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人生の四季 -松田高志先生のお話より-




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コブシの大木 4/21 綾部にて


季刊『禅文化』にも何度か寄稿いただいております、私の大学時代のゼミ教授・松田高志先生を友人宅にお迎えしての勉強会でのこと。

今回は、松田先生からご提案のあった、-人生の四季-をテーマとし、様々な名著名言を引用され、先生なりの70歳の境界や、来し方をお話頂きました。

来し方については、シュタイナーの七年周期の図を用いて、先生が人生を振り返っておられました。
七年周期については、ネットで検索すると色々出てきますのでご関心ある方は是非。照らし合わせてみると、「ふむふむ」と納得する部分、まだいまいちわからない部分ありますが、なかなか興味深いものです。

そして、70歳を迎えられた先生が、“老い”について、「恩寵に気づかざるを得ないような苦しみ」・「強いられた恩寵」と仰ってたのがとても深く心に残りました。なんとも先生らしい“老い”の受け止められ方です。

また、老いのみならず、老若男女、誰にでもとてつもない苦しみが強いられる事があります。
それについては、「苦しみに徹することにより、大いなる恵みに気づかされるのであって、それはまた強いられた恩寵である」と先生が仰いました。

誰しも、他人に話せないほどの苦しみを多かれ少なかれ抱えていたりするもの。その真っ只中にいる時はなかなかに気づけませんが、乗り越えてみると、“今”を感謝できるようになるでしょうし、感謝の恩寵の雨が降り注ぎます。
苦しみから様々な事に気づく事ができるという点で、やはりそれは恩寵なのだなと附に落ち、この受け止め方がしっくりくるのでした。

また、神谷美恵子さんの著書、『こころの旅』より、お年を召された方について書かれた部分をご紹介下さいました。
あまり我を見せる事のない神谷さんが、珍しく著書の中で断定して仰っている事なのだとか。

「有用性ではなく、存在の仕方そのものによって周りの人々を喜ばせるという点において、子供と同じである」

このような存在になれるよう、歳を重ねたいものですね。

そして最後に、「やはり歳を重ねる、老いを受け入れるというのは辛いものなんです」と先生が度々仰っていたので、逆に素晴らしい事はと質問しましたら、

「毎日がほんとうに心の底からありがたい事」…と。
チューリップが咲いてもほんとうに有難い、食べ物が毎日とてもおいしくて心底有難い、有難いことづくしなんだそうです。
これは、私達若者でもそういう意識は常日頃持ち得るわけですが、どうやらその深さは、到底我々ではまだ理解し得ない所なのだそうです。深淵の度合いが違うのでしょう。

19歳で出会った我が師、既に15年師事しています。確かに出会った頃より先生はお歳を召されました。
ですが、歳を重ねるごとに、より一層深みが増し、より一層親しみやすく、より一層この方から学べるだけの事を学んでゆきたいという思いが募ります。有難い御縁です。

継続は力なり。
京都でお話会のような勉強会を開催しています。ご関心のある方はご一報を!

by admin  at 07:30
コメント
  1. 「強いられた恩寵」というのは、キリスト教の用語です。プロテスタント教会の牧師・高倉徳太郎が言い出した言葉だったと思います。元をたどれば宗教改革者のカルヴァンさらには教父のアウグスティヌスに遡ると記憶します。

    by 閲覧者  2021年2月26日 11:33
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