葬儀に思う




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先般、自坊の檀家さんではないが、近隣に住まわれる新興住宅地のお家から、喜寿で亡くなられたお婆さんの葬儀を依頼され枕経に出向いて、故人に末期の水をあげようとして驚いた。
なんと、枕辺にあるシキミが造花だったのだ。
いくら葉をちぎろうとしてもちぎれないので、ようやく気が付いたほどよくできていた。いくらなんでも、こんなことはすべきではないと、葬儀社に苦言を呈したのはもちろんである。

それどころか、通夜や葬儀はホールで行なったが、どうやら、祭壇のほとんどの花もすべて造花のようだ。儀式が始まってから気が付いたので、時既に遅しである。
きっと葬儀社に支払う費用がリーズナブルなんだろうが、遺族の人たちはどこまで納得してやっているのだろうか。たぶん、そこまで考えないうちに、葬儀社との打ち合わせで決められてしまっていて、ただ安く上がったなと思うだけでおしまいなのではないか。

じつは喪主である傘寿になるというご主人が、ちょっと頑固な方。枕経の時点での打ち合わせでも「簡単に済ませたい」の一点張り。中陰も五七日であけたいといわれた。理由を説明して七七日までしてあげてほしいとお願いし、ご理解をいただけることにはなったが。

それで私は秘かに考えたわけである。よ~し、この喪主を納得させられるような葬儀と中陰法要を行なおうと……。僧侶魂に火がついたというべきか。

そこで、生前には一度も出会ったこともない故人ではあったが、いつも檀家さんに対して行なっているのと同じように、いや、それ以上に丁寧に故人のことについてお話を伺い、通夜や葬儀の式次第について事細かに説明し、戒名をおつけし、通夜の席ではおつけした戒名のことをお話ししたりした。
そうすると不思議なもので、白木のお位牌に書いた戒名も、いつもより上手に書けた気になったりする。
ただ、ご家族の話で、この故人は花が好きだったとわかっていたのに、造花で終わってしまった点がなんとも腑甲斐ない。

しかしながら結果的に、お骨あげの諷経のあとのお食事の時、ご主人をはじめご家族はとても和んだ顔をされていて感謝の意を表していただいた。私も胸を張ってお布施を頂戴することができた。

実は数日前に「臨黄教化研究会」という、宗門の僧侶を集めた研修会が2日間あり、そこでのテーマが「葬儀の現状と問題点を考える」であった。私はスタッフとして参加していただけであるが、この研修会で色々と考えたことが役にたったわけである。

とある田舎寺院の僧侶の独り言である。

by admin  at 07:30
コメント
  1. こんな和尚さんが増えてくだされば、葬儀不要というような風潮に歯止めがかかるでしょうね。故人をきちんとお見送りすることは、とても大切なことだと思います。

    by 野の花  2011年3月10日 13:15
  2. 野の花さま、コメントありがとうございます。
    僧侶は故人をお送りするとともに、遺族を癒すのも役割だと思います。
    肝に銘じてこれからも励みます。

    by 禅文化研究所  2011年3月10日 13:32
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