白隠禅師シンポジウム 名古屋会場のお知らせ

 

0322_白隠パンフ_最終-1.jpg臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱の特別事業も残り少なくなってきました。全国4ヶ所で行なう白隠禅師シンポジウムも、東京と京都が終了し、のこすは名古屋と九州です。

来たる6月22日に、名古屋市熱田区の熱田文化小劇場にて、「白隠禅師シンポジウム 名古屋会場」が開催されます。

白隠研究第一人者である芳澤勝弘先生による「美濃の白隠」と題した講演、また「天下の鬼叢林」として知られる岐阜県・正眼寺専門道場師家の山川宗玄老師に「毒語心経」の提唱があり、お二人への質疑応答の時間も設けます。
こちらは入場料が1000円(税込)で、定員:300名となっており、事前のお申し込みも必要です(会費は当日、受付にて徴収いたします)。

詳細はこちらのパンフレット(PDF)をご覧下さい。

まだ残席はあるようですので、お申し込みはお早めに。お申し込みはこちらから。

 

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改修工事と名庭

 

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足利尊氏公が、夢窓疎石を開山として創建された天龍寺派のお寺・等持院(京都市北区等持院北町63)。弊所からもほど近い立地です。そうなると私の悪いクセで「いつでも行ける」と安心してしまうのですが、これから約3年間、およそ40年ぶりの改修工事に入られると伺い2年ぶりにお参りしてきました。

ほぼ建物全体に及ぶ思い切った工事に踏み切られた理由は、耐震対策だそうです。観光都市の寺院として、「参拝者の安全を一番に」とご決断されたのだとか。古いものをただ遺すだけでなく、安全にも細やかな意識が必要な時代になってきているのですね。

さて、工事が始まると「本堂」、歴代足利将軍の木像を祀る「霊光殿」、足利義政公好みの茶室「清漣亭」の3棟がシートで覆われ見えなくなりますが、美しい庭園は引き続き拝観できます。

「芙蓉池」「心字池」のふたつの池で東西に分かれる回遊式庭園は、夢窓疎石作と伝わる名庭。現在は瑞々しい新緑のもと、サツキが満開で、眺めているだけで呼吸が深くなりました。花のリレーはこれから「半夏生」「紫陽花」へと続きます。庭園内にある尊氏公のお墓も従来通りお参りできるようにしたいとのお話ですので、是非おでかけくださいませ。

※工事の状況によっては変更となる可能性もありますが、安全第一ですのでご了承ください。

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香雪美術館 「悉有仏性」展

 

blog-170605.jpg時々、本ブログで書かせていただいている弊所のデジタルアーカイブズ事業での調査。この調査に、時折お手伝いいただいている外部の美術館の学芸員の方が数名おられるのですが、その中のお一人が担当されている展覧会をご紹介します。

神戸市灘区御影にある香雪美術館では、現在、日本を代表するコレクター・佐藤辰美氏の所蔵品の中から選りすぐりの仏教美術品を二期に分けた特別展「悉有仏性(しつうぶっしょう)」展を現在展覧中です。会期は2017年5月20日(土)~7月2日(日)。

佐藤辰美氏は、現代美術収集家として知られているそうですが、実は私はまったく存じませんでした。しかし、2万点を超える所蔵品の中からの展覧会。お釈迦様の説かれた「悉有仏性」、つまり、「一切衆生、生きとし生けるものすべてに仏性(仏の心)がある」という言葉になぞらえた展覧会。是非お運び下さい。

かくいう私もまだ観に行けていないのですが、かならず会期中に足を運ぶつもりです。展観を観てからとも思ったのですが、ご紹介が遅くなると意味が無いので、まずはご案内まで。

 

香雪美術館 「悉有仏性」展の続きを読む

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安土城摠見寺 信長公毎歳忌

 

blog2017-06-02-11.06.jpg去る6月2日は、かの織田信長公の忌日。今年も、安土城址にある信長公の菩提寺・摠見寺にて毎歳忌が営まれました。

私は近隣寺院でもあり、普段から摠見寺の和尚さんには、自坊の法務に御加担いただいていることもあり、毎年、何らかの役配に割り当てられているのですが、今年は副司寮(ふうすりょう)。ごく簡単に言うと、ご参集いただいた和尚さん達がお持ちになる香資(お香料)を受付でお預かりして、後に御礼や領収書をお渡しする係です。

そんなわけで、法要には参列しないので、こんな法要中の写真が撮れるわけなのですが……。

さて、下の写真、これは何でしょう。摠見寺の玄関口にあるものなのですが。

blog_2017-06-02-11.12.jpgそうです、火鉢です。ある友人はこの写真を見たとき、法要で使う香炉か?と言いましたが、さもありなん。安土城の金瓦がその雰囲気を醸し出しているからかもしれません。が、火鉢であることにかわりはありません。

私は見つけたことはありませんが、私たちの親の年頃の人たちに言わせると、子供の頃、安土山を散策していると、こういう金瓦が落ちていたそうです。400年前に焼け落ちた安土城の瓦。なんとも感慨深い物がありませんか?

最後にお知らせです。

blog_2017-06-02-11.10.18.jpgここ、安土城址では、摠見寺の安土山保勝会主催で、数年前から秋に「薪能と筑前琵琶の調べ」を開催されています。今年も10月1日の夜に開催されます。予約が必要です。詳しくは2017-薪能.pdfをご覧下さい。

 

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逸話(13)白隠門下 その8-霊源慧桃

今回は白隠門下で、のちに天龍寺へも出世した霊源慧桃禅師(1721~1785)の逸話をご紹介します。


blog_聴松堂_163b_8A4A5505.jpg「病苦の中で大悟」

霊源慧桃和尚は、松蔭寺の白隠禅師のもとで長く修行し、日夜、おこたらずに参究した。松蔭寺から二十里ばかり離れたところに庵居し、松蔭寺への往来は、黙々と叉手当胸し、よそ見などはせず、同参の者に逢っても、ただ低頭するのみで、一言の言葉も交わさなかった。
ある時、同参の者が集まって、
「桃兄には、何か悟ったようなところも見受けられるが、どうもその程度がわからぬ」
と、霊源のことを話し合った。そこで、一人の僧が、
「まあ待て、わしが慧桃の力量を調べてやろう」
と言い出した。
翌日、道で霊源に逢ったその僧は、
「桃兄、〈疎山寿塔〉の公案、作麼生」
と問うた。しかし、霊源は、いつもと同じように、ただ低頭して去って行くばかりであった。そのため、誰も霊源のギリギリのところを知ることはできなかった。
その後、霊源は臍に腫れ物を患い、百余日の間、苦しみもだえた。そして、その苦しみの中で、〈疎山寿塔〉の公案を悟ったという。
霊源和尚は朴実な性格で、文字や言葉に頼らず、ひたすら艱辛刻苦、修行をした。それゆえ、和尚が身につけた道力は、大いに他の者をしのいでいたという。
その後、丹後の全性寺に住し、さらに天龍寺僧堂に出世し、多くの修行者を集め、その地方の大宗匠となった。
のちに妙心寺の住持となった海門禅恪和尚が、霊源和尚に相見したことがある。
霊源が京都に赴く途中、海門は、その前に進み出て、
「小生は、提洲禅恕和尚が法嗣、海門なり」
と、問答をしかけた。すると霊源は、にわかに手を伸ばして海門に突きつけ、
「わしの手は、仏の手にくらべてどうだ」
と迫った。海門は、言葉に詰まった。そこで霊源は、すぐに海門を踏み倒したという。

 

『白隠門下逸話選』(能仁晃道編著)より

※写真は「蘆葉隻履図」(霊源慧桃書/禅文化研究所蔵) 禅文化研究所デジタルアーカイブズ「禅の至宝」より

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