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法金剛院 -京都市・花園駅近く-




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昨日の"寄り道"にひきつづき、今度はお昼休みにお邪魔してきた法金剛院さんのご紹介。

そう、花園駅すぐ近くにあるこのお寺、お昼休みに拝観に行って帰って来る事が可能です。
なんと優雅な昼休みでしょうか。昼休みにも、やはり"お寺"です。

京都では珍しく、唐招提寺に属する律宗のお寺。
藤原璋子・待賢門院が復興に尽力した寺で、平安時代ならではの極楽浄土を模した庭と、四季折々の花が美しく、"関西花の寺第十三番霊場"となっています。
花ばかりか、数多く残る仏像もそれは見事で、本尊阿弥陀如来、文殊菩薩など、平安時代の仏を拝み、この庭を眺めれば、しばし平安貴族の世にタイムスリップです。
そして、十一面観音巡礼をしている私としては、こちらにおはします観音様の瓔珞の美しい事にしばし昼休みである事を忘れて拝んでいたのでした。蓮の台座にまで瓔珞が......。荘厳です。

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もちろん、桜も枝垂れはもう満開。待賢門院を深く思慕したと伝わる西行さんも、このお寺へはよくおいでになったとか。その頃の桜はどのようであったか...と、桜を愛した西行さんをも思います。

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ここの所、曇りや雨の日が続いていますが、晴れましたら次はどちらへお邪魔しようかと楽しみにしています。

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寄り道 -立本寺のさくら-




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何の因縁か、仕事帰りの寄り道も、“お寺”です。

こちらは日蓮宗の立本寺さん。夏には蓮、春には桜が美しいお寺です。
早咲きの枝垂れ桜は満開。ソメイヨシノはもう少しですね。
京都での自転車通勤は、それはそれは楽しいものなのです。

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茶人のあそび 形物香合番付の世界 -野村美術館-




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南禅寺近く、野村美術館で開催されている香合展にお邪魔しました。

香合。お茶では、炭点前や、炭をつぐ際に、炉の時期であれば練り香、風炉の時期であれば香木をくべます。そのお香の入れ物を香合といいます。

今回は、お茶を習っている者であれば、何らかの機会に耳にしたり、目にした事があるであろう、「香合番付」の展観です。
そう、実は、香合には、お相撲さんのように番付があるのです。

江戸時代の、安政2年(1855)に、道具屋や目利きが集い、作られたものらしいのですが、一つの主題で同じ傾向の形または、模様のある香合は「形物香合」と呼ばれ、当時の人気度や、その格によって、ランク付けされています。
香合番付から、当時の様々な事をうかがい知る事も可能ですね。
香合好き、お茶を稽古する者のみならず、小さい物がお好きな方、焼き物の世界が好きな方、中国が好きな方(唐物が多く出ています)、お子さんにも楽しんで頂けるであろう展観でした。
界隈の桜も見頃を迎える頃ですね。

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2012年秋企画展『東嶺圓慈―禅画と墨蹟―』図録販売のお知らせ




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昨年秋に、花園大学歴史博物館と企画展「東嶺圓慈―禅画と墨蹟」を共催しましたが、図録の発刊が会期中にできませんでした。この度、ようやく本展の図録が完成しました。
花園大学のWEBサイトにありますように、花園大学歴史博物館より販売を開始いたしました(禅文化研究所では扱っておりません)。

郵送をご希望の方は、ご希望の書名と冊数を明記のうえ、代金+送料を同封して現金書留で花園大学歴史博物館までお送りください(送料は切手でも可)。到着後、ご希望の刊行物を送付させていただきます。また、複数冊ご希望の方は送料が異なりますのでお問い合せください。
なお、事務処理上お手元に届くまで、2週間ほどかかる場合もございますのでご了承ください。

定価1,000円(税込・送料別途340円)

花園大学歴史博物館
〒604-8456
京都市中京区西ノ京壺ノ内町8-1
TEL(075)811-5181(代) FAX(075)811-9664

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岸野寛展 -阪急梅田本店 美術画廊-




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若手陶芸家として活躍中の、岸野寛さんの展覧会が阪急梅田本店にて開催されます。
岸野寛さんは、福森雅武先生のお弟子さんでもあり、度々紹介している岸野承さんの弟さんでもあります。

岸野兄弟のお父様・岸野忠孝氏(画家)が、福森雅武先生と無二の親友なわけですが、2人は若い頃、臨済禅師の、「仏に逢うては仏を殺し。祖に逢うては祖を殺し。羅漢に逢うては羅漢を殺し。 父母に逢うては父母を殺し。……お前はどうなのか!!!」と、やりあった仲なのだとか。
片や無文老師に参禅をされ、片や若い頃から禅寺に出入りし坐禅し、比叡山の阿闍梨さんについて天台の修行をされた事もあるからして、このお2人の若き頃のお話は、聞いていてあきるという事がありません。

岸野家と福森家の人々。こんなに面白い方たちはもう、絶滅危惧種ではないか!?といつも思わされるのと共に、憧憬の念を抱きつつ、この方達の後を追っかけている私です。
こういう方達の“ものづくり”を、多くの人に見ていただき、知っていただきたいなと思います。

新装オープンした阪急での個展。楽しみです。

会期/平成25年3月27日(水)~4月2日(火)
*催し最終日は午後6時終了
会場/阪急うめだ本店 7階 美術画廊

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平等の春




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我がマンションの小さなベランダにも、春は平等にやってきてくれます。

昨年購入したすみれから採れた種を植えていましたら、ちゃんと芽が出てこのとおり、小さな花を咲かせてくれました。
なんと嬉しいことでしょう。

  不審花開今日春

この小さな自然がどれだけこちらの力となり、癒しとなることか。見る度に感動してしまいます。
緑に囲まれた環境に住んだり、身を置く事ができればどれだけ素敵だろう……とも思いますが、都会のマンションにでも、市中の山居をつくる事は、心がけ次第で可能ですね。

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そして、お隣で花開いた雲間草に目を向ければ、なんと一枚の花びらが真紅に!
紅白になり、これは吉祥の兆し!と、勝手にポジティブ思考な私です(まぁ、恐らくは、白い花によく見られる先祖がえりだったりするわけですが、それにも何らかの力が働いているわけですよね)。

桜も咲き始めました。さぁ、いよいよ本格的に春の到来ですね。良き週末を!

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福森雅武展 -陶仏・茶碗・花入・器-  ギャルリー石塀小路和田




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焼締台皿に苔を敷き、椿と梅を生ける

先日、招待されてお邪魔しましたピアノコンサート。
井澤利先生(兵庫教育大学名誉教授/神戸女学院音楽学部でも教鞭をとっておられました)の演奏では、まるでピアノが生きており、おのずから弾いてもらう事を欲しているかのような音を奏でていました。
先生とピアノが一体となって、相互にその命を生かしきり、それにより、衆生を済度するかのようでした。
そこでふと思い出したのが、土樂窯の跡取りで、友人道歩さんがお父さんの轆轤について言ったことばでした。

「うちの父はどんな職人よりもやれる。土のほうが言う事を聞く」

昔、この発言を聞いた時には、「ふぅむ、そんなものなのかぁ...」と思ったのが、なんとなく、わかった気がしたのでした。

土と一体となり、土が欲して形作られたもの。
そういう器と日々共にある暮らしは、ともすれば自らを救ってくれる機縁を結んでくれると、私は本気で思っています。日々の暮らしが、なんでも良いわけが無いと思うのです。

今回の氏の個展も楽しみです。本日より始まっています。
先生の生けられた花もご覧いただけますので、是非とも皆様に実際に見て感じて欲しいと思います。

花を生ける時は自然そのもの、自然と一体になっておられます。美しいと感じたものをそのままそこに再現するのみ。だから何のてらいも無く、嫌らしさも無いのでしょうね。
そんな花が、いつになったら生けられるでしょう。
いつもいつも、先生の花を見てはいろんな意味で溜め息をつく私です。

花についての記事はこちら。
福森雅武の花 -季刊『禅文化』225号より-


【福森雅武展 -陶仏・茶碗・花入・器-】
2013年3月21日~31日(3/27は休廊)
12:00~18:00(21、23、24日作家在廊)
ギャルリー石塀小路 和田

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古代ガラス -色彩の饗宴-  MIHO MUSEUM




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冬眠から目覚めた、信楽のミホミュージアムへとお邪魔してきました。
毎回欠かさずにお邪魔するのを楽しみにしていますが、今回はまた興味深くも古代ガラスの展示。

紀元前に、高価な石を真似て作られた宝飾品としてのガラス、器としてのガラス、透明に憧れるもまだ不純物が多かったそれが、時を経て不思議な色を発し、現代に生きる我々を今なお魅了しています。

時代も下り透明なガラスが作られるようになると、さらにその透明なガラスに様々な技巧をこらし始める。人々が美しいものを求める欲求は、とどまる所を知らないのだな……と思わされます。

“染司よしおか”の吉岡先生が、奈良時代の染色や織の技術に、いまだ我々は追いつけないのだといつも仰っていますが、ガラスも同じで、古代の人々がどのようにして作ったのか、いまだ不明な点も多いようで……。
何をもって発達というのか、わかりませんね。
現代を生きる我々人間は、地球上の歴史において、さも自分たちが一番進化し、科学技術を持った事により偉くなったような錯覚を起こしていますが、こういった素晴らしい古代の技法、美しいものに触れていると、傲慢な考えは吹き飛んでしまいますね。


今回は特別に大英博物館の名宝、スパイラル・レースガラス碗がお目見えしています。これが制作される過程の復元映像などもあり、非常に興味深いものでした。
この展覧会にも関連した、古代オリエント美術については、3月号の『目の眼』に詳しく掲載されており、非常に読みごたえのあるものでしたので、是非ともオススメしたいと思います。

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岸野承展 -岐阜 画廊光芳堂-




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友人、岸野承さんの個展が岐阜で開催されます。
詳細は下記のとおり。

平成25年3月19日(火)~24日(日)
午前10時半~午後6時 会期中無休
作家在廊日 19、20、23、24日
於:画廊光芳堂 岐阜市梶川町1番地


先月の京都での個展(大盛会でした)。
さて、どのような変化があるのだろう?!と楽しみに訪れましたが、"今"を生きている彼は、どんどん新しくなってゆくのだな......と思わされました。

今までは、"仏教"のくくりに入る仏を多々彫っていましたが、その枠がとっぱらわれてきているように思え、古いキリスト教の教会にあってもしっくりくるかのような彫像がありました。
宗教の根底に共通するものをそこに見たような気がして、物を作る人、生み出す人のすごみを感じ、言葉を失っていた私です。

岐阜近辺の方は是非とも一度、彼の空気に触れてみてください。

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「書画と白磁、そして民画の世界  ―朝鮮時代の絵画と陶磁」 高麗美術館




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高麗美術館へお邪魔しました。
今月末までですので、是非お運びください。

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三寒四温と祈祷会

まさしく三寒四温の今日この頃ですが、それにしても気温差の激しいために、体調をくずされてしまっている方も少なくないのではないでしょうか。
不肖は花粉症でもあり、さらには黄砂とPM2.5で、空気を吸いたくないくらいですが、そういうわけにもいかないわけで、常日頃は気づきもしない空気の有り難みを感じているところです。



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2月はずっと寒かったので、今年の梅の開花は遅めだったように思いますが、自坊の梅も、先週は4月並の気温が2~3日あったおかげで一気に開花しました。
写真を撮っていたら、見知らぬ女性がやってきて、一緒に花を楽しんでいかれました。いつもこのあたりを散歩しているということで、咲くのを楽しみにしていたそうです。こういう方がおられると、檀家さんたちと協力してやっている下草刈りにも力がわきます。



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こんなにきれいに咲き誇っているのですが、じつはこの参道沿いの梅林の一部を駐車場として拡張して欲しいという檀家さんからの声があがっており、この梅の木々15本ほどを、いずれかに植え替えなければならないのが、今の悩みです。


去る3月10日には、卑山恒例の大般若祈祷会を厳修しました。お昼前から風雨がひどくなり、気温も一気に下がるという嵐のような状態でした。
近隣のご寺院にもご出頭いただき、導師として理趣分を唱え回向をしましたが、おりしも東日本大震災から2年目を迎える前日、被災地の復興、復旧を心から祈願してお勤めいたしました。
この秋には檀家さんに募って、卑山とご縁の深い松島瑞巌寺と被災地めぐり旅行を企画しています。



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『墨蹟の至宝展-気迫あふれる禅僧の書-』 -承天閣美術館-

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美術館への道に咲く梅 僧堂の大木も満開

先日やっとお邪魔して参りました。
眼福の極みでした。
歴史に名を残した多くの祖師方の墨蹟をこれほどまでに一度に拝見できる機会は、そうは無いと思います。
以前、有馬管長のDVD撮影にて、茶室に伺った際に掛かっていたお軸も展示されていましたよ。美術館で展示されるのみならず、このように茶室に掛けられてこそですね...。
17日、日曜日までの展観ですのでお見逃し無く。

また、相国寺の塔頭、慈照院、そして近くの尼門跡寺院、大聖寺も特別公開中です。
京都御苑の梅も満開、桃もほころびはじめていますし、この界隈が熱いです!(個人的にとても興奮してしまいます)
是非ともこの土日におでかけになってみてください。 

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『「ブッダを読む人」は、なぜ繁盛してしまうのか』清水克衛著




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以前のブログでも取り上げさせていただいたのですが、書店「読書のすすめ」の店長・清水克衛氏の著書、『「ブッダを読む人」は、なぜ繁盛してしまうのか』を、今頃拝読しました(申し訳ないです。上司は以前読んでいましたが、私は読んでいませんでした)。

実は、この本の中で、弊所の『愛語』(山田無文著)を紹介していただいているのです。有り難い事です。


そもそも私は、例えば就職活動をする際にも、虎の巻であるとか、ハウツー本の類を読んだところで、自分以上のものが出せるはずも無く、ノウハウを知って小手先で挑んだ面接で内定をくれるような会社へは行く気もない。と、思っていました(生意気ですね......)。
正直申し上げると、この本も、"その類のハウツー本"なのかしらと思っていました(本当にすみません)。

私の場合、最近、"仕事"というものについて考える事がよくあり、さらにお釈迦様の大ファンという事もあって、ふと読んでみようと思ったわけですが、ちまたに溢れているハウツー本とは一線を画した本である事がわかり、目から鱗なのでした。

お釈迦様の御教えの実践は小手先ではできませんし、この本を読んで少しの間実践してみた所で簡単に成功(清水氏は、成幸と仰っています)が手に入るわけでもないでしょう。
この本を読み、また、この本に紹介されている多くの本を読み、よき教えや考えを自分に刷り込んで、取り込んでゆき、実践し、日々己に向き合っていってこそ、その先に成幸(繁盛も)があるのだと思いました。
それこそ、その積み重ねで、この本の副題にもある、-オーラが良くなる-事ができるのでしょう。

そして、私がすごいと感じたのは、この本が2008年に創刊されている事です。
大震災を境に、世間では同じようなことを謳う人や本が多々でてきていると思いますが、この本は2008年創刊でありながらも、今読んでも"新しい"と思えるような本なのです。
名著は古くはなりませんね。お釈迦様の御教えも、常に新鮮だという事ですね。
こちらで紹介されている本にも、気になる本が多々ありましたので、これから一冊ずつ読んでゆき、オーラの変化を楽しんでみる事にしましょう。

どなたにでも興味深く楽しんで読める本です。
なんとなく、何がというわけでもなく行き詰まっている方にも、オススメします。

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自然と人間 ―3.11を迎えて思う―




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東北地方を襲った大震災と大津波によって彼の地の人々は、それまでの平和な生活を一瞬にして破壊され、さらにそれに伴って起こった福島原発のメルトダウンという人災によって、多くの被災者が二年を経過した今もなお救いのない生活を強いられている。これらの人々が、一日も早く満足できる元の生活に復帰されることを心より願っている一人である。
天災と人災という二重の災害によって、この国の人々が共有したあの日の恐怖は、時とともに過去の出来事となって風化し、いまは直接その被害を蒙った人たちだけの、「生活の問題」として矮小化され、処理されつつあるように見える。
私は仏教徒の一人として、この大災害の体験は、この国に住む人間一人ひとりが、実存的課題として反復し続けるべきものであり、偶たま起こった出来事として、記憶の底に沈めるべきものではないと思う。では、私の言う「実存的課題」とは何か。
その第一は、常に自己を取り巻く「自然に対する畏敬の念」を抱き続ける、ということである。言うまでもないことであるが、われわれ地上の生物は、例外なく自然の恩恵によって生存している。そういう自然は子を育む親のように、優しいばかりである筈がない。自然が時として激しい怒りを見せてくるのは当然である。今回の災害も自然の見せた怒りの一端であれば、今後これを防ごうとする最低の努力はあっても、「反自然的」な道を模索するべきではないと思う。
第二には、「人間の弱さの自覚」ということである。今回の大震災によって被災地の人たちばかりでなく、被災地から遠く離れた人たちもボランティア活動を通して、「お互いに助け合う」ことの重要さを痛感した。
そのことが震災直後、「絆」という言葉となってこの国の人々の口にされた。弱い人間はお互いの支えあいがなければ、自分一人で生きることはできないという、きわめて当然のことが、大震災によって今更のようにお互いに自覚されたのである。この貴重な自覚を、平安な時においても持ち続けなければ、弱さの自覚を本質とする人間の忘却につながるということである。
第三は、科学神話に酔いしれた現代人の「傲慢についての反省」ということである。私はこの点において、早くから科学の進歩に対し懐疑的であった。
確かに現代に生きるわれわれは、例外なく科学の恩恵に浴している。しかし長いスパンで見れば、その行く先には間違いなく破綻と絶望が待ち受けているということである。殊に延命を目指して進歩した西洋近代医学のお陰で、今や「死ねない時代がやってきた」のである。 
これほど人間にとって絶望的なことがあるだろうか。死があってこそ生の充実があり、死のない生は弛緩の連続でしかないであろう。いったいそういう間延びのした人生を望む人がいるのだろうか。
止まる処を知らぬ科学の発達が、いかに人間を破綻へと導くかは、今回の原発事故がはっきりと証明した。原発は絶対に廃止すべきである。便利と営利を目的としない限り、原発に依存する理由はどこにもない。自然の恵みを享受し、与えられる自然から与えられるエネルギーに甘んじれば充分ではないか。
被災地に赴いて助けの手を延すこともしなかった自分を恥じながら、二回目の3/11を迎えて、思いの一端を述べる次第である。
所長・西村惠信  

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『禅文化』227号 技を訪う-育つ襖-
 川辺紀子(禅文化研究所所員)

日々の生活で出会った素晴らしい様々な“技”を、季刊『禅文化』にてご紹介しています。
本ブログでもご紹介させていただきます。
その他の記事はこちらから。
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季刊『禅文化』227号より
“技を訪う -育つ襖-”  川辺紀子(禅文化研究所所員)

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福森氏と嘉戸氏

以前にご紹介した「かみ添」の当主・嘉戸浩氏(『禅文化』216号)に、土樂窯の福森雅武氏(同221号)が、ご自宅の襖紙を依頼された。「思いのままに作ってほしい」ということだったようだ。
家も器も、花も食べ物も、細部にまで心をそそぎ、なにひとつ等閑にされない福森先生が、あっけらかんと嘉戸浩氏に襖紙を委ねられたと聞いてびっくりした。
一体どういうことになるのだろうと興味津々だったが、襖が入る日にお声をかけていただいたので、何を置いてもと駆けつけた。

一見したとき、素敵には違いないけれど、と思ったが、心奪われるという感じではなかった。嘉戸さんの「らしさ」が見えない。言い換えれば、それくらいしっくりと、部屋に収まってしまったのだ。
福森先生が自ら設計し、銘木がふんだんに使われた圧倒的な空間にあって、嘉戸さんは「自分を出すところではない」と思われたようだ。
「土樂さんには毎年、たくさんのお客が訪れる。そんな出会いの場で、襖紙がどんなふうに変わってゆくのか楽しんでほしい」と嘉戸さんは言われる。
すでに違和感なく福森家の一部となった襖だが、場の空気をすって、もっともっと育ってゆくのかと思ったら、次にお訪ねするのがますます楽しみになった。

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福森先生が桂離宮・松琴亭の市松模様の襖がお好きな事から、
柿渋のもみ紙を縦揉み、横揉みにして市松模様に

 

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この日の土樂さんのお床。花は言わずもがな、福森先生による


土樂窯
〒518-1325 三重県伊賀市丸柱1043

かみ添
〒603-8223 京都市北区紫野東藤ノ森町11-1

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『長崎・聖福禅寺の普茶料理』聖福禅寺 田谷昌弘




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友人が、「これって……」と出してくれた本を取り上げる勢いで手にし、嬉々として見入りました。

なんと、長崎の黄檗宗のお寺、聖福禅寺のご住職(田谷昌弘師)が作られる普茶料理が紹介された本ではありませんか!!!
こんなマニアックな本が出版されているとは、非常に喜ばしい事ですね。
なんとなく、精進料理の本となると、見かけるのはやはり永平寺さん関連の本や、臨済宗の本が多いように思います。

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“普く大衆に茶を施す”普茶の精神は、日本の食文化の原点。
その美意識は長崎の禅寺で脈々と現代に息づく。
“普茶料理の鉄人”がつくる珠玉の77品。
楽しく残さず召し上がれ!これも作法のひとつ。 (帯より)

普茶料理の精神やルーツから、開山隠元禅師のエピソード、そして巻末には聖福寺の歴史や伽藍等の紹介まで。
“料理の本”というに留まらぬ、奥深い一冊となっています。

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もちろん、肝心の料理に関しても、彩り鮮やかでそれは美しく美味しそう。
飽食の時代に生まれ育った我々は、肉魚が無くてはなんとなく質素すぎる、ものたりないと考えがちかもしれませんが、精進の世界は無限大に豊かなのです。
さらに、中国より伝わった普茶料理は、“揚げ”物も多く、大皿に美しく盛られた料理には、とても力強い印象があります。

私は、料理を作るわけでなくとも、元気の無い時や、なんとなくしんどい時などに、美しく美味しそうな料理の写真が多く載っている本を眺めます。それだけで元気が出るような心地がするのです。
この本も、そんな一冊に加えられました。

オールカラー、この豊富な内容で2100円。安すぎませんか?!とまで思ってしまいます。
是非お手に取ってご覧いただきたい本のご紹介でした。

『長崎・聖福禅寺の普茶料理』 聖福禅寺 田谷昌弘  長崎新聞社刊

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マスター達のこと




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先日、お誘いいただき、ピアノコンサートへとお邪魔してきました。

神戸女学院大学の音楽学部でも教鞭を取られた井澤利先生と、その門下生によるジョイントコンサートだったのですが、長きに亘り良き師に集い、一つ道を続ける方々の演奏に心から感動しました。

最後のトリで、井澤先生が演奏なさるのですが、小柄な先生が舞台の上ではなんと大きく見える事でしょう。そして演奏が始まると、「あぁ、ここにも老師がいらっしゃるのだ、同じだ」と(何でも禅宗に重ねて見てしまうのですが)瞬間に感じたのでした。

ある一定の所というのでしょうか、それを超えたマスター達というのは、もう一緒なのですね。
何で衆生を教化するのか、その方便がいろいろと違うだけなのだな……と思い、表千家長生庵の前主、堀内宗心宗匠が『歩々清風』の中で仰っていた、菩薩道についての一節が浮かびました(下記参照)。

まさに、音によって我々衆生に語りかけ、一歩階段を登らせて下さるようで、私は深く慰められ、心晴れ渡る心地となったのでした。
また、ピアノの方がまるで生きているかのように、おのずから弾いてもらう事を欲しているとしか見えず、その様子には、土樂窯の福森道歩さんが、お父様の雅武さんの轆轤について、「うちの父はどんなにできる職人よりもやれる。土の方が言うことを聞く」と仰っていたのを思い出しました。
「へ~、そんなものかぁ」と思っていましたが、この日、なんとなくわかった気がしました。

よきものに触れる機会とは、ほんとうに尊いものですね。
ジャンルを問わず、多く触れていきたいと思いました。


 お茶を含めて、人を指導するということはひとつの菩薩道であります。菩薩の指導法は、つねに相手と同じ高さまで身を落として、すなわち身を低めて、そうして人を引き上げるということであります。荷物の集配所で働いているリフトのように、その人のところへ行って、荷物と同じ高さまで支台を下げて、荷物を持ち上げ、目的地に持っていくのであります。これは済度するということであります。決して高いところから叱咤号令するのではないのであります。 『歩々清風』(堀内宗心著 禅文化研究所刊)より

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「われの名はシイラカンス……」




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ご本をいただいた。『我れの名はシイラカンス 三億年を生きるものなり』(小泉淳作著、日本経済新聞社、2012年)。日本経済新聞に連載された「私の履歴書」と、氏の画を合せて一冊にしたものだ。

私は寡聞にして「小泉淳作」の名を知らなかった……というより、覚えていなかった。本書をパラパラとめくり、東大寺本坊の襖絵写真を見て記憶が蘇った。東大寺を訪れた際、襖絵にいたく感激したのをはっきり思い出したのだ。そうかあれを描いた人が小泉淳作氏だったのか。

すぐに拝読した。数々の作品画像も見た。そしてわかった。この人は、絵も文章も陶芸もすごい人なのだ。

私はとりわけ「冬瓜」の絵に惹かれた。展覧会でこの絵を見たイサム・ノグチ氏が、「この絵には神様が宿っている」と言われたらしい。世に出るのが遅かった小泉氏はそのことを素直に喜んでおられる。

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冬瓜 小泉淳作


「売れる絵」に背を向け、納得する絵をひたすら追求してきた氏が、絵で生計を立てられるようになったのは六十歳すぎてからだという。
それまでの氏は「画家では食えずに副業の商業デザインや陶芸を手がけて暮らしの糧にしたが、絵筆は手放さなかった。絵のことばかり考えてきた」のだ。しかし、副業で家族を養い、「絵のことばかり」考えて生きる日々は大抵ではない。腹立ちや鬱憤に心乱れることだってある。そんな頃、縁あって知り合った物理学者の武谷三男氏が、「人生は妥協の連続ですよ。人は妥協しなければ生きていけません。でもね、生きる上でひとつだけ妥協しないものを持たなくちゃね」と言われたという。知遇を得たのは1955年、武谷氏の言葉に勇気づけられた小泉氏の強靭な意志は、その後びくともしていない。

それにしても、「私の履歴書」に描かれる出会いのすばらしさはどうだろう。無名の画家であり、人見知りする質(たち)の氏が、こんなにも多くの人たちに支えられたことは驚きだ。彼の芸術家としての魂が終始揺るぎなくホンモノであったことが、人々を惹き付けずにはおかなかったのだろうか。

因みに、建長寺法堂天井画「雲龍図」・建仁寺法堂天井画「双龍図」の両作品も小泉画伯による晩年の大作である。

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中国出張




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2/25から2/27まで中国に行ってきた。
今回の訪中目的は、臨黄合議所が進めている臨済禅師1150年遠諱事業の一つである、訪中団の受入れと、日中合同法要の実施に向けて、中国側関連機関と協議するためである(詳細は後日臨黄ネットに掲載予定)。

さて、中国というと尖閣問題の渦中でもあるが、何よりの心配はPM2.5による大気汚染の状況であった。ネットショップで防塵マスクを購入し(1枚1500円もする!)、うがい薬等も持参しての出発となった。

北京空港に着き、迎えの車にそそくさと乗り込み最初の目的地である河北省の石家荘に向かう。意外にも北京市内でマスクをしている人は殆どいない。通訳として同行の李建華氏(当研究所北京在住研究員)によると、これ程度ならみんなマスクをしないとのこと。しかし、遠くはだいぶ霞んでいるのだが……。

北京から石家荘までは車で約4時間の行程で、車外の風景をのんびり見ながら目的地に向かう。この石家荘は国内でも最も汚染濃度が強い地域だそうで、確かに近づくにつれ車内の空気が変わってきた気がしていた。
午後6時、予定より1時間遅れで最初の訪問先である河北省仏教協会に到着。関係者の温かな歓迎を受け会談にのぞんだ。

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是什麼 -今週の花-




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是什麼
これなんぞ   天龍寺派前管長 平田精耕老師


日本水仙の美しい季節ですね。
さざんかの蕾とあわせました。
まさに開かんとする蕾より、生命のシャワーを浴びたいもの。

花器は、岸野寛さんの黄瀬戸竹花入です。

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