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坐禅は 面壁? 対面?

 

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先日、ある懐かしい人から電話をもらった。
嬉しかったが、小生にかかってくる電話は、ただの挨拶ではないのが常である。

案の定、「臨済宗は、いつごろから対面で坐禅をするようになったんだ」という難問であった。
確かに坐禅の基本は、達磨面壁である。
ところが現在の臨済宗は、面壁ではなく、禅堂の内側に向かって坐禅をする。
曹洞宗は、壁に向かって坐る。

その懐かしい人は、現在放映中のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』で、雲水さんたちが、対面坐禅で撮影されていることを見て気になったらしい(ちなみにこのドラマの僧侶の演技指導をしておられるのは、臨済宗妙心寺派龍雲寺〔東京〕の細川晋輔和尚である)。

この問題は非常に難しいのだが、小生のわずかな知識を紹介しておく。

江戸期の臨済宗の学僧で妙心寺にも住した無著道忠(1653~1744)が撰した『小叢林略清規』には、

凡(およ)そ坐禅の法は応(まさ)に面壁すべし

と書かれている。

ここから小生の推論だが、無著道忠が、わざわざこう書くということは、既にこの時代あたりから、対面坐禅が行なわれていたと見るのべきだと思う。続いて無著道忠は、『百丈清規』に云(いわ)くとして、

坐堂は尋常(よのつね)の坐禅の如く、内に向かって坐す。鼓(く)鳴れば則ち身を転じて外に向かって坐す

と注記している。どうやら、日本近代の臨済宗の対面坐禅は、『百丈清規』の「内に向かって坐す」を採用し、次の「鼓鳴れば則ち身を転じて外に向かって坐す」を無視してしまったのではないのか。まあ、これが、小生の一推論である。

壁に向かって坐ろうが、内に向かって坐ろうが、坐禅には何の区別もないが、疑問に思われる人もおられるかと推論を述べてみた次第である。

1分でも数分でも、静かに坐ってみられたら、気持ちいいですよ。
自己発見です!

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お富士さんと白隠禅師

去る18日(土)は、遠諱の記念事業の一つである「白隠シンポジウム【東京会場】」が開催され、東京の日経ホールまで、スタッフとして馳せ参じておりました。そのことについては、改めてお伝えするとして。

往路は若干曇りがちのお天気でしたが、日曜日の帰路には快晴。さぞや富士山がきれいに見えることだろうと期待して、当然のように新幹線のE席を指定してカメラも用意した上で乗車しました。

京都からの往路には新富士駅のあたりから見るときれいですが、復路には東京を出てすぐ、品川あたりからも遠くに望め、また小田原手前あたりからもよくみることができます。
それが、この写真。おそらく御殿場のあたりでしょうか。

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そして、熱海のトンネルを越え、三島駅を通過していくと、手前の愛鷹山があるせいで、こんな美しい富士山がすぐそこにあっても全く見えないというところが少し続きます。

白隠禅師の住まわれていた松蔭寺は、沼津市の近くの原宿というところにありますが、そのあたりからも、おそらく愛鷹山のせいで、裾野は見えないと思います。こんな感じでしょうか。

blog_MG_1678.jpgちょっとモヤモヤした見え方ですね。そして愛鷹山をすぎてしまうと、新富士駅手前からは雄大な富士山の全貌が望めます。

blog_MG_1691.jpgいかがですか。何度見ても素晴らしいお山ですね。

ただ残念なことに、このあたりは製紙工場だらけで煙突や高圧線がたくさんあって、なかなかベストショットが撮りにくいのです。もう少し、望遠で引き寄せてみるとこんな写真です。

blog_MG_1683.jpg右の裾野の方にぽっこり突き出ているところに手前に窪んでいるのは、宝永4年(1707)におきた、いわゆる宝永大噴火でできた噴火口があるあたりです。白隠禅師は貞享2年(1685)のお生まれですから、数えで23歳の時に起きた大噴火の跡です。地獄が怖くて出家した白隠禅師でしたが、『白隠年譜』によると、このとき修行中だった白隠禅師は岐阜の馬翁和尚の所を辞して松蔭寺に戻っており、この大噴火と地震で兄弟弟子達は恐れおののき郊外に逃げていたのに、白隠だけは本堂でじっと「天命に命を預けているから怖れることはない」と誓願を立てて坐禅を続けておられたとあります。このあたりの事情も『新編 白隠禅師年譜』(編著・芳澤勝弘/禅文化研究所刊)に詳しくあります。

富士山のもとで生まれ、各地を行脚した修行の後も、この富士山のもとで一生、法を説かれた白隠禅師。今年は亡くなって250年遠諱の年です。

 

 

 

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鈴木法音老師 小祥忌

 

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過日、信長の菩提寺としても有名な、滋賀県安土の摠見寺(臨済宗妙心寺派)にて、佛通寺派前管長の一箪室鈴木法音老師の小祥忌が営まれました。

老師は、仏通寺派管長に上堂される前に、長らく摠見寺にて住持を勤められており、私も近隣寺院として親しくお付き合いをさせていただいておりましたし、また、季刊誌『禅文化』にもご寄稿をいただいていたり、いろいろなご縁をいただいておりました。

一部には大変厳しく論破される老師だったので、煙たがられていた方もいらっしゃるとは思いますが、私個人としては非常に厚遇していただき、幾たびか、食事にもお誘いいただいたこともありました。

blog_2017-02-16-09.48.23.jpg先般来の大雪のせいで、まだ摠見寺への参道にはまだ雪が残っており、法要当日は、外は陽も照っていくらか温かくはありましたが、本堂内は冷え渡り、身も引き締まるほど。法音老師と縁の深い妙心僧堂関係の諸尊宿、現住和尚と縁の深い静岡市の尊宿方、そして近隣部内の寺院が参集し、また在家の招待客の方もおられるなか、現住職が導師をつとめ、楞厳行道をもって勤修されました。

blog_2017-02-16-11.02.jpg冒頭の写真は、この度の小祥忌にあわせてできあがった、法音老師の頂相(ちんそう/禅僧の肖像画)です。普段はメガネをかけられていたので、少し違ったイメージでしたが、よく似せて描かれていました。賛は、妙心僧堂師家の岫雲軒雪丸令敏老師によるもの。津送の時の法語がほぼそのまま賛にされているようです。

法音老師のことを見事にそのまま法語にされていて、老師のご生前を思い出しておりました。

 

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第12回 臨黄教化研究会

 

2017-02-13-13.48.14.jpg2月13日~14日と、第12回「臨黄教化研究会」を花園大学にて開催しています。

本研究会は、現代社会の諸問題をテーマに積極的な意見交換を行ない、そこでの結果や課題を各自が寺院活動に生かすことを目的とした、臨済宗黄檗宗僧侶の研究会で、今年で12回目となります。
今回は、援助的コミュニケーション「傾聴」をテーマに、仏教の原点を顧み、僧の本務を考え、講演と演習を通して、参加者自身が聴く意味を明らかにすることを目指します。

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1日目には基調講演として「聴くことの意味について」と題して、村田久行先生(京都ノートルダム女子大学名誉教授・日本傾聴塾代表)にご登壇いただきお話をうかがい、参加者は熱心に拝聴していました。

その基調講演を基礎にして、分科会にわかれて傾聴に関してのグループワークを実際に行ないました。傾聴僧の会の方々にお手伝いをいただき、それぞれのグループでサポートにあたっていただいています。

2日目には、前日の研究会をふまえてのシンポジウムを行ない、午後には再度、グループワーク(実践)を行ない、最後にグループ発表(総括)というスケジュールです。

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研究所の花 2017/2-1

1月末の滋賀の大雪で、自坊の梅の木も少し被害を受けて、大きな枝が折れてしまったものがありました。もったいないので、しばらくバケツに入れておいたのです。

枝振りもよくないですが、その中から少し切り出したものと、境内の藪椿。朝の暗い内に伐ってきて研究所に持ってきて飾りました。

 

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そして雪でなぎ倒されてしまっていた水仙を少し。

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先般のサンガセミナー「日々の花」講座で残り物をいただいた木蓮と、これまた藪椿を玄関の掛け花入れに。

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ご笑覧下さい。

 

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またまた本を買ってしまった

 

blog_2017-02-07-15.56.jpg禅文化研究所資料室の書架

 

小生は、禅文化研究所に出勤せず、在宅(在寺?)で仕事をしている。よって、膨大な蔵書数を誇る禅文化研究所資料室の本を自由自在に見られるわけではない。往復3時間を使って閲覧に行くのも面倒である。
ところがこのごろFAXが調子悪いと言うと、写メールというものを教えてもらった。後輩所員に某書の某頁を見たいと依頼すると、写メールというものが送られて来る。聞けば、スマートフォンで写真を撮り、その画像データをメールで送るのだそうである。いやはや、画像は鮮明で、通信時間も短い。これはしめたと思い、後輩所員を乱用して来たが、後輩には後輩の仕事があるのだと気づき、少し反省をした。

そこで、最も写メール依頼を多く頼んだ、『五山文学全集』を買うことにした。ネットの「日本の古本屋」を検索すると4万円だった。高いか安いかは分からないが、後輩所員に迷惑をかけずに思う存分読めると思い購入した。ついでに、『五山文学新集』も買ってしまおうと思ったが、これは、12万円もしたので購入せず、悪いとは思うが、後輩のシャメールに頼り続けることにした。

ところで、古本屋さんには、若い時分から随分とお世話になって来た。学生時代、トーマス・マンに傾倒していた小生は、既に結婚していた家内に、千円札を20枚ほど渡し、「店主の前で、1枚1枚かぞえろ。そうすれば、店主も14枚ぐらいでとめてくれるから」と教え、古本屋に行かせた。『トーマス・マン全集』は、1万8千円だったのである。ところが家内は、1万3千円で買って来た。差し引き5千円は、当時の我れらにとっては1カ月分の食費に相当した。その『トーマス・マン全集』を全部読んだかについては、聞かないでほしい。ドストエーフスキイは、1万5千円だった。これも、家内は1万2千円で買って来た。どうやら、あの時代の古本屋の主人は、学者や文学者のタマゴを、かいがいしく面倒をみている、少女のように見える御婦人には弱かったのであろう。ところが、タマゴがかえれば、少女は一変するのだ……。

さて最近、古書で最も驚いたのは、『諸橋大漢和辞典』全13巻の7千円である。小生は、辞書を乱暴に使用するので、数年に1度は買い換えねばならない。『諸橋大漢和辞典』全巻が七千円である。7万円ではないかと目を疑ったが、やはり七千円である。小生が学生時代、7千円では1巻も買えなかった。どうしたことだとは思ったが、小生の書棚には、新品同様の『大漢和辞典』13巻が、7千円で並んだ。

今、本は売れないと言うけれど、トーマスもドストエーフスキイも、芥川も潤一郎も、もちろん新作も、面白い。特に昔の全集本は、装丁(デザイン)も素敵で、書棚に並べておくだけでも幸福感いっぱいになる(小生だけかな?)。ましてや、お坊さんだったら、やはり『諸橋大漢和辞典』13巻は必須だろう。今こそ本を買って、心を豊かにしようではないか。

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いつも客室にあります

 

blog_MG_1302.jpg季刊『禅文化』最新号(243号「特集・遠諱報恩大摂心からの一歩」)発刊以来、宗門や一般読者の皆さまからさまざまなご意見をお寄せいただいております。ありがとうございます。

手に取ってくださった方の声というものは、本当にありがたいのです。即座に目に見える形で反映できる内容ばかりではありませんが、お葉書やお電話をいただく度に身の引きしまる思いです。

また、このたびから、大本山妙心寺と大本山南禅寺のそれぞれの宿泊施設である、花園会館様南禅会館様の全客室に、季刊「禅文化」の最新号を常設していただけることになりました。

この雑誌は街の書店にズラリと並ぶような発行形態ではありませんので、そういう意味では新しい読者と偶然のご縁をつなぎにくい媒体です。

ご宿泊客に気軽にお読みいただける環境を新設できたことは大きな一歩であり、このような機会をご提供くださった両会館様に改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

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旧正月

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1月があっという間に行き、もう立春も過ぎました。2月もあっという間に去って行くことでしょう。

中国はいま春節で、お願いしている漢文データ入力の仕事も、春節があけるまでやってもらえないようですが、これもお国柄なので仕方なし。

さて、今年の旧正月は1月28日だったようですが、私の自坊の檀家さんのある1軒は、毎年、旧正月にご祈祷にお参りを頼まれますので、今年のお参りをしてきました。

写真はお参りが終わってからなので、ロウソクも燃え尽きていますが、ご了承を。

いつから続けてこられているのでしょうか。少なくとも私の先々代の時にはお勤めしていたことがわかっています。お寺でやる大般若祈祷会と同じく、一人ではありますが、般若心経3巻、理趣分看読、観音経、大悲呪、消災呪、(改磬して)、仏頂尊勝陀羅尼、消災呪、そして祈祷回向。一通りのお勤めの間、ご家族は揃って、読めるお経はついて読まれます。いちばん達者に読めるのが、20歳過ぎの娘さん。このお家の信心深さを物語っているようです。

ちなみに通常は新年早々にされる各寺院の祈祷法要ですが、自坊のあたりは、どのお寺も3月にされることになっています。

昔は雪が深くて移動もままならなかったからでしょうか。今年はよく積もりましたから、それもありかと思っています。

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逸話(9)白隠門下 その4-遂翁元盧(2)

前回に続いて、遂翁元盧禅師の逸話をもう一つ。

 


白隠禅師が八十歳の年、門下の高弟たちが協議し、『大応録』を提唱する法会(ほうえ)を開いてもらうことになった。遂翁は、住持を補佐する副司(ふうす)という役職を勤めた。その時、白隠禅師は軽い病にかかっておられたが、無理して講座に登り、七百人の大衆が集まった。その法会も無事円成し、解散が近づいたころ、東嶺和尚が、
「慧牧を松蔭寺の後継ぎにさせてはいかがですか」
と、白隠禅師に進言した。禅師も承諾し、東嶺が遂翁に告げると、遂翁も了承した。
東嶺の祝賀の偈に曰く、

南嶽三生蔵の老僧
黄梅七百衆の盧能
伝衣(でんえ)の事畢(おわ)って芳燭を続(つ)ぐ
且喜(しゃき)すらくは松蔭に慧灯を留むることを

かくして遂翁は京都花園の大本山妙心寺に上り、その法階を妙心寺第一座に進め、自ら酔翁と号した。宿坊養源院の院主がそのわけを問うと、遂翁は、
「わしは酒が好きだ。よって酔翁と号す」
と答えた。その答えを聞いた院主が、
「それはまた無茶な。酔を遂とすればどうだ」
と勧めると、遂翁も、
「遂にするのもよかろう」
と承知し、遂翁と号するようになった。
妙心寺での転版の儀式の後、大阪に遊んだ遂翁は、十二月になってようやく松蔭寺に帰った。その時の偈に云く、

明和元年六月旦
微笑塔前、旧規を攀(よ)づ
臘月帰り来たって破院に住す
業風(ごっぷう)を空却して吹くに一任す

松蔭寺に帰った遂翁は、白隠禅師と同居することを望まず、庵原(いはら)に一人住まいをした。
三年後、白隠禅師の病が重くなると、松蔭寺に帰って看病をした。そして禅師が遷化(せんげ)されると、遂翁はその法席を嗣(つ)いで松蔭寺の住持となった。
しかし、事を事ともせず、勝手きまま。参禅に来る者があると、
「わしは、何も知らぬ。龍沢寺に行って東嶺和尚に参禅せよ」
と言うだけで、一言の指導もなく、口を閉ざすこと七年であった。しかし、遂翁に随う雲水は常に七、八十人もいた。ところが、雲水が教示を求めれば、
「東嶺和尚のところへ行け」
と、相変わらずの一言であった。
遂翁がこんなふうだから、大休和尚や霊源和尚などは、しばしば手紙を送って遂翁に開法させようとした。しかし、遂翁は我れ関せずであった。

 

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逸話(8)白隠門下 その3-遂翁元盧(1)

さて、今回は同じく白隠門下の高足、遂翁元盧禅師の逸話です。遂翁さんといえば、墨画が際立ってうまく、デジタルアーカイブスの調査などでも、いつも目を見張るほどの作品を残しておられます。でも、そうとう風変わりな禅僧だったようですね。あまりお友達にはなれそうにないイメージです。

 


 

 

遂翁元盧筆/月船禅慧賛「出山釋迦像」(禅文化研究所蔵)遂翁元盧和尚は(栃木県)の生まれである。最初の名は慧牧といったが、後に元盧と改めた。性来、酒を好み、才気は人にすぐれ、誰の束縛も受けなかった。
三十歳の時、白隠禅師に相見した。遂翁の非凡なる気質を見ぬいた禅師は、厳しく鉗鎚を下した。遂翁の参禅は、必ず深夜に行なわれたため、誰もその姿を見ることはなかった。白隠禅師のもとに二十年いた遂翁は、高い境界を持っていたが、その才を隠し、大衆の中にまぎれていた。
松蔭寺から三十里ばかり離れた葦原の西青島という所に庵を結び、松蔭寺で講座がないかぎり出ていくことはなかった。そして講座が終わると、またすぐに帰って行った。
ある日、講座が終わってから、白隠禅師が侍者に命じて、遂翁を呼んだことがあった。侍者が捜しに行くと、遂翁の姿はなく、ある人が、
「慧牧さんなら、とうに帰って行ったぞ」
と教えてくれた。侍者はすぐに遂翁の後を追い、
「白隠和尚がお召しです。早く来て下さい」
と告げた。しかし、遂翁は、
「和尚が呼んでも、わしは呼ばぬ」
と、さっさと立ち去って行った。遂翁の人にへりくだらない態度は、おおむねこのようであった。
細かなことには気をとめず、坐禅もしなければ、お経も読まない。定まった住まいもなく、その場その場で脚を伸ばして眠った。酒を飲んで少しいい気分になると、碁を打ったり、絵を描いたり、悠々自適な毎日を送っていた。そのために、遂翁がぼんくらなのか偉いのか、誰にも推し量ることができなかったのである。

 

※写真は遂翁元盧筆/月船禅慧賛「出山釋迦像」(禅文化研究所蔵)。

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サンガセミナー「日々の花」講座 作品展その3

1月12日のサンガセミナー、雨宮ゆか先生の「日々の花」講座での、受講者の皆さんの作品展その3です。
どうぞお楽しみ下さい。

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玄関先やリビングなどに、庭の草木を探してきて投げ入れる、手軽な日々の花。花器選びもコツの一つですが、ちょっとした時間だけで、手軽に花をきれいに生けることができる、この雨宮先生の方法は、知っておくと便利ですよ。

来年度も開催できるように計画しております。機会がありましたら是非。

作品展その1はこちら。その2はこちら

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サンガセミナー「日々の花」講座 作品展その2

1月12日のサンガセミナー、雨宮ゆか先生の「日々の花」講座での、受講者の皆さんの作品展その2です。冬の花材を使った日々の花。どうぞお楽しみ下さい。

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_AC_0230.jpg最後の梅は、雲龍梅という種類の梅だそうです。雲龍図のような枝振り、見事ですね。

次回に続く。

作品展その1はこちら

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季刊『禅文化』243号発刊のお知らせ

 

kikan_001.jpg今年はじめての季刊『禅文化』を発刊いたしました。今季は、昨年実施された臨済禅師・白隠禅師の遠諱報恩摂心を中心に振り返ります。平成28年3月、両禅師の遠諱合斎法要に先だって東福寺で実施された大摂心には、全国の道場から約230名もの雲水が集結し研鑽に励まれました。


kikan_002.jpg濃密な5日間を臨場感をもってお伝えしたく、16ページにわたるカラーグラビアで活き活きとした雲水さん達の姿をご紹介しています。


kikan_003.jpg摂心にて喚鐘を出された老師のうちお二人からは、現在の禅門が抱えつつある課題、またそれについての前向きかつ具体的提案もご執筆いただきました。心強さを感じるとともに、宗門の未来を担う雲水への温かい思いが心に沁み込む二稿は、ぜひ皆さまにお読みいただきたい内容です。

また、最新の研究からも禅宗のいまを知っていただければと、昨春開催された「臨濟錄國際學會」での発表から、末木文美士先生(国際日本文化研究センター名誉教授)の「日本における臨済宗の形成――新資料から見た禅宗と達磨宗」を掲載しております。

詳細は、もくじページをご覧ください。それでは、今季もどうぞよろしくお願いいたします。

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サンガセミナー「日々の花」講座 作品展その1

 

_AC_0202.jpg1月12日のサンガセミナー、午後からは昨年度に引き続き、雨宮ゆか先生の「日々の花」講座を妙心寺の東林院様をお借りして開催しました。各地より13名の方が受講いただきました。神奈川からはるばるおいで下さる先生も、京都での講座を楽しみにしていただいているようで、主催者側としても大変ありがたいところです。

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ものすごく大事な部分を、ごく簡単にさらっと説明をうけ、あとは実践あるのみ。先生には冬らしい花材を集めてきていただいて、廊下のテーブルにずらりと並べ、また先生がお持ちいただいた花器を自由に選んでもらって、受講者は思い思いの花を生けていきます。

個々の受講者に先生のアドバイスをいただいて、皆さん、数点を生けていきましたが、なかなか美しくできました。

できたものから順に写真を撮らせて貰いましたので、ここでは、3回にわけて作品展をさせていただくことにします。お楽しみ下さい。

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如何ですか? 最後は蝋梅にクリスマスローズ、そして白藪椿。ちょっと傾いた花器もすてきですね。

次回に続く。

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サンガセミナー精進料理講座

 

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去る1月12日に、妙心寺山内の東林院様にて、本年度のサンガセミナー最終回を開催いたしました。

午前中は、東林院住職の西川玄房師による精進料理講座。当初、募集定員16名の満員だったのですが、急に寒くなったからか、前日キャンセル連絡が相次ぎ、結果的には、12名での開催となりました。

今回は、精進料理では定番ともいってよい、「ごま豆腐」を中心に3品の料理を教えて頂きました。ただ、ごま豆腐はごまをすり鉢で摺るところから始めるわけで、少し手間が掛ります。暑い夏にはしたくないと先生の言葉。さぁ、無事にできるのでしょうか。

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すり鉢でものを摺ったことがないという方もおられる中、この煎りごまがどう変身していきますか。これを摺って摺って、また摺って、味噌のようなペースト状になるまで摺っていただきます。

約30分もしますと、下記のようなペースト状にあいなります。ごまのいい匂いがしております。

 

_AC_0174.jpgペースト状になったあとは、水を少しずつ加えながら混ぜ合わせていきます。そのあと、巾着袋にいれて漉しながら鍋に入れていきます。

_AC_0177.jpg鍋に入れたあと、葛と合わせながら、ゆっくりとかき混ぜていくと、だんだんと固まってくるのです。鍋の火加減が難しそうでしたが、なんとか、ごま豆腐らしくなってきました。

_AC_0183.jpgある程度の堅さになってきたところで、タッパーウェアに流し込み、手早く形を整えます。その後、普通は3時間ほど風にさらして固めるのですが、今回は時間がないために、水につけていっきに冷ましました。

_AC_0184.jpgほかのレシピ2品は、ぎんなんを生でむいて、たたきつぶし、フライパンでタレを付けて焼いてのりをつけて巻き上げた「ぎんなんの磯香り焼き」。これもぎんなんを生でむくのが一手間掛りますが、あとは割と簡単。ビールのアテに美味しそうです。

_AC_0190.jpgもう一つは、「なめこの大根おろし和え」。こちらは大根をおろすのと、ニンジンや水菜を短冊に切てなめことともに和えるだけなので、超簡単レシピです。

_AC_0191.jpgできあがったものを配膳して、庭の見える書院に運び、皆さんで召し上がっていただきます。

_AC_0198.jpg食事の前には、西川玄房和尚先導で、みんなで「食事五観文」をお唱えし、ご用意いただいた御飯とお味噌汁をそれぞれ器につけて、いただきます。

_AC_0201.jpgご住職が作っていただいた品とあわせて、立派な精進料理膳となりました。参加者の皆さんも、自身で作られたものもふくめ、美味しいと大喜びでゆっくり召し上がっていただきました。

来年度のサンガセミナーでも、本精進料理講座を開催させていただく予定です。ご参加をお待ちしております。

 

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いのちをみつめる
-高台寺 礼拝聴聞室「利生堂」落慶記念事業ご案内-


昨年12月に京都市東山区の高台寺に礼拝聴聞室「利生堂(りしょうどう)」が完成しました。これは、あらゆる世代、国を超えた人々に「いのち」を見つめる場を創出することを願い建立されたもので、内部の天井および壁面には、高台寺の宝物である南北朝時代の涅槃図が最新のデジタル技術により再構築されています。
この落慶記念事業として、1月22日(日)より10回の予定で対談形式による「生命を語る」パネルディスカッションが開催されます。
毎回さまざまな分野の方々にいのちをテーマに語っていただく内容です。
入場は無料(要事前申込)です。
詳細及び申し込みはこちらまで。

 

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昨年末の除夜の鐘

 

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昨年末の師走の「中外日報」(仏教界の新聞)によりますと、除夜の鐘を迷惑と言われ、時間を深夜ではなく昼間に代えたり、防音壁を作って対処されたというようなお寺があり、また、一般のニュースでも同様の報道を見ておりました。いまや、除夜の鐘は一年を振り返る風物詩でさえもなくなってしまったのでしょうか。

反対に大きなお寺では、普段はお寺参りもしないでも、喜んで除夜の鐘を撞きに来られる方もおられるようで、108では終わらないとうれしい悲鳴をあげておられるご寺院もあるようですが、迷惑といわれる場合もあったりで、そういうお寺にとっては頭の痛いところでしょう。
幸い自坊には未だ苦情を寄せてくる方はおられませんが、うちのような田舎寺では、近年、だんだんと深夜の除夜の鐘にお参りされる方は減ってきてしまっており、寂しい限りでおりました。

そうしたところ、山口県のある臨済宗寺院のご住職が、「除夜の鐘撞き放題」として、大晦日には一日中、いつ鐘を撞いてもいいようにされていることをSNSで知りました。これは思い切った闊達なやり方だなと共感し、ではうちでもやってしまいましょうと、さっそくSNSで宣伝し、かつまた、寺の表と裏にある2ヶ所の掲示板に、上のような「大晦日終日鐘撞き放題」と貼りだしたのです。

2016-12-31-08.49.jpg檀家さんの多くは、大晦日にご先祖のお墓掃除に見える方が多いので、掃除の後に、一年の垢を落とすつもりで鐘を撞いて帰ってくださいねということなのです。時々、掲示に気がついて鐘を撞いて帰られる方もおられ、内外の掃除や正月の設えをしている私の耳にも、「ゴーン」という鐘の音が聞こえてきて、ニヤリとほくそ笑んでいた次第です。

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午後、見かけない青年男性二人がやってこられ、鐘楼を写真に撮っておられるので、「どうぞお気軽に撞いて帰って下さい」と声を掛けると、うれしそうに「では遠慮なく」とかなりの数を撞いて、お互いに写真を撮ったり楽しまれているご様子。

聞いてみるとSNSでの投稿を見て、おもしろそうなことをされているので訪ねてきましたと、県内ではあるものの、結構な距離を車で来て頂いていることがわかりました。去年はポケモンGO大流行で、見知らぬ方が来て、ポケモンをゲットしては、本堂に拝みもしないで出て行かれる光景をみましたので、それとこれでは大きな違い。とても愉快な気分にさせて頂きました。

ところで、このせいで撞きすぎたからではないですが、夕方、撞木のロープが1本切れてしまうという事態が発生。幸いにして、誰も怪我をしなくてよかったのですが、大急ぎで応急処置をして事なきを得ました。新年あけてから、4本とも新しいロープに交換したのは言うまでもありません。

うちの寺でこんなことをしたのを知って、また近隣のお寺でも同じように終日撞き放題にされていたお寺もあったようです。まだまだ宗門は捨てたもんではないですね。今年の年末もまた撞き放題やりたいと思います。

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逸話(7)白隠門下 その2-東嶺円慈(2)

前回に続いて、白隠禅師の高足、東嶺禅師の逸話から。

 


白隠禅師も晩年になるとその気力にもようやく衰えが見え、東嶺は、禅師に代わってよく修行者を激励した。禅師の晩年に参じた者は、おしなべてその道力もいい加減なものだが、峨山慈棹や頑極禅虎などは、しばしば東嶺和尚の指導を受け、そのため、物事を一目見た途端に看破してしまう敏捷な者たちである。

ある時、白隠禅師は京都の等持院の拝請を受けられたが、すでに八十四歳、老病も甚だしく、代わりに東嶺を行かせることにされた。東嶺は等持院に赴き、『人天眼目』を提唱した。四百余の大衆が集まり、大いに白隠禅師の宗風を振るった。その法会の最中、白隠禅師の遷化を知らせる訃報が届いた。東嶺は、解制後、速やかに松蔭寺に帰り、遂翁とともに葬儀を営んだ。

これは、東嶺が等持院に赴く以前の話である。
等持院の子院にいた十七、八歳ぐらいの小僧が、ひそかに北野の遊女と通じ、その情交は日に日にたかまっていった。ある夜、院主の留守をうかがい、百金の大金を盗み出し、それを袋に入れ、遊女と手をたずさえ、宵に紛れて出奔した。伏見から船に乗り、大阪に着いた。さて、懐をさぐると盗んだ金がない。
「昨夜、金の入った袋を柱の釘にかけておいたが、忘れて来てしまったか」
と、ひどくうろたえ、どうしてよいかわからず、進退、ここに窮まった。ついに、樹に縄をつるし、遊女と二人、首をくくって心中してしまった。
その夜、子院のわき部屋から、
「金の入った袋をここらにかけておいたが、どこにある。ああ、悲しい」
と、小僧の恨めしい泣き声が聞こえた。手で柱の釘をなで、壁や梁を探しながら、恨めしく泣くのである。小僧の声にまじって遊女の声も聞こえた。その後、毎夜、このようなことが続いた。その聞くも無惨な声に、子院の者は悩み続け、ついには皆な逃げ出してしまった。

ちょうどその頃、東嶺和尚が等持院に赴くことになったのである。
ある人が、子院の惨状を告げると、東嶺は、
「悩むことはない、わしがその部屋に入ろう」
と言って、その子院へ入った。すると、その夜から、幽霊の姿はパタリと出なくなった。
ある夜、東嶺は別の寺の求めに応じて子院を留守にすることになった。その時、三河の昌禅人という者が侍者であったが、この人も道力のある人で、この夜、留守番をすることになった。昌禅人が一人いると、美しい容貌の娘が現われた。娘は、
「お願いがあって参りました」
と、丁寧にお辞儀をして言った。昌禅人が、
「言ってみなさい」
と言うと、娘はこう語った。
「わたしは、この世のものではありません。実はこの寺の小僧さんと駆け落ちしたのですが、お金を忘れたために大阪で首をくくり、今になっても苦しみの世界からのがれることができずにおります。どうか、大善知識であられる東嶺和尚さまに救っていただきとうございます」
昌禅人が、
「どうして、自分でお願いしないのだ」
と尋ねると、娘は、
「和尚さまのように徳高きお方に、わたしのような卑しいものが近寄れるものではありませぬ。ましてや、わたしはあの世のものです。どうか、お願いいたします」
と頼んだ。昌禅人が、その頼みを承知すると、娘はすぐに消え去った。
昌禅人が、院に帰った東嶺にそのことを話すと、東嶺は、
「そのようなことがあるものよのう」
と憐れみ、読経のおりに浄水を設け、施餓鬼の法要をつとめ、娘のさまよえる魂を供養した。それからは、二度と幽霊が出ることはなかった。
その後、昌禅人は、若くして世を去った。東嶺は、その死を悲しみ惜しんだという。

 

『白隠門下逸話選』(能仁晃道編著)より

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逸話(6)白隠門下 その1-東嶺円慈(1)

昨年は臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱として、数々の行事が行なわれてきましたが、今年平成28年が、白隠禅師250年遠諱の正当年にあたります。

そこで、白隠禅師のもとで修行していた禅僧達の逸話をご紹介することにします。まずは東嶺円慈。

 



聴松堂_113b_8A4A5341.jpg 東嶺円慈和尚は、(滋賀県)神崎に生まれた。最初は古月に参じて悟るところがあった。その後、白隠禅師にまみえて侍者となり、数年の間に、禅師の家風をことごとく会得した。しかし、その辛参苦修によって重い病気にかかり、百薬の効果もなく、死に瀕していた。病の床で、東嶺和尚は考えた、
「わたしは既に禅の宗旨を究めたが、このまま死んでしまえば、宗門に対して何の役にも立つことができぬ」と。
そこで、『宗門無尽灯論』という一書を著わし、白隠禅師に見せて言った。
「もし、この中に有益なものがあれば、後世に残そうと思います。もしまた、杜撰(ずさん)だと思われれば、速やかに火中に投げて、焼いてしまいます」
その一書を読んだ禅師は、
「後世、悟りの眼(まなこ)を開かせる、点眼の薬となすべきものだ」
と、大いに評価された。
東嶺は、かくして禅師のもとを去り、京都白河辺に草庵を結び、養生に専念した。生死の根本を明らめ、死ぬもよし、生きるもよし、運命の自然に任せて時を過ごした。
ある日、無心の胸中から、白隠禅師の日常のはたらきを徹見した。それからは病気も次第に快復していった。喜びに堪えない東嶺は、そのことを禅師に書き送った。東嶺の手紙を見た禅師は大いに喜び、
「早く帰って来るように」
と返事をしたため、東嶺の帰山をうながした。東嶺は旅装を整え、松蔭寺に向かった。
松蔭寺に帰った東嶺に向かい、白隠禅師は自分の法衣を取り出し、
「わしは、この金襴の袈裟を着けて、碧巌録を四たび講じた。今、そなたに伝える。後世、断絶させてはならぬぞ」
と伝授し、東嶺は、その袈裟を押し頂いた。
この時から、師匠の白隠、弟子の東嶺、二人協議をしながら宗旨を立てていった。〈洞上五位〉や〈十重禁戒〉など、複雑な宗旨のこまごまとした解釈は、東嶺がよくそれを成した。白隠禅師の宗旨を大成した者は、東嶺和尚であると言わなければならない。そのため白隠下では、東嶺・遂翁の二大弟子のことを、“微細東嶺、大器遂翁”と呼ぶのである。

 

『白隠門下逸話選』(能仁晃道編著)より

※写真は東嶺円慈画賛「払子図」(禅文化研究所蔵)。

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謹賀新年

 

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「鶏模様袱紗」(江戸時代/東京国立博物館蔵)

新年あけましておめでとうございます。新春は如何お過ごしでしょうか。
今年は酉年。禅文化研究所には以前から酉年の人が多く私のしる限り、退職した方も含めて6人が酉年生まれ。今年還暦を迎える人もおります。酉年生まれはバタバタと慌ただしいとか申しますが、さてどうでしょうね。

さて、研究所は本日より業務開始となります。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。

 

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2016年最後の締めくくり

 

_MG_0718.jpgいよいよ押し詰まってまいりました。

禅文化研究所は、本日(26日)までお仕事させていただきますが、本日午前10時までにいただきました書籍その他のご注文は年内にお届けできるように手配し、それ以降のご注文は来年6日より順次お送りさせていただきます。
12月27日より、1月5日まで、年末年始の休業とさせていただきますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

さて、今年は私たちにとっては臨済禅師1150年・白隠禅師250年の遠諱で明け暮れたというところです。
来年、全国4ヶ所での白隠シンポジウムを残していますが、スタッフにはそろそろ、いわゆる「遠諱ロスト」な傾向が見え始めています。

皆さんにとっては、どんな一年だったでしょうか。
グローバルになり世界でのいろいろな情報が時事伝わってきますし、また国内においてもいろいろ考えさせられることが頻発しています。
来年こそは、少しでもいい年になればと思います。

皆さんもどうぞよいお年をお迎え下さい。ではまた来年もよろしくお願いします。

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デジタルアーカイブス調査 円福僧堂

 

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禅文化研究所のデジタルアーカイブス事業で、このところ、京都府八幡市の円福僧堂に調査に伺っています。こちらは、日本最古の木造達磨古尊像があることで知られていますが、書画に関しては悉皆調査があったことはないようで、現師家の政道徳門老師にお願いを申し上げたところ、ご快諾いただけたため、今回で2回目の調査に入っているところです。

老師は書画に興味をお持ちのようで、中でも愚堂禅師の書がお好みとのこと。それで以前に弊所が製作をさせていただいた『愚堂東寔遺墨選』は一番よく見ている図録だとおっしゃるほどです。

 

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この円福寺は白隠禅師の高弟の一人である 斯経慧梁禅師が創建開山であるので、白隠下の書画墨蹟が多く、白隠禅師の書画も逸品がみられます。

下は、白隠禅師筆の妙心寺開山関山慧玄禅師の頂相画賛の一部。濃い髭と耳毛が描かれていて、非常にユニークでしょう。

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まだしばらくかかりそうですが、調査完了の暁には、是非、円福寺所蔵品特別展を開催させていただこうと思っていますので、どうぞお楽しみに。

ところで、この日、調査に訪ねたとき、山門前の大きな銀杏の木に雲水さん達が梯子を掛けてよじ登り、なにやら作業をしているのです。見ると大量の大根を枝に掛けて干しているのです。

 

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私の出身僧堂でもこの時期に大根鉢があり、檀家さんや信者さんから大根をいただきに托鉢をしましたが、それをこうやって木に掛けて干すのは初めてみました。クリスマスツリーならぬ「大根ツリー」です。
珍しい光景なので今年はテレビ局も取材に来るとか。調査を終わって帰り際には、大根も干されて雲水さん達はすこしのんびりとたき火の様子。怪我もなく無事に終わってよかったですね。お疲れ様でした。

 

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作品返却 妙心寺

 

宝物の返却も終盤に入ってきました。本日は妙心寺への返却に同行しました。妙心寺からは国宝の「関山」道号をはじめ重文クラス4点を含む絵画・書跡7幅をお借りしていました。同じ作品でもガラス越しに見るのと直接見るのとは伝わってくるものが違います。この仕事ならではの眼福にあずかりました。

myoshin_1.jpgmyoshin_2.jpg 翌日は一路高知県へ。長宗我部元親像をお借りした高知県立歴史博物館に伺いました。

koti_1.jpgここでは平成29年10月14日から11月26日まで特別展「今を生きる禅文化-伝播から維新を越えて」が開催されます。土佐ゆかりの夢窓疎石、義堂周信、絶海中津らに焦点をあて、県内寺院に伝わる名宝と京都と臨済宗各寺院の宝物などが展示される予定です。

続いて元親像の所蔵者への御礼に高知市内にある若宮八幡宮を訪れました。

koti_2.jpgここは長宗我部元親が初陣の際、陣所を構え戦勝を祈願したことから出陣祈願の社と定められた所です。境内には長宗我部元親の像が建立されています。

koti_3.jpg美男で知られ「歴女」からも絶大な人気を誇る元親ですが、この日も若い男女が何名か訪れていました。

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作品返却 方広寺

特別展に出品された宝物の返却に浜松市の方広寺に行ってきました。
参道は見頃は過ぎたものの所どころに満開の紅葉が残っていました。
方広寺からは重文の宝冠釈迦如来坐像をはじめ開山無文元選像、白隠「百寿字」など8点ほどお借りしていました。

houkoji_1.jpghoukoji_2.jpghoukouji_3.jpg仏像の移送や開梱には細心の注意が払われます。東博の学芸員や日通の作業員らにより慎重に作業は進められ、坐像は元の場所に無事安置されました。

kokutaiji_1.jpgkokutaiji_2.jpg翌日は岐阜県経由で富山県高岡市にある国泰寺に伺いました。こちらは絵画1点と開山慈雲妙意坐像の返却です。開山堂までの雨に濡れた路面は滑りやすく、足下を注意しながら運び込みました。坐像の表面は剥落が目立ち、持ち運びも大変です。肌寒い中での作業でしたが、安置され元通りに荘厳されました。

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堺市 南宗寺

禅展の出展作品の返却が続いています。
先日は、三好長慶公や沢庵禅師、千利休や武野紹鴎などと縁が深い大阪府堺市の南宗寺へ行って参りました。

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これは仏殿です。拝観で行ったわけではないので、内部までは入っていませんが、天井には龍が描かれているそうです。

南宗寺は三好長慶が父の菩提を弔うため大林宗套を開山に建立した寺院で、臨済宗大徳寺派の専門道場ですが、現在は雲水がいないため閉単となっています。したがって禅堂もあります。

境内には千利休の遺愛の井戸「椿乃井戸」がありました。

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また、山門は国の指定文化財となっています。南宗寺はもとは宿院という地名のあたりにあったそうですが、大阪の陣で焼失し、それ以後にこの地に沢庵禅師によって再建されたそうです。

s_MG_0874.jpgところで、ここに徳川家康のお墓があります。なぜ?と思い、返却の際のご挨拶のときに、住職の田島碩應老師にお話を伺ったところ、大阪夏の陣のとき、真田幸村の奇襲を受けて籠にのって逃げ出した家康は、槍使いで有名な後藤又兵衛によってつかれて南宗寺で絶命したという伝説があり、それでここにお墓があるのだとか。大河ドラマの「真田丸」でも出てきましたが、何人も影武者がいたようです。

改めて時間をとって拝観によせていただきたいと思いました。

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丹波 高源寺

特別展の宝物返却のため兵庫県にある高源寺に行ってきました。
高源寺は、鎌倉時代に開創された臨済宗中峰派(幻住派とも)の本山で、現在は臨済宗妙心寺派に属し丹波屈指の名刹として知られています。

特別展では中峰明本像(重文)をお借りしたのですが、作品は寄託されているので今回は御礼だけの訪問でした。
毎年紅葉の時期には、全国から訪れる多くの参拝者で賑わうそうですが、今は葉はすっかりと落ちてしまい、境内も綺麗に掃き清められていました。

惣門から入り、山門、仏殿、方丈へと続く参道は石段になっており、方丈前の石段は壁のような急勾配です。
建造物の殆どは天正年間、織田信長の丹波攻めにより焼失しその後に再建されたものですが、どれもが往事を彷彿とさせる佇まいでした。

1_sando.jpg山門へと続く参道です。

2_butuden.jpg仏殿。修復された本尊「釈迦如来坐像」は目映い輝きを放っていました。

3_tahouto.jpg多宝塔。中には経典が収められています。

4_azumaya.jpg参道脇にある東屋の屋根は苔むして、盆栽のように木が生えていました。

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今週の花

久しぶりに研究所の「今週の花」をご紹介です。

じつは今まで研究所の花を生けてくれていたスタッフが退職してしまい、なかなか上手には生けられませんが、ご笑覧ねがいます。

今の時期は冬枯れで、自坊にも花が少なくなってしまいましたが、そんな中から……。

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禅展がおわりました

春には京都国立博物館で、秋には東京国立博物館で開催しておりました「禅 心をかたちに」展が先月末で終了し、このところ毎日、手分けをして、お借りしていた大切な宝物什物を各地のご寺院や博物館・美術館に返却にまわっております。

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運送は、美術輸送で一番の定評のある日本通運の美術輸送班。トラックには日通のスタッフの他に、博物館の学芸員さんや主催の日経新聞の担当者も同乗し、臨黄合議所事務局からも御礼のご挨拶に同行しているという毎日です。
今日は宇治の大本山萬福寺様と田辺の酬恩庵様に行って参りました。

禅展ではオリジナルTシャツまで販売されていましたあの、羅怙羅尊者の胸がぱっくり割れてお釈迦様が顔を出されているあの羅漢像、印象をもってご覧になった方も少なくなかったのではないかと思いますが、この羅怙羅尊者を含む十六羅漢木像は黄檗山萬福寺の宝物です。大きなものなので、返却も大変でした(その詳しい様子は明日のブログで)。

_MG_0844.jpgその後、田辺の一休寺こと酬恩庵へ。こちらからはあの一休禅師の頂相や、御愛用品をお借りしていました。
名物の紅葉もそろそろおわりでした。ご住職によると、やはり今年は一週間くらい早いとのことでした。

_MG_0839.jpg大切なご宝物をお貸し頂き、感謝申し上げる次第です。

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作品返却

昨日のブログで書きましたとおり、東京国立博物館での特別展「禅 心をかたちに」が終了し、各寺院からお借りした宝物の返却が始まりまっています。
改めて、宇治市の萬福寺への返却の様子を細かにご紹介します。

man_1.jpg1)それぞれの宝物の形状に合わせた段ボールケースから取り出し、寺側の立ち会いのもとチェックします。

man_2.jpg2)仏像は専用の木枠に入れての移動でした。

man_3.jpg3)大きな仏像となると運ぶのも大変です。

man_4.jpg4)展覧会の主要作品の一つにもなった羅睺羅尊者像です。 

man_5.jpg5)美術院の方によるチェックと補修が行われました。

作業の様子を見守っていた参拝者の一人は、「ようやく帰って来られましたね」と安堵感を交えて仰ってました。

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柿の実

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秋も深まってきました。というより、もう冬の入り口ですね。

各地の専門道場の多くでは、雲水殺しの異名をもつ「臘八大摂心」の真っ最中。今年3月の遠諱報恩大摂心に参じた雲水達も、歯を食いしばって坐っている事だろうと思います。

さて、柿の実は、年によってよくできたり、あまりできなかったりすることがあるようです。今年は自坊のまわりの柿の木々にもたくさんの実ができたようです。

檀家さんからも渋柿をたくさんいただきました。そこで、老母がせっせと皮むきをいたしまして……。

_MG_0114.JPGどうでしょう。100個はくだらなかったかと思います。ひもで括って、干し柿にいたしました。

自坊の鐘楼に竹竿をかけて、そこにずらっと干し……。

_MG_0118.JPG干し始めたら、2~3日に一度、揉んでやらないと、甘くならないのだそうです。今年は雨が多いので、カビに気をつけないと、せっかくの苦労が水の泡です。

さてじつは、写真はありませんが、このたくさんの干し柿は、すでに真っ黒で美味しそうな干し柿になっています。

そして、少し木に残しておいた柿は、鳥たちがおいしそうに頂いているようです。

 

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道元禅師初開道場 興聖寺(宇治)

s_MG_0683.jpgご存知のとおり、弊所は主に臨済宗の研究機関でありますが、もちろん同じ禅宗のひとつ、曹洞宗ともいろいろなご縁があります。
この禅文化研究所の刊行物のなかで、おもに語録類の訓注を担当しているN師は、もともと在家出身ですが、現在は曹洞宗寺院の僧侶。曹洞宗僧侶なのに臨済僧の研究をしているという、とても変わり種の一人です。それはさておき、N師が修行に入門していたのが、この宇治の平等院の宇治川を向かい合わせにある興聖寺(曹洞宗)です。

先般、あいにくの雨でしたが、一度訪ねてみようと思っていたので、カメラを抱えて参拝してきました。

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ちょっと中国風の山門です。
興聖寺は常々、こうして無料拝観をされていますが、先に書いたように、修行道場(僧堂)でもあります。そして、なによりも、曹洞宗開祖である道元禅師が、あの永平寺よりも先に開かれた初開道場なのです。

ただ、道元禅師が建立されたもとの興聖寺はここではなく、別のところにあったようで、応仁の乱以後、衰微していた興聖寺を惜しみ、永井信濃守尚政公が、両親の菩提のため伏見城の遺構を使って、現在の地に諸堂を再建し建立整備したとのことです。

 

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正面は本堂で、本尊の釈迦牟尼仏は、道元禅師作と伝わっています。
右手が庫裏、左手に禅堂があります。禅堂のさらに左手には衆寮や経蔵がありました。

s_MG_0677_トリミング.jpg通常は庫裏の内部も拝観できるようでしたが、この日は法要があるとかで観る事ができませんでしたが、庫裏玄関には、こんな魚板が。今でも打たれているのでしょうか、腑は抜け落ちていますね。

s_MG_0679.jpg静寂な庫裏の廊下。同僚のN師もこの廊下をぞうきん掛けしていたんだろうなぁと、少々、感慨深く観ておりました。

じつは拝観客の多くは、この山門前の「琴坂」の紅葉を楽しみに来られていたのだろうと思います。ご多分に漏れず、私自身もその一人。しかし京都市内より遅いのか、まだ完全には紅葉しておらず、おまけに雨で絵にならずといった次第。残念でした。いずれまたお参りしましょう。

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瓦屋寺(滋賀)

 

s_MG_0429.jpg もう京都の紅葉も終わりですが、各地では今年は例年より少し早く紅葉を楽しめたのではないでしょうか。
友人知人からFacebookで寄せられてくる情報をみていても、いつもより早いんじゃないかっていう書き込みが多く感じられました。急に肌寒くなったからでしょうか。
このごろ、いきなり夏から冬になっているようで、過ごしやすい秋はすぐに終わってしまいますね。

s_MG_0386.jpgさて、11月半ばでしたが、雨上がりの朝に、自坊の法類で、親寺(本寺)でもある滋賀県東近江市の瓦屋寺を訪ねてきました。じつはあまり知られていませんが、紅葉で美しいお寺です。

s_MG_0463.jpgこのお寺はもともと華厳宗あるいは天台宗のお寺だったようです。大阪の天王寺を聖徳太子が創建されたときに、その瓦10万6千枚を焼かせたというこの地に、小野妹子が「瓦屋寺」として建てたのだそうです。
そして、江戸時代に臨済宗として中興された開山は、あの松島瑞巌寺に住まわれていた雲居希膺禅師の直弟子の香山祖桂和尚です。ちなみに、私の自坊では、この香山和尚の弟子が開山ですので、香山和尚を勧請開山としています。

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住職はこの春から交代されたばかりの若い和尚。毎日掃除におわれているとのことですが、美しい大伽藍です。
左手に見える茅葺きの本堂は、今、募財をされていて屋根替えを計画されています。大きな伽藍ですが、檀家数も多くないために、護持運営にはご苦労の様子です。

s_MG_0472.jpg来年の紅葉時期でも一度訪ねてみられてはいかがでしょう。そして、護持に少しでも浄財をご寄進いただければ、法類の私としても大変感謝申し上げます。

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逸話(5)越後の良寛さん―その3

 

161201.jpg近頃、囲碁の名人とAIコンピューターが勝負をして、やれコンピューターが勝った、いや、やはり名人が勝ったと、かまびすしいことですが、良寛さんにも、囲碁にまつわるこんなお話が二つ。

【和尚の碁打ち】
良寛和尚は、囲碁が好きで、負ければ機嫌が悪かった。
いつの年か、地蔵堂の庄屋の富取(とみとり)の家へ行き、碁を打ったことがあった。和尚はおおいに勝った。負けた富取は、怒ったふりをして、
「人の家に来た客が、その家の主人に勝つとは、無礼も甚だしい。以後、この家に来ることはならん」
と言った。
和尚は、その剣幕に驚き恐れ、顔色も青ざめ、富取家を出て、わたしの家へやって来られた。思案顔であった。わたしの祖父が、そのわけを聞くと、和尚は、
「地蔵堂の富取に勘当された」
と言われた。祖父は、
「わたしが良寛さまのために取り成ししましょう」
と言って、翌日、和尚と一緒に地蔵堂へ行き、前日の無礼を詫びた。和尚は、家の門口に立ったままで、中へ入ろうとはされなかった。事が終わってから和尚を呼ぶと、そこで初めて入って来られた。そして、またもや碁打ちにとりかかったという。
この話は、わたしがまだ生まれる前のことで、今は亡き清伝寺の観国和尚が話していたことである。

【賭け碁】
良寛和尚は、お金を賭けて碁を打つこともあった。多くの人は、わざと負けていた。そこで、和尚は、
「銭がたまってやり場がない」
とか、
「人は銭がないのを憂えるが、わしは銭が多すぎるのに苦しむ」
などと言っておられた。

『良寛和尚逸話選』(禅文化研究所)より

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法界寺(山科)

次号の季刊誌『禅文化』243号で、佐々木日嘉里先生が連載の「部分から全体へ」で紹介される、山科の醍醐にある法界寺を訪ね、記事中に掲載するお堂の写真を撮影取材に行ってきました。

このお寺は真言宗醍醐派の古刹で、藤原氏の北家にあたる日野家の菩提寺であることから、「日野薬師」という別名もあり、また浄土真宗の開祖親鸞の誕生地でもあるそうですが、はずかしい事に私は今まで訪ねた事もなく、その存在すら存じ上げなかったのです。
京都市営地下鉄東西線の東側の終点「醍醐駅」の一つ手前の「石田駅」で下車し、徒歩で東へ向かいます。

_MG_0237.jpg少しいくと、旧奈良街道筋に二本の石柱が立っています。少し登りですが、まっすぐに東へ10分ほど行くと、日野薬師への辻にまた石柱が。

_MG_0232.jpgここを右折したらすぐに左手に見えてくるのが法界寺のようです。山門の先に境内が広がっているのが見えました。山門の向かいのおうちもなにやら少し変わった建前でしたが、それはさておき、境内へと進み入りました。受付で申し出れば、通常拝観をされているようです。

_MG_0187.jpg_MG_0188.jpg萬福寺の敷石に似ているなぁと思いながら奥へ進んでいき、予め連絡を入れておいたので、取材をさせていただきます。

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まずは、こちらが本尊の薬師堂。いわゆる日野薬師さんのお堂です。内部撮影は禁止されています。中には安産を願っての前掛けが所狭しと掛っていました。中には重要文化財のお薬師如来が祀られているのですが、みることはできませんでした。

そして、その左手にあるのが、取材の対象となっている阿弥陀堂(国宝)。藤原時代に建てられた建造物で、内部にはこれまた国宝の大きな「木造阿弥陀如来坐像」が祀られています。

_MG_0195.jpg許可を得て内部も撮影いたしましたが、詳しくは次号季刊誌『禅文化』243号をご覧下さい。

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白隠フォーラムin神勝寺

 

shinshoji1.jpg常栄寺でのフォーラムの翌日(11月20日)、広島県福山市の神勝寺で白隠フォーラムが開催されました。神勝寺は今から50年ほど前に創建された臨済宗建仁寺派の寺院で、地元の企業グループにより運営され、広大な境内には多くの伽藍や施設が建立されています。
その一つ、このほどオープンした荘厳堂は白隠禅画墨蹟の常設展示館で、200点を超える白隠の作品群を四半期ごとに架け替えて展観するそうです。

shinshoji2.jpgshinshoji3.jpgこの日の講演は山梨県にある健康科学大学教授の平尾真智子氏と芳澤勝弘氏。来場者は120名で遠くは仙台からお越しの方もありました。
平尾氏は「白隠禅師の仮名法語にみる『健康』の語の使用」のタイトルで、芳澤氏は「神勝寺の白隠コレクション」のタイトルでお話しいただきました。
平尾氏の講演は、日本で初めて「健康」の語を使用したのは白隠禅師であり、「健康」の語の普及には『夜船閑話』の普及が大きく寄与しているという内容でした。白隠禅師が著した10著作16ヶ所に「健康」の語が使用されているそうで、弊所刊行の「白隠禅師法語全集」全14巻の別巻である総合索引には、「養生」の項目はあるのですが「健康」の語は取っていませんでした。当たり前に使っている健康の語源が白隠禅師にあるとは、何とも興味深い話ですね。

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白隠フォーラムin常栄寺

 

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花園大学国際禅学研究所と臨済宗黄檗宗連合各派合議所が共催しての白隠フォーラムが、11月19日、山口市の常栄寺で行なわれました。常栄寺は臨済宗東福寺派の専門道場であり、雪舟等楊の作と伝えられる庭園(雪舟庭)が有名で、紅葉と相まって多くの参拝者で賑わっていました。

joeiji3.jpg講演は、山口県立美術館学芸員の荏開津道彦氏と花園大学国際禅学研究所顧問の芳澤勝弘氏。
荏開津氏は「雪舟の道釈人物画」と題して、年譜をもとに雪舟の「出山釈迦図」「観音変相図」「慧可断臂図」の3作品にまつわるトピックをお話しされました。
芳澤氏の「田舎雪舟と号した白隠」と題した講演では、雪舟と白隠が画を通して伝えたかったものについてお話しされました。とくに特別展「禅 心をかたちに」(東京国立博物館で公開中)に初出品された白隠の「慧可断臂図」の解説は、白隠禅師のメッセージが伝わり非常に興味深いものでした。

joeiji2.jpg県内の方々を中心に60名の参加者があり、皆さん満足した様子でした。

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特別展「禅―心をかたちに―」入場者10万人!

 

臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念 特別展「禅―心をかたちに―」の入場者が10万人を超え、18日にセレモニーが行われました。

taguchi11.jpgセレモニーに参加されたのは、東京都からお越しの新井恵さん。ご家族・ご友人と来館された新井さんには、東京国立博物館の富田学芸研究部長から、記念品の展覧会図録と出品作品「国宝 瓢鮎図」のトートバックが贈呈されました。贈呈式にはトーハク広報大使のトーハクくんも登場し、お嬢さんの麗加さんも大喜びでした

新井さんは「国内外の美術館・博物館を巡るのが好きで、思い込みなく何か感じられたらと楽しみにしてきました。」と語っておられたとのことです。

特別展「禅―心をかたちに―」も、残すところわずか1週間をきった、11月27日(日)までです。

臨済宗・黄檗宗十五派の本山が協力した、これだけの規模の展覧会。次に開催されるのは、50年後でしょうか。ひょっとすると、もう二度とないかもしれません。

まだご覧になっていない方、もう一度ご覧になりたい方は、ぜひ東京国立博物館へお急ぎください!

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「中国旅行記3(玉仏寺・豫園観光)」

 

IMG_8367.jpg鄭州の空港から中国最大の都市、上海へ。
この日の天候は曇りで、非常に湿度が高く、かなり蒸し暑い1日だったことを憶えています。

IMG_8364.jpg空港からバスに乗り約30分で玉仏寺に到着しました。玉仏寺は1882年に創建され、創建者がインドからの修行の帰りに、ミャンマーで玉でできた仏像を手に入れ持ち帰り、その2体の玉仏がこの寺に安置されたので、玉仏寺と名付けられたという歴史があるそうです。

IMG_8353.jpg繁華街の中にあるお寺ですが、山門は常に閉まっているということで、道路沿いの側面にある小さな門から入りました。

IMG_8361.jpgIMG_8363.jpg比較的新しいお寺なので、仏像などの状態も綺麗な物が多かったです。
メインの翡翠で造られた仏像は玉仏楼という建物の2階にありました。写真撮影は禁止でしたが、薄暗く怪しい雰囲気の空間に光り輝いた状態で安置されていて、とても優しい表情をした仏像に、観光客の方々はしばし手を合わせておられました。

現在では上海仏教界の中心となっているのがこの玉仏寺であり、ツアー観光としても必ず組み込まれる寺院だそうです。

◇豫園観光

IMG_8375.jpg上海で一番有名といって良いほどの観光スポットに到着しました。豫園は明の時代に造られ、中国の文化を代表する400年以上の歴史を持つ庭園です。

IMG_8378.jpg豫園の「豫」は「愉」に通じ、「楽しい園」という意味があるそうです。

IMG_8373.jpg広大な敷地は約2万平方メートルもあるそうですが、周りには多くの商店ががあり、国内外の観光客で賑わっていました。人混みで覆い尽くされているので、団体で歩いても迷子になるくらいです。

IMG_8379.jpgここには中国古来の庭園が有り、昔の中国の建物がそのまま残っています。

IMG_8384.jpgこちらは「玉玲瓏(ぎょくれいろう)」という太湖石で、太湖石とは上海の西約70キロにある太湖から産出される石で観賞用に重宝されているそうです。
名石と呼ばれるには条件があって、細く痩せて見える事、しわが多い事、穴が中でつなっがっている事などが条件なのだそうです。中央の石がその条件に最も近く 名石中の名石でその名を「玉玲瓏」というそうです。石の頂点から水を注ぐと全ての穴から水が流れ、また、石の下から香を焚けば全ての穴から煙が立ち上がるという幻想的な光景が見られると話しておられました。

P1060335.jpg最後に豫園の中にあるお茶屋さんにて総茶礼。中国ならではのお点前を流暢な日本語でご説明いただきとても分かりやすかったです。

3日間の短い旅でしたが、年齢や肩書きに関係なく、皆さんが笑顔で親しくお話されている姿がとても有意義で印象的でした。
まずは全員無事に帰国できたこと、更に言えば、今回の旅でたくさんの宝物を見学してきましたが、こうして皆様とのご縁をいただき、一団で時間を共に過ごせた事が一番の宝物になったことはいうまでもありません。ご参加いただいた方々には心から感謝御礼申し上げます。

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(おわり)

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「中国旅行記2(嵩山少林寺)」

8時半にホテルを出発し、中国河南省登封市にある五岳(中国の五大名山)の一つ、嵩山の麓にある禅宗発祥の地、少林拳の総本山、嵩山少林寺へ参ります。

IMG_8213.jpg少林寺に到着するまでの壮大な山々。

IMG_8229.jpg少林寺到着。少林寺の創建は496年ということですが、1928年の軍閥混戦の最中に隋末以降最大の大火があり、建物や魏代の仏像などすべて焼失し、現在のお寺は最近復元された物だそうです。

P1060167.jpg少林寺の高僧方と合流し、少林寺住職の永信法師との面会まで境内案内していただきました。

P1060203.jpg正面の大雄峰殿に移り一同で大悲呪を唱和。

P1060196.jpg10時に永信法師と面会し、永信法師と団長の松竹寛山老師のそれぞれの挨拶をいただきお土産の交換を行ないました。
1日少林寺に滞在することをお話しすると、永信法師はとても喜んでおられました。

P1060200.jpg永信法師と一同で記念撮影。

P1060210.jpg永信法師のご厚意で、現役修行僧による少林拳の演武を見せていただきました。一般の方はここには通してもらえないということと、現役の修行僧の演武は普段はショーとして公開していないと伺いました。日々の修行で培った迫力ある技の1つ1つを間近で見ることが出来ました。
ここで裏話になりますが、映画「少林寺」で映画に登場したお寺はここではないそうです。舞台は、撮影のために4カ月かけて中国浙江省に作った「瓜二つ」のセットで、その建造には2000万元(約2億4000万円)も使用されたというお話もお聞きかせいただきました。

P1060230.jpg午後からは初祖庵(達磨大師が9年間面壁されたという洞窟)に向けて出発。初祖庵の反対の山には二祖庵があり、ロープウェイで上ることができます。二祖庵に上られた方も何名かおられましたが。殆どの方が初祖庵を目指しました。山の頂上に見える白い達磨像がゴールです。頂上までの階段の数は約900段あるそうです。

P1060246.jpg足場はとても不安定で、蟹歩きで上らなければ進めないような階段も有りました。
また、登山道には10ヶ所ほど休息場もあったので、時おり休憩をとりながら頂上を目指しました。

P1060250.jpgこちらは頂上手前にある達磨洞。ここが達磨大師が9年間面壁されたとされる洞窟です
この達磨洞の奥には、9年間の面壁で達磨大師の影が遺っていたそうですが、清朝の中頃に、少林寺の僧侶がこの面壁石が消失してしまう事を恐れて、蔵経閣に保存する事にしたそうです。しかし、軍閥によって少林寺が焼き討ちされた際に、面壁石は蔵経閣と共に焼失してしまい、現在は、面壁石の複製品が文殊殿に安置されています。

IMG_8345.jpg頂上に到着し、登山希望者は無事全員たどり着きました。
登り切った達成感で一致団結!

今回、達磨大師のふるさとに足を運ぶことで、達磨大師が築いた少林寺の歴史と、数々の難を乗り越えて少林寺の地が現存していることを改めて知ることができました。
少林寺からバスで鄭州へ。
(つづく)

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「中国旅行記1(竜門石窟)」

本ブログですでに別のスタッフが報告していました「臨済禅師1150年遠諱 日中合同法要記念訪中」の記録。解団後に組まれていた長い方のコースでは、洛陽の龍門石窟、崇山少林寺、そして上海の玉仏寺や豫園を訪ねました。
3回にわたって、その旅行記を書いていくことにします。

IMG_8086.jpg新幹線に乗り石家荘から約3時間かけて洛陽へ。

IMG_8096.jpgIMG_8101.jpg到着後、約20分ほどバスに乗って竜門石窟に向かいます。石窟の入り口までは専用カートで10分ほど移動。

IMG_8110.jpg入り口に到着しましたが、かなり日差しが強く日よけ対策は必須でした。

IMG_8153.jpgIMG_8202.jpgこの石窟竜門石窟寺院は2000年に世界遺産に認定され、敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並ぶ中国三大石窟の一つであるそうです。石窟は1352ヵ所もあり、全長は1kmにも及びます。
この石窟寺院の造営は494年ごろから開始され、唐時代末まで約400年にわたって続けられたそうです。

IMG_8167.jpgIMG_8144.jpgIMG_8161.jpgすべて手彫りで、彫られた仏像は、約10万体であるということ知り、壮大な労力と時間を費やして完成されたそうです。
また、文化大革命の時に殆どの仏像が破壊され、顔や手のない仏像がたくさんみられました。仏像の中には数センチの仏像もあり、大小様々な仏像を拝見することが出来ました。

IMG_8172.jpgなんと言っても見所はメインの盧舎那仏(東方のビーナス)とも呼ばれているそうです。高さは17メートルあり、その左右に2体ずつ比丘、菩薩、天王、力士の巨像が9体が彫られています。

P1060162.jpg対岸からみる石窟群が一番絶景というこで、一団で記念撮影。


暑さと急な階段の上り下りで歩き疲れたせいか、次の嵩山への移動のバスでは殆どの方がおやすみになられていました。
(つづく)

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大本山永源寺 開山寂室禅師650年遠諱法要


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去る11月7日、雲一つない晴天の下、永源寺派大本山瑞石山永源寺(滋賀県東近江市)にて正燈国師650年遠諱法要が厳かに執り行われた。
建長寺派、建仁寺派、大徳寺派、円覚寺派の管長をはじめ、僧堂師家や諸尊宿が大勢参列され、また檀信徒や一般来賓で大方丈は張り出し桟敷も含め参列者で埋め尽くされた。

我々禅文化研究所職員とも親しみの深い永源寺派管長道前慈明老師が導師を勤められ、厳かに展供十八拝式が行なわれた。その後、楞厳呪が唱えられ、約一時間半の儀式となった。

永源寺の開山正燈国師寂室元光禅師は美作の産、約翁徳倹の法を嗣ぎ、入元して中峰明本に参じた。
本山の直下を流れる音無川の渓谷のように清冽なその禅風は、後世、多くの人々に慕われた。

禅文化研究所としては今回、記念出版『訓註 永源寂室和尚語録』編纂のお手伝いを許されたことは光栄であった。
また『禅文化』誌242号では寂室禅師に関する特集を組み、管長の道前老師を始め多くの方々から玉稿を賜わった。
禅師を偲ぶきっかけとなれば幸いである。

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泉屋博古館 特別展「高麗仏画-香りたつ装飾美」


001.JPG京都は岡崎にある、泉屋博古館に行ってきました。南禅寺、永観堂、法然院など有数の紅葉名所が建ち並ぶエリアとあって、一帯は大混雑だったのですが

002.JPG館の周辺は、こんなに静か。山裾の瀟洒な美術館です。

003.JPG泉屋博古館は住友家が蒐集した美術品を保存・展示する施設。特に第15代・住友春翠(友純)が集めた中国の古銅器と鏡鑑は白眉で、中国以外では最も充実したコレクションといわれているそうです。実際、広い展示室が4つもありじっくり観るなら半日は必要かも。

004.JPGエントランスにて。遊び心のある演出が少し意外でした(いくつになってもこういう仕掛けには心が動きますが、あいにく単独行動でした。残念です)。

005.JPG前置きが長くなりました。この日の目当ては、高麗王朝後期(13~14世紀)に制作された華麗な仏画。館所蔵の重文「水月観音像(楊柳観音像)」の全面解体修理が終わったタイミングで、国内38年ぶりという高麗仏画の特別展が開催されているのです。

かつて韓国で高麗仏画を拝見する機会に恵まれた私は、一目でその繊細な美しさの虜になってしまったのですが……。現存する高麗仏画は全世界でも160点ほどだそうで、まとまった形ではあまりお目にかかれないのが実情と知りガッカリ。まさかこんな日がやってくるとは。とても嬉しかったです。

006.jpgこれらの荘厳は仏の徳を表わすのだそうです。やはり、このうっとりするほど繊細な装飾が人の心を掴むのでしょうか、開会早々すでに人気の展覧会だとか。会場では修復の技法や成果なども紹介されています。「どれだけ細かいんだ」と気が遠くなる作業ぶりですが、人が畏敬の念を抱く仏画の秘密を垣間見た気もしました。皆さまも是非。

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最高の一日

 

IMAG3689.jpg去る夏の日、『訓註 永源寂室和尚語録』(永源寺開山語録研究会編)全3冊箱入りが、小生の山寺に届けられた。この本にたずさわって何年になるだろう。2年3年は没頭していた。

本を作る製作者には、この日が一番うれしい。

特に小生の場合、漢文の1字1字を調べ上げていく作業だから、日常的には喜びはない。ドラマの「トト姉ちゃん」とは少し違う。毎日が発見の日々、感動の日々ではない。

しかし、この日だけは格別である。原稿書きは、その本がどう仕上がって来るのか分からない。事前にPDFで見せてもらうが実感はわかない。

製作者にとって、1冊の本は、嫁がせる我が娘のようなものである。お嫁さんは綺麗にこしたことはない。いや、生まれて来る赤ん坊のようなものだ。ケガはあるまいか、カワイイだろうかと気が気ではない。

今日、それが届き、ケガひとつせず、カワイくて綺麗であった。装丁担当の○○さんに頭を下げて、感謝するのみである。

季刊誌『禅文化』も同じだ。編集者は、月の4回、25日だけが喜びである。それも1分。もう次には、次号・次々号の編集が待っている。1冊の本や雑誌を作り上げていくということは、そんなことである。

余談だが、我が家内が、コップにサイダー水をそそぎ、小生のコップにはビールをそそいでくれ、「おめでとう」と言って、乾杯をしてくれた。

このうえもない1日であった。

 

※本書『訓註 永源寂室和尚語録』は、昨日(11月7日)に大本山永源寺で勤められた寂室元光禅師の650年遠諱を記念して発刊。禅文化研究所にて発売いたしております。

 

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「近世京都の宮廷文化 ~宮廷大礼文化の風景~」展

 

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昨日のブログ禅で書いた光雲寺に遺る東福門院像は、現在、この「近世京都の宮廷文化 ~宮廷大礼文化の風景~」展に出品されています。まことに京都ならではの展覧会、お運びになってみては如何でしょうか。

上記リーフレットの裏側も掲載させて頂いておきます。いずれの画像もクリックすると大きく表示します。

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鎌倉大坐禅会

098-en20161031-_AC_9222.jpg去る10月29日~30日に、臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念事業の一つ、「鎌倉大坐禅会」(於・建長寺/円覚寺)が開催され、私たちスタッフも準備もあり前日より現地に向かいました。

前日28日は小雨も降り気温も低く、肌寒い一日でしたが、翌当日はお天気も回復し、スタッフ一同もほっと安心。

午前10時より、大本山建長寺にて遠諱法要が勤修され、臨黄各派の老師、総長方や関係寺院などの尊宿、そして一般関係者等のご参列をいただきました。

最初に、円覚寺派管長・横田南嶺老師による『臨済録』提唱。

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つづいて、建長寺派管長・吉田正道老師の導師による臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱法要が勤修されました。記念法語の最後にされた一喝は大迫力でした。

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午後からは、いよいよ一般参加者に向けての大坐禅会。建長寺と円覚寺の会場に分かれて開催され参加者の総合計は約1000人でした。

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遠諱関連事業としては、あとは来年以降の白隠禅師シンポジウムを残すのみとなってきました。あと一踏ん張りです。

 

 

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「永源寺に伝わる書画」展(滋賀県・觀峯館)

 

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先日、滋賀県東近江市にあります觀峯館に行ってまいりました。
書家の原田観峰氏の名前を冠されており、中国様式の建物と新館とに分かれており、今まで見たこともない大きな硯や、中国の書、離宮避暑山荘内部の復元などが展示されており、山荘内部は装飾品や天井まで細部にわたり復元されていました。

koba_0806.jpgこれにはアナウンスの説明もあり、当時の隆盛が良くわかります。
また、建物の最上階は展望台で、遠くの景色まで見渡せ、この日は天気があまりよくなかったのですが、晴れた日にはどんなにか気持ちが良いだろうと、少し残念でもありました。
また、オルゴールやクラッシクカーの展示もあり、多彩な展示物で楽しく過ごせます。

koba_0805.jpg今回は、滋賀県東近江市にある臨済宗永源寺派の大本山永源寺の開山である寂室元光禅師の650年遠諱に合わせて觀峯館で開催されています、「永源寺に伝わる書画」を伺いまいりました。あわせて、先月弊所より刊行いたしました季刊『禅文化』242号にも特集「永源寺開祖・寂室元光禅師」を組ませていただいています。

この企画展は11月20日まで開催されています。
会期は9月17日からでしたので、現在は後期展示となっていますが、ふだん拝見する事のできない寂室元光禅師や一絲文守禅師の墨蹟等、素晴らしい展示ばかりでした。
もう少し展示物の紹介をしなければいけないとは思うのですが、ぜひ、幣所刊行の242号を手に、寂室元光遺戒や墨蹟、江戸前期に書かれた「達磨図」の朱の色、そして、「地蔵十王図」の迫力に、足をはこんでいただきたく、少しだけの紹介とさせていただきます。

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2016 サンガセミナー第4回 「禅の庭講座 ―江戸時代初期の宮廷文化と禅の庭」

 

_AC_9089.jpg先週、今年度のサンガセミナー第4回となる「禅の庭講座 ―江戸時代初期の宮廷文化と禅の庭」を開催しました。講師はこの講座で毎年お願いしている京都造形芸術大学の町田香先生。
今回は、京都に遺る宮廷の庭としては珍しい、南禅寺禅センターでもある光雲寺様と、同じく南禅寺派の尼門跡である霊鑑寺様を訪ねました。

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午後、光雲寺様で集合し、まずは住職である田中寛洲老師から光雲寺に遺る寺宝のご説明をいただきました。名だたるお公家様たちのお位牌や、台座に菊御紋と三つ葉葵紋の両方がある觀音菩薩像など、お公家様たちとご縁が深いお寺ならではの寺宝の数々でした。

_AC_9117.jpgその後、町田先生による約1時間の座学。御苑や離宮の庭を中心とした宮廷の庭園について詳しくご説明いただき、その中で禅寺にも遺る宮廷文化の庭として、この光雲寺と霊鑑寺の庭を実際に見ながらご説明をいただきました。

_AC_9131.jpg光雲寺は江戸期に諸堂が大きく荒れたため、庭も開創当時のものではなく、昭和になって小川治兵衛によって作庭されたものではありますが、寛政11年の『都林泉名勝図絵』に描かれている庭とよく似ていることが窺われました。

そのあと、光雲寺から哲学の道を北へ歩いて10分ほどのところにある霊鑑寺へ移動。こちらも光雲寺と同じく、通常は公開されていない寺院ですが、椿の時期、紅葉の時期には特別拝観をされているので、訪ねられた方もおられるかもしれませんね。

_AC_9135.jpgむした苔や、モミジが色づきかけている庭を観ていると、それまで晴れていた空から小雨が降り出してきました。おかげで少し苔が色を濃くしたようでした。

今年も11月になると霊鑑寺の特別拝観(京都市観光協会主催)もあるそうです。お出かけになってみては如何でしょうか。

次回のサンガセミナー第5回「掛け軸の扱い方講座」と「水墨画講座-秋を描く」へもご参加募集中です。

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吉備津神社

 

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岡山県岡山市に鎮座する吉備津神社。備中国の一宮として崇敬される。一般的には「吉備津の釜」の怪談で知られている。「吉備津造り」と呼ばれる様式で建てられた壮大な社殿と、長い回廊は一見の価値がある。

この独得の社殿の形式は、鎌倉時代、東大寺大勧進職をつとめた重源上人の構想によるとも言われる。上人は天竺様という大陸伝来の建築技法で東大寺を再建したが、神社建築でも伝統に囚われず新しい様式を試みたのだろうか。

栄西禅師は、この神社の神職を代々勤めた賀陽氏の出身である。栄西禅師と重源上人には親交があった(兄弟とする伝説もあるが、事実ではない)。この神社の再建事業には、敬神の念篤かった禅師も何らかの形で関わっていたに違いないが、今ではよくわからない。

京都建仁寺の鎮守である「楽神廟」には、吉備津神社の眷属神の一柱が祀られている。栄西禅師が建仁寺を創建した時、備中から飛来して鎮守となったという伝説がある。創建に関する確かな記録はないが、鎌倉末期にはすでにその存在が確認されるので、禅師自身が故郷の神を勧請したという可能性も高い。

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『ぼくがいま、死について思うこと』(椎名誠)

 

死について思うこと.jpg10年以上前に椎名誠(シーナ)さんの小説は、『岳物語』をはじめ片っ端から読んでいた時期がありました。息子を乗せてカヌーでツアーをするとか、大いに憧れてもいましたが、知らぬ間に久しく離れてしまっていました。そういえば、最近、シーナさんの本を書店でも見てなかったような気もしていたところ、この本の帯が眼に入ったので、思わず手にとったのでした。

ちょうど個人的にちょっともてあますほどの時間ができ、そして、改めて死について思う事もあり、この本を読みました。

帯の文言から、相当、重い内容なのだろうと思って読み進めましたが、じつはこの帯は適切じゃないというのが正直な感想です。帯を見て「へぇ、あの憧れだったシーナさんが死のうと思ったのか……」と思っていましたが、そのことについて触れられているのはほんの少し。この本でシーナさんが言いたいのはそんな事じゃないと思いました。

我々僧侶のように人の死に関わる方、ほかにも医者や葬儀屋さんにはもちろん勧めたい一冊ですが、家族や身内から死人を出さない、あるいは自分は死なないという自信のある方以外には是非お勧めしたいのです(もちろんそんな方はおられませんよね)。

一時期おおいに読まれたり話題に上がった『葬式無用論』などの本より、生死や葬儀を考えるには絶好の本だと思いました。身内や親友の死に臨んだときの気持ちなども赤裸々に書かれています。それからシーナさんや奥さん(チベットを長期にわたって旅をする驚くべき人)が、直に見た世界の辺境の地のお葬式の色々な仕方を知るだけでも、とても興味深い一冊だと思います。

この本を読んで、改めて自分自身の死生観を感じてほしいと思いました。もちろん、私自身にも多くの気づきがありました。

 

余談ですが、禅文化研究所からも『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』(西村惠信著)という名著があります。よろしければあわせてどうぞ。

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季刊『禅文化』242号発刊のお知らせ

 

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表紙:出山釈迦像/寂室元光賛・永源寺蔵


大本山永源寺では今秋、開山・寂室元光禅師の650年遠諱法要が厳修されます。これを記念し、今号では寂室元光禅師の生涯とその禅風を、約70ページにわたって特集しました。

その生きざまを「高潔」と評される寂室禅師は世俗を離れ、隠遁を好まれたにもかかわらず、当時2000人もの僧が門下に参集したと伝わります。はたして清高の禅僧はいかに生き、いかに現世での生涯を終えられたのでしょうか。改めて過去の研究成果に触れるのはもちろん、禅師が遺された言葉や永源寺伝来の資料などを元に、新説を含め6名と1組の著者陣にご執筆いただきました。

またグラビアページでは、永源寺が所在する滋賀県東近江市「観峰館」にて開催中の『永源寺に伝わる書画』展から、出陳作品の一部を掲載しています。すべて釈文と担当研究員による詳細な解説付きですので、禅師と周辺の人々を一層身近に感じていただけることと存じます。

永源寺4派の祖となる高僧を排出した寂室元光禅師。自らの禅を慕い集った弟子達に見せた「師」としての姿はもちろん、ひとりの禅僧としてもたいへん魅力的です。この機会にぜひ、そのあり方に触れてみてください。

発売は10月25日(火)、ご注文は弊所オンラインショップでも承ります。宜しくお願い申し上げます。

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