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-梅は寒苦に耐えて咲く- えしん先生の禅語教室 その2

寒苦に耐えて咲く

季節柄もう一つ、「梅」の話をしておきましょう。
禅僧はあまり普通の花を描いたりしませんが、蘭・菊・梅・竹などはよく描いています。これらは「四君子」として尊ばれるだけに、いずれも高い気品を備えているものばかり。
ここでは梅の木を採りあげましょう。

梅の木は、春未だしという季節に「寒苦に耐えて」、雪中に早々と蕾を膨らませます。寒さの苦しみに耐えた結果として、他のどんな花よりも早く春を伝える梅の姿を見て、禅僧たちは「苦しい修行」があったればこそ咲く「悟りの花」の美しさを思い、梅を好むのです。
たとえば徳川時代の白隠慧鶴(はくいん・えかく/1685~1768)は、その著『毒語心経(どくごしんぎょう)』(是無等等呪の項)の中で、梅の徳を讃えて次のように頌(うた)っています。

旧年寒苦梅。得雨一時開。
疎影月移去。暗香風送来。
昨是埋雪樹。今復帶花枝。
喫困寒多少。可貴百卉魁

旧年寒苦の梅、雨を得て一時に開く。
疎影月移り去り、暗香風送り来たる。
昨は是れ雪に埋む樹、今はまた花を帯びる枝。
困寒を喫すること多少ぞ、貴ぶべし百卉(き)の魁(さきがけ)。

年末には寒さに耐えていた梅が、今日の雨で一時に花を開いた。
月とともにまばらな梅の木の影が移り動き、風に乗ってどこからともなく好い匂いがしてくる。
昨日は雪に埋もれていたのに、今日はもう花を一杯つけている。
どんなにか寒苦を味わったことか。それが今、百花にさきがけて花開くとは、またなんという貴いことであろう。

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命の絆とは -自殺者年間3万人、11年連続に-

命の絆とは

不景気、派遣切り、世界規模での不況で、世の中真っ暗。
年間3万人を超える自殺者が連続11年を記録した。驚異の数字である。
年間3万人というと、単純計算でも一日82人もの貴重な命が断たれているわけである。
個人的には、国が定額給付金をばらまくよりは、この貴重な命を救うために、より的確に使うべき方法を考えるべきではないかと思えてならない。

我々、人は誰でも必ず両親から生まれて来ており、それは人類が発生して以来、まぎれもなく途切れたことはないのである。つまり自分は、途方もない数の祖先の一人でも欠けていたならば、この自分はこの世に有り得ないのだ。これが命の絆(きずな)というものだ。
こうしていただいた命、簡単に捨てられるものではないはずだ。

人類みな兄弟?」という記事があがっていたが、まさにそのとおりなのである。
他にも、このブログの右にある検索枠で「命」と入力して検索していただければ、いのちについて考えている記事も少なくない。

そして、この自殺者の途方もない多さに、禅の立場からなにか手を打つことはないかと考え、一昨年から制作して販売を始めた一つが、下記のDVDビデオである。

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英訳 『納棺夫日記』

おくりびと

昨日、邦画「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を取った。意外というのが大方の反応だったらしいが、私は至極当然だと思った。極めて完成度の高い、凄い映画だったからだ。もちろんアカデミー賞を取らなくても、間違いなく映画史に残る作品だと思っていたけれど、受賞のニュースを見てやはりとても嬉しかった。

青木新門さんの『納棺夫日記』が出版されたのは1993年だが、2002年には、以下のように英訳も出ている:

Coffinman: the journal of a Buddhist mortician by Shinmon Aoki,
(translated by Wayne S.Yokoyama)

翻訳は、花園大学の英語教授、横山ウェイン先生。日系3世の横山先生は日本語もすこぶる堪能で仏教関係の翻訳も多い。発行はBuddhist Education Centerである。

映画が世界に進出したのだから、映画の元になった『納棺夫日記』も是非世界の人に読んで頂きたいと思う。

○英訳『納棺夫日記』はこちらから入手可能です。


○また中国語訳も出ているようです。
『納棺夫日記』淨覺訳、香港法雷念佛會発行、2003年


その他、研究所職員によるおくりびと関連のブログ記事は↓こちら。

セイタカアワダチソウ -青木新門『納棺夫日記』より-

映画 “おくりびと”

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東風ふかば… -北野天満宮-

梅の北野天満宮

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
             主なしとて 春を忘るな

北野天満宮の梅がほぼ満開です。
訪れる家族づれやアマチュアカメラマンなどは、その美しさに魅せられ皆幸せそうでした。
道真公が好きであった梅の花……と思うと、太宰府に左遷された事や、都を懐かしみかの地で最後を迎えられた事、その後の京の都の天変地異などを思い起こし、複雑な気分になりました。
現在は、桃源郷かとみまごうような梅の花々の美しさに、さぞかし道真公の御心も慰められる事だろうと感慨深く、梅見を楽しませていただきました。

梅園

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『白隠禅画墨蹟』全三冊 発刊!

白隠禅画墨蹟

この度、二玄社様より発刊される『白隠禅画墨蹟』全三冊を、禅文化研究所にて特別に先行発売させていただく事となりました。
一千点を越える禅画・墨蹟を総カラーで再現、圧巻です。

【特装版】
定価105,000円(税込) ISBN 978-4-544-01394-8
限定150部/限定番号入り/豪華化粧函/各冊三方金

【普及版】
特価49,350円(税込) ISBN 978-4-544-01394-1
定価57,750円(税込)
*特価期限2009年4月30日まで。


研究所HPにて、ご予約承り中です。詳しくは下記からどうぞ。
『白隠禅画墨蹟』全三冊

なお、発刊を記念しまして、弊所の『白隠禅師法語全集』も、期間限定割引中です。
この機会にあわせてどうぞ。

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お大師さん

お大師さん

「今日はお大師さんの日やからお参りに行って来たわ」。
「あ~、そういえば21日か今日は……人多かったやろねぇ」。

我が家で普通に交わされる毎月の会話です。弘法大師空海の命日が3月21日である事にちなんで、毎月21日はお大師さんの日。家の宗派は関係なくお参りします。
私の実家あたりでは、西宮市の甲山(かぶとやま)大師さんか、宝塚市の清荒神さんへのお参りが常です。

さて、京都に住む私がいつも何気なく通っていて、「お堂があるなぁ……」くらいにしか思っていなかった場所。21日にそこを通ると、いつも閉ざされているお堂の扉が開かれていました。
「あ!今日何日だ? 21日!お大師さんを祀っているお堂だったのか……(感激)」と、自転車を引き返してお参り。
番をしていたおばあさんは「皆さんここいらに住む人は、21日に参らはりますぇ」と。
毎日通っているようななんでもない道にも、新しく嬉しい発見があるのが京都だなぁ……と、この歴史深い土地にいよいよ愛着がわくのでした。
明日は21日、東寺の弘法さんはいろいろな古い物を扱う店でにぎわいます。
梅見に京都へ来られる方は、東寺へのお参りもおもしろいですよ!

*本日は、臨済宗大本山向嶽寺(山梨県)の開山忌の日です。

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-拈花微笑- えしん先生の禅語教室 その1

白梅
禅寺に咲く白梅

ブログを覗きにくる何人かの人から、禅のことをもっと分かりやすく教えて欲しい、と書いてこられていますので、所長みずから初歩的な禅語を選んで、なるべく易しく説明させて貰おうと、本日より教壇に立ちました。
生徒さんが増えて、教室が一杯になってもそれは構いません。どうぞ遠慮なくどんどんお入りください。そして聞きたいことがあれば、手を挙げて質問してください。

まず今回は、禅宗の根本から始めることにましよう。仏教にはたくさんの宗派があります。その中で禅宗の特色は何ですか、と聞かれるならば、「法の灯」つまり「仏陀の慧命」(悟りの中味)を、心から心へと大事に伝えてきた唯だ一つの宗派です、と答えたいですね。
とにかく禅宗は、お釈迦さまのお悟り(これを特に正覚とか大覚とかいう)を、二千五百年のあいだ、一器の水を一器に移すように丁寧に伝えてきたのです。だから他の諸宗派を「教宗」(何らかの経典を拠り所にして立宗開教されたもの)というのに対して、禅宗では自分のことを「仏心宗」などと呼んでいるのです。

そういう「禅宗特有の伝達方式」の先蹤(せんしょう・先人の事跡)が、今回の「拈花微笑」(ねんげ・みしょう)という話です。

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【南群 ドゥラデーオ寺院】 カジュラホその3 -インド-

south1.jpg

素朴な風景の中、散歩がてら徒歩にて(暑いですが…)一番はじめに訪れたのが、南郡にあるシヴァ神を祀る寺院、ドゥラデーオ寺院(Duladeo Temple)です。
カジュラホでも最後期、12世紀初めに建てられたそうです。
側壁には、美しい天女(アプサラ)の像がそれはたくさん。豊かな表情・姿の像を見ていると、日本の表現とはまた違う独特な美しさに、当時のインド人の精神性とは如何に?!と色々想像します。

たくさんの遺跡が残る西群を見る前に、最初にこの周りには何も無いような所にぽつんと残る寺院を訪れてみて本当に良かったです。
精緻な彫像の美しさに圧倒され、また、この1つの寺院のみがここになぜぽつんと残っているのかという不思議さに、しばし唖然としてこの寺院を眺めました。

ドゥラデーオ寺院
まわりは綺麗に整備されています。雨期のため、緑いっぱい!

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映画 "おくりびと"

映画 「おくりびと」

このブログでは、今のところ「映画 "禅ZEN"」への記事のアクセス数が多いので……、というわけでもないが、またまた映画のお話。

タイトルにある「映画 "おくりびと"」を、今頃になって観にいった。封切り当初からちょっと気になっていたのであるが、基本的にあまり邦画を観ないという性格のため、アメリカのアカデミー賞外国語映画賞部門にノミネートされたことを知って、慌てて行った次第である。

お恥ずかしい話、実はかなり泣かされてしまった。だが暗いだけの映画で無く、笑わせるところもあって、期待以上の上出来作品。

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花のかんばせ -樂美術館-

花のかんばせ_樂美術館

京都市上京区にある、樂美術館を訪れました。
現在、-樂歴代 花のかんばせ-と題して、花にゆかりのある樂家のお茶碗がお目見えしています。
>3月29日(日)まで。
花の形をしたもの、花の文様が描かれたり彫られたりしているもの、ご銘に花の名がつけられたお茶碗などなど。
いわゆる“京の底冷え”のこの日、館内は既に我々が待ちこがれる春の陽気に満ち溢れていて、自分の心までもが暖かい春の日差しに触れたようでした。

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今年もこの日が来た St. Valentine's Day

梅

昨年もバレンタインデーにはこのような記事があがっていたが、また今年もこの“バレンタインデー”について一考察。

この不況にベルギー産の高いチョコなんて買っていられない!  あの人へも買うのならこの人へも…ときりがなく、意外にすごい出費…。えびで鯛を釣るなんて人もいるのだろうがそれも私には望めない。
と、なんとなくぐちぐちと思いながらも、やはりやめられない、絶対にやめない、やめる勇気もなんとなく無い義理チョコ配り。そもそも“義理”という言葉がよろしくない。

結局のところ落ち着くのは、「日頃お世話になっている方へ、その思いを託すのにちょうど良い機会ではないか。何も無い時に突然何かお贈りしてもかえって気を使われるし。やはりこれはすべき事なのだ。感謝の心とおもてなしの心はケチるところではない!」
といったところである。

日本古来の「道」とつくような習い事の世界でも、芸道の世界でも、何かと“ご挨拶ご挨拶”といっては、何かを贈り会ったり、相手を思って日頃の感謝の心を形にあらわす事は少なくない。
St. Valentine's Dayも、そんな日本人の文化や、相手を思いやる精神、気質を受け継いで、もとの発祥なんていざしらず、西欧の風習なんてそっちのけで、日本独自の進化を遂げ続けているようである。
チョコレート会社の戦略として始まったとされる日本のバレンタインデーであるが、戦略だとすればこの日本人気質を大いにくすぐる素晴らしい戦略だと思う。私も無視はできない一人であるからだ。

海外の方達や、その気の無い日本女性からすれば「義理チョコなんて配るのはナンセンスだ」と言われても仕方ないこの風習であるのもわかるが、私としては「茶道やその他、道のつくようなお稽古をしていなくとも、日本人らしい“ご挨拶”の習性はこんなところで発揮されるものなのか……日本人とは愛すべき存在であるなぁ」とやはり日本礼讃なのである。
義理チョコは、単なる媚び売りではない!(や、色々あるでしょうけれども……)

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映画『禅ZEN』を観て -「あるがまま」って?-

映画 禅ZEN

さて、先ごろ掲載しました職員の酷評に続き私めも……。
おりんという女性の立場に立って観てみたい!と、おそろしく期待して楽しみに観にでかけたのですが、感想はというと、ほぼ前回、他の職員が書いたものと同じようなものでした。

一番残念だったのは、道元禅師という日本を代表する宗教者、禅僧が悟った瞬間のイメージが安易に描かれていた事です。
坐禅をしていると、蓮に坐っていてそのまま空高くぴゅーんと飛んでいき、光がぱああぁぁっと……。
悟りのイメージをわかりやすく…というのは難しく、このようになったのかもしれませんが、安易に描いても良いものなのでしょうか。冷や汗が出ました。
おりんの子供が、病気で死の淵をさまよっている時に道元に助けを求めれば、お釈迦様の芥子の実の話(釈迦 芥子の実 などで検索するとどのような話か出てきます)を、ほぼそのまま使っていたりするのにも興醒めしてしまいました。

また、少し禅に興味を持って観に来られた方や、歌舞伎役者が主演ということで観に来られた歌舞伎ファンの方には、禅の専門用語が出てくると、何のことか全くわからない場面も多かったのでは?!と感じました。

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霜を知らない子供達へ -田舎の禅寺の朝-

霜の降りた朝

もう立春を過ぎた。つまり暦の上では春なのだ。
ただ、朝夕はまだまだ冷え込む日もあり、文字通り三寒四温といったところか。

そんななか、先日も、自坊の裏の田畑は、まっしろに朝霜で覆われた。
朝霜に覆われた田んぼにカメラを向けていると、翼の黒白茶色のコントラストがはっきりした鳥が飛び立った。チドリ科の鳧(ケリ)という鳥らしい。田地や河原に住む気の強い鳥らしいが、飛んでいる色が美しい。

こんな田舎で生まれ育った私は当たり前のような景色だが、都会に育った子供たちは、「霜」が何なのかを知らないらしい。特に昨今叫ばれている暖冬のせいか、霜の降りる朝というのが少なくなってきているようだし、街のアスファルトの中では霜を踏むこともままならない。
文学作品中に、寒くいてつくような冬の「朝霜」の事が書かれていても、その情景が思い浮かばないのはなんとも悲しい。
霜柱を踏む、あの「サクッ」とした感覚を味わったこともないのだろう。

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冬の庭

禅寺の庭

落葉樹の葉がすっかり落ちてしまったこの季節、我が寺の庭は寂しい佇まいを見せている。昨年は雪で覆われる日も何日かあったのだが、今年は全くといっていいほど積雪がなく庭の変化も楽しめない。

中央にある紅葉の木は樹齢も古くかなり弱ってきており、昔のような目映い新緑と鮮明な紅葉が見られなくなってきているのが残念である。
正月には朱色の実が鮮やかだった千両も、鳥の餌となったようで緑の葉を残すだけとなってしまった。

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セイタカアワダチソウ -青木新門『納棺夫日記』より-

セイタカアワダチソウ

「ススキが全滅しそうで、セイタカアワダチソウは好きじゃない!」と長い間思っていたのだが、何年か前、こんな文章に出会った。


「こちらへ来る途中見かけたのですが、セイタカアワダチソウ、すごいですね?」
「ああ、あの草ね」
「日本中、まっ黄色になるのじゃないですか?」
「いや、大丈夫ですよ」
「えっ、どうしてですか?」
「繁殖すると自分で出す分泌物で自家中毒を起こして自滅してしまう。一つ所に永く定着できない可哀相な植物なのです」
                          青木新門『納棺夫日記』より

それ以来、ススキに混じってセイタカアワダチソウが群生しているのを見ると、お友達というか、ちょっと知り合いに会ったみたいな気分になる。
上記の会話は、青木新門さんが、『納棺夫日記』で地方の出版文化功労賞を受けたとき、同じく農業に関する著作で受賞したある大学教授とのやり取りである。青木新門さんというのは、死体をお棺に入れる仕事をしていた人で、『納棺夫日記』を読んだときには隣りに座ってじっくり肉声を聞いたような不思議な気分だった。ちょっとした地主の息子さんだったのが、文学に走って(?!)身を持ち崩し、死体処理という凄まじい仕事をして、突き抜けられたのだと思う。「『仏は不可思議光如来なり、如来は光なり』と断言する親鸞は明解であった」とも書いておられる。
                           
「おくりびと」という納棺夫を描いた邦画が、米国アカデミー賞「最優秀外国語映画賞」にノミネートされたので、『納棺夫日記』のことを思い出し、それからセイタカアワダチソウのことを思ったのだった。

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ニトクリス

ヘロドトスは「歴史の父」と言われる古代ギリシアの歴史家であるが、その著書『歴史』の中に、アッシリアの女王ニトクリスについての記述がある。首都バビロンに堤防を築くなど、彼女の行なった様々な功績を記した後、ヘロドトスは次のような逸話を伝えている。

この同じ女王は、次のようないたずらを考え出した人でもあった。彼女は町で最も人通りの多い門の上に自分の墓を作らせたのである。墓は正に門の上に懸っているのであるが、この墓に次のような文句を彫り込ませた。「われより後バビロンに王たる者にして、金子に窮する者あらば、この墓を開き欲するままに金子を取れ。然れども窮することなくしてみだりに開くべからず。凶事あるべし。」

この墓はダレイオスの支配になるまでは手を触れられなかった。ダレイオスはこの門を使用できぬことも、財宝が納まっていて、しかも開けよという文句まであるのに、その財宝を取らぬことも、いまいましいことだと考えた。彼がこの門を使用しなかったのは、この門を通れば、死骸がちょうど頭の上に来ることを嫌ったからである。さて墓を開けてみると、財宝はなく、あったのは死骸と次の文句とだけであった。

「汝にして貪欲飽くことなく、利を追うて恥を知らざる輩ならざりせば、死人の棺を開くことなかりしものを」
この女王はこのような人物であったと伝承は語るのである。
(『歴史』第1巻187節。岩波文庫版の上巻140頁)
 
ところで、同じ『歴史』のなかで、ヘロドトスはもう一人の女王ニトクリスを伝えている。こちらはエジプト女王であるという。

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映画 "禅 ZEN"を見て その2

映画「禅 zen」

1月20日のブログ記事では、映画 "禅 ZEN"を見たというご報告だけをさせていただいた。
今回は、私なりの正直な感想を書きたいと思う。

結論からいうと酷評である。残念ながら全く以て駄作だと思うからだ。御覧になった皆さんはどうであったであろう。WEBで探すと、賛否両論あるようではあるが…。

道元禅師を讃えられている原作なので、もちろん道元禅師の素晴らしい生きざまを描こうとされたのであろう。だがしかし……。

道元禅師は入宋され行脚されるうち、当時の主流であった大慧派の禅を否定し、天堂山如浄に嗣法して帰国し、日本にその禅風を流布したのである。その禅風とは「只管打坐」、ただひたすらに坐る。そして、あるがままを受け入れるということであった。喜びも苦しみも涙も…あるがままに。

そのあるがままを表現するに、我々は誰の中にも仏があるとし、その仏を空に浮かぶ月に擬して説かれているようで、何度も「月」が登場する。
しかし、その月をあまりにも誇大化して映像にしているので、却って気になるのである。
道元が断崖絶壁にたたずむ時に、その向こうにある月はあまりにも大きすぎ、またおりんが俊了を連れてみる「田ごとの月」は、現実にありえない映像である。
あるがままであれば、どうしてもっと自然な美しい月を映像化できないのか。
また、坐禅中に道元が悟っていくイメージを、蓮の花にのってすーっと浮かんでいくように表現しているが、これは絶対やってはいけない演出である。
映画のあちこちで、こういうイメージがCGによって表現され、この映画の品を落しているのである。

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上野伊三郎+リチ コレクション展 -京都国立近代美術館-

上野伊三郎+リチ コレクション展

町でみかけたポスターの、色鮮やかな独特の表現に惹かれ、京都国立近代美術館へでかけました。
自分の好きな分野の美術館ばかりにでかけていると、偏りが出てきてしまい、なかなか他の世界に出会うきっかけを無くしかけますが、こちらの美術館での展観はいつも新しい世界へのいざないとなる為注目しています。
今回も、京都とは縁深いこの夫婦であるにも関わらず、分野が違う?私のアンテナには今まで全くひっかかってこなかったもので、二人の仕事を拝見するのは初めてでした。
日本人の表現とは違う独特の感性に、ファンタジーの世界に、心弾みながら歩みを進めていました。
日本の七宝の技術と、カラフルなリチさんの下絵が出会い、作られた飾り箱。見る者の心を彼女の世界へとひきこむようで、目がくぎづけでした。

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甲斐の国のたからもの -山梨県立博物館-

甲斐の国のたからもの_向嶽寺蔵 仏涅槃図

“甲斐の国”と聞けば、まず皆さんは何を思い浮かべられますか?!
やはり武田信玄公!!! でしょうか。もうそれしかないというほどに歴史上印象強い武将ですね。
そこまで思われたのなら、是非、我らが臨済宗としては、禅に深く帰依し学ばれた信玄公(そもそも信玄とは得度した時からの法諱です)とゆかり深い、本山向嶽寺恵林寺を思い出していただければとても嬉しく思います。
そんな名刹に残る宝物のうち、新たに山梨県指定の文化財に認定されたものが、「甲斐の国のたからもの」という展観名にて、山梨県立博物館にて展示されます。

禅宗関係のものとしては……

東禅寺(曹洞宗) 宝冠釈迦如来坐像
向嶽寺(臨済宗) 仏涅槃図
南松院(臨済宗) 桃隠和尚像(開山頂相)
南松院       渡唐天神像 策彦周良賛

蘭石図 伝雪窓普明筆(重要美術品)
柿本人麻呂図 如水宗淵筆(重要美術品)
陶弘景松聴図 天与清啓賛(重要文化財)

などが展示されるとの由。また、柳沢吉保ゆかりの調度品の数々も展示されていますが、これは元々吉保の菩提寺であった黄檗宗の永慶寺に奉納されたものが、移封の際に恵林寺に移されたものだそうです。
さらに、上写真の、修復を終えた「仏涅槃図」(向嶽寺蔵)展示室内で、2月15日(日曜日)午後1時より、仏教年中行事公開「涅槃会」の法要(向嶽寺派僧侶による)がご覧になれます。さらに、仏涅槃図についての解説や、法要についての解説もあるようです。
またと無い機会かと存じますので、是非この日におでかけになられてみてはいかがでしょうか。

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