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美しい坐相

 

140131-1.jpgページをめくり、ハッとしました。

今読んでいる本、『まあ坐れ』(著・小池心叟老師/直心禅会刊)にありました、小池心叟老師の坐相です・・・・・・。
修行を重ねられた老師その人の内深くからにじみ出る美しさ、静けさ、その輝きに勝るものなしです。このお姿を拝見し、懐かしい2つの事を思い出しました。

140131-2.jpg1つ目は、久松真一先生の『茶道の哲学』(講談社学術文庫)にある、先生が点前をされているお姿です。
茶道の稽古をはじめてまもない頃、兄がこの本を持ってきて「茶道をするのなら、こんなお点前ができるようになるといいね」と、見せてくれたのでした。この時もハッとしたのを覚えており、果てしない彼方にあるようなそのお姿に衝撃を受けたものです。

それ以来、この柄杓を持つ先生のお姿は私の深いところに記憶され、良きイメージを与え続けてくれています。

さらにもう1つは、以前おみかけした、とある僧堂で長く修行されている雲水さんです。
つぎはぎだらけの、藍の色も薄くなり麻そのものの色がわかるくらいになったぼろぼろの衣をお召しになられているというのに、ぼぅっと光り輝くようであまりに美しく清らかで、一瞬目を奪われ呆然としたものです。
研究所に入って間もなかった私は、「修行をされている方の中には、あのような方がいらっしゃるものなのか・・・・・・」と、これまた衝撃を受けたのでした。

140131-3.jpg日々の生活というものは、隠しようのないものとなってその人ににじみ出てくるという事ですね。その存在のみで、こちらにハッと気づかせて下さるような方々がいらっしゃる。そんな方々の輝きを感じ取れる自身でありたいと願います。
身が引き締まる思いが致しました。

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田中神社 -和歌山・上富田町- 

 

140130-1.jpg和歌山県にある臨済宗のご寺院が、遠諱法要に向けて寺史を刊行される為(こういった事に携わらせていただくのも、研究所の大切なお仕事の一つです)、写真撮影や宝物の調査にお邪魔していました。

140130-3.jpg昔のご住職が、近くの神社の祝詞まで作られていたのにはびっくりしました。神仏混淆の時代を色濃く感じます。その、祝詞を読んでいた神社の一つが、田中神社です。

明治の廃仏毀釈の折、隣にある神社に合祀される事が決まりましたが、神域には様々な固有の植物が生息していた事もあり、かの南方熊楠が神林を残す事を強く勧め、氏子達もその言葉を聞き入れ、今にその姿を伝えます。
かの柳田国男もその昔、「日本特有の風景」と表したとか。何を意識せずとも、ただただ、我々日本人の心の奥深くに訴えかけてくるものがあるのでした。

140130-2.jpg鳥居と共に在る立派な藤は、南方熊楠によりオカフジと命名されています

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由良の興国寺 -和歌山の名刹-

 

140129-1.jpg一般的に、醤油や味噌発祥の地として有名な和歌山県の由良町。
そもそもそれは、興国寺(臨済宗妙心寺派)の開山である、心地覚心(法燈国師)が宋から仏法を学び帰国される際に、一緒に金山寺味噌の製造手法を持ち帰り、それが醤油味噌の誕生のきっかけになったという事です。

140129-2.jpg私にとって興国寺は、岐阜の正眼寺の山川宗玄老師が兼務される寺院として色々とお話を伺った思い出、そして円覚寺管長・横田南嶺老師が中学生の頃、当時住職であった目黒絶海老師に参禅され、初めての公案として、「あなたの心をここへ持ってきなさい」と言われたお話を拝聴した事から、印象深いお寺として記憶されていたのでした。

140129-3.jpg南国独特の明るくパワー溢れる太陽、そして、まるで背後の山から龍がおりてきて、そのまま海へとかえってゆくのではないか・・・と思われるような素晴らしい気の溢れる山内。感動しました。

 

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季刊『禅文化』231号 発刊のお知らせ

 

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弊所発行の季刊誌『禅文化』、最新号が発売中です。

今季の特集では、昨夏ドイツで行なわれた「第十三回東西霊性交流」をテーマに取り上げました。禅宗とカトリックの様々な違い、意外な共通点など、日本の若き僧尼たちが約二週間にわたる修道院生活で得た気づきを紹介します。

「この特別のすばらしい体験を通して、二つの宗教の間に、ほんものの心と心の橋が架かった。これこそが霊性交流なのだ」(受け入れ側:コスマス・ホフマン神父)。この言葉のとおり、心温まるエピソードがたくさん綴られています。ぜひお手にとっていただければと思います。


【もくじ】

【特集 第十三回東西霊性交流】
「ただならぬモノ」の中に/桐野祥陽
禅とカトリックに通じるもの/安好達憲
互いを知る/殿谷大忍
那辺よりみて/膝館妙鏡
異国で考えた「僧堂の本質」/岩橋道一


ひとくち法話 -祈りの力-/横田南嶺
「虎にゃあにゃあ」/安永祖堂
禅宗語録入門読本20 馬祖・石頭と薬山/小川隆
明の成立と禅(上)要説・中国禅思想史38/伊吹敦
三余居窓話(余滴・二)/西村惠信
臨川寺 龍華三会―りゅうげさんね―の庭/伊藤紫虹
デマルチノ先生 ―逝きて尚ここに生きる―/S・アンティノフ 石川博子〔訳〕
人生の芯/立岩視康
晶子の禅、かの子の禅/佐伯裕子
部分から全体へ 寺院建築入門(3)/佐々木日嘉里
善財童子の求道ものがたり(30)―命あるものを恐怖から解放し救護して、大悲の行門を開くアヴァローキテーシュヴァラ(観自在)/小林圓照
❖ グラビア 慈雲飲光
睡猫庵歌話(4)優しいアウトローの短歌 ―石田比呂志の天性―/大下一真
和尚さんの身体講座(41)安楽坐禅法(11)「3分間坐禅体操その一」/樺島勝徳
猫も杓子も/山﨑紹耕
技を訪う―慈照寺の花 (2) 湧き水と花畑―/川辺紀子
寺庭さんのリレー・エッセイ 光に導かれて/角田幸子
禅における心身について(4)/佐々木奘堂
表紙解説/藤元裕二

いっぷく拝見
編集後記《すずろごと》
『禅文化』バックナンバー
禅文化研究所の本
カット 左野典子

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土楽窯・福森雅武 花の会

 

140127.jpg取材では何度もお世話になっております、伊賀は土楽窯の福森雅武先生の花の会が、岐阜県で開催されます。
以前開催された時の事は、季刊『禅文化』でもご紹介させていただきました後、ブログでもご紹介しました。

実際に花を生けられるのを直に拝見する機会はなかなか無いかと思います。とらわれのない、自然と一体となった花をご覧になりたい方は是非どうぞ。

詳しい情報はこちらから。

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満開の冬


140124-1.jpgふとした瞬間に春の気配を感じる頃となって参りました。
ふきのとうも出没しはじめているとかいないとか?!

とは申しましても、まだまだいっぺんには春は来てくれません。花材も限られています。
そんな季には、この時期だけに楽しめるものを。

上司がまたまた自坊より運んできてくれました大ぶりの枝!
臘梅に椿、そして山茱萸の真っ赤な実です。
お寺での生活は大変な事もたくさんあるのでしょうが、こういう豊かさは心底羨ましいものですね。
研究所が花や実で賑わっております。

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「南木夢」「七生心」とは?! -毒湛和尚語録より-

 

140123.jpg『後醍醐帝笠置山皇居霊夢之圖』(尾形月耕) 
wikipedia“笠置山の戦い”より拝借

毒湛和尚語録からたびたびクイズを出させていただいております。
先日の問題の答えを発表致します!

まさに、南朝の忠臣で、明治になり南朝が正統とされると、「大楠公」と称され、明治十三年には正一位を追贈された【楠木正成】です。

画賛の「南木夢」は、後醍醐天皇が笠置山で、「紫宸殿の庭前と覚えたる地に、大なる常盤木あり。緑の陰茂りて、南へ指したる枝、殊に栄え蔓(はびこ)れり云々」という夢をみて、覚めて、「木に南と書きたるは楠と云う字なり」と悟り、正成を召されたという故事(『太平記』巻三)。

「七生心」は、正成の最期の故事。「正成、座上に居つつ、舎弟の正季に向かって、『抑(そも)そも最期の一念に依って、善悪の生を引くといえり。九界の間に何が御辺の願いなる』と問いければ、正季カラカラと打ち笑うて、『七生まで只だ同じ人間に生まれて、朝敵を滅(ほろ)ぼさばやとこそ存じ候え』と申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、『罪業深き悪念なれ共(ども)、我れも加様(かよう)に思うなり。いざさらば同じく生を替(か)えて此の本懐を達せん』と契(ちぎ)って、兄弟共に差し違えて、同じ枕に臥しにけり」(『太平記』巻十六)。
後世、この誓いは、七生報国の誓いと言われるようになります。

時代錯誤のようにも思われますが、現代人が忘れかけている何かがあるような気がします。
また出題したいと思いますので、どうぞお付合いください。

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来る大坐禅会に向けて-臨済禅師・白隠禅師大遠諱-

 

140122.jpg来たる平成28年、29年の臨済禅師・白隠禅師遠諱関連行事として開催予定の“大坐禅会”について、1月16日(木)に東京の龍雲寺にて5回目となる話し合いの場がもたれました。

平成28年に鎌倉で行なう大坐禅会のプレイベントとして、数回にわたり東京の会場で“講演会”を行います。
その第1回目を本年6月頃に実施します。内容は老師による提唱、講演(対談)、椅子坐禅などです。
提唱は、臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師、講演は各界を代表する方々に禅を語っていただく予定です。
チケットは、ローソンチケットやインターネットなどでもご購入いただけるように準備しています。

まだ少し先の話ですが、禅に興味がある方、これから学びたい方にはとても良い機会になると思いますので、奮ってご参加していただければ幸いです。

今後もこちらのブログにて、大遠諱に関するおしらせを随時お伝えしていきたいと思います。宜しくお願い致します。 

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冬の野

140121.jpgおはようございます。
日曜日、京都の町は銀世界。もう少し雪を楽しみたくて比叡山へ。
冬の野に出て花・・・ではなく、実のものを摘んで帰り、ピッチャーに飾って冬の山の気配を部屋でも楽しんでいます。
自然からのお裾分けは、こちらが意識して摘まずとも完璧な美しさですね。


*お詫び
いつもブログを読んでくださる方には心より感謝致しております。さらに、コメントをたびたびいただける事にも職員一同よろこんでおります。
ところが、先日判明したのですが、システムの異常により、2013年7月頃から12月中頃までのコメントが当方が確認できないままサーバーから消去されてしまい、検討してみましたが復旧もかないませんでした。
コメントをくださっていた方には、当方が無視しているような状況になってしまっており、誠に申し訳ありませんでした。現在は正常に動作していますので、改めてコメント頂ければ幸いです。また、何らかのお問い合わせをいただいていた場合など、メールにてこちらまでお問い合わせ下さいませ。
お手数をおかけし、誠に心苦しい限りですが、何卒宜しくお願い申し上げます。

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トムさんの自家製ブレッド

 

140120.jpg「今日はアラビアータを作ろう、美味しいパンが必要だ・・・」と思っていたある日のこと。

なんと、『禅僧になったアメリカ人』の著者、トムさんことトーマス・カーシュナ師から、自家製パンが届き、お裾分けいただきました!
このパン、なんちゃって自家製ではなく、なんとトムさんが自ら小麦を育てて実りを収穫、自家製粉し、焼いたパンなのです。さすが禅僧、この徹底ぶりは半端無いです。

友人たちの中にも、家で畑をしたり、天然酵母でパンを焼く人たちがいて、いつも尊敬のまなざしでしたが、さすがに小麦から育ててパンを焼く人は・・・・・・。

帰ってさっそくこんがり焼いてパスタのお供に。
小麦がフレッシュだと、香りも全然違います。全粒粉のパンは好んで食べるほど好きではなかったのですが、その美味しさに感激しました。

トムさんは畑の肥料から自分で作る畑名人。最近はレモンの木を畑に植えていました。無農薬レモンが収穫され、それで作られた何かが届く日を楽しみに待っている私です。

さて、そんなトムさんの半生を書いた『禅僧になったアメリカ人』は、苦悩や葛藤多き人生から、禅の修行から、トムさんが得たものを私たちに分かちあってくださるような本です。
静かな感動と、腹の底からふつふつとわき上がってくるような力が与えられる事は、読んだ者にしかわかりません。
是非ともオススメしたい本なのです!

140120-1.jpg『禅僧になったアメリカ人』より
トムさんの挿絵がまた素晴らしいのです!

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技を訪う-慈照寺の花(一)こみ藁-

日々の生活で出会った素晴らしい様々な“技”を、季刊『禅文化』にてご紹介しています。 本ブログでもご紹介させていただきます。
その他の記事はこちらから。

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季刊『禅文化』230号より “技を訪う -慈照寺の花(一)こみ藁-”
川辺紀子(禅文化研究所所員)

 

“慈照寺花方”。この聞き慣れないことばと出会ったのはいつの日だったか。ある雑誌に紹介された生け花の写真や記事を食い入るようにして見たのが懐かしい。強烈に脳裡に刻まれたものの、雑事に追われ、他の流派で花の稽古をしていたこともあり、詳しく調べることもなく過ごしていた。

後にとあるブログで、書き手が習う花の稽古の内容や、生けた花の写真にいたく心ひかれるようになる。どちらの流派で学ばれているのか問い合わせると、くしくも慈照寺(銀閣寺)で行なわれている稽古に参加しているとのこと。
意識を向けていれば何らかの縁に導かれるものか、慈照寺研修道場にて行なわれている花の稽古に実際に参加させていただき、その“慈照寺の花”について、本誌で3回に亘りご紹介させていただく運びとなった。

平成16年(2004)、慈照寺に華務係が設けられ、花に関わるいっさいのことを司る〝花方〟となられたのが、珠寳先生である。たったお一人で始まった華務の仕事も、月日が流れれば体制も変わり、現在では研修道場での指導に加え、国内での献花、さらには海外にまで、花によって日本文化と禅の普及をするべく、韋駄天のごとく飛び回っておられる。

140117a.jpg6月、和歌山の立岩農園さんでの田植えに参加


そんな珠寳先生にまず初めに教えていただくのは、花を生けることではない。花を留める道具となる、“こみ藁”作りである。慈照寺の花の稽古では、まずはそこから始まるのである。
藁は、和歌山で無農薬米を育てていらっしゃる立岩視康さんが丹精込めて作られたもの。立岩さんが初めてこみ藁を見た際に、「このように美しい使われ方をするのか……」と感動し、それ以来奉納されるようになったのだとか。今では時間が許す限り、珠寳先生をはじめ、研修道場の職員や有志が立岩さんの田んぼを訪れ、田植えや草取り、稲刈りまでを実体験されているというのだから、藁を扱う心地もまた違ってくるのは必定で、その徹底ぶりには心底感嘆してしまう。
何でもお金を出せばすぐに簡単に手に入り、便利が当然となった昨今。時間と手間をかけ、世間の流れとは逆行するかのようなこの行為こそが、伝統回帰にとどまらず、さらには伝統発展への足掛かりとなり、慌ただしい現代で自身の心を見失いがちな人々を、おおげさではなく、救うきっかけとなる気がした。
出来上がったこみ藁の、凜と引き締まった美しさの奥に、何人もの手や思いが込められていたことを知り、なまなかでは、このように人の気持ちをひきつける美しい花留めができはしないことを知る。実際に作らせていただいたことにより、頭で思い描くようには鋏も上手く使えず、手先もなかなか言うことを聞かず、さらにその思いは深まった。

140117b.jpg花器によって、長さも太さも違うこみ藁。変幻自在

そもそも花留めには、剣山や七宝、オアシスなど、形も材質も様々に工夫されたものが多数あるが、この最も古典的な花留めである〝こみ藁〟は、室町時代末期より使われてきている。いまだ当時と変わらぬ姿で残っているのは、優れた花留めであるからに違いない。使い終われば小束に戻して清め、干して乾かせば再利用が可能。傷んだ部分は取り替え可能。たとえ使えなくなったとしても自然に返る。
しっかりとした〝こみ藁〟を作ることができるようになれば、太い枝ものは尖端を削ることにより、藁にぐっと力強く支えられ、水際からすっくとそこに立ち、天に向かう。繊細な草花も、添え木がなくともしっかりと受け止めてくれるという。それぞれの木や花が、それぞれあるべき位置でしっかりと立つことができれば、おのずと花器の上にあらわれる花も生きることが、「花を生ける時も、花瓶の上はほとんど見ていません」という珠寳先生の言からもよくわかる。見えていない部分こそが大切……。
なんにおいてもそうだが、外側(見える部分)のみをいくら取り繕っても、土台や芯のないところに本当の美しさはない。〝こみ藁〟がしっかり作れるようになってこそ、花も生きてくるのだろう。なんともごまかしのきかない世界である。
また、こみ藁が道具として秀でており、花を立てやすいということは、花の気持ちと一つになれることがあるのであれば、それに添いやすいのではないか。定まりやすさはそのまま、花の心に添うことに通ずる。
まだ花を生けてもいないのに想像であれこれと言っているが、〝慈照寺の花〟というものが、現在の自分自身と向き合わざるを得ない花であり、生けた花そのものが自分であることは、この初めの一歩、こみ藁作りからもよくよくわかるのである。
なかなかうまく藁を縛れない、鋏も満足に扱えない自身のできなさを受け入れ、真っさらな気持ちで新たなことを学ぶ。なんとも清々しく嬉しい心持ちで、暑さも、今までの経験も、自身の年齢すらも忘れるひとときであった。

 



〈こみ藁づくり〉
*本来は、秋に収穫された米の藁が奉納され、年が明けた1~2月に研修道場にてこみ藁づくりが行なわれるが、今回は特別に教えていただいた

140117-1.jpg①こみ藁作りのために用意された藁。
懐かしくあたたかい香りが部屋に満ちている

140117-2.jpg②まずは藁のはかまを掃除する。藁の感触と音が心地よい。
最後に残った穂先は箒に。余す所無く使われる

140117-3.jpg③掃除後の藁。無農薬の藁は、素手で作業していても手荒れすることがない。
農薬が使われた藁の場合、肌の敏感な人は荒れてしまうのだとか

140117-4.jpg④珠寳先生より小束の作り方を教わる。使う糸は、畳紐。
とっくり結びをし、固く括れば、ほどけることがない。
きつく縛るため、慣れぬ者は指に水ぶくれが

140117-5.jpg⑤小束をいくつも作り、冷たい水にさらして灰汁抜きをした後、
花器の口径にあわせていくつかを束ね、さらに高さもあわせて利用する

140117-6.jpg⑥小束の状態で灰汁抜きをする。本来は、1月~2月の寒の頃に水にさらす。
水は灰汁で茶色くにごるため、それが透明になるまで何度も水を換える。
地道で大変な作業である


【銀閣 慈照寺 研修道場】
慈照寺が、平成23年(2011)年4月に開場。
足利義政公のもとに発展し、日本文化の礎となった東山 文化。以来継承され続けて来た茶・花・香を中心に、伝統文化・芸術を護り、伝え、学ぶ場。その活動は国内に留まらず、永い年月をかけて培われてきた素晴ら しい禅文化の底力でもって、ことばのみでは伝わりにくい〝禅〟をも海外に向けて発信・普及するに到っている。

 


*次回の季刊『禅文化』231号「技を訪う -慈照寺の花(二)湧き水と花畑-」は、2014年1月25日に発売予定です。

 

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毒湛老師画賛より出題

 

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皆さまおはようございます。
またまた、『毒湛和尚語録』(明治期を代表する禅僧・ただいま絶賛訓読中)より問題です。


嗚呼南木夢、感慨七生心。勳業雖中敗、忠貞擧世欽。


これは毒湛老師が、さる御方の肖像画に書かれた画賛です。
読み下します。

嗚呼(ああ)、南木(なぎ)の夢、感慨、七生(しちしよう)の心。
勲業(くんぎよう)中ごろ敗ると雖(いえど)も、忠貞、世を挙(こぞ)って欽す。


ハイズバリ、誰の肖像画に書かれた画賛でしょうか。
「南木夢」「七生心」の意味を書いてもらわないと正解にはなりません。

またまた、正解者の方にカレンダーをプレゼントさせていただきます(先着3名様)。
どしどしお答えくださいませ!

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大西清右衛門 茶の湯釡の世界

 

140115.jpg美術館「えき」KYOTOにて開催中の、「御釡師400年の仕事 -大西清右衛門 茶の湯釡の世界-」へと足を運びました(本日17時までです!!!是非!!!)。

お茶の稽古をしていなければ、ほぼ一生知らずに終わる存在である釜師。その仕事というものが、大々的にこのような美術館で紹介される事を好ましく思いました。
御釜師というその名の通り、茶の湯で使われる釜を主に制作する職方で、大西家は千家十職にも名をつらねる職家です。

鉄という素材があそこまで様々な表情を見せる事に、初めての方は驚かれた事と存じます。茶の湯を稽古する者も、改めて普段使うお道具の奥深さを知る機会となりました。


「あなたの好きな釜は?3つ挙げてください」というアンケートを行なっていました。興味無いかもしれませんが、私の3つをご紹介。

1、古天明 茄子釜 銘「金槌」
2、天明 播知釜
3、芦屋 月ニ波兎地文繰口釜

一位はありきたりですが、利休さんが藪内剣仲に贈ったと伝わる釜です。ハッと息を飲む意匠。まさに金鎚でわざと釜の肌を打ち砕いたような・・・。
やはり利休さんは同時代はおろか、歴史に比類なき天才です。
この釜を拝見していますと、正月に我が研究所の所長が書いていた下記のことばが思い浮かぶのでした。一見わけのわからない禅語、公案?!のような釜なのです。
ガーンと頭を打たれたような衝撃でした。

「このような本分の機語はわれわれを焦げ付いた常識から開放しようとする禅者の鉄鎚なのです。固定観念に囚われて窮屈に暮らしているわれわれ凡人の常識を粉砕してやろうというわけです。意味を理解しようとしたら、また新たな鉄槌が下るでしょう」


二位は、佐久間真勝所持ゆえ、龍光院に伝わった釜。半端ない品格をたたえている事、所持者に愛された事などがひしひしと伝わってくる釜です。どれでも使って良いと言われたら、これを使ってみたいと思いました(天変地異を起こしてしまいそうなくらいに分不相応な事を承知の上で言ってみましたのでご放念ください)。
この釜1つで、佐久間真勝という人に会ったような気分になる、もっと彼を知ってみたい・・・そんな釜でした。

三位はほっと一息、胴がたっぷりした芦屋釜。表は月に兎、裏は鷺という美しい地紋に魅せられました。

現在大西清右衛門美術館にて開催中の、「新春の寿ぎ -福をよぶ茶道具-」も近々お邪魔する事としましょう。

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火鉢を用意してお迎え

もうはや小正月ですね。
自坊では毎年、元旦の朝6時に修正会のお勤めしていたのですが、今年からは除夜の鐘を徒弟に任せ、私は除夜の鐘の鳴り響く中、午前〇時にあわせて本堂で半鐘を打ち鳴らしたあと、修正会をはじめることにしました。理趣分経(「大般若波羅蜜多経」巻第五七八第十般若理趣分)の看読をして一年の世界の平和や作物の豊作をお祈りするのです。
本堂の正面の扉を開けっ放しでしたが、今年は比較的暖かでしたので、気持ちよく唱えることができました。

元旦の朝9時になると、檀家さんはもとより他宗派でも町内のたくさんの方が、氏神さんにお参りした後、本堂で待ち受ける私の所にも新年のご挨拶にお見えになります。

新春の本堂「新年明けましておめでとうございます。旧年中はひとかたならぬお世話になりありがとうございました。本年も相変わりませずよろしくお願いします」
扇子を膝の前に置いて、こんなご挨拶をお互いに交わし、昔懐かしい火鉢に手をあぶりながら話し込んでいかれる人も少なくありません。

「火鉢なんて使わなくなりましたね。珍しいなぁ」と毎年同じ言葉を残していかれる人もいますが、うちでもこの日だけお目見えする火鉢たちです。

特製禅語カレンダーそして近年、寺名と一言を刷り込んだ禅文化研究所の禅語カレンダーを、ご挨拶にみえた皆さんにプレゼントしています。これ、楽しみなんですと言って下さる人の多いこと。制作から関わっている私としては、何物にも代えがたいお言葉です。

新年の掲示伝道は「今年の流行語には お・か・げ・さ・ま」としました。昨年の流行語「おもてなし」にあやかって書いてみました。
眼に見えないあらゆるもののご縁によって生かされている自分を感謝しなければなりませんね。

こうして今年一年もスタートしたのでした。

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初春

140110-1.jpg昨年末に、上司が自坊より持ってきてくれていました梅の枝やロウバイの枝。
外よりは暖かな研究所内で年越しをなさり、見事花を咲かせてくれました(上司の自坊ではまだまだ蕾は固いとのこと!)。

この、蕾がほころび花が咲く・・・という一連の“はたらき”には、いつも新鮮な感動をいただく事ができます。
花一輪で、玄関や応接は初春をことほぐ雰囲気に満ちています。

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『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』

 

140119.jpg劇場で見逃した映画がDVDにてレンタル開始。さっそく観てみました。

『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』

優雅な老後海外生活を夢見て、イギリスからインドにやって来た7人の熟年男女。
聞いていた話とは違う!近い将来豪華になる予定?!のぼろぼろホテルや、なじめないインドの風習にインド人たち、ジャイプールの街の喧噪に圧倒されつつも、それぞれが新しい生き方を見いだすストーリーです。

新しい環境も柔軟に受け入れてしなやかに楽しめる者、気に入らぬ全てを周りのせいにして自身を顧みず、新しい環境を受け入れられない者、たった7人の事を主に描いたストーリーですが、その生き方や人としての在り方は様々で、老後の生き方ならずとも、今、自身が何を選択しどう生きるかが問われているかのように感じました。
そんな設定に“インド”というのがこれまたぴったり!

恐れることなく変化を柔軟に受け入れ、今を生きられる人でありたいと願いました。禅にも繋がる映画?!でしょうか。

インドが大好きな私としましては、未訪の地である美しい街、ジャイプールやウダイプルの様子が見られ、懐かしいインドなまりの英語が聴けるだけでもわくわくし、楽しめる映画でもありました。
オススメします!

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毒湛老師、出雲へ 正解は?!

 

140108.jpg出雲大社

皆さんおはようございます。
本日は、毒湛和尚、出雲へ・・・の問題の解答です。


答えは、スサノオノミコトが、ヤマタノオロチを退治して、オロチの尻尾の中からクサナギノツルギが出たということです。
出雲神話を題材にされた面白い偈頌ですね。なぜ「神蛇」ではなくて「神龍」なのかは、お寺の山号が「雲龍山」だからです。「八雲立」は、出雲に掛かる枕詞です。

今回は、「スサノオノミコト」「ヤマタノオロチ」「クサナギノツルギ」の3つのキーワードを思い起こされた方、正解です!
という事で、コメント欄にご記入いただいた方(ありがとうございます!)のうち、ただすさんと桑村憲治さん、正解という事でカレンダーをお送り致します。
お手数をおかけ致しますが、念のため、こちらまで、メールにてご住所をお知らせくださいませ。

次回の問題をお楽しみに!

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お正月の形

 

130107-1.jpg皆さまこんにちは。
本年もブログ禅をどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、今年のお正月はどのようにお過ごしになられましたか。
昔ながらに家族で祝われる方、元日よりお仕事の方、お正月だからといって特に普段と変わらぬ方、その過ごし方は一昔前よりも多種多様に変化している事と存じます。

変化といえば、注連縄やお飾りをしない家も昔より確実に増えました。
“形(かた)”が無くなってくるというのは、おおげさかもしれませんが、日本人の精神生活の危機のようにも思えます。
汚れている所に歳神様は来てはくれまい・・・と大掃除をし、神様のよりしろとなるものをお飾りし、一年の自身を顧みつつ、清浄な家屋と心にて、まるで全てが清らかに新しく改まるかのように思える新年を待ち、迎える。
何もせずともそのような清々しい気持ちで新年を迎える事が、はたしてできますでしょうか。豪華にせねばならぬわけではありません、質素とケチとは違います。
神仏も祖先も、形をもって祀り、祈ることによってこそ、より認識できてくるように思えます。私は目に見えぬ事をあらわすという事は大切な事と考えています。

130107-2.jpgそんなこんなで、実家の正月の在り方(おせちやお飾りなど)から、改めて家の事を知り、学び、それによって自分の事を知り、考える・・・という機会を持った元日でした。
“決まった形がある”という事は、非常に有り難い事で、迷いを遠ざけますね。

注連縄を飾る家が少なくなったからこそ、より一層強く意識した出来事でした。
ハレとケの境目の無いぼんやりした日常、ぼんやりした日本にならぬよう祈るばかりです。

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所長よりの年賀状

 

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皆さん明けましておめでとうございます。

昨年は何かと多難な年でしたが、人々がこぞって大晦日の鐘を聴き、一年の間に溜まった煩悩をすっかり洗い去られたことでしょう。そしてまたお互いに、こうして清々しい気分で新しい歳の出発点に立ちえたことは、まことに貴重な気分刷新の機会ですね。できれば毎日毎日がこのように、「吐故納新」(古いものは吐き捨てて新しいを入れる)の連続であって欲しいものです。

今歳の干支「甲午」(きのえうま)に因んだ禅語を探していましたら、「木馬金梯に上る」(もくばきんていにのぼる)というのがありました。
木で作った馬が、金の梯子を駆け登るということでしょうが、そんなことあり得ないですね。回転木馬のように電気仕掛けでグルグル回るというのなら分かりますが、この木馬はスウェーデンのお土産に貰うような木で作った飾りの馬ですから、動くわけがないのです。
それがこともあろうに、金の梯子を駆け登るというのですからあり得ない話です。金の梯子というのが面白いですね。これが木の梯子だったらまだしも木馬との連想は可能ですが、木と金ではあまりにも異質ですし、だいいち金の梯子などどこにもありません。
よく知られている禅語に「東山、水上を行く」とあるのも同じこと。東山が鴨川を渡るというようなイメージですが、これもまた何のことやらさっぱり見当が付きません。 禅語にはこのように、常識を突破した語がいっぱいあります。

このような禅語を特に、「本分の機語」と言います。本分は悟りの世界で、われわれ凡俗の住む世界ではありません。もちろん禅者といえども、われわれと同じ日常生活を送っています。しかし、かれらは日常生活の底を流れる、もう一つの世界を知っているのです。そして皆にもそういう世界に気づかせてやりたいという慈悲心から、このようにとんでもない言葉をぶっつけてくるのです。

そうです、このような本分の機語はわれわれを焦げ付いた常識から開放しようとする禅者の鉄鎚なのです。固定観念に囚われて窮屈に暮らしているわれわれ凡人の常識を粉砕してやろうというわけです。意味を理解しようとしたら、また新たな鉄槌が下るでしょう。

お正月早々からびっくりするような話になりましたが、少しでも旧年のマンネリズムから脱出するヒントになれば幸いです。今年もまた研究所のホームページをお楽しみくだされば幸いです。

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