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浜松 龍雲寺

蝉の大合唱をBGMに「禅文化」秋号(246号)の編集作業を行う今日この頃ですが、先日は編集室から外に出まして静岡県へ。次号の特集テーマ「禅寺の庭」に関連した取材に伺いました。行き先は、浜松は佐鳴湖畔に伽藍を構える龍雲寺さんです。

0817_001.jpg境内裏山の頂上からは、遠く南アルプスの山々も。「素敵なロケーションの、ゆったりしたお寺だな」という印象を受けました。

0817_002.jpg裏山から玄関までつながるビオトープでは、大ぶりの沢ガニたちが伸び伸び。彼らは、お参りに来られるお子さんたちの人気者だとか。

0817_003.jpg池の鯉もすっかり人になついて、頭を撫でても逃げません。

人間も動物も「ふっ」と肩の力が抜けてしまうこのお寺の魅力は、いったいどこからくるのでしょうか。そのキーとなるのが、ふたつの庭園です。

0817_004.jpgそのうちのひとつ、一見シンプルに見えるこの枯山水庭園にも、作庭を手掛けた京都の作庭家・北山安夫さんによる想いと仕掛けがたくさん詰まっているのです。さて、その秘密とは?……などとじりじり書かずに、本当はもうここで公開してしまいたいくらいなのですが、本日のところは「10月号の発刊をお楽しみに」とだけ書かせてください。読んで良かった!と思っていただける一冊になるよう、一生懸命がんばります。

0817_005.jpg龍雲寺さんは、8月に涅槃堂を落慶されたばかり。涅槃堂には、16幅に亘る地獄絵の展示をはじめ様々な見どころがあります。ぜひお出かけくださいませ。

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今年も夏の方広寺(浜松市)へ

ちょうど、先般の迷走台風第5号が、紀伊半島から京都、滋賀、福井と縦断していく頃、私たちは浜松の臨済宗方広寺派大本山方広寺へ、デジタルアーカイブスの調査に出向く時でした。

夏の甲子園も開会式と初日の試合を一日順延しましたが、2台の車に分乗して浜松へ。名神で向かった一台はどうということなかったのですが、もう一台は別コースで滋賀県の新名神を使って三重県へ入っていくあたりで、猛烈な雨に見舞われ、一旦、サービスエリアに待避するといった情況でした。

ともかく無事に方広寺に到着し、調査対象の宝物を収蔵庫から調査会場に運び込んだ頃から、浜松でも大雨になってきました。

blog_MG_4139.jpgさすがに今日は「直虎ブーム」とはいえ、方広寺に一般のお客さんはほぼ来ておられませんが、我々は黙々と調査を敢行。

blog_MG_4143.jpg毎回、調査に伺うと、本山の部長さん方がご接待いただくのですが、今回はお盆の御用事があるとのこと。仕事を終えた夕方以降は、われわれスタッフだけでご提供頂いた般若湯をたらふくいただいておりました。

2016年の冬から始めた方広寺様の調査は、今回の3日間の調査で都合4回目となりましたが、ようやく目処が立ち、あと一回で終えられそうな様子です。おそらく次は来年の2月。足かけ4年かかりました。現在、書は約180点。絵画は90点。他に工芸も少し調査させて頂きました。
来年1月に発刊予定の季刊誌『禅文化』にて、方広寺様の宝物の中から優品を選定し、グラビアでご紹介できればと思っています。お楽しみに。

さて、明日8月11日から16日まで、禅文化研究所は夏期休業とさせて頂きます。ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

 

 

 

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ジャポニスム2018

 

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日仏友好160周年にあたる2018年に、パリを中心に大規模な日本文化紹介企画「ジャポニスム2018」が実施されます。
会期は、2018年7月から2019年2月。日本の美意識をテーマに、展覧会や舞台公演、食や精神文化に関するものなど、幅広い範囲の事業が連続して行なわれる予定です。
この中で禅の精神を伝える事業を行なうことになり、禅文化研究所が窓口となり準備を進めています。
具体的には5日間ぐらいの日程で、坐禅会や講演会、写禅語などのワークショップ、映像上映、パネル展示などを行なう予定です。既に会場などの現地視察も終えました。
全世界にZENの名を知らしめた鈴木大拙博士は、「禅はどこまでも実際的であり、日常的であり、同時に最も溌剌としている」と言っています。
「禅」に対する関心が高いフランスで、臨済禅とは何かを知ってもらうまたとない機会になるでしょう。

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8月の業務体制

 

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梅雨明けしてからも、あまりカラッと晴れた日がない気がしますが、もう8月に入ってしまいました。自坊近くの田んぼでは、もう稲穂が頭を垂れているものまで見られ、転作田では先ごろ大豆の種が捲かれたと思ったのに、もうスクスクと伸びてきています。伸びて行くのが見えるようなほどの速さです。自然の力は素晴らしいですね。

禅文化研究所のある京都、関西では一般的に8月にお盆行事を迎えます。ついては職員の半数ほどは自坊のお盆の棚経や施餓鬼でおおわらわ。というわけで、下記の通り夏期休業とさせていただき、また職員によって、それ以外の日もお休みをいただいていることが多くなりますが、なにとぞご了承下さい。
そのうえ、私などはデジタルアーカイブスの3日間調査が、8月に2つも予定に入っています。ブログもこの頃、月水金の週3本ペースですが、それもままならぬことになりそうで、間引きになることもあるかと思いますが、9月になれば復活します。する予定です。

【休業期間】2017年8月11日(金) ~ 2015年8月16日(水)

ご注文いただきました書籍等の発送も、通常より遅れる可能性もあります。8月10日(木)午前10時までにいただきましたご注文は、10日中に発送させていただきます。それ以降のご注文につきましては、17日(木)以降、順次発送させていただきます。

なにとぞ、よろしく御願い申し上げます。

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公開 逸話(15)白隠門下 その10-遂翁元盧(3)

再び白隠禅師高弟の一人で、遺墨の多い遂翁元盧禅師と、珍しく出てくる琉球僧の逸話から。

 


遂翁02.jpg遂翁和尚のところへ琉球(沖縄県)の僧が来参した。遂翁は、隻手(せきしゅ)の公案を与えて指導した。
三年の期間が過ぎ、帰郷することになった僧は、遂翁に相見し、涙を流しながら嘆いた。
「わたしは、大法を求めるために、遠い海原を越え、この地へ参りました。しかし、前世からの悪習はいまだ消えず、悟りを開くことができません。このまま空しく故郷に帰り、昔のままの姿をさらすのは、嘆かわしいかぎりです」
僧の嘆きを聞いた遂翁は、
「そんなに悲しむことはない」
と慰め、かつ、
「七日間、一所懸命に坐禅せよ」
と、教えた。僧は、その教えの通りに七日間坐禅をしたが、一向に悟れなかった。再び遂翁に相見し、
「どうにも悟れません。どうか、方便をお示し下さい」
と、訴えた。遂翁は、
「あと七日間、一所懸命に坐禅せよ。必ずや悟ることがあろう」
と、教えた。僧は、再び教えの通りにした。しかし、七日がたっても前と同じだった。
「どうにも悟れません。どうか、方便をお示し下さい」
遂翁は、
「古人は、三七、二十一日の間に悟りを開かれた。そなたも、更に七日間、坐禅をせよ」
と、教えた。僧は、教えの通り二十一日間坐禅をしたが、いささかの所得もなく、遂翁に相見し、嘆き悲しんだ。遂翁は、
「わしによい方便がある。そなた、更に五日間、坐禅せよ」と。
僧は、また教えの通りにした。そして五日が過ぎ、遂翁のところへやって来た。
「どうじゃ」
「以前のまま、どうにもなりません」
遂翁は、
「そんなことではとうてい大悟はできぬ。もっとせっぱつまって究めねばならぬ。三日ののち、まだ開悟できなければ、その時は、死んでしまえ」
と、厳しく励ました。
この僧も、ここで始めて身命を投げ捨てて坐禅をした。三日ののち、果たして隻手の公案を透過した。僧は遂翁に相見し、遂翁も喜んで印可した。そして、この僧は琉球に帰って行った。その後、遂翁は、嗣法の書を送ったという。
孔子さまも、
「憤(ふん)せずんば啓(けい)せず、悱(ひ)せずんば発(はっ)せず」
と言っておられるが、この僧こそ、この言葉の通りではないか。


開悟できなければ「死んでしまえ」とは、少々乱暴で、今の世でこんなことを言えば、過剰指導だ、「パワハラ」だと訴えられるかも知れませんが、禅の修行では、「大死一番」、死んだと思って徹底的に参究せよと言われるものです。だからこそ、新聞記事のように騒ぎ立ててもすぐ忘れられるものではなく、このような話が逸話となって語り継がれていくのでしょう。

 

※写真は遂翁元盧筆/遂翁元盧画・頑極禅虎賛「南泉一円相図」(禅文化研究所蔵)。禅文化研究所デジタルアーカイブズ「禅の至宝」より

 

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正受老人と白隠

 

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若き白隠は越後高田で修行中、遠寺の鐘声を聞いて大悟されたと自ら記しておられます。しかしその後、信州飯山に向かって道鏡慧端禅師(正受老人/1642~1721)の膝下に入った白隠は、その境地を徹底的に叩きのめされ「穴蔵禅坊主」とまで叱咤されました。しかしその後、徹底した修行の中で、難答難解の公案がからりとわかった白隠は、今の世に「臨済宗中興の祖」「五百年間出」といわれる、日本において欠くことのできない偉大な禅僧となられました。

正受老人のおられた正受庵は、今も飯山の地にひっそりと残っています。臨済宗において聖地ともいえるかもしれません。

この飯山市で、平成29年8月19日土曜日、白隠禅師250年遠諱を記念して「正受老人と白隠 -悟りを超えた白隠さん-」と題した講演会が、臨済宗妙心寺派の主催により開催されます。

講演者は、前・禅文化研究所所長の西村惠信先生です。

飯山というところは、現代に至っても行きにくい土地でしたが、北陸新幹線の開通により東京からなら1本で、関西からでも富山経由で簡単にいくことができるようになりました。
会場は、北陸新幹線「飯山駅」から歩いて5分の「飯山市文化交流会館なちゅら」。お盆明けの土曜日です。入場も無料。
おちかくの方はもちろん、この機会にちょっと脚を伸ばして正受庵へのお参りもどうぞ。

パンフレットはこちら(PDF)からご覧頂けます。

 

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東福寺の夏期暁天講座

 

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夏本番となり、各本山での暁天講座の季節となりました。

今年の大本山東福寺での暁天講座は上記ポスターの通りです。

暑い盛りですが、朝の涼しい時間帯に、広々とした東福寺の大禅堂(去年、臨済禅師白隠禅師の遠諱大摂心を行なった場所)で、禅に関わるお話を聴講されては如何でしょうか。

会費も予約も不要です。どうぞお運び下さい。

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季刊『禅文化』245号発刊のお知らせ

 

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季刊「禅文化」7月号が、25日に発刊となります。

今回の特集は「白隠禅師シンポジウム-京都-」。

白隠禅師は、日本臨済宗中興の祖と仰がれながらも妙心寺には上堂されておらず、このためこれまで妙心寺での遠諱慶讃法要は行なわれてきませんでした。禅師没後250年となる今年、妙心寺法堂において初めて法要が勤修された翌日、花園大学教堂にて開催された「白隠禅師シンポジウム(京都会場)」(主催:臨済宗黄檗宗連合各派合議所、共催:花園大学)。この催しを、誌上で振り返ります。

龍澤僧堂師家・後藤榮山老師の提唱式講演「白隠前後無白隠」を巻頭に、愚堂東寔に対する白隠禅師の特別な敬意を、その書画から紐解く論攷などを掲載。シンポジウムにご参加いただけなかった方にも、その空気を感じていただけるよう臨場感を意識しました。

また、禅師は明治天皇より「正宗国師」号を追諡されていますが、この事情にまつわる後藤老師の推論(表紙解説)もぜひお読みいただきたく、何卒宜しくお願い申し上げます。

くわしくは、こちらを御覧下さい。

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誠拙周樗禅師(1745-1820)の遠諱記念に

 

blog_20170720_092225.jpg昨日、鎌倉は大本山円覚寺まで出向いて参りました。梅雨明けしたばかりの暑い一日。
東上する時の新幹線は毎回、E席を確保し、富士山を拝もうといつも楽しみに向かうのですが、夏に富士山の全景を拝めることはなかなか難しく……。昨日も雲の小袖で顔を隠されておりました。

 

blog_20170720_103756.jpg北鎌倉の円覚寺山門に着きました。平日の午前中なので、参拝者は少ないようでした。なにやら見かけた顔の女性とすれ違いました。京都の数珠屋のおかみさん。朝早くから管長猊下にご相見だったのでしょうか。お見送りの雲水さんとお話しになりながらでしたので、こちらにはお気づきでないようでした。

blog_20170720_103837.jpg私はというと、2019年に円覚寺様が勤修される、中興大用国師誠拙周樗禅師200年および釋宗演老師100年の大遠諱に合わせて、制作を依頼されている大用国師の墨蹟集の打ち合わせに参ったわけです。
勅使門の前にも「大遠諱」の大きな立て札が見えますね。

blog_20170720_104116.jpg全国から集められた資料によると、大用国師の墨蹟は約450点。その中から、管長様や塔頭や末寺の委員の方々、そして宗務本所の方々と一緒に、掲載する書画を選定するという6時間近くにわたる会議でした。

今回の会議でほぼ選定を終えましたので、それらの墨蹟を、これから約1年ほどの間にご所蔵の各ご寺院などに伺って、撮影調査という大仕事が控えているわけです。

blog_20170720_104026.jpgこういった記念すべき事業に関わる刊行のご依頼をいただくことも、弊所の仕事の大きな部分を占めています。ありがたいことです。

日帰りでの鎌倉行。便利な世の中です。

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特別展「雪村-奇想の誕生」 MIHOミュージアム

 

su01a.jpg来たる平成29年8月1日から9月3日まで、滋賀県のMIHOミュージアムにて特別展「雪村-奇想の誕生」が開催されます。

今年の春に東京芸術大学大学美術館で展観されていた同展の関西開催です。

室町後期から戦国時代に主に東国で活躍した画僧、雪村周継(せっそんしゅうけい)は、それまで日本では中国画を基本にした山水画や人物画が描かれていた画風を、独自の画風で一新した画家です。

その主要作品約80点と、雪村から影響を受けた後代の関連作品約30点で構成される本展、春の展覧会にも出展した、弊所所蔵の「蕪図」も再び出品(後期展示)されます。

暑い時期ではありますが、MIHOミュージアムは関西でも最も涼しいところかも知れません。納涼を兼ねて出向かれては如何でしょうか。

同展のパンフレットはこちらからご覧頂けます。

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『一休ばなし集成』在庫あります

 

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今週末、2017年7月28日(金)の13時~18時30分に、花園大学講堂にて、一休シンポジウム「一休と禅のこころ」が開催されることは、先般のブログ禅にて紹介させていただきました。

そんなおり、絶版品切れとなっている『一休ばなし集成』の返品本でカバー汚れのものが、少しまとまって有りました。そこで、簡易的にカバーを作成し、この機会に直販限定特別価格にて販売させていただくことにしました。

定価は税込み2621円ですが、在庫整理につき税込み1944円にて販売いたしております。再版の予定はありませんので、一休さんの伝説がまとまったこの一冊が手に入らずにおられた方、今がチャンスです。

こちらのWEBショップからお求めいただけます。また、上記の一休シンポジウムの会場でも販売させていただきます。

 

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研究所の花 2017/7-2

京都では、祇園祭のお囃子の音が聞こえだしています。今週日曜日が宵山ですね。

さて、今週の研究所の花をご紹介します。そろそろ紫陽花が終わりになってきましたので、他の花を伐ってきました。

まずは玄関先に擬宝珠(ギボウシ)です。夏らしく竹籠の掛け花入れに入れてみました。

blog_BKL0138.jpgもうひとつ、玄関先に。こちらはミソハギとチョコレートコスモス。
ちなみに色紙は、現妙心寺派管長嶺興嶽老師の「布袋留守」自画賛です。布袋さんのぬのぶくろ、パンパンではち切れそうですが、「無」とはこれ如何に。

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それから応接室。今回はかなり派手目です。ダリアと紫陽花、そしてカラー。

blog_BKL0131.jpg最後に無文老師の真前には、擬宝珠と斑入りのススキをお供えしました。

blog_BKL0132.jpg関東など7月盆の地域では、今、お盆真っ盛りですね。

ご先祖があの世から戻ってこられてご供養するのは、日本だけの風習のようですが、「如在(いますが如く)」(まさしくここに居られるかのように)お迎えして、ご先祖におかげさまの心を捧げたいものですね。

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当処即ち蓮華国

 

blog_MG_3796.jpg一面、蓮でいっぱいのこの池。滋賀県竜王インター近くの貯水池です。そういえば、数年前に禅文化研究所の職員旅行で中国を訪れた時にも、避暑山荘の池でたくさんの蓮が見られたことを思い出しました。
東京の上野駅の西にある不忍池も蓮で一杯ですね。今頃は蓮の花が満開でしょう。

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滋賀県で蓮といえば、琵琶湖博物館近くに一昨年まで、みごとなほどの蓮の群生が見られましたが、ニュースでも採り上げられていたように、去年から全然見られなくなってしまいました。それは水中の土壌が蓮に適した泥状態ではなくなってしまったらしいことが原因のようです。やはり蓮は「泥中蓮」の禅語もあるように、泥の中にこそ美しい花を咲かせるようです。

 

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「当処即ち蓮華国、この身即ち仏なり」(「白隠禅師坐禅和讃」より)

当処即ち蓮華国の続きを読む

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梅雨明けが待ち遠しい頃

このところ、梅雨と言うより、熱帯の雨期のような雨の降り方ですね。福岡県などでは、今までに無いような大雨により、大きな災害となって、たくさんの被害者が報告されています。衷心よりお見舞い申し上げます。

そして、今年、自坊の玄関には燕が巣を作りませんでした。いつもは2~3組のカップルがやってきては巣作りをし、雛を産んで巣立っていくのですが、これは私の記憶の中にないことです。
そして、いつも花盛りになるヤマボウシが、今年はほとんど花を付けませんでした。サツキやツツジはものすごく花が多かった今年ですが。なにも起きなければいいのですが、と少し心配になります。

blog_MG_3765.jpg梅雨入りが遅かった分、室内のしつらえを夏仕様に入れ替えるのも少し後手後手になってしまいました。これでやっと夏らしくなりました。

blog_MG_3758.jpgそして、私事ながら、最近、小さな重機を借りて、暇を見てはコツコツと杉や棕櫚の切り株を起こしており、ここに紫陽花を並べていこうとしています。

blog_MG_3770.jpg重機は別に誰からならったわけでもないですが、自分でやってみたいという思いで、簡単な操作方法だけを聞いて、5月頃からあちこち掘ったりしてだいぶ慣れてきました。しかし、根っこを起こすのは、とても大変なことがわかりました。

杉の木の根は、浅く周囲に広がっているのですが、1本ずつがそこそこ太く、それを切るのが大変です。また棕櫚の根は細くて数が多い。根元から四方八方に広がっていて、四方からそれらを重機で切り落としていって、底の方まで切っていくとやっとゴロリと根っこが転びます。それでも人力でやることを思うと、大いに楽ではあるのですが。

檀家さん達は重機を動かしているのが、業者の人だと思って近づいてくるのですが、やっているのが私だとわかると、一様に驚きの声。まさか和尚さんがやってるなんて思わなかったと……。

臨済宗の和尚は、なんだってやりますよ。

 

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サンガセミナー2017 第2回講座終了

 

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おはようございます。今日は七夕様ですね。

さて、去る7月3日(月)、本年度サンガセミナーの第2回目にあたる「禅の建築講座 妙心寺の伽藍」を開講しました。講師は、弊所発行の季刊誌『禅文化』で「部分から全体へ 寺院建築入門」を連載頂いている佐々木日嘉里先生です。

妙心寺本坊の一室をお借りして、まずは座学から開始しました。一時間半ほどの座学で、住居建築とは異なる寺院建築の歴史概略、日本の寺院建築の種類として「飛鳥様式」「白鳳様式」「天平様式」を経て、日本独特の「和様」へと発展し、また中国の影響を受けた「大仏様」、そして「和様」ベースに大仏様を加味してできた「新和様」、さらに宋代の中国禅宗の影響を受けた「禅宗様」という、多種の様式の特徴を習いました。

blog_AC_2094.jpgそして今回は、その中でも「禅宗様」の時代による変遷を学ぶべくして会場とした妙心寺ですので、時代の変遷と共にみられる骨組みの特徴の変化を、実際に建築物を見学しながらご教示頂きました。

blog_2017-07-03-15.14.jpg通常非公開の室町中期に建てられた開山堂、そして桃山時代に建てられた勅使門や三門、江戸期に建てられた仏殿の構造を、実際に見比べ、時代により礎石の形が異なり、木鼻や虹梁の彫刻が変わったり、垂木の構造が変わっていくのを目の当たりに見せて頂き、受講者の皆さんはもちろん、私自身もとても興味深く知ることが多々ありました。

blog_2017-07-03-15.24.jpg受講者の方だけの特典にしたいので詳しくは書きませんが、三門の柱の長さの違いなどは初めて知ることができ、ものごとはじっくりと目を凝らさないと気がつかないことが多いのだと改めて感じました。

蒸し暑い中でしたが、ときおり涼風を感じる妙心寺山内、妙心寺派兵庫教区の奉仕団の方々が山内清掃をされていました。

 

さて、次回は9月に開催する第3回。「日々の花講座 -秋口の花を生ける-」と「お寺で写真講座 - 一眼レフカメラを使いこなそう -」の2講座です。残念ながら「日々の花講座」はすでに定員に達し、受付締切となっていますが、「お寺で写真講座」はまだ申し込み可能です。お申し込みをお待ちしております。

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研究所の花 2017/7

7月に入るや急に蒸し暑くなり、夜も寝苦しくなりました。個人的に、全くもって夏は苦手です。
僧堂にいるときも、寒い寒い冬の方が夏よりずっとよかった覚えがあります。冬が恋しいこの頃。とバカなことも言ってられませんね。

blog_AC_2088.jpgあっという間に7月となり、関東など7月盆を迎えるところの和尚様たちは、そろそろ慌ただしい思いをされているのではないでしょうか。そういうときこそ脚下照顧だと、無文老師はおっしゃるかもしれません。無文老師には半夏生をお供えしました。

自坊で自ら勝手にビオトープと名付けていつも水を取り入れている雑草湿地に、何年か前に植えた半夏生。去年はまったくダメで全く姿を見せず、もうなくなってしまったかと思っていたのですが、今年は姿を見せてくれました。去年は水があまり入らなかったのですが、今年はちょっと工夫をして水が流れるようになったからでしょうか。

blog_AC_2086.jpgそして応接室の達磨大師真前には、ヒメヒオウギズイセンとユリを。自坊のユリもそろそろおしまいです。

玄関先や廊下などには、まだまだ勢いよく咲いている紫陽花を生けました。

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そういえば、サンガセミナー9月開催の「日々の花」講座は、早々に定員20名に達してしまいました。毎年人気の講座です。花がある生活は楽しいですね。

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逸話(14)白隠門下 その9-大休慧昉

白隠門下で、のちに東福寺派の宝福寺(岡山県井山)に住した大休慧昉禅師(1715~1774)の逸話を2話ご紹介します。


大休慧昉墨蹟.jpg「大休和尚―南泉一株花の公案―」

ある時、大休和尚は、〈南泉一株花〉という公案を究明していた。ちょうど白隠禅師が、金剛寺の雲山和尚を訪問されることになり、大休も随侍した。その途中、大休は、公案に対する見解を示した。その見解を聞いた禅師は、
「そのような悪見解、犬も食わぬぞ」
と、大休を叱りつけ、杖で叩きすえた。
金剛寺に着いた禅師がうしろを振り返ると、大休の姿がなかった。禅師は、
「遅れよったな」
と思い、そのまま金剛寺に入り、雲山と夜どおし話をした。
その頃、大休は、金剛寺門前の農家に入って坐禅をし、一念の妄想もない坐禅三昧に入っていた。どれほどの時間が過ぎただろうか、ふと目を開くと、もう夜の月は沈み、カラスが鳴き、東の空がしらみはじめていた。その景色を見た途端、大休はカラリと〈南泉一株花〉の公案を悟った。大休は走って白隠禅師に相見し、その見解を示した。禅師も、大いに称嘆されたという。

 


 

「快岩・大休―雨の中の托鉢―」

快岩と大休が、松蔭寺に掛搭することになった時、白隠禅師は二人に対し、
「この寺は貧しく、そなたらを養うことができぬ。明日、村へ出て托鉢をせよ」
と命じられ、二人も承知した。
翌朝は、激しい風雨だった。二人は旦過寮まで来て、雨が止むのを待っていた。そこへ、白隠禅師が竹箆をひっさげてやって来られ、
「おまえら、ここで何をしておる」
と、ものすごい剣幕で尋ねられた。快岩が、
「風雨が激しいので、托鉢に出ようかどうか、迷っていたところです」
と答えると、禅師は、
「この意気地なしめが! 風雨を恐れてどうするのだ! 東海道にはいくらでも人が往来しておるではないか。おまえら、はよう托鉢に出ねば、わしが、ぶったたくぞ」
と、二人を叱りつけた。二人は、禅師の剣幕に恐れおののき、旦過寮を出て行った。山門まで来ると、二人は顔を見合わせ、
「なんと厳しい和尚よ」
と言いながらも、笠をかぶり、雨合羽を着け、雨をついて托鉢に出かけて行った。
昼、柏原に着いたころ、雨はようやく上がり、米や麦、七、八斗ばかりを托鉢することができた。
夜になって松蔭寺に帰り着いた二人を見た白隠禅師は、
「そなたら若い者は、こうでなくてはならぬ」
と喜ばれ、二人のために「藕糸孔中の弁」を示された。

※快岩=快巌古徹(生没年不詳/山梨県長光寺/白隠法嗣)

『白隠門下逸話選』(能仁晃道編著)より

※写真は「一葉舟中載大唐」(大休慧昉書/禅文化研究所蔵) 禅文化研究所デジタルアーカイブズ「禅の至宝」より

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円福僧堂デジタルアーカイブズ調査

 

blog_2017-06-28-14.26.49.jpgもうすでに何回目になるのかさえもわからなくなりつつありますが、去る水曜日に、八幡市の円福僧堂の宝物調査に出向いてまいリました。

カラ梅雨とはいえ、この日は朝から雨模様。なぜか我々が調査に出るときは雨が多いのです。メンバーの誰かが雨男だという説もありますが。

今回は、円福寺の世代の頂相を中心に軸物の調査をさせていただきましたが、さすがに絵師も有名な人が多く、美しい絵画をたくさん見せていただきました。また慈雲尊者や南天棒老師の書も迫力でした。

 

blog_2017-06-28-14.26.jpgところで、我々の調査チームも弊所と花園大学歴史博物館のスタッフ以外にもお手伝いいただき、さらに国際色豊かにもなってきました。京博に勤務しているアメリカ人女性のR女史。この方は20年くらい前からの知己で、禅文化研究所の宋代禅語録勉強会にも参加されていた方です。日本在住ですが、東洋美術を研究されています。今回、このR女史のご紹介で、京博でボランティアとして協力されているTさんという中国人女性も参加。アメリカのコロンビア大学大学院生で、おまけに研究対象は一山一寧を中心とした絵画と書だそうです。

blog_2017-06-28-14.27.jpgお昼には雲水さんが作って下さった精進料理をいただきます。赤膳にご飯と一汁二菜、僧堂の古漬け付き。今回のご飯は油揚げご飯でした。今夏の典座さんはなかなか料理がお上手で、いつもとても美味しいのです。その時節にあった美味しい食事も、私たちの調査の際の楽しみのひとつでもあります。

頂相や大きな軸物、屏風に扁額、工芸品。まだまだ調査が残っているものがたくさんあります。先は見えているようで、なかなかです。

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沙羅の花を愛でる会(東林院)

 

blog_AC_1910.jpg毎年、サンガセミナーの精進料理教室でお世話になっている、京都・妙心寺の塔頭のひとつ、東林院では現在、「沙羅の花を愛でる会」を開催されています。そそと咲く花と青苔に浮かぶ落花の風情を感じることができる拝観です。

blog_AC_1914.jpg6/15~6/30(金)の午前9:30~午後4:00。会費はお抹茶とお菓子がいただけて1600円。精進料理を頂くこともでき、そちらは5950円です。残すところあと3日。

blog_AC_1926.jpg毎年、6月の後半に行なわれている特別拝観です。和尚さんの法話も聞けますよ。
今年間に合わなさそうな方、来年はいかがでしょうか。

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白隠禅師シンポジウム 名古屋会場 おわりました

 

blog_MG_3286.jpg去る6月22日木曜日、白隠禅師250年遠諱記念の白隠禅師シンポジウム【名古屋会場】が開催されました。

会場は名古屋市熱田区にある熱田文化小劇場。前日は大荒れの天気で、新幹線が止まるなど大混乱でしたが、当日は幸いにして好天に恵まれ、来場者は200人を数えました。

blog_MG_3337.jpg白隠研究第一人者である芳澤勝弘先生による講演「美濃の白隠」と題して講演、そして岐阜県・正眼寺専門道場師家の山川宗玄老師に「毒語心経」の提唱をしていただきました。会場で配られた用紙に、来場者に質問事項を書いてもらい、最後にお二人の質疑応答の時間がありました。

blog_MG_3281.jpg会場ロビーでは、弊所の出展販売もさせていただき、たくさん、お買い求め頂きました。

のこるは来年お正月の九州博多でのシンポジウムだけとなりました。詳細は未定ですが、詳しくはまた、こちらのサイトにてお知らせいたします。

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特別展「悉有仏性」と弓弦羽神社

 

blog_2017-06-18-12.05.32.jpg先般、本ブログでご紹介しました神戸市の香雪美術館での特別展「悉有仏性」に出向いて参りました。
そもそも香雪美術館とは、朝日新聞創設者の村山龍平氏が蒐集した品を収蔵する美術館で、東灘区御影の閑静な住宅街にあり、さらに周りと隔絶する塀に囲まれた、香雪の杜の中に建つ小さな美術館です。

blog_2017-06-18-12.08.jpg門を通ると掃除の整った瀟洒な庭があり、禅寺にお参りしたときのような、外との空気の違いを感じられました。
今回の展示は世界のトップコレクター200人の一人に数えられる佐藤辰美氏の所蔵品から、仏教関係のものばかりを展示されていて、Ⅰ期とⅡ期、そしてそれぞれが前期後期に分けられている中の、Ⅰ期後期の展示でした。
平安や室町時代の仏像や工芸、経典がほとんどなのですが、佐藤氏ご本人も意識を持ってコレクションされた、断簡や断片の展観品に興味を引かれました。

例えば、仏像の指先だけ、光背の一部、火事により焼け焦げた経典の一部。
指や手首の欠損した仏像を観ることは多いですが、逆に欠損した方だけの展示を観る機会は少ないのではないでしょうか。
例えば、その指先だけでは全体像はわかりません。そのかわり想像はたくましくなります。
そういうフェチなのだとご本人はおっしゃっていました。まさしく「悉く仏性を有する」品々でした。
第Ⅱ期は7/15から9/3まで。機会があればまた訪ねてみたいと思います。

 

blog_2017-06-18-12.56.jpg美術館をあとにし、ふと見ると美術館の隣に神社があります。せっかくなのでお詣りしてみました。きれいに掃除された立派な神社です。弓弦羽(ゆづるは)神社とあります。
その神社名になにやら覚えが……。あ、思い出しました。神社名に預かって、フィギュアスケートの羽生弓弦選手の活躍を祈る人たちが後を絶たないと、いつぞやテレビでやっていた、その神社だったのです。
風変わりな楕円形の絵馬には、羽生選手のことを祈ったものがたくさん掛かっていたのでした。

皆さんも是非お運び下さい。

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サンガセミナー2017 第1回の2講座終了

 

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ご案内しておりましたとおり、去る、6月19日(月)に法輪寺(だるま寺)さんにて、本年度のサンガセミナーの第一回目の2講座を開催いたしました。

まず午前中には、「意外と楽しい禅の語録講座」と題しまして、駒澤大学教授の小川隆先生に開講をお願いしました。弊所で発刊している季刊誌『禅文化』での「禅宗語録入門読本」の連載や、『語録のことば』正・続でもなじみの深い先生です。それでも、「語録」ときいて尻込みされてしまい参加者が少ないのではと心配もしていましたが、なんと23名のご参加を得ました。

唐代や宋代の語録研究で成果を出されている小川先生によると、唐代や宋代の語録に出る問答は「口語」(話し言葉)であることを念頭に置いて解釈すれば、難しかった解読もすっと理解することができるようです。

弟子が師匠に質問したことに対して、師匠が答えるわけでなく質問で返す場面、あるいは答えてはいるが、一見トンチンカンに思えるような答えを返す場面が、語録にはよくでてきます。そういった状況を、現代の口語、とくに関西における受け答えを例に出して説明されるなど、時折、笑いが出る楽しい講座でした。
受講後に参加者から、アプローチがとても面白かったという声を聞きました。

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午後からは同じ法輪寺さんの中で会場を本堂に移し、「軸を鍛える一人整体法」と題して、樺島勝徳師による開講をいただきました。樺島先生も季刊誌『禅文化』にずっと連載をいただいていますし、『プチうつ禅セラピー』のご執筆もいただいていますので、ご存知の方も多いでしょう。

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開講の挨拶を始める前から、ゆったりと談話的に受講者とお話しをされていて、ゆるやかな気持ちで受講いただけたようです。私たちスタッフも後ろで一緒になって体験していましたが、身体の軸を鍛えるための体操など、楽そうにみえてかなり効いたものもありました。

自分の身体のゆがみ、ねじれを知ることと、それを知った上で一人で身体を整える方法をご教授いただきました。

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毎日、ちょっとした体操をするだけで、身体の内面から整え、病気もしない身体に育てていく。今まで樺島先生の文章はなんども読んできましたが、その実践を目の当たりにして、なるほどっ!と腑に落ちることがありました。

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京都は猛暑日になっていたようですが、法輪寺さんのご配慮により、たくさんの大型扇風機のおかげで、涼しく体験することができました。ありがとうございました。

さて、次回は「禅の建築講座 -妙心寺の伽藍-」です。まだお申し込み可能です。ご参加をお待ちしております。

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エンペドクレスの「隻履」


禅宗の開祖である達磨大師は敵対者に毒を盛られて死去し、熊耳山に葬られた。三年の後、宋雲という人物が西域へ赴いた際、パミール高原で片方のくつ(隻履/せきり)のみを携えて独り歩む達磨と出会った。「どこに行かれる」と驚き問う宋雲に対して、達磨は「天竺に帰るのだ」と答えたという。宋雲から報告を受けた皇帝は達磨の棺を調べさせた。すると中は空っぽで、片方の鞋のみが残されていたという。

よく知られる「隻履達磨」の故事だ。中国に残された履については、達磨が中国にもたらした禅の教えの象徴だと、一応は言えるだろう。立つ鳥跡を濁さずで、足跡を残さないこと(没蹤跡/もっしょうせき)を貴ぶ禅宗であるが、さすがの達磨も東方の人々のために敢えて足跡の一班を置き土産としていった、というところであろうか。

東方の聖者達磨に対して、西方の賢者である古代ギリシアの哲学者エンペドクレスにも、よく知られた「片方の靴」に関する伝説がある。エンペドクレスは四元素説を唱えた人物として著名だが、その死の一説について、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』には、次のように記されている。

「エンペドクレスは起き上がってから、アイトナ(火山)の方へ向かって旅立って行ったのであり、そして噴火口のところまでたどり着くと、その中へ飛び込んで姿を消したが、それは、神になったという自分についての噂を確実なものにしたいと望んでのことであったという。しかし後になって、事の真実は知られることになった。というのも、彼が履いていた靴の片方が焔で吹き上げられたからであるが、それは彼が青銅製の靴を履くのを習慣にしていたからだというのである」(加来彰俊訳、岩波文庫下巻66頁)

古代ギリシアには、英雄は生きながら天に引き上げられて神になる、という考えがあったらしい。その代表がヘラクレスだが、「神になったと信じられたい」というエンペドクレスの願望は、彼自身の「片方の靴」によって打ち砕かれたというのである。

0619_fujita.jpg達磨やエンペドクレスに限らず、その身を隠して後に靴を残すというモチーフは、神話や伝説の中によく見られる。そういえば、かのシンデレラも、真夜中の鐘に慌ててガラスの靴を落として帰り、その靴がカギとなって王子に見出される。こうした「片方の靴」については、精神分析や神話学の方面からも様々な解釈が出来るだろう。

そもそも履き物とは、左右が揃って始めて用をなすものである。あまたの神話伝説が我々に問いかける「隻履」の用とは、いずこにあるのだろうか。白隠禅師の「隻手」ではないが、そんな「隻履」の意味をあれこれ考えるも面白い。

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賛助会員ご加入のお願い

 

賛助会員ご加入のお願い.jpg平素は禅文化研究所の活動に 深いご理解を賜り 厚く御礼申し上げます
当研究所は昭和39年 当時花園大学長であった山田無文老師の発議と これに賛同を惜しまなかった金閣寺長老村上慈海師ほか京都有縁寺院の浄財により 財団法人禅文化研究所として発足したものであります
いらい半世紀にわたる歳月の中で 内外の学者を結集して禅文化研究の実績を挙げ その余滴をもって禅関係の資料蒐集 書籍・雑誌の刊行 講演会 諸宗教との交流を行ない 禅文化全般にわたる普及活動を展開して参りました
平成24年4月1日より 当研究所は国からの公益認定を受け 公益財団法人禅文化研究所として新たなスタートを切りました これまでの研究活動に加え デジタルアーカイブス事業や教化・運営の実践講座 臨黄寺院のみならず 国内外の仏教研究者 一般在家の方々からの質問・問い合わせ等への回答など 宗門や社会からの求めに応じたさまざまな事業も展開しております
しかしながら 当研究所の財政事情を鑑みると十分な活動を行なうには明らかな資金不足であり 従来通りの自助努力だけでは既に限界にきております
ここにおいて研究所役員会は 深く事態を憂慮し 数年前より「公益財団法人禅文化研究所賛助会員」を組織し 安定した財政基盤の構築に着手することにいたしました 記念すべき臨済禅師・白隠禅師の遠諱も一段落を迎えましたこの機会に 貴寺院 尊候にも是非とも趣旨にご賛同の上 会員の一員となって頂きたく お願いを申し上げる次第であります
年々厳しさを増す社会情勢下ではありますが 何とぞ 現今内外からの注目と期待を集めております当研究所の意義をお認め頂き 公益活動への格別のご支援を賜りたく 伏して懇願申し上げる次第であります

平成29年6月吉日

公益財団法人 禅文化研究所 理事・幹事一同羅拜

 

※賛助会員について詳しくはこちらのリーフレット(PDF)をご覧下さい。
また、賛助会員ならびに寄付金募集につきましては、こちらのホームページでも記しております。

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麦秋と研究所の花 2017/6

 

blog_MG_3072.jpg6月も半ば。自坊のまわりは水田ですが、今頃の時期は、転作の麦畑と、稲作の水田とが入り交じっています。

そろそろ麦秋のおわり。近所のおじさんによると、まもなく麦の刈り取りだそうです。風に揺られて麦の穂がゆらゆらと。そして、その中をヒバリがピーチクパーチクと鳴いておりました。

ちなみにこの写真はNDフィルタを使って撮ったものです。NDフィルタというのは、カメラレンズに付けるサングラスのようなもので、明るいところでも暗く見えるわけで、そのためにシャッタースピードを遅くして撮影することができるので、麦の揺れる様子が写し撮れるのです。

さて、能書きはさておき。

今の時期、あたりには色々な紫陽花が咲いていますね。今週の花は紫陽花を中心に研究所に持ってきました。

blog_2017-06-12-06.40.jpg

そして研究所で生けておりましたところ、なんと、小さな生きものが……。そうです、かたつむりがついてきてしまっていました。

blog_AC_1908.jpgおそらく紫陽花の葉っぱの裏にでも隠れていたんでしょうね。しばらく紫陽花の葉っぱで遊んで貰ってから、研究所の裏にある紫陽花の葉っぱに移してあげることにいたしましょう。

 

 

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白隠禅師シンポジウム 名古屋会場のお知らせ

 

0322_白隠パンフ_最終-1.jpg臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱の特別事業も残り少なくなってきました。全国4ヶ所で行なう白隠禅師シンポジウムも、東京と京都が終了し、のこすは名古屋と九州です。

来たる6月22日に、名古屋市熱田区の熱田文化小劇場にて、「白隠禅師シンポジウム 名古屋会場」が開催されます。

白隠研究第一人者である芳澤勝弘先生による「美濃の白隠」と題した講演、また「天下の鬼叢林」として知られる岐阜県・正眼寺専門道場師家の山川宗玄老師に「毒語心経」の提唱があり、お二人への質疑応答の時間も設けます。
こちらは入場料が1000円(税込)で、定員:300名となっており、事前のお申し込みも必要です(会費は当日、受付にて徴収いたします)。

詳細はこちらのパンフレット(PDF)をご覧下さい。

まだ残席はあるようですので、お申し込みはお早めに。お申し込みはこちらから。

 

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改修工事と名庭

 

170607.jpg
足利尊氏公が、夢窓疎石を開山として創建された天龍寺派のお寺・等持院(京都市北区等持院北町63)。弊所からもほど近い立地です。そうなると私の悪いクセで「いつでも行ける」と安心してしまうのですが、これから約3年間、およそ40年ぶりの改修工事に入られると伺い2年ぶりにお参りしてきました。

ほぼ建物全体に及ぶ思い切った工事に踏み切られた理由は、耐震対策だそうです。観光都市の寺院として、「参拝者の安全を一番に」とご決断されたのだとか。古いものをただ遺すだけでなく、安全にも細やかな意識が必要な時代になってきているのですね。

さて、工事が始まると「本堂」、歴代足利将軍の木像を祀る「霊光殿」、足利義政公好みの茶室「清漣亭」の3棟がシートで覆われ見えなくなりますが、美しい庭園は引き続き拝観できます。

「芙蓉池」「心字池」のふたつの池で東西に分かれる回遊式庭園は、夢窓疎石作と伝わる名庭。現在は瑞々しい新緑のもと、サツキが満開で、眺めているだけで呼吸が深くなりました。花のリレーはこれから「半夏生」「紫陽花」へと続きます。庭園内にある尊氏公のお墓も従来通りお参りできるようにしたいとのお話ですので、是非おでかけくださいませ。

※工事の状況によっては変更となる可能性もありますが、安全第一ですのでご了承ください。

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香雪美術館 「悉有仏性」展

 

blog-170605.jpg時々、本ブログで書かせていただいている弊所のデジタルアーカイブズ事業での調査。この調査に、時折お手伝いいただいている外部の美術館の学芸員の方が数名おられるのですが、その中のお一人が担当されている展覧会をご紹介します。

神戸市灘区御影にある香雪美術館では、現在、日本を代表するコレクター・佐藤辰美氏の所蔵品の中から選りすぐりの仏教美術品を二期に分けた特別展「悉有仏性(しつうぶっしょう)」展を現在展覧中です。会期は2017年5月20日(土)~7月2日(日)。

佐藤辰美氏は、現代美術収集家として知られているそうですが、実は私はまったく存じませんでした。しかし、2万点を超える所蔵品の中からの展覧会。お釈迦様の説かれた「悉有仏性」、つまり、「一切衆生、生きとし生けるものすべてに仏性(仏の心)がある」という言葉になぞらえた展覧会。是非お運び下さい。

かくいう私もまだ観に行けていないのですが、かならず会期中に足を運ぶつもりです。展観を観てからとも思ったのですが、ご紹介が遅くなると意味が無いので、まずはご案内まで。

 

香雪美術館 「悉有仏性」展の続きを読む

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安土城摠見寺 信長公毎歳忌

 

blog2017-06-02-11.06.jpg去る6月2日は、かの織田信長公の忌日。今年も、安土城址にある信長公の菩提寺・摠見寺にて毎歳忌が営まれました。

私は近隣寺院でもあり、普段から摠見寺の和尚さんには、自坊の法務に御加担いただいていることもあり、毎年、何らかの役配に割り当てられているのですが、今年は副司寮(ふうすりょう)。ごく簡単に言うと、ご参集いただいた和尚さん達がお持ちになる香資(お香料)を受付でお預かりして、後に御礼や領収書をお渡しする係です。

そんなわけで、法要には参列しないので、こんな法要中の写真が撮れるわけなのですが……。

さて、下の写真、これは何でしょう。摠見寺の玄関口にあるものなのですが。

blog_2017-06-02-11.12.jpgそうです、火鉢です。ある友人はこの写真を見たとき、法要で使う香炉か?と言いましたが、さもありなん。安土城の金瓦がその雰囲気を醸し出しているからかもしれません。が、火鉢であることにかわりはありません。

私は見つけたことはありませんが、私たちの親の年頃の人たちに言わせると、子供の頃、安土山を散策していると、こういう金瓦が落ちていたそうです。400年前に焼け落ちた安土城の瓦。なんとも感慨深い物がありませんか?

最後にお知らせです。

blog_2017-06-02-11.10.18.jpgここ、安土城址では、摠見寺の安土山保勝会主催で、数年前から秋に「薪能と筑前琵琶の調べ」を開催されています。今年も10月1日の夜に開催されます。予約が必要です。詳しくは2017-薪能.pdfをご覧下さい。

 

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逸話(13)白隠門下 その8-霊源慧桃

今回は白隠門下で、のちに天龍寺へも出世した霊源慧桃禅師(1721~1785)の逸話をご紹介します。


blog_聴松堂_163b_8A4A5505.jpg「病苦の中で大悟」

霊源慧桃和尚は、松蔭寺の白隠禅師のもとで長く修行し、日夜、おこたらずに参究した。松蔭寺から二十里ばかり離れたところに庵居し、松蔭寺への往来は、黙々と叉手当胸し、よそ見などはせず、同参の者に逢っても、ただ低頭するのみで、一言の言葉も交わさなかった。
ある時、同参の者が集まって、
「桃兄には、何か悟ったようなところも見受けられるが、どうもその程度がわからぬ」
と、霊源のことを話し合った。そこで、一人の僧が、
「まあ待て、わしが慧桃の力量を調べてやろう」
と言い出した。
翌日、道で霊源に逢ったその僧は、
「桃兄、〈疎山寿塔〉の公案、作麼生」
と問うた。しかし、霊源は、いつもと同じように、ただ低頭して去って行くばかりであった。そのため、誰も霊源のギリギリのところを知ることはできなかった。
その後、霊源は臍に腫れ物を患い、百余日の間、苦しみもだえた。そして、その苦しみの中で、〈疎山寿塔〉の公案を悟ったという。
霊源和尚は朴実な性格で、文字や言葉に頼らず、ひたすら艱辛刻苦、修行をした。それゆえ、和尚が身につけた道力は、大いに他の者をしのいでいたという。
その後、丹後の全性寺に住し、さらに天龍寺僧堂に出世し、多くの修行者を集め、その地方の大宗匠となった。
のちに妙心寺の住持となった海門禅恪和尚が、霊源和尚に相見したことがある。
霊源が京都に赴く途中、海門は、その前に進み出て、
「小生は、提洲禅恕和尚が法嗣、海門なり」
と、問答をしかけた。すると霊源は、にわかに手を伸ばして海門に突きつけ、
「わしの手は、仏の手にくらべてどうだ」
と迫った。海門は、言葉に詰まった。そこで霊源は、すぐに海門を踏み倒したという。

 

『白隠門下逸話選』(能仁晃道編著)より

※写真は「蘆葉隻履図」(霊源慧桃書/禅文化研究所蔵) 禅文化研究所デジタルアーカイブズ「禅の至宝」より

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今週の花 2017/5-2

昨日は、弊所の役員会(決算理事会)でした。会場は研究所ではなかったのですが、事前に九州から理事長が見えるので、弱っていた花を入れ替えました。例によって「お花係」の仕事です。

紫の菖蒲に続いて、最近は白い菖蒲が元気に花を咲かせ始めました。まだ開いてない方は、どうやら紫の斑入りになりそうな気がします。楽しみにしておきましょう。

blog_AC_1888.jpg無文老師には、赤い芍薬を。またいい香りをたゆらせてくれることでしょう。

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玄関口にはまもなく満開になりそうな柏葉紫陽花。毎年どんどん大きくなっていく樹形を整えるが大変ですが、大好きな紫陽花の一つ。

花ももっと大きなものもありますが、花瓶に生けるのは、これくらいの方がよさそうです。

blog_AC_1885.jpgさて、5月も今日で終わり。まもなく梅雨がやってきます。
猛烈に暑い日があったり、そうでない日もあったりで体調を崩しがちです。
最近、筋膜リリースというものを知って、仕事の合間に実行し、肩こりしないように務めています。

今年度のサンガセミナーでは、6月に「軸を鍛える一人整体法」の講座もあります。修得して日々健康に過ごしたいですね。

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再版『語録のことば』を再びおすすめ

 

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以前、この場で熱く語ってから、3年近くの月日が流れました。

絶版状態となっていた『語録のことば』(小川隆著)が再版となりましたのでお知らせいたします。

以下、「禅文化研究所」の職員がブログに記してよい内容か迷いはありますが、書くことで、またどなたかと禅の新たな縁が繋がるかもしれないと考え、思い切って投稿いたします。


正直、禅の本って難しいですよね(!)。


せっかく興味が出たのに、手に取った途端あきらめてしまった方も、もしかしていらっしゃるのではないでしょうか。訓読された書籍(工具書)もたくさんありますが、その助けを借りるにも、そもそも基本用語がわからなかったりとハードルは高く、私に限って言えば「わからないことがわからない」「何から読んで良いのかわからない」状態。最初は途方に暮れました。

心細かった当時の自分を、静かに励ましてくれた一冊が、この『語録のことば』です。初心者がつまづきがちなポイントで漢字・用語の意味について解説が入るのがありがたく(絶妙なタイミングなのです)、確実に語録が身近になりました。

もしいま、何から始めたらよいかわからないという方がいらっしゃいましたら、ぜひ本書をおすすめいたします。

詳細は、こちらをどうぞ。

それからもう一つ。本書の著者である小川隆先生が、私のような初学者にもわかるように、弊所のサンガセミナー2017の第1回目(6月19日)で、「意外と楽しい禅の語録講座」を開講して下さいます。まだ申し込み可能ですので、ご興味のある方は是非どうぞ。

 

 

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逸話(12)白隠門下 その7-快岩古徹と大休慧昉

「東の白隠、西の古月」と並び称された古月のもとで共に修行し、後に縁あって白隠のもとで大悟した二人の禅僧の逸話をご紹介します。


聴松堂_087b_8A4A5267.jpg甲斐(山梨県)の快岩古徹和尚は、古月禅師に参じて仏法の一大事を悟った。その時、後に岡山の井山宝福寺の住持となる大休慧昉と同参であった。二人は語りあった。
「我ら二人、既に仏法の大事を成しとげた。ここにおっても得るものはない。また、たとえ天下を一めぐりしても、我ら二人に勝る者は、誰もおるまい。こうなれば、熊野の山中に身を隠し、聖胎長養して、一生を終わるに過ぎたる道はない」
こう計画を決めた二人は、古月のもとを立ち去った。
大阪に着いた二人は、淀川を上り、久世郡淀の養源寺に投宿した。その時、旦過寮の壁に、〈清浄行者、涅槃に入らず〉の偈頌が掛けてあるのを見た。その頌に云く、

閑蟻(かんぎ)争い拽(ひ)く蜻蜓(せいてい)の翼  (閑蟻争拽蜻蜓翼)
新燕並び休(いこ)う楊柳の枝  (新燕並休楊柳枝)
蚕婦(さんぷ)、籃(かご)を携えて菜色多く  (蚕婦携籃多菜色)
村童、笋(たかんな)を偸(ぬす)んで疎籬(そり)を過ぐ  (村童偸笋過疎籬)

この頌を読み終わった二人は、何の意味かわからず、なすすべがなかった。まるで外国人がたわごとを言っているようで、まったくその意味を悟ることができなかった。そこで二人は、
「これは誰の作か」
と、寺僧に尋ねた。寺僧は、
「関東から来た雲水が言うには、駿河の白隠和尚の頌ということだ」
と教えた。これを聞いた二人は、
「白隠とはいかなる人であろうか。我らは既に大事を成しとげた。しかし、この老漢の頌を理解することができぬ。必ずこの老漢には、他の者とは違う、別の筋道があるはずだ。もしも、この老漢にまみえなければ、あとになって、必ず後悔することになろう。白隠にまみえてから熊野に入っても、決して遅くはあるまい」
と、駿河に拄杖(しゅじょう)を向けた。
松蔭寺に着いた二人は、ただちに白隠禅師に相見し、入室を求めた。禅師がそれを許すと、快岩は、まず大休を入室させた。しかし大休は、禅師とわずかに言葉を交わしただけで、すぐに出て来た。それを見た快岩は、
「そなた、まだ入室しておらぬな」
と聞いた。すると大休は、
「止めておけ。あの老漢は我らがどうかできる相手ではない。そなたも、引き下がれ」
と快岩を止めたが、快岩はその忠告を聞かずに入室し、自己の見解を示した。禅師は、快岩の言うことを容れたかと思うと否定し、否定したかと思うと容れ、数回の問答が交わされた。快岩は、最後には理もつき、言葉もなくなり、白隠禅師に自慢の鼻をへし折られ、恥をかかされて走り出てきた。そして大休に言った、
「我れ及ばず」と。
かくして、二人は松蔭寺に掛搭を申し込み、
「我ら二人、いやしくも大事了畢しなければ、誓ってここを去らず」
と、かたく約束を結んだ。
快岩は、後にこの時の様子をこう語っている。
「大休とわしとでは、その利鈍ははるかに異なっておる。大休は、白隠禅師とわずかに鋒を交じえただけで、すぐに自分の負けを知った。しかしわしは、弓折れ矢つき、そこで始めて禅師に生け捕りにされていたことを知ったのだからな」
その夜、白隠禅師と旧友である駿河金剛寺の雲山祖泰和尚が、松蔭寺を訪ねて来た。雲山和尚も古月下の尊宿である。白隠禅師と茶を飲みながら話しをしていたが、禅師が、
「ここに日向から来た新到が二人おる」
と言って、快岩と大休の二人を席に呼び出した。そして禅師は、
「そなたらは、初めてここに来て、まだここの法門の高さがわかるまい。わしが、雲山和尚と仏法について話すから、しばらくそばにおって、わしらの話しを聞いておれ」
と命じ、雲山和尚と共に仏法の綱要を語り出した。古今の公案を検討しながら、話は夜明けまで続いてようやく終わった。快岩と大休の二人は、まだ一度も聞いたことのない仏法の話を聞くことができ、その感激で、思わず雨のような涙を流した。席を退いた二人は、
「仏法にあのようなことがあろうとは、思いもしなかった」
と、語りあったという。

 

『白隠門下逸話選』(能仁晃道編著)より

※写真は「一葉舟中載大唐」(大休慧昉書/禅文化研究所蔵) 禅文化研究所デジタルアーカイブズ「禅の至宝」より

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今週の花 2017/5

京都では5月なのに真夏日!  つい最近まで冬だったのに、あっという間に春が終わり、もう初夏。旧暦で言うと5月はまさに夏なのですが、新暦でも5月は夏と言ってもおかしくないですね。

さて、研究所の今週の花をご紹介します。毎週月曜の朝に花を持ってくるのですが、小学校時代の「お花係」を思い出したりして、自ら「お花係の日」と定めております。母が持たせてくれた花は、なんだか紫陽花が多かったように思います。皆さんもそんな思い出がありませんか?

まずは玄関先に紫菖蒲の花を。このところ自坊のビオトープ(勝手に名付けているだけの湿地ですが)に咲き乱れています。黄菖蒲の方が多いのですが、やはり紫が気品があっていいですね。いつもはこんな蕾のものを伐って通勤してくると、研究所につくころには花が開いてたりするのですが、今日の花はまだ眠いようです。

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こちらはミヤコワスレ。紫のミヤコワスレもいいですが、これはほんのりピンク色。じつはこの花、先週からずっと頑張ってくれているのです。一番手前の花はそろそろ終わりですが、ほんとに長持ちしてくれます。

細くてスッとしているので、玄関の掛け花入れにぴったり。

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さて、こちらは応接室。紫露草と芍薬です。芍薬も先週持ってきた蕾が、開き始めています。これがまたとてもいい香りを放ってくれるのです。思わずこちらの顔までほころびます。

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無文老師のご遺影には紫陽花をお供えしました。

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そして、少し残ったものを、自分のデスク近くに飾ることにしました。小さな薔薇と芍薬。

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このところ、弊所スタッフは、日程を定めて代わる代わる健康診断(半日ドック)に出向いているところです。
私ごとですが、昨年の検診で身体の異常を発見されました。早期だったのでおかげさまで快復をしました。改めて、定期検診の重要さを思った次第です。皆さんもお元気でも、年に一度は検診をうけて身体のチェックをお願いします。毎日元気に勤めていきたいですからね。

 

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デジタルアーカイブス調査「円福寺」

 

0522_1.jpg前回初めて経験した悉皆調査の数日後、円福寺(京都府八幡市)での調査にも同行させていただきました。自分なりの所感を記します。



0522_2.jpg作業場の「伏虎窟御殿」は、円福寺14世・見性宗般老師に帰依された、有栖川宮威仁親王からの下賜という瀟洒な建物です。今回調査の対象となる寺宝は写真の約30点。さて、まずはこの数についてどのような印象を持たれますか?多い、それとも少ない?



0522_3.jpg結論は、少なくないと思います。「撮影」「調書作成」「梱包」――書いてしまえば一言ですが、どの作業も繊細なため、やはり時間がかかりますね。実際は、後半かなりペースアップしても文書類は次回に持ち越しとなりました(掛け物とは異なる設備が必要という理由もあります)。中には触れるのを躊躇してしまうほど、傷みが見られるものもありました。それらの状態も細かく記録。緻密な仕事です。


0522_4.jpg時間を要するという件について更に誤解を恐れず書きますが、なにしろ作品の素性がわからない状態です。もちろん署名と落款があり、箱書、極札、書き付けなども存在するのですが、良い意味でこれらを疑ってもみる。専門家の眼によって情報が付加されていくうち、先ほどまで整理番号のみで認識していた書画が、どんどん個性を持った存在に思えてくるのは不思議な感覚でした。また、個人的なことでは崩し字の読み方(類推方法)が大変勉強になりましたし、さまざまな知識についても、いまの自分の足りなさを嘆くのではなくコツコツ蓄えを増やし良い仕事に繋げたい、と前向きな気持ちに。現場の活気から、良い気をいただけたようです。



0522_5.jpgそもそもこの調査のきっかけは、アーカイブス事業を立ち上げた際、弊所から老師にご相談したところ、ご縁をいただいたものだそう。老師のお話しぶりは穏やかですが、これらの寺宝を後世に伝えていくのだという、強い責任感が伝わってきました。お寺に携わった先人の想いに、作品を通じ今でも触れることができる。素晴らしいことだと思います。これらは物としての価値を持つだけでなく、心の遺産なのだなと。調査はまだまだ続くようですが、次世代に繋がる作業の現場に立ち会え、心に残る一日でした。ありがとうございました。

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一休シンポジウム「一休と禅のこころ」

先般は、【白隠シンポジウム京都会場】が満員の聴衆の中、無事円成いたしました。

さて、今度は、花園大学の国際禅学研究所主催で、一休シンポジウム「一休と禅のこころ」が下記の通り開催されます。

これは、2015年に東京の日仏会館で行なわれた「一休とは何か-この妖怪に再び取り組む」の第2弾としてのものとのことです。

参加には申し込みが必要とのことですので、下記をご確認の上、かならずお申し込みをなさって下さい。


■ 日 時
2017年7月28日(金)
13時~18時30分(12時30分 受付開始)

■ 会 場
花園大学 教堂
京都市中京区西ノ京壺ノ内町8-1

■ 基調講演
芳澤 勝弘(花園大学国際禅学研究所顧問)

■ 研究報告
矢内 一磨(堺市博物館学芸員)
ディディエ・ダヴァン(国文学研究資料館准教授)
飯塚 大展(駒沢大学教授)
飯島 孝良(東京大学大学院)
発表テーマは決まり次第、お知らせされます。

■ 司会進行
小川 隆(駒沢大学教授)

研究報告終了後、全体討議及びディスカッションが行なわれます。

■ 主 催
花園大学国際禅学研究所

■ 定 員
120名(先着順)
申込締切2017年7月14日(金)
※定員になり次第、受付を終了いたします。

■ 会 費
無料

■ 申込先
花園大学国際禅学研究所
電話:075(823)0585
メール:kokuze@hanazono.ac.jp
メールの件名に「一休シンポジウム参加希望」と明記してください。


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夏を乗り越えよう

 

blog_MG_2821.jpg5月も半ばに入り、そろそろ、うだるような真夏がやって来ます。そこで、素晴らしい納涼の漢詩を1首ご紹介します。先のブログにも取り上げた、仙台藩4代藩主、伊達綱村公の詩です。

「夏日遊若林即興」     夏日、若林に遊ぶ、即興
月上破橋前、     月は上る、破橋の前、
螢疎野水邊。     螢は疎(まば)らなり、野水の辺(ほと)り。
清涼隨我買、     清涼、我が買うに随うも、
不貲半文錢。     半文銭(はんもんせん)を貲(あがな)わず。

夏の日に、仙台の若林地区を訪れられた際の即興詩です。

月は壊れた橋の上に昇り、その川にはホタルがまばらに光って飛んでいる。
わたしが求めるままに涼しくしてくれるが、わたしは一文銭も支払ったことはない。

夏になれば、クーラー付けっぱなしの小生には耳の痛い詩です。
クーラーを付ければ、一文銭も支払わないというわけにはいきませんから。

エアコンのなかった人たちは、どのようにして暑さ寒さを乗りきったのでしょうか。
きっと、ほんのわずかな涼風や春風を、現代の私たちの10倍も100倍も敏感に感じ取って、それを大切にして、その中で、暑いは暑いがまま、寒いは寒いがままに楽しんでおられたのでしょう。

いったい、いつになれば、こんな境地になれるのか。文明社会に生きる小生には、永遠に不可能かも知れません。
しかし、「寒時寒殺、熱時熱殺」などという大悟人の言葉は、しばらく置いておきましょう。みなさん、エアコンを上手に利用して、これから来る長い夏を乗りきっていきましょう。特にご老人は気をつけて下さい。

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藤の寺(正法寺)

 

blog_MG_2888.jpg滋賀県日野町鎌掛にある正法寺(臨済宗妙心寺派)は、知る人ぞ知る藤の寺として有名です。訪れたのはゴールデンウイーク最終日の夕方。まさに閉門近き頃でした。檀家らしき方々が保存維持費用として200円を徴収されていましたが、おそらく、私が最後の訪問者であっただろうと思います。

blog_MG_2883.jpg夕陽がまだ高かったので、ゆっくりと藤を楽しむことができましたが、じつはまだ5分咲きぐらいでしょうか。それでも立派な藤棚にみごとな花が垂れ下がっていました。開山の普存禅師が元禄のころに京都の仙洞御所から移されたそうで、樹齢三百年とのことです。

本堂にも上がってみました。こちらのご本尊は通常非公開のようで、直接拝むことができなかったのですが、大きな十一面観音菩薩とのこと。

そして実はこのお寺、現妙心寺派管長の嶺興嶽老師の嗣法の師である、瑞雲軒松山萬密老師(妙心寺640世)が、徳源僧堂師家として上がられる前に住持されていたお寺なのです。本堂の中には、萬密老師のご親化の時のにこやかな写真が何枚も飾られていて、いかに、このお寺を大事に思われていたかが感じられます。

blog_MG_2887.jpgこの本堂正面の扁額も、萬密老師の揮毫によるものです。

ほかに、山内には鎌倉時代(正和四年〔1315〕)の非常に美しい石造宝塔があり、滋賀県の重要文化財になっています。

blog_MG_2895.jpgキリシタン大名としても知られるかの蒲生氏郷が善政を敷いたこの蒲生の地。付近は、小高い山があちこちにあり、穏やかな土地柄の小さなお寺でした。

藤の花はまだ少しの間、愛でることができそうです。お訪ねになってみては?

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妙心寺にて白隠禅師250年慶讃法要!

 

blog_AC_1435.jpg昨日、5月11日、臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺にて、白隠禅師250年慶讃法要が勤められました。
これは臨黄合議所の遠諱法要とは別に、大本山妙心寺が勤修されたものです。
ブログタイトルになぜ「!」を敢えて打ったか。
じつはこれが歴史的なできごとだからです。かの白隠禅師の遠諱法要が、未だかつて本山である妙心寺で行なわれたことがなかったからなのです。
なぜか。それは、白隠禅師は妙心寺において開堂されたことがない、つまり妙心寺住持として世代に入られていないからなのです。しかし、現在の臨済禅は、大應-大燈-関山と続く法脈下にある、白隠の法系を遺すのみなのです。
そういうことがあって、このたび、白隠禅師の示寂250年を記念した慶讃法要が、はじめて妙心寺にて勤められたことは、まことに異例なことなのです。

blog_AC_1416.jpg妙心寺の法堂上に、かの白隠禅師の木像(三島・龍澤寺蔵)が安置されているのをみたとき、龍澤僧堂にほんの少し在錫しただけの私でさえ、感動をかくせません。とても、とても感慨深いものがあります。
もちろん、参列されている各派管長、僧堂師家の老師方も、そういった思いをお持ちではないかと思いました。

blog_AC_1410.jpg法要導師はもちろん、妙心寺派現管長である江松軒嶺興嶽老師。十八拝式という最も丁寧な仏事を行なわれた後の、慶讃法要の偈頌は、次の通りでした。

遺風二百五旬年
的々分明鵠林禅
今日幸逢真面目
洪恩親報一爐烟

blog_AC_1460.jpg香語の後は、楞厳咒の読経で、居並ぶ江湖の老師方がともに行道されました。

blog_AC_1487.jpgさて、今日はこれから、花園大学教堂にて、「白隠禅を現代にどう生かすか」をテーマに、「白隠シンポジウム【京都会場】」が開催されます。

 

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デジタルアーカイブス寺宝調査 徳源寺(名古屋)

 

4月22日(土)・23日(日)、デジタルアーカイブス事業の寺宝調査で名古屋・徳源寺様に伺いました。

01.JPG庫裏前の桐の大樹が満開です。建物だけで1000坪あるそうですが、市街地に建つせいか、さらに大きな規模に感じられました。

02.JPG大相撲名古屋場所開催時は、九重部屋の宿所になることでも有名です。この「修古館」に宿泊されるようですね。

03.JPG今回は、創建開山である蘇山玄喬禅師150年遠諱に向けての調査。禅師の書画約60点を集中的に調べていきます。初めて同行した私は、撮影をスムーズに進めるための補助作業をさせていただくことに。調査の流れは書籍や先輩のブログなどで予習していったつもりでしたが、大切なものを扱う現場、見ると聞くとは大違いで、久しく味わっていなかった極度の緊張感に支配されっ放しです。

04.JPG作品の身上書ともいえる「調書」には、情報がどんどん書き込まれていきます。完了した調書には膨大な情報が記されていました。

05.JPG花園大学歴史博物館の福島教授と研究員の皆さま、弊所レギュラー調査スタッフに対し尊敬の念を新たにしつつ、作業に従事する中で思うことや発見?がたくさんありましたが、幸いこの数日後、別の調査にも参加させていただきましたので、次回の投稿でそれらをまとめたいと思います。

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甘茶(あまちゃ)

 

blog_MG_2062.jpg自坊では旧暦で今日、花祭りを行ないます。花祭りに誕生仏に「甘茶」をそそぐのは、釈尊がお生まれになった時、天上の神々が甘露をそそがれたことに由来するそうです。でも今回は、小難しい典拠などはやめておきましょう。

実はいまどき、「甘茶」は、薬局で買います。袋に書かれていることを読めば、れっきとした漢方薬です。値段もかなり高額です。

高額は仕方ないとしても、困るのは、「甘茶」を買うのを、ついうっかり忘れてしまうことです。花祭りの前日に買いにいっても、「甘茶」は、もうありません。この時期、地域の寺院が、同時一斉的に、「甘茶」を買いに来ますので、薬局は売りきれなのです。

ですから、花祭りの1カ月前ごろから、「甘茶」の予約をします。薬局も小分けしては売りません。でも一回買えば、3、4年は、冷蔵庫で保存が可能です。

これは、我が山寺の馬鹿な話です。
寺の世話役さんの奥さんたちが、「甘茶」を薬缶で煎じておられます。「よし、出来た」と、盆にそそぎ入れ、誕生仏を立たせ、「やってみよう」ということで、沸騰した「甘茶」を誕生仏に降り潅ごうとされるのです。そこで、住職のわたしが一言、「お釈迦さん、ヤケドされますよ」と。奥さんたちは、いそいでボールに水を張り、「甘茶」を薬缶にもどして、その水につけて冷却。やれやれ、大笑いのうちに一件落着です。

花祭りの法要が終われば、参詣の人たちと、「甘茶」で、カシワモチを食べながら、話に花が咲きます。
でもやっぱり、普通の煎茶や、ほうじ茶のほうがおいしいです。祖父母に連れて来られた子供たちも、コーラやジュースのほうがおいしいと思います。だからちゃんと、煎茶もコーラも用意されています。

この「ブログ禅」を御覧になっている人には、寺の若奥さんたちもおられると思います。そこで、山寺の和尚から一言。
(今どきの)「甘茶」は、煎じたらだめです。甘みより苦みが出ます。お湯の中に入れれば、それで結構です。そして昔は、「甘茶」をビンなどに入れて持って帰ってもらっていましたが、わたしは、「甘茶」の葉っぱを小さい袋に入れて、「家に帰って作ってみて下さい」と言って渡します。
「作ってみます」と言われて、持って帰られますが、どうせ、冷蔵庫の奧に放りこまれる運命でしょう。でも翌年の花祭りの日、「オッ、これはナニッ」となることを、ひそかに期待しているのです。

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南極老人星はカノープス?

 

星空.jpgわたしが現在読んでいる書物は、仙台藩4代藩主、伊達綱村公の『如幻三昧集』という語録です。その中に、元禄2年(1689)、江戸で作られた「老人星見(あら)わる」という題の七言絶句があります。
「老人星」は、詳しくは「南極老人星」と言い、この星が現われれば天下が治まると言われていますが、元禄2年にこの星が出現したのか、別の史料で調べなければいけません。本当に日本語録の訓注はやっかいな仕事です。ところが、あまり時間もかからずに見つけることが出来ました。江戸の地誌『武江年表』巻3・元禄2年の条に「正月十六日、頃日(このごろ)、老人星現ず」とありました。

ところで、この「南極老人星」は、現代の天文学では、龍骨座のカノープス星であると言われています。カノープス星は、大犬座のシリウス星に次いで2番目に明るい1等星で、天文ファンには人気のある星だそうです。もちろん1番明るいのは太陽です。これは、自ら光を発している恒星(こうせい)の中でのことです。月は明るいですが、あれは太陽に照らされての明るさです(ああ何と無味乾燥だなあ)。

こう調べて来て疑問が起こったのです。この「南極老人星」は、本当にカノープス星と同じものなのかと。確かにカノープス星は、東京の地表では南の地平線近く2度程度、京都でも3度程度の高さにしか昇りませんので、肉眼で見ることは困難です。しかし、1等星ですので、見えないことはありません。しかも、綱村公の江戸時代には、現在のような光害も少なかったでしょう。

ところが、「老人星現ず」の観測記録は、専門外のわたしの管見では、この綱村公の詩と、『武江年表』の記録のみです。常に南の地平近くに輝いているカノープス星が「南極老人星」ならば、もっと記録が残っていてもよいはずですし、そもそも、記録を残すほどの出来事でもありません。

さらに、語録読みのわたしが気になるのは、「あらわる」という表現です。「あらわる」とは、それまでにはなかったものや、隠れていたものが出現するという意味です。

と、ここまで書いて来て、いきなり龍頭蛇尾になりますが、「南極老人星」が、カノープス星であることは確かなことなのでしょう。しかし、宇宙のロマンは限りないものだと聞きます。わたしのイメージ、あるいは理想としては、この「南極老人星」は、数年に1度現われるか現われないかの流星であって欲しいのです。「南極老人星」が、常に南の地平近くに輝いているなんて、ロマンがないではありませんか。

しかし、『虚堂録』巻2・宝林録にあるような、「四海隆平にして煙浪静かに、斗南長く見る老人星」、天下太平、めでたし、めでたしという世界も見たいものです。カノープス星は常に輝いているのだから、世界はもっと平和でなければならないのです。

ちなみに、この「南極老人星」が神格化されたものが、あの福禄寿です。
更にちなみに、1番明るい大犬座のシリウス星の漢字は「狼星」です。

「(狼星の近くに)大星有り、南極老人と曰う。老人見(あら)わるるときは治安なり」(『史記』天官書)。カノープスよ、もっともっと輝いて、世界を平和に導いてくれ!

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還暦

 

blog_十干十二支.jpg

小生、めでたく、還暦を迎えました。60歳です。

還暦とは、干支(えと)を一周することです。

「生まれは、酉(とり)です」と簡単に言って来ましたが、干支は、十干と十二支との組み合わせですので、「酉」だけでは、本当は、不十分なのです。還暦を迎えて初めて気つきました。私が生きて来た60年の間には、5回の酉年があります。そこでさっそく私が生まれた昭和32年を調べてみました。干支は、丁酉(てい・ゆう/ひのと・とり)でした。別に昭和32年を調べなくても、今年を調べればよいことですが。

甲子から干支を数え始めれば34番目。なんとも中途半端な数です。

干支で最も有名なのは、やはり1番目の甲子(こう・し/きのえ・ね)でしょうか? 大正13年、甲子園球場が起工された年で、その年の干支に因んで命名されました。球場は1番なのに、タイガーズは、なかなか1番になってくれません。個人的には、とても残念です。

次は、丙午(へい・ご/ひのえ・うま)かな? 恋人に会いたい一心で放火事件を起こした八百屋お七が、丙午の生まれであったと言われて、世の女性が、いろいろといわれない中傷を受けてしまう干支です。

戊辰(ぼ・しん/つちのえ・たつ)も有名かな? 明治元年に起きた戊辰戦争で知られています。

さて、当研究所には、もう一人、丁酉に生まれた人がいます。わたしたちは、生まれ歳が同じということだけで、何だか親近感をおぼえてしまいますよね。これは、日本人だけの感情かな? でも、触れ合うきっかけにはなります。

十二支は、動物の名前ですので意味は分かりやすいですが、十干にも、それぞれ意味があります。因みに私が生まれた「丁(ひのと)」は、五行では火に属し、方位は南に当てられます。「火の用心に心掛けて、南の方向に気を配れば吉」と。そんな占いみたいなことも出来ます。

因みに来年は、戊戌(ぼ・じゅつ/つちのえ・いぬ)です。「戊(つちのえ)」は、五行では土に属し、方位は中央です。

十二支は、毎年新年、神社仏閣に、大きな文字で掲げられますが、十干は、なかなか教えてもらえません。私と同じように、自分の生まれ歳の十干を知らない人もおられるかも知れないと思い、ながながと書いてしまいました。一度、調べてみられるとおもしろいですよ。

しかし、「丁」は、どうにも気に入りません。昔の通信簿の「甲乙丙丁(こう・おつ・へい・てい)」の「丁」ですよ。調べなければよかった。誰が、こんな評価法を考えたのだ、けしからん。まあ、これは、あくまでも私の個人的感想ですから、どうぞ、丁歳生まれの方は、気になさらないようにして下さい。

最後に、丁酉生まれの方、無礼のかずかず、ご容赦下さい。還暦、お互い、もう一花さかせましょう。

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季刊『禅文化』244号発刊のお知らせ

 

k244.jpg4月25日に、季刊『禅文化』244号を発刊いたしました。今回の特集は「袈裟と法衣」です。

禅門において、袈裟はとても大切なものですね。しかしなぜ、袈裟が大事なのでしょうか?じっくり掘り下げて考えてみようと特集を組みました。識者のお力をお借りして、さまざまな角度から「袈裟と法衣」について整理を試みています。

宗教から離れた場面でも、日本仏教界に伝わる「伝法衣」から得られる情報は大変多いのだそう。袈裟についてはかの道元も言及していますが、自身の説示の変化に伴って、袈裟にまつわる主張も変化していく点は興味深いところです。 また、袈裟と名物裂との関わりの深さも見逃せません。「袈裟と法衣の歴史」と題してインド・中国・日本の袈裟、法衣について変遷をまとめた論攷も掲載しておりますので、この一冊で「袈裟と法衣」についての概要はご理解いただけるのではないかなと思います。これを期にお手に取っていただけましたら幸いに存じます。

新連載も3本。「和本の世界」では、和本のエキスパート・橋口侯之介先生に、装訂や江戸時代の出版事情を禅宗とも絡めながら楽しくご案内いただきます(4回連載予定)。

図版も豊富ですので、ぜひよろしくお願い申し上げます。

詳細はこちらをご覧ください。

 

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研究所の花 2017/4-2

4月半ばになり、少し、自坊の庭の花も咲き代わってきました。チューリップなんかも色々咲いてきていますね。

普通のチューリップは研究所にある花器には合わないのですが、この八重のチューリップなら、玄関の埀撥の掛け花入れにどうでしょう。ちょっと大きいですかね。

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もう一点、玄関の花台の上には、白山吹と濃紫のクリスマスローズ。

blog_AC_1020.jpg応接間の床の間代わりのところには、緑の葉が吹き出した沙羅(ナツツバキ)の枝と八重のクリスマスローズ。

blog_AC_1022.jpgそして、無文老師には、ハナミズキの枝を。

blog_AC_1021.jpg4月後半は、こんな感じでお出迎えしております。

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日本三大なんとか

 

blog_橋立.jpg現在読んでいる江戸中期の語録に、宮城県の松島を歌って、「扶桑第一の境」という言葉が出て来ました。「日本一の景色」という意味です。
松島と言えば、京都の天橋立、広島の安芸の宮島とならんで、「日本三景」の一つに数えられ、それはそれは美しいところです。

さていったい、いつ頃から、この三つの景色を「日本三景」と呼ぶようになったのでしょうか。

興味まかせに調べてみると、その歴史は古いもので、林春斎、あの林羅山の息子ですが、彼が寛永20年(1643)に著わした『日本国事跡考』という書物に、「松島、この島の外に小島そこばく有り、ほとんど盆池月波の景の如し。境致の佳なる、丹後の天橋立・安芸の厳島と三処の奇観をなす」とあるそうです。そして、元禄2年(1689)に天橋立を訪れた大学者・貝原益軒(かいばら えきけん)が、『己巳紀行』という書物の中に、天橋立を、「日本三景の一つとするのももっともなことである」と記していて、これが「日本三景」という言葉の文献上の初出とされています。と言うことは、益軒の以前から、「日本三景」という名称はあったことになり、由緒正しいものということになります。

「日本三景」と同じように、「日本三大なんとか」という言葉もよく聞きます。日本三大松原、日本三大陶器、日本三大花火……、数え上げたらキリがありませんが、これは、誰が決めたのかも分かりません。たとえば、日本三大松原は、一般的には、静岡の三保の松原、敦賀の気比の松原、唐津の虹の松原を言いますが、時と場合によっては、天橋立の松が、どれかに代わることもあります。

私が若くて各地を旅していたころ、あるところで出会ったオジサンが、「日本三大なんとかはなあ、有名なものを二つ入れて、あとの一つは、地元のものを入れるのだ」と教えてくれました。私は笑ってしまいましたが、なるほどと思いました。たとえば、「福島の三春滝桜、山梨の山高神代桜、そして、丹波の篠山城桜、これが日本三大桜じゃ」と大威張りで言っても、とがめられるスジアイはないのです。

それぞれの地元には、全国に自慢したい名物がたくさんあります。これをみんな、「日本三大なんとか」にしてしまうのです。なんと楽しいことでしょう。日本三大ネギ、日本三大ナスビ、日本三大アユ、日本三大マグロとか……、想像するだけでも楽しくなります。

まあ、こんなことを調べたり、妄想を起こしているから、私の語録訓注の仕事は進まないのですが、アッチコッチと揺れながら、楽しく読んでいきます。

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高野山の山王院(1)

 

01.jpg寺院にはその土地や伽藍を守護する神が祀られることが多い。これらは地主神・鎮守などと呼ばれるが、高野山金剛峰寺の地主神は壇上伽藍の西側の奥に祀られている。祭神は高野山の開創に関わったとされる丹生明神、高野明神そのほかの神々で、説明板には「御社」とある。その前にはかなり大きな拝殿があるが、「山王院」という名称だという。

02.jpg真言宗史・神祇史に詳しい方には周知のことだろうが、先日高野山を参拝した折、「山王院」という名称から、高野山の地主神自体も「山王」と呼ばれていたらしいことを再認識した。

比叡山延暦寺の鎮守であった日吉大社が、かつて山王権現と称されていたことはよく知られており、山王と言えば日吉の別名のように思われている。しかし、高野山の地主神も同様の名で呼ばれていたとすれば、山王とは山寺の鎮守を表す一般名詞に近いものだったということになるかも知れない。他にも山王と呼ばれる神は存在するのだろうか。少し調べてみた。(続く)

 

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いろは歌

 

blog_MG_1903.jpg先日、奈良にあります喜光寺で、「いろは歌」に意味があるというお話を伺いました。このお寺は薬師寺の別格本山になるのだそうです。

小学生の頃に通っていた習字教室の先生に、通い始めてすぐ教えてもらい「いろはにほへとー、ちりぬるをわかー」と大きな声で言いながら、手や服を真っ黒にして、平仮名を書いていたのを思い出しました。

しかし、それっきり、いろは歌とは縁がなく、思い出と共に心の片隅に追いやらて過ごしてまいりました。

いろは歌は、弘法大師、それより前、奈良時代の行基菩薩の作かもといわれているそうで、それすらも知りませんでした。本当に恥ずかしい限りです。

諸行無常 いろはにほへとちりぬるを(色は匂えど散りぬるを)
是生滅法 わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)
生滅滅已 うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)
寂滅為楽 あさきゆめみしゑひもせすん(浅き夢見し酔いもせず)

この世の形あるものは散っていくもの
誰も永遠に生きることはできないし、永遠をつくることもできない
すべての執着を今日こそ越えましょう
執着から離れたとき、欲望が夢であったことにきづき
静かなこころが生まれ、真の喜びと楽しみが生まれるでしょう

喜光寺で頂いたパンフレットによると、『涅槃経』の言葉に当てはめて、このような意味だとご教示いただきましたが、覚えている節回しとは全く違います。

今から思えば、書く事に飽きないようにいろは歌にからめて教えてくだっさったのかもしれません。孫の様な年齢の一年生に意味を言っても通じませんものね。

誰もが簡単に口ずさめる歌にして伝える…。
作られた時代に想いをはせつつ、私自身この歌のように過ごしてきたであろうか、これからできるだろうかと、自分を見つめなおした日でありました。

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三日の桜

 

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世の中は 三日見ぬ間に 桜かな
世の中は 三日見ぬ間の 桜かな

ことわざにもなっている、有名な歌で、江戸時代の俳人、大島蓼太の歌と伝わっています。どちらが正しいのかは、もちろん分かりません。

普通の辞書は、どちらの歌も、世の中は、三日も見ないうちに散ってしまう桜の花のようなものだ。世の中の移り変わりが激しいことにたとえる歌と解説しています。

ところが、「三日見ぬ間に 桜かな」と「三日見ぬ間の 桜かな」とでは、まったく意味が違います。「三日見ぬ間に 桜かな」は、三日も見ないうちに桜は満開。「三日見ぬ間の 桜かな」は、三日も見ないうちに桜は凋落。

世の中の移り変わりが激しいことを言うのには変わりないのでしょうが、「に」と「の」とでは、希望的変化と、絶望的変化とに分かれると思うのです。なぜ、優秀な日本語学者が、二つの歌を安易に同意とするのか、わたしには分かりませんが、わたしはできれば、「三日見ぬ間に 桜かな」で、生きていこうと思います。トンビが三日後にタカに変身している……。まさかそんなこともないでしょうが、自分のやりかたしだいで、わたしたちは、無限の希望を実現させることができます。だから、ボクは、「三日見ぬ間に 桜かな」です。

ところで、中国の古い詩に「桜」があまり出ないのは何故でしょう。少なくとも、『三体詩』には、一詩も出ません。かろうじて「桜桃」という文字が見えますが、これは果実の名前で、花ではありません。わたしの古い中国の友人が、「花見のために京都を訪れる」と、わざわざ言うほどですので、中国には、桜見物はないのでしょうか。

春雪をもたげて花開く梅、初夏に香りをはなつ蓮、天下に咲き誇る蘭、晩秋にその節を見せる菊。桜の出番はないのでしょうネ。

中国の古い詩で、「桜」を歌った詩をご存じの方は是非教えて下さい。
ゆっくり、花の美しさと、その寂しさとを語り合いましょう。

わたしが住む小さな城下町も、今日は、「桜まつり」でした。
曇り空でしたが、天の神様も、雨は降らせませんでした。

みんな、みんな、三日見ぬ間に、桜は咲くぞ!
その咲いた自分を、誇らしげに、あるいは恥ずかしげに、
見てみようではありませんか!

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特別展「雪村-奇想の誕生」

 

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東京芸術大学大学美術館において特別展「雪村-奇想の誕生」が開催されています。 戦国時代の画僧、雪村周継(せっそんしゅうけい)の主要作品約100件と関連作品約30件で構成される大回顧展で、弊所所蔵の「蕪図」(下の写真参照)も出品されています。 雪村の生涯は未だ謎に包まれていますが、その作風は、伊藤若冲、歌川国芳など「奇想の画家」と呼ばれる絵師たちの先駆けと位置づけられ、今まさに注目すべき画家といえます。

会期は5月21日(日)までです。この機会にぜひご来場ください。

なお同展は、8月1日(火)より9月3日(日)までMIHO MUSEUM(滋賀県)でも開催されます。

 

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「蕪図」(雪村筆/禅文化研究所蔵) 禅文化研究所デジタルアーカイブズ「禅の至宝」より

 

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