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-各月の禅語とうたの紹介-
1月 一休、髑髏を挑ぐる図
ものまう と頼候 一休御頼申 御用心御用心
今日だけは むこうへお行き 野暮なやつ
*一休さん、元旦そうそう人様の玄関先をうろつき回り、「たのみましょう」と声をかけ、いきなり髑髏を突き出すや、「すぐにこうなるぞ、用心なされや、用心なされや、一休がお頼みするぞ」と。
2月 渡宋天神図
天下梅花主 扶桑文字祖
天下、梅花[ばい か]の主[しゅ]、扶桑[ふ そう](日本)、文字[もん じ]の祖
梅の香に ひとつとなりて 天に満つ
*伝説に言う、菅原道真公は宋の国に渡って無準師範に参禅し、法衣を授かったと。
3月 笠鉢禅板図
衲僧家一代の守本尊也
衲僧家[のう そう け]一代[いちだい]の守本尊[まもり ほん ぞん]なり
笠[かさ]に鉢[はつ] 禅板[ぜんぱん]あれば 死にはせぬ
*笠は行脚、鉢は食事、禅板は坐禅、雲水の必需品。
4月 四睡図
四睡一睡 鼻息如雷 聞得分暁 寒拾再来
四睡[し すい]一睡[いっすい]、鼻息[び そく]、雷の如し
春の陽[ひ]に 四人そろって おおいびき
*天台山の寒山・拾得・豊干の三聖が、なんの心配事もなく虎にもたれて眠る図。
5月 鍾馗図
吹毛用了更無敵
吹毛[すいもう]用[もち]い了[お]わって更に敵[てき]無し
こわおもて 子供を守る その剣
*鍾馗[しょうき]は中国道教の神。剣を持ち、大きな眼で睨みつける。端午の節句に絵や人形を奉納する。吹毛は、吹きかけた毛をも切るほどの鋭利な剣。
6月 六祖、唐臼を踏む図
惟[た]だ負舂[ふしょう]の居士、一偈、衣[え]を伝えて六代の祖と為[な]る(『六祖壇経』序)
ただ一語 本来無一物 禅を嗣ぐ
*後に禅宗六祖となる慧能が、五祖弘忍の道場で米搗き修行をしていた時の図。
7月 鬼に金棒図
そこらに 親に不幸なやつは 居おらぬかな
有りや有りや無しや無しや、見るや也[ま]た不[いな]や、之れを尋ねども未だ遇[あ]わず、鬼神愁[うれ]う。縦横の大火も、光彩を隠す、正気愈[い]ゆ、生鉄[さんてつ]の棒頭[ぼうとう] 亀山東洲題す
惟[た]だ負舂[ふしょう]の居士、一偈、衣[え]を伝えて六代の祖と為[な]る(『六祖壇経』序)
親孝行 せよとは言わぬ 達者でな
*「鬼が鉄棒を持って親不孝者を捜したが見付からずになげいている。四方八方の大火も光を隠し鬼も正気になった」という詩趣。亀山東洲は同時代の黄檗宗の僧。
8月 へちま図
世の中を なんのへちまとおもえども ぶらりとばかり してもいられず
只だ諸人の与[ため]に垢穢[くえ]を除く、知らず自己一団の滓[かす](断崖了義「糸瓜」賛)
へちまとて 垢すりとなり 世を浄む ぶらりとばかり してもおらぬぞ
9月 重陽菊花図
一句明々該万象 重陽九日菊花新
一句[いっ く]明々[めいめい]として万象[ばん しょう]を該[か]ぬ、重陽[ちょう よう]九日[きゅう にち]菊花[きっ か]新[あら]たなり(汾陽善昭「三玄三要頌」)
尽大地 この重陽の 菊と咲く
11月 葡萄図
露滴馬乳 風起龍鬚
露[つゆ]は馬乳[ばにゅう]に滴[したた]り、風[かぜ]は龍鬚[りゅう しゅ]を起こす
風にゆれ 露に輝き すがすがし
*馬乳は葡萄の異称、龍鬚は葡萄の長いツルの形容。韓愈の「蒲萄」詩に「若し満盤に馬乳を堆[うずたこ]うせんと欲せば、竹を添えて龍鬚を引くことを辞すること莫かれ」と。
11月 富士山図
扶桑[ふ そう]第一の好風景、三保の松原、富士の煙(虎哉宗乙「富士田子の浦に船有る扇に賛す」)
富士の山 ふたつとてなし 不二の山
12月 出山釈迦図
有路須出 無家何之 天上天下 巍々如斯(賛・月船禅慧)
路[みち]有り須[すべか]らく出[い]づべし、家[いえ]無し何[いずく]にか之[ゆ]く 天上天下[てんじょうてんげ]、巍々[ぎぎ]たること斯[かく]の如[ごと]し(月船禅慧『武渓集』偈)
山を出で 誰にか説かん 微妙[みみょう]の法
*釈尊が六年の苦行の後、十二月八日、暁の明星を見て悟り、雪山(ヒマラヤ)を下る時の姿。月船禅慧は同時代の臨済宗の僧。