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みずからのみずからの自由を、人からとじこめられるな

 

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「ブログ禅」を御覧になっている人の中には、将来、禅の研究者を目指しておられる人もおられると思います。これは、小生のせつない希望ですが。

小生は、ただいま、ある依頼を受けて、仙台藩四代藩主、伊達綱村公の語録?『如幻三昧集』を読んでいます。

「ブログ禅」の読者ならば、漢字が多出するのは辛抱して下さい。

その「著語」の部分に、以下の文章があります。

瑞巖自喚云、主人公在麼。自諾云、在。意旨如何。答曰、無鬚鎖子兩頭搖。又曰、自領出去。

訓読します。

(1)瑞巌、自{みずか}ら喚{よ}んで云く、『主人公、在りや』。自ら諾{だく}して云く、『在り』」と。「意旨如何{いかん}」。答えて曰く、「(2)無鬚{むしゅ}の鎖子{さし}、両頭に揺らぐ」。又た曰く、「(3)自領出去{じりょうしゅっこ}」。

注記を書きます。

  1. 瑞巌自喚云……=「巌喚主人」と呼ばれる公案であろうが、綱村公が挙した話頭は未見。当時の黄檗下で用いられていた公案か、公の創作かも不詳。今は、『無門関』十二則を引いておく。「瑞巌の彦和尚、毎日自ら『主人公』と喚び、復{ま}た自ら応諾し、乃{すなわ}ち云く、『惺惺著{せいせいじゃく}。諾{だく}。他時異日、人の瞞{まん}を受くること莫{な}かれ。諾諾』」。
  2. 無鬚鎖子両頭揺=内バネのない開かずの錠が両辺に開く。「問う、『如何{いか}なるか是れ和尚が深深の処』。師曰く、『無鬚の鎖子、両頭に揺らぐ』」(『五灯会元』巻五・石霜慶諸章)。この問答は、日本の公案集『宗門葛藤集』に「無鬚鎖子」として採られる。詳しくは、道前宗閑『校訂本 宗門葛藤集』【六九】を参照。
  3. 自領出去=禅録頻出語。中国の古い法廷用語で、自ら罪を白状して自ら出頭せよというのが本意だが、ここでは、『宗門方語』【自領出去】の下注に言う「是れ誰か得ざる、誰か知らざる」の意で言われたものかも知れない。「主人公など誰もが持っておるし、誰もが知っておる」と。しかし、語句の本意にもどせば、「瑞巌は自分しか知らない主人公を自ら白状してしまった」とも読める。

小生の注記は以上までしか書けませんし、小生は、基本知識を忠実に提供するしかありません。ここで、「ブログ禅」読者に申し上げたい。特にこの「自領出去」をどう考えるのかは、読者の勝手なのである、と。もちろん、この「自領出去」の真意は、綱村公しかご存じあるまいが、綱村公に、その真意を問うてみたところで、公も「知らぬ」とお答えであろうと思います。

これは、自己反省を含めて申し上げますが、学者先生は、自己解釈を読者に押し付けないように、自己解釈のために異論の資料を削除しないようにお願いします。

禅録は、読者一人一人の心に即して読めばいいと思います。だって、馬祖が言った、「即心即仏」も「非心非仏」も、その真意など、誰にも分からないでしょう、先生方。

禅は、決して難しいものではありません。
恋愛や就職活動の悩みとかけ離れたものではありません。
生きていることすべてが禅だと思い、悩みや、尋ねたいことがあれば、どんどん、まわりの禅僧に尋ねてみて下さい。

みずからのみずからの自由を、人からとじこめられるな

 

 

※写真は、古川大航・植木憲道墨蹟 「主人公」(禅文化研究所蔵)。

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デジタルアーカイブズ事業 大本山方広寺での調査

 

blog__MG_1707.jpg2月22日(水)~24日(金)の三日間、静岡県浜松市にある大本山方広寺へデジタルアーカイブ宝物調査に行って参りました。
現在NHKで放送中の、大河ドラマ「おんな城主直虎」の撮影舞台となった場所でもあります。

調査の内容は、掛け軸の形態、品質、法量、作成された年代を調べ、全体の写真撮影、落款印など、細部にわたる撮影を行なった後、最後に軸先や箱の破損箇所を修復するという流れで作業を行ないます。

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初めて調査のお手伝いをさせていただき、主に法量と宝物の運搬などの軽作業を行ないました。保存の状態によってはかなり傷んだ物もあり、丁重に扱わなければすぐ破れてしまうような軸物もありました。
同行している花園大学歴史博物館の研究員の方々から、「作品をじっくり観察してみると、当時の有様や描き手の思い、様々な時代背景が見えてくる」という説明を受けながら書や絵を考察してみると、感情を込められて描かれた部分やそうでない部分などにも素人目線ながら気付くことができました。
今回は2泊3日の調査でしたが、まだまだ時間がかかるということで、今後の調査にも期待して取り組んでいきたいところです。

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第5回白隠塾フォーラム「白隠と地獄」

 

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来たる3月26日(日) 13時~16時に第5回白隠塾フォーラム(主催・駿河白隠塾/後援・沼津市)が開催されます。
会場は、静岡県沼津市の沼津駅北口にあるプラサヴェルデ3階コンベンションホールB。

第1部では「白隠禅師が生きた時代と原宿」と題して、芳澤勝弘氏(駿河白隠塾塾長/花園大学国際禅学研究所顧問)が、年譜を遡り、白隠禅師が生きたその時代と往時の原宿の様子を紐といていかれます。

第2部では、弊所の前所長である、西村惠信先生(花園大学名誉教授)が、「地獄を悟る -私の白隱さん」と題して、「名僧の中でも広く知られる一休と白隠。二人をつなぐ接点、そして現代へのメッセージとは何か?」について講演されます。

定員は300名(会員枠200名/一般枠100名)で、入場料は駿河白隠塾会員は無料、一般参加は2,000円(いずれも事前予約が必要)とのことです。

お申し込みは、駿河白隠塾事務局(電話:055-925-0512/Eメール)まで。

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白隠禅師シンポジウム【東京会場】おわりました

去る2月18日(土)、東京の日経ホールにて「白隠禅師シンポジウム【東京会場】」が行なわれました。

「白隠さんとわたし」というテーマに基づき、横田南嶺老師(円覚寺派管長)と芳澤勝弘氏(花園大学国際禅学研究所顧問)の講演と、その後、司会の細川晋輔師(妙心寺派龍雲寺住職)が加わっての鼎談という内容で、会場にはおよそ350名の方がお越しになりました。

blog_MG_1529.jpg蓮沼良直師よりごあいさつ

冒頭で蓮沼良直師(臨黄合議所理事長)のご挨拶があり、まず最初に芳澤氏より白隠禅師の語録『荊叢毒蘂(けいそうどくずい)』についてのご講演をいただきました。

blog_MG_1547.jpg芳澤先生の講演

「荊叢毒蘂」とは「荊の藪の中に咲いた毒の花」という意味になるそうで、「毒」という言葉のイメージはあまりよくありませんが、白隠禅師はこの「毒」という文字を好んで使われていたということです。ふつう、語録は亡くなってから弟子が編集するものですが、これは白隠禅師が生前に自ら出版され、自ら提唱されたという非常に珍しいものです。
今回の遠諱にあたって、芳澤先生は、この『荊叢毒蘂』の現代語訳や注釈を付した『荊叢毒蘂』乾・坤(禅文化研究所刊)を著わされたが、白隠禅師自らの提唱の際に弟子が書いた細かい文字の書き入れがある『荊叢毒蘂』の版本も残っており、これがなければ注釈することが非常に困難であったということ、また、漢詩の一文には当時の松蔭寺の情景が垣間見られる部分などもあり、9巻有る各巻にぎっしり書き入れがあることから、よりわかりやすく訓注することができたとお話されていました。

次に、横田老師からは白隠禅師の有名な仮名法語『夜船閑話』について、禅師が日本で初めて「健康」という言葉を使われたというお話から、「健康」とは大自然を感じることであり、私は頭で感じることより身体で感じていただく講演を行ないますと一言。

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横田老師の講演

その中でも「健康」に生きるには正しい呼吸することが最も重要であり、大自然の営みは息をすることであると仰いました。また、人間は1日に2~3万回も呼吸をしているそうですが、考えるという行動は6万回に及ぶそうです。どちらも私たちが生きていく中で大切なことでありますが、白隠禅師は吸った息が腹に届くその終着点こそが本当の自分であると唱えられたこと、また、身体の至る所に行き届く息を意識すること、身体の部分(腹、腰、足)などを意識し、それを感じることで元気が出て「健康」を促すという教えを説かれたことが、とても印象的でした。

鼎談では、それぞれ白隠禅師についてお話しいただきました。

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鼎談の様子

お二人が共通して唱えられたことは、白隠禅師の禅は「四弘誓願」の実践であるということでした。

つまり、人々の悩み苦しみは尽きませんが、少しでも救っていきたいと願う心。互いの煩悩苦しみはつきませんが、少しでも滅していくこと。学ぶことは無量にありますが、命ある限り学んでいきたいと思うこと。仏道は無常でありますが、どこまでも求めていく姿勢。その4つの中でも特に、人々の悩み苦しみがつきない限りは自分もまた精進していくという姿勢を突き通された白隠禅師であるからこそ、やはり「健康」であることが重要であったのではないかとお話しいただきました。

blog_MG_1629.jpg白隠シンポジウムは今後、京都・名古屋・福岡の会場で行なわれますので、皆様のご参加を心よりお待ちしています。福岡の詳細についてはまだ未定ですが、京都・名古屋について詳しくはこちらをご参照下さい。

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逸話(10)白隠門下 その5-峨山慈棹(1)

今回は、白隠門下の高足、峨山慈棹禅師の逸話をご照会します。峨山禅師の逸話と言うより、師匠である白隠禅師や東嶺禅師の顕彰をされているお話ともいえます。


 

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峨山和尚は修行者に教えられた。
「わしは、二十年の間、全国各地を行脚して歩いた。その間、三十人ほどの善知識に相見した。しかし、わしの機鋒が鋭かったために、誰もわしに手をつけることができなかった。最後に白隠老漢に行き着き、三度もたたき出され、それまでに得た道力は、髪の毛一筋ほども役に立たなかった。それより、老漢に服従すること三、四年。あの時、天下には誰もわしを打ちすえる者はいなかった。ただ、白隠老漢が一人おられただけだ。
わしは、老漢の道徳が尊大であることを尊びはせぬ。老漢の名声が世間に満ちあふれていることを尊びもせぬ。老漢の悟りが古今の祖師がたをはるかにしのいでおられることも尊ばぬ。老漢が古人の難透難解な公案を、ひとつひとつ明らかに徹見して、少しの遺漏もないことも尊ばぬ。老漢が縦横自在に法を説き、その説法が、まるで獅子が吼えるような、何ごとをも畏れない説法であることも尊ばぬ。老漢の周囲には、三百人、五百人、あるいは七百人、八百人の弟子たちが取り囲み、まるで仏がこの世に出現されたかのようであったが、そんなこともわしは尊ばぬ。
ただ、天下の老和尚たちが、誰一人としてわしをどうすることもできなかったにも関わらず、白隠老漢だけが悪辣な接化手段を用い、わしに三度も棒を食らわせ、進むことも、退くことも奪い取り、ついにわしを大事了畢させて下さった。そのことだけを、わしは、尊ぶのだ。この事は容易なことではないぞ」
また、こうも言われた。
「わしが白隠老漢に従ったのは、わずかに四年だ。老漢もお年を召され、ややもすれば入室参禅がままならぬこともあった。そこでわしは、東嶺和尚に参禅したのである」
「わしは、五位の“兼中至”以上は、東嶺和尚に学んだ。その時、もしも東嶺和尚がおられなければ、わしは仕上がることはなかったであろう」
「『対するに堪えたり暮雲の帰って未だ合せざるに、遠山限りなき碧層層』。この句を簡単に見てはならぬぞ。たとえ難透難解の公案を透過し、臨済の三玄、洞山の五位などに参得しても、この境界に到ることはできぬ。いつか必ず、明らかに徹見する時節があろう。憶えておけよ」

『白隠門下逸話選』(能仁晃道編著)より

※写真は「峨山慈棹禅師像」(隠山惟琰賛・高田円乗画/東京麟祥院蔵) 禅文化研究所デジタルアーカイブズ「禅の至宝」より

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