Feb 08
2007
比叡山に登る(2)
最澄の廟所である浄土院の脇から入って山道をしばらく歩くと、光定(こうじょう)の廟所に辿りついた。光定の廟は、信長による元亀の兵乱にも所在を失うことなく、現在の我々も光定の葬られた地を訪ね、いにしえに思いをはせることができる。
最澄の高弟であった光定は、師の悲願であった大乗戒壇の設立に奔走し、最澄の寂後七日にして設立許可の勅使来山を実現させた功労者である。光定が受戒の証明として朝廷から賜わった「光定戒牒」は、三筆の一人である嵯峨天皇の雄渾な筆致を今に伝えている。没後には別当大師と尊称され、近年まであった坂本の別当大師堂では大黒天の姿で祀られていた。
見ると、小さな方堂である。墓石を保護するための覆堂かと思い、まわりを一周してみて驚いた。出入り口がないのである。窓さえもない、木箱のような堂であった。中に墓石があるのかどうかも分からない。あったとしても拝することはできない。
光定の墓は、まるで暗闇の中に密封されているかのようだった。なぜこんな墓堂に祀られているのか、何かいわれがあるのか、調べてみたいものである。
翠苔の上に金葉がちりかかる。まるで錦の反物のような山道。
by admin at 07:30
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