Feb 16
2010
新宿の熊野神社
東京出張の朝、ちょっと時間があったので、西新宿の中央公園の隣にある熊野神社へ行ってみた。
このブログを読まれている方には、もちろん東京の方も少なくないだろうが、この神社をご存じだろうか。
大都会、あたりには高層ビルが立つ西新宿にあるのだ。
「熊野神社」という名から、和歌山の熊野大社を思いつつ、道路から階段をあがり鳥居をくぐる。
すぐ左手に本殿があり、ちょうど神主さんらしき方が入っていかれるのに遭遇した。その後、なにかの合図の太鼓が鳴り響いた。
社務所前にこの神社のいわれが書かれた掲示板があった。読むと、やはり……。
室町時代、応永年間(1394~1428)に、中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州は熊野三山から十二所権現を、この地に移して祀ったのが起源とされるようだ。
江戸時代には、「熊野十二所権現社」と呼ばれたとも。
しかしまぁ、今となって高層ビルから見下ろされる熊野の権現様には、大変申し訳ないことだ。
八代将軍吉宗は、鷹狩の機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は、文人たちも訪れる、江戸西郊の景勝地として賑わったとのこと。
当時はどんな景勝地だったのか、今はその見る影もないが、紅梅がほころびはじめていた。
これは、本殿の裏手にある末社・大鳥三社にある狛犬。腹の下がくり抜きにはなっていない珍しいものだとのこと。
また、江戸時代後期の有名な狂歌師、大田南畝の書による銘文が刻まれた水鉢(文政3年に奉納されたもの)があったりと、朝の散歩としては、ちょっと楽しく興味ふかいものとなった。
by admin at 07:30
ブログ禅御中
2010年2月16日
前略。
◎新宿の熊野神社。
俳人・福永耕二(1938~1980 享年43)の句に、「新宿は はるかなる墓碑 鳥渡る」。1978年(昭和53年)、新宿の高層ビルに向かって延命十句観音経を唱えられた中川宋淵老師(1907~1984)にこの句をお見せしたかった。あれから30年。高層ビルは果たして墓碑か菩薩か。
「年表」
昭和46年・・・京王プラザホテル
昭和49年・・・新宿住友ビル
昭和49年・・・新宿三井ビル
昭和49年・・・KDDIビル
昭和51年・・・損保ジャパン本社ビル
昭和53年・・・新宿野村ビル
東北寺 藤田吉秋
東北寺 藤田吉秋さま
コメントを頂き、ありがとうございます。
やはり、中川宋淵老師も、新宿の高層ビルに墓碑をみられたのでしょうか。
もともと田舎暮らしで、都会と言ってもビルの低い京都ぐらいしか知らない私ですから、いつも東京に行き、あの景色を見ると心がざわついてしまうのです。