逸話(10)白隠門下 その5-峨山慈棹(1)

今回は、白隠門下の高足、峨山慈棹禅師の逸話をご照会します。峨山禅師の逸話と言うより、師匠である白隠禅師や東嶺禅師の顕彰をされているお話ともいえます。


 

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峨山和尚は修行者に教えられた。
「わしは、二十年の間、全国各地を行脚して歩いた。その間、三十人ほどの善知識に相見した。しかし、わしの機鋒が鋭かったために、誰もわしに手をつけることができなかった。最後に白隠老漢に行き着き、三度もたたき出され、それまでに得た道力は、髪の毛一筋ほども役に立たなかった。それより、老漢に服従すること三、四年。あの時、天下には誰もわしを打ちすえる者はいなかった。ただ、白隠老漢が一人おられただけだ。
わしは、老漢の道徳が尊大であることを尊びはせぬ。老漢の名声が世間に満ちあふれていることを尊びもせぬ。老漢の悟りが古今の祖師がたをはるかにしのいでおられることも尊ばぬ。老漢が古人の難透難解な公案を、ひとつひとつ明らかに徹見して、少しの遺漏もないことも尊ばぬ。老漢が縦横自在に法を説き、その説法が、まるで獅子が吼えるような、何ごとをも畏れない説法であることも尊ばぬ。老漢の周囲には、三百人、五百人、あるいは七百人、八百人の弟子たちが取り囲み、まるで仏がこの世に出現されたかのようであったが、そんなこともわしは尊ばぬ。
ただ、天下の老和尚たちが、誰一人としてわしをどうすることもできなかったにも関わらず、白隠老漢だけが悪辣な接化手段を用い、わしに三度も棒を食らわせ、進むことも、退くことも奪い取り、ついにわしを大事了畢させて下さった。そのことだけを、わしは、尊ぶのだ。この事は容易なことではないぞ」
また、こうも言われた。
「わしが白隠老漢に従ったのは、わずかに四年だ。老漢もお年を召され、ややもすれば入室参禅がままならぬこともあった。そこでわしは、東嶺和尚に参禅したのである」
「わしは、五位の“兼中至”以上は、東嶺和尚に学んだ。その時、もしも東嶺和尚がおられなければ、わしは仕上がることはなかったであろう」
「『対するに堪えたり暮雲の帰って未だ合せざるに、遠山限りなき碧層層』。この句を簡単に見てはならぬぞ。たとえ難透難解の公案を透過し、臨済の三玄、洞山の五位などに参得しても、この境界に到ることはできぬ。いつか必ず、明らかに徹見する時節があろう。憶えておけよ」

 

※写真は「峨山慈棹禅師像」(隠山惟琰賛・高田円乗画/東京麟祥院蔵) 禅文化研究所デジタルアーカイブズ「禅の至宝」より

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坐禅は 面壁? 対面?

 

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先日、ある懐かしい人から電話をもらった。
嬉しかったが、小生にかかってくる電話は、ただの挨拶ではないのが常である。

案の定、「臨済宗は、いつごろから対面で坐禅をするようになったんだ」という難問であった。
確かに坐禅の基本は、達磨面壁である。
ところが現在の臨済宗は、面壁ではなく、禅堂の内側に向かって坐禅をする。
曹洞宗は、壁に向かって坐る。

その懐かしい人は、現在放映中のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』で、雲水さんたちが、対面坐禅で撮影されていることを見て気になったらしい(ちなみにこのドラマの僧侶の演技指導をしておられるのは、臨済宗妙心寺派龍雲寺〔東京〕の細川晋輔和尚である)。

この問題は非常に難しいのだが、小生のわずかな知識を紹介しておく。

江戸期の臨済宗の学僧で妙心寺にも住した無著道忠(1653~1744)が撰した『小叢林略清規』には、

凡(およ)そ坐禅の法は応(まさ)に面壁すべし

と書かれている。

ここから小生の推論だが、無著道忠が、わざわざこう書くということは、既にこの時代あたりから、対面坐禅が行なわれていたと見るのべきだと思う。続いて無著道忠は、『百丈清規』に云(いわ)くとして、

坐堂は尋常(よのつね)の坐禅の如く、内に向かって坐す。鼓(く)鳴れば則ち身を転じて外に向かって坐す

と注記している。どうやら、日本近代の臨済宗の対面坐禅は、『百丈清規』の「内に向かって坐す」を採用し、次の「鼓鳴れば則ち身を転じて外に向かって坐す」を無視してしまったのではないのか。まあ、これが、小生の一推論である。

壁に向かって坐ろうが、内に向かって坐ろうが、坐禅には何の区別もないが、疑問に思われる人もおられるかと推論を述べてみた次第である。

1分でも数分でも、静かに坐ってみられたら、気持ちいいですよ。
自己発見です!

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お富士さんと白隠禅師

去る18日(土)は、遠諱の記念事業の一つである「白隠シンポジウム【東京会場】」が開催され、東京の日経ホールまで、スタッフとして馳せ参じておりました。そのことについては、改めてお伝えするとして。

往路は若干曇りがちのお天気でしたが、日曜日の帰路には快晴。さぞや富士山がきれいに見えることだろうと期待して、当然のように新幹線のE席を指定してカメラも用意した上で乗車しました。

京都からの往路には新富士駅のあたりから見るときれいですが、復路には東京を出てすぐ、品川あたりからも遠くに望め、また小田原手前あたりからもよくみることができます。
それが、この写真。おそらく御殿場のあたりでしょうか。

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そして、熱海のトンネルを越え、三島駅を通過していくと、手前の愛鷹山があるせいで、こんな美しい富士山がすぐそこにあっても全く見えないというところが少し続きます。

白隠禅師の住まわれていた松蔭寺は、沼津市の近くの原宿というところにありますが、そのあたりからも、おそらく愛鷹山のせいで、裾野は見えないと思います。こんな感じでしょうか。

blog_MG_1678.jpgちょっとモヤモヤした見え方ですね。そして愛鷹山をすぎてしまうと、新富士駅手前からは雄大な富士山の全貌が望めます。

blog_MG_1691.jpgいかがですか。何度見ても素晴らしいお山ですね。

ただ残念なことに、このあたりは製紙工場だらけで煙突や高圧線がたくさんあって、なかなかベストショットが撮りにくいのです。もう少し、望遠で引き寄せてみるとこんな写真です。

blog_MG_1683.jpg右の裾野の方にぽっこり突き出ているところに手前に窪んでいるのは、宝永4年(1707)におきた、いわゆる宝永大噴火でできた噴火口があるあたりです。白隠禅師は貞享2年(1685)のお生まれですから、数えで23歳の時に起きた大噴火の跡です。地獄が怖くて出家した白隠禅師でしたが、『白隠年譜』によると、このとき修行中だった白隠禅師は岐阜の馬翁和尚の所を辞して松蔭寺に戻っており、この大噴火と地震で兄弟弟子達は恐れおののき郊外に逃げていたのに、白隠だけは本堂でじっと「天命に命を預けているから怖れることはない」と誓願を立てて坐禅を続けておられたとあります。このあたりの事情も『新編 白隠禅師年譜』(編著・芳澤勝弘/禅文化研究所刊)に詳しくあります。

富士山のもとで生まれ、各地を行脚した修行の後も、この富士山のもとで一生、法を説かれた白隠禅師。今年は亡くなって250年遠諱の年です。

 

 

 

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鈴木法音老師 小祥忌

 

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過日、信長の菩提寺としても有名な、滋賀県安土の摠見寺(臨済宗妙心寺派)にて、佛通寺派前管長の一箪室鈴木法音老師の小祥忌が営まれました。

老師は、仏通寺派管長に上堂される前に、長らく摠見寺にて住持を勤められており、私も近隣寺院として親しくお付き合いをさせていただいておりましたし、また、季刊誌『禅文化』にもご寄稿をいただいていたり、いろいろなご縁をいただいておりました。

一部には大変厳しく論破される老師だったので、煙たがられていた方もいらっしゃるとは思いますが、私個人としては非常に厚遇していただき、幾たびか、食事にもお誘いいただいたこともありました。

blog_2017-02-16-09.48.23.jpg先般来の大雪のせいで、まだ摠見寺への参道にはまだ雪が残っており、法要当日は、外は陽も照っていくらか温かくはありましたが、本堂内は冷え渡り、身も引き締まるほど。法音老師と縁の深い妙心僧堂関係の諸尊宿、現住和尚と縁の深い静岡市の尊宿方、そして近隣部内の寺院が参集し、また在家の招待客の方もおられるなか、現住職が導師をつとめ、楞厳行道をもって勤修されました。

blog_2017-02-16-11.02.jpg冒頭の写真は、この度の小祥忌にあわせてできあがった、法音老師の頂相(ちんそう/禅僧の肖像画)です。普段はメガネをかけられていたので、少し違ったイメージでしたが、よく似せて描かれていました。賛は、妙心僧堂師家の岫雲軒雪丸令敏老師によるもの。津送の時の法語がほぼそのまま賛にされているようです。

法音老師のことを見事にそのまま法語にされていて、老師のご生前を思い出しておりました。

 

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第12回 臨黄教化研究会

 

2017-02-13-13.48.14.jpg2月13日~14日と、第12回「臨黄教化研究会」を花園大学にて開催しています。

本研究会は、現代社会の諸問題をテーマに積極的な意見交換を行ない、そこでの結果や課題を各自が寺院活動に生かすことを目的とした、臨済宗黄檗宗僧侶の研究会で、今年で12回目となります。
今回は、援助的コミュニケーション「傾聴」をテーマに、仏教の原点を顧み、僧の本務を考え、講演と演習を通して、参加者自身が聴く意味を明らかにすることを目指します。

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1日目には基調講演として「聴くことの意味について」と題して、村田久行先生(京都ノートルダム女子大学名誉教授・日本傾聴塾代表)にご登壇いただきお話をうかがい、参加者は熱心に拝聴していました。

その基調講演を基礎にして、分科会にわかれて傾聴に関してのグループワークを実際に行ないました。傾聴僧の会の方々にお手伝いをいただき、それぞれのグループでサポートにあたっていただいています。

2日目には、前日の研究会をふまえてのシンポジウムを行ない、午後には再度、グループワーク(実践)を行ない、最後にグループ発表(総括)というスケジュールです。

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