カートは空です
【DVD内容紹介】
2歳で遭遇したおじいさんの死。小学校の同級生が白血病でこの世を去り、幼少期から「死とは何であるか」が一大事であった南嶺老師。既にその頃より坐禅を始められ、中学生で生まれ故郷、和歌山・由良の興国寺の目黒絶海老師より、初めての公案をいただいたという。
大学生時代に小池心叟老師のもとで出家し、修行を続けてこられた老師が、34歳にして僧堂師家、45歳という若さながら円覚寺派管長になられたのは不思議ではない。
「導くというよりも、お坊さんは和合を大切にします。一緒に雲水と修行をしています」と、今もなお修行を続けておられる老師は、傲る事なく、常に我々と同じ目線で、我々の所にまで降りてこられてお話下さる。修行で培ったもの、得たものを分かち合う精神を貫かれている老師の在り方に、毎月の日曜説教会には400超の人々が集まり、様々な坐禅会が開催され、鎌倉円覚寺での禅の興隆には目をみはるものがある。その土台を作ってこられた円覚寺の歴代管長、老師方のお話も交え、また、大震災や原発問題に直面している我々のくらし方の手本となり得る僧堂の様子の影像も非常に興味深い。
2歳で遭遇したおじいさんの死。小学校の同級生が白血病でこの世を去り、幼少期から「死とは何であるか」が一大事であった南嶺老師。既にその頃より坐禅を始められ、中学生で生まれ故郷、和歌山・由良の興国寺の目黒絶海老師より、初めての公案をいただいたという。
大学生時代に小池心叟老師のもとで出家し、修行を続けてこられた老師が、34歳にして僧堂師家、45歳という若さながら円覚寺派管長になられたのは不思議ではない。
「導くというよりも、お坊さんは和合を大切にします。一緒に雲水と修行をしています」と、今もなお修行を続けておられる老師は、傲る事なく、常に我々と同じ目線で、我々の所にまで降りてこられてお話下さる。修行で培ったもの、得たものを分かち合う精神を貫かれている老師の在り方に、毎月の日曜説教会には400超の人々が集まり、様々な坐禅会が開催され、鎌倉円覚寺での禅の興隆には目をみはるものがある。その土台を作ってこられた円覚寺の歴代管長、老師方のお話も交え、また、大震災や原発問題に直面している我々のくらし方の手本となり得る僧堂の様子の影像も非常に興味深い。
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