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マスター達のこと




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先日、お誘いいただき、ピアノコンサートへとお邪魔してきました。

神戸女学院大学の音楽学部でも教鞭を取られた井澤利先生と、その門下生によるジョイントコンサートだったのですが、長きに亘り良き師に集い、一つ道を続ける方々の演奏に心から感動しました。

最後のトリで、井澤先生が演奏なさるのですが、小柄な先生が舞台の上ではなんと大きく見える事でしょう。そして演奏が始まると、「あぁ、ここにも老師がいらっしゃるのだ、同じだ」と(何でも禅宗に重ねて見てしまうのですが)瞬間に感じたのでした。

ある一定の所というのでしょうか、それを超えたマスター達というのは、もう一緒なのですね。
何で衆生を教化するのか、その方便がいろいろと違うだけなのだな……と思い、表千家長生庵の前主、堀内宗心宗匠が『歩々清風』の中で仰っていた、菩薩道についての一節が浮かびました(下記参照)。

まさに、音によって我々衆生に語りかけ、一歩階段を登らせて下さるようで、私は深く慰められ、心晴れ渡る心地となったのでした。
また、ピアノの方がまるで生きているかのように、おのずから弾いてもらう事を欲しているとしか見えず、その様子には、土樂窯の福森道歩さんが、お父様の雅武さんの轆轤について、「うちの父はどんなにできる職人よりもやれる。土の方が言うことを聞く」と仰っていたのを思い出しました。
「へ~、そんなものかぁ」と思っていましたが、この日、なんとなくわかった気がしました。

よきものに触れる機会とは、ほんとうに尊いものですね。
ジャンルを問わず、多く触れていきたいと思いました。


 お茶を含めて、人を指導するということはひとつの菩薩道であります。菩薩の指導法は、つねに相手と同じ高さまで身を落として、すなわち身を低めて、そうして人を引き上げるということであります。荷物の集配所で働いているリフトのように、その人のところへ行って、荷物と同じ高さまで支台を下げて、荷物を持ち上げ、目的地に持っていくのであります。これは済度するということであります。決して高いところから叱咤号令するのではないのであります。 『歩々清風』(堀内宗心著 禅文化研究所刊)より

by admin  at 07:30
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