮の壷-と題して、様々な時代の、様々な人々に、様々な用途で使われた壷壷壷!が展示されている(4月4日まで)。
身分の差による作りや描かれる画の違いなど、興味深いものだが、雑器のような壷にはまたその壷の良さがあり、朝鮮のこういった類のものを見ていると、日本に民芸運動をもたらすきっかけとなったのだ……と感慨もひとしおである。
民芸運動といえば、まず柳宗悦を思う皆さんが多いとは思うが、その前に、浅川伯教・巧兄弟の存在があったことを忘れてはならない。
もう10年も前になるだろうか……李朝の白磁に興味を持ちながらも何も知らなかった大学生の私であるが、ある骨董屋の店主から、日本の植民地統治下の朝鮮に渡り、朝鮮の人々にこよなく愛され、朝鮮の大地に眠る事となった浅川巧(たくみ)さんの生涯を描いた小説、『白磁の人』を読んでご覧なさい……といただいたのが懐かしい。

高麗美術館や、東洋陶磁美術館など、朝鮮の物が多く収蔵されている美術館に行かれる前には、是非とも読んでいただきたい一冊である。
余談だが、高麗美術館までゆかれるのなら、茶室建築の巨匠、中村外二工務店が手がけた茶室のような空間の店舗をもつ、御倉屋の和菓子を買いにゆかれる事もオススメしたい。また、和菓子よりも洋菓子!という方には、その並びにある、ドイツ菓子マイスターの店主が作るズーセス・ヴェゲトゥスのバームクーヘンをオススメしたい。まさに本場ドイツと同じ味!で、店主の人柄も素晴らしく、大変気に入っている店である。

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『坊主DAYS』 -職員オススメ本-




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世の中のみなさんは、お坊さんに対してどんなイメージを抱かれているのだろうか?
「生臭坊主」とか「坊主丸儲け」というような厳しい評価はもうすっかり定着(?)してしまっているような感もあるが、たとえばテレビで禅宗専門道場の修行について放映されると、かなり反響がある。
「うちの和尚さんはざっくばらんに見えても、あんな凄い修行をやってこられたんだなあ」と認識を新たにされる檀家の方も結構多い。
つまり日本の寺や僧侶については、檀那寺に関してさえも、案外知られていないのが現状ではないか。昨年暮れに『坊主DAYS』(杜康 潤〈とこう じゅん〉著、新書館発行)というマンガ本が出版された。
著者の実家は臨済宗のお寺で、お兄さんが住職を務めておられるようだが、この本には自分が育った寺の行事や日常生活、お兄さんの修行のことなどが、実に分かりやすく正確にユーモラスに描き出されている。
日本の禅宗寺院の実情は、これを一読すると結構理解できるのではないかと思われるほどである。西欧諸国を形作っている文化・文明はキリスト教を抜きにしては語れないが、「日本の仏教も人々の日常に深く入り込んでいて、これを抜きにして日本人の思考形式や日本文化を考えることは難しい」と、日本学を専攻している外国の研究者たちが努めて日本仏教を知ろうとする傾向にあるのは、研究所の仕事を通して日々実感していることだが、この一冊は、日本人がそれを再認識するのに結構役に立つのではないかと思われてくる。

著者は早稲田大学の出身で、このマンガがデビュー作のようだが、この作品で、かなり真面目に的確に客観的に、現代日本における仏教という現象とその底力(そこじから)を描き出されているように思われる。
一冊777円。仏教的なものに真っ向から反対することも、また無批判に受入れることもできない方々に、是非オススメの一書である。

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神谷美恵子が残したもの -思文閣美術館-




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「なぜわたしたちではなくあなたが?あなたが代わって下さったのだ」。
当時、差別を受け、身体のみならず、心も患っていたハンセン病患者の希望の光となり、その治療に生涯を捧げた精神科医・神谷美恵子さんが長島愛生園を訪れた際に詠んだ有名な詩の一文です。

現在、思文閣美術館にて、「神谷美恵子が残したもの」が開催中です(12/20まで)。

神谷美恵子さんといえば、我が母校にて教鞭をとられた事もあり、また私のゼミでは彼女の著書が課題図書でした。
学生時代、『人間をみつめて』(朝日選書)の一文、

「生命への畏敬ということをシュヴァイツァは言ったが、私は宇宙への畏敬の念に、このごろ、ひとしおみたされている。科学の武器をもってさえ、その全貌を把握できないこの宇宙の中で、私たちは“意識”ある生命を与えられた。この意識をもって宇宙を支えるものに賛歌をささげたい。それをささげうる心が人間に与えられたことを感謝したい。こういう広大な世界を、小さな心で思い浮べることこそ人間に与えられたおどろくべき特権であると思う。」

が特に大好きで、この本を繰り返し読み、また事あるごとにこの一文があるページをめくっていました。
栄西禅師「大いなる哉 心や」にも通じます。

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打算




秋の朝露

私の鍼灸師さんがかつて言ったことがある。
「配偶者を決めるとき、電車で足を組むような人は絶対やめといたほうがいいでしょう」
私は一瞬とまどった。そんな人は不遜な性格だという意味だろうか?
「足を組む癖のある人は早晩必ず大病します。身体に強い歪みがあるはずですから」
ちょっと目からウロコだった。配偶者を選ぶときに、身体の歪みのことを考える人はあまりいないかもしれないなと思って、ちょっと可笑しかった。

人間の関係を突き詰めると、どんなに密接な間柄でも微かな打算が入り込む。悲しいかな、親子だってそうだ。息子や娘の配偶者を探している親が、「自慢の息子です」とか「非の打ち所のない娘です」という場合、ほぼ例外なく世間のものさしが働いている。学歴、職業、収入、身体的美醜、性格の良し悪し等等。

医者だの弁護士だのという息子をもったおかあさんは、ただそれだけで、失業中で途方にくれている息子をもったおかあさんよりも、嫁選びの際には、ちょっとばかし鼻息が荒いというのが正直なところだろう。

ヘルマン・ヘッセに『デミアン』という小説がある。初めて読んだとき、母親と息子がこれほど美しく描かれた物語が他にあるだろうかと思った。もし息子がこんな母親を持つことができたら、至福以外の何物でもないだろうと思った。もし母親がこんな息子をもつことができたら歓喜以外の何物でもないだろうと思った。
母親は息子デミアンをも真に「正しく見」る「正思惟」の人である。そのことを完全に理解しているデミアンは母親について、「母は大丈夫です、世界でもっとも大丈夫な人です」と言う。不思議なことだが、デミアンは「私の」母だから母親を敬愛しているのではないし、母親は「私の」息子だから、デミアンを愛しているのではないように思われる。
二人の関係には、究極の打算である「私の」が欠落している。配偶者がデミアンであり、義母がデミアンの母であるような女性のことをふと思ってみる。「浮世」が遙か遠くに思われることだろう。

我に返って、このシャバで、浮世のものさしを考えたとき、さきの「身体の歪み」云々は、打算のなかでも比較的かわゆいものかもしれないなと、ふと思ったりした。

【第8回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅 参加者募集中!】

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『おむすびの祈り―「いのち」と「癒し」の歳時記』 佐藤初女著




季節のめぐみ 季節のめぐみ


季刊『禅文化』213号の吾が恩師、松田高志先生の『宗教と教育と私-「自分を生きる力」をめぐって-』に、佐藤初女さんの事が書かれてありましたので、皆さんにこの本をご紹介しようと思いました。

――ご存じの方も多いと思いますが、佐藤さんは、実に見事に、そして魅力的に自分を生きておられる方です。佐藤さんは、若い頃、重い結核にかかり、十分な医療もなく、辛うじて体にいい自然食と、教会の美しい鐘の音に導かれるように入信したカトリックの信仰によって、幸いにも健康を回復し、その後、悩みを抱えて訪ねてくる人々を受け入れ、手作りの山菜料理とおむすびでもてなし、元気になってもらうということを続けてこられました。 今は、青森県の岩木山の麓に、夢であった「森のイスキア」という山荘風の建物が多くの寄付によって完成し、もう一つの夢であった鐘も不思議な縁でアメリカの修道院から送られてきて、佐藤さんは毎日その美しい鐘の音を楽しみ、豊かな自然のいのちを共にいただきながら、訪れる人に元気になってもらうという日々を過ごされています。それが、実に美しい映像と音楽と、そして佐藤さんの訥々として語られる言葉によって、心の奥まで染み込んできます。自然のいのちをいただき、生きていること、健康であることが決してあたりまえのことではなく、真に不思議で有難いという喜びと感謝の深い思いから、自然体で、悩みを抱いて訪れる人をもてなし、その人が元気になっていく喜びを共にして生きている佐藤さんの姿……以下省略
季刊『禅文化』213号 松田高志『宗教と教育と私-「自分を生きる力」をめぐって-』より

『おむすびの祈り―「いのち」と「癒し」の歳時記』 佐藤初女著の続きを読む

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英訳 『納棺夫日記』

おくりびと

昨日、邦画「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を取った。意外というのが大方の反応だったらしいが、私は至極当然だと思った。極めて完成度の高い、凄い映画だったからだ。もちろんアカデミー賞を取らなくても、間違いなく映画史に残る作品だと思っていたけれど、受賞のニュースを見てやはりとても嬉しかった。

青木新門さんの『納棺夫日記』が出版されたのは1993年だが、2002年には、以下のように英訳も出ている:

Coffinman: the journal of a Buddhist mortician by Shinmon Aoki,
(translated by Wayne S.Yokoyama)

翻訳は、花園大学の英語教授、横山ウェイン先生。日系3世の横山先生は日本語もすこぶる堪能で仏教関係の翻訳も多い。発行はBuddhist Education Centerである。

映画が世界に進出したのだから、映画の元になった『納棺夫日記』も是非世界の人に読んで頂きたいと思う。

○英訳『納棺夫日記』はこちらから入手可能です。


○また中国語訳も出ているようです。
『納棺夫日記』淨覺訳、香港法雷念佛會発行、2003年


その他、研究所職員によるおくりびと関連のブログ記事は↓こちら。

セイタカアワダチソウ -青木新門『納棺夫日記』より-

映画 “おくりびと”

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セイタカアワダチソウ -青木新門『納棺夫日記』より-

セイタカアワダチソウ

「ススキが全滅しそうで、セイタカアワダチソウは好きじゃない!」と長い間思っていたのだが、何年か前、こんな文章に出会った。


「こちらへ来る途中見かけたのですが、セイタカアワダチソウ、すごいですね?」
「ああ、あの草ね」
「日本中、まっ黄色になるのじゃないですか?」
「いや、大丈夫ですよ」
「えっ、どうしてですか?」
「繁殖すると自分で出す分泌物で自家中毒を起こして自滅してしまう。一つ所に永く定着できない可哀相な植物なのです」
                          青木新門『納棺夫日記』より

それ以来、ススキに混じってセイタカアワダチソウが群生しているのを見ると、お友達というか、ちょっと知り合いに会ったみたいな気分になる。
上記の会話は、青木新門さんが、『納棺夫日記』で地方の出版文化功労賞を受けたとき、同じく農業に関する著作で受賞したある大学教授とのやり取りである。青木新門さんというのは、死体をお棺に入れる仕事をしていた人で、『納棺夫日記』を読んだときには隣りに座ってじっくり肉声を聞いたような不思議な気分だった。ちょっとした地主の息子さんだったのが、文学に走って(?!)身を持ち崩し、死体処理という凄まじい仕事をして、突き抜けられたのだと思う。「『仏は不可思議光如来なり、如来は光なり』と断言する親鸞は明解であった」とも書いておられる。
                           
「おくりびと」という納棺夫を描いた邦画が、米国アカデミー賞「最優秀外国語映画賞」にノミネートされたので、『納棺夫日記』のことを思い出し、それからセイタカアワダチソウのことを思ったのだった。

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宝彩有菜さんの新刊書

瞑想で始めるしあわせ浄化生活

宝彩有菜さんから新刊書が届いた。『瞑想で始めるしあわせ浄化生活』(毎日コミュニケーションズ刊)というイラスト満載の本である。いつものようにいい本だ。この書の「瞑想」とは「坐禅」そのもののことだが、「瞑想」の工夫が面白い。初心者向けの瞑想の手順は3つあって、
(1)集中(意識を集中する)
(2)気づき(出てきた思考、雑念に気づく)
(3)棚上げ(それを片づける。つまり浄化する)

このなかで「棚上げ」のやりかたには4つあるが、その1つが「ラベル貼り方式(まとめて別の名前をつけて、考えを止める方法)」というもの。つまりは出てきた妄想にラベルをつけて、棚上げするのである。ポコポコ湧いてくる考えや思いに、「お金持ちになりたい件」とか「美人化推進計画の件」また「商売繁盛の件」「無病息災の件」などと愉快な名前をつけていく。そうすると妄想にずるずる引きずりこまれないで、そこからあっさりと手をひくことができるわけである。坐禅で数息観や随息観が結構大変なことを御存知の方にはこの方法が画期的だというのはすぐにおわかりだと思う。

日々の瞑想を通して細かい工夫を重ねている宝彩さんは、乗り物のなかでも「定(じょう)」に入る。気づくと向かいに腰掛けている人が、どういうわけか眠り始めるという。「場」がゆったりとし始めるのであろう。不思議でも何でもない気がする。

第6回 西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 参加者募集中!
詳しくはこちらからどうぞ。

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播磨灘物語 -黒田如水邸趾-

黒田如水像(崇福寺蔵)

司馬遼太郎の『播磨灘物語』を読んだ。戦国時代の武将・黒田孝高(官兵衛)が、立身していく物語である。のちに出家して黒田如水と名乗るので、その方が有名かもしれない。官兵衛は「かんべえ」と読むものと思っていたが「かんひょうえ」と読むようだ。

黒田はもと今の滋賀県北部にある木之本町黒田の出身とされる。ただし、この時代の出身地については、信憑性に欠けることも多く定かではない。祖父の代に播州に入り、小大名である小寺家に仕え、官兵衛はのちに姫路城代となり、東には織田信長、西には毛利輝元の二大勢力の狭間に位置することになったが、早くから織田につくべく主君を説得し、また孤立もし、まさしく戦国の世の中を突き進んでいくことになる。
その後、中国地方の平定のために出向く秀吉の軍師として、その力を発揮していく。特に、備中高松城攻略の際の巨大な堤防を築いての水攻め、そして直後の本能寺の変を聞いての秀吉軍の中国大返しを進言したのは、この黒田官兵衛なのである。

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病気にならない生き方

研究所前の花壇に咲く水仙

幼なじみに強く薦められて、新谷弘美著『病気にならない生き方』(サンマーク出版、2005)を読んだ。
母を膵臓ガンで亡くしたとき、木をみてまったく森をみない現代医療に対して強烈な不信感を抱いてしまった私は、この書の著者が、大腸内視鏡によるポリープ切除を世界で初めて手掛けた権威ということで、読む前からちょっと引いていた。
昏睡状態ですべてを受け付けなくなっていた母の腕には最後まで点滴注射が打ち続けられ、腕は二倍もの太さに腫れ上がっていた。「どうしてこんな無意味な点滴を続けるのか」と詰め寄った私に、ある意味誠実だった主治医が「これが現代の最善の医療なのです」と言ったのであった。

新谷(しんや)先生は9万件以上のポリープ切除を行なってきたが、40年に亘って一度も「死亡診断書」を書いたことがないという。大腸ガンなどのシリアスなケースを多く手掛けながら、「ガンの再発率ゼロ」という結果を出してきたからのようだ。
本書は、「何を食べて、どんなふうに生活するか」を具体的に示すことによって、「病気にならない生き方」「病気を再発させない生き方」を説いたものである。しかし、「健康オタク」系の本ではまったくない。40年を越す臨床医としての経験からくる信念と「だれもがよりよく生きてほしい」という祈りが随処に感じられるのである。

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倚りかからず



鷺



先日、某所で雑誌をぺらぺらめくっていたら、あまりに有名な茨木のり子さんの「倚りかからず」が出ていました。

触れたのは久しぶりでしたがやっぱりいいなと思いました。
ご存知の方も多いと思いますが、以下に記しておきましょう。

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