季刊『禅文化』244号発刊のお知らせ

 

k244.jpg4月25日に、季刊『禅文化』244号を発刊いたしました。今回の特集は「袈裟と法衣」です。

禅門において、袈裟はとても大切なものですね。しかしなぜ、袈裟が大事なのでしょうか?じっくり掘り下げて考えてみようと特集を組みました。識者のお力をお借りして、さまざまな角度から「袈裟と法衣」について整理を試みています。

宗教から離れた場面でも、日本仏教界に伝わる「伝法衣」から得られる情報は大変多いのだそう。袈裟についてはかの道元も言及していますが、自身の説示の変化に伴って、袈裟にまつわる主張も変化していく点は興味深いところです。 また、袈裟と名物裂との関わりの深さも見逃せません。「袈裟と法衣の歴史」と題してインド・中国・日本の袈裟、法衣について変遷をまとめた論攷も掲載しておりますので、この一冊で「袈裟と法衣」についての概要はご理解いただけるのではないかなと思います。これを期にお手に取っていただけましたら幸いに存じます。

新連載も3本。「和本の世界」では、和本のエキスパート・橋口侯之介先生に、装訂や江戸時代の出版事情を禅宗とも絡めながら楽しくご案内いただきます(4回連載予定)。

図版も豊富ですので、ぜひよろしくお願い申し上げます。

詳細はこちらをご覧ください。

 

by admin  at 09:00  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

研究所の花 2017/4-2

4月半ばになり、少し、自坊の庭の花も咲き代わってきました。チューリップなんかも色々咲いてきていますね。

普通のチューリップは研究所にある花器には合わないのですが、この八重のチューリップなら、玄関の埀撥の掛け花入れにどうでしょう。ちょっと大きいですかね。

blog_AC_1016.jpg

もう一点、玄関の花台の上には、白山吹と濃紫のクリスマスローズ。

blog_AC_1020.jpg応接間の床の間代わりのところには、緑の葉が吹き出した沙羅(ナツツバキ)の枝と八重のクリスマスローズ。

blog_AC_1022.jpgそして、無文老師には、ハナミズキの枝を。

blog_AC_1021.jpg4月後半は、こんな感じでお出迎えしております。

by admin  at 12:53  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

日本三大なんとか

 

blog_橋立.jpg現在読んでいる江戸中期の語録に、宮城県の松島を歌って、「扶桑第一の境」という言葉が出て来ました。「日本一の景色」という意味です。
松島と言えば、京都の天橋立、広島の安芸の宮島とならんで、「日本三景」の一つに数えられ、それはそれは美しいところです。

さていったい、いつ頃から、この三つの景色を「日本三景」と呼ぶようになったのでしょうか。

興味まかせに調べてみると、その歴史は古いもので、林春斎、あの林羅山の息子ですが、彼が寛永20年(1643)に著わした『日本国事跡考』という書物に、「松島、この島の外に小島そこばく有り、ほとんど盆池月波の景の如し。境致の佳なる、丹後の天橋立・安芸の厳島と三処の奇観をなす」とあるそうです。そして、元禄2年(1689)に天橋立を訪れた大学者・貝原益軒(かいばら えきけん)が、『己巳紀行』という書物の中に、天橋立を、「日本三景の一つとするのももっともなことである」と記していて、これが「日本三景」という言葉の文献上の初出とされています。と言うことは、益軒の以前から、「日本三景」という名称はあったことになり、由緒正しいものということになります。

「日本三景」と同じように、「日本三大なんとか」という言葉もよく聞きます。日本三大松原、日本三大陶器、日本三大花火……、数え上げたらキリがありませんが、これは、誰が決めたのかも分かりません。たとえば、日本三大松原は、一般的には、静岡の三保の松原、敦賀の気比の松原、唐津の虹の松原を言いますが、時と場合によっては、天橋立の松が、どれかに代わることもあります。

私が若くて各地を旅していたころ、あるところで出会ったオジサンが、「日本三大なんとかはなあ、有名なものを二つ入れて、あとの一つは、地元のものを入れるのだ」と教えてくれました。私は笑ってしまいましたが、なるほどと思いました。たとえば、「福島の三春滝桜、山梨の山高神代桜、そして、丹波の篠山城桜、これが日本三大桜じゃ」と大威張りで言っても、とがめられるスジアイはないのです。

それぞれの地元には、全国に自慢したい名物がたくさんあります。これをみんな、「日本三大なんとか」にしてしまうのです。なんと楽しいことでしょう。日本三大ネギ、日本三大ナスビ、日本三大アユ、日本三大マグロとか……、想像するだけでも楽しくなります。

まあ、こんなことを調べたり、妄想を起こしているから、私の語録訓注の仕事は進まないのですが、アッチコッチと揺れながら、楽しく読んでいきます。

by admin  at 09:00  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

高野山の山王院(1)

 

01.jpg寺院にはその土地や伽藍を守護する神が祀られることが多い。これらは地主神・鎮守などと呼ばれるが、高野山金剛峰寺の地主神は壇上伽藍の西側の奥に祀られている。祭神は高野山の開創に関わったとされる丹生明神、高野明神そのほかの神々で、説明板には「御社」とある。その前にはかなり大きな拝殿があるが、「山王院」という名称だという。

02.jpg真言宗史・神祇史に詳しい方には周知のことだろうが、先日高野山を参拝した折、「山王院」という名称から、高野山の地主神自体も「山王」と呼ばれていたらしいことを再認識した。

比叡山延暦寺の鎮守であった日吉大社が、かつて山王権現と称されていたことはよく知られており、山王と言えば日吉の別名のように思われている。しかし、高野山の地主神も同様の名で呼ばれていたとすれば、山王とは山寺の鎮守を表す一般名詞に近いものだったということになるかも知れない。他にも山王と呼ばれる神は存在するのだろうか。少し調べてみた。(続く)

 

by admin  at 09:00  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)

いろは歌

 

blog_MG_1903.jpg先日、奈良にあります喜光寺で、「いろは歌」に意味があるというお話を伺いました。このお寺は薬師寺の別格本山になるのだそうです。

小学生の頃に通っていた習字教室の先生に、通い始めてすぐ教えてもらい「いろはにほへとー、ちりぬるをわかー」と大きな声で言いながら、手や服を真っ黒にして、平仮名を書いていたのを思い出しました。

しかし、それっきり、いろは歌とは縁がなく、思い出と共に心の片隅に追いやらて過ごしてまいりました。

いろは歌は、弘法大師、それより前、奈良時代の行基菩薩の作かもといわれているそうで、それすらも知りませんでした。本当に恥ずかしい限りです。

諸行無常 いろはにほへとちりぬるを(色は匂えど散りぬるを)
是生滅法 わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)
生滅滅已 うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)
寂滅為楽 あさきゆめみしゑひもせすん(浅き夢見し酔いもせず)

この世の形あるものは散っていくもの
誰も永遠に生きることはできないし、永遠をつくることもできない
すべての執着を今日こそ越えましょう
執着から離れたとき、欲望が夢であったことにきづき
静かなこころが生まれ、真の喜びと楽しみが生まれるでしょう

喜光寺で頂いたパンフレットによると、『涅槃経』の言葉に当てはめて、このような意味だとご教示いただきましたが、覚えている節回しとは全く違います。

今から思えば、書く事に飽きないようにいろは歌にからめて教えてくだっさったのかもしれません。孫の様な年齢の一年生に意味を言っても通じませんものね。

誰もが簡単に口ずさめる歌にして伝える…。
作られた時代に想いをはせつつ、私自身この歌のように過ごしてきたであろうか、これからできるだろうかと、自分を見つめなおした日でありました。

by admin  at 09:00  | Permalink  | Comments (0)  | Trackbacks (0)
2017年5月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31