麟祥院展 展観品返却

 

IMAG3442_1.jpg梅雨の合間の晴天で、富士の頭が雲から突き出ておりました。

昨日、東京麟祥院まで出張して参りました。タイトルの通り、この春に花園大学歴史博物館で展観していた「湯島麟祥院 -春日局と峨山慈棹-展」に借用させていただいていた、ご所蔵品の返却です。

 

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学芸員1名は、返却の日本通運の美術品輸送専用トラックに同乗して前日より東京入り。ほかに博物館館長と禅文化研究所職員である私が当日に出向き、麟祥院様の書院で開封。一点一点、かり出した時と同じ状態であるかをチェックしていきます。

無事にすべて問題の無いことをご住職に報告し、収蔵庫へも運び入れました。

思えば、昨年3月に2回、8月と9月に1回の計4回のべ13日にわたり、悉皆調査をさせていただいた、この湯島麟祥院。
どこの場合でもそうですが、貴重な絵画墨蹟を手に取り、直に向き合っての調査は、本当に有益な体験です。麟祥院様にも、ご許可いただいたことに感謝申し上げる次第です。

IMAG3444_1.jpg禅文化研究所では、こういったデジタルアーカイブズ事業を、今後も続けて参ります。

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サンガセミナー -傾聴講座-

 

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先日はサンガセミナー【香りを知る】講座のご案内をさせていただきました。

本日は同日に開催する【傾聴講座】のご案内です。

僧侶の大きな役割の一つに、“人の話に耳を傾ける”という事があると思います。
悩んでいる人間も、ほんとうのところ、自分がどうしたいのかがわかっていたり、答えが出ていたりするもので、話しているうち、聴いてもらっているうちに解決する事も大いにあり得ます。

心理学者・河合隼雄先生の逸話としてなるほどと思いましたのが、深い悩みを持つ者が、先生と話しつつ一緒に御所(京都御苑)を散歩していただけで悩みが解決していたというもの。

“聴く力”とはいったい何なのでしょう。
聴く人自身の資質や人生経験なども大きく関わるのでしょうが、コツというのもあるのではないでしょうか。
今回は花園大学学長の丹治光浩先生におこしいただき、カウンセリング技法の一つとしての訊く技術、応える技術を通して傾聴の本質と日常生活への応用を学びたいと思います。


もちろん、僧侶のみならず一般の方もご参加くださいませ。
“聴く”といえば、職業関係なく、家族や同僚や恋人、友達との人間関係全てにおいて関わってくる事で、関係の無い人は存在しないくらいです。
御関心ある方は是非。


日時:7月20日(水) 10時~12時
場所:京都円町駅近く 法輪寺(だるま寺)
受講料:4,000円
*お申込みはこちらからお願い致します。


講師:丹治光浩◆(たんじ・みつひろ/花園大学学長)

1956年、兵庫県生まれ。浜松医科大学医学研究科修了後、国立療養所天竜病院、メンタルクリニックダダなどで児童精神科臨床に従事。2000年より花園 大学に奉職。助教授、教授を経て、2015年より現職。臨床心理士・医学博士。主著に『心理療法を終えるとき』(北大路書房)、『失敗から学ぶ心理臨床』 (星和書店)、『中学生・高校生・大学生のための自己理解ワーク』(ナカニシヤ出版)など。


*写真は雨上がりの京都御苑

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長岡禅塾訪問

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そぼふる雨の日の朝、京都府長岡京市にある長岡禅塾を初めて訪ねてまいりました。

長岡天神の森に連なる形で建っている長岡禅塾は、大学生を対象にした禅の寄宿塾で、昭和11年、日商岩井(現・双日)の前身である岩井商店の創業者岩井勝次郎氏によって設立されました。今も、関係企業や団体からの寄付金によって運営されているため、塾生は寮費を払うことがありません。

宗教法人(お寺)ではなく公益財団法人としているため、特定の宗派に属しているわけではありませんが、禅の実践生活をしながら大学に通えるように運営されています。

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初代塾長は、その辛辣さより「剃刀香洲」と呼ばれた梅谷香洲老師、二代目は西田幾多郎博士の高弟であった森本省念老師、三代目現塾長の浅井義宣老師と引き継がれ、現在は、副塾長として塾生ならびに通参の社会人の指導に当たっておられる北野大雲老師がおられます。

この長岡禅塾に寄宿し、のちに本山管長や僧堂師家になられた方も少なくありません。梶谷宗忍老師(大本山相国寺管長)、糸原圓應老師(平林僧堂師家)、篠原大雄老師(大本山永源寺管長)、道前慈明老師(大本山永源寺管長)などなどです。

現在は塾生が3名しかおらず、さらにそのうち2名は外国人だとかで、非常に運営に苦労をされているようでしたが、それにしてもこの掃除の行き届き具合は驚きでした。また、玄関から取り次いでくれた塾生の立ち居振る舞いは、僧堂の雲水とはちがい、非常にゆったりとした独特のもので、ある意味、感動さえ覚えました。

 

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7月1日からは摂心もあるということで、そういうときには、通参の社会人なども来られるとのこと。それぞれに個室の宿舎があてがわれ、禅堂では坐禅、そして老師に参禅といった僧堂摂心に準じた生活がなされるようです。

禅堂で寝泊まりはしないため、いわゆる単箱や蒲団棚はありませんので一風変わった禅堂ですが、内単と外単があり、たいへん立派なものでした。

1年以上寄宿することを前提に、入塾生を随侍募集されています。また一般の方には、坐禅会や提唱へ参加いただけるようです。詳しくはホームページをご覧下さい。

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さて、このたび、この長岡禅塾副塾長の北野大雲老師の著書を、禅文化研究所から発刊させていただくことになりました。禅門には、豪快、愉快、奇天烈な逸話がたくさん残っています。これらは実はそれぞれの禅者が厳しい修行をし坐り詰めてこそ出てきた話なのですが、老師自ら、そういった話を拾い集め、読み解き、一般の方々に広く知ってもらいたいということで、『禅に親しむ』(予価1300円〈税別〉)と題して9月中旬に発刊予定です。

どうぞお楽しみに。

 

 

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サンガセミナー -香りを知る-


160622.jpg香りと人の関係には長い歴史があり、それぞれの国や文化により様々に育まれてきています。

お釈迦様は質素なお暮らしをなさいましたが、瞑想の時にはおしげもなく香木をくべられ、香りで死者を弔う事をお勧めになり、また実際にお釈迦様涅槃の折には膨大な白檀が使われたといいます。
この事から、香りに着目した講座を設ける事に致しました。

代替医療の一環として人の心身を癒す香り。祈りや清めの場に必ず存在する香り。
“香り”が私達にもたらすものとは一体何であって、何故そのような効果があるのでしょうか。

スパイスや香りの効能を日々のくらしに生かしておられる村田真彌子さんを講師にお迎えし、皆さまと共に学ばせていただく時間にしたいと思っております。

ご参加お待ち申し上げております。

日時:7月20日(水)13時~15時
場所:京都円町駅近く 法輪寺(だるま寺)

お申込みはこちらからどうぞ。



講師:村田真彌子

神奈川県横浜市生まれ、湘南育ち。予防医学、健康長寿の世界的なパイオニアである有川清康医師の随行秘書として、講演・セミナーで全国を巡る。ロンドンで アロマセラピーと出会い、同時に英国式カラーセラピーを学ぶ。東京にて東邦大学名誉教授・鳥居鎮夫氏、他各氏に習業。その後、エネルギー専門の新聞社に勤 務。記者、ライター、大学勤務を経て、現在EVERGREEN/とつきとおか主宰。
植物の恵みを補完的に取り入れられる自然療法に深い関心を寄せ、自らも日々の生活にその智慧を取り入れている。妊産婦ケアまで行えるアロマセラピストとして、産婦人科医と共に地域の補完療法に携わり11年目を迎える。

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君看双眼色



160621.jpg君看双眼色(きみみよそうがんのいろ)
不語似無憂(かたらざればうれいなきににたり)    『槐安国語』


上にご紹介しましたのは、白隠禅師の『槐安国語』(『大燈国師語録』に白隠が評唱や下語を付したもの)にある、大燈国師の「千峰雨霽露光冷(せんぽうあめはれて ろこうつめたし)」という句の後につけられた白隠禅師の美しい下語(あぎょ)です。
*弊所発刊の『槐安国語』は現在絶版となっておりますが、今年中には一冊にまとめた廉価版を発刊予定です。



私が尊敬する大親友(在家の女性)は、こう訳していました。

「なんにも言わない君の苦しみをしっています。一人じゃない、いつもそばにいます」。

いつも自分の事よりも他の人の事ばかり考えて、私はもちろんの事、色んな人たちの支えになり続けている彼女の在り方そのものではないか・・・と思い、泣けてくるのです。

そして下記は相田みつをさんの詩です。
これを読む度に、「澄んだ瞳を感じられる自分でありたいな……」と願わせていただけます。
皆さまにもご紹介をと思いました。



『憂い』

むかしの人の詩にありました

君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり

憂いがないのではありません
悲しみがないのでもありません
語らないだけなんです

語れないほどふかい憂いだからです
語れないほど重い悲しみだからです

人にいくら説明したって
全くわかってもらえないから
語ることをやめて
じっと こらえているんです

文字にもことばにも
到底 表せない
ふかい 憂いを
おもい かなしみを
こころの底ふかく
ずっしり しずめて

じっと黙っているから
まなこが澄んでくるのです

澄んだ目の底にある
ふかい憂いのわかる人間になろう
重いかなしみの見える眼を持とう

君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり
語らざれば憂い
無きに似たり

みつを

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